2018年10月16日

●「墜落現場で火炎放射器を使う理由」(EJ第4869号)

 青山透子氏は、JAL123便の乗客乗員の遺体の異常さに注
目しています。この人の凄いところは、疑問が起きると、そのこ
とを知ると思われる人を見つけ出し、実際にその人に会って、徹
底的に聞き出すことです。青山氏の本には、そういう質問と回答
が満載されています。123便の遺体には、通常の飛行機事故の
遺体と決定的に違うものがあったからです。
 その遺体はどんな状態だったのでしょうか。
 乗員4名と乗客1名の司法解剖を担当した群馬大学医学部の古
川研教授は、123便の遺体の状況を次のように述べています。
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 機体前部の遺体には損壊や焼損が目立ち、衝撃のすさまじさと
主翼の燃料タンクの火災の影響を受け、焼損遺体の中には部位も
判然としないものがあり、通常の家屋火災現場の焼死体をもう一
度焼損したようにみえた。(略)──群馬県医師会活動記録『日
 航機事故に対する法医学の対応』/昭和61年10月1日発行
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 「通常の家屋火災現場の焼死体をもう一度焼損したようもの」
──素人の考え方では、きっとジェット燃料はそれだけ燃焼力が
強いのだろうと考えます。しかし、ジェット燃料は灯油に近いと
いわれます。灯油を頭からがぶって自殺した人の遺体を見ても炭
化するまで焼けることはないといわれています。
 青山透子氏は、事故当日の朝、早い時間に現場に足を踏み入れ
た消防団の人々の情報を基に、現場に漂っていた臭いから推定さ
れるものについて、元自衛隊関係者、軍事評論家、大学の研究者
などに質問をしています。なお、臭いについては、JAL123
便の墜落現場であることは伏せて質問しています。
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≪質問1≫
 ガソリンとタールの臭いが充満し、長時間燃える物質は何か。
 その結果、人間の体が炭のようになる状態(完全炭化)のもの
 は何か。
 ≪答え≫
 ガソリンとタールを混ぜて作ったゲル状燃料である。
≪質問2≫
 なぜそれが人間の体を炭にするのか。
 ≪答え≫
 化学薬品によってゲル状になったガソリンであるため。これが
 服や皮膚に噴射されて付着すると、そのすべてが燃え尽き、結
 果的に炭状になる。
≪質問3≫
 これはどこで手に入るのか。
 ≪答え≫
 一般にはない。軍用の武器である。その武器は、燃料タンクを
 背負い、射程距離は約33メートルで、歩兵が用いるものであ
 る。第二次世界大戦中は米軍で使用された。M1、M2の2種
 類がある。昔の武器というイメージがあるが、戦後は米軍から
 自衛隊に供与されていた。現在も陸上自衛隊の普通科に携帯放
 射器として配備されている。これはM2型火炎放射器の改良型
 である。噴射回数十回まで可能。噴射用圧縮空気タンクを連結
 している。今でも駐屯地祭でデモストレーションしている。
≪質問4≫
 それはどこにあるのか。
 ≪答え≫
 陸上自衛隊普通科歩兵、化学防護武器隊で、相馬原普通科部隊
 にもある可能性が高い。   ──青山透子著/河出書房新社
  『日航123便/撃墜の新事実/目撃証言から真相に迫る』
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 JAL123便の墜落現場には、ガソリンとタールの臭いが強
く漂っていたといいます。これは正確には「ゲル状燃料」といい
ます。ガソリンとタールを混ぜて作るのです。
 驚くべきなのは、その燃料を使うのは軍用の兵器であるという
ことです。具体的な名称は「携帯放射器」、これはM2型火炎放
射器の改良型です。そうであるとすると、123便の墜落現場で
火炎放射器が使われたことになります。なぜ、そのような兵器を
墜落現場で使う必要があったのでしょうか。
 その後、青山透子氏は、その話を元自衛官に話したところ、次
のようにアドバイスされたそうです。「話があまり核心に近づく
と、妨害や脅迫が増えてくるから、気を付けた方がよい」と。し
かし、そういう以上は、その事実こそ核心中の核心である何より
もの証拠であるといえます。この火炎放射器の話は、青山透子氏
の発見であり、まさしく新事実です。
 123便墜落現場にいち早く入った80人のほどの一団、これ
は普通の自衛隊員ではないと思います。ある特定任務を持つ特殊
部隊である可能性があります。彼らの目的は乗客乗員の救出では
なく、標的機やミサイルの衝突の痕跡を消すことと、もうひとつ
火炎放射器を使うことにあります。何に使うのかは、あえて書か
ず、推測におまかせします。これについて青山透子氏は、怒りを
もって次のように述べています。
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 万が一、このような状況を作り出した人たちがいたとすると、
恐ろしいなどということを超えて背筋が凍るような話である。も
しこの武器によって遺体が完全炭化してしまったとすると、それ
を命じた人、それに従った人たちは今どうしているのだろう。そ
の事実を闇に葬ってしまうことで、罪から逃れたと勘違いしてい
るのではないだろうか。その危険性をしっかりと認識せず、検証
することもないままだとすると、次の事故、事件につながる可能
性は非常に大きい。今こそ事故の原因を明らかにしなければなら
ない理由はそこにある。     ──青山透子著の前掲書より
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         ──[日航機123便墜落の真相/039]

≪画像および関連情報≫
 ●日航123便、墜落原因の続報/東海アマブログ
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   青山透子氏は、1985年に墜落し、すでに33年を経て
  風化した現地の再調査を繰り返す中で、驚異的な新証拠を発
  見した。墜落現場の遺物をたくさん持ち帰り、精密検査をし
  たところ、多量のベンゼン環が発見されたのである。
   ベンゼン環は、123便ジェット燃料には決して含まれな
  いもので、これは青山氏が、最初の現地調査で、捜索隊が現
  地に到着したとき、「ガソリンとタールが混合したような激
  しい臭気に満ちていた」との証言と、遺体の炭化度の凄まじ
  さから、これは墜落時に漏洩したジェット燃料火災によるも
  のでなく、人為的に「火炎放射器」によって、遺体と現場が
  焼かれていたことの非常に明瞭な証拠である。
   また、墜落時に、米軍は墜落機を追尾して、現地を確認し
  即座に救助隊を送り込んだのだが、日本政府が、これを阻止
  し、米軍による救助を拒否し、さらに自衛隊の先遣隊が、そ
  の日のうちに現地に到着していた証拠があった。
   これらの事実について、公的資料から明らかにされている
  にもかかわらず、政府もマスコミも、まるで統制されている
  ように、一様に口をつぐんでいるのは、フクイチ事故の被曝
  障害の実態を絶対に報道しないことと同じである。この先遣
  自衛隊が、火炎放射器を使って、まだ生きていた遺体ごと現
  場を焼却し、証拠隠滅を図ったとみて間違いない物証が出て
  きたわけである。        https://bit.ly/2RL2138
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M2火炎放射器.jpg
M2火炎放射器
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2018年10月15日

●「闇に潜みし者は一体何をやったか」(EJ第4868号)

 JAL123便の墜落事故──いや、あえて「事件」と書くこ
とにします。123便が墜落にいたる一連のプロセスにおいて、
事故として起きたことは、ミサイル標的機が123便の垂直尾翼
にぶつかり、同機の垂直尾翼を破壊したことだけです。
 しかし、事故調の最終報告書では、ボーイング社の圧力隔壁修
理ミスと金属疲労により、JAL123便が飛行中に圧力隔壁が
破壊し、それによる急減圧で噴出した空気が瞬時に垂直尾翼を吹
き飛ばしたという「圧力隔壁破壊説」を結論としています。
 ところがここまで検討してきているように、これに関する疑問
点、矛盾点は数多くありますが、事故調は主張を頑として曲げず
垂直尾翼に外部から何かが衝突したのではないかという可能性す
ら、まったく検討していないのです。
 垂直尾翼の破壊によって操縦不能になった123便は、高濱機
長による神業ともいえる操縦によって機体を立て直し、横田基地
の許可をとって、横田飛行場に着陸しようとしますが、浜松基地
から発進した2機の自衛隊戦闘機によって、横田への着陸を阻ま
れ、山の方向に誘導されます。
 ここで「自衛隊」とか「政府」とかいう言葉は、使いたくない
ので、あえて「闇に潜みし者」という表現を使います。もしやっ
ていることが真実であると、人道にもとる残酷な行為であるから
です。闇に潜みし者は、なぜ、横田への着陸を認めなかったので
しょうか。もし横田基地に降りていれば、たとえ胴体着陸であっ
ても、相当多くの生存者が出たと思われます。しかし、闇に潜み
し者にとっては、横田着陸には米軍が絡むので、何としても避け
たかったのです。
 闇に潜みし者としては、あくまで標的機が123便にぶつかっ
た痕跡を隠したかったのです。しかし、それと引き換えに520
人もの尊い命が失われています。もし、これが本当であるとする
と、闇に潜みし者は、人道に反する行為をしたことになります。
それに、何度もいうように、闇に潜みし者は、浜松基地発進の2
機のファントム戦闘機の存在を認めていないのです。しかし、こ
れには多くの目撃情報があり、動かし難い事実です。あったこと
をなかったことにしようとしているのです。
 横田基地に着陸できず、山の方向に向った123便ですが、そ
れでも高濱機長をトップとする123便のコックピットは、広大
なレタス高原への不時着を試みますが、レタス高原には人がいて
降りられず、次の不時着地点を探して、飛行を続けるのです。つ
まり、何としても山への激突は避けたかったのです。
 しかし、闇に潜みし者の狙いはあくまで「乗客乗員全員死亡」
です。死人に口なしであり、生存者はいない方が都合がよいから
であり、標的機の衝突がバレないで済むからです。ところが、1
23便はどこかに不時着しようとしている。少しでも生存者を増
やすためです。そこで闇に潜みし者が決断したのは、追尾する2
機のファントム機からのミサイル発射です。
 これについて、池田昌昭氏は「ミサイルによる強制撃墜」と題
して次のように書いています。
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 御巣鷹山付近に懸命に操縦杵を握り、不時着もしくは、なだら
かな高原への胴体不時着を決意したJAL123便操縦クルーに
とって、また乗客にとって最期のときが近づいていた。
 樹木をクッションにして、かなり水平姿勢で不時着できたかも
知れないJAL123便にとって、人為的で物理的なちからが外
部から加わって、墜落の決定的要因となった。
 それはまた墜落原因だけではなく、御巣鷹山への墜落に先立つ
おそらく1分から2分か前に、撃ち込まれたと思われる撃墜ミサ
イルの破壊力により、機体前部・中部付近の乗客は機内で粉砕さ
れた。そして私は、この撃墜ミサイルは、あるいは2発、撃ち込
まれたのではないかと想像する。いずれも、不時着寸前のJAL
123便にたいして、機体右後方から2発撃ち込まれたものと思
われる。
 エンジン出力を絞って、スピードを落とし、フラップを出して
不時着態勢にあったJAL123便の最終段階近くに、ミサイル
が機体に撃ち込まれた際の「ガーン」という衝撃音があったはず
である。それはコックピットにも聞こえたと思われる。その「ガ
ーン」という衝撃音は、ボイスレコーダーには記録されていない
のだろうか?
 ジャンボ機は、ボーイング社の軍用輸送機の発想から出発して
いる。その機体構造は頑丈であり、機体金属材質も銃弾を跳ね返
すくらいに頑丈なのかも知れない。空飛ぶ戦車とまではいかなく
とも、相当頑丈だとみてよい。    ──池田昌昭著/文芸社
 『御巣鷹山ファイル3/JAL123便は自衛隊が撃墜した』
─────────────────────────────
 多くの人が生存できる可能性の高かった横田基地への着陸を阻
んだだけでも人道にもとる行為です。それを生存者が出るのを恐
れて、満身創痍の123便に対して、ミサイルを撃ち込むという
のですから、恐ろしい話です。
 なぜ、それが疑われるかといえば、他の航空機の墜落事故の遺
体の状況もひどいものですが、123便の遺体があまりにも悲惨
の一言に尽きるからです。しかも、機体の前後、中部と、機体後
部の乗客・乗員の死傷レベルに相当大きな差があるのです。池田
昌昭氏は「人為的なミサイルなどによる機内爆発以外には考えら
れない」と述べています。
 しかし、青山透子氏の本を読むと、このこと以上に恐ろしいこ
とが書かれています。闇に潜みし者は、生存の可能性が十分あっ
た横田基地着陸を阻止しただけではなく、その後も123便を追
尾し、何回も不時着を試みようとする123便に対して、ことも
あろうに、2発のミサイルを撃ち込んで、強制墜落させたといわ
れています。青山氏の本では、それに加えて闇に潜みし者がもっ
と恐ろしいことをしていることを強く示唆しています。
         ──[日航機123便墜落の真相/038]

≪画像および関連情報≫
 ●自殺した航空自衛隊員が所持していた2枚の写真
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   自衛隊員の自殺数は1986年には年間90人以上と81
  年から73パーセントも増加している。(一省庁のなかで1
  年間で90人。これだけの自殺者が出るのは、不自然であり
  不審であるが、報道すらされなかった。
   最初に不審な自殺者が出たのが1986年7月、2人の航
  空自衛隊パイロットだった。そしてつづいて同年9月12日
  14日と航空自衛隊員が2人自殺する。これを皮切りに謎の
  自殺数増加がはじまる)。
   そのうちの一人(9月12日死亡)が友人に預けていた2
  枚の写真があるのだが、1枚は7月に自殺した同僚2人の写
  真(a)である。
   この時の状況だが、2人は自殺をはかった直後に発見され
  自衛隊病院に運ばれ病院内で死亡ということで、司法解剖も
  検視解剖もされなかった。だが、この写真の異様さに気づく
  だろうか、身長ほどの高さで吊られているが、踏み台もなに
  もない、しかもパラシュートコードを使ったというが、この
  コードは6ミリで、00キログラム近い耐力があり、首への
  食い込みは、太いロープなどと違い血管も神経も切断する。
  それを偶然自殺直後に発見し撮影までした後、病院に搬送す
  るまで生きているとは考えづらくはないだろうか?(4人と
  も遺書は残していない)。    https://bit.ly/2QSkTw3
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自衛隊員の持っていた2枚の写真のうちの1枚.jpg
自衛隊員の持っていた2枚の写真のうちの1枚
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2018年10月12日

●「横田基地の着陸を阻止した軍用機」(EJ第4867号)

 JAL123便は、本気で横田基地に緊急着陸しようとして、
その態勢に入っていたのです。横田基地も「受け入れ可能」を表
明していたからです。よくJAL123便は、山でなく、なぜ海
に出て、不時着しなかったのかといわれますが、そんなことをし
なくても、横田基地に十分着陸できたからです。
 それは、ちょうどそのとき、機内放送で、スチューワーデスが
「予告なく着陸することがあります」という放送を流していたこ
とからもわかります。この放送は、緊急着陸を意味しているから
です。それを阻んだのは、123便を追尾してきた自衛隊の2機
のファントムです。
 123便のコックピットは、自衛隊の戦闘機が追尾してきてい
ることは、わかっていたのです。それは、123便が「スコーク
77」を発信したので、救護のために追尾してきているとコック
ピットは考えていたようです。
 しかし、そうではなかったのです。自衛隊は、この浜松基地発
進の2機のファントムの存在を否定しています。しかし、この2
機の戦闘機については多くの目撃証言があり、間違いなく存在し
ているのです。自衛隊はそれに対し、否定も肯定もせず、一切発
言を控えています。
 123便が横田基地への着陸を試み、それを断念するまでの池
田昌昭氏の復元ボイスレコーダーをご覧ください。
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◎午後6時46分23秒
横田基地管制:こちら横田基地管制所。JAL123便、緊急周
 波数で呼んでいます。聞こえますか。緊急信号5423
123便:横田基地どうぞ。
 ・こちら、JAL123便。横田基地へのレーダー誘導をお願
 いします。
横田基地管制:了解
123便:高度はだいぶ降りています。
 ・もうすぐ、酸素はいらなくなります。
 ・もうすぐ、予告なしで着陸する場合があります。
 ・赤ちゃん連れの方は座席の背に頭を支えてください。赤ちゃ
  んはしっかり抱いてください。
 ・ベルトはしてますか。テーブルは戻してありますか。確認し
  てください。
 ・着陸の際は、予告なしで着陸する場合があります。
 ・地上との交信は、ちゃんとつながっております。
◎午後6時46分
航空基地司令:こちら、地上指令
 ・JAL123便の横田基地着陸は阻止せよ。
 ・理由は、民家に被害が出るからだ。
 ・それと、撃墜兵器の痕跡がJAL123便の垂直尾翼に残っ
  ているからだ。
 ・横田に着陸されると、民間機にたいする軍事攻撃が明らかに
  になる。
 ・着陸を阻止せよ。
 ・強行着陸するかも知れないので、そのときは、横から前に出
  て、体当たりするようにして着陸を阻止せよ
 ・これは絶対命令である。
 ・了解。
◎午後6時46分30秒
123便:アァー。戦闘機が前に出てきた。
 ・前を交差した。
 ・着陸を阻止するつもりだ。
 ・ミサイルを撃ち込む気か。
 ・戦闘機が右側から突っ込んで来ます。
 ・あくまでも阻止するつもりだ。
◎午後6時46分33秒
123便:これはダメかもわからんね。
 ・はい。
 ・横田基地は無理だ。
 ・はい。
 ・やはり羽田に行こう。
 ・はい。             ──池田昌昭著/文芸社
 『御巣鷹山ファイル3/JAL123便は自衛隊が撃墜した』
─────────────────────────────
 問題なのは、このなかに出てくる横田基地への着陸は絶対に阻
止せよとの航空基地司令の命令をどのようにして軍用機がJAL
123便に伝えたかということです。
 軍用機の使用電波は、原則UHFであり、民間機のそれはVH
Fです。そうであれば、軍用機から民間機への交信はできないこ
とになります。しかし、これはあくまで原則です。これについて
池田昌昭氏は次のように述べています。
─────────────────────────────
 「軍事は民事を包括する」という大前提から考えれば、軍用機
が民間機と直接交信できる手立てを保有していた、また保有して
いるとしても不思議ではない気がします。現在も原則は、軍用機
と民間棟は直接、交信できない。
 しかし、昭和60年当時を含めて、軍用機が原則、民間機と交
信できないということは、どうもないような気がします。全部で
はないが、一部の、たとえばスクランブルをかけるような戟闘機
には、民間機と交信できる装置、もしくは民間機自体の交信を傍
受できる装置を備えていないのだろうか?
                ──池田昌昭著の前掲書より
─────────────────────────────
 いずれにしても可能性が十分あった123便の横田基地着陸は
航空基地司令によって阻止されたのです。「これはダメかもわか
らんね」という、すべてを悟った高濱機長のつぶやきは誠に悲痛
の極みです。   ──[日航機123便墜落の真相/037]

≪画像および関連情報≫
 ●日航機墜落の真相が徐々に明らかになる!!
  ───────────────────────────
   JAL123便を御巣鷹山に誘導した2機の自衛隊機の存
  在はこの件に関するマスコミ報道では完全に伏せられていま
  す。しかし、この2機の自衛隊機を目撃した人物がいます。
  その人物とは、角田四郎氏といい、事故当日大月付近でキャ
  ンプをしていて目撃したというのです。
   2機の自衛隊機の目撃情報は角田氏だけですが、防衛庁側
  はこれに対して何もコメントしていません。自衛隊機がこの
  付近の空を飛んでいても別に不思議ではないからです。角田
  氏自身もあとでJAL123便の墜落を知って、自衛隊機と
  JAL123便とをはじめて結びつけたのです。
   ところで自衛隊機はどのようにして、JAL123便の進
  路を変更させたのでしょうか。
   自衛隊機は無線で直接JAL123便と交信して旋回する
  よう指示したか、あるいは、航空基地を経由しての交信によ
  り横田基地に着陸しないよう伝えたはずです。
   おそらくJAL123便の機長は、あくまで横田基地着陸
  を訴えたはずです。機長が当初「羽田に戻りたい」といった
  のは、羽田空港の方が救急医療体制が整っているからです。
   いずれにしても、まともな着陸はできないと考えていたの
  でしょう。しかし、機を完全にコントロールできないことも
  あり、この時点では、横田基地しか選択肢はなかったはずで
  す。とにかくボイスレコーダには、自衛隊機とのやりとりは
  記録されていないので、推測するしかないのですが、もしか
  したら自衛隊機の指示を拒否したことも考えられます。
                  https://bit.ly/2RDLBK5
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高濱雅己機長.jpg
高濱雅己機長
 
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2018年10月11日

●「123便は横田へ着陸寸前で阻止」(EJ第4866号)

 垂直尾翼を破壊されたJAL123便の高濱機長は、ダッチロ
ールとフゴイド運動を起こしていた機体を何とか立て直すことに
成功しています。
 ダッチロールとは、いわゆる飛行機の横ゆれ (ローリング) と
偏ゆれ (ヨーイング) が合成された蛇行運動を短い周期で繰り返
す状態のことです。これにフゴイドが加わるのですから、飛行機
の操縦は極めて不安定になります。フゴイドというのは、固定翼
機の運動の内、進行方向に対して縦方向に生じる動揺のことをい
うのです。
 しかし、高濱機長は、神業的操縦ではあるものの、JAL12
3便の機体をエンジン出力をコントロールして、機体操縦の70
%をマスターし、123便をほぼ安定して運行できる状態にして
いたのです。そして、その状態で、焼津市上空でUターンし、相
模湖付近まで戻ってきています。この時点で123便は、明らか
に横田基地を目指していたといえます。
 高濱機長は、一応羽田空港に戻るといっていたものの、それは
横田基地の了承を得られない場合のことであり、あくまで横田基
地へのランディング・コースに乗っていたのです。それに車輪も
出るようになったという情報もあります。
 それに横田基地からも「受け入れ可能」の情報が入ってきてい
たのです。横田基地のC130の乗員は、JAL123便の状況
を正確に把握して、その情報を横田基地に送っており、横田基地
の米軍は受け入れ可能と判断したといいます。そして、緊急医療
チーム(医科救急隊)を待機させ、JAL123便の到着を待っ
ていたのです。この医科救急隊は、負傷者輸送、緊急治療にあた
る医科輸送機C9ナイチンゲールを擁しています。
 この状況における池田昌昭氏による仮説ボイスレコーダー記録
をご紹介します。できる限り、事故調最終報告書が公表したボイ
スレコーダーの文字書きをベースとするが、そこに欠落している
とみられる部分を推理で補ったものです。だから、仮説ボイスレ
コーダーなのです。時刻は、午後6時40分22秒。なお、この
とき、JAL123便は、既に自衛隊ファントム機の追尾に気が
付いています。しかし、123便のコックピットは、それは、あ
くまで救護のための着陸誘導だと思っていたのです。
─────────────────────────────
◎午後6時40分22秒
東京管制部:こちら東京コントロール、もし受信可能であれば、
 (トランスポンダー)識別信号で応答せよ。
123便:何度も交信しているのに。東京管制部の管制官が交代
 したのか。そんなのどうでもいい。操縦の方が大事だ。
◎午後6時41分55秒
東京管制部:ACC。全航空機、JAL123便を除く仝航空機
 は、周波数134・0にて東京コントロールと交信せよ。なお
 別途指示があるので、この周波数の沈黙を維持されたい。
123便:東京管制部は、やっと、緊急指示を出している。遅す
 ぎる。
◎午後6時44分41秒
123便:フラップ下げましょうか。
 ・いや、まだ早い。もう少ししてからだ。
 ・足は降りているか。
 ・はい。午後6時39分32秒に主脚を下げました。
 ・フゴイド運動は、急激に減衰ののち、完全に消滅しました。
◎午後6時45分37秒
横田基地:こちら横田進入管制所。JAL123便、緊急周波数
 で呼んでいます。聞こえたら、横田にコンタクトを。横田基地
 は緊急着陸許可です。
123便:横田にコンタクトしましょうか。
 ・機体は水平で安定している。
 ・機内より、横田基地が近いので「がんばろう」の声がする。
◎午後6時46分06秒
123便:相模湖まで来ています。
◎午後6時46分10秒
東京管制部:こちらACC。羽田管制所にコンタクトしますか。
123便:このままでお願いします。
東京管制部:はい。了解しました。スタンバイ、お待ち下さい。
123便:スチュワーデスも非常に冷静です。客室乗務員も着陸
 の準備に入っています。
◎午後6時46分22秒
123便:横田基地の滑走路が正面眼下に見えてきた。
 ・機首下げ。
 ・行くか。
 ・はい。             ──池田昌昭著/文芸社
 『御巣鷹山ファイル3/JAL123便は自衛隊が撃墜した』
─────────────────────────────
 これによると、JAL123便は横田基地着陸寸前だったこと
がわかります。機体は傾いていないし、4つのエンジンは順調で
す。しかも、車輪も出ています。胴体着陸どころか、普通に着陸
できる可能性もあったのです。つまり、524人全員無事という
可能性も十分あったといえます。理想的なことです。それにこの
時点では、123便のコックピットの会話を聞くと、そこに少し
余裕が感じられます。
 横田飛行場123便着陸、乗客乗員全員無事。大変喜ばしいこ
とです。しかし、その結果は、政府、自衛隊にとっては、最悪で
す。標的機の衝突がバレてしまうし、証言者はたくさんいるし、
とくに自衛隊は大変なことになります。不謹慎な話ですが、自衛
隊にとっては、「JAL123便垂直尾翼破損/乗客乗員全員死
亡」──この方望ましいのです。
 しかし、JAL123便の横田飛行場着陸は、自衛隊の2機の
ファントム戦闘機によって、スクランブルされ、強制的に回避さ
せられたのです。 ──[日航機123便墜落の真相/036]

≪画像および関連情報≫
 ●いわれなき批判に反論する/佐藤守のブログ日記
  ───────────────────────────
   昭和60年8月12日に起きた、日航機墜落事故での自衛
  隊の活動に付いて、私が反論した「月曜評論」のコピーを貰
  えないか?、という依頼があった。
   コメントにもあったように、既に当事の状況を知らない世
  代が自衛隊に育っているし、依然として事故原因は「自衛隊
  の標的がぶっつかった」という“共産党作家”の影響も残っ
  ているらしい。驚いたことにコメントには「中性子爆弾説」
  などもあって、まだまだ国民はこの事故の実情を理解してい
  ないことを痛感した。
   そこで、当時私が発表した文を、1〜5までに分けてここ
  で再掲載しておきたいと思う。若き現役自衛官達にも、当時
  の状況を推察してもらいたい。
   『いわれなき批判に反論する』/JAL機墜落事故=航空
  自衛隊の捜索救難活動について・・・
      防衛庁航空幕僚本部広報室長/一等空佐 佐藤 守
   8月12日夕刻に発生したJAL機墜落事故は、520名
  もの尊い犠牲者を出す史上最大の航空事故となったが、航空
  自衛隊は、事故発生が予測されるや間髪を入れず救難活動に
  移った。それにもかかわらず、翌日奇跡的に四名の生存者が
  発見され、「他にも生存者がいる」との証言が報道されると
  今度はあたかも自衛隊側の救難活動に問題があったかのよう
  な「自衛隊批判」が沸き起こったのである。
                  https://bit.ly/2Qzg6iM
  ───────────────────────────

米軍/横田飛行場.jpg
米軍/横田飛行場
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2018年10月10日

●「横田基地着陸を拒否した真の理由」(EJ第4865号)

 すべては、海自の護衛艦「まつゆき」から発射された標的機が
間違ってJAL123便の垂直尾翼にぶつかり、破壊したことか
らはじまったのです。垂直尾翼が破壊されると、油圧系統もほと
んどダメになるので、飛行機は操縦不能に陥ります。
 こういうことが起きたさい、国として普通の感覚であれば、何
はともあれ、123便に乗っている524人の乗客乗員をいかに
救出するかについて、あらゆる手立てを講ずるはずです。
 しかし、この墜落事件において書かれた多くのレポートを見る
限りにおいて、自衛隊は救出に全力を尽くさず、むしろ救出の邪
魔をしているようにしか見えないのです。その最大の邪魔な存在
は、自衛隊が絶対に認めていない浜松基地発進の2機のファント
ム戦闘機です。
 既に述べているように、この日航機墜落事件についてのボイス
レコーダー記録は、音声でなく、文字で公開されています。これ
ならいくらでも改ざんできますし、都合の悪い部分はカットでき
ます。生のボイスレコーダー記録は、33年経った現在でも公開
されていないのです。
 事故調最終報告書によると、事故当日の午後6時37分前は、
JAL123便は、機内で起きたトラブルの対応に追われながら
も、ACC(東京航空交通管制所)と交信し、それを傍受した日
航羽田社用無線で日航が123便を何回か呼び出しています。し
かし、37分から44分の7分間は、管制所との交信はまったく
なくなっています。ただ、その途中の40分には、ACCが唐突
に123便に対して周波数の切り換えを要求しています。
 一体何があったのでしょうか。この間の事情について、池田昌
昭氏は、次のように推測しています。
─────────────────────────────
 ところでこの37分から44分の7分間に極端に管制所とJA
L123便との交信が減っている理由はなにか。わたくしはそれ
を緊急発進した軍用機との交信、もしくは誘導指示態勢にあった
軍用機に誘導されるために、その誘導に従っていくために精一杯
だったのではないかと推測する。つまり37分から44分の間の
軍用機との交信は、意図的にボイスレコーダーから削除されてい
る可能性がないわけではない。そして46分には相模湖まで戻っ
てきているのである。そして横田基地着陸進入コースに乗り、横
田に着陸態勢にあったのである。機内では「予告なしに着陸する
場合が・・」とのスチュワーデスのアナウンスがなされていたの
である。しかも、横田基地は合計13回、JAL123便にたい
して、「横田の管制官にコンタクトを取るように」「横田滑走路
は進入スタンバイができている」ことを繰り返し、繰り返しJA
L123便に伝えている。しかしながらJAL123便便は、こ
の横田管制官の呼び掛けにたいして、まったく応答していないの
である。応答できなかったのである。 ──池田昌昭著/文芸社
 『御巣鷹山ファイル2/JAL123便は自衛隊が撃墜した』
─────────────────────────────
 池田氏の推測によると、このとき、JAL123便は横田基地
に降りる寸前だったことになります。その証拠に横田基地からは
13回もJAL123便にコンタクトを取るよう求めているので
すが、123便はそれに一切応答していないのです。
 一体何があったのでしょうか。そのとき、JAL123便は、
ほぼ完全に横田基地への着陸態勢をとり、何とか着陸できる状態
にあったのです。しかし、それを邪魔したのは、浜松基地発進の
2機のファントム戦闘機です。事故調はこの音声を消すために、
ボイスレコーダーの公開を文字でのやり取りにしたのです。音声
をカットすると、不自然になってしまうからです。
 池田昌昭氏は、JAL123便と軍用機のやり取りを次のよう
に再現しています。例の仮説形式の対話のスタイルです。
─────────────────────────────
軍用機:横田に着陸すると、機体の垂直尾翼が欠けているし、車
 輪も出ないし、機体はコントロールを失っているので、人家に
 甚大な被害が発生するから絶対に阻止する。
123:胴体着率できる。
軍用機:横田基地付近には米軍住宅もあり、また普通民家も密集
 しているので、アメリカとの問題が重大なことになる。
123:もう滑走路が見えているし、横田へのランディング・コ
 ースに完全に乗っている。
軍用機:横田への着陸は絶対阻止する。
軍用機:JAL123便は、被要撃信号「スコーク77」を発し
 ている。「スコーク77」を発した以上は必然的に要撃機の指
 示にい従わなければならない。
軍用機:そんなことは、機長が何より良く知っているはずだ。
軍用機:レフトターンするように。 ──池田昌昭著/文芸社
 『御巣鷹山ファイル3/JAL123便は自衛隊が撃墜した』
─────────────────────────────
 垂直尾翼を失って操縦機能のほとんどを失いながらも、123
便の高濱機長は、4つのエンジンをコントロールして横田基地へ
の着陸態勢に入ったのです。そして横田基地と交信しようとした
ときに、自衛隊のファントム戦闘機2機が突然現れ、スクランブ
ルをかけてきたのです。そのとき、機長としてすべてを悟った高
濱機長は、次のようにつぶやいています。時刻は午後6時46分
33秒のことです。
─────────────────────────────
 これはもうだめかもわからんね。/JAL123便高濱機長
                ──午後6時46分33秒
─────────────────────────────
 悲痛な心の叫びです。しかし、高濱機長は本心は、まだ諦めて
はいなかったのです。戦闘機の指示にしたがい、機首を御巣鷹山
の山岳部の方に向けて、今度はレタス高原への着陸することを考
えて、その場所を探したのです。
         ──[日航機123便墜落の真相/035]

≪画像および関連情報≫
 ●18時47分から55分までのボイスレコーダー記録
  ───────────────────────────
  47分:123便は千葉の木更津へレーダー誘導するよう求
   め、東京ACCは真東へ進むよう指示し、「操縦可能か」
   と質問すると、123便から「アンコントローラブル(操
   縦不能)」と返答がきた。その後、ACCは、東京アプロ
   ーチの無線周波数へ変更するよう求め、123便は了承し
   た。
  48分:無言で123便から機長の荒い呼吸音が記録されて
   いる。
  49分:JALがカンパニーラジオ(社内専用無線)で3分
   間呼び出しを行ったが、応答はなかった。
  58分:東京ACCが123便を呼び出した。123便から
   「アンコントロール」と無線が入ってくる。ACCと横田
   のRAPCONが返答、RAPCONは、横田基地が緊急
   着陸の受け入れ準備に入っていると返答。東京ACCも東
   京アプローチの無線周波数へ変更するよう求め、123便
   が了承する。
  54分:JALも呼び出しを行ったが応答はなかった。12
   3便から現在地を尋ねられ、東京ACCが羽田から55マ
   イル(100km)北西で、熊谷から25マイル(45k
   m)西と告げる。
  55分:(この時だけ「日本語にて申し上げます」と前置き
   して)東京アプローチから、羽田と横田が緊急着陸準備を
   行っており、いつでも最優先で着陸できると知らせ、航空
   機関士が「はい了解しました」と返答する。この言葉が、
   123便からの最後の交信となった。
                  https://bit.ly/2C0V60c
  ───────────────────────────

横田基地への着陸を拒んだファントム戦闘機.jpg
横田基地への着陸を拒んだファントム戦闘機
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2018年10月09日

●「『墓場まで持って行く』秘密とは」(EJ第4864号)

 第4次安倍改造内閣が発足しましたが、わくわく感ゼロの内閣
で、内閣発足後の支持率は低下しています。新政権発足で支持率
が下がるのは前代未聞のことです。早速閣僚の失言が相次いでい
ます。とくに柴山昌彦文科相の次の発言に、日本という国が根強
く持っている「極右思想」を感じ取ることができます。当時の中
曽根内閣もそうであったと思います。
─────────────────────────────
 現代風に解釈されたアレンジした形で使える部分は十分あり、
普遍性を持っている部分が見て取れる。同胞を大切にするとか、
国際的な協調を重んじるとかいった基本的な内容を現代的にアレ
ンジして教えていこうとする動きも検討に値する。
                    ──柴山昌彦文科相
─────────────────────────────
 これは、柴山昌彦文科相の初入閣の会見で、記者から「教育勅
語」について聞かれ、それについて答えたものです。そのとき、
「何らかの形で教育勅語を使うつもりはない」と答えればよいの
ですが、安倍内閣の閣僚では、そういうことを何となくいえない
雰囲気があるのです。そこで、本人はまったくそのことを考えて
いなくても、そういわざるを得なくなります。これも忖度です。
 柴山大臣のこの発言につき、憲法学者で、慶応義塾大学名誉教
授の小林節氏は、「教育勅語」の活用など正気の沙汰ではないと
し、あろうことか「文科大臣」が就任直後の会見で発言すること
は、にわかには信じられないとし、次のように述べています。
─────────────────────────────
 改めて指摘しておくが、教育勅語の趣旨は、後半部分に明記さ
れた「危急の時には、正義心から勇気を持って公に奉仕し、よっ
て、永遠に続く皇室の運命を助けよ」と国民に命じている点であ
る。そもそも、「勅語」という法形式自体が、国の統治権を総攬
していた天皇がその大権に基づき直接「臣民」に「下賜」する意
思表示で、当時それが憲法の付属文書のような法的拘束力を持っ
ていたことは歴史的事実である。そして、それが、第2次世界大
戦の敗北に至った軍国主義を支えたことも史実である。
 だからこそ、敗戦直後の昭和22(1947)年に教育勅語に
代わる教育基本法が制定され、翌23(1948)年に両院が勅
語の失効を確認する決議を行ったのである。
    ──2018年10月5日発行/日刊ゲンダイのコラム
             「小林節が斬る!ここがおかしい」
─────────────────────────────
 ところで、JAL123便墜落事件のときの政権、中曽根政権
というのは、どういう内閣だったのでしょうか。何となく、安倍
政権と雰囲気が似ているのです。中曽根政権は、「戦後政治の総
決算」を掲げ、安倍政権も「日本を取り戻す」という似たような
スローガンを掲げています。
 1959年に、岸内閣で科学技術庁長官として初入閣を果たし
た中曽根康弘氏は、1966年に自らの派閥を結成します。もち
ろん、自らが総理になるためのステップです。そして、1970
年には、佐藤内閣で防衛庁長官も経験しています。このように中
曽根氏は、防衛庁とは強いつながりがある政治家なのです。
 自民党のなかでは、その変わり身の早さから「風見鶏」と呼ば
れますが、その本質は、派閥・金権政治の古いタイプの政治家と
して位置づけられます。リクルート事件に関与して、一時自民党
を離党していた時期もあります。
 1982年、田中角栄の助けを得て、内閣総理大臣に就任しま
すが、時の米国大統領レーガンと、ロン・ヤスと呼び合う大物ぶ
りを披露しています。米国との関係も緊密だったのです。日航機
墜落事故について中曽根康弘氏は、次のような思わせぶりな謎の
言葉を述べています。
─────────────────────────────
    JAL123便事故の真実は墓場まで持って行く
                   ──中曽根康弘
─────────────────────────────
 このいい方は、中曽根氏は日航機墜落事件について何かを知っ
ており、それは絶対に外部に出せないものであるので、だから墓
場まで持って行く──このように解釈できます。
 ここからは、「自衛隊」についての自衛隊高官と部下の仮説に
基づく対話です。
─────────────────────────────
・自衛隊がガタつけば、国家がガタつくことになる。自衛隊は日
 本国家の主柱であり、われわれの武力が、国を守っているので
 ある。その自衛隊は、国民に弱みを見せてはならない。
・現機構を自衛隊は守っているのです。庶民は自分で自分の生活
 を守っています。
・自分の責任でミサイルを発射する。自分が責任をとれば良い。
・あなた一人の責任の問題ではない。未来永劫にわたり、天怒し
 その罪を自衛隊が追及されます。
・命令を聞けないなら、おれを撃ち倒してからにしてくれ!
・あなた一人を乗り越えてもことは解決しません。
・人間の心になってください。
・同じ人間として行動すべきです。
・ぶつけようとしてぶつけたのではないのです。国民にそのこと
 を説明して、謝罪すべきです。それが男の道です。
・軍隊は命令によって動いている。
・これは自衛隊を先頭とする国家機関が懸命になって、国民の追
 及の眼をかわすために行うことである。
                  ──池田昌昭著/文芸社
  『御巣鷹山ファイル/JAL123便は自衛隊が撃墜した』
─────────────────────────────
 この自衛隊観に近いものを何となく安倍政権は持っているので
はないかというような気がします。
         ──[日航機123便墜落の真相/034]

≪画像および関連情報≫
 ●柴山文科相「教育勅語」復活は安倍政権の総意!
  ───────────────────────────
   閣僚が“ほぼ全員ネトウヨ”である第4次安倍改造内閣だ
  が、さっそく、その極右思想が露見した。文部科学大臣に起
  用された柴山昌彦衆院議員だ。柴山文科相は、2日の就任記
  者会見で、戦前・戦中の教育勅語についてこう述べたのであ
  る。「(教育勅語を)アレンジしたかたちでですね、今のた
  とえば道徳等に使うことができる分野というのは、私は十分
  にある、という意味では普遍性を持っている部分が見て取れ
  る」。
   さらに柴山文科相は、教育勅語の使える部分として「同胞
  を大切にするとか」などを挙げ、「基本的な記載内容につい
  て現代的にアレンジして教えていこうと検討する動きがある
  と聞いており、検討に値する」などと明言した。教育行政の
  トップとなった人間が、それも就任会見で「同胞を大切に」
  と排外主義をむき出しにしながら、ここまで具体的に“教育
  勅語の復活”を唱えるとは、あまりにも露骨すぎるだろう。
   もっとも、こうした発言は唐突に飛び出したわけではい。
  これまでも下村博文元文科相や稲田朋美元防衛相、そして安
  倍首相自身が教育勅語を肯定する発言をしており、昨年3月
  31日には教育勅語を学校教育で扱うことに対して「憲法や
  教育基本法に反しないような形で教材として用いることまで
  は否定されない」との答弁書を閣議決定している。
                  https://bit.ly/2O6j41i
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小林節慶応義塾大学名誉教授.jpg
小林節慶応義塾大学名誉教授
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2018年10月05日

●「墜落現場を避ける時の中曽根首相」(EJ第4863号)

 JAL123便が墜落したのは、8月12日、18時56分の
ことです。このとき、時の総理中曽根康弘氏は、軽井沢発17時
11分の特急あさま22号に乗車して、上野駅に向っていたので
す。上野駅到着は19時15分。これほどの大事故ですから、必
ず事故のことは首相に伝えられているはずですが、携帯電話のな
かった時代です。列車内の連絡電話を利用しているはずですが、
中曽根首相はどの時点で事故を知ったのでしょうか。
 自衛隊の公式発表によると、19時1分にファントム2機が百
里基地から飛び立ち、20分後に墜落現場上空で燃えている地上
の炎を確認しています。これが正しいとすると、中曽根首相が上
野駅に着いた時点では、123便墜落事故を知らなかったことに
なります。しかし、2012年に執筆されている『中曽根康弘が
語る/戦後日本外交』(新潮社刊)のなかでは「軽井沢から東京
に戻る列車の中で午後7時過ぎに聞いた」と書いています。とい
うことは上野駅に着く前に連絡があったということです。
 特急あさま22号は19時15分に上野駅に到着。上野駅から
はパトカー先導で官邸に向っていますが、本来なら19時30分
には着いていなければならないのですが、着いたのは19時50
分。ここに20分間の空白があります。官邸で待ち構えていた記
者たちから、123便墜落のニュースを聞き、「ほう、そうなの
か」と答えています。
 これはあくまで推測ですが、中曽根首相はもっと早い時点──
18時31分に浜松基地から2機のファントムが発進(自衛隊は
これを否定)した頃から、首相には逐次情報が伝えられていたの
ではないかと思います。
 つまり、護衛艦「まつゆき」から発射された標的機が、JAL
123便に衝突し、垂直尾翼を破壊したあたりから、乗客乗員を
救出することではなく、政府の現体制と自衛隊を守るため、この
事件をいかに隠密裏に処理するか、軍事作戦のプロフェッショナ
ルが絵図を描いて実行したと池田昌昭氏はいうのです。池田氏は
これについて次のように述べています。
─────────────────────────────
 水際立った墜落現場特定の遅れの手法。水際立った救助活動の
遅れの手法。水際立った事後の報道統制。水際立った事後の真の
事故原因究明隠蔽工作。複雑に錯綜する事態の推移の糸を束ねる
ことのできる頭脳の良さと、コンピュータのちからでは謀れない
統制力。紙の上での図上計画を実施に移し、しかも現実生起情勢
の変化に機敏に対応できる機動力と決断力。事件の風化をジッと
待つ辛抱強さ、根気強さ。これらの一連のことに何かを感じない
か。先に、先にと考えは進む。つまり、事後の手際の良さが却っ
て不自然さを感じさせるのである。危機管理の専門家の存在を予
想させる。
 本当であれば、ヘリコブタ一搭載の暗視装置等の活用で現場特
定は直ちにできていたはず。従って夜間救出もできなかったわけ
ではないはず。報道も、もっと徹底して、事故原因を究明してい
たはず。事故調ももっと深く突っ込んで事故原因を解明できたは
ず。それら一連のことがすべて一致して、先に、先になされたよ
うな感じがする。とするとすべて、先に、事前に仕組まれていた
のであろうか?
 もしこれらがシナリオ化されていたと仮定すれば、それは手慣
れた勢力の存在が予測される。そういったことに手慣れている勢
力である。軍事作戦発動プロフェショナルの存在が予想される。
周到で綿密な計画と事後統制力。その糸に操られているものも、
その操り糸にまったく気が付かないくらいの冷静な手法。ただそ
の間に潜みしものは、表に出ないで聞に潜んでいることに意義が
あるのである。表に出てしまっては、闇の意味がなくなるのであ
る。                ──池田昌昭著/文芸社
 『御巣鷹山ファイル2/JAL123便は自衛隊が撃墜した』
─────────────────────────────
 その後の中曽根首相の動静を見ると、墜落場所が自分の地元で
あるにもかかわらず、中曽根首相は墜落現場には足を運んでいな
いのです。何しろ乗客乗員520人が亡くなっているのです。日
本の首相として一刻も早く現場に行き、遺族を慰める義務があり
ます。それができないのはそこに何かがあるのです。
 墜落事故の10日後の8月22日は、「中曽根政権発足千日の
記念すべき日」だったのです。この日、中曽根首相は軽井沢にお
り、そこで次のコメントを出しています。
─────────────────────────────
 今日まで政治を遂行出来て望外の幸せである。防衛問題につい
ては、非常に慎重に手続きを尽くしてやっていきたい。新しい防
衛計画は何しろ財政が厳しいので、質的効率化を中心に計画が練
られるべきだ。文民統制を全うする手順、内容を考えて進めて行
くことが大事だ。防衛費の対国民総生産(GNP)比1%枠を撤
廃することについて維持は困難だ。出来るだけ1%以内に収める
努力は続けると申し上げてきた。──青山透子著/河出書房新社
  『日航123便/撃墜の新事実/目撃証言から真相に迫る』
─────────────────────────────
 このように、中曽根政権発足千日のコメントでも、日航機12
3便事故については、まったく触れていない。軽井沢に長くいて
さすがにゴルフは自粛したものの、テニス、水泳、読書にいそし
んでいるのに、123便の墜落現場には、足を向けようとはしな
かったのです。
 9月11日には、茨城県筑波へ科学万博の見学に自衛隊のヘリ
コプターで行っているのですが、自衛隊市ヶ谷駐屯地からわずか
19分で万博会場に着いたことで、大変ご満悦であったといいま
す。なぜ、墜落現場に足をのばそうとしないのでしょうか。
 結局、中曽根首相が墜落現場に行ったのは、事故後3ヶ月が経
過した11月4日だったのです。あまりにも遅過ぎるし、遺族に
対して失礼であると思います。彼は、やましいと考えているので
しょうか。    ──[日航機123便墜落の真相/033]

≪画像および関連情報≫
 ●日航ジャンボ機墜落事故と中曽根康弘
  ───────────────────────────
   9月12日は、1985年の日航ジャンボ機墜落事故から
  33年となった。多くの遺族らが花束や線香などを手に、墜
  落現場の御巣鷹の尾根に慰霊登山に訪れたようである。
   この尾根には『昇魂之碑』が設けられ、慰霊登山者はここ
  で手を合わせる。中には熱心な方もいられて、身近にこの事
  故の犠牲者を慰霊するためだけの専用の神棚を設けられてい
  るそうである。
   しかし、この方は遺族ではない。遺族でもないのに、専用
  の神棚を設けているのは、多分彼だけだろう。こんなに熱心
  なのに、一度も御巣鷹の尾根に慰霊に訪れたことがない。車
  で行ける『慰霊の園』も訪れたことがない。事故現場のすぐ
  隣の群馬出身で、地元にはよく帰られているのにもかかわら
  ずである。
   何かちょっと違和感を感じないだろうか?その方の名前を
  『中曽根康弘』という。この事故が発生した時の内閣総理大
  臣である。この事故の真相を知る人物である。真相を知るど
  ころか私は当事者本人だろうと思っている。事故は事故だっ
  たのだろうが、その真実を覆い隠すための工作を指示した本
  人である。その中曽根氏も今年の5月27日で100歳をむ
  かえたという。彼は、この事故についての真相を『墓場まで
  持っていく。』と語ったとされる。中々持っていけないよう
  である。しかし、焦る事はない。死んでからじっくりとこの
  事故と向き合うことになるだろう。
                  https://bit.ly/2IActGp
  ───────────────────────────

当時の中曽根康弘首相.jpg
当時の中曽根康弘首相
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2018年10月04日

●「中曽根首相はいつ事故を知ったか」(EJ第4862号)

 JAL123便墜落事件では、あってはならないことがいくつ
も起きています。真偽のほどはわからないにしても、JAL12
3便は、自衛隊の艦船から発射されたミサイル標的機によって尾
翼を破壊され、油圧系統が完全に効かなくなって、操縦不能に陥
ります。まさに墜落必至の状況です。
 しかし、同機の機長である高濱雅己氏は、機を空気抵抗の強い
低空に降下させ、4つのエンジンをうまくコントロールして、横
田飛行場か羽田空港の近くまで、戻ってきたのです。専門家にい
わせると、この高濱機長の操縦は「神業」であるといいます。
 しかし、123便の機体には、標的機がぶつかった痕跡が残っ
ており、そのまま横田か羽田に不時着させるわけにはいかないと
いう上の判断が働いて、浜松基地から発進した自衛隊のファント
ム戦闘機2機が、123便にスクランブルをかけたのです。スク
ランブルをかけられると、かけられた飛行機は、その命令にした
がわざるを得なくなります。これが国際ルールです。
 そこで123便は、御巣鷹山方面に向うことになります。2機
の戦闘機は、123便を追尾します。しかし、高濱機長はここで
も何とか飛行機を高原に不時着させようと試みるのです。一人で
も多くの乗客乗員を助けたいという一心です。
 そういうとき、123便について防衛庁で自衛隊の高官とその
部下の仮説による対話です。明らかに部下のいっていることの方
が正論です。池田昌昭氏の本から引用します。
─────────────────────────────
・奇跡が起きるかも知れない。レタス高原に不時着するかも知れ
 ない。そうすれば自衛隊は批判され、反政府連動に火がつき、
 今まで営々と築いて来た支配体制がガタガタになってしまう。
・自衛隊という組織が破壊され、強いては政府という組織が破壊
 される。国家という組織が崩壊することになる。われわれは支
 配者を守り、支配者の命令に従うだけである。支配者の命令に
 服するのがわれわれの務めである。悪法もまた、法である。
・自衛隊は国家機関の背骨であり、自衛隊は弱みを国民に見せて
 はならない。自衛隊がガタつけば今の支配者にとっても国民の
 批判が集中し、今までの特権や権益が失われる。今までやって
 きたことが無駄になる。
・相手は、民間機です。戦争用の飛行機ではない。多数の民間人
 が搭乗しています。
・だから、極秘に作戟を行うのである。
・「天網恢恢疎にして漏らさず」のことわざの通り、悪事は必ず
 露呈することなのです。
・「天知る、地知る、吾知る」のことわざの通りなのです。分か
 らなければ良いのである。
・現に標的機の訓練のことは誰も知らない。知っているのは一部
 の幹部だけである。
・そのためには、秘密裏にことを運ばなければならない。「蟻の
 一穴」のことわぎがある。情報が漏れないように、しかも情報
 をコントロールし、国民の目を真実から逸らすのである。
・自衛隊はこのようなことのために訓練をして来たのであり、自
 衛隊がやってきたこと、やっていることに国民の眠が届き、監
 視され、すべてが白日のもとに晒されることは耐え難い。
・墜落現場は、立ち入り禁止としなければならないし、墜落地点
 の特定をできるだけ遅らせることである。
                  ──池田昌昭著/文芸社
 『御巣鷹山ファイル2/JAL123便は自衛隊が撃墜した』
─────────────────────────────
 実際にこのような対話が防衛庁のなかで行われていたかどうか
はわかりませんが、事態はまさにそのように動いています。あっ
たことをなかったことにしようとしているのです。「あったこと
をなかったことにはできない」といったのは、前川喜平元文科次
官ですが、日航機墜落事件では、まさにあったことをなかったこ
とにしてしまったのです。
 12日夜から13日の日の出の前にかけて、墜落現場は早々に
判明していたのに、NHKなどのメディアを使って全然別の場所
を示唆し、その間に墜落現場に約80名の自衛隊員を現場に投入
し、生存者をほったらかしにして、ミサイルの破片と思われるも
のを全員で採取しているのです。事実の隠蔽です。
 しかし、対話にあるように、これほどの重大事の隠蔽を役人だ
けの判断でやれるはずがないのです。カギを握るのは、時の総理
大臣中曽根康弘氏と、防衛庁長官加藤紘一氏の2人です。彼らは
この事件についていつ報告を受けたのでしょうか。
 中曽根康弘首相は、1985年8月8日の夜から軽井沢の「ホ
テル鹿島の森」に滞在し、事故日の12日は、17時11分発特
急あさま22号に乗車して、19時15分に上野駅に着いていま
す。JAL123便が18時56分に墜落したときは、列車内に
いたことになります。中曽根首相は、いつ、どこで報告を受けた
のでしょうか。
 このときのことについて、中曽根氏は、ご自身の本『中曽根康
弘が語る/戦後日本外交』(2012年・新潮社)のなかで、次
のように書いています。
─────────────────────────────
 日航ジャンボ機墜落の報告が私に届いたのは、軽井沢から東京
に戻る列車の中で午後7時過ぎでした。それで8時噴から首相官
邸の執務室に入って、即時に色々な報告を受けたし、こちらから
対策の指令も出した。国民に対して政府の正式見解を出すのは、
事態の調査に遺漏のない状態で、万全を期してから発表しなくて
はいかん。それまでは、私に留めて、私が合図するまでは公式に
発表してはならんと指示しました。
               ──青山透子著/河出書房新社
  『日航123便/撃墜の新事実/目撃証言から真相に迫る』
─────────────────────────────
         ──[日航機123便墜落の真相/032]

≪画像および関連情報≫
 ●第62回 『抛っておけない疑問』
  ───────────────────────────
   21年前の御巣鷹山のクラッシュで、一番怪しいのは事故
  調(事故調査委員会)が出した結論と、それにボイスレコー
  ダーを、乗員のプライバシーを保護するという理由で、全公
  開しなかったことだ。
   事故調が出した「急減圧で圧力隔壁が破れ、その結果、垂
  直尾翼が吹き飛んで墜落した」という報告が、そのまま政府
  の公式見解となって定着している。しかし、急減圧なんか無
  かったのだ。
   今まで資料を見た限り、生き残ったスチュワデスの証言も
  あるし、それに日本航空乗員組合も、急減圧は無かったと断
  言している。急減圧が無ければ、圧力隔壁も破れないし、垂
  直尾翼が吹き飛ぶことも、四系統もある油圧システムが全部
  壊れて、その結果コントロールを失った123便が御巣鷹山
  に激突することも無かった。俺より若かった坂本九も、まだ
  元気に「上を向いて歩こう」と、唱っていただろう。日本の
  カタギは事故調査委員会なんて聞くと、実態をよく知らない
  のに、権威を信じてしまうのだから、ほとんど小学生並の頭
  だ。俺たちの先代の日本人は、最後には必ず神風が吹いて、
  アメリカ軍をやっつけてくれると、大真面目に信じて太平洋
  戦争を闘った。なんでも権力者が言ったことは、疑いもせず
  に信じることが美徳だったのだ。今でも日本人のほとんどは
  なにも疑わずに生きている。事故調は運輸省の組織だから、
  政府や日本航空、それに機体を製造したボーイング社の不利
  になる報告や結論は、出すわけがない。
                  https://bit.ly/2NhprtG
  ───────────────────────────

レーガン大統領と中曽根首相/ロンヤス時代.jpg
レーガン大統領と中曽根首相/ロンヤス時代
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2018年10月03日

●「123便墜落の原因はミサイルか」(EJ第4861号)

 ここで問題を整理しておきます。JAL123便が、なぜ御巣
鷹山の山中に墜落しなければならなかったのかについては、次の
2つの説があります。
─────────────────────────────
 1.後部圧力隔壁に疲労亀裂が生じて破壊され、それに伴う
  急減圧で垂直尾翼が破壊され、操縦不能に陥り墜落。
             ─→ 事故調査委員会の最終結論
 2.自衛隊の標的機が、誤って123便の垂直尾翼に衝突し
  機は尾翼と油圧を失い、操縦不能になって山中墜落。
             ── 書籍などによる個人の調査
─────────────────────────────
 「1」は事故調の最終結論です。すべては、これによって決着
がついています。今さら、何をいっても、この見解が変わること
はありません。1990年7月17日に公訴時効も成立していま
す。その後、遺族が新情報を基に何度再調査を依頼しても国は一
切拒否しています。
 しかし、事故調の結論には数多くの矛盾があり、33年経過し
ても、多くの人が納得していないのです。そのため、事故調の最
終調査の矛盾を暴き、独自調査を加えた書籍が数多く出版される
ようになります。これが「2」です。
 「2」に関係する書籍のうち、最も優れているものとしては、
次の3つがあります。
 1993年発刊の角田四郎著の『疑惑』(早稲田出版)、19
98年発刊の池田昌昭著の一連のJAL123便の一連のシリー
ズ、そして、現在話題を呼んでいる青山透子著の一連のシリーズ
です。青山氏は、数多くの証言を揃えている点が、他のレポート
とは違う強い説得力を持っています。これら3人のライターは、
いずれも自衛隊の標的機による123便の垂直尾翼破壊を原因と
する「2」の仮説を支持しています。
 なかでも、この事件のそもそもの原因をズバリ率直に書いてい
るのは、池田昌昭氏のシリーズです。つまり、非常に書きにくい
ことを「仮説の世界」と断りながらも率直に書いています。その
要旨は次の通りです。
─────────────────────────────
 1.海自の護衛艦「まつゆき」から発射されたとみられる標
  的機が123便の垂直尾翼に衝突し、破壊したこと。これ
  によって、123便の操縦は極めて困難になる。
 2.123便の高濱機長は、それでも超人的な操縦でエンジ
  ンをコントロールし、横田か羽田の近くまできたところで
  自衛隊機によって山への方向変更を指示される。
 3.山方向に向った123便は、エンジンの推力を失いなが
  らも高原のレタス畑に不時着する可能性があり、追尾中の
  ファントム機のミサイル発射で墜落させられる。
─────────────────────────────
 国民の命を守る自衛隊が、乗客乗員524人が乗っている民間
旅客機、それも垂直尾翼と油圧系統を破壊され、超人的なテクニ
ックで、やっと飛行している瀕死の123便を、こともあろうに
ミサイルで撃墜させることなど、あり得ないことです。
 しかし、池田昌昭氏は、それがこの事件では行われていると書
いているのです。それならば、なぜそのようなことになったのか
について、自衛隊高官とその部下の仮説会話をご覧ください。
────────────────────────────
・このままの操縦でJAL123便はどうなるか。
・多分、山に誘導すれば力尽き、山にぶつかると思います。
・現在降下中で、高原のレタス畑に不時着するかも知れません。
・不時着されるとまずい。標的機が衝突したことが明らかになっ
 てしまう。
・不時着したときの生存率は?
・多分、10%以下でしょう。
・ミサイルで撃墜したときの生存率は?
・限りなくゼロに近いでしょう。
・サハリン沖の大韓航空007便のときは、後方5キロメートル
 の戦闘機から、ミサイルが2発撃ち込まれ、撃墜され、生存者
 は無しです。
・衝突した標的機の残骸は海上に落下しているので、これの方は
 直ちに艦艇を現場海域に集結させ、回収作業に入ることにする
・JAL123便が高原に不時着されると困る。
・始末する、とどめを刺すにしても命令が出ないとできない。
・緊急である。
・JAL123便は、自力で着陸できるか。
・うまくいけば、不時着するかもしれません。
・もう既に操縦能力の60%から70%は奪われています。墜
 落必至かもしれませんが、わかりません。奇跡が起きるかも
 しれない。
・ミサイルはどこに命中するか。
・熱線追尾方式のミサイルは、ジャンボ機の4つのうちのどれ
 かのエンジンの排気口目掛けて突進します。機体は破壊され
 ます。すべて今までに研究済みのことです。浮力は失われ、
 ほどなく真っ逆様に山に激突するでしょう。
・ただミサイルの発射のタイミングが難しい。ミサイルによっ
 てではなく、JAL123便自身の迷走最終段階で山にぶつ
 かったようにしなければならない。 ──池田昌昭著/文芸社
 『御巣鷹山ファイル2/JAL123便は自衛隊が撃墜した』
─────────────────────────────
 つまり、ミサイルを発射するが、その痕跡は消し、JAL12
3便がダッチロールのすえ、力尽きて、山にぶつかったように仕
向けようとしたのです。そういえば、「ダッチロール」──この
言葉はこの事件では、何回も使われるようになります。そしにし
てもミサイルのことは、誰も想像すらしなかったでしょう。
         ──[日航機123便墜落の真相/031]

≪画像および関連情報≫
 ●今明かす私が事故直後の現場で見た事実
  ───────────────────────────
   日本航空123便墜落事故の第一報を耳にしたのは198
  5年8月12日、仕事も終わり愛車のボルボ24GLEで帰
  路に向かう途中だった。家に帰ったら1歳になったばかりの
  娘とお風呂でも入ろうかと考えていたさなか、当時としては
  まだ珍しいショルダー携帯電話が突然鳴り出し、航空機が行
  方不明であることが同僚のカメラマンから告げられた。そし
  て慌ててNHKのラジオ番組を聞くと、「羽田発伊丹行きの
  JAL123便が18時56分頃、静岡上空で消息を絶って
  いる模様――」と何度も同じ情報が繰り返されていた。
   私はその足で新潮社に向かった。ラジオでは断片的な情報
  をつないで、「長野県、群馬県境の上野村、三国峠、南相木
  村当たりの山中に落ちた、米軍機から横田基地を通じて報告
  があり、捜査を開始したもよう」と報じていた。南相木村は
  取材で何度も行っていたので、土地勘があった。そこで私の
  車を使い、私とフォーカスの記者の2人で南相木に向かうこ
  とになった。
   東京を出発したのは午後8時半、南相木村の目的地に着い
  たのは深夜0時を過ぎていた。車で村に近づくにつれ、警察
  車両や消防団が目に入ってきたが、さらに進んでいくと警察
  官に小学校の校庭に誘導された。周囲を見渡すと報道関係者
  は、私たちだけだった。車をグラウンドの片隅に付け、運動
  会用のテントが張られた対策本部を覗くと、消防団員らしき
  人たちと駐在さんがいましたが、これといった情報はない。
  夜明け前に自衛隊が動くとの情報を得て、そのあとをついて
  行くことになった。       https://bit.ly/2xObAWL
  ───────────────────────────

2機のF4−EJファントム.jpg
2機のF4−EJファントム
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2018年10月02日

●「なぜ、事実を隠蔽しようとしたか」(EJ第4860号)

 相模湾上の護衛艦「まつゆき」から発射されたとみられるミサ
イルの標的機が、JAL123便の尾翼に衝突し、123便は尾
翼と油圧を失い、操縦困難に陥ります。これは操縦機能を失った
に等しいのです。そのため、尾翼は飛行機のなかでも非常に頑丈
に作られています。あの「ハドソン川の奇跡」を成し遂げた元U
Sエアウェイズの機長であるチェスリー・サレンバーガー氏は、
「ほとんど操縦不可能である」といっています。
 しかし、123便の高濱機長は、エンジンは問題がないので、
飛行機を空気抵抗の強いところまで、高度を落とし、何とかエン
ジンをコントロールして、横田飛行場か羽田空港の近くまで戻っ
てきたのです。これはまさに神業そのものといえます。連絡を受
けた横田飛行場では、万全の準備をして、123便を待ち受けて
いたのです。油圧が効かないので車輪が出ず、必然的に胴体着陸
になるので、火災に備えて、消防の準備まで整えていたのです。
 さて、以下は、『御巣鷹山ファイル2/JAL123便は自衛
隊が撃墜した』(文芸社刊)の著者、池田昌昭氏による諸資料に
基づく仮説の世界の自衛隊内部のやり取りです。少し長いですが
そのウラ側の事情がわかるので、引用します。
─────────────────────────────
・JAL123便の様子は
・右旋回中で、羽田か横田に緊急着陸するかも知れません。
・スクランブル発進は既にしていると思うが、なお、試運転護衛
 艦『まつゆき』の訓練態勢下、もしくは支援下にある自衛隊機
 に出動させ、JAL123便を追跡し、逐一JAL123便の
 様子を報告させるように。
・いや、JAL123便を誘導するように。羽田や横田に着陸さ
 れると困る。
・交信内容は
・「操縦不能」を東京航空管制部に連絡しています。
・米軍は交信内容を傍受し、把握しているか。
・そのはずです
・都合の悪い交信の時は、妨害電波を出せるか。
・出せます。
・米軍は行動しているか。
・既に付近を飛行中の米空軍C−130輸送機が横田基地に連絡
 しています。
・羽田や横田に着陸されるとまずい。
・東京航空管制部は名古屋着陸を打診したが、JAL123便は
 羽田に戻ると言っています。
・横田基地が近い。
・操縦士は横田着陸を試みるかもしれない。
・それはまずい。左へ誘導し、横田や羽田から遠ざけるように。
・極限状態にありながら、操縦士は機体を立て直し、横田への着
 陸コースに乗っています。このままいくと、うまく横田に着陸
 するかも知れません。
・横田に着陸されたら万事休すだ。民間機の横田への着陸は米軍
 の軍事上と付近民家の問題で着陸できないと言い、山岳地帯へ
 誘導するように。
・誘導の自衛隊機は何機か。
・2機です。
・自衛隊機は、JAL123便と交信するように。
・はい、そのように誘導させます。
・自衛隊機はどこから発進したか。
・浜松基地からです。
・何分ころか。
・午後6時31分に浜松基地を発進しています。
                  ──池田昌昭著/文芸社
 『御巣鷹山ファイル2/JAL123便は自衛隊が撃墜した』
─────────────────────────────
 会話の中に2機のF−4EJファントムが登場します。午後6
時31分に浜松基地を発進し、そして、自衛隊高官の指示にした
がい、JAL123便を追尾します。そしてJAL123便にス
クランブルをかけます。ちょうど123便が横田基地に最も近づ
いた18時47分の時点です。添付の123便の航跡図をご覧く
ださい。そして山岳地帯に誘導するのです。
 もし、JAL123便に対してミサイルを発射したとすれば、
この2機のF−4EJファントムということになりますが、自衛
隊は、多くの目撃情報があるにもかかわらず、この2機の存在を
否定しています。自衛隊は2機のF−4EJファントムを発進さ
せていますが、時間が約30分異なるのです。
─────────────────────────────
       ◎諸情報による推理
        18時31分/浜松基地発進
         F−4EJファントム2機
       ◎自衛隊の公式発表
        19時05分/百里基地発進
         F−4EJファントム2機
─────────────────────────────
 標的機がJAL123便の尾翼にぶつかったのは、わざとでは
なく、ミスであったと思われます。それなら、自衛隊は、その事
実を認め、謝罪すべきだったのです。しかし、真実を公開すると
おおごとになります。
 それに、当時は米ソ間で緊張が高まっており、日米はそれに備
えて、密かにミサイルの性能向上の研究開発実験をやっていたの
です。誘導ミサイルの開発です。公表すれば、そのこともバレて
しまうことになります。時の政権は、米国はレーガン政権、日本
は中曽根政権、いわゆる「ロン・ヤス」の時代です。米軍と自衛
隊の軍事的関係が緊密になろうとしてきた時期です。結局、自衛
隊というより日本政府が隠蔽に加担することになります。
         ──[日航機123便墜落の真相/030]

≪画像および関連情報≫
 ●事故ではなく、犯罪の隠蔽である
  ───────────────────────────
   日航123便航空機事故は国際刑事裁判の案件である。日
  本航空123便は、墜落したのではなく、山腹への胴体着陸
  という不時着である。過去の航空機事故で、離陸直後や着陸
  時の事故では生存者がいるが、飛行中からの墜落では生存者
  は一人もいない。生存者がいたということは、123便は不
  時着したのだ。日本航空123便は4名の生存者が出て、生
  存者の証言では事故直後には他にも多数の生存者がいたとい
  う。8月12日の18時56分26秒に123便は群馬県多
  野郡上野村の高天原山の尾根に不時着。救護隊が遭難現場を
  発見したのは翌13日の4時で、救出が始ったのが、8時す
  ぎ。1995年8月、当時123便を捜索したロッキードC
  −130輸送機に搭乗していた元在日アメリカ軍中尉は、同
  機が事故現場を特定していたこと、米軍座間基地から、飛び
  立った救難ヘリが現場に到着していたこと、そして、日本政
  府がこの救難作業を断ったことを証言している。この元在日
  アメリカ軍中尉の証言は、生存者の一人の落合由美さんの手
  記とも符合する。        https://bit.ly/2R9QvOA
  ───────────────────────────

横田基地に最も近い場所で方向転換.jpg
横田基地に最も近い場所で方向転換
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2018年10月01日

●「123便はミサイルで撃墜された」(EJ第4859号)

 1985年8月12日の夜に、仲間2人とオフロードバイクで
JAL123便の墜落現場に入ったMさんの証言をもっと詳しく
見ていくと、大きな疑問がいくつも出てきます。その疑問をまと
めると、次の4つになります。
─────────────────────────────
 1.墜落現場では、自衛隊とみられる70〜80人が暗視ゴー
  グルを付けて何やら現場から“破片”とみられるものを採取
  する作業をしていた。何を採取していたのか。
 2.自衛隊員とみられる一団は、当時現場には50人ほどの生
  存者が呻き声を上げて苦しんでいたにもかかわらず、救助し
  ようとはせず、破片採取に専念していたこと。
 3.墜落現場近くの上空にはヘリがホバリングしており、自衛
  隊員が採取した物質を入れたバッグを数十個単位で釣り上げ
  て運搬していた。明らかに救助ではないこと。
 4.Mさんと2人の仲間は、生存者10人ほどと話しをしてい
  るが、そのなかには、指を負傷しただけとみられる男性もお
  り、すぐ死ぬような状況でない人もいたこと。
─────────────────────────────
 疑惑はたくさんあります。まず、いえることは、墜落後の早い
時点で墜落現場に入っていたのは、本当に自衛隊員だったのかと
いう疑惑です。少なくとも同じ自衛隊であっても、何か災害が起
きたとき、現場に駆け付ける救助のための自衛隊員でないことは
確かです。これについては後から検証します。
 続いて、彼らは50人ほどの生存者を救助せず、ひたすら何を
採取していたのかです。それは、明らかに証拠隠滅行為です。も
し、123便に標的機が衝突したのであれば、それを示す証拠と
なるものを収拾したことになります。
 しかし、生存者といっても、様々であり、Mさんによると、な
かには、指を負傷しただけの人もいたようです。つまり、生き残
る人も相当出ることは十分予想されたのです。生存者が苦しんで
いるのを無視して、破片採取作業に専心する自衛隊員を見て、後
になって、生き残った人たちが自衛隊を訴えるという事態を彼ら
はなぜ想像できなかったのでしょうか。なぜなら、それはあまり
にも非人道的行為だからです。
 しかし、それは杞憂に過ぎなかったようです。なぜなら、自衛
隊員のそういう行為を目撃しているはずの人たちは、全員死亡し
ているからです。Mさんが指摘している指を負傷している生存者
も死亡していることになります。
 生存者を見殺しにしてまでして、彼らが捜していたものが何で
あるかについてのヒントが、既出の角田四郎氏の本にあります。
─────────────────────────────
 私は、8月18日の現場登山の帰り道、偶然一片のアルミ合金
製と思える金属片を拾ってしまったことを前にも述べた。その金
属片を米軍の友人になんの説明もせず、(日航機事故の件も伝え
ず)見せた。彼は航空機の整備を担当している。
 彼の答えは、私のド肝を抜いた。「たぶん」と疑問詞を付けて
慎重に、しかしはっきりとこう言った。
 「ミサイル」(This is missaile.)
 「まさか!」(Not really !)
 「たぶん、ミサイル」(Mybe missaile.)
       ──角田四郎著『疑惑/JAL123便墜落事故
      /このままでは520柱は瞑れない』/早稲田出版
─────────────────────────────
 この事実は、実に恐ろしいことを示唆しています。相模湾の上
空付近で、護衛艦「まつゆき」が発射したとみられる標的機が、
JAL123便の尾翼に命中し、尾翼が破壊されたとしても御巣
鷹山に墜落した123便の残骸のなかに、ミサイルの痕跡が残っ
ているはずがないからです。もし、123便がミサイルで攻撃さ
れない限りの話ですが・・・。
 私が感じた同じようなことを角田四郎氏は、ミサイルの記述の
後で、次のように書いています。
─────────────────────────────
 しかし、私は一方でこれは米軍友人の見立て違いだと思ってい
る。何故なら、たとえ事故が国にとって重大な損失を生むからと
いっても、現実に空を飛ぶ一自衛隊員は我々の近くにいる普通の
若者と変わるところはない。いかに上官の命令であっても一般人
が乗っている。民間航空機に向けてミサイルを発射撃墜するなど
という行為をできるわけも、するわけもないからである。私はそ
う信じたいのだ。
 他方、では一体あの墜落前の光や後をついていった流れ星のよ
うなものや私の捨得した金属片、そして最後の異常な急降下をど
う説明すればよいのか、と思い悩んでしまう。
                ──角田四郎著の前掲書より
─────────────────────────────
 自衛隊機のミサイルによる123便の撃墜説──この立場を明
確にとっているのは池田昌昭氏です。池田氏の2冊目の本のタイ
トルは、そのものズバリ『御巣鷹山ファイル2/JAL123便
は自衛隊が撃墜した』(文芸社刊)となっています。この本が刊
行されたのは、1998年9月10日のことであり、随分早くか
らこの説を主張されていることになります。
 ここで留意すべきことがあります。ここで「撃墜した」という
のは、標的機が123便の尾翼に当たったという意味ではなく、
文字通り自衛隊機が、ミサイルを発射し、123便を撃墜したと
いう意味です。
 自衛隊機が、尾翼を失って瀕死の民間機をミサイルで撃墜する
──自衛隊がこんな残酷なことをするはずがないと誰でも考えま
すが、事の経過をたどってみると、推理上はそういう結論に行き
着かざるを得ないのです。そうでなければ、墜落現場からミサイ
ルの金属片が発見されるはずがないからです。
         ──[日航機123便墜落の真相/029]

≪画像および関連情報≫
 ●日航機墜落はミサイル攻撃によるもの
  ───────────────────────────
   また、あの日航機墜落の夏がやってくる。最近、日航機墜
  落の真実を追及するブログにより、新たな情報が書かれるよ
  うになった。その中でも、「日航機墜落の真実を求めて」の
  ブログが、「自衛隊員の自殺率の嘘」と題して書かれたブロ
  グを挙げ、事故が起きた1985年の翌年1986年7月頃
  から日航機の真相を仲間や身内にばらした自衛官らは殺され
  ているようで、自分も殺されると察したある自衛官は友達に
  2枚の自殺した同僚の航空自衛官(1986年7月)の現場
  写真と決定的な証拠写真を託して、その自衛官自身も2ヵ月
  後の9月12日に自殺させられたようだというのです。
   その写真は、自殺させられたと思われる写真と倉庫にあっ
  た落ちた尾翼部分(資料AB)で、明らかにオレンジ色の物
  体とその塗料がくっついたままの状態の写真です。これは明
  らかにミサイルもしくはその標的機がぶつかったことを示す
  決定的な証拠です。
   これらの出典となった「週刊文春」の記事を探していると
  ころです。とりあえず、それを引用したブログを挙げてみま
  した。これから推測すると、ミサイル攻撃を受けて垂直尾翼
  をなくした日航機は墜落。それを隠蔽するために目撃・処理
  した自衛官だけでなく、乗客などの命も奪われた可能性もあ
  ります。つまり、ミサイルが日航機に衝突して墜落しただけ
  でなく、ミサイルが追突したとなれば、自衛隊の存在もアメ
  リカとの関係にも支障をきたすという何らかの理由で、この
  事故を隔壁の亀裂による修理ミスとして処理するために、ま
  だ生きていた乗客も放置され、現場処理にあたった自衛隊員
  も自殺させられたというショッキングな出来事となります。
                  https://bit.ly/2NayXhV
  ───────────────────────────

角田四郎氏の持ち帰った金属片.jpg
角田四郎氏の持ち帰った金属片
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2018年09月28日

●「自衛隊は墜落直後から現場で作業」(EJ第4858号)

 昨日のEJで、山崎豊子さんの小説における事故調の藤波調査
官と週刊日本の記者との対話をご紹介しましたが、その肝心な部
分を再現します。
─────────────────────────────
◎記者:御巣鷹山の事故現場から、オレンジ色の物体が、早々に
 搬出されましたね。あれは『たかつき』の演習で使用された標
 的機の塗装の色と一致しますよ。
◎藤波調査官:オレンジ色の物体?私は事故現場の隊長格として
 これはという残骸は自分の眼ですべて確かめているが、そんな
 ものは見ていない。ましてや搬出はあり得ない。現場の残骸は
 すべて群馬県警が証拠品として押さえてあるから、ボイス・レ
 コーダーやフライトレコーダー以外は、破片の一片たりとも、
 まだ山から下ろしていない。
◎記者:おかしいですね、そのオレンジ色の物体が、テレビ中継
 で、ちゃんと映っていたということですよ。見た人がいるもの
 ですから。   ──山崎豊子著『沈まぬ太陽/御巣鷹山篇』
                         新潮社刊
─────────────────────────────
 週刊日本の記者は、藤波調査官にきわめて重大なことを尋ねて
います。「現場から『早々に』オレンジ色の物体を搬出されまし
たね」。ここで重要なのは「早々に」という言葉です。
 これに対して藤波調査官は、「搬出はあり得ない。現場の残骸
は、すべて群馬県警の管理下にあり、破片の一片たりとも、山か
ら下ろしていない」と答えています。しかし、藤波調査官のいう
のは、123便の墜落場所が公表された後のことですが、記者の
いうのは、実は現場は墜落直後に特定され、そこに大勢の自衛隊
員が入って何か作業をしており、そのとき、何かを持ち出したの
ではないかと聞いたのです。この時点では、多くの生存者がいた
のですが、このときの作業とは、乗客・乗員の救出ではなく、秘
密の指令による別の作業です。この時点で墜落場所はまだ特定さ
れていないことになっています。しかし、いくら秘密の指令とは
いえ、近くに息も絶え絶えの生存者がいるのに、それを無視して
指令された作業を続けるのは、人間のすることではないと思いま
す。そもそもこの話は本当のことなのでしょうか。
 青山貞一氏という人がいます。1986年に環境総合研究所を
設立し、代表取締役を務めていましたが、現在は同研究所の顧問
をされています。青山氏は、JAL123便墜落事故について、
実に詳細な研究分析をされている方です。ネット上には青山氏の
手になるたくさんの123便事故関係の分析があります。
 そのなかで次の「日航機墜落事故の再検証B」というレポート
には驚くべきことが書いてあります。
─────────────────────────────
 「日航機墜落事故の再検証B」青山貞一(フェースブック)
             掲載期日:2013年8月16日
           独立系メディア/E・ウェイブ・東京
                 https://bit.ly/2O68tTw
─────────────────────────────
 以下、私なりに要約してご紹介しますが、青山貞一氏のサイト
の方もお読みいただくことをお勧めします。
 1985年8月12日の夕方のことです。御巣鷹山の日航機墜
落現場近くに住むMさんは、日航機がどこに落ちたかに強い関心
をもってテレビを見ていたそうです。その時点でテレビでは、墜
落現場は長野県の北相木村付近であると報道していました。そこ
でMさんは、北相木村や、もう少し南の川上村に住む友人に電話
して様子を確かめたところ、どうもこっちではないという返事が
返ってきたので、後は墜落場所を南相木村の山間部しかないと狙
いを定め、友人2人と一緒に、山道を走れるオフロードバイクに
乗って、南相馬村に向けて出発したのです。
 墜落現場と思しき場所は、すぐにわかったそうです。なぜなら
ファントム戦闘機2機が上空を旋回していましたし、ヘリもその
付近を飛んでいました。だから、多分墜落現場はあそこだろうと
見当をつけたのです。この山は、山の持ち主の息子も知っており
よく山で遊んだ経験があったので、6〜7時間かけて、山の屋根
を目指して登ったのです。そして、着いたときは空が白みかかっ
ていたと思います。そのとき、墜落現場で見たものについて、M
さんは次のように述べています。
─────────────────────────────
 既に自衛隊員が7〜80人、いや100人位は来ていました。
それを見て、自分たちは一番乗りできなかったと思いましたね。
同時に、事故犠牲者の呻き声が谷にこだまし、響き渡っているの
がはっきりと聴こえました。全部を数えた訳ではありませんが、
声の響き方からすると少なくても4〜50人はいたと思います。
 実際に、苦しそうに声をあげている人を私も間近で何人か見て
います。自衛隊の人たちがいる以上、自分たちができることは、
負傷者のいる場所を教え、早く救助してもらうことだと思い、呻
き声のするあたりを探しては、その場所を隊員さんに伝え、早い
手当を頼んでいました。
 ただ、隊員さんの対応には不信感を覚えましたね。「下手に動
かすと危険なので、後から来る部隊が、手当することになってい
る」と言うだけで、何もしようとしない。手にした4〜50セン
チ位の丸いバッグに地面から拾った物を黙々と入れ続けている。
 ちょっとひどいなと思ったのは、斜面を登り、尾根の反対側に
出たら、向こうの谷ではヘリコプターがホバリングしているじゃ
ないですか、ヘリが来ているならさっさと救助しろよと思いまし
たね。しかも、ヘリの下では、さっき隊員さんたちが何かを入れ
ていたバックを10数個まとめ、ネットに入れて吊り上げていま
した。何度も吊り上げていたので、全部で70個くらいのバッグ
が回収されたと思います。      https://bit.ly/2O68tTw
─────────────────────────────
         ──[日航機123便墜落の真相/028]

≪画像および関連情報≫
 ●日航機123便墜落事件に姿を現した「クロカモ」
  ───────────────────────────
   日本の奥の院=国体勢力に巣くう国民を密かに武力支配す
  る非合法超法規(国の権力が及ばない)勢力=通称「クロカ
  モ」の正体を暴き出す。非合法超法規勢力=通称、「クロカ
  モ」が、日本の歴史にそれとして姿を見せたのが、あの日航
  機123便墜落撃墜事件、だった。墜落機の御巣鷹山の現場
  に、生存者救出のため、のはずの、どこよりも早く、到着し
  現れた自衛隊が、それだ。
   自衛隊のかっこうをした偽自衛隊あるいは自衛隊の非公式
  展開部隊であり、救出ではなく数十人はいた生存者のとどめ
  をさし、証言者の抹殺と、散らばった証拠物件を回収開始し
  証拠隠滅の作業を任務として現場に現れた。これが、日本に
  おける非合法超法規勢力「クロカモ」の出現が、ドキュメン
  トされた、最初のものだ。
   「123便」事件の真相は、日本人には隠蔽されている。
  真相は隠蔽されているのだと、なぜわかるのか。当日の現場
  に警察よりも早く到着した地元のひとの目撃証言と、事件を
  現在まで現場検証し続けた真相追究者による報告があるから
  である。
   ・現場には、今も放射性物質が散乱している。
   ・現場に残された日航「123便」のエンジンに不発のミ
    サイルが突き刺さっている。
   ・米軍の戦闘機とプロペラ機の、撃墜された残骸が残され
    ていた。事件後、真相を追究するものたちには、電磁波
    兵器による攻撃その他妨害弾圧や抹殺が設定される。
                  https://bit.ly/2DBf701
  ───────────────────────────

JAL123便墜落現場/御巣鷹の屋根.jpg
JAL123便墜落現場/御巣鷹の屋根
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●「自衛隊は墜落直後から現場で作業」(EJ第4858号)

 昨日のEJで、山崎豊子さんの小説における事故調の藤波調査
官と週刊日本の記者との対話をご紹介しましたが、その肝心な部
分を再現します。
─────────────────────────────
◎記者:御巣鷹山の事故現場から、オレンジ色の物体が、早々に
 搬出されましたね。あれは『たかつき』の演習で使用された標
 的機の塗装の色と一致しますよ。
◎藤波調査官:オレンジ色の物体?私は事故現場の隊長格として
 これはという残骸は自分の眼ですべて確かめているが、そんな
 ものは見ていない。ましてや搬出はあり得ない。現場の残骸は
 すべて群馬県警が証拠品として押さえてあるから、ボイス・レ
 コーダーやフライトレコーダー以外は、破片の一片たりとも、
 まだ山から下ろしていない。
◎記者:おかしいですね、そのオレンジ色の物体が、テレビ中継
 で、ちゃんと映っていたということですよ。見た人がいるもの
 ですから。   ──山崎豊子著『沈まぬ太陽/御巣鷹山篇』
                         新潮社刊
─────────────────────────────
 週刊日本の記者は、藤波調査官にきわめて重大なことを尋ねて
います。「現場から『早々に』オレンジ色の物体を搬出されまし
たね」。ここで重要なのは「早々に」という言葉です。
 これに対して藤波調査官は、「搬出はあり得ない。現場の残骸
は、すべて群馬県警の管理下にあり、破片の一片たりとも、山か
ら下ろしていない」と答えています。しかし、藤波調査官のいう
のは、123便の墜落場所が公表された後のことですが、記者の
いうのは、実は現場は墜落直後に特定され、そこに大勢の自衛隊
員が入って何か作業をしており、そのとき、何かを持ち出したの
ではないかと聞いたのです。この時点では、多くの生存者がいた
のですが、このときの作業とは、乗客・乗員の救出ではなく、秘
密の指令による別の作業です。この時点で墜落場所はまだ特定さ
れていないことになっています。しかし、いくら秘密の指令とは
いえ、近くに息も絶え絶えの生存者がいるのに、それを無視して
指令された作業を続けるのは、人間のすることではないと思いま
す。そもそもこの話は本当のことなのでしょうか。
 青山貞一氏という人がいます。1986年に環境総合研究所を
設立し、代表取締役を務めていましたが、現在は同研究所の顧問
をされています。青山氏は、JAL123便墜落事故について、
実に詳細な研究分析をされている方です。ネット上には青山氏の
手になるたくさんの123便事故関係の分析があります。
 そのなかで次の「日航機墜落事故の再検証B」というレポート
には驚くべきことが書いてあります。
─────────────────────────────
 「日航機墜落事故の再検証B」青山貞一(フェースブック)
             掲載期日:2013年8月16日
           独立系メディア/E・ウェイブ・東京
                 https://bit.ly/2O68tTw
─────────────────────────────
 以下、私なりに要約してご紹介しますが、青山貞一氏のサイト
の方もお読みいただくことをお勧めします。
 1985年8月12日の夕方のことです。御巣鷹山の日航機墜
落現場近くに住むMさんは、日航機がどこに落ちたかに強い関心
をもってテレビを見ていたそうです。その時点でテレビでは、墜
落現場は長野県の北相木村付近であると報道していました。そこ
でMさんは、北相木村や、もう少し南の川上村に住む友人に電話
して様子を確かめたところ、どうもこっちではないという返事が
返ってきたので、後は墜落場所を南相木村の山間部しかないと狙
いを定め、友人2人と一緒に、山道を走れるオフロードバイクに
乗って、南相馬村に向けて出発したのです。
 墜落現場と思しき場所は、すぐにわかったそうです。なぜなら
ファントム戦闘機2機が上空を旋回していましたし、ヘリもその
付近を飛んでいました。だから、多分墜落現場はあそこだろうと
見当をつけたのです。この山は、山の持ち主の息子も知っており
よく山で遊んだ経験があったので、6〜7時間かけて、山の屋根
を目指して登ったのです。そして、着いたときは空が白みかかっ
ていたと思います。そのとき、墜落現場で見たものについて、M
さんは次のように述べています。
─────────────────────────────
 既に自衛隊員が7〜80人、いや100人位は来ていました。
それを見て、自分たちは一番乗りできなかったと思いましたね。
同時に、事故犠牲者の呻き声が谷にこだまし、響き渡っているの
がはっきりと聴こえました。全部を数えた訳ではありませんが、
声の響き方からすると少なくても4〜50人はいたと思います。
 実際に、苦しそうに声をあげている人を私も間近で何人か見て
います。自衛隊の人たちがいる以上、自分たちができることは、
負傷者のいる場所を教え、早く救助してもらうことだと思い、呻
き声のするあたりを探しては、その場所を隊員さんに伝え、早い
手当を頼んでいました。
 ただ、隊員さんの対応には不信感を覚えましたね。「下手に動
かすと危険なので、後から来る部隊が、手当することになってい
る」と言うだけで、何もしようとしない。手にした4〜50セン
チ位の丸いバッグに地面から拾った物を黙々と入れ続けている。
 ちょっとひどいなと思ったのは、斜面を登り、尾根の反対側に
出たら、向こうの谷ではヘリコプターがホバリングしているじゃ
ないですか、ヘリが来ているならさっさと救助しろよと思いまし
たね。しかも、ヘリの下では、さっき隊員さんたちが何かを入れ
ていたバックを10数個まとめ、ネットに入れて吊り上げていま
した。何度も吊り上げていたので、全部で70個くらいのバッグ
が回収されたと思います。      https://bit.ly/2O68tTw
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         ──[日航機123便墜落の真相/028]

≪画像および関連情報≫
 ●日航機123便墜落事件に姿を現した「クロカモ」
  ───────────────────────────
   日本の奥の院=国体勢力に巣くう国民を密かに武力支配す
  る非合法超法規(国の権力が及ばない)勢力=通称「クロカ
  モ」の正体を暴き出す。非合法超法規勢力=通称、「クロカ
  モ」が、日本の歴史にそれとして姿を見せたのが、あの日航
  機123便墜落撃墜事件、だった。墜落機の御巣鷹山の現場
  に、生存者救出のため、のはずの、どこよりも早く、到着し
  現れた自衛隊が、それだ。
   自衛隊のかっこうをした偽自衛隊あるいは自衛隊の非公式
  展開部隊であり、救出ではなく数十人はいた生存者のとどめ
  をさし、証言者の抹殺と、散らばった証拠物件を回収開始し
  証拠隠滅の作業を任務として現場に現れた。これが、日本に
  おける非合法超法規勢力「クロカモ」の出現が、ドキュメン
  トされた、最初のものだ。
   「123便」事件の真相は、日本人には隠蔽されている。
  真相は隠蔽されているのだと、なぜわかるのか。当日の現場
  に警察よりも早く到着した地元のひとの目撃証言と、事件を
  現在まで現場検証し続けた真相追究者による報告があるから
  である。
   ・現場には、今も放射性物質が散乱している。
   ・現場に残された日航「123便」のエンジンに不発のミ
    サイルが突き刺さっている。
   ・米軍の戦闘機とプロペラ機の、撃墜された残骸が残され
    ていた。事件後、真相を追究するものたちには、電磁波
    兵器による攻撃その他妨害弾圧や抹殺が設定される。
                  https://bit.ly/2DBf701
  ───────────────────────────

JAL123便墜落現場/御巣鷹の屋根.jpg
JAL123便墜落現場/御巣鷹の屋根
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2018年09月27日

●「墜落の現場から何を搬出したのか」(EJ第4857号)

 作家の山崎豊子さんは、JAL123便墜落事故をベースとし
て、『沈まぬ太陽』(新潮社刊)という小説を書いています。こ
の作家は、入念な取材をすることで知られていますが、この作品
は、小説というよりも、ノンフィクション的な作品となっていま
す。書かれていることに作り話は少なく、驚くべきほど事実──
それも多くの人が知らない事実が書かれています。
 フォトリーディグ・インストラクターをつとめる大嶋友秀氏は
ブログで次のように書いています。
─────────────────────────────
 この物語はJAL123便の御巣鷹山の事故を下敷きにしてい
る。御巣鷹山での事故の状況が、これでもかこれでもかと続いて
いく。映画でも大きな衝撃を受けたが、実際の遺体などを見せる
わけではなかったが、小説では仔細に描きこまれ、その生き地獄
のような様をリアルに想像した。たびたび出てくる「部分遺体」
という言葉に、言葉を失くしてしまう。残された家族が、縁者の
亡骸を探すために、何人もの部分遺体と遭遇していくのは想像す
るだけで脚が震えてきてしまった。
 山崎は、その取材のことをこう語っている。「今回は取材、執
筆共に非常に忍耐と勇気のいる仕事でしたが、その許されない不
条理に立ち向かい、書き遺すことは、現代に生きる作家の使命だ
と思いました。日々、精神的不毛が深まる中で、”明日を約束す
る”心の中の沈まぬ太陽を読者の方々と共に持ち続けていきたい
というのが、作者の心からなる念いです」。
                  https://bit.ly/2xyOjb8
─────────────────────────────
 『沈まぬ太陽三/御巣鷹山篇』では、事故調査官である藤波調
査官が週刊日本の記者から、問いかけられるシーンがあります。
きわめて重要なやり取りであり、少し長いですが、一部をカット
してご紹介します。
─────────────────────────────
 「藤波調査官ですね」(中略)
 「そうですが・・・」
 「週刊日本の記者です。ちょっとお話を伺いたいのですが」
 行く手を阻むように云い、名刺をさし出した。(中略)
 「どのような話ですか」
 「実は、事故機の墜落原因について、聞き捨てならない重大な
 話を仕込みましてね、墜落の真相は、自衛隊がミサイル発射訓
 練時に使う標的機が、たまたま、飛行中の国民航空123便の
 尾翼に衝突したらしいのです。ご意見を聞かせて下さいません
 か」。記者は強引にコメントを求めた。
 「いきなりそんな突飛なことを云われても、答えようがない」
 「おや、おとぼけですか、それとも政府、防衛庁は、事故調査
 官を棚上げして、真相を隠蔽するつもりなんですかね」
 嫌味な言い方をした。
 「確たる証拠でもあるのですか」
 「事故機が、最初に緊急事態を発信したあの時刻に、海上自衛
 隊護衛艦『たかつき』が、相模湾でちょうど練習中だったんで
 すよ、現に事故の翌日、相模湾内に、尾翼の重要部分である垂
 直安定板が浮いていて、回収されたのではありませんか」
 「それだけで、標的機衝突と墜落が結びつくのですかね」
 「御巣鷹山の事故現場から、オレンジ色の物体が、早々に搬出
 されましたね。あれは『たかつき』の演習で使用された標的機
 の塗装の色と一致しますよ」
 「オレンジ色の物体?私は事故現場の隊長格として、これはと
 いう残骸は自分の眼ですべて確かめているが、そんなものは見
 ていない。ましてや搬出はあり得ない。現場の残骸はすべて群
 馬県警が証拠品として押さえてあるから、ボイス・レコーダー
 やフライトレコーダー以外は、破片の一片たりとも、まだ山か
 ら下ろしていない」
 「おかしいですね、そのオレンジ色の物体が、テレビ中継で、
 ちゃんと映っていたということですよ。見た人がいるものです
 から」
 「じゃあ、その映像を私のところへ持ってきてください。話は
 それからだ」  ──山崎豊子著『沈まぬ太陽/御巣鷹山篇』
                         新潮社刊
─────────────────────────────
 「小説だから」という人は多くいます。しかし、山崎豊子さん
は、取材のうえ、事実を書いています。いや、むしろ小説である
がゆえに書けることもあります。小説であるからこそ、真実をず
ばり書くこともできます。とくに重要で、注目すべきな部分は、
次のやり取りです。
─────────────────────────────
記者:御巣鷹山の事故現場から、オレンジ色の物体が、早々に搬
 出されましたね。あれは『たかつき』の演習で使用された標的
 機の塗装の色と一致しますよ。
藤波:オレンジ色の物体?私は事故現場の隊長格として、これは
 という残骸は、自分の眼ですべて確かめているが、そんなもの
 は見ていない。ましてや搬出はあり得ない。
─────────────────────────────
 「墜落事故現場からの搬出」というのは、事故現場から何かを
搬出する必要があり、当局はそのため、墜落現場が特定されない
よう墜落現場のフェイクニュースを流したのです。誰が、現場か
ら、何を搬出したのでしょうか。
 これに関しては、ネット上にはさまざまな情報があります。当
局はネット上で何が流れても気にしないのです。「ネットはフェ
イクニュース」で溢れており、それもフェイクニュースのひとつ
であるとして逃げることができるからです。墜落現場から、当局
は何をどのように持ち出したのかについては、明日のEJ以降で
明らかにしていきたいと考えています。
         ──[日航機123便墜落の真相/027]

≪画像および関連情報≫
 ●「沈まぬ太陽」/山崎豊子/新潮文庫/読後感想
  ───────────────────────────
   読後の感想としては、まず映画との比較になりますが、こ
  の5冊分の内容もってして初めて、ラストに恩地がアフリカ
  で見る「沈まぬ太陽」という言葉が深く読者の胸をえぐるの
  だと思いました。
   文庫本5冊分を3時間半の映画にまとめるとなると、どう
  しても色々とカットしないといけないでしょうし、それはそ
  れで仕方が無いと思いますが、映画を見た方も、そうでない
  方も、ぜひ小説を読んで欲しいと思います。映画では描きき
  れない部分の蓄積が、ラストの感動に繋がっているように思
  いました。
   次に小説そのものについてですが、山崎氏の著作について
  は、様々な文献の寄せ集めだとかパクリだとか色々言われて
  いますが、個人的にはその真偽にこだわりはなく、純粋に1
  つの作品として見て、読み応えのある素晴らしい内容だと思
  います。また、この「沈まぬ太陽」については、事実を元に
  した部分と創作が混ざっており、読者に誤認識を与えるとの
  批判がありますが、私はそれもまた良し、だと思います。
   例えば、恩地のモデルとなった人物は、実際には御巣鷹山
  事故関係の業務に就いていないとか、恩地のような清廉潔白
  な人柄ではない、とか色々ありますが、御巣鷹山事故は紛れ
  も無い事実ですし、その事故を起こした会社が存在する事も
  事実です。           http://exci.to/2N1xwSU
  ───────────────────────────

作家/山崎豊子氏png.png
作家/山崎豊子氏
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2018年09月26日

●「なぜ、防衛庁は時間を稼いだのか」(EJ第4856号)

 ここまでの経緯を考えると、JAL123便の墜落場所につい
ては、政府当局としては、かなり早い時点で正確に把握していた
ものと思われます。なぜなら、墜落現場の上空にまで到達しなが
ら、墜落場所の特定ができないはずがないからです。それでいな
がら、場所の測定では、墜落現場と大きく外れた場所の情報を送
り続けているのです。意図的としか考えられないのです。これは
早々に救援隊が墜落現場に入って欲しくない何らかの事情が政府
当局側にあったからです。
 そういうフェイク情報の発生源は、NHKとそのバックにいる
防衛庁であると思われます。角田四郎氏は、昨日のEJで述べた
横田基地の友人のノバック中尉がいう米軍のレスキューの話に続
いて、次のように述べています。
─────────────────────────────
 私は、日米の救難隊や軍にこれほどの差があるとは思わない。
あるのは、軍というもの、あるいは国家というものの考え方の違
いだと思う。防衛庁は国をまもるイコール国民をまもる・・・と
いうことをもう少し考えてはどうか。お国のため・・・式の旧軍
意識を捨てないかぎり、国民から、冷たい視線を向け続けられる
であろう。
 NHKもこうしたミス・リードを意図した気配のリーク情報ば
かりを追い、早々に入手していた「群馬側」情報を葬り続けたの
である。これには何か理由があったのだろうか。川上村の井上証
人の場合、「NHKにいくらいっても群馬側と信じてもらえず、
最後はいやいや『群馬側に限りなく近い長野県』にされてしまっ
た」と当夜19時30分過ぎのNHKとの電話のやりとりを語っ
ている(「プレイボーイ」85年11月26日号)。ここに出て
きたニセ情報発生源は、どうやら防衛庁とNHKであることが、
はっきりした。──角田四郎著『疑惑/JAL123便墜落事故
      /このままでは520柱は瞑れない』/早稲田出版
─────────────────────────────
 問題は、なぜ、123便の墜落場所を翌日の午前5時まで隠さ
なければならなかったかです。その原因のひとつと考えられるも
のに、123便の荷物のなかに「医療用のアイソトープがある」
という事実が判明したことです。
 実は、123便は離陸直前に、日航の東京空港支店航務部と交
信をしています。そのとき、東京空港支店航務部は次のことを告
げています。これは、離陸直前にはいつもやるやり取りです。
─────────────────────────────
 はい、えー、それから123便、危険品の搭載がございます。
「RRW」と「RRY」、場所は貨物のほうからお聞き下さい。
                  https://bit.ly/2zp3ZiC
─────────────────────────────
 「RRW」と「RRY」は、航空業界で使用されているコード
で、いずれも放射性物質のことです。RRWは第1類白、RRY
は第2類黄・第3類黄と危険度別に分類されています。この事実
は、123便の墜落後の20時過ぎに、日本アイソトープ協会か
ら123便にラジオアイソトープ72個が積まれていることを警
察庁に届け出ています。ラジオアイソトープは放射能を発生する
ので、日本アイソトープ協会は、不用意に墜落現場に入るのは危
険であるという警告をしたのです。
 放射能ですから、当然リスクはあり、墜落場所立ち入りに慎重
にならざるをえませんが、そうだからといって、乗客・乗員の命
がかかっているのです。核爆弾を積んでいたわけではなく、墜落
場所を隠すほどの要因にはなり得ないし、国民にそのことを告げ
ればよいのです。放射能といっても、レスキュー隊が、ちゃんと
装備をして入れば、何も問題は起こらないからです。
 結局、123便搭載の放射性物質が救援活動に支障なしの判断
がなされたのは、緊急事態発生から10時間25分後の、翌13
日、午前4時50分だったのです。確かにそれ以降に救助隊の活
動は活発化しています。
 結局、123便の墜落現場には、12日、20時42分に百里
基地からKV−107の救難ヘリと、13日、午前0時36分に
今度は墜落現場に最も近い入間基地からもKV−107ヘリが墜
落現場上空まで行っているのですが、いずれも墜落現場には降り
ていないのです。「現場には降りてはならない」との指示があっ
たものと思われます。それに万全の準備をして、日本側の要請を
待っていた米軍横田基地の救援も拒否しています。これは、アイ
ソトープの問題だけでなく、墜落現場から何かを探して、現場か
ら持ち去る必要があったからです。
 墜落後、少しでも早い時間に救助ヘリが現場に降りていれば、
たったの4人ではなく、もっと多くの人を救えたかもしれないの
です。4人の生存者の証言によれば、墜落直後には、多くの人の
声や息遣いが聞こえたと証言しているからです。アイソトープの
件だけを理由に、墜落現場に立ち入らなかったのであれば、あま
りにも非人道的です。
 『疑惑/JAL123便墜落事故』の著者、角田四郎氏は、こ
のJAL123便墜落事故に対しての防衛庁の対応に非常に疑問
き、強い怒りを抱いています。それが次のような文章になってい
ます。政治がどう対応したのかは、詳しく述べますが、この墜落
事故のときの防衛庁長官は、加藤紘一氏です。
─────────────────────────────
 墜落現場の捜索にしても、墜落現場での救難作業にしても、あ
まりにも不可解な疑問が多過ぎはしないか。そして、その言いわ
けも陳腐である。本気で生存者の有無をつかみ救出しようとする
気があったのであろうか。へたに生きてもらっては困る事情でも
あったかのようにさえ思える一連の行動である。自衛隊というよ
り、防衛庁のほうにより深い疑惑を向けざるを得ない。
              ────角田四郎著の前掲書より
─────────────────────────────
         ──[日航機123便墜落の真相/026]

≪画像および関連情報≫
 ●遅れた救難と素早い事情聴取/墜落現場
  ───────────────────────────
   生存者発見から病院搬入までかなりの時間を要したこと当
  時の私の記録に残されている。私のメモには「11時生存者
  発見、12時仮設ヘリポートヘ、ヘリポートで1時間30分
  以上待たされ14時15分ごろやっと病院へ搬入」と記録さ
  れている。これは現地から帰って10日ほどした頃、現地の
  関係者と新聞記者、運輸省関係者からの情報で記録したもの
  であった。やっと救出された4名の重傷者をヘリポートで、
  1時間半も持たせだのはどうしてなのか?生存者は骨折ショ
  ック症状、頭部の外傷など救急治療を必要とする状態であっ
  た。翌1986年の4月25日、この事故に関する聴聞会/
  現在は意見聴取会が開かれた。その数日後、私の家の郵便受
  けに、茶色の大型の封筒が二つ折りにして無理やり突っ込ま
  れていた。封筒の3分の1ほどしか郵便受けに入らず、風が
  吹けば落ちそうな状態だった。
   差出人の名前は無かった。不審に思いながら、かなり重い
  封筒の封を聞いてみると、数十ぺージはあると思われる書類
  のコピーが入っている。それ以外は何も入っていなかった。
  内容は、あの事故の4名の生存者に対する事故調査官と思わ
  れる人のインタビューの記録であった。調査官の名前は、記
  載の無いものもあるが、防衛庁航空自衛隊の小原甲一郎医官
  が質問しているものがほとんどであった。その内容を同席し
  た運輸省の事故調査官が筆記したと思われる。
                  https://bit.ly/2zpgP0m
  ───────────────────────────

御巣鷹山事故当時の加藤防衛庁長官.jpg
御巣鷹山事故当時の加藤防衛庁長官 
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2018年09月25日

●「測量するヒマがあれば降下すべし」(EJ第4855号)

 JAL123便の墜落場所が特定できたのは、8月13日、午
前5時10分ということになっています。これは、自衛隊が後に
なって発表したものです。しかし、この自衛隊の発表は、とても
信じられるものではありません。なぜなら、20日のEJで述べ
たように、12日の19時以降に日米の軍用機4機が墜落現場上
空に達しているからです。日米の軍用機と墜落現場への到着時間
を再現します。
─────────────────────────────
 1.   C−130(横田基地) ・・・・ 19:10
 2.  F4−EJファントム2機 ・・・・ 19:21
 3.KV−107ヘリ(百里基地) ・・・・ 20:42
 4.KV−107ヘリ(入間基地) ・・・・  0:36
─────────────────────────────
 このうち「2」の自衛隊F4−EJファントム2機については
墜落する前から123を追尾しており、このことは多くの目撃情
報があるのです。そして、墜落後、その現場上空を20分かけて
旋回しながら、その位置情報を基地に送っています。にもかかわ
らず、軍用機でありながら、正しい墜落場所を伝えきれていない
のです。123便ほどの大きさのジャンボジェット機が山に墜落
すれば、大火災が発生します。それは夜目に明らかであり、それ
を目撃しながら、その位置を正しく伝えられないなどということ
は考えられないことです。
 F4−EJファントム2機が現場上空から去った約1時間20
分後の20時42分には、百里基地から空自のKV−107ヘリ
が墜落現場に到着しています。百里基地というのは、茨城県小美
玉百里・与沢にある航空自衛隊の基地です。ちなみに2010年
からは、茨城空港として、民間共用飛行場になっています。
 はっきりしないのは、この空自のKV−107ヘリは、どのよ
うな情報に基づいて、正確に墜落現場を特定できたかです。情報
は、横田基地の米軍C−130からも、F4−EJファントム機
からも、もたらされているはずです。そうであるとすれば自衛隊
ともあろうものが、現場を特定できないなどということは考えら
れないことです。それに空自のKV−107ヘリは救難用です。
その救難用ヘリが現場上空に達しながらも、危険と判断して現場
を降りようとせず、現場から離脱しています。どうして、離脱し
たのでしょうか。これは、上層部から、帰還の指示があったとし
か、考えられないことです。
 ところで、8月13日の「東京新聞」朝刊は、12日に墜落現
場から帰還した百里基地のKV−107の操縦士、大森泉一尉の
インタビューを次のように掲載しています。
─────────────────────────────
 記者:現場に着いたのは
 一尉:20時42分です。
 記者:場所はすぐわかりましたか
 一尉:山の中腹に炎が10ヶ所出ていた。夜といっても、まだ
 明るさがあるので、山のりょう線がはっきり見えた。
           ──1985年8月13日付、東京新聞
─────────────────────────────
 『プレイボーイ』誌は、この件について、実にていねいに調査
して記事にしています。同誌は、米軍関係者の話として、次のよ
うに書いています。しかし、娯楽系の雑誌の情報なので、その信
用性を疑った人もいるかもしれませんが、『プレイボーイ』誌の
記事内容は非常に正確です。角田四郎氏の本から、その部分を引
用します。
─────────────────────────────
 われわれは基地(横田)のレーダーから日航機の機影が消え、
ついで、輸送機(C−130)からの第1報が入ると、ただちに
基地内にいる3人の医官、3人の医療関係者、500ポンドの医
療装備品を用意し、いつでも飛べる状態にあるヘリのわきで待機
させた。また475ABW災害対策チームは、警備官、捜索救難
チーム、火災防止スペシャルチームのコマンドスタッフによって
編成され、これまた、いつでも出動できる態勢になっていた。わ
れわれは、3日間待ったが、日本側からの出動要請は、ついにな
かった。
 私の友人に数人の横田基地軍人がいた。その中の一人は、制服
組の中尉である。このノバック中尉に当時のことを聞いたことが
ある。編成は厚木基地の軍人も動員され、30分以内にスタンバ
イ(出動準備完了)したという。厚木からは軍用ヘリ3機が人や
資材を運んだという。スタンバイ完了とともに、日本側3ヶ所に
そのむね伝えたという。『週刊宝石』85年9月13日号によれ
ば、「19時45分、横田基地救難調整センターは、自衛隊入間
基地に対し『レスキュー隊が待機中、要請あれば出動すると通告
した』とある」。
 ノバック氏は事故後に日本に着任した人だから、これは記録に
よるものらしい。ノバック氏は自衛隊に気をつかいながらも「も
しアメリカ軍なら、火を目標に飛びますね。測定は人を降ろして
からで充分です。現場は消えてなくなるわけじゃないが、人の命
は消えます」。つまり測量よりも、人員投入が先というわけであ
る。ノバック氏はさらに「われわれなら降下困難なら、そこから
一番近い降下場所を見つけて降下させ、後は上空から彼らを現場
に誘導するでしょう。基地に戻ったりしたら、笑いものになりま
す・・・」と語ってくれた。
       ──角田四郎著『疑惑/JAL123便墜落事故
      /このままでは520柱は瞑れない』/早稲田出版
─────────────────────────────
 「米軍なら、位置の測量をしているヒマに現地に降りる」──
これは、米軍から自衛隊に対する痛烈な皮肉です。その測量が正
しいならともかく大間違いなのですから、自衛隊の責任は、すこ
ぶる厳しいものにならざるを得ないのです。
         ──[日航機123便墜落の真相/025]

≪画像および関連情報≫
 ●JAL123便事故/機長の判断や捜索・発見まで
  ───────────────────────────
   墜落から約20分後の19時15分頃、米空軍C−130
  輸送機が、群馬・長野県境付近の山中に、大きな火災を発見
  と上空位置での横田タカン方位(305度)・距離(34マ
  イル)を航空自衛隊中央救難調整所に通報。19時21分ご
  ろ、航空自衛隊の百里基地を緊急発進したF−4戦闘機の2
  機も、墜落現場の火災を発見して、上空位置での横田タカン
  方位(300度)・距離(32マイル)を通報した。
   これらの航空機が通報に利用した「横田TACAN」とは
  設置された極超短波電波標識(超短波全方向式無線標識)な
  どを基準にした方位と距離から、現場の上空位置を搭載の距
  離測定装置で測定したものである。本来これらの設備や機器
  は、航空機の航法用として用いられており、この墜落現場の
  位置報告は正しい情報であった。
   墜落から約1時間後の19時54分に、救難・救助のため
  見切り発進した百里基地救難隊のKV−107ヘリコプター
  は、46分後の20時42分に現場上空に到着した。20時
  33分になって、救難調整本部(東京空港事務所長)から、
  航空自衛隊へ航空救難の要請(災害派遣要請)が行われた。
  しかし、当時のKV−107救難ヘリは両側面のバブルウィ
  ンドウ横に、救難用ライト4灯を装備して夜間の救難作業は
  可能だったが、赤外線暗視装置などの本格的な夜間救難装備
  の無いことなどを理由に、事故当夜の救難員が降下しての救
  助活動は行われなかった。    https://bit.ly/2O4AxGI
  ───────────────────────────

墜落現場に降りない救難ヘリ.jpg
墜落現場に降りない救難ヘリ
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2018年09月21日

●「なぜ救助ヘリは降下しなかったか」(EJ第4854号)

 墜落場所を特定し、4機がその上空に飛来しながら、救助せず
引き上げる──通常では考えられない冷酷さです。軍事評論家の
ガブリエル・中森氏はある週刊誌で次のように述べています。
─────────────────────────────
 メイ・サバイブ、シャル・サバイブ″(生きているかもしれ
ないなら、必ず生かす)──これがアメリカのレスキューのモッ
トーです。現場にたどり着き、死んでいるのを確認しないかぎり
生きていることが前提。現場に降りることが不可能だったのなら
なぜ上空を旋回しながら、ラウド・スピーカーで激励したり、ラ
イトを当ててやらなかったのか。救援に来ていることを知らせる
だけで、精神的な支援になる。それがレスキューの基本である。
                  ──ガブリエル・中森氏
            『週刊宝石』/1985年9月6日号
       ──角田四郎著『疑惑/JAL123便墜落事故
      /このままでは520柱は瞑れない』/早稲田出版
─────────────────────────────
 KV−107ヘリは救難用のヘリコプターです。そうであれば
投光機や拡声機は必ず備わっているはずです。上空から見る限り
では、確かにほとんど生存者は望めない絶望的な状況とみられる
ものの、それでも地上に降りて、死んでいるのを確認しない限り
生きているものとして最善の努力を講ずる──これが米国のレス
キューの精神ということですが、その精神は日本であっても同じ
であると思います。
 もし、空から光をあて、拡声機で「大丈夫ですか。いま降りま
すから、頑張ってください」と何回も声を掛けたら、瀕死の重傷
の人でも「これで助かった」と思うはずです。生きる望みを持つ
からです。しかし、日本のKV−107ヘリは、かなり遅く墜落
現場上空にやってきて、1650メートルまで降下しながらも、
明りを照らすことも、拡声器で励ますこともせず、現場を離れて
います。
 青山透子さんの本に次の記述があります。生存者の落合由美氏
の証言に基づいていると思われます。
─────────────────────────────
 ガーガーガーンと強い衝撃の後、様々な固形物や砂が次々と頭
にぶつかり、体が宙に投げ出された。左目は砂にまみれて目が飛
び出したように痛い。口は乾き、砂でいっぱいだ。シートベルト
が体に食い込んでお腹がちぎれそうに苦しい。
 「はあ、はあはあ」と荒い息遣いをしながら、つい先ほどまで
の身の毛もよだつ恐怖がよみがえる。「ああ、墜落したのだ。大
変な事故を起こしたのだ」
 周辺からも、はあはあと、荒い息遣いが聞こえてくる。「おか
あさん」「早くきて」「ようし、僕は頑張るぞ」そんな声も聞こ
えてくる。すると、闇の中からヘリコプターの音が、近づいてき
た。夏山特有の湿り気のあるもったりとした空気が、一瞬にして
かき乱される。バリバリバリと爆音をたてて、木々の葉を大きく
揺らしながらゴーゴー、パパバーとホバリングを始めた。辺り一
面、埃や砂、機械の臭いが舞い上がる。
 「ああ、私は生きている、これで助かる」全身の痛みをこらえ
かろうじて動くほうの右手を必死に空に向かって伸ばした。「助
けてください、私は・・ここに・・と、夢中で手を振る。「助け
て」「帰っちゃいや」「誰か来て」 そのような何人もの声をか
き消すように、ヘリコブターは、爆音と共に段々と遠くへ去って
いった。周りでは、はあはあと何人もの荒い息遣いだけが聞こえ
てきた。           ──青山透子著/河出書房新社
  『日航123便/撃墜の新事実/目撃証言から真相に迫る』
─────────────────────────────
 これは実に残酷な話です。重傷を負った生存者にとって、ヘリ
コプターが近づいてくる音は、生きる希望が持てますが、去って
いく音は絶望を感じるものです。日本の自衛隊は、生存者救出に
は、最大限の努力をするので世界的にも定評があります。
 ましてJAL123便には乗客乗員524名が乗っているので
す。自衛隊のヘリは、百里基地と入間基地から、それぞれが墜落
現場上空まで行っているのに、なぜ、危険を冒してでも、地上に
降りようとはしなかったのでしょうか。それは、これまでの自衛
隊の献身的な救助の在り方とは違う感じがします。こういうとこ
ろから、上の方から「現場には降りるな」という命令が出ていた
のではないかという噂がでてくるのです。これはけっして陰謀論
などではありません。
 これは、一番最初に墜落現場上空に到達しながら、横田基地へ
の帰還命令を受けたC−130のアントヌーチ航空士のケースと
関係があります。C−130は、墜落現場を特定すると、直ちに
横田基地の海兵隊に救助の要請をし、海兵隊のヘリは墜落現場に
向いつつあったのです。ヘリが到着するまでの時間は約1時間、
その間、C−130は、墜落機残骸の上空2000フィートで旋
回し、墜落現場までの方位を計測し、レーダーで地上から空中ま
でを探索するなど、するべきことを着々とやっていたのです。
 8時50分までに救援ヘリのライトを視認でき、ヘリは偵察の
ため、さらに下降しようとしていたのです。
 そのときです。横田基地から「ただちに帰還せよ」という命令
がきたのです。C−130の指揮官、ジョン・グリフィンは「司
令官、海兵隊は救助続行を希望しております」と伝えたものの、
「繰り返す。即刻、基地に帰還せよ。海兵隊も同様である。救助
は日本側が向かっている」と命令されたのです。
 軍においては上官の命令は絶対です。やむを得ず、救助を諦め
て、C−130は横田基地に帰還します。横田基地に帰還すると
第861戦術飛行隊副司令官、ジェエル・シルズ大佐にクルー全
員が呼ばれ、報告後、こういわれたのです。「ご苦労だった。今
回のことについてマスコミには一切他言無用である」と。これも
きわめて不自然なことです。何か大きな力が働いていることは確
かです。     ──[日航機123便墜落の真相/024]

≪画像および関連情報≫
 ●なぜ墜落地点の発見は遅れたのか?
  ───────────────────────────
   1985年8月12日18時24分、日本航空123便は
  羽田空港から離陸して大阪伊丹空港へ飛ぶ途中で突如、胴体
  後部の隔壁破壊により垂直尾翼が破損し、飛行機の操縦に必
  要な油圧装置の作動油(ハイドロ液)という液体が流れだし
  てしまい、操縦が困難な状態に陥ってしまいます。
   その直後に緊急事態を知らせる二次レーダー信号「スコー
  ク7700」を発信しつつ、関東の空の運行を管理している
  東京交通管制部(東京ACC)と交信して非常事態を知らせ
  ました。そして、18時28分には航空自衛隊も同じ二次レ
  ーダー信号「スコーク7700」を受信して、直ちに中部航
  空方面隊の中央救難調整所(ROC)が情報を集めはじめ、
  18時56分に墜落したと無線傍受から判明すると、19時
  01分には百里基地のF−4EJ戦闘機が捜索の為にスクラ
  ンブル発進しました。
   19時15分にはたまたま墜落現場付近を飛行していたア
  メリカ空軍のC−130輸送機が、19時21分には百里基
  地より離陸したF−4EJ戦闘機二機が墜落現場の火災を発
  見して、位置を報告しました。この時に位置を突き止める為
  に使われたのはTACAN(戦術航法装置)というシステム
  で、通常は飛行機が空を飛ぶときに今何処にいるかを測定す
  る為のものです。無線局から発信される信号を捉えて、飛行
  機の飛んでいる位置を割り出す事が出来ます。
                  https://bit.ly/2xhLV8H
  ───────────────────────────

C−130輸送機.jpg
C−130輸送機
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2018年09月20日

●「意図的に墜落現場を遠ざけている」(EJ第4853号)

 JAL123便の墜落場所はなぜ二転三転したのでしょうか。
123便の墜落現場には、ヘリを含む日米4機の飛行体が現場上
空に飛来し、位置情報を送っています。墜落現場上空に到着した
順に並べると、次の通りになります。
─────────────────────────────
 1.   C−130(横田基地) ・・・・ 19:10
 2.  F4−EJファントム2機 ・・・・ 19:21
 3.KV−107ヘリ(百里基地) ・・・・ 20:42
 4.KV−107ヘリ(入間基地) ・・・・  0:36
─────────────────────────────
 123便の墜落現場の上空に一番早く到着したのは、横田基地
所属のC−130輸送機です。19時10分に墜落現場から横田
基地に一報を入れています。操縦していたのは、アントヌッチ空
軍中尉です。このアントヌッチ空軍中尉は、後になって重要証言
をすることになります。彼は、そのまま現場上空を旋回し、ひた
すら横田基地からの「救助せよ」の指示を待ったのです。
 続いてやってきたのは、茨城県百里基地所属のF4−EJファ
ントム2機です。19時21分のことです。20分にわたる旋回
で位置情報を送っています。
 このように書くと、123便をずっと追尾してきたF4−EJ
ファントムだと誰でも思うはずです。しかし、自衛隊は、これら
2機が百里基地を発進した19時5分以前には、一機のファント
ムやヘリを発進させていないと断言。自衛隊のいうことが正しい
とすると、あの多くの目撃情報は何なのでしょうか。
 続いてやってきたのは、同じ百里基地から飛来した救難用ヘリ
KV−107です。このヘリは高度1650メートルまで降下し
て墜落現場の状況を調べています。最後にやってきたのは、墜落
現場から一番近い入間基地所属の救難用ヘリです。到着は13日
の0時36分です。墜落現場がわからなくて大騒ぎになっている
のですから、もっと早く発進すべきであったといえます。
 これらの4機は、いずれも墜落現場の位置情報を送っています
が、これについて、角田四郎氏は、自衛隊の乗客・乗員の救助の
あり方に強い疑問を呈しているのです。
─────────────────────────────
 同じ航空自衛隊でも、さらに墜落現場に近い埼玉県の入間基地
から、13日になった午前0時36分、同型ヘリKV・107が
飛んだ。今度は入間基地のTACANをとって、さらに夜間でも
はっきり上空から見える目標物を近くに求め、その距離をTAC
ANで調べる。地図上の距離とTACAN測定の誤差を出し、そ
の比で墜落現場を決めるという手の込んだことをやった。
 後に判明したのであるが、このとき出した「入間タカンから2
19度、36・3マイル」というのはドンピシャリ本当の墜落現
場を指していたのである。ここで一つ疑問なのは何故、より現場
に近い入間基地からはこんなに遅くなるまで一機も発進しなかっ
たのかということと、最初から横田、入間両TACANからの距
離を測定していれば、さらに誤差は小さかったのではないのかと
いうことである。
 13日午前1時頃には、現場が確定できていたはずのこの情報
が、またもやどこかで操作されてしまう。今度は「現場はぶどう
峠の210度、3マイル。御座山南斜面」北斜面が南斜面になり
現場から西へ7キロもはずれている。いったい何事であろうか。
実は、米軍機を含め計4機が行った計測の中に長野県御座山を指
したのは指したものは1件もないのである。
       ──角田四郎著『疑惑/JAL123便墜落事故
      /このままでは520柱は瞑れない』/早稲田出版
─────────────────────────────
 重要なことは、これら4機の墜落場所の測定は、若干の誤差は
あるものの、ほぼ正確だったということです。とくに入間基地所
属のKV−107ヘリの位置計測はドンピシャリだったのです。
したがって、4つの情報を合わせて位置が判明しないことはあり
得ないことです。まして「長野県御座山」を指したのは、一機も
なないのです。それなのに、どのような情報を入れてもNHKは
「墜落地点は御座山付近」を繰り返すのみです。明らかに、フェ
イクニュースであり、正確な墜落場所の特定を遅らせようとして
いるとしか思えないのです。
 航空自衛隊では、現場から上げられてくる情報は、航空幕僚監
部空幕運用室に送られます。運用室には、当時、副幕僚長の大村
空将以下、30〜40名の幕僚がつめて全体の指揮と調整を行っ
ていたのです。ここを通すと、どのような情報も、「長野県佐久
付近」に化けてしまうのです。そのため、メディア各社の報道は
いずれも次のようなものになってしまいます。
─────────────────────────────
 航空自衛隊からの連絡によると、123便は長野県佐久付近
 に墜落した模様である。       ──報道会社の報道
             ──角田四郎著による前掲書より
─────────────────────────────
 添付ファイルを見ていただくとわかるように、123便墜落現
場と御座山とは、県も違いますし、距離も相当離れています。し
かも、4機の日米の軍用機が測定したデータがすべて間違ってい
るはずがないのです。これは本当の墜落場所を意図的に隠そうと
したとしか思えないのです。
 さて、墜落現場に一番早く到達し、「救助せよ」の指示を待っ
て現場上空で旋回していたC−130のアントヌーチ航行士に対
して横田基地から意外な指示が届いたのです。それは、次のよう
なものでした。
─────────────────────────────
 諸君は直ちに帰還せよ。JASDF(航空自衛隊)の救難ヘ
 リがそちらに向っている。──角田四郎著による前掲書より
─────────────────────────────
         ──[日航機123便墜落の真相/023]

≪画像および関連情報≫
 ●多くの証言から浮かび上がる疑惑
  ───────────────────────────
   奇跡的に生還した川上慶子さん(当時12歳?)の証言。
  同乗していた両親が亡くなったので島根の祖母宅へ帰ったと
  きの話。「墜落したあと、ふと気が付いたら、周囲は真っ暗
  だった。あちこちでうめき声が聞こえ、私の両親もまだ生き
  ていたような気がする。しばらくすると前方から懐中電灯の
  光が近ずいてきたので助かったとおもった。そのあとまた意
  識がなくなり、次に目が覚めると明るくなっていたが救助の
  人は、誰もいなくて、周りの人たちはみんな死んでいた」。
  慶子さんから上記の話を聞いた祖母はご近所のひとに伝えた
  らしい。しかし「慶子は夢でも見たんじやろう。」で終わっ
  てしまった。
   エンジンがバラバラになりすぎている。乗客の遺体の損傷
  が激しすぎる。事故直後に、日航の技術者が現地入りしてい
  る。会社の上司の人で同窓生にJALの整備士と自衛隊の人
  がいて、この二人は事故現場に派遣されて捜索に加わってた
  そうです。最近同窓会で10年ぶりにこの2人に会って、こ
  の事故について話を触れたらしく、話の中で驚く事を言って
  おられました。現場に派遣された2人の話ではこの墜落機の
  尾翼部分に『模擬弾』が当たった跡があったらしく、尾翼が
  発見された周辺にも『米軍の模擬弾』と見られる物も一緒に
  見つかったそうです。      https://bit.ly/2QM9GxQ
  ───────────────────────────

123便墜落現場と御座山の位置関係.jpg
123便墜落現場と御座山の位置関係
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2018年09月19日

●「自衛隊が否定する追尾ファントム」(EJ第4852号)


 低空で飛行するJAL123便とみられるジャンボジェット機
の後を追尾する自衛隊の2機のファントム戦闘機──これには多
くの目撃情報があることがわかっています。この2機のファント
ムは、何の目的でJAL123便を追尾していたのでしょうか。
 実は、当時自衛隊は、次の2機種のファントムを保有していた
のです。
─────────────────────────────
            F4−EJ
            RF−4E
─────────────────────────────
 ここで知っておくべきことがあります。それは「TACAN」
(タカン)と呼ばれるものです。TACANは、電波航法の一部
で、軍用の極超短波(UHF)による方位・距離測定装置で,米
国海軍によって航空母艦への帰投用として開発されたものです。
つまり、自衛隊は、その装置の付いているファントム機を飛ばし
JAL123便の墜落場所を探ろうとしたのです。
 つまり、墜落寸前の危機にあるJAL123便を2機のファン
トム機が追っていたのは、墜落場所を早く正確に特定するためと
考えられます。確かに素早く生存者を救助するためには、墜落場
所を特定する必要があるからです。
 しかし、軍事に詳しくない一般国民には絶対にわからないこと
があります。ファントム機には当時上記の2種類があり、位置測
定の能力としては、RF−4Eがダントツに優れているというこ
とです。F4−EJでは約5キロの誤差が出てしまうからです。
生存者救助を第一に考えるのであれば、なぜ、能力の高いRF−
4Eを飛行させなかったのか疑問が残ります。
 もっとも、RF−4Eが飛ばなかったわけではないのです。R
F−4Eに飛行命令が出たのは8月13日午前5時50分のこと
です。墜落場所は既に確定しています。つまり、墜落場所を特定
するための飛行ではなく、現場の「写真撮影」が目的です。救助
や地上部隊をサポートする任務ではないのです。それなら、何の
ためにRF−4Eを飛ばしたのでしょうか。
 JAL123便の機影がレーダーから消えたのは、18時57
分です。その後ヘリを含む複数の飛行体が何機も現場上空に飛来
しています。これについて、角田四郎氏は、自著で次のように述
べています。
─────────────────────────────
 実は、米軍横田基地所属の「C130」輸送機が19時10分
に墜落現場上空から基地に一報を入れている。そのときの位置は
横田TACANから305度、34・6マイルと報告がある。後
に判明した現場から北に5キロはずれていた。
 次に例のF4−EJファントム2機が19時21分に現場上空
に到着、20分にわたる旋回で送って来たデータは、現場の南東
へ5キロずれていた。ファントムに遅れること53分、同じ百里
基地をたった救難用ヘリコプターのKV・107(バートル)が
現場上空着が20時42分、百里基地から現場までヘリでは48
分もかかるものなのだろうか。このKV・107が知らせた位置
は地図では初めて長野県側に入った現場の南西3キロ。それでも
現場からは5キロも南の川上村の扇平山を指した。この機は、高
度1650メートルまで降下したというから、落合さんが手を振
ったのはこのヘリだったかもしれない。
       ──角田四郎著『疑惑/JAL123便墜落事故
      /このままでは520柱は瞑れない』/早稲田出版
─────────────────────────────
 実はJAL123便がレーダーから消えたとき、自衛隊は次の
公式発表を行っています。
─────────────────────────────
18時59分:峯岡山基地吉田一尉、中部航空方面隊司令部防衛
 部長・大中康生一佐を通じ、松永貞昭司令官に日航機123便
 レーダー消滅を伝達。「北緯36度02分、東経138度41
 分」
19時01分:大中1佐松永空将の了解にて、スクランブル発信
 命令。空自百里F−4EJファントム戦闘機2機(第305飛
 行隊。式地豊二将ら発進)。この時間より以前、自衛隊はファ
 ントム機、ヘリ等発信させていないと発表
               ──青山透子著/河出書房新社
  『日航123便/撃墜の新事実/目撃証言から真相に迫る』
─────────────────────────────
 この自衛隊の公表は、2つの不可解なことがあります。
 不可解なことの1つは、123便のレーダーの消えた場所とさ
れる「北緯36度02分、東経138度41分」は、長野県北相
木村、御座山北斜面」の位置に当たります。これは、百里基地を
飛び立った救難用ヘリコプターの情報に基づいていますが、墜落
場所が異なっています。問題はなぜ間違えたのかです。
 これに基づいてNHKは、テレビで何回も「墜落場所は長野県
御座山」と報道しているのです。これによって、全国的に墜落場
所の誤情報が伝わってしまったのです。
 不可解なことの2つは、19時1分に自衛隊は、空自百里基地
からF−4EJファントム戦闘機2機を発進させたとし、それ以
前は、ファントム機もヘリも発進させていないといっていること
です。そうであるとすると、123便を追尾していたあのファン
トム機2機は何なのでしょうか。123便が墜落前から追尾して
いたのですから、まるで時間が異なります。
 このようなわけで、123便の墜落現場発見は大幅に遅れ、墜
落直後は、生存者の証言によると、100人以上が生きていたと
される乗客・乗員のほとんどが亡くなり、生存者は4人のみとい
うことになったのです。なぜ、救助できなかったのでしょうか。
 墜落場所を間違えたのではなく、あえて誤情報を流し、場所を
特定させなかった疑いも捨てきれないのです。
         ──[日航機123便墜落の真相/022]

≪画像および関連情報≫
 ●日航123便はなぜ墜落したのか/第76回/森永卓郎氏
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   青山透子氏の本のなかでまず注目すべきことは、墜落直前
  の123便を2機の自衛隊のファントム機が追尾していたと
  いう複数の目撃証言だ。この証言のなかには、当時の小学生
  が事故の状況を綴った文集のなかでの証言も含まれている。
  子どもたちがうそをつくはずがない。しかし、この証言を前
  提にすれば、日本政府は、当初から墜落現場を完全に把握し
  ていたことになる。
   それでは、公式に機体を発見したとされる翌朝まで、自衛
  隊は一体何をしていたのだろうか。本書に掲載された証言に
  よると、現場にはガソリンとタールをまぜたような強い異臭
  がしていたそうだ。また、現場の遺体は、通常の事故では、
  あり得ないほど完全に炭化していたという。自衛隊を含む軍
  隊が使う火炎発射機は、ガソリンとタールを混合したゲル状
  燃料を使用している。つまり、墜落から翌朝までの間に、何
  者が証拠隠滅のために強力な燃料で焼き尽くしたのではない
  かということだ。
   消すべき証拠とは何か。青山氏の著書によると、123便
  から窓の外を撮った写真を解析すると、オレンジ色の物体が
  飛行機に向かって飛んできているという。それは地上からも
  目撃されている。青山氏は、次のような可能性を提示してい
  る。自衛隊の訓練用ミサイルなどの飛行体は、オレンジ色で
  塗られていた。何らかの理由で、その飛行体が123便の尾
  翼を破壊したため、123便は制御不能に陥ったのだ。
                  https://bit.ly/2w2TvlU
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RF−4Eファントム.jpg
RF−4Eファントム
posted by 平野 浩 at 00:00| Comment(0) | 日航機123便墜落の真相 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年09月18日

●「JAL123便を追尾する戦闘機」(EJ第4851号)

 青山透子氏の本に、御巣鷹山事故のあった1985年8月12
日の夕方から夜にかけて何を見たかについてまとめた小学生と中
学生の冊子があると書いてあります。群馬県上野村立上野小学校
と中学校における子ども達の証言です。
─────────────────────────────
 1.文集『小さな目は見た』  1985年9月30日発行
          群馬県上野村立上野小学校/148名
 2.冊子『かんな川5』    1985年10月1日発行
          群馬県上野村立上野中学校/ 87名
               ──青山透子著/河出書房新社
  『日航123便/撃墜の新事実/目撃証言から真相に迫る』
─────────────────────────────
 「1」については、群馬県上野村立上野小学校の148名の小
学生による日航機墜落事故についての文集です。上野小学校の当
時の校長神田箕守氏は、この文集について、次のように書き記し
ています。
─────────────────────────────
 子ども達は多くのものを見聞し、多くのことを知りました。多
くのことを考えました。だがこの貴重な体験もそのまま放置する
ならば、やがて忘却の彼方に消え去ることは必至であります。体
験が生々しい中に、考えが新鮮な中に、それを深め、まとめてお
くことが、子ども達の長い人生に役立つことであり、尊い犠牲者
の御供養にも通ずるものと「日航機事故について」の文集を作る
ことにしました。              ──神田箕守氏
                ──青山透子著の前掲書より
─────────────────────────────
 「1」と「2」は、小学校と中学校がとくに相談して作成され
たものではなく、偶然に小学校と中学校で、子ども達による文集
が作られていたのです。注目すべきことは、作成された時期が事
故直後の証言であることです。目撃情報としては、価値があると
いうことです。
 青山透子氏は、これら2つの文集をていねいに読み、分析して
数値化しています。事故当日の12日分について、墜落の前、墜
落前後、墜落後に見たもの、聞いたものの統計です。これによる
と、当日小学校と中学校で、なんらかのものを見た子どもたちは
次の通りになります。
─────────────────────────────
        小学校 ・・・・・ 51%
        中学校 ・・・・・ 55%
─────────────────────────────
 小学校の「墜落前」の次の記録です。小学校5年生のH・H君
は、次のように述べています。
─────────────────────────────
 8月12日の夕方、6時45分ごろ南の空の方からジェット機
2機ともう1機大きい飛行機が飛んできたから、あわてて外へ出
てみた。そうしたら神社のある山の上を何回もまわっているから
おじさんと「どうしたんだんべ」といって見ていた。おじさんは
「きっとあの飛行機が降りられなくなったからガソリン減らして
いるだんべ」と言った。ぼくは「そうかなあ」と思った。それか
らまたも見ていたら、ジェット機2機は埼玉県の方に行ってしま
いました。           ──青山透子著の前掲書より
─────────────────────────────
 大きい飛行機と小さな2機のジェット機──どう考えても、J
AL123便と2機のファントム機としか考えられません。8月
14日のEJで取り上げた小林美保子さんも同じ証言をしている
のです。子どもはウソをつきませんから、見たままをいっている
と思います。
 中学校の文集でもこれと似た証言があります。大きい飛行機と
2機のジェット機の目撃──中学3年生のY・K君の作文です。
─────────────────────────────
 その日は、やたら飛行機の音がしていた。父ちゃんがおかしく
思って外に出て行って「おい、Y、飛行機が飛んでいるぞ。来て
みろ」と言ったので、行ってみた。飛行機は大きいような飛行機
と小型のジェット機が2機飛んでいた。5分以上もたっているの
に、さっきから、ぐるぐる回ってばかりいた。外にいると、蚊に
さされるので、家の中にはいった。そしてテレビを見ていたら、
「キロリン、キロリン」と音がして、なお、いっそうテレビに注
目した。ニュース速報で、大阪行き日航ジャンボジェット機12
3便が、レーダーから消えました。と書いてあった』。
                ──青山透子著の前掲書より
─────────────────────────────
 中学生の文集は、さすが小学生よりも具体的です。場所も本谷
時計山、御巣鷹山というように地名が出てくるし、そのとき、周
りにいた親戚や近所の人たちの会話も出てきます。そのなかに、
「赤い飛行機」という記述があります。中学1年生のY・K君は
次のように述べています。
─────────────────────────────
 午後7時少し前、蚕にくわを入れていたら、雷のような音がし
ました。ぼくの家の下の人は、真っ赤な飛行機を見たといいまし
た。ぼくはその時、どうして飛行機がこんな方に飛んで来たのか
と思いました。それも真っ赤な飛行機。ぼくはその時、いやなこ
とがおこらなければよいと思いました。
                ──青山透子著の前掲書より
─────────────────────────────
 このような子ども達の証言を分析すると、墜落前はJAL12
3便のうしろに2機のジェット機が追尾していたというのは、複
数の証言があり、間違いのない事実のようです。2機のジェット
機は、小林美保子さんの証言とも合わせると、ファントム機であ
ると思われます。なぜ、追尾する必要があったのでしょうか。
         ──[日航機123便墜落の真相/021]

≪画像および関連情報≫
 ●JAL123便墜落事故/真相が語られるとき
  ───────────────────────────
   早いもので、私が123便事件に疑問を抱いて7年、この
  ブログを始めてから、6年近い年月が経過しようとしていま
  す。自分のブログを読み返すと、書き始めの当初は情報量の
  少なさ、そして事実認識の甘さから、誤っている部分が多い
  ことに気がつきます。言い訳ではありませんが、このブログ
  は調査の進展と共に進化前進しています。読者の皆様におか
  れましては、管理人である私が、何をきっかけに考えを改め
  るようになったのか、表現を変えるようになったのか、その
  変化、成長過程も含めご理解いただければ幸いです。
   さて、このブログが主力テーマとして取り上げてきた12
  3便事件の真実、すなわち「あの日、日航123便に何が起
  きたのか」についてですが、調査開始から7年、100%と
  は言えないまでも、その概要についてほぼ全体像を把握する
  ことができました。
   ならば、早くそれを書けと皆様は思われるかもしれません
  が、残念ながら、その真相はあまりに深く、とても一言、二
  言でお伝えすることはできません。123便事件の真相を理
  解するには、まず読者の皆様に理解に必要な予備知識、周辺
  知識をお備えいただく必要があります。現場調査を継続し、
  当局の激しい妨害を潜り抜けてきた私ですら、7年かかった
  事件です。メディア、ネット上の限られた情報しか持ち得な
  い読者の皆様にそれをお伝えするのはかなり難しいと感じて
  います。そして、何より難しいのが、123便事件の真相は
  読者の皆様と現在でも密接に関連しており、真実のいきなり
  の全公表は、皆様の社会通念を破壊するばかりでなく、皆様
  が置かれている社会的な利害関係を崩壊させる危険があると
  も認識しています。       https://bit.ly/2CXLZ2r
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F4−EJファントム.jpg
F4−EJファントム

posted by 平野 浩 at 00:00| Comment(0) | 日航機123便墜落の真相 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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