2010年01月04日

●「普天間移設先をめぐる不毛の議論」(EJ第2725号)

 本号は2010年の最初のEJです。皆様、今年もよろしくお
願いします。
 私はかねてから政治家小沢一郎氏(以下、敬称略)に関心があ
ります。その理由は多々ありますが、直接的には私の生涯研究テ
ーマである生保営業論――現在それは危機に瀕している――にお
いて、いわゆるオザワ選挙戦略がそのまま使えるからです。
 今や現在小沢一郎は与党民主党の幹事長――したがって、小沢
を知ることは今後日本がどうなっていくかを知ることにつながり
ます。そこで、EJでは、今年の第1テーマを「小沢一郎論」に
したいと思います。
 問題は、小沢一郎論をいかにして政治ジャーナリズムとは違う
かたち――EJスタイルで書くかです。何しろ新聞に小沢の話題
が出ない日はほとんどなく、週刊誌は特集を組み、書店には小沢
本が溢れています。しかし、真実の小沢一郎に迫っているものは
きわめて少ないと思うのです。
 剛腕・独裁者・権力主義者・金権主義者など、多くの小沢の虚
像がマスコミによって作り上げられています。どれが本当の小沢
像なのか――EJのスタイルで迫ってみたいと思います。
 昨年の12月31日の日本経済新聞に次の記事が出ていたのを
ご存知でしょうか。
―――――――――――――――――――――――――――――
 ≪小沢氏発言で波紋≫
 「下地島には空港があるんだよな」。出席者によると、民主党
 の小沢幹事長は29日夜、与党3党の幹事長、国会対策委員長
 らを集めた会合で指摘した。下地島には民間航空会社が離着陸
 などの訓練に使用する3000メートル級の滑走路がある。こ
 の滑走路を活用できないかと提案したという。
        ――2009年12月31日付、日本経済新聞
―――――――――――――――――――――――――――――
 実は小沢幹事長が沖縄の普天間基地問題で発言したことが報道
されたのは、これが初めてのことなのです。国の政策には口を出
さないと明言した小沢幹事長ですが、本心はどのように考えてい
るのでしょうか。
 この「普天間移設問題」――非常にヘンなやり取りが行われて
いるとは思いませんか。普天間基地の移設先をグアムにするとい
う案を口にする人がいます。北沢俊美防衛相がそのための視察に
出かけたり、今度は社民党が視察団をグアムに送り込むという話
も出ています。
 しかし、グアムは米国領なのです。外国なのです。したがって
米軍の普天間基地の移設先を米国領のグアムにするというのは、
日本側の出す提案としてはヘンな話です。ヘンな話というより、
米国にとって失礼な話でもあります。そんなことをいうよりも、
普天間基地の海兵隊は丸ごとグアムに引き上げて欲しいという方
がよほど筋が通っています。
 しかし、誰もその矛盾を指摘する人がいないのです。どうして
なのか。いや、たった一人いました。12月27日の「サンデー
・プロジェクト」で、東京財団の上席研究員の渡部恒雄氏(渡部
恒三氏の子息)がそうです。彼は、移転先をグアムと主張する福
島社民党党主に対し、こういったのです。
―――――――――――――――――――――――――――――
 福島さんは移転先はグアムとおっしゃるが、グアムはアメリカ
 なのです。アメリカが承知しなければどうにもならない。
                      ――渡部恒雄氏
―――――――――――――――――――――――――――――
 普天間の移転先が下地島とか硫黄島とかいう日本領ならまだわ
かるのですが、なぜ、グアムなのでしょうか。テレビで討論して
いる人はみんな知っているのに誰も積極的には話そうとはしない
で議論している――実にわかりにくい話です。なぜ、話そうとは
しないのでしょうか。このあたりのことをはっきりさせるには、
そもそも普天間基地がなぜできたのかまで遡る必要があります。
 普天間飛行場は、1945年4月に沖縄本島に上陸した米軍が
日本本土決戦に備えて、戦火で焼け野原になっていた宜野湾市中
心部の台地に、急ごしらえで作った飛行場なのです。
 しかし、日本が降伏したので、普天間飛行場は戦後5年間、米
軍基地として放置されてきたのです。この5年間に市民が戻って
きたのですが、基地内の土地に住んでいた人々は土地は強制的に
借り上げられていたので、仕方なく基地の周辺に住み始めるよう
になったのです。
 重要なことは、この普天間基地は戦後5年間使っていなかった
ことなのです。そのため、避難先から戻ってきた市民はまるで基
地に寄り添うように住宅を建てて住むようになったことです。
 普天間と事情の違うのは、普天間の北方の嘉手納基地です。こ
ちらは沖縄上陸時から基地として米軍は使っているのです。とこ
ろが市民が避難先から戻ってきたので、飛行場の後背地を弾薬庫
用地として広大に強制借り上げ、市民の安全を図るためのクリア
ゾーンを設けているのです。しかも、嘉手納基地は滑走路の前面
は海であり、安全性は高いといえます。
 しかし、1950年に朝鮮戦争が起こると、今まで使っていな
かった普天間基地を米軍は使い始めたのです。ところが、周りに
家がびっしりと建っているので、クリアゾーンがとれないうえに
滑走路は海と平行しているのです。米軍自身も普天間の危険性は
十分認めて認めているのです。
 日米両政府は、戦略上の立場から日本全土に展開していた米軍
海兵隊のほとんどを沖縄に移動させたのです。この移動は、19
71年の沖縄返還の直前にまさに駆け込み的に行われたのです。
このときの日米の力関係からいうと、日本政府はこれを受け入れ
ざるを得なかったのです。
 すなわち、日本政府としては、沖縄が米軍の占領下にある間に
本土の海兵隊を沖縄に移駐してもらい、沖縄の本土復帰時には、
「沖縄は米軍基地の島」という既成事実を作り上げたといってよ
いのです。           ―――[小沢一郎論/01]


≪画像および関連情報≫
 ●「海兵隊」とは何か
  ―――――――――――――――――――――――――――
  アメリカ海兵隊はアメリカ合衆国の法律の規定に基づき、海
  外での武力行使を前提とし、アメリカ合衆国の権益を維持・
  確保するための緊急展開部隊として行動する。また、必要に
  応じて水陸両用作戦――上陸戦を始めとする軍事作戦を遂行
  することを目的とする。本土の防衛が任務に含まれない外征
  専門部隊であることから「殴り込み部隊」とも渾名される。
                    ――ウィキペディア
  ―――――――――――――――――――――――――――

普天間基地.jpg
普天間基地
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2010年01月05日

●「宜野湾市伊波市長が入手した情報」(EJ第2726号)

 普天間基地の話を続けます。なかなか小沢一郎が出てきません
が、新聞やテレビで報道されていない前提的事実を明らかにしな
ければ、この国の政治――特に密約がらみの日米関係の奇々怪々
の事情はわからないと思うからです。
 米軍は、世界各国の基地の施設や設備に関する計画を数年ごと
にマスタープランとしてまとめているのです。普天間基地につい
ては、1980年と1992年にマスタープランが作られていま
す。これらは非公開文書ですが、1992年のマスタープランを
宜野湾市が手に入れ、ウェブサイトに公開しているのです。
 宜野湾市が入手した1992年のマスタープランの序文には、
1992年計画は1980年計画を踏襲したものであること、そ
れに加えて、それとは別に1985年計画の草案が作成されたが
採用されなかったということが書いてあるというのです。
 ちなみに宜野湾市とは、沖縄県の人口の80%が集中する沖縄
島中南部の中央に位置する都市で、市の中央には普天間基地があ
るのです。宜野湾市の現伊波洋一市長は情報収集力があり、こう
した文書をいち早く手に入れることで定評のある市長です。
 2009年11月26日と12月11日にも伊波市長は、与党
議員に対し、最新情報に基づいて講演を行っているのです。その
ときのレポートが次のサイトに出ています。あとからこの内容に
ついても書きますが、目を通しておかれると参考になります。
―――――――――――――――――――――――――――――
 「普天間基地のグァム移転の可能性について」
http://www.city.ginowan.okinawa.jp/2556/2581/2582/37840/37844.html
―――――――――――――――――――――――――――――
 さて、草案が作られ、採用されなかったという1985年のマ
スタープランの内容です。そのマスタープランの内容は「普天間
基地の閉鎖・返還計画」ではなかったかといわれているのです。
 1985年の時代背景を考えてみましょう。当時の米国のレー
ガン政権は、1982年にソ連と戦略兵器削減交渉を開始してい
ます。そして1986年にはレーガンとゴルバチョフがレイキャ
ビクで会談し、この時点から冷戦終結の交渉が具体化しているの
です。したがって、1985年に冷戦終結を予測し、沖縄の基地
縮小を考えたとしても不思議ではないのです。
 それがなぜか撤回され、米軍が日本に恒久駐留することになっ
てしまったのでしょうか。
 それは、撤退しようとする米軍に対して、日本政府が「駐留費
を負担する」ことを条件に残って欲しいと頼んだからです。いわ
ゆる「思いやり予算」です。この思いやり予算は70年代からは
じまっているのですが、そのときは基地で働く日本人の福利厚生
や給料の一部を負担することが趣旨であったのです。
 しかし、この思いやり予算が1985年を境にして倍増してい
るのです。現在は思いやり予算は、小泉政権以降は約2000億
円といわれていますが、実際はこんなものではないのです。
 これに加えて、米軍基地用地の地代(賃料)や基地周辺住民へ
の対策費も支出しており、その総額は6000億円以上に膨張す
るのです。仮に6000億円としても、在日米軍4万人とした場
合、実に米兵一人当たり1000万円以上のお金を在日米軍は受
け取っていることになります。米軍にとってこんなおいしい話は
ないのです。
 ネットジャーナリストの田中宇氏によると、駐留費の日本の負
担額について次のように述べています。
―――――――――――――――――――――――――――――
 05年の米国防総省の発表によると、日本政府は在日米軍の駐
 留経費の75%(44億ドル)を負担している。世界規模で見
 ると、米軍が米国外での駐留で必要とする総額は年に約160
 億ドルといわれるが、そのうち米国自身が出すのは半分以下で
 駐留先の地元国が85億ドルを負担している。44億ドルを出
 している日本は、全世界の地元国の負担の半分を一国だけで出
 している。日本は、米軍の米国外での駐留費総額の4分の1を
 出している。日本だけが突出して米軍に金を出しているのだか
 ら、日本政府がその気になれば激減できるはずだ。日本政府が
 米軍を買収している構図は、ここからもうかがえる。
  ――田中宇著『日本が「対米従属」を脱する日』/風雲舎刊
―――――――――――――――――――――――――――――
 戦争を放棄する憲法を盾にして、国の安全保障を米軍にお金を
払って買っている国、それが日本です。しかし、それでもなお、
米軍は普天間からグアムに海兵隊をほとんどすべて引き揚げよう
としているのです。それは、伊波市長のレポートをていねいに見
れば明らかなことです。
 2009年6月4日に米国海兵隊司令官ジェイムズ・コンウェ
イ大将が上院軍事委員会に「米国海兵隊の軍事態勢」に関する報
告書を提出し、沖縄からグアムへの海兵隊の移転を評価して次の
ように記述しています。
―――――――――――――――――――――――――――――
 日米再編協議の重要な決定事項の一つは、約8000人の海兵
 隊員の沖縄からグアムへの移転である。これは、沖縄で海兵隊
 が直面している、民間地域の基地への侵害を解決するためのも
 のである。グアム移転により、アジア・友好同盟国との協働、
 アメリカ領土での多国籍軍事訓練、アジア地域で想定される様
 々な有事へ対応するのに有利な場所での配備、といった新しい
 可能性が生まれる。適切に実施されれば、グアムへの移転は即
 応能力を備えて前方展開態勢を備えた海兵隊戦力を実現し、今
 後50年間にわたって太平洋における米国の国益に貢献するこ
 とになる。グアムや北マリアナ諸島での訓練地や射撃場の確保
 が、海兵隊のグアム移転の前提であり必須条件である。
      ――米国海兵隊司令官ジェイムズ・コンウェイ大将
―――――――――――――――――――――――――――――
 伊波市長の資料を見ると、事実上海兵隊の総引き上げと考える
のが自然です。         ―――[小沢一郎論/02]


≪画像および関連情報≫
 ●グアム移転の10部隊/伊波洋一市長資料より
  ―――――――――――――――――――――――――――
  2008年9月15日に、海軍長官から米国下院軍事委員会
  議長に国防総省グアム軍事計画報告書として「グアムにおけ
  る米軍計画の現状」が報告された。その中で沖縄から移転す
  る部隊名が示されており、沖縄のほとんどの海兵隊実戦部隊
  と、岩国基地に移転予定のKC130空中給油機部隊を除い
  て、ヘリ部隊を含め普天間飛行場のほとんどの関連部隊がグ
  アムに行くと示された。米海兵隊第1海兵航空団で図示する
  と黄色で表示した10部隊。
  ―――――――――――――――――――――――――――

グアムに移転するとされる部隊.jpg
グアムに移転するとされる部隊
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2010年01月06日

●「海兵隊は恒久駐留に不適の部隊」(EJ第2727号)

 「思いやり予算」における思いやりの対象は、日本を守ってく
れる米軍ということになります。しかし、長期政権になった自公
政権は、思いやり予算を米軍に支払う一方で、それとほぼ同額の
の社会保障費を毎年削減していたのです。とくに2006年まで
の小泉政権の時代は、思いやり予算の額は大きく膨らませる一方
で、社会保障費も大きく削減したのです。この政権がいかに弱者
に対して「冷たい」政権であったかがわかると思います。
 その総額は7年間で思いやり予算は1兆8171億円、社会保
障費削減額は1兆6000億円に及んだのです。明らかに自公政
権は思いやりの対象を間違えているとしか思えないのです。この
姿勢が政権交代につながったのです。
──――――――――――――――――――――――――――─
          思いやり予算    社会保障費削減
  2002年度  2665億円    −3000億円
  2003年度  2725億円    −2200億円
  2004年度  2707億円    −2200億円
  2005年度  2641億円    −2200億円
  2006年度  2559億円    −2200億円
  2007年度  2373億円    −2200億円
  2008年度  2501億円    −2200億円
 ――――――――――――――――――――――――――
        1兆8171億円   1兆6000億円
──――――――――――――――――――――――――――─
 自公政権時代において、社会保障費の削減が行われていること
は誰でも知っていますが、それによって何が削減されたかを知っ
ている人は少ないはずです。マスコミが報道しないからです。社
会保障費の削減額の内訳は次のサイトを見ればわかります。
──――――――――――――――――――――――――――─
http://blog.goo.ne.jp/kin_chan0701/e/24d24719fdafe9153f6f148ee8728198
──――――――――――――――――――――――――――─
 高齢者1割負担などの医療制度改悪、介護制度改悪、生活保護
制度改悪、生活保護世帯母子加算の廃止、年金物価スライドの引
き下げ、診療報酬・薬価の改定など──よくぞここまで切ったり
というほどひどいものです。民主党政権になって、その一部を少
しずつ戻そうと努力していますが、一度実施した制度を元に戻す
のは時間がかかるものです。もう少し長い目で見てあげるべきで
はないかと私は思います。
 多くの日本人は、沖縄の人を除いて米軍の海兵隊が沖縄に駐留
している方が何となく安心できると思っています。北朝鮮の脅威
もあるし、中国の軍事力も不安だからです。
 しかし、軍事戦略上は、海兵隊が沖縄に駐留している必要はな
いのです。むしろ、ミサイルの発達した現代では、沖縄に米軍基
地がある方が危険であるといえます。そもそも海兵隊は、戦争が
起こりそうな地域での恒久駐留が必要な軍隊ではないのです。
 1991年の湾岸戦争、2003年のイラク侵攻のように米国
から戦争を仕掛けるときに、十分な作戦計画の下に、最初に殴り
込みをかけるのが海兵隊であるからです。したがって、海兵隊は
豊富な訓練地域のある米国本土にいるのがベストなのです。
 むしろ日本には第7艦隊のような空母を中心とする米軍の精鋭
部隊がいてくれた方が安心なのです。なぜなら、空母を守る船団
が核ミサイルを装備していて、いつでもどこへでも移動可能──
かつて小沢一郎が「日本の防衛には第7艦隊があれば十分」とい
ったのは、けっして間違っていないのです。しかし、当時の自公
政権は「小沢は軍事のいろはを知らない」といって馬鹿にしまし
たが、これはいっている人の方が軍事の素人です。
 現在、普天間基地を拠点とする米軍の海兵隊は「第3海兵遠征
軍」というのです。米軍の海兵隊は、3つの遠征軍で構成されて
いて、第1海兵隊遠征軍と第2海兵隊遠征軍の2つは米国本土に
本拠地があるのです。この他に海兵隊予備役部隊というのがあり
ます。全体の現役兵力は17万3000人といわれています。
──――――――――――――――――――――――――――─
 大西洋海兵隊部隊 ───── 第2海兵隊遠征軍
            I── 第1海兵隊遠征軍
 太平洋海兵隊部隊 ──I
            I── 第3海兵隊遠征軍 → 沖縄
──――――――――――――――――――――――――――─
 たとえ海兵隊がグアムに引き上げても、技術革新によって、米
軍の飛行機の航続距離が伸びた結果、海兵隊や空軍が前線に近い
沖縄ではなく、米国本土に近いグアム島やハワイにいても十分力
を発揮できるのです。
 もし、不意に攻められたらどうなるのかということを心配する
人がいます。そのために自衛隊がいるのです。しかし、現代の戦
争は諜報がすべてなのです。米軍は突然攻められるはるか前の段
階で事態を察知できるのです。既出の田中宇氏は、沖縄に米軍基
地はいらないとして、次のように述べています。
―――――――――――――――――――――――――――――
 「地政学上の理由から、基地は沖縄になければならない」と解
 説する人がよくいるが、間違いである。米軍の現在の技術力か
 らすれば、中国を仮想敵とみなす場合でも、沖縄に必要なのは
 有事の際に使える港と滑走路だけであり、軍隊が常駐している
 必要はない(実際米軍は冷戦後、沖縄本島より下地島の空港を
 有事利用したがった)。米国はここ数年、中国を戦略的パート
 ナーとみなす傾向を強め、日本以上に中国を重視している。日
 本も、中国との東アジア共同体を作る方向に進んでいる。もは
 や中国は日米の敵ではない。これは地政学的な大転換であるが
 米軍の沖縄駐留は必須だという人ほど、この地政学的な変動を
 全くふまえずに(または意識的に無視して)語っている。茶番
 である。
  ――田中宇著『日本が「対米従属」を脱する日』/風雲舎刊
―――――――――――――――――――――――――――――
                ―――[小沢一郎論/03]


≪画像および関連情報≫
 ●永田町異聞/沖縄基地問題について
  ―――――――――――――――――――――――――――
  米軍が沖縄住民のためというより、軍事戦略上の目的で、老
  朽化いちじるしい普天間に替わる海兵隊の基地を求めてきた
  ことは、このブログでも何度か書いた。その新基地を名護市
  の辺野古にするという2006年の日米合意に至る経緯を、
  チェンジした新政権が検証するというのは、ふつうの国なら
  あたりまえのことだろう。「あした普天間基地がなくなって
  も困るわけじゃない」(週刊朝日)という、元CIA東アジ
  ア部長、アーサー・ブラウン氏の冷静な言葉をよくかみしめ
  るべきだ。
     http://ameblo.jp/aratakyo/entry-10405430828.html
  ―――――――――――――――――――――――――――

米海兵隊紋章.jpg
米海兵隊紋章
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2010年01月07日

●「米国は本当に怒っているのか」(第2728号)

 こちらから戦争を仕掛けるのではなく、他国から同盟国が侵略
された場合、米軍がどのように戦うのかについて整理しておくこ
とにします。
 もっとも昨日のEJでも述べたように、米国は世界中に諜報網
を張りめぐらせているので、ある日突然攻撃される可能性はほと
んどないといえます。とくに9・11以降は米国の諜報戦はきわ
めて強化されているのです。
 仮に日本が他国から地上軍で侵略されたとします。そのときは
当然のことですが、自衛隊が応戦します。平和憲法でも他国から
侵略された場合は自衛隊が実戦対応できるのです。そのために、
北海道や九州に陸上自衛隊が常駐しているのです。このさい、た
とえ米海兵隊が沖縄にいたとしても、沖縄を直接攻められない限
り、海兵隊が応戦することはあり得ないことです。
 有事になると、米軍は空母を中心とする機動部隊が出動すると
ともに海上自衛隊の艦艇も出動します。日本や韓国の米空軍基地
から米戦闘機が飛び立ち、航空自衛隊と連携を取りながら、陸上
自衛隊を援護します。この場合の日米両軍の連携力は、長年にわ
たる訓練の結果、そのパワーは世界一といわれるほどのレベルに
達しているといわれています。
 そうしているうちに米軍は、グアムにいる海兵隊を次々と空輸
し、敵に占領されている地域に反攻的な急襲を仕掛けるのです。
ここからが海兵隊の出番になります。グアムから日本まで飛ぶに
は途中給油が必要になりますが、これは空中給油をするので、何
も問題はないのです。
 したがって、米海兵隊はわざわざ沖縄に駐留する必要などない
のです。それを日本は莫大な駐留費を負担して米軍を沖縄に引き
留めているのです。いつから日本人はそんなに臆病な国民になっ
てしまったのでしょうか。海兵隊としても、日本にお金を出して
もらえば、米国にいるよりも安上がりなので、沖縄にいるだけの
ことなのです。
 このように、米軍の本心は2014年までに普天間基地の海兵
隊約2万人のほとんど全軍をグアムへ移転することなのです。そ
の方が戦略的にも合理性があるからです。しかし、日本は海兵隊
の一部を何とか日本に残したいと考えているのです。
 ここで、「日本」というのは、もちろん建て前としては日本政
府のことなのですが、もっと正確にいうと、日本の官僚機構――
具体的には外務省のことです。すなわち、外務省としては、「対
米従属」を続ける方が彼らにとって都合がよかったのです。
 そこで外務省が中心になって作りだしたのが、SACO――沖
縄に関する特別行動委員会なのです。SACOとは、米軍駐留に
伴う沖縄県民の負担――騒音、墜落事故、訓練場からの実弾飛来
など減らすために、日本政府が資金を出して代替施設などを建設
し、米軍施設の移転を行うことを目的とするものです。1995
年のことです。
 このSACO事業によって、日本政府は2008年までの12
年間に3000億円の予算を思いやり予算とは別に支出している
のです。その結果、辺野古沿岸を埋め立て、最新鋭の設備と離着
陸に制限のない新たな海上飛行場を建設することによって普天間
基地を返還することで2006年に日米が合意を見たのです。
 しかし、米軍は日米合意にもかかわらず、その後も着々と海兵
隊のグアム移転を進めており、その後沖縄に実戦部隊が残る余地
はないというのです。
 これは一体どうなっているのでしょうか。新聞やテレビでは、
民主党政権が日米合意を守らないので、米国は本気で怒っている
と報道しています。これについて、田中宇氏は、次のように述べ
ているのです。
―――――――――――――――――――――――――――――
 私が見るところ、日本政府が米軍を買収してまで駐留し続けて
 ほしいと思ったのは日本の防衛という戦略的な理由からではな
 い(急襲部隊である海兵隊は日本の防衛に役立っていない)。
 米国から意地悪されるのが怖かったからでもない(フィリピン
 の例を見よ)。日本政府が米軍を買収していた理由は、実は日
 米関係に関わる話ですらなくて、日本国内の政治関係に基づく
 話である。日本の官僚機構が、日本を支配するための戦略とし
 て「日本は対米従属を続けねばならない」と人々に思わせ、そ
 のための象徴として、日本国内(沖縄)に米軍基地が必要だっ
 たのである。
  ――田中宇著『日本が「対米従属」を脱する日』/風雲舎刊
―――――――――――――――――――――――――――――
 本当に米国は怒っているのでしょうか。日本の官僚はよくこの
手を使います。いわゆる「ガイアツ」です。昨年の12月21日
のこと。記録的豪雪で休みとなった米国務省に、藤崎一郎駐米大
使が出向き、クリントン長官と15分ほど話して出てきたという
あの話です。会談にはキャンベル国務次官補――東アジア・太平
洋担当らが同席したということです。
 藤崎大使の話を総合して朝日新聞と読売新聞は、今朝、クリン
トン長官から来て欲しいという連絡があったので(朝日)、出向
いて15分ほど話してきたというのです。しかし、国務長官が大
使を呼ぶということはめったにないことで、重く受け止めるべき
(読売)と書いているのですが、真相はきわめて不透明です。
 要するにコペンハーゲンで鳩山首相はたまたまクリントン長官
の隣の席であったので、普天間の問題について話し、日本政府の
方針を理解していただいたとコメントしているが、米国としては
そんなこと「了解したわけではない」といいたいわけです。
 ところが、国務省のクローリー次官補は「大使は(クリントン
長官に)呼ばれたのではなく、彼の方からやってきたのだ」と日
本の報道を否定しているのです。どうなっているのでしょうか。
明らかにこれは藤崎大使の芝居であり、「米国は怒っている」こ
とを演出したかったのです。官僚はよくこうして政府にガイアツ
をかけるのです。        ―――[小沢一郎論/04]


≪画像および関連情報≫
 ●アメリカは本当に怒っているのか
  ―――――――――――――――――――――――――――
  東京(12月11日) − 普天間基地の移設をめぐり日米
  関係に大きな亀裂が入り始めているらしい。新聞によって多
  少の温度差はあるものの、概ね、前政権下で日米両国が辺野
  古沖への移設で合意したはずの問題を、県外移設や日米合意
  の見直しを公約して民主党が政権の座に就いたため、新内閣
  は米国との約束と選挙公約との板挟みになり身動きがとれな
  くなっている間に、米国は日本を見放し始めているという話
  のようだ。
  http://www.videonews.com/news-commentary/0001_3/001306.php
  ―――――――――――――――――――――――――――

藤崎一郎大使.jpg
藤崎一郎大使
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2010年01月08日

●「『対米従属』を望む外務省の陰謀」(EJ第2729号)

 米軍基地のある国の中にも米国に毅然として対峙している国も
あるのです。フィリピンがそうです。
 1986年2月フィリピンにおける民衆革命の成功によってマ
ルコス政権が倒され、コラソン・アキノ大統領の下で自由民主党
政府が成立してフィリピンは劇的に変化したのです。さらに19
87年2月には、フィリピン国民は圧倒的多数の投票で、フィリ
ピン国内の米軍基地の維持を継続する条件を制限する条項を含む
新しい憲法を批准したのです。
 この憲法を盾にしてフィリピンは米軍を基地から追い出したの
です。フィリピンは日本以上に米国への依存度が強い国ですが、
それでいてフィリピンと米国の関係はそれほど悪化していないの
です。日本も第3海兵遠征軍を国外に移すよう国会決議をすれば
可能ですが、その勇気が日本にないだけです。いや、そこまでし
なくても、もともと米軍は着々とグアムに海兵隊の移転を実行に
移しているからです。引き止めなければよいだけの話です。
 キルギス共和国という国があります。キルギス共和国は中央ア
ジアの北東部に位置し、西はウズベキスタン、北はカザフスタン
南はタジキスタン及び中国と隣接する国です。ここにも米軍基地
があるのですが、キルギス共和国政府は、米軍から空港使用料を
取り、しかも最近それを引き上げているのです。「米軍を駐留さ
せてやっている」キリギス共和国に対して「駐留していただいて
いる」日本――きわめて対照的です。
 辺野古の海域には、ジュゴンが10頭から50頭ほどいると推
測されています。ジュゴンは珊瑚に生える海草を餌にしているで
すが、海上に滑走路が建設されると、その珊瑚が死に絶え、ジュ
ゴンの餌がなくなり生存が脅かされるというのです。沖縄防衛局
の環境アセスメントは、非常にいい加減で結論ありきとしか思え
ない内容であり、そのやり直しを求め現在、提訴中であるといい
ます。ジュゴン保護運動は、米国の環境団体からの支援も受けて
おり、本国で訴訟も起こしているところです。
 既出の田中宇氏は、米前国防長官ラムズフェルド氏ですら、美
しい辺野古沿岸を壊すことになるので移設案には必ずしも賛成で
はなかったとして、次のように述べています。
―――――――――――――――――――――――――――――
 米軍再編は軍のハイテク化をともなうので、米国の防衛産業に
 は利益になる。防衛産業の代理人だった米国のラムズフェルド
 前国防長官は米軍再編の推進に熱心だった。彼は普天間基地も
 代わりの辺野古基地も要らないと思っていたようで、2003
 年の沖縄訪問時に「辺野古(移設案)はもう死んでいる」と述
 べた。彼は「辺野古の海は美しい」とも言い、反対派の理論に
 依拠して辺野古移設案を潰し、引き留める日本政府を振り切ろ
 うとした。しかしその後、日本政府による米軍再編への資金提
 供の追加買収作戟が効いたのか、ラムズフェルドは黙り、辺野
 古移設案は復活した。
 ――田中宇著、『日本が「対米従属」を脱する日』/風雲舎刊
―――――――――――――――――――――――――――――
 日本人の米国観は、すべて外務省というフィルターを通ったか
たちで作られています。日本の大学の国際政治学者は、外務省の
息のかかった人物が配置され、テレビなどによく登場する外交の
専門家の多くも外務省寄りの人物で占められています。
 新聞記者やテレビのコメンテーターなども、外務省の意向を無
視して書いたり、話したりすると、少しずつ第一線から外されて
いくようになっています。外務省の米国についての意向とは、次
のようなことです。
―――――――――――――――――――――――――――――
  1.米国は怖い。米国に逆らったら、日本は破滅する
  2.対米従属を今後も続ける限り、日本は安泰である
  3.日本独力では中国や北朝鮮の脅威に対抗できない
―――――――――――――――――――――――――――――
 米国が何を望んでいるかは、すべて外務省を通じて日本側に伝
えられ、通訳を務める外務省は、自分たちに都合のよい米国像を
日本人に植え付け、これまで日本人に一定の米国観を持たせるこ
とに成功しています。そして、日本が外務省の考え方と違う方に
動こうとすると、米国のVIPに頼んで、ガイアツをかけさせる
――まさに外務省は、米国という虎の威を借りる狐の役割を演じ
ているのです。
 そして、大新聞、テレビなどのマスコミも外務省と歩調を合わ
せて、対米従属プロパガンダ機構と化しています。したがって、
政治主導を貫こうとする民主党政権は、外務省をはじめとする巨
大な官僚機構と同様に巨大な宣伝力を持つマスコミを相手に戦う
必要があり、大変な苦労を強いられているのです。
 民主党政権は、政治主導を前面に掲げて、官僚のブリーフィン
グをいち早く禁止し、事務次官の廃止などを検討していますが、
これは政府の政策の方向が歪められるのを少しでも防ごうとして
いるのです。しかし、官僚機構はマスコミに情報をリークし、マ
スコミがそれにバイアスをかけて伝えるので、効果は上がってい
るとはいえない状況にあります。このことに関連して田中宇氏は
次のように述べています。
―――――――――――――――――――――――――――――
 官僚機構は、ブリーフィングや情報リークによってマスコミ報
 道を動かし、国民の善悪観を操作するプロパガンダ機能を握っ
 ている。冷戦が終わり、米国のテロ戦争も破綻して、明らかに
 日本の対米従属が日本の国益に合っていない状態になっている
 にもかかわらず、日本のマスコミ論調は対米従属をやめたら日
 本が破滅するかのような価値観で貫かれ、日本人の多くがその
 非現実的な価値観に染まってしまっている。
 ――田中宇著、『日本が「対米従属」を脱する日』/風雲舎刊
―――――――――――――――――――――――――――――
 来週のEJから、本来のテーマである小沢一郎が前面に登場し
てきます。           ―――[小沢一郎論/05]


≪画像および関連情報≫
 ●土佐高知の雑記帳/コラソン・アキノ元大統領の死を悼む
  ―――――――――――――――――――――――――――
  フィリピンのコラソン・アキノ元大統領が亡くなった。76
  歳、若すぎる死である。1986年のフィリピン革命の象徴
  であり、当ブログにとっては知り合いに似た人もいたので、
  ひと一倍親しみがあった。(中略)フィリピンはアメリカの
  基地協定拡張を拒否し、両基地はフィリピンに返還された。
  フィリピンの米軍基地は、途中で日本軍による占領もあった
  が、1903年から1991年まで88年も続いた。日本の
  米軍基地は1945年から64年。フィリピンと並ぶのは、
  2033年である。それまでに返還させられないものだろう
  か。http://jcphata.blog26.fc2.com/blog-entry-1593.html
  ―――――――――――――――――――――――――――

「日本が『対米従属』を脱する日」.jpg
「日本が『対米従属』を脱する日」
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2010年01月12日

●「普天間問題での鳩山と小沢の連携」(EJ第2730号)

 普天間の県外移設――これは選挙前から鳩山首相と小沢一郎幹
事長の間では合意ができていたのです。だからこそ、社民党との
連立に踏み切ったのです。
 これに対して岡田克也外相はどう対処したのでしょうか。
 岡田外相は一時は「嘉手納統合案」を目指したものの、それが
難しいとわかると、今度は、社民党が反対しても辺野古でやむな
しという考え方に傾き、その線で熱心に鳩山首相を説得し、年内
決着を迫ったのです。
 岡田外相には外務省がついており、結局外務省に取り込まれて
しまったと思われます。外務省は今回も「ガイアツ」をフルに利
用した疑いがあります。
 鳩山政権成立直後の9月23日、米国務省の東アジア担当者の
キャンベル次官補が来日して、岡田外相に次のように要請してい
ます。これはガイアツの第1弾です。
―――――――――――――――――――――――――――――
   新政権は、前政権が決めたとおりにやってほしい
―――――――――――――――――――――――――――――
 まず、キャンベル次官補が最初にクギを刺したのです。続いて
ガイアツの第2弾がきたのです。それは、10月20日に来日し
たゲーツ国防長官です。彼は岡田外相に対して強い調子で次のよ
うに述べたといわれます。これは恫喝そのものです。
―――――――――――――――――――――――――――――
 普天間基地の移転先は辺野古しかない。日本は2006年に米
 側と合意したとおりにやってほしい。11月12日のオバマ大
 統領来日までの間に決めてほしい。普天間の代替先が決まらな
 い限り、海兵隊のグアム移転もやらない。
  ――田中宇著『日本が「対米従属」を脱する日』/風雲舎刊
―――――――――――――――――――――――――――――
 ここから日本のマスコミによる鳩山政権の総攻撃が始まったの
です。彼らは鳩山政権が米国から恫喝されるのを待っていたので
す。「米国は怒っている」「日米同盟が危ない」――対米従属の
プロバガンダ機関と化している日本のマスコミは、外務省と結託
して鳩山政権の支持率を下げようと、キャンペーンをはじめたよ
うにみえます。相当割り引いて考えてみても、鳩山政権に対する
マスコミの報道姿勢はいささか異常であると思います。
 わからないのは、ゲーツ国防長官です。これではまるで沖縄県
民の怒りをわざと増幅させているように見えます。それに米国の
本音は、あくまで2014年までに海兵隊のグアムへの全面移転
なのです。田中宇氏は、ゲーツ国防長官の恫喝について面白い分
析をしていますが、これについては改めて述べます。
 実は米軍基地は沖縄にとって痛し痒しなのです。なぜなら、沖
縄は、経済面で米軍基地に負うところが大きく、基地は経済的な
「必要悪」であったからです。そのため、1999年の調査では
基地移転については賛成と反対が拮抗していたのです。
 しかし、ゲーツ国防長官の高圧的な要求に反発して沖縄の世論
は反米的な傾向を深めたのです。沖縄県民の70%が普天間基地
は県外か国外に移すべきであると考えており、県民の67%が普
天間基地の移転先を辺野古沖にすることに反対しているのです。
賛成はわずか20%に過ぎないのです。
 普天間問題について鳩山首相はブレているとよくいわれます。
しかし、他のことは別として、こと普天間の問題に関しては、鳩
山首相は一貫しています。あくまで「普天間基地は県外、国外に
移転する」――まったくブレていないのです。ただ、岡田外相や
北沢防衛相がごちゃごちゃいうので、鳩山政権が何を目指してい
るのか不透明になっているだけです。それは、それぞれの大臣の
バックにいる官僚機構がそういわせているのです。
 しかし、鳩山首相は年内に決めるとはっきりいっていました。
この発言を多くの国民は「年内に辺野古に決めるんだな」と勝手
に解釈していましたが、どうやら違うようです。辺野古を完全に
捨てたわけではないものの、あくまで「県外」にすることを米国
側に伝え、その代替地を5月までに決めると明言したのです。こ
れを境に米国はこの問題について発言しなくなったのです。
 その決断は、12月4日に行われたとみられる鳩山首相と小沢
幹事長の首相公邸における極秘会談によって両者で確認されたも
のであると思われるのです。この会談は鳩山首相は認め、小沢幹
事長は「会ってはいない」とシラを切っていますが、会談が行わ
れたことは確かです。
 ちょうどその12月4日には、外務省において日米閣僚会議作
業部会が開かれていたのです。この会議において、ルース駐日大
使は日米合意を改めて強く迫ったといいます。
 それでは、この極秘会談では何が話し合われたのでしょうか。
民主党の中枢筋によると、次のようなことだったといわれます。
―――――――――――――――――――――――――――――
 会談のメインテーマは普天問だった。総理は岡田外相や外務省
 がアメリカの意向を尊重すべきだという態度を強めていること
 を説明したが、小沢幹事長は、外交の最終権限者は総理大臣で
 あると主張し、総理の思う通りにやるべきだと背中を押した。
               ――SAPIO/1月27日号
―――――――――――――――――――――――――――――
 その後、普天間問題について岡田外相や北沢防衛相は完全に口
を閉ざし、鳩山首相だけが発言するようになったのです。これに
よってもはや辺野古への移転はほぼなくなったといえます。
 問題は鳩山首相が普天間の代替地をどこに決めようとしている
かということです。おそらくそれは、最もお金がかからず、素早
く決められるところになると思われます。なぜなら、米海兵隊が
グアムに全軍移転することは間違いないからです。
 ちなみに辺野古沖は、米国側が強く望んだものではなく、日本
側が米国側を説得したものなのです。果たして鳩山政権は本当に
5月までに代替地を決められるのでしょうか。どこか、アテがあ
るのでしょうか。        ―――[小沢一郎論/06]


≪画像および関連情報≫
 ●
  ―――――――――――――――――――――――――――
  【ワシントン=有元隆志】ゲーツ米国防長官は23日、日韓
  など一連の訪問日程を終えた。ともに同盟国である日本と韓
  国との連携を図るのが目的だったが、日本との間では普天間
  飛行場(沖縄市宜野湾市)の移設問題などで進展がなかった
  のに対し、韓国とは「拡大抑止」の強化で合意するなど対照
  的な結果となった。現在の日米関係について「最悪といわれ
  た盧武鉉前政権下の米韓関係よりもひどい状況(米政府元当
  局者)との声も出ている。
http://sankei.jp.msn.com/world/america/091024/amr0910241736008-n1.htm
  ―――――――――――――――――――――――――――

ゲーツ国防長官来日.jpg
ゲーツ国防長官来日
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2010年01月13日

●「辺野古案は自民党の沖縄利権」(EJ第2731号)

 沖縄の日米合意──辺野古移転案はどのようにしてできたので
しょうか。昨日のEJでも述べたように、米国側が望んだもので
はないのです。
 キャンプ・シュワブ沖の埋め立て計画は、自民党政権の「沖縄
利権」なのです。日米両政府が普天間基地の返還で合意したのは
橋本政権下の1996年のことです。
 橋本首相(当時)は、SACO(日米特別行動委員会)の最終
合意で辺野古移転案が決まると、新基地受け入れの見返りとして
名護市などの沖縄北部地域に基地建設費とは別に年間100億円
──10年間で1000億円の公共事業を行うことにし、その差
配権を経世会(旧橋本派)が握ったのです。
 橋本元首相が参院選の惨敗で破れると、今度は小渕首相がその
差配権を引き継ぎ、沖縄サミットを行うなど地元と太いパイプを
築き上げたのです。しかし、小渕首相の死で経世会は地元への影
響力を失い、基地移転事業の主導権は清和会(旧森派)が握るこ
とになったのです。
 軍事評論家の田岡俊次氏によると、はじめは「嘉手納統合案」
でまとまりかけたというのです。当初日本は最もお金のかからな
いこの案を米軍に提案したのですが、最初は米軍が難色を示した
のでまとまらなかったのです。
 しかし、2005年2月には今度は米軍が嘉手納統合案を受け
入れてもいいといってきています。しかし、そのときは日本側が
この案を蹴ったのです。なぜ、断ったのでしょうか。
 嘉手納統合案では、大部分は既存の施設が使えるので、別の基
地を作る必要はないのです。しかし、タダ同然でやれる案では、
小泉政権としては日本側の利権配分ができないので反対したので
す。こういう事実は、マスコミは知っていても絶対に書かないし
報道しないのです。それはマスコミが官僚機構に取り込まれてし
まっているからです。したがって、マスコミ報道だけで沖縄問題
を考えると間違った考え方を持ってしまう恐れがあります。
 岡田外相はこういう事実があったことを知り、嘉手納統合案に
飛びついたのです。米軍は一度は自ら嘉手納統合を申し出ている
ので、可能性があるかもしれないと考えるのは当然のことです。
しかし、その米軍もこの利権にかかわっているので──密約があ
るかもしれない──今度は米軍が頑なに岡田外相の提案を拒否し
たのです。田岡俊次氏は次のようにいっています。
―――――――――――――――――――――――――――――
 辺野古での新滑走路の工法についても、メガフロート(海上に
 浮かべる巨大な鉄の”いかだ”)案が出ると、「造船会社しか
 儲からない」と言われ、橋のような構造物という案には「マリ
 コン(海洋での工事を得意とするゼネコン)しかできないから
 地元に金が落ちない」と反対され、結局、沖縄の土建業者も潤
 う埋め立てになった。最初から利権絡みだったのです。
               ――SAPIO/1月27日号
―――――――――――――――――――――――――――――
 そこで、小泉政権は、滑走路1本の当初計画から、より埋め立
て面積の多い滑走路2本の「V字案」に拡張したのです。何のこ
とはない。国土防衛のためでも何でもなく、ただの土木工事の利
権問題に過ぎないのです。
 鳩山首相の故人献金問題や小沢幹事長の疑惑については、これ
でもかこれでもかと書き立てるマスコミは、こういうことについ
ては、すべて事実を掴んでいるにもかかわらず、一切報道しない
のです。いや、できないのです。
 鳩山首相と小沢幹事長が最初から「県外移設」を唱えていたの
は、こういう自民党の公共事業利権を潰して、白紙に戻すことを
狙ったものであり、社民党への配慮などではないのです。
 鳩山首相は、普天間問題については、岡田、北沢両大臣による
年内決着の要請にもかかわらず、のらりくらりと結論を先送りを
やっているように見えます。しかし、これは単なる優柔不断では
なく、十分成算のあることであり、けっして問題の先送りではな
いのです。
 鳩山首相は、沖縄県民に立ち上がって欲しいと考えているので
す。1月24日に投開票が迫っている名護市長選で、もし、辺野
古沖移転に反対する新人で前市教育長の稲嶺進氏が現職の島袋吉
和氏に勝つようなことがあると、沖縄県民の「基地はいらない」
の声ははっきりと前面に出てきます。
 そうすると、普天間問題は沖縄の問題の枠を超えて、日本の問
題になり、本土を巻き込んだ大議論に発展することになります。
そうなると、マスコミも官僚傘下の呪縛から解き放たれ、本当の
ことを書かなければならなくなる──鳩山首相は、そうなるのを
待っているのではないでしょうか。
 さて、問題は普天間の代替地はどこになるのでしょうか。最終
的には米海兵隊はグアムに引き上げると思われるが、日本がこの
まま具体的に代替地を示さないわけにはいかないのです。そうし
ないと、米国は本気で日本に対して不信感を持ち、日米関係にひ
ずみができる恐れがあるからです。
 実はここにひとつの代替地の候補があります。それは、宮崎県
の航空自衛隊新田原(にゅうたばる)基地です。ここには航空自
衛隊の第5航空団や飛行教導隊──空中戦教育部隊の本拠が置か
れています。面積は普天間の2倍近い9135平方キロメートル
に及ぶのです。鳩山首相は、選挙前からこの新田原基地について
九州出身議員と協議を重ねており、急に思いついた候補地ではな
いのです。辺野古案では埋め立て工事だけで5年はかかるが、新
田原基地であれば、5月に決定されれば年内にも移転は可能にな
るのです。
 もちろん簡単な話ではないのです。宮崎県民の反対もあるだろ
うし、利権を奪われるかたちになる自民党は死に物狂いで反対し
てくるはずです。しかし、宮崎県の県民所得は沖縄に次ぐワース
ト2であり、宮崎県復興のことを考えると、少なくとも辺野古よ
りもハードルは低いと考えられます。――[小沢一郎論/07]


≪画像および関連情報≫
 ●鳩山首相側近議員の話から・・・
  ――――――――――――――――――――――――――─
  まだ、プランの段階で、防衛省や地元自治体への根回しはこ
  れからだが、3000億円以上かかる辺野古案に比べると新
  田原は既存の施設が使えるし、現在進められている拡張工事
  を修正すれば、移設コストはかなり安い。もともと米軍と自
  衛隊の共同訓練を前提に整備してきた基地なので、米軍の立
  場から見てもハードルは高くない。
               ――SAPIO/1月27日号
  ――――――――――――――――――――――――――─

田岡俊次氏.jpg
田岡俊次氏
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2010年01月14日

●「なぜ、今まで対米従属を続けたのか」(EJ第2732号)

 最近よく聞く言葉に「多極化」というのがあります。「一極集
中」の反対語です。これまで日本がとってきた「対米従属」の外
交は「一極集中」ということになります。
 田中宇氏は、この「多極化」という言葉をよく使います。世界
は多極化しつつある――田中氏の著書には、この言葉が多く登場
します。
 田中宇氏によると、米国はもともと多極主義の国であるという
のです。それは、自国が中心となって戦後の世界体制として結成
した国連の中枢である安保理常任理事国に、ソ連や中国のような
共産主義国家を加えたことにあらわれています。つまり、第2次
世界大戦の直後の段階では、米国はソ連や中国を敵視するつもり
はなかったのです。
 しかし、1950年に状況が一変します。朝鮮戦争が起こった
のです。ここで米国中枢ではそれまでの多極化推進派が後退し、
ソ連や中国を恒久的な敵とみなす冷戦派が台頭したのです。
 実はこれが日本には幸いしたのです。その理由について田中宇
氏は次のように述べています。
―――――――――――――――――――――――――――――
 第2次大戦後、もし冷戦が起こらず、米国が多極主義的な戦略
 を続けていたら、米国にとって東アジアで最も重要な国は共産
 中国となり、中国は軍事拡大や社会主義イデオロギーよりも経
 済発展が重視される傾向が続き、文化大革命も起きず、実際よ
 り30年早く経済発展の軌道に乗っていた可能性がある。米中
 関係が良好であるほど、日本は米国から軽視され、米国からの
 経済援助も日本ではなく中国に向けられていただろう。朝鮮戦
 争によって冷戦がアジアに波及し、米中が敵対する体制が固定
 化されたことは、日本にとってまさに「神風」であった。冷戦
 体制下で、日本は米国から気前のよい経済支援を受け続け、日
 本企業は技術面でも米国から大事なことを学び、日本の高度成
 長が実現した。
  ――田中宇著『日本が「対米従属」を脱する日』/風雲舎刊
―――――――――――――――――――――――――――――
 なぜ、多極主義が必要かというと、欧米や日本のような先進国
は、既に経済的に成熟しているので、今後あまり経済成長が望め
ないのです。したがって、いつまでも欧米中心の世界体制を続け
ることは、世界経済全体の成長を鈍化させてしまうことになるの
で、好ましいことではないのです。
 したがって、欧米中心主義を捨てて、いわゆるBRICsのよ
うな途上国に投資し、経済発展を促進させる必要が出てくるので
す。これが多極主義です。
 田中宇氏によると、これは「資本の論理」に基づいているとい
うのです。産業革命は英国で始まりましたが、英国の資本家たち
は自分たちが開発した技術を積極的に途上国に輸出し、多くの国
々でも産業革命を起こしてもっと稼いだのです。
 もし、そういう資本家たちが愛国主義者だったら産業革命で得
られた技術を国外に出さなかったと思われますが、実際は資本家
は英国の産業革命が一段落したら、英国を捨てて他の国に投資し
ているのです。つまり、欲得というものが愛国心などのイデオロ
ギーを超えている――これが資本の論理というものです。
 しかし、日本は1989年にベルリンの壁が崩壊し、冷戦が終
結した後も対米従属を続けています。最初のうちは、米英では金
融自由化による金融主導の経済発展体制が構築されたので、その
戦略は結果としてよかったのですが、1998年のアジア通貨危
機を契機にその体制が壊れてくると、対米従属主義はマイナス面
が多くなってくるのです。この時点で日本には、次の2つの選択
肢があったのです。
―――――――――――――――――――――――――――――
     1.これまで通り対米従属主義を継続する
     2.中国と協調し、アジア重視に転換する
―――――――――――――――――――――――――――――
 このとき出てきたのが、日本、米国、中国が等距離な正三角形
の関係になるべきであるという主張です。この考え方を主張した
のは、民主党の小沢一郎と自民党の加藤紘一などの政治家です。
 しかし、9・11が起きると、世界が対米従属を強めるなか、
当時の小泉首相は米ブッシュ首相との個人的人間関係から、強い
対米従属の姿勢をとりましたが、その本心は別であったのです。
 それは、2002年の小泉首相による北朝鮮への電撃訪問に見
ることができます。とにもかくにも金正日に拉致を認めさせると
ともに数人の拉致被害者を日本に連れて帰ったのですから、歴代
政権では成し得なかった大変な成果です。小泉首相はこのとき本
気で日朝関係改善を図る気持であったと考えられます。
 少なくとも小泉首相は、上記2つの選択肢のうち、2のアジア
重視を取る気持があったと思われます。これは優れた外交センス
であるといえます。しかし、日本では北朝鮮敵視のプロバガンダ
が強まり、事態は悪化し、中国との関係は自ら靖国神社に参拝す
ることによってすべてを壊してしまったのです。
 しかし、既にブッシュ政権のときから、いつまでも対米従属を
続ける日本に米国はむしろ冷淡になっていったのです。外交ジャ
ーナリストの手嶋龍一氏は、あの小泉政権のときから、「日米の
関係は冷え切っている」と明言していたのです。
 ところがです。2009年8月の選挙で政権交代が起こり、民
主党の鳩山政権が誕生すると、鳩山首相は米国に対しては「対等
な日米関係」を主張し、その分中国に接近してともに東アジア共
同体を推進しようと持ちかけるなど、明らかに対米従属から多極
主義に舵を切っています。
 鳩山政権は、その外交政策や沖縄問題の日米合意の見直しを要
求するなど、米国の怒りを買っているとマスコミにさんざん叩か
れていますが、本当にそうなのでしょうか。よく調べてみると、
そうともいえないことが起こってきているのです。
               ―― ―[小沢一郎論/08]


≪画像および関連情報≫
 ●多極化とは何か/坂本・中村両教授の解説
  ―――――――――――――――――――――――――――
  超大国以外ののいくつもの国が世界に影響の及ぶ争点に関し
  て主導性を発揮し、重要な決定に参加、秩序形成・維持を担
  う傾向と、それに伴う世界秩序再編成の過程。1960年代
  以降、二極システムが崩れる政治変動が始まり、70年代以
  降には米ソの経済能力が相対的に低下し、特に91年のソ連
  解体以降、二極システムは決定的に崩壊した。90年代の世
  界は多極化の様相が強まり、米・欧・日の三極システムなど
  と呼ばれることがあった。反対に2000年前半には、唯一
  の超大国となった米国の単独行動かが顕著になり、米国によ
  る一極支配の様相が強まった。ただし、2000年代後半に
  入ると、BRICsの台頭、米欧間の距離の広がりなどから
  再度、多極化の様相が強まっている。まだ新しい国際システ
  ムは明確になっていない。――坂本義和東京大学名誉教授/
  中村研一北海道大学教授――
  ―――――――――――――――――――――――――――

小泉首相とブッシュ大統領.jpg
小泉首相とブッシュ大統領
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2010年01月15日

●「安保理決議1887の意味するもの」(EJ第2733号)

 国連の安保理常任理事国──国際連合安全保障理事会常任理事
国は次の5ヵ国で構成されています。
―――――――――――――――――――――――――――――
           1.アメリカ合衆国
           2.イギリス
           3.中華人民共和国
           4.フランス
           5.ロシア
―――――――――――――――――――――――――――――
 2009年9月末、米大統領が議長を務める安保理事会を開き
核拡散防止条約(NPT)の強化や米露核軍縮の推進によって、
世界の完全な核廃絶を目指すことを決めています。「安保理決議
1887」がそれです。
 これは何を意味するのでしょうか。
 安保理常任理事国の5ヶ国は、いずれも核兵器を保有しており
それが常任理事国であることにつながっています。つまり、米国
はこれらの常任理事国が核武装することを暗黙のうえ認めてきた
疑いがあります。5大国による世界支配体制を作るためです。
 しかし、「安保理決議1887」は、そういう5ヶ国の核廃絶
を求めているのです。現在では、5大国以外にも核兵器を保有す
る国が増えてきており、そういう意味からも「安保理決議188
7」が決議されたのです。
 核兵器は実際に使えない兵器です。しかし、核兵器は単独覇権
型の世界支配の道具としては使えます。「核の力」で紛争を抑止
するからです。
 これに対して多極型の世界──国家間民主主義の場である国連
では、「核の力」ではなく「数の力」がモノをいうようになって
きています。これによって現在、国連では、BRICsや発展途
上国の発言力が増加しつつあります。
 米国のオバマ政権の誕生を契機として、こうした多極型の世界
がしだいに形成されつつあるのです。それはどのような世界なの
でしょうか。田中宇氏は次のように述べています。
―――――――――――――――――――――――――――――
 国連が世界政府となる多極型の新世界秩序は、世界の各地域が
 その地域の大国を中心に協調し、内戟や紛争をできるだけ地域
 内で解決する体制である。従来のような、米英が全世界の地域
 紛争に介入する体制は終わる。米国は、世界の中心から北米地
 域の中心に自らを格下げする。東アジアでは中国が中心となり
 そうだ。こうした政治面での地域ごとの安保体制作りは、経済
 面での地域通貨統合や自由貿易圏作り、IMFでの新興諸国の
 発言権増大などと並行して進んでおり、全体として世界体制の
 多極化の流れとなっている。
  ――田中宇著『日本が「対米従属」を脱する日』/風雲舎刊
―――――――――――――――――――――――――――――
 そういう時代においても日本は「対米従属」を取り続けていま
す。何とかアジア重視に舵を切ろうとした小泉政権に続く安倍政
権、福田政権、そして麻生政権はいずれも対米従属を続けようと
していたのです。
 どうしてそこまで「対米従属」にこだわるのでしょうか。
 戦後の日本は、米国中枢内の多極主義派と米英中心主義派のう
ち、米英中心主義派、すなわち、冷戦派の影響を強く受けている
のです。その冷戦派は占領軍として、日本に政治家よりも官僚機
構が権力を持つ現在の国家統治スタイルを築き上げたのです。そ
の方が日本をコントロールしやすいと考えたからです。そのスタ
イルが現在まで続いてきたのです。
 ところが、民主党政権になって政治主導が打ち出され、戦後現
在まで続いてきたスタイルが崩れそうになってきています。その
ため、官僚機構は何とかして「対米従属」に戻そうとして必死に
なっているのです。
 しかし、現在米国はオバマ大統領の率いる民主党政権になって
おり、多極主義派が力を持っています。もちろん表面的には米英
中心主義を続ける姿勢ですが、オバマ大統領が就任後にやってい
ることを分析すると、明らかに多極主義に向かうことを決めてい
るようにみえます。したがって、田中宇氏は、オバマ政権のこと
を「隠れ多極主義」と名付けているのです。
 小泉政権を引き継いだ安倍首相と麻生首相は、米大統領と会談
できる前に半年間待たされています。とくに安倍首相の場合は、
強い対米従属を考えていたにもかかわらず、訪米の前に訪中・訪
韓を、おそらく米国の強い要望によってさせられているのです。
 麻生首相は就任後にブッシュ大統領と会おうとしたのですが、
折からのリーマンショックなどの金融危機への対応を理由に断ら
れています。結局オバマ大統領になってから、2月25日に会っ
ていますが、歓迎の晩さん会もなく、ワーキング・ランチで片づ
けられています。安倍元首相も同様です。
 しかし、鳩山首相は就任から10日後の9月23日にオバマ大
統領と会っています。そんなこと、たまたまニューヨークでの国
連総会に両者が出ていたので会えたに過ぎないのではないかと考
える人が多いと思いますが、その前にオバマ大統領に正式会談を
申し入れていた英国のブラウン首相が断られているのです。
 まして鳩山首相は就任前から反米的とみなされる方針や言動を
発しており、米国が会談を断ってもおかしくはなかったのです。
それが25分間ではあっても、あっさりと会ってくれ、悪意のあ
るメッセージを何も受けていないのです。しかも、11月12日
にはオバマ大統領は来日を果たしているのです。
 それに対してブラウン首相は、条件を変えて5回もオバマ会談
を要請したのですが、すべて断られています。そこでブラウン首
相は国連本部内でオバマ大統領を追っかけ、人混みを避ける目的
裏道として厨房内を通ったとき、オバマ大統領をつかまえて10
分ほど立ち話をしたというのです。鳩山首相がオバマ大統領にす
ぐ会えたのは大変なことなのです。―――[小沢一郎論/09]


≪画像および関連情報≫
 ●オバマは隠れ多極主義である
  ―――――――――――――――――――――――――――
  オバマは国連総会を機に鳩山のほか、中国、ロシアの首脳と
  も2者会談を行った。オバマが親米のはずの英国との会談を
  断る一方、反米的な中露とは会談したのはいかにも「隠れ多
  極主義」的だが、会談相手の中に反米的な日本の鳩山が入っ
  ているのは、新政権になった日本がようやく世界の多極化に
  対応して「非米同盟」の方向に傾いたことを象徴しており、
  興味深い。
  ――田中宇著『日本が「対米従属」を脱する日』/風雲舎刊
  ―――――――――――――――――――――――――――

ブラウン英国首相.jpg
ブラウン英国首相
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2010年01月18日

●「小沢秘書逮捕で報道されない事実」(EJ第2734号)

 1月15日夜、民主党の小沢一郎幹事長の資金管理団体「陸山
会」の土地購入問題で東京地検特捜部は、同党衆議院議員(北海
道11区)の石川知裕容疑者ら3人を政治資金規正法違反(虚偽
記載)で逮捕するという事件が起こっています。国会開会目前に
なぜ、このようなことになったのでしょうか。
 注目すべきは、既に逮捕・起訴され、公判中の小沢氏の公設第
一秘書までも逮捕されるという展開になったことです。EJでは
現在、小沢一郎論を書いており、このことにまったく触れないで
書き続けることは不自然であると思われます。といっても、まだ
事実が不透明なこの時期に、メルマガで私的意見を述べるのはふ
さわしくないと考えます。
 しかし、この事件に関して、新聞やテレビが正面から報道しな
い2つの事実については、この事件の今後の推移を正しく判断す
るのに影響を与えると思うので、記述することにします。
 2つの事実の第1は、今回の捜査の指揮を執る東京地検特捜部
のトップである佐久間達哉特捜部長のこれまでの実績です。佐久
間氏が現在の地位に就いたのは、2008年7月のことです。
 佐久間氏の特捜部長就任から4日後のことです。最高裁は、旧
長銀の粉飾決算事件で証取法違反などに問われた大野木克信元頭
取ら3人に逆転無罪判決を言い渡したのです。過去に特捜部が手
がけた重大事件で、被告全員の無罪が確定するというのは、極め
て異例なことなのです。
 といっても、この逆転無罪事件と今回の政治資金規正法違反事
件とどういう関係があるのか、多くの人はわからないでしょう。
それは大マスコミが重要なことを報道しないからです。
 実は、この事件を事実上起訴に導き、立件したのが、当時主任
検事であった佐久間達哉氏その人であったのです。それが最高裁
まで引っ張って、揚げの果てが「無罪」――特捜の完敗です。
 この事件の結末について、東京地検事情通は、次のようにコメ
ントしています。
―――――――――――――――――――――――――――――
 戦後最大の粉飾決算事件といわれた旧長銀事件を立件にこぎつ
 けたことが評価され、佐久間氏は、法務・検察の各主要ポスト
 を歴任、在米大使館書記官も経験するなど順調に“赤レンガ派
 の超エリート街道″を歩んできました。特捜部長に就任た途端
 出世のきっかけとなった事件が最高裁で覆されてしまうとは、
 さぞかし不名誉なことだったでしょう(東京地検事情通)
        ――日刊ゲンダイ/1月15日(14日発行)
―――――――――――――――――――――――――――――
 これだけのことであれば、特捜検事も神様ではないのだからそ
ういうこともあるということになるでしょう。しかし、佐久間氏
については、まだあるのです。
 佐久間氏が特捜部副部長時代に手がけた佐藤栄佐久前福島県知
事の収賄事件でも、その結果にケチがついているのです。司法関
係者のコメントを引用します。
―――――――――――――――――――――――――――――
 佐久間氏ら特捜部は、贈賄側のゼネコンが、前知事の親族会社
 の所有地購入に支払った約8億7000万円と、時価総額8億
 円との差額が収賄に当たると主張。一審判決では、特捜部の主
 張が支持されましたが、二審では退けられ、前知事は懲役3年
 ・猶予5年から、懲役2年・猶予4年に減刑されました。特捜
 部の主張の根幹が崩れたことで、二審判決は「実質無罪」と評
 価する声もあるほどです。(司法関係者)
        ――日刊ゲンダイ/1月15日(14日発行)
―――――――――――――――――――――――――――――
 この件については、1月16日の「ウェーク」(日本テレビ)
に出演したコメンテーターの江川紹子氏も石川逮捕に関連してこ
れに言及し、「福島県知事事件では裁判毎に事件がどんどん小さ
くなっている」として「検察のやることはすべて正しい」と考え
て報道するのは問題であると主張しているのです。
 2つの事実の第2は、1月13日に開かれた小沢一郎幹事長の
公設第一秘書、大久保隆規容疑者の第2回公判において、ある事
件があったことです。多くの新聞は、小沢事務所の捜索について
大きく紙面を取って報道しているのに、この公判については関連
があるのにほとんど報道していないし、報道していても肝心なこ
とには明確に触れていないのです。
 この日の公判では、「検察側」の証人として、西松建設の岡崎
彰文・元取締役総務部長の尋問が行われたのです。このとき岡崎
元部長は、西松建設OBを代表とした2つの政治団体について、
次の重要発言をしているのです。
―――――――――――――――――――――――――――――
      西松建設のダミーだとは思っていない
―――――――――――――――――――――――――――――
 これは検察側にとっては大ショックなのです。なぜなら、これ
は大久保秘書を立件した根幹に関わる点であるからです。岡崎氏
裁判官の尋問に対しても「2つの政治団体は事務所も会社とは別
で、家賃も職員への給与も団体側が支払っていた」と証言してい
るのです。これについての検察側と岡崎氏とのやりとりは、次の
ようになっています。
―――――――――――――――――――――――――――――
 大慌てした検察側が、「あなた自身が訴訟を起こされることが
 心配で、本当のことを話せないのでは」と聞いても「なぜそん
 なことをいわれるかわからない。もともとダミーとは思ってい
 なかった」と話した。
        ――日刊ゲンダイ/1月16日(15日発行)
―――――――――――――――――――――――――――――
 裁判の焦点は、大久保が2つの団体をダミーと認識していたか
どうかの一点であり、これが崩れると、検察側は一挙に苦境に追
い込まれます。無罪もあり得る展開です。マスコミはなぜ報道し
ないのでしょうか。       ―――[小沢一郎論/10]


≪画像および関連情報≫
 ●ネットや週刊誌の方が「真実」を伝えている
  ―――――――――――――――――――――――――――
  西松建設の違法献金事件で、政治資金規正法違反(虚偽記載
  など)に問われた小沢一郎民主党幹事長の公設第1秘書、大
  久保隆規被告(48)の第2回公判が13日、東京地裁(登
  石郁朗裁判長)で開かれ、献金の窓口役だったとされる同社
  元総務部長(68)が証言した。今月26日の第3回公判で
  被告人質問を行うが、これで実質的な審理は終了し2月26
  日の公判で結審する公算が大きくなった。元部長は、検察が
  西松のダミーと主張する二つの政治団体について「外部の政
  治団体という認識でダミーとは思っていない」と証言。大久
  保被告が2団体をダミーと認識していたかは主な争点の一つ
  となっている。    ――毎日jp/ニュース・セレクト
  ―――――――――――――――――――――――――――

逮捕された石川議員.jpg
逮捕された石川議員
posted by 平野 浩 at 04:17| Comment(2) | TrackBack(0) | 小沢一郎論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年01月19日

●「『日米安保で飯を食う人たち』の奴顔」(EJ第2735号)

 沖縄の普天間問題の本当のあるべき姿の考察を終えて、メイン
テーマの小沢一郎論に今週から入ろうと思っていたのですが、岩
波書店の雑誌『世界』の次の特集を読んで、もう少しこの問題に
ついて考えてみたいと思います。
―――――――――――――――――――――――――――――
        特集/普天間移設問題の真実
―――――――――――――――――――――――――――――
 これは、9本の論文と4人のインタビュー記事を含む文字通り
の大特集です。その中でも冒頭の寺島実郎氏による次の論文は、
日本人必読であると考えます。沖縄問題は、大新聞やテレビの報
道だけでは真実が見えなくなるからです。
―――――――――――――――――――――――――――――
  寺島実郎氏
  「常識に還る意思と構想――日米同盟の再構築に向けて」
―――――――――――――――――――――――――――――
 ひとつ思い出していただきたいことがあります。それは海上自
衛隊のインド洋での給油活動です。かねてから自民党やマスコミ
は、もし、インド洋の給油をやめてしまうと、日米関係はおかし
くなると大合唱してきたはずです。
 しかし、民主党政権が米国と交渉すると、条件付きながら意外
にあっさりと米国はそれを受け入れています。そうなると、自民
党やマスコミは一転してそれをいわなくなり、今度は普天間問題
にすり替えて民主党批判の大合唱をやっています。
 そのインド洋の給油は、先週の金曜日の15日に終了しました
が、新聞はほんの数行報じただけです。これについて、寺島実郎
氏は、上記論文の中で次のように論じています。
―――――――――――――――――――――――――――――
 この間まで、「インド洋への給油活動こそ日米同盟の証であり
 これがなくなれば、日米同盟は破綻する」と言っていた人たち
 は、今度は「普天間問題での日米合意をそのまま実行しなけれ
 ば日米同盟は破綻する」と主張し始めた。また、在ワシントン
 の日本のメディアにも「良好な日米関係破綻の危機迫る」との
 発信しかできない特派員が少なくない。   ――寺島実郎著
 『常識に還る意思と構想――日米同盟の再構築に向けて』より
           『世界』/2010年2月号/岩波書店
―――――――――――――――――――――――――――――
 寺島実郎氏は、このように米国の顔色を伺いながら、日米の軍
事同盟をあたかも絶対に変更のできない与件として固定化し、そ
れに少しでも変更を加えようとする議論に対して極端な拒否反応
を示す人たちの顔が「奴顔」になっていると嘆いています。
 「奴顔」というのは、中国の作家の魯迅が使った言葉であると
いわれます。魯迅は、20世紀初頭の中国人の顔が、長い植民地
時代の間に「奴顔」になってしまったと嘆いたのです。奴顔とは
虐げられることに慣れて強いものに媚びて生きる人間の表情であ
り、寺島氏によると、そういう奴顔の人が日米関係に携わる人の
間――とくに外務省に多くなっているというのです。
 寺島氏によると、ワシントンには「知日派・親日派」といわれ
る人たちがいて、彼らは「日米同盟は永遠の基軸」であると謳い
基地を受け入れる日本の「責任」に言及し、それに加えて、「国
際貢献」という名の対米協力を求めるのです。
 もちろん日本側にもそれらの人に対応する「知米派・親米派」
という人たちがいて、その相互依存が長い間にわたって、日米関
係を規定してきているというのです。知日派・親日派の米国人は
拉致問題などでの日本からの来訪者があると丁重に迎え、何かと
面倒を見たりするのです。したがって、多くの日本人は彼らを日
本の味方だと信じて疑わないのです。
 寺島氏にいわせると、そういう知日派・親日派とそれに対応す
る知米派・親米派の人たちを総称して「日米安保で飯を食べてい
る人たち」であるといい、日本人はそういう人たちから距離を置
くべきであると主張しているのです。
 こうした知日派・親日派の人たちは、しばしば日本でのシンポ
ジウムに参加し、日米同盟の重要さを説いており、マスコミはそ
れを大々的に報道するので、私たちは、こうした「日米安保で飯
を食べている人たち」の主張を通して日米同盟というものをとら
えてきたことになります。
 しかし、寺島氏が幅広い世界認識を持つ米国の知識人に日米関
係の現状を問うと、その実情をほとんど知らないというのです。
―――――――――――――――――――――――――――――
 驚くべきことにワシントンにおける最高レベルの知識人や国際
 間題の専門家でさえ、日米関係に関与していない人たちの多く
 は日米同盟の現実(米軍基地の現状や地位協定の内容)を知ら
 ない。むしろ、こんな現実が続いていることに、「米国の国益
 は別にして」と付け加えながらも、怪訝な表情と率直な疑問が
 返ってくるのである。    ――寺島実郎氏の前掲論文より
―――――――――――――――――――――――――――――
 米国が世界に展開している、大規模海外基地の上位5つのうち
の4つが実は日本にあるのです。その4つとは、横須賀、嘉手納
三沢、横田です。戦後65年目を迎え、冷戦の終焉から20年が
経過しようとしてるのにこの有様です。
 しかも、在日米軍の地位協定上のステータスは、ほとんど占領
軍の基地時代の「行政協定」のままであり、日本側の主権が極め
て希薄であって、本来地位協定に定めのない日本側のコストまで
生じているのです。
 このような国は世界で日本だけであり、当の国民もその直接影
響のある沖縄県民以外はこの問題に意外に無関心です。どうして
こうなったかは、いわゆる「日米安保で飯を食べている人たち」
によって規定されてきた日米安保のあり方をそのまま受け入れて
しまったことにあるのです。しかも、1997年に行われた「ガ
イドラインの見直し」は、日本をさらに大きな危険に巻き込む可
能性を秘めているのです。    ―――[小沢一郎論/11]


≪画像および関連情報≫
 ●寺島実郎氏のプロフィール
  ―――――――――――――――――――――――――――
  1947年北海道生まれ。早稲田大学大学院政治学研究科修
  士課程修了。1973年三井物産入社、ニューヨーク本店業
  務部情報・企画担当課長、ワシントン事務所長を経て、19
  97年〜三井物産戦略研究所所長(現職)。2001年〜財
  ――日本総合研究所理事長(現在会長)。その他、早稲田大
  学アジア太平洋研究センター客員教授、経済産業省産業構造
  審議会情報経済分科会情報セキュリティ基本問題委員会委員
  長、国土交通省国土審議会特別委員、文部科学省中央教育審
  議会委員、総務省情報通信審議会委員も務める。
                    ――ウィキペディア
  ―――――――――――――――――――――――――――

寺島実郎氏.jpg
寺島実郎氏
posted by 平野 浩 at 04:18| Comment(0) | TrackBack(0) | 小沢一郎論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年01月20日

●「日本に危険をもたらす日米ガイドライン」(EJ第2736号)

 そもそも日米合意――自民党の橋本政権と米クリントン政権が
1997年に締結した「日米ガイドラインの見直し」に民主党を
はじめとする野党がこぞって反対しているのは、なぜなのでしょ
うか。このあたりのことをきちんと理解する必要があります。
 1989年にベルリンの壁が崩壊し、冷戦後の時代になったの
ですが、この冷戦後の10年間が日本にとって外交基盤を転換し
日米安保体制を見直すチャンスであったといえます。
 しかし、その大事な時期の日本の政治状況は、きわめて脆弱で
あったのです。ちなみに自民党の単独政権は、1993年の宮沢
内閣で終焉し、その後は細川政権から森政権までは短命の政権が
続くことになります。
 これでは、外交基盤を転換することはとてもできなかったと思
われます。そういう意味で、腰の据わった外交姿勢を確立するに
は、安定した単独政権が必要なのです。
 しかし、同じ敗戦国であるドイツでは、1993年に「在独米
軍基地の見直しによる縮小、地位協定の改定」を行っているので
す。これによってドイツは在独米軍を26万人から4万人に削減
させることに成功しているのです。
 ところが、日本は自民党が政権の主導権を取り戻した橋本内閣
のとき、アジアでは冷戦は終わっていないとして、日米安保の自
動延長を行い、「ガイドラインの見直し」に踏み込んでいます。
これに普天間基地の問題が密接にからんでいるのです。
 この「ガイドラインの見直し」によって、一体何が見直された
のでしょうか。
 これまでは日米安保の対象とする「有事」とは、極東地域に限
定されていたのですが、ガイドラインの見直しでは、その「極東
条項」を撤廃し、「平和と安全を脅かす事態の性格」によって決
める方式に変更されているのです。
 これはどういうことかというと、仮に、世界のどこで起こった
紛争であっても、それが日本の平和と安全を脅かすと判断すれば
米軍と共同して行動する可能性を開いてしまったのです。これは
テロに対する即応体制ですが、日本にとってきわめて危険な事態
を招きかねないことになる恐れがあります。
 実際にそれからというもの、とくに9・11後において、当時
の小泉政権は、米軍がアフガニスタンやイラクと戦争を始めると
海上自衛隊の補給艦と護衛艦をインド洋に出すことになったり、
イラクに自衛隊を派遣したりと、米国の戦争に付き合わされてき
ているのです。
 そして「米軍再編」です。この米軍再編について、寺島実郎氏
は、軍事評論家の故江端謙介氏の言葉をひいて、次のように懸念
を表明しています。
―――――――――――――――――――――――――――――
 2009年に亡くなった軍事評論家の江畑謙介は、正確な知識
 と情報に基づく軍事評論家として敬服すべき存在であった。そ
 の晩年の著書『米軍再編』(2005年、新版2007年、ビ
 ジネス社)は米軍再編の真実を冷静に分析した作品であった。
 この中で「米軍は必要な時に日本を、太平洋を超えた兵站補給
 部隊展開の前進拠点にしようとしている」と米軍再編の本質を
 見抜いていた江畑は同床異夢の米軍再編には危険が潜む」と指
 摘、基地の縮小・移転、地位協定の改正、思いやり予算の削減
 などについて戦略的提言をしていた。我々は江畑謙介の問題意
 識と提言を重く受け止めなければならない。 ――寺島実郎著
 『常識に還る意思と構想――日米同盟の再構築に向けて』より
           『世界』/2010年2月号/岩波書店
―――――――――――――――――――――――――――――
 このように「ガイドラインの見直し」以来、日本は米国の戦争
に何らかのかたちで巻き込まれています。しかし、政権交代を果
たした民主党は、今までのような対米従属を見直す政策を打ち出
しています。しかし、それを本当にやり遂げるには安定した政権
運営が必要になります。だからこそ、民主党は参院選勝利にこだ
わっているのです。
 そういう日本の変化に警戒しているのは米国です。そしてあの
手この手とさまざまなかたちで民主党政権を揺さぶってきている
のです。
 昨日のEJで、「日米安保で飯を食べている人たち」について
述べましたが、その一人にほとんどの日本人が知っているアーミ
テージ元国務副長官がいます。このアーミテージ氏について寺島
氏は次のように述べています。
―――――――――――――――――――――――――――――
 アーミテージ元国務副長官は、2009年12月に都内で行わ
 れた日米関係に関するシンポジウムにおいてさえ、「皆さんが
 今夜、安心して眠れるのは米国が日本を守っているからだ」と
 訴えていた。悪意はないのだろうが、残念ながら日米安保の実
 体が日本を守る」「極東の安全を守る」という原点から大きく
 乖離し、中東から中央アジアまで「イスラム原理主義」を意識
 した、テロとの戦いなる「アメリカの戦争」に対する共同作戦
 の基盤へと変質していることを正確に伝えていない。イスラム
 原理主義」に立つテロリストとの戦いは、微妙にイスラム全体
 の憎しみを増幅し、文明の衝突さえ誘発しかねないリスクがあ
 る。          ――――寺島実郎氏の前掲論文より
―――――――――――――――――――――――――――――
 このように日本は、戦闘行為に直接参加しないまでも、米国の
戦争に付き合っていると、世界中に敵を作る結果になることを寺
島氏は警告しています。まして中東諸国は「日本は中東のいかな
る国にも武器輸出も軍事介入もしていない唯一の先進国」として
敬意と好感情を抱いているといわれています。
 また、米国と違って、「イスラエル・パレスチナ問題」に対し
てイスラエル支持を表明しなければならない国内事情があるわけ
でもないのです。日本人はそういう有利な自らの立ち位置を自覚
すべきであります。       ―――[小沢一郎論/12]


≪画像および関連情報≫
 ●リチャード・アーミテージとは何者か
  ―――――――――――――――――――――――――――
  日米間の安定的な安全保障システムの確立に貢献してきたほ
  か、椎名素夫・石原慎太郎など日本の政治家や官僚らとの繋
  がりも強い。一方で、核武装など大幅な日本の軍事的拡大に
  は否定的とされる。かつて、日米間で摩擦があったFSX開
  発問題では日本側との調整を担当している。日本や東アジア
  全般の安全保障に関する発言が常に注目を集める。アーミテ
  ージの名が一般に広く知られるようになったきっかけとして
  2000年に対日外交の指針としてジョセフ・ナイらと超党
  派で作成した政策提言報告「アーミテージ・レポート」の存
  在が挙げられる。          ――ウィキペディア
  ―――――――――――――――――――――――――――

リチャード・アーミテージ氏.jpg
リチャード・アーミテージ氏
posted by 平野 浩 at 04:44| Comment(0) | TrackBack(0) | 小沢一郎論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年01月21日

●「日本人のトラウマ/第1次湾岸戦争」(EJ第2727号)

 日本人には第一次湾岸戦争のときのトラウマがあります。日本
は、90億ドルという世界最大級の資金支援をしながら、戦後ク
ウェート政府が支援した国に感謝を捧げるリストに日本は入って
いなかったのです。
 しかし、日本の湾岸支援の金額はこの程度の金額ではないので
す。90億ドルを含め近隣諸国などへの資金を入れると、135
億ドル(1兆8000億ドル)に達しているのです。これらの巨
額の資金は実際は米軍の戦費として使われたのですが、日本政府
はそれを「復興支援」と国民に偽って支出しているのです。その
ため、クウェートから見ると、日本は何もしていないと思ったの
だと思います。
 どうしてこうなってしまったのでしょうか。
 そのときの自民党の幹事長は小沢一郎なのです。しかし、その
とき小沢が自民党内で幹事長としてどのように奔走したかについ
て知っている人は少ないと思います。そこにどういう葛藤があっ
たのでしょうか。
 小沢一郎が47歳で自民党の幹事長になったのは、1989年
8月のことです。そして1990年8月2日、イラクはクウェー
トに侵攻したのです。そのとき、米国は素早く行動を起こしたの
です。イラクのサウジアラビア侵攻を恐れたからです。
 もし、サウジアラビアがイラクに制圧されると、2週間以内に
油田地帯がフセインに抑えられてしまうからです。イラクの分と
合わせると、フセインが世界の石油埋蔵量の55%を支配するこ
とになってしまうからです。
 小沢幹事長は、この事態を日本の危機としてとらえたのです。
なぜなら、日本は中東原油に全面的に依存しているからです。こ
こは国際協調行動を起こすべきである――そう考えた小沢は、独
自のルートを使って情報収集に全力を上げたのです。
 直ちに国連安全保障理事会が招集され、イラク軍のクウェート
からの即時撤退を求める決議を採択したのです。しかし、イラク
は国連決議を受け入れず、クウェート統合に動いたので、8月7
日に米国と英国はサウジ派兵を決定し、ペルシャ湾の海上封鎖を
行ったのです。
 これに対して日本政府は、米国、EC各国に少し遅れて経済制
裁に参加し、次の対応を決めかねていたのです。そのとき、小沢
幹事長は、ときの駐日米大使のマイケル・アマコストを公邸に訪
ねて話し合っています。
 アマコスト大使は、ブッシュ(父)大統領がこのイラク問題に
ついて重大な決意をしていることを小沢に伝えて、後方支援など
の日本の協調行動を求めたというのです。この会談を経て、アマ
コスト大使は8月14日に首相・海部俊樹に対し、同様の支援を
要請しています。
 アマコスト大使は、次の日の15日、今度はときの外務省・栗
山尚一事務次官に会い、もっと具体的に「掃海艇、補給艦による
軍事的後方支援」と「多国籍軍への人的、物的、財政的支援」な
どを申し入れています。
 この米国からの申し入れに対して海部内閣は大揺れに揺れたの
です。大方の意見は、あくまで非軍事分野での協力に限定すべき
であるというものであったのですが、具体的支援策がまとまらな
いまま無駄に時間が空費されていったのです。
 この様子を見ていた小沢幹事長は、8月26日に首相公邸に首
相を訪ね、自衛隊派遣の政治決断を強く迫ったのです。その根拠
は、国連の平和維持活動の中で自衛隊を派遣することは憲法違反
にならないというものです。
 8月27日に小沢幹事長は、自民党四役会議において、海部首
相に求めた同じ内容を発言し、党内の合意形成をしようと動いた
のです。このとき、小沢幹事長は具体的には、次のように述べて
いるのです。これは、小沢の国連中心主義の主張の重要部分であ
るので、引用します。
―――――――――――――――――――――――――――――
 わが国は、憲法が謳っている恒久平和の追求と、そのための国
 際社会への貢献という理念が国連憲章に合敦するからこそ、国
 連に加盟し、国連中心外交を展開してきた。その国連憲章は平
 和を維持するために、最終的には加盟国共同で武力も行使する
 としている。ところで、憲法第九条は、わが国に直接、急迫不
 正の侵害行為がないのに、同盟国として出かけて武力行使する
 集団的自衛権を禁じていると解釈されている。しかし、それは
 特定の国家と結んだり、特定の国に対して武力行使するのがい
 けないのであって、全世界が一致して平和維持のために行う国
 連軍とは次元が違う。もし、国連軍に参加することも憲法違反
 であるなら、国連加盟国として活動できず、国連を否定するこ
 とにもなる。現憲法下でも自衛隊を国連軍に派遣することは、
 憲法違反に当たらない。平和のための憲法があり、自衛隊があ
 るのに、なぜ国連の平和維持活動をしてはいけないのか。
       (発言要旨。毎日新聞90年8月31日付より)
 ──渡辺乾介著、『小沢一郎/嫌われる伝説』より/小学館刊
―――――――――――――――――――――――――――――
 おりしもベルリンの壁が崩壊し、世界が各国それぞれに新しい
生き方を模索しているときです。日本も変わらなければならない
──小沢は、湾岸危機を幕末のペリー来航にたとえて、新しい日
本を演出しようとしたのです。小沢としては、「特殊な国ニッポ
ン」から「普通の国ニッポン」へ変わるチャンスであると考えて
いるのです。そうしないと「顔のない国家」になる、と。
 もちろん自民党内にも一部の賛同者はあったものの、官僚機構
から猛烈な反対があったのです。それに何しろ47歳の政権与党
の幹事長です。若いのに何をいうかという反発も当然あったと思
います。それに加えてときの海部首相のリーダーシップには大き
な問題があったのです。
 とくに最大の壁は外務省であったのです。彼らは小沢の考え方
に絶対反対だったのです。    ―――[小沢一郎論/13]


≪画像および関連情報≫
 ●国連平和維持活動(PKO)について
  ―――――――――――――――――――――――――――
  平和維持活動は、「国際の平和及び安全を維持する」(国際
  連合憲章第1章)ため、国際連合に小規模の軍隊を現地に派
  遣して行う活動である。従来は、紛争当事国の同意を前提に
  派遣されていたが、冷戦後は必ずしも同意を必要とせずに派
  遣する例もある。平和維持活動については、憲章上に明文の
  規定はないが、「ある種の国際連合の経費事件」において国
  際司法裁判所がその合法性を認め、国際連合総会が1962
  年の第17回総会でこれを受諾している。
                    ――ウィキペディア
  ―――――――――――――――――――――――――――

第1次湾岸戦争.jpg
第1次湾岸戦争
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2010年01月22日

●「小沢対官僚機構対立の原点」(EJ第2738号)

 今年の1月に入って鳩山政権は、麻生前政権から引き継いだま
まだった内閣法制局長官をはじめとする内閣中枢の幹部官僚の刷
新に乗り出し、15日の閣議で、内閣法制局長官のほか、3人の
官房副長官補のうち内政担当、外交担当の2人を交代させる人事
を決定しています。
 これら法制局長官の交代は、内閣発足や内閣改造などの節目に
行われるのが普通で、通常国会への提出法案の審査で多忙になる
1月の交代は極めて異例なことです。
 この人事は、小沢幹事長らが法制局長官を含む官僚の国会答弁
を禁止する国会法改正を目指す方針を打ち出したことと関係があ
ると考えられます。政府はこの14日、政治主導の国会運営のた
め、通常国会からは内閣法制局長官の国会答弁を認めない方針を
決定しているのです。
 小沢がなぜ内閣法制局長官の国会答弁を認めない方針を打ち出
したかには理由があるのです。それを明らかにするには、もう一
度1990年8月の時点に遡ってみる必要があります。
 自衛隊の海外派遣の日本政府としての解釈には次の2つがある
のです。これらは内閣法制局長官による政府答弁書として出てい
るものです。
―――――――――――――――――――――――――――――
 ≪1.1980年10月28日の政府答弁書≫
 ・目的、任務が武力行使を伴うものであれば、自衛隊がこれに
  参加することは憲法上許されない。
 ≪2.1981年 5月29日の政府答弁書≫
 ・憲法上許容されている自衛隊の行使は、わが国を防衛するた
  め必要最小限度の範囲にとどまるべきである。
―――――――――――――――――――――――――――――
 これら2つの政府答弁書のうち1981年のものについては、
自衛隊の海外派遣の道を閉ざし、集団的自衛権を認めない法解釈
になっていたのです。
 それならば、武力行使を伴わない国連軍への参加はどうなのか
というと、憲法上は認められるのですが、自衛隊にはそのための
任務規定がなく、実際にはできないのです。これは「国連中心主
義」を唱えながら、具体的には何もやっていない外務省の怠慢で
あると小沢は考えていたのです。
 8月27日の自民党四役会議の直後のことです。外務省の3人
の高官が幹事長室に小沢を訪ねてきたのです。その3人とは次の
外務省のトップです。
―――――――――――――――――――――――――――――
        外務省事務次官・栗山尚一
          外務審議官・小和田恒
            官房長・斎藤邦彦
―――――――――――――――――――――――――――――
 そのとき、どういうやりとりがあったのか、既出の渡辺乾介氏
の著書からご紹介することにします。栗山事務次官は、小沢幹事
長に文書を手渡して、次のように切り出したのです。
―――――――――――――――――――――――――――――
   これはわが省の総意としてお汲み取りいただきたい
―――――――――――――――――――――――――――――
 小沢は無言で栗山から文書を受け取り、ゆっくりと読みはじめ
たのです。そこには次のようなことが書かれてあったのです。
―――――――――――――――――――――――――――――
 外務省としては自衛隊を海外に派遣すること、したがってイラ
 ク制裁の多国籍軍に自衛隊艦船、輸送機を派遣することは断固
 として反対せざるを得ない。その理由は、自衛隊派遣は中国、
 韓国をはじめアジア諸国が容認しないと思料され、あえて自衛
 隊派遣をして近隣諸国の反発を招くことは外交上得策ではなく
 国益を損なう恐れがある。
 ──渡辺乾介著、『小沢一郎/嫌われる伝説』より/小学館刊
―――――――――――――――――――――――――――――
 小沢は文書を読み終わると、文書を手にしたまま、3人と向き
合い、次のように述べたのです。
―――――――――――――――――――――――――――――
 小沢:外務省は戦後一貫して日米同盟あっての日本だ、日米協
    調が重要だ、国連中心外交だと強調してきた。私もそう
    思う。しかし、この文面には日米の一言も、国連という
    言葉すら見当たらないが、これはどういうことなのか。
 3人:・・・・・
 小沢:韓国、中国をはじめアジア諸国との関係が大切であるこ
    とは言うをまたない。私は、湾岸問題における自衛隊派
    遣の意味をきちんと説明するなら、近隣諸国の理解は得
    られると確信する。そういう努力こそ重要ではないか。
 3人:・・・・・
 ──渡辺乾介著、『小沢一郎/嫌われる伝説』より/小学館刊
―――――――――――――――――――――――――――――
 小沢はさらに重ねて、日本の国連加盟の誓約から説き起こし、
日本は3度にわたって国際社会に加盟国としての義務を履行する
ことを表明しているとして、何もしなくてもいいのかと迫ったの
ですが、3人は反論も同意もせず、ただ押し黙ったまま一言も発
せず、幹事長室を後にしているのです。
 外務省のトップ3人なら、外交当局らしく国際社会の動向分析
や外交政策論を幹事長に展開して派遣反対を唱えたのなら、まだ
わかりますが、小沢につけ入られることを恐れて一言も発せず、
はじめに反対ありきの方針を決めて押しつけて帰ってしまったの
ですから、小沢が怒るのは当然の話です。
 この自衛隊の海外派遣の反対論は外務省だけでなく、集団的自
衛権の行使を憲法違反とする論理の砦ともいうべき内閣法制局と
防衛庁も自衛隊派遣反対でスクラムを組んでいたのです。そのと
き、これは官僚機構の総意であったのです。現在の小沢潰しもこ
れと似た構図です。       ―――[小沢一郎論/14]


≪画像および関連情報≫
 ●法制局よ、お前は何者なのだ/衆議院議員・江田憲司氏
  ―――――――――――――――――――――――――――
  世間で「法の番人」と呼ばれる内閣法制局は霞が関では「法
  匪(ほうひ)」と呼ばれていた。私が通商産業省(現・経済
  産業省)の官房総務課で法令審査を担当していた二十五年ほ
  ど前の話である。内閣法制局は、内閣(政府)が国会に提出
  する法案について、閣議決定に先立ち“純粋に法律的な”見
  地から問題がないかどうか審査する役所で、その了承がなけ
  れば政府は一切の法案を国会に提出できない。総勢百人にも
  満たない小所帯だが、とにかく頑固で頭が固く、法律の「厳
  密な解釈」を盾に一歩も譲らない。各省庁の官房で法令審査
  担当となった者の表情は一様に暗くなったものだ。
http://www.shinchosha.co.jp/foresight/200906/topic_02.html
  ―――――――――――――――――――――――――――

内閣法制局が入っている合同庁舎.jpg
内閣法制局が入っている合同庁舎
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2010年01月25日

●「海外のメディアが伝える小沢疑惑」(EJ第2739号)

 小沢の疑惑捜査と報道について、外国の有名各紙が取り上げて
論評しています。2010年1月20日付の米紙ニューヨークタ
イムズは、マーティン・ファクラー氏の署名のある次のタイトル
の記事を掲載しています。
―――――――――――――――――――――――――――――
 Japan Stalls as Leaders Are Jolted by Old Guard
 改革派のリーダーたちが守旧派の攻勢を受けて停滞する日本
 http://www.nytimes.com/2010/01/20/world/asia/20japan.html
―――――――――――――――――――――――――――――
 この記事の翻訳の全文が次のサイトにあるので、それをベース
にして以下に記述することにします。
―――――――――――――――――――――――――――――
 ASH/カフェメトロポリス
http://ameblo.jp/whatawondefulworld/entry-10439284068.html
―――――――――――――――――――――――――――――
 このニューヨークタイムズ紙の記事は、今回の小沢疑惑を次の
ような対立構図として捉えています。
―――――――――――――――――――――――――――――
 政権与党の大物小沢一郎に対する捜査は、この国のもっとも剛
 腕な政治家で、新しい改革派のリーダーと、戦後権力体制の中
 でも、もっとも強力な組織である検察庁との間の公開のバトル
 であるということで、国中の関心を引きつけている。
           ――ニューヨークタイムズ紙の記事から
―――――――――――――――――――――――――――――
 しかし、今回の疑惑は、いつもとは違うパターンの批判の声の
渦を巻き起こしていると、この記事は指摘しています。それは、
向けられている批判が小沢氏だけでなく、少数のエリート検事た
ちの巨大な裁量権にも向けられていることです。
 これらの検事たちは、今回は今まで考えられていたように、社
会正義を守る正義の味方というよりも、何か別のものを守ってい
るのではないかとの疑問が提起されているのです。
 民主党政権は官僚をコントロールすることを公約していますが
これに対して法務省に属する検察庁が、官僚システムの根幹にな
る強力な組織であるという理由から、民主党に対して仕返しをし
旧体制を守ろうとしているのではないかという批判が噴出しつつ
あるのです。
 この記事では、元検事の郷原信郎氏の言葉も次のように取り上
げています。
―――――――――――――――――――――――――――――
 このスキャンダルは、日本の民主主義を危機に陥れている。こ
 のスキャンダルは官僚システムが自分に対して挑戦してきた、
 選挙で選ばれたリーダーから、自分を守るために反撃したもの
 なのだ。                 ――郷原信郎氏
           ――ニューヨークタイムズ紙の記事から
―――――――――――――――――――――――――――――
 確かに、大新聞やテレビの報道を見ていると、「巨悪の小沢一
郎」を印象づけられてしまいますが、ネットを見るとかなり検察
批判が目立っているのです。
 際立っていたのは、1月10日報道のサンデープロジェクト/
テレビ朝日です。ここでは、元検事の郷原氏と毎日新聞の岸井氏
それに朝日新聞の星氏が中心になって議論が展開されています。
内容については省略しますが、ネットでは、そのときのやり取り
が詳細に取り上げられているので、ご紹介しておきます。
―――――――――――――――――――――――――――――
 ◎GENKIのブログ/日本と世界の黎明
 http://ameblo.jp/hirokane604/entry-10431618730.html
 ◎テレビにだまされないぞぉ
http://dametv.cocolog-nifty.com/blog/2010/01/post-3de0.html
―――――――――――――――――――――――――――――
 さて、ニューヨークタイムズ紙の記事は、日本の検察の特殊性
についても、次のように述べています。
―――――――――――――――――――――――――――――
 日本の検察は、米国やその他の西側民主主義の司法制度とはか
 なり違った勢力だ。検察庁は、誰に対して何時調査を開始する
 かを決める権限だけではなく、告訴以前に、容疑者を逮捕し、
 拘留する権利も持っている。これによって彼らは実質的に、警
 察、法務大臣、そして裁判官の力をひとまとめにしたほどの権
 力を持つことになっている。
           ――ニューヨークタイムズ紙の記事から
―――――――――――――――――――――――――――――
 なお、ニューヨークタイムズ紙は、メディアの報道に関しても
言及して次のように述べています。
―――――――――――――――――――――――――――――
 ニュース報道は、検察からのリークに基づいて予測可能なパタ
 ーンのストーリーにしたがって行われている。たとえば検察が
 小沢氏が東京の土地に投資することによって隠そうとしている
 と思っている4億円に関する詳細事実が、ニュース報道の中で
 は現れてくる。こういったことに憤激した、民主党議員は、報
 道に影響を与えるための検察のリークの利用を調査するための
 議員のチームを組織することによって反撃することを誓った。
           ――ニューヨークタイムズ紙の記事から
―――――――――――――――――――――――――――――
 英タイムズ紙は、「小沢VS検察」は「ゴジラVS○○」の構
図であり、これほどの激突から生還できるのはどちらか片方のみ
であると描写しています。検察庁は「日本のエリート官僚組織の
中でも最も誇り高く、最も強力な組織」であり、対する小沢氏は
「政界の人形遣い、血なまぐさい対決を数限りなくくぐり抜けて
きた強者、そして日本で最も恐れられている政治家」だと解説し
ています。まさに「世紀の対決!」的様相です。
― ―――――――――――――――――[小沢一郎論/15]


≪画像および関連情報≫
 ●英フィナンシャルタイムズの記事より
  ―――――――――――――――――――――――――――
  「小沢の破壊」と題し、小沢氏の辞任を呼びかけています。
  「小沢氏は理由もなく『壊し屋』と呼ばれてきたわけではな
  い。20年近くかけてきた目論み通りに自由民主党を選挙で
  破壊した男は、このままでいけば自分の民主党をも壊してし
  まいかねない」という書き出しで、「選挙の神様」とも呼ば
  れた小沢氏が今では民主党にとって「お荷物」だと批判。同
  紙は「検察がマスコミを使って小沢氏に不利な情報をリーク
  しているやり方は、実にみっともないし、日本で真の権力を
  握っているのは有権者に選ばれたわけでもない官僚たちだと
  言う民主党の主張を裏付けるものだ」と批判した上で、「し
  かし、民主党が撤廃を主張する従来型の金権政治に、小沢氏
  自身も関わっているとされてきた」とやはり小沢氏を批判し
  ています。
  http://news.goo.ne.jp/article/newsengw/politics/newsengw-20100120-01.html
  ―――――――――――――――――――――――――――

民主党・小沢幹事長.jpg
民主党・小沢幹事長
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2010年01月26日

●「小沢自民党幹事長とPKO法案」(EJ第2740号)

 第1次湾岸戦争の頃の話に戻ります。外務省のトップ3人が、
小沢幹事長に「申し入れ書」を突き付けた頃、海部首相は何をし
ていたのでしょうか。
 海部首相は外務省と組んで、多国籍軍への非軍事面の輸送、物
資、医療などの援助を柱にした「中東における平和回復活動にか
かわる貢献策」を決定しているのです。しかし、あくまで自衛隊
は使わず、「国連平和協力法」を作り、青年海外協力隊のような
ものを考えていたのです。
 海部首相はこの案を米大統領ジョージ・ブッシュに電話で相談
したところ、大統領は失望感をあらわにしたというのです。あわ
てた海部首相は翌朝に10億ドルの財政支出を決断し、さらに9
月14日には泥縄的にさらに10億ドルの財政支出の追加を表明
しているのです。
 1990年9月末日に訪米した首相は、米議会からも自衛隊の
艦船や輸送機の派遣を含むもっと目に見える貢献――を要求され
自衛隊の派遣を検討せざるを得なくなったのです。
 しかし、政府部内の合意形成は大変だったのです。問題は自衛
隊をどのように扱うかで難航し、結局自衛隊は「併任」という中
途半端なかたちで協力隊に加わるという内容の「国連平和協力法
案」が、1990年10月12日から始まった臨時国会に提出さ
れたのです。
 しかし、国会審議は難航をきわめ、憲法解釈をめぐってぐちゃ
ぐちゃになったのです。とくに外務省を中心とする政府答弁が二
転三転し、自民党とともに国際貢献策に対して前向きに取り組も
うとしていた公明党や民社党までもが反対し出して、成立の見通
しは絶望的になっていったのです。
 この間小沢幹事長は、戦闘行動に関与しない自衛隊派遣の方法
について知恵を絞っていたのです。小沢としては多国籍軍への自
衛隊派遣は憲法違反にはならないと考えていたので、具体策を検
討していたのです。
 前線の野戦病院に自衛隊の医療班を派遣することや、エジプト
の空軍基地を使って自衛隊の大型輸送機C−130で物資や難民
輸送を行うことを実現しようと日本大使館を通じて関係国の了解
までとっていたのです。
 しかし、C−130の使用には外務省と防衛庁が反対し、実現
できなかったのです。民間の貨物船を利用する案も検討したので
すが、こちらは海員組合の反対でできない──まさに八方塞がり
の状態だったのです。
 ペルシャ湾には日本のタンカーが多くいるのに、なぜ輸送船を
出さないのか。商売なら危険でも行くが、国際社会の平和目的で
はだめだというのか――米国はこのように日本に対して怒りを隠
さなかったのですが、日本は沈黙を守るしかなかったのです。
 こうした小沢の努力と平行して臨時国会では国連平和協力法案
の審議が進められたのですが、小沢は早くから廃案を予測し、公
明党、民社党の協力の下に代替法案の制定を進めていたのです。
 1990年11月8日に小沢幹事長は社公民と幹事長・書記長
会談を開いて国連平和協力法案を廃案にすることを表明し、新た
な国連平和協力の具体策を作るための協議を提案したのです。
 しかし、社会党は反対を表明して協議には加わらないことを表
明したので、自公民三党間で「国際平和協力に関する合意覚書」
がまとめられたのです。その骨子は、次の6つであり、社公民で
同意が図られたのです。
―――――――――――――――――――――――――――――
   1.憲法の平和原則を堅持し、国連中心主義を貫く
   2.資金や物資だけでなく、人的協力も必要である
   3.自衛隊とは別の国連平和維持活動の組織を作る
   4.国連決議に基づいて人道的救援活動に協力する
   5.あわせて災害救助活動も行う
   6.上記を早急に立法化すること
―――――――――――――――――――――――――――――
 この合意によって、日本は国連の平和活動に参加できる道が開
かれたのです。そして、これが海部内閣を救ったのです。本来で
あれば、国連平和協力法案が廃案になった時点で海部首相の政治
責任は免れなくなる。それを小沢は、この三党合意をまとめるこ
とによって救ったのです。
 この三党の覚書に基づいてまとめられた法案は、1991年夏
の臨時国会に「国連平和維持活動協力法案――PKO法案」とし
て提出され、2回の継続審議を経て1992年6月に成立してい
るのです。そして、この法律に基づいて自衛隊のPKO部隊は、
1992年9月からのカンボジアの活動に参加したのです。
 しかし、この法案の成立に小沢が深くかかわっていることをど
のくらいの人が知っているでしょうか。これは小沢がかねてから
主張していた「国際社会で日本はどう生きるべきか」を進めるう
えでの第一歩になったのです。
 国連平和維持活動協力法にかかわる小沢の努力を自民党はどう
とらえたのでしょうか。渡辺乾介氏はこれは小沢の嫌われる伝説
をひとつ増やしたとして次のように述べています。
―――――――――――――――――――――――――――――
 国連平和協力法案の廃案は海部の政治責任が問われる重大事で
 はあったが、政府と自民党内にはいつのまにか「小沢が力ずく
 で海部に自衛隊派遣を承諾させ、無理な法案をつくらせた」と
 小沢に責任転嫁する理屈が罷り通っていた。大メディアは外務
 省と自民党内の小沢批判派の情報に乗り、小沢批判の論調を繰
 り広げた。かくしてまた一つ小沢の嫌われる伝説が増えた。真
 相は、小沢が三党合意を成立させて内閣の責任問題に発展する
 ことを食い止めたわけだが、小沢批判は往々にして、頭と尻尾
 を逆にしたような大真面目の滑稽話になる。
 ──渡辺乾介著、『小沢一郎/嫌われる伝説』より/小学館刊
―――――――――――――――――――――――――――――
                ―――[小沢一郎論/16]


≪画像および関連情報≫
 ●自衛隊のカンボジア派遣について
  ―――――――――――――――――――――――――――
  自衛隊カンボジア派遣とは、1992年9月以降、自衛隊が
  国際平和協力法に基づいて国際連合平和維持活動――PKO
  の一環としてカンボジア王国へ派遣されたことをいう。自衛
  隊からは施設大隊及び停戦監視要員が派遣された。同時に、
  自衛隊以外からは文民警察要員及び選挙監視要員の派遣も行
  われた。自衛隊にとっては、自衛隊ペルシャ湾派遣に続く2
  度目の海外派兵であったが、陸上自衛隊にとっては初、国連
  の枠組みで活動するPKO活動としても初の試みであった。
  また、日本がカンボジアに部隊を展開させたのは、旧日本陸
  軍の仏印進駐(1941年)以来のことであった。
                    ――ウィキペディア
  ―――――――――――――――――――――――――――

国連カンボジア暫定機構.jpg
国連カンボジア暫定機構
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2010年01月27日

●「湾岸戦争開戦早朝の不毛の議論」(EJ第2741号)

 1991年1月17日午前0時――首相官邸で政府・与党首脳
会議が開催されたのです。政府からは、総理大臣、外相、蔵相、
官房長官、与党からは幹事長以下の4役が出席する、政治方針を
決める最高会議なのです。
 午前0時という異常な時間に会議が開かれたのは、日に日に深
刻化する湾岸情勢の分析と日本としての対応を決めるためです。
この席で、小沢と外相の中山太郎の間で大論争があったのです。
 小沢はこの時点で、米国が既に40万人の兵力を展開している
ことや独自の非公式ルートを通じた独自の情報分析から、もはや
戦争は避けられず、かつそれは間近に迫っているとして、せめて
自衛隊輸送機の派遣を主張したのに対し、中山外相は「戦争はな
い」という正反対の主張を展開したのです。
 誠にお粗末きわまるものながら、戦争をめぐって、小沢の「あ
る」と中山の「ない」の言い合いになり、何の結論も出せないま
ま会議は終わってしまったのです。
 そして首脳会議からわずか4時間後の17日午前4時になって
米国から「開戦」を通告してきたのです。実際に戦端が開かれた
のは、その5時間後の午前9時のことであったのです。
 日本という国は、開戦のその日の午前0時に戦争のあるなしの
議論をしているのです。しかも、国際情報の収集を預かる外務省
自身が「開戦なし」として情報収集を怠っている――こんな情け
ない話はないと思います。中山太郎外相は、その外務省の情報を
鵜呑みにして小沢に対し「開戦なし」と反論したのです。外務省
は許すまじ、と小沢が思ったとしても当然と思われます。
 しかしそれよりも、小沢は米国が同盟国である日本に開戦のわ
ずか5時間前に通告してきたことに衝撃を受けたのです。日本は
米国にとってその程度の国であったのか、それほど頼りにされて
いない国なのかという現実に愕然としたのです。
 既出の渡辺乾介氏は、そのときの小沢一郎の心情について次の
ように書いています。
―――――――――――――――――――――――――――――
 直前の開戦通告の一事は、国連の平和維持活動に自衛隊を派遣
 できなかったことと併せ、その後の小沢の政治思想、国際安全
 保障論の核心を形成する原体験的意味を持つ。その時の小沢の
 目に映った日本の外交、国際情報の収集能力の実態はどんなも
 のだったか。開戦の直前にいたってもなお「戦争はない」と見
 ていた外務省は情報を入手する努力すらせず、情報をくれる国
 も友人もなく、外交官とはせいぜいパーティの進行役程度かと
 いう猜疑心を募らせた。小沢が外務省に見たものとは、日米同
 盟の真実の姿、言い換えれば戦後政治の欠陥そのものだったの
 だ。官僚における国家の仕組みの欠如した部分が象徴的に現れ
 たと、小沢は解釈した。国家に対する忠誠心、使命感なき官僚
 像を癒しがたく結んでしまったのである。
 ──渡辺乾介著、『小沢一郎/嫌われる伝説』より/小学館刊
―――――――――――――――――――――――――――――
 しかし、戦争が始まった以上、日本としての支援策を一刻も早
く決める必要があると考えた小沢は、蔵相である橋本龍太郎に直
接談判し、90億ドルの支援を決めたのです。
 自衛隊の派兵はできない、輸送機も飛ばせない――ないない尽
くしでは通らない。ここにきて金を出すのなら大きく出す必要が
ある。何とか90億ドルを認めてくれと主張したのです。結局、
90億ドルは増税で賄うことになったのです。
 問題は国会承認です。増税で90億ドルを賄うことになるので
当然のことながら社共は真っ向から反対したので、自公民体制で
この国際公約の実現に取り組むことにしたのです。その代わり、
自公民三党体制で国政運営を行うことを約束せざるを得なくなっ
たのです。その結果、1991年2月15日に国会承認を得るこ
とができたのです。
 しかし、自民党も一枚岩ではなかったのです。もともと小沢主
導の国際貢献に反対の者は多く、それに加えてこの若い幹事長の
強引なやり方にも批判が集まっていたのです。それらの不満が噴
出したのは、折からの東京都知事選挙の候補者選びなのです。
 自民党東京都連は現職で80歳の鈴木俊一氏を擁立することを
決めていたのですが、小沢は公明党が推薦する元NHK特別主幹
の磯村尚徳氏を擁立したのです。自公民三党体制で国政運営をす
ると決めた以上、そうせざるを得なかったのです。
 このときの都知事選挙は、さながら「小沢対反小沢」の激しい
戦いとなったのです。自民党内、霞が関の反小沢勢力が一斉に選
挙戦に雪崩れ込み、そこに大マスコミが煽って、一大政治決戦の
様相を呈したのです。
 その結果、都知事選が鈴木俊一の勝利で終わると、小沢は躊躇
わず幹事長を辞任したのです。湾岸戦争は、1991年2月27
日に停戦し、4月11日に終結していますが、90億ドルという
世界最大級の資金援助をしながら、戦後クウェート政府が支援国
に感謝を捧げるリストに日本は入っていなかったのです。
 小沢は、その著書である『日本改造計画』の中で、こういう結
果になったことについて、次のように書いています。
―――――――――――――――――――――――――――――
 一人前の国家として国際的な安全保障に協力できず、資金提供
 だけで、お茶を濁そうとするとこういうことになってしまう。
 韓国やフィリピンは要員を派遣してそれなりの評価を受けた。
 日本はどんなにカネを出しても尊敬されない。それが国際政治
 の冷厳な現実である。           ――小沢一郎著
              『日本改造計画』より 講談社刊
―――――――――――――――――――――――――――――
 その小沢が現在は与党民主党の幹事長なのです。その政治姿勢
は以前と変わらず、まったくブレていないのです。官僚中心の政
治を政治主導に変える――そうはさせじと官僚機構がなりふり構
わず、小沢潰しにかかっているような気がします。
                ―――[小沢一郎論/17]


≪画像および関連情報≫
 ●湾岸戦争とは何か
  ―――――――――――――――――――――――――――
  当初の目的であった火祭りが実施不可と見たイラクのサダム
  ・フセイン大統領は、その代わりとしてクウェート湾岸の油
  田を手当たり次第に放火した。また、イスラエルに向けてロ
  ケット花火を打ち上げた。結果的にはイラク軍がクウェート
  から駆逐されたため連合国が勝利したように見えるが、勝負
  的には辺り一面を火の海にし、世界各国からスタンディング
  オベーションで迎えられたイラクの勝利である。パパ・ブッ
  シュはこれに激怒し、これが2003年のイラク戦争への伏
  線となった。        ―― アンサイクロペディア
http://ansaikuropedia.org/wiki/%E6%B9%BE%E5%B2%B8%E6%88%A6%E4%BA%89
  ―――――――――――――――――――――――――――

渡辺乾介著/「小沢一郎嫌われる伝説」.jpg
渡辺乾介著/「小沢一郎嫌われる伝説」
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2010年01月28日

●「湾岸戦争から13年後の第4幕」(EJ第2742号)

 既出の政治ジャーナリストの渡辺乾介氏は、「小沢一郎VS外
務省」のバトルを次の3幕に分けています。
―――――――――――――――――――――――――――――
 第1幕/外務省幹部による小沢への「申し入れ書」の提出
 第2幕/自衛隊海外派遣を可能にするPKO法成立バトル
 第3幕/第1次湾岸戦争における90億ドル支援のバトル
―――――――――――――――――――――――――――――
 しかし、渡辺氏は既に第4幕があったというのです。それは、
第1次湾岸戦争から13年後のことです。
 2003年3月12日、イラク戦争が始まる一週間前のことで
す。ときの首相である小泉純一郎は首相官邸に野党党首を呼び出
したのです。そして、小泉は野党党首と一人ずつ会談をもったの
です。このとき小沢も自由党党首として小泉と会談しています。
 その会談で小泉が各党の党首に何を話したのかは定かではあり
ませんが、米国がイラクと戦争した場合、日本はどうすべきかと
いう話だったようです。小泉は最初から米国支援を決めていて、
そのため一応野党党首の意見を聞いたものと考えられます。小沢
はこのとき冒頭で小泉にこういっているのです。
―――――――――――――――――――――――――――――
 何のためにわれわれ野党の意見を聞くのか。まず、あなたの考
 えを決めることのほうが大事だ。国会の多数を持っているのだ
 から、決めるべきことはそちらが責任をもってやればいい。
 ──渡辺乾介著、『小沢一郎/嫌われる伝説』より/小学館刊
―――――――――――――――――――――――――――――
 このとき、小沢は小泉に対して、もうひとつ重要なことを聞い
ています。もし、米国がイラクに対する武力行使を認める国連決
議がないまま開戦した場合、日本は米国を支持するのかと聞いた
ところ、小泉は「その場の雰囲気で決める」と答えたそうです。
 2003年3月19日、米英両軍は大量破壊兵器を持っている
ことを理由にイラクを攻撃したのです。このとき米国は日本には
戦争開始後に連絡を入れてきたのです。それも大統領や国務長官
ではなく、国務省の日本担当の副長官からの連絡だったのです。
日本がいかに軽視されているかがよくわかります。
 イラク戦争は、国連安保理決議がないまま、国際社会からその
正当性に疑問を持たれた状況下で、米国の自衛のための戦争とし
て開始されたのです。
 しかし、小泉内閣は日米同盟は重要であり、米国を支援するこ
とが国益になるとして、自衛隊派遣を閣議決定したのです。この
決断に対し、自民党は「日本もようやく“普通の国”になった」
と自画自賛したものですが、小沢はこの決断を次のよう切り捨て
ています。
―――――――――――――――――――――――――――――
 国際社会から見れば、理解不能の『特殊な国』と思われ、逆行
 している。                 ――小沢一郎
 ──渡辺乾介著、『小沢一郎/嫌われる伝説』より/小学館刊
―――――――――――――――――――――――――――――
 小沢の言い分はこうです。1991年の湾岸戦争のとき日本は
二重三重の国連決議に基づく平和維持活動に対してさえ憲法を楯
にして各国との共同行動に参加しなかったのです。
 ところがイラク戦争のときは国連決議がないにもかかわらず、
集団的自衛権と武力の行使の一切を否定する憲法解釈をそのまま
にして、簡単に自衛隊派遣を決めています。13年前と考え方が
変わったのでしょうか。まったく整合性がとれない――これは憲
法違反であると小沢はいうのです。
 その後「小沢なき自民党」は、矢継ぎ早に新法を作って、場当
たり的に自衛隊を海外に派遣しています。こういう自民党に対し
て小沢は、次のように批判しています。
―――――――――――――――――――――――――――――
 そもそも、自衛隊は紛れもない軍隊であり、その軍隊を自国の
 領土の外に派遣するというのは、ひじょうに重大な意味を持っ
 ている。日本政府がいくら苦し紛れの理屈を付けてイラクに自
 衛隊を送っても、国際社会がそのまま受け取ってくれるわけで
 はない。「日本はアメリカの戦争を利用して、ふたたび海外に
 軍隊を派遣するための既成事実作りをしようとしているのでは
 ないか」と一部の国々から疑われかねないやり方である。自衛
 隊を派遣するならば、まず日本の立場と方針を明確に説明し、
 その枠の中で行動するのが当然のことであって、「その場その
 場で対応する」という対応は国家のあり方としては下策だ。
                      ――小沢一郎著
  『小沢主義/オザワイズム/志を持て、日本人』/集英社刊
―――――――――――――――――――――――――――――
 第一次湾岸戦争のとき、小沢が国連決議さえあれば現行の憲法
でも自衛隊を派遣できるという主張をしたが、そのとき、多くの
人は憲法の拡大解釈のような感じがしたものです。しかし、これ
と比べると、1990年代半ば以降の自民党の自衛隊の海外派遣
の憲法解釈の方がもっと拡大解釈をしているのです。
 とくに小泉元首相は、そうした憲法解釈に踏み込まず、法的根
拠も曖昧にしたまま、自衛隊をイラクに派遣してしまっているの
です。自衛隊のイラク派遣の名目は「復興支援活動」なのです。
これが拡大解釈でなくてなんでしょうか。
 また、小沢はこうもいっているのです。何が何でも国連決議と
いっているわけではないのです。
―――――――――――――――――――――――――――――
 国際社会全体がアメリカのやり方を支持しなくても、日本の同
 盟や世界平和の観点から、同盟国としてアメリカを支えるとい
 う判断がそこにあるなら、それはそれで国家としての生き方で
 あり、一つの外交政策となりうる。 小沢一郎著の前掲書より
―――――――――――――――――――――――――――――
 しかし、あのときはそのような判断があったとはとうてい思え
ないのです。          ―――[小沢一郎論/18]


≪画像および関連情報≫
 ●疑惑を持たれてもすぐ辞任しない理由
  ―――――――――――――――――――――――――――
  普通の政治家なら、とりあえず国民の批判を鎮めるためにポ
  ストは辞任するかもしれない。しかし、そこが小沢の普通の
  政治家と違うところだ。たとえ相手が検察であろうと、自分
  が正しければ徹底して闘うのである。敵の自民党はもちろん
  マスコミも批判してくるだろうし、身内の民主党の中からも
  批判の声が出るだろうが、自分が正しいと思うことは曲げな
  い男なのだ。              ――平野貞夫著
            『わが友・小沢一郎』より/幻冬舎刊
  ―――――――――――――――――――――――――――

小沢一郎著/「小沢主義」.jpg
小沢一郎著/「小沢主義」
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2010年01月29日

●「政治主導に危険信号が点滅している」(EJ第2743号)

 EJ第2738号で述べたように、1990年8月に当時の外
務省首脳の3人が幹事長の小沢一郎に突き付けた「申し入れ書」
があります。これによって、第1次湾岸戦争に日本は自衛隊を派
遣できず、135億ドルもの大金を拠出しながら、クウェートか
ら感謝されないという屈辱を味わっています。これが現在も日本
人のトラウマになっているのです。
 こんな話があります。湾岸戦争が終わり、日本は遅まきながら
6隻の掃海艇をペルシャ湾に派遣し、機雷除去の作業を行ってい
ます。これは小沢が自民党幹事長の最後の仕事として日本の名誉
回復のために実現させたものです。
 任務を終えて日本に帰国した隊員の慰労会の席上で、小沢が隊
長から聞いた話です。
―――――――――――――――――――――――――――――
 現地のアメリカ軍司令部に挨拶に行った際、(隊長が)「日本
 は135億ドル、国民一人当たり100ドル出した」と言うと
 相手の将校がポケットから100ドル紙幣を出して「これを君
 にやるから、オレの代わりに戦ってくれないか」と言われて恥
 ずかしかったと。
 ──渡辺乾介著、『小沢一郎/嫌われる伝説』より/小学館刊
―――――――――――――――――――――――――――――
 日本が世界からこのような屈辱を受ける原因ともなった外務省
首脳による「申し入れ書」について外務省は完黙しているし、小
沢も公表していませんが、「申し入れ書」自体は小沢はきちんと
保管しているそうです。
 この「申し入れ書」とはどういう性格の文書なのでしょうか。
外務省の総意というのであれば、いつ、どこで、外務省のどのレ
ベルの会議で、どんなメンバーの意見を集約したものなのか。そ
れとも3人だけで決めたものなのか。もし、そうであるなら、総
意は偽装されたことになる――渡辺乾介氏はこういっています。
 おそらく外務省がきちんと手続きを踏んで幹事長に提出した文
書ではないと思います。
 渡辺乾介氏の本にはこんな話が披露されています。小沢に「申
し入れ書」を突き付けた3人組の1人である斎藤邦彦――そのと
き既に外務省事務次官になっていた斎藤が1994年7月に社会
党委員長の村山富市が総理大臣に指名された直後の記者会見で、
村山が日米安保反対というのではないかと心配になり、外務省か
ら出向している首相秘書官に次のように命じているのです。これ
は斉藤自身が語ったものとされているのです。
―――――――――――――――――――――――――――――
     脅してもいいから、反対とは言わせるな
―――――――――――――――――――――――――――――
 かりそめにも相手は総理なのです。たとえ部下に対する命令で
も言っていいこととわるいことがあります。このように、高級官
僚の思い上がりはひどいものなのです。これは現在でも、何も変
わっていないようです。したがって、小沢に突き付けた文書もこ
れと同じように幹事長をコントロールする目的で出されたものと
思われます。明らかに官僚主導外交です。
 とにかく湾岸戦争では、自衛隊を海外に出すことについて、日
米重視、国連中心ではなく、韓国、中国、アジア諸国が容認しな
いと外務省はいっていたはずです。それが、小沢への「申し入れ
書」に書かれているからです。
 それが13年後のアフガン、イラク支援の自衛隊派遣では、一
転して日米重視になり、中国でも、韓国でもなく、アジアの一言
もないのです。これは外務省の方針変更なのか――小沢は次のよ
うに外務省を批判しています。
―――――――――――――――――――――――――――――
 湾岸以後のイラク戦争にいたる間に、外務省の国際社会に対す
 る分析、認識やアジア観が変わったのか。変わったとすれば、
 いかなる手続き、段階を経て変えたのかをクリアにしなければ
 ならない。                 ――小沢一郎
 ──渡辺乾介著、『小沢一郎/嫌われる伝説』より/小学館刊
―――――――――――――――――――――――――――――
 何本もの国連決議があっても、アジア重視を主張して自衛隊を
海外に出すのに反対した外務省であったはずです。それが13年
後には一転して日米重視となり、辻褄合わせの新法を作って、国
連決議がなくても自衛隊を派遣している――つまり、政治の究極
の決断と責任であるはずの軍を動かすという重大事に対して、主
務官庁である外務省は一貫した方針というか、原則というものを
持っていないことになります。
 自民党の歴代政権は「武力行使と一体化しない後方支援は憲法
が禁止する集団的自衛権の行使には当たらない」という内閣法制
局の憲法判断を金科玉条とし、それに加えて「戦争をしに行くの
ではない。危なくないところに行く」という虚構の論理で自衛隊
を海外に出してきたのです。
 官僚のトップの事務次官が総理大臣を裏からコントロールする
ことなどあってはならないことです。しかし、自民党幹事長当時
の小沢に対しても、そのコントロールが「申し入れ書」というか
たちでなされているのです。いったいこの国はだれが統治してい
るのでしょうか。だからこそ、政権交代において民主党が「政治
主導」を推進しようとしているのですが、それがさまざまな面で
強い反撃にあっているのです。
 小沢は、若くして与党の幹事長の職について、早くから官僚支
配の壁に突き当たって、幹事長を辞職し、やがて自民党を離れた
のです。そして、再び与党民主党の幹事長になって、本当の意味
での政治主導を実現しようとしていますが、今度はもっと強烈な
抵抗が小沢を襲っています。
 小沢もよくないかもしれませんが、問題が完全にすり替えられ
ていると思うのです。小沢問題の去就いかんでは、政治主導に危
険信号が点滅しはじめているのです。
                ―――[小沢一郎論/19]


≪画像および関連情報≫
 ●元外務省事務次官栗山尚一氏の回想
  ―――――――――――――――――――――――――――
  3人組のトップであった栗山尚一は、退官後、朝日新聞に小
  沢とのやりとりについて触れ、次のように回想しています。
  −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
  自衛隊は外国から見れば軍隊。戦ってはいけない軍隊という
  のは、国際的には通用しない。私は派遣するならシビリアン
  (文民)に限るべきだと主張した。私の考えには戦争体験や
  父の影響があるかもしれない』」(朝日新聞夕刊所載「ニッ
  ポン人脈記外交の波頭を行くE」08年2月22日付)
   渡辺乾介著、『小沢一郎/嫌われる伝説』より/小学館刊
  −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
  ―――――――――――――――――――――――――――

海上自衛隊掃海部隊.jpg
海上自衛隊掃海部隊
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2010年02月01日

●「在日米空軍は日本の防空に関与しない」(EJ第2744号)

 2009年2月24日のことです。このとき小沢は民主党の代
表だったのですが、記者団に対して次のようにいったことを覚え
ておられると思います。
―――――――――――――――――――――――――――――
 米海軍の第7艦隊だけで、米国の極東でのプレゼンス(存在)
 は十分である。           ──小沢前民主党代表
―――――――――――――――――――――――――――――
 これに対して自民党は、民主党がいかに安全保障について無知
であるかを知らしめるよい機会とばかり、安全保障にかかわる多
く議員から、一斉に批判の声を上げたのです。麻生前首相などは
次のようにいっています。
―――――――――――――――――――――――――――――
 同盟国である米国が海軍だけ、あとは空軍も海兵隊も陸軍もい
 らないとは防衛に少なからぬ知識のある人はそういう発言をな
 さらないのではないか。          ──麻生前首相
―――――――――――――――――――――――――――――
 しかし、この小沢批判はしばらく続いたが、そのうち誰もいわ
なくなってしまったのです。この事情を明かすのは、軍事ジャー
ナリストの田岡俊次氏です。田岡氏は、「小沢氏の軍事知識は相
当のもの」と評価し、次のようにいっています。
―――――――――――――――――――――――――――――
 自民党の幹部たちは「非現実的」「日米関係危うくする」など
 と批判した。だが、自衛隊の将官や軍事評論家の間では「小沢
 さんの言う通りじゃないか」との声が多く聞かれた。麻生前首
 相らの小沢発言への批判は在日米軍の実態や軍事再編をよく知
 らず、漠然とした「日本は米軍に守られている」との感覚から
 出たものと思われる。           ──田岡俊次氏
           SAPIO/早春合併特大号/小学館刊
―――――――――――――――――――――――――――――
 何のことはない。非常識だなどといって小沢を批判した自民党
の方がよほど非常識であったのです。そのことが少しずつわかっ
てきたので、誰もいわなくなったのです。
 はっきりしていることがあります。日本の空に関しては、19
59年以来約50年にわたって、航空自衛隊が守ってきていると
いう事実です。米軍が守ってくれているのではないのです。どう
いう陣容かというと、F15が203機、F4EJが90機、F
2が76機、対空ミサイル「パトリオット」4連装発射機135
輌──防空のためには十分な陣容です。
 それでは、米空軍はどうかというと、沖縄の嘉手納にF15戦
闘機48機、青森三沢にF16戦闘機40機を配備しているので
すが、実態はもっと少ないのです。というのは、これらは中東な
どに交代で派遣されており、待機している実数はそれ以下という
ことになります。
 さらに1959年にレーダーサイトや防空指令所が航空自衛隊
に移管され、日米の航空部隊は指揮系統を別個にする協定が結ば
れているのです。これはどういうことかというと、防空の指揮は
日本側が行い、米空軍はその指揮下には入らないという意味なの
です。したがって、米空軍はかなり以前から、日本の防空にかか
わっていないのです。
 それでは沖縄はどうなのでしょうか。沖縄は1972年に返還
されましたが、それ以後は自衛隊が防空を行っているのです。そ
れでは嘉手納の米空軍は何をしているのかというと、沖縄返還以
後は、交代で韓国の烏山(おさん)基地に派遣され、韓国の防空
に当たっているのです。
 ところが、在韓米空軍が1986年に第7空軍として独立した
ので、以後は韓国に行く機会は減り、1991年以降はもっぱら
イラク上空の哨戒飛行のため、トルコやサウジアラビアの基地に
展開していたのです。日本にはまるで関係がないのです。
 ところがイラク軍は2003年のイラク戦争で壊滅し、その仕
事もなくなってしまったのです。そのとき、米議会では沖縄から
引き上げて米本土に戻せばいいではないかという意見も出たので
すが、日本にいると経費は日本持ちなので、その方がコストがか
からないとしていまだにいるわけです。
 つまり、こういうことです。沖縄・嘉手納の米空軍は、日本を
守っていないのに日本から駐留費をせしめているのです。数日前
の名護市長選の夜、ある沖縄テレビ局の女性アナウンサーは、沖
縄に住んでいる住民は米軍によって守られているとは一度も感じ
たことはないと激白していました。事実、米空軍は日本を基地に
しているだけで、日本から駐留費を取り、それでいて日本を守っ
ていないのです。
 それでは青森三沢基地はどうなのでしょうか。
 三沢のF16はオホーツク海に潜むソ連の弾道ミサイル原子力
潜水艦への備えなのです。この原潜を処理することによって、米
本土への核攻撃能力を削ぐ作戦なのです。さらに、オホーツク海
突入の妨げになるエトロフ島やサハリンのソ連航空基地を叩く目
的も持っていたのです。
 しかし、冷戦が終了したので、現在は、三沢の米空軍のF16
は、敵のレーダー電波をとらえて、その発信源を攻撃するミサイ
ル「ハーム」を搭載し、敵の防空網を制圧する専門部隊として中
東に派遣されることが多いのです。
 これで在日米空軍が日本の空を守っていないことは理解できた
と思います。それでは、在日米陸軍はどうなのでしょうか。
 現在は2500人程度ですが、大部分は補給、情報部員であり
戦闘部隊は沖縄に300人程度の特殊部隊がいるだけです。しか
し、この特殊部隊も日本を守るのが目的ではなく、有事のさいに
は、アジア各地に潜入して、情報収集、破壊工作を行う部隊であ
り、現在はフィリピンでイスラム・ゲリラ討伐の指導しているの
です。2012年には在韓米陸軍司令部を廃止し、戦時の指揮権
を韓国軍に委ねることになっています。そのため、厚木に小型の
軍団司令部を置いたのです。   ―――[小沢一郎論/20]


≪画像および関連情報≫
 ●米第7艦隊とは何か
  ―――――――――――――――――――――――――――
  舷力空母「ジョージ・ワシントン」を主力艦と擁し、50〜
  60隻の艦船、350機の航空機を擁する。戦時には6万の
  水兵と海兵を動員する能力を持つ。平時の戦力は約2万。米
  国の反対側に当たる地球の半分を活動範囲とし、米国海軍の
  艦隊の中では最大の規模と戦力を誇る。また、日本の海上自
  衛隊と密接な関係を持っている。
                    ──ウィキペディア
  ―――――――――――――――――――――――――――

米第七艦隊/空母ジョージ・ワシントン.jpg
米第七艦隊/空母ジョージ・ワシントン
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2010年02月02日

●「第7艦隊で十分/小沢発言の意味」(EJ第2745号)

 小沢のいう「米海軍の第7艦隊だけで十分」という発言の検証
の続きです。まず、第7艦隊について正確な知識を持つ必要があ
ると思います。
 米軍の実戦部隊は、そのほとんどが「統合軍」に組み込まれて
います。統合軍を定義すると次のようになります。
―――――――――――――――――――――――――――――
 統合軍、正式にいうと、統合戦闘軍は、陸海空軍および海兵隊
 の四軍から作戦部隊を含めて、単一の指揮官の下に置いた組織
 である。/Unified Combatant Command
         ――『アメリカ軍のすべて』/学習研究社刊
―――――――――――――――――――――――――――――
 統合軍は全部で9つありますが、その中に「太平洋軍」という
のがあるのです。太平洋軍はその名の通り太平洋を主な分担地域
とするのですが、実際にはインド洋の大部分、また北極海から南
氷洋までを分担に含んでいます。そのため太平洋軍の分担地域は
他の地域別統合軍すべてを合わせたものよりも大きく、合計1億
6900万平方キロに及ぶのです。この地域には、43の国家が
あって、世界の人口の約60%が居住しているのです。
 太平洋軍は、海軍が中核となる統合軍であり、海軍大将が太平
洋軍司令官に就任しています。司令部はオアフ島のパール・ハー
バーを見下ろすハラウ・ハイツのキャンプ・H・M・スミスに置
かれているのです。
 太平洋軍の中核となる太平洋艦隊には次の2つがあり、第7艦
隊は日本を前進配備の拠点としているのです。
―――――――――――――――――――――――――――――
  1.第7艦隊 ・・・・・ 西太平洋とインド洋を担当
  2.第3艦隊 ・・・・・ 東大平洋を担当
―――――――――――――――――――――――――――――
 第7艦隊には任務別に9つの部隊があり、それぞれの部隊は米
海軍のすべての艦艇、潜水艦、作戦機を管理する組織である「タ
イプ別部隊」を指揮下に置いています。この中に「第79任務部
隊」というのがあるのですが、これには海兵隊の第3海兵遠征軍
が配備されるのです。
 この第3海兵遠征軍こそ沖縄に駐留している海兵隊なのです。
つまり、第7艦隊というときは、沖縄の海兵隊を含んでいるので
す。小沢発言を批判した自民党の議員たちは、第7艦隊は海軍だ
けであって、海兵隊を含んだ艦隊であることを知らなかったとし
か思えないのです。小沢はこのあたりのことを十分知った上で、
「第7艦隊だけで十分」といったのです。
 しかし、ここで重要なことは、海兵隊は沖縄の防衛兵力ではな
いということです。したがって、必ずしも沖縄に駐留していなく
ても、必要な時に編成できればよいのです。軍事ジャーナリスト
の田岡俊次氏は次のようにいっています。
―――――――――――――――――――――――――――――
 米海兵隊は3、4隻の揚陸艦に乗る「海兵遠征隊」を基本単位
 とし、戦乱や暴動、災害などの際の在外米国人の救出や上陸作
 戦の先鋒となるのが任務で、沖縄の防衛兵力でないことは言う
 までもない。               ──田岡俊次氏
           SAPIO/早春合併特大号/小学館刊
―――――――――――――――――――――――――――――
 鳩山首相が沖縄問題に関連して「有事駐留」を語ったとき、自
民党や親米メディアは一斉に批判の大合唱をしましたが、米陸、
空軍自体が有事駐留に向かっていることを知らないようです。議
員は米軍再編というものをもっと勉強すべきです。
 米軍再編の基本的な考え方は次の4ポイントであり、小沢の考
え方に合致しているのです。
―――――――――――――――――――――――――――――
    1.固定的配置よりも柔軟な運用を目指すこと
    2.師団から旅団に編成を変更、軽量部隊展開
    3.海外の補給拠点や倉庫は整理し事前集積船
    4.在外兵力は縮小し地元を摩擦を起こさない
―――――――――――――――――――――――――――――
 現代は危険な地域や海域に大部隊を配置するのは非効率であり
危機に対して柔軟な対応をとる時代なのです。そのため、部隊を
軽量化して、素早く配置できるようにする必要があります。
 これに伴い、陸軍は「師団」(2万人)から、「旅団」(4千
人)に編成を変えたり、装甲車両も中型輸送機C−130で運べ
るものなどに行われます。
 加えて、海外の補給拠点や倉庫はできる限り整理して、装備、
弾薬、燃料は「事前集積船」に積んで待機させるなどの措置を取
るのです。そして在外兵力は極力地元との摩擦を減らすよう縮小
し、できる限り本国に戻すようにする――これが米軍再編の基本
的な考え方なのです。
 しかし、重要拠点には必要な兵力を配置・確保しなければなり
ません。これについて、既出の田岡氏は、小沢の主張に関連
して次のように述べているのです。
―――――――――――――――――――――――――――――
 米海軍の世界的制海権確保のためには、太平洋の対岸にある横
 須賀、佐世保の両港と岩国の海軍航空隊基地は不可欠で、ハワ
 イ、グアムには艦船の修理、補給の産業基盤がなく、西太平洋
 インド洋での艦隊の行動が制限される。これらの事情を考えれ
 ば、小沢氏の「米国の極東でのプレゼンスは第7艦隊だけで十
 分」との説を非難した人々は、自らの無知を暴露したと言うし
 かない。                 ──田岡俊次氏
           SAPIO/早春合併特大号/小学館刊
―――――――――――――――――――――――――――――
 米国はイラク戦争、アフガン戦争の失敗で疲弊しており、加え
て年間1兆ドル以上の財政赤字が今後も続く状況です。効率化を
図らなければやっていけないのです。
                ―――[小沢一郎論/21]


≪画像および関連情報≫
 ●無敵の米海軍力
  ―――――――――――――――――――――――――――
  米海軍の戦力は、仮に今後10年間1隻も建造できなかった
  としても――それはありえないが、その間に退役する艦齢に
  達する艦を除いて、原子力空母10隻、戦略ミサイル原潜が
  9隻、攻撃原潜(対艦船用)36隻、巡洋艦16隻、駆逐艦
  27隻が10年後の姿であり、装備、訓練など質の高さとあ
  いまって、全世界の他の海軍が束になってもかなわない実力
  を持ち続ける。             ──田岡俊次氏
           SAPIO/早春合併特大号/小学館刊
  ―――――――――――――――――――――――――――

軍事ジャーナリスト/田岡俊次氏.jpg
軍事ジャーナリスト/田岡俊次氏
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2010年02月03日

●「小沢一郎/『私は戦う』の意味」(EJ第2746号)

 小沢一郎論を書くにあたって、小沢とメディアとのかかわりに
ついて触れないわけにはいかないと思います。とにかく小沢はこ
れまでに官僚機構とメディアに徹底的に攻撃のターゲットにされ
てきているからです。
 その異常さは、昨年来の検察の捜査とそれに伴うマスコミの報
道を見ればわかるはずです。日本国憲法では、有罪判決が出るま
では犯罪人ではないという法律の基本があるのに、検察のリーク
とそれを怒涛のように流すマスコミ報道によって、もはや小沢は
「巨悪」扱いです。図に乗って産経新聞などは小沢を「容疑者」
と書く大失態まで冒しています。
 この日本のマス・メディアについて、既出の渡辺乾介氏は次の
ように述べています。
―――――――――――――――――――――――――――――
 『日本/権力構造の謎』(早川書房刊)の著書で知られるオラ
 ンダ人ジャーナリスト、カレル・ヴァン・ウォルフレンが「日
 本というシステム」と呼んだ官僚主導の内向きな仕組みの中に
 はメディアも位置付けられている。新聞を中心とする大手ジャ
 ーナリズムを官製報道として厳しく批判した。それは欧米の日
 本メディアに対する見方、信用力の低さと軌を一にした批判で
 もある。
 ──渡辺乾介著、『小沢一郎/嫌われる伝説』より/小学館刊
―――――――――――――――――――――――――――――
 どうして小沢がマスコミのターゲットになるのかというと、小
沢とメディアのかかわりについての歴史を少し振り返ってみる必
要があります。小沢は中曽根政権下で自民党総務局長、衆院議院
運営委員長、自治大臣を務めて頭角をあらわし、続く竹下内閣の
官房副長官を経て自民党幹事長に昇進しています。そのとき、ベ
ルリンの壁の崩壊があって、時代の大きな転換期に小沢は立つこ
とになります。
 おりからの湾岸危機で、国際貢献策として自衛隊の海外派遣を
実現しようとする小沢の前に立ちはだかったのは、官僚機構の厚
い岩盤であり、当時の小沢は、結局それを跳ね返すことができな
かったということは既に書いた通りです。
 もうひとつ小沢の目指したものは政治改革なのです。政治とカ
ネのスキャンダルが起きるたびに政治的倫理確立を謳って政治資
金規正法改正を繰り返すこれまでの対応ではなく、政権交代を可
能にする選挙制度改革を作り、根っこから改革する必要があると
考えたのです。
 やがて小沢は、55年体制下の官僚主導、政官一体の政治と行
政の仕組みがそのまま残る自民党ではその改革はできないことが
わかり、小沢は1993年に自民党を割って離党したのです。
 そして、小沢は目指した小選挙区比例代表制を実現させ、その
目的である自民党から民主党への政権交代を成し遂げています。
その最終仕上げともいうべき「官主導」から「政治主導」への改
革に入りつつあった矢先に起きたのが、一年前に続いて二度目に
なる検察による小沢事務所の秘書の逮捕です。
 ちょうど一年前の2009年3月3日、東京地検特捜部は小沢
の公設第一秘書を政治資金規正法の虚偽記載で逮捕しているので
すが、そのとき、小沢の発した短い言葉について、渡辺乾介氏は
興味深い分析をしています。この分析は、小沢という政治家を知
るうえで意義のあるものと考えるのでご紹介します。
 大久保秘書が逮捕された夜、小沢は弁護士と連絡を取り、対応
を協議しているのですが、弁護士が来るまでの間、一時間半ぐら
い空白の時間があったのです。その時間を使って小沢は今後の自
分の進退について一人で考えたものと思われます。
 弁護士との相談を終えて部屋から出てきた小沢は、ふっきれた
ような明るい表情で、次のように述べたのです。
―――――――――――――――――――――――――――――
 ・私には絶対に承服できない話だ。法律が法律として通らない
  国にしてはならない。法が悪いなら法を変えないと「国民」
  は不幸な目に遭う。私は戦う。
 ・政治や経済が不安定で混乱した状況になると、自己主張する
  ことが排斥される日本社会は非常に極端な流れに付和雷同し
  がちになるから、私の問題で「国民」に不安を与えてはなら
  ない。                 ──渡辺乾介著
         『小沢一郎/嫌われる伝説』より/小学館刊
―――――――――――――――――――――――――――――
 渡辺乾介氏は、この2つの短い言葉の中に小沢はこの時点で辞
任を決意していることを感じたと述べています。そして時期は後
になったものの、小沢は民主党代表を辞任しているのです。
 前段で小沢は「私は戦う」といっていますが、渡辺氏はこれを
「私は一人でも戦う」という意味にとらえています。というのは
小沢がこの言葉を使うときは、党首、代表、幹事長などのように
重要な地位についているときに限られるからです。
 これは自分の政治理念というものをそういう重要な地位と切り
離して戦う──つまり、「辞任する」という意味であると渡辺氏
は分析しているのです。
 それなら、今年の1月15日に3人の秘書が逮捕されたときは
どうであったかというと、次の日に開催された民主党の党大会に
おいて小沢は「断固として、自らの信念を通し戦っていく」と表
明し、同じ言葉を使っています。捜査の推移を見守るしかありま
せんが、やはり幹事長辞任は視野に入っているものと思います。
 問題はそれで済むかどうかです。今回は小沢自身が事情聴取さ
れており、このままで終わるとは思えないからです。そうでなけ
れば、党大会の前夜にいきなり秘書を3人逮捕し、政権与党の幹
事長に任意とはいえ事情聴取までしないからです。
 さて、小沢は前段と後段で「国民」という言葉をそれぞれ1回
ずつ使っていますが、渡辺氏は小沢の気持ちの中では、別々のこ
とをいう意味で使っていると述べています。これについての分析
は明日のEJで行います。    ―――[小沢一郎論/22]


≪画像および関連情報≫
 ●民主党党大会/2010.1.16/小沢幹事長
  ―――――――――――――――――――――――――――
  「何ら不正なお金ではない」「何としても納得できない」。
  演説では全身を前のめりに動かしながら一言一言に力を込め
  た。党大会前日の元秘書らの逮捕劇に「これがまかり通るな
  ら日本の民主主義は暗たんたるものになる」と憤然とした表
  情。「信念を通し戦っていく決意です」と自らに言い聞かせ
  るように大きくうなずくと、議員席から「そうだ!」という
  掛け声と大きな拍手が起こった。演説を終えると小沢氏はそ
  のまま退場。外で待ち構えていた記者団に「現職の国会議員
  が逮捕され、非常に残念。国民におわび申し上げたい」と陳
  謝し、「国民に味方していただける」と話して約十分で切り
  上げた。      ――2010.1.17「東京新聞」
  ―――――――――――――――――――――――――――

民主党党大会での小沢幹事長.jpg
民主党党大会での小沢幹事長
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2010年02月04日

●「小沢の使い分ける2種類の『国民』」(EJ第2747号)

 昨年の大久保秘書逮捕の後で小沢の発した言葉の分析を続ける
ことにします。言葉を2つに分けて再現します。まず、前段の言
葉の再現です。
―――――――――――――――――――――――――――――
 ・私には絶対に承服できない話だ。法律が法律として通らない
  国にしてはならない。法が悪いなら法を変えないと「国民」
  は不幸な目に遭う。私は戦う。      ──渡辺乾介著
         『小沢一郎/嫌われる伝説』より/小学館刊
―――――――――――――――――――――――――――――
 渡辺氏によると、上記の「国民」は「主権者」を指していると
いうのです。なぜ、主権者なのか――その理由を渡辺氏は小沢が
つねにいう次の「主権の定義」を示して説明しています。
―――――――――――――――――――――――――――――
 主権とは国と社会のすべてを決める最高で最終の、他に侵され
 ない権力のことであり、その権力を持っているのは国民にほか
 ならない。                ――前掲書より
―――――――――――――――――――――――――――――
 この時点で小沢は、自分の公設第一秘書を逮捕されているので
す。小沢としてはこの逮捕はとうてい承服できないと思っており
検察の裁量権の乱用であると考えています。
 日本の統治システムは現在、官僚主導、官僚支配のもとにあり
その官僚機構の一翼を担う検察は、法運用の裁量権を握っていま
す。もし、その裁量権の解釈しだいで犯罪の存否が決まるとした
ら、それは国民の主権侵害に及ぶ恐れがあります。したがって、
ここでいう「国民」は、主権者であると考えているわけです。
 そして、大久保秘書逮捕の容疑が「政治とカネ」の問題である
ことから、そういうことが今後絶対に起こらないようにするため
小沢は直ちに企業・団体献金の全面禁止を検討するよう指示して
います。民主党はこの小沢の指示を受け、パーティー券購入を含
め、「3年以内」の禁止を盛り込んだ改正案をまとめ、2009
年6月に衆院に民主党議員らが議員立法で提出しましたが、衆院
解散で廃案になっています。
 そこに今回の秘書逮捕です。民主党の対策チームでは、小沢が
2009年10月に有識者で構成する「新しい日本をつくる国民
会議」(21世紀臨調)に求めた政治資金規正などに関する提言
をこの2月に受け取ることになっているので、そのうえで詳細を
まとめる方針です。したがって、今回は成立するはずです。
 続いて後段の言葉を再現します。次の「国民」は何を意味して
いるのでしょうか。
―――――――――――――――――――――――――――――
 ・政治や経済が不安定で混乱した状況になると、自己主張する
  ことが排斥される日本社会は非常に極端な流れに付和雷同し
  がちになるから、私の問題で「国民」に不安を与えてはなら
  ない。                 ――前掲書より
―――――――――――――――――――――――――――――
 上記の2つ目の「国民」について渡辺氏は、前段のそれが法理
論を中核とした観念であるのに対し、後段のそれは、生きとし生
ける「生活者」としての国民であると指摘しています。
 小沢という政治家は、自分がある政治的決断をし、行動を起こ
そうとするとき、それが国民生活にどのような影響を与えるかを
慎重に調査し、周到な検討をしたうえで行動を起こすのです。
 金丸5億円献金問題のときの小沢の行動にもそれはあらわれて
います。金丸は献金報道を受けて5億円の授受を認めることにし
て、小沢にその発表のタイミングや段取りのいっさいをまかせた
のです。それから、小沢はしばらく姿を隠し、何かをやっていた
のです。小沢の周辺では、小沢は検察対策を練っているのではな
いかとみられていたのです。
 しかし、小沢のやっていたことは周囲の予想とは大きく違って
いたのです。小沢はそのとき、この献金問題の発覚が景気と国民
生活にどう影響するかの分析を行っていたのです。これについて
渡辺乾介氏は次のように述べています。
―――――――――――――――――――――――――――――
 「大きな影響力のある政治家は自分の政治行動によって国民を
 犠牲にしたり、迷惑をかけたりしてはならない」と、その時の
 小沢は真剣に語っていた。金丸から5億円授受を打ち明けられ
 た小沢は、翌日から秘書、スタッフを投入して1か月以上前か
 らの株価の変動を示すチャートを作り、経済指標と各種データ
 を収集、さらに自ら信頼できる経済人らの景気診断を聞き、そ
 れらの分析に没頭した。          ――前掲書より
―――――――――――――――――――――――――――――
 ちょうどそのとき、宮沢内閣は10兆円規模の大型経済対策の
最終調整段階にあったのです。そして慎重な判断の結果、小沢は
総合大型経済対策が決定される前日の1992年8月27日に金
丸に副総裁辞任を発表するようアドバイスをしたのです。
 一般的な小沢のイメージは権謀術数の金権政治家というもので
すが、意外にも彼はつねに経済の動向を気にかけていたのです。
なぜ経済かというと、経済は国民生活そのものであるからです。
自分の政治行動に国民を巻き込まないというのが小沢の信条であ
るのです。小沢のいう「私の問題で『国民』に不安を与えてはな
らない」とはそういうことをいっているのです。
 2000年4月の自自連立解消にさいしても小沢はそういう配
慮をしています。そのとき、自民党の小渕恵三と自由党の小沢一
郎は、両党を解党して新党をつくることで極秘の会談をしたので
すが、まとまらず、自自連立を解消しています。
 そのとき、小沢は3月はじめには連立離脱を決めていたのです
が、連立離脱の発表と実行は4月1日になったのです。それは、
3月30日に本予算が決まるのを待っていたからです。国民生活
への影響を考慮したからです。小沢という政治家は、一方的な報
道による巨悪イメージが定着しており、寡黙でもあるので、その
真実の姿は知られていないのです。  ―[小沢一郎論/23]


≪画像および関連情報≫
 ●金丸脱税事件について
  ―――――――――――――――――――――――――――
  東京地検特捜部は、平成5年3月6日、元自民党副総裁金丸
  信と金丸の秘書生原正久を脱税の疑いで逮捕しました。前年
  の東京佐川急便による金丸に対する5億円違法献金で略式起
  訴、罰金20万円という決着で、失墜した検察の権威を回復
  する快挙でした。きっかけは5億円献金事件で浮かび上がっ
  てきた不明朗な金の流れでした。金丸の預金口座を調べるう
  ちに、意味不明な資金があることが判明し、東京国税局査察
  部との連携によって、とうてい政治資金とは認められない膨
  大な金の存在が明らかになったのです。
        http://www.seijikonran.com/1993/199305.html
  ―――――――――――――――――――――――――――

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2度逮捕された大久保秘書
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2010年02月05日

●「小沢幹事長不起訴の背景」(EJ第2748号)

 2月4日、東京地検特捜部は、小沢幹事長の資金管理団体「陸
山会」の土地購入を巡る事件で、同会の事務担当者だった石川知
裕衆議院議員、小沢幹事長の公設第一秘書の大久保隆規、同会事
務担当者池田光智の3人を「政治資金規正法違反(虚偽記載)」
で起訴したものの、小沢幹事長については不起訴としたのです。
 これをもって野党は自分の資金管理団体の秘書が3人も逮捕・
起訴されたのだから、小沢は責任重大であり、その道義的責任を
問う構えです。
 しかし、この事件には基本的な疑問があります。なぜなら、こ
の事件が当時陸山会の直接担当者だった石川知裕衆院議員を国会
前に逮捕し起訴するほどの重罪だったのかということです。
 新聞各紙にはいろいろ書かれていますが、ていねいに読むと新
聞によって少しずつ違っている部分があります。要するに何がな
んだかよくわからないで書いているような感じすらします。
 石川議員の逮捕容疑は「政治資金規正法違反(虚偽記載)」に
なっていますが、元検事で弁護士の郷原信郎氏によると、石川議
員の逮捕・拘置事実は次の通りなのです。
―――――――――――――――――――――――――――――
 陸山会の2004年分の政治資金収支報告書の「収入金額」を
 4億円過少に、「支出総額」を3億5200万円過少に記入し
 た虚偽記入の事実
―――――――――――――――――――――――――――――
 要するに収支が合っていないというだけのことです。郷原氏に
よると、政治資金規正法で政治家を逮捕するには、記載されるべ
きであったのに記載されていなかった収入・支出を特定するべき
であるのに、単に収支が合わないという理由だけで逮捕するのは
あまりにも乱暴であるというのです。
 事実はどうだったのかを整理してみることにします。実は4億
円は2つあるのです。
―――――――――――――――――――――――――――――
  1.陸山会が小沢から現金で借りた4億円 → 不記載
  2.銀行から小沢名義で融資された4億円 → 記 載
―――――――――――――――――――――――――――――
 石川は世田谷の土地を購入するよう小沢から指示を受けたので
すが、陸山会のあちこちの金を集めないと4億円はできないので
何とかして欲しいと小沢に頼んだのです。そうすると、小沢は現
金で4億円用意して石川に渡したのです。小沢はこの資金は自分
が貯めた自己資金であるといっています。
 石川はそのお金を陸山会の口座に入れ、そのお金で世田谷の土
地を購入しています。2004年10月29日のことです。石川
はその日に小沢名義で4億円の定期預金を担保して銀行から4億
円の融資を受けているのです。このときの4億円は、2004年
陸山会の収支報告書に記載されています。
 しかし、石川は小沢から現金で借りた4億円は収支報告書に記
載していないのです。逮捕後になぜ記載しなかったのかと理由を
聞かれた石川は「小沢氏が多額のお金を持っていることを伏せた
かった」と供述しているのです。したがって、石川はこのことに
ついては認めているのです。
 ごく常識的に考えれば、陸山会が世田谷の土地を購入するさい
手持ち資金が足りないので、小沢から現金で4億円借り、購入後
小沢名義の定期預金を担保にして銀行から4億円を借りて、小沢
に返したということではないのでしょうか。
 これなら、理屈に合う話です。ところが、検察は銀行から借り
入れの4億円は、小沢の現金の4億円の原資を隠すための偽装で
はないかと疑ったのです。そう考える根拠は、現金の4億円の中
には、水谷建設からの5000万円の裏献金が入っており、それ
を資金洗浄したと考えたのです。
 しかし、小沢は水谷建設からの裏金などないと断言し、これに
ついては、逮捕された石川、大久保、池田の3人もないと証言し
ているのです。そこで、小沢は検察の誤解を解くため、取り調べ
に応じ、4億円の原資は、これこれこういう経緯でストックした
自分の資金であることを証言しています。銀行口座も明らかにし
4億円の原資を検察に説明しているのです。
 今回小沢が不起訴になったのは、小沢の示した4億円の原資に
ついて、それがウソだといえるだけの証拠が検察側になかったか
らといえます。
 大メディアは意図的に報道しませんが、水谷建設元会長は、佐
藤栄佐久前福島県知事の汚職事件で、裏献金に関してウソの供述
をし、控訴審判決では「賄賂はゼロ」という裁判所の判断が示さ
れているのです。つまり、特捜部は政権与党の幹事長のいう証言
よりも、執行猶予欲しさに裏献金についてウソをついたことが明
白になっている水谷建設元会長の証言を信用しているということ
になるのです。どうしても小沢を上げてやるという異常な執念を
感じます。ちなみに、前福島県知事の汚職事件のときも今回の小
沢捜査も指揮をとる特捜部長は同じ佐久間特捜部長なのです。
 もうひとつ検察が虚偽記載といっているのは、不動産の取得が
2004年10月なのに、収支報告書は2005年1月になって
いるということがあります。小沢側はこれについて不動産屋の希
望と説明していますが、不動産取引にはよくあることです。
 それだけのことで、あの中川昭一元財務・金融相を破って小選
挙区で当選した石川議員の多数の有権者の支持を無視し、政治資
金規正法の虚偽記載という形式犯で前途有望な代議士を逮捕・起
訴して、公民権停止で失職させてよいものなのでしょうか。
 まして小沢は不起訴なのです。大メディアは世論調査をして小
沢辞職キャンペーンをしたり、小沢を「容疑者」と書いた大新聞
系列の夕刊紙などは「小沢人民裁判へ」というタイトルの記事を
書くなど常軌を逸しています。
 もっと冷静になって、これから民主党がどういう仕事をするか
見守ることの方が、根拠のない小沢叩きよりもはるかに意義のあ
ることと思います。         ―[小沢一郎論/23]


≪画像および関連情報≫
 ●文藝評論家/山崎行太郎の政治ブログ
  ―――――――――――――――――――――――――――
  小沢一郎幹事長が、2月1日、起訴の場合は「責任を取る」
  つまり「幹事長辞任もある」と記者会見で発言したことから
  前原某や枝野某、野田某等を中心にした「反小沢一派」の面
  々が、「小沢打倒」を目指して、俄に浮き足立った動きを開
  始した民主党内だったが、結果は、今夜(2月2日)になって
  検察側からのリーク情報だと思われるが、突然、「小沢不起
  訴」の情報が駆け巡り、一連の小沢事件の攻防は、「検察完
  敗」に終わりそうな雲行きになってきたわけで、またまた、
  「反小沢一派」のクーデターは空振りに終わりそうだ。しか
  しそれにしても、相変わらず空気の読めない、政治的センス
  の欠如した連中である。そもそも引退寸前のボケ老人──渡
  部某に「七奉行」などとそそのかされて、その気になること
  自体が政治家失格であり、お気の毒としか言いようがない。
  http://d.hatena.ne.jp/dokuhebiniki/20100203/1265125274
  ―――――――――――――――――――――――――――

自宅を出る小沢幹事長.jpg
自宅を出る小沢幹事長
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2010年02月08日

●「記者クラブ廃止の公約と民主党」(EJ第2749号)

 現代のテレビには、政治をテーマとしたバラエテイ番組が多く
あって、その視聴率はかなり高いといいます。テレビ朝日の「タ
ケシのTVタックル」や日本テレビの「太田総理」などがそうで
すが、小沢はこの手の政治バラエテイ番組にはいっさい出演しな
いことに決めているようです。
 もし、小沢がこの手の番組にときどきでも出演していれば、そ
の人となりが知られ、好感度もアップしたと思われますが、小沢
はそうしないのです。その理由について、小沢は次のように語っ
ているのです。
―――――――――――――――――――――――――――――
 政治には国民の命が懸かっている。不真面目、いい加減な気持
 ちで茶化すものではない。バラエティには人々を楽しませる重
 要な意義があるが、それと政治は違う。政治を真正面から議論
 するならどこにでも出る。そうでなければ政界を引退してから
 考える。                 ──渡辺乾介著
         『小沢一郎/嫌われる伝説』より/小学館刊
―――――――――――――――――――――――――――――
 ここから小沢とメディアの関係について書いていきますが、そ
の前に「メディア」の定義を明らかにしておく必要があります。
―――――――――――――――――――――――――――――
          1.組 織メディア
          2.フリーメディア
―――――――――――――――――――――――――――――
 「組織メディア」とは、新聞社とテレビ局を指しているのです
が、その実体は「記者クラブ」なのです。これについては、後で
詳しく述べます。
 「フリーメディア」とは、出版社系雑誌、外国報道機関、個人
のフリーランスメディアを指しています。メルマガやブログやツ
イッターなどのメディアも一応この中に入りますが、「ネットメ
ディア」という分類も考えられます。
 ところで、「記者クラブ」とは何でしょうか。一般的な定義を
上げておきます。
―――――――――――――――――――――――――――――
 記者クラブとは、首相官邸、各省庁、地方自治体、地方公共団
 体、警察、業界団体などの組織に設置された記者室を取材拠点
 にしている、特定の報道機関の記者が構成する組織のこと。記
 者室を設置している各団体から独占的に情報提供を受けること
 で知られる。記者室の空間及び運営費用は原則として各団体が
 負担・提供し、記者クラブが排他的に運営を行う。同種の組織
 は日本国外では一般的でないため、たとえば、英語ではkisha
  clubないしはkisha kurabu と表記する。日本における報道
 の寡占・閉鎖性の象徴として内外から批判されている。
                    ――ウィキペディア
―――――――――――――――――――――――――――――
 テレビでたびたび見かける鳩山総理大臣の記者会見は、内閣記
者会がすべてを取り仕切っています。かねがね民主党は野党のと
きから、記者クラブは廃止するといっていたのですが、政権交代
が実現したとたん、平野官房長官はこの公約に消極的姿勢を示し
2009年9月16日に行われた鳩山首相の就任記者会見は、今
までの記者クラブのメンバーに外国特派員記者など一部の記者が
新たに会見に参加できたものの、ネットメディアは完全に締め出
されたのです。
 これは、明らかに公約破りなのですが、こういうことは記者ク
ラブを擁する組織メディアは絶対に書かないのです。つまり、組
織メディアは自分たちにとって都合の悪い情報はいっさい流さな
いということです。
 ところで、記者クラブには、内閣記者会のほかに次の2つのク
ラブがあります。
―――――――――――――――――――――――――――――
           1.平河クラブ
           2.野党クラブ
―――――――――――――――――――――――――――――
 自民党政権時代は、平河クラブは与党(自民)担当の記者クラ
ブです。平河町にある自民党本部の平河クラブは「党本部平河」
といい、衆議院内にある平河クラブは「院内平河」として区別し
ているのです。所属する記者は、国会開会中は院内平河に、国会
閉会中は党本部平河に詰める場合が多いのです。
 これとは別に野党を担当する野党クラブがあります。政党の党
首、幹事長の会見は、今までは自民党と公明党は平河クラブ、野
党は野党クラブがやっていたのですが、政権交代でこれが逆転し
たことになります。つまり、平河クラブが野党クラブになり、野
党クラブが与党を担当することになるのです。
 記者クラブを廃止する――といってもこれは簡単なことではな
いのです。記者クラブは、新聞・テレビの政治部記者にとって、
取材と情報収集の最前線基地であるだけでなく、政治報道の生命
線的存在なのです。
 したがって、もし、記者クラブがなくなってしまうと、組織メ
ディアは政治報道が立ち行かなくなることは目に見えているので
絶対に反対なのです。
 しかし、メディアが一番警戒し、恐れているのは小沢幹事長な
のです。なぜなら、小沢は最初から、この記者クラブ制に反対で
あるからです。
 小沢は自民党幹事長に就任した当初は記者クラブの慣習にした
がって行動したのですが、しばらくすると、オフレコ懇談の記者
懇談会をやらなくなったのです。小沢の言い分はこうなのです。
「私は記者会見でもその他の場で言うことは同じだ。公式・非公
式も、建前と本音の別もない。だから、記者懇をしても意味がな
い」と。今回、検察と記者クラブ所属の組織メディアが共闘して
いるように見えるのは、案外こういうところにも原因がありそう
です。               ―[小沢一郎論/25]


≪画像および関連情報≫
 ●記者会見をオープン化した岡田外相
  ―――――――――――――――――――――――――――
  小沢、鳩山の歴代代表の公約を反古にして官邸記者会見から
  インターネットメディアなどを締め出した民主党にも良心が
  残っていた。民主党幹事長時に党本部の記者会見をオープン
  にしてきた岡田克也外相は、9月29日から外務省の大臣記
  者会見を記者クラブ加盟社以外のジャーナリストにも開放し
  た。外務大臣記者会見開放をめぐる経緯はこうだ――。岡田
  氏は外相に就任すると間もなく記者会見を記者クラブ加盟社
  以外にも開放すると発表した。この方針に待ったをかけたの
  が記者クラブだ。理由を示してほしいと岡田大臣側が記者ク
  ラブに申し入れていたが、今日に至るも記者クラブ側から明
  確な見解は示されなかった。
   http://www.news.janjan.jp/media/0909/0909290965/1.php
  ―――――――――――――――――――――――――――

オープンの記者会見/岡田外相.jpg
オープンの記者会見/岡田外相
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2010年02月09日

●「記者クラブ制はどこが問題か」(EJ第2750号)

 自民党が与党の時代は、記者クラブに属さないフリーメディア
の雑誌などの記者は、記者会見にも参加できないので直接取材し
ようとすると、幹事長、役員、派閥領袖から一議員にいたるまで
次の言葉で追い返されていたのです。
―――――――――――――――――――――――――――――
          記者クラブを通してこい
―――――――――――――――――――――――――――――
 それに加えて「番記者制度」というのものがあります。これも
記者クラブ記者の特権なのです。組織メディア各社の政治部は、
これまで与党自民党の三役、派閥領袖、実力者をはじめとして、
野党党首、野党幹事長までの政治家の「番」をする記者を担当者
――「番記者」として配置しています。
 そして、政治家の自宅に夜討ち、朝駆けして政治家との間に人
間関係を築き、そのうえで基本的には報道しないことを前提とす
るオフレコ懇談――「記者懇」を開き、重要情報を探る取材方法
を駆使してきたのです。もちろん、こうした記者クラブの取材活
動には外部から参入することは不可能だったのです。
 この記者クラブ制――何が問題なのかというと、情報が制限さ
れることです。政権与党にとって都合の悪い情報は何らかのサイ
ンを出せば書かないし、逆に書いて欲しいことは積極的に情報を
リークして書かせるというコントロールが可能な点です。
 これは与党側にとっても、組織メディアにとってもきわめて都
合のよいことですが、このやり方では本来国民に知らせるべき重
要な報道が制限されることになります。
 ところが、記者会見に素姓のわからない多くのメディアが参加
すると、クラブ記者は書くのを控えようと思っても、どこかのメ
ディアが報道するかもしれないので、結局は報道してしまうこと
になる――本来これでなければいけないのです。
 小沢はどうかというと、これは自民党の幹事長時代から一貫し
ていることですが、本来記者会見というものはテレビで報道され
新聞にも記事が載るものであり、公開が当然という考え方に立っ
ています。これについて渡辺乾介氏は、小沢は「公開」というよ
りも「開放」を目指したとして、次のように書いています。
―――――――――――――――――――――――――――――
 それまでの記者会見は記者クラブの、記者クラブによる、記者
 クラブ記者のためのものであり、質問は記者クラブ記者しか許
 されず、フリーメディアの参加など論外だった。小沢は自民党
 幹事長在任中の後期あたりから、記者クラブとは関係なく自分
 の記者会見には来る者拒まずの姿勢を鮮明にし、外国人記者や
 フリーランスの参加を認めた。小沢の公開記者会見は経世会分
 裂で旗揚げした「改革フォーラム21」、新生党の会見、細川
 政権の代表者会議、代表幹事記者会見へと間口を広げながら引
 き継がれた。新進党の幹事長――党首期にほぼ定着した。
 ──渡辺乾介著、『小沢一郎/嫌われる伝説』より/小学館刊
―――――――――――――――――――――――――――――
 小沢の記者会見をテレビで見ると、よく小沢が記者を叱りつけ
る映像が報道されます。そういう部分だけを切り取って見せられ
ると、何と傲慢な・・という印象を受けてしまいます。
 これに対して、在日50年の米国人ジャーナリストであるサム
・ジェームソン氏は、「小沢さんは理屈に合う質問にはきちんと
答える人です」といって次のように述べています。
―――――――――――――――――――――――――――――
 小沢さんとは、細川政権の時、外国人記者のグループで毎月懇
 談していました。非常に論理的で、どんな質問にも答え尽くそ
 うとしていたのが印象的でした。日本のプレスは「いつ説明責
 任を果たすのか」と、表面的なことばかり何度も何度も繰り返
 し質問するので、我慢強くない小沢さんが怒るシーンが(記者
 会見などで)撮影されていますが、本来、理屈に合う質問をす
 る人には理屈に合う返事をする人です。
  ――2010.1.29(28日発行)/日刊ゲンダイより
―――――――――――――――――――――――――――――
 ジェームソン氏は、小沢はマリナーズのイチローと同じタイプ
であるとして、日本人記者によるイチローへの愚にもつかない次
の質問を紹介しています。もちろんイチローは無視しています。
―――――――――――――――――――――――――――――
         けさ、何を食べましたか
―――――――――――――――――――――――――――――
 日本人記者がまともな質問もできないほどレベルが低いのは、
記者クラブのせいであると思います。なぜなら、クラブ記者は重
要な情報――正しいかどうかは不明であるが――ラクに手に入る
環境にいるからです。
 最近知った記者クラブの弊害をひとつ紹介します。小沢が政治
資金で土地を購入していることを鬼の首でも取ったように非難し
ている自民党の町村信孝議員が、やはり政治資金で土地を購入し
ていたことが、日刊ゲンダイ/1月28日(27日発行)に出て
いるのです。
 町村氏が代表を務める資金管理団体「信友会」は、2001年
に北海道江別市の不動産(建物)を1000万円で取得。登記簿
によると、建物の所有者は町村氏自身なのです。
 信友会は2007年にこの建物を約600万円で町村氏本人に
売却しているのですが、建物は2001年12月の「新築」なの
に信友会の政治資金収支報告書では、取得の日付が建築前の7月
と11月になっていることです。
 金額は違いますが、町村も小沢と同じようなことをやっている
のです。政治資金で不動産を購入するなんて今までに例がないと
テレビのコメンテーターはいっていますが、調べるとこういうケ
ースが続々と出てくるのです。
 しかし、何よりも卑劣なことは、記者クラブ所属の組織メディ
アはこのことを報道していないのです。「悪いのは小沢だけ」と
いえなくなるからです。       ―[小沢一郎論/26]


≪画像および関連情報≫
 ●江田憲司議員も政治資金で建物を購入している
  ―――――――――――――――――――――――――――
  ネットによると、江田憲司議員も政治資金で不動産を購入し
  ています。当時は別に法的には問題はないのですが、「やっ
  ているのは小沢だけ」という組織メディアの報道は事実が明
  確だけに公平ではないと思います。購入した建物は、横浜市
  青葉区の106平方メートル、840万円であり、平成15
  年4月1日と収支報告書には記載されています。
      http://blogs.yahoo.co.jp/voteshop/1935210.html
  ―――――――――――――――――――――――――――

町村信孝議員と江田憲司議員.jpg
町村信孝議員と江田憲司議員

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2010年02月10日

●「記者クラブ廃止に向けての小沢の戦略」(EJ第2751号)

 記者クラブを廃止する――これは小沢が自民党の幹事長時代か
ら密かに抱いている目標といえます。しかし、記者クラブを廃止
するというのは容易ならざることです。それは時間をかけてひと
つずつ既成事実を積み重ねていくしかない――小沢はそのように
考えていたのです。
 そこで小沢は自民党時代に記者懇を廃止し、記者会見をオープ
ンにしたのです。そして野党党首時代に野党でもできることをも
う一つやっているのです。
 それは外遊随行記者団の公開参加なのです。野党党首、それも
野党第1党党首の外国訪問ともなると、野党クラブは随行取材団
を編成します。この野党クラブは既に述べたように、記者クラブ
に属しているのです。
 政治部記者にとって、総理大臣や野党党首の外国訪問の随行取
材記者の一員として選ばれることは大変名誉なことであり、これ
こそ記者クラブ記者の特権だったのです。そこにフリーメディア
の記者たちが参加することなどあり得なかったのです。
 1996年5月、小沢は新進党党首として中国を訪問し、江沢
民国家主席、李鵬首相など中国の政府や共産党最高幹部と会談し
ています。このときの随行取材団は総勢25名であり、新進党議
員10数名の中に若き日の岡田克也氏の顔もあったのです。
 このときの随行取材団の中には、記者クラブ15社17名のほ
か、地元岩手の放送2社と県紙1社3名、週刊誌3社5名の記者
クラブ以外のメディアの参加を認めているのです。
 これは野党クラブにとって大ショックであったのです。しかし
正面切って反対できないので、「小沢は自分に好意的なメディア
を選んで随行記者団に参加させている」という記事を書いて対抗
するのが、せいいっぱいであったのです。
 しかし、中国では野党クラブの求めた記者懇に応じ、記者クラ
ブにサービスをしているのです。そのとき、小沢は記者懇で、自
民党が社会党、新党さきがけとの連立を解消するなら、新進党と
して協力もあり得るという重要なコメントをしているのです。小
沢は野党クラブにも配慮を示しているのです。
 そして今回の政権交代では小沢は与党民主党の幹事長であり、
記者クラブの廃止、開放が決まる可能性は高まったといえます。
記者クラブ側の危機感は相当あると思います。まして民主党は選
挙でも「記者クラブ廃止」を公言しているからです。
 しかし、記者クラブとして直接小沢を攻撃するのは問題がある
ので、渡辺乾介氏によると、非常にトリッキーな手法を使って小
沢を攻撃しているというのです。
 それは「小沢対反小沢」という構図を作って、反小沢側の小沢
批判に寄生することによって小沢を叩くという手法です。したが
って、小沢事務所にかかわる昨年来からの秘書逮捕は渡りに船の
事件であったのです。
 この裏金疑惑によって「小沢はこのように批判されている」と
報道するだけで、記事のリスクを回避して小沢を叩けるし、小沢
本人に取材する必要もないというわけです。そして、小沢を潰せ
ば民主党は崩壊すると考えているのです。
 しかし、これまでに一番小沢を怒らせたのは、組織メディアに
よる福田政権時代の大連立協議をめぐる報道なのです。このとき
組織メディアは、福田首相と野党第一党の小沢との会談の内容よ
りも、その会談の仕掛け人は誰かということに中心を置いた報道
に終始したのです。
 しかし、常識的に考えてこの仕掛け人は福田首相と考えるのが
筋というものです。なぜなら、当時与党の自民党・公明党は、参
院で過半数を持っていないので、法案が通らず困り果てていたか
らです。したがって、民主党党首の小沢に働きかけることによっ
て法案成立に協力してもらいたいとして、会談を申し入れること
はあっても不思議はなかったのです。
 しかし、組織メディアは最初からその仕掛け人は小沢であると
して一斉に報道したのです。これに対して激怒した小沢は、連立
をめぐる政治的混乱を生じたことを理由として、鳩山幹事長に代
表辞任を申し出たのです。2007年11月4日のことです。
 その記者会見において小沢は2枚のペーパーを用意しているの
です。問題はその2枚目のペーパーです。これには、衆議院議員
・小沢一郎名で「中傷報道に厳重抗議する」という標題がついて
おり、おおよそ次の内容だったのです。
―――――――――――――――――――――――――――――
 福田総理との党首会談に関する新聞・テレビの報道は、明らか
 に報道機関としての報道、論評、批判の域を大きく逸脱してお
 り、私は強い憤りをもって厳重に抗議いたしたいと思います。
 私の方から党首会談を呼びかけたとか、私が自民・民主両党の
 連立を持ちかけたとか、はては今回の連立構想について、小沢
 首謀説なるものまでが、社会の公器を自称する新聞・テレビで
 公然と報道されております。いずれも事実無根です。――この
 あと一切取材を受けたことはないと断って――それにもかかわ
 らず、事実無根の報道が氾濫していることは、朝日新聞、日経
 新聞等を除き、ほとんどの報道機関が政府・自民党の情報を垂
 れ流し、自ら世論操作の一翼を担っているとしか、考えられま
 せん。それにより、私を政治的に抹殺し、民主党のイメージを
 決定的にダウンさせることを意図した、明白な誹譲中傷報道で
 あり、強い憤りを感ずるものであります。――一部略――
 ──渡辺乾介著、『小沢一郎/嫌われる伝説』より/小学館刊
―――――――――――――――――――――――――――――
 これは小沢の記者クラブの報道姿勢に対して向けられた怒りで
あり、一種の挑戦状ともとれる内容です。このあたりから小沢対
記者クラブは全面対決に入っていると考えられます。
 現在は大臣によって記者会見のやり方はバラバラになっていま
す。しかし、流れは確実にオープン化に向かっており、いずれ、
記者クラブの存続の是非が問われることになると思われます。
                  ―[小沢一郎論/27]


≪画像および関連情報≫
 ●マスコミ報道の信頼性調査/2010.1.29
  ―――――――――――――――――――――――――――
  マスコミ信頼度調査/中間速報(有効回答6530件)10
  1月29日現在、『設題3:マスコミは信頼できる報道をし
  ていますか?』
  1.どちらかと言えば信頼できる ・・・・・ 36.3%
  2.偏向報道が見受けられる ・・・・・・・ 27.5%
  3.どちらかと言えば信頼できない ・・・・ 18.5%
  4.信頼できない ・・・・・・・・・・・・  8.6%
  5.このままだとマスコミ業界が崩壊して行   5.4%
  6.信頼できる ・・・・・・・・・・・・・  3.0%
  7.その他 ・・・・・・・・・・・・・・・  0.7%
   http://www.olive-x.com/news_ex/newsdisp.php?n=83534
  ――――――――――――――――――――――――――−

小沢幹事長記者会見.jpg
小沢幹事長記者会見
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2010年02月12日

●「鳩山政権の中途半端な記者会見開放」(EJ第2752号)

 記者クラブが始まったのは1890年のことです。第1回帝国
議会の新聞記者取材禁止の方針に対して、『時事新報』の記者が
在京各社の議会担当記者に呼び掛けて、「議員出入記者団」を結
成し、1890年10月にこれに全国の新聞社が合流して名称を
次のように定めたのです。これが記者クラブの始まりなのです。
―――――――――――――――――――――――――――――
         「共同新聞記者倶楽部」
―――――――――――――――――――――――――――――
 記者クラブの目的については、その歴史を調べると、いろいろ
な曲折があったようです。1949年10月には、日本新聞協会
は次の「記者クラブに関する方針」を打ち出しています。
―――――――――――――――――――――――――――――
 記者クラブは、親睦社交を目的として組織するものとし取材上
 の問題にはいっさい関しないこと
              ──「記者クラブに関する方針」
―――――――――――――――――――――――――――――
 要するに記者クラブは記者同士の親睦団体であるという位置づ
けをしているのです。しかし、この記者クラブの方針は48年後
の1997年になると、次のように変わっています。
―――――――――――――――――――――――――――――
 記者クラブは、公的機関が保有する情報へのアクセスを容易に
 する「取材のための拠点」とする。
              ──「記者クラブに関する方針」
―――――――――――――――――――――――――――――
 つまり、記者クラブを「取材のための拠点」として明確にした
のは、そんなに前のことではないのです。そこで、現時点での記
者クラブの定義をご紹介しておきます。
―――――――――――――――――――――――――――――
 記者クラブとは、首相官邸、省庁、地方自治体、地方公共団体
 警察、業界団体などの組織に設置された記者室を取材拠点にし
 ている、特定の報道機関の記者が構成する組織のこと。記者室
 を設置している各団体から独占的に情報提供を受けることで知
 られる。記者室の空間及び運営費用は原則として各団体が負担
 ・提供し、記者クラブが排他的に運営を行う。
                    ──ウィキペディア
―――――――――――――――――――――――――――――
 小沢はこの記者クラブ制度について最初から疑問を感じており
記者会見においてはメディアを制限するということはやっていな
いのです。鳩山政権の大臣の何人かは、それぞれの判断で記者会
見をやっており、いわゆる記者クラブのルールは現在ゆらぎつつ
あるといえます。
 鳩山政権の閣僚のひとりである亀井大臣は、金融庁の記者クラ
ブに対して、自分の記者会見には他のメディアを同席させるよう
にと申し入れたところ、金融庁記者クラブから拒否されたという
のです。といっても、すべての記者クラブが一律に記者会見開放
に「ノー」といっているわけではないようです。外務省記者クラ
ブなどは、岡田外相の求めに応じて開放に同意しています。
 そこで、亀井大臣は反撃に出たのです。記者クラブ記者向けと
その他のメディア向けの2回の会見を開くことにしたのです。そ
の代わり、記者クラブ向けの会見は時間を半分にしたのです。そ
して、その他メディア記者向けの会見は、金融庁の大臣室で行う
ことにし、こちらはコーヒーが振る舞われるのです。つまり、亀
井大臣は記者クラブ記者に嫌がらせをしているのです。
 しかし、これは実に無駄な話です。金融庁の記者クラブが貴重
な大臣の時間を奪っているからです。毎週火曜日と金曜日、亀井
大臣は金融庁16階にある記者会見場で、新聞、テレビなどの記
者クラブメディア対象に大臣会見を開きます。通常の大臣ならば
これで記者会見は終わりです。ところが亀井大臣は違うのです。
記者会見を終えたばかりのその足で、17階の金融担当大臣室に
向かい、そこで待っているフリーランス、雑誌、ネット、海外メ
ディアなどの記者に対して、今終えたばかりの同じ記者会見をも
う一度やっているのです。
 亀井大臣は、記者クラブが記者会見の開放を断ってきたとき、
記者クラブ記者に向けて、次のようにいい、実際にそれを実行し
ているのです。
―――――――――――――――――――――――――――――
 あんたたちはなんという時代錯誤なことをしているんだ。報道
 の自由や情報公開の見地からしておかしいでしょう。国民の知
 る権利をメディアが奪ってどうするんですか。それならばね。
 私は、自分主催の会見を開いて、そこにフリーランスやネット
 や海外メディアの皆さんをお呼びしますよ。  ――亀井大臣
―――――――――――――――――――――――――――――
 そもそもこの記者クラブに対して公然と反対を表明したのは、
当時長野県知事であった田中康夫氏です。2001年5月15日
のことです。いわゆる「脱・記者クラブ宣言」です。
 この記者クラブ制の廃止を早くから唱えてきている政治ジャー
ナリストの上杉隆氏は、記者クラブ制について次のように批判し
ています。
―――――――――――――――――――――――――――――
 世界の笑いものです。以前は韓国にも同種の記者クラブがあり
 ましたが、既になくなりました。私が調べた限りでは、記者ク
 ラブに近い制度があるのは日本とアフリカのガボンだけです。
 アジアも南米も、もちろんそんな制度はなく、日本にきた記者
 たちは驚いています。            ――上杉隆氏
        http://www.j-cast.com/2008/12/30032953.html
―――――――――――――――――――――――――――――
 このように、記者クラブの廃止を唱えているのは小沢だけでは
ないのです。しかし、民主党は正式に記者クラブ廃止にまだ踏み
切れていないのです。肝心の平野官房長官が反対の姿勢をとって
いるからです。           ―[小沢一郎論/28]


≪画像および関連情報≫
 ●中途半端な総務省の記者会見開放について
  ―――――――――――――――――――――――――――
  「会見を開放するといってもウェブ専業メディアは対象外。
  現時点では質問権を持つ参加は認められない」──「開放」
  したという総務省の定例記者会見に参加したい。ITメディ
  ア・ニュース編集部が総務省記者クラブに問い合わせをした
  ところ、こんな回答があった。総務省は2009年1月5日
  記者クラブに加盟していないメディアに対して総務相の定例
  会見を開放した。会見には「J−CASTニュース」といっ
  たウェブメディアも参加し、ニコニコ動画のライブ配信「ニ
  コニコ生放送」が生中継も行った。
http://www.itmedia.co.jp/news/articles/1001/07/news077.html
  ―――――――――――――――――――――――――――

亀井大臣の2回の記者会見.jpg
亀井大臣の2回の記者会見
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2010年02月15日

●「なぜ、記者クラブは問題があるか」(EJ第2753号)

 「日本最強の捜査機関」といわれる東京地検特捜部というのは
どういう捜査機関なのでしょうか。
 正式な名称は「東京地方検察庁特別捜査部」というのです。政
治家汚職、大型脱税、経済事件などを独自に捜査し、大物政治家
の立件・有罪などの結果を出すことから、日本における最強の捜
査機関といわれるのです。
 この東京地検特捜部――この捜査機関の前身がかつての連合国
軍による占領下で、旧日本軍が貯蔵していた隠退蔵物資を摘発し
てGHQの管理下に置くことを目的に設置された組織であること
を知っている人は少ないと思います。そのときの名称は、「隠匿
退蔵物資事件捜査部」というのです。
 実は、特捜部となってからも特捜部のエリートに在米日本大使
館の一等書記官経験者が多いのです。そのため、東京地検特捜部
は、米国の影響力を受けているといううわさがあるのです。ロッ
キード事件は、田中角栄元首相が、エネルギー政策の解決のため
に政権を奪取し、日本独自のエネルギー・ルートを確立しようと
して米国の石油資本を怒らせたといわれており、米国が深くから
んでいる事件なのです。
 それはさておき、検察にはこの東京地検――東京地方検察庁を
はじめとして、全国の地方検察庁に大メディアによる司法記者ク
ラブがあります。東京地検特捜部は、検事が最も憧れる花形ポス
トですが、それを取材する側の司法記者クラブもメディアの花形
ポストなのです。
 ところで、現在記者クラブはその30%が女性記者が占めてい
るといわれます。中でも検察・裁判所を担当する司法記者クラブ
には、各メディアが美人記者を競って配置しているといわれてい
るのです。
 なぜ、美人女性記者なのでしょうか。ある全国紙のキャップは
次のようにいっています。
―――――――――――――――――――――――――――――
 記者の相手をするのは部長、副部長に限られるが、検事だって
 酒も好きだし、女も好き。特に被疑者の取り調べや資料の読み
 込みなどの格闘が続くと、気を抜きたくもなる。それがわかっ
 ているから民放は美人を揃える。そしてたまに女性記者を相手
 に酒を飲んで、カラオケにも行きたくなる。そんな中、露骨に
 スクープをあげることはないにしても、そこの局だけネタが取
 れない特落ち≠ヘかわいそうだと、そっと漏らしてしまった
 りするわけです。   ――『週刊ポスト』2/12日号より
―――――――――――――――――――――――――――――
 とにかくこの東京地検特捜部は強大な権限を持っており、政権
与党幹事長の現役の秘書2人と元秘書――しかも衆議院議員を国
会開会直前に逮捕するという大胆にして乱暴な捜査をしているか
たわら、一方で罪状明らかな木嶋佳苗容疑者や上田美由紀容疑者
については埼玉県警や鳥取県警が異常なほど慎重な捜査をしてい
ることに違和感を感じてしまいます。
 何しろ政治家は、特捜部に逮捕されるだけで、結果として不起
訴になったり、起訴されて裁判の結果無罪になったとしても、政
治生命は逮捕された時点で終わりなのです。それだけに特捜部と
しては慎重の上にも慎重に捜査すべきですが、現状はかなり荒っ
ぽい捜査をしているようにみえます。
 それに大メディア――いずれも記者クラブ加盟メディアですが
その報道ぶりはどうしても検察寄りになります。どうしてそうな
るのかというと、事実上司法クラブ所属メディアはそうせざるを
得ないのです。なぜかというと、もし、検察について批判的な記
事を書くと、検察はその社を記者クラブに「出入り禁止」にし、
それ以外の場所でも絶対に取材に応じないのです。つまり、検察
捜査を批判すると、取材を封じて干し上げてしまうのです。
 こうなると、司法記者クラブは、検察に絶対に逆らえず、その
まま書くしかなくなります。それでも昔の司法クラブ記者のなか
には出入り禁止など意にかけず、検察捜査を批判する記事を書く
記者が少しはいたものですが、今は全般にサラリーマン化し、そ
ういう剛の記者はいなくなっているのです。
 検察と記者クラブのあり方について、既出の渡辺乾介氏は次の
ように書いています。
―――――――――――――――――――――――――――――
 検察や警察など国家権力を発動する実力組織に記者クラブが同
 居することは本来あってはならないのだ。それだけで権力と一
 体化している証左になり、海外メディアには理解不能である。
 記者会見は全メディアが参加する開放されたものとして事前事
 後の談合を排し、メディアの自由競争が保証されたもとでこそ
 権力をチェックし、公正な報道ができるというものである。
 ──渡辺乾介著、『小沢一郎/嫌われる伝説』より/小学館刊
―――――――――――――――――――――――――――――
 もうひとつ記者クラブにはからくりがあります。というのは、
記者クラブは記者個人が任意で加盟する親睦会になっていること
です。それでいて記者たちは、新聞社やテレビ局の名刺を持って
仕事をしています。
 なぜ、こんなことをするのかというと、もし、記者クラブを新
聞社やテレビ局の法人会員ということにすると、省庁や行政機関
や公的機関が一民間企業に特別なスペースを与え、特別な情報を
提供することは税金の不公平な使い方であり、行政の不公正を招
くという難しい問題になってしまうからです。
 それが個人であればすべてクリアできるわけではありませんが
少なくとも企業よりもグレーゾーンにすることができるのです。
ちょうど、企業団体献金は政治家個人には献金できないが、政治
団体ならできるというのと同じような考え方です。実際には政治
団体は代表者は違っても実質的には政治家本人なのですが、建前
上は政治団体に献金したことにできるのです。
 このように記者クラブは、百害あって一利なしの存在ですが、
いまだに生き残っているのです。   ―[小沢一郎論/29]


≪画像および関連情報≫
 ●「記者クラブ制度を考える」
  ―――――――――――――――――――――――――――
  行政や経済団体などが、特定の報道機関に無料で記者室を提
  供し、加盟社のみを対象に会見を開くということを慣例的に
  行ってきたのが記者クラブです。財務省「財政研究会」、日
  本銀行「日銀記者クラブ」、警視庁「七社会」、宮内庁「宮
  内記者会」、日本経団連「経団連記者クラブ」、東商「商工
  会議所記者クラブ」、東証「兜クラブ」などが代表的な記者
  クラブです。
  http://blog.goo.ne.jp/ccproducer/e/eaba0e5d4ec4c09a27d71f3f2b1605a4
  ―――――――――――――――――――――――――――

東京地検特捜部.jpg
東京地検特捜部
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2010年02月16日

●「金丸5億円献金事件を振り返る」(EJ第2754号)

 世間は小沢を、彼がこれまで政治家としてやってきた実績に関
係なく、イメージ的に何となくダーティーな政治家であると思っ
ています。その理由は何でしょうか。
 それは、あの田中角栄を師と仰ぎ、金丸信に仕えたことから、
彼らの悪い面をDNAとして受け継いでいる古いタイプの政治家
であるととらえているからです。しかし、小沢の政治信条やこれ
までの政治的実績をみると、その実像はかなり違うのです。
 ロッキード事件で田中角栄は総理大臣経験者としてはじめて刑
事被告人になったのですが、その公判がはじまったのは1977
年1月27日のことです。そのとき小沢は30代の若手議員の一
人でしたが、田中の第1回公判から191回におよぶすべての公
判を欠かさず傍聴した話はとても有名です。
 そして一審判決が出たとき、小沢は自民党総務局長になってい
たのです。このポストは選挙実務を取り仕切る中堅議員の登竜門
ともいうべきポストであったのです。そして、判決が出たとき、
小沢は衆議院議員運営委員長に就任していたのです。
 田中角栄の議員辞職を求める世論がわき上がる中で、自民党の
総理・総裁の中曽根康弘は、自民党の中の田中の政治的影響力を
排除することを宣言する「総裁声明」を発表し、このときから政
治倫理が政治の中心課題になったのです。
 小沢はこれを受けて、政治倫理綱領の制定や政治倫理審査会の
設置などを盛り込んだ国会法改正案をまとめ、衆議院議長に提出
しています。このときはこの改正案はお蔵入りになっていますが
後にこれらの改革案はすべて実現しているのです。
 なぜ、小沢は田中の裁判をすべて傍聴したのかについて、渡辺
乾介氏は直接小沢に聞いたことがあるといいます。裁判に臨む田
中の姿を他山の石として見ていたのかと聞いたとき、小沢は次の
ように答えています。
―――――――――――――――――――――――――――――
 他山の石というと、それを参考にして、自分ならこんな失敗を
 しないということになるが、そうではなく、政治家がああした
 嫌疑を受けて法廷の場で争うという状況になっても、それでも
 政治をつづけるという意味というかな、それは何なのかとか。
 または、日本の政治はどうあるべきなのか、自分だったらどう
 するか、といった反間もあったね。そういうことをいろいろに
 ずっと考えながら傍聴していた。      ――渡辺乾介著
        『あの人 ひとつの小沢一郎論』/飛鳥新社刊
―――――――――――――――――――――――――――――
 そして金丸5億円献金事件――われわれはこの事件についても
う一度考えてみる必要があります。なぜなら、それが小沢の政治
改革思想と密接に関係があるからです。
 金丸の東京佐川急便からの5億円献金が発覚したとき、政府自
民党の誰もが心配していなかったのです。この手の違反は政治家
本人におよぶことはなく、政治団体の会計責任者に対する「略式
起訴――罰金」の形式犯で終わっていたからです。これについて
は、小沢も同じ考え方であったのです。そのとき小沢は経世会会
長代行の職にあり、金丸を守る立場にあったのです。
 しかし、東京地検特捜部は、金丸の秘書の事情聴取で、金丸本
人が献金の事実を知っており、その金を政治家60数人に配って
いることを聞き出してウラをとっています。金額が5億円と多額
であり、量的制限違反の疑いによって、金丸本人から事情聴取す
る動きを見せたのです。
 これに対して竹下をはじめとする経世会幹部の間では、金丸に
上申書を提出させて、「略式起訴――罰金」で決着をつけるべき
であるという早期決着論が大勢を占めたのです。その筆頭に立っ
ていたのが、梶山静六――当時自民党幹事長だったのです。
 しかし、小沢はこれに徹底的に反対したのです。早期決着論に
反対し、「公判を辞さず」という強硬論を唱えたのです。これは
小沢と梶山の「一六戦争」といわれる激しい党内抗争に発展して
いくのです。これによって、経世会内部の亀裂も深刻化し、金丸
失脚後の派閥後継を巡る内部抗争のきっかけになったのです。
 この問題の決着を図ったのは竹下登なのです。竹下は早期決着
を目指すグループの方につき、金丸を説得して検察に上申書を提
出させたのです。検察も略式起訴を受け入れて「罰金20万円」
で決着がついたのです。
 本当はこれで終わりだったのです。しかし、これでは世間が納
得しなかったのです。「5億円もらって、罰金はたったの20万
円か」という国民の怒りが検察批判に向かい、検察は立件せざる
を得なかったのです。
 ところで、このとき小沢はなぜ徹底抗戦の強硬論を主張したの
でしょうか。
 渡辺乾介氏は、当時の小沢の法に対する考え方――裁判にかけ
てでも金丸の無罪を勝ち取ろうとした思いを次のように述べてい
るのです。
―――――――――――――――――――――――――――――
 戦後政治史の中で、いまだかつて政治家本人が政治資金規正法
 違反で立件されたことは一度もない。それは、政治家がうまく
 立ち回って責任を逃れてきたからではない。政治献金の実態と
 規正法の建前をきちんと使い分けて規制してきたからだった。
 日本の社会は建前と本音がかけ離れている。そこを法の解釈と
 運用でおさめてきた。税金だって、税法通りに厳密にとりたて
 たなら、中小企業はつぶれてしまう。だから、法の裁量、解釈
 運用でやっている。取り締まりをその範囲を超えるやり方です
 るなら、仕組みそのものを変える必要がある。――渡辺乾介著
        『あの人 ひとつの小沢一郎論』/飛鳥新社刊
―――――――――――――――――――――――――――――
 今回の小沢捜査も特捜部は明らかに小沢だけ、運用を変えて攻
めてきています。普通なら秘書を逮捕しないのに逮捕したり、少
なくとも自民党の政治家とは違う対応をしています。そのあげく
が不起訴です。           ―[小沢一郎論/30]


≪画像および関連情報≫
 ●金丸5億円献金事件の深層は何か
  ―――――――――――――――――――――――――――
  東京佐川急便事件は、1992年10月、、自由民主党経世
  会(のち平成研究会。竹下派)会長の金丸信が佐川急便側か
  ら5億円のヤミ献金を受領したとして衆議院議員辞職に追い
  込まれた汚職事件である。1986年、暴力団稲川会会長石
  井進は当初、住友銀行による平和相互銀行乗っ取りを阻止す
  る側として動いていたが、岸信介元首相からの電話により寝
  返り、乗っ取りに協力して多額の報酬を手にし、岩間カント
  リークラブ開発の所有権を得た。東京佐川急便社長渡辺広康
  は石井にトラブルの処理を何度も頼んだことがあり、その謝
  礼として石井のゴルフ場開発会社の資金調達のための銀行融
  資の際に数億円の債務保証をした。
                    ――ウィキペディア
  ―――――――――――――――――――――――――――

もうひとつの小沢論.jpg
もうひとつの小沢論
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2010年02月17日

●「小沢はなぜ壊し屋といわれるのか」(EJ第2755号)

 昨日のEJに続いて、小沢のイメージについてもう少し述べる
ことにします。小沢には次のイメージがあります。
―――――――――――――――――――――――――――――
         金権体質/剛腕/壊し屋
―――――――――――――――――――――――――――――
 はじめに「金権体質」について考えます。
 小沢一郎が政治資金というものについてどういう考え方を持っ
ているかを示すエピソードがあります。それを明かすのは小沢の
心友といわれる平野貞夫氏です。贔屓筋の情報は信用できないと
考える人もいるかもしれないが、心友であるからこそ、人の知ら
ない話を知っている可能性があります。
 小沢と羽田孜氏が率いる「改革フォーラム21」が、自民党を
離党して、「新生党」を結成したとき、平野氏が結成準備をして
いたときの話です。
 そのとき平野氏は、新しい政党の指導者になる小沢と羽田氏に
ついて密かに政治資金の問題がないか、法務省の友人に依頼して
身体検査をしたことがあるというのです。新生党は、改革を目指
す政党であるので、トップにカネの疑惑があったら困ると思った
からです。そのときは、2人とも「まったく問題はない」という
結果だったのです。
 ちょうどそのとき経団連が政治献金を停止した直後であったの
ですが、改革派の事務総長は、組織ではなく、個人として経団連
方式の献金先を紹介するという申し出があったので、小沢に相談
したところ小沢はこういったのです。
―――――――――――――――――――――――――――――
 「頼みたいところだが、改革を看板としている。丁重にお断り
 してください」。それで私はその日の内に、経団連事務総長に
 会って断った。その帰り、玄関で毎日新聞の社会部記者とすれ
 違った。そうしたら、翌朝の毎日新聞に「平野参院議員が経団
 連に献金要請」と書かれた。その記事を見た羽田新生党党首と
 細川護照日本新党代表に個別に呼ばれ、私が「本当は献金を断
 りに行ったんです」と説明したら、2人からはこう言われたの
 である。「どうして相談してくれなかったのか。断ることはな
 かったのに・・・」            ――平野貞夫著
              『わが友・小沢一郎』/幻冬舎刊
―――――――――――――――――――――――――――――
 断っておくが、この頃は政治献金も現在ほど厳しい時代ではな
かったので、細川護照日本新党代表も、せっかくの申し出をもっ
たいないといったのです。
 この本の中で平野貞夫氏は、もうひとつの話題を披露していま
す。高知のゼネコン「大旺建設」の役員である平野氏の従弟から
新生党の結党祝いとして3000万円寄付したいという申し入れ
があったので、そのことを小沢に伝えたところ次の返事が返って
きたというのです。
―――――――――――――――――――――――――――――
 大旺建設は経営状態が悪いと聞いている。寄付してもらうこと
 ことは心苦しい              ――前掲書より
―――――――――――――――――――――――――――――
 もちろんこんなエピソードだけで、小沢の金権体質を払拭でき
るとは思っていませんが、こんな話もあるということです。
 次は剛腕/壊し屋という批判です。
 「剛腕」は批判ではないという人がいます。しかし、新聞など
によく出る「剛腕・小沢」のイメージは、妥協しない、人のいう
ことを聞かない、独善的である、怖いなどなど、よくないイメー
ジの「剛腕」なのです。
 小沢は、その反対勢力から見ると、危険な存在であるといえま
す。ノンフィクション作家の魚住昭氏は、今回の小沢事件につい
て次のように書いています。
―――――――――――――――――――――――――――――
 小沢事件の本質は、明治以来何度も繰り返されてきた検察権力
 VS政治権力の戦いです。検察にとって小沢は非常に危険な存
 在です。事務次官会議を廃止し、法制局長官の国会答弁を禁止
 するなど「脱官僚」路線を明確に打ち出している。このままだ
 と検察人事にまで介入されるという危機感を検察は持っている
 のでしょう。万が一、検察がこの権力闘争に負ければ、小沢か
 ら徹底的な報復を受けることが分かっているから裏取引で妥協
 する余地はありません。検察、小沢の双方にとって死ぬか生き
 るかの戦いなのです。 ――魚住昭/「小沢捜査を斬る」より
      2010年2月5日(6日発行)「日刊ゲンダイ」
―――――――――――――――――――――――――――――
 小沢が「壊し屋」と呼ばれるのは、これまでいくつもの政党を
作っては壊してきたからといわれていますが、実はそうではない
のです。平野貞夫氏によると、小沢が遮二無二政治改革を進めよ
うとするから、そう呼ばれるというのです。
 政治改革は、それに反対する勢力からすると、それは既存の制
度を壊す行為なのです。小沢は1992年〜93年にかけて一貫
して政治改革を唱えていたのですが、当時の宮沢政権はきわめて
これに消極的であったのです。そこで、小沢は「壊し屋」と呼ば
れるようになったのです。
 こうしたいきさつから、小沢は自民党を離党し、第40回衆議
院議員総選挙で細川内閣ができたのです、1993年3月のこと
です。後になって、細川政権は結局は何もできなかったといわれ
るのですが、そんなことはないのです。
 この内閣で小選挙区比例代表並列制と政党助成金の導入を柱と
する政治改革のための法律群が成立しているからです。この法律
は、小沢が海部内閣当時から成立を狙っていたものですが、やっ
と細川政権で成立したのです。1994年1月29日の未明のこ
とです。この政治改革4法案が成立していたからこそ、それから
15年後の2009年にやっと政権交代が実現することになった
のです。              ―[小沢一郎論/31]


≪画像および関連情報≫
 ●政治改革4法案成立の経緯/細川連立内閣
  ―――――――――――――――――――――――――――
  細川は自民党総裁河野洋平とトップ会談に入る。1994年
  1月29日未明に到達した最終的な着地点は小選挙区300
  比例代表(地域ブロック)200であった。同日、合意案は
  両院協議会で可決され、引き続いて衆参両院を通過し成立し
  た。ただし制度施行に必要な選挙区区割り法案は後日制定す
  ることとされた。区割り法案は、細川辞任後に社会党とさき
  がけが連立離脱したために少数与党として発足した羽田内閣
  の内閣総辞職と引き換えに成立する。
                    ――ウィキペディア
  ―――――――――――――――――――――――――――

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平野貞夫氏の本
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2010年02月18日

●「三宝会/小沢潰しを狙う組織」(EJ第2756号)

 竹下登、金丸信両氏、それに小沢一郎といえば、旧経世会の三
羽烏といわれていたのです。竹下、金丸とひとくくりにしていう
と、金のノベ棒によって象徴される金権体質の政治家というイメ
ージがあります。そして、小沢はそのDNAを引き継いでいる現
代の金権体質の政治家の代表ということになってしまいますが、
この見方は完全に間違っています。
 日本の政治の世界はそんなにきれいなものではありません。権
力をめぐって権謀術数が渦巻き、政官業と大マスコミが癒着し、
己の利益のためなら、マスコミを使って世論操作でも何でもする
というひどい世界になっています。
 ですから、本気でこれを改革しようとする政治家があらわれる
と、政官業と大マスコミが謀略を仕掛けて追い落とすことなど、
当たり前のように行われるのです。それは現在でも続いているの
です。現在そのターゲットとされている中心人物が、小沢一郎な
のです。彼が本気で改革をやりそうに見えるからです。
 それがウソと思われるなら、ぜひ次の本を読んでいただくとわ
かると思います。
―――――――――――――――――――――――――――――
      平野貞夫著
      『平成政治20年史』/幻冬舎新書
―――――――――――――――――――――――――――――
 小沢は田中角栄にかわいがられた政治家であることはよく知ら
れています。田中角栄は小沢に亡くした長男を見ていたのです。
しかし、それを快く思わなかった人は少なくないのです。
 その中の一人が意外に思われるかもしれないが、竹下登氏なの
です。村山首相が政権を投げ出し、橋本龍太郎氏が後継首相にな
ると、竹下氏は「三宝会」という組織を結成します。三宝会の本
当の目的は、小沢を潰すことなのです。もっと正確にいうと、自
分たちの利権構造を壊そうとする者は、小沢に限らず、誰でもそ
のターゲットにされるのです。
 なぜ、小沢を潰すのでしょうか。それは小沢が竹下元首相の意
に反して政治改革を進め、自民党の利権構造を本気で潰そうとし
ていることにあります。この三宝会について平野貞夫氏は、その
表向きの設立の目的を次のように書いています。
―――――――――――――――――――――――――――――
 (三宝会の)設立の目的は「情報を早く正確にキャッチして、
 (中略)、行動の指針とするため、(中略)立場を異にする各
 分野の仲間たちと円滑な人間関係を築き上げていく」というも
 のだった。メンバーは最高顧問に竹下、政界からは竹下の息が
 かかった政治家、財界からは関本忠弘NEC会長ら6人、世話
 人10人の中で5人が大手マスコミ幹部、個人会員の中には現
 ・前の内閣情報調査室長が参加した。要するに新聞、テレビ、
 雑誌などで活躍しているジャーナリストを中心に、政治改革や
 行政改革に反対する政・官・財の関係者が、定期的に情報交換
 する談合組織だ。             ――平野貞夫著
              『わが友・小沢一郎』/幻冬舎刊
―――――――――――――――――――――――――――――
 この三宝会によって、小沢は長年にわたってことあるごとに翻
弄され、しだいに悪玉のイメージが固定してしまうことになりま
す。「剛腕」、「傲慢」、「コワモテ」、「わがまま」、「生意
気」など、政治家としてマイナスのイメージは、三宝会によって
作られたものなのです。
 なお、三宝会のリストはいくつかネット上に流出しており、見
ることができます。その会員名簿のひとつをご紹介します。
―――――――――――――――――――――――――――――
  http://www.rondan.co.jp/html/news/0007/000726.html
―――――――――――――――――――――――――――――
 この会は現在も存続しているといわれており、上記の名簿の中
には、現在、TBSテレビの「THE NEWS」のキャスター
である後藤謙次氏(共同通信)の名前もあるのです。後藤謙次氏
のニュース解説は定評がありますが、こと小沢に関してはけっし
てよいことをいわないことでも知られています。
 もっとも現在のマスコミにおいて、小沢を擁護するキャスター
やコメンテーターは皆無でしょう。口を開けば「小沢さんは説明
責任を果たせないなら、辞任すべきだ」――もう一年以上こんな
ことが飽きもせず続いているのです。
 昨年来の小沢捜査で、唯一小沢に対して比較的擁護すべき論陣
を張っていたのはテレビ朝日系の「サンデープロジェクト」だけ
です。それは、元検察官で名城大学教授の郷原信郎氏の存在が大
きいのです。郷原氏は2009年の大久保秘書逮捕のときからこ
の捜査を最初から無理筋の捜査であり、容疑事実からして納得が
いかないと断じていたのです。郷原氏のコメントは実に論理的で
あり、納得のいくものであったのです。それは、今年になってか
らの小沢捜査でも変わらなかったのです。
 しかし、他局――というより、「サンデープロジェクト」以外
の番組は、「小沢=クロ」の前提に立って、それは徹底的に小沢
叩きに終始していたのです。
 一方、「サンデープロジェクト」以外の他局の代弁者は、元東
京地検特捜部副部長のキャリアを持つ弁護士の若狭勝氏です。サ
ンプロ以外のテレビにたびたび出演し、当然のことながら、若狭
氏は一貫して検察擁護の立場に立って主張したのです。
 「サンデープロジェクト」の郷原氏に対して、同系列局も含め
て他局はすべて若狭氏なのです。もっとも「サンデープロジェク
ト」では、1月29日深夜「朝まで生テレビ」でこの2人は激突
しています。1対1の対決ではなく、小沢クロ派――平沢勝栄氏
山際澄夫氏、それに若狭氏、これに対して、小沢擁護派は細野豪
志氏、大谷昭弘氏と郷原氏という強力な対決であり、勝負になら
なかったようです。しかし、ほとんどのテレビ局が反小沢という
のは本当におかしな話です。     ―[小沢一郎論/32]


≪画像および関連情報≫
 ●東京地検が「週刊朝日」に出頭要請 !?/2月6日
  ―――――――――――――――――――――――――――
  東京地検(特捜)は、やはり解体させるしかない。週刊朝日
  への出頭要請は、小沢不起訴、そして逮捕された3名の保釈
  を決定するという屈辱感からくる、最後の悪あがきでもあっ
  たか。3名の保釈=「検察リークによる報道と実際の供述と
  の違い」、そして「検察の人権と法を無視した取り調べの実
  態」が晒されることを意味する。それでもなお、保釈すると
  言うことは、どこからかの意向が強く示されたと考える。何
  処の意向か?米国政府ではないか?
  ――このプログには驚くべきことが書いてある。表面上はな
  かったことになっているが、『週刊朝日』の編集長に東京地
  検から出頭要請があったという。真実はどうなのか。『週刊
  朝日』2/19号にその事実は書いていない。しかし、政治
  ジャーナリスト上杉隆氏の検察への抗議文は出ている。
  http://rightaction.cocolog-nifty.com/blog/cat7087639/index.html
  ―――――――――――――――――――――――――――

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平野貞夫氏
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2010年02月19日

●「小泉元首相と検察との関係」(EJ第2757号)

 2009年3月に小沢の公設第一秘書である大久保隆規氏が逮
捕されたとき、民主党では国策捜査が行われたという非難の声が
上がったのです。
 そのときは、支持率低下で窮地に陥っていた自民党が、検察を
使って政敵である小沢を失脚させるウルトラCを狙ったのではな
いかと民主党支持者は考えたわけです。
 しかし、今年に入ってからの小沢の3人の秘書の逮捕は、民主
党が政権与党であるので、民主党としては、国策捜査という批判
は少なくともできないはずです。なぜなら、検察庁は法務省に属
する内閣の一組織であるからです。
 どうしてこんなことが起こるのか。日本は議員内閣制ではなく
官僚内閣制であり、政治の主導権は国会議員ではなく、官僚組織
が握っているのです。といっても表立ったことはすべて議員が行
い、それを官僚組織がウラで操るのです。したがって、自民党時
代は各省庁の事務次官が実質上、一番権限を握っていたのです。
 このようにして、自民党政権は50年以上の長きに当たって政
権を維持してきましたが、その間に自民党と官僚組織と大企業と
大マスコミは、それぞれの利権を守るためにがっちりと手を組ん
で今日までやってきたわけです。
 ところが、昨年の衆院選で自民党が敗北し、民主党に政権が交
代するや、民主党は政治主導を打ち出し、少しずつではあるが、
自民党と官僚組織と大企業と大マスコミの「連合軍」の一角を崩
しはじめたのです。
 これに危機感を深めた「連合軍」は、民主党の中で改革を前進
させる一番強い意思と力と権限のある小沢一郎に焦点を絞って、
潰しにかかったのです。小沢さえ失脚させれば、素人同然の民主
党はバラバラになる――「連合軍」の中枢である官僚組織はそう
考えて実に一年以上にわたって、主に検察と大マスコミを使って
小沢を攻め続けたのです。その効果たるや歴然であり、今や小沢
は「巨悪」に仕立てられているのです。
 どうやら、今回の小沢捜査はそのウラで小泉元首相が糸を引い
ているフシがあります。思い出して欲しいのです。あの「かんぽ
の宿疑惑」が湧き上がり、麻生首相の郵政民営化消極発言に小泉
元首相が批判してロシアに出かけて行った後のことを。あたかも
倒閣運動に加わったかに見えたものの、一転して「もう国内の政
治には発言しない」と宣言したとたん、東京地検特捜部がそれに
呼応するかのように動いて、大久保秘書を逮捕したのです。何か
つながっているように感じませんか。この大久保秘書逮捕によっ
て盛り上がりつつあった「かんぽの宿疑惑」はあっという間に隠
蔽されてしまったのです。
 一連の小沢捜査のウラには小泉がいる――こういう情報はネッ
トではよく出ているのですが、いまひとつ確証が持てなかったの
です。しかし、『週刊ポスト』2/19号――「小沢抹殺」攻防
/黒幕は「小泉純一郎」だ!――という特集が出て、一挙にそれ
は現実味を帯びてきたのです。
 こういう話をすると、当時既に政界を引退することを宣言して
いた小泉氏がなぜ検察を動かす権力を持っているのか不思議に思
う人も多いと思うので、そのいきさつについて説明するすること
にします。
 2001年、小泉内閣発足当初のことです。そのとき検察の裏
金疑惑が発覚したのです。当時神戸地検検事正であったA氏が地
検の「調査活動費」を本来の捜査活動に使わず、私的な飲み食い
に充てていたことが内部告発されたのです。その告発者は、A氏
の部下の三井環大阪高検公安部長なのです。
 実は、A氏は次の人事で高検検事長へ栄転が決定していたので
す。告発があったので、小泉元首相はとりあえず、この人事を凍
結したのです。
 困惑した時の原田明夫・検事総長は、首相官邸に小泉氏を訪ね
て、人事の承認を求めたのです。高検検事長の任命権は、法務大
臣ではなく、首相にあるからです。つまり、首相はA氏の人事に
ついて、生殺与奪の権を握ったことになります。
 小泉という人物は、自らもいう「政局好き」なのです。今後何
かのときのために検察に貸しを作っておいても損はない――しか
も、調査によると裏金作りは検察庁全体に広がっていて、これを
摘発すると、大騒ぎになることは必至だったのです。
 熟慮のすえ、小泉元首相はA氏を福岡高検検事長に任命し、裏
金問題は不問にしたのです。そして、森山法務大臣に次のように
表明させたのです。
―――――――――――――――――――――――――――――
        検察の裏金疑惑は事実無根です
―――――――――――――――――――――――――――――
 それでは、裏金疑惑を告発した三井氏はどうなったかというと
2002年に裏金問題のテレビ収録が予定されていた日に大阪地
検特捜部によって逮捕され、起訴されて、刑が確定してしまった
のです。これこそ国策捜査です。
 罪状は「詐欺」と「収賄」――しかし、「収賄」といっても、
わずか22万円ほどの接待を受けただけであり、詐欺にいたって
は完全な形式犯なのです。現職の検察幹部を逮捕するには、どう
考えても不自然な微罪に過ぎないのですが、検察としてはどうし
てもそうしないと格好がつかなかったのです。
 こういう事情で検察は小泉元首相に大変大きな借りを作ってし
まったのです。それが2004年の日本歯科医師連盟のヤミ献金
事件の不可思議な顛末になるのです。
 このとき、東京地検特捜部は、橋本派などに強制捜査をかけて
います。そして、日歯連から1億円のヤミ献金の授受の現場にい
た橋本龍太郎元首相や青木幹雄元参院議員会長、3000万円受
け取っていた山崎拓元副総理らは逮捕されず、逮捕されたのは既
に政界を引退していた橋本派の村岡兼造元官房長官だけだったの
です。しかも、村岡氏は金銭授受の現場にいないのに罪をきせら
れているのです。          ―[小沢一郎論/33]


≪画像および関連情報≫
 ●三井環氏の声明文
  ー――――――――――――――――――――――――――
  私は2002年5月10日、収賄などにより再逮捕されまし
  た。この事実も私に遺恨を抱いていた暴力団組員の利害と、
  私が検察の組織的裏金づくりを実名で公表しようとした口封
  じをする検察の利害とが一致し、暴力団員の嘘の供述をまに
  うけた検察とが結託して、虚構の事実をデッチあげて犯罪事
  実を構成したものであります。犯罪事実はいずれもデッチあ
  げであり、本来は真白であって明らかに捜査権の濫用であり
  ます。かようなデッチあげ捜査がまかりとおるならば、世は
  闇であります。 取調べはほとんどなく、保釈も許さず長期
  予防拘留を目的とする捜査、起訴であることは明らかであり
  ます。   http://www.kyudan.com/opinion/kensatsu2.htm
  ―――――――――――――――――――――――――――

三井 環氏.jpg
三井 環氏
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2010年02月22日

●「小沢捜査を指揮した親小泉検察官」(EJ第2758号)

 誰も知らないウラの世界で検察をひそかに味方につけた小泉元
首相は、その力を使って自らの政敵をひとり一人失脚させていっ
たのです。まず、はじめに犠牲になったのは、小泉政権誕生の立
役者である田中真紀子元外相です。
 2001年4月24日――通常国会の真っ只中に自民党は総裁
選挙をやったのです。そのとき自民党内も野党もまさか小泉氏が
勝つとは予想していなかったのです。その小泉氏に勝利をもたら
したのは、田中真紀子衆院議員なのです。
 平野貞夫氏は、この現象を「集団異常心理現象」と呼び、次の
ように書いています。
―――――――――――――――――――――――――――――
 日本人は平均60年周期で「集団異常心理」となる、というの
 が私の説だ。60年昔の1941年、日本人の90%が賛成し
 て、太平洋戦争が始まった。その約70年昔は、幕末の「ええ
 じゃないか」と踊り狂う民衆運動が起こっている。その約40
 年前には「文政のおかげ参り」が起こり、500万人が伊勢神
 宮に参拝した。              ――平野貞夫著
          『平成政治20年史』/幻冬舎新書105
―――――――――――――――――――――――――――――
 その恩人である田中議員を首相になった小泉氏は外相に任命し
ています。田中議員が外相就任をとくに望んでいたからといわれ
ます。しかし、外交機密費などをめぐって外務省官僚とトラブル
になり、結局1年足らずで事実上解任されたのです。
 それだけではないのです。田中議員が反小泉に回ると、秘書給
与ピンハネ疑惑で告発して追い詰め、捜査の手が伸びる前に議員
辞職に追い込んでいます。このときも検察の力を使った可能性が
高いのです。
 また、反小泉で鳴らした橋本派の鈴木宗男氏も、やまりん事件
で逮捕されています。これも外務省関連の逮捕ですが、この事件
にも検察の影を感じます。
 小泉元首相のターゲットは、自民党の旧田中派、橋本派なので
す。そして日歯連事件――小泉氏と総裁選を争った橋本龍太郎会
長は逮捕こそされなかったものの、この事件で派閥会長を辞任し
ています。小泉氏は最大の政敵を潰したことになります。
 ちなみに、この日歯連事件のとき、小泉内閣の法務省刑事局長
をしていたのが現検事総長、樋渡利秋氏なのです。昨年来の小沢
捜査にゴーサインを出した人物です。さらに、現在最高検検事で
日歯連事件の特捜検事だったのが、元特捜部長の大鶴基成氏なの
です。こうして見ると、樋渡検事総長を含め、小泉内閣時代に鈴
木宗男氏らの「国策捜査」を担った検事たちが、今回の小沢捜査
の中核をなしているのです。これなら、どうみても捜査が「政治
的」と見られても仕方がないといえます。
 政界を引退した小泉氏は、自民党が大敗した昨年の総選挙では
ほとんど応援に立たなかったのですが、2010年になって小沢
捜査が始まり、特捜部が小沢に事情聴取を要求しはじめた1月の
中旬以降はたびたび自民党本部に谷垣総裁を訪ね、「自民党の大
御所」として、積極的な政治的発言をするようになっていたので
す。小泉氏は京都で次の発言をしていますが、この機会に民主党
の首脳潰しに自ら乗り出した観があります。よほど小沢起訴に確
信を持っていたものと思われます。
―――――――――――――――――――――――――――――
 ・政治資金で土地、マンションを買う政治家は一人もいない。
 ・自民党だったら、総理も幹事長もやっていられない。即刻、
  退陣だ!         ――『週刊ポスト』2/19号
―――――――――――――――――――――――――――――
 それでは、なぜ小泉氏はこれほど民主党政権に怒りを持ってい
るのでしょうか。昨年の衆議院選で早くから自民党の負けを予測
し、政権交代は仕方がないなどと発言していたのと比べると、今
年に入ってからの小泉氏は議員でもないのに、小沢潰し、すなわ
ち、民主党潰しに積極的になっています。
 それは、次の2つの理由があるのです。1つは鳩山政権が進め
る「郵政民営化の巻き返し」と、もう1つは「普天間米軍基地の
移転問題」なのです。まず、前者について民主党幹部は次のよう
に述べているのです。
―――――――――――――――――――――――――――――
 かんぽの宿の売却問題をはじめ、郵政の資産は民営化を推進し
 た小泉人脈に食い物にされてきた。民主党は野党時代に彼らを
 告発したのに、検察は動かなかった。日本郵政の人事一新は、
 小泉時代の旧悪を明らかにするために必要だった。
               ――『週刊ポスト』2/19号
―――――――――――――――――――――――――――――
 「郵政民営化の巻き返し」についてはさもありなんという気が
しますが、「普天間米軍基地の移転問題」になぜ小泉氏が拘って
いるのかは少しわかりにくい状況です。
 これについて、前掲の『週刊ポスト』2/19号は、次のよう
に書いています。
―――――――――――――――――――――――――――――
 鳩山政権がストップさせた普天間基地の辺野古移転計画も小泉
 政権時代の沖縄利権と密接に絡んでいる。普天間基地の代替滑
 走路建設をめぐってほ、当初、環境への影響が小さい陸上滑走
 路案なども検討されていた。ところが、小泉首相は06年に名
 護市辺野古沖のサンゴ礁を埋め立てる案を採用し、官邸主導で
 より埋め立て面積の大きい「X字型」の滑走路を建設する計画
 を決定した。移転計画に直接携わった小泉派官僚の守屋武昌・
 元事務次官(汚職事件で公判中)は陸上ではなく、沖を埋め立
 てる計画が浮上したことについて、「埋め立て」に拘った背景
 には利権の発想があったと思う、と基地建設利権の存在を指摘
 した。           ――『週刊ポスト』2/19号
―――――――――――――――――――――――――――――
                  ―[小沢一郎論/34]


≪画像および関連情報≫
 ●田中真紀子氏議員辞職のいきさつ
  ―――――――――――――――――――――――――――
  秘書給与横領で元秘書より告発され、自民党の党員資格を停
  止される。次々に横領の証拠が挙がり、議員辞職。その後、
  復活当選し、民主党会派(民主党・無所属クラブ)に入会し
  た。以降、選挙の際に民主党公認の立候補者の選挙支援に重
  用される。ただし、当時は民主党員ではなく、あくまで無所
  属であった。従来どおり自由民主党公認候補である夫の支援
  も行っていたが、その後、夫を離党させた。父角栄からの相
  続税の脱税が指摘され目白邸の一部を分納したことがある。
                    ――ウィキペディア
  ―――――――――――――――――――――――――――

田中真紀子議員.jpg
田中真紀子議員
posted by 平野 浩 at 04:21| Comment(1) | TrackBack(1) | 小沢一郎論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年02月23日

●「小泉政権とB層マーケティング」(EJ第2759号)

 普天間米軍基地の辺野古移転計画について、小泉元首相が異常
なほどのこだわりをもっていたことは確かなのです。もともと沖
縄の公共事業は経世会(旧橋本派)がその配分権を握っていたの
ですが、小渕首相が亡くなると、森、小泉と2代にわたって清和
会(旧森派)が経世会に代わって沖縄の基地移転事業の主導権を
握ったのです。
 2010年1月13日のEJ第2731号でも述べたように、
そもそも辺野古埋め立て案は、小泉氏が中心になって、わざわざ
お金のかかる案を作り、米国側と合意したのです。もちろん米国
側の「日米安保でメシを食べている人々」もこれによって潤うこ
とになります。ここまで何度も述べてきたように、日本の安全保
障の観点などそこには何もなく、利権あるのみです。
 民主党の鳩山氏と小沢は、選挙前から、この清和会の沖縄利権
は潰すべきだということで、「県外移設」を打ち出したのです。
別に連立を組む社民党に配慮したわけではないのです。小泉元首
相としては、郵政民営化でもこの辺野古移転でも米国との約束が
からんでいるので、逆ギレしたのです。
 当時、環境相兼沖縄担当相だった小池百合子氏も、小泉首相に
環境への影響が小さくなる独自案を提案したときのことを『週刊
ポスト』の記者に次のように話しているのです。
―――――――――――――――――――――――――――――
 私が(そのプランを)説明すると、「そんなんじゃダメなんだ
 よっ!」と、烈火のごとく怒り出し、こちらの話は全く受け付
 けないという感じで、青筋をたてて怒られた。
               ――『週刊ポスト』2/19号
―――――――――――――――――――――――――――――
 このように見ていくと、今回の小沢捜査のバックには小泉元首
相がいたことは間違いないと思われます。しかし、昨年と違って
今年は、政権交代で政権与党は民主党になっているのです。いく
ら小泉氏が検察に強くても、いつまでも政権与党の幹事長に対決
するのは検察の上層部としては不安のはずです。
 まして確たる証拠もないのに民主党党大会の日に与党幹事長の
秘書を3人を逮捕し、徹底的に取り調べるかたわら、執拗なリー
クを繰り返して大マスコミに「小沢=巨悪」のイメージを植え付
けさせたあげくが小沢不起訴の結果です。
 しかし、不起訴であっても「小沢=巨悪」のイメージは定着し
70%が幹事長辞任を求めています。自民党+官僚機構+大マス
コミの連合軍としては所期の果実を手にしているのです。きっと
このままでは済まないでしょう。小沢はいずれ幹事長を辞任して
そのさいに内閣を改造をして夏の参院選に臨むと思われますが、
自民党はとても盤石の体制では選挙に臨めないはずです。
 既に小沢幹事長は、次の方針を打ち出しているそうです。『週
刊ポスト』は次のように書いています。
―――――――――――――――――――――――――――――
 鳩山内閣では各省の大臣、副大臣、政務官の政務3役が政策を
 立案する仕組みになっているが、そこに小沢氏直属の副幹事長
 国対副委員長らを「お目付役」に加え、「反乱分子」の大臣、
 副大臣を監視させるのである。これで前原民らは身動きが取れ
 なくなる。検察のリーク情報を垂れ流した大新聞に対しても、
 現在は、記者クラブが独占している各省庁の記者会見について
 「開放すべきという意見を政府与党首脳会議の席で伝えたい」
 (2月1日の記者会見)と一撃を浴びせた。
             ――――『週刊ポスト』2/19号
―――――――――――――――――――――――――――――
 この元首相、小泉純一郎という人物は、今までの政治家にはな
い独特のキャラクターを持ち、小沢のように「政治とカネ」の問
題が表面に出てこないという点で、多くの国民からの今でも強い
支持のある政治家です。
 しかし、彼の政権が竹中平蔵氏らと組んで日本のために何をし
たかということをじっくりと考えてみると、それは実に恐ろしい
ことをやっているのです。なかでも策略をこらした郵政民営化を
推し進め、国民の一部がおかしいぞと気が付きはじめたことから
この政権に多くの疑問符が付いたのです。
 だからこそ、民主党への政権交代が起こり、現在、郵政民営化
のやり直しが行われているのです。小泉氏が郵政民営化を推し進
めるときにどういう手法を使ったのか――このことが今になって
ネット上では大変話題になっているのです。
 もちろん、表の新聞やテレビなどの大メディアには例によって
この手のことはいっさい報道されないので、ネットを見ない人は
知らない話ですが、それを知ったら、小泉政権がいかに米国に迎
合した問題ある政権であったかがわかると思います。
 郵政民営化の思想の徹底に当たって、小泉元首相は竹中平蔵氏
を使って、「B層マーケティング」と呼ばれる特殊なマーケティ
ング手法を駆使し、それを実際に展開しているのです。それが功
を奏して、あの郵政選挙で自民党は劇的に大勝したのです。
 ところで、「B層」とは何でしょうか。
 添付ファイルの図を見ていただきたいが、縦軸にIQ(知能指
数)を取り、横軸に構造改革を取ります。そのうえで、国民を次
の4つの層に分類するのです。
―――――――――――――――――――――――――――――
  IQが高く、構造改革にポジティブ ・・・・・ A層
  IQが低く、構造改革にポジティブ ・・・・・ B層
  IQが高く、構造改革にネガティブ ・・・・・ C層
  IQが低く、構造改革にネガティブ ・・・・・ ?層
―――――――――――――――――――――――――――――
 小泉政権は、この中からB層、すなわち「IQが低く、構造改
革にポジティブ」な層に重点を絞って、徹底的なラーニング・プ
ロモーションをやったのです。そのときのキャラクタに使われた
のが、テリー伊藤氏なのです。    ―[小沢一郎論/35]
                  


≪画像および関連情報≫
 ●「B層」とは何か
  ―――――――――――――――――――――――――――
  B層とは、郵政民営化の広報企画にあたって、小泉政権の主
  な支持基盤として想定された、「具体的なことはよくわから
  ないが小泉純一郎のキャラクターを支持する層」のこと。広
  義には政策よりもイメージで投票を行うなどポピュリズム政
  治に吸引される層を意味する。
                    ――ウィキペディア
  ―――――――――――――――――――――――――――

B層マーケティング.jpg
B層マーケティング
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2010年02月24日

●「B層訴求戦略は今も行われている」(EJ第2760号)

 国民を「IQ/知能指数」と小泉改革の最大の目玉である「構
造改革」という2つの柱で分けて、特定の層に働きかける――B
層マーケティング、4つの層を再現します。
―――――――――――――――――――――――――――――
  IQが高く、構造改革にポジティブ ・・・・・ A層
  IQが低く、構造改革にポジティブ ・・・・・ B層
  IQが高く、構造改革にネガティブ ・・・・・ C層
  IQが低く、構造改革にネガティブ ・・・・・ ?層
―――――――――――――――――――――――――――――
 ここでいう「A層」とは、IQが高く、構造改革にはポジティ
ブである層という位置づけです。それなのにどうしてターゲット
にならないのでしょうか。
 A層は、財界の勝ち組企業や大学教授、マスメディア、都市部
のホワイトカラーなどを包含する層ですが、ある意味において、
構造改革のウソを見抜いている層なのです。それは、とくに失敗
に終わったと考えられる道路改革の結果を見て失望し、判断した
人が多く、この層は小泉政権の批判に回ったのです。
 これに対して「B層」は、主婦層や子供を中心とする層、シル
バー層、それに難しいことはわからないが小泉氏のキャラクター
を支持する層です。小泉元首相が街頭に立つと、写真を撮りたさ
に集まってくる人々です。「C層」というのは、IQは高いが、
もともと構造改革に批判的な層――守旧派であり、名前の付いて
いないもうひとつの層は失業などの痛みにより、構造改革そのも
のに恐怖を感じている層とされています。
 小泉政権は、道路改革が思惑通りにうまくいかなかったことを
重視し、郵政民営化の思想徹底のターゲットを「B層」に設定し
たのです。このことが問題になったのは、次のようないきさつが
あるのです。
 2005年6月21日のことです。第162回国会衆議院郵政
民営化に関する特別委員会において、民主党のネクスト総務大臣
こと五十嵐文彦衆議院議員(当時)が、政府広報費1億5000
万円の支出について質疑を行ったのです。その内容は、入札を行
わないで、竹中平蔵郵政担当大臣(当時)の秘書官が関係する業
者と随意契約をしたのはおかしいというものです。もし、収賄事
件などに発展すれば、竹中大臣の失脚もありえたので、報道でも
大きく取り上げられたのです。
 しかし、同じ年の8月8日、郵政民営化法案が参議院で否決さ
れたことをもって小泉首相は即日衆議院を解散したのです。結果
は自民党の圧勝で終り、五十嵐議員は落選してしまったのです。
そういうこともあって、この件はうやむやになったのです。ちな
みに五十嵐議員は、昨年の衆議院選挙で返り咲いています。
 2004年12月15日、有限会社スリードと株式会社オフィ
スサンサーラは次のタイトルの提案をしています。この2つの会
社は竹中平蔵氏と深いつながりがあるのです。
―――――――――――――――――――――――――――――
  郵政民営化・合意形成コミュニケーション戦略(案)
  http://www.tetsu-chan.com/2005-0621yuusei_igarashi.pdf
―――――――――――――――――――――――――――――
 政府は、このプランを採用し、政府広報業務として、契約を結
んでいるのです。明らかに随意契約です。このプランの中では4
つの層が示され、B層にターゲットを絞って郵政民営化の訴求を
行うよう提言され、実際にそれが実行されています。
 契約に基づいて政府広報は、竹中平蔵氏とテリー伊藤氏を起用
してB4サイズ二つ折り4ページ、フルカラーの次の小冊子を作
成し、2005年2月20日に全国の約1500万世帯に配布さ
れているのです。
―――――――――――――――――――――――――――――
      「郵政民営化ってそうだったんだ通信」
―――――――――――――――――――――――――――――
 このB層マーケティング、現在、米国でも行われていると指摘
しているのは、山崎康彦氏の次のサイトです。
―――――――――――――――――――――――――――――
 「反オバマ」「反国民皆保険」の大キャンペーンを仕組んでい
 るのは、この新制度導入によって莫大な損失を受ける保険会社
 と製薬会社であり、彼らの意図を受けて反対の世論形成に動い
 ているのが人種差別を煽る共和党有力政治家達であり、FOX
 TVなどのマスコミ特に悪質なのがデマを流して視聴者を誘導
 するトーク番組の人気キャスター達だと落合栄一郎氏は言って
 います。
   http://www.news.janjan.jp/world/0910/0910021096/1.php
―――――――――――――――――――――――――――――
 このB層マーケティング――現在も行われているように思うの
です。最近テレビの政治バラエティ番組、「たけしのテレビタッ
クル」や爆笑問題の「太田総理」などの番組は、明らかにB層を
狙ったものであるといえます。最近これらの番組の民主党批判は
目に余るものがあります。
 「世を倦む日日」という有名なブログでは、このとことについ
て次のように述べています。
―――――――――――――――――――――――――――――
 昨夜「テレビタックル」の年末特集をやっていたが、出演して
 いる山本一太や平沢勝栄においてスタジオで語って視聴者に聴
 かせるトークは、全てこのB層理論を前提したものであり、カ
 メラの向こう側にいるIQの低いB層視聴者から支持や共感や
 納得を調達すべく演技して台詞を吐いているのである。――中
 略――竹中平蔵は大衆一般を自分が彼らを騙して収奪すべき愚
 鈍なマスだと明確に認識している。竹中平蔵にとっては、大衆
 を騙し、大衆を洗脳して操縦し収奪することが政治なのであり
 要するに大衆とは家畜の存在なのだ。税金だけ払わせて生かせ
 る奴隷なのである。   http://critic2.exblog.jp/2311417/
――――――――――――――    ―[小沢一郎論/36]


≪画像および関連情報≫
 ●郵政民営化ってそうだったんだ通信』に関連するプログ
  ―――――――――――――――――――――――――――
  はじめに、筆者は自分の不明を恥じていることを告白する。
  いま国会で民主党は、郵政民営化をPRする政府広報が、竹
  中郵政民営化担当相の秘書官の知人の会社に随意契約で発注
  された問題を追及している。その広報が「郵政民営化ってそ
  うだったんだ通信」というタイトルである。いうまでもなく
  竹中氏の著書をもじったものだ。筆者も本欄で以前、竹中氏
  に郵政民営化が必要だというなら、わかりやすく説明すべき
  だという趣旨の記事を書いた。「『郵政民営化ってそうだっ
  たんだ通信』」を語れ」(4月6日付記事)である。日にち
  が違うし、竹中氏が本欄を読んでいるとは思えない。さらに
  筆者は竹中氏と面識もないし、無関係である。
  http://www.news.janjan.jp/kokkai_watch/0506/0506258800/1.php
  ―――――――――――――――――――――――――――

竹中平蔵氏とテリー伊藤氏.jpg
竹中平蔵氏とテリー伊藤氏
posted by 平野 浩 at 14:31| Comment(0) | TrackBack(0) | 小沢一郎論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年02月25日

●「小沢はなぜ選挙を重視するのか」(EJ第2761号)

 小沢幹事長はそのやることなすことすべて選挙を意識してやっ
ていると批判する人がいます。小沢にそのことを聞くと、「民主
党は衆議院では過半数をいただいたが、参議院では過半数に達し
ていない」という返事が返ってきたものです。
 もっとも2月8日に、田村耕太郎参議院議員が民主党入りを表
明したので、参議院の民主党会派は参議院定数「242」の半数
である「121」を確保していますが、7月には参議院選がある
のでその結果しだいでは、どうなるかわからないところです。
 国家国民のことを考えないで「選挙」にだけ関心を向ける――
こういって小沢の姿勢を批判する人はたくさんいます。民主党議
員の中にもこういう批判を口にする人は少なくないのです。
 しかし、小沢にいわせると、国家国民のことを考えるからこそ
「選挙」が重要なのだというのです。なぜなら、民主主義の政治
では、政治家は選挙によって選ばれるからです。政治家は選挙に
よって鍛えられ、本物の「国民の代表」になるからです。
 小沢が民主党の代表になり、いったんは代表を辞任したものの
選挙担当になってからの民主党の選挙は、明らかに変貌したとい
われます。
 一言でいうと、それまでのスマートな選挙が、泥臭い「どぶ板
選挙」に変わったのです。小沢はこれについて自著の中で次のよ
うにいっています。
―――――――――――――――――――――――――――――
 「どぶ板選挙」という言葉をご存じだろう。路地から路地へ、
 どぶ板を渡りながら歩くような、地道な選挙運動のことを言う
 のだが、マスコミはこの言葉を侮蔑的なニュアンスで使うのが
 常である。今はインターネットも普及しているマスメディアの
 時代なのに、そういう昔ながらの、地を這うような選挙をする
 連中は、時代遅れで古くさい候補だと暗に言いたいのだろう。
 だが、僕は「どぶ板選挙」こそが、本当の選挙だし、それがな
 くなったときに民主主義はなくなるとさえ思っているのだ。
      ――小沢一郎著、『小沢主義/志を持て、日本人』
                 集英社インターナショナル
―――――――――――――――――――――――――――――
 今までの民主党の候補者がやっていた選挙は、支援してくれる
労働組合の組織に頼り、駅や繁華街などの人の集まる場所で、長
時間、演説をするというやり方だったのです。
 しかし、小沢流選挙戦術はまるで違うのです。昨年の衆議院選
の最大の目玉といわれた選挙があります。東京12区です。与党
の候補は、公明党代表、太田昭宏氏の選挙区です。この選挙区は
小沢自身が出るといううわさがあって、話題になったのですが、
小沢はそこに元タレントで参議院議員(比例)の青木愛氏を立て
たのです。その発表の席上、小沢は次のように述べています。
―――――――――――――――――――――――――――――
 太田さんはそんなに強い候補とは思いません。それはいろいろ
 なデータを見ればわかる。一人でも多くの都民が彼女を見てく
 れれば勝てる。気力、体力の許すかぎり歩け、と頼みました。
                ――野地秩嘉/小塚かおる著
      『小沢選挙に学ぶ/人を動かす力』/かんき出版刊
―――――――――――――――――――――――――――――
 このシーンはテレビで何回も報道されたので、ご覧になった方
も多いと思います。これを見て、とてもじゃないが、青木で公明
党の代表に勝てるはずがないと考えた人は多かったと思います。
 しかし、結果はどうだったでしょうか。青木愛氏は小選挙区で
太田候補に1万票の差をつけて当選し、比例の重複立候補をして
いなかった太田氏はバッジを失ったのです。出馬表明から一ヶ月
あまりしかなかったのに、落下傘候補の青木愛氏はなぜ強敵の太
田候補に勝てたのでしょうか。
 正確なことはわかりませんが、小沢には20人以上の私設秘書
がいるといわれています。いずれも小沢流の選挙戦術を叩き込ま
れている選挙のベテランです。
 なぜ、小沢は政治資金で土地や住宅やマンションを買うのかと
いうと、こういう秘書軍団の宿舎が必要だからなのです。しかし
このことは絶対に小沢は詳細を語らないのです。まさに究極の企
業秘密であるからです。
 実は青木氏の選挙事務所には2人の秘書が投入されています。
一人は常駐で、もう一人は出陣式や鳩山遊説など「ここぞ」とい
うときに応援に駆け付けるのです。したがって、実質的に青木氏
の選挙を仕切ったのは、常駐の秘書です。彼は東北地方の複数の
選挙事務所をかけもちしていたのですが、小沢の命令で青木氏の
常駐秘書として選挙の指揮をとったのです。
 青木氏は元タレントで、しかも参議院議員であり、知名度があ
ります。以前の民主党や自民党だったら、メディアを使って空中
戦をやるはずです。その遊説日程をメディアに明かせば、テレビ
局は勝手にやってきます。
 しかし、小沢はそんなことはさせなかったのです。何をやった
か。徹底的な「どぶ板」選挙です。遊説日程もメディアに知らせ
ていないし、青木氏が何をしているのか、太田陣営にはまったく
見えていなかったのです。
 ただ、太田陣営は、青木氏の出馬表明からわずか2日にして、
青木候補が並々ならぬ強敵であるということを思い知らされたの
です。それは、わずか2日間で1000枚を超える青木氏のポス
ターが選挙区全般に貼り出されたからです。人数を動員して夜を
徹してポスターを貼ったのです。これは完全に公明党のお家芸を
奪うものだったのです。まして青木氏のポスターはよく盗まれる
ほどの人気ポスターだったのです。
 そして、小沢は実に4回にわたって、青木事務所を電撃的に訪
問しています。小沢訪問ごとに青木陣営の団結力は強くなり、終
盤戦には勝利を確信するところに達したのです。まさに、小沢選
挙戦術恐るべしです。小沢は「選挙は風に頼るな!」といってい
るのです。           ―――[小沢一郎論/37]


≪画像および関連情報≫
 ●太田昭宏代表、民主党青木愛氏に敗れる
  ―――――――――――――――――――――――――――
  公明党の太田昭宏代表は東京12区で民主党元職の青木愛氏
  に敗れ、落選した。比例代表に重複立候補せず、背水の陣を
  敷いていた太田氏。選挙戦終盤は全国遊説に出ず、地元にと
  どまり、票の掘り起こしを図ったが、自民支持層も一部が青
  木氏に流れ、無党派層にも浸透しきれなかった。参院議員か
  ら転出した青木氏は選挙区内をくまなく回り、無党派層にも
  支持を広げた。(共同)
  ―――――――――――――――――――――――――――

民主党/青木愛氏.jpg
民主党/青木愛氏
posted by 平野 浩 at 04:18| Comment(2) | TrackBack(0) | 小沢一郎論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年02月26日

●「小沢流選挙/川上から川下へ」(EJ第2762号)

 「風に頼った選挙をやるな」――これは小沢の選挙についての
信条なのです。2007年夏の参議院選で、大接戦を演じていた
一人区の民主党候補者に小沢自身が送った檄文の一部をご紹介し
ましょう。
――――――――――――――――――――――――――――─
 緩めば負ける。必死で戦え
 参議院選挙は、早くも勝敗を決する中盤戦に入ります。今のと
 ころ確かに国民生活を顧みない安倍政治に対する国民の怒りが
 「風」となり、我々に追い風になっています。しかし、「風」
 は一瞬にして変わる。変わるからこそ「風」なのです。我々が
 油断をして隙を見せると、「風」はすぐ変わる。今のように気
 が緩んだまま投票日を迎えれば、下馬評とは逆に、我々は敗北
 してしまいます。(中略)幸運の女神は前髪しかないといいま
 す。女神の先に回り込み、その前髪をつかんだ人だけ、女神が
 微笑みます。私が先頭を走ります。ともに女神を追い抜き、勝
 利を手にしようではありませんか。        小沢一郎
                ――野地秩嘉/小塚かおる著
      『小沢選挙に学ぶ/人を動かす力』/かんき出版刊
――――――――――――――――――――――――――───
 小沢が民主党の代表になった直後の千葉七区の補欠選挙――こ
の選挙では太田和美氏が当選したのですが、この選挙ほど小沢選
挙の凄さを民主党議員に知らしめた選挙はなかったのです。その
ときの民主党は、「偽メール問題」の後遺症があり、党内はガタ
ガタの状態であり、選挙どころではなかったのです。
 告示は、2006年4月11日でしたが、直前の7日に小沢が
民主党の代表に就任したのです。このとき、小沢は、全国国会議
員に千葉県入りを命じるとともに、千葉県に住んでいる親戚縁者
や企業関係者の名簿を出すよう要請したのです。
 これに対する自民党は、この選挙に勝利して小沢に土をつける
ことによって、メール問題で傷ついた民主党にさらなる打撃を与
えるべく、武部幹事長自ら陣頭指揮をとり、小泉チルドレンを動
員して街頭に立たせたのです。
 しかし、小沢の選挙は完全に自民党の虚を衝くものであったの
です。全国からやってきた国会議員にはいっさい街頭に立たせる
ことはせず、全議員から提出させた千葉県関連の名簿を基に徹底
的に水面下で活動させたのです。街頭演説をするべきだと主張す
る議員に小沢はこういっています。
―――――――――――――――――――――――――――――
 あなたたち国会議員のことなんか、だれも知らない。マイクな
 んか持ってもしかたない。   ――野地秩嘉/小塚かおる著
      『小沢選挙に学ぶ/人を動かす力』/かんき出版刊
―――――――――――――――――――――――――――――
 そして弁護士出身の議員には、徹底的に選挙区内の弁護士事務
所を訪問させたのです。当時弁護士会は完全に自民党の勢力下に
あったのですが、弁護士バッジをつけた人間が同業者を訪ねれば
必ず会ってくれることを小沢は知っていて訪問を命じたのです。
 そして小沢がはじめて選挙区内に入って行った先は、太田和美
候補の事務所ではなく、千葉県の最北で田園風景が広がる関宿町
(現・千葉県野田市)だったのです。そして、その関宿町に本籍
がある鈴木貫太郎――第42代内閣総理大臣の記念館の前で演説
したのです。茨城と埼玉に囲まれた小さな町ですが、小沢が来る
というので、200〜300人も集まったのです。こういう場所
で小沢一郎という政治家はとても人気があるのです。そのとき、
小沢はビール箱の上に立って演説をしています。上から目線にな
ることを小沢は嫌うからです。
 現在、マスメディアでは70%の国民は幹事長を辞めるべきだ
としていますが、地方に行くと今でも根強い小沢人気があり、大
勢の人が集まるといいます。
 小沢が二度目に選挙区入りをしたのは流山市なのです。選挙区
の中では中くらいの規模の街ですが、このとき小沢は候補者の太
田とともに自転車で遊説をしているのです。当然のことながら、
マスコミはこの遊説風景を撮ってテレビで放映したのです。その
とき小沢が自転車に乗れるのを見てびっくりした有権者がいるほ
どです。自転車遊説は小沢のような有名人がやるからこそ報道ネ
タになることを小沢自身がよく知っているのです。
 そして小沢が三度目に選挙区に入ったのは、最も人通りの多い
新松戸駅前だったのです。ようやく繁華街にやってきたのです。
これこそ小沢流選挙の真髄である「川上から川下へ」の鉄則なの
です。『小沢選挙に学ぶ/人を動かす力』の著者は、これについ
て次のように書いています。
―――――――――――――――――――――――――――――
 川の下流で問題が起こるとき、その原因の多くは上流にある。
 それと同じで、「川下の票を効果的にとるためには、まずは川
 上を押さえよ」というのが「小沢選挙」の鉄則なのだ。川上は
 高齢者が多く、人口も少ない。しかし、親世代の声は、必ず川
 下の子どもや孫へ伝播するというのである。 ――前掲書より
―――――――――――――――――――――――――――――
 小沢の来る前の民主党であれば、真っ先に新松戸駅前を遊説場
所に選んだはずです。代表がわざわざ行くのだから、人が少なけ
れば話にならないと考えるわけです。むしろ、それが常識ではな
いかと考える人が多いのです。
 ちょうど小沢が関宿町に入った日、自民党候補、斎藤健氏のた
めに小泉首相は松戸市の大手スーパー前や野田市役所前で演説を
しています。そのとき、小泉は党本部からまわした大型の選挙カ
ーの上から演説をしています。完全に有権者を見下ろすかたちで
演説を行っているのです。選挙の考え方、やり方が自民党と小沢
民主党ではまるで違うのです。
 テレビで報道される小沢の演説では、大型選挙カーで有権者を
見下ろすかたちで選挙演説をしている姿はほとんどみられないの
はこのためです。        ―――[小沢一郎論/38]


≪画像および関連情報≫
 ●民主党・太田和美氏(衆院千葉7区補選)の勝因分析
  ―――――――――――――――――――――――――――
  今回、民主党の太田和美氏が当選した要因として、様々な見
  方がされています。「小沢効果・小沢旋風」、「小泉自民党
  にあまり勝たせ過ぎたという有権者の思い」、「小沢流のド
  ブ板選挙手法の効果」、「『格差拡大社会の是正』の主張が
  受けた」、「小泉チルドレンの大量投入に有権者が飽きた」
  「武部勤考案の『ジャンケンパフォーマンス』が逆に反感を
  買った」、「小沢一郎が自転車に乗った」等々・・。どれも
  当てはまると思いますし、選挙というのは様々な諸事情が複
  雑に絡み合ったゆえに出てくるものなのだと思います。
  http://soy-cerveza.at.webry.info/200604/article_7.html
  ―――――――――――――――――――――――――――

民主党/太田和美氏.jpg
民主党/太田和美氏
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2010年03月01日

●「参議院鳥取一区で見せた小沢選挙」(EJ第2763号)

 営業をやったことのある人なら誰でも感ずることがあります。
それは、この仕事は何年続けてもつねに不安感がつきまとうとい
うことです。普通の仕事であれば、何年も続けてやればそこに何
らかの安定感のようなものが生まれるものですが、営業の仕事は
それがなかなか得られないのです。何年経っても営業は成果に対
する不安感が消えない仕事であるといえます。
 選挙も営業とまったく同じであり、いつもフワフワした感じで
安定感などとても得られない――これが、普通の選挙のイメージ
であると思います。組織頼み、風頼み、空中戦頼りの選挙をやっ
ているから、そうなるのです。
 小沢流の選挙は、田中角栄直伝といわれますが、対人コミュニ
ケーションを重視するもので、具体的には、次の5つになるとい
うのです。
―――――――――――――――――――――――――――――
 1.当選までに、候補者は有権者のもとへ三万回足を運び、辻
   立ち五万回をこなすこと
 2.支援してくれる組織に頼るよりも、まず自分一人の力で状
   況を切り開く
 3.演説は長時間ではなく、一分、三分、五分の短いものにす
   る。場所も人が集まるところでなくていい。たとえ人がい
   ない路地で演説しても、窓の向こうにいる人が聞いてくれ
   ていると信じて話をする
 4.世論調査は何度も繰り返す。つねに最新の数字をもとに、
   選挙運動、演説の中身を見なおす
 5.生のコミュニケーションを大切にする。テレビやインター
   ネットといったメディアよりも、一人でも多く、実際の有
   権者と会う
 6.頑固でもいい。自分の主張を通す。ぶれない。ふらふらし
   ない。強い主張と受けとめてもらうには、同じことを何度
   もいいつづけること
                ――野地秩嘉/小塚かおる著
      『小沢選挙に学ぶ/人を動かす力』/かんき出版刊
―――――――――――――――――――――――――――――
 小沢が重視しているのは「握手」なのです。民主党の若い政治
家は、少しでも長い時間をとって政策を話そうとしますが、小沢
は、演壇に立って長い時間話すよりも、一人ひとりと握手する方
が効果があると考えているのです。
 また、最近の政治家は政治のバラエティ番組にレギュラーのよ
うに出演していわゆる「空中戦」をやっています。テレビであれ
ば、大勢の人の目にとまるから有利だと考えているからです。
 しかし、既に述べたように小沢はそういう政治のバラエティ番
組にはいっさい出演せず、足を運んで多くの人と会い、握手を交
わすことに全力を尽くすのです。「ふれあいに勝るものはない」
と考えているからにほかならないのです。それに長い話をしてい
たら、多くの人に会えないので、話は極力短くして、一人でも
多くの人と握手を交わす方が効果があると説くのです。
 不世出の生命保険セールスパーソンといわれる原一平氏は、一
日15人に会うことを目的に活動していましたが、一人との面会
時間は3分から5分と極端に短かかったのです。それでいて、月
に30件以上の契約を成約していたのです。
 小沢にしても、原一平氏にしても大勢の人と会うということに
重点を置いており、そういう意味では同じことをやっているとい
えます。選挙も営業も多くの人に会うことは同じなのです。
 『小沢選挙に学ぶ/人を動かす力』の著者は、2007年の参
議院選において語り草となっている小沢の行動力を紹介していま
す。引用すると長くなるので、その概要を書くことにします。
 小沢は選挙初日の2007年7月12日、遊説先として参議院
一人区のひとつである鳥取一区を選んだのです。鳥取といえば自
民党の牙城のひとつであり、あの衆議院議員・石破茂氏の選挙区
です。そして、このときの参議院選も石破後援会が中心になって
動いていたのです。普通ならば民主党にとってとうてい勝ち目の
ある選挙区ではないのです。しかし、小沢はその自民党の牙城を
崩そうとしたのです。
 しかし、その7月12日は台風が日本を襲い、とても鳥取まで
行ける天候ではなかったのです。しかも、小沢が行こうとしてい
たのは、例によって川上に当たる鳥取県の山の中にある八頭町役
場前なのです。ここは米子空港に降り立ってから、車で何時間も
かかる場所なのです。そんな辺鄙な場所に台風の日に行ってもと
ても大勢の人が集まるとは思えないでしょう。集まってもせいぜ
い100人前後と予想されていたのです。
 スタッフは小沢代表に思い止まるよう説得したのですが、小沢
は聞き入れず、小型機をチャーターして台風をついて鳥取に飛ん
だのです。八頭町に着くと、何と2000名を超える人が集まっ
ていたのです。会場に着いた小沢は、話をはじめる前に会場に集
まっている一人ひとりと握手をはじめたのです。
 近くにいる何人かと握手を交わすのではない。2000人一人
ひとりと握手するのです。こんなことは前代未聞のことです。そ
のとき会場には石破陣営の人が偵察に来ていたのですが、その様
子を見て「これでは自民党は負ける」とつぶやいたそうです。
 選挙結果はその通りとなり、民主党の川上義博氏が勝利したの
です。川上氏は小泉郵政解散で造反し、自民党を離党して、20
06年に民主党に入っています。
 先に同じく自民党を離党して民主党入りした参議院議員に田村
耕太郎氏がいますが、田村氏も鳥取一区を選挙区としており、今
年が改選組なのです。小沢氏としては、そういう自民党の象徴的
な選挙区を潰すことで、自民党に壊滅的な打撃を与えることに成
功したのです。それは今年も続いているのです。
 自民党の石破茂氏が国会で鳩山首相や小沢幹事長の責任を声高
に攻めるのはこういういきさつがあるからなのです。
                ―――[小沢一郎論/39]


≪画像および関連情報≫
 ●参議院一人区――29選挙区
  ―――――――――――――――――――――――――――
  改選議席が1人のため、小選挙区的要素を持つ。二大政党制
  に近づくと、一人区は第一与党と第一野党の二政党で争われ
  ることが多くなる。大政党にとっては、自党候補が一人区で
  当選することは対立党候補の落選につながる。参議院選挙で
  は地方区選挙における一人区の数が多いことから、一人区の
  勝敗が選挙全体の鍵を握るとされている。1989年参院選
  の社会党のマドンナ旋風や2007年の民主党の民主旋風な
  どが起こると、選挙結果で参議院与野党逆転――ねじれ国会
  になることもある。         ――ウィキペディア
  ―――――――――――――――――――――――――――

川上義博氏と小沢一郎氏.jpg
川上義博氏と小沢一郎氏
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2010年03月02日

●「小沢戦略/小選挙区150の論理」(EJ第2764号)

 2月20日付の日本経済新聞は、日歯連の政治団体である「日
本歯科医師連盟」が、今年夏の参議院選で、初めて民主党の比例
代表候補を支援する方針を正式決定したと伝えています。
 このように今まで自民党を支援してきた大団体が次々と民主党
支援に切り替えています。この動きは、日本医師会や他の団体な
どにも大きな影響を与えるものと思われます。これらの工作も小
沢幹事長ならではの手腕であるということができます。
 小沢は、選挙において大衆を動かすときは一人でも多くの人に
会い、握手をする――しかし、演説には時間をかけない方針を徹
底します。しかし、組織を説得するときはそれとはまるで違う対
応をするのです。
 組織の説得には時間をかけてじっくり話すのです。場合によっ
ては宴席を設けてとことん話し込むこともある。そういうとき、
小沢はどのようにやるのでしょうか。『小沢選挙に学ぶ/人を動
かす力』の著者は次のように述べています。企業の管理職にきっ
と役に立つことが多いと思います。
―――――――――――――――――――――――――――――
 小沢はまた、現場の労働組合の幹部と盃を交わすこともある。
 そういうときは必ず居酒屋を使う。ホテルの宴会場などではな
 い。民主党関係者は、その理由をこう述べている。
 「小沢さんは、いちばん狭い部屋を用意させるんです。体を寄
 せ合うくらいの距離で話し込む。そうすることで、はじめて一
 体感が生まれる」。小沢は、労働組合の幹部一人ひとりにお酌
 をしてまわり、じっくり話を聞く。しかも、必ず上着を脱いで
 ワイシャツ姿になるのだ。場が盛り上がり、雰囲気がいいとき
 は、帰りの電車や飛行機の時間にかまわず、小沢は同行してい
 る側近や職員にこう声をかける。「しかたない。泊まっていこ
 う。おい、二次会をセットしろ」。そして、カラオケに繰り出
 す。小沢の十八番は、八代亜紀の「舟唄」である。
                ――野地秩嘉/小塚かおる著
      『小沢選挙に学ぶ/人を動かす力』/かんき出版刊
―――――――――――――――――――――――――――――
 小沢の選挙戦略に「150の論理」というのがあるのだそうで
す。日本の衆議院総選挙の制度は「小選挙区比例代表並立制」と
いい、480議席を次のように分類します。このうち、小選挙区
は300議席です。
―――――――――――――――――――――――――――――
      小選挙区  ・・・・・ 300
      比例代表制 ・・・・・ 180
      ―――――――――――――――
                  480
―――――――――――――――――――――――――――――
 この小選挙区300のうち、150――つまり過半数を取れば
必然的に比例も過半数に近い議席数が取れるというのです。その
ために小沢は、勝てる選挙区を絞って、そこに集中的に人と資金
を注ぎ込むという「選択と集中」の考え方を徹底したのです。
 小沢が選挙を一元的に担当する前は、民主党は無駄なところに
経費を使い、効果を上げていなかったのです。例えば、政策をア
ピールするために、「おかしなことなくし隊」とか「ガソリン値
下げ隊」のためのキャラバン隊を作り、全国を遊説して回ったの
です。あくまで、政策で勝負しようとしたのです。
 しかし、そのために、5000万円から1億円も経費をかけて
いたのですが、それをやったからといって、どのくらい票に結び
つくか一向に把握できなかったのです。何となくムードアップの
ためにやっていたに過ぎないのです。これは売れない店舗にもお
金をかけてその分資金を無駄に使っていたことになります。
 そして2009年の衆議院選で小沢は何回も世論調査を繰り返
し行い、勝てないと思う選挙区は捨て、勝敗ラインぎりぎりの重
点選挙区には集中的に人と資金を投入し、勝ちに行ったのです。
 ちなみに小沢が2009年の衆議院選では勝てないと判断した
選挙区は東京では次の3つです。
―――――――――――――――――――――――――――――
  1.東京 8区 ・・・・・ 自民党・石原伸晃代議士
  2.東京11区 ・・・・・ 自民党・下村博文代議士
  3.東京25区 ・・・・・ 自民党・井上信治代議士
―――――――――――――――――――――――――――――
 これらは、1996年に小選挙区制になって以降、自民党が議
席を死守してきているところばかりなのです。とくに8区と11
区にいたっては、自民党以外の政党が比例復活すらしたことがな
いという最強選挙区なのです。小沢はそういう選挙区は捨て、徹
底的な「選択と集中」の結果、民主党は221議席という圧倒的
な勝利を勝ち取ったのです。
―――――――――――――――――――――――――――――
    ≪2009年衆議院選党派別小選挙区議席獲得実績≫
    自民党    ・・・・・・・・・・・・  64
    民主党    ・・・・・・・・・・・・ 221
    公明党    ・・・・・・・・・・・・   0
    共産党    ・・・・・・・・・・・・   0
    社民党    ・・・・・・・・・・・・   3
    国民新党   ・・・・・・・・・・・・   3
    みんなの党  ・・・・・・・・・・・・   2
    新党日本   ・・・・・・・・・・・・   1
    無所属    ・・・・・・・・・・・・   6
    ―――――――――――――――――――――――
                        300
―――――――――――――――――――――――――――――
 まさに「選挙の小沢」そのものです。現在は民主党に逆風が吹
いていますが、自民党の支持率は上がっておらず、夏の参議院選
までは時間があるので、小沢は勝利のために着実に手を打って行
くはずです。          ―――[小沢一郎論/40]


≪画像および関連情報≫
 ●衆議院総選挙の仕組み/基礎の基礎る
  ―――――――――――――――――――――――――――
  小選挙区制は「多数代表制」。1票でも多数の支持を得られ
  た人が当選するしくみです。要は、ナンバーワン、1人だけ
  が当選するしくみです。アメリカ両院、イギリスやカナダの
  下院は純粋にこの小選挙区制です。しかし、アメリカのよう
  な二大政党制ならいざしらず、日本のように小政党もある場
  合、たくさんの候補がしのぎを削り、「40%弱の得票率で
  当選」ということもあるのですね。それはいかがなものか、
  という議論もあります。ちなみに、下院で小選挙区を採用し
  ているフランスは過半数の得票率を獲得した候補がいない場
  合、1週間後、12.5 %の得票をしたもののみで決選投票
  をするようにしています(2回投票制)
  http://allabout.co.jp/career/politicsabc/closeup/CU20050808A/
  ―――――――――――――――――――――――――――

「小沢選挙に学ぶ/人を動かす力」.jpg
「小沢選挙に学ぶ/人を動かす力」
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2010年03月03日

●「小沢選挙を指導する秘書軍団」(EJ第2765号)

 小沢には最強の「秘書軍団」がついています。小沢選挙に欠か
せない存在です。しかし、この秘書軍団の詳細については詳しく
知られていないのです。その人数については諸説がありますが、
15人前後といわれています。
 この小沢秘書軍団――民主党の議員を正規軍とすると、ゲリラ
部隊という位置づけです。これらの秘書軍団は、そのほとんどが
小沢邸に住み込んで、小沢の身の回りの世話から寝食まで一緒に
する書生の経験者から構成されています。つまり、小沢イズムを
頭から叩き込まれているスタッフです。
 問題はこれらの秘書軍団の費用です。給与、宿泊代、交通費、
レンタカー代、ガソリン費、飲食代など、莫大な費用がかかりま
すが、そのすべてを小沢事務所が負担しているのです。党の選挙
のために働いているのですが、もちろん、民主党自体や候補者に
は、いっさい負担を求めていないのです。
 「小沢は億という単位のお金を何に使っているのか。私腹を肥
やしているのではないか」とメディアは何の根拠もなく書き立て
ますが、これだけの秘書軍団がいれば億単位のお金がかかっても
不思議はないといえます。
 『小沢選挙に学ぶ/人を動かす力』の著者は、これについて次
のように書いています。
―――――――――――――――――――――――――――――
 2009年3月に、西松建設事件で公設秘書が逮捕されたさい
 の記者会見で、「多額の献金を集めて、何に使っているのか」
 とたずねた記者がいた。これに対し、小沢は憮然とした表情で
 答えた。「ほかの議員よりはるかにスタッフ(秘書)がいる。
 いろいろなお手伝いもしてもらっている。あなた(記者)のほ
 うが実態はわかっているはずです」。献金の一部は、全国に散
 らばる秘書軍団の活動経費にまわったのだろう。
                ――野地秩嘉/小塚かおる著
      『小沢選挙に学ぶ/人を動かす力』/かんき出版刊
―――――――――――――――――――――――――――――
 これらの秘書軍団は小沢流選挙のプロです。選挙にかかわるこ
とはすべてやるのです。ポスター貼りにはじまって、辻立ちのや
り方、ミニ集会の開き方、後援者づくり、支持団体との付き合い
など、すべて候補者にその実践を教え込むのです。
 秘書たちには担当地域が割り振られており、担当地域について
は全責任を負わされています。評価は、候補者の当選ですが、そ
れだけでなく、その前提となる支持率の伸び、どのくらい票を集
められたかが厳しくチェックされるのです。したがって、秘書同
士の競争意識は大変激しいのです。
 小沢が各秘書について担当地域を決めているもうひとつの理由
は、地域ならではの情報収集を受け持たせているのです。彼らは
担当地域を這うように歩いているので、中央では入りにくいナマ
の情報が入手できます。これらの情報は逐一小沢にもたらされ、
小沢は居ながらにして全国の詳細な情報が入手できるようになっ
ているのです。ちょっとしたことで風向きの変わる選挙ですから
こうした秘書のもたらす情報には価値があるのです。
 秘書軍団の秘書は、完全に候補者の裏方に徹し、表には姿をさ
らさせないのです。ある秘書によると、候補者と移動するときは
候補者よりも30メートルほど後を歩くそうです。なぜ、そうす
るのか。それにはちゃんとした理由があるのです。
 選挙では、候補者が人が集まる商店街に入り、店主と話したり
する様子がよくテレビで報道されます。候補者というのは、本能
的に人の集まるところを歩きたがるからです。
 テレビに映っているので商店主は愛想よく応対していますが、
あれは商店主たちにとっては迷惑もいいところなのだそうです。
店の入り口を塞ぐのでお客は入らないし、何も買わないし、要す
るに邪魔者なのです。
 実際に候補者たちの一団が通り過ぎると、商店主たちはそうい
う文句をいっていることが多いのです。そういうとき、30メー
トル後を歩く秘書は「ご迷惑をかけて済みません」、「すみませ
んね」、「よろしくお願いします」と商店主に声をかけ、握手を
したりして、フォローして歩くのです。
 私は伝統的生保会社の出身で、生保営業を生涯テーマとしてい
ますが、この小沢の選挙戦略を知ったとき、これはそのまま生保
営業に応用できると感じたのです。
 選挙も生保営業も一人でも多くの人に会うという点では基本は
まったく同じであり、そのやるべきことはほとんど変わらないの
です。まさに生保営業も「どぶ板」をやるべきなのです。
 それにこの秘書軍団によるサポートチームは、多くの現場経験
者を擁する生保会社であれば、十分編成可能です。彼らは必要に
に応じてチームで重点地域に出張し、そこに必要な期間とどまっ
て、その地域の営業部隊に実地指導を施したり、現地経験の乏し
い新人マネジャーに地域開拓のノウハウを叩き込んで、成果を上
げるところまでやるのです。
 小沢は、「候補者は多くの人に会うべし」として次のように述
べています。その厳しさは、一般企業の営業担当者のはるかに上
を行くのです。
―――――――――――――――――――――――――――――
 まずはとにかく一軒一軒のドアを叩いて、自分自身で挨拶して
 回ることだ。「こんにちは、今度選挙に立候補する○×です。
 どうぞよろしくお願いします」。新人候補なのだから、誰も話
 を聞いてくれない。だから、せいぜい挨拶程度しかできないが
 これをやりつづける。一日フルに回れば、都市部なら300軒
 は挨拶できる。一戸当たり3人と考えれば一日で1000人。
 人口10万の都市でも100日、つまり、3ヶ月とちょっとあ
 れば全戸数を回ることになる。       ――小沢一郎著
          『小沢主義』/集英社インターナショナル
―――――――――――――――――――――――――――――
                ―――[小沢一郎論/41]


≪画像および関連情報≫
 ●大久保公設秘書にこんな話がある
  ―――――――――――――――――――――――――――
  ゼネコン東北支店の幹部はある晩、小沢一郎民主党幹事長の
  公設第1秘書・大久保隆規容疑者(48)と酒席を囲んだ。
  ゼネコン幹部は公共工事の受注希望を大久保秘書に伝え、大
  久保秘書はパーティー券購入や選挙への動員を幹部に頼む仲
  だった。幹部は封筒に入れた50万円を出し、「背広でも作
  ってくれ」。だが、大久保秘書は「のどから手が出るほど欲
  しいが、これを受け取ったことがオヤジ(小沢氏)にばれた
  ら、自分は秘書でいられなくなる」。幹部はその時、小沢氏
  の秘書の「鉄の規律」を実感したという。
  ―――――――――――――――――――――――――――

大久保秘書と小沢幹事長.jpg
大久保秘書と小沢幹事長
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2010年03月04日

●「石川議員は本当に重罪なのか」(EJ第2766号)

 2月21日に投開票が行われた長崎知事選で民主党系候補が大
敗してから10日間、依然として小沢の幹事長辞任論が高まって
います。内閣支持率も政党支持率も下がっています。何かデジャ
ヴ(既視感)、昨年の繰り返しを見ているようです。
 小沢が責められているのは、本人は不起訴になったものの、小
沢事務所の秘書2人と元秘書である衆議院議員が逮捕されている
からです。監督責任があるし、同義的にも秘書のせいにするのは
許されないというわけです。小沢自身の不起訴についても、「嫌
疑なし」ではなく「嫌疑不十分」だから、黒に近い灰色であると
大マスコミは執拗に喧伝しています。
 しかし、小沢の秘書たちは、本当に逮捕されるような重い罪を
犯したのでしょうか。政治資金規正法をていねいに読んでみると
3人の起訴には大きな疑問が出てくるのです。
 以下、『週刊朝日』3/5日号を参照してこの問題について考
えてみることにします。
 政治団体の会計帳簿は、民間とは異なり、家計簿レベルの単式
簿記であり、非公表なのです。それに、収支報告書に公表しなけ
ればならない内容は、収支のすべてではなく一部です。
 会計帳簿の方は、借入金の日付、金額、借入先をすべて書かな
ければならないのですが、収支報告書には借入金の日付を書く必
要はないのです。政治活動の自由の確保を根拠とし、政治団体の
資金繰りは明らかにしなくてもいいことになっています。
 実際の制度の運用では、年末時点の資産と借入金がわかるよう
になっていればよいとして、総務省は会計責任者に「余計な金銭
の出入りは書かなくてもよい」と指導しているのです。
 ここで石川議員の逮捕容疑を調べてみると、次のようになって
いるのです。
―――――――――――――――――――――――――――――
 小沢氏から提供された4億円と陸山会の定期預金を担保に銀行
 から借りた4億円の合計8億円を収支報告書の収入に記載しな
 かった。            ――『週刊朝日』3/5号
―――――――――――――――――――――――――――――
 しかし、これはおかしいのです。政治資金規正法第4条は政治
団体の「収入」を次のように定めているからです。
―――――――――――――――――――――――――――――
 「収入」とは、金銭、物品その他の財産上の利益の収受で、第
 八条の三各号に掲げる方法による運用(銀行預金など)のため
 に供与し、又は交付した金銭等の当該運用に係る当該金銭等に
 相当する金銭等の収受以外のものをいう
               ――政治資金規正法第4条より
―――――――――――――――――――――――――――――
 法律用語はわかりにくいが、要するに政治団体が手元資金を銀
行預金で運用し、それを担保に相当額を借り入れても、その借入
金は政治資金規正法上の「収入」には該当しないのです。
 そうであるとすると、政治団体の定期預金を担保にした4億円
の借入金は、収支報告書の記載すべき「収入」ではないというこ
とになります。しかし、その不記載を容疑として東京地検特捜部
は石川議員を逮捕しているのです。書かなくてもいいことになっ
ていることを書かなかったからといって逮捕される――考えられ
ないことです。
 それなら、小沢氏から提供された4億円については、どうなの
でしょうか。
 これについて、石川議員が保釈後に記者会見において次のよう
に述べています。
―――――――――――――――――――――――――――――
  「記載すべき時期を間違えたが、意図的ではなかった」
―――――――――――――――――――――――――――――
 これは、土地取引は2004年10月29日に行われたが、記
載はその2ヶ月後の2005年に行われているということをいっ
ているのでしょうか。
 これについて、『週刊朝日』3/5号は、次のように述べてい
るのてす。
―――――――――――――――――――――――――――――
 04年の土地取引を05に記載したのは確かに記載ミスだが、
 土地取引を隠そうとしたわけでもないし、陸山会の収支報告書
 によれば、小沢氏からの借入金残高は03年末は1億1854
 万9268円、04年末は4億9147万8416円と記載さ
 れている。差し引き3億7292万9148円借入金が増加し
 ていることがわかるが、その分の借入金収入が「記載漏れ」に
 なっていた。結果的に、04年分の陸山会の収支報告書はその
 分、帳尻が合っていない。    ――『週刊朝日』3/5号
―――――――――――――――――――――――――――――
 しかし、『週刊朝日』は指摘していませんが、2004年の陸
山会の収支報告書には、次の記載があるのです。
―――――――――――――――――――――――――――――
   2004年10月29日:小沢一郎 借入金4億円
―――――――――――――――――――――――――――――
 この記載の事実は、1月10日のサンデープロジェクトで郷原
氏が指摘したのですが、テレビカメラで拡大したものを私も見て
いるのです。しかし、なぜか、この事実を検察も新聞も週刊誌も
書こうとはしないのです。いっさい無視です。
 おそらくそういう記載があることをマスコミ自身が知らなかっ
たので、いいたくないのでしょう。しかし、それが「小沢=悪」
を間違って裏付けているのです。
 銀行からの借入金4億円は政治資金規正法第4条によって「収
入」には当たらないので、記載する必要はないのであるから、こ
れは文字通り小沢からの借入金4億円ということになります。そ
うであるなら、こちらはちゃんと記載があるので不記載ではない
――どうして石川議員は、逮捕・起訴されなければならないので
しょうか。           ―――[小沢一郎論/42]


≪画像および関連情報≫
 ●サンプロ出演者/財部誠一氏のコメント
  ―――――――――――――――――――――――――――
  ジャーナリストの財部誠一氏からは「4億円の借入金の記載
  があるというのは衝撃的だ。新聞ではないと報じているでは
  ないか」というような声が上がったが、日頃からこの問題に
  ついて新聞、テレビで解説している新聞の解説委員は、「確
  認してみる」などと言っているだけで、まともに答えられな
  い。毎日新聞の岸井成格特別編集委員に至っては「捜査の仕
  方がなんか変だな」と言い出す始末だ。
      ――日経ビジネスオンライン/2010.1.13
  ―――――――――――――――――――――――――――

郷原信郎氏.jpg
郷原信郎氏
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2010年03月05日

●「小沢からの現金4億円の記載はある」(EJ第2767号)

 1月10日のサンデープロジェクト(テレビ朝日)において、
郷原信郎名城大教授・元検事が指摘した陸山会の2004年度収
支報告書の次の記載──これについて、大新聞、テレビなどのマ
スコミはいっさい触れようとしませんが、どうしてでしょうか。
―――――――――――――――――――――――――――――
   2004年10月29日:小沢一郎 借入金4億円
―――――――――――――――――――――――――――――
 なぜ、このことにこだわるのかというと、これを認めてしまう
と、石川議員は無罪、したがって小沢はなんでもなかったという
ことになるからです。そうなると、それとは180度違う報道を
してきた大マスコミの面子が丸つぶれになるからです。しかし、
記載されていることは紛れもなく事実であり、その記載部分を当
日のサンデープロジェクトではカメラで拡大して写して見せてい
るので、これは動かしようのない事実です。
 陸山会が土地取引をしたのは、2004年10月29日のこと
です。前後のお金の流れから見ると、土地を購入する資金が陸山
会にはなかったので、石川議員は小沢にそのことを話して、4億
円を現金で借り、陸山会に入金したのです。土地の代金支払いに
はその金が使われものと思われます。
 同時に石川議員は陸山会の小沢名義の定期預金を担保にして、
4億円を借り入れています。これは小沢に返却するための資金と
してそうしたものと思われます。おそらく今までそういうことは
何回もあったと考えられます。それを検察やマスコミは「不自然
な金の流れ」と表現するのですが、そのことは違法でも何でもな
いことであり、よくあることなのです。
 さて、収支報告書への記載ですが、これは陸山会が小沢から借
り入れた4億円でも、定期預金を担保にして銀行から借りた4億
円でも同じ記載になるのです。したがって、その記載が、小沢か
らの現金の4億円をあらわしているのか、銀行借り入れの4億円
なのかは特定することはできないのです。
 ところが、昨日のEJで述べたように、検察は小沢から借りた
4億円と、銀行から借り入れた4億円の計8億円を収支報告書の
収入として記載していなかったとして、石川議員を逮捕・拘留し
起訴したのです。
 しかし、小沢名義の定期預金を担保にして銀行から借り入れた
4億円は、政治資金収支報告書の「収入」には該当しないので、
記載する必要がないのです。しかし、小沢からの現金の借り入れ
は記載する必要があります。
 それは記載してある──石川議員はそう主張すべきだったので
す。そういわれてしまうと、検察としては反論のしようがないの
です。しかし、石川議員は、小沢からの現金の4億円は記載しな
かったと認めてしまったのです。それが本当だったからです。
 おそらく石川議員は、定期預金を担保にした借入金は、収支報
告書の「収入」には該当しないという事実を知らなかったものと
思われます。
 検察は、石川議員があくまで2つの4億円、すなわち8億円を
不記載にしたのは、現金の4億円の存在を隠蔽したかったからで
あると推測したのです。なぜ、隠蔽したのかというと、その4億
円の中に水谷建設からの裏献金5000万円が含まれているから
であるというストーリーを検察は作ったのです。その根拠は水谷
建設の元会長の供述があったからです。
 しかし、その水谷建設の元会長は、福島前県知事の佐藤栄佐久
氏の贈収賄事件のさい、ウソの証言をしたことを裁判において認
めているのです。検察はそういう信用性の低い証言を正しいと考
えて、小沢にいたる「階段」として石川議員を逮捕したのです。
 しかし、水谷側の証言がウソだと分かっても、佐藤栄佐久氏の
罪は少ししか軽くなっていません。これは不可解な話です。
 この不合理さについては、次の木村剛氏のブログに詳細に書か
れていますので、参照していただきたいと思います。こういうこ
とはマスコミはいっさい報道をしないのです。
―――――――――――――――――――――――――――――
[ゴーログ]佐藤栄佐久氏の事件こそ報道せよ!
http://kimuratakeshi.cocolog-nifty.com/blog/2010/01/post-f78b.html
―――――――――――――――――――――――――――――
 分からないのは、定期預金を担保にした借入金は、政治資金収
支報告書の「収入」ではない──この事実を検察は知っていたの
かどうかという点です。
 法律の番人であるはずの検察ですから、まさか知らなかったと
いうことでは済まないでしょう。なにしろそれによって、現職の
与党の国会議員が逮捕され、起訴されているのです。政治生命を
奪っているに等しいのです。
 しかし、石川側にも弁護士がいるのです。裁判なれば、収支報
告書の4億円の記載は、石川氏の錯誤であって、実は小沢氏から
の現金の4億円に関する記載であったと主張したらどうなるので
しょうか。検察側としては反論できないと思います。
 そうなると、検察の攻めるべきことは、土地の取引が2004
年に行われたのに、記載は2005年だったという記載のズレだ
けになってしまいます。
 これについて石川議員は、「不動産の取得時期は登記の時点と
考えていたので、代金の支払いの時期に合わせた」と供述してい
るのです。このような単純ミスはよくあることであり、明らかに
形式犯です。この程度のことで逮捕されていいのでしょうか。
 もし、石川議員が実は無罪だったとしたら不当逮捕です。しか
も、それによって小沢は苦境に陥り、場合によっては幹事長を辞
任しなければならない可能性も十分あるだけに、これはきわめて
政治的な色彩の強い事件になります。
 どうして、新聞やテレビなどのマスコミは、このことを伝えな
いのでしょうか。小沢に不利なことは大々的に書くが、有利なこ
とは絶対に伝えない。最大の責めは検察よりもむしろマスコミの
方にあります。         ―――[小沢一郎論/43]


≪画像および関連情報≫
 ●石川知裕衆院議員が独占告白!
  「新聞・テレビはデタラメだらけ」
  ―――――――――――――――――――――――――――
  小沢一郎民主党幹事長の資金管理団体「陸山会」の土地購入
  を巡る事件で、政治資金規正法違反で起訴された元秘書で衆
  院議員の石川知裕氏が、ジャーナリスト上杉隆氏の単独イン
  タビューに応じた。検察の捜査手法に批判が集まるなか、石
  川氏は何を語ったのか?――動画付き
                  http://www.wa-dan.com/
  ―――――――――――――――――――――――――――

民主党離党を発表する石川議員.jpg
民主党離党を発表する石川議員
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2010年03月08日

●「大久保容疑者の第2回公判で何が起きたか」(EJ第2768号)

 2月21日の長崎県知事選の民主党大敗は、今回の小沢事務所
をめぐる政治とカネの問題が、いかに選挙に強い影響を与えるも
のかということを如実に示しています。すっかり「小沢=巨悪」
という構図が国民の間に根付いてしまっているようです。
 確かに2年連続で、小沢の秘書(現職国会議員を含む)3人を
逮捕・拘留・起訴し、マスコミがあれだけ書き立てれば、小沢自
身がたとえ不起訴でも、こういう結果になるのは当然であると思
います。自民党と官僚組織と大企業と大マスコミの連合軍の勝利
といえるでしょう。何が何でも小沢を潰すというのが彼らの戦略
なのですから・・・。
 現在の世の中は、大別すると、次の2通りの人たちがいます。
―――――――――――――――――――――――――――――
 1.新聞・雑誌・TVは見るが、ネットはほとんど見ない
 2.新聞・雑誌・TVに加えて、ネットもていねいに見る
―――――――――――――――――――――――――――――
 1の人たちについては完全に「小沢=巨悪」と考えているのに
対し、2のネットもていねいに見る人たちは今回の小沢捜査は、
ちょっとおかしいのではないかと感じている人が多いのです。
 『週刊新潮』3/4日号の関連記事では、「政治デスク」なる
人物が次のようにコメントしています。
―――――――――――――――――――――――――――――
 これまで、幹事長辞任は5月の訪米後かといわれていましたが
 この敗北で時期が早まるのではないかという声が党内の反小沢
 系議員の間から出ている。昨年の西松事件で起訴された大久保
 秘書の公判が間もなく結審し、判決は4月頃になる予定。有罪
 は確実とみられ、そのタイミングでの辞任がベストというわけ
 です。          ──『週刊新潮』3/4日号より
―――――――――――――――――――――――――――――
 勝手に小沢は辞任すると決め付け、大久保秘書の有罪は確実と
書いているところから見て、この政治デスクはネットの情報を信
用しないか、まったく見ていないなと思わざるを得ません。
 私がEJのテーマとして「小沢一郎論」を書いているのは、別
に小沢擁護派だからではなく、この一連の小沢をめぐる逮捕劇に
何かしら異様なものを感じているからです。
 私が不思議に思うのは、私のような部外者でも当然に感ずる疑
問を(小沢から距離を置く)民主党の一部の大臣たちが、ことあ
るごとに小沢に対して「もっと説明責任が必要だ」などと発言す
るのは、どうかと思うのです。彼らは、本当に「小沢=巨悪」と
信じているのでしょうか。それともこれを機会に小沢追い落とし
を狙って発言しているのでしょうか。
 そういうことをいっさい口にしない岡田外相は「小沢氏が必死
で戦っておられるときに説明責任をなんていえない」と発言して
いますが、これが民主党の大臣として当然の発言ではないかと思
うのです。ここまでの展開はあまりにも異常だからです。
 ところで、先ほどの政治デスク氏のコメントの中で気になるの
は、「昨年の西松事件で起訴された大久保秘書の公判が間もなく
結審し判決は4月頃になる予定。有罪は確実」という部分です。
なぜ、そんなことがわかるのでしょうか。この人物は現在大久保
裁判がどうなっているのか取材していないのでしょうか。
 実は、この大久保裁判にはある変化が起こっているのです。そ
れは、1月22日の次の新聞記事を見ればわかることです。
―――――――――――――――――――――――――――――
 政治資金規正法違反事件で逮捕された小沢一郎氏の公設第一秘
 書、大久保隆規容疑者(48)について東京地裁(登石郁朗裁
 判長)は22日、今月26日から2月26日まで指定していた
 西松建設の違法献金事件の期日4回をすべて取り消した。次回
 は未定。大久保容疑者に対する西松建設事件の公判は2月にも
 結審する見込みだった。しかし、大久保容疑者に対する捜査が
 続いているため、検察、弁護側、地裁の3者が期日を取り消す
 ことで合意した。   ――2010.1.22付/産経新聞
―――――――――――――――――――――――――――――
 つまり、検察が大久保裁判の延期を申し入れたのです。その表
向きの理由は、検察が大久保容疑者を逮捕(再逮捕にあらず)し
たからです。
 推測ですが、検察は石川問題で本当は大久保氏まで逮捕するつ
もりではなかったと思われるのです。しかし、今年の1月13日
に行われた大久保容疑者の第2回公判で検察側がショックを受け
る思わぬことが起こったため、急遽大久保氏まで含めて逮捕した
のです。そうすれば、1月26日に予定されていた第3回公判を
「拘留中」という合法的な理由で延期できるからです。
 それでは、1月13日に行われた大久保裁判の第2回公判で何
が起こったのでしょうか。
 これについては次の記事と≪画像および関連情報≫をご覧くだ
さい。これについての解説は明日のEJで行います。
―――――――――――――――――――――――――――――
 13日、「政治資金規正法違反」に問われた小沢一郎の公設秘
 書第一秘書、大久保隆規(48)の第2回公判が開かれ、「検
 察側」の証人として出廷した西松建設の岡崎彰文・元取締役総
 務部長(68)の尋問が行なわれた。岡崎元部長は、西松建設
 OBを代表とした2つの政治団体について「西松建設のダミー
 だとは思っていない」と、検察側の主張を完全否定。さらに、
 裁判官の尋問に対しても「2つの政治団体は事務所も会社とは
 別で、家賃や職員への給料も団体側が払っていた」と、実体が
 あったと証言。大慌てした検察側が「あなた自身が訴訟を起こ
 されることが心配で、本当のことを話せないのでは」と聞いて
 も、「なぜそんなことを言われるのか分からない。もともとダ
 ミーだとは思っていなかった」と話した。
     http://octhan.blog62.fc2.com/blog-entry-1176.html
―――――――――――――――――――――――――――――
                ―――[小沢一郎論/44]


≪画像および関連情報≫
 ●第2回公判の模様を告げる読売新聞記事
  ―――――――――――――――――――――――――――
  準大手ゼネコン「西松建設」から小沢一郎・民主党幹事長の
  資金管理団体「陸山会」などへの違法献金事件で、政治資金
  規正法違反(虚偽記入など)に問われた小沢氏の公設第1秘
  書で同会の元会計責任者・大久保隆規被告(48)の第2回
  公判は、13日午後も、岡崎彰文・元同社取締役総務部長の
  証人尋問が行われた。岡崎元部長は、同社OBを代表とした
  二つの政治団体について、「西松建設のダミーだとは思って
  いなかった」と証言した。公判では、大久保被告が両団体を
  同社のダミーと認識していたかどうかが争点で、審理に影響
  が出そうだ。岡崎元部長は、裁判官の尋問に対し、「二つの
  団体については、対外的に『西松建設の友好団体』と言って
  いた。事務所も会社とは別で、家賃や職員への給料も団体側
  が支払っていた」と説明。前任者に引き継ぎを受けた際にも
  「ちゃんとした団体で、問題はないと言われていた」と答え
  た。昨年12月の初公判で、検察側は、同社が信用できる社
  員を政治団体の会員に選び、会員から集めた会費を献金の原
  資にしていたと指摘したが、岡崎元部長は「入会は自分の意
  志だと思う。私自身は、社員に入会を強要したことはない」
  と述べた。     ――2010.1.13付、読売新聞
  ―――――――――――――――――――――――――――

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再び逮捕された大久保隆規氏
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2010年03月09日

●「無罪の可能性のある大久保容疑者」(EJ第2769号)

 小沢氏の公設第一秘書の大久保隆規氏が東京地検特捜部に逮捕
されたのは、2009年3月3日のことです。逮捕された容疑は
西松建設から献金を受けたにもかかわらず、別の政治団体から献
金を受けたようにして、収支報告書にウソの記載をした疑いがあ
るというのです。その政治団体とは次の2つです。
―――――――――――――――――――――――――――――
 1.「新政治問題研究会」(95年設立、06年解散)
 2. 「未来産業研究会」(98年設立、06年解散)
―――――――――――――――――――――――――――――
 これら2つの政治団体は、西松建設のOBが代表を務めていた
政治団体ですが、団体としての実体はなく、西松建設のダミーの
団体だというのです。大久保秘書はその団体が西松建設であるこ
とを知りながら、献金を受けたとして逮捕されたのです。
 ところが、2010年1月13日の第2回公判で、検察側の証
人として出廷した西松建設の岡崎彰文・元取締役総務部長は「2
つの政治団体は事務所も会社とは別で、家賃や職員への給料も団
体側が払っていた」と、実体があったと証言したのです。
 実は、この部分がこの裁判の核心部分なのです。もし、これら
2つの団体がダミーではなく、本当に実体があったとすると、大
久保容疑者を逮捕する理由がなくなってしまうからです。
 大久保容疑者としては検察の取り調べに対し、一貫して西松と
は知らなかったといい切っているのですから、それに加えて検察
側の証人から団体は西松ではなく、実体があったといわれてしま
うと検察はきわめて苦しくなります。
 この事態に慌てた検察側は「あなた自身が訴訟を起こされるこ
とが心配で、本当のことを話せないのでしょう」と証言の撤回を
求めたが果たせず、裁判官もその点を岡崎彰文氏に確認していま
すが、岡崎氏の答弁は一貫していたのです。
 実は岡崎彰文氏も逮捕されており、調書はとられているのです
が、裁判では証言を翻しているのです。なぜ、こうなるのかとい
うと、検察側は勝手にストーリーを組み立てていて、その流れに
乗って容疑者を自白させようとしているからです。そしていった
ん調書を取ると、後から絶対に訂正に応じないので、容疑者は裁
判で供述を翻すことになるのです。
 これによって不利になったのは検察側です。このままいくと、
大久保容疑者は無罪になり兼ねないとして、16日に大久保氏を
逮捕しています。本当は15日に石川容疑者たちと一緒に逮捕し
たかったのでしょうが、所在がわからなかったので、一日遅れて
16日に逮捕したのです。一般的に逮捕するときは、事前に所在
をチェックしておくものなのですが、それをしていなかったとこ
ろに検察のあせりが見られます。
 東京地検特捜部が国民からの批判を覚悟の上で、再び陸山会に
家宅捜査に入ったのは、おそらく国民の目を大久保公判からそら
したいという気持ちのあらわれであったと考えられます。既に陸
山会には大久保容疑者逮捕のときに徹底的な家宅捜査をやってい
るので、めぼしいものが出ないことはわかっていたのでしょうが
そうせざるを得ない事情があったのです。
 そして、1月22日に検察側は大久保公判の日程をすべて取り
消し、延期をしてしまったのです。なぜなら、今までの日程で進
むと、3月後半には判決が出てしまうのです。もし、そこで無罪
ということになると、それまでの小沢捜査は何であったのかとい
う検察に対する国民の批判が巻き起ることになることを検察は何
よりも恐れたからです。
 検察の立場で考えると、大久保容疑者は絶対に無罪にはできな
いはずです。選挙前に最大野党の民主党の代表である小沢の公設
第一秘書を逮捕し、代表を辞任に追い込んだからです。もし、大
久保容疑者が無罪になれば、検察による究極の選挙妨害といわれ
かねない。そんなことは何としても避けたい――検察はそう考え
るはずです。
 しかも検察は大久保容疑者の判決が出る前に、その大久保容疑
者を含め、2人の秘書まで逮捕・拘留・起訴をしているのです。
それはあくまで大久保容疑者が有罪になるという前提でやったこ
とであるはずです。少なくとも一審では有罪にしないと、検察の
威信と信用は地に落ちます。
 ここで心配されるのは、福島県前知事の佐藤栄佐久氏の公判の
ケースです。この裁判にも水谷建設が深くからんでおり、石川議
員のケースと似ているのです。
 しかし、既に述べたように、逮捕の原因になった水谷建設元会
長の証言がウソであることが判明しており、本来なら無罪になら
なければならないのですが、なかなかそうならないのです。
 これについては、EJ第2767号(3月5日)で木村剛氏の
プログをご紹介しましたが、その核心部分を≪画像および関連情
報≫に引用しておきます。
 ところで、『週刊朝日』3/5日号は、障害者向けの郵便割引
制度が悪用された郵便不正事件にからんで、虚偽有印公文書作成
などの罪に問われた村木厚子・元厚生労働局長の公判で、大阪地
方裁判所では、信じられないようなことが起こっていると伝えて
います。検察による冤罪事件がこのところあまりにも多くなって
いるのです。
―――――――――――――――――――――――――――――
 1月27日の初公判以来、村木厚子・元厚生労働省局長の公判
 は、ほぼ過2回のペースで続いている。2月8日に、検察側の
 証人として出廷した村木被告の元上司、塩田幸雄・元障害保健
 福祉部長(58)は「供述内容は事実ではない」と言って、村
 木被告の無罪を訴えた。塩田元部長だけでなく、これまで検察
 に有利な証言をすると見られた、検察側が申請した証人たちが
 次々と「供述調書はウソ」などと法廷で証言を覆し、検察を批
 判し始めている。     ――『週刊朝日』3/5日号より
―――――――――――――――――――――――――――――
                ―――[小沢一郎論/45]


≪画像および関連情報≫
 ●佐藤栄佐久・福島前知事事件判決の異常さ/木村剛氏プログ
  ―――――――――――――――――――――――――――
  この判決の中身を詳細に見た時に、その内容の異常さに驚か
  される人は多いはずだ。判決文からは「無形の賄賂」や「換
  金の利益」などの驚くような言葉が次々飛び出してくるから
  だ。判決文は、佐藤前知事が一体何の罪で有罪になったのか
  が、全くわからないような内容になっているのだ。もっとも
  驚かされるのは、二審では一審で佐藤前知事が弟の土地取引
  を通じて得ていたと認定されていた賄賂の存在が否定された
  にもかかわらず「無形の賄賂」があったとして、裁判所が有
  罪判決に踏み切ったことだ。元々その賄賂の根拠というのは
  佐藤氏の弟が経営する会社が水谷建設に土地を売却した際、
  その売却額が市価よりも1割ほど高かったので、その差額が
  佐藤氏に対する賄賂に当たるというものだった。ところが、
  その建設会社はその後更に高い値段で土地を売却しているこ
  とがわかり、「市価より高い値段による賄賂」の大前提が崩
  れてしまったのだ。そこで検察は「換金の利益」つまり、仮
  に正当な値段であったとしても土地を買い取ってあげたこと
  が「無形の賄賂」の供与にあたると主張し、裁判所もそれを
  認めた。つまり、取引が正当な価格でなされていたとしても
  土地取引そのものが賄賂にあたると認定されたわけだ。
http://kimuratakeshi.cocolog-nifty.com/blog/2010/01/post-f78b.html
  ―――――――――――――――――――――――――――

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村木厚子元厚生労働局長
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2010年03月10日

●「『誰が日本国家を支配するか』の闘争」(EJ第2770号)

 長崎の知事選と町田の市長選の2つで民主党候補が敗れると、
新聞・雑誌・テレビなどのマスコミは、またしても世論調査を行
い、小沢の幹事長の辞任を70%の国民が望んでいるなど、民主
党の足を引っ張る論調に終始しています。
 したがって、あまり深く考えないで新聞やテレビを見ていると
民主党は例の小沢の政治とカネの問題で、相当厳しい状況に追い
込まれていると錯覚してしまいます。
 EJは民主党に肩入れするわけではありませんが、民主党はそ
んなに追い込まれているのでしょうか。そんなに嫌われているの
でしょうか。日本経済新聞社とテレビ東京が2月26日〜28日
に共同で実施した世論調査によると、「支持または好意を持つ政
党は」については、次の結果になっているのです。
―――――――――――――――――――――――――――――
     民主党    41%
     自民党    24% ──
     公明党     5%  I
     共産党     3%  I
     社民党     1%  I
     国民新党    1%  I── 39%
     みんなの党   4%  I
     改革クラブ   0%  I
     新党日本    0%  I
     その他政党   1% ──
     支持政党なし 17%
     わからない   5%
          2010年3月1日付、日本経済新聞より
―――――――――――――――――――――――――――――
 政党支持率で見ると、民主党の支持率は、他のすべての野党の
支持率を合計したものよりも高いのです。これだけ民主党が叩か
れているのに、自民党の支持率は相変わらず低位にあります。
 それに、選挙までには4ヶ月もあるのです。民主党の支持率回
復の可能性は十分あるでしょう。なぜ、大マスコミはそれなのに
民主党危うし、小沢辞任を!と迫るのでしょうか。大マスコミに
しては偏向が過ぎるのではないでしょうか。
 小沢は寡黙な人で不必要なことはいっさいしゃべらない。だか
らいろいろいわれるのでしょうが、きちんと目標を立てて、一歩
一歩着実にコトを進めているのです。
 かつて小沢は自民党を離党すると、新生党を結成して細川連立
政権に参画し政権交代──非自民7党一会派──を果たすと、政
権交代可能な選挙制度、小選挙区比例代表並立制を成立させてい
るのです。これは小沢にとって大きな一歩といえるでしょう。
 その後新進党を経て自由党時代になると、今度は自民党と組ん
で国会改革を進め、自民党がそれに魂を入れず形骸化させたもの
の、制度として定着させるなど、結局やるべきことを一歩一歩進
めているのです。
 そしてその仕上げをするべく、屈辱的な条件を飲んでまで民主
党に合流し、自らが代表となった2007年の参議院選で与野党
逆転を果たしたのです。そして2009年8月31日に衆議院選
で圧勝して政権交代を成し遂げているのです。
 残るは2010年7月の参議院選で過半数をとることだけが残
されているのです。この目標の達成については、今年の1月15
日に石川議員が逮捕されるまでは、ほとんど確実に達成されると
いう状況にあったことは確かです。
 小沢は、今年の自宅での新年会の席上、次のように決意を表明
しているのです。
―――――――――――――――――――――――――――――
 今度の参院選、これが本当の改革の、国民の生活が第一、その
 政治を実行するための最終戦とそのように位置づ付けている。
 何としても過半数を取って、既存の勢力の抵抗を排除し、本当
 の意味の改革を実現しなければならないと考えている。
         ──2010年小沢邸での新年会の挨拶より
        日刊ゲンダイ/2010.3.2(1日発行)
―――――――――――――――――――――――――――――
 このままにしておくと、本当に小沢は天下を取る──自民党+
官僚機構+大企業+大マスコミの連合軍は、危機感を強めたと思
うのです。小沢は本気であり、ここで潰さないと、大変なことに
なると考えたとしてもおかしくないでしょう。
 ラスプーチンといわれる佐藤優氏は、今回の検察の動きと民主
党について、次のような独特の見方をしています。
―――――――――――――――――――――――――――――
 検察の動きをミクロ的に見ていると、かえって事態の本質をと
 らえることができなくなってしまう。本件について筆者は20
 09年8月30日の総選挙で民主党が308議席を獲得し、政
 権交代が起きた結果、「誰が日本国家を支配するか」を巡って
 起きている権力闘争と見ている。一般の国民の利害とは関係の
 ない「あの人たち」の権力闘争だ。
          ──『中央公論』/2010年3月号より
―――――――――――――――――――――――――――――
 佐藤氏は明確にはしていないが、ここでいう「あの人たち」と
は、明らかに国家公務員上級I種試験や司法試験などの難しい資
格試験に合格したエリートを指していると思われます。彼らは、
少なくとも自民党政権下においては、実質上日本国家を動かして
いるのは上級官僚たるわれわれであると思ってきたし、現時点で
もそう思っているはずです。彼らは、一般国民を「無知蒙昧な有
象無象」として見下しているのです。
 しかし、民主党は、国家を支配するのは、国民により選挙され
た国会議員であるべきだと考えています。すなわち、政治主導が
行われるべきだと考えています。これは官僚組織にとっては、ま
さに一大事であり、多少無理なことをしても潰さなければと考え
ても不思議はないのです。    ―――[小沢一郎論/46]


≪画像および関連情報≫
 ●公務員上級T種とU種試験について/高級官僚
  ―――――――――――――――――――――――――――
  大学卒業等程度の試験と分類されているT種試験とU種試験
  の違いは、試験問題のレベルについてはT種試験は具体的に
  は大学卒業段階の知識・技術及びその応用能力を必要とする
  程度の試験とされ、大学卒業程度の試験とされているU種試
  験と異なり大学院レベルの問題も出題されること、T種試験
  が採用時から上席の係員である主任クラスとして採用される
  ことなどである。          ──ウィキペディア
  ―――――――――――――――――――――――――――
 ●「写真」講演する佐藤優氏
佐藤 優氏.jpg
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2010年03月11日

●「『政治主導』の意味するものとは」(EJ第2771号)

 自民党時代に高級官僚──事務次官など――と政治家との関係
はどうなっていたのでしょうか。
 これについては、佐藤優氏が『中央公論』3月号で詳細に述べ
ているので、以下、それを中心にしてご紹介します。
 自民党時代においては、建前上、大臣、副大臣、政務官は、テ
クノクラートである官僚を指揮し、彼らを使って職務を遂行する
というかたちをとっています。要するに政治家は官僚を指揮して
職務を遂行することです。本来このようなことは企業では当たり
前のことです。
 ちなみに、もともとこの副大臣、政務官は、党首討論(クエス
チョン・タイム)などとともに、自由党時代の小沢が英国議会を
参考にして自民党と協議して実現させたものです。
 しかし、自民党時代は、制度自体に魂が入っておらず、小渕内
閣のときから制度は開始されたのですが、とくに副大臣、政務官
はお飾り的存在になっていたのです。
 実際問題として、その職務をこなす能力がない大臣、副大臣、
政務官も少なくないのです。仮に能力のある大臣であっても、何
か仕事をしようとする場合、官僚が情報を握っているので、官僚
の協力が得られないとやることはできなかったのです。ましてそ
れが官僚の嫌がる仕事であったときは、当然のことながら、さま
ざまな妨害をやった挙句、やろうとしないのです。厚生労働省所
管のあの「消えた年金の問題」などはその典型です。
 さらに、大臣、副大臣、政務官は役所の内部事項には極力干渉
しない――とくに課長級以下の人事には容喙しないという不文律
があります。要するに、官僚の協力を得るには彼らの嫌がること
をしてはならないのです。人事や予算に立ち入ろうとする政治家
は官僚の敵になります。
 しかし、局長以上の幹部クラスの人事については、内閣の了解
を得ることになっており、総理、官房長官、官房副長官は何かコ
トがあると、「人事や予算を認めない」というかたちで、内閣の
意思表示ができるようにはなっているのです。
 そのため、事務次官などの高級官僚は、自分たちが決めた局長
以上の人事や予算に政治家の横やりが入らないように、事前に周
到な根回しをして、事実上自分たちが決めた通りの人事や予算を
内閣に認めさせてきたのです。それが事務次官の仕事です。
 佐藤優氏によると、永田町には「俺は聞いていない」という用
語があるのだそうです。事前の根回しができていない案件につい
て政治家がよく発する言葉です。これは、逆にいうと、事前に根
回しをしておけば、局長以上の人事でも予算でもほとんどが彼ら
の決めた通りに決定できたのです。
 明治期の大日本帝国憲法においては、天皇と官僚は直接結びつ
いており、政治には憲法上大きな役割が与えられてこなかったの
です。天皇にすべての主権があって、天皇に直結する官僚が国を
動かすシステムだったのです。つまり、これまで日本は官僚主導
――官僚が国を動かしてきたのです。
 現在の民主党は、小沢幹事長を中心に今までの慣例をすべて打
破し、政治主導に切り替えようとしているのです。最初にやった
のは、事務次官会議の廃止ですが、事務次官というポストも廃止
する構えです。つまり、これは各省庁の司令塔を官僚から奪い取
ることを意味します。
 それから国会で、内閣法制局長官、外務省国際法局長が参考人
として答弁することができないようにしています。ところで、内
閣法制局長官の答弁を禁止することの意義は何でしょうか。
 これは、政治家が、憲法の有権解釈を行うことができるように
なったことを意味します。有権解釈とは、権限のある機関によっ
て行われる法の解釈のことをいいます。たとえば、集団的自衛権
の行使などの解釈については、今までは内閣法制局長官がやって
きたのですが、それを政治家ができるようになるのです。
 それでは、外務省国際法局長の答弁を禁止することの意義はど
こにあるのでしょうか。
 外務省国際法局長は、条約や協定の有権解釈をする権限がある
のです。日本という国家は、かつての天皇主権の国体から、戦後
は日米同盟を基本とする国体に変化しています。しかし、政治主
導になると、日米安保条約という戦後日本の国体を護持する役割
を政治家が担うことになるのです。
 しかし、「政治主導」とは、こういうことであるということを
民主党の政治家はわかっているのでしょうか。おそらくわかって
いないと思います。本当にわかっていて行動しているのは小沢だ
けであると私は思います。
 こういう政治主導について官僚は、政治家による国家権力の簒
奪であるとして、不安を通り越した恐れを抱いています。そのた
め、あらゆる手段を駆使して小沢を潰しにかかっているのです。
それが日本という国のためだと彼らは信じているのです。
 これに関して佐藤優氏は、特捜警察を21世紀の青年将校とみ
なして次のように述べています。
―――――――――――――――――――――――――――――
 国家の主人は官僚だと考える検察官僚にとって、民主主義手続
 きによって選ばれた政治家であっても、官僚が定めたゲームの
 ルールに反する者はすべて権力の簒奪者である。簒奪者から権
 力を取り返すことは正義の闘いだ。      ──佐藤優氏
             『中央公論』2010年3月号より
―――――――――――――――――――――――――――――
 佐藤氏によると、1936年に2・26事件を起こした陸軍青
年将校たちは、財閥、政党政治家たちが簒奪している権力を取り
戻そうとして行動したのですが、今回の特捜警察による小沢捜査
はそれに似ているといっているのです。
 佐藤優氏はもともと優秀な外務省官僚であり、やはり官僚から
の見方という感じがします。佐藤氏は、小沢対特捜警察との決着
はまだついておらず、現在も続いてると考えているようです。
                ―――[小沢一郎論/47]


≪画像および関連情報≫
 ●内閣法制局長官とは何か
  ―――――――――――――――――――――――――――
  内閣法制局設置法第2条に基づいて置かれ、定員は1名。内
  閣法制局の事務を統括し、職員を任免し、監督することを職
  務とする。内閣法制局が単に法制局と呼ばれていた1962
  年以前は法制局長官と呼ばれており、その設置は1885年
  の法制局設置に遡る。旧憲法下では内閣書記官長と並び閣僚
  に列した。戦後、法制局が廃止された1948年から195
  2年までの間は、法務庁法制長官・法務府法制意見長官が法
  制局長官に相当する職としてあった。 ──ウィキペディア
  ―――――――――――――――――――――――――――

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「中央公論」3月号
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2010年03月12日

●「特捜検察は何をしようとしているか」(EJ第2772号)

 大新聞は書いていませんが、3月1日に東京地検の次席検事に
元最高検検事である大鶴基成氏が着任しています。2日発行の日
刊ゲンダイ/3月3日号は次のタイトルでこれを報じています。
―――――――――――――――――――――――――――――
  懲りない検察/最強硬派の元特捜部長が東京地検に復帰
  小沢捜査に未練タラタラ――日刊ゲンダイ/3月3日号
―――――――――――――――――――――――――――――
 これで東京地検特捜部は、佐久間達哉現特捜部長とナンバー2
ポストの次席検事の大鶴基成氏がタッグを組むことになります。
これはいったい何を狙っているのでしょうか。
 実は2月22日に東京霞が関/法務合同庁舎で密かに検察首脳
会議が開かれたのです。出席していたのは次の7人です。
―――――――――――――――――――――――――――――
  樋渡利秋検事総長     東京地検岩村修二検事正
  伊藤鉄男次長検事     東京地検谷川恒太次席検事
  東京高検大林宏検事長   東京地検佐久間達哉特捜部長
               最高検刑事部大鶴基成検事
―――――――――――――――――――――――――――――
 会議は、小沢一郎を起訴するのか、不起訴にするのかを決める
会議だったのですが、大勢は不起訴に傾いていたのです。『週刊
文春』2月18日号は、次のように書いています。
―――――――――――――――――――――――――――――
 「『小沢先生の了承を得た』と石川は認めています。偽装融資
 の書類に、小沢直筆のサインもある。起訴できるじゃないです
 か」。小沢一郎幹事長を不起訴とする方針がまとまり出すと、
 オブザーバー的に参加していた最高検刑事部の大鶴最高検検事
 はメガネの奥の目を怒らせながら、上層部にこう詰め寄ったと
 いう。政権与党の最高実力者に切り込んだ検察当局。その判断
 が注目された首脳会議を優位に進めたのは、次期検事総長のイ
 スをうかがう大林高検検事長を中心とした「法務官僚派」で民
 主党を刺激したくないとばかりに消極論をぶっていた。
               ――『週刊文春』2月18日号
―――――――――――――――――――――――――――――
 大鶴検事は1992年に東京地検特捜部検事になり、副部長の
ときに日本歯科医師連盟をめぐる1億円ヤミ献金事件を手がけて
いますが、献金の現場にいなかった村岡兼造元官房長官を逮捕す
るという奇妙な捜査を行っています。
 2005年には今度は東京地検特捜部長として、当時の佐久間
副部長と組んで長銀事件を担当して起訴しましたが、最高裁で全
員が無罪になるという結果になっています。それに加えて、この
2人のコンビは佐藤栄佐久・前福島県知事をめぐる収賄事件を仕
掛けましたが、証人の水谷建設の水谷功・元会長がウソの供述を
認めたことにより、現在裁判がおかしくなっているのです。
 そして今度の小沢関連捜査です。この捜査でも大鶴検事は最高
検検事でありながら、後輩の佐久間特捜部長の尻をたたき、小沢
起訴を最後まで狙ったのです。かなり無理筋で強引な捜査です。
 大林宏検事長や最初は積極的であった伊藤鉄男次長検事が捜査
が進むにつれて消極的になっていったのは無理筋だからです。そ
れに、もし小沢が生き残った場合、それも参議院選で民主党が過
半数を取った後の報復が怖いからといえます。
 その小沢起訴を狙っていた佐久間特捜部長と大鶴検事がタッグ
を組むということは何を意味するのでしょうか。
 この件に関し、ジャーナリストの魚住昭氏は次のようにコメン
トしています。
―――――――――――――――――――――――――――――
 一連の捜査で、国民は小沢氏を狙い撃ちするような検察の捜
 査の正体″を知ってしまった。その検察が2回失敗し、3回目
 にトライするというのは、司法の公正さを保つ意味でも、検察
 の信頼をさらに損なう恐れがあるという点でもリスクが高すぎ
 ます。   ――魚住昭氏/日刊ゲンダイ3月3日(2日発行)
―――――――――――――――――――――――――――――
 検察がなぜ小沢潰しにやっきになっているかというと、それは
検察が小沢幹事長に恐怖心を持っているからです。それは民主党
が7月の参議院選挙で60議席を取って単独過半数になった場合
のことです。そうなると、佐藤優氏によると、2つのことが起き
る可能性があります。
―――――――――――――――――――――――――――――
         1.特捜部の解体・再編
         2.検事総長の政治任用
―――――――――――――――――――――――――――――
 検察が仕掛けた小沢関連捜査――いわゆる政治とカネの問題の
影響で、内閣支持率、政党支持率ともに下がっていますが、小沢
は風に頼らない組織選挙にも着実に手を打っています。
 昨年暮れのことですが、小沢幹事長は、高野山・金剛峯寺を訪
れ、全日本仏教会会長の松長有慶・高野山真言宗管長と会談して
います。この全日本仏教会には、102団体が加盟しているので
す。この会談後、小沢幹事長は次のように語っています。
―――――――――――――――――――――――――――――
 キリスト教もイスラム教も排他的だ。排他的なキリスト教を背
 景とした文明は、欧米社会の行き詰まっている姿そのものであ
 る。その点、仏教はあらゆるものを受け入れ、みんな仏になれ
 るという度量の大きい宗教だ。     ――読売新聞の報道
             『中央公論』2010年3月号より
―――――――――――――――――――――――――――――
 佐藤優氏によると、小沢のこのキリスト教批判発言は、周到に
練られた戦略に基づくものであるといっています。仏教の寛容さ
を称賛することによって、神道界にシグナルを送っている――こ
う佐藤氏はいいます。自民党の支持基盤になっている神道界を切
り崩そうとしているのです。そのうえで、創価学会を民主党に引
き寄せようとしています。    ―――[小沢一郎論/48]


≪画像および関連情報≫
 ●どうした!東京地検特捜部/ジャパン・ビジネスプレス
  ―――――――――――――――――――――――――――
  2000年以降、「鈴木宗男事件」「日歯連事件」「ライブ
  ドア事件」「防衛省汚職事件」「西松建設事件」など特捜検
  察が手がけた多くの事件の捜査が、検察にとっては不本意な
  結果に終わっている。そして、佐藤優氏の『国家の罠』、細
  野祐二氏の『公認会計士VS特捜警察』、堀江貴文氏の『徹
  底抗戦』など、起訴された被告人の立場で、検察の捜査や公
  判を批判する著書の出版が相次いでいる。そこで描かれてい
  るのは、事実とは異なる不合理な犯罪ストーリーを設定し、
  威迫、利益誘導などを用いた取り調べでストーリーに沿った
  供述調書を作成し、強引に事件を組み立てようとする特捜捜
  査の姿だ。
  http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/1919?page=3
  ―――――――――――――――――――――――――――

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大林宏東京高検検事長
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2010年03月15日

●「政治家・小沢一郎の4つの側面」(EJ第2773号)

 『新潮45』4月号の別冊が次の「小沢一郎」の大特集を組ん
でいます。
―――――――――――――――――――――――――――――
    『「小沢一郎」研究』/『新潮45』4月号別冊
―――――――――――――――――――――――――――――
 一冊234ページすべて小沢一郎論――現在、いかに小沢が注
目のマトになっているかがわかります。EJは、1月4日からス
タートして本日で48回――終わりに近づいていますが、もう少
し続きます。
 現在最古参の議員はというと、40年勤続、連続当選14回の
次の4人しかいないのです。
―――――――――――――――――――――――――――――
        民主党 ・・・・・ 小沢一郎
        民主党 ・・・・・ 羽田 孜
        民主党 ・・・・・ 渡部垣三
        自民党 ・・・・・ 森 喜朗
―――――――――――――――――――――――――――――
 この4人の中で、現在要職にあるのは政権与党の幹事長職の小
沢のみです。羽田、森両氏は首相、渡部氏は衆院副部長が最高位
ですが、小沢だけが現役の権力者の地位を保っているのです。
 政治ジャーナリストの岩見隆夫氏は、小沢一郎には次の4面性
があると分析しています。
―――――――――――――――――――――――――――――
          1.利権的政治家
          2.破壊的改革者
          3.周到な戦略家
          4.独裁的政治家
―――――――――――――――――――――――――――――
 第1は「利権的政治家」の側面です。
 小沢といえばつねにこの側面が強調されますが、彼はこの面で
罰を受けたことはないのです。2009年に民主党の代表を降り
ましたが、それは間近に迫った衆議院選挙を勝ちに行くためであ
り、本人が悪いことをして罰せられたわけではないのです。しか
し、今や小沢といえば「巨悪」の象徴です。
 第2は「破壊的改革者」の側面です。
 小沢は、1993年の自民党離党以降、新生、新進、自由の3
党を結党し、解党しています。そして、細川、羽田、小渕の3政
権の崩壊に直接かかわったことでわかるように、組織や秩序を容
赦なく破壊する破壊的改革者の側面があります。
 第3は「周到な戦略家」の側面です。
 小沢は、自民党の宮沢、麻生両政権から政権を奪取して、それ
ぞれ細川、鳩山両政権という2つの政権を誕生させています。そ
んな政治家がかつていたでしょうか。綿密に計画を立て、それを
長い期間をかけて一つずつ着実に実現させてきたのです。
 第4は、「独裁的政治家」の側面です。
 その結果として定着したのは、すべてを自ら発想し、強権的に
処理する手法です。現在の民主党幹事長としてもそういう手法は
使われているといえます。
 これら4つの側面は、小沢が体制の改革者であると考えると当
然持っていなければならない側面であると思います。しかし、小
沢を改革者としてみない人は多いようです。
 東大教授で政治学が専門の御厨貴氏は、「週刊朝日」の座談会
で次のように述べています。
―――――――――――――――――――――――――――――
 民主党内には「自民党の中で最も自民党的だった小沢さんが、
 なぜ改革を言っているのか」「改革は良いけど、あなたが推進
 力としてやるのはおかしいんじゃないか」という思いがある。
 民主党が小沢さんを切った、瞬間に、異種混合ではない政党へ
 の改造ができる。そこから全く違うエネルギーが出て、動いて
 いく可能性があると思います。――「週刊朝日」3/12より
―――――――――――――――――――――――――――――
 御厨貴氏は、明らかに小沢を「利権政治家」として見ており、
もっとも自民党的政治家とみなしています。私は御厨氏が司会す
る「時事放談」を見ていますが、はっきりとそれはいえると思う
のです。「時事放談」に出てくる政治家はどちらかというと、ア
ンチ小沢や小沢と距離を置く議員ばかりであり、民主党の出演者
は、渡部垣三氏をはじめ、仙石由人氏、藤井裕久氏、野田佳彦氏
などであり、明らかに偏っています。
 小沢が「最も自民党的」といわれるのは、田中、竹下、金丸の
一派ないし、その流れを汲む者とみなされているからです。私も
はじめはそう考えていましたが、今回のテーマを取り上げるに当
たって、さまざまな小沢本を読み、小沢観が変わったのです。
 小沢は、田中、竹下、金丸流の政治手法には強い疑問を抱き、
そういう自民党の中にあっては真の改革はできないと考えて、自
民党を離党したのです。
 その敵というか、改革のターゲットは官僚組織であり、それに
連合する自民党、大企業、大マスコミの連合軍なのです。それは
実に難敵であり、強敵です。政権交代はしたものの、連合軍の猛
烈な抵抗にあって、鳩山内閣、小沢幹事長率いる民主党は苦戦を
余儀なくされています。
 御厨氏の発言は、悪の象徴である小沢のDNAを取り除き、ク
リーンなイメージの「小沢と距離を置く面々」が主導権を取れば
きっと新しいエネルギーを持つ清新な政党に生まれ変わるといっ
ているのですが、小沢抜きで民主党は持たないと思います。
 同様なことをいっている人に片山善博氏です。この人も座談会
の参加者の一人ですが、彼は民主党はダーティーなDNAを持つ
小沢グループと、それに反対する清貧、クリーンなDNAを持つ
グループがあって、現在ダーティーなDNAが突出して批判を浴
びているといっているのです。しかし、御厨、片山両氏とも小沢
には偏見があるようです。    ―――[小沢一郎論/49]


≪画像および関連情報≫
 ●御厨貴氏とは何者か
  ―――――――――――――――――――――――――――
  明治国家中期の政治史、とりわけ首都を含めた各地方の都市
  計画・開発を巡る政治過程の分析からスタートし、戦後の東
  京都政や国土開発など現代政治の分析にも手を広げた。アメ
  リカ流のオーラル・ヒストリーの手法を日本に持ち込み、多
  くの政治家や関係者の聞き取り調査を行っている。90年代
  後半からは論壇でも盛んに執筆、書評家としても知られる。
  近年はとりわけジャーナリズムでの活躍が目覚ましく、テレ
  ビのコメンテーターや解説、週刊誌などにも多く登場する。
  2007年4月からは政治評論家の岩見隆夫の後任として
  TBSテレビ「時事放談」の司会者を務めている。
                    ――ウィキペディア
  ―――――――――――――――――――――――――――

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『小沢一郎』研究
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2010年03月16日

●「小沢こそ体制改革主義者である」(EJ第2774号)

 小沢一郎は、1942年生まれの67歳、政治家経験は40年
に及びますが、岩見隆夫氏は、小沢一郎の政治家人生を「起承転
結」の4つに分けています。
―――――――――――――――――――――――――――――
 「起」・・ 69年の初当選から85年、自治省・国家公安委
       員長に就任するまでの15年間
 「承」・・ 官房副長官、幹事長を務めて、自民党を離党する
       までの8年間
 「転」・・ 新生党、新進党、自由党と渡り、2003年に民
       主党との合併に至る10年間
 「結」・・ 民主党代表代行、代表、幹事長などを歴任し、現
       在までの民主党時代の7年間
―――――――――――――――――――――――――――――
 「起」の15年間は、小沢はほとんど目立たない存在であった
し、将来有望な政治家であると期待されていたわけでもなかった
のです。小沢が初当選したとき、田中角栄は佐藤内閣の47歳の
若い幹事長だったのです。
 小沢は佐藤派入りを勧められたのですが、彼は自ら田中幹事長
を訪ねており、進んで田中派に入っています。小沢はこの時期か
ら、官僚政治に反発を感じていたからです。
 小沢は、この初当選当時のことを振り返って次のように述懐し
ているのです。
―――――――――――――――――――――――――――――
 政界人りの最初から、政治改革をしなければならないと思って
 いたんですから。両親から影響を受けたから、潜在意識の中で
 は、体制に対する批判がものすごく強い。そこがわからないか
 ら、僕が改革論者だというと、みんな不思議に思うんでしょう
 ね、多分。代議士になって、僕は自分から求めて財界とつき合
 ったことが一度もない。体制のなかで適当にやろうと思ったら
 いくらでもできた。ほどほどに適当に「なあなあ」でやってり
 ゃいいんだもの。でも、僕のそういう面は世間に伝わらないん
 だろうな」――小沢一郎著『語る』より/文藝春秋・96年刊
―――――――――――――――――――――――――――――
 このように、小沢は最初から体制変革を求めていたのです。小
沢のいう体制とは、既成の権力機構、権威的組織――それは自民
党の支持基盤そのものであるが――そういう体制に対して変革が
必要だと感じていたのです。
 それでは、小沢はなぜ田中派に入ったかというと、官僚主義が
跋扈している佐藤派に入りたくなかったのと、田中の人柄に親し
みを感じたこと、それから少しでも早く大臣になりたかったから
なのです。小沢は次のようにいっています。
―――――――――――――――――――――――――――――
 田中のおやじはもともと貧乏の出で、僕の感覚にぴったりだっ
 た。ただ、田中さんは反官僚ではなく、官僚をうまく使いこな
 したんです。パッと先を読み、自分の考えでピッピッとやる。
 それを官僚も大歓迎した。だから、官僚の基本路線から外れる
 ことはしませんでした。田中先生は、ほかの人よりも活動的だ
 し、先を読めるし、ものすごく大衆受けする。(中略)人間的
 にもすごくいいおやじだし、面白いおやじだ。けれども体制を
 壊そうとした人ではない。僕は体制そのものを変えようとして
 いる。だから、僕にとっては反面教師なんです。
  ――小沢一郎著『90年代の証言/小沢一郎・政権奪取論』
                       朝日新聞社刊
―――――――――――――――――――――――――――――
 御厨貴氏のように、小沢を田中政治の継承者と見る人は多いで
すが、それは大きな間違いです。小沢自身「田中は官僚の基本路
線から外れることはしなかったし、体制を壊そうとした人ではな
い」と明言しているからです。
 ところが体制変革には時間がかかるので、小沢は少しでも早く
大臣になりたかったのです。しかし、1983年暮れに6回目の
当選を果たしても田中は小沢を大臣にはしなかったのです。小沢
がはじめて大臣になったのは、第3次中曽根内閣のときで、自治
大臣・国家公安委員長に就任したのです。このようにして「起」
の15年は過ぎ去ったのです。
 そして「承」の時期に入るのです。1985年2月、竹下登を
推すグループが創政会を旗揚げしています。これは、田中がロッ
キード事件で逮捕され、9年間も政権から遠ざかっていたので、
田中派のベテランがその閉塞感に耐えきれず、行動を起こしたの
です。小沢もそれに参加しています。しかし、田中はこれに激怒
し、そのため、脳梗塞で倒れたのです。
 創政会は、1987年には経世会になり、その年の11月、小
沢は、竹下登内閣で官房副長官に就任します。しかし、小沢は閣
僚経験者であり、これは異例の「降格人事」だったのです。竹下
は小沢に対して密かに警戒心を抱いており、ブレーキをかけたの
です。このあたりから竹下と小沢の間には、隙間風が吹くように
なっていったのです。
 その小沢が自民党幹事長になったのは、1989年8月のこと
です。それは金丸信が竹下に進言したからですが、竹下は最初は
猛烈に反対したのです。しかし、竹下は金丸との間がおかしくな
るのを恐れて、結局は承認したといわれます。
 小沢が「剛腕」といわれるようになったのは、幹事長時代から
です。それは、1990年の衆議院選のときに、経団連から党に
集中的に資金を集めたことと、米ソ冷戦後も続く日本の談合国会
運営の改革を巡って、社会党と対決姿勢を取ったことによって、
誰いうともなく、剛腕と呼ばれるようになったのです。
 そのため、湾岸危機に対応するため、公明・民社両党と接近し
たことから、都知事選候補を巡って自民党都連と対立し、結果と
して、都知事選に敗れたことから、幹事長を辞任するに至るので
す。これが小沢が自民党を離れるキッカケになったのです。こう
して「承」の時期が終わるのです。―――[小沢一郎論/50]


≪画像および関連情報≫
 ●田中派における創政会騒ぎについて
  ―――――――――――――――――――――――――――
  一連の動きで角栄が最も心を痛めたのは、小沢一郎・梶山静
  六・羽田孜など子飼の弟子が弓を引いたことであった。この
  事で角栄は深酒になりやがて脳梗塞で倒れることになるのだ
  が、田中派外様の代表格である田村元は、これを「創政会卒
  中」と周囲に漏らしている。一般的には田中支配転覆のクー
  デターに見られがちな創政会の結成であるが、小沢一郎はオ
  ヤジと慕う田中に弓を弾く気はなく、竹下を一時的に後継者
  に指名すればそれでよかったとも述べている(立ち上げの前
  日一晩泣き明かしたという)。梶山静六は派内後継者を決め
  ればそれでよく、田中支配を続けることに反対ではなかった
  という。羽田孜なども同様のことを言っている。また後藤田
  正晴は、角栄が倒れることがなければ、いずれ必ず機会を見
  てつぶされていただろうと語っている。――ウィキペディア
   http://www.youtube.com/watch?v=S2XUp10hHCM
  ―――――――――――――――――――――――――――

岩見隆夫氏.jpg
岩見隆夫氏
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2010年03月17日

●「小沢は目標を持っていない政治家か」(EJ第2775号)

 小沢一郎に関する昨日の「起」「承」に続いて、「転」以降に
ついて考えていきます。昨日指摘した御厨貴氏だけでなく、大学
の政治学の教授の中には、小沢一郎という政治家の見方を間違え
ている人が多くいます。拓殖大学大学院教授の遠藤浩一氏は、小
沢一郎を理念的正当性やまっとうな目的を持たない政治家と決め
つけ、次のように述べています。
―――――――――――――――――――――――――――――
 新生党、新進党の頃は、構造改革の必要性を説き、日本を「普
 通の国」にせよと訴え、日米同盟の大事を力説していた。しか
 し、小泉純一郎総理に構造改革路線を攫われて以降は、自民党
 のやることなすことに、ただ条件反射的に反対したり差別化す
 るようになった。要するに「反自民」と「政権交代」が小沢氏
 の掲げる唯一つの疑似理念になってしまったのである。
     ――『「小沢一郎」研究』/『新潮45』4月号別冊
―――――――――――――――――――――――――――――
 小沢を理念や目的を持たない政治家と決めつけていますが、き
わめて一面的な見方であると思います。小沢一郎について書きな
がら、小沢自身についてほとんど調べていないような感じがしま
す。おそらく小沢を好きではないのでしょう。
 昨日のEJで述べたように、小沢は政治家になる以前から官僚
政治に疑問を持っており、体制変革を政治目標に政治家生活40
年間を過ごしてきているのです。そのほとんどは野党であったに
もかかわらず、さまざまな政治手法を駆使して、体制変革の目標
に一歩一歩近付けてきているのです。そういう意味で小沢は驚く
べき力量のある政治家であり、40年を経過してもつねに日本政
治の中心で現在も活躍しているのです。
 「転」の時代──小沢にとって「転」の時代の10年間は、変
転きわまりないものであったのです。1993年7月に実施され
た第40回衆議院選──これは自民党宮沢政権の不信任案可決を
受けての選挙ですが、新生党を結成した小沢たちにとって最初の
選挙となったのです。
 44人の自民党議員が離党して新生党を結成し、羽田孜氏が党
首になり、小沢は代表幹事に就任したのです。新生党の動きと前
後して、武村正義氏ら10人も離党して新党さきがけを結成、そ
の中には現首相の鳩山由紀夫氏もいたのです。その一年前には、
細川護煕氏が日本新党を旗揚げしており、それらが一斉に選挙に
挑んだのです。そして、選挙の結果は次のようになったのです。
―――――――――――――――――――――――――――――
  自 民 党 ・・・ 223  民 社 党 ・・・  15
  社 会 党 ・・・  70  共 産 党 ・・・  15
  新 生 党 ・・・  55  さきがけ ・・・  13
  公 明 党 ・・・  51  社 民 連 ・・・   4
  日本新党 ・・・  35  無 所 属 ・・・  30
―――――――――――――――――――――――――――――
 このときの過半数は256議席であったのですが、自民党はそ
れを大きく割り込んだのです。しかし、それでも自民党は圧倒的
な第一党であり、当の自民党も世間も33議席以上を持つ政党と
連立を組めば政権は維持できると考えていたのです。
 しかし、自民党が茫然自失している間に素早く動いたのは小沢
なのです。投票日の翌々日、小沢は社会党の田辺誠前委員長、公
明党の市川雄一書記長、民社党の米沢隆書記長、それに連合の山
岸章会長を集めて会議を開いたのです。
 そのとき集まった面々は、選挙は負けたという認識を持ってい
たといいます。しかし、共産党を除く8党派の票を合計すると、
過半数の256を上回ることがわかったのです。
 しかし、このままでは、日本新党とさきがけは自民党と連立を
組んでしまうことはわかっていたのです。そこで、小沢は、この
2党の説得工作を引受けて動き出したのです。このときのことを
小沢は後で次のように述懐しています。
 社会党は70議席と議席を半減させ、茫然自失していたので、
うまくいったが、そうでなかったら、社会党を首班にしろといい
出してまとまらなかったかもしれない、と。
 しかし、小沢は、細川首相構想と最左派の土井たか子衆議院議
長構想を軸に一気に日本新党とさきがけを説得し、8党派をまと
め上げたのです。そして、1993年8月、細川非自民8党派連
立政権が誕生したのです。これをもって、自民党単独政権は38
年でピリオドを打ったのです。そして、この年の11月に田中角
栄は75歳でこの世を去っています。
 この細川連立政権において、小沢は自らの目標である体制変革
を行うための前提である「小選挙区比例代表並立制」を成立させ
年間300億円の政党交付金制度を成立させているのです。そし
て以後17年間、これら2つの制度が日本の政党政治に大きな影
響を与えることになるのです。
 後にこの「小選挙区比例代表並立制」の効果を聞かれた小沢は
次のように答えています。
―――――――――――――――――――――――――――――
 (大きな効果が)ありました。何の効果もないようなことをい
 う人がいるけど、細川政権で実現してから、自民党の退潮傾向
 が一気に強まった。もう元に戻ることはないだろう。
     ――『「小沢一郎」研究』/『新潮45』4月号別冊
―――――――――――――――――――――――――――――
 このようにいうと、「やはり小沢の目的は自民つぶしではない
か」といわれますが、小沢の最終目標は、民主党対自民党の2大
政党制ではなく、さらに大規模な政党再編を狙っているのです。
 しかし、今になって振り返ると、この細川連立政権のとき、小
沢のとった手法はあまりにも乱暴であり、その政治手法が警戒さ
れ、小沢は苦労することになるのとです。そして、2003年7
月に自由党党首として民主党の管直人代表と合併に合意するまで
の9年間に小沢のやったことは、政党を作っては壊し、壊しては
作るの連続だったのです。    ―――[小沢一郎論/51]


≪画像および関連情報≫
 ●政党交付金とは何か
  ―――――――――――――――――――――――――――
  政党交付金とは、政党の活動を助成する目的で国庫から交付
  される資金。日本においては政党助成法に基づいて一定の要
  件を満たした政党に交付される。なお、政党が政党要件を満
  たさなくなっても政治団体として存続する場合には、政党で
  あった期間に応じて特定交付金が交付される。政党助成金と
  も呼ばれる。            ──ウィキペディア
  ―――――――――――――――――――――――――――

小沢一郎民主党幹事長.jpg
小沢一郎民主党幹事長
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2010年03月18日

●「新進党という政党は何をしたのか」(EJ第2776号)

 「転」の時期の1994年の暮れに小沢の作った新進党につい
て、少し述べておくことにします。新進党というと、内部闘争を
繰り返し、結党後3年で解党に追い込まれたことを知っている人
は多いですが、この党が当時の自社さ政権に対して何をやったの
かについて明確に覚えている人は少ないと思います。
 新生党、日本新党、公明党、民社党――すなわち、細川連立政
権に参加した諸政党から、社会党とさきがけの2党を除いた政党
が集まって結成された政党です。
 議員数は、衆議院は178人、参議院は36であり、初代党首
は海部俊樹氏、幹事長は小沢一郎が務めたのです。小沢は、自民
党、新生党、細川政権、そして新進党――いずれも幹事長(代表
幹事)を経験し、そして現在の民主党でも幹事長を務めるという
とにかく幹事長職にかけては大変なベテランといえます。
 1995年の暮れのことです。伊豆長岡の温泉旅館に、村山富
市首相と武村正義蔵相が密かに集まり、密談をしたのです。その
とき、年明け早々に退陣することを決めています。
 なぜ、首相と蔵相が退陣するのでしょうか。
 それは「住専予算」が問題化して、国会運営ができなくなるこ
とがわかっていたからです。「住専」とは何でしょうか。
 バブルの時代に「住専」――住宅専門会社が次々と作られ、そ
こに官僚が天下りして社長になり、農林系金融機関や市中銀行が
杜撰な融資をしたのです。それがバブルの崩壊によって不良債権
化し、大きな社会問題になったのです。これがいわゆる「住専問
題」です。とくに政府が保証している農林系金融機関の住専に対
する融資には多くの不正があったのです。
 「住専予算」とは、それが発覚して問題化する前に、公的資金
を投入して処理するための予算だったのです。平成8年度(19
96年)予算には、そのための6850億円が計上されていたの
です。この仕組みを作ったのは加藤紘一自民党幹事長(当時)で
あったのですが、彼にはこれに関連する疑惑があったのです。
 しかし、この仕組みはすぐばれて「国民の税金で民間会社(住
専)を救済するとは何事か」というかたちで政治問題化したので
す。村山、武村両氏はこのことがわかっていたから、いち早く敵
前逃亡したわけです。同時に大蔵省の篠沢恭助事務次官も辞任し
ています。篠沢恭助事務次官は、当時参議院財政金融委員長をし
ていた平野貞夫氏に対して次のようにいっています。
―――――――――――――――――――――――――――――
 平野さんだから申し上げます。住専予算に強く反対した西村銀
 行局長を、武村蔵相がクビにするよう命令してきたのです。私
 は「配置換えならできますが、辞めさせることは法令上できま
 せん」と抵抗しました。しかし、それでも住専予算が編成され
 たので、私が責任をとって辞めたのです。―篠沢恭助事務次官
       ――平野貞夫著『わが友・小沢一郎』/幻冬舎刊
―――――――――――――――――――――――――――――
 このとき新進党の小沢は「金融機関全体の不良債権を処理する
ことが、日本の構造不況を改善させる根本である」と主張したの
ですが、自社さ政権は反対したのです。しかし、自民党内では梶
山静六氏氏がこれに賛同して連携を取ったのです。
 この小沢と梶山氏を中心とし、参議院の斎藤議長や当時日銀の
副総裁をしていた福井俊彦氏が協力して、次のような構想を作っ
たのです。
―――――――――――――――――――――――――――――
 衆参両院を併せて国会として「日本版ペコラ委員会」を設置し
 強制的な調査権、証人喚問権をもたせ、弁護士や公認会計士ら
 国会外部の有識者も参加させる。「金融、税制、財政および経
 済構造全般にわたる改革」を目的とする。委員長には中曽根元
 首相を起用し、メンバーには元首相や野党党首経験者という大
 物を加えるなどである。
       ――平野貞夫著『わが友・小沢一郎』/幻冬舎刊
―――――――――――――――――――――――――――――
 「日本的ぺコラ委員会」とは何でしょうか。
 「ペコラ委員会」の詳細は≪画像および関連情報≫を参照して
いただきたいが、米国の証券市場調査のために設置された上院の
銀行・通貨委員会の小委員会のことです。日本的ペコラ委員会は
このペコラ委員会をベースに作ろうというものです。
 いろいろな曲折はあったのですが、新進党の小沢と政府・自民
党の竹下、野中との間で調整が行われ、1996年4月10日に
自民党と新進党の間で合意が成立していたのです。合意事項には
3項目がありますが、日本的ぺコラ委員会については、その第2
項目の特別委員会がそれに該当するのです。
―――――――――――――――――――――――――――――
 A銀行の金融、税制、財政制度および経済構造全般にわたる改
  革を行い、あわせて金融機関等の諸問題について協議し処理
 するための特別委員会を設置する。
―――――――――――――――――――――――――――――
 しかし、この合意は結局のところ反故にされたのです。橋本首
相、加藤幹事長、社民、さきがけの幹部の会合で、そのように決
まったのです。なぜ、反故にしたかについては諸説がありますが
不良債権問題が国会で追及されることになると、加藤幹事長の法
的・政治的責任が白日の下にさらされることになるからであると
いわれています。それは、加藤幹事長が「住専スキーム」を作る
に当たり、農林関係金融機関の当事者との疑惑があったことが報
道され、政治問題化していたからです。
 平野貞夫氏によると、橋本首相は加藤幹事長に女性問題で弱み
を握られており、幹事長に反対できなかったといわれます。女性
問題とは、橋本氏の愛人といわれる「天ぷら屋の女将」に当時の
富士銀行が融資したというあの問題です。いずれにしても、新進
党は、小泉内閣で問題になる金融機関の構造改革の問題にも鋭く
迫っていたことがこれによってわかると思います。
                ―――[小沢一郎論/52]


≪画像および関連情報≫
 ●「ペコラ委員会」とは何か
  ―――――――――――――――――――――――――――
  ペコラ委員会とは、弁護士出身の調査官ペコラが指揮した株
  式取引と利益相反に関する聴聞会である。1929年の世界
  的な証券恐慌のあと、大統領のもとでアメリカ議会は、銀行
  倒産の原因究明と対策のために多数の聴聞会や委員会を組織
  した。そのなかの代表的なものであった。金融恐慌前の銀行
  の行動を調査対象として、銀行が証券子会社を使って投機的
  な投資、株価操作、証券会社融資を行い、証券価格の暴騰を
  引き起こし、その後の暴落により倒産に追い込まれたとして
  恐慌の原因の把握と分析を行った。こうした作業と検証の結
  果、マーケットの立ち直りが早まったといわれる。
                   ――証券用語辞典より
  ―――――――――――――――――――――――――――

村山・武村両氏.jpg
村山・武村両氏
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2010年03月19日

●「自自連立の政策合意というものがある」(EJ第2777号)

 1997年末の新進党解党に伴い、小沢は1998年1月に自
由党を結党します。結党時の党勢は衆議院43名、参議院12名
だったのです。
 小沢は、その年の7月に自民党に小渕内閣ができると、早速小
渕首相に働きかけたのです。小沢は小渕首相とならば話し合える
と考えたからです。しかし、簡単なことではなかったのです。
 大変な難産のすえ1998年11月19日に自・自連立が成立
したのです。そのときの政策合意書の付帯文書――「いま直ちに
実行する政策」があります。現在の民主党の政策にも関連するの
で、そのすべてを以下に掲載することにします。
―――――――――――――――――――――――――――――
 T、政治を国民の手に取り戻すために(政治・行政改革)
   政治が責任を持って諸改革を推進する体制を確立するとと
   もに、効率的で小さな政府を実現する。
  1、国会の政府委員制度を廃止し、国会審議を議員同士の討
    論形式に改める。そのために必要な国会法改正等法制度
    の整備は次の通常国会において行う。
  2.与党の議員は大臣、副大臣(認証官)、政務次官あるい
    は政務補佐官として政府に入り、与党と政府の一体化を
    図る。そのための国家行政組織法改正等法制度の整備は
    次の通常国会において行う。
  3.行政改革の一環である中央省庁の再編は、1府12省と
    する。ただし、閣僚の数は金融監督庁所管の大臣を加え
    て14人とする。なお経過措置として連立政権の発足に
    あたっては現行20人の閣僚の数を17人に削減する。
  4.国家公務員は平成11年度採用分から毎年新規採用を減
    らし、公務員数を10年間で25%削減する。
  5.衆議院、参議院とも、当面、議員定数を50ずつ削減す
    ることを目標として、自由民主・自由両党間で協議を行
    い、次の通常国会において公職選挙法の改正を行う。
 U、国民の命を守るために(安全保障)
   日本国憲法の理念に基づき、冷戟後に適した安全保障体制
   を確立する。
  1.わが国の平和と安全は、次の原則に従って確保する。
    A.わが国は、わが国が武力による急迫不正の侵害を受
      けた場合に限り、武力による阻止、反撃を行い、そ
      れ以外の場合には武力による威嚇または武力の行使
      は一切行わない。
    B.国際連合の総会または安全保障理事会で国連平和活
      動に関する決議が行われた場合には、国連の要請に
      従いその活動に参加する。
  2、前項の原則に基づいて法制度を整備する。
 V、国民の暮らしを守るために (税制改革)
   経済・社会の構造改革を進めるとともに、社会保障制度の
   基盤を強化するため、税制の抜本改革を断行する。その第
   一弾として、また直面する経済危機を克服するために、当
   面、以下の措置を実施する。
  1.消費税については税率・福祉目的への限定(基礎年金、
    高齢者医療、介護等)など抜本的な見直しを行う。
  2.所得税、住民税等の減税規模は10兆円を目途とする大
    幅減税を実施する。その内、法人関係税の実効税率は、
    40%に引き下げる。
 ──渡辺乾介著、『小沢一郎/嫌われる伝説』より/小学館刊
―――――――――――――――――――――――――――――
 これをみると、現在民主党が取り組もうとしていることとほぼ
同様であることがわかります。もし、自民党がこの時点でこの合
意事項を守って実行していたら、現在のような自民党の凋落はな
かったと思われます。
 しかし、実際はそうはならなかったのです。自・自連立の翌日
から「あれは党首同士の約束であって、党対党の合意ではない」
として合意潰しに動き出したからです。小沢は党の5役が署名し
たので、ちょっと油断したのかも知れないと、渡辺乾介氏はいっ
ています。小沢は、その背後に官僚の意図や策動があることを読
み取っていたのです。
 いずれにせよ、自・自連立は第1次小渕改造内閣からスタート
し、1999年7月に政府委員制度を廃止する国会改革関連法が
成立、同年秋の国会から実施されたのです。しかし、それはあく
までかたちだけのものであり、魂が入っていなかったのです。
 1999年10月5日には連立に公明党が加わり、三党連立に
なったのです。そして自・公は急接近し、自由党外しに動き始め
たのです。自由党は自・自連立発足時の政策合意が守られないこ
とを理由として、2000年4月に連立を離脱するのです。その
直後に小渕首相が倒れ、森政権がスタートすることになります。
その後、政府委員制度は「政府説明員」と名前を変えて復活し、
官僚軍の巻き返しが始まっているのです。
 しかし、民主党が自民党から政権を奪取したことによって、官
僚組織は強い危機意識を持っています。しかし、彼らはあきらめ
ていないのです。警戒すべきは小沢だけでであり、小沢さえ潰せ
ば、あとはどうにでもなると思っています。
 事実政権奪取後小沢に対しては検察によって痛撃が加えられて
います。それに呼応した大マスコミの報道によって、「小沢=巨
悪」にされてしまっていますが、いささか常軌を逸していると国
民は思わないのでしょうか。
 誰がどう考えても検察による一連の捜査は「異常」ですが、マ
スコミによる尋常ならざる報道によって、それが正当化されつつ
あるような気がします。まさに「検察ファッショ」そのものでは
ないかと思います。政治家は選挙の洗礼を受けなければなりませ
んが、検察は官僚であって、国民はどうすることもできないので
す。だとすれば、検察にこそ「説明責任」が必要なのではないか
と考えます。          ―――[小沢一郎論/53]


≪画像および関連情報≫
 ●自・自連立の歴史的決断
  ―――――――――――――――――――――――――――
  平成10年11月19日、小渕恵三首相と自由党の小沢一郎
  党首が歴史的な会談を行ない、自自連立が合意した。しかし
  政策協議はなかなか合意に至らず連立解消という声もささや
  かれはじめた。自由党の二階俊博国対委員長は思った。〈両
  党が言いたいことを言っていれば壊れるに決まっている。そ
  の可能性もないことはない。自民党内には、心から連立政権
  の成立を願う人と、そうでない人がいる。「何が実行される
  かという担保、確約もないうちになぜ急いでいっしょになる
  のか」「小さな政党の自由党のいいなりになり、小沢の恫喝
  によって自民党は何もかも譲ってしまうのか」と言われれば
  両党ともに、さようでございますと言える政治家はいない〉
      http://www.nikai.jp/book/book07/new_page_31.htm
  ―――――――――――――――――――――――――――

小渕元首相.jpg
小渕元首相
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2010年03月23日

●民主党とはどのようにして誕生したか(EJ第2778号)

 ここで、現在の民主党という政党が、どのような政党なのかに
ついて知っておく必要があります。小沢は後から民主党に参加し
ていますが、その流れをみると、民主党という党も小沢の政治活
動の影響によって誕生した政党であるともいえるのです。
 1993年の宮沢政権崩壊によって新党が乱立します。小沢一
郎の新生党、武村正義氏らの新党さきがけ、細川護煕氏らの日本
新党などがそうです。そのとき、岡田克也氏は新生党、現総理の
鳩山由紀夫氏は新党さきがけにいたのです。
 そして行われた第40回衆議院選において、主として日本新党
から、現在の民主党の主要メンバーになっている、枝野幸男、前
原誠司、野田佳彦、小沢鋭仁などの各氏らが政治改革を訴えて当
選してきているのです。
 その選挙の結果、小沢は8党派連立による非自民・非共産連立
政権を樹立して、政治改革4法案を成立させたのです。しかし、
そのときの小沢の強引な党運営が災いして政党間の対立が表面化
し、新党さきがけと社会党が相次いで連立から離脱し、自社さ連
立政権が誕生したことは既に述べたとおりです。
 翌1994年、小沢は羽田氏や岡田氏らと野党に下野した勢力
の多くを結集させて新進党を結党します。本当はこのとき、自民
党対新進党の二大政党制が少し見えたのですが、ここでも小沢の
党運営手法をめぐって意見が対立し、羽田孜氏らが離党して太陽
党を結成し、公明党も離脱して新進党は瓦解してしまうのです。
1997年12月のことです。
 小沢は直ちに自由党を結成し、新進党の多くの議員は古巣の自
民党に戻ったのですが、そのまま野党にとどまる勢力があったの
です。彼らは新党を作ったり、院内会派を組んだりして野党とし
て政治活動をやっていたのです。
 一方、鳩山由紀夫氏、管直人氏らは新党さきがけに参加して、
自民・社民との連立政権の一翼を担っていたのです。菅氏は厚生
大臣に就任して、薬害エイズ問題の厚生省追及などで世論の脚光
を浴びたのですが、1996年9月に鳩山、菅、前原氏らの自民
党との連立に見切りをつけた議員が党首の武村正義氏と決別して
社民党の一部議員とともに新党の結成に動いたのです。これが、
現在の民主党の源流となる「旧民主党」なのです。
 1998年1月、旧民主党は、新進党から分党した民政党、新
党友愛、民主改革連合と院内会派「民主友愛太陽国民連合」――
民友連を結成し、合流に向けた協議を開始したのです。旧民主党
の枝野幸男氏、民政党の岡田克也氏、新党友愛の川端達夫氏が基
本理念をまとめる協議を行い、合意に達したのです。その結果、
誕生したのが民主党です。1998年4月27日のことです。
 2003年9月、この民主党に小沢の自由党が合併し、現在の
民主党となったわけです。合併とはいうものの、民主党による自
由党の吸収合併だったのですが、小沢もあまり条件をつけなかっ
たのです。小沢の戦略は「ひさしを借りて母屋を乗っ取る」であ
り、それは成功しつつあるものの、トラブルもあるのです。
 このような成立の経緯から見てわかるように、民主党という政
党は、自民党から旧社会党の出身者までが含まれ、それこそ右か
ら左までをすべて含んだ政党なのです。事務局には、社会党の最
左派、社会主義協会の職員も多くいたのです。
 この民主党の事務局長を務めたのが現・政治アナリストの伊藤
淳夫氏なのです。伊藤氏は元自民党職員で、羽田孜氏らと行動を
ともにし、太陽党事務局長も務めていたのです。
 民主党の結党当時は、事務局は「書記局」と呼ばれていたのを
反対を押し切りながら事務局に変更するなど、まともな政党にし
ようと伊藤事務局長は民主党の裏方として努力したのですが、や
がて袂を分かつことになるのです。
 「民主党は大政翼賛会化しつつある」――佐藤優氏はこのよう
にいっています。大政翼賛会とは何なのでしょうか。
 大政翼賛会とは、1940年10月12日から1945年6月
13日まで実際に存在していた政党です。公事結社、国粋主義的
勢力から社会主義的勢力までをも取り込んだ左右両方に大きなウ
イングを広げた組織のことです。かつて大政翼賛会を中心に太平
洋戦争下での軍部の方針を追認し、それを支える体制を「翼賛体
制」といったのです
 民主党の「左」から見て行くことにします。民主党は社民党の
連立を大事にしています。しかし、それよりも注目すべきことは
民主党が自公政権時代には反体制的であるとしていた人物を内閣
府の参与などに就任させているケースです。つまり、社民党だけ
でなく、新左翼系にまで幅を広げている点です。
 さらに、今年の1月12日、全日本鉄道労働組合総連合会――
JR総連の賀詞交歓会に出席した民主党の山岡賢次国会対策委員
長は、7月の参議院選挙でJR総連の組織内候補者を民主党とし
て公認すると約束しています。
 JR総連というのは、公安警察と緊張関係にある戦闘的な労働
組合なのです。これを体制内に取り込んでしまうと、民主党政権
に対立する左翼勢力は、日本共産党と新左翼主義のごく一部に過
ぎないことになります。
 それでは、「右」に関してはどうでしょうか。
 3月12日のEJ第2772号でも述べたように、小沢は全日
本仏教会にまでウイングを広げているのです。小沢は、自民党支
持の神社界――神道政治連盟を自民党から切り離す工作を行って
いるのです。
 このように、右中の右から新左翼勢力までのウイングを持つの
が現在の鳩山連立政権なのです。まさに民主党は大政翼賛会化し
つつあるといっても過言ではないのです。
 小沢は、二大政党制の1つとして、もはや自民党を考えてはい
ないのです。それだけではないのです。当の民主党も2大政党制
の1つとは考えていないと思います。いずれにしても7月の参議
院選で過半数を取って、すべてをガラガラポンとして、二大政党
の再構築を狙っていると思います。―――[小沢一郎論/54]


≪画像および関連情報≫
 ●大政翼賛会とは何か
  ―――――――――――――――――――――――――――
  1940(昭和15)年10月、近衛文麿総理大臣を中心に
  新体制運動推進のために創立された組織。総裁には総理大臣
  が当たり、道府県支部長は知事が兼任するなど官製的な色彩
  が濃く、翼賛選挙に活動したのをはじめ産業報国会・大日本
  婦人会・隣組などを傘下に収めて国民生活のすべてにわたっ
  て統制した。1945年国民義勇隊に再編され解散した。な
  お、42(昭和17)年4月30日の第21回総選挙では、
  東条英機首相招請の各界代表が結成した翼賛政治体制協議会
  による推薦候補者381名が当選して、全議席の8割余を占
  めたという。
  http://www.cc.matsuyama-u.ac.jp/~tamura/taiseyokusannkai.htm
  ―――――――――――――――――――――――――――

政治アナリスト/伊藤淳夫氏.jpg
政治アナリスト/伊藤淳夫氏

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2010年03月24日

●海部元総理は小沢氏をどうみているか(EJ第2779号)

 ここまで書いてきて、つくづく小沢一郎ほど人から誤解を受け
る政治家も珍しいと思います。それは本人にももちろん責任があ
りますし、そういう誤解を解く努力も必要です。
 しかし、世の中には彼がやろうとしてきていることを理解して
いないばかりか、曲解している人も多いのです。その典型的な一
人に元内閣総理大臣の海部俊樹氏がいます。この人ほど小沢と行
動をともにして政界を転々とした人はいないのですが、最後は小
沢と袂を分かって自民党に復党しているのです。そして2009
年の衆議院選で落選し、政界を引退したのですが、そのくやしさ
もあるのか、今になって小沢をこき下ろしています。総理大臣ま
でやった人物として非常に残念に思います。
 簡単に海部氏の経歴をご紹介しておくと、1931年に愛知県
で生まれ、1960年に当時最年少の29歳で衆議院選に初当選
しています。そして、1989年には内閣総理大臣に就任。その
後自民党を離党し、自由改革連合代表、新進党初代党首、無所属
を経て自由党に入り、保守党最高顧問を歴任した後、自民党に復
党しているのです。そして、昨年の衆議院選で落選し、引退に追
い込まれたのです。
 海部氏は陸山会の4億円の動きを完全に理解しておらず、マネ
ーロンダリング的だと疑惑を増幅させ、そういう疑惑に民主党内
から声の上がらないことに関して次のように述べているのです。
―――――――――――――――――――――――――――――
 民主党は、誰も彼に物を言えない状態のようですが、ようやく
 本当にようやく声が出てきましたね。今後、党内の自浄作用が
 どこまで働くのか。それにしても、岡田克也は、今こそという
 時なのに、なぜ、黙っているんだろう?彼は、とても顔つきが
 悪くなりましたね。立場を考えすぎているのか、あるいは、小
 沢の脅しがひどくなっているのか。岡田さんは正直な人だから
 自らの心に背いてしまうことに耐えられなくて、あんな顔にな
 っちゃたのかな。     ──『小沢一郎研究』/新潮社刊
―――――――――――――――――――――――――――――
 私は岡田克也外相を再評価しています。岡田氏は外相の就任時
に日米の核密約の解明を国民に約束し、それをきちんと実現させ
ています。また、選挙前からの民主党の公約であったはずの記者
会見の開放も外務省に関しては実現させているからです。
 それから党の幹事長の疑惑ですが、外部から見ていても検察の
捜査のやり方はかなり異常であり、不審な点はたくさんあるのに
内閣を支える閣僚が捜査の途中の段階で軽々しく幹事長に「説明
責任」を求めるなどあってはならないことだと思います。後ろか
ら鉄砲を撃つような行為です。
 実際に岡田外相は、「小沢氏が必死になって検察と戦っておら
れるときに、内閣を支える閣僚として、とても『説明責任』など
求められない」といっているのです。
 私はこの姿勢は立派であると思います。それに、小沢幹事長に
距離を置くとされる何人かの閣僚や副大臣が「説明責任を」と発
言していましたが、そのようなことは海部氏のいうような自浄作
用になどにけっしてつながらないと思います。
 それから、海部氏は、1991年の東京都知事選挙で小沢が擁
立した磯村尚徳氏が敗れると幹事長を辞めたことについて次のよ
うにいっています。
―――――――――――――――――――――――――――――
 海部内閣で闘った90年冬の総選挙では、小沢も奮闘してくれ
 て獲得議席275の圧勝でした。ところが、翌春の東京都知事
 選で、小沢が公明党と組んで磯村尚徳氏を擁立したことで、現
 職の鈴木俊一氏を推す自民党都連と対立してしまいます。党内
 分裂のまま行なわれた選挙の結果は、磯村氏の落選。すると、
 驚いたことに、小沢がいとも簡単に幹事長辞職を言い出したの
 です。名目は、都知事選の責任を取る。私は長時間さしで話し
 合いましたが、無駄でした。小沢は「政治改革法案だけは身体
 を張ってでも通す」と言い残して去って行きました。(中略)
 小沢幹事長は、辞める必要がない場面で逃げ出しました。小沢
 一郎という政治家の「どうしようもない性癖」を目の当たりに
 した最初の時でした。   ──『小沢一郎研究』/新潮社刊
―――――――――――――――――――――――――――――
 この海部氏の言い分ですが、あまりにも周辺が見えていないと
思います。何しろ第一次湾岸危機のさい、当時の海部首相のリー
ダーシップは完全に欠如しており、小沢幹事長が裏方としてどん
なに獅子奮迅の活躍をしたことを当の本人がまるでわかっていな
いと思うからです。
 上記の海部氏の言い分と関連する小沢の動きについては、EJ
の次の部分を参照していただきたいと思います。
―――――――――――――――――――――――――――――
◎EJ第2738号
http://electronic-journal.seesaa.net/article/138995647.html
◎EJ第2740号
http://electronic-journal.seesaa.net/article/139345721.html
◎EJ第2741号
http://electronic-journal.seesaa.net/article/139397001.html
―――――――――――――――――――――――――――――
 わからないのは、その海部氏が小沢幹事長が率いる新進党の党
首をなぜ引き受けたかです。これについての海部氏の言です。
―――――――――――――――――――――――――――――
 正直言って、この時はもう、彼と腹の底から信頼し合う関係を
 築こうとは思いませんでした。「期待値を高めておいて、大き
 く翻る人」という過去の事実が、すでに私の頭にインプットさ
 れてしまっていたからです。しかし、「健全な新与党を作りた
 い」という周囲の声はとても熱かった。   ──前掲書より
―――――――――――――――――――――――――――――
 このように海部氏は述懐し、党首を引き受けたといっているの
ですが・・・。         ―――[小沢一郎論/55]


≪画像および関連情報≫
 ●神輿としての海部俊樹氏のその後
  ―――――――――――――――――――――――――――
  1997年末〜1988年はじめ、新進党解体工事が行われ
  た際には小沢が、政治改革のシンボルに丁度良いとして自由
  党最高顧問室への収蔵を希望したが、意思を持って拒絶した
  とされる。その後約1年無所属の会で保管された。しかし、
  1999年はじめ、自由党と自民党が連立した際には小沢の
  希望に応えて自由党最高顧問室に収蔵された。2000年4
  月の自由党分裂時には、連立継続派の保守党に所有権が移転
  した。具体的な扱いとしては自由党最高顧問室を保守党最高
  顧問室と改称するだけで済んだ。
                 ──アンサイクロぺディア
  ―――――――――――――――――――――――――――

海部俊樹氏.jpg
海部俊樹氏
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2010年03月25日

●生方幸夫氏の小沢批判で思うこと(EJ第2780号)

 民主党生方幸夫副幹事長の解任、そしてその撤回と小沢執行部
が大揺れです。推測ですが、解任の断を下したのは小沢ではない
と考えています。筆頭副幹事長の高嶋良充氏です。高嶋氏の提案
を小沢は了承したのだと思います。この高嶋氏──重要人物であ
り、明日のEJで詳細に取り上げます。
 私は生方議員解任の断は間違っていないと思います。その理由
は以下に述べますが、よくぞ小沢が撤回したものです。よほどの
危機感があったものと思います。日経では、首相が小沢に指示し
たとありますが、そんなことはないと思います。撤回の件では小
沢が中心となって動いています。
 生方幸夫議員は、国対、防衛省を担当する副幹事長であり、党
の要職──役員クラスです。仕事ができる人だと思ったからこそ
小沢は任命したのだと思います。副幹事長の任命に小沢が関与し
ないはずはないからです。ですから、生方氏は新聞なとで「小沢
辞めろ!」というヒマがあったら、もっと仕事に精を出すべきで
しょう。副幹事長という仕事はそんなにヒマなのですか。
 民主党の松木謙公議員──国会対策委員会筆頭副幹事長は、生
方氏は国対担当でありながら、国対の会議にあまり出ておらず、
仕事をしていないことに不満を募らせています。それでいて「太
田総理」などのTV番組にはちゃんと出ているのです。
 もし幹事長に不満や要望したいことがあるなら、直接本人にい
うべきであります。3月20日のサンデープロジェクトに出演し
た生方氏は幹事長が出席する会合では、そういうことがいえる雰
囲気ではないといっていますが、これは論外です。いう度胸がな
いなら、いわなければいいのです。
 わざわざ新聞という媒体を使ったのは、「小沢辞めろ!」の世
論(?)を味方につけたいと考えたからだと思います。党の中の
小沢と距離を置く議員たちのバックアップも欲しかったのではな
いでしょうか。処分撤回で本人は「勝った」と思っているかも知
れませんが、多くの心ある国民は生方という議員はその程度の議
員なのかという厳しい評価を下すと思います。
 もうひとついうべきことがあります。生方氏が小沢氏について
次のようにいっていることです。
―――――――――――――――――――――――――――――
 国民は小沢さんが不起訴になったから全部シロだとは思ってい
 ないんですよ。おそらく説明できないんでしょうね。小沢さん
 は前よりだいぶ権威づけられてきたというか、権力者になって
 きましたね。
 http://sankei.jp.msn.com/politics/situation/100317/stt1003170045000-n2.htm
―――――――――――――――――――――――――――――
 この種の発言が民主党の議員、閣僚や副幹事長の役職員から出
ることは残念なことです。自民党などから「自浄能力のない党」
といわれるので、調子に乗ってやるのでしょうが、そんなことは
党内で調査し、問題があるなら、たとえ幹事長であっても解任す
ればいいのです。わざわざマスコミに晒すことはないのです。
 党内できちんと調べて必要な処断をするのが本当の自浄能力で
あって、マスコミに向かって「説明責任を尽くせ!」とか「辞任
せよ!」とか声を上げることが自浄能力ではないのです。それは
パフォーマンス以外のなにものでもないのです。
 現在の日本では、起訴されても冤罪が出ることが日常茶飯事に
なっています。国民としては、検察が起訴する時点と冤罪が明白
になる時点とでは大きな時間のずれがあるので、事件そのものを
すっかり忘れてしまい、たとえ冤罪であっても容疑者を犯罪人と
みなしてしまうものです。なぜなら、多くの冤罪事件は最高裁ま
で行くことが常識であるからです。
 そうであれば、大久保秘書逮捕から1年間以上にもわたって検
察がトコトン調べて、結論が不起訴なら、たとえ「嫌疑不十分」
でも「問題なし」と考えるのは、同じ党の議員という身内同士で
あれば当たり前のことではないでしょうか。
 日本は既に検察ファッショになっているように思います。3月
20日のサンデープロジェクトで、榊原英資氏は、最近の企業経
営者は二言目には「法令遵守」を口にし、利益よりも法令を守る
ことに必死になっている──こんなことでは思い切った経営など
できないといっていましたが、まったくその通りであり、同感で
す。確かに経営者は口を開けば、コンプラ、コンプラといってい
ます。これを見ても既に検察ファッショそのものであります。
 小沢の集めている金が何億円とか何十億円という巨額だから悪
いという意見があります。額の問題ではないでしょう。けっして
自分の贅沢のためではない。作家の大下英治氏は、小沢側近の松
木謙公氏の話として次のように紹介しています。
―――――――――――――――――――――――――――――
 世間には、小沢が巨額の政治資金を集めていること自体が問題
 だという人がいる。しかし、松木謙公はそうは思わない。たと
 えば、小沢が毎日、違う色のベンツに乗っていたり、贅沢三昧
 をしているのであれば「いい加減にしてよ、小沢さん」といい
 たくなるだろう。が、小沢はまったく贅沢していない。乗って
 いる車はミニバン型乗用車である。外食も、大衆居酒屋の「庄
 屋」などを利用することが多い。食事に関しては松木の方が贅
 沢かも知れない。             ──大下英治著
       『小沢一郎の最終戦争』/KKベストセラーズ刊
―――――――――――――――――――――――――――――
 今回小沢が生方議員の処分撤回に踏み切ったのは、このままで
は参議院選に勝てない──単独過半数が取れないと考えたからで
しょう。また、生方議員と一緒になって、批判の声を上げている
2人の閣僚に対して私は、その人物の「軽さ」を感じます。もは
や昔の仲良しクラブの民主党ではないのです。政権を担っている
という重い責任を感じて欲しいと思います。身内の批判発言は党
の人気を落とすだけです。
 おそらく小沢は、心の中では生方幸夫という人物を生涯許すこ
とはないでしょう。       ―――[小沢一郎論/56]


≪画像および関連情報≫
 ●3月21日付、「オリーブ─Xニュース」より
  ―――――――――――――――――――――――――――
 副幹事長を解任され選挙区で絶叫している生方某氏に言う。貴
 殿の政治資金収支報告書(20年度)の収入金額3248万円
 の中に実に1OOO万円ものお金がとある業界の企業経営者か
 ら献金されている。実に収入の三分の一である。貴殿の経歴か
 らしても、この1000万円の巨額献金は異様に映るが、我々
 国民に説明責任を果たされたい。政党助成金を除くと実に献金
 の50%以上をひとりの経営者からのカネが占めている。生方
 君。このカネは実は企業・団体献金では。
 生方幸夫 20年度政治資金収支報告書
 http://www.olive-x.com/news_ex/newsdisp.php?m=0&i=0
 ――――――――――――――――――――――――――――

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生方幸夫氏
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2010年03月26日

●「幹事長室/高嶋良充氏とは何者か」(EJ第2781号)

 生方幸夫議員の副幹事長解任の決断をしたのは、幹事長室の筆
頭副幹事長である高嶋良充(よしみつ)なる人物です。最終的に
は小沢と相談したものの、小沢が指示してやらせたわけではない
のです。高嶋良充氏は民主党参議院議員副会長であり、参議院幹
事長も務める小沢が信頼している人物の一人です。
 高嶋氏は普段はあまり表面には出ないが、日本経団連をはじめ
とする各種団体との折衝において、幹事長室の筆頭副幹事長とし
て辣腕を振るっているのです。今回のテーマも既に57回に達し
ていますが、小沢と日本経団連との関係に触れる必要があり、今
回は高嶋氏にスポットライトを当てて書くことにします。
 民主党の幹事長室は、この高嶋氏を筆頭に衆参各7人、計14
人の副幹事長がおり、それぞれの役割は次の通りです。
―――――――――――――――――――――――――――――
   ≪衆議院≫
    細野 豪志 ・・・・・ 陳情・選挙
    伴野  豊 ・・・・・ 官邸、財務省・金融庁
    阿久津幸彦 ・・・・・ 予算、国交省
   生方 幸夫 ・・・・・ 国対、防衛省
    吉田  治 ・・・・・ 議運、経産省
    樋高  剛 ・・・・・ 総務、法務省
    青木  愛 ・・・・・ 衆参連絡、厚労省
   ≪参議院≫
    高嶋 良充 ・・・・・ 陳情・選挙
    今野  東 ・・・・・ 官邸、内閣府
    広野 充士 ・・・・・ 予算、文科省
    一川 保夫 ・・・・・ 国対、農水省
    山根 隆冶 ・・・・・ 議運、外務省
    佐藤 公冶 ・・・・・ 総務、総務相
    富岡由紀夫 ・・・・・ 衆参連絡、環境省
―――――――――――――――――――――――――――――
 高嶋氏は昭和16年生まれ。大阪府枚方市役所に勤務し、職員
組合の活動に参加しています。以来一貫して自治労の活動に専従
し、枚方市労連、自治労大阪府本部役員を経て、1993年8月
に自治労の副委員長に就任しています。
 おりしもその同じ8月に細川連立政権が誕生しているのです。
その年の12月に、当時新生党参議院議員であった平野貞夫氏の
紹介で、高嶋氏は小沢一郎と会談する機会があったのです。
 高嶋氏が小沢に興味を持ったのは、小沢の書いた『日本改造計
画』を読んでからです。どうしてかというと、結論の部分が自治
労の考え方とよく似ていると感じたからです。その結論部分は次
の通りです。
―――――――――――――――――――――――――――――
 国の役割は、外交・防衛、危機管理、司法などに限り、生活に
 密着しているところは、すべて地方自治体に任せる。
        ──小沢一郎著、「日本改造計画」/講談社刊
―――――――――――――――――――――――――――――
 自治労の一丁目一番地の政策は「地方分権」なのです。高嶋氏
が興味を持ったのは当然です。小沢との会談の中で高嶋氏は、内
心小沢氏は関心がないとは思いながら、あえて「消防職員に団結
権を付与して欲しい」という要望を出したのです。
 ところが、小沢は世界の中で団結権を認めていない国は日本と
あと2ヶ国ぐらいしかないということをちゃんと知っていたので
です。高嶋氏は小沢の勉強振りに驚嘆するとともに、当初予定し
ていなかった願い事を小沢にしたのです。
―――――――――――――――――――――――――――――
 1994年1月初旬にILO(國際労働機関)のマイヤー次長
 が日本を訪問します。そのさい、細川総理と面会できるよう取
 りはからってもらえますか。        ──大下英治著
       『小沢一郎の最終戦争』/KKベストセラーズ刊
―――――――――――――――――――――――――――――
 この高嶋氏の小沢氏への願い事は実現し、1994年1月10
日に細川総理は総理官邸でマイヤー次長と会っています。これら
のことを通じて高嶋氏は「小沢という政治家は頼りになる」と感
じ、信頼を深めたといいます。
 しかし、「消防職員の団結権付与」については、細川総理の計
らいで政労会談に消防庁も参加させることは実現したのですが、
消防庁と自治労の開きは大きく実現しなかったのです。
 1994年のILO総会で小沢のいっていた日本以外の2ヶ国
は改善措置をとったので、団結権を認めていない国は、日本だけ
になったのですが、現在もこれは実現していないのです。
 しかし、政権交代によって、原口総務相は、今年の1月19日
に有識者による検討委員会の設置を発表しています。政権交代が
起きると、こうした積年の問題がひとつ一つ解決の方向に向かっ
ていくのです。
 このようにして、小沢との親交を深めた高嶋氏は、自治労の書
記長、連合の中央執行委員を経て、1998年7月の参議院選比
例代表区に民主党から出馬し、初当選。2004年7月に再選を
果たし、今年の7月には三選に挑戦することになります。
 この高嶋氏が問題にしたのは、2005年9月に代表に就任し
た前原誠司氏です。前原氏は代表に就任するや、明確な世代交代
を進める一方で、労働組合との関係の見直しを上げ、民主党の有
力支持団体である連合を批判し、否定するような発言を繰り返し
たのです。国交相に就任したときと同じようなことを彼は代表の
ときにもやって顰蹙を買っていたのです。
 高嶋氏は常任幹事会の席上、激しく前原代表を批判することが
多かったのです。意見や批判は内部の会議でせよ──彼は生方氏
にこういいたかったのでしょう。この高嶋氏の発言を聞いて小沢
グループは高嶋氏に近づくようになり、高嶋氏は毎年小沢邸で行
なわれる新年会にも参加するようになっていったのです。
                ―――[小沢一郎論/57]


≪画像および関連情報≫
 ●消防職員の団結権付与について/原口一博総務相
  ―――――――――――――――――――――――――――
  原口一博総務相が労働三権──団結権、団体交渉権、スト権
  が認められていない消防職員に対し、団結権を付与する方針
  を固めたことが2009年10月29日、分かった。原口氏
  が28日、自治労の徳永秀昭委員長ら労組幹部と行った会談
  で明らかにした。会談では、自治労側が「消防職員の団結権
  問題を解決してほしい」と要請。これに対し、原口氏は「団
  結権のあり方は国民の理解の下、前へ進めていく」と述べ、
  付与の方向で検討を指示したことを明かした。総務省では今
  後、省内に検討会を設置して、消防職員の団結権のあり方を
  検討する。消防職員は、警察官や刑務所職員と同様に労働基
  本権が制限されているが、民主党は衆院選のマニフェストで
  公務員の労働基本権の回復を掲げている。
         ──2009年10月29日/産経ニュース
  ―――――――――――――――――――――――――――

高嶋良充氏.jpg
高嶋良充氏
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2010年03月29日

●小沢一郎は独裁政治家にあらず(EJ第2782号)

 先週末の次元の低い民主党の乱とそれに対するマスコミの報道
姿勢と世論調査、そして、それをほぼそのまま受け入れる国民を
見ていると、小沢一郎という人物がいかに世間から誤解されてい
るかがよくわかります。
 それに民主党党内でも小沢一郎という政治家を、自民党の田中
竹下、金丸らの田中派、経世会のやり方を継承する古いタイプの
金権政治家であると見ているものが多くおります。これは大きな
間違いであると私は思います。
 私はかねてから、小沢自身の書いた本、小沢一郎という政治家
について書かれた本──小沢を肯定する本も批判する本も含めて
ほとんど読み、今回のテーマの記事を書いています。私は小沢を
批判する人で、小沢一郎の書いた本を一冊も読んでいない人が多
いのに驚いています。人を批判するには、その人の考え方をよく
知った上で行うべきであります。
 しかし、幹事長室の副幹事長は、直接小沢の人物に触れ、小沢
の指導や指揮を受けることが多いので、次第に小沢の姿勢や考え
方が理解できるようになるといいます。
 小沢批判の騒ぎを起こした生方議員などは例外中の例外なので
す。想像するに彼は幹事長室では相手にされないので、外部に出
て今回のようなパフォーマンスをやるのです。生方氏の本来の役
割は国対と幹事長室を結ぶパイプ役なのにもかかわらずです。
 しかし、生方氏は解任撤回を受けた翌日の24日に朝から民放
3局にハシゴ出演し、懲りもせず小沢批判を繰り返しています。
24日は国対会議があったのに、それをスッポカしてテレビに出
ているのです。呼ぶテレビ局もテレビ局ですが、どうしてマスコ
ミは、こんな人物の片棒を担ぐのでしょうか。
 たまたまスッポカしたのではないのです。国対委員長代理の三
井弁雄衆院議員によると、この通常国会に入ってから29回の国
対会議をやっていますが、生方氏は今までに3回しか出席してい
ないというのです。理由は「朝に弱いから」ということですが、
そんなことは理由になりません。自分の職責をまっとうできない
人に政治家など任せられないし、人を批判する資格などないと思
います。幹事長室では相手にされないのは当然のことです。
 昨年12月のことです。幹事長室では、小沢を囲んで筆頭副幹
事長の高嶋良充氏と細野豪志氏が会議をしていたのです。16日
の午後開かれる政府と民主党の各種陳情・要望に関する意見交換
会のための打ち合わせです。そのとき、「子ども手当て」の扱い
が検討されたのです。
 これに対して小沢は言下に「所得制限を入れるべきだ」といっ
たのです。これに対して高嶋氏と細野氏は反対したといいます。
マニフェストには「すべての親に支給する」と書いたし、もし所
得制限を設けたら、来夏の参院選に影響が出るといったのです。
 そうすると、小沢は「きみたちは、国民の気持ちを分かってい
ない」として、2人を一喝したのです。
 後で高嶋氏と細野氏は、2007年1月29日において、安倍
晋三総理の施政方針演説に対する代表質問で、当時の小沢代表が
民主党の基本方針について次のように述べていたことを知り、自
らの不勉強を反省したというのです。
―――――――――――――――――――――――――――――
 第一に政治は生活。どんなに立派なことをいい、どんなに大き
 な事業をおこなっても、国民の生活が向上しないのであれば、
 よい政治とはいいません。また政治は本来、社会的、経済的に
 弱い人たちのために存在するのです。あえて極論すれば、強い
 人たち、いわゆる勝ち組には政治は手を差しのべる必要はなく
 むしろ勝ち組に経済や社会を支配させないように公正なルール
 を定めねばなりません。          ──大下英治著
       『小沢一郎の最終戦争』/KKベストセラーズ刊
―――――――――――――――――――――――――――――
 小沢には一本ちゃんと筋の通った考え方があり、それにブレる
ことはないのです。このように「国民の生活が第一」という基本
理念を掲げる小沢一郎が、なぜ、金丸や竹下といった自民党の政
治家を継承する金権政治家といわれるのでしょうか。自民党は勝
ち組に政治の手を差し伸べた政党だったのですから。
 民由合併してから、小沢は無役、代表代行、代表、幹事長、代
表代行兼選挙担当のように、いろいろポジションが変わっていま
すが、それぞれ職務に合った仕事をしてきていると私は思ってい
ます。しかし、小沢といえば、独裁者、権力の二重構造という報
道ばかりですが、実際はそれとは大きく異なるのです。
 つまりメディアや国民は、小沢のこれまでの役職に関係なく、
自民党幹事長、細川連立政権代表幹事、新生党・新進党幹事長、
新進党党首、自由党党首、それに一連の民主党の役職全体のイメ
ージを重ね合わせて小沢の虚像を創り上げているのです。実際に
小沢のいうようにコトが決まるのは、小沢のいうことがそれだけ
筋が通っているから、そう決まるだけの話です。
 子ども手当については、党が政府に重点項目を提出した直後に
党独自で世論調査を実施しており、的確に国民の意思を確認して
いるのです。ちなみに、子ども手当てに所得制限を設けることは
70%以上が賛成であり、高嶋・細野両氏はその結果に驚嘆した
といいます。
 暫定税率の維持については、ガソリン税を下げてくれという要
望はどのくらいきているのか、地方の財源を削られたら、大変な
ことになるという声がどのくらいあるのかについて、入念に調べ
た上で、暫定税率維持に踏み切っているのです。
 しかし、この暫定税率維持は、政府が「国債発行額約44兆円
以下」の閣議決定したので、小沢が子ども手当てなどの財源を確
保するため、鳩山政権に助け船を出したのです。つまり、自分が
独裁者と呼ばれていることを逆に利用してそれを重点要望の中に
入れたのです。しかし、この閣議決定「国債発行額約44兆円以
下」には、とんでもない財務省官僚の悪知恵というか陰謀が加え
られたのです。         ―――[小沢一郎論/58]


≪画像および関連情報≫
 ●2007年1月29日/安倍内閣への代表質問
  ―――――――――――――――――――――――――――
  [東京 29日 ロイター]安倍晋三首相の施政方針演説に
  対する衆院代表質問が行われ、初日の29日には民主党の小
  沢一郎代表が格差問題をテーマに論戦に臨んだ。小沢代表は
  消費税率を現行5%に据え置くべきなどと持論を展開した。
  また、企業から家計への波及の問題について、安倍首相は、
  景気回復基調を持続させることの重要性を強調した。衆院代
  表質問トップの小沢代表は、安倍首相が憲法改正について意
  欲を示していることについて「生活維新こそが全力で取り組
  むべき最重要課題だ」とし、その点に関して国会で議論した
  うえで、夏の参院選で国民の審判を仰ぐべきだとやや抑え気
  味に主張した。
http://jp.reuters.com/article/marketEyeNews/idJPnTK305871520070129
  ―――――――――――――――――――――――――――

安倍総理に代表質問する小沢民主党代表.jpg
安倍総理に代表質問する小沢民主党代表
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2010年03月30日

●「国債発行枠44兆円をめぐる攻防」(EJ第2783号)

 小沢は、鳩山首相が藤井裕久氏を財務大臣に起用しようとした
とき、少し難色を示したことはよく知られています。なぜかとい
と、藤井氏は財務省出身であり、結局のところ、財務省の官僚の
意のままになり、政治主導が果たせないのではないかと考えたか
らといわれています。しかし、民主党には他に財務大臣の適任者
がいなかっことも確かなことです。
 そして、その小沢の懸念は現実のものになったのです。藤井氏
は、大臣に就任するや国債発行枠を44兆円以下にすることを発
言しはじめたのです。鳩山首相も藤井発言に同調する姿勢を示し
それから報道は鳩山発言をめぐってゴチャゴチャになってしまう
のです。数値目標は書かないとか、書いても努力目標にするとか
いろいろな案が出て誰もわけがわからなくなったのです。
 この国債発行枠を設けることについて原口総務相は、鳩山首相
と平野官房長官に会い、次の表現を盛り込むことで意見は一致を
見たのです。
―――――――――――――――――――――――――――――
       国債発行額を約44兆円以下とする
―――――――――――――――――――――――――――――
 ところが、12月15日に総理官邸で閣議が行われたとき、表
現は次のように変更されていたのです。いわゆる財務省官僚によ
る「官僚作文」です。「約」がとれ、「以下」が「以内」になっ
ているのです。
―――――――――――――――――――――――――――――
       国債発行額を44兆円以内とする
―――――――――――――――――――――――――――――
 この変更をめざとく見つけた原口総務相は、内容が変更されて
いるとして、サインを拒否したのです。すったもんだのすえ、国
債発行枠の制限の表現は、次のように改められ、政府は追加経済
対策として7兆2000億円を計上した平成21年度予算編成の
基本方針を閣議決定したのです。
―――――――――――――――――――――――――――――
       国債発行額を約44兆円以内とする
―――――――――――――――――――――――――――――
 実は小沢幹事長は、鳩山首相が新規国債発行額を約44兆円以
内に収める意向を固めるまで、マニュフェストの実現のためにも
国債発行額を44兆円以上にすることも考えていたのです。何し
ろ税収が36兆円しかないのですから、国債の発行枠に制限など
設けるべきではないのです。小沢としては計画が狂ったと考えた
のでしょう。中国訪問から戻った小沢は、不機嫌そうに高嶋副幹
事長らに次のようにいっているのです。もともと小沢は44兆円
は麻生政権の国債発行額を上回りたくないというもので、そんな
ことはくだらないと考えていたからです。
―――――――――――――――――――――――――――――
 やむを得ないな。総理が決めたことに反対するかのように党が
 「50兆円にしろ」なんていったら国民から総すかんを食う。
 しかし、44兆円以内ということなら、すべてのマニフェスト
 を実現することは無理だな。        ──大下英治著
       『小沢一郎の最終戦争』/KKベストセラーズ刊
―――――――――――――――――――――――――――――
 3月26日の参議院本会議で、「子ども手当て法案」が成立し
6月からの支給が決まったのです。しかし、党が要望した所得制
限はつかなかったのです。そのため、今まで児童手当を受け取っ
ていなかった年収1000万円の家庭の手取りが増えるという結
果になり、中所得者層を優遇するという民主党の当初の方針とは
異なるかたちとなっています。
 26日の参議院での採決に先立ち、自民党の丸川珠代議員は次
の反対意見を述べています。
―――――――――――――――――――――――――――――
 何の効果があるかも考えずに、2兆3千億円をばらまけるほど
 我が国の財政に余裕はない。一人1万3千円を配ることそのも
 のが目的で、効果は不明。  ──丸川珠代自民党参議院議員
―――――――――――――――――――――――――――――
 子ども手当については賛否両論があります。支給を受ける層が
歓迎するのは当然のことですが、少子化対策に一定の効果がある
ことは否定できないでしょう。支給対象にならない家庭でもそう
考える人は多いと思います。
 少子化対策に担当大臣を置きながらも何もできなかった自民党
よりもマシといえるでしょう。自民党のいいたいことは、丸川議
員の発言の後段部分、要は参議院選を意識したバラマキではない
かといいたいのだと思います。
 この点に関して小沢はどう考えているかについて次のエピソー
ドをご紹介しましょう。
 幹事長室の高嶋筆頭副幹事長が「自民党や財務省の副大臣たち
が、子ども手当を満額支給すると5兆3千億円、防衛費と一緒で
すよ」と小沢に話したとき、彼は次のようにいったのです。
―――――――――――――――――――――――――――――
 そんなもの、子どもが少なくなったら、自衛隊に入る奴は、誰
 もいなくなるぞ。子どもと自衛隊とどっちが大事だといってお
 け。                   ──大下英治著
       『小沢一郎の最終戦争』/KKベストセラーズ刊
―――――――――――――――――――――――――――――
 しかし、子ども手当は、制度設計に大いに問題があります。こ
の制度の真の狙いは、日本人を増やすために日本人の子どもを対
象に手当を支給して子育て支援するというものであるはずです。
満額支給までに法案の改正を含めた議論が必要です。子どもが外
国に住む日本在住の外国人にまでなぜ手当を支給するのかについ
ては、制度の不備としかいいようがありません。
 いずれにせよ、国債発行額を約44兆円以内と決めたために暫
定税率の維持は不可欠だったわけで、この点に関する小沢の判断
は正しかったのです。      ―――[小沢一郎論/59]


≪画像および関連情報≫
 ●深沢敦教授の指摘/子ども手当法案について
  ―――――――――――――――――――――――――――
  法案は親について、「日本国内に住所を有するときに支給す
  る」とだけ規定。このため、日本への留学生や数年だけ滞在
  する外国人研修生でも、母国にいる子どもの人数分だけ手当
  を受給できる。これは現行の児童手当と同様の仕組み。厚生
  労働省児童手当管理室によると、1972年に制度ができた
  児童手当は、当初は日本国籍を有する者に受給者を限定して
  いたが、国籍による差別をなくす国際化の流れの中で82年
  に撤廃した。児童手当には子どもの住所要件の規定がなく、
  子ども手当もこれを踏襲した形。欧米の社会福祉に詳しい立
  命館大産業社会学部の深沢敦教授は「そもそも無条件に海外
  に居住する外国人の子どもまで手当を支払うのは国際的に異
  例」と指摘。民主党が制度の参考にしたフランスでは、外国
  人の場合、子が国外に住んでいるケースでは支払わず、例外
  的に欧州連合(EU)加盟国など30カ国の人に限って支給
  しているという。
       ──2010年3月10日付、「中日新聞」より
  ―――――――――――――――――――――――――――

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原口総務相
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2010年03月31日

●「藤井財務相辞任の真の理由」(EJ第2784号)

 藤井前財務相が小沢の不信を買ったことは確かであり、それが
辞任の原因になったと考えられますが、それは国債発行枠44兆
円の問題ではないのです。それよりももっと重要な小沢に対する
裏切り行為があったからです。
 民主党のマニュフェストを見ると、次の項目が載っています。
―――――――――――――――――――――――――――――
     税制調査会で租税特別措置を全面見直しする
―――――――――――――――――――――――――――――
 しかし、税制調査会の会長である藤井財務相は、それをぜんぜ
ん行わなかったのです。それをもって小沢は藤井氏が日本経団連
や財務省のいいなりになっていると考えたわけです。
 小沢は、石油化学製品の原料ナフサに対する揮発油税の免税措
置を見直そうと考えたのです。この免税措置は長年続いており、
その減税規模は、3兆6千億円にもなるのです。全部は無理とし
ても一部課税しただけでも、財源難に苦しんでいる政府にとって
格好の恒久財源になるからです。小沢はそれをマニフェスト実現
のための財源として考えていたのです。
 既に述べたように、中小企業には免税を残すが、勝ち組の大企
業に免税してやる必要はないというのは、小沢の政治の基本的な
考え方なのです。
 しかし、日本経団連はナフサの免税見直しには、次のように全
面反対したのです。
―――――――――――――――――――――――――――――
 ナフサのような原料は、非課税が世界の常識だ。国際的な価格
 競争が激化するなか、日本だけ課税されれば業界にとって死活
 問題になる。               ──大下英治著
       『小沢一郎の最終戦争』/KKベストセラーズ刊
―――――――――――――――――――――――――――――
 しかし、藤井税制調査会会長は、日本経団連の求める「ナフサ
免税措置」と「企業の研究開発税制」の延長・拡充を受け入れて
しまったのです。
 しかも、まずいことに、12月9日朝、財務省と日本経団連は
都内のホテルで意見交換会を開いているのですが、その次の日の
朝、小沢を名誉団長とする民主党議員団が中国に出発することに
なっていたのです。あたかも小沢が慌しいその日を狙って開催し
たかのようにとられても仕方がないタイミングだったのです。
 これ会合には、財務省の政務三役と日本経団連の御手洗会長と
副会長などが参加したのです。ちょうどその会合は、経団連が政
務三役にお礼を述べる会のようであったといわれているのです。
 12月16日夕方に政府と党の各種陳情・要望に関する意見交
換会が行われたとき、小沢が副幹事長を全員引き連れて出かけた
のは、予算編成にかかわった各省の政務三役に一言クギを刺して
おきたかったからなのです。
 しかし、重点要望事項にはナフサの免税措置見直しは入れてい
ないのです。もし、そんなことをすれば、確実に財務大臣のクビ
が飛ぶことになるからです。しかし、その分、小沢のいい方が少
しきつくなったことは予想できます。
 小沢は、政府と党の意見交換会でマスコミの頭撮りが終わった
あとで立ち上がってこういっています。
―――――――――――――――――――――――――――――
 まだまだ、官僚の影響力から抜け切れていない。もっと、しっ
 かりしなきゃいけない。私が悪役を引き受ける。だから、もっ
 と徹底して政治主導をやれ。ちゃんとやらなきゃならない。自
 分たちのところには2800もの陳情が届けられている。これ
 が、まさに国民の声なのだ。この国民の声を、よく聞かなけれ
 ば駄目だ。一回だけのことではないんだ。そのことを、果たし
 てみなさん、どれだけ思っておられますか? ──前掲書より
―――――――――――――――――――――――――――――
 このとき、小沢は経団連との付き合い方についてまで言及して
いるのです。「経団連とか、そういう連中と安易にやってもらっ
ては困る」といっているのですが、これは藤井財務相にとって、
耳の痛い言葉であったに違いないのです。
 その後の財務省との会合で、幹事長室高嶋筆頭副幹事長は政務
三役に次のようにいい渡しているのです。
―――――――――――――――――――――――――――――
 小沢幹事長は、租税特別措置の見直しで中小企業を苦しめるよ
 うなことをしておきながら、日本経団連が求めるナフサの減税
 措置を延長したことに憤りを感じている。幹事長とすれば「お
 前たちは強いところの味方なのか、国民の生活第一という理念
 がわからないのか」ということをいいたかったのだ。
                      ──前掲書より
―――――――――――――――――――――――――――――
 この高嶋氏の発言は確実に藤井財務相の耳に入っており、藤井
氏はそれで辞める決断をしたものと思われます。その後、財務政
務官の一人である古本伸一郎氏は、小沢のいうように確かにこれ
は不公平だと思い、ナフサの免税措置見直しに動いたのですが、
経済界を守る立場の経産省の根強い抵抗で頓挫しています。
 小沢と日本経団連とは自民党幹事長時代からの長い確執がある
のです。日本経団連といえば財界の総本山であり、これまで自民
党に資金提供することによって政権に強い発言力を有してきたの
です。そのため、日本経団連の会長といえば、「財界総理」と呼
ばれるほど強い権力の保持者なのです。
 実は小沢は16年も前から、自民党と日本経団連の引き離しを
画策してきているのです。2009年8月の総選挙でも小沢は経
団連に出かけて行き、支援を要請しているのですが、その対応は
きわめて冷たいものであったといいます。日本経団連としては戦
略を誤ったというべきなのです。
 小沢としては、自民党が作り上げた政官財のトライアングルを
崩すため、「脱官僚」と合わせて、「脱日本経団連」を推進しよ
うとしているのです。      ―――[小沢一郎論/60]


≪画像および関連情報≫
 ●ナフサ免税措置継続の決定
  ―――――――――――――――――――――――――――
  平成22年度の税制改正を議論する政府税制調査会は(会長
  ・藤井裕久財務相)12月3日、特定業界などを税制優遇す
  る租税特別措置(租特)見直し論議で最大の焦点となってい
  たナフサ(粗製ガソリン)の免税措置について、経済産業省
  の要望通り継続させる方針を決めた。ナフサは租特でも免税
  規模が最大の3兆7千億円に上り、幅広い石油化学製品に影
  響が及ぶため、産業界から免税措置の打ち切りに猛反対する
  声が上がっていた。
         ──2009年12月3日付、産経ニュース
  ―――――――――――――――――――――――――――

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藤井前財務相
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2010年04月01日

●「日本経団連御手洗会長の誤算」(EJ第2785号)

 2010年1月中旬のことです。予め予定されていた直嶋正行
経産相と御手洗経団連会長の会談がドタキャンされたのです。ど
ういう会談だったのかというと、経産相の諮問機関「産業構造審
議会」に産業競争力部会を設置する件に関する重要な会談であっ
たのです。
 産業構造審議会の会長は歴代経団連会長が兼務することになっ
ており、御手洗会長は、前奥田会長の跡を継いで2006年から
同審議会の会長を務めているのです。同審議会に新しい部会を設
ける場合、部会設置に先立って、経団連会長と経産大臣が会うの
は当然のことであり、それがドタキャンされるなど今までなら考
えられないことであったのです。
 実は日本経団連としては、政権交代が起きたため、民主党との
パイプがないことに困惑していたのです。そこで、トヨタ労組出
身の直嶋正行経産相との会談を政権との関係修復のチャンスとし
て期待していたのですが、それがドタキャンされたのです。なぜ
ドタキャンされたのか。どうやら、小沢幹事長の意向を忖度した
結果であることがわかってきたのです。
 日本経団連は慌てたのです。産業構造審議会に設置する産業競
争力部会は、鳩山内閣が今年の6月までにまとめる新経済成長戦
略を検討する部会であって、このままなら、日本経団連はこの部
会の委員から外される恐れが出てきたからです。
 なんとか小沢幹事長とパイプが作れないか──危機感を持った
日本経団連は、1月25日に、経団連名誉会長の今井敬・新日鉄
名誉会長と荒木浩・東京電力元会長(元経団連副会長)が小沢幹
事長と会談したのです。長老を引っ張り出したわけです。
 結果はどうだったかというと、どうやら小沢幹事長と2人の長
老との会談は失敗に終わったようなのです。なぜかというと、産
業構造審議会の財界人委員が、御手洗経団連会長抜きで進められ
たからです。経団連側の事情としては、5月に御手洗会長が退任
し、後任には評議員会議長の米倉弘昌・住友化学会長が内定して
いるので、民主党との関係修復は急務であったのです。
 鳩山政権は、トヨタ労組出身の直嶋正行経産相と松下電器産業
出身の平野博文官房長官が重要閣僚を占めていることから、「ト
ヨタ・パナソニック政権」と呼ばれているのですが、それを反映
したような人事が行われたのです。
 パナソニックの大坪文雄・社長、トヨタの渡辺捷昭・副会長、
東芝の西田厚聡・会長らが選ばれたのです。東芝の西田氏は日本
経団連の次期会長の有力候補であったにもかかわらず、日本経団
連の内部事情で外された人物だったのです。
 この人事を見た御手洗会長は、産業競争力部会の第1回会合が
開かれる前日になって正副会長懇談会を開き、献金斡旋中止を提
案したのです。もう自民党には献金しませんというサインを民主
党に送ったのです。あまりにも遅いタイミングであり、あわてて
恭順の意を表したかたちになったのです。御手洗会長は小沢幹事
長と民主党を軽く見ていたのでしょう。
 このタイミングで鳩山首相は、2月25日に民主党を支持して
日本経団連と距離を置いていた稲盛和夫・京セラ名誉会長を内閣
特別顧問に任命し、翌26日には前原国土交通相が同省の諮問委
員会の委員を大幅に交代させ、「交通政策審議会」会長の御手洗
氏を解任する人事を発表したのです。御手洗会長としては、小沢
の剛腕ぶりをみせつけられたかたちになったのです。
 もともと日本経団連と自民党は表裏一体の関係にあるのです。
1955年当時、社会党の台頭はすさまじいものがあり、社会主
義政党が政権を取ることを恐れた日本経団連は、総会において、
旧自由党と旧民主党の統一を要請する決議を行い、自由民主党の
結党を助けたのです。
 そして、日本経団連第3代会長の植村甲午郎氏と副会長の花村
仁八郎氏は、財界からの政治献金の窓口を一本化するために自民
党の政治資金団体「国民政治協会」の前身を設立したのです。
 この花村仁八郎という人物は「財界の政治部長」といわれてお
り、次の有名な言葉を残しています。
―――――――――――――――――――――――――――――
 政治献金は自由経済体制を守るための保険料であり、自民党政
 治を続けるためのコストである。      ──花村仁八郎
―――――――――――――――――――――――――――――
 もし、御手洗会長が細川連立政権で小沢が代表幹事として権力
を握ったとき何をしたかを調べる努力をしていたら、また、小沢
という稀代の政治家がどういう理念で政治をやっているかを多少
なりとも研究していたら、こんな事態にはなっていなかったと思
うのです。日本経団連のリーダーとしての資質を問われても仕方
がないと思います。
 実は非自民の細川連立政権ができたとき、小沢は自民党の資金
源を断ちに動いているのです。小沢は自民党政権を終わらせるこ
とを目的として離党したのですから当然のことです。
 何をしたかですが、政治資金規正法を改正して企業・団体献金
を規制し、日本経団連に対して自民党への献金斡旋禁止の申し入
れを行ったのです。当時の経団連会長であった平岩外四・東京電
力会長は小沢とパイプがあったので、平岩会長はこれに応じて、
「献金斡旋中止」を決めています。
 それに比べて御手洗会長の決断はあまりも遅過ぎたのです。政
権交代が起きてから、各種団体が続々と自民党から民主党に乗り
換えているにもかかわらず、日本経団連は小沢とのパイプ探しす
らしていないのです。もし、検察によって小沢は起訴され、失脚
すると読んだとすればお粗末の極みです。
 細川連立政権のときは、自民党が素早く政権を取り返したので
日本経団連に対し、献金再開を求めたのですが、豊田章一郎会長
と今井敬会長の10年間は復活しなかったのです。日本経団連が
献金斡旋を再開したのは、小泉政権時の奥田碩会長になってから
なのです。その奥田碩氏は今でも日本郵政の役員に留まっていま
すが、これには理由があるのです。―――[小沢一郎論/61]


≪画像および関連情報≫
 ●日本経団連とは何か
  ―――――――――――――――――――――――――――
  社団法人日本経済団体連合会とは日本商工会議所、経済同友
  会と並ぶ「経済三団体」の一つで東証第一部上場企業を中心
  に構成される。もともと経団連は日本の経済政策に対する財
  界からの提言及び発言力の確保を目的として結成された組織
  であり、日経連は労働問題を大企業経営者の立場から議論・
  提言する目的で結成された組織であり健全な労使関係を哲学
  としていた。加盟企業のほとんどが重複しており、また日経
  連は労使間の対立の収束と共に役割を終えつつあるとの理由
  から統合されたが派遣社員の急増は日経連の廃止と重なって
  いる。               ──ウィキペディア
  ―――――――――――――――――――――――――――

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日本経団連・御手洗会長
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2010年04月02日

●「小沢幹事長の狙い/第2経団連構想」(EJ第2786号)

 奥田碩氏は、自分が日本経団連の会長になった2年後に今まで
禁止していた企業・団体献金を再開したのです。2004年のこ
とです。そして、毎年20億〜30億円の大半を自民党に流すよ
うになったのです。ちなみに、2004年の会員企業の政治献金
は2党のみで、内訳は次のようになっているのです。
―――――――――――――――――――――――――――――
    自民党 ・・・・・ 22億2000万円
    民主党 ・・・・・    6000万円
―――――――――――――――――――――――――――――
 経団連会長の奥田氏は、小泉内閣の経済財政諮問委員会の委員
になり、親自民路線を鮮明にしたのです。このようにして資金源
を得た小泉内閣は2005年に郵政解散に打って出て、大勝利を
収めたのです。御手洗氏はこの路線を引き継いだだけでなく、自
らが率いるキャノンなどの国際優良企業に有利なように、次の外
資規制を撤廃しているのです。
―――――――――――――――――――――――――――――
   ≪政治資金規正法/外資規制≫
   外国人株主が50%以上の企業は政治献金できない
―――――――――――――――――――――――――――――
 これは「キャノン砲(法)」といわれるほど、自民党を利する
結果になったのです。ジャーナリストの須田慎一郎氏は次のよう
に指摘しています。
―――――――――――――――――――――――――――――
 奥田、御手洗体制で、経団連はあまりに政権与党に近づきすぎ
 た。それまで政界とのパイプ役は事務方が担ってきたが、両体
 制下ではトップ自らが政権サイドに直接関わり、2大政党制の
 到来とともに非常にリスキーなやり方になっていた。現在、経
 団連では政界とのパイプ役を事務方が担い、トップは直接政界
 とは 関わらない方針に切り替えようとしている。
                ――SAPIO/3/31号
―――――――――――――――――――――――――――――
 実際に御手洗会長は民主党との関係回復に必死になって取り組
んでいます。新会長の米倉弘昌氏をサポートする副会長に事務方
のトップである中村芳夫事務総長を起用したのです。まさに37
年ぶりの事務総長出身の副会長です。
 中村芳夫事務総長は、政界には人脈を有しており、民主党にも
岡田克也外相、国家戦略室長の古川元久氏、前財務大臣・藤井裕
久氏などとパイプがあるのです。
 さらに御手洗氏は、自身が会長を務めるキャノン・グループが
民主党の政治資金団体「国民改革協議会」に対して行っている献
金を従来の200万円から、1000万円に5倍も増加させてい
るのです。
 急に恭順の意を示したようではあるものの、日本経団連として
は自民党寄りを民主党寄りに改めていけば、1300社の主要企
業に加えて、129にのぼる各産業分野の業界団体や地方の経済
団体をも傘下に収める日本経団連を民主党がソデにするはずがな
いと考えているようです。しかし、御手洗会長は小沢幹事長を甘
く見ているようです。
 小沢幹事長は、日本経団連は「政官癒着の温床」と考えており
そういう経済団体の連合体のカネも票も念頭に置いていないので
す。日本経団連には200人を超える政策スタッフがいるのです
が、それを含めて傘下の業界団体の事務局を仕切っているのは天
下り官僚なのです。ここで各業界の要望のとりまとめをやってお
り、それが自民党と一体化しているのです。
 小沢幹事長は、陳情窓口を幹事長室に一本化しましたが、これ
は自民党時代の族議員をつくらないためなのです。日本経団連は
役所と結びついた業界団体の陳情機関化しており、これをやめさ
せるというより、存在を無力化させようとしているのです。
 これはどういうことかというと、現在の日本経団連を無力化し
「第2経団連」を作ろうとしているのです。既に幹事長室の筆頭
副幹事長である細野剛志・組織委員長兼企業団体対策委員長が小
沢幹事長の特命を受けてプランを練っているのです。
 「第2経団連」はまだ全貌が見えていませんが、各業界のリー
ディングカンパニーなど上位2〜3社をメンバーとし、100社
程度で新団体を結成し、民主党政権と政策協議を行うシステムを
考えているようです。
 実はこれには賛成する企業が少なくないのです。というのは、
日本経団連には財閥系企業は会長になれないという不文律がある
のです。そのため、今まではトヨタや新日鉄などの非財閥企業が
主流派を構成してきたのです。そのため、三菱・三井などの財閥
系企業が第2経団連構想に関心を示しているといわれます。
 これは、もし実現すれば、まさに「財界クーデター」そのもの
ということになります。小沢幹事長としては、奥田・御手洗体制
には本気でハラを立てているように感じます。
 この第2経団連構想について書いているのは、既出の『SAP
IO』3月31日号/小学館ですが、2月18日付の「日刊ゲン
ダイ」は、次のように報道しています。
―――――――――――――――――――――――――――――
 第2経団連構想が表面化したら、間違いなく入会希望が殺到す
 る。入会できなかったら、二流企業のレッテルを張られますか
 らね。小沢一郎は既得権益を徹底的にぶっ壊すつもりです。入
 会の判断基準は、参院選で民主党を支援するかどうかになるで
 しょう。企業は民主党支援を打ち出さざるを得ない。小沢一郎
 がどこまで本気かどうか分からないが、経団連にとって『第2
 経団連』構想をにおわされるだけでも相当なプレッシャーにな
 ります」(財界事情通)
         ──日刊ゲンダイ2010年2月18日掲載
―――――――――――――――――――――――――――――
 それにしても奥田碩氏は、日本郵政の役員として残ったままの
状態です。           ―――[小沢一郎論/62]


≪画像および関連情報≫
 ●小沢の「第二経団連構想」の深い意味/ブログ
  ―――――――――――――――――――――――――――
  今の民主党中心の政府にとって敵は少なくなってきた。「自
  民党」と「米国」が抜け、「官僚組織」と「マスメディア組
  織」が残った。ところがこの二つの組織の扱いが難しい。な
  にせ国民の負託も受けていない、この二つの組織を構成する
  人種は「我々こそ国家である」という自負?思い上がり?で
  生きている人種なので厄介だ。朝日新聞などは、一昨日小島
  功の風刺画を掲載、「仕置き人故藤田まことに小沢に天誅を
  加える」煽りをさりげなく行うなど、テロ奨励新聞と化して
  いる。万が一、原敬首相と同様の事件が起きた時は、どう始
  末をつけるつもりなのだろう?正直、この日本に巣食う、こ
  の二つの組織をどう扱うか、これが今後の小沢・鳩山・菅の
  腕のみせどころだと言える。官僚組織は行政の枠内にあるの
  で時間は必要だが、一定の方向付けは可能だろう。(中略)
  筆者の推測だが、小沢一郎が「第二経団連」の創設を画策す
  る要因はその辺にあるような気がしている。つまり、民放テ
  レビの命である「スポンサー」段階での縛りではないのだろ
  うか?電通を通さない「スポンサー」の出現は大いに民放テ
  レビ局を潤わせるし、CIAエージェント電通の弱体化にも
  つながる。案外マスメディアの掌握の鍵を握るのが、小沢の
  「第二経団連構想」になるかもしれない。
  http://blog.goo.ne.jp/aibatatuya/e/7b104de64f3efd492200bd8e78b4f0a3
  ―――――――――――――――――――――――――――

奥田碩経団連前会長.jpg
奥田碩経団連前会長
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2010年04月05日

●「日本郵政無血開城と社長人事のウラ」(EJ第2787号)

 話は16年ほど前に遡ります。1994年(平成6年)2月2
日深夜のことです。細川総理は急遽会見を開き、消費税を3%か
ら7%に増税し、使途を福祉目的にする「国民福祉税構想」を突
然発表したのです。
 これは当時新生党代表幹事であった小沢一郎と大蔵事務次官で
あった斉藤次郎氏が主導したものです。しかし、連立政権内部で
の合意も得られていなかったので、外部から大きな批判を浴びて
細川総理は数日後にこの構想を撤回しています。
 1994年6月に村山政権が発足し、与党に復帰した自民党の
亀井静香氏は、野中広務氏とともに斉藤大蔵次官を辞任に追い込
んでいます。しかし、亀井氏は、「10年に一度の大物次官」と
いわれた斉藤次官の実力は認めていたのです。
 2005年8月、郵政民営化に反対して自民党を離党し、国民
新党を結成した亀井氏は、斉藤氏と連絡を取り、食事をしたり、
政策についての意見交換をするようになったのです。
 2009年8月の衆議院選の前に亀井氏は斉藤氏と会い、次の
ように協力を依頼しています。
―――――――――――――――――――――――――――――
 もはや政権交代は間違いない。政権を取ったら郵政の見直し
 をやるので、いざとなったら力を貸して欲しい
―――――――――――――――――――――――――――――
 暗に日本郵政の社長就任を求めている──そういう解釈をした
うえで斉藤氏は「わかりました」と亀井氏に返事をしています。
既に郵政民営化は、西川社長のもとで着々と進められており、大
きな流れができてしまっている。その流れを止めて変更させるの
は尋常なことではないのです。
 何しろ日本郵政は、従業員45万人、総資産305兆円であり
日本最大規模の株式会社です。とても一般企業の社長経験者では
日本郵政の後任社長は務まらないのです。しかし、斉藤次郎なら
できる──亀井氏はそう判断していたのです。
 鳩山政権で郵政改革担当大臣に就任した亀井氏は、西川社長を
いかに円満に辞めさせるかが重要であると考えたのです。西川社
長は一向に辞める様子は見られなかったからです。
 政府は、日本郵政の株を100%持っているので、臨時株主総
会で西川社長を解任することはできますが、亀井氏としてはあま
り強引なことはやりたくなかったのです。
 まして2009年5月18日には、日本郵政の指名委員会が西
川社長の続投を全会一致で確認し、6月29日の株主総会では、
西川社長の続投を承認しているのです。もし、強行突破をすれば
マスコミは西川側について、政府批判を繰り広げることは明らか
だったのです。
 「無血開城させるにはどうしたらよいか」──奥田碩氏しかい
ないと亀井氏は判断したのです。亀井氏は、自民党政調会長時代
にトヨタ自動車の会長であった奥田碩氏と親しかったのです。
 しかし、奥田氏は日本郵政の社外取締役で、指名委員会の委員
長なのです。それでも、奥田氏の懐の深さをよく知っている亀井
氏は奥田氏と会い、次のように頼んだのです。
―――――――――――――――――――――――――――――
 わたしは西川さんにやめてもらいます。しかし、血の雨が降る
 ようなやり方でやったっていいことはないでしょう。ですから
 奥田さん、勝海舟の役をやってくれませんか。
                      ──大下英治著
       『小沢一郎の最終戦争』/KKベストセラーズ刊
―――――――――――――――――――――――――――――
 奥田氏は亀井氏の要請を受け入れたのですが、次期社長には誰
を考えているのかを聞いたといいます。しかし、亀井氏は「それ
はいえない」と言下に否定しています。西川社長は奥田氏の勧め
によって、日本郵政の社長を自ら辞任する決意を固めたのです。
こういういきさつで、奥田氏は今でも日本郵政の役員として残っ
ているのです。
 2009年10月20日、鳩山内閣は「郵政改革の基本方針」
を閣議決定しています。その日の午後6時30分、西川社長は記
者会見を開き、辞任を表明したのです。
 同じ日の午後8時過ぎに、亀井氏は斉藤氏に電話を入れ、正式
に日本郵政の社長就任を要請したのです。斉藤氏は「一晩考えさ
せて欲しい」とはいったが、亀井氏は声のトーンから判断して必
ず引き受けてくれると確信を持ったのです。
 そして、鳩山総理に電話を入れたのです。亀井氏は、鳩山総理
にも斉藤次郎氏を日本郵政の社長に考えていることを打ち明けて
いなかったのです。
―――――――――――――――――――――――――――――
 亀井は、鳩山総理に電話をかけた。
 「後任の社長は、斉藤次郎氏でいきます」
 鳩山総理は、さすがにびっくりしていた。
 「ええッ!」
 亀井は言った。
 「天下りや渡りを問題にしてきた民主党とすれば、元大蔵次官
 の起用は、いろいろ批判されるかもしれませんが、後任の社長
 は斉藤さんしかいません」
 鳩山総理は、了解してくれた。「わかりきした」
                      ──前掲書より
―――――――――――――――――――――――――――――
 斉藤元大蔵次官を日本郵政の社長にすることを小沢も亀井氏か
ら、聞かされてはいなかったのです。「ほほー。よく引き受けて
くれたな」が、そのことを知ったときの小沢の反応です。
 2009年10月21日、午前10時、亀井氏は金融庁で記者
会見を開き、西川社長の後任に斉藤次郎氏を充てる人事を正式に
発表しているのです。
 現在の民主党でこのような剛腕ぶりを発揮できるのは、亀井静
香氏と小沢しかいないのです。  ―――[小沢一郎論/63]


≪画像および関連情報≫
 ●文藝評論家山崎行太郎の政治ブログより
  ―――――――――――――――――――――――――――
  西川社長は辞任会見でカメラマンを相手に怒りを爆発させた
  ようだが、西川・亀井会談なるものがどれだけ激しいものだ
  ったかを想像させるに充分な辞任会見だったといっていい。
  度胸のある亀井大臣でなければ、ここまで追い詰めて、詰め
  腹を切らせることは不可能だっただろう。藤井財務相あたり
  が、亀井大臣の強引な、矢継ぎ早の行動に、ピンとはずれの
  横槍を入れようとしているらしいが、かえって鳩山内閣の癌
  藤井財務相らしいということが鮮明に焙り出されるだけで、
  所詮は「焼け石に水」ということになるだろう。
  http://d.hatena.ne.jp/dokuhebiniki/20091020/1256035648
  ―――――――――――――――――――――――――――

辞任を発表する西川社長.jpg
辞任を発表する西川社長
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2010年04月06日

●「小沢捜査は検察の完敗である」(EJ第2788号)

 鳩山内閣の支持率が下がっていることによって、味方陣営のは
ずの連合から、民主党の選挙対策に批判が出ているのです。参院
選の「2人区・複数候補擁立」の指示に対し、連合静岡の吉岡秀
規会長が小沢幹事長に反対を表明したのです。
 そして「ここまで支持率が下がったのは小沢幹事長の政治とカ
ネの問題が大きいので、どうしても2人を擁立したいなら、小沢
氏は辞任すべきである」とまで述べたのです。
 小沢幹事長はもちろん拒否しましたが、応援団にまで民主党内
の一部の大臣たちと同じような考え方を持つ人が出てきているの
は残念なことです。そのようにして味方同士でもめているから支
持率が下がるのです。
 小沢幹事長が政治とカネに関して問題があるとされるのは、小
沢事務所の元秘書を含む秘書が3人逮捕され、起訴されている事
実にあります。これは確かに異常なことであり、秘書たちが本当
に悪いことをしたのであれば、当然上司である小沢には重い責任
が生ずることになります。
 しかし、3人の秘書は起訴されたものの、小沢本人は不起訴に
なっているのです。それに「起訴=犯罪成立」ではないのです。
これから裁判があるのです。おそらく決着がつくまで一年以上を
要するでしょう。小沢事務所としては、起訴事実を認めていない
ので、責任を取って小沢が幹事長を辞任すれば、その事実を認め
たことになってしまいます。
 それに元秘書を含む3人の秘書のうち、大久保秘書については
一年前に逮捕・起訴され、裁判が行われたにもかかわらず、検察
側証人から起訴事実を否定する証言が飛び出し、検察側が不利な
状況に陥っているのです。
 そのため、3月に一審判決が出ていなければならないのに、検
察側は公判日程を未定にしたまま引き延ばしを図っています。大
久保秘書は、起訴事実をいっさい認めていないので、このまま行
くと、無罪判決が出かねないからです。現時点で大久保秘書の無
罪判決が出ると、検察側はまさに完敗ということになります。
 過去にも特捜部の捜査に対し、公然と身の潔白を主張した政治
家はたくさんいます。ロッキード事件の田中角栄、リクルート事
件の藤波孝生、証券取引法違反容疑が浮上していた新井将敬、緑
資源機構の発注事業をめぐる官製談合事件の松岡利勝など──い
ずれの政治家も暗い結末を迎えています。共同通信元司法キャッ
プの石亀昌郎氏は小沢の不起訴についてこう述べています。
―――――――――――――――――――――――――――――
 小沢氏のように、水谷建設から秘書に金が渡されたと認定し、
 事情聴取や事務所の家宅捜索までしながら、立件を見送ったケ
 ースというのは記憶にない。
         ──『世界』4月号/石亀昌郎氏の論文より
―――――――――――――――――――――――――――――
 石亀昌郎氏は、これをもって「特捜部の敗北」だといっている
のです。そして、特捜部がどうしてこのような敗北に追い込まれ
たかについて、元特捜検事のコメントを紹介しています。
―――――――――――――――――――――――――――――
 完全な見立て違い。水谷建設から渡されたとされる5000万
 円にとらわれすぎた。不動産購入資金の4億円にこの5000
 万円が入っているかどうかだけが立件のポイントになり、結果
 として入っているという証拠が得られなかった。そもそも、4
 億円のうち5000万円だけがゼネコンからの裏献金というの
 はどう考えてもおかしい。もし、水谷建設からの5000万円
 が含まれているなら、残りの金も当然ダム工事の受注などをめ
 ぐるゼネコンの献金でなければ、そういう話になって、石川議
 員らの逮捕後、慌ててゼネコンの一斉捜索に乗り出した。手順
 が逆。見通しが悪すぎる。    ――元特捜検事のコメント
         ──『世界』4月号/石亀昌郎氏の論文より
―――――――――――――――――――――――――――――
 実は、最高検と東京高検は、最初から小沢捜査については慎重
だったといわれています。その理由は次の通りです。
―――――――――――――――――――――――――――――
 政治資金規正法の虚偽記入罪は、一種の身分犯である。政治団
 体の会計責任者については罪に問いやすいが、政治家はそうで
 はない。共謀というには、単に知っているだけでは駄目だ。指
 示、命令まで出てこなければ政治家本人の立件は困難である。
 さらに了承と言っても、いつ、どこで、どのような言葉で了承
 したのか。ストーリーとして供述がなければ割れたとは言えな
 い。      ──『世界』4月号/石亀昌郎氏の論文より
―――――――――――――――――――――――――――――
 民主党の立場から見ると、野党時代の小沢代表のときと与党の
幹事長のときの2回にわたって、ちょうど大事な選挙のある直前
に秘書を逮捕されています。これは、究極の選挙妨害以外の何物
でもないと考えます。小沢を潰しにかかっているのです。
 民主党が野党のときは、自らが身を引くことが選挙戦を有利に
展開できると判断して選挙戦術として小沢は辞任しましたが、今
回は辞任しないと思います。それは辞任しなくても参議院選では
勝てると踏んでいるからです。その根拠については、明日のEJ
で示すことにします。
 異論はあるでしょうが、小沢幹事長もいっているように、検察
が徹底的に調べ上げて、それで不起訴になったのだから、それが
何よりもの説明責任を果たしているというのは、それなりに筋が
通っていると思います。
 日本では、一度でも検察に起訴されると、最終的に無罪と認定
されてもどうしても色がついてしまうものです。完全無罪判決を
受けた菅谷利和氏は、かつて自分がやっていた幼稚園のバスの運
転手を続けたいと思っているそうですが、父兄が反対して実現で
きないでいます。そういうことを考えると、検察は捜査を慎重に
やってもらいたいものです。それにしても「検察改革」を主張す
る政治家はなぜ皆無なのでしょうか。――[小沢一郎論/64]


≪画像および関連情報≫
 ●佐藤優氏/政治資金規正法は国家の暴力治安維持法になる!
  ―――――――――――――――――――――――――――
  政党助成金制度が導入され、国民の税金で政治活動を行うよ
  うになったので、政治資金規正法の性格が変わった。政治資
  金収支報告書への誤記、不記載が意図的な場合は、刑事責任
  を厳しく追及すべきであるという検察の主張は筋が通ってい
  る。しかし、ほとんどすべての政治家が誤記、不記載を行っ
  ているのが実情だ。そうなると秘書や国会議員を厳しく締め
  上げて「故意にやりました」という認識を調書に書かせれば
  どの政治家も犯罪者として処理できる。政治資金規正法が、
  21世紀の治安維持法に変容しつつあるが、この危険性に関
  してマスメディアはあまりに無自覚だ。
     ──佐藤優著、『この国を動かす者へ』/徳間書店刊
  ―――――――――――――――――――――――――――

完全無罪となった菅谷利和氏.jpg
完全無罪となった菅谷利和氏
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2010年04月07日

●「2010参議院選における小沢戦略」(EJ第2789号)

 北教組問題で自民党が民主党を攻撃しています。「民主党は労
組丸抱え選挙だ」という批判です。ここで誤解のないように述べ
ておくと、労組を含む特定の組織が特定の政党や特定の政治家を
支援することは悪いことではないし、違法でもないのです。それ
が「政治」であるからです。
 したがって、特定組織が候補者を擁立し、選挙においてその候
補者が当選するよう支援をするのは別に間違ったことではないの
です。参議院選ではそういう「組織選挙」が展開されるのです。
 これはかつての自民党の得意技であったはずです。自分たちで
やっておいて、立場が変わると今度は相手を批判する──それが
現在の自民党の姿勢です。
 しかし、特定政党や政治家が特定の組織のために利益提供し、
国民全体の利益を犠牲にしていた場合は、厳しく糾弾されなけれ
ばならないのは当然のことです。したがって、組織選挙は別に悪
ではないのです。このあたりの議論がごっちゃになってTVや新
聞では報道されているのは困ったことです。
 さて、鳩山内閣と民主党の支持率は確かに低下しています。そ
のため「小沢やめろ!」という議論が党の内外から噴出している
のですが、かなり見当はずれの議論であると思います。鳩山内閣
がモタモタしていることも支持率低下の原因であるからです。
 「小沢やめろ!」と叫ぶ人たちは、参議院選の本質が組織選挙
であるということをわかっておらず、参議院選での過半数獲得の
ためにこれまで小沢がやっていることを理解も評価もしていない
人々です。小沢が辞めれば選挙に勝ていると思っているらしいで
すが、小沢が辞めたら民主党はもたないと考えます。
 ところで、参議院選挙とはどういう選挙でしょうか。復習して
おきたいと思います。
 議員定数は「242」ですが、半数改選なので「121」──
これが「選挙区」と「比例代表」の2つに分かれ、それぞれの定
数は次の通りです。
―――――――――――――――――――――――――――――
       「選 挙 区」 ・・・・・ 73
       「比例代表」 ・・・・・ 48
―――――――――――――――――――――――――――――
 選挙区は各都道府県に一つ置かれ、比例代表は全国統一で行う
のです。問題は選挙区の「73」です。全国47ある選挙区は1
人区は「29」、2人区以上は「19」あるのです。小沢幹事長
はその複数人区──とくに2人区については2人目の候補者を立
てようとしているのです。つまり、民主党による選挙区の独占を
狙っているのです。
 例を上げて説明しましょう。京都府は2人区です。現職は民主
党の福山哲郎氏──既に公認を得ています。もし、ここに民主党
が福山氏以外の候補を立てないと、知名度の高い福山氏の当選は
間違いないでしょう。そして、もう一人はおそらく自民党がとる
はずです。つまり、民主党と自民党が分け合うことになります。
 小沢幹事長は、ここに昨年当選したばかりの衆院選の比例近畿
ブロックの河上満栄議員を2人目として公認したのです。もちろ
ん、衆議院議員をやめさせての立候補です。昨年の衆議院選で参
議院議員をやめて当選した青木愛氏のケースと同じです。
 さて、これによって、楽勝のはずであった京都府選挙区は一転
して激戦区になります。福山哲郎氏も選挙戦略の練り直しを迫ら
れるでしょうし、対抗相手の自民党候補も必死になるので、無風
区が激戦区に変貌するのです。
 果たして「勝算」はあるのでしょうか。2人の候補擁立で共倒
れになるリスクもあります。この複数擁立作戦について、小沢幹
事長は次のように述べています。
―――――――――――――――――――――――――――――
 1人区にだけ過半数の大目標を押しつける形になっては、党と
 して、仲間同士として非常に不公正、不公平だ。複数区にも複
 数立てて、1人区と同様、泥にまみれてみんなで頑張る。
          ──2010年4月1日付、朝日新聞より
―――――――――――――――――――――――――――――
 さて、自民党の目標は、参議院選は「90議席」を狙っている
のです。最初は100議席を目標にしていたのですが、谷川参議
院幹事長は90議席に目標を下方修正したのです。
 民主党の参議院の現有勢力は116議席、これに統一会派を組
む国民新党の6人を合わせて過半数ギリギリの122議席、社民
党を加えても127議席しかないのです。
 したがって、もし、自民党が非改選を含めて100議席近くを
取ると、与野党の勢力が逆転し、民主党はかつての自民党のよう
に「ねじれ国会」に苦しむことになります。自民党は当然それを
狙ってきます。しかし、自民党が90議席を確保するには、今回
の参議院選で54議席当選させる必要があります。果たしてとれ
るのでしょうか。
 過去2回の参議院選では、2004年が49議席、2007年
は37議席です。しかも、そのときは自民党は与党なのです。そ
して今回は野党に転落して54議席──これは自民党にとって、
絶望的に厳しい数字であるといえます。
 それに今回の選挙は選挙資金も乏しく、得意とする組織選挙は
ほとんど機能しないはずです。もともと参議院自民党は「族議員
の牙城」と呼ばれ、農協をはじめとして、日本医師会、日本歯科
医師会、看護連盟、建築業などの業界の代表が候補として出馬し
票とカネを集めてきたのです。
 しかし、今回はそれらの自民党支持組織のほとんどは、小沢幹
事長によって切り崩されているのです。民主党の中ではすこぶる
評判の良くない「陳情の一元化」はそのための仕掛けなのです。
これらの工作が民主党内で内外に小沢の政治とカネやその手法の
独裁性を批判している議員たちにやれることなのでしょうか。
 鳩山内閣の仕事ぶりに比べると、小沢工作は著しく進捗してい
るのです。            ――[小沢一郎論/65]


≪画像および関連情報≫
 ●日本医師会原中勝征新会長・民主党寄り鮮明へ
  ―――――――――――――――――――――――――――
  日本医師会は4月1日、2年の任期切れに伴う会長選挙を行
  い、去年の衆議院選挙で民主党を支持した茨城県医師会会長
  の原中勝征氏が現職らを抑え、新しい会長に選ばれました。
  原中氏は夕方に記者会見し、「政権交代で、官僚に握られて
  いた政治を政治家がやることになったが、そうした政権に対
  して、医療の現場の経験を生かした意見をきちんと言ってい
  きたい」と抱負を述べました。また、原中氏は、日本医師会
  の政治団体の日本医師連盟が、政権交代を受けて自民党を支
  持してきたこれまでの方針を白紙撤回する一方、参議院選挙
  の比例代表で自民党の候補者の推薦を決めていることについ
  て、「すでに機関決定をしているが、近く連盟の総会を開き
  あらためて討議していきたい」と述べました。
  http://www3.nhk.or.jp/news/html/20100401/t10013579911000.html
  ―――――――――――――――――――――――――――

京都府で河上満栄氏を公認.jpg
京都府で河上満栄氏を公認
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2010年04月08日

●「自民の集票組織を切り崩す小沢戦略」(EJ第2790号)

 小沢の政治とカネの問題、鳩山内閣の政権運営をめぐる不満、
閣僚のスキャンダルなどによって、鳩山政権と民主党の支持率が
下がりつつあります。期待が大きかっただけに、その反動も小さ
なものではなかったのです。
 こうなってくると、党内ではこれで参議院選に勝てるのかと不
安になる人が多くなってくるものです。自由党と合併する前の民
主党はそういう「風」に頼る選挙をやってきたのです。
 しかし、幹事長を務める小沢一郎は、政権を取る以前も以後も
検察による強制捜査に足元をすくわれながらも「風」に頼らなく
ても勝てる選挙の体制を構築しつつあります。長期政権を続ける
ためにはそういう体制を作る必要があるからです。
 政権交代以来、小沢は夏の参議院選での単独過半数獲得に向け
て、自民党の支持基盤を着実に切り崩してきています。とくに重
要なのは医療関連団体です。
 最初に小沢が落としたのは、日本歯科医師会です。昨年の10
月、小沢は大久保満男・日歯連会長と会談し、参議院選での自民
党からの組織内候補の擁立を撤回させています。そして今年2月
の日本歯科医師連盟(日歯連)の臨時評議会で、民主党比例候補
・西村正美氏を支援する方針を正式に決定しているのです。
 続いて日本看護協会──この協会は約60万人の会員を擁し、
今まで自民党にベッタリであった団体です。政治団体の日本看護
連盟を通じて、自民党に清水嘉与子・元環境庁長官、南野知恵子
・元法相などを送り込んでいるのです。そして7月の参議院選に
も新人の高階恵美子・元看護協会常任理事が自民党から出馬する
ことになっています。
 しかし、小沢は親団体である看護協会に手を打っているので、
同協会は高階恵美子候補擁立は支持できないと反対し、協会と連
盟は分裂状態になっています。結果がどうなるかです。
 そして、自民党最大の支持基盤である日本医師会ですが、4月
1日の会長選挙に民主党支持の原中勝征氏が勝利し、民主党支持
を鮮明にしたのです。
 もともと茨城医師会長であった原中勝征氏は早くから民主党支
持を打ち出し、自民党厚生族の大物である丹羽雄哉・元厚生相を
落選させています。原中氏は茨城医師会長であった2008年、
自民党が後期高齢者医療制度を実施したことに反発し、その撤回
を求め署名運動を行ったのです。
 長年保険料を払ってきた高齢者が一定の線で、制度と切り離さ
れるのはおかしい──こう考えた原中氏は、昨年の総選挙では、
自民王国であった茨城県で、民主党候補を積極的に応援し、自民
党と対決した7小選挙区のうち5選挙区において民主党を勝利さ
せているのです。
 しかし、原中氏の会長就任への道のりは厳しかったのです。後
ろ盾であった小沢が政治とカネで叩かれ続けていたし、鳩山政権
は「勤務医優遇」ではないかとの批判もあったからです。
 それは、民主党が2月の診療報酬改定で、10年ぶりに改定率
を引き上げ、医師不足が深刻な病院に重点配分、救急や産科や小
児科や外科に一層手厚い内容にする一方で、診療所の再診料を引
き下げたことにあるのです。日医会員の大多数は開業医であり、
開業医にとって再診料は収入の1割を占めているのです。
 このように、医師会が必ずしも一枚岩でなかったこともあって
民主党内の「反小沢」がきなくさい動きを見せていたのです。想
像するに、診療所の再診療引き下げに関して日医会員の一部が反
小沢グループに接近していたのではないかと思われます。
 4月3日付(2日発行)の「日刊ゲンダイ」は、これに関して
微妙な表現ながら、次のように報じています。ちなみに今回の日
医会長選挙では、現職で自民党寄りの唐沢祥人氏、民主党支持の
原中勝征氏、中立の森洋一氏の3人が争ったのです。
―――――――――――――――――――――――――――――
 民主党内の「反小沢」も、きな臭い動きを見せた。中立を訴え
 た森氏は、前原国交相の地元である京都府の医師会長も務めて
 いる。前原に近い仙石国家戦略相は、勤務医の待遇改善などか
 ら医療の再建を目指す議員連盟の中心メンバーで、日医=開業
 医と距離を置く。そのため、「反小沢は非原中で揺さぶりをか
 けた」(民主党事情通)とみられている。
     ──4月3日付(2日発行)の「日刊ゲンダイ」より
―――――――――――――――――――――――――――――
 もし、このことが事実とすれば、もはや「小沢と距離を置く」
程度ではない完全なる「反小沢/非小沢」的行動であり、これは
今後の民主党の運命に大きな影響を与えることになる可能性があ
ると思います。
 さて、参議院選の勝敗を決するのは、地方の1人区ですが、こ
れは農業票がモノをいいます。農業票のカギを握るのは、農協の
政治連盟「農政連」ですが、これも大きく揺らいでいます。
 昨年10月の時点で、全国農業協同組合中央会(全中)は、従
来の自民党一党支持を転換する方針を声明したのです。全国農政
連も、参議院選比例区で、自民、民主どちらの候補も推薦しない
方針を固めています。選挙区については、都道府県農政連の判断
に委ねられていますが、これを小沢が落とすのは時間の問題なの
です。いずれの組織も民主党の目を気にしているからです。
 かつての自民党のように、族議員が細分化された利権を持ち合
う組織であれば、地方ごとに支持・不支持を打ち出して、どの政
党寄りかをぼかすことができたでしょうが、現在陳情は、幹事長
室に一元化されているので、民主党に忠誠を誓わないと、野党扱
いにさせられてしまいます。小沢の戦略は効いているのです。
 小沢が今回厳しい扱いをしたのは、自民党の利権として全国の
票集めに貢献してきた「土地改良事業」に対してです。ここは、
自民党候補の擁立を見送る決定しかしなかったとして、4500
億円の予算を2100億円へと6割減額しています。土地改良事
業は、自民党の隠れた大票田であり、小沢はこれに対して厳しい
手を打ったのです。        ――[小沢一郎論/66]


≪画像および関連情報≫
 ●半減どころか6割減に/土地改良事業費
  ―――――――――――――――――――――――――――
  民主党・小沢幹事長が2009年12月16日、来年度予算
  編成の党の要望として土地改良事業費の半減を求めたことに
  ついて、赤松農水相は17日、現実的な対応は厳しいとの見
  解を示した。赤松農水相は、小沢幹事長が要望した土地改良
  事業費の半減について、農業ダムや灌漑(かんがい)事業な
  どすでに取りかかっているものもあるとしてこうした事業の
  実現は「万が一、半額となれば厳しい」との認識を示した。
  農水省は来年度、公共事業費を今年度より15%縮減すると
  し、土地改良事業には4889億円を計上している。赤松農
  水相は、要求額の縮減については「ある程度免れない」と応
  じる姿勢を見せているが、「必要なものだという姿勢に変わ
  りはない」と話している。   ――日テレ・ニュースより
  ―――――――――――――――――――――――――――

原中勝征新日医会長.jpg
原中勝征新日医会長
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2010年04月09日

●「事業仕分けから外された『建設国保』」(EJ第2791号)

 現在の民主党のことを次のようにいった人がいます。うまい表
現だと思います。
―――――――――――――――――――――――――――――
 民主党は、モーニング娘に天童よしみが加わったような政党
 である。
―――――――――――――――――――――――――――――
 民主党という政党に「異質なもの」が入っている──そういう
表現です。それらはある程度の時間が経過すれば融合していくも
のと考えていましたが、政権交代後の党内の争いを見ていると、
どうやら融合しそうもないと思われます。
 税金の無駄遣いを削減する──鳩山政権の掲げる方針は間違っ
ていないし、まったく異論はありません。だから、それを実現す
るための「事業仕分け」に国民は喝采したのです。しかし、「事
業仕分け」のウラで、とんでもないことが行われていたのです。
 本当は「小沢一郎論」を今週で終了しようと考えていたのです
が、民主党の「反小沢」が何をしているかを明らかにしておく必
要があると考えたので、もう少し書くことにします。
 私の知人に建設業の社長をやっている人がいたのです。なぜ過
去形になっているのかというと、一昨年亡くなったからです。そ
の人は何回も入院や通院を繰り返していたのですが、そのさいの
入院費の自己負担はゼロで、通院時の自己負担は1割なのです。
所得が高額であるにもかかわらずです。
 なぜ、そうなるのかというと、その知人が「建設国保」に加入
していたからなのです。「建設国保」とは何でしょうか。
 「建設国保」とは、全建総連系列の健康保険組合のことです。
通常は、自営業者はサラリーマンと違って市町村の国民健康保険
に加入するのですが、建設業や医師や薬剤師、酒販、芸妓などの
一部の業種は、地域ごとに個人個人の健康保険組合を結成するこ
とが認められているのです。建設国保組合──建設国保もそのひ
とつです。
 建設国保の場合、国の補助金も多額なのであり、国庫補助の総
額は、2007年度で1900億円、そのうち151億円が「特
別調整補助金」と呼ばれる特別加算なのです。例として取り上げ
た私の知人は、その建設国保の加入者だったのです。
 こうした手厚い補助金のお陰で、サラリーマンや市町村国保の
加入者が、医療費の3割を窓口で負担しなければならないのに対
して、建設国保では「入院費の自己負担ゼロ」や「通院の自己負
担1割」といった恵まれた内容になっているのです。
 それだけではないのです。東京や神奈川、埼玉、北海道の場合
は、被保険者本人だけでなく、家族が入院した場合の自己負担も
ゼロになっているのです。国の補助金のお陰でこういう恵まれた
内容になっているわけです。不公正だとは思いませんか。
 事業仕分けが始まる直前の2009年10月のことです。仙谷
由人・行革刷新相(当時)は、大工、左官、とび職など建設業を
含む自営業者の労働組合「全建総連」の全国大会で、次のように
挨拶しているのです。
―――――――――――――――――――――――――――――
 皆様の力で議席を取らせていただいたようなもの。建設健保は
 手厚く守っていく。    ──仙谷由人・行革刷相(当時)
               『週刊ポスト』4/2日号より
―――――――――――――――――――――――――――――
 「全建総連」は民主党の支持組織のひとつであり、仙谷氏は昨
年の総選挙で、全建総連傘下の全徳島建設労組の支援を受けてい
るのです。なお、この全国大会の席には、長妻昭・厚生労働相も
同席していたのです。
 事業仕分けで取り上げる項目は事前に財務省が決めていたこと
が問題になったのですが、実は財務省はよくやっているのです。
財務省は、建設国保などへの補助金の見直しを考えており、それ
を事業仕分けの中に入れていたのです。ある財務官僚は次のよう
にいっています。
―――――――――――――――――――――――――――――
 入院費の自己負担が入らなければ医療費抑制につながらない。
 国保組合には豊かな積立金を持っている組合も多く、税金から
 の特別加算は不公平を招いている。
             ──『週刊ポスト』4/2日号より
―――――――――――――――――――――――――――――
 ところがです。国保組合への国庫補助金は仕分け対象から外さ
れたのです。それどころか、民主党政権は「予算がない」という
ことを理由に一部マニュフェスト実現を先送りしたのに、国保組
合への特別加算は要求通り満額回答しているのです。
 全総連のホームページには「国保組合に対する特別助成3年連
続の満額確保」というタイトルで、次のよううに政治家を含む仲
間に対してお礼をいっているのです。
―――――――――――――――――――――――――――――
 来年度(2010年度)の政府予算案が12月25日に閣議決
 定され、国保組合への特別助成は282.1 億円で3年連続の
 満額確保となりました。また、特定健診・特定保健指導補助金
 は概算要求時より5千万円減額の15.5 億円となりました。
 この減額は、2008年度の実績値をもとに2010年度の実
 施率を見直したことによるものです。なお、健診単価について
 は、各国保組合の実績値の平均値をもとに見直しを行った結果
 2009年度に比べ単価は引き上げとなります。ご奮闘いただ
 いた全国の仲間の皆さん、本当にありがとうございました。
    http://www.zenkensoren.org/news/15news/news216.html
―――――――――――――――――――――――――――――
 自分たちにとって都合の悪い項目は、事業仕分けの項目から外
して予算をつける──こんなことがあっては絶対にいけないと思
います。清新な政治家とされている仙石大臣ですが、やっている
ことは自民党のやっていることと、どこが違うのでしょうか。
                 ――[小沢一郎論/67]


≪画像および関連情報≫
 ●仙谷事務所はどういっているか
  ―――――――――――――――――――――――――――
  仙谷事務所では、「大会での発言は報道されている通り」と
  答え、全建総連ほ、「建設国保の付加給付は、病気で仕事に
  出ることができないと無収入になる建設職人の生活を支えて
  いる。法律でも認められている」と主張している。 だが、
  サラリーマンの健保組合は財政難で次々に解散に追い込まれ
  市町村国保の加入者が保険料率アップにあえいでいるのに比
  べて、建設国保など国保組合が優遇されているのは間違いな
  い。         ──『週刊ポスト』4/2日号より
  ―――――――――――――――――――――――――――

仙谷由人大臣.jpg
仙谷由人大臣
posted by 平野 浩 at 04:17| Comment(6) | TrackBack(0) | 小沢一郎論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年04月12日

●「なぜ2人区2人擁立に反対か」(EJ第2792号)

 民主党は構造的に不幸である──これは元内閣総理大臣・中曽
根康弘氏のことばです。民主党は右から左までのウイングが広く
旧社会党などの勢力がかなりいるので、安全保障や国家観、憲法
などの重要な点で、政権の姿をきちんと示すことが困難であると
いうことをいっているのです。
 そして、中曽根氏は小沢幹事長の独裁的なやり方について次の
ように述べています。
―――――――――――――――――――――――――――――
 小沢君の実体というのは、多くのメディアが報道する印象とは
 かなり別のものです。ただし、本人が言うように東北人特有の
 鈍重さゆえか、そういう本来の姿を顕示する機会を持てずにき
 た政治家です。(中略)旧社会党のような勢力を抱え込む民主
 党が本当に力を発揮するためには、やはり権力の一元化が必要
 なのです。   ──「SAPIO」4/14・4/21より
―――――――――――――――――――――――――――――
 いま小沢の頭にあるのは、夏の参議院選での単独過半数獲得そ
れあるのみです。「命をかけた戦い」と小沢自らそういっている
そうです。
 民主党の非改選議席は62です。したがって、過半数の122
には60足りないのです。ところが、改選数は53ですから、全
員当選しても7つ不足するのです。小沢が2人区に2人の候補者
を立てた理由はここにあります。
 これをめぐって民主党内の小沢と距離を置くいつものグループ
は、「共倒れ」の危機を煽って反対を唱えています。その理由は
鳩山内閣や民主党の支持率が低下しているからです。
 これが自由党と合併する前の民主党の正体なのです。とくに選
挙では支持率ばかりを気にしており、きちんとした目標を持って
いないのです。そういう「風」に頼った選挙では、とうてい政権
交代など夢のまた夢です。ちなみに、2007年の参議院選──
小沢党首率いる民主党は与野党逆転を果たしているのですが、そ
のときの民主党の支持率は20%なのです。支持率がすべてを決
めるわけではないのです。それに下がったとはいえ、民主党の支
持率は30%以上あるのです。しかも、2007年のときは野党
だったのに対し、今回は与党なのです。
 さて、参議院選の2人区は全国に12あります。そこに自民党
は1人ずつの候補者を立てています。自民党としてはもし2人立
てると、それこそ共倒れになるので、このままで戦うはずです。
 民主党は既に12の2人区に2人ずつの候補者の擁立を終えて
います。確かに共倒れの危険はないわけではありません。しかし
2人の候補者が競い合えば、得票率も上がり、最悪の場合でも1
人は当選するのです。何が問題なのでしょうか。
 民主党でこの2人区2人擁立にとくに反対しているのは、京都
府の現職・福山哲郎氏、静岡の藤本祐司氏、長野の北沢俊美防衛
相なのです。彼らはもし2人区に1人擁立なら、おそらく楽勝で
しょう。その場合は、民主党と自民党は1人ずつ当選することに
なると思います。しかし、これでは民主党は単独過半数は取れな
いのです。反小沢派の人たちは、それでもよいといっているので
す。こういうところがかつての民主党の体質なのです。
 一体彼らは何を恐れているのでしょうか。
 もし、みんなの党が出てきたら相当票を食われる──これが表
向きの理由です。確かにみんなの党には少し「風」が吹いている
ように見えます。しかし、みんなの党には支部も組織もなく、し
かも運動資金が、最低でも一億円以上かかるといわれているので
す。いくつかの2人区には立ててくる可能性はありますが、みん
なの党が議席を奪うのは至難のわざです。「風」だけではどうし
ても限界があるのです。
 それでは何を恐れているのでしょうか。
 2人区に立てるもうひとりの候補は、すべてがそうではありま
せんが、いわゆる「小沢ガールズ」的候補が多いのです。そのさ
い、小沢幹事長はこういっています。
―――――――――――――――――――――――――――――
 一次公認をした現職の候補については地元組織が全面的に面倒
 を見てくれ。幹事長室が送り込んだ2人目の候補者についての
 面倒はこちらがみる。           ──小沢幹事長
―――――――――――――――――――――――――――――
 2人区の現職が恐れているのは、小沢が送り込んだ2人目の新
人候補なのです。これらの候補はバックに小沢がついているので
当然のことながら、小沢型選挙を繰り広げられます。そうすると
新人に票が流れて自分が危なくなる──こう考えているのです。
つまり、現職が落選しかねないのです。
 このような小沢流の選挙のやり方には批判する人が多いですが
民主主義の政治では、政治家は選挙で選ばれるのです。どんなに
学識があり、立派な主義主張を持っていても、選挙に落ちれば只
の人です。田中角栄は、選挙に弱い政治家を絶対に重要閣僚に選
ばなかったといいます。小沢も同じことをいっています。
―――――――――――――――――――――――――――――
 選挙に弱い政治家というのは、結局のところ、外部の組織だの
 みだったり、あるいは人気だのみの人である。そういう政治家
 はつねに「他人の目」を気にしていなければいけない。(一部
 略)本当に政治家として志を貫き通すためには、まず自分の理
 解者を一人でも増やすことだ。自分の足元を固めるのが、政治
 家として活動する上で最優先のことなのである。政治家は一人
 の力で働いているのではない。政治家に本当の意味で力を与え
 るのはやはり選挙民の支持なのだ。     ──小沢一郎著
          『小沢主義/志を持て日本人』 集英社刊
―――――――――――――――――――――――――――――
 確かに、いつも「風」を気にして、選挙に弱い政治家にはろく
な仕事はできないでしょう。「小沢は選挙だけ」と批判されます
が、政治家にとって選挙ほど重要なものはないはずです。
                 ――[小沢一郎論/68]


≪画像および関連情報≫
 ●前原誠司国土交通相/小沢幹事長を批判
  ―――――――――――――――――――――――――――
  前原誠司国土交通相は4月2日の会見で、参院選で複数擁立
  方針を強引に進める小沢一郎幹事長の手法を批判した。自身
  が府連常任顧問を務める京都選挙区で、現職の福山哲郎外務
  副大臣に続き、河上満栄衆院議員(近畿比例ブロック)のく
  ら替え擁立するのを受け「2人目の候補は党本部の直轄。府
  連としては福山氏を応援する」と、河上氏支援に消極的な発
  言。実際、2人擁立では現職、新人とも共倒れという懸念も
  あり、「(複数擁立は)内閣支持率が70%あった時に決め
  たこと。大きな疑問がある」とも述べ、支持率低下が著しい
  今はふさわしくないとの見解を示した。
            ──「日刊スポーツ/政治ニュース」
http://www.nikkansports.com/general/news/p-gn-tp3-20100403-613608.html
  ―――――――――――――――――――――――――――

中曽根康弘氏.jpg
中曽根康弘氏
posted by 平野 浩 at 04:19| Comment(0) | TrackBack(0) | 小沢一郎論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年04月13日

●「生方解任の撤回は小沢の高等戦略」(EJ第2793号)

 民主党幹事長室の高嶋筆頭副幹事長による生方幸夫副幹事長の
解任と小沢幹事長による撤回──このドタバタを見てメディアは
「小沢幹事長の求心力低下か」という記事を載せていましたが、
このところさっぱり生方某の発言は聞こえてきません。どうした
のでしょうか。
 生方議員にメディアが取材を申し入れると、「これからは自粛
しなければならないので取材は受けない」といって逃げてしまう
のだそうです。一体何があったのでしょうか。
 昔のことですが、リーダーシップのことを論じた本にこんな話
が出ていたのです。中学校のある学級で、先生が教室に入ってき
ても廊下で遊んでいて、席に着かない生徒が何人かいる、そうい
うクラスがあったのです。普通の先生であれば、その問題児を教
員室に呼びつけて注意するなどの処置を取るのですが、この学級
の担当教師はそうしなかったのです。
 その教師は、そういう子がいるときは授業をやめて、クラス全
体で討議を命じたのです。始業時間までには全員が教室に入って
席に着くというごく当たり前のことが、このクラスではできてい
ない。どうしたら、いつまでにそれができるか全員でよく討議し
て、結論を教員室に持ってくるよう指示したのです。
 一時間後に代表の生徒数人が教員室にやってきて、明日からは
そういうことがないようにするという結論を持ってきたのですが
先生は納得しなかったのです。「現在のようなクラスのレベルで
は、明日からなんて無理だ。一週間時間をあげるから、それまで
にきちんとできるようにしなさい」と突き放したのです。
 クラスの代表たちは、とてもプライドを傷つけられ、再度クラ
スで討議しようということになったのです。しかし、先生の予想
通り、次の日も、またその次の日も教室に入らない生徒がいたの
です。先生はその都度授業をやめて討議を命じたのです。ところ
が、日が経つにつれて教室に戻らない生徒は減って、一週間後に
は全員が教室に入るようになったというのです。
 つまり、この教師は始業時間が来ても教室に入らないルール違
反の生徒個人を叱らず、そのクラスの責任を追及したのです。そ
うすると、集団には自然に「掟」のようなものが生まれ、それを
守らない者は、集団から非難を浴びせられ、制裁を受けることに
なるのです。これは問題児にとって、先生に呼びつけられて叱ら
れるよりはるかにこたえたのです。
 私は、今回の小沢による生方議員の解任撤回の処置を知ったと
きこの話を思い出したのです。もし、小沢が解任を撤回しなかっ
たとすると、生方議員はもっと派手に、もっと過激にマスコミに
出て、相変わらず小沢批判を展開し続けたでしょう。
 ただでさえマスコミは小沢批判をやりたいので、手ぐすねを引
いているのです。民主党議員である生方氏が小沢を批判すれば内
部闘争だとか内紛だとして、それを大々的に報道するはずです。
それに対して小沢は正面切って批判や反論はしにくいでしょう。
こういう状況は、夏の選挙に向けてけっしてプラス材料にはなら
ないことは明らかです。
 だから小沢は解任を撤回し、生方議員を幹事長室という自分の
指揮・命令が及ぶポジションに置いたのです。もしこのポジショ
ンにいて、やるべき国対の仕事をせず、外に対して上司の批判を
し続ければ、周囲──幹事長室の人間が黙っていないでしょう。
小沢はそれを狙ったのだと思います。実によく考え抜かれた戦略
であるといえます。
 しかし、相変わらず、小沢の政治とカネの問題は収まらず、小
沢は「天下の極悪人」のままです。検察は小沢を不起訴にしたも
のの、今度は検察審査会が検察の決めた不起訴処分の当否を検討
しており、近く議決する見通しと報道されています。一体いつま
でこんなことを続けるつもりなのでしょうか。
 本来検察審査会は完全非公開で、そういう情報が漏れることは
絶対にないはずなのです。それが報道されるということは、やは
り検察がリークしているとしか考えられないのです。元読売新聞
社の記者で、推理小説作家の佐野洋氏はこれにらついて次のよう
に疑問を投げかけています。
―――――――――――――――――――――――――――――
 漏れるはずのない検審(検察審査会)の会議情報が報道される
 のは異例だ。                ──佐野洋氏
        「日刊ゲンダイ」4月9日付(8日発行)より
―――――――――――――――――――――――――――――
 小沢については、昔から岩手県の公共工事に関して天の声を出
して違法な献金を受けているという噂を立てられていますが、今
までそういうことで本人が検察の取り調べを受けたのは、今年の
2回の事情聴取だけです。それで不起訴になっているのです。小
沢は、田中、竹下、金丸らのやってきたことをよく見ており、そ
れを反面教師にして今まで政治活動をやってきています。本人の
いうように不法はやっていないと考えます。
 日本人は今まで「検察のやることは正しい」という絶対的な価
値判断でことの善悪を決めています。しかし、今回の小沢事件ば
かりは、検察のやっていることには疑問符がつきます。それを裏
付けているのが、最近の冤罪事件の多さです。これらのケースは
起訴どころか、裁判をやって有罪判決を言い渡し、何十年も収監
したあげく無罪なのです。それでも「検察は正しい」といえるで
しょうか。検察は何ら責任を取らないし、謝罪すらしない。
 まして小沢の場合は不起訴になっているのです。推定無罪とい
う原則に立てば、報道各社がしつこくいつまでも政治とカネで小
沢を責めるのは間違っています。
 確かに秘書が逮捕されていますが、起訴事実は本来は指導して
訂正させているケースを有罪にしようとしているのです。それに
秘書を逮捕するのは検察のやることですから、小沢としてはどう
することもできないのです。それにまだ結果が出ていない。そう
いう状況でとくに身内の民主党内や味方の団体からの根拠のない
批判はとても見苦しいものです。 ――─[小沢一郎論/69]


≪画像および関連情報≫
 ●小沢氏不起訴の検事から事情聴取
  ―――――――――――――――――――――――――――
  小沢一郎民主党幹事長の資金管理団体「陸山会」の土地購入
  をめぐる収支報告書虚偽記入事件で、東京地検特捜部が小沢
  氏を不起訴としたことの当否を検討している検察審査会が捜
  査を担当した検察官から意見聴取したことが6日、関係者へ
  の取材で分かった。捜査資料なども検討した上で、近く議決
  するとみられる。小沢氏を政治資金規正法違反の罪で告発し
  た市民団体が2月、不起訴を不服として審査を申し立ててい
  た。審査会は非公開。「起訴相当」か「不起訴不当」と議決
  すれば特捜部が再捜査する。昨年5月に改正検察審査会法が
  施行され、「起訴相当」の場合、検察側が再び不起訴にして
  も、あらためて審査会が検討。その結果「起訴すべき」と議
  決すれば東京地裁指定の弁護士が強制起訴することになる。
               ──4月7日付、山陽新聞より
  ―――――――――――――――――――――――――――

佐野洋氏.jpg
佐野 洋氏
posted by 平野 浩 at 07:54| Comment(1) | TrackBack(0) | 小沢一郎論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年04月14日

●「民主党は単独過半数を取れるのか」(EJ第2794号)

 続々と新党が誕生しそうな雲行きです。こうなることはある程
度は予測されたのですが、ここにきて民主党の支持率が下がって
どうやら民主党の単独過半数は厳しいと思われること、それに自
民党の支持率も低迷しているという状況を読んで、第3極として
その受け皿を狙いに雨後の竹の子のように続々と新党が誕生して
いるのです。
 みんなの党の代表である渡辺喜美氏は、与謝野・平沼新党──
「たちあがれ日本」について次のようにコメントしています。
―――――――――――――――――――――――――――――
 与謝野さんや平沼さんに共通するアジェンダは見つからない。
 一致する点は「大きな政府」を掲げている点ですが、それでは
 自民より民主に近い。(中略)(与謝野さんや平沼さんの新党
 づくりを)有権者は自民党の中のゴタゴタと捉えているという
 ことです。とすると、自民にとってはマイナスで、相対的に民
 主にとってプラスということでしょう。
             ──『週刊新潮』4月15日号より
―――――――――――――――――――――――――――――
 これに対する民主党も政権交代後の状況を冷静に見ていると、
ひとつの政党でありながらはっきりと意見の違うグループが拮抗
している状況にあります。4月9日付の「朝日新聞」は、「民主
党は別種の連立政権」であるとして、次のように書いています。
―――――――――――――――――――――――――――――
 民主党は別種の「連立」政権になりつつある。業界団体を束ね
 て組織選で過半数を狙う小沢と国民新党代表・亀井静香とのい
 わば「小沢・亀井」勢力と、その路線に異を唱える仙石、枝野
 前原ら反対勢力との「連立」だ。
         ──2010年4月9日付「朝日新聞」より
―――――――――――――――――――――――――――――
 確かに民主党内の2つのグループ──小沢親派対反小沢は、完
全に水と油であり、ひとつにまとまって行動するのは困難である
と思います。民主党自体の支持率が高く、ものごとが順調に進ん
でいるときは沈静化しているものの、現在のように、支持率が下
がってくると、たちまち小沢批判が飛び出すのです。
 このような状況において、小沢幹事長は、一体何を考えている
のでしょうか。
 小沢には年齢からいっても時間が限られているので、あくまで
も参議院選での単独過半数獲得を狙っています。しかし、達成で
きるのかどうかは微妙なところです。
 小沢の読みとしては、民主党候補が2人立つ選挙区は激戦区に
なり、各候補がしのぎを削ることになります。その結果、2人区
でたとえ1人しか当選できなくても、支持層が拡大し、比例代表
の民主党票は増えると読んでいるのです。それはさらに次の衆議
院選にもつながる基盤になります。
 しかし、2人擁立はリスクも高いのです。それは1998年の
橋本政権下の自民党の惨敗です。このとき自民党は参議院での単
独過半数回復を狙って大勝負に出たのです。当時の自民党の選対
責任者である野中広務幹事長代理は、複数擁立を関係県連に求め
たのです。
 しかし、作戦は完全に裏目に出て、東京、埼玉、神奈川、愛知
で共倒れし、1人に絞った大阪を含めて改選数3以上の大都市部
の5選挙区で全敗したのです。なお、この自民党が落とした5選
挙区において結党間もない民主党は6議席、第三勢力の共産党は
5議席を獲得しているのです。懸念されるのは、当時の政治状況
と現在の状況が大変似ていることです。
 問題は選挙の戦い方にあります。昨年の衆議院選での民主党の
大勝利は、けっして「風」だけで勝ったわけではなく、足が地に
着いた緻密な小沢流の選挙がものをいったのです。今回も、もち
ろんそれが縦横に展開されるはずです。まして民主党は今回は与
党であり、自民党から切り崩した組織の支援も期待できるので、
少なくとも橋本政権下の参議院選とは大きく違っています。
 ここで、前掲の4月8日付の「朝日新聞」では今年の1月11
日の時点での今日の政治を見通す次の対照的な2つの投書が出て
いるのでご紹介しておきます。
―――――――――――――――――――――――――――――
 『山形の64歳男性』
 1.民主党の「衆参の単独過半数」確保と「官僚体制という悪
   弊」の破壊を望み、民主党の小沢一郎幹事長に「壊し屋」
   の本領発揮を望む
 『京都の70歳男性』
 2.民主党に「独断専行」の危惧を抱き、参院選で民主党の第
   1党は支持しても「単独過半数までは認めてはならない」
   と断じ、併せて少数政党の役割に期待する
         ──2010年4月9日付「朝日新聞」より
―――――――――――――――――――――――――――――
 民主党内の反小沢派は、「過半数割れは小沢氏から主導権を奪
う」チャンスであると考えています。これではまるで党内権力闘
争そのものです。
 おそらく民主党が単独過半数割れという事態になると、小沢は
幹事長を下りるはずです。しかし、そうなったときは、民主党は
大きな危機を迎えるはずです。どういうことかというと、小沢は
かなりの数に達する親派議員を引き連れて民主党を離党し、他の
いくつかの政党と連立を組んで再び政権奪取を狙うことが考えら
れるからです。こういう芸当のできる政治家は現在では小沢を除
いていないはずです。
 しかし、それは選択肢のひとつです。小沢としてはもうひとつ
のプランを暖めています。それは「衆参同一選」です。最近の新
党ブームを見ると、その可能性はますます高くなっていると思い
ます。衆議院であれだけの数を持っている民主党がやるはずがな
いと思う人が多いでしょうが、小沢なら躊躇なくやるでしょう。
成算があるからです。       ──[小沢一郎論/70]


≪画像および関連情報≫
 ●みんなの党/渡辺喜美代表語る!
  ―――――――――――――――――――――――――――
  自民党は「官僚依存」で、民主党は「組合依存」。その官僚
  と組合は裏でつながっていて、なれあいの関係にある。した
  がって民主党が政権をとっても、(2月19日に閣議決定さ
  れた)公務員制度改革案に典型的にあらわれているように自
  民党時代よりも腰がひけている。我々は徹底した改革を進め
  る立場ですから、民主党の「偽装改革」ぶりがすぐ目につい
  てしまうわけですよ。我々も「脱官僚」「地域主権」と言っ
  てきましたが、民主党が政権をとってみたら改革は不徹底。
  これはただ単に時間がないからというのではなくて、構造的
  なしがらみが邪魔をしているということが、徐々に明らかに
  なってきたと思いますね。
      http://www.j-cast.com/2010/03/13061882.html?p=2
  ―――――――――――――――――――――――――――

渡辺喜美/みんなの党代表.jpg
渡辺 喜美/みんなの党代表
posted by 平野 浩 at 04:16| Comment(1) | TrackBack(0) | 小沢一郎論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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