2008年06月09日

●ドルは基軸通貨を保てるか(EJ第2342号)

 原油の問題を52回書いてきて気がついたことがあります。そ
れは原油高騰の裏側で金も高騰していることです。それも相当急
ピッチで値を上げてきているのです。
 実は金の国際相場の上昇は現ブッシュ政権成立直後の2001
年4月頃から始まっているのです。2007年秋頃からそれが急
ピッチになり、遂に2008年3月中旬に「1オンス=1000
ドル」を突破しているのです。もちろん史上はじめてです。
 エコノミストたちの分析によると、金の高騰はサブプライム問
題の影響で世界の過剰流動性マネーが金に流れ込んだことと、中
国やインドの実需の増加などによるものであるとしていますが、
これは原油高騰と同じ構図というようになります。しかし、本当
にそうなのでしょうか。
 原油はともかくとして、金相場の高騰に関しては相当深いウラ
があるようなのです。そこで、金相場を中心に国際経済を見ると
という視点があってもよいと考えて、少しずつ関連の本を集めて
きたのですが、金に関する本はきわめて少なく、果たしてどこま
で掘り下げられるかは不明ですが、今日から次のタイトルで金の
問題を追及していくことにします。
―――――――――――――――――――――――――――――
  「金」をコントロールする米国の長期金融戦略を探る
   ―― このままでは日本は3度の敗戦になる ――
―――――――――――――――――――――――――――――
 なお、今回のテーマに関連のあるテーマを過去にEJで取り上
げていますので、あわせて読んでいただきたいと思います。
―――――――――――――――――――――――――――――
 『日米経済関係の謎』/全20回
 2006年3月31日/EJ第1806号〜2006年4月
 28日/EJ第1826号
 http://electronic-journal.seesaa.net/article/15838071.html
―――――――――――――――――――――――――――――
 さて、原油高が止まらないということは「ドル安」が進んでい
るということを意味しています。一部のエコノミストによると、
米国のサブプライム問題はこの先一層深刻化してドルは暴落し、
米国のドル覇権は失墜するという論調が盛んです。しかし、本当
にそうなるでしょうか。
 産経新聞社編集委員の田村秀男氏は、ドルの暴落について次の
ように述べています。
―――――――――――――――――――――――――――――
 「ドル暴落」が実際に起これば、米国は全世界に張り巡らせた
 軍事基地を維持できなくなる。値打ちがどんどん下がるドル札
 を那覇、横須賀あるいは東京六本木のバーやホテルで受け取っ
 てもらえなくなったら、また、基地の家族がドル建ての給料で
 暮らせなくなったときどうなるかを想定すればよい。何よりも
 基地が物資を調達できなくなったとき、米国は海外での軍事力
 を事実上失う。そんな事態をだれも望んではいない。よくも悪
 くも、米国の金融・軍事パワーが世界を経営しないと、自国や
 周辺を安定させられない。         ――田村秀男著
   『経済で読む「日・米・中」関係/国際政治学入門』より
                    扶桑社新書/031
―――――――――――――――――――――――――――――
 「ドル暴落」と簡単にいいますが、もし、いま起こったとした
ら大混乱になることは必至です。したがって、遠い将来のことは
別として現時点で「ドル暴落」を望む世界の指導者は一人もいな
いといってよいと思います。
 確かにロシアの新大統領メドベージェフ氏は「資源をルーブル
で決済すると宣言しましたが、基軸通貨のドル体制を崩そうとは
考えていないはずです。どこの国も目先の自国の繁栄を考えてい
るからです。中国にしてもインドにしても同様です。
 中国やインドは、できる限りドルに対して自国通貨を大幅に上
昇させまいとして、ドルを買い上げ、米国債の購入を続けていま
す。もちろん日本も同様です。いずれも自国通貨に対するドルの
安定を少なくとも現時点では強く望んでいるのです。したがって
そう簡単にドル暴落は起こらないのです。
 原油価格はドルで表示されています。これによってドルの力が
裏打ちされ、強くなっているといえるのです。つまり、原油はか
つての金本位制時代の金にも相当する存在なのです。
 これに正面から逆らった最初のアラブ産油国はサダム・フセイ
ンのイラクだけです。1999年にユーロが誕生すると、フセイ
ンは2000年に原油の決済通貨をユーロに変更します。そして
2003年のイラク攻撃のあと、米国はイラク原油の決済通貨を
ユーロからドルに戻しています。
 また、2007年にイランが、原油のドル決済完全に停止と宣
言し、現在のところユーロと円で決済しています。しかし、欧州
はそれに対応せずにドルを維持しています。現時点においても、
米国によるイラン攻撃の噂が消えないのはそのあたりにも原因が
あるといわれています。
 ここでわれわれは「基軸通貨」というものの持つ意味を改めて
考える必要があると思います。現在のドルは金の裏付けのない単
なる紙切れに過ぎないものです。しかし、その紙切れで米国は世
界中から必要なものを何でも買えるのです。
 原油はドルで決済することになっていますので、原油を購入す
るときは、自国通貨でドルを買い、そのうえで購入するという面
倒なことを強いられるのです。
 米国の場合、もし、ドルが足りなければ印刷すればよいわけで
米国はこれによって、世界中から巨大な富を集めることができる
のです。それはドルが基軸通貨であるからできることなのです。
 したがって、米国が一番恐れるのは、ドルの刷り過ぎによって
インフレになることです。インフレになるとドルの価値は下がっ
てしまうからです。したがって、FRBはそうならないようあら
ゆる手を打っています。       ―― [金の戦争/01]


≪画像および関連情報≫
 ●「基軸通貨」とは何か
  ―――――――――――――――――――――――――――
  英ポンドは19世紀半ば以降、国際金融の中心地としてのイ
  ギリスの強力な立場を背景に基軸通貨としての役割を担って
  いたが、第一次世界大戦で欧州各国は経済が疲弊し逆にアメ
  リカは戦争特需で経済が急成長したため、基軸通貨が機能面
  で英ポンドから米ドルへ移り、第二次世界大戦後はアメリカ
  がIMF体制の下で各国中央銀行に対して米ドルの金兌換を
  約束したこと及びアメリカの経済力を背景に米ドルが名実共
  に基軸通貨となった。欧州単一通貨・ユーロが将来的に米ド
  ルと並ぶ基軸通貨に成長するとの見方もあるが、対外取引の
  80%以上が米ドルで行われていることから、現在のところ
  の実質的な基軸通貨としての地位は揺らいでいない。
                    ――ウィキペディア
  ―――――――――――――――――――――――――――

田村秀男氏の新刊書.jpg
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2008年06月10日

●金の動きにかかわる3つの年(EJ第2343号)

 次の3つの年が何を意味しているかわかるでしょうか。それは
「金」をめぐる重要な動きに関係があるのです。
―――――――――――――――――――――――――――――
            1933年
            1944年
            1971年
―――――――――――――――――――――――――――――
 1933年3月8日のことです。フランクリン・ルーズベルト
米大統領は就任最初の記者会見で次のようにいっています。
―――――――――――――――――――――――――――――
   金本位制には手をつけない。金本位制は安泰である
―――――――――――――――――――――――――――――
 ルーズベルト大統領は、直ちに緊急銀行法を上下両院で可決・
成立させたのです。そしてこの法律に基づき、大統領は経済を支
配できる次のような強力な権限を得ているのです。
―――――――――――――――――――――――――――――
 1.財務長官に、金貨、金塊、証券の引き渡しを要求する権限
   を与える
 2.大統領に、金銀の輸出・退蔵を規制あるいは禁止する権限
   を与える
―――――――――――――――――――――――――――――
 どうしてこのような法律を成立させたのかについては理由があ
ります。当時大恐慌が米国全土を襲い、経済の崩壊に怯えた米国
人は資本を海外に移したり、金に換えたりしており、物凄い勢い
で米国から金が流出していたからです。
 1933年2月の最後の10日間で8000万ドル、3月の最
初の4日間で2憶ドル以上の金が消失していたのです。ルーズベ
ルト大統領が3月初めの記者会見で「金本位制は安泰である」と
いったのも、このような深刻な事態を何としても乗り切りたいと
考えたからなのです。
 1933年4月18日、ルーズベルト大統領は次のような大統
領令を発したのです。
―――――――――――――――――――――――――――――
 全国民はすべての金貨、金証券、金塊を銀行へ提出し、紙幣
 または銀行預金と交換すべし        ――大統領令
―――――――――――――――――――――――――――――
 この時点で金の価格は、それまでの「1オンス=20.67 ド
ル」から「1オンス=35ドル」に引き上げられたのです。金の
単位は正確には「トロイオンス(単にオンスと略す)」というの
ですが、質量は約31グラムです。ちなみにトロイとは、中世に
おいて重要な商都であったフランス・シャンパーニュ地方の町ト
ロイに由来するのです。
 フェルディナント・リップスという人がいます。実はこの名前
はこれから何度も登場してくることになりますが、「金の戦争」
という言葉を最初に使った人がこのリップスなのです。
 リップスは1931年にスイスで生まれた銀行家であり、19
68年にチューリッヒ・ロスチャイルド銀行の設立にかかわった
人物といわれています。
 リップスによると、金の戦争はルーズベルト大統領の1933
年の大統領令からはじまったというのです。それではなぜ、金の
戦争なのでしょうか。
 米国は米国市民からこの大統領令によって金を押収し、以後の
個人による金保有と売買を禁じています。つまり、これは国家に
よる金の管理そのものであり、まさに非常事態であって、戦争と
いってよいといえます。なぜ、金の戦争なのかはこのあと次第に
明らかになっていきます。
 戦争には武力によるものだけではなく、政治による政治戦争、
経済による経済戦争もあります。なお、ここでいう金の戦争――
これは政治および経済の戦争をミックスしたものといえます。
 第2の1944年とは何でしょうか。
 1944年は、米ニューハンプシャー州の保養地のブレトン・
ウッズにおいて、英国のジョン・メイナード・ケインズと米財務
長官であるハリー・デクスター・ホワイトによる迫真の協議を通
じて生まれた新しい通貨体制――ブレトン・ウッズ体制が誕生し
た年なのです。
 このとき、英国のケインズは、圧倒的な国力を背景とする米国
のホワイトに完敗したのです。これに関する詳細は、EJ第18
11号とEJ第1812号の次の記事をご覧ください。
―――――――――――――――――――――――――――――
◎EJ第1811号
http://electronic-journal.seesaa.net/article/16254304.html
◎EJ第1812号
http://electronic-journal.seesaa.net/article/16372704.html
―――――――――――――――――――――――――――――
 このブレトン・ウッズ体制によって、「世界銀行」と「IMF
/国際通貨基金」が誕生しています。この新しい体制を支えたの
は、世界の貨幣用金の75%を占める米国の金保有量――2万ト
ンをはるかに超える量――であったのです。
 この体制によって米国のドルが固定レートとなり、自由に金へ
と交換できることになったのです。この新体制は1946年5月
に正式に発足しています。
 それでは、最後の1971年とは何でしょうか。
 1971年8月15日のことです。基軸通貨国として世界に君
臨していた米国は、ドルと金とのリンクを断ち切ると宣言したの
です。いわゆる「ニクソン・ショック」が起こった年です。
 ブレトン・ウッズ体制からニクソン・ショックまでの27年間
に一体何があったのでしょうか。それと、さらにそれから37年
間――米国はどのように変化したのでしょうか。
 それを「金の動き」という視点から追跡して行きたいと考えて
おります。             ―― [金の戦争/02]


≪画像および関連情報≫
 ●金の単位――トロイオンスについて
  ―――――――――――――――――――――――――――
  トロイオンスは、貴金属や宝石の原石の計量に用いられるヤ
  ード・ポンド法の質量の単位である。金衡オンス(きんこう
  オンス)ともいう。トロイオンスは480グレーンに等しく
  常用オンス――487.91 グレーンよりも少しだけ重い。
  現在は1グレーンが正確に64.798 ミリグラムと定めら
  れているので、1トロイオンスは、正確に31.1035 グ
  ラムとなる。常用オンスは28.349 グラムである。貴金
  属(金や銀)の価格設定においてはトロイオンスのみが用い
  られる。日本の計量法でも、金貨の質量の計量に限定してト
  ロイオンスの使用が認められている。
                    ――ウィキペディア
  ―――――――――――――――――――――――――――

フランクリン・ルーズベルト大統領.jpg
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2008年06月11日

●基軸通貨システムは長続きできない!?(EJ第2344号)

 ブレトン・ウッズ体制がスタートした1940年代――その頃
の米国には世界の金のほとんどが集まり、経済も絶好調であった
のです。何しろ圧倒的な金をベースにして発行されるドルは、金
と同等の価値があったのです。そのため、このブレトン・ウッズ
体制のことを「金・ドル本位制」と呼ぶのです。
 しかし、それまでの基軸通貨であるポンドを押しのけてドルを
世界に、とくにヨーロッパにおいて広げるのは、そう簡単なこと
ではなかったのです。
 そこで、1940年代から50年代にかけて、それまでに貯め
込んだ膨大な貿易収支の黒字をヨーロッパ中心に対外投資に注ぎ
込むことによって、米国は資本輸出国として絶対的な地位を築い
て行ったのです。
 この経験を通じて米国は対外投資が一定の政治的パワーを生み
出すことを学習していたのです。1956年に勃発したいわゆる
スエズ戦争において、そういう米国のパワーを垣間見ることがで
きます。
 第2次中東戦争/スエズ戦争は、普通の歴史のテキストでは次
のように記述されています。
―――――――――――――――――――――――――――――
 1956年、国民投票で大統領に就任したナセルは、スエズ運
 河会社の国有化を宣言。これに対して英仏などの西欧圏やイス
 ラエルは動揺する。英仏は運河の無料通航を要求してエジプト
 侵攻を決意。この危機に対して国連安保理事会は英仏の拒否権
 で機能せず、英仏は10月29日、ナセル打倒に向けてエジプ
 トに軍事侵攻、続いて英仏両軍がスエズ地区に出兵した。11
 月1日の国連緊急総会はスエズ運河国有化の正当化と即時停戦
 を決議、英仏のエジプト侵攻を非難。国際世論に屈した英仏と
 イスラエルは遂に侵攻を断念し、1957年3月までに撤退し
 た。ナセル・エジプトを代表とするアラブ民族主義の大勝利で
 あった。これによりスエズ運河国有化は完成し、スエズ運河は
 エジプトのもとで運営されることが決まった。これが第2次中
 東戦争、すなわち「スエズ戦争」の概要である。
―――――――――――――――――――――――――――――
 この戦争の顛末を見ると、英仏軍がいかにもあっさりと撤退し
たことが奇異に感じられます。しかし、これには歴史の表面には
出ないウラの事情があるのです。
 英仏軍が撤退した本当の理由は米国の働きかけによるものなの
です。このとき米国は英仏によるエジプトへの干渉に強硬に反対
し、もし英国が応じないときは、米国が保有する英国債を全額売
却すると警告したのです。
 そのとき米国は膨大な額の英国債を保有しており、それが売却
されると、どのような恐ろしいことになるのか英国はわかったの
で、フランスを説得して軍を引いたのです。そのとき米国は軍事
力のみならず、マネー・パワーもまた国際的政治力を発揮する有
効な手段になり得ることを確認したのです。
 しかし、ブレトン・ウッズ体制には大きな欠陥があり、いずれ
破綻をきたすことを英国を代表してあのブレトン・ウッズで米国
のホワイトと交渉したケインズは早くからそれを見抜いていたと
いわれます。ケインズに関しては次のような話があるのです。
―――――――――――――――――――――――――――――
 米国での難しい交渉と長い船旅を終え英国に降り立ったケイン
 ズと、取り巻いた新聞記者の間で交わされたというやり取りが
 今に伝えられている。
 「ケインズさん、あんたは英国を、アメリカの49番目の州に
 しちゃったって、もっぱらの噂です。ほんとなんですか」
 アラスカ、ハワイが連邦入りし州になるのは1959年のこと
 だから、当時のイギリスが合衆国に組み入れられるとしたら、
 「49番目」の州となる計算である。ケインズは聞かれてあっ
 さり、こう答えたそうだ。
 「ああ、そういう幸運には恵まれないね」――ずいぶんと皮肉
 がきいている。――谷口智彦著、『通貨燃ゆ/円・元・ドル・
         ユーロの同時代史』より/日本経済新聞社刊
―――――――――――――――――――――――――――――
 新聞記者の質問に対して「ああ、そういう幸運には恵まれない
ね」と答えたケインズ――英国が米国の49番目の州になるとい
う「幸運」は訪れないという意味をこめてそういったのです。既
にこの時点でケインズはこの制度が長く続かないことがわかって
いたのです。
 ブレトン・ウッズ体制は、誰もが予想しなかったほどその失墜
は早く訪れたのです。この点に関して、ブレトン・ウッズ体制に
は基本的な制度設計に欠陥があると見るのが、今日まで世界の学
界における通説となっています。
 その基本的な制度上の欠陥とは、基軸通貨国というのは必然的
に国際収支が赤字とならざるを得ない仕組みになっているという
ことであり、俗に「トリフィン・ジレンマ」という理論で知られ
ているのです。要約すると次のようになります。
―――――――――――――――――――――――――――――
 基軸通貨は基軸通貨国の国際収支赤字によってのみ外国人に供
 給され、その国際収支赤字は基軸通貨の信認を低下させるから
 基軸通貨の供給量(対外供給残高)拡大と信認継続とは両立し
 えない。   ――谷口智彦著、『通貨燃ゆ/円・元・ドル・
         ユーロの同時代史』より/日本経済新聞社刊
―――――――――――――――――――――――――――――
 要するに、ドル紙幣を刷ることは世界経済の規模を拡大するた
めに不可欠なことであるけれども、それをすればするほど赤字の
垂れ流しが起こり、ドルの信認に傷がつく――したがって、その
ような制度は長続きしないというものです。これが「トリフィン
・ジレンマ」です。
 しかし、この学説には強い反論があり、大きな議論になってい
るのです。             ―― [金の戦争/03]


≪画像および関連情報≫
 ●トリフィン・ジレンマとは何か
  ―――――――――――――――――――――――――――
  トリフィン・ジレンマ――「アメリカの双子の赤字の拡大」
  と「基軸通貨ドルの下落傾向」の矛盾は、益々拡大している
  といわざるを得ません。それどころか矛盾解消の処方箋とし
  てトリフィンが為替調整策とともに嫌った外国為替国際市場
  に身を任せる、所謂市場原理主義が幅を利かせ暴走する「変
  動相場制」が採用され、その弊害がトリフィン・ジレンマの
  矛盾を拡大再生産しているのが現状です。「サブプライムロ
  ーンの焦付き」と「原油高の高騰」が、ヘッジファンドなど
  投機マネーの暴走に力を借り、トリフィン・ジレンマは益々
  加速しています。
    http://kerukamo.blog115.fc2.com/blog-entry-108.html
  ―――――――――――――――――――――――――――

ブレトン・ウッズでのケインズ.jpg
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2008年06月12日

●「トリフィン・ジレンマ」と松井理論(EJ第2345号)

 前回のEJでお話しした「トリフィン・ジレンマ」のトリフィ
ンとは、ロバート・トリフィンというベルギー生まれのイェール
の経済学者です。ブレトン・ウッズ会議でのケインズ理論に関連
する国際金融政策で有名になった人です。
 この世界の学界で通説となっているといわれる「トリフィン・
ジレンマ」について真正面から堂々と異を唱えている日本人の学
者がいます。この学者は、民間銀行出身で、途中から学界に入っ
た松井均氏――東京国際大学教授です。松井理論は今回のテーマ
にも深い関係があるので、既出の谷口智彦氏の著書をベースにし
てご紹介することにします。
 「トリフィン・ジレンマ」――正確には「流動性ジレンマ論」
というのですが、松井均氏はこれを「誤謬の学説」であるとし、
第2次大戦後の米国に、国際収支節度から逸脱する絶好の理論的
口実を与えたと批判しているのです。
 「流動性ジレンマ論」が展開されるトリフィンの主著とは、次
の書籍です。邦訳も出ています。
―――――――――――――――――――――――――――――
       ロバート・トリフィン著/小島清・村野孝共訳
  『金とドルの危機/新国際通貨制度の提案』/勁草書房刊
―――――――――――――――――――――――――――――
 この本の共訳者の小島清氏と村野孝氏といえば、斯界の大御所
的存在の人ですが、松井均氏は彼らの「流動性ジレンマ論」につ
いて、次のように批判しています。
―――――――――――――――――――――――――――――
 たとえば、小島氏は。基軸通貨米ドルが米国の経常収支赤字の
 みによって世界に供給され、しかもそれが基軸通貨制なかんず
 く単一基軸通貨の制度的必然であったと考えておられる・・。
 これは、国内金融にたとえて言うならば「国内で最も大手の市
 中銀行が毎期の損益計算書において営業赤字を記録しなければ
 預金通貨は市中に供給され得ない」と主張するに等しい。
        ――谷口智彦著、『通貨燃ゆ/円・元・ドル・
         ユーロの同時代史』より/日本経済新聞社刊
―――――――――――――――――――――――――――――
 これについて松井均氏は、基軸通貨国は流動性(決済資金)を
供給する市中銀行のように、短期融資や貿易信用供与によって、
世界経済の成長に必要な通貨を供給できるし、それによって赤字
を計上しなければならない必然性など、どこにもないというので
す。松井理論を要約すると、次のようになります。
―――――――――――――――――――――――――――――
 基軸通貨制とりわけ単一基軸通貨制であっても、基軸通貨国が
 国際収支の節度を守り、・・・基礎収支を均衡ないし黒字に保
 ち、派生的発行(短期貸付け)によって基軸通貨を対外供給す
 れば、基軸通貨の信認維持と対外供給量拡大とは両立可能であ
 り、ジレンマが生ずべき必然性は存在しない。
        ――谷口智彦著、『通貨燃ゆ/円・元・ドル・
         ユーロの同時代史』より/日本経済新聞社刊
―――――――――――――――――――――――――――――
 この松井理論――1990年代末〜2000年代初頭にかけて
日本で実施された金融の「量的緩和」政策の是非をめぐる議論に
おいても登場したのです。
 2000年の前後において、日本ではデフレが進行しており、
その対策として、大方のエコノミストは「マネーの総量を増やす
政策」をとるべきであると主張したのです。
 問題は、マネーの総量を増やす政策のマネーとは、どういうマ
ネーなのかということをめぐって、経済学者と日銀・銀行エコノ
ミスト意見は、次の2つに分かれたことです。
―――――――――――――――――――――――――――――
 1.ここでいうマネーは「ベースマネー」のことであり、日銀
   がそれを行うべきである ← 通貨学派
 2.企業などの民間経済主体の経済行為によって生み出される
   マネーを増やすのである ← 銀行学派
―――――――――――――――――――――――――――――
 両学派の意見は噛み合わず、実際に行われたのは日銀当座預金
残高を積み上げる――要するにベースマネーの積み上げに目標を
定める「量的緩和」政策が長く続くことになったのです。しかし
その効果については今一つ不明確のままになっています。
 これに対して松井理論――銀行学派の考え方は、具体性であっ
てわかりやすいのです。松井均氏によると、近代的な金融市場に
おける通貨発行の順序は「まず、預金通貨が発行され、その後に
現金通貨――ベースマネーが発行されるのであって、その逆はあ
り得ない」というのです。
 しかし、実際に行われたのはその逆の方であり、預金通貨の発
行に結びつかなかったのです。松井均氏は、マネーの総量を増や
すには、例えば、市中銀行が積極的に必要な短期融資などを行い
持ち込まれた手形が銀行によって割り引かれ、手形を持ち込んだ
企業の預金口座に融資相当残高が増えたとき、預金通貨はつくら
れたのです。中央銀行からのベースマネーが供給されるのはその
後のことであるべきというのです。
 この松井理論に立つと、米国は基礎収支――いわゆるプライマ
リーバランスを健全に維持しながら、フルに銀行機能を発揮する
ことによって、世界に成長・決済通貨を供給する基軸通貨国とし
ての責任を果たせることになります。つまり、ニクソン・ショッ
クは防げたかもしれない――松井氏はこう主張するのです。
 しかし、これはあくまで学者の理論上の話であって、理論的に
どんなに誤りがあったとしても、当時の米国の指導者――すなわ
ち、政治家たちの間では、トリフィンの「流動性ジレンマ論」は
幅広く信じられていたのです。
 まして、ブレトン・ウッズ体制は、今と違って金の裏付けのあ
るドルを扱っており、堅実そのものと考えられます。それでも崩
壊した理由は何なのでしょうか。    ― [金の戦争/04]


≪画像および関連情報≫
 ●「ベースマネー」とは何か
  ―――――――――――――――――――――――――――
  ハイパワードマネーとは、現金通貨と民間金融機関が保有す
  る中央銀行の預け金の合計のこと。日銀の統計では、マネタ
  リーベースと呼ばれており、実際に金融業界でもこの名称が
  使われる。ベースマネーとも呼ばれる。現金通貨とは、日銀
  券と硬貨の合計であり、中央銀行の預け金としては、金融機
  関が保有している日銀当座預金残高がこれに当る。マクロ経
  済学の教科書では、中央銀行はこれをコントロールすること
  によって、間接的にマネーサプライを調節することができる
  ため、金融政策の一つの指標とされている。
                    ――ウィキペディア
  ―――――――――――――――――――――――――――

谷口智彦氏の「通貨燃ゆ」.jpg
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2008年06月13日

●金本位制には3つある(EJ第2346号)

 経済でも技術でも現状を正確に把握するには、それぞれの歴史
を振り返ってみる必要があります。同様に、現代世界の通貨問題
を読み解くには、ブレトン・ウッズ体制にいたるまでの歴史的プ
ロセスとブレトン・ウッズ体制崩壊後の金市場の動向を理解する
必要があります。
 ひとくちに「金本位制」といっても、次の3つに分けて考える
必要があります。
―――――――――――――――――――――――――――――
      1.古典的金本位制
      2.ケインズ理論による金本位制
      3.金・ドル本位制
―――――――――――――――――――――――――――――
 3つの違いについて述べることにします。
 「古典的金本位制」とは、1816年に英国が採用した金本位
制のことです。その当時他の国では金ではなく、銀本位制もしく
は金銀本位制を採用しているところが多かったのです。しかし、
銀の価格は安定せず、金銀比価の変動が激しいため、結局、金本
位制が定着したのです。金本位制を定義しておきます。
―――――――――――――――――――――――――――――
 金本位制とは、中央銀行が発行した紙幣と同額の金を常時保管
 し、金と紙幣との兌換を保証する制度である
―――――――――――――――――――――――――――――
 英国は、1816年に次のレートで金本位制をひき、この価格
が、金本位制を停止した1914年までの約100年間にわたっ
て続いたのです。第1次世界大戦前のことです。ちなみに、日本
も1897年に金本位制を採用しています。
―――――――――――――――――――――――――――――
 金/1オンス(31.1035グラム)=
             3ポンド17シリング10ペンス半
―――――――――――――――――――――――――――――
 第1次世界大戦は1918年に終了し、各国は国際通貨制度と
して古典的金本位制にいったんは復帰するのですが、再度停止に
追い込まれます。世界恐慌が起こったからです。
 世界恐慌とは、1929年10月24日にニューヨーク株式市
場(ウォール街)で株価が大暴落したことに端を発した世界規模
の恐慌のことです。
 そのとき米国の舵取りをまかされたのは、1933年3月4日
に大統領に就任したフランクリン・ルーズベルト米大統領です。
昨日のEJでも述べたように、当時は恐慌のため、金が米国から
流失しはじめていたのです。
 ルーズベルトは、まずこれにストップをかけるために「金本位
制は安泰である」とのメッセージを出して米国国民の動揺を抑え
たのです。そのウラで経済を支配する一切の強権を大統領に集中
させる法律を通しています。
 実はこのときルーズベルト大統領に対して助言を与え、その経
済政策に対して理論的にバックアップした人物がいるのです。あ
のジョン・メイナード・ケインズその人です。彼は英国から大統
領のもとへ送り込まれたのです。
 ルーズベルト大統領としては、デフレを抑制し、企業の再雇用
を促進し、落ち込んだ生産水準を上昇させるためにドルの大量印
刷をする必要があったのですが、その政策についてアドバイスし
たのがケインズなのです。
 ルーズベルトは、金の価格を「1オンス=35ドル」に固定す
るとともに、米国の全国民から強制的にすべての金をドル紙幣に
交換させたうえで、金本位制をとったのです。これが「ケインズ
理論による金本位制」です。
 ケインズは自らの経済学について次のように述べています。
―――――――――――――――――――――――――――――
 政府が投資を直接間接に増加させ、完全雇用を実現する経済で
 ある。そのためには、自由放任主義も、均衡財政主義も、金本
 位制も否定されなければならない。そうなれば、新しい体制が
 古い体制に比して平和にとって好ましいものになる。
             ――ジョン・メイナード・ケインズ
―――――――――――――――――――――――――――――
 要するに、ルーズベルトの経済政策――ニューディール政策は
実際上ドルと金の兌換を行わず、保証にとどめたのです。ドルに
金の価値を持たせたといえます。これはいかにもそれから米国が
隆盛を迎えるに当って都合の良い経済学であったといえます。な
お、「ニューディール」というのは、トランプの札の配り直しと
いう意味であり、契約の結び直しを意味するのです。
 「金・ドル本位制」というのは、いうまでもなく、ブレトン・
ウッズ体制のことをいうのです。この「金・ドル本位制」とルー
ズベルトが実施した金本位制とはどこが違うのでしょうか。その
どちらにもケインズがからんでいるからです。
 もともとケインズは国の命を受けて、ルーズベルトの指南役と
して、ドルの突出を抑えるべく乗り込んだのです。既に基軸通貨
としてのポンドの命脈は尽きてはいましたが、ブレトン・ウッズ
会議では、ひとつの提案をもって臨んだのです。
 その提案とは、新たに「国際決算同盟」を作り、その通貨単位
として、「バンコールを創設する」というものです。しかし、こ
れに対して米国の代表であるハリー・デクスター・ホワイトは、
基軸通貨はドルであることを前提に、IMF(国際通貨基金)を
いわばその分身として設立することを主張し、圧倒的な国力を背
景に押し切ったのです。
 しかし、基軸通貨としてのドルは中央銀行の間では、金とのリ
ンクを維持する――英国としてはこれを主張して押し通すのが精
一杯であったといえます。これが「金・ドル本位制」です。
 ケインズとしては、これによって将来のドルの暴走に歯止めを
かけたわけです。  ・・・・・    ― [金の戦争/05]


≪画像および関連情報≫
 ●「バンコール」とは何か
  ―――――――――――――――――――――――――――
  「バンコール」とは、ジョン・メイナード・ケインズによっ
  て提案されたものの実現はしなかった国際通貨。第二次世界
  大戦までに各国が次々と廃止した金本位制に代わり、金など
  30種類の基礎財をベースにして国際的に通用する通貨を発
  行するというもの。しかしながらアメリカ合衆国の合意をと
  りつけることができず、実際には金の兌換性を維持した米ド
  ルを機軸として、ブレトン・ウッズ体制が1971年のニク
  ソンショックまで続くことになる。  ――ウィキペディア
  ―――――――――――――――――――――――――――

ブレトン・ウッズ会議の行われたホテル.jpg
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2008年06月16日

●最初のケインジアン/ジョン・ロー(EJ第2347号)

 金と通貨の問題をお話しするときにどうしても知っておいてい
ただきたいある事件があります。それは、英国が古典的金本位を
始めた1816年のちょうど100年前の事件です。
 1715年に太陽王という異名をとったフランスのルイ14世
が亡くなっています。この当時のフランスは、度重なる戦争の影
響で深刻な財政破綻に瀕していたのです。新しい王となったのは
ルイ15世ですが、わずか5歳の幼少であったため、オルレアン
公フィリップが摂政を行うことになったのです。
 フィリップは遊び人で、たびたびパリのカジノに出没していた
のですが、そこでジョン・ローなるスコットランド人と知り合い
意気投合したというのです。
 このジョン・ローなる人物は大変の頭の良い男であり、とくに
経済理論に通じていたのです。後に英国の新古典派の経済学を代
表するアルフレッド・マーシャルやあのカール・マルクスは、彼
のことを次のように批評しています。
―――――――――――――――――――――――――――――
 ◎アルフレッド・マーシャル
  向こう見ずでバランス欠如だが、実に魅力的な天才である
 ◎カール・マルクス
  詐欺師と予言者の性格を持つ面白い人格的な混合物である
―――――――――――――――――――――――――――――
 もちろん良い評判ではないですが、これらの著名な大経済学者
があえてローについて言及したのは、彼の経済に関する考え方が
ユニークであったことによります。
 カジノでオルレアン公フィリップと知り合ったローは、早速宮
廷にフィリップを訪れて、あるレポートを渡したのです。それは
フランスの経済の建て直しの提案だったのです。それは、とても
カジノの博打打ちとは思えない立派な内容の提案だったのです。
 ローの論文を要約するとこうなります。まず、フランスの経済
が深刻なのは通貨が不足しているからであると原因を指摘したの
です。金貨だけに頼っていたのでは、到底フランスの経済的要請
を満たすことはできないというわけです。
 それではそれをどのように解決するか――それは紙幣の発行以
外には考えられないというのです。何しろ当時は金貨中心の時代
ですから、紙切れの紙幣など信用されないという反論に対しては
英国とオランダを例に出して紙幣の利点を強調し、巧妙なる信用
理論を駆使して、土地を担保にして紙幣を発行することで、フラ
ンスの経済に活力を与えることができると説いているのです。そ
して具体的には次の2つのことを提案しています。
―――――――――――――――――――――――――――――
  1.自分が王家の財産と収入を管理する銀行を設立する
  2.その収入と土地を担保にして銀行券を発行すること
―――――――――――――――――――――――――――――
 このローの提案を見ると、まるでケインズ理論そのものであり
そのため、ジョン・ローのことを「最初のケインジアン」と呼ん
でも差支えないほどに、その内容は現代の管理通貨制度とよく似
ていたのです。
 フィリップはローの提案を取り入れ、1716年に「バンク・
ドゥ・フランス」が設立されたのです。ローは、続いて設立され
た「ミシシッピ」という会社を通して、金と兌換しない不換紙幣
の発行に乗り出したのです。西欧世界はじめてのことです。
 このローの政策によって、フランスの景気は上向きになり、通
商は活発になって、税収は急速に増大したのです。金融活動も盛
んになり、フランス経済は急速に拡大しはじめたのです。本当に
最初の3年間は、まさにローのいうよう通りになったのです。そ
してローは一躍フランス中の尊敬を集める存在になったのです。
 しかし、1720年に金融機関で取り付け騒ぎが起こると、そ
れをきっかけにフランス経済は音を立てて崩れたのです。それは
ヨーロッパ全体の経済危機にまで発展することになります。
 金の裏付けを持たない紙幣の発行は、どうしても加熱すること
になるのです。株取引は劇的に増加し、市場はまさに熱狂状態と
なったのです。市場のこの状況を仔細に分析した複数のベテラン
の投資家たちは、この好況をバブルと見抜いて、保有する株式と
銀行券を一斉に売却したのです。
 経済が崩れだすとローは国外逃亡を企てますが、国境で逮捕さ
れます。そのときに彼が携えていた荷物には金貨と銀貨で一杯で
あったといいます。つまり、ジョン・ロー自身が自分の理論を信
じておらず、ひたすら金貨と銀貨を集めていたのです。
 このようにジョン・ローは一種の詐欺師的存在であったけれど
も彼の経済の考え方は実にユニークであったといえます。彼の有
名な理論に「水とダイヤモンド」というのがあります。
 水は「利用価値」は高いが「交換価値」がなく、ダイヤモンド
はもの凄い「交換価値」を持つけれども「利用価値」はほとんど
ない――これを説明するのに、アダム・スミスは水とダイヤモン
ドでは生産の労働コストにその違いを求めたのに対し、ローは財
の相対的な希少性がその交換価値を作るとしたのです。
 水は自由財に近く、希少性が少ないことから、供給曲線は限り
なく右側にあるので、価格は安いのです。それに対して、ダイヤ
モンドは希少性を持たせるために供給を制限しているので、供給
曲線は左側に抑えられている――これにより、水の価格は安く、
需給点が限りなく右側にあり、ダイヤモンドの価格は高く、需給
点が限りなく左側にあるのです。
 ジョン・ローは、以上のような論法で、貨幣は信用であり、信
用は「取引ニーズ」によって決まってくる――したがって、存在
する貨幣の量は、金の輸入や貿易収支などによって決まるのでは
なく、経済への信用供給によって決まると主張したのです。そし
てマネーサプライは内生的なもので、「取引ニーズ」によって決
まると考えたのです。
 しかし、大失敗をしたフランスは、その失敗に懲りず、財政を
さらに悪化させることになります。   ― [金の戦争/06]


≪画像および関連情報≫
 ●ジョン・ローの貨幣論
  ―――――――――――――――――――――――――――
  ローは貨幣としてそのモノ自体に希少性のある金貨銀貨が用
  いられる時代にあって、貨幣が価値をもつのはその交換性に
  おいてであり、交換の連鎖さえ引き起こせれば貨幣そのもの
  には価値は無くてもよいと考えた。これは貨幣が金や銀との
  交換機能を喪失した20世紀以降の貨幣制度と全く同じ考え
  方である。又、国富を増強するには国内外の交易を活発化さ
  せることであって、貨幣(金銀)を蓄積することそれ自身に
  意味はないとした。         ――ウィキペディア
  ―――――――――――――――――――――――――――

ジョン・ロー.jpg
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2008年06月17日

●ナポレオンと金本位制(EJ第2348号)

 ジョン・ローの口車に乗って国家財政を破綻させたフランスの
その後の状況を少し追ってみます。ローの政策失敗の約50年後
の1775年に米国の独立戦争が起こりますが、まだ財政面での
回復が十分ではないのに、フランスは米国側について参戦し、財
政をさらに悪化させているのです。いうまでもなく米国の独立戦
争は、英国本国――グレートブリテン王国と、米国東海岸の英国
領13の植民地との戦争です。
 フランスの財政の深刻さは尋常ではなく、窮余の一策としてフ
ランス政府がやったのが増税なのです。しかし、この結果、勃発
したのがフランス革命なのです。
 フランス革命の結果誕生したフランス共和国政府は、経済・金
融面においても革命的な改革を実行したのですが、それも失敗に
終わるのです。その象徴は「アシニア紙幣」なのです。ジョン・
ローの失敗に何ら懲りていない証拠であるといえます。
 どういうことをやったのかについて説明します。
 1789年11月、フランス革命政府は教会財産を没収し、司
祭たちの生活費や貧困者救済にあてる財源にしたのです。そして
売却までの当面の措置として、これらの財産を担保として、紙幣
を発行したのです。教会財産は6億ルーブルあり、これは当時の
フランスの国家財政1年分を超えるものでした。
 当初は5%の利子つきの国家債券でしたが、90年からは強制
通用力を持つ不換紙幣となり、10ソル(スー)から1万フラン
(ルーブル)まで数十種類が発行されたのです。
 なぜ、「アシニア紙幣」といわれるかですが、「assigner(ア
シネ)」というのは「金を支払いに当てる」という意味です。国
有財産をアシニアするという意味になります。
 しかし、1992年になって、オーストリアをはじめとする諸
国との革命戦争が勃発すると、その戦費を捻出するため、紙幣が
乱発されるようになったのです。
 当然のことながら、金貨・銀貨とくらべての貨幣価値は大きく
下落したので、政府は、物価統制令や、紙幣を額面どおり使わな
いことの罰則などを出したのですが、インフレーションは進行し
アシニア紙幣の価値は10%を切るようになったのです。そして
1996年3月、遂にこの紙幣の使用を停止せざるを得なくなっ
たのです。
 紙幣は焼却され、印刷機は破壊されたのです。別に印刷機が悪
いわけではないのですが、そうでもしないと国民の怒りは収まら
なかったのです。
 フランス国民は、混乱した政治、進行するインフレ、諸外国の
圧力などで疲弊し、英雄の出現を心から渇望したのです。その結
果出現したのが、ナポレオンなのです。フランスは、秩序への反
動というかたちで、軍人ナポレオンによる政権を誕生させたこと
になります。
 しかし、ナポレオンはなかなかよくやっているのです。ナポレ
オンは、まず法制を改革し、続いて軍隊を再構築したのです。そ
して、急速に治安を回復させています。さらにナポレオンは、紙
幣発行の一切の助言を拒否しており、政府の支出は金もしくは銀
で支払うことに限定し、それを固く守ったのです。
 つまり、ナポレオンはフランスを金本位制に戻し、それは19
14年まで続くのです。こうしたナポレオンの「金を守る」とい
う姿勢はフランスの最も有名な金貨が今でも「ナポレオン」と呼
ばれていることにあらわれています。
 しかし、1914年に第1次世界大戦が勃発するのです。戦争
がはじまると各国政府は金本位制を中断せざるを得なくなるので
す。戦費を調達するには赤字国債に頼らざるを得ず、それだけの
国債を吸収するには金の準備高と関係なく、紙幣を増刷せざるを
得ないからです。また、戦争によって対外支払いは増大し、その
ために金貨の政府への集中が必要となり、金の輸出を禁止したり
通貨の金兌換を停止することになるのです。
 第1次世界大戦は大方の期待を裏切って4年間続き、世界経済
は大きなダメージを負ったのです。仮に金本位制が守られている
ならば、戦争はおそらく数ヶ月しか続けることはできなかったは
ずであり、世界大戦などにはならなかったでしょう。
 1918年に戦争は終結します。当然各国は金本位制に復活に
することになるのですが、何しろ参戦国は戦争で経済が弱体化し
ているので、それを反映して平価を切り下げ、そのうえでの復帰
が当然前提となります。
 しかし、プライドの高い英国は、ポンドの切り下げは国の威信
にかかわるとして、旧平価での復帰に執拗にこだわったのです。
その結果、1922年にイタリアのジェノアで開催された国際経
済会議の場で、「金為替本位制」という妥協的の産物である制度
を導入してお茶を濁すことになったのです。
 「金為替本位制」とは何でしょうか。
 金為替本位制は、米国のドルと英国のポンドが金と同様に準備
通貨としての価値を持つとする制度なのですが、ドルはともかく
として、ポンドは旧平価を維持する購買力を失っており、既に準
備通貨として通用するはずはなかったのです。
 第1次世界大戦の最大の利得国である米国も、1913年に設
立されたFRB――連邦準備制度理事会が当初から国債の引き受
けをやっており、ドルの価値をいつまで維持できるか不透明の状
態だったのです。
 金為替本位制になると、金を裏付けとしてドルやポンドが発行
され、そのドルやポンドを裏付けとして、その他の国々が通貨を
発行する――これは金が2倍に増えたのも同然だったのです。す
なわち、通貨の裏付けが二重に計算されるという不合理を抱えて
いたのです。
 このように制度は大きな矛盾をはらんでいたのですが、最初の
うち金為替本位制はうまく機能しているように見えたのです。し
かし、これはやがてとんでもないバブルを発生させ、世界恐慌を
引き起こすことになるのです。     ― [金の戦争/07]


≪画像および関連情報≫
 ●金為替本位制とは何か
  ―――――――――――――――――――――――――――
  古典的な金本位制のひとつ。金貨本位制国または金地金本位
  制国の通貨を外貨準備として保有する国が、自国の通貨に対
  して金貨(地金)本位制国の通貨を、平価の上下のせまいは
  ばの中で決められたレートで売り買いする制度のこと。金地
  金本位制とあわせて金核本位制ともいう。
  ―――――――――――――――――――――――――――

ナポレオン.jpg
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2008年06月18日

●FRBはどのように設立されたか(EJ第2349号)

 第1次世界大戦が勃発する一年前の1913年に連邦準備法が
米議会を通過して成立しています。これによって、米国の中央銀
行に当たる連邦準備制度理事会/FRBが誕生したのです。
 このFRB――世界の基軸通貨であるドルを印刷できる機関な
のですが、何と世界に類のない民間の銀行が株主になっているの
です。しかも、このFRBの成立には多くの謎があるのです。と
いうのは、この連邦準備法は1913年の多くの上院議員が休暇
中の12月23日に議会を通過しているからです。
 そもそもFRBとは何でしょうか。
 米国には1776年の建国以来中央銀行はないのです。ニュー
ヨークやシカゴなど全国12の連邦準備銀行(下記)がそれぞれ
民間銀行の預金準備と紙幣の発券などを行っていたのです。
―――――――――――――――――――――――――――――
 1.ニューヨーク連銀     7.カンザス連銀
 2.アトランタ連銀      8.ミネアポリス連銀
 3.ボストン連銀       9.フィラデルフィア連銀
 4.シカゴ連銀       10.リッチモンド連銀
 5.クリーブランド連銀   11.サンフランシスコ連銀
 6.ダラス連銀       12.セント・ルイス連銀
―――――――――――――――――――――――――――――
 しかし、ロンドンでの米銀の手形割引拒否に端を発する恐慌が
起き、アメリカ合衆国内の決済システムが混乱したことがあるの
です。そんなことがこれからもあってはならないというわけで、
時のウッドロー・ウイルソン大統領がJ・Pモルガンやポール・
ウォーバーグやジョン・ロックフェラーの力を借りて、1913
年に独自の判断でオーウェン・グラス法――FRBを創設する法
律に署名して、なぜか上院議員がクリスマス休暇で休んでいる日
を選んで議会を通過させているのです。どうしても確実に成立さ
せたかったからです。
 FRBは、軍事費を調達する目的で1694年に英国で創設さ
れたイングランド銀行をモデルとして、米国の中央銀行を作ろう
という目論みであり、1910年12月に国際的資本家J・Pモ
ルガンが所有するジョージア州沿岸の「ジキル島」という小さな
島で密かに行われたのです。
 ちなにみに、そのとき島に集まった8人のメンバーをお知らせ
しておく必要があると思います。
―――――――――――――――――――――――――――――
 ネルソン・W・オルドリッチ――ネルソン・ロックフェラーの
                   母方の祖父/上院議員
 秘書のシェルトン
 A・ピアット・アンドリュー――財務次官補であり全国金融委
                     員会の特別補佐官
 フランク・ヴァンダーリップ――ナショナル・シティ・バンク
                 ・オブ・ニューヨーク頭取
 ヘンリー・P・デーヴィソン――    J.P.モルガン商会
 チャールズ・D・ノートン ――モルガン系ファースト・ナシ
                      ョナル・バンク
 ベンジャミン・ストロング ――J.P.モルガン上級代理バン
                  カーズ・トラストの頭取
 ポール・ウォーバーグ   ――    クーン・ローブ商会
―――――――――――――――――――――――――――――
 このメンバーのなかで中央銀行の設立に関与した経験のあるの
は、クーン・ローブ商会(ロスチャイルド系)のポール・ウォー
バーグだけであったので、話はウォーバーグが中心になって進め
られたのです。
 このウォーバーグは、選挙で共和党のウッドロー・ウイルソン
を支援して大統領に当選させており、大統領としてはウォーバー
グに頭が上がらなかったのです。そして、初代のFRB議長の座
に座ったのは、「ジキル島会議」に加わったメンバーであるJ・
Pモルガンのベンジャミン・ストロングだったのです。
 FRBの創設のこのような経緯を知ると、FRBが一部の利権
が巣食う悪の殿堂のように見えてきます。われわれ日本人にとっ
てFRBとは米国の中央銀行――つまり、日銀のような存在であ
るという以上の何物でもないのですが、FRBにはいろいろな問
題があるのです。それに金の問題を語るとき、FRBを避けては
通れないのです。
 ここにとても貴重な映画があります。この映画を見ると、FR
Bがなぜできたのか、今までに何をしてきたかよくわかります。
全部で47分22秒という長編ですので、お時間のあるときに見
ていただきたいと思います。きっと興味深く鑑賞できると思いま
す。EJの今回のテーマにも深く関係があります。
―――――――――――――――――――――――――――――
 http://video.google.com/videoplay?docid=-845461387975920288&hl=en
―――――――――――――――――――――――――――――
 ウッドロー・ウィルソン大統領は、晩年になって自分のやった
ことを深く後悔して、次のようにいい残しています。
―――――――――――――――――――――――――――――
 ・私はうっかりして、自分の国を滅亡させてしまいました。
 ・大きな産業国家はその国自身のクレジット・システムによっ
  て管理されています。私はそのクレジット・システムを一点
  に集結させてしまいました。
 ・したがって、国家の成長と私たちのすべての活動は、ほんの
  わずかの人たちの手の中にあります。
 ・私たちは文明化した世界においての支配された政府、ほとん
  ど完全に管理された最悪の統治の国に陥ったのです。
 ・もはや自由な意見による政府、信念による政府、大多数の投
  票による政府はありません。
 ・小さなグループの支配によって、拘束される政府と化してし
  まったのです。       ――ウッドロー・ウィルソン
――――――――――――――     ― [金の戦争/08]


≪画像および関連情報≫
 ●ウッドロー・ウィルソン大統領について
  ―――――――――――――――――――――――――――
  1909年までプリンストン大学学長を務めていた。学長と
  して内紛の絶えなかった大学を改善し政治的な才能を着目さ
  れた。民主党からの勧めでニュージャージー州知事に立候補
  当選しそこでも数々の腐敗追及で有名となった。この間みせ
  た改革への推進、文章・演説の才は1912年の民主党大統
  領候補に押し上げた。この年の大統領選挙は共和党が現大統
  領タフト派と元大統領セオドア・ルーズベルト派に分裂した
  ため、民主党にとり予想外に楽な選挙結果となった。ウィル
  ソンは選挙人435人を獲得する圧勝だったが――次点は共
  和党から分離した進歩党をなのるセオドア・ルーズベルトの
  88人)民主党は1896年の大統領選に敗れてから政権に
  なく人的基盤は弱かった。
           http://ww1.m78.com/hito-2/wilson.html
  ―――――――――――――――――――――――――――

ウッドロー・ウィルソン.jpg
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2008年06月19日

●FRBとロスチャイルド一族の関わり(EJ第2350号)

「目的のためには手段を選ばない」という言葉があります。こ
れを文字通り実行に移して巨大な権力を手に入れたのがロスチャ
イルド一族なのです。
 金/ゴールド――いやお金といってもいいですが、この種のテ
ーマを掘り下げようとすると、ロスチャイルド一族のことに触れ
ないで書くことは困難になります。
 FRBを設立するために彼らはウッドロー・ウィルソンをどう
しても大統領にする必要があったのですが、どのようにして彼を
大統領にしたのか――ロスチャイルド一族の凄さというか、怖さ
を知るためにご紹介したいと思います。まさに「目的のためには
手段を選ばない」そのものであることがわかります。
 当時米国では「中央銀行」という言葉に強いアレルギーがあっ
たのです。そこで、ポール・ウォーバーク――ジキル島での秘密
会の元締め的存在で、ロスチャイルドの代理人――彼は、中央銀
行の名称を避けて、「連邦準備制度」というわけのわからない名
前にしたのです。
 連邦準備制度を設立する法案は、最初は共和党のネルソン・オ
ルドリッチ上院議員が議会に提出したのです。このオルドリッチ
は、共和党の上院議員で院内幹事という高いポストにあり、ジョ
ン・D・ロックフェラー・Jrの義父に当たる人物です。そして
ジキル島での秘密会の参加メンバーです。
 この法案に対して民主党は猛烈に反対します。そうしているう
ちに共和党は選挙で野党に転落してしまったのです。ロスチャイ
ルド一族は、この時点で民主党の大統領候補ウッドロー・ウィル
ソンに白羽の矢を立てることにしたのです。しかし、彼はどうみ
ても泡沫候補のひとりに過ぎなかったのです。
 これは1912年の大統領選挙の話なのですが、次期大統領と
して有力な存在は、共和党のウィリアム・タフト候補だったので
す。まともに戦えば、ウッドロー・ウィルソン候補にとても勝算
はなかったのです。
 しかし、誰も予期しないことが起こったのです。人気者の元大
統領セオドア・ルーズベルトが共和党を離れて、革新党を結成し
て立候補したのです。こ れは誰も予想できなかったのです。
 その結果、共和党の票は大きく割れ、ウッドロー・ウィルソン
候補は地滑り的勝利を収めたのです。このセオドア・ルーズベル
トかつぎ出しには、オット・カーンとフェリックス・ウォーバー
クが尽力したのですが、彼らとウッドロー・ウィルソンを支援し
ていたポール・ウォーバークとジェイコブ・シフは緊密な連携を
取ってウッドロー・ウィルソンを当選させたのです。
 オット・カーン、フェリックス・ウォーバーク、ポール・ウォ
ーバーク、ジェイコブ・シフの4人は、いずれもクーン・ロープ
商会(ロスチャイルド系)の共同経営者なのです。なお、フェリ
ックス・ウォーバーク、ポール・ウォーバークは従兄弟同士であ
り、ロスチャイルド一族なのです。
 ウッドロー・ウィルソン大統領は、連邦準備制度を作るための
オーウェン・グラス法案――これは以前共和党のオルドリッチ議
員が提出した法案と名前以外はほとんど変わらない内容の法案な
のですが、年末で議員の多くがクリスマス休暇をとっている時期
にあえて上程して、議会を通過させてしまうのです。
 ウッドロー・ウィルソン大統領としては、大統領になるまでに
彼らにやってもらったことを考えると、やらざるを得なかったと
いうことになります。しかし、連邦準備制度はウッドロー・ウィ
ルソンの最後の告白により、大きな問題があることが明白になっ
たにもかかわらず、現在もなお、残っており、世界の金融経済に
少なからざる影響力を発揮しているのです。果たしてこれでよい
のでしょうか。
 ここで、連邦準備制度というのはどういう制度であるのかにつ
いて知識を整理しておきましょう。
 まず、FRSとFRBの違いを頭に入れておきましょう。
―――――――――――――――――――――――――――――
 FRS/Federal Reserve System ・    連邦準備制度
 FRB/Federal Reserve Board  ・ 連邦準備制度理事会
 FRB/Federal Reserve Banks  ・    連邦準備銀行
―――――――――――――――――――――――――――――
 FRBは、「連邦準備制度理事会」と「連邦準備銀行」の2つ
の意味があることになりますが、一般的にFRBというときは前
者を指すことになっています。
 連邦準備制度理事会は連邦準備制度の統括機関であり、各国の
中央銀行に相当します。14年任期の理事7人によって構成され
理事の中から議長・副議長が4年の任期で任命されます。議長・
副議長・理事は大統領が上院の助言と同意に基づいて任命するこ
とになっています。FRBは、金融政策の策定と実施を任務とし
ており、また連邦準備制度の活動の最終責任を負うのです。
 FRBは日本銀行のように政府が株式を所有しておらず、ロス
チャイルド系、ロックフェラー系財閥ら国際金融資本が現在に至
るまで最大の株主となっているのです。米国よりもヨーロッパの
資本家の比率が高く、正式には公的機関ではなく民間銀行という
位置づけなのです。
 ロスチャイルド一族は世界中に網を広げており、日本もその例
外ではないのです。1904年に日露戦争がはじまったとき、日
本にはお金がなかったのです。当時日本がロシアに勝利するとは
誰も考えていなかったからです。
 しかし、日本はクーン・ローブ商会のジェイコブ・シフから融
資を受けてロシアに勝利するのです。別に日本に同情したわけで
もなく、日本が勝つと信じていたわけでもない――勝てそうもな
いと思われているところに賭けることによって、勝った時により
多くの代償を得るといういわば博打ちなのです。
 シフは日本の恩人として天皇から勲章を授けられていますが、
日本人はお人良しです。彼らはこれによって、もっと大きな代償
を得ているのですから。        ― [金の戦争/09]


≪画像および関連情報≫
 ●ジェイコブ・シフとは何者か
  ―――――――――――――――――――――――――――
  日露戦争に際しては、日銀副総裁であった高橋是清による外
  債募集に応じ、2億ドルの融資を通じて日本を強力に資金援
  助し、帝政ロシアを崩壊に導いた。このとき、バクー油田の
  利権を獲得していたイギリス・ロスチャイルドに融資を断ら
  れ、その紹介を受けてジェイコブ・シフより融資を受けた。
  その訳はロシアの伝統的な反ユダヤ主義に対する報復だった
  と言われている。結果として日本は勝利を収め、シフは一部
  の人間から<ユダヤの世界支配論>を地で行く存在と見なさ
  れるようになった。またこれ以後、高橋との親交を結んだ。
                    ――ウィキペディア
  ―――――――――――――――――――――――――――

ジェイコブ・シフ.jpg
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2008年06月20日

●ルシタニア号はなぜ攻撃されたか(EJ第2351号)

 日本が日露戦争のときにロスチャイルド一族からお金を借りて
いたように、ロスチャイルド一族は戦争を格好のビジネスにして
いるのです。したがって、彼らから資金援助を受けると、結果と
して戦争に導かれることになります。
 そういう意味で、米国のウッドロー・ウィルソン大統領は、ロ
スチャイルドの仕掛けによって第一次世界大戦に米国を巻き込ん
だといえるのです。米国は、第一次世界大戦のときも、第二
次世界大戦のときも国民の反対によって参戦していなかったのに
“ある巧妙な仕掛け“によって参戦させられているのです。
 第一次世界大戦が始まったのは1914年のことですが、その
前年の1915年のこと、アイルランド沖を航行していた英国船
籍の客船ルシタニア号がドイツ海軍のUボートから発射された魚
雷によって沈没するという事件があったのです。
 これによって米国人128人を含む1198人が犠牲になった
のです。この事件により、戦争とはいえこのドイツの“野蛮な”
攻撃に対して、中立であった米国議会が反ドイツのムードになっ
ていったのです。
 しかし、米国の参戦を決定づけたのは、ある電報の傍受に成功
したことによります。その電報は「ツィンメルマン電報」という
のですが、ドイツ帝国の外務大臣、アルトゥール・ツィンメルマ
ンからメキシコ政府に宛てた電報なのです。それは、次のような
内容です。
―――――――――――――――――――――――――――――
 もし、米国が参戦するなら、ドイツ帝国はメキシコと同盟を結
 ぶ意思がある。米国へのメキシコの先制攻撃はドイツがサポー
 トする。大戦でドイツが勝利した場合は、テキサス、ニューメ
 キシコ、アリゾナの3州はメキシコに返還する。
―――――――――――――――――――――――――――――
 ドイツ政府にとって不幸だったことがもうひとつあります。そ
れはミュンヘンのメダル業者がルシタニア号の撃沈を祝うメダル
を制作してしまったことです。このことをドイツ政府は、英国の
新聞報道で知ったのですが、後の祭りだったのです。
 それにドイツは米国に対して無制限潜水艦攻撃を通告しており
当時の国際法としては、ルシタニア号は攻撃対象となっても仕方
がなかったのです。
 しかし、戦後になってとんでもないことがわかったのです。ル
シタニア号の積み荷には173トンもの弾薬が入っており、ドイ
ツは事前に米国に対して「船には乗るな」という警告をしていた
のです。そこには積み荷の目録も付いていたのです。
 ところが、ウィルソン大統領はあくまで積み荷の件は認めず、
目録は開封禁止にし、財務省の倉庫に隠したのです。つまり、大
統領は何もかも知っていて、米国人がルシタニア号に乗るのを禁
止しなかったことになります。
 1918年にドイツは、ウィルソン大統領の「14ヶ条の平和
原則」の提案を受け入れて、休戦が成立したのです。この提案の
中にあった国際平和機構が後に「国際連盟」になり、現在の国際
連合になるのです。しかし、ウィルソン大統領の提案であるとい
うことは、そこにもロスチャイルド一族の影が見え隠れすること
になるのです。
 1919年の戦後賠償問題を取り決めるパリ講和会議において
も不可解なことがあったのです。というのは、会議へ臨むウィル
ソン大統領の顧問団は、ウォール街の銀行家と国際共産主義者か
ら構成され、驚くことに米国の議員は民主党員さえ同行していな
かったからです。
 その講和会議において、この戦争の敗戦国であるドイツに課せ
られた戦時賠償金は実に1320憶マルク――当時のドイツのG
DPの約3倍という過酷なものでしたが、その支払い先はモルガ
ン商会だったのです。それは、英国が戦争のためにモルガン商会
から多額の借金をしており、ドイツからの賠償金はその返済に直
接あてられたからです。
 このような巨額の賠償金が戦争で疲弊したドイツに払えるはず
がないのです。賠償金を支払うため、ライヒスバンクは国債と交
換に通貨を乱発し、遂にハイパーインフレが起きてしまいます。
1923年になると、物価はなんと20憶倍に跳ね上がってしま
い、このインフレがヒトラー政権の誕生につながるのです。
 米国のシンクタンクの中でひときわ有名なものに外交関係評議
会――CFRというのがあります。このCFRの起源は、前期の
「パリ講和会議」――第一次世界大戦の戦後処理を目的として開
かれた会議に遡るのです。
 実はこの会議は、戦後処理のいくつかのオプションを提示する
目的で結成されたプロジェクトであり、実際にパリ講和条約にメ
ンバーは出席しているのです。しかし、そのときは彼らの提案は
ウィルソン大統領には取り上げてもらえなかったのです。
 一方、セオドア・ルーズベルト政権の時の国務長官エーリッヒ
・ルートが中心になって、外交関係評議会(CFR)という似た
目的を持つ組織が1918年6月に発足していたのです。結果と
して、パリ講和会議に出席したプロジェクトとこのCFRが合体
して、1921年7月29日に新生CFRとなったのです。
 そのCFRの初代会長はあのポール・ウォーバークであり、そ
の創設会議には、ジェイコブ・シフ、J・P・モルガン、アヴァ
レル・ハリマン、ジョン・D・ロックフェラー、ウォルター・リ
ップマン、ジョン・フォスター・ダレス、アレン・ダレス、クリ
スチャン・ハーターなどの錚々たるメンバーが集結したのです。
 こういう重要な会議やプロジェクトのメンバーには、ロスチャ
イルド、ロックフェラー一族がちゃんと入っているのです。CF
Rは現在でも米国政権の国際・外交問題に大きな影響を与えてい
るのです。そして、米国政権の要職の多くに、このCFRのメン
バーが就いています。なお、CFRは「フォーリン・アフェアー
ズ」という外交評論誌を有しており、いつも大胆な議論がそこに
展開されています。          ― [金の戦争/10]


≪画像および関連情報≫
 ●豪華客船/ルシタニア号について
  ―――――――――――――――――――――――――――
  1907年の就航当時は世界最大最高速の画期的な豪華客船
  であった。大西洋横断を5日以下に縮め、平均速力が25ノ
  ットを越えた最初の船で、姉妹船のモーリタニア号は技術革
  新が猛烈なスビードで進んだ20世紀前半に大西洋横断速度
  記録(ブルーリポン)を22年間保持し続けた。また、主機
  に当時まだ実験段階の粋を出ていなかった蒸気タービン機関
  を採用した初めての大型船でもあった。建造に当たっては、
  国家有事の際に軍に徴用される事を前提に、政府から多額の
  補助金が交付されていた。そのため、高い防水隔壁や縦通隔
  壁など、当時の客船としては水密区画が整備されていた。
                    ――ウィキペディア
  ―――――――――――――――――――――――――――

ルシタニア号.jpg
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2008年06月23日

●銀行はどうして誕生したか(EJ第2352号)

 ここまで米国の連邦準備制度とロスチャイルド一族との関わり
について述べてきましたが、過去150年間にわたるロスチャイ
ルド家の歴史は、西ヨーロッパの裏面史ともいえるものです。そ
れにロスチャイルドというと、すぐ陰謀論と結び付けられますが
歴史的事実を正確に把握しようとすると、その裏面史も読み解く
ことが必要なのです。
 ロスチャイルド一族といえば世界最大の富豪ですが、どうして
そのような巨万の富を手にすることができたのかといえば、それ
は、彼らがお金のことを誰よりもよく知っていたからなのです。
そこで、ロスチャイルド一族がお金に対してどのような考え方を
持っていたのかについてご紹介しましょう。
 かつてお金は、金、銀、銅などの金属だったのです。交換価値
の尺度となる重量や純度が一定の割合のコインは、権威と信用の
ある国王か政府が作る権利を持っていたのです。なかでも、最も
価値の高いお金は金貨だったのです。
 当時の金持ちは莫大な量の金貨を持っていたのですが、自分で
保管しているのは危険なので、立派な金庫を持つ両替商にそれら
の金貨を手数料を支払って預けていたのです。
 金貨を預けた人をAとし、両替商をXとします。Xは金貨の量
を記載した預り証をAに渡していたのです。金貨を預けていたA
は、Bからものを購入するためにXから必要な金貨を引き出し、
Bに支払います。もちろん、Xからは減額分を差し引いた金貨の
量の預り証をもらっていたことは、いうまでもありません。
 ところで、金貨を受け取ったBは、その金貨を同じXに預けて
その預り証を受け取っていたのです。その後、Aは再びビジネス
でBへ金貨を支払うことになったのですが、A、BともにXに金
貨を預けているので、実際に金貨をやり取りするのではなく、預
り証を交換して、それぞれの金貨の残額を書き換えた預り証をA
B両者が持つということで、決済ができたのです。この預り証が
紙幣のはじまりとなるのです。
 このようにして、両替商Xは多くの人から金貨を預かり、Xの
ところには多くの人の金貨が積み上げられていったのです。しか
し、多くの人は預り証の交換によってビジネス上の取引きを行っ
たので、金貨は眠ったままになったのです。このとき、どんどん
集積されて行く金貨を見ていて、Xはふと次のようなことを考え
たのです。
―――――――――――――――――――――――――――――
 預金者全員が一度に金貨を引き出しにくることなど考えられな
 い。したがって、この金貨を担保にして、紙幣を発行して金に
 困っている人に貸し利子を取る。これは良いビジネスになる。
―――――――――――――――――――――――――――――
 この考え方に立って銀行業がはじまったのです。考えてみると
Xは金貨を預かっているだけで、その金貨は自分のものではない
のです。したがって、それを基にして紙幣を発行することは詐欺
的行為になりますが、金貨を預けた人が金貨を引き出しに来たと
きはそれに応じていたので、問題は起きなかったのです。
 ここでいうXがロスチャイルドなのです。彼らは続々と銀行業
をはじめて、ロスチャイルド系銀行は増えていったのです。ある
とき、多くの人が多額の金貨を引き出しにきたのですが、同業者
の銀行同士が連携して金貨を集めての場を凌いだのです。これが
銀行家カルテルとして発達していきます。
 このように、ロスチャイルドの一族が銀行をやっているので、
たとえ一時的に多額の金貨が引き出されても、それらの金貨は巡
りめぐって再び銀行の手元に戻ってくることになります。
 これは何を意味するでしょうか。
 銀行がお金を作り出す権利を持つようになったことです。銀行
の発行する紙幣でものは買えたし、金貨を預けている人が金貨そ
のものを引き出しに行っても応じてくれるので、実際の金貨の量
以上の紙幣が発行されていたにもかかわらず、しだいに人々は銀
行家は相応の金貨を持っていると信じるようになったのです。
 このようにして、お金の主流が銀行が発行する紙幣に変わって
いき、銀行カルテルは、国家に対してもお金を貸すようになるの
です。国家がお金を必要とし、それに見合う税収がないときは、
銀行から借りるようになっていったのです。
 旧約聖書に「借りる者は貸す人の奴隷になる」と言葉がありま
すが、国家はお金を貸してくれる銀行カルテル――ロスチャイル
ド家に少しずつ支配されていったのです。
 1815年にロスチャイルド家はイングランド銀行を支配下に
置き、英国の通貨発行権と管理権を手中に収めているのです。そ
して、1913年にはその食指を米国に伸ばし、連邦準備制度を
設立し、事実上米国の通貨発行権と管理権を手に入れているので
す。驚くべきことといえます。
 連邦準備制度というのは、実に巧妙な制度なのです。1ドルは
連邦準備制度に対する1ドルの負債をあらわしています。国が資
金を必要とするとき、米国政府・財務省が発行する債券(国債)
を購入するかたちをとります。すなわち、FRBはその債券と同
額の金額を連邦準備銀行が財務省に対して信用供与――つまり、
その金額分の紙幣を印刷してドルで支払うわけです。これによっ
て、「無」から利息付きの負債が発生して、FRBはその利息を
手にし、その利息を支払うのが国民という構図になるのです。
 このようにして、FRBは信用(通貨)創造・信用収縮を操作
しているというわけです。しかし、このようなFRBによる通貨
創造・信用収縮操作の失敗によって、あの世界大恐慌が起こされ
ているのです。
 1920年代において銀行はFRBの指示により、信用創造量
を増大させたのです。いわゆる金融緩和政策です。融資の担保は
株券であり、その結果、株価は高騰し、バブルが発生してしまい
ます。そして、株価がピークを迎えると、FRBは一転して金融
引締政策に転じ、お金の流通量を減らしたのです。大恐慌はこれ
が原因で起こったのです。       ― [金の戦争/11]


≪画像および関連情報≫
 ●『マネーを生み出す怪物』/G・エドワード・グリフィン
  ―――――――――――――――――――――――――――
  2005年10月29日に出版されるというので、「連邦準
  備制度という壮大な詐欺システム」という文字に釣られ私は
  16日に予約しておいたのだが、さきほど本書『マネーを生
  みだす怪物』が届いた。700ページ超の大書である。届い
  たばかりなので目新しい情報が載っているのかさえわからな
  い。著者はエドワード・グリフィンという人物で、翻訳が吉
  田利子となっている。著者は知らない人物だ。吉田利子が翻
  訳した本は、私はリチャード・ヴェルナーの『円の支配者』
  や『不景気が終わらない本当の理由』などを読んでいる。
  http://plaza.rakuten.co.jp/HEAT666/diary/200510240000/
  ―――――――――――――――――――――――――――

連邦準備制度のあるエクルズ・ビル.jpg
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2008年06月24日

●第1次世界大戦の目的は何か(EJ第2353号)

 歴史上の事件というものは、多くの歴史の本に書いてあるよう
にその経緯だけを追っていたのでは何も見えてこないものです。
金の戦争――なかんずくその中心を占める米国の金戦略について
調べていくと、とくにそういう感を強くします。
 連邦準備制度、第1次世界大戦、世界大恐慌、ロシア革命、第
2次世界大戦など・・・これらの歴史上の大事件にはそれぞれウ
ラの事情が存在するのです。金の戦争を中心にそれらの事件をウ
ラの事情も含めて読み解いていきたいと思います。
 1920年代におけるFRBのとった金融政策が妥当なもので
あったかどうかについては多くの議論があります。しかし、大規
模な金融緩和政策の後での急速な金融引き締め策は、金融政策と
しては大きな疑問があります。この件については、あのミルトン
・フリードマン教授をはじめとする多くの経済学者がFRBの政
策のミスを指摘しているのです。
 しかし、この恐慌によって1万6000行の銀行が倒産したの
ですが、それらのほとんどをモルガンとロックフェラーの金融財
閥が吸収しているのです。何やらウラ事情がありそうです。
また、紙切れ同然になった企業の株券を独占的に買占め、融資を
返済できなくなった農家から膨大な土地を没収するなど、モルガ
ンとロックフェラーをはじめとする金融財閥はやりたい放題なの
です。明らかにウラがあるのです。
 もともと金融危機を防ぐという名目で設立されたFRBである
のに、制度成立以来、1921年、1929年の株価暴落、そし
て1929年から1939年までの世界恐慌、1953年、19
57年、1969年、1975年、1981年の景気後退、そし
て1989年のブラックマンデー――FRBはほとんど有効に対
応できているとはいえないのです。そのため、FRB不要論を唱
える学者もいるのです。
 しかし、米国の金に関する戦略という点から考えると、世界大
恐慌のあとに登場したフランクリン・ルーズベルト大統領の一連
の金の抱え込み戦略――金に関わる法整備などは、それをするの
にこれ以上ないほどの絶好の経済環境であったというしかないで
す。そのため、あえてそういう環境を作ったのではないかという
疑念すら湧いてくるのです。
 もし、そういう想定が正しいとすると、それは2つの世界大戦
――とくに第1次世界大戦はどういう意図のもとに起こされ、そ
の目的は何であったのかということを解明する必要があります。
 第1次世界大戦の目的は、次の4つであるといったら、不思議
に思われるでしょうか。
―――――――――――――――――――――――――――――
           1. 国際連盟
           2. 金本位制
           3.ロシア革命
           4.パレスチナ
―――――――――――――――――――――――――――――
 この中で、「ロシア革命」と「パレスチナ」は金の問題と直接
には関係がないのですが、ロスチャイルド一族がそんなところに
までかかわっているのかということを知っていただくために簡単
にご紹介することにします。
 最初は「ロシア革命」です。
 第1次世界大戦当時、ドイツ政府はユダヤ人が仕切っていたの
です。ドイツの主だった閣僚、実際に政治を動かしていた政治家
はそのほとんどがユダヤ人だったのです。なかでも首相兼報道官
のベートマン・ホルヴェッツと諜報機関の長官フェリックス・ウ
ォーバークは、ロスチャイルド一族なのです。
 ドイツ政府は、第1次世界大戦中においてロシアを何とかして
連合国から引き離そうとしたのです。ドイツ政府は、列車を仕立
てて運賃を負担し、レーニンとその仲間たちをドイツからモスク
ワに輸送したのです。そのときの費用はユダヤ人が負担したので
す。資金負担者の中には、あのポール・ウォーバークとロスチャ
イルド一族のクーン・ローブ社も含まれていたのです。
 そのときロシアに運ばれたロシア革命の指導者は25人ですが
レーニン(ロシア人)以外の24人はすべてユダヤ人であったの
です。レーニンは母親と妻がユダヤ人だったという噂もあり、本
当であればレーニンはユダヤ人ともいえるのです。
 そして、ユダヤ人の手によるロシア革命は、1917年、第1
次世界大戦の最中に起こっており、ロシアが連合軍側にいるとき
だったのです。ロスチャイルド一族はもちろん連合国側の英国な
どにもお金を貸しており、戦争をしている双方と関係をつけてい
るのです。
 次は「パレスチナ」です。
 当時パレスチナはオスマン帝国の支配下にあったのです。第1
次世界大戦の敵国のひとつであるトルコに対し側面から攻撃を加
えたいという戦略的な考え方から、トルコの統治下にあったアラ
ブ人たちに対し、トルコへの武装蜂起を呼び掛けたのです。その
対価として、パレスチナを含むアラブ独立王国を樹立させると約
束したのです。実際に1915年に英国はフセイン=マクマホン
協定を締結しているのです。−→ マクマホン宣言
 しかし、狡猾な英国はその一方でロスチャイルド家に対して資
金援助を求め、こちらにはパレスチナをユダヤ人に返してやると
約束していたのです。つまり、同じ土地をパレスチナ人とユダヤ
人の両方に約束したことになります。完全なる「二枚舌外交」と
いわれても仕方がないでしょう。
 英国はバルフォア外相を通じて1917年にユダヤ人国家建設
を支持するという書簡を送ったので、ロスチャイルドは資金を提
供したのです。その結果、英国はユダヤ人がパレスチナに国を作
るのを許したのです。−→ バルフォア宣言
 当然これは後で大きな問題となりますが、マクマホン宣言の国
の範囲にはパレスチナは入っていないといわれています。しかし
パレスチナ問題はまだ未決着なのです。 ― [金の戦争/12]


≪画像および関連情報≫
 ●マクマホン宣言とバルフォア宣言
  ―――――――――――――――――――――――――――
  パレスチナでの国家建設を目指すユダヤ人に支援を約束し、
  他方でアラブ人にも独立の承認を約束するという、このイギ
  リス政府の矛盾した対応が、現在に至るまでのパレスチナ問
  題の遠因になったといわれる。このようなイギリス政府の外
  交姿勢は、二枚舌外交と評されている。しかし、フサイン・
  マクマホン協定に規定されたアラブ人国家の範囲にはパレス
  チナは含まれていないため、実はこの二つは矛盾していない
  し、フサイン・イブン・アリーも、エルサレム市以外のパレ
  スチナへの関心はなかったことが、後のハイム・ワイツマン
  博士との会談で証明されている。   ――ウィキペディア
  ―――――――――――――――――――――――――――

ウラジミール・レーニン.jpg
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2008年06月25日

●ヒットラー政権はなぜ生まれたか(EJ第2354号)

 第1次世界大戦の終了後、ドイツ皇帝は退位し、宰相ベートマ
ン・ホルヴェークは辞職したのですが、ユダヤ人が政権を支配す
る構図は変わらなかったのです。
 つまり、ドイツは「ユダヤ人支配の君主国」から「ユダヤ人支
配の民主主義国」になっただけなのです。支配層のユダヤ人の顔
ぶれは一新したものの、いずれもあのロスチャイルド一族の影響
下にある者ばかりだったのです。
 彼らがまずやったことは、ドイツの通貨=ドイツマルクを大量
に発行させて、ドイツマルクの価値を無価値にすることだったの
です。当然のことながら激しいインフレが巻き起こります。
 彼らユダヤ人は、インフレを利用してドイツの土地、建物、工
場などをただ同然で手に入れ、やがて彼らはインフレを鎮静化さ
せると、ドーズ委員会というものを通じて、ドイツ国立銀行を再
建し、金本位制を復活させたのです。このドーズ委員会――米国
の連邦準備制度と同じものなのです。
 金本位制が復活されたことで、ドイツは戦時賠償金を返還する
ことは不可能になり、ドーズ委員会は通貨と債券の量、そして物
価と賃金の値段を管理することができるようになったのです。
 実はスウェーデンの経済の専門家であるカッセル教授は、反論
の余地のない論旨で、次のように忠告しているのです。
―――――――――――――――――――――――――――――
 金本位制に復帰すれば、どの国も借りたカネを支払えなくなり
 その結果、世界中の国々で破産や破滅が起きる。
   ――ジョージ・アームストロング著/馬野周二監訳・解説
 『ロスチャイルド世界金権王朝/一極世界支配の最奥を抉る』
―――――――――――――――――――――――――――――
 こういう状況のドイツに出現したのが、あのアドルフ・ヒット
ラーなのです。彼は、1921年7月に国家社会主義ドイツ労働
者党の党首となり、1933年に首相、その翌年の1934年に
国家元首(総統)になっているのです。
 現在、われわれはヒットラーというと、ユダヤ人を迫害した悪
の張本人というイメージを持っています。しかし、ヒットラーの
実体はかなり違うようです。
 ヒットラー総統は、第2次世界大戦の数か月前のラジオ演説で
ドイツ軍を降伏させるためにウィルソン大統領が行った14カ条
の約束が不履行であること、ドイツ帝国が解体されたこと、支払
い不能な高額な賠償金が課されたこと、ドイツ政府のユダヤ人内
閣が戦後国民を大不況に陥れたことを真剣に訴えているのです。
 前掲書のジョージ・アームストロングは、ヒットラーの演説に
ついて次のように述べています。
―――――――――――――――――――――――――――――
 ヒットラーの演説は、野心をもち、武力をちらつかせるほら吹
 き屋の演説ではない。これは戦争を憎む。真面目で、思慮深い
 男が使命感に燃えて行なった演説である。
   ――ジョージ・アームストロング著/馬野周二監訳・解説
 『ロスチャイルド世界金権王朝/一極世界支配の最奥を抉る』
―――――――――――――――――――――――――――――
 ヒットラーがユダヤ人を憎んでいたのは、ドイツという国を牛
耳っている一部のユダヤ人組織なのです。それは次のヒットラー
の演説によくあらわれています。演説のなかで「戦争挑発者」と
いうのはユダヤ人組織を指しています。
―――――――――――――――――――――――――――――
 「屈辱的な融和政策はもうごめんだ」という叫びが現在世界中
 に響きわたっているが、この叫び声は、戦争挑発者にとって平
 和解決は最も命取りの解決法だという事実を世界にふれまわっ
 ているだけだ。彼らは血が流されても平気である。もちろん彼
 ら自身の血ではない。これら挑戦者達は弾丸飛びかう戦地には
 姿を現さず、もっぱら金儲けのできる場所にいる。血を流すの
 は名もない兵士たちなのだ。        ――ヒットラー
   ――ジョージ・アームストロング著/馬野周二監訳・解説
 『ロスチャイルド世界金権王朝/一極世界支配の最奥を抉る』
―――――――――――――――――――――――――――――
 第2次世界大戦の前に、ナチス・ドイツはソ連と不可侵条約を
結び、さらにドイツ・ソ連通商協定を締結していたのです。その
目的は石油や穀物を得るためです。
 実はこの協定を後押ししたのは、ロスチャイルド=ノーベル財
閥の石油会社シェルだったのです。ロスチャイルド家はロシア革
命に深くかかわっていますから、そのぐらいのことは簡単にでき
たことでしょう。
 連合国としては、もし本当に戦争を避けようとするなら、彼ら
が日本にしたように石油の供給をストップすればよかったのです
が、ドイツに関しては、なぜかそれをやらなかったのです。なぜ
でしょうか。きっと戦争を起こさせたかったのでしょう。
 こういう話もあります。ヒットラーは、ユダヤ人絶滅命令など
は出していないというのです。ヒットラーが部下に命じたのは追
放だったというのです。
 ヒットラーは、ハイム・ヴァイツマン――初代イスラエル大統
領/シオニスト運動指導者――に対して取引きを持ちかけている
のです。彼はユダヤ人を引き渡す代わりに、経済援助を求めたの
です。これは歴史的な事実なのです。
 しかし、ヴァイツマンはそれを断ったのです。そのため、ユダ
ヤ人が迫害され、あるいは殺されることになるかも知れないとい
うことがわかっていながら、あえて断ったのです。
 そのようにユダヤ人たちが迫害されたり、殺されたりすること
によって、それがイスラエル建国のバネとなり、戦争後のユダヤ
人たちが世界にアッピールしやすくなる――ハイム・ヴァイツマ
ンはこのようにいったといわれているのです。
 ヒットラーがユダヤ問題解決のため米国や英国とも話し合って
いたという事実もあります。その交渉役がアイヒマンであったと
もいわれているのです。        ― [金の戦争/13]


≪画像および関連情報≫
 ●ハイム・ヴァイツマンについて
  ―――――――――――――――――――――――――――
  イスラエルの初代大統領になるロシア生まれの化学者でシオ
  ニズム運動の指導者ハイム・ワイツマンは、第一次世界大戦
  中に致命的効果を発揮する毒ガスを発明した。ワイツマンは
  この毒ガスを、イギリスとの交渉の武器にした。パレスチナ
  入手のためのシオニズム運動をイギリスが支持すれば、イギ
  リスにも毒ガスを使わせるという取り引きだった。イギリス
  は、同意してバルフォア卿がロスチャイルド卿にあてた19
  17年11月2日付けの手紙で正式に合意した。
  http://hexagon.inri.client.jp/floorA6F_hc/a6fhc106.html
  ―――――――――――――――――――――――――――

ハイム・ヴァイツマン.jpg
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2008年06月26日

●日本はなぜ戦争に巻き込まれたのか(EJ第2355号)

 ドイツのことばかり書いて日本がどうして戦争に巻き込まれた
のかについて触れないのは片手落ちというものです。開戦までに
何があったのかを概観することにします。
 1919年のことです。モスクワで、ボリシェヴィキとユダヤ
の合同会議が開かれたのです。ボリシェヴィキというのは、ロシ
ア社会民主労働党が分裂して結成されたレーニンの率いる左派の
一派のことです。
 レーニン派はロシア革命のさい、ユダヤグループに全面的な支
援を受けているので、こういう会議が行われても不思議なことで
はないのです。その合同会議では「日支闘争計画案」なるものが
採択されています。その内容は次の通りです。
―――――――――――――――――――――――――――――
     ・日本と支那(中国)の内部破壊を図る
     ・支那(中国)に反日運動を起こさせる
     ・日支武力闘争を世界戦争に発展させる
     ・欧州に社会革命を起こす世界戦争計画
―――――――――――――――――――――――――――――
 日中戦争を意図的に仕掛けて、それをソ連や米国が参戦する世
界大戦に発展させるための計画です。そのため、ソ連は中国人に
対して軍人教育の強化を図ろうとします。
 1923年に上海における孫文とソ連代表アドリフ・ヨッフェ
との間に、中国統一運動に対するソビエト連邦の支援を誓約する
共同声明が発表されています。
 1924年にソ連は中国に国民党の軍官学校を設立させ、その
学校の校長には蒋介石が任命されるのです。さらに1925年に
はモスクワに中国人革命家を訓練する目的でモスクワ中山大学を
設立されたのです。「中山」は孫文の号なのです。
 中山大学に入学した学生は中国国民党員のみならず、多くの中
国共産党員も入学し、第1次国共合作による中国革命の政治理論
を骨格に教育を行なった特殊学校なのです。
 日中戦争の発端となったのは盧溝橋事件です。この事件に関し
ては、「盧溝橋事件に関するコミンテルンの指令」という秘密文
書が残っているのです。1939年の指令です。ちなみに、コミ
ンテルンというのは、共産主義の国際組織のことです。
 「盧溝橋事件に関するコミンテルンの指令」の骨子は次の5つ
にまとめられます。
―――――――――――――――――――――――――――――
 1.あくまで局地解決を避けて、日中全面衝突に導くこと
 2.1の目的を果たすことを邪魔する要人は抹殺すること
 3.下層民衆を扇動して、国民政府を対中戦争に追い込む
 4.対日ボイコットを拡大して、日本援助国もボイコット
 5.紅軍は国民政府軍と協力し、パルチザン的行動に出よ
―――――――――――――――――――――――――――――
 盧溝橋事件といえば、日中戦争の発端となった重要な事件です
が、70年以上経った現在でも多くの謎があるのです。しかし、
これは上記の文書の存在によって、日本でも中国でもない第三者
が日中戦争を起こさせるために巧妙に仕掛けた罠だったのではな
いかといわれているのです。
 1937年7月7日夜半、北京郊外の南を流れる永定河(廬溝
河)に架かる橋の盧溝橋付近で、中国の中心部北京郊外の富台に
駐屯する日本の支那駐屯軍が中国側に通告なしに夜間演習を実施
していたのです。その最中の午後10時40分ごろ、数発の射撃
音があり、点呼したら日本の2等兵1人が欠員――単にそれだけ
のことなのです。ちなみに、不明の1名は、下痢で草むらにかけ
込んだだけなのです。
 一方、中国側ですが、当の国民党軍も、日本軍同様、銃撃を受
けているのです。盧溝橋で銃撃を受けた日本軍は国民党軍による
ものと思い込みましたが、反対に、国民党軍も日本軍によって銃
撃を受けたものと思い込んだのです。
 これは明らかに仕掛けというべきです。「盧溝橋事件に関する
コミンテルンの指令」というものが、もし本当にあったというこ
とになると、このあたりの謎は解けてしまうのです。
 第2次世界大戦への日本参戦の前の米大統領選挙で、フランク
リン・ルーズベルトは、国民の97%が反対している第2次世界
大戦参戦に対して、反対の立場を鮮明にしていたのです。しかし
ルーズベルトは、「攻撃を加えられた場合を除いて」という条件
も強調したのです。彼はこのとき既に日本と開戦するハラを固め
ていたのです。問題はどのようにして、日本を開戦に追い込むか
にかかっていたのです。
 米国が最終的に日本を追い込んだのは石油の全面禁輸を含む経
済制裁です。こうなると日本としては、石油資源を持つインドネ
シアを占領する以外には対応できなくなります。1941年7月
にインドネシア方面に進出すると、米国は在米日本資産の凍結、
日本への石油輸出の全面禁止を打ち出してきたのです。
 1941年11月26日、日米交渉において日本は、とうてい
飲めない「ハル・ノート」を突き付けられます。この「ハル・ノ
ート」の作成者は、米財務次官のデクスター・ホワイト――あの
ブレトンウッズ会議での米国の主役です。
 後にこのデクスター・ホワイトはソ連のスパイであることがわ
かり逮捕されているのです。正確にいうと、「ハル・ノート」は
ソ連からの指示を受けて、ホワイトが書いたものなのです。
 日本は米国との開戦になれば「真珠湾を叩く」という戦略を事
前から立てていたのですが、この情報は密かに駐日大使ジョセフ
・グルーを通じて、国務長官コーデル・ハルに伝えられていたの
です。したがって、米国は最初から「真珠湾がやられる」ことを
想定して、対日戦略を立てていたのです。
 このようにルーズベルト大統領は、最初に日本に攻めさせるこ
とによって日本と開戦する意思を最初から固めていたのです。そ
れはかなり以前の段階からの周到に計画されたユダヤ一派による
謀略であったといえます。       ― [金の戦争/14]


≪画像および関連情報≫
 ●盧溝橋事件とは何か
  ―――――――――――――――――――――――――――
  1937年7月7日〜11日に北平(北京)南西郊外の盧溝橋
  (俗に蘆溝橋)一帯でおきた日中両軍の軍事衝突。この衝突事
  件は日中戦争の発端となり、中国では七・七事変ともいう。
  日本では当時、北支事変とよんだ。7日午後10時半ごろ、
  盧溝橋近くで演習中の日本軍支那駐屯歩兵隊の中隊長が、中
  国軍のものとみられる竜王廟方面からの小銃の実弾射撃音を
  きき、兵1名が行方不明になる事態が発生した。兵はのちに
  帰隊したが、8日午前4時23分、日本軍に攻撃命令がださ
  れて日中両軍の戦闘がはじまった。
  http://jp.encarta.msn.com/encyclopedia_1161533935/content.html
  ―――――――――――――――――――――――――――

盧溝橋.jpg

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2008年06月27日

●ルーズベルトとヒットラーの経済政策(EJ第2356号)

 米国の金の戦略を最初に仕掛けたのは、第32代米国大統領フ
ランクリン・D・ルーズベルトであることは間違いのないところ
です。彼が大統領職にあったのは、1933年〜45年の長きに
及んだのです。
 この1933年に首相になったのが、ドイツのアドルフ・ヒッ
トラーなのです。そして、その翌年にヒットラーは国家元首にな
るのです。そのため、ルーズベルトとヒットラーはいろいろな面
で比較されるのです。
 ルーズベルトとヒットラーは、どちらも国の経済が最悪のとき
にトップに就任しています。ルーズベルトの場合は、1929年
からはじまった世界恐慌の真っ只中であったし、ヒットラーの場
合は、第1次世界大戦後の壊滅的な経済からぜんぜん立ち直って
おらず、深刻なデフレ不況の状態にあったのです。
 奇しくもルーズベルトとヒットラーは、ともに全体主義的経済
政策――政府による公共投資を拡大してデフレの脱却を図るケイ
ンズ的経済政策を実施したのです。
 しかし、こと経済政策の成否については、ヒットラーはルーズ
ベルトに圧勝したのです。ルーズベルトがニューディール政策を
実施した結果、1933年に25.5 %という最悪の失業率は、
1937年には14.3 %まで下がったのですが、翌年には再び
19.1 %に跳ね上がっているのです。
 これに対して、ヒットラーは45%もあった失業率を劇的に減
少させ、第2次世界大戦前の1939年には2O分の1にするこ
とに成功しているのです。ルーズベルトとヒットラーの差はどう
して生まれたのでしょうか。
 実際にやったことには大きな差はなかったのです。しかし、2
つの点で大きく異なっていたのです。
 ひとつは「トップに対する信頼」の差です。
 ヒットラーの場合は、世界大戦に敗れてどん底に落ちたドイツ
の救世主として、圧倒的多数の国民の支持を得て、トップの座に
就いています。
 ルーズベルトは民主主義国家の選挙戦に勝利してトップの座を
射止めています。しかし、ルーズベルトは民主党であり、反対派
の共和党もいるのです。国民全体がルーズベルトを支持したわけ
ではないのです。ヒットラーとは大きな差があります。
 もうひとつは、「政策の徹底度」の差です。
 米国の大統領は独裁主義者ではないのです。したがって、政策
の遂行は反対派の意見をできる限り汲み上げるので、どうしても
妥協の産物となるのです。
 とくにケインズ的政策をとる場合、どうしても政府債務の累積
額が増大するので、必ずといってよいほど財政均衡主義者のヒス
テリックな反対を呼び起こすのです。いったん好転に転じた経済
が再び暗転したのは、この政策のぶれによるものです。現在の日
本も同じ状況に陥っています。
 これに対してヒットラーの場合はドイツは完全な全体主義国家
であり、その徹底力はほぼ100%に近くなります。こういう場
合、政府債務は激増しますが、反対する者はいないため、経済は
急速に回復するのです。
 それにしても、ルーズベルト大統領の場合、その経済政策に関
しては、英国から送り込まれたケインズが直接指南をしたのに対
し、ヒットラーは自分の考えで、きちんと正しい手を打っている
のです。これは大変なことであると思います。
 ヒットラーはユダヤ人を一種のスケープゴートにして、資本家
と労働者との19世紀的な階級的な対立を解消しています。その
ため、ドイツ民族は一致団結して国家のために奉仕労働を行った
ので、ドイツの生産力は飛躍的に向上し、それが経済を活性化さ
せる原動力となったのです。
 これに対して米国は民主主義であり、ニューディール政策には
賛否両論が多かったので、一致団結にはほど遠いものがあったの
です。ニューディール政策が思うように効果が上がらないことに
対して、ルーズベルトはいささか焦ったようです。そして、考え
たのです。「国民を一致団結させるのは、国外に敵を作り、それ
を叩くというかたちをとるしかない」と。
 そして、その格好のスケープゴートとして選ばれたのが日本な
のです。日本の悪行を暴き、米国民を激怒させる――そうして、
日本を敵として第2次世界大戦に参戦すると考えたのです。戦争
しか財政支出を急激に増やす方法はない。そうしないと、ドイツ
に後れをとってしまうとルーズベルトは考えたのです。
 ルーズベルトは、日本が三国同盟(日独伊)を宣言した直後に
知日派の海軍情報部極東課長アーサー・マッカラム少佐に密命を
与えたのです。その密命とは、日本を挑発し、米国を攻撃させる
策略の遂行です。
 マッカラム少佐は、いわゆるABCD包囲網と呼ばれる貿易制
限網を形成し、経済封鎖を行ったのです。ABCDとは次の国を
指しています。
―――――――――――――――――――――――――――――
     1.A ・・・・・ アメリカ/America
     2.B ・・・・・ イギリス/Britain
     3.C ・・・・・ 中  国/China
     4.D ・・・・・ オランダ/Dutch
―――――――――――――――――――――――――――――
 マッカラム少佐は、ハワイに潜入した日本のスパイを自由に動
き回らせ、ハワイを攻撃させようとしたのです。日本がマライ半
島やインドネシアという英国やオランダの植民地だけを攻撃し、
ハワイを攻撃しないことを最も恐れたのです。
 そして自国の太平洋艦隊にも一切日本が攻撃してくるという情
報を伝えなかったのです。それでいて、狡猾にもルーズベルトは
天皇に対して戦争をしないよう親書まで呈上しています。攻めた
のは日本を強調するためです。     ― [金の戦争/15]


≪画像および関連情報≫
 ●マッカラム・メモに言及しているプログ
  ―――――――――――――――――――――――――――
  最近、平井修一氏の「マッカラム・メモ」翻訳で、その全容
  を知ることができた。「マッカラム・メモ」・・・昭和十五
  年十月七日に米海軍諜報部のアーサー・H・マッカラム少佐
  が海軍提督のウォルター・アンダーソンと提督ダドリー・ノ
  ックスに提出した戦略メモのことである。アンダーソンとノ
  ックスは、ルーズベルト米大統領が最も信頼を寄せた軍事顧
  問の一員。メモは機密扱いで私たちは知るよしもなかったが
  平成六年に五十年ぶりに機密扱いが解除されている。あらた
  めて読んでみるとルーズベルトは「マッカラム・メモ」のス
  テップ通りに政略を展開し、挑発された日本は無謀な日米戦
  争に突入した歴史が明らかにされた。
            http://blog.kajika.net/?eid=345841
  ―――――――――――――――――――――――――――

<
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2008年06月30日

●私設顧問団に操られたルーズベルト(EJ第2357号)

 金の問題を考えるとき、フランクリン・ルーズベルトの治世を
重視するのは、彼が米国大統領をしているときにやったことが、
その後の金のありようを決めてしまったからです。
 ルーズベルトの経済政策は「ニューディール政策」といわれて
います。これは既に述べたように、「トランプ札の配り直し」と
いう意味なのです。総やり直しを意味しているのです。
 ルーズベルト政権は、第1次世界大戦のときに制定された対敵
通商法の、ほとんど世に知られていない条項を基にして、金を保
有する法案が起草し、直ちに成立させています。世界大恐慌によ
る経済の立て直しの時期であり、国民もあまり反対できない雰囲
気が米国中に広がっていたと考えられます。
 米国市民は、この法律によって、自ら保有するすべての金貨証
券を強制的に政府に売却させられたのです。そして、契約を交わ
すさいの決済単位として金を使うことが禁止されたのです。
 もちろん米財務省で証書を提示し、金との兌換を求めても、金
が支払われることはなくなったのです。金貨の鋳造も中止され、
単に金を保有しているだけで、隠匿とみなされ、犯罪とされるよ
うになったのです。
 1934年1月30日に「金準備法」が議会を通過して成立し
ます。これによって大統領は金の価格を決定する権限を持つこと
ができるようになったのです。具体的にいうと、次のような権限
です。
―――――――――――――――――――――――――――――
 1ドル相当額を、純金23.33グレインの50%〜60%の
 間に設定する権限である。
―――――――――――――――――――――――――――――
 これによって大統領は、1ドルを純金13.71グレインと決
めたのです。これは、41%の平価切り下げを意味しており、逆
にいうと、金価格は1オンス20.67ドルから1オンス35ド
ルに上昇したのです。
 これに加えて第2次世界大戦がはじまると、金は他の金属類と
同様に戦略物資として指定され、これによって米国は個人も企業
も海外との金取引が禁止されたのです。
 しかし、諸外国が米国製の兵器を購入するときは、決済通貨と
して金地金を指定したのです。個人の金保有を禁止し、企業の海
外取引に金を使うことも禁じたのですから、金はどんどん米国に
流入し、財務省の金準備は増大の一途をたどったのです。
 その結果、第2次世界大戦終了後の1949年9月の時点で、
米財務省の金備蓄は、1オンス=35ドルと計算して、1246
億ドルにも達したのです。このようにして、米国の金の戦争は計
画通りに進んだのですが、経済政策はうまくいっておらず、米国
が経済危機から脱出できたのは、日本軍による真珠湾攻撃のお陰
であるといってよいのです。
 ところで、フランクリン・ルーズベルトとは、どういう人物な
のでしょうか。
 実は、あまり知られていないことですが、ルーズベルト大統領
を裏から支えていたチームがあるのです。そのチームは「大統領
私設顧問団」といわれていたのです。
―――――――――――――――――――――――――――――
 ・バーニー・バルーク
  ・・・・・・・・・ ユダヤ系/ニューヨークの株式相場師
 ・フェリックス・フランクファクター
  ・・・・・・・ ユダヤ系/ニューヨーク、連邦最高裁判事
 ・ヘンリー・モーゲンソー
  ・・・・・・・・ ユダヤ系/ニューヨーク、連邦財務長官
 ・サム・ローゼンマン
  ・・・・・・ ユダヤ系/ニューヨークの裁判官、伝記作者
 ・ベン・コーエン
  ・・・・・・・・・・・ ユダヤ系/ニューヨークの弁護士
 ・ハリー・L・ホプキンズ
  ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 身許不明
   ――ジョージ・アームストロング著/馬野周二監訳・解説
 『ロスチャイルド世界金権王朝/一極世界支配の最奥を抉る』
―――――――――――――――――――――――――――――
 これを見ると、私設顧問団のメンバーは、ほとんどユダヤ人で
あることがわかります。その中心人物はバーニー・バルーク――
彼は大統領補佐官と呼ばれており、大統領に強い影響を与える存
在であったといえます。
 バルークは第1次世界大戦当時、戦時産業局の長官であり、米
国の産業界の独裁者として権力をほしいままにした人物です。彼
は財務長官にもなれる力があったのですが、バルークは自分の息
子のヘンリー・モーゲンソーを財務長官にしています。大変な政
治力の持ち主であったことがわかります。
 このように、バルークが支配するルーズベルトの私設顧問団に
ついて、前掲書の著者、ジョージ・アームストロングは次のよう
に述べているのです。
―――――――――――――――――――――――――――――
 「大統領の私設顧問団」は、実質的に政治を動かしている黒幕
 の人たちからなっている。今日まで、ルーズベルト政権は、こ
 の「私設顧問団」に支配されてきた。「私設顧問団」の一人な
 いしは複数のメンバーがまず承認しないことには、いかなる重
 要処置もとられず、いかなる重要任務も行われず、いかなる重
 要演説もなされなかった。
   ――ジョージ・アームストロング著/馬野周二監訳・解説
 『ロスチャイルド世界金権王朝/一極世界支配の最奥を抉る』
―――――――――――――――――――――――――――――
 ルーズベルトは先例のない4選を果たしていますが、1945
年4月12日に昼食中に脳卒中で倒れ、亡くなっています。しか
し、ロスチャイルド系のユダヤ人が立てた計画通りに金の戦略は
進んだのです。            ―[金の戦争/16]


≪画像および関連情報≫
 ●地球史探訪/「操られたルーズベルト」より
  ―――――――――――――――――――――――――――
  2000年の米大統領選に名乗りを上げている保守派の元テ
  レビ・コメンテーター、パット・ブキャナン氏(60)が、
  最近刊行した米国の外交政策に関する著書「帝国でなく共和
  国を」で「第二次大戦で米国がドイツや日本と戦ったのは戦
  略的に間違っていた」と主張したことが波紋を広げている。
  ・・・日本に関しては、当時の仏領インドシナに進駐した後
  米国のルーズベルト大統領が極めて厳しい経済制裁を発動し
  たことが、日本にとって「のど元をつかまれた」形になり、
  真珠湾攻撃を決意させたと指摘。開戦には米国の政策が大き
  な役割を果たしたとしている。
  http://www2s.biglobe.ne.jp/~nippon/jogbd_h11_2/jog116.html
  ―――――――――――――――――――――――――――

バルークとルーズベルト.jpg
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2008年07月01日

●ブレトンウッズ会議開催のタイミング(EJ第2358号)

 いわゆるブレトンウッズ会議が開催されたのは、1944年7
月のことです。第2次世界大戦はその次の年に終わっていますの
で、米国を除く連合国のほとんどが、長期間の戦争に疲弊しきっ
ていたのです。
 どの国も米国に経済支援や軍事的支援――武器の貸与・売買な
どを求めており、もし、米国がそれに応じないと、どの国も破滅
してしまう――そのような特異な環境の下で、ブレトンウッズ会
議が開催されたのです。
 したがって、各国とも米国の顔色を窺っており、いきおい米国
の発言力が会議を圧したといっても、過言ではない状況だったの
です。どこの国も米国に対して反対することができにくい雰囲気
があったことは確かです。
 この会議における米国の狙いは、莫大な金の保有をベースにす
るドルの優位性を利用して、各国の中央銀行が、金に兌換できる
唯一の通貨をドルとすることを各国政府に受け入れさせることに
あったのです。
 これが実現すると、米国は自国の通貨であるドルを刷るだけで
世界中の富を手に入れられることになるのです。他国から見れば
そういう米国のみが利する通貨制度をそう簡単には受け入れられ
ないというのは当然のことです。
 しかし、米国には反対できず、この通貨体制は成立してしまっ
たのです。ルーズベルト政権のときに、世界恐慌から脱却するた
めの経済政策として採択された金に関する一連の法律を通し、ひ
たすら金を備蓄して、大戦の末期にドル基軸通貨制を世界に認め
させる米国の戦略は緻密に練られ、実行に移されたのです。
 さて、ブレトンウッズ体制の下では、米国は「1ドル=35ド
ル」という平価を維持する責任があります。もし、米国が対外収
支で、赤字を出した場合は、黒字国の中央銀行に対して、金で支
払う義務があるのです。しかし、この約束を米国は必ずしも忠実
に果たしているとはいえないのです。
 そういう黒字国のほとんどは当初は戦後に急速な経済発展を遂
げた日本や西ドイツであり、ブレトンウッズ会議には出席できな
かった国なのです。米国はそういう国に対してはさまざまな政治
的圧力をかけて、ドルを金に兌換させないようにしたのです。
 たとえば、ジョンソン大統領は西ドイツに対し、ソ連陣営と国
境を接している西ドイツが安全でいられるのは、米軍が駐留して
いるからであるとして、ドルを金に兌換しようとする動きを事前
に封じています。
 このブレトンウッズ体制――1953年〜1961年のアイゼ
ンハワー政権のときは、比較的、安定的に機能していたのです。
唯一小規模な景気後退があったのです。それは、1958年に起
こったドル危機です。
 そのとき米国は、22憶5000万ドルの金を外国の中央銀行
に売却しなければならないことになったのです。この金額は、F
RBが一年間に喪失した金の量としては史上最大なのです。
 この金の大量流出に驚いたアイゼンハワー政権では、財務長官
が下院の財政委員会に呼び出され、証人喚問を受けることになっ
たのです。その模様の一部を再現してみます。
―――――――――――――――――――――――――――――
 財務長官:1952年には120億ドルあった国外のドルの現
  在残高は176憶3000万ドルまで増大しました。さらに
  15億ドルの米国株が外国人によって所有されています。一
  方で、米国の金準備は、1952年が230憶ドルであった
  のに対し、205憶8000万ドルまで減少しています。
 カルステン議員:25億ドルの金の損失というのは、どのくら
  い深刻なのでしょうか。
 財務長官:ドルが外国ならびに投資家の信頼を失い、彼らがド
  ルではなく金で資産を保有したいと望むようになれば、非常
  に大きな問題となります。
 カルステン議員:米国の金備蓄に対する、取り付け騒ぎが起こ
  るということですか。
 財務長官:その通りです。そうなれば最悪の事態です。
 メトカフ議員:そうなる危険性は、大きいのでしょうか。
 財務長官:そうです。しかも、議会が行動を起こすのが遅くな
  ればなるほど、事態は悪化します。これは非常にデリケート
  な問題で、いい加減にあしらうことはできません。一国の通
  貨に対する信用を扱うことは、いつ爆発してもおかしくない
  ダイナマイトを扱っているようなものなのです。
       ――フェルディナント・リップス著/大橋貞信訳
   『いまなぜ金復活なのか/やがてドルも円も紙屑になる』
―――――――――――――――――――――――――――――
 この議会でのやり取りを見るとわかるように、米議会ではこの
問題をまじめに扱って議論しています。しかし、今にして思えば
このドル危機は実にさわやかなものであっことがわかります。
 しかし、それ以後米国政府の金準備は減っていったのです。そ
して、1960年末には180憶ドルを下回るようになります。
1946年には250億ドルあったのですから、15年間でその
3分の1が失われたことになります。この250億ドルという金
の量は、自由世界の全政府・中央銀行が保有する金準備の70%
に該当するのです。
 どうして米国の金準備は減少したのでしょうか。
 理由は複数あります。ドル紙幣の発行残高が増大しているにも
かかわらず、金とドルの兌換価格が「1オンス=35ドル」に固
定されていたことです。しかし、ドルの価値を下げることは米国
としてはできなかったのです。
 もうひとつは、戦災からの復興が進んだヨーロッパ諸国が金準
備を積み上げようとしていたことです。それに、1950年代後
半に発生した米国の国際収支の赤字――これが最もしんこくであ
り、重要なのです。そうしていくうちに、米国がドルを金に兌換
できない状況が起こってきたのです。  ―[金の戦争/17]


≪画像および関連情報≫
 ●「ブレトンウッズ体制」に関するプログより
  ―――――――――――――――――――――――――――
  現在の、ドルを国際決済通貨(基軸通貨)とする世界の経済
  体制を確立したのは、第二次大戦末1944年にアメリカで
  開かれた国際的な「ブレトンウッズ会議」である。この会議
  で定められたブレトンウッズ体制は、ドルを国際決済通貨と
  定め、世界(西側)の主要通貨はすべてドルに一定の固定相
  場でペッグされ、ドルは1オンス35ドルの固定価格で金に
  つながる「準金本位制」だった。ペッグを維持できなくなっ
  た国に緊急融資する機関として、IMF(国際通貨基金)が
  作られた。
   ttp://blog.trend-review.net/blog/2008/05/000706.html
  ―――――――――――――――――――――――――――

アイゼンハワー大統領.jpg
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2008年07月02日

●ケネディ大統領とブレトンウッズ体制(EJ第2359号)

 1960年の後半になると、スイスの銀行は自らも金を買うと
ともに、顧客に対して金を買うよう勧め出すのです。何を根拠に
金を買うのかというと、1960年の大統領選でケネディがニク
ソンを破って勝ちそうだと読んだからです。
 ケネディ政権ができると、米国はインフレ路線を突き進むこと
は確実であり、そうなると、米国の国際収支はさらに悪化し、ド
ルの価値が下がって、金が上がるという予測です。
 それに国際政治情勢も不透明化を増していたのです。米国の秘
密偵察機U2がソ連によって撃墜され、予定されていたアイゼン
ハワー米大統領とソ連のフルシチョフ書記長のトップ会談が中止
になって、第3次世界大戦勃発の危険も増していたからです。
 いうまでもなく、戦争になれば金の価値が上がることは明らか
であり、そういう意味でも金が買われたのです。その結果、ロン
ドンの金市場で金の価格が「1オンス=40ドル」に跳ね上がっ
たのです。
 これをきっかけにして世界中の投機筋がドルの切り下げ、金の
値上がりを読んで、動き出したのです。金の価格は、ロンドンの
ロスチャイルド商会で毎日値付けが行われ、それが全世界におけ
る金相場を決めるのです。
 しかし、1961年2月にケネディ大統領は次の公式声明を出
したのです。
―――――――――――――――――――――――――――――
  アメリカは金「1オンス=35ドル」という公定の公式
  価格を 維持する      /ジョン・F・ケネディ
―――――――――――――――――――――――――――――
 この公式声明によって、ドルに対する海外の評価は回復し、ロ
ンドンの金相場も「1オンス=35ドル」まで下落したのです。
ケネディ大統領の優れているところは、国際通貨体制というもの
は、通貨としての金の信用ではなく、米国政府の信用であること
をよく知っていたことです。
 ブレトンウッズ体制の維持に対して、ケネディ大統領は次のよ
うにいっているのです。
―――――――――――――――――――――――――――――
 海外でのドル保有が増大しています。これは、アメリカ合衆国
 が特別な責任を負っていることを意味するのです。その責任と
 は、自由世界における主たる準備通貨であるドルの価値を維持
 することにあります。ドルは金と同様に優れたものであると多
 くの国々に認識させ続けなければなりません。
       ――フェルディナント・リップス著/大橋貞信訳
   『いまなぜ金復活なのか/やがてドルも円も紙屑になる』
―――――――――――――――――――――――――――――
 本来であれば、前回ご紹介した1950年代末のドル危機のと
き、米国政府と通貨当局が現実を直視したうえで、ドルを切り下
げるという対応措置を取っていれば、ブレトンウッズ体制はもっ
と長持ちしたと思うのです。
 大方の予想通りケネディ政権は、大減税を実施し、FRBに圧
力をかけて、通貨を大量に刷らせたのです。そのうえで、金価格
を抑制するため、1961年に米国とヨーロッパ主要7ヶ国が集
まって、「金プール」を創設したのです。
 「金プール」は市場で金が上昇したときに、各国政府が協調し
て金を売却して金価格を抑制するという制度です。この場合、市
場に対する介入コストは「金プール」加盟国のすべてが共同で負
担することになっています。
 「金プール」への拠出金額は総額2憶7000万ドルであり、
各国の中央銀行の割り当ては次のようになっています。
―――――――――――――――――――――――――――――
    西ドイツ ・・・・・   3000万ドル
    イギリス ・・・・・   2500万ドル
    イタリア ・・・・・   2500万ドル
    フランス ・・・・・   2500万ドル
    ス イ ス ・・・・・   1000万ドル
    オランダ ・・・・・   1000万ドル
    ベルギー ・・・・・   1000万ドル
    アメリカ ・・・・・ 1憶3500万ドル
―――――――――――――――――――――――――――――
 「金プール」の創設案は全部で6条から成るのですが、第5条
にはきわめて興味深い記述があります。
―――――――――――――――――――――――――――――
 ドルの金への交換をドル受け取りの一週間後にするか、一か月
 後にするか、あるいはまったく行わないかは、全面的に各中央
 銀行の判断に委ねられる。
       ――フェルディナント・リップス著/大橋貞信訳
   『いまなぜ金復活なのか/やがてドルも円も紙屑になる』
―――――――――――――――――――――――――――――
 ドルの価値が変動して金の価値が上がったとき、「金プール」
は介入を行いますが、そのドルを金に交換するのは、介入からな
るべく遅いほうが良いわけであり、米国としては金売り介入をし
た中央銀行が、そのままドルを保有していてもらうことが望まし
いのです。そのためにこのような条項が入っているのです。
 結果として、この「金プール」はいくつもの危機を乗り越えて
最初のうちは大成功を収めることになります。それらの危機は、
ソ連の度重なる金の売却によって救われたといってもよいのです
が、「金プール」に参加しているBIS加盟国中央銀行の金準備
は、21ヵ月間に合計13億ドル増大し、そのうち、約6憶50
00万ドルは米財務省のものになったのです。
 このとき、加盟各国、とくに米国の金融当局者が、財政と金融
を節度をもって運営していれば、ブレトンウッズ体制はもっと存
続したのですが、結果としてはそうはならなかったのです。各国
の金融当局者は、そんな重要なことをほとんど理解していなかっ
たからです。             ―[金の戦争/18]


≪画像および関連情報≫
 ●BISとは何か
  ―――――――――――――――――――――――――――
  BIS(国際決済銀行)では、中央銀行間の協力を促進する
  ために各国中央銀行総裁が定期的に集まり、検討内容に応じ
  てメンバーを入れ替えた3つの会合<1.GIO総裁会議、
  2.グローバル・エコノミー総裁会議、3.拡大総裁会議>
  を開催しています。通常これら3つの会合は、総称して「中
  央銀行総裁会議(総裁会議)」と呼ばれています。以前は同
  総裁会議が毎月開催されていたため、「月例総裁会議」と呼
  ばれていましたが、平成12年以降は、原則として隔月の奇
  数月に開催されることとなっており、単に「中央銀行総裁会
  議」あるいは「総裁会議」と呼ばれています。
                 ――日本銀行のサイトより
  ―――――――――――――――――――――――――――

1ジョン・F・ケネディ.jpg

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2008年07月03日

●ド・ゴールが仕掛けた金の戦争(EJ第2360号)

 当時の米国政府が何よりも恐れたのは、金が投資対象として有
利であると認識されることだったのです。そのため米国はそう思
われない対策を強化したのです。これを「アンチ金政策」という
のです。
 そういう「アンチ金政策」によって、米国の金鉱産会社は次々
と倒産に追い込まれる事態に発展したのです。実は1960年代
の終わりから、米国政府はブレトンウッズ体制を放棄するしかな
いと考えはじめていたのです。
 1964年10月の英国の総選挙で労働党が勝利します。これ
によって、ポンドに激しい売り圧力が浴びせられ、金の投機需要
に火がついたのです。
 それに1965年になると、フランスのド・ゴール大統領が米
国に対して金の戦争を仕掛けたのです。米国のドルを激しく批判
し、金本位制の回帰を訴えたのです。このことが、ロンドンの金
市場における買い圧力の一層の上昇原因になったのです。
 ド・ゴールという人はどういう人物だったのでしょうか。ウェ
ブサイトの「ド・ゴール伝」から引用します。
―――――――――――――――――――――――――――――
 ド・ゴールの外交政策の基本は、(体制は西側だが)東西いず
 れの陣営にも属さずフランス独自の「自立」と「栄光」を求め
 る点に集約されている。ド・ゴールは、反アメリカの姿勢から
 64年には中華人民共和国(アメリカと敵対)を承認し、同年
 にはソ連と通商条約を締結した。さらに66年9月にカンボジ
 アを訪問したド・ゴールはアメリカの東南アジア政策(ヴェト
 ナム戦争)を厳しく糾弾したりもした。この内、中華人民共和
 国を承認したことは、東アジアへの影響力拡大を目指すと共に
 ソ連と対立する中国と結ぶことによって、ソ連の西欧政策を緩
 和し、その上でソ連とも協調するという思惑があったようであ
 る。          http://www.kaho.biz/degaulle.html
―――――――――――――――――――――――――――――
 ド・ゴールは、1962年頃から米国から金を購入しはじめて
おり、1966年までにニューヨークからパリへ輸送された金の
総量は30憶ドル分に達したのです。ド・ゴールは、明らかに金
プールから抜け出そうとしていたのです。
 1967年7月にフランス銀行は、これ以上金の提供を続けて
いけないとして、金プールからの脱退を表明したのです。これに
より事態は急変します。
 1967年11月18日、ポンド平価は、1ポンド=2.80
ドルから、2.40ドルに切り下げられたのです。これによって
投機はドル売り金買いに向かい、大規模なゴールドラッシュに発
展したのです。そして、11月末には金プールからの流出した金
は、10憶6000万ドルに達したのです。
 その背景となったのは、アメリカの経常収支が1967年に赤
字基調に変わったことや、正式に金兌換請求権をもつ公的保有ド
ルだけで、金準備を上回ったためです。
 ジョンソン政権は、そうなっても「1オンス=35ドル」を守
り続けたので、1968年3月までに米国の金準備は、105憶
ドル、3憶オンスまで落ち込んだのです。
 これをもって、米通貨当局は、遂に金価格の維持を断念したの
です。その結果、自由金市場では自由に価格が決まるようになっ
たのですが、公的取引では今までどおり公定価格が用いられると
いう「二重価格制」をとるにいたったのです。これは米政府が金
価格の高騰を抑え込むためにとった最後の抵抗だったのです。
 これに対してド・ゴール大統領は、ブレトンウッズ体制につい
て、次のように述べているのです。
―――――――――――――――――――――――――――――
 アメリカは自国のインフレを輸出している。アメリカ本国に還
 流されないドルが増加し、今や破局的な割合に達している。ド
 ルの時代は終わったのである。  ――シャルル・ド・ゴール
 ――鬼塚英昭著、『日経新聞を死ぬまで読んでも解らない/金
              の値段の裏のウラ』/成甲書房刊
―――――――――――――――――――――――――――――
 1969年3月18日、米連邦議会は、財務省がドル紙幣の発
行残高の25%に相当する金準備を持たなければならないとする
要件を廃止したのです。これによって、国家のマネーサプライと
金準備の間にあった最後の砦がなくなったのです。これによって
ブレトンウッズ体制は崩壊したのです。
 ド・ゴール大統領は野心を持っていたのです。彼は、フランス
独自の政治と外交と経済の道を目標としたのです。当時の西側諸
国の米国一辺倒の外交を批判し、35ドルの金の公定価格を2倍
にするよう求めたのです。当時、フランスの金備蓄は米国に次い
で第2位になっていたことをド・ゴールは利用しようとしていた
のです。
 ド・ゴール大統領は、次のように西側諸国の指導者に訴え続け
たのです。
―――――――――――――――――――――――――――――
 合衆国だけがドルを印刷し、外国の資金を調達できる。私たち
 は外国との貿易で利益を上げることでしか外国の通貨または金
 を稼ぐことができないではないか。
 ――鬼塚英昭著、『日経新聞を死ぬまで読んでも解らない/金
              の値段の裏のウラ』/成甲書房刊
―――――――――――――――――――――――――――――
 明らかにド・ゴールはフランスの覇権を唱えていたのです。し
かし、1968年5月、フランス国内で大規模なストライキの渦
が巻き起こり、これによってフランス経済は大きな痛手を負うこ
とになったのです。ド・ゴールの威信は地に落ち、自らの地位を
賭した国民投票にも敗退するのです。そして、彼は政治の世界か
ら去っていったのです。        ―[金の戦争/19]


≪画像および関連情報≫
 ●「中東戦争/6日戦争」について
  ―――――――――――――――――――――――――――
 1967年6月5日から始まった中東戦争によって、ポンド危
 機が深刻化します。ゴラン高原におけるユダヤ人入植地の建設
 を巡ってアラブ側とイスラエルとの間で緊張が高まりつつあっ
 たのです。イスラエルはエジプト、シリア、イラク、ヨルダン
 の空軍基地に先制攻撃を仕掛けたのです。緒戦でアラブ側は、
 410機の軍用航空機を破壊されたのです。制空権を失ったア
 ラブ諸国は、地上戦でも敗北し、イスラエルはヨルダンのヨル
 ダン川西岸地区・エジプトのガザ地区とシナイ半島・シリアの
 ゴン高原を迅速に占領したのです。戦争前と比較し領土を約4
 倍以上に拡大したことになるのです。なお、6日で勝敗が決し
 たため「6日戦争」とも呼ばれるのです。
                    ――ウィキペディア
  ―――――――――――――――――――――――――――

シャルル・ド・ゴール.jpg

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2008年07月04日

●最後の土壇場でのSDR(EJ第2361号)

 ド・ゴールが登場すると、その後、金の戦争の話はニクソン・
ショックの局面に移るのですが、もう少していねいに事態を見て
行くことにします。
 米国は最後の土壇場で、いろいろな手を打ってきたのです。そ
のひとつが「SDR」――Special Drawing Rights/IMFの特
別引出権――です。その仕組みを考えたのは、米財務省のファウ
ラー長官ということになっていますが、実際の考案者はそのとき
ファウラー長官の下で次官をしていたボルカー次官ではないかと
いわれているのです。
 このポール・ボルカーという人物――大のケインズ嫌いのバン
カーですが、ハーバード大学、ロンドン大学スクール・オブ・エ
コノミクスフェローの資格を持つ経済の専門家でおり、後にFR
B議長になっています。有名なグリーンスパン議長の前任者とい
うことになります。
 ところで、「SDR」とは何でしょうか。
 SDRをごく簡単にいうと、中央銀行だけが保有できる特殊な
外貨準備であり、一定量の金に相当するものとして、その価値を
表示されたもの――つまり、特殊な通貨と考えるべきです。した
がって、米財務省はSDRのことを「ペーパーゴールド」と呼ん
だのです。
 このことをもっと正確に理解するには、ブレトンウッズ会議で
決まった「世界銀行」と「國際通貨基金/IMF」について知っ
ておく必要があります。
 世界銀行とIMFはどう違うのでしょうか。
 世界銀行は貧しい国の救済・復興・成長のための銀行として創
設されたのです。これに対してIMFは、加盟各国が経済危機に
陥ったとき、それが一時的なものであることがわかる場合、短期
間の融資を行い、経済危機を乗り越えさせることを目的とする機
関のことです。
 実際にIMFのお蔭で、多くの国の経済危機が回避されている
のは事実です。SDRはそのIMFの特別引出権――つまり、S
DRを発行できるわけです。ということになると、IMFも金と
かかわり――金が入ってくる仕組みがあることになります。それ
では、IMFと金はどのように関係があるのでしょうか。
 IMFによる融資の財源は、加盟国による寄付金によって賄わ
れるのです。それには、次の2つルールがあるのです。
―――――――――――――――――――――――――――――
  1.寄付金の75%は加盟国の自国通貨で用意できる
  2.残りの25%は「金」で用意する必要があること
―――――――――――――――――――――――――――――
 この寄付金規定によって、IMFには金が入ってくることにな
り、以後金の戦争に深くかかわることになるのです。
 さて、SDRは各国の中央銀行だけが保有できる「通貨」であ
り、市場で投機の対象とされることがないのです。それは米国に
とって、対外支払い分の能力に対する市場の不信が表面化しない
ので、とても好都合であるといえます。
 ここで知っておくべきは、世界銀行とIMFの「総裁」には次
の内規というか、約束事があるということをです。
―――――――――――――――――――――――――――――
     1.世界銀行の総裁は米大統領が決定
     2.IMF総裁はヨーロッパ人がなる
―――――――――――――――――――――――――――――
 ちなみに世界銀行の場合、その総裁の任命には米国の大統領が
かかわるのですから、当然米国人が今まで選ばれています。この
ことも知っておいて損はないと思います。関連する話として、6
月29日の『サンデー・プロジェクト』(テレビ朝日)において
高村外相は次のような発言をしていましたが、お聞きになったで
しょうか。
―――――――――――――――――――――――――――――
 北朝鮮が米国の「テロ指定国家」解除を受けると、北朝鮮は世
 銀で融資が受けられるといっているが、日本は世銀の大株主で
 すよ。そういう大株主の意向に反してですね。世銀はそう簡単
 に何もできないのですよ。          ――高村外相
―――――――――――――――――――――――――――――
 既に述べたように、世銀の総裁は米大統領が決めるのです。し
たたかな北朝鮮が米国との直接交渉において、大切な「世銀の融
資の取り付け」の確認を取っていないとは思えないし、米国が交
渉上のエサとして使っていると思います。しかし、6ヶ国協議で
はそんな秘密交渉はできない。だから、北朝鮮は米国との2ヶ国
協議にこだわったのです。こういうときに世銀という機関の性格
を知っておくと高村発言の実現性のなさがわかると思います。
大株主として日本は本当に「反対」を貫けるのでしょうか。
 さて、SDRですが、どうしてIMF加盟各国は、このように
米国にとってのみ都合のよいものに賛成したのでしょうか。
 既に多量のドルを保有していたIMF加盟各国は、もしかする
と米国はドルを金と兌換しないのではないかと心配しはじめてお
り、米国はそれを逆手にとってIMF加盟各国に一種の「脅し」
をかけてSDRを承認させたのです。
 そういう各国の思惑もあって、SDR――ペーパーゴールドが
成立すると、ロンドン市場の金相場は一時的に35ドル以下まで
下落したのです。しかし、インフレの危険もあって、どうしても
SDRの量には制限がかかり、結局、米国にとってSDRは救世
主にはならなかったのです。
 実はこのSDR――ブレトンウッズ会議でケインズが持ち出し
た「バンコール」という世界通貨を基にする戦略と基本構想は同
じです。米財務省の一からの構想ではないことは確かです。
 要するに、IMFに各国の金準備をすべて集め、加盟国が提供
する金準備と交換に手に入れる証券を世界通貨として使うという
のがケインズの構想です。米国はブレトンウッズ会議でそれを潰
し、後でコッソリ使ったのです。    ―[金の戦争/20]


≪画像および関連情報≫
 ●ポール・ボルカーについてのサイトより
  ―――――――――――――――――――――――――――
  私が記憶している範囲で、グリーンスパン以前に彼と同様の
  尊敬を集めたFRBの議長は、直前のポール・ボルカーだろ
  う。彼についても「ボルカーがいなくなったら、金融市場は
  大変なことになる」と言われたものだ。ボルカーとは実際に
  会ったことがあるが、正直言って190センチをゆうに越え
  (170弱の私が見上げるような大男だった)、声も太く、
  財務省で財務次官としても活躍したボルカーが「去る」とい
  う噂が出ただけで、外国為替市場ではドルが急落したのだ。
  それも一度や二度ではない。そして彼は去った。しかし、世
  界の経済は当たり前だが、回り続けた。
        http://www.ycaster.com/chat/greenspan.html
 ――――――――――――――――――――――――――――

ポール・ボルカー元議長.jpg
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2008年07月07日

●「金プールの金はどこへ行ったか」(EJ第2362号)

 米国の要請を受けて、1968年3月17日、ロンドンの金市
場は2週間にわたって閉鎖されたのです。これによって、金の協
調介入のために設立された金プールは正式に終了したのです。そ
して金市場が再開されたとき、金ビジネスの構造は大きく変化し
ていたのです。
 各国の中央銀行と金融機関は、「1オンス=35ドル」という
公式価格で取引を続ける一方、自由市場では金の価格が自由に変
動する二重構造の市場が生み出されたのです。中央銀行は自由市
場には一切かかわることはできない仕組みなのです。
 これに伴ってがぜん存在感を増してきたのがスイスの三大銀行
です。彼らは積極的に金の取引に乗り出して、スイスは世界の金
現物市場の80%を占めるようになったのです。
 ちなみに、ここでスイス3大銀行というのは、次の3つの銀行
のことを指しています。
―――――――――――――――――――――――――――――
   1.スイスユニオンバンク ・・・・・ SUB
   2.スイス銀行 ・・・・・・・・・・ SBC
   3.クレディスイス ・・・・・・・・ C S
―――――――――――――――――――――――――――――
 これらの3行は、スイスの独自の銀行法によって、いずれも巨
額の預金を有していますが、スイスユニオンバンクとスイス銀行
は、1998年に合併し、プライベートバンキング(個人顧客管
理業務)部門で世界第1位になっています。
 一般的に「スイス銀行」というときは、特定の銀行のことでは
なく、スイス銀行法に則ったスイス国内にある全ての銀行を指し
ています。また、EJの表現として「スイスの銀行」というとき
は「スイスの銀行家たち」ぐらいの意味にとっていただくとよい
と思います。
 さらにスイスの銀行家たちのことを「チューリヒの小鬼」と表
現することがあります。この命名者は、英国元首相、ハロルド・
ウィルソンなのです。ウィルソン元首相は、1966年に英ポン
ドの価値が下落したのは、スイスの銀行家たちが国際金融市場で
投機的な動きをしたせいだと非難し、彼らのことを「チューリヒ
の小鬼」と表現したのです。現代の投機的ヘッジファンドの先駆
けといってよいでしょう。
 なぜ、スイスの銀行は金に強いかですが、これは国策の影響が
大きいのです。スイスは、どの国も南アフリカの政府や企業に無
関心であった頃から、ドイツとともに南アフリカを助けており、
友好的な関係にあったのです。
 また、スイスの銀行は金に関してよく通じており、それを販売
する高いノウハウを有していたのです。スイスの銀行は世界中の
顧客に対して次のように説得していたのです。
―――――――――――――――――――――――――――――
     ポートフォリオの10%は金で持つべし
―――――――――――――――――――――――――――――
 そういうスイスですから、南アフリカに対して、金の流通をま
かせるよう説得するのは容易なことであったのです。
 また、スイスの銀行は、ソ連産の金の大部分を供給するという
こともしていたのです。なぜ、ソ連(現ロシア)なのかというと
それは双方にメリットがあったからです。
 ソ連はスイスの秘密主義と独立性を高く評価していたのです。
ソ連としては、スイスの銀行と金の取引をすることによって、ソ
連の金がどれだけ販売されたかという数字が外に出ることは一切
なかったからです。何事も秘密主義のソ連としては、スイスと取
引するメリットが大きかったのです。
 実際にソ連は、金の取引の大半をロンドンからチューリッヒに
移し、チューリッヒに独自の銀行まで設立しているのです。19
72年から1980年の8年間で、ソ連がスイスで売却した金の
総量は2000トンになるといわれています。
 スイスの銀行といえば秘密口座で有名ですが、それはどのよう
なものであるかについて知っておく必要があります。日本の銀行
のイメージを払拭していただきたいからです。
―――――――――――――――――――――――――――――
 スイス銀行秘密口座は、最小10万スイスフラン以上の預金者
 のための番号口座を指しています。口座はただ数字と文字だけ
 で預金者の名前がありません。入金、出金、明細、書類など全
 てにおいて口座番号使用します。そのため、預金者の書類が表
 に出ても身元は一切割れません。さらに、銀行職員でさえ口座
 番号から預金者の身元を知ることができません。身元を確認す
 ることができるのは担当員や一部の上層部のみです。
 銀行員は、顧客の情報について、在職中はもちろん退職した後
 も秘密は守らなくてはいけません。これに違反すると罰金や禁
 固刑などの刑事罰を課せられます。たとえ司法当局であっても
 顧客情報を開示する事はありません。  ――スイス銀行より
         http://www1.kcn.ne.jp/~ssumika/bank.html
―――――――――――――――――――――――――――――
 まったくの伝聞ですが、スイスの銀行はミサイルを装備した潜
水艦を所有しているという情報があります。取引のために金塊を
運ぶためです。なお、この潜水艦が発見されたことは一切なく、
その存在も闇のなかです。しかし、金ビジネスに深くかかわるの
であれば、そのくらいの装備をもっていても不思議はないといえ
るのです。
 さて、冒頭に「スイスは世界の金現物市場の80%を占める」
と述べましたが、どのようにして、金塊がスイスに集められたの
でしょうか。
 それは、あのロスチャイルドとオッペンハイマーの両財閥が所
有している「デビアス」にかかわりがあるのです。ロスチャイル
ドとオッペンハイマー両財閥は同じ血脈であり、デビアスとアン
グロ・アメリカンは同一系統の会社なのです。これについては、
明日のEJで述べます。        ―[金の戦争/21]


≪画像および関連情報≫
 ●チューリッヒの小鬼と東京の主婦/プログ
  ―――――――――――――――――――――――――――
  朝9時から北陸放送ラジオ『軽妙卓説』にコメンテーターと
  して出演する。今日の話題は「為替市場の動向と個人の外貨
  資産投資」。5月末時点において国際株式型の株式投信(追
  加型)の残高が国内株式型を上回るなど、個人投資家による
  海外投資が拡大していることを背景に、為替相場への関心が
  高まっている。近年、円安が進行している要因や今後の展望
  これから外国証券を買うときの注意点などを解説する。
       http://d.hatena.ne.jp/random_walk/20070711/p1
  ―――――――――――――――――――――――――――

ハロルド・ウイルソン.jpg
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2008年07月08日

●「スイスの小鬼たちの暗躍」(EJ第2363号)

 なぜスイスに膨大な金の現物が集まったのでしょうか。このこ
とを理解するには、現在真に世界を動かしている勢力の正体とは
何なのかについて知る必要があります、
 作家の広瀬隆氏は、『アメリカの経済支配者たち』という本の
中でその疑問に相当踏み込んで答えています。日本をはじめ全世
界に影響を与えるアメリカ――そのアメリカを動かしているのは
大統領でもなければ二大政党でもないのです。ロックフェラー、
ヴァンダービルト、モルガン、アスターといった財閥の遺産相続
人たちなのです。彼らはヨーロッパの財閥ともつながっており、
その要請と指示に従ってウォール街のビジネス集団は活動するの
です。ヘッジファンドの大物たちですら、実は財閥に使用される
投機屋にすぎなのです。
 広瀬隆氏は、金に関してこの本の中で、次のように書いている
のです。
―――――――――――――――――――――――――――――
 ゴールドの世界は、南アメリカのオッペンハイマー家によって
 動かされてきた。かつてイギリス人のダイヤ王セシル・ローズ
 が、ロスチャイルド家の資金を得て1888年にデビアスを設
 立してアフリカ南部全域を支配した。彼の死後、1917年に
 アーネスト・オッペンハイマーがアングロ・アメリカンを設立
 して、南アの鉱区を完全支配してから、息子の二代目ハリーを
 経て三代目ニコラスに至った。(中略) 最近のデビアスは97
 年にフランスのエドモン・ロスチャイルド男爵の死後、息子の
 バンジャマンに実権が継承され、97年時点で、デビアスが姉
 妹会社アングロ・アメリカンの株を38.4% 保有している。
                 ――広瀬隆著/集英社新書
             『アメリカの経済支配者たち』より
―――――――――――――――――――――――――――――
 デビアスといえば、南アフリカ共和国のヨハネスブルグに本社
を置くダイヤモンドの採掘・流通・加工・卸売り会社であり、資
源メジャーのひとつです。
 デビアスといえば、今年の3月に銀座・マロニエ通り沿いにデ
ビアス銀座ビルが完成しています。このビルは、シュールに歪ん
で見える不思議な建物であり、話題を呼んでいます。建物の基本
設計は、光井純&アソシエイツによるものです。直接話に関係は
ないですが、話題として使えます。
 話を整理しておきましょう。いわゆるチューリッヒの小鬼たち
は、世界の二大鉱山国のソ連と南アフリカから、金の現物――金
塊を仕入れていたのです。
 チューリッヒの小鬼たちは、このようにして手に入れた金塊を
米国をはじめ西側の中央銀行に売り込んでいます。そのうえ
で、チューリッヒの小鬼たちはこれらの金塊を巧妙な手段を駆使
して回収してきたといえるのです。
 その巧妙な手段とは具体的に何を指しているのでしょうか。
 彼らは金塊によって世界を動かせると考えており、そのために
は戦争を起こさせることもためらわないのです。第1次世界戦争
も第2次世界戦争も、結局、裏では金がからんでおり、これも金
の戦争といえるのです。
 このように、チューリッヒの小鬼たちの暗躍にロンドン市場は
ただ黙って見ていたのではなかったのです。それは「金の先物取
引」を始めることで、少しずつ金の世界での主導権を取り戻して
いこうと考えていたのです。
 この話には信憑性があります。それは、それまでロンドン市場
で行われてきた金価格の値決め――フィキシングが先物取引その
ものであるという意見があるからです。
 ロンドン市場では昔から次の5大業者が毎日2回集まって、金
の価格を決定しているからです。
―――――――――――――――――――――――――――――
        1.ロスチャイルド
        2.モカッタ
        3.ジョンソン・マッセイ
        4.サミュエル・モンタギュー
        5.シャープ・ピクスレー
―――――――――――――――――――――――――――――
 しかし、実際に価格に本当の影響を与えるのは、チューリッヒ
のはずです。それは、これらの5大業者とスイスの三大銀行は元
をただせば、同じ一族であり、ロスチャイルドを頂点とする系図
の中にすべて収まるのです。そして、彼らの中から、国際決済銀
行の総裁もIMFの総裁も選らばれているという事実です。
 つまり、こういう構図になるのです。主要各国の経済・通貨政
策をめぐる動きというものが表舞台としてあります。しかし、そ
の舞台裏では、上記の五大業者に代表される財閥の動きや思惑が
あり、さらにその深層では、チューリッヒの小鬼たちが暗躍して
いるというものです。
 ところで、なぜ、国際決済銀行――BISが金にからんでいる
のでしょうか。
 それは、この銀行がソ連からの金塊の大部分を受け入れる窓口
になっていたからです。ソ連は金塊を国際決済銀行に持ち込んで
ユーロダラーを受け取り、工業製品や化学製品を西側から輸入し
ていたのです。そして、金塊はここからスイスの三大銀行に流れ
るようになっていたのです。
 BISは「国際決済銀行」という名前が付いているので、雰囲
気として公的な銀行と思われますが、銀行そのものは私的な銀行
であり、スイスの三大銀行と裏でつながっているといわれている
のです。
 それにもうひとついえることは、金を扱う5大業者、スイスの
三大銀行、米系証券、投資銀行――これらの人々は、ほとんどユ
ダヤ人なのです。というと、金の戦争はユダヤに深くかかわって
いることになります。さて、明日のEJから、金の戦争は次のス
テージに移動することになります。 ―――[金の戦争/22]


≪画像および関連情報≫
 ●デビアス銀座ビルについて
  ―――――――――――――――――――――――――――
  デビアス・ダイヤモンドジュエラーズ/本社=英ロンドンは
  3月28日、マロニエ通りにアジア初の路面店「デビアス銀
  座本店」(中央区銀座2)をオープンする。昨年4月にオー
  プンした「ボッテガ・ヴェネタ」隣に位置する同店は、光井
  純&アソシエイツ(目黒区)が設計を手がけた「空に向かっ
  て歪みを見せる」特徴的なデザインのビルの地下1階〜2階
  の3フロアに出店する。総面積は330平方メートル。  
           http://ginza.keizai.biz/headline/601/
  ―――――――――――――――――――――――――――

デビアス.jpg

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2008年07月09日

●「フェルディナンド・リップスとは何者か」(EJ第2364号)

 今回のEJのテーマは「金の戦争」です。既に何回もこの言葉
を使ってきています。しかし、「金の戦争」とは何なのか、まだ
はっきり見えていないと思うのです。
 ここまでの22回の連載を通じて、第1次世界大戦の前から、
金をめぐる動きという視点に立って、米国の通貨政策を中心に歴
史的分析を行ってきています。
 歴史というものはどういう視点に立ってそれを見るかによって
同じ出来事でもまるで違って見えてきて、数多くの新しい発見が
あるものです。今までにもいろいろな視点に立った分析が行われ
てきていますが、金を中心に分析したものは少ないのです。
 それは、多くの場合、金は秘密裏に扱われるので、表に出ない
情報が多く、資料がきわめて乏しいからです。しかし、金の歴史
を探るさいに貴重な本があるのです。既に2〜3回引用していま
すが、改めてご紹介します。
―――――――――――――――――――――――――――――
        フェルディナント・リップス著/大橋貞信訳
  『いまなぜ金復活なのか/やがてドルも円も紙屑になる』
                       徳間書店刊
―――――――――――――――――――――――――――――
 実はこの本の原題は「ゴールド・ウォーズ/金の戦争」なので
す。この本の著者のフェルディナント・リップスについては、今
回のテーマの連載2回目のEJ第2343号において、少しご紹
介しています。
 1931年生まれの銀行家ですが、1968年にチューリッヒ
・ロスチャイルド銀行の設立に参画し、マネージング・ディレク
ターに就任しているのです。そして、1987年には、バンク・
リップスを設立し、1998年には引退。その後はアフリカの金
鉱山会社の役員を務める一方、金鉱ファンドを運営している人物
です。経歴から見て、長い間にわたって一貫して金にかかわって
いることがわかります。
 リップスはこれまで何回か来日もしているし、マスコミとのイ
ンタピューにも応じています。例えば、次のやり取りは2003
年3月8日に、ジム・パプラバという司会者の質問に答えるとい
うスタイルで次のように述べています。
―――――――――――――――――――――――――――――
 ジム:あなたの著書『ゴールド・ウォーズ』によると、誰がこ
  の戦争(金の戦争のこと)を仕掛けたのでしょうか。その目
  的は何で、誰が犠牲者になるのでしょうか。
 リップス:誰が仕掛けたかといえば、フランクリン・D・ルー
  ズベルトであろう。彼は1933年、米国国民から金を押収
  し、その後で、価格を20.67 ドルから、35ドルに引き
  上げた。その時点で<ゴールド・ウォーズ>が現実に始まっ
  た。70年前のことだが、それ以来、金に対する紙の攻撃が
  続いている。この戦争は、ブレトンウッズ体制が1971年
  に崩壊してから激しくなった。それ以来、金にリンクした通
  貨が存在しなくなり、スイスだけ例外となった。
 ――鬼塚英昭著、『日経新聞を死ぬまで読んでも解らない/金
              の値段の裏のウラ』/成甲書房刊
―――――――――――――――――――――――――――――
 ロスチャイルド家の一員であるリップスは、金の戦争はルーズ
ベルトの金に対する仕掛けに始まって、リップスが本を出した2
002年に終了しているといっています。リップスのいわんとす
ることを既出の鬼塚英昭氏が次のようにまとめています。
―――――――――――――――――――――――――――――
 私リップスは、正直なところ語りたい。私の話を聞いている諸
 君、この<金の戦争>は私が本を出版した2002年をもって
 終了した。敗者はアメリカの連邦準備制度(FRB)と世界各
 国の中央銀行である。彼らは<金の戦争>で敗れ去ったのだ。
 その理由の第1は、アメリカはじめ各国が、中央銀行制度とい
 うものを創り、ことに金の保持、管理、そして運営を一任した
 からである。今や中央銀行は、社会にとって有害なものとなっ
 た。私は勝者の一人として、パートナーのロスチャイルドから
 一般の人々にこの事実を伝えよとの指令を受けた。それで私は
 『ゴールド・ウォーズ』という本を出版し、各テレビ局やラジ
 オ局のインタビューに応じ、また世界各地で講演しているので
 ある。―鬼塚英昭著、『日経新聞を死ぬまで読んでも解らない
            /金の値段の裏のウラ』/成甲書房刊
―――――――――――――――――――――――――――――
 これは一体どういうことなのでしょうか。リップスは、既に金
の戦争は2002年に決着し、われわれ、すなわち、ロスチャイ
ルドとしてはこの戦争に勝利したといっているのです。それは、
世界中の金をロスチャイルドが、掌中に収めたという意味なので
しょうか。
 ここでひとつはっきりしてきたことがあります。それは「金の
戦争」についてリップスが「金に対する紙の攻撃が続いている」
といっている点です。それは金本位制を捨てて、紙幣のドル本位
制にすること――金から貨幣としての機能を完全に奪い去り、紙
幣だけが本物のお金であるという信仰を広めようとしていること
を指しているらしいというです。
 リップスは、『ゴールド・ウォーズ』の日本版出版の序文で、
日本に対しても次のように警告しています。
―――――――――――――――――――――――――――――
 日本は2003年に1870億ドルのアメリカ国債を購入して
 います。また、2004年最初の3ヶ月だけで、1470億ド
 ルものアメリカ国債を取得したということです。私は、これは
 財政的、金融的な自殺にしか思えません。
   フェルディナント・リップス著/大橋貞信訳/徳間書店刊
   『いまなぜ金復活なのか/やがてドルも円も紙屑になる』
―――――――――――――――――――――――――――――
                 ―――[金の戦争/23]


≪画像および関連情報≫
 ●スイスのプライベートバンクについて
  ―――――――――――――――――――――――――――
  プライベートバンクとは、主に富裕層向けに個人資産管理サ
  ービスを提供する金融機関です。ヨーロッパで発展し、中で
  も、スイスのプライベートバンクは有名で、プライベートバ
  ンクの代名詞と言ってよいでしょう。スイスは、国家レベル
  での高い守秘性と安全性が評価されており、多くの富裕層の
  資金を集めてきました。一説には、スイスは、世界の個人資
  産の3分の1が集まっているとも言われています。
          http://www.pbguide.jp/column/article/4
  ―――――――――――――――――――――――――――

リップスの本.jpg

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2008年07月10日

●「金兌換停止までに何があったのか」(EJ第2365号)

 リチャード・ニクソンがやっと大統領の地位を勝ち取ることが
できたのは、1968年の大統領選挙のときです。ニクソンはそ
れに先立って、1962年11月のカルフォルニア州知事選挙に
出馬したのですが、対立候補のエドムンド・ブラウンに大差で破
れ、ニクソンはもう二度と浮かび上がれないであろうといわれて
いたのです。
 しかし、ニクソンは大方の予想を覆し、民主党の大統領候補、
ヒューバート・H・ハンフリーを僅差で破り、念願の大統領にな
ることができたのです。就任は1969年のことです。このとき
米国のドル本位制はどうにもならないところに来ていたのです。
 このときのニクソンの様子をあのフェルディナント・リップス
は、次のように書いています。
―――――――――――――――――――――――――――――
 ところがニクソン政権は1970年の107億ドルという破滅
 的な財政赤字と、1971年第1・四半期の50億ドルの赤字
 そして同年のドル危機を「完全なる沈黙」と「驚くほどの冷静
 さ」で眺めていたのである。
       ――フェルディナント・リップス著/大橋貞信訳
   『いまなぜ金復活なのか/やがてドルも円も紙屑になる』
                        徳間書店刊
―――――――――――――――――――――――――――――
 リップスは、米国政府の対応を「不気味で愚鈍な楽観主義」と
こきおろしています。あまり長く危機的状況下にいると、自分た
ちが危機の中にいることがわからなくなるとリップスはいってい
るのです。
 ニクソン大統領とコナリー財務長官がどのようにドル危機を認
識していたかは推測するしかありませんが、状況のあまりのひど
さに現実を直視するしかなかったのではないかと考えられます。
 そしていよいよ1971年8月になると、米国のドル建て対外
短期債務は600億ドルに達し、その3分の2は海外の公的機関
が保有していたのです。
 仮に金価格を「1オンス=35ドル」で計算すると、米国の金
準備は、97億ドルまで減少していたのです。そして、1971
年8月9日には、金価格は43.94ドルの高値を更新している
のです。
 ドイツのマルクは変動制への以降後、7%上昇――これによっ
てドルは約10%減価したことになります。まさに通貨危機の到
来です。スイスの銀行は通貨危機が拡大するのを恐れて、一時ド
ルの取引を停止しています。
 そして遂にイングランド銀行とスイス国立銀行は、保有するド
ルと金とを交換するよう米国政府に求めてきたのです。この問題
を受けて、1971年8月10日、ニュージャージー州の海岸地
帯にある保養地マントロキングにおいて、通貨危機について会議
が開かれたのです。
 銀行家、エコノミスト、金融スペシャリスト、そして政府関係
者、財務次官のポール・ボルカーもやってきて討議に加わったの
です。論点は次の通りです。
―――――――――――――――――――――――――――――
   ・金利を引き上げる
   ・信用拡張のペースを緩めない
   ・金価格の引き上げ(=ドルの対金引き下げ)
   ・金兌換の停止
―――――――――――――――――――――――――――――
 さまざまな意見が出されたのですが、どれもこれも説得力を持
たなかったのです。一番議論が沸騰したのは、金価格の引き上げ
――つまり、ドルの対金引き下げだったのです。ボルカー次官は
理解は示したものの、結局この案は議会の承認が得られないであ
ろうということで否決されたのです。
 当時の米国の国民は、米国こそは世界のリーダーであると信じ
ており、そういう国民に米国の通貨が価値を失っていることを告
げるのは政治家としてしのびないと考えたのです。
 ルーズベルト大統領のニューディール政策のときは、国民のす
べてが危機を理解していたのに対し、この時点での米国国民は、
自国の危機の深刻さを何も知らされてはいなかったのです。
 結局、この日の会議の結論は、「金兌換の停止」ということに
なったのです。
 外国が保有するドルを米財務省が金で償還することを禁止する
――これは、金の支払い不履行ならびに国際通貨協定の拒絶その
ものであり、そういう意味で、米国は発展途上国に転落したのも
同然だったのです。
 かくして、マントロキング会議の5日後の8月15日――ニク
ソン大統領は金兌換の停止を発表するにいたるのです。これによ
って、ブレトンウッズ体制は崩壊したのです。
 フェルディナント・リップスは、そのときのニクソンの声明に
ついて、次のように手厳しく批判しています。
―――――――――――――――――――――――――――――
 ニクソンは声明の中で、通貨危機は国際的な通貨投機筋のせい
 であると5度も非難している。超大国の指導者の発言とは思え
 ない下品さでもって、スケープゴートに責任をかぶせたのだ。
       ――フェルディナント・リップス著/大橋貞信訳
   『いまなぜ金復活なのか/やがてドルも円も紙屑になる』
                        徳間書店刊
―――――――――――――――――――――――――――――
 今から考えると信じられない話ですが、そのとき、金がドルの
裏付けではなく、ドルが金に価値を与えていると本気で信じてい
た役人がいたのです。当時のFRBのヘンリー・ワリッチ議長が
金相場の動きを「余興」と呼んでいたように、勘違いしていた連
中が多かったようです。そのため、金兌換停止のあと、ニクソン
政権は、ほんとんど何の手も打っていなかったことからもそれは
いえるのです。          ―――[金の戦争/24]


≪画像および関連情報≫
 ●リチャード・ニクソンについて
  ―――――――――――――――――――――――――――
  ニクソン大統領は就任後は東側諸国に対して硬直的な態度を
  取り続ける国務省を遠ざけ、官僚排除、現実主義・秘密主義
  外交を主とするホワイトハウス主導の外交を展開し、国家安
  全保障担当大統領補佐官のヘンリー・キッシンジャーととも
  に、これまでの封じ込め政策に代えて融和的なデタント政策
  を推進する。            ――ウィキペディア
  ―――――――――――――――――――――――――――

大統領になったニクソン.jpg
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2008年07月11日

●「金の戦争に敗れたニクソン」(EJ第2366号)

 ここまで見てきたことは、各国の金をめぐる争奪戦――まさに
金の戦争です。
 世界の金を支配する――この目標を達成するには、世界の金の
総量ついて知る必要があります。世界には一体どのくらい金があ
るのでしょうか。
 ここにデータは古いのですが、1993年当時の貴重なデータ
があります。これによると、金の地上在庫は10万6000トン
といわれているのです。その内訳は次の通りです。
―――――――――――――――――――――――――――――
 総量 106000トン
  10600トン ・・・ 工業用消費 ・・・ 10%
  25440トン ・・・ 個人投機家退蔵 ・ 24%
  33920トン ・・・ 宝飾品消費 ・・・ 32%
  36040トン ・・・ 公的部門 ・・・・ 34%
 ――――――――――――――――――――――――――
 106000トン              100%
 ――鬼塚英昭著、『日経新聞を死ぬまで読んでも解らない/金
              の値段の裏のウラ』/成甲書房刊
―――――――――――――――――――――――――――――
 公的部門の金塊は「36040トン」――このうちの80%は
各国の中央銀行が保有としているとされる金塊です。28832
トンがそれに該当します。
 この金塊はIMFを含めて各国の中央銀行の金庫にある――と
誰もが考えていますが、本当にあるのでしょうか。ある有力な情
報筋によると「ない」と明言しています。
 ニクソンによるドルの金兌換が停止された直後、ニクソン大統
領をはじめとする米国の通貨当局は、本当に事態の深刻さ正確に
理解していたのかどうか、理解に苦しむところです。なぜかとい
うと、信じ難いことに当局はこれといって何もしていないからで
す。ちょうど現在の日本の福田政権のようにです。この政権は本
当にこの経済危機に当たって何もしていないのです。といっても
これは日本の話ではありますが・・・。
 ただ、ドイツ連銀とスイス国立銀行の2行だけは、ドルを支え
るために大規模な介入を行っていたのです。この2行は事態を正
確に把握していたといえます。
 ニクソン政権が事態を正確に把握していなかったことの証明は
ニクソン・ショックから4ヵ月後の1971年12月に、首都ワ
シントンのスミソニアン博物館で10ヶ国蔵相会議が開催された
中で明らかになったといえます。
 この会議で何が決まったのでしょうか。
 金「1オンス=38ドル」が決まったことです。ドル平価の切
り下げです。なぜ、このレベルなのでしょうか。既にロンドン市
場では、金は43〜44ドルで取引されていたからです。もっと
理解し難いことは、ブレトンウッズ体制の基本構想である固定相
場制が維持されたことです。
 このスミソニアン会議での決定についてニクソン大統領は次の
声明を出しています。
―――――――――――――――――――――――――――――
 このスミソニアン会議で成立した合意は世界史上もっとも重要
 な金融協定である。          ――ニクソン大統領
―――――――――――――――――――――――――――――
 これは明らかに空威張り、自画自賛であるといわれても仕方が
ないでしょう。それは、1971年12月にこの会議があって、
その翌年の2月13日――再びドル平価の切り下げがあったから
です。今度は「1オンス=42.22ドル」でしたが、そのとき
市場は「1オンス=75ドル」になっていたのです。
 あのフェルディナント・リップスは、このときのニクソンにつ
いて、次のように書いています。
―――――――――――――――――――――――――――――
 ニクソンは、国際収支赤字の急増とヨーロッパ金市場の急拡大
 に直面していたにもかかわらず、アメリカが固定相場制のもと
 ドルで金を償還する能力を失っていることを理解していなかっ
 た。それとも、理解しようとしなかったのだろうか。とにかく
 ドルの価格がもはや維持不可能となったのは、金のせいではな
 かった。真の原因は、銀行システムによる信用創造が行き過ぎ
 ていたことにある。通貨もまた、他の財と同じく、その価値は
 希少性で決まるため、信用創造が進んでマネーサプライが増え
 れば、ドルは価値を失わないではいられないのであった。
   フェルディナント・リップス著/大橋貞信訳/徳間書店刊
   『いまなぜ金復活なのか/やがてドルも円も紙屑になる』
―――――――――――――――――――――――――――――
 1973年3月26日、ロンドンでの金価格は、遂に史上最高
値の「1オンス=90ドル」をつけたのです。それ以後、金の固
定相場制は、あってなき存在となったのです。あらゆる通貨の価
値は市場で決められるようになっていったからです。
 1973年10月、OPEC(石油輸出国機構)は、石油価格
が、1バレル2.11ドルから10ドル以上に上昇するまで生産
を制限すると決定したのです。これによって、スミソニアン協定
の合意は事実上意味を失ったのです。
 さてこのあと、例のウォーターゲート事件によって、ニクソン
大統領は1974年8月8日に辞任に追い込まれます。別にこの
通貨制度破綻の責任を取っての辞任ではなかったのですが、彼が
金の戦争に敗れ去ったことは確かなことなのです。
 ニクソンが辞任し、後を継いだ副大統領のフォードは、197
5年1月1日にきわめて重要な決定をするのです。しかし、その
決定はフォード大統領自身が決めたものではなく、そうさせたい
闇の勢力があって、ニクソンを失脚させ、フォードを大統領に誕
生させたのです。
 フォード大統領はどういう決定をしたのでしょうか。この問
題は来週に取り上げます。     ―――[金の戦争/25]


≪画像および関連情報≫
 ●ウォーターゲート事件とは何か
  ―――――――――――――――――――――――――――
  事件は、ニクソン政権の野党だった民主党本部があるウォー
  ターゲートビルに、不審者が盗聴器を仕掛けようと侵入した
  ことから始まった。当初ニクソン大統領とホワイトハウスの
  スタッフは「侵入事件と政権とは無関係」との立場をとった
  が、ワシントンポストなどの取材から次第に政権の野党盗聴
  への関与が明らかになり、世論の反発によって合衆国史上初
  めて現役大統領が任期中に辞任に追い込まれる事態となった
  のである。             ――ウィキペディア
  ―――――――――――――――――――――――――――

ウォーターゲート・ビル.jpg

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2008年07月14日

●「ひとつの意思を持って進む金の政策」(EJ第2367号)

 ジェラルド・フォードという人は大変運の強い人であるといえ
ます。なぜなら、フォードは一度も選挙をすることなく、副大統
領と大統領になったからです。
 1973年、リチャード・ニクソンの政権下で、スピロ・アグ
ニュー副大統領が収賄疑惑の追及を受けて辞任に追い込まれたの
です。そのとき議会は民主党が多数を占めていて、ニクソンとし
ては共和党のジェラルド・フォードを副大統領にするしかなかっ
たのです。というのは、彼は気さくで楽天的なスポーツマンとい
うキャラクタ−の持ち主であり、敵のいない男だったからです。
 こうしてフォードは副大統領になったのです。そしてその後、
ニクソン大統領がウォーターゲート事件の責任を取って辞任した
のです。そのため、1974年にフォードは第38代米国大統領
になったのです。彼は一度も大統領選に出ていないのです。
 また、彼は3回暗殺されそうになったのですが、いずれも運よ
く事前に犯人は取り押さえられてフォード大統領は助かっている
のです。やはり運が強い人というべきでしょう。
 さて、ニクソン大統領が辞任したのは、1974年8月9日の
ことです。その直後大統領となったジェラルド・フォード大統領
は、大統領に就任するや短い期間で、金にかかわる次の2つの重
要な決定をしているのです。
―――――――――――――――――――――――――――――
     1.1974年12月31日
      ・COMEXで金の先物取引の開始
     2.1975年 1月 1日
      ・国民が金の保有することを認める
―――――――――――――――――――――――――――――
 これら2つのことをフォード大統領が決断したとは思えないの
で、何らかの闇の勢力――国際通貨マフィアか――がフォード大
統領にそれをやることを求めたものと思われます。
 この2つの狙いは何でしょうか。
 第1は「COMEXで金の先物取引の開始」の狙いです。
 COMEX――ニューヨーク商品取引所での金の先物取引の開
始の狙いははっきりしています。それは、ロンドンから金の価格
決定権を奪うことが狙いです。そのために米国は金にからむさま
ざまな政策というか、駆け引きを急ピッチで始めたのです。
 第2は「国民が金を保有することを認める」の狙いです。
 米国が国民の金保有を認めるのは実に40年ぶりのことです。
多くの米国民が金を持つようになれば、民間による金の備蓄が進
み、結果として米国による金の囲い込みが実現することになるの
です。そのためには、国民が金を買いやすいレベルまで金の価格
を下げる必要がある――ニクソン大統領の退陣をまるで待ってい
たかのように、米国による金の政策は見違えるように的確に動き
出したのです。
 1974年12月31日――この日はCOMEXで金の先物取
引の開始を宣言した日なのですが、同時に米国は国家備蓄の金を
200万オンス放出するとアナウンスしたのです。これは相場の
「冷やし玉」が狙いです。さらに有力金融機関には、「金の不買
キャンペーン」を行わせているのです。
 その結果はどうなったでしょうか。
 国民の金保有を認めた時点の金の価格は「1オンス=197.
5ドル」という高値だったのですが、1975年6月の時点では
「1オンス=130ドル」まで下落しています。
 米国はこれに気をよくしてさらに手を打ちます。1976年1
月に「IMFキングストン合意」が行われます。ジャマイカのキ
ングストンで、IMFの暫定委員会が開かれ、変動相場制の正式
承認を含む、IMFの第2次協定改正を決定したのです。ここで
金の廃貨が正式に決まったのです。この制度は、1978年4月
1日に発効となったのですが、これをキングストン合意と呼んで
いるのです。
 このとき、IMFはさらに最貧国を支援するため、保有する金
の6分の1を売却しているのです。これによって、金価格は19
76年8月には「1オンス=103ドル」まで急落したのです。
 一方の金の先物市場はどのように推移したのでしょうか。
 米国の先物市場の中心はシカゴだったのです。シカゴ先物取引
所は(IMM)は、ニューヨークのCOMEXよりも規模が大き
かったのです。1975年1月1日の金売買解禁と同時に両市場
で金の先物取引が開始されたのですが、IMMはCOMEXに敗
れ、金の先物市場から去ることになります。カナダの金先物市場
も敗北してしまい、COMEXだけになります。
 どうして、COMEXはこんなに強いのでしょうか。
 それは、COMEXのバックにロンドンとチューリッヒ――ロ
スチャイルドがいるからです。その理由は、COMEXはそれに
よって、他の市場にない特殊性を持つからです。池永雄一氏の次
の記述を読んでいただきたいと思います。
―――――――――――――――――――――――――――――
 ニューヨーク市場の市場との大きな違いは、この先物市場での
 金融オペレーション、つまり鉱山会社のヘッジや投機家(個人
 や商品ファンド、ディラーなど)のスペキュレーションのなど
 が活動の中心となっており、他地域の市場がことごとく現物の
 調達・供給の必要性から生まれ、発展してきたという点を考え
 ると非常に特異な市場と言える。        池永雄一著
          『ゴールド。ディーリングのすべて』より
―――――――――――――――――――――――――――――
 COMEXの最大の強みは、「いつでも即座に金に替えられま
す」というキャッチフレーズが実行できたこと――他の市場では
それが困難であったことにあります。 ――[金の戦争/26]


≪画像および関連情報≫
 ●ニクソンの恩赦をめぐって
  ―――――――――――――――――――――――――――
  ニクソンがウォーターゲート事件の結果辞職すると、フォー
  ドは大統領に昇格、「私たちの長い悪夢は終わった」という
  有名な一句を残した。しかしその一ヵ月後、フォードは「ニ
  クソンが犯した、または犯した可能性がある、すべての犯罪
  行為に対し、全面的大統領特別恩赦を与える」と発表した。
  歴史家はこの恩赦が1976年の大統領選挙敗北につながっ
  たと見ている。政治評論家は1976年秋、10月6日の二
  回目のTV討論での失言が大統領選の敗北につながったと見
  ており、世論調査の「ジョージ・ギャラップ」は「選挙戦の
  決定的瞬間」と述べた。       ――ウィキペディア
  ―――――――――――――――――――――――――――

フォード大統領.jpg

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2008年07月15日

●「1980年1月の金高騰の謎」(EJ第2368号)

 COMEXで取引される金は、実際に金鉱山から出てくる金の
数百倍におよぶことはザラなのです。もっとはっきりいうと、実
際にはありもしない現物の金地金をさも大量にあると偽って、多
くの人をカジノに誘い込む変動為替相場制を利用した為替ヘッジ
――通貨デリバティブ市場なのです。
 1980年1月21日、金の価格は「1オンス=850ドル」
という空前絶後の価格となったのです。『ゴールド/金と人間の
文明史』の著者、ピーター・バーンスタインは、この現象につい
て次のように述べています。
―――――――――――――――――――――――――――――
 1959年、金への投資総額は、合衆国の全普通株式の市場価
 値の約5分の1だった。1980年、金に投資された16兆ド
 ルは、合衆国の株式の14兆ドルという市場価格を上回ってい
 た。クロイソス・カール大帝、ピサロたちが生きていて、彼ら
 の大切な金がこうして意気揚々と行進するのを見たらどう思っ
 たろう。   ――ピーター・バーンスタイン著/鈴木主税訳
        『金と人間の文明史』より/日本経済新聞社刊
―――――――――――――――――――――――――――――
 「1オンス=850ドル」――これは異常な高値であり、明ら
かに人為的であるといえます。これによって、誰がボロ儲けをし
誰が損失を被ったのでしょうか。
 850ドルになったのが1980年1月21日であることを考
えると、信じられないほどの膨大な資金――おそらく20兆ドル
程度が金の価格を釣り上げるために、1979年にCOMEXに
投入されたものと考えられます。
 既出の鬼塚英昭氏は、この金価格高騰の舞台裏について、次の
ように書いています。
―――――――――――――――――――――――――――――
 金価格の上昇のために巨大な資金を投入した仕手集団がいた。
 彼らは金が値上がりすることで、巨大な利益を得ることができ
 た。彼らとは間違いなく、金を実質的に支配し、所有するデル
 ・バンコ一族であった。では損をしたのは誰か。COMEXの
 先物市場開設に加わったアメリカの銀行・証券会社である。彼
 らはある時点で、各中央銀行から金を借りた。年率1〜2%で
 あった。(中略)金価格が上昇し、1オンス850ドルとなっ
 た時点で、アメリカ大統領が登場した。巨額の投資資金を投入
 して金価格をつり上げたということは、巨額の投資資金が導入
 され、これを迎え撃つべく金価格の下落を狙った動きがあった
 ことを示している。合衆国財務省もIMFも、金価格を下げる
 べく金の放出を続けた。しかし、金価格は上昇を続けたのであ
 る。  ――鬼塚英昭著、『日経新聞を死ぬまで読んでも解ら
            /金の値段の裏のウラ』/成甲書房刊
―――――――――――――――――――――――――――――
 鬼塚英昭氏は、金価格高騰を仕掛けた仕手集団は、「デル・バ
ンコ一族」であるといっています。デル・バンコ一族の正体は、
何でしょうか。
 デル・バンコ一族とは、ロンドンとチューリッヒで金の現物取
引をするマフィア中のマフィアなのです。デル・バンコ一族の本
拠地は、イタリア北部のロンバルディアであり、そこにあるスコ
シア・モカッタ銀行という銀行なのです。しかし、デル・バンコ
一族は、税金のかからないベネチアに資金を移して、現在はそこ
を活動の拠点としているのです。
 ここで、デル・バンコ一族についてもう少し詳しくお伝えする
必要があります。
 「オフショア」という金融用語をご存知でしょうか。
 オフショアとは、外国の投資家や企業の資産管理を受け入れる
金融機関や市場を指します。「タックス・ヘイヴン」の同義語と
して使われます。英国のスコットランド沖に浮かぶ島「マン島」
やイタリアのベネチアが代表的なオフショアであり、こういう場
所は本土の海岸から少し離れた所にあるため、しばしば法律の適
用状態が本土より緩やかな地域になっており、そういう場所の金
融機関に置いた資産や、そこを舞台にした投資活動には税金がか
からなかったり、かかっても少額であったりするので、巨額の資
産を持つ投資家や、財テクをしたい企業などが、こういう場所を
利用しているのです。
 デル・バンコ一族は巨額の資金を有しており、そのためベネチ
アに拠点を置いているのです。そういうわけで、世界のマネーの
70%はこうしたオフショアにあるといわれているのです。
 デル・バンコ一族にとって、米国の大統領などは「使い捨て可
能な、取り替え可能」な使用人程度にしか考えていないのです。
 こんな話があります。1991年に湾岸戦争を起こした父ブッ
シュ元米大統領とその財務長官を務めたジェームズ・ベーカーに
ついての話です。
 ブッシュは銀行ハリマンの経営者の一族であり、その子会社で
あるシティ・バンクの経営者一族がベーカーなのです。ブッシュ
とベーカーの2人は、きわめて緊密な関係にあるのです。
 湾岸戦争の起こった1991年にシティ・バンクは倒産の危機
に立たされたのです。そのとき、シティ・バンクが助けを求めた
相手は、親会社のハリマンでも、FRBでもなかったのです。シ
ティ・バンクは、英国の金融街のロンバート街にある世界最古の
スコットランド銀行だったのです。スコットランド銀行はシティ
・バンクに資金を提供し、経営危機は救われたのです。
 現大統領のジョージ・ブッシュは、かつては酒びたりのアル中
患者だったのです。わが子をなんとかしようとして、父ブッシュ
は、キリスト教原理主義の牧師パット・ロバートソンという人物
に泣きついたのです。
 ロバートソンの教育と彼の指示で24時間同居して身心ともに
ブッシュを立ち直らせたのは、現国務長官のコンドリーサ・ライ
スとローラ夫人なのです。そして、このロバートソンこそスコッ
トランド銀行の米国代表なのです。  ――[金の戦争/27]


≪画像および関連情報≫
 ●オフシォアの意味について
  ―――――――――――――――――――――――――――
  本来オフショアとは、「沖合い」を意味しますが、近年日本
  ではオフショアを「海外」の意味で使うようになりました。
  とりわけ金融の世界では歴史的、環境的事情により、非居住
  者(外国人)に対し、租税環境を優遇している「国」や自治
  権を持った「地域」のことを指します。またオフショア金融
  機関のほとんどが、タックスヘイブン(租税回避地)に拠点
  を構えています。タックスヘイブンの国にある口座、投資資
  産、資産および会社の収益のほとんどは非課税になります。
  しかしオフショアを使う理由はそれ以外にもたくさんありま
  す。 http://www.offshorelibrary.com/whatisoffshore.htm
  ―――――――――――――――――――――――――――

ピーター・バーンスタインの本.jpg
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2008年07月16日

●「デル・バンコ一族の凄い実力」(EJ第2369号)

 デル・バンコ一族の話を続けます。あのシテイ・バンクが19
91年に経営危機に陥ったとき、救いを求めたのが、英国のロン
バート街にあるスコットランド銀行だったという話をしました。
そのスコットランド銀行の米国代表であるパット・ロバートソン
――ブッシュ家が公私ともに世話になっているキリスト原理主義
の牧師だったのです。
 ところで、英国のロンバート街の世界最大手の銀行はスタンダ
ード・チャーター銀行(SC)です。この銀行の旧名は、ロード
・ミルナー・セシル・ローズ銀行というのです。
 ロード・ミルナーは、ロード・ミルナー卿のことであり、彼は
世界各地でアヘン貿易を行い、有色人種の大量虐殺を行ってきた
東インド会社の創始者なのです。
 セシル・ローズは、南アフリカで黒人を奴隷化し、金とダイヤ
モンド鉱山を開発して、世界の金塊とダイヤモンドを独占してき
たデビアス――アングロ・アメリカン社(AA)の創始者なので
す。現在、父ブッシュは、このAA社のカナダ支部であるパリッ
ク・ゴールド社の役員を務めているのです。そして、黒人を奴隷
とすることを定めた悪名高い南アフリカのアパルトヘイト法を起
草したのが、スコットランド銀行なのです。
 しかし、ロンバート街のSCは英国支店に過ぎない存在であり
ヨーロッパ全体を対象とするのは、イタリアのロンバルディアに
ある銀行スコシア・モカッタ銀行なのです。この銀行は、SCの
本店に当たるのです。
 しかし、既に述べたように、ロンバルディアの銀行は、本店を
税金が課されないベネチアに置いているのです。ベネチアの金融
界は狭いギルド社会であり、過去800年間にわたってベネチア
の金融界を支配してきたのが、デル・バンコ一族なのです。ここ
で「バンコ」とは銀行の語源であり、事実上デル・バンコ一族が
世界の銀行を支配する存在として君臨しているのです。
 なお、デル・バンコ一族は、課税を逃れるため、ヨーロッパで
は、ウォーバーク銀行を経営しています。このウォーバーク――
もちろん、あのロスチャイルド家のポール・ウォーバークに深い
関係があります。1913年にポール・ウォーバークは米国に渡
り、米国のウォール街に指示して、米国の中央銀行であるFRB
を創立したことは、既に述べた通りです。
 ポールはやがて自身がFRBの議長になりますが、FRBの事
務的な仕事や雑用をベネチア支店の、そのまた支店である米国の
世界最大のシティ・バンクに担当させているのです。このように
デル・バンコから見ると、親子が米大統領を務めたブッシュ家な
どは、単なる雑用係に過ぎないのです。
 現在、デル・バンコ=スコシア・モカッタ銀行は、ロンドンで
金の取引を独占しています。ロンドンの貴金属取引所――ロンド
ン・メタル・エクスチェンジ(LME)の「黄金の間」と呼ばれ
る部屋において、毎日デル・バンコ一族を中心とする5つの銀行
(業者)が集まって、国際的な金の価格が独裁的に決められてい
ることも既に述べた通りです。5つの銀行を再現しておくことに
します。ここまで述べてくると、金の世界を牛耳っているのが、
デル・バンコ一族であることがわかるはずです。
―――――――――――――――――――――――――――――
 1.ロスチャイルド
 2.モカッタ
 3.ジョンソン・マッセイ(メイス・ウェストパックが継承)
 4.サミュエル・モンタギュー
 5.シャープ・ピクスレー
―――――――――――――――――――――――――――――
 このように、デル・バンコ一族は金をベースとして金融の世界
を支配しています。金の先物市場の創設を仕掛けたのもデル・バ
ンコ一族なのですが、その中核部隊といえるのがBIS――国際
決済銀行ではないかといわれているのです。
 BISはユーロダラー市場を支配しており、世界の銀行の自己
資本比率をコントロールしたりと、私的銀行であるのに「中央銀
行の中の中央銀行」といわれているのですが、BISの幹部のほ
とんどは、デル・バンコ一族なのです。
 デル・バンコ一族は、金の先物市場の創設を考えたとき、金を
何としても集める必要があったのです。そのための布石として、
デル・バンコ一族がやったのが、中央銀行の金塊を貸し出させる
制度の創設なのです。この一族の力を持ってすれば、各国の中央
銀行をコントロールするぐらい簡単にやれるほどの力を持ってい
るのです。
 「金を投資の対象とすべきでない」と説得するときよく使われ
る話法に「金は金利を生まない」というのがあります。確かに金
は単に保有しているだけでは利息を稼ぐことはないのです。
 しかし、これは紙幣であっても同じことです。紙幣をタンス預
金にしておけば金利は稼げないのです。それを積極的に貸し出し
て、金利を取るしかないのは同じことです。銀行にお金を預ける
ということは銀行に対する貸し付けを行っているのです。
 この論理で、デル・バンコは、中央銀行に対して「金リース/
ゴールドローン」を説得して実施させたのです。
 あのフェルディナント・リップスは、これについて次のように
いっているのです。
―――――――――――――――――――――――――――――
 金は銀行券と同じく、ただ保有しているだけでは何も生み出さ
 ない。1980年代初頭、想像力が豊かなウォール街のディー
 ラー数名が、この現実を変える方法を考えついた。ゴールドロ
 ーンと金の先物売りが、その方法である。そして、彼らは、こ
 のアイデアを金の保有者や金鉱所有者に売り込んだ。
   フェルディナント・リップス著/大橋貞信訳/徳間書店刊
   『いまなぜ金復活なのか/やがてドルも円も紙屑になる』
―――――――――――――――――――――――――――――
                  ――[金の戦争/28]


≪画像および関連情報≫
 ●ロンバルディアについて
  ―――――――――――――――――――――――――――
  古代ローマ時代、ロンバルディアはピエモンテと共にガッリ
  ア・キサルピーナ(アルプスにより近いガリアの意)と呼ばれ
  る属州の一つであった。568年、ゲルマン人、ランゴバル
  ト族が侵入し、ランゴバルド王国を築く。774年、カール
  大帝により首都のパヴィーナが陥落し王国は滅亡。1162
  皇帝フリードリッヒ1世――バルバロッサにより、ミラノも
  征服され破壊された。1167年に成立したロンバルディア
  同盟により復興する。そのころからヴィスコンテイ家が台頭
  しはじめ、1395にはジョヴァンニ・ガレアッツォ・ヴィ
  スコンティがミラノ公になりミラノ公団が成立する。
                    ――ウィキペディア
  ―――――――――――――――――――――――――――

ブッシュ親子大統領.jpg

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2008年07月17日

●「中央銀行から低利で金を借りる」(EJ第2370号)

 ブレトンウッズ体制が崩壊したことによって金の先物市場が生
まれたのですが、金の先物市場は、しだいにその存在感を増して
いったのです。
 金の先物市場は、金の現物取引を縮小化させ、現物の金を使わ
ないで金価格に影響を与えることができます。つまり、現物の金
を使わないでも、これによって、金の価格操作が可能になったの
です。実際の金の生産量は年間およそ2500トンですが、先物
市場で取引される金は1日当たり800から1000トンにも達
するのです。実際に金の現物を保有していなくても非現実的な水
準まで金の価格を上下させるこの金融技術――これをデリバティ
ブを通じたレバレッジと呼ぶのです。
 このデリバティブと呼ばれる金融技術は、やはりブレトンウッ
ズ体制の崩壊によって生み出されたものなのです。なぜなら、ブ
レトンウッズ体制は固定相場制ですが、その崩壊によって変動相
場制になったので、変動によるリスクの防御手段――ヘッジが必
要になってくるのです。
 しかし、本来防御的手段であった「ヘッジ」が、金融市場が国
際化することによって、安易な金儲けの手段――投機と化してし
まったのです。次の2つの言葉の差は紙一重なのです。
―――――――――――――――――――――――――――――
     to hedge   ・・・・・ 防御する
     to speculate ・・・・・ 投機する
―――――――――――――――――――――――――――――
 それでは、どうして「ヘッジ」が「スペキュレート」になった
のでしょうか。
 それは前回述べた「金リース/ゴールドローン」がきっかけに
なってそうなったのです。それでは、「金リース/ゴールドロー
ン」とは一体何でしょうか。
 中央銀行は、大量の金準備を単に保有しているだけでは、それ
からは何も生産されることはないのです。そこで「想像力豊かな
ウォール街のディーラー数名」(EJ第2369号参照)が中央銀
行に知恵をつけたのです。既出の鬼塚英昭氏によると、「想像力
豊かなウォール街のディーラー数名」とは、ロンドンとチューリ
ッヒで金の現物取引をしているデル・バンコ一族のことであると
いっています。
 どういう知恵をつけたのかというと、中央銀行に対して保有す
る金を特定の銀行に貸し出して、その利子を受け取るというもの
です。利率は通常年利1%〜2%の水準で、これは「金リース・
レート」と呼ばれたのです。
 中央銀行の金塊が当時の金相場の1〜2%という低利で借りら
れるというのです。悪い話ではありません。早速チェース・マン
ハッタンとJPモルガンが名乗り出て、それに投資銀行――証券
会社と考えてよい――のゴールドマン・サックスとリーマン・ブ
ラザーズがこの金の借り入れに加わったのです。デル・バンコ一
族の仕掛けの第一段階はうまくいったのです。
 中央銀行から金を借りた銀行や投資銀行は、これを主として金
鉱山会社に対して、金を3〜4%の範囲の利率で貸し出したので
す。金鉱山会社は借り入れた金は採掘をした金で返済できるので
金現物を売却して現金を手に入れることができます。したがって
この金の借入は低利での借り入れと同じことになるのです。
 COMEXが開設されたのは1975年の冒頭ですが、それま
でに大量の金を集める必要があったのです。そのひとつの手段と
して出てきたのが、中央銀行の金を動かそうという「金リース/
ゴールドローン」だったと考えられます。
 このゴールドローンの構想が出たのは1973年頃と考えられ
ますが、そのときの金の価格は年平均で「1オンス=約100ド
ル」前後だったのです。金リース・レートは、1〜2%であるの
で、きわめて低い金利といえます。
 しかし、この低い金利が大きな問題を引き起こすことになるの
です。中央銀行から金を借り入れた銀行や投資会社は、金鉱山会
社に貸し出しするだけでなく、その金を売却して他の営利の事業
に回したのです。あくまで、低利の金利を支払えば済むという安
易な考え方からです。
 しかし、これはデル・バンコ一族の仕掛けた巧妙な罠だったの
です。COMEXの開設後、金の価格はじわじわと上昇を始めた
からです。1973年から1975年までの金の価格の推移を示
します。
―――――――――――――――――――――――――――――
           1オンスの最高額      年平均
  1973年    127.00ドル   97.22ドル
  1974年    197.25ドル  159.18ドル
  1975年    186.25ドル  161.60ドル
―――――――――――――――――――――――――――――
 この罠に陥ったのは、米国の中枢を担うチェース・マンハッタ
ンやJPモルガン、バンク・オブ・アメリカなどです。これらの
銀行は、安易に考えた金利が倍になり、3倍になり、4倍になり
それが経営を圧迫するようになったのです。
 そして、1975年〜1979年にかけて今度は米財務省とI
MFが大量の金を売るという動きに出たのです。一体何が起こっ
たのでしょうか。
 そして、1980年に金の価格は「1オンス=850ドル」と
いう空前の価格に達したのです。この異常な金の価格は明らかに
意図的な価格釣り上げの動きがあり、それに応戦して価格を下げ
ようという動きとの激しい応酬があって、「1オンス=850ド
ル」になったということです。
 価格を上げようとする動きは、冒頭に述べたようなデリバティ
ブを通じたレバレッチが行われていることを意味しています。こ
れを仕掛けたのはデル・バンコ一族であり、これに敗れたのは、
米財務省とFRBであり、それに米国の中枢を担う大銀行である
といえます。            ――[金の戦争/29]


≪画像および関連情報≫
 ●ブリバティブについての解説
  ―――――――――――――――――――――――――――
  派生商品(デリバティブ)は、個人にとって縁遠いものと思
  われがちですが、最近では個人向け金融商品にもその仕組み
  にデリバティブを活用したものが見られます。また、金融商
  品取引所に上場しているデリバティブ取引の最低投資金額が
  低くなってきたことから、個人投資家が直接、デリバティブ
  取引に参加するケースも増えているようです。
   http://money.jp.msn.com/investor/funds/topics060.aspx
  ―――――――――――――――――――――――――――

史上空前の金価格850ドル.jpg
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2008年07月18日

●「1980年の金高騰の裏事情」(EJ第2371号)

 1979年9月――金1オンスが850ドルになる6ヶ月前の
ことです。IMF委員会は次の2つの重要な決定をしたのです。
―――――――――――――――――――――――――――――
       1.金公定レートを廃止する
       2.金の一部を競売にかける
―――――――――――――――――――――――――――――
 これは何を意味するのでしょうか。とくに2はIMFと米財務
省が保有する金の一部を投げ売りするというのです。
 ゴールドプランで中央銀行から金を借り、低利であることを前
提に、それを売却して営利の事業に注ぎ込んでいた米国の中枢を
担うチェース・マンハッタンやJPモルガン、バンク・オブ・ア
メリカは急速に値上がりする金の価格に経営が窮地に陥っていた
のです。当然のことですが、いかに低利でも金の価格が上がると
それに応じて利息の額が急拡大したからです。
 その状態を見て米財務省とIMFは、保有する金の一部を競売
にかけて、金の価格を何とか下げようとしたのではないかと考え
られるのです。しかし、金の競売の表向きの理由として米財務省
は、次のように発表しています。しかし、これはあくまでも表向
きの理由に過ぎず、本当の目的は金を大量に売ることによって、
金の価格を下げようとしたのです。
―――――――――――――――――――――――――――――
 競売の売り上げは発展途上国のために使われるとともに、一部
 が加盟国に返還される。
 ――鬼塚英昭著、『日経新聞を死ぬまで読んでも解らない/金
              の値段の裏のウラ』/成甲書房刊
―――――――――――――――――――――――――――――
 デル・バンコ一族は、デリバティブを通じたレバレッジの手法
で金の釣り上げを仕掛けたのに対し、合衆国財務省やIMFが大
量の金を放出して何とか金価格を下げようとする――まさに金の
戦争です。そして、総額20兆ドルを超える巨額な資金がCOM
EX市場に投入されたのですが、金の価格は一向に下がらず、米
財務省とIMFはこの戦いに敗れるのです。そして金の価格は遂
に850ドルに達するのです。
 金の価格が「1オンス=850ドル」をつけたあと何が起こっ
たのでしょうか。これについて、既出のピーター・バーンスタイ
ンは自著のなかで次のように述べています。
―――――――――――――――――――――――――――――
 (1980年)1月21日、金の価格は850ドルという記録
 的な高値をつけた。商品相場のブローカーのジェームズ・シン
 クレアは、状況を次のように要約している。「市場を信じるな
 ら、われわれは第八次世界大戦を戦っているのだ」。その日の
 午後、カーター大統領が、合衆国は「世界最強の国家であり続
 けるために必要ないかなる代価も支払わなければならない」と
 いう声明をだした。そのコメントのおかげで、金と外国為替市
 場は落ち着きを取り戻したようだった――金の価格は、その日
 の取引が終わるまでに50ドル下落した。
        ――ピーター・バーンスタイン著/鈴木主税訳
        『金と人間の文明史』より/日本経済新聞社刊
―――――――――――――――――――――――――――――
 遂にカーター大統領が登場して声明を出したのです。その結果
金の価格は下落し、次の22日に金は145ドルも下落します。
そして、1985年までに金の価格は300ドル前後になり、さ
らに1997年末には300ドルを割り込んだのです。つまり、
8年間に金は60%以上も安くなったのです。
 それでは、この金の戦争は一体何が目的だったのでしょうか。
この戦争を仕掛けた仕手集団が、金の価格を釣り上げ、高値で売
り抜けたのでしょうか。
 いや、そうではないのです。これは、デル・バンコ一族による
金の吸い上げではないかと考えられるのです。まず、中央銀行の
所有する金を「金リース/ゴールドプラン」――そもそもこのプ
ランはデル・バンコ一族のアイデアである――これによって市場
に誘い出し、それをデル・バンコ一族が吸い上げる、これが第1
段階の金集めです。
 そのあと、米財務省の保有する金地金とIMFの金が金価格を
下げるために市場で出てきたところを再び吸い上げる――これが
第2段階、このようにして、ひたすら、デル・バンコ一族は世界
中の金を集めたのです。
 米国の金塊蓄積所は、ニューヨーク連銀の地下金庫室と、ケン
タッキー州フォートノックスにある米中央銀行――FRBの地下
金庫室に保管されているといわれており、誰もそれを疑ってはい
ないはずです。大量の金塊がそこにあると思っています。
 ところで、フォートノックスというと、映画『007ゴールド
フィンガー』で、ショーン・コネリーが大立ち回りを演ずるラス
トシーンに出てくるあの場所です。
 実は日本が所有する金は、日本銀行の金庫に保管されているの
ではなく、ほとんどは米フォートノックスの地下金庫室にあると
いわれているのです。日本だけでなく、世界の弱小国の保有金は
ほとんどフォートノックスの地下金庫室にあるのです。いわば金
は米国の人質となっているのです。
 ちなみに日本は米国から金を持つなといわれているらしく、世
界第2の経済大国であるのに、金についてはドイツの4分の1し
か持っていないのです。持っているのは膨大な米国債だけなので
す。しかも、その少ない日本の金のほとんどはフォートノックス
にあるというのです。これでは完全に日本は米国の属国です。
 しかし、その日本のなけなしの金も含めて米国の金はほとんど
なくなっているという情報があるのです。どうしてかというと、
1980年の壮絶なる金の戦争の結果、米国は完敗し、ニューヨ
ーク連銀の金庫室にもフォートノックスの金庫室も空であり、金
はほとんどなくなっているというのです。しかし、それを裏付け
る明確な証拠はないのです。     ――[金の戦争/30]


≪画像および関連情報≫
 ●日本の金は人質にとられている
  ―――――――――――――――――――――――――――
  日本銀行の保管庫にはほとんどないという。これは「金相場
  が人質に取られていることを意味する」と専門家はいう。日
  本だけでなくほとんどの弱小国が金塊を人質にとられ、これ
  ら人質国のあいだの金取引は、FRBの地下金庫にあるそれ
  ぞれの国のブロックに入っている金塊を、台車で移動するこ
  とによって成立している。国家の保有金では、アメリカのF
  RBが世界一の金準備高8000トンを誇り、ついでドイツ
  が多く、IMF並のほぼ3000トンである。イタリア、ス
  イスもフランスと肩を並べる量の金塊を持っているが、日本
  はドイツの四分の一程しかない。
       http://www.asyura2.com/sora/war9/msg/264.html
  ―――――――――――――――――――――――――――

フォートノックスと007.jpg
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2008年07月22日

●「レーガン政権と金本位制」(EJ第2372号)

 ブレトンウッズ体制の中から生まれた次の2つの機関――「世
界銀行」と「国際通貨基金/IMF」――これらの機関の本来の
役割については疑問符がつくのです。
 既に述べたように、世界銀行についてはその総裁は米大統領が
決めるという不文律があり、IMFの総裁については今までヨー
ロッパ人がなってきています。こういう関係からIMFについて
は、デル・バンコ一族の巣食う民間シンジケートであるといわれ
ているのです。
 これら2つの機関は公的な面と闇の面があって、いかなる政府
も司法もこの機関に法的に干渉できない――アンタッチャブルに
なっているのです。だからこそこれらの機関は本来の役割から離
れたことをやっていても現在でも生き残っているのです。
 1980年11月――この年の大統領選で、当時カルフォルニ
ア州知事であったロナルド・レーガンが、ジミー・カーターを破
り、大統領になっています。実は、このレーガンという大統領は
きわめて問題のある大統領であったのです。
 レーガンの選挙戦を仕切り、彼を大統領にしたのは、次の2人
だったのです。
―――――――――――――――――――――――――――――
      1.ジョージ・プラッツ・シュルツ
      2. キャスパー・ワインバーガー
―――――――――――――――――――――――――――――
 この2人は当時、サンフランシスコに本拠を構える全米第3位
の多国籍総合エンジニアリング会社ベクテル社の社長と副社長の
職にあり、ベクテル社はレーガン大統領選挙キャンペーンに大口
の寄付をしていたのです。しがって、レーガン政権は、このベク
テル社に強い影響を受けることになったのです。
 その証拠に、シュルツはレーガン政権発足一年半後に、国務長
官になっていますし、ワインバーガーは政権発足と同時に国防長
官に就任しているのです。
 このベクテル社――国際事業に参加するのですが、一度も赤字
を出したことがないのです。そのからくりはこうです。たとえば
最貧国で巨大なダム工事をベクテル社が提案すると、そこに輸出
入銀行、世界銀行、IMFが加わり、工事代金を保証する――し
たがって絶対に赤字は出ないのです。
 さて、レーガン政権の財務長官に就任したのは、やはりベクテ
ル系のドナルド・T・リーガンです。彼は、メリル・リンチ社の
会長からの入閣です。1981年6月にリーガン財務長官は「金
委員会」を設置し、17人の委員が選ばれたのです。何のために
かというと、レーガン大統領の要請によって、金本位制復活の可
能性を研究するための委員会だというのです。
 レーガン大統領主導の金委員会というのは有名な話ですが、既
出の鬼塚氏はこの説は間違いではないかといっています。その根
拠は次の通りです。
 1981年当時の米国の金地金(貨幣用金)の保有量は公表に
よると約8000トン。米財務省とIMFから大量の金が放出さ
れているはずであるので、これだけの金があったかどうかは疑問
ですが、これが正しいとしても、この量は1949年のピーク時
の3分の1であり、世界中の中央銀行が保有する貨幣用金の約4
分の1でしかないのです。
 1981年の平均的市場価格「1オンス=460ドル」で計算
すると、1200億ドル――しかし、米国の外国への債務はこの
時点で3000億ドルを超えていたのです。
 各中央銀行の持つ貨幣用金の4分の1しかない状態で金本位制
を復活するには無理があります。何しろニクソン大統領が金流出
を心配していたときでさえ、金は1万トンをはるかに超えていた
からです。8000トンの金では少な過ぎるのです。
 この金委員会の委員17人は、国会議員、FRBの代表、一流
の経済学者、金市場で活動する人などで構成されていたのですが
そのほとんどの人が金本位制に反対したのです。しかし、次の2
人の委員は賛成したのです。
―――――――――――――――――――――――――――――
   ロン・ポール   ・・・・・ 共和党下院議員
   ルイス・ラーマン ・・・・・     実業家
―――――――――――――――――――――――――――――
 このうちのロン・ポール議員は、現在もテキサス州出身の共和
党の下院議員であり、2008年の大統領候補として立候補して
いたのです。ロン・ポール議員は、2007年2月に「ドル覇権
の終焉」というタイトルで議会で演説しています。
 このロン・ポール議員の演説の要約は、副島隆彦氏の次の著書
に詳しく出ているので、参照していただきたいと思います。
―――――――――――――――――――――――――――――
   副島隆彦著
   『ドル覇権崩壊/静かに恐慌化する世界』/徳間書店
―――――――――――――――――――――――――――――
 金は全世界に9万5000トンあるといわれます。しかし、こ
れは90年間にわたって蓄積されたものなのです。1980年の
金の生産量は1250トンであり、それは次のように消費され、
金塊としてストックされるのはたったの300トンなのです。
―――――――――――――――――――――――――――――
    宝石関係 ・・・・・・・・ 750トン
    工業・歯科治療関係 ・・・ 200トン
    コイン/メタル/金塊 ・・ 300トン
―――――――――――――――――――――――――――――
 金とはかくも貴重なものなのです。その貴重な金を1970年
代に米国は安値で、しかも、在庫が底をつくほどの量を放出した
のです。その目的はどこにあったのでしょうか。
 もともとIMFは金本位制に賛成だったのです。だからこそ、
IMFへの寄付金のうち25%を加盟国に対して金での提出を要
求したのです。           ――[金の戦争/31]


≪画像および関連情報≫
 ●ロン・ポール議員の演説より
  ―――――――――――――――――――――――――――
  正直な交換には真の価値ある物だけが必要であるという経済
  学の法則は破棄できない。全世界規模の不換紙幣という我々
  の35年間の実験の結果として起こる混乱状態は、真の価値
  あるマネーへの回帰を必要とする。我々は産油国が石油の対
  価としてドルやユーロではなく、金又はそれと等価なものを
  要求する日が近づいていることを知ることだろう。それはよ
  り早期であることが望ましい。
      ――ロン・ポールの演説より/2006.2.15
http://blog.goo.ne.jp/princeofwales1941/e/6365844b04c75b5883575a959db93d7b
  ―――――――――――――――――――――――――――

ロン・ポール議員.jpg
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2008年07月23日

●「ロスチャイルド対ロックフェラー」(EJ第2373号)

 デル・バンコ一族は長い年数をかけてスイスに金が集まる仕組
みを作っていったのです。その基本となるものは、スイスの秘密
主義と独立性です。
 フェルディナント・リップスは、スイス銀行の役割について、
次のように述べています。
―――――――――――――――――――――――――――――
 スイスの銀行界が法律で厳しい顧客情報の守秘義務を定められ
 最高の金融サービスを提供し、スタッフが徹底して訓練され、
 多言語を話し、またその経営陣が保守的であることは、よく知
 られている。こうした美点を持ったスイスの銀行には、世界中
 の人々が口座を持っている。スイスの銀行界は、いわば世界の
 ポートフォリオ・マネジャーなのである。
   フェルディナント・リップス著/大橋貞信訳/徳間書店刊
   『いまなぜ金復活なのか/やがてドルも円も紙屑になる』
―――――――――――――――――――――――――――――
 当時のスイスでポートフォリオ・マネジャーを務める人々は、
1930年代や第2次世界大戦を含むいわゆる「弱気相場」――
株価がどんどん下落していく、下降トレンドの相場の経験を豊富
に有しており、結局最後に生き残るのは金しかないということを
身体で掴んでいる人ばかりだったのです。そういうことから、ス
イスの銀行家の判断が金市場と金価格に対して少なからざる影響
を与えることになったのです。
 スイスの銀行家と同様にいわゆる独裁者たちも札束を信用せず
ひたすら金塊を貯め込んでおり、いざというとき、それをスイス
に持ち出そうとしていたのです。
 広瀬隆氏の労作に『赤い楯』というのがあります。『赤い楯』
というのはロスチャイルドのことを指しています。この本は、初
代のマイヤー・アムシェルから始まって7〜8代二百数十年にわ
たるロスチャイルド家の歴史が書かれています。
 この本の中に独裁者の国外逃亡――亡命について記述されてい
る部分があります。
―――――――――――――――――――――――――――――
 独裁者の大金輸送に、スイスの航空会社が利用されてきたこと
 は周知の事実である。多くの場合、インフレや亡命の恐怖にお
 ののく独裁者は、札束を信用せず、金塊で財産を貯め込む。そ
 のため国外への資産の移動も国際的な航空シンジケートぐるみ
 で行われる。つまり、手助けするエキスパートが銀行界に雇わ
 れていなければ、預金はできないのである。
     ――鬼塚英昭著、『日経新聞を死ぬまで読んでも解ら
            /金の値段の裏のウラ』/成甲書房刊
―――――――――――――――――――――――――――――
 パナマのノリエガ、ナチスのゲーリング、アルゼンチンのペロ
ン、旧ベルギー領コンゴのフォンベ、イランのパーレヴィ国王、
フィリピンのマルコス・・・いずれも例外なくスイスの航空会社
を利用し、金をスイスの銀行に運んでいるのです。
 鬼塚英昭氏によると、スイスの銀行は金塊の輸送に自国の航空
機を使うことが知れ渡ってしまったため、最近では、ミサイルを
搭載した原子力潜水艦を金の輸送の手段として使っているといわ
れています。
 このように、独裁者をはじめ、各国の富豪が人知れず金塊をス
イスの銀行に預けるなどするので、世界中の金はスイスに集めら
れており、しかもその正確な実態はスイスの秘密主義に阻まれて
把握できないでいるのです。
 ところで、ニクソン・ショックの後の米国は、表面上は何事も
なく事態は推移したのです。これによって「金・ドル体制」は崩
壊したのです。米国は金を廃貨とするとともに、ドルの価値には
いささかも揺るぎがなく、ドル覇権のさらなる拡大に向けて突き
進んだのです。
 これは不思議な話です。「金・ドル体制」の崩壊は、事実上米
国のデフオルトであるにもかかわらず、それでもあたかもドルは
金よりも価値の高いものであるかのように「強いドル」を推進し
たのです。実際問題として当時はドルには強い信頼感があり、そ
ういうことが許されたのです。
 実はその間、米国はOPEC(石油輸出国機構)と交渉して、
次のことを決めているのです
―――――――――――――――――――――――――――――
 全世界のすべての原油価格は、必ず独占的にドルで値決めされ
 なければならない
―――――――――――――――――――――――――――――
 これはいわゆる「ドル・石油兌換体制」というべきものであり
かつての「金」を「石油」に置き換えたのです。この体制実現を
支えたのが、ロックフェラー財閥なのです。これに関して、副島
隆彦氏は、自著の中で次のように述べています。
―――――――――――――――――――――――――――――
 そして、その実質は背後から世界のすべてをあやつっている現
 在の「実質の世界皇帝」であるディヴィッド・ロックフェラー
 (92歳)の指図によるものであるから、これを「ロックフェ
 ラー石油通貨体制」と命名したのである。それは、ニクソン・
 ショックの翌年の1972年に作られた、ディヴィッド・ロッ
 クフェラー自身が主導した米欧日三極会議によってすべて決め
 られた。そして、これからG5という「主要国蔵相・中央銀行
 総裁会議」なるものが生まれた。そして同じくここからサミッ
 ト(主要国首脳会議)が生まれたのである。
 ――副島隆彦著、『ドル覇権の崩壊/静かに恐慌化する世界』
                        徳間書店刊
―――――――――――――――――――――――――――――
 ここにヨーロッパを中心とし、金にこだわるロスチャイルドと
米国を中心とし、石油にこだわるロックフェラーの二大財閥が激
突する世界が展開していくのです。現在の原油問題も環境問題も
すべてこれに関係があるのです。   ――[金の戦争/32]


≪画像および関連情報≫
 ●デイヴィッド・ロックフェラー・シニアについて
  ―――――――――――――――――――――――――――
  デイヴィッド・ロックフェラー・シニアは、アメリカ合衆国
  の銀行家、実業家、慈善家であり、現在のロックフェラー家
  の当主。父親はジョン・ロックフェラー2世。6人兄弟の末
  子であり、兄は第41代アメリカ合衆国大統領のネルソン・
  ロックフェラーである。ハーバード大学、シカゴ大学で経済
  学博士号を取得。1981年までチェース。マンハッタン銀
  行の頭取兼最高経営者。       ――ウィキペディア
  ―――――――――――――――――――――――――――

ディヴィッド・ロックフェラー.jpg
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2008年07月24日

●「IMFにおける役割の変質」(EJ第2374号)

 ここで、ブレトンウッズ体制によって誕生した世界銀行と国際
通貨基金――とくにIMFの現状について、あまり知られていな
いことについて述べておくことにします。
 現在、世界銀行とIMFは米国の首都ワシントンにともに本社
ビルを並べています。しかし、その威風堂々たる外観とは裏腹に
現在創設以来の試練にさらされているのです。それは、毎年のよ
うに繰り返される世銀・IMF総会への暴力や抗議デモの激しさ
を見てもわかることです。
 IMFは、国際通貨基金という名前からわかるように、加盟国
が通貨に関して協力し、為替相場の安定を図ることで、国際金融
秩序を維持することが役割であるといえます。
 しかし、その前提は金本位制をベースに、強いドルを前面に押
し出し、経常収支赤字国に資金を補い、国際収支を調整する役割
を果たすことなのです。この前提条件によると、明らかにIMF
は、米国のための米国に利する機関であるといえます。
 ところが、1970年代に入ると、その前提条件である金本位
制が崩れてしまったのです。為替は固定から変動の相場制へと移
り、異端の是正は市場に任せればよいことになって、外部からの
調整は必要ではなくなってしまったわけです。
 本来であれば、ニクソン・ショック後においてIMFの役割は
終えるべきであったのですが、IMFはその役割を開発途上国の
経済支援に変更したのです。しかし、そうなると、世銀の役割と
あまり変わらなくなってしまったのです。
 IMFでも世銀でも加盟国の議決権は拠出金の金額に比例する
のです。IMF、世銀ともに第1位は米国であり、第2位は日本
です。とくにIMFでは米国は全体の18%を占めており、日本
は第2位ながら6%に過ぎないのです。実質的に米国主導ですべ
て決まってしまうのです。
 ここで、重要なことは、IMFの役割が、ある国の経済危機に
関して支援を行うことではないということです。しかし、韓国や
インドネシアに対してIMFは介入しています。そして、そのや
ったこととは、ちょうど日本国内で行われた「銀行に政府資金を
投入して助ける」ことと、まったく同じの先送り策以外のなにも
のでもなかったのです。
 経済危機に陥った国に対し、いわゆる「アメロリカン・スタン
ダード」の枠組みを受け入れさせることを条件に資金を投入する
やり方をIMFはとっていますが、これに関しては米国内からも
多くの批判が噴出しているのです。
 こういうIMFのやり方について、ニクソン、フォード両政権
下で国務長官を務めたヘンリー・キッシンジャー博士は次のよう
にいっています。
―――――――――――――――――――――――――――――
 支援の条件として、各国に求める経済政策は厳しすぎる。すで
 に高い失業率などで苦んでいる国々をさらに締め付けるもので
 これでは(アメリカに反抗しようとする)アジア各国にナショ
 ナリズムを呼び起こしかねない。(中略)市場万能主義が世界
 を覆い尽くしてもいいのか。韓国にはこれまで独自の発展モデ
 ルがあった。それで充分うまくやってこれたではないか。この
 時期に、なぜそれに完全に代わるシステムを新たに建設しなく
 てはならないのか。            ――副島隆彦著
            『悪の経済学/覇権主義アメリカから
          いかに日本が自立するか』より 祥伝社刊
―――――――――――――――――――――――――――――
 実際にIMFは1965年からの30年だけでも総額1700
億ドルの資金を投入していますが、開発途上国の経済開発という
目的だけをみても、IMF融資を受けた89ヶ国のうち48ヶ国
の経済は30年間に何も向上していないことが判明しています。
 「フィフティ・イヤーズ・イズ・イナフ」という妙な名前の国
際的NGOがあります。攻撃の対象をIMFに絞っており、その
ためにこのような名前を付けたものと思われます。「50年で十
分」――IMFが発足したのは、1946年5月のことであり、
既に60年以上経っていますが、半世紀以上経過している組織は
解体せよと訴えているのでしょうか。
 このNGO組織は、IMF総会のたびに多くのNGOとともに
激しい抗議行動を繰り返すのです。途上国の経済開発は、ワシン
トンのIMFという「上」からではなく、途上国の国民レベルと
いう「下」からの発想で動かさなければ途上国の民衆の受益は少
ないという主張なのです。
 確かにIMFの途上国に対する融資というものは、その途上国
を助けるというよりも、日米欧の大銀行を助けることが狙いであ
るといえます。「50年で十分」組織のケニア人女性、ジョキ・
ジェフ氏は次のようにいっています。
―――――――――――――――――――――――――――――
 IMFが第三世界に押し付ける政策は、途上国の債務を円滑に
 し、第三世界の富が先進工業諸国の銀行へと間断なく流れるよ
 うにしている。この富の移転は第三世界の多数派の貧困層に破
 壊的な結果をもたらした。  ――古森義人著、『国連幻想』
                       産経新聞社刊
―――――――――――――――――――――――――――――
 韓国の経済危機のとき、IMFは570億ドル(8兆円)を出
しているのですが、実はこの総額を米国、ヨーロッパ、日本の銀
行が融資しているのです。もっと具体的にいうと、米国とヨーロ
ッパと日本の大銀行が570億ドルという金額の資金を韓国に不
良融資残高として抱えていたということです。
 何のことはない。IMFの融資というのは、それぞれの国の大
銀行が融資あるいは政府保証債の形で出している借款を回収する
ためのお金なのです。国際NGOはそういうIMFの融資のから
くりを見抜いていて、総会のたびに激しい抗議デモを展開してい
るのです。その非難される側に日本も入っていることを忘れては
ならないのです。          ――[金の戦争/33]


≪画像および関連情報≫
 ●韓国の経済危機について
  ―――――――――――――――――――――――――――
  1997年のアジア危機のため、韓国経済は大きな危機に直
  面し、大量倒産や失業と財閥解体が起こり、国際通貨基金―
  ―IMFの管理下に入った。IMFの経済支援や「朝鮮戦争
  以来の国難」を受けて発足した野党政権である金大中政権に
  よる、現代財閥の分割や大宇財閥の解体に象徴されるような
  大規模な構造改革により、危機を脱し、IMFによる支援資
  金を2001年8月までに全て償還し、当初の予定より早く
  IMFの管理から脱却した。     ――ウィキペディア
  ―――――――――――――――――――――――――――

ヘンリー・キッシンジャー.jpg
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2008年07月25日

●「世銀とIMFは財務官僚の巣である」(EJ第2375号)

 世界銀行とIMFは拠出金に応じて発言権が決まることになっ
ているのです。その点が国連とは違うわけです。日本の拠出金は
世銀もIMFについても米国に次いで第2位なのです。
 しかし、日本が世銀やIMFにおいて目立って何かをしたかと
いうと、ほとんど何も聞こえてこないし、見えていないのです。
日本はまさに顔のない巨額出資国になっているのです。
 その原因のひとつは、世銀とIMFへの日本のかかわりが年来
財務省の硬直した官僚たちの手に委ねられていることにあると思
うのです。現在、官僚の天下りの問題が問題視されていますが、
世銀やIMFの方にそれが及んでいることに多くの人は気がつい
ていないと思います。外交ジャーナリストの古森義久氏は、次の
ようにいっています。
―――――――――――――――――――――――――――――
  財務官僚たちにとってワシントンは「世界最後の桃源郷」
  である                ――古森義久氏
―――――――――――――――――――――――――――――
 世銀の日本人専門職員百数十人のうち、副総裁、理事、理事代
理、専務理事特別顧問、局長、局次長、多国間投資保証機関(M
IGA)長官――こういった枢要の地位のほとんどは財務官僚に
よって占められているのです。
 IMFでは日本人専門職員43人のうちの14人が財務官僚で
日本人全体の3分の1を占めており、しかも、副専務理事、理事
理事代理などの要職を独占しているのです。
 一般的に考えた場合、財務省や外務省の官僚でワシントン勤務
になる人といえば、英語が堪能なことは当然として、国際政治・
金融経済、外交問題などについて、欧米の大学の修士号や博士号
のレベルが要求されると普通は考えます。一般の日本人が世銀や
IMFに職を求める場合、こういうことが要求されるからです。
 しかし、財務官僚の場合は、この種の条件は満たさなくても、
日本政府の出資金の特権を背景に一定のポストに優先的に就くこ
とができるのです。なかには英語ですら十分に話せなくてもワシ
ントン勤務になる財務官僚も多くいるのです。
 既出の古森義久氏によると、ワシントン勤務になる官僚の派遣
人事には次の2つのパターンがあります。
―――――――――――――――――――――――――――――
  1.若手や中堅の官僚に経験を積ませる目的の派遣
  2.財務省内のベテランの最後のポストとして派遣
―――――――――――――――――――――――――――――
 1については教育と経験ということであるので、英語や知識面
に問題があっても仕方がないと財務省はいうのです。そのため、
1998年から「ブルームズベリー昼食会」という名の会合を作
り、そこで英会話や経済学の研究会をしているのです。
 正規のルートから世銀やIMFに入ろうとする一般の日本人に
は厳しいレベルを求めながら、財務官僚には単なるキャリアパス
のひとつとして平均3年で交代させる――その程度で国際感覚が
身に付くものでしょうか。
 そもそも世銀やIMFに務めながら、英語と経済学の能力が足
りないというのはおかしな話なのです。その英会話や経済の勉強
をワシントンにいながら日本人同士でやるという――周りは外国
人ばかりなのですから、なぜその中に飛び込んで仕事を通じて英
語でも経済でも学ぼうとはしないのでしょうか。
 それでいて3年経って日本に帰ると、世銀○○とかIMF勤務
とかいう箔が付くのです。若くても英語はもちろんのこと、国際
政治にも経済にも通じている若手はたくさんいるはずであり、そ
ういう人をなぜワシントン勤務にしないのか疑問に思います。
 上記2に関しては、形を変えた天下りそのものであり、論外で
す。古森氏は2に関して次のようにいっています。日本で問題を
起こしたので、米国に逃がすというパターンがあるのです。
―――――――――――――――――――――――――――――
 この第2のパターンとしては、1997年に旧大蔵省の金融検
 査をめぐる汚職事件で、戒告処分を受けた元金融検査部管理課
 長の日下部元雄氏がその後すぐ世銀の専務理事顧問に任命され
 99年には財務省のバックアップで副総裁になった。このとき
 は日本人の正規採用職員の間で怒りの声が起きた。
               ――古森義人著、『国連幻想』
                       産経新聞社刊
―――――――――――――――――――――――――――――
 世銀やIMFでの財務省による人事中枢独占の慣行に対し、日
本人正規職員から次のような抗議が出ているのです。こういうこ
とは新聞やテレビはほとんど伝えないのです。
―――――――――――――――――――――――――――――
 大蔵省(財務省)からの出向職員は日本人正規職員にくらべて
 語学力、専門性、倫理観、途上国の開発への熱意などではるか
 に劣る。そのような官僚を資金力をちらつかせて政治的圧力に
 より多数任用することは国際機関での日本人職員全体の評価を
 下げる結果となる。多くの出向官僚は出向期間を長期の休暇と
 勘違いしており、実績次第では常に解雇の危険にさらされてい
 る正規職員とはまったく対照的な存在なのだ。
               ――古森義人著、『国連幻想』
                       産経新聞社刊
―――――――――――――――――――――――――――――
 財務省という特定の官庁が世銀やIMFを独占的に担当し、そ
れらの国際機関の一定のポストがあたかも自省に帰属しているよ
うに定期人事で送り続ける――こんなことを許しているから、巨
額の拠出金を出しながら、日本の顔の見えない国際機関になって
しまっているのです。
 世銀とIMFの人事は速やかに財務省から切り離し、国会での
議論をして、どこに出しても恥ずかしくない優秀な人材を送り込
むべきであると考えます。来週は世銀やIMFについての高名経
済学者の反論を取り上げます。    ――[金の戦争/34]


≪画像および関連情報≫
 ●国連中心主義の幻想/プログより
  ―――――――――――――――――――――――――――
  戦前、日本は国際連盟にどの国より先駆けて、人種差別法案
  を提出したがあっさりと拒否された経過があり、当時の白人
  優位と帝国主義中心の国連は自国優先のための組織でしかな
  かった。差別的な環境の中で日本は国連を脱退することにな
  る。このような歴史的な過程を経験してきていることは日本
  の政治家たるものにはご存知だろうと推察するが、国連が平
  和を確立する唯一の組織と認めることで果たして良いのかと
  いう疑問である。
 http://morimoto.mo-blog.jp/yutaro/2006/04/post_0bad.html
  ―――――――――――――――――――――――――――

古森氏の本.jpg

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2008年07月28日

●「スティグリッツの世銀・IMF批判」(EJ第2376号)

 「金の戦争」というタイトルで34回書いてきましたが、『日
経ビジネス』/2008.7.21号は、次のタイトルで金を特
集しています。今や「金」は旬の重要な話題なのです。
―――――――――――――――――――――――――――――
            「ドル凋落/金本位再び」
   ――『日経ビジネス』/2008.7.21号
―――――――――――――――――――――――――――――
 ジョセフ・スティグリッツという米国の高名な経済学者がいま
す。彼は、1993年3月、発足後間もないクリントン政権の大
統領経済諮問委員会の委員に任命され、1995年6月には同委
員会の委員長に就任したのです。
 そして、1997年には世界銀行に移り、2000年1月まで
の3年間、世銀の上級副総裁と主任エコノミストを同時に務めた
のですが、世銀在職中から当の世銀とIMFのあり方について痛
烈な批判を繰り広げたのです。
 何しろ、スティグリッツは、2001年には情報経済学という
新分野での業績で、ジョージ・アカロフ、マイケル・スペンスと
共にノーベル賞を受賞したので、彼による世銀とIMFの批判は
国際的な注目を浴びることになったのです。
 2002年には、スティグリッツは『グローバリズムとその不
満要因』という本を米国で出版し、公式に世銀・IMF――とく
にIMF批判を展開したのです。この本の日本語版は次の題名で
出版されています。
―――――――――――――――――――――――――――――
        ジョセフ・スティグリッツ著/鈴木主税訳
 『世界を不幸にしたグローバリズムの正体』/徳間書店刊
―――――――――――――――――――――――――――――
 スティグリッツは、この本のなかで、IMFの推し進めた資本
市場の自由化は、米国の金融セクターのために広範な市場の開拓
に寄与した反面、その本来の使命であるはずのグローバルな経済
の安定には何ら寄与しなかったとしています。さらにIMFは、
G7の債権国の代理者であるとし、貧しい国々が貧しいままであ
るような制度設計をした米国の金融セクターに対する不満を表明
しているのです。
 世銀やIMFは、開発途上国の経済開発に対し、貿易の自由化
資本の自由化、国内の経済の自由化、民営化などのグローバルな
市場経済至上主義を押し付けたのです。すなわち、構造改革とい
う改革の強要が行われたのです。
 しかし、開発途上国にとっては、貿易の自由化による市場開放
は、国際競争力のない産業分野に壊滅的な打撃を与え、雇用体系
を破壊し、資本の自由化は銀行システムが機能していない途上国
に大混乱をもたらしたのです。
 1997年のアジア金融危機でもIMFは被害国の救済に「構
造調整融資」と称して過激な改革と自由化の措置をとることを条
件に融資を行っています。しかし、こうした自由化の押し付けは
無理が多く、かえって被害国の経済を壊してしまう結果になって
いる――スティグリッツはこのように主張しているのです。
 日本は途上国ではないし、もちろんIMFから融資など受けて
いませんが、同じようなことを米国から押し付けられ、やらされ
ていないでしょうか。いわゆる小泉――竹中改革なるものは、ま
さにこのグローバリズムの先兵であるといえます。スティグリッ
ツはこういうやり方を批判しているのです。
 また、スティグリッツは、アジア的とされる日本の縁故主義や
不透明な企業統治についても頭から否定せず、その効用を認め、
当時日本の大蔵省が提案してすぐ米国に潰された「アジア通貨基
金」の発想にも賛意を表しており、日本についてはとても理解が
あるのです。
 スティグリッツは前掲書を書くにあたって、多くの学者や世銀
とIMFの関係者などに聞き取り調査をしているのですが、この
書の「謝辞」のところで、「それらの人たちの助けなしにはこの
本は完成しなかった」として、その氏名をリストアップしている
のです。
 最初はビル・クリントン大統領とジム・ウォルフェンソン世銀
総裁の名前があり、その他に163人の学者、官僚、政治家、言
論人、世銀・IMF職員などの名前が上がっているのです。
 しかるに、その163人中日本人はたったの1名しか上がって
いないのです。それも世銀やIMFとは直接何の関係もない、ス
タンフォード大学での同僚だった青木昌彦氏だけだったのです。
 どうしてこのようなことになるのでしょうか。どうやらスティ
グリッツは、日本人のスタッフとは聞き取り調査すらしていない
のです。これについて、日本人のベテラン正規職員は次のように
見解を述べています。
―――――――――――――――――――――――――――――
 スティグリッツ氏が日本側の代表からはまったく話を聞いてい
 ないということは、世銀やIMFの政策討議の場では日本代表
 がまったく重視されていない、プレゼンスがない、ということ
 だといえる。日本代表はイコール財務官僚だから、やはり官僚
 主導の日本のアプローチは国際経済・金融機関の世界では、ほ
 とんど認められていないわけだ。他の主要国はみなトップには
 開発や金融に一家言を持つ学者や論客を送り込んでいる。
        ――古森義人著、『国連幻想』/産経新聞社刊
―――――――――――――――――――――――――――――
 確かに世銀やIMFに派遣されてから、ワシントンで仲間内で
英語や経済学を勉強しているようでは、政策会議でプレゼンスな
どできるわけはないのです。
 金の話と少し離れましたが、世銀やIMFにおける日本人代表
のお粗末な一面を古森義人氏の情報を借りてご紹介しました。か
つて財務官僚といえば、秀才の代名詞であったはずですが、どう
なっているのでしょうか。これでは日本の評価がどんどん下がっ
てしまいます。           ――[金の戦争/35]


≪画像および関連情報≫
 ●大野和基氏のサイトより
  ―――――――――――――――――――――――――――
  「グローバリゼーションは世界の人々に幸福をもたらすはず
  だった。だが、実際にはごく少数の金持ちがますます裕福に
  なって、格差を広げただけだった。そしてこういう結果を招
  いた背景にはアメリカの横暴がある」――2001年、経済
  活動への情報の影響について扱う学問「情報の経済学」の分
  野の功績を評価されて、ノーベル経済学賞を受賞したジョセ
  フ・E・スティグリッツ氏は、グローパリゼーションの「失
  敗」と、その「理由」についてこう説明した。
   http://globe-walkers.com/ohno/interview/stiglitz.html
  ―――――――――――――――――――――――――――

ジョセフ・スティグリッツ.jpg
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2008年07月29日

●「なぜ金は20年間下がり続けたのか」(EJ第2377号)

 1980年1月の「1オンス=850ドル」の最高値をつけた
金は、その後実に20年間にわたって下がり続けるのです。
 1982年から普通株式が上昇相場に転じます。そして、ダウ
・ジョーンズ指数は800ポイントから1万1000ポイントま
で実に140%も上昇します。
 その後、1987年10月の暴落を経験したものの、FRBの
ポール・ボルカー議長の積極的な金融政策によって、株価は間も
なく復調するのです。
 このポール・ボルカーFRB議長――金が史上最高値をつけた
1979年に就任したのです。1981年には米国のインフレ率
は頂点に達したのですが、その14%のインフレ率を3〜4%に
下げることに成功しているのです。さらに債券利回りも長期国債
はピーク時の15%から6%を割り込む水準に安定させるなどの
手腕を発揮し、1987年に後任のアラン・グリーン・スパンに
FRB議長を譲っています。
 それでは、金価格はなぜ低下したのでしょうか。その原因とし
ては、一般的には次の5つが上げられています。
―――――――――――――――――――――――――――――
     1.各国の金融機関が金を売却したこと
     2.世界経済がデフレ経済になっている
     3.株式市場が好調で、金より魅力あり
     4.各国中央銀行による金売却と貸出し
     5.金保有者の人口動態が変化している
―――――――――――――――――――――――――――――
 3番目の「株式市場が好調で、金より魅力あり」――一面の真
理を衝いていますが、これは金融緩和のように株価上昇をもたら
す政策の結果でもあるのです。それなら、金融緩和によって信用
膨張が起こり、普通であれば金の価格を押し上げてもいいのに下
がっているのはどういうことなのでしょうか。
 5番目の「金保有者の人口動態が変化している」――これは、
金に投資するのは比較的年配者が多いのですが、そういう人たち
が亡くなると、相続人は金を売却してしまう現象のことをいって
いるのです。
 一番説得力があるように見えるのは、4番目の「各国中央銀行
による金売却と貸出し」です。なかでも衝撃的であったといえる
のは、1997年11月にスイス国立銀行がその膨大な金準備を
売り出したことです。それに続いて1999年にイングランド銀
行も保有する金の大部分を売却してその資金を外国債の購入に充
当すると発表しています。
 スイスの金売却のニュースが流れた時点の金価格は386ドル
――当時各国の中央銀行やIMF、BIS(国際決済銀行)など
の公的機関の保有する金準備は3万4726トンであったので、
その資産価値は4160億ドル相当となります。
 その翌日、金価格は376ドルに下落するのです。これによっ
て、110億ドル以上の評価損が発生したことになりますが、そ
の後も金価格は回復することはなく、290〜300ドルの水準
まで下落したのです。
 しかし、1999年末時点における全世界の通貨当局の金準備
を合計すると、3万3500トンであり、1997年当時と比べ
てもほんの少ししか減っていないのです。
 その理由は、スイス国立銀行やイングランド銀行が売却した金
は、そのほとんどを他の中央銀行が買い取っていたからです。し
たがって、各国の中央銀行から金が逃避したことが金の価格下落
の原因であるとはとても思えないのです。
 といっても、50年前には世界の金の70%は中央銀行にあっ
たのですが、現在ではそれが25%未満に減っているのです。そ
うであると、中央銀行が金市場の動向――たとえば価格に与える
影響もそれに比例して少なくなっているはずであって、中央銀行
主犯説には疑問が残るということになります。
 それでは、何が原因で金価格は下落を続けたのでしょうか。
 7月9日のEJ第2363号でご紹介したフェルディナント・
リップスと、司会者のジム・パプラバとのラジオでのやりとりで
このことが語られています。
―――――――――――――――――――――――――――――
 ジム:1990年代には金に対する需要が盛り上がりました。
  需要は新規供給を上回りましたが、それでも価格は下がり続
  けました。なぜそのようなことが可能だったのでしょうか。
 リップス:それが可能だった理由は、ウォール・ストリートの
  利口な投資銀行家たちが、金相場が弱気におちいっている時
  期に金を使って利益を稼ぐ方法を考え出したことにある。彼
  らは、いわゆる「金キャリートレード」を開発した。この取
  引では、中央銀行がブリオンバンクに金を貸し、今度はブリ
  オンバンクがその金を売却して高利回りの米国財務証券を購
  入した。新しいビジネスが始まった。金鉱山会社も金を先物
  で売るよう説得された。そのようにして金市場には常に圧力
  がかかるようになった。しかし、中央銀行にも売却に向けて
  圧力がかかっていた。
 ――鬼塚英昭著、『日経新聞を死ぬまで読んでも解らない/金
              の値段の裏のウラ』/成甲書房刊
―――――――――――――――――――――――――――――
 ブリオンバンクについて説明をする必要があります。直訳する
と「金地金銀行」となります。金などの貴金属を扱う銀行のこと
をブリオンバンクというのです。
 しかし、日本の銀行は法令上貴金属の取引は禁止されていて、
商社がブリオンバンクの業務をしているのです。ブリオンバンク
の収入源は取引仲介手数料ですが、そのうちブリオンバンクは金
鉱山のヘッジや中央銀行からの金借り出しの仕事に手を出すよう
になったのです。ブリオンバンクは貸し出された金を売却し、そ
のドルで米国財務省証券などを購入したとリップスはいっている
のです。              ――[金の戦争/36]


≪画像および関連情報≫
 ●TOCOMナビ/金の特徴
  ―――――――――――――――――――――――――――
  過去6000年以内に人類が産出した金の総量は約15万2
  000トンと推定され、そのうち約15%が消失したとされ
  ています。現在地上に存在する金は推定約12万9000ト
  ンで、これは50メートルのオリンピック・プール3杯分し
  かありません。世界の埋蔵量は9万トンと推定されています
  が、経営面で採算が取れるのはそのうち4万2000トンで
  年間2500トン採掘すると20年もたたないうちに枯渇す
  ることとなります。海底などに未発見の鉱床があるとみられ
  ますが、新規の産出が見込めなくなれば、地上在庫を再利用
  するしかなくなり、金の希少価値はさらに高まるとみられま
  す。       http://www.tocom-navi.com/guide/gold/
  ―――――――――――――――――――――――――――

金価格の推移.jpg

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2008年07月30日

●「バリック・ゴールド社の疑惑の金取引」(EJ第2378号)

 1980年から2000年までの20年間――この期間におい
て砲弾もミサイルも飛ばないが、すさまじい金の戦争があって、
勝者と敗者が出たのです。しかし、この20年間は金価格はなぜ
か下がり続けたのです。
 このように金価格が下がり続けるということをあらかじめ知っ
ていたかのように、金価格を操作して膨大な利益を上げた産金会
社があります。バリック・ゴールド社という会社です。
 もし、バリック・ゴールド社が何らかの事情で今後金価格は下
落を続けるということがわかっていたとします。バリック・ゴー
ルド社は産金会社ですから、一年後に生産する予定量の金、ある
いは2年後に生産する予定量の金、さらには3年後に生産する予
定量の金について、その総額を大量に金の現物を持っている機関
――各国の中央銀行など――に働きかけて、金利を払って金を
借り出すのです。
 そして、その金を先物市場で現在の価格――以後は下がり続け
るのですから高値――で売却するのです。そして、1年後、2年
後、3年後にはそれぞれ実際に生産した金で返済する。そうすれ
ば大儲けができるのです。実際にバリック・ゴールド社はそうや
って大儲けをしているのです。
 それなら、バリック・ゴールド社は、金が以後は下がり続ける
ということをどうやって知ったかということです。きな臭いこと
に、バリック・ゴールド社の国際諮問委員会委員長がブッシュ元
大統領(パパブッシュ)――現在は退任――であったことです。
 リップスは、バリック・ゴールド社のこのやり方について次の
ように書いています。
―――――――――――――――――――――――――――――
 バリックが考えついたヘッジ自体は素晴らしいアイデアであっ
 た。ヘッジ取引によって金鉱山業界は経済界で唯一、自力で債
 務の沼からはい出せる産業になったのである。だが、バリック
 の年次報告書、とくにその1994年、1995年および19
 96年版に記載されているヘッジに関する方針は、厳密に言う
 とヘッジではなく、投機行為である。というのも、金価格は、
 1968年以降に何度か急騰したが、今後はそのような急騰も
 かつての価格帯に戻ることもあり得ないということに、バリッ
 クは賭けていたからである。
   フェルディナント・リップス著/大橋貞信訳/徳間書店刊
   『いまなぜ金復活なのか/やがてドルも円も紙屑になる』
―――――――――――――――――――――――――――――
 もともと金鉱山会社には単純な先物取引はあったのです。仮に
金鉱山会社が1オンスの金を生産するときのコストが300ドル
だったとします。そこで金鉱山会社は300ドルのコストに利益
分を上乗せして350ドルの先物契約を結ぶのです。そして期限
がくると、350ドルで金塊を売るという取引です。
 しかし、このバリック・ゴールド社の「先売りヘッジ」はリッ
プスもいうように、投機そのものであり、しかも投資家に対して
うその報告をしていたのです。その報告とは次の通りです。
―――――――――――――――――――――――――――――
 新たに生産した金地金を市場価格よりも高い価格で評価するこ
 とで、実際より大きな利益を上げてきている。
         ――バリック・ゴールド社の投資家への報告
―――――――――――――――――――――――――――――
 実はこれは事実ではないのです。バリック・ゴールド社は、低
い利率で長期間借り入れた金を売却し、それで得られた資金を今
度は高利回りの米国財務省証券に投資したのです。そして、その
受取り利息のおかげで、増大した利益をあたかも金を高値で売却
した結果であるように報告していたのです。
 なぜ、この報告は正しくないのでしょうか。
 なぜ、これが不正行為なのかはこの取引が借り入れた金を元の
所有者に返済しない限り、未了なのです。したがって、そこから
得られた利益はあくまで「架空の利益」に過ぎないからです。も
し、取引終了前に金価格が急騰してしまうと、たちまち、大損失
が生じてしまうからです。
 実際に大損失が生じなかったのは、実際に金価格が下げ続けた
からです。それはどのようにして実現されたのでしょうか。
 ロスチャイルドをドンとする国際通貨マフィア、デル・バンコ
一族は、金価格を操作できたのです。彼らは下がった金価格に対
してたえず揺さぶりをかけて、上昇したところで売りに出す――
これを繰り返して莫大な利益を上げたのです。
 著名な投機師ジョージソロスの金の取引について、次の一文が
あります。
―――――――――――――――――――――――――――――
 1993年はソロスがもっとも活躍する年となった。まずソロ
 スは金投機に絡んだ。金は1オンス=345ドル平均のときに
 ソロスは天文学的資金を投じて仕入れていた。すぐに1オンス
 =385ドルに上昇し、彼はたちまちにして全量を売却した。
 これはゴールドスミスとも組んでいたために過大なほどの話題
 を集めたが、場違いな金取引でも数億ドルの稼ぎがあった。
              ――宮崎正弘著/オーエス出版社
               『ユダヤ商法と華僑商法』より
―――――――――――――――――――――――――――――
 ここで、ゴールドスミスとは、ロスチャイルド家のジェームス
・ゴールドスミスのことです。このように金相場をデリバティブ
で揺さぶって金価格を釣り上げ、再び価格を下げてそれを維持す
る――そういうことができたようです。
 しかし、金価格が低レベルに維持されてしまうと、その金価格
は金鉱山会社の生産価格を無視したものになっていったのです。
しかも、バリック・ゴールド社の動きにチェース・マンハッタン
やJPモルガンなどの米大銀行が同一歩調をとったため、金鉱山
会社は採算割れして倒産していったのです。何か大きな仕掛けが
そこにあったのです。        ――[金の戦争/37]


≪画像および関連情報≫
 ●ジョージ・ソロスとは何者か
  ―――――――――――――――――――――――――――
  ジョージ・ソロスは多彩な人間である.史上最高額を稼いだ
  投機家であると同時に,東欧改革に取り組む最大の慈善家。
  また「開かれた社会」の思想を世界に啓蒙する政治家である
  と同時にすぐれた哲学的思考をもつ一流の評論家でもある。
  数々の類まれな能力に恵まれたこの男は,きわめて怪しい魅
  力に満ちている.彼は現在,20世紀最大の人物の一人とし
  て,歴史に名を刻むことを使命としているようだ。
  http://www.ntticc.or.jp/pub/ic_mag/ic031/html/160.html
  ―――――――――――――――――――――――――――

ジョージ・ソロス.jpg
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2008年07月31日

●「なぜIMFは金を放出したか」(EJ第2379号)

 各中央銀行は、1980年代後半から1999年にかけて――
とくに1998年から1999年の2年間に一般市場で大量に金
を放出しているのです。本当にこの2年間にはいろいろなことが
起こっているのです。
 1999年3月16日のことです。クリントン大統領(当時)
は、IMFが保有する金を売却するという提案をしています。こ
れにフランスのシラク大統領(当時)も賛意を表明しています。
開発途上国の経済を支援するというのがその目的です。
 これに対して、財務長官のロバート・ルービンは、次のように
コメントしているのです。
―――――――――――――――――――――――――――――
 IMFが債務救済プログラムへ資金を提供するため、500万
 から1000万オンスの金を売却することになっても、市場が
 混乱することはないだろう。     ――ルービン財務長官
―――――――――――――――――――――――――――――
 実は目的の「開発途上国の経済を支援する」というのが問題な
のです。開発途上国のほとんどが産金国であるからです。つまり
IMFによって金が大量に売却されると金価格は下落し、そうす
れば南アフリカ、ガーナ、マリ、ペルーなどの経済はさらに低迷
してしまうと思われるからです。
 例えば、そのなかのガーナについていうと、ガーナは多重債務
貧困国のひとつであり、その総輸出額の40%は金が占めている
のです。債務救済計画への資金提供を目的としたIMFの金の売
却によって金価格は下落し、ガーナの経済力は低下してしまうの
です。これでは何のための資金提供か意味をなさないのです。明
らかに何か別の目的があると考えられます。
 このことは米連邦議会でも取り上げられ、クリントン政権のこ
の提案は誤っているとして、上下両院合同経済委員会のジム・サ
クストン下院議員は、次のように発言しています。
―――――――――――――――――――――――――――――
 IMFによる新たな金売却は市場による価格形成を歪め、官僚
 国際公務員、そしてウォール街の金持ちといった一部の特権者
 に納税者の富が移転するのを助長するだけである。
                ―ジム・サクストン下院議員
―――――――――――――――――――――――――――――
 それでは、このIMFによる金放出の目的は何でしょうか。こ
の謎を解明するには、1980年代のレーガン政権時代に戻る必
要があります。
 レーガン大統領という人は、無能で経済の知識は皆無であった
ので、ヴォルカーFRB議長は自分の思うように次々と金利を引
き上げたのです。これはインフレを退治するためのFRB議長と
して当然の処置であったのですが、これが株と金の先物市場に大
きな痛手を与えたのです。ヴォルカーの金利の引き上げによって
金相場のデリバティブが不安定になったのです。
 このレーガン政権のときから、金価格の上昇を狙うロンドンと
チューリッヒのデル・バンコ一族――国際通貨マフィアと、それ
に抵抗するウォール街のディーラーとの間で、壮絶な金の戦争が
開始されたのです。そして、その結果、ウォール街のディーラー
は敗れたのです。
 この戦争によって、米国の象徴ともいうべき、チェース・マン
ハッタンとJPモルガンは深刻な痛手を被ったのです。これによ
り、チェース・マンハッタン銀行の経営者であるデイヴィット・
ロックフェラーは、米国の象徴ともいわれた「ロックフェラー・
センター」を三菱地所に売却せざるを得なかったほど、追い詰め
られたのです。
 御代田雅敬氏は、当時のチェース・マンハッタン銀行について
次のように書いています。
―――――――――――――――――――――――――――――
 86年にはムーディーズの格付けがそれまでAa3であったの
 が低下の一途をたどり、90年にはBa3まで低下したことに
 如実に表れているように、80年代中盤以降の収益が悪化して
 いた。ホールセール(法人営業)ではJPモルガンに後塵を拝
 し、リテールではシティコープほどのスケール・メリットがな
 い。いわば中途半端であるとの辛い評価が多く見られた。国際
 的な銀行としてラ米(ラテン・アメリカ)にも積極的であった
 チェースは、他のマネーセンターバンク同様、ラ米債権の焦げ
 付きで苦しみ、そして不動産融資の不良債権化を見てリストラ
 を決断したのである。          ――御代田雅敬著
           『米銀の復活』/日本経済新聞出版社刊
―――――――――――――――――――――――――――――
 JPモルガンはどうだったのでしょうか。
 JPモルガンは銀行ですが、証券業務に進出するという行動を
とったのです。そして、この銀行は金利変動リスクに対処する高
度な技術をマスターしているのです。
 それまでは長期債を発行し、大企業の生産力維持に寄与してき
たのですが、やがてその大企業に対して、スワップ・オプション
などのデリバティブ商品を売り込んだのです。これによって、G
Mもフォードもクライスラーも、車を造ることよりもデリバティ
ブの世界にのめり込んでいったのです。
 銀行というものは、金利の安い資金を調達し、これを企業に高
い金利で貸してそのローンの利ざやから利益を得るのです。しか
し、JPモルガンはトレーディングやデリバティブによって利益
を得ようとしたのです。
 そして、JPモルガンは金の戦争に巻き込まれます。既に述べ
たように、JPモルガンは世界の各中央銀行から金地金を借りて
すでにこの金を安値で売っていたのです。しかし、金が高騰して
金利負担が増大し、現物の返済も迫られていたのです。
 米財務省は、チェース・マンハッタンとJPモルガンに対して
協力し、金の放出を繰り返してきたのですが、限界に近づきつつ
あったのです。           ――[金の戦争/38]


≪画像および関連情報≫
 ●ガーナ共和国について
  ―――――――――――――――――――――――――――
  ガーナ共和国、通称ガーナは、西アフリカに位置する共和国
  国家。東にトーゴ、北にブルキナファン、西にコートジボワ
  ールと国境を接し、南は大西洋に面する。首都はアクラ。サ
  ハラ以南のアフリカ諸国で、初めて現地人が中心となってイ
  ギリスから独立を達成した。初代大統領エンクルマは、アフ
  リカ統一運動を推進したことで有名。かつてゴールドコース
  トと呼ばれた海岸を保有しており、ダイヤモンドや金を産出
  する。カカオ豆の産地としても有名。
  ―――――――――――――――――――――――――――

クリントンとルービン.jpg

  
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2008年08月01日

●「チェースとJPモルガンの敗北」(EJ第2380号)

 1999年9月になると、JPモルガンは一段と追い込まれて
いきます。倒産は時間の問題となったのです。一方のチェース・
マンハッタン銀行の方は巨額の負債を抱えながらもなんとかやっ
ていたのです。
 JPモルガンはデル・バンコ一族のゴールドマン・サックスに
合併を申し入れたのです。ゴールドマン・サックスとしては、検
討はしたものの、結局申し入れを拒絶します。
 さらにJPモルガンは、ドイツ銀行に合併の申し入れたのです
が、ドイツ銀行も断ります。万事休すです。9月7日にJPモル
ガンの金デリバティブ戦略の責任者であるピーター・ハンコック
が辞任します。
 そのときウォール街では、9月11日月曜日にJPモルガンは
倒産を発表するであろうという風評が流れたのです。その199
9年9月11日早朝に、チェース・マンハッタンとJPモルガン
の会長が話し合い、たった5分後に2人は記者会見に臨み、両社
の合併を発表したのです。
 「JPモルガン・チェース」――合併後の新会社の名称ですが
表面上は対等合併――頭に「JPモルガン」の字がくるものの、
資産規模の大きかったチェース・マンハッタンのJPモルガンの
吸収合併と考えてよいと思います。
 問題は、デリバティブ戦略の責任者であるピーター・ハンコッ
クがなぜ辞任したかであり、その後に一体何があったかです。こ
れについては明らかにされた情報はないのですが、既出の鬼塚氏
の推定にしたがって記述します。
 ピーター・ハンコックが先に職を辞したのは、JPモルガンの
財務の現況について洗いざらい、チェース・マンハッタン銀行の
会長であるデイヴィット・ロックフェラーに話すことにあったの
ではないかと考えられるのです。
 ハンコックとデイヴィット・ロックフェラーとの会談をセット
したのは、おそらくFRB議長のアラン・グリーンスパンであろ
うと考えられます。そこでJPモルガンの金デリバティブの詳細
が明かされ、同じような戦略をとっていたチェース・マンハッタ
ンも、もし、JPモルガンが倒産すると、そのままでは済まない
――すなわち、連続倒産しかねない状況が明らかになっていった
ものと思われるのです。
 グリーンスパンとしてもこれらの2大メガバンクが倒産すると
世界恐慌の引き金になるとして、ロックフェラーを口説いたもの
と考えられます。そして、両行が合併して金デリバティブから撤
退することを条件に、FRB、財務省、IMFから相当の資金が
提供されたものと思われます。鬼塚氏は、これについて、次のよ
うに述べています。
―――――――――――――――――――――――――――――
 1999年9月11日、両銀行が合併した日こそは、「金の戦
 争」における勝者と敗者がはっきり見えた日であった。敗者は
 チェース・マンハッタンとJPモルガンの両銀行の敗北の中に
 鮮明に姿を見せた。アメリカ最大の銀行が、「金の戦争」を仕
 掛けた国際通貨マフィアたちの金デリバティブに敗れたのであ
 る。両銀行は一つの銀行になり、21世紀の今日でも営業して
 いる。しかし、昔日の面影はない。
     ――鬼塚英昭著、『日経新聞を死ぬまで読んでも解ら
            /金の値段の裏のウラ』/成甲書房刊
―――――――――――――――――――――――――――――
 ここにはっきりと、ロンドン、チューリッヒのデル・バンコ一
族――つまり、ロスチャイルド家と米国のロッフェラー家の金を
めぐる争いの構図が見えてきます。
 米国を代表する銀行であるチェース・マンハッタンとJPモル
ガン――これらのロックフェラー系統の銀行は、20世紀末に金
の戦争に敗れたのです。
 1980年代において実は日本も、それと知らないうちにこの
争いに巻き込まれているのです。この当時日本は米国が金の戦争
で次第に劣勢になりつつあるのを尻目に、大繁栄のときを迎えて
いたのです。いわゆる「ジャパン・アズ・ナンバーワン」の時代
です。しかし、その繁栄はロンドンとスイスに巣食うデル・バン
コ一族が仕掛けたものであるという説があるのです。
 ブレトンウッズ体制では、ドルは一応金の裏づけがあり、その
ため大量のドルがヨーロッパに流れたのです。ド・ゴール将軍は
そのユーロダラーを強引に金に換えようとし、かなりの金塊をフ
ランスに持ち帰ったことは既に述べた通りです。
 しかし、ニクソンショックによってヨーロッパとしては、その
ドルを米国に還流させる術がなくなったのです。1980年代は
金価格の上昇と金デリバティブの登場で米国の銀行・証券会社の
多くが経営難に陥り、資金を必要としていたのです。
 そのときロンドンとチューリッヒの国際通貨マフィア――デル
・バンコ一族は、日本の銀行を利用することを考えたのです。当
時日本の公定歩合は米国のそれを超えていたからです。
 そこで、ロンドンとチューリッヒの銀行は、大量にあるユーロ
・ダラーを安い利率で日本の銀行に貸し付け、この資金を主とし
て米国に還流させようとしたのです。これを専門的にいうと「イ
ンターバンク取引」というのです。
 「インターバンク取引」とは、わかりやすくいうならば、「又
貸し商法」ということになります。日本の銀行は低利で借りたド
ルを米国の企業に低利で貸し始めたのです。金の戦争に疲弊した
米国の銀行は、自分たちの融資先が、次々と日本の銀行による低
利融資に切り替えられていくのをただ指をくわえて見ているしか
なかったのです。これによって、米国の銀行はどんどん体力を弱
体化させていったのです。
 しかし、調子に乗った日本の銀行はその資産を米国に流入させ
るだけでなく、日本の株式市場にも注ぎ込んだのです。株式上昇
の一方で、その供給増大が株価の潜在的下落の要因になる可能性
を秘めていたのです。        −―[金の戦争/39]


≪画像および関連情報≫
 ●インターバンク取引とは何か
  ―――――――――――――――――――――――――――
  インターバンク取引とは、金融機関や証券会社等の限定され
  た市場参加者が相互の資金の運用と調達を行う場。取引参加
  者は金融機関に限定され、資金の出し手、取り手の間を短資
  会社が仲介する。資金調達の場としては、短期金融市場のう
  ちのコール市場、手形市場があり、金融機関がお互いに日々
  の短期的な資金の過不足を調整するための取引が行われてい
  る。また、外国為替の交換の場として金融機関同士が取引を
  する市場のことも指す。外国為替取引ではインターバンク取
  引と対顧客取引の2つに大別されるが、通常、外国為替市場
  といった場合はこのインターバンク市場のことをいい、ここ
  でやり取りされる為替相場のことを、インターバンクレート
  (またはマーケットレート)という。
   http://allabout.co.jp/glossary/g_politics/w007596.htm
  ―――――――――――――――――――――――――――

アラン・グリーンスパン.jpg
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2008年08月04日

●「金価格は意図的に操作されている」(EJ第2381号)

 ここまで39回にわたって「金の戦争」と題して書いてきたの
ですが、このテーマもそろそろ締めくくりをしなければならない
ところにきております。
 ここまで書いてきて感ずることは、「金」については情報が非
常に少ないということです。「金の戦争」というタイトルにして
も、フェルディナント・リップスの本の原題「ゴールド・ウォー
ズ」からとったものであり、そういうタイトルの本は他には存在
しないのです。
 さらに不思議なことに、「金」について書いている経済学者や
経済評論家やアナリストなどの経済の専門家がほとんどいないと
いうことです。いや、金だけでなく、FRBやIMFついても正
面切って意見を述べている人は少ないのです。既出の鬼塚英昭氏
は、これについて次のように述べています。
―――――――――――――――――――――――――――――
 「金の戦争」どころか、金そのものについて語ったり、書いた
 りする経済学者はいない。ケインズ、フリードマン、サミュエ
 ルソン、そしてガルブレイズにいたるまで一人もいない。未来
 学者たちも語らない。グローバリズムを否定するノーベル賞学
 者のスティグリッツも金に関しては沈黙を守っている。
     ――鬼塚英昭著、『日経新聞を死ぬまで読んでも解ら
            /金の値段の裏のウラ』/成甲書房刊
―――――――――――――――――――――――――――――
 もっともスティグリッツやキッシンジャー元国務長官、ジョー
ジ・シュルツ元国務長官、ウィリアム・E・サイモン元財務長官
などは、IMFや世銀についてはっきりとものをいい、その解体
を求めていますが、彼らも金についてはなぜか沈黙しています。
まるで誰かに口止めされているようです。
 さて、1980年1月の「1オンス=850ドル」という最高
値を記録した金は、その後20年間にわたって下がり続けます。
そして、1999年8月に253ドルという底値を付けたあと、
2001年4月2日に255ドルという二番底を記録するのです
が、そのあと金価格は一転して急上昇するのです。
 底値から急上昇に向かった2ヵ月間について考えると、その間
金価格を押し上げるような有事も金融的事件も起こっていないの
に30ドル以上も上昇しているのです。まるで何かの決着がつい
たので、一挙に上昇に転じたような上がり方であるといえます。
 こういう金価格の動きをみると、明らかに金価格は何かに誘導
されています。重要なことはここで米政権がクリントン政権から
現ブッシュ政権に代わっていることです。民主党のクリントン政
権は金嫌いとして知られています。
 二番底を記録した2001年4月から3ヶ月前――すなわち、
ブッシュ政権が発足すると、数千億円の資産を持つといわれる米
国の「スーパーリッチ」は、ここが金の底値とみて一斉に金を買
いに出動しはじめたのです。これを「スーパーリッチによるゴー
ルドラッシュ」といい、金価格の長期上昇トレンドへの構造転換
が起こったのです。
 そして、ブッシュ政権を通じて金価格は上昇し、遂に2008
年3月に1023ドルという史上最高値を更新したのです。10
00ドルまでの推進役としては、通説では「ドル離れマネーの買
い」とされていますが、これについて上武大学教授高橋靖夫氏は
次のように述べています。
―――――――――――――――――――――――――――――
 私は陰の主役(1000ドルまでの推進役)は、スーパーリッ
 チが本格的に資産のある割合を「保険としての金」へ戦略的に
 シフトさせたものと考えている。「第2次スーパーリッチのゴ
 ールドラッシュ」である。だから、金価格の上昇は底堅いので
 ある。     ――「SAPIO」/2008.4.9日号
―――――――――――――――――――――――――――――
 「ETF」というものがあります。ETF(指数連動型上場投
資信託)とはその価格が株価指数(TOPIXや日経平均など)
商品価格、商品指数などに連動するようにつくられ、上場されて
いる投資信託です。
 その金のETFが現在注目されているのです。これによって、
金製品を買う人が増えているからです。ETFとは投資信託と同
じように運用される仕組みになっていて、世界的な金の取引はこ
れがメジャーになっているのです。
 この金のETFが2008年6月30日、東京証券取引所に上
場されたのです。この上場式典でこの金のETFを開発したワー
ルド・ゴールド・トラスト・サービシスのジェームス・バートン
氏は次のように語っています。
―――――――――――――――――――――――――――――
 ドル安やインフレをヘッジする機会を日本の投資家に提供でき
 ると考えいいる。       ――ジェームス・バートン氏
         「日経ビジネス」/2008.7.21より
―――――――――――――――――――――――――――――
 この金のETFは、それまで商品投資に縁遠かった年金基金や
投資信託、それに個人投資家が容易に金を買えるようになったこ
との意義が大きいといえます。ETFを通じて買い付けられた金
の総量は既に1000トン近くに達する予定です。
 70年代のニクソンショックから今年はちょうど38年目にな
ります。当時と同様に「米国覇権の終焉」とか「ドル失墜」とか
いわれ出しています。
 サブプライムローン問題による世界同時不況対策として、米国
は大量のドルを世界中にバラまいています。その結果、通貨全体
の価値は下落し、物価は急上昇して強いインフレ圧力が世界経済
にかかってきています。 
 このインフレ圧力にもかかわらず、米国は利上げの選択肢を奪
われたままです。そしてただ「強いドル」を口にするだけで何も
手が打たれていないのです。ドルの下落と金の高騰――米国は何
をやろうとしているのでしょうか。  −―[金の戦争/40]


≪画像および関連情報≫
 ●ETF革命の光と影/山崎元氏
  ―――――――――――――――――――――――――――
  筆者はETF(上場型投資信託)に大いに期待している。E
  TFはなんといっても信託報酬水準が低く、長期保有を前提
  とすると、通常のリテール向けの投資信託と比べ、圧倒的に
  コストが安い。近年は海外市場に上場されている外国株式を
  組み入れたETFを扱う証券会社も増えた。外国株式にも低
  コストで投資できるようになった意義は大きい。外国株式に
  も分散投資の対象を広げることが理論上はほぼ絶対的に好ま
  しくても、これまでは外国株式を投資対象とする投資信託の
  手数料があまりに高く、個人投資家に具体的に薦められる運
  用商品がなかった。だが海外ETFに投資できるようになっ
  て、この問題が解決された。
      http://diamond.jp/series/yamazaki_econo/10043/
  ―――――――――――――――――――――――――――

金塊.jpg
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2008年08月05日

●「金の高騰というよりドルの減価である」(EJ第2382号)

 「日経ビジネス」の金の特集「ドル凋落/金本位制再び」にお
いて、金に関する興味ある計算が披露されているので、ご紹介し
たいと思います。
 現在、世界的に原油や小麦やトウモロコシなどの穀物価格が上
昇していますが、これらはいずれもドル建てなのです。これを金
の価値を基軸にして測り直すと、その価格上昇率は意外に小さい
はずである――これを証明するための計算です。
 そのために「日経ビジネス(NB)ゴールド」という架空の金
貨を次のように設定し、このNBゴールド建てで原油の値動きを
追ってみようというわけです。
―――――――――――――――――――――――――――――
   純金100分の1オンス=NBゴールド金貨1枚
―――――――――――――――――――――――――――――
 原油は2000年1月の時点で「1バレル=28ドル」だった
のですが、2008年7月2日時点では、「1バレル=141ド
ル」になっています。
 2000年1月時点の金価格は「1オンス=280ドル」であ
り、1NBゴールドはその100分の1であるので2.8ドル、
「1バレル=28ドル」はNBゴールド金貨10枚となります。
―――――――――――――――――――――――――――――
       28 ÷ 2.8 = 10枚
―――――――――――――――――――――――――――――
 現在の金価格は、「1オンス=940ドル」前後になっていま
す。1NBゴールドは9.4ドルであるから、NBゴールド金貨
15枚となります。
―――――――――――――――――――――――――――――
      141 ÷ 9.4 = 15枚
―――――――――――――――――――――――――――――
 原油についてまとめると、2000年から2008年までの8
年間については、原油価格は5倍になったものの、純金で測った
価格は1.5 倍にしかなっていないのです。
―――――――――――――――――――――――――――――
  原油価格  28ドル → 141ドル ・・ 5.0倍
  金 価格  10 枚 →  15 枚 ・・ 1.5倍
―――――――――――――――――――――――――――――
 これをみてもわかるように、金の高騰というよりもドルの猛烈
な減価なのです。ドルの減価は米国の力がそれだけ落ちたことを
意味するのです。副島隆彦氏は、米国のドルについて次のように
述べています。
―――――――――――――――――――――――――――――
 今から64年前に決められた時から、米ドルのお札の方は、今
 や30分の1になっている。それなのに、アメリカ合衆国(ア
 メリカ帝国)は、まだ「アメリカの(お金の)力は強い」と強
 がりを言っている。どんなにアメリカが強がりを言っても、現
 実には30分の1の国力になってしまっている。
                 ――副島隆彦著/徳間書店
       『静かに恐慌化する世界/連鎖する大暴落』より
―――――――――――――――――――――――――――――
 「米国は30分の1の国力」の根拠はこうです。1944年7
月――ブレトンウッズ体制発足時点の金の価格は、「1オンス=
35ドル」です。金1オンスは31.1035 グラムなのです。
 2008年3月時点の金価格は「1オンス=975ドル」――
これを31.1035 グラムで割ると次のようになります。
―――――――――――――――――――――――――――――
    975 ÷ 31.1035 =31.346
    金1グラム =31ドル  →   30倍
―――――――――――――――――――――――――――――
 この「金1グラム=30ドル」に105円をかけると3150
円になり、日本における金価格になります。副島氏によると、や
がて金は2倍の6000円台になると予想しています。
 ところで、現在主要国はどのくらい金を保有しているのでしょ
うか。以下は2008年6月現在の公的部門の金保有量です。
―――――――――――――――――――――――――――――
          国       保有量
    1.米国       8134トン
    2.ドイツ      3417トン
    3.IMF      3217トン
    4.フランス     2562トン
    5.イタリア     2452トン
    6.スイス      1100トン
    7.日本        765トン
    8.オランダ      621トン
    9.中国        600トン
   10.ECB       564トン
   11.ロシア       458トン
   12.台湾        423トン
   13.ポルトガル     383トン
   14.インド       358トン
      2008年6月現在/WGC調べ
―――――――――――――――――――――――――――――
 これによると、米国の金の保有量は圧倒的です。実質上IMF
も米国に入れると、11351トンになるのです。ドルの減価が
止まらない米国――本当にこれだけの金が米国にあれば、米国は
これを使って何かを仕掛けてきても不思議はないのです。
 強力なインフレ圧力が世界経済にかかっている現在、もしこの
タイミングで米国が金本位制復活宣言をしたら、世界経済はどう
なるでしょうか。不換紙幣のインフレの中で、金本位制に復帰し
たドルだけが、インフレにヘッジできる唯一の通貨になる――そ
うなるとドルは、再び基軸通貨として世界を支配することになり
ます。可能性としては考えられます。  ―[金の戦争/41]


≪画像および関連情報≫
 ●金本位制に関するプログより
  ―――――――――――――――――――――――――――
  ドルが崩壊するので、今度は金本位制になるのではないかと
  か、金地金が注目されているようなんだが、アメリカがいっ
  ぱい持ってるらしいね。第二次大戦が終わった時に、アメリ
  カは何百年分だかのニッケルを保有していたとかいう噂もあ
  って、浪費も好きだが、溜め込むのも好きらしい。こういう
  ヤツは便秘になる。で、日本銀行も金地金を4412億円分
  持っているそうだが、いや、ないんだよ、という話もある。
  むかしは日本も金本位制で、兌換紙幣というヤツだった。紙
  幣を日銀に持っていくと金そのものに交換してくれる。
  http://shadow-city.blogzine.jp/net/2007/11/post_0719.html
  ―――――――――――――――――――――――――――

副島氏の本.jpg
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2008年08月06日

●「金本位制の信奉者グリーンスパン」(EJ第2383号)

 米国が金本位制に復帰する――この噂がかなり前から根強く出
ているのです。いかにも荒唐無稽な考え方ですが、火のないとこ
ろに煙は立たずで、調べてみる価値はあると思ったのです。私が
今回のテーマを取り上げたのは、それが果たして実現可能である
かどうかリサーチしてみたいと思ったからです。
 既出の上武大学教授高橋靖夫氏は、米国の金本位制復帰につい
て、次のように述べています。
―――――――――――――――――――――――――――――
 私は金価格は1500ドルまで高騰し、そのタイミングで米国
 が金本位制復活を宣言すると見ている。ブッシュ政権中に実行
 される確率は高いが、仮に次期大統領がマケインでも、あるい
 は民主党政権になっても、いずれ実行されるはずだ。なぜなら
 巨額の赤字とドルの権威失墜を防ぐ解決策はほかにないからで
 ある。そして、強いドルが復活すれば、日本や欧州の優良企業
 のM&Aも容易になる。         ――高橋靖夫教授
         ――「SAPIO」/2008.4.9日号
―――――――――――――――――――――――――――――
 考えてみると、金を通貨とした歴史は2000年以上に及ぶの
に対して、変動相場制などはわずか40年でしかないのです。そ
れにニクソン・ショックがそうであったように、制度変更による
外交戦略は米国の得意わざであり、日本は何度も痛い目にあわさ
れているのです。何の相談もなく、いきなりやってくるのです。
 米国には金本位制信奉者が少なくないのです。その一人に、前
FRB議長のアラン・グリーンスパンがいます。あのフェルディ
ナント・リップスは、グリーンスパンがFRB議長だったときに
次のようにいっています。
―――――――――――――――――――――――――――――
 今日、中央銀行のトップで、金本位制ならびに金の役割につい
 て完璧に理解しているという点では、FRB議長のアラン・グ
 リーンスパンの右に出る者はいないであろう。
   フェルディナント・リップス著/大橋貞信訳/徳間書店刊
   『いまなぜ金復活なのか/やがてドルも円も紙屑になる』
―――――――――――――――――――――――――――――
 グリーンスパンはつねに「システミックリスク」について警告
をしています。そして、システミックリスクは金本位制の規律の
下では起こらないといっていたのです。
 1999年5月のイングランド銀行が金の売却を発表したとき
グリーンスパンは次のようなコメントを発表しています。
―――――――――――――――――――――――――――――
 アメリカは金準備を維持すべきである。金は依然として世界の
 究極の支払い手段なのである。ナチス・ドイツは1944年に
 なっても物資を調達できたが、それも金で支払っていたからで
 ある。非常時には誰も不換紙幣を受け入れないが、金は常に受
 け入れられるのだ。
   フェルディナント・リップス著/大橋貞信訳/徳間書店刊
   『いまなぜ金復活なのか/やがてドルも円も紙屑になる』
―――――――――――――――――――――――――――――
 米国が金本位制に復活するという噂が現実味を帯びるのは、米
国の圧倒的な金の保有量なのです。通貨制度を金本位制に戻すに
は、大量の金が不可欠であるからです。
 しかし、一方において米国の金は既にないと主張する人もいま
す。それは、米国がデル・バンコ一族が仕掛けた金の戦争に米国
――FRB、IMF、財務省が敗れたからだというのです。
 1999年11月19日に、パリで開催されたワールド・ゴー
ルド・カウンシル(WGC)の会議で、ユーロに理論的な根拠を
与えてノーベル賞を受賞したロバート・マンデル教授は次のよう
に述べているのです。
―――――――――――――――――――――――――――――
 ここに出席された皆さん、ついに中央銀行は、私たちの軍門に
 くだり、持っていた金のほとんどを放出しました。私たちは、
 中央銀行が高い時に売却しない方針を徹底的に貫かせた、デル
 ・バンコの一族に敬意を示そうではないですか。あとほんの一
 年で、20世紀も終わります。今日、この日こそは世界の金の
 これからの未来を語る日なのです。デル・バンコ一族は、私も
 その末裔の一人ですが、ここに金の独占に成功しました。そろ
 そろ私たちは、中央政府に「金を安く買って、高く売るよう政
 策を改めよ」と進言します。しかし、皆さん、中央政府は安く
 買おうにも、その金がないことにやがて気がつきます。どうし
 てか。デル・バンコ一族が、金の独占化をほぼ達成したからで
 す。今日はその祝福すべき日です。祝杯を上げましょう。
 ――鬼塚英昭著、『日経新聞を死ぬまで読んでも解らない/金
              の値段の裏のウラ』/成甲書房刊
―――――――――――――――――――――――――――――
 ロバート・マンデルといえば、「マンデル・フレミング・モデ
ル」で知られるカナダ出身の通貨の専門家ですが、そのマンデル
の話す内容にはわからないことが多いです。そもそもWGC――
ワールド・ゴールド・カウンシルとはどういう会合なのか、その
正体は不明です。まるで何か秘密結社の会合での話のようです。
なお、昨日のEJで、金の保有量のデータについて書きましたが
そのデータの出所も「WGC」となっています。
 しかし、マンデルは自らデル・バンコ一族の末裔と語り、「デ
ル・バンコ一族は金の独占に成功した」と語っているのです。つ
まり、デル・バンコ一族が金の戦争に勝利し、各国の中央銀行の
金庫には、既に金などないという意味なのでしょうか。
 もしかすると、マンデルがここでいう中央銀行とは、カナダの
中央銀行である可能性があります。なぜなら、カナダの中央銀行
は15年間にわたり金を売却し続けたからです。
 はっきりしていることは、ここまで述べてきた通り、デル・バ
ンコ一族が長い年月をかけて、各国の中央銀行に働きかけて、金
を集めていたことです。        ―[金の戦争/42]


≪画像および関連情報≫
 ●ロバート・マンデルとは何者か
  ―――――――――――――――――――――――――――
  ロバート・マンデル教授は、1932年に年カナダに生まれ
  マサチューセッツ工科大学およびロンドン・スクール・オブ
  ・エコノミックスを卒業し、1956年にマサチューセッツ
  工科大学から博士号を取得しました。教授は、各国の著名な
  大学で教壇に立たれているだけでなく、国連、IMF、世界
  銀行、連邦準備制度理事会、アメリカ財務省、欧州委員会等
  多くの機関やカナダ、南米そしてヨーロッパ諸国において政
  府のアドバイザーをつとめており、現在は人民元に関して中
  国政府のアドバイザーをつとめております。
  http://www2.chuo-u.ac.jp/econ/anniversary100/special_lecture/history.html
  ―――――――――――――――――――――――――――

ロバート・マンデル教授.jpg

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2008年08月07日

●「金の戦争を終わらせる鐘の音」(EJ第2384号)

 1999年9月26日のことです。ワシントンにおいて、ヨー
ロッパの14の中央銀行が「金に関するワシントン合意」を宣言
したのです。これは何のための合意なのでしょうか。
 14の中央銀行とは次の国の中央銀行です。これにECB――
ヨーロッパ中央銀行が加わって15の銀行になります。
―――――――――――――――――――――――――――――
    1.オーストリア     8.ドイツ
    2.イタリア       9.スペイン
    3.フランス      10.イギリス
    4.ポルトガル     11.フィンランド
    5.スイス       12.オランダ
    6.ベルギー      13.アイルランド
    7.ルクセンブルグ   14.スウェーデン
―――――――――――――――――――――――――――――
 「ワシントン合意」の内容は次のようなものなのです。一見す
ると、金の売却を規制する合意のようです。
―――――――――――――――――――――――――――――
 1.参加15の中央銀行は参加国の金売却について今後の売
   却量を合計で年間400トンまでとし、参加中央銀行は
   5年間で2000トンを上限とする。
 2.参加15の中央銀行は、参加中央銀行が今まで行ってき
   たリース市場――金の貸出市場への貸出量を、今後は増
   加させずに現状の水準を上限とする。
―――――――――――――――――――――――――――――
 1999年末時点で、この15銀行の所有する金は1万594
1トンとされています。注目すべきは、スイスがこの合意に入っ
ていることです。スイスはこの時点で金をまったく売っていない
のに参加しているのです。実はスイスは2000年に入るや、憲
法を改正してまで金を放出するのです。
 もうひとつの注目点は、米国が入っていないことです。「ワシ
ントン合意」と銘打ちながらなぜ米国が参加していないのでしょ
うか。文書には一応次の前提は入っているのですが、いまひとつ
釈然としないものがあります。
―――――――――――――――――――――――――――――
  アメリカ、日本、IMF、BISの同意のもとに・・・
―――――――――――――――――――――――――――――
 既出の鬼塚英昭氏は、米国が加わらなかったことについて、次
のようにいっています。
―――――――――――――――――――――――――――――
 どうしてアメリカが加わらなかったのか。私は幾度も書いた。
 この1999年9月の時点でアメリカは金を持っていなかった
 からである。「金の戦争」で敗北に次ぐ敗北を強いられていた
 金デリバティブの戦士たちは、この「金の戦争」を終わらせる
 鐘の音がワシントンから鳴り響くのを、ウォール街で聞いたの
 である。各国の中央銀行は底をつきかけた金の保有を金デリバ
 ティブの戦士たちに伝えたのである。
     ――鬼塚英昭著、『日経新聞を死ぬまで読んでも解ら
            /金の値段の裏のウラ』/成甲書房刊
―――――――――――――――――――――――――――――
 鬼塚氏はここで大変なことをいっています。米国は金を持って
いないというのです。「金の戦争」で敗北に次ぐ敗北を強いられ
て、金を失ったというのです。それどころか、米国は各国から預
かっている金まで手をつけた疑いもあるのです。
 もうひとつ、この「ワシントン合意」は、それまで中央銀行が
行ってきた「金のリース」を認めたということです。それまで各
国とも正式に中央銀行の金の貸し出しを発表していなかったので
す。したがって、この合意は中央銀行の金の貸し出しの問題を広
く世界に知らしめたことにもなるのです。
 金には「リアルの金」と「バーチャルの金」があります。前者
は、中央銀行の金であり、後者はCOMEXに溢れる金のことで
す。COMEXでは、1日に800トンから1000トンの金が
売買されていたのです。そのバーチャルの金がヘッジされ、ヘッ
ジファンドの中に組み入れられて、巨大金デリバティブが形成さ
れていたのです。
 ここで「金の戦争」の構図をもっと明確にしてみる必要がある
と思います。戦争で対峙する一方は、もちろん米国の銀行、証券
会社です。彼らはウォール街で金ヘッジファンドにより各種のデ
リバティブをやっていたのです。
 彼らのバックには、財務省、IMF、FRBなど、米国そのも
のがついているのです。これら国際通貨体制を支えるバックグラ
ウンドとして、ロックフェラー財閥があるのです。
 さて、もう一方は、ロンドン、チューリッヒの国際通貨マフィ
ア――デル・バンコ一族とここまで書いてきています。具体的に
はヨーロッパをベースとするロス・チャイルド財閥ということに
なると考えられます。つまり、ロックフェラー財閥対ロス・チャ
イルド財閥の対決の構図――2大勢力の激突の構図です。
 米国は、1944年に発足したブレトンウッズ体制――ドル・
金本位制が崩壊したあと、1971年のニクソン・ショックを契
機にドル・石油本位制に移行し、ドルを基軸通貨とする通貨体制
を長年維持してきたのです。
 そういう米国のドル・石油本位制に対して、ヨーロッパのデル
・バンコ一族が金で米国に戦争を仕掛けたのです。これが「金の
戦争」なのです。
 これまで見てきたように、金の戦争によって金デリバティブの
戦士たち――米国の銀行や金融機関およびヘッジファンドは、敗
北に敗北を重ね、20世紀の終わりには限界に達しつつあったの
です。そして、この「金の戦争」を終わらせる鐘の音が「ワシン
トン合意」であると、鬼塚英昭氏はいうのです。
 そういう意味で「ワシントン合意」をもう一度慎重に見直す必
要があります。            ―[金の戦争/43]


≪画像および関連情報≫
 ●ゴールド・セッション/アンディ・スミス氏
  ―――――――――――――――――――――――――――
  「ワシントン合意」の内容は「本来なら不可能なはず」のも
  ものだった。それは金市場にとっては「強気な内容」であり
  (金価格が上昇に向かい始めていた)タイミングの良さもあ
  って、非常に大きな効果をあげた。「公的売却の不透明さ」
  への怖れが消えたことによって、金の「現在価値」が大幅に
  上昇した。しかし、まだ不明な点は残されている。「今後5
  年間で2000トン以内」の売却枠には、英国とスイス以外
  からの売却の余地が残されている。
  http://www.geocities.co.jp/HeartLand-Kaede/2764/gohkon.html
  ―――――――――――――――――――――――――――

鬼塚英昭の本.jpg
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2008年08月08日

●「ドイツの金はどこに消えたか」(EJ第2385号)

 2008年6月現在の米国の金の保有量は8134トン――世
界最大の保有量ですが、それが実はないというのです。そんな馬
鹿なという人は多いでしょう。しかし、中央銀行は外貨準備につ
いてはきわめて秘密主義であり、ほとんど情報を公開しないのが
つねなのです。そのとくにひどいのが米国なのです。絶対に何も
明かさない――完全にだんまりなのです。
 今まで多くの米国人が財務省が保有する金を監査するよう繰り
返し、要求したのです。かつてジョンソン政権がベトナム戦争の
ときにどのくらい金を売却したのかについては結局誰もわからな
いのです。要求に対する当局の答えはいつも同じ次のメッセージ
なのです。
―――――――――――――――――――――――――――――
         監査は費用がかかり過ぎる
―――――――――――――――――――――――――――――
 フェルディナント・リップスの本に気になることが書いている
のです。米国の金の専門家にジェイムス・タルクという人がいて
ニューヨーク州ウェストポイントにある合衆国造幣局に預けられ
ていると思われる1700トンの金の表記が何回も変わっている
といっているのです。
―――――――――――――――――――――――――――――
    2000年9月以前 ・・・・・ 金地金準備
    2000年9月以降 ・・・・・   保管金
    2001年     ・・・・・  重備蓄金
―――――――――――――――――――――――――――――
 ジェイムス・タルクによると、この「保管金」というのはドイ
ツの金であるといっているのです。ドイツの保有金は約3400
トンですが、ドイツ連銀は金準備のほとんどを他国に保管しても
らっているのです。
 実際にドイツにあるのは約80トン――これは、ドイツの保有
金の2.3% に当たりますが、それがフランクフルトの金庫にあ
るだけで、残りの金のうち1700トンは米ウェストポイントに
ある合衆国造幣局に預けられているのです。米財務省はこのドイ
ツの金1700トンの保証をしています。
 この金の表記がそれまでの「金地金準備」から「保管金」に変
わり、さらに「重備蓄金」に変わっているのです。これは何を意
味するのでしょうか。
 それでは残りの1700トンはどうなったのでしょうか。
 この1700トンの金は米国の為替安定化基金と交換されたか
たちをとり、為替安定化基金はこの金をブリオンバンクに貸し出
しているのです。既に述べたように、ブリオンバンクは、金を含
めた貴金属取引を行う銀行のことです。そして、ブリオンバンク
はその金を売却しています。
 これは何を意味しているかです。それは2000年9月という
時期に注目すべきです。ちょうどその一年前の1999年には金
の戦争をめぐってさまざまなことがあり、金の戦争について一応
の決着がついた年なのです。
 既出の鬼塚氏は、あくまで推理であると断って、ドイツの金の
経緯について、次のように述べています。
―――――――――――――――――――――――――――――
 ついに1999年、ウォール街の金デリバティブ体制が崩壊す
 るときがきた。このウォール街の金デリバティブでイギリスの
 シュローダー銀行もロバート・フレミング銀行が倒産の危機が
 訪れた。イングランド銀行は金を放出し、金価格を下げようと
 した。そして、このハードランディングによって両銀行の倒産
 は回避された。2000年9月に「金地金準備」のドイツ連銀
 の金が「保管金」になっていることは、すでにアメリカ財務省
 が、このドイツ連銀の金にさえ手をつけて、金デリバティブで
 倒産しかけたウォール街を救出するために使ったに違いない。
 そして表記変更の2000年9月に注目したい。この金の使用
 で「金の戦争」の結末がつけられたのであろうと思っている。
 ヤクザの手打ちである。金デリバティブのもたらす危機の最終
 的回避である。残りの1700トンの金が最終的にブリオンバ
 ンクに渡り、ブリオンバンクはこれを金デリバティブ市場で売
 却し、空売りをつづけた尻ぬぐいをした、と私は見る。
     ――鬼塚英昭著、『日経新聞を死ぬまで読んでも解ら
            /金の値段の裏のウラ』/成甲書房刊
―――――――――――――――――――――――――――――
 考えてみると、1999年9月11日にはやはり「金の戦争」
に敗れたJPモルガンとチェース・マンハッタン銀行が合併して
います。そのときにも大量の金が動いているはずです。
 そして、1999年9月26日に「金の戦争」の終結を告げる
「ワシントン合意」が行われているのです。金にかかわるすべて
のことが1999年に秘密裏に処理され、終結しているのです。
 しかし、それにしてもどうしてドイツ連銀は、貴重な金を米国
の金庫に預けたままにしたのかです。これについては、リップス
の本で、「フィナンシャル・タイムズ」紙のデビット・マーシュ
ボン特派員の次のことばが紹介されています。
―――――――――――――――――――――――――――――
 1960年代半ばの以降、金地金がドイツに移されることは一
 切なかった。冷戦期のドイツ連銀は、要塞化した東西ドイツ国
 境からソビエト製の戦車なら数時間で到着するフランクフルト
 よりも、海外に保管する方がよほど安全であると考えていたの
 だ。しかし、ドイツ統一が成されると、ドイツ連銀は、準備金
 の少なくとも一部をフランクフルトに戻すのに良い機会である
 と判断したに違いない。ところが外交上の利害から、金地金の
 ほとんどは、結局手を触れずにおかれることになったようであ
 る。フェルディナント・リップス著/大橋貞信訳/徳間書店刊
   『いまなぜ金復活なのか/やがてドルも円も紙屑になる』
―――――――――――――――――――――――――――――
                   ―[金の戦争/44]


≪画像および関連情報≫
 ●外貨準備とは何か/東奥日報より
  ―――――――――――――――――――――――――――
  対外債務の返済への備えや、外国為替市場で自国通貨の下落
  を止めるため介入を行う資金として、国が保有する外貨建て
  の資産。国内で政府短期証券を発行して円資金を調達し、そ
  れを元手に外貨資産を買うため、資産と債務を両建てで持つ
  形になる。外国為替資金特別会計を通じ、大部分を米国債で
  運用。毎年度、運用益の一部を一般会計に繰り入れている。
  http://www.toonippo.co.jp/news_hyakka/hyakka2008/0307_3.html
  ―――――――――――――――――――――――――――

合衆国造幣局紋章.jpg
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2008年08月11日

●「ワシントン合意の前の手打ち」(EJ第2386号)

 ある勢力が金を独占するとどうなるかについて考えてみましょ
う。金鉱山会社全体の時価総額は約600憶ドル、金の市場価格
――民間保有と公的保有の合計は約1兆6000憶ドル、これに
対して民間が保有している現金と金融資産の合計は、世界全体で
150兆ドルを上回るのです。
 このように考えると、この世の中で金が占める価値は案外低い
といえます。しかし、ドルやユーロや円で計算されている現金と
金融資産は、いつかこの世から消える運命にあるといっても過言
ではないのです。
 株式市場の崩壊やドルの大暴落が起きれば、現金と金融資産は
いつ消えても不思議はないのです。そのときは、今は100分の
1の金融価値しかない金が100倍の価値となって、金が市場の
支配権を握る可能性もあるのです。
 もし、本当に世界中の金がある勢力――仮にデル・バンコ一族
に独占されたとすると、デル・バンコ一族は市場を独占し、今ま
で米国が受けていた「法外の特権」を米国に代わって掌中にする
ことになるのです。
 現在、米国は膨大な貿易赤字を抱えています。この貿易赤字が
ひどくなったのは、クリントン政権のときです。クリントンが大
統領に就任した1993年から、貿易赤字は毎年著しく増えてい
るのです。1992年には390憶ドルの赤字でしかなかったも
のが、2000年には3600憶ドルになっているのです。なん
と10倍に膨らんでいるのです。
 この米国の貿易赤字をどう見るかについてはいろいろな意見が
あります。しかし、金の戦争に米国は敗れたという観点に立つと
その先行きには大きな不安が伴うのです。
 「プランチャード・エコノミック・リサーチ」誌は、次のよう
にコメントしています。
―――――――――――――――――――――――――――――
 アメリカがこれほど長いこと巨額の貿易赤字を垂れ流し続けら
 るのは、アメリカに輸出することで潤っている国々が、輸出の
 受け取り代金の多くをアメリカの株式や財務省証券に投資して
 いるからである。しかし、弱気な株式市場と迫りつつある『ハ
 ード・ランディング』は、このすべてを変えかねない。現に外
 国人は、アメリカの低迷する株式市場に、魅力を感じなくなっ
 ている。さらに悪いことに、外国人が財務省証券を大量に保有
 しているということは、アメリカの金融システム全体が外国発
 のリスクにさらされるということである。財務省証券の外国人
 保有者の中には、中国共産党を含む海外の政府や中央銀行があ
 る。中国はアメリカを敵国とみなしていながら、アメリカ財務
 省証券を1000億ドル以上と、世界で3番目に多く保有して
 いる。これは、中国と紛争が起きた際には、アメリカの金融シ
 ステムがまっ先に攻撃されるということを意味するものだ。
   フェルディナント・リップス著/大橋貞信訳/徳間書店刊
   『いまなぜ金復活なのか/やがてドルも円も紙屑になる』
―――――――――――――――――――――――――――――
 今や米国の国債を大量に有している国は日本だけでなく、中国
が際立っているのです。米国からすれば、日本は大丈夫だが、中
国が大量に米国債を有していることには大きな不安を持つ人が多
いのです。
 2000年12月5日の米国下院におけるトラフィカント議員
の発言もその不安を訴えています。
―――――――――――――――――――――――――――――
 議長、アメリカの9月の貿易赤字は、350億ドルに達しまし
 た。たった1カ月だけで、350億ドルです。このままいけば
 アメリカの一年間の貿易赤字は4200億ドルになります。も
 しこの状況が続けば、1929年の大恐慌が、自動車の接触事
 故くらいにしか思えないほどひどい恐慌が発生するでしょう。
 さらにひどいことに、現在中国は1000億ドルの現金をアメ
 リカから持ち去り、ミサイルを購入して、われわれにその照準
 を合わせているのです。われわれは何と愚かなことでしょう。
 レーガン大統領が共産主義をほぼ壊滅させたのに、クリントン
 政権は共産主義に再投資し、今や援助すらしているのです。
        ――フェルディナント・リップスの前掲書より
―――――――――――――――――――――――――――――
 海外から一年間で4000億ドル以上を借り入れることなどで
きないのです。そういう意味で米国の貿易赤字は既に限界に達し
ているということができます。
 既出の鬼塚氏によると、1999年9月26日のワシントン合
意において金の戦争には決着が着いたといっています。勝者と敗
者が明らかになったのです。勝者はCOMEXを閉じなければな
らないでしょう。しかし、いくらリアルの金を独占しても、バー
チャルな金が動いているのです。COMEXでは、1日に800
トンから1000トンを超えるバーチャルの金が取引されている
のです。これを一度につぶすのは困難であり、徐々にそれを行う
必要があります。
 具体的にいうと、相当巨額の資金を投入して金の価格を下げて
金デリバティブを弱体化させる――これを行う必要があります。
鬼塚氏によると、「ある種の法を無視したマネーロンダリング後
の大金が勝者暗黙の了承のもとに流れている」とまでいっている
のです。
 鬼塚氏はさらに大胆な推理を展開します。そこで使われたとみ
られる大金とは、ドイツ連銀の金ではないかと見られています。
金の戦争の敗者である金デリバティブのディーラーたちは、ドイ
ツ連銀の金を秘密裡に米財務省から受け取り、金デリバティブの
規模を縮小させるため、使われたと考えられます。
 それは、ワシントン合意の前であり、チェース・マンハッタン
とJPモルガンの合併の直前であるというのです。
 これに加えてさらに巨額のドルが、2000年から2004年
にかけて使われているのです。     ―[金の戦争/45]


≪画像および関連情報≫
 ●離れたくても離れられない中国とドルの関係
  ―――――――――――――――――――――――――――
  中国の政府高官であるファン・ガン氏が、巨額のドル保有を
  リスクと発言した背景には、人民元が今後も元高となるだろ
  う、との市場関係者の見通しがあります。10月10日の人
  民元レート(基準値)は、1ドル=7.9128元となり、
  1年前のレートと比べると2%程度上昇しています。中国の
  貿易黒字が高水準を維持していることや、中国政府が中国内
  での人民元の流通量を抑制する方針を強めていることなどか
  ら、今後も人民元レートは、緩やかなペースで上昇を続ける
  との見方が市場関係者の間で強まっています。
http://news.searchina.ne.jp/disp.cgi?y=2006&d=1012&f=column_1012_005.shtml
  ―――――――――――――――――――――――――――

ビル・クリントン.jpg
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2008年08月12日

●「ブレディ債と9.11の関係」(EJ第2387号)

 前回、2000年から2004年にかけて巨額のドルが使われ
ていると書きましたが、その巨大なドルとは何なのでしょうか。
これは「ブレディ債」ではないかといわれているのです。
 「ブレディ債」とは何なのでしょうか。
 1989年のブラジル危機のときの話です。レーガン政権下の
ブレディ財務長官がとった民間銀行に対する債務削減構想に関連
して、後に「ブレディ債」と呼ばれるようになったのです。
 米国の銀行と証券会社がブラジルに投資したのですが、ブラジ
ルが支払い不能になったのです。そこで、IMFに対してSOS
を出してきたのです。つまり、支払い不能になった赤字分を補填
して欲しいといってきたのです。
 しかし、IMFは民間企業の救済はできないのです。そこで、
IMFと民間企業は米財務省と相談したのです。時の財務長官の
フレディは次の指示を出したのです。
―――――――――――――――――――――――――――――
  その赤字国の債務を一つの証券にして一般投資家に売れ!
―――――――――――――――――――――――――――――
 債務はある程度カットされ、財務省はこの証券の保証をしたの
です。これがブレディ債なのです。このかたちをとると、IMF
は結果として民間企業を支援できるのです。ちなみにこのアイデ
アは、真偽のほどはわかりませんが、当時日本の大蔵大臣であっ
た宮沢喜一氏の考案によるものという説もあります。
 既出の鬼塚氏は、2000年から2004年にかけてこのフレ
ディ債と同じ手法で巨額のドルが生み出され、金デリバティブの
ために使われたのではないかといわれているのです。
 この件について、鬼塚氏はリチャード・コシミズなる人物の著
書を引用して次のように興味ある事実を述べています。
―――――――――――――――――――――――――――――
 WTC(ワールド・トレード・センター)の101階から10
 5階に入居していたのが、カンター・フィツツジエラルド証券
 という債券ブローカーである。1000人いた従業員のうち、
 700名近くが911攻撃で落命したという。さて、このカン
 ター証券には、9月12日に償還期限の来る、1200億ドル
 分のプレデイ債券が保管されていたという。そして、その債券
 は、ビルごと「蒸発」した。また、WTCの地下には1200
 億ドル相当分のプレデイ債の担保にあたる金塊が保管されてい
 たという。それらは、殆どが9.11 当日朝までに運び出され
 いまだに行方がわからないという。
     ――鬼塚英昭著、『日経新聞を死ぬまで読んでも解ら
            /金の値段の裏のウラ』/成甲書房刊
―――――――――――――――――――――――――――――
 このことに関連して、9.11 でWTタワーが崩壊した直後に
起きたことについて、鬼塚氏は次のようにも書いています。FE
MAとは何なのでしょうか。実に不気味な話です。
―――――――――――――――――――――――――――――
 9.11 テロの数日前からテロ対策の訓練をし、テロが発生し
 ててWTタワーが崩壊すると、人命救助を一切せず、鉄骨の屑
 をトラックに積み、港に直行して船に載せ中国へと運んだ軍隊
 のような組織があった。この実行部隊がFEMA(連邦緊急事
 態管理庁)である。私はプレデイ債券が消えたことを書いた。
 あの時、ビルの地下に金が貯蔵されていることになっていた。
 FEMAは鉄骨とともに人間の死体だけを残して、金塊を運び
 去った。           ――鬼塚英昭氏の前掲書より
―――――――――――――――――――――――――――――
 実は、9.11 のとき同時に攻撃を受けたペンタゴンでは、O
NI(米国海軍諜報部)という組織があって、ブレディ債につい
て調査を進めていたというのです。ペンタゴンが攻撃されたのは
そのためではないかといわれているのです。
 金の戦争という表面にはけっして出ない戦争で米国は敗北した
のです。しかし、真相は表には出せない――そこで勝者と敗者の
間に手打ちが行われ、ワシントン合意が成立して、金の戦争は終
わったのです。巨額のドルが使われたことによって金デリバティ
ブのディーラーたちは大きな赤字を出すことなく、金の先物市場
から静かに撤退したのです。
 そして、このワシントン合意頃から次の情報が流されるように
なっています。
―――――――――――――――――――――――――――――
     アメリカはやがて金本位制を採用する
―――――――――――――――――――――――――――――
 鬼塚氏によると、米国に既に金はなく、この情報はわざと流さ
れているディス・インフォメーション(偽情報)であるといって
います。もともと「米国は金本位制に復活か」の可能性を検証す
るための今回のテーマだったのですが、確証はないものの、どう
やらその可能性は低いと考えられます。そうであるとしたら、今
後米国はどうなっていくのでしょうか。
 9.11 については、ここにきて意外なことに金の問題と結び
ついてきています。なお、9.11 の真相に関しては、次の講演
が大変興味深いので、時間があるときにご覧ください。すべて見
ると、3時間24分かかります。この事件の闇は深いです。
―――――――――――――――――――――――――――――
http://video.google.com/videoplay?docid=-3859363222910740882&hl=en
―――――――――――――――――――――――――――――
 ところで、今後通貨はどうなるのでしょうか。もし、デル・バ
ンコ一族が金の独占に成功したのが本当であれば、新しい通貨シ
ステムを打ち出してくることが考えられます。
 新しい通貨の内容はわかりませんが、なぜか名前だけは出てき
ています。それは「フェニックス」という名前なのです。これは
世界通貨の名前なのでしょうか。そのさいに、金はどのように使
われるのでしょうか。今回のテーマ「金の戦争」は明日で終了し
ます。                ―[金の戦争/46]


≪画像および関連情報≫
 ●世界通貨「フェニックス」について
  ―――――――――――――――――――――――――――
  アメリカ人、日本人、ヨーロッパ人、そしてその他の多くの
  金持ち国の人々、そしてさらに若干の比較的貧しい国の人々
  は、同一の通貨で買い物をするであろう。その価値はドル、
  円、ドイツ・マルクなどでは表現されないであろう。それは
  「フェニックス」で計算される。フェニックスは、今日の通
  貨よりも便利なので、企業や消費者に好まれるであろう。そ
  の通貨は三〇年以内に登場するであろう。
     ――鬼塚英昭著、『日経新聞を死ぬまで読んでも解ら
            /金の値段の裏のウラ』/成甲書房刊
  ―――――――――――――――――――――――――――

9.11/世界同時多発テロ.jpg

posted by 平野 浩 at 04:19| Comment(0) | TrackBack(0) | 金の戦争 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年08月13日

●「米国が日本に仕掛けた3つの罠」(EJ第2388号)

 日本は世界第2位の経済大国といわれています。しかし、国民
の暮らしは経済大国の割にはけっして良いとはいえないのです。
それは、同じように第2次世界大戦の敗戦国であるドイツと対照
的であるといえます。なぜなら、ドイツの国民の方が日本よりも
はるかに良い暮らしをしているからです。
 ドイツと日本の間には通貨に対する認識の相違があります。ド
イツを含むヨーロッパ諸国では、金本位制の時代には金を外貨準
備として保有することが原則だったのです。第2次世界大戦前の
ヨーロッパでは、英国のポンドが準備通貨として圧倒的な地位を
確立していたのです。
 第2次世界大戦後しばらくしてからドイツは自国通貨のマルク
を準備通貨として大事に育てていたのです。自国通貨が準備通貨
である意味をドイツはよく知っていたのです。
 これに対して日本は、純債権大国になりながら、準備通貨とし
ては円ではなく、ドルを保有したのです。日本では歴史的に「在
外正貨」という方針をとっており、金を国内に持ち帰えらなかっ
たし、外貨を円に交換して持ち帰ることもしなかったのです。
 もうひとつ、ドイツを含むヨーロッパと日本をはじめとするア
ジアでは通貨の考え方は次のように異なるのです。
―――――――――――――――――――――――――――――
  ヨーロッパ ・・・ 製品やサービス等の購入手段
    アジア ・・・ 通貨こそは蓄財の手段である
―――――――――――――――――――――――――――――
 日本はあくまで輸出立国の経済モデルにこだわっており、日本
経済は外需依存体質から抜け出せないのです。しかし、こういう
考え方に立脚している限り、日本は米国の植民地的ポジションか
ら脱却できず、国民の暮らしは豊かにならないのです。
 これについて、経済同友会元副代表の三国陽夫氏は次のように
述べています。
―――――――――――――――――――――――――――――
 一方、(ニクソン・ショック以後も)日本はアメリカに対し円
 での支払いを求めない。円で支払いを求めると、アメリカの輸
 入業者が外国為替市場でドルを売って円を買い求める。そうな
 ると、日本はすでに輸出超過のためドルが大量に供給されてお
 り、円相場が切り上がり、輸出・採算が悪化する。しかも、日
 本が保有するドルは、アメリカ以外の国への支払いにも使える
 し、運用も有利になるため、日本は多額のドルを持つことに問
 題があるとは考えなかった。実際はアメリカの買い物の支払い
 代金を立て替えることになり、その資金繰りに追われることに
 なるが、日本はそれに気がつかない。決済上はアメリカがドル
 を支払い、日本はそのドルを受け取る。しかし、このドルは、
 ドルのままでは日本国内の経済活動には使えない。したがって
 日本はアメリカにドルを貸し置くしかなく、巨大赤字国アメリ
 カは巨大黒字国日本からいくらでも輸入することが可能になる
 のである。     ――三国陽夫著/文春新書/481
        『黒字亡国/対米黒字が日本経済を殺す』より
―――――――――――――――――――――――――――――
 既出の副島隆彦氏によると、米国は日本に対し、次の3つの罠
にはめて、抜け出せないようにしていると指摘しています。
―――――――――――――――――――――――――――――
           1.超低金利
           2.円高攻撃
           3.財政赤字
―――――――――――――――――――――――――――――
 まず、米国は日本との金利差をつねに3%以上開かせるように
しています。こうしておけば、自動的に日本から米国に資金が流
れるからです。
 しかし、現在米国は深刻なサブプライム・ローンによる不況に
襲われつつあり、金利を下げざるを得ないのです。しかし、あま
り下げてしまうと、インフレの心配があるし、日米の金利差も小
さくなってしまうのです。
 輸出代金をドルで受け取り、それを円に替えて日本に持ち帰ろ
うとすると、上記の三国氏の指摘の通り円高になるし、米国も何
かことがあると円高攻撃を仕掛けてくる――副島氏によると、日
米で次の暗黙の了解があるそうです。
―――――――――――――――――――――――――――――
   1ドルは110円を中心に上下10円の幅で動く
―――――――――――――――――――――――――――――
 もうひとつ、副島氏は「日本の財政赤字によってドル暴落が回
避されている」と指摘しています。これについて、副島氏は次の
ように述べています。
―――――――――――――――――――――――――――――
 日本の財政破綻状態を考える上でしっかり押さえるべきは「日
 本の公的債務残高(財政赤字)が積み上がっているために、ド
 ル暴落が回避されている」という事実である。日本の公的債務
 残高は対GDP比で200%を超えている。現在のGDPは実
 質で420兆円ぐらいだから、880兆円の中央政府(日本財
 務省)の分の赤字国債発行高のちょうど2倍になっているだか
 ら200%である。そのために、資金の国際的な移動の面だけ
 から見た場合は、日米間の国際収支不均衡(ワールド・トレイ
 ド・インバランス)の拡大が、かえって抑制されているのであ
 る。だからドル暴落が回避されているのである、という厳然た
 る事実である。         ――副島隆彦著/徳間書店
       『ドル覇権の崩壊/静かに恐慌化する世界』より
―――――――――――――――――――――――――――――
 しかし、「金の戦争」で敗れた米国は今後どうなっていくので
しょうか。それは日本にも大きな影響があります。
 47回にわたって連載した「金の戦争」は今回で終了すること
にします。明日からは、これからの米国経済はどうなっていくの
か――日本との関連でとらえます。[金の戦争/47/最終回]


≪画像および関連情報≫
 ●準備通貨とは何か
  ―――――――――――――――――――――――――――
  準備通貨(じゅんびつうか)は、各国政府もしくは金融当局
  の外貨準備において相当量を占める通貨を指す。準備通貨高
  は石油や金のような国際間で取引される商品の価格に大きな
  影響を与える。近年では特にアジア諸国が自国通貨のレート
  を下げて輸出競争力を高めるため、およびアジア通貨危機の
  ような事態に備えるために外貨準備高を引き上げる傾向にあ
  る。準備通貨は発券国の国力を考慮して選択されるが、その
  変遷には長い時間がかかる。     ――ウィキペディア
  ―――――――――――――――――――――――――――

「ドル覇権の崩壊/副島隆彦著」.jpg
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