攻が膠着状態に陥り、イスラム組織ハマスによるイスラエル攻撃
が起き、国際社会は、2つの大きな戦争を抱えることになってし
まったからです。
7月10日からスタートしたEJの今回のテーマは「物価とは
何か」を追及しています。しかも、2023年の日本経済は、長
期デフレではなく高インフレが起きており、いつもとは異なる様
相を見せ、もしかすると、株価が4万円を超える可能性があり、
その周辺の情報を集めてお送りしています。日経平均株価の最高
値は次の通りです。バブル経済の絶頂期の記録です。
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◎1989年(平成元年)12月29日(大納会)
3万8915円87銭
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1980年代後半の日本は、「バブル景気」に湧いていた時代
です。ところで「泡」を意味する「バブル」という経済現象とは
どういう現象なのでしょうか。
バブルは、不動産や株の価格が急上昇する景気過熱の経済現象
です。しかし、日本では、1990年代のはじめにはじけてしま
い、株は暴落するし、不動産は大幅値下がりし、買い手がつかず
ビジネスは停滞してしまったのです。その後、日本経済はデフレ
に突入し、現在まで続いています。
このとき景気は超過熱しましたが、一つだけガンとして動かな
かったものがあります。それは「物価」です。そのとき物価に関
しては、ほとんどの人が気にしていませんしたが、このことを気
にしていた人物がいます。当時日銀職員だった渡辺努東京大学大
学院教授です。その当時のことについて、渡辺教授は次のように
述べています。
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1980年代後半のバブル真っ盛りのころは景気も超過熱して
いたので、価格が上がるのが当然なのに、実際はそうならなかっ
たのです。私はそれが不思議でなりませんでした。消費者物価指
数(CPI)で測ったインフレ率の動きは極めて緩慢で、株価が
ピークをつけた1989年12月でもインフレ率は2・9%にし
かずぎませんでした。物価が停滞する近年の基準からすると、十
分に高く見えますが、当時の景気の過熱ぶりからすると、あり得
ないくらい低い水準です。
物価が動かなかったのは、上がるべきときだけでなく、下がる
べきときもそうでした。バブルがはじけ景気が悪化し、失業率は
3%超まで悪化していきます。企業の生産も1992年春には前
年を1割下まわるという危機的な状況になりました。しかし、そ
の時点でのインフレ率2・5%程度であり、それまでより若干低
くなったとは言っても、物価安定が損なわれていると問題視され
る水準ではありませんでした。 ──渡辺努著/
『物価とは何か』/講談社選書メチェ758
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問題は、バブルが脹らんでも物価が上がらなかったことによっ
て、日銀が金融引き締めに動かなかったことにあるといえます。
もし、1980年代後半に物価が上がっていれば金融政策によっ
てバブルがあそこまで拡大しなかったといえます。
同様に、バブルが1990年代前半に物価が急激に下がってい
たら、日銀はデフレを避けるため、大規模な金融緩和を行ってい
たはずです。残念ながら、日銀は両方とも動いていないのです。
その当時の日銀総裁に責任をかぶせるつもりはありませんが、
バブルとその後始末に最も関連があったと思われる日銀総裁4人
を参考までに次に掲載しておきます。
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◎バブルに関係のある日銀総裁
澄田 智 ・・・ 1984〜1989
三重野康 ・・・ 1989〜1994
松下康雄 ・・・ 1994〜1998
速水 優 ・・・ 1998〜2003
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経済学のテキストには「モノの値段は需要と供給のバランスに
よって決まる」と書いてあります。需要というのは「買いたい」
ということ、供給とは「売りたい」ということです。売り手と買
い手の間で意見交換を行うわけではありませんが、自然と売り手
と買い手の折り合いがつく値段に決まるというのです。
しかし、「需要」と「供給」が食い違っているときは、なかな
か「価格」が調整されないのです。詳細については、欄外の≪画
像および関連情報≫を読んでください。需要と供給を一致させる
という市場の機能が十分に働くのであれば、中央銀行が金融政策
や財政政策によって有効需要を増やす必要はないのではないかと
いう疑問もあります。
しかし、もともと物価は動きの鈍いものであり、これを「価格
の硬直性」と呼んでいます。ケインズが提唱したものです。これ
は、安倍元首相と黒田前日銀総裁が2013年から挑戦したアベ
ノミクスス「2%の物価目標」がないない達成されないというこ
とからも理解できると思います。これは、日銀にとって、世紀の
大実験であったといえます。
「価格の硬直性」は1936年出版の『一般理論』で提唱され
て以来、ケインズに続く経済学者たちは、深くその理由を考える
こともなく、マクロ経済学といえば、「価格は動かない」という
前提の下で、失業や金融政策や財政政策を議論してきていますが
本格的な研究が始まったのは、2000年代に入ってからのこと
です。「バブルでも物価は動かない」──その理由を追及するこ
とはきわめて困難なことです。起こったことの追及はできますが
起こらなかったことのそれは、そもそも関心がないし、極めて困
難なことであるからです。
──[物価と中央銀行の役割/039]
≪画像および関連情報≫
●「モノの値段」ってどうやって決まるの?
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モノの値段の決まり方を知るために、100人の島にある
リンゴを例に考えてみます。100人の島には、「リンゴを
欲しい」と思っている人が15人いるとします。この15人
全員が、「リンゴを100エンで買いたい」と思っているわ
けではありません。人によっては、「200エンなら買いた
い」「50エンなら買いたい」「そもそも、リンゴは買いた
くない」と思うでしょう。同じようにリンゴが欲しいと思っ
ていても、「リンゴ1個、〇〇エンなら買ってもいいかな」
という買い手の価格感覚はそれぞれです。
一方で、リンゴを売りたいと思っている人も15人いると
します。この場合も、人によっては、「50エンでも売りた
い」と思う人もいれば、「250エンなら売りたい」と思う
人もいるでしょう。このように、「リンゴ1個、〇〇エンな
ら売りたい」という売り手の価格感覚もそれぞれだというこ
とが分かります。
このように値段に対する買い手の人数分布を「需要曲線」
売り手の人数分布を「供給曲線」と言い、この両者が存在す
ることで値段が決まります。
https://sanctuarybooks.jp/webmag/20220929-10675.html
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1989(平成元年)12月29日大納会