考えたのは、2010年9月に浜松町の書店で、次の本に出会っ
たからです。これはEJ第2910号「新視点からの龍馬伝」の
冒頭に書いたことです。
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榊原英資著
『龍馬伝説の虚実/勝者が書いた維新の歴史』
朝日新聞出版刊
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この本の序文で榊原英資氏は、司馬遼太郎の『竜馬がゆく』は
著者の歴史観が色濃く反映され、龍馬の実像を著しく歪曲してと
らえているといっています。
さらに榊原英資氏は、司馬遼太郎が『坂の上の雲』において、
明治という国家を次のようにとらえていることにも疑問を呈して
います。
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(明治という時代は)「清廉でリアリズムを持っていた」素晴
らしい時期だった。
──司馬遼太郎著『坂の上の雲』/文春新書
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榊原氏は、明治維新から第2次世界大戦にかけては「異常な時
代」であると位置づけています。そのひとつに明治新政府が太政
官布告として発令した「神仏分離令」があります。明治元年(1
868年)のことです。
神仏分離令は仏教排斥を意図したものではなかったのですが、
これをきっかけにして全国各地で「廃仏毀釈」運動がおこり、各
地の寺院や仏具の破壊が行なわれたのです。
問題なのは、神仏習合の伝統の中で折衷されてきた宗教が分離
され、それをベースとして成立してきた象徴天皇制が崩壊してし
まったことです。これによって、神道イデオロギーが国家の中心
に据えられることになったのです。つまり、「天皇は神聖にして
侵すべからず」の存在になり、それが第2次世界大戦が終了する
まで続くことになります。
実はこの神道イデオロギーをベースとして、天皇の守るための
官僚制度が構築されています。つまり、明治の官僚は支配者の一
翼を担っていたのです。しかし、この官僚制度は第2次世界大戦
後の象徴天皇の時代になっても存続し、現代日本の政治に大きな
影響を与えているのです。なぜなら、官僚による支配は象徴天皇
化した現在、日本の事実上の支配者は、官僚ということになるか
らです。これは重大な問題です。
現在、民主党の菅政権が見るも無残な姿を晒しているのは、政
権運営が稚拙なことに加え、政治主導を唱えながら、明治維新以
来140年間続いてきている官僚制度をコントロールすることが
できずに逆に取り込まれてしまったことに原因があります。一体
明治維新後に何があったのでしょうか。
一般的日本人は、幕末から明治新政府ができるまでのことにつ
いてはよく知っています。それは多くの文献があることに加えて
NHK大河ドラマや映画や小説などの題材によく取り上げられる
からです。
しかし、新政府ができて明治14年頃までに何が起こったのか
について知っている人は意外に少ないのです。一般の人の関心は
明治27年(1894年)の日清戦争、それに10年後の日露戦
争へとジャンプしてしまうのです。司馬遼太郎の『坂の上の雲』
(文春新書)はその頃のことを書いているのです。
明治政府の閣僚は、誰が主導してどのようにして決められたの
か。官僚による政治支配の諸制度は誰が設計したのか。廃藩置県
はどのようにして決められ、どのように実行に移されたのか。明
治6年の政変とは何か。西南戦争はなぜ起こったのか。西郷はな
ぜ自刃したのか、などなど。その詳細について知らない人は案外
が多いと思います。
そこで、本日からのEJは、明治元年から明治14年頃までに
焦点を当て、明治維新について考えてみることにします。タイト
ルは次の通りです。
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明治維新について考える/明治維新は「革命」なのか
── 官僚による政治支配の構造に迫る ──
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事実上は「新視点からの龍馬伝」の続編という位置づけになり
ますが、単なる続編ではなく、できる限り現在の日本の政治との
関連において書いていくつもりです。
明治維新は、江戸時代という旧体制を崩壊させ、近代国家日本
の幕開けになったと後世に評価されています。しかし、明治維新
で実現したのは、薩摩と長州の藩閥政治であり、イデオロギー的
天皇制とそれを支えた薩長の専横的政治であったのです。それも
江戸時代を全否定して、西欧化に邁進したのです。
榊原英資氏は、歴史家・渡辺京二の名著『逝きし世の面影』の
次の一文を引用して、明治新政府が江戸時代を全否定したことの
誤りを指摘しています。
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・・・日本近代が経験したドラマをどのように叙述するにせよ
それがひとつの文明の扼殺と葬送の上にしか始まらなかったド
ラマだということは銘記されるべきである。扼殺と葬送が必然
であり、進歩であったことを、万人とともに認めてもいい。だ
が、いったい何が滅びたのか、いや滅ぼされたのかということ
を不問に付しておいては、ドラマの意味はもとより、その実質
さえも問うことができない。 ──渡辺京二著
『逝きし世の面影』より/平凡社ライブラリー
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── [明治維新について考える/01]
≪画像および関連情報≫
●榊原英資氏と「逝きし世の面影」
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勝や龍馬のような知性派が明治の改革を仕切っていたら、武
断派の西郷や桂が引き起こした凄惨な戦いや長引いた混乱は
起こらなかったかもしれません。歴史にイフ(もしも)はな
いのですが、少なくとも龍馬をそうした角度から評価し直す
必要があるのではないでしょうか。龍馬なら、改革を進める
とともに江戸時代のいい部分を残したかもしれません。彼な
ら「逝きし世の面影」に多少はこだわったでしょうから。
──榊原英資著
『龍馬伝説の虚実/勝者が書いた維新の歴史』
朝日新聞出版刊
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渡辺 京二著『逝きし世の面影』