願いします。
私はかねてから政治家小沢一郎氏(以下、敬称略)に関心があ
ります。その理由は多々ありますが、直接的には私の生涯研究テ
ーマである生保営業論――現在それは危機に瀕している――にお
いて、いわゆるオザワ選挙戦略がそのまま使えるからです。
今や現在小沢一郎は与党民主党の幹事長――したがって、小沢
を知ることは今後日本がどうなっていくかを知ることにつながり
ます。そこで、EJでは、今年の第1テーマを「小沢一郎論」に
したいと思います。
問題は、小沢一郎論をいかにして政治ジャーナリズムとは違う
かたち――EJスタイルで書くかです。何しろ新聞に小沢の話題
が出ない日はほとんどなく、週刊誌は特集を組み、書店には小沢
本が溢れています。しかし、真実の小沢一郎に迫っているものは
きわめて少ないと思うのです。
剛腕・独裁者・権力主義者・金権主義者など、多くの小沢の虚
像がマスコミによって作り上げられています。どれが本当の小沢
像なのか――EJのスタイルで迫ってみたいと思います。
昨年の12月31日の日本経済新聞に次の記事が出ていたのを
ご存知でしょうか。
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≪小沢氏発言で波紋≫
「下地島には空港があるんだよな」。出席者によると、民主党
の小沢幹事長は29日夜、与党3党の幹事長、国会対策委員長
らを集めた会合で指摘した。下地島には民間航空会社が離着陸
などの訓練に使用する3000メートル級の滑走路がある。こ
の滑走路を活用できないかと提案したという。
――2009年12月31日付、日本経済新聞
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実は小沢幹事長が沖縄の普天間基地問題で発言したことが報道
されたのは、これが初めてのことなのです。国の政策には口を出
さないと明言した小沢幹事長ですが、本心はどのように考えてい
るのでしょうか。
この「普天間移設問題」――非常にヘンなやり取りが行われて
いるとは思いませんか。普天間基地の移設先をグアムにするとい
う案を口にする人がいます。北沢俊美防衛相がそのための視察に
出かけたり、今度は社民党が視察団をグアムに送り込むという話
も出ています。
しかし、グアムは米国領なのです。外国なのです。したがって
米軍の普天間基地の移設先を米国領のグアムにするというのは、
日本側の出す提案としてはヘンな話です。ヘンな話というより、
米国にとって失礼な話でもあります。そんなことをいうよりも、
普天間基地の海兵隊は丸ごとグアムに引き上げて欲しいという方
がよほど筋が通っています。
しかし、誰もその矛盾を指摘する人がいないのです。どうして
なのか。いや、たった一人いました。12月27日の「サンデー
・プロジェクト」で、東京財団の上席研究員の渡部恒雄氏(渡部
恒三氏の子息)がそうです。彼は、移転先をグアムと主張する福
島社民党党主に対し、こういったのです。
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福島さんは移転先はグアムとおっしゃるが、グアムはアメリカ
なのです。アメリカが承知しなければどうにもならない。
――渡部恒雄氏
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普天間の移転先が下地島とか硫黄島とかいう日本領ならまだわ
かるのですが、なぜ、グアムなのでしょうか。テレビで討論して
いる人はみんな知っているのに誰も積極的には話そうとはしない
で議論している――実にわかりにくい話です。なぜ、話そうとは
しないのでしょうか。このあたりのことをはっきりさせるには、
そもそも普天間基地がなぜできたのかまで遡る必要があります。
普天間飛行場は、1945年4月に沖縄本島に上陸した米軍が
日本本土決戦に備えて、戦火で焼け野原になっていた宜野湾市中
心部の台地に、急ごしらえで作った飛行場なのです。
しかし、日本が降伏したので、普天間飛行場は戦後5年間、米
軍基地として放置されてきたのです。この5年間に市民が戻って
きたのですが、基地内の土地に住んでいた人々は土地は強制的に
借り上げられていたので、仕方なく基地の周辺に住み始めるよう
になったのです。
重要なことは、この普天間基地は戦後5年間使っていなかった
ことなのです。そのため、避難先から戻ってきた市民はまるで基
地に寄り添うように住宅を建てて住むようになったことです。
普天間と事情の違うのは、普天間の北方の嘉手納基地です。こ
ちらは沖縄上陸時から基地として米軍は使っているのです。とこ
ろが市民が避難先から戻ってきたので、飛行場の後背地を弾薬庫
用地として広大に強制借り上げ、市民の安全を図るためのクリア
ゾーンを設けているのです。しかも、嘉手納基地は滑走路の前面
は海であり、安全性は高いといえます。
しかし、1950年に朝鮮戦争が起こると、今まで使っていな
かった普天間基地を米軍は使い始めたのです。ところが、周りに
家がびっしりと建っているので、クリアゾーンがとれないうえに
滑走路は海と平行しているのです。米軍自身も普天間の危険性は
十分認めて認めているのです。
日米両政府は、戦略上の立場から日本全土に展開していた米軍
海兵隊のほとんどを沖縄に移動させたのです。この移動は、19
71年の沖縄返還の直前にまさに駆け込み的に行われたのです。
このときの日米の力関係からいうと、日本政府はこれを受け入れ
ざるを得なかったのです。
すなわち、日本政府としては、沖縄が米軍の占領下にある間に
本土の海兵隊を沖縄に移駐してもらい、沖縄の本土復帰時には、
「沖縄は米軍基地の島」という既成事実を作り上げたといってよ
いのです。 ―――[小沢一郎論/01]
≪画像および関連情報≫
●「海兵隊」とは何か
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アメリカ海兵隊はアメリカ合衆国の法律の規定に基づき、海
外での武力行使を前提とし、アメリカ合衆国の権益を維持・
確保するための緊急展開部隊として行動する。また、必要に
応じて水陸両用作戦――上陸戦を始めとする軍事作戦を遂行
することを目的とする。本土の防衛が任務に含まれない外征
専門部隊であることから「殴り込み部隊」とも渾名される。
――ウィキペディア
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普天間基地