2007年06月01日

●構造問題のある経済とは何か(EJ第2092号)

 リチャード・クーという経済の専門家――著名なエコノミスト
がいます。分かりやすい独特の経済分析をするので人気があり、
彼の所説は大変説得力があります。
 1995年〜1997年の人気アナリストランキング/エコノ
ミスト部門で第1位――『日経金融新聞』であり、さらに、19
98年〜2000年、債券アナリストランキングのエコノミスト
部門で第1位――『日経公社債情報』という大変人気のあるエコ
ノミストなのです。
 そのため、1995年以降の経済を扱うテレビ番組では常連の
エコノミストであり、橋本内閣、小渕内閣、森内閣の時代にあっ
ては、テレビ、雑誌、新聞などのマスコミで大活躍をしていたの
です。しかし、2001年に小泉内閣になると、なぜか急にマス
コミから遠ざけられ、テレビには一切登場しなくなったのです。
 確かにリチャード・クー氏は当時しきりと財政出動の重要性を
説き、小泉内閣の推進する構造改革と正反対の主張をしていたの
で、官邸筋から嫌われたのかも知れないのです。しかし、クー氏
は従来のマクロ経済政策としての財政出動を主張したのではなく
彼独自の理論――バランスシート不況論をベースとしてそれを主
張していたことを知っている人はほとんどいなかったのです。
 2003年にリチャード・クー氏は、『デフレとバランスシー
ト不況の経済学』(徳間書店刊)を発刊し、自らの論拠を明らか
にしています。この本に書かれているクー氏の主張は、非常に説
得力があり、EJでも次の19回にわたって紹介しています。
―――――――――――――――――――――――――――――
    2003年11月17日EJ第1233号〜
    2003年12月12日EJ第1251号
―――――――――――――――――――――――――――――
 そして、2007年1月にクー氏は再びバランスシート不況を
取り上げ、多くのデータによって、15年間にわたる日本の不況
がバランスシート不況であることを実証し、金融政策中心の従来
の経済学の誤りを指摘するする次の本を出版したのです。
―――――――――――――――――――――――――――――
  リチャード・クー著
  『「陰」と「陽」の経済学/我々はどのような不況と
  戦ってきたか』       ――東洋経済新報社刊
―――――――――――――――――――――――――――――
 この本は総ページ数372ページの大著です。簡単に読破でき
る分量ではありません。しかし、そこにはクー氏の独自の理論が
分かりやすく紹介されており、EJでは次のタイトルでクー氏の
所説をご紹介したいと思います。
―――――――――――――――――――――――――――――
 「日本経済生還の謎/リチャード・クー氏によるバランスシ
 ート不況論で分析する」
―――――――――――――――――――――――――――――
 小泉内閣のスローガンは「構造改革なくして景気回復なし」で
す。しかし、本当に構造改革が行われた結果、景気が回復したの
でしょうか。
 その答えは「ノー」です。それは、不況の原因が構造問題では
ないからです。クー氏によると、構造問題を抱えた経済の例とし
て、25年前の英国と米国の経済を上げています。時の米国の大
統領はレーガン、英国の首相はサッチャーだったのです。
 当時の米国や英国では、ストライキが頻発して、作っているも
のは不良品の山――とくに米国車はあまりにも故障が多かったの
で、国民はこぞって日本車を購入したのです。
 当時の連邦準備制度理事会(FRB)は景気を向上させるため
に金融緩和をやったためインフレ率が一時2ケタになるまでに悪
化したのです。さらに国内製品が不良品なので、国民は輸入品を
買うため貿易赤字は拡大――その結果ドルが下落し、国内のイン
フレが一段と加速するという悪循環に陥ったのです。こういう経
済こそ構造問題のある経済なのです。
 つまり、構造問題がある経済というのは、ストライキが頻発す
ることによってわかるように企業の供給力に問題があって、良い
製品ができない経済であるということです。そういう経済の特徴
をまとめると次のようになります。
―――――――――――――――――――――――――――――
         1.インフレが発生する
         2.通貨が下落し高金利
         3.設備投資意欲は弱い
―――――――――――――――――――――――――――――
 クー氏がいうのは、こういう構造問題を抱えた経済を回復させ
るには、従来のマクロの金融や財政政策で解決するのは困難であ
るというのです。
 レーガンやサッチャーは、ここで思い切ったサプライサイド改
革を実施したのですが、当時の主流の経済学者は「ブードゥーエ
コノミクス」といってバカにしたのです。レーガンのいっている
ことは単なるおまじないだといったのです。日本でも多くの経済
学者は「花見酒の経済」といっており、まるで評価していなかっ
たのです。
 レーガン就任時の経済指標を上げておきます。15年前の日本
と比べるとどうでしょうか。
―――――――――――――――――――――――――――――
      1.インフレ率2ケタ
      2.短期金利が22%
      3.長期金利が14%
      4.住宅ローン17%(30年固定)
―――――――――――――――――――――――――――――
 15年前の日本は、インフレなどなく、短期金利、長期金利、
住宅ローン金利は、いずれも人類史上最低の水準であり、ストラ
イキなど――プロ野球のストはあったが――どこにもなかったの
です。          −― [日本経済回復の謎/01]


≪画像および関連情報≫
 ・リチャード・クー氏
  ―――――――――――――――――――――――――――
  日本や世界経済が大きく変化するなかで、既存の経済学やそ
  の理論にとらわれず、必要ならバランスシート不況論のよう
  に、自ら新しい理論構築をしてでも現実に見合った経済分析
  をしようと心がけています。また、米国での実務経験などを
  ふまえ、国民経済的見地から、マスコミの流行に振られぬ政
  策提言をして行きたい。      ――リチャード・クー
  ―――――――――――――――――――――――――――

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2007年06月04日

●銀行問題は景気低迷の原因ではない(EJ第2093号)

 15年前の日本とレーガン当時の米国を比較してみると、添付
ファイルのようになります。これらの指標から浮かび上がってく
るものは、日本のサプライサイド――供給力は極めて強いという
ことです。つまり、作っている製品は、世界中の人が欲しがって
いるけれども、国内ではなぜか売れないのです。
 国内で売れないというのは、製品に問題があるのではなく、需
要が弱いからなのです。海外への輸出は好調であり、輸出企業の
企業収益はきわめて好調ですが、国内で大きな収益を上げている
企業は少ないのです。
 国内で売れないので、企業は経営資源を海外に回すようになり
ます。そうすると、一層よく売れるので、黒字が拡大し、これが
進むと円高になります。円高になると、国内はますますデフレの
傾向が強くなってしまうのです。
 つまり、過去15年間の日本は、80年代の米国とまったく逆
のサイクルに入っていたのです。供給力はあるが国内に需要のな
い世界――それが過去15年間の日本の景気低迷の姿であり、構
造問題のある経済とはまったく違うものだったのです。
 日本経済が構造問題のある経済ではないとすると、15年間に
及ぶ日本の景気低迷の真の原因は何でしょうか。
 そこに出てくるのが「銀行問題」なのです。銀行の不良債権処
理問題は小泉改革の重要な柱であり、竹中平蔵氏が大臣として、
らつ腕をふるい、危機を脱却させたということになっています。
そのときさかんにいわれたことは、銀行に問題があると、日本経
済にお金が回らなくなり、これが景気の悪化をもたらしていると
いう主張です。果たして本当にそうなのでしょうか。
 仮に銀行が不良債権などの問題を抱えていて、お金が回らない
ことが本当であるとすると、企業としては銀行に代わる資金調達
手段である社債を発行するはずである――クー氏はこういうので
す。そうであれば、社債市場が活性化しているはずなのです。も
ちろん社債を発行できるのは上場企業に限られますが、それらの
企業は自らの判断で社債の発行を決められるのです。
 しかし、日本においてそのような動きは過去10数年間起きて
いないのです。日本の社債市場は2002年頃から残高が減少し
ているのです。残高が減少しているということは、社債の新規発
行よりも償還の方が大きいことを示しています。
 また、日本の銀行がダメなら外国の銀行があるのです。シティ
バンクやバンク・オブ・アメリカ、HSBCらの銀行は不良債権
を抱えておらず、いつでも資金を調達できるのです。これらの外
銀は日本市場に食い込むのに難儀をしており、日本の銀行が貸せ
ない状況にあるとすれば、絶好のチャンスなのです。外銀はこれ
を機に日本の大企業に一斉に食い込もうとするはずです。
 実際にそういう動きがあるとすれば、日本にはもっと外銀の支
店ができていてよいはずです。1997年の、いわゆるビックバ
ンによって規制は撤廃されているので、外銀は日本国内に原則自
由に支店を開設できるようになっているからです。
 しかし、そういう傾向は一切見られないのです。外銀の貸出残
高は、この10数年間ほとんど増えておらず、かなり減った時期
すらあったのです。日本の上場企業は少なくとも外銀に対して資
金を借りようとしていないのです。
 一方において、上場していない企業としては、資金調達を銀行
からするしかないわけですが、貸出しが厳しくなっているとすれ
ば、貸出金利は上昇するはずです。しかし、そのようなことは起
きておらず、銀行の貸出金利もこの15年間下がる一方で、これ
も人類史上最低の水準なのです。
 これによって、銀行の問題がボトルネックでお金がまわらない
ため不況になるというのは根拠がないということになります。そ
れに現在日本では、銀行問題は解決したというムードになってい
ますが、米国の大手格付機関であるムーディーズが作成している
大手銀行の財務格付けを見ると、A、B、Cは一行もなく、Dし
かないのです。Dは落第点です。
 合格はBマイナス以上といわれていますが、Dでは合格点にほ
ど遠いのです。このように、日本の銀行は最悪の危機を脱出した
だけであり、ちっとも良くなってはいないということをわれわれ
は認識しておくべきです。
 実は銀行がおかしくなって、お金が回らなくなって不況に陥っ
た例が米国にあるのです。1990年代の前半に起きた米国にお
けるすさまじい銀行の貸し渋りの発生です。
 きっかけは、1989年に起こった貯蓄貸付組合(S&L)の
破綻であり、それを契機として、当局の金融検査官が商業銀行に
検査に入ったところ、著しく自己資本が不足していることがわか
り、これが原因で米国では1991年から1993年にかけて、
銀行のすさまじい貸し渋りが発生したのです。
 銀行から資金を調達できなくなった上場企業はいっせいに社債
市場での資金調達に走り、米国の社債市場は大活況を呈したので
す。もちろん、外銀にも資金調達の要請があり、外銀のシェアは
一挙に急拡大したのです。1991年以前には数%しかなかった
外銀のシェアは1994年には30%に達しているのです。もち
ろん、その外銀の中には日本の銀行も入っていたのです。
 1991年当時のFRB議長はあの有名なグリーンスパンです
が、あまりにも景気が悪くなったので、短期金利を3%まで下げ
たのです。しかし、借りたい企業はあまりにも多く、いくら短期
金利が下がっても資金の争奪戦が起こった結果、貸出金利は7%
程度まで上昇したのです。
 銀行の立場に立つと、資金調達コストは3%であるのに貸出し
は7%で貸せるので、3〜4%の利ざやを稼ぐことができたので
す。グリーンスパン議長を短期金利3%を3年間続けて、銀行の
不良債権問題を解決し、貸し渋りを解消させたのです。銀行の自
己資本は総資産の8%必要なのですが、銀行は利ざやで最大12
%稼げたので、銀行は一気に元気になったのです。しかし、日本
はそうなっていないのです。 −― [日本経済回復の謎/02]


≪画像および関連情報≫
 ・リチャード・クー氏の前著作より
  ―――――――――――――――――――――――――――
  銀行の貸出金利が本当に上がっているなら、それは確かに銀
  行の資金供給力がボトルネックであって、銀行が不良債権問
  題を抱えているから不景気なのだ、ということができる。そ
  うであるなら、公的資金を投入してでも銀行が抱える不良債
  権問題を早急に解決すべきである。ところが、今の日本では
  そういう現象は起きていない。逆に、金利は下がる一方で、
  限りなくゼロに近い史上最低の利率である。しかも、短期市
  場金利と銀行の貸出金利との差は極めて小さい。
            ――リチャード・クー著/横井浩一訳
    『デフレとバンラスシート不況の経済学』 徳間書店刊
  ―――――――――――――――――――――――――――

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2007年06月05日

●なぜ、企業は借金返済に走ったのか(EJ第2094号)

 銀行の不良債権問題が問題になったとき、小泉政権はいかにも
それが日本の長期不況の元凶であるかのようにとらえ、竹中大臣
を使って一挙にそれを片付けようとしたのですが、それがいかに
間違っていたかについては後から少しずつ明らかにしていきたい
と思います。いずれにせよ、景気が回復したのは、そのことと何
も関係がないことを最初に申し上げておきます。
 リチャード・クー氏によると、この過去15年間にわたって、
日本で起きていたことは、どの経済学書にもビジネス書にも載っ
ていない極めて特殊な不況であるというのです。つまり、今まで
の経済学では想定していなかった事態であるといっています。
 ゼロ金利の状態で過去10数年間、企業は一斉に借金の返済を
やっていたからである――クー氏はこういうのです。これはデー
タでちゃんと裏付けられています。それからもうひとつ、ここで
クー氏のいう「企業」とは「上場企業」であると考えるとわかり
やすいということです。つまり、懸命に借金返済に走っていたの
は日本の上場企業なのです。
 ゼロ金利なのに借金を返済する――こんなことは、どの経済書
でもビジネス書でも教えないでしょう。企業にとってゼロ金利で
あることは最大のチャンスだからです。普通にとらえると、ゼロ
金利(短期金利)でも銀行からお金を借りず、そのお金の使い方
を決められない経営者なんか無能であると思われても何ら不思議
ではないのです。
 添付ファイルの「グラフ1」をご覧ください。このグラフは、
日本の短期金利と日本企業が銀行と資本市場からどのくらい資本
調達を行っていたかを示しています。
 これによると、1995年には短期金利はほとんどゼロになっ
ているのに、日本企業は借入れを増やすどころか、借金返済を拡
大させ、2000年から2003年頃には年間20兆〜30兆円
というとんでもない規模の借金返済を行っていたことが明らかに
なっています。どうして、日本企業はそのようなことをやったの
でしょうか。
 企業というものは、資金を調達して事業を拡大させるのが自然
の姿です。その企業がそれをやめてしまい、一斉に借金の返済に
走る――一体どうしてこのようなことが起こったのでしょうか。
 その最大の原因は、この10数年間、日本国内でとんでもない
資産価値の下落が発生したことなのです。「グラフ2」は、6大
都市の商業用不動産、株式市場の指標であるTOPIX、ゴルフ
会員権の3つの資産価値の推移を示したものです。グラフを見る
とわかるように、最悪期の2003年〜2004年においては、
3つとも次のように大幅な下落をしているのです。
―――――――――――――――――――――――――――――
     ≪2003年〜2004年/最悪期≫
     商業用不動産 ・・・・・ −87%
     TOPUIX ・・・・・ −43%
     ゴルフ会員権 ・・・・・ −95%
―――――――――――――――――――――――――――――
 これは尋常ならざる下落ですが、なぜ、株価だけが−43%で
すんでいるのでしょうか。これだけは下落率が小さいのです。
 それは、この間外国人投資家が日本株を買ってくれていたから
です。現在でこそ日本でもネット投資家などが増えて株を買う人
が出てきていますが、当時はバブルの後遺症で日本人の投資家は
激減していたのです。
 しかし、海外の投資家からみると、日本は良い製品をつくって
いて、全世界に良いマーケットを有しているとして株を買い続け
ていてくれたからこそ、−43%程度の下落率ですんだのですが
外国人投資家の入ってこなかった市場であるゴルフ会員権や商業
用不動産は、ピーク時の10分の1に落ち込んだのです。
 問題は商業用不動産の資産価値の下落です。不動産は金額が大
きいので、銀行からの借入金で購入するのが普通です。そういう
状況で資産価値の下落ガ起こったらどうなるでしょうか。
 具体的に考えてみましょう。100億円のお金を銀行から借り
て不動産を購入したところ、資産価値が−90%下落して、10
億円の価値になってしまったとします。しかし、借金はまだ70
億円も残っている――この部分だけを取り上げると、この企業は
60億円の債務超過に陥っていることになります。
 この時点でその企業の負債と資産はマッチしなくなり、同社の
バランシートは大きく毀損したことになるのです。企業の資産の
中心は不動産ですから、不動産の価値が毀損すると大半の企業は
債務超過に陥ることになるのです。こういう事態が起こったら、
企業の経営者はどのように行動するでしょうか。
 倒産――一般的なイメージは、その企業の製品やサービスが売
れなくなり、それによって負債が増加して債務超過になるという
ものです。そのイメージが1990年以降大きく変わってきてい
るのです。製品やサービスは売れており、キャッシュ・フローが
あっても、資産価値が大幅に下落することによって債務超過に陥
り、倒産してしまうケースも出てきたのです。
 企業の技術力、商品開発力、マーケティング力などの本業は健
全でしっかりしており、キャッシュフローも健全で、毎年収益も
上がっている――そういう日本企業はたくさんあったのです。
 しかし、企業の財務内容は、国内で資産価値が暴落したので、
バランシートは大きく毀損して債務超過となる企業がたくさん出
てきてしまったのです。
 そういう企業は本業はしっかりしているのでキャッシュフロー
はある――本来であればそのキャッシュフローは再投資に回すべ
きですが、もし、ジャーナリストやアナリストに「債務超過」と
書かれるとまずいことになると判断し、キャッシュフローを借金
返済に回し、何とかバランスシートを健全化しようとする――こ
ういう状況に置かれた経営者は、日本だけでなく、米国でも英国
でも、ドイツでも、フランスでも、同じように対処するのではな
いでしょうか。     ――−― [日本経済回復の謎/03]


≪画像および関連情報≫
 ・「債務超過」とは何か
  ―――――――――――――――――――――――――――
  会社の債務超過は、貸借対照表上の負債(債務)が資産(財
  産)を上回った状態です。この言葉の出所は,証券取引所の
  上場廃止基準の「最近5年間無配継続、かつ、最近3年間債
  務超過――貸借対照表による」という件(くだり)のようで
  す。債務超過は、破産原因(裁判所から破産宣告を受ける理
  由)になり,破産法第127条@に「法人に対しては其の財
  産を以て債務を完済すること能はさる場合に於ても亦破産の
  宣告を為すことを得」と書かれています。ちなみに,資産・
  負債は会計用語、財産・債務は法律用語です。
         http://www.mfi.or.jp/kumiya/stock217.html
  ―――――――――――――――――――――――――――

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2007年06月06日

●経済全体が合成の誤診に陥る(EJ第2095号)

 リチャード・クー氏は、過去数十年間にわたって日本企業がバ
ブルによって毀損したバランスシートを健全化するために借金返
済に走ってきたことを示し、それが今後どうなっていくかを考え
る興味ある資料を著書の中で示しているので、ご紹介して解説し
たいと思います。添付ファイルがそれです。
 タイトルは「部門別にみた資金不足の推移」となっていますが
ここで部門とは、次の5つです。
―――――――――――――――――――――――――――――
           1.家計部門
           2.金融部門
           3.非金融法人部門
           4.海外部門
           5.一般政府
―――――――――――――――――――――――――――――
 一国の経済は、家計部門(国民)が貯金したお金を企業部門が
借りて使い、その両部門の間に銀行や証券会社などの金融機関が
入って仲介役をするということで成り立っています。
 これら5つの部門はすべてを加えるとゼロになるようにしてあ
ります。これら5つのうち、金融部門と非金融法人部門は同じバ
ランスシート問題を抱える法人企業であるということで、法人部
門として一本化して4部門として作ったグラフが添付ファイルの
グラフなのです。
 これらの4つの部門がそれぞれどういう状況にあるときが一番
ベストなのでしょうか。以下、添付ファイルをベースとして説明
することにします。
 グラフの真ん中のゼロのところに横線がありますが、この線を
境に上が「資金余剰」、下が「資金不足」をあらわします。まず
家計部門は一番上――資金余剰、法人部門は一番下――資金不足
の位置にあり、海外部門と一般政府がゼロ線の近くにあるという
のが理想形なのです。
 グラフをよく見ると、1990年がちょうどその理想形になっ
ています。家計部門が一番上にあるということは、高い貯蓄率が
あることを示しています。法人部門が一番下というのは、資金を
必要としていることを示しており、高い投資比率を維持している
ことになります。
 そして、一般政府と海外部門がゼロ近くにあるというのは、政
府の財政収支と国の経常収支が両方とも均衡していることを示し
ているのです。
 政府の財政収支とは、ごく大雑把にいえば、歳入(国の収入)
と歳出(国の支出)の収支のことであり、それが均衡していると
いうことは、毎年度の税収などの収入によって、毎年度の国の支
出をまかなうことができることを示しています。これに対して、
国の経常収支というのは、こちらもごく大雑把にいえば、輸入よ
り輸出が多く、支払いより受け取りの額が多い場合が経常黒字と
いうことになります。
 1990年は一般政府はプラスの資金余剰、海外部門はマイナ
スの資金不足――これは海外部門が日本からお金を借りて投資し
ているということを示しています。日本は経常黒字、海外は経常
赤字ということになります。
 つまり、こういうことになります。1990年の日本は、高貯
蓄、高投資、経常黒字、財政黒字をクリアして、経済としては最
高の状態だったことを示しています。日本が「ジャパン・アズ・
ナンバーワン」といわれたのも当然なのです。
 しかし、1990年以降は様相は一変する――法人部門のグラ
フはどんどん上昇し、1998年になるとグラフはゼロの上に出
て、2000年には家計部門を超えて、2003年まで上昇を続
けているのです。これは、企業が借金返済を加速させた結果であ
るといえます。
 つまり、一番多くの資金を調達しなければならない法人部門が
一番多く金融機関に返済している――これがつい最近までの日本
経済の姿であったのです。そして、この結果、お金を借りて投資
していた主体がそれをやめて借金返済に回ったツケは、グラフの
右端にあるように、GDP20%を上回るところまで拡大したの
です。このように法人部門からGDPの20%に相当する需要が
消えてしまえば、不況になるのは当たり前のことです。
 この過去15年間に株と土地という2つの資産だけで1500
兆円という想像を絶する規模の富が失われたのです。この額は、
日本の個人金融資産と同じ金額なのです。1500兆円といえば
3年分のGDPに匹敵するのです。これは平時に失われた富とし
ては史上空前の額なのです。
 第2次世界大戦で日本が失った富は当時の日本のGDPの1年
分だったのですから、GDPの3年分の消滅がいかにひどいもの
だったかがわかると思います。
 なぜ、1500兆円がなぜ消えることになってしまったのかに
ついて、クー氏は次のようにいっています。
―――――――――――――――――――――――――――――
 全国的な資産価格の暴落が発生して借金だけが残り、その借金
 を返そうと民間が一斉に借金返済に陥ると、経済全体が「合成
 の誤謬」といえる困った事態に陥る。
                  ――リチャード・クー著
     『「陰」と「陽」の経済学/我々はどのような不況と
    戦ってきたか』        ――東洋経済新報社刊
―――――――――――――――――――――――――――――
 合成の誤謬(ごびゅう)とは、個々全員が正しいと思ってとっ
てしまった行動が当初の想定とまったく逆になってしまうことを
いうのです。当時の企業経営者にとって、バランスシート健全化
は正しい行動ですが、全員が同じことをやってしまった結果が史
上空前の不況を招いてしまったのです。過去15年間の日本経済
では、あらゆるところで、この合成の誤謬が生じていたというこ
とがいえます。     ――−― [日本経済回復の謎/04]


≪画像および関連情報≫
 ・経常収支の4つの部門
  ―――――――――――――――――――――――――――
  「貿易収支」モノの輸出入の集計「サービス収支」海外旅行
  先で買い物をしたり食事をしたりが、日本のサービス収支の
  赤字に計上「所得収支」企業が海外の工場建設などや海外証
  券投資で得た収益から、日本国内で外国企業などが得た利益
  や報酬などを引いたもの「経常移転収支」開発途上国への経
  済援助や国際機関への拠出金など。これらのトータルが黒字
  というのは、輸入より輸出が多く、支払いより受け取りの額
  が大かったということです。
  http://allabout.co.jp/career/economyabc/closeup/CU20031117C/
  ―――――――――――――――――――――――――――

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2007年06月07日

●大恐慌時の米国の金利の推移(EJ第2096号)

 昨日のEJで述べた「合成の誤謬(ごびゅう)」を用語辞典で
調べると、次のように出ていました。
―――――――――――――――――――――――――――――
 合成の誤謬とは、ミクロの視点で正しいことでも、それが合成
 されたマクロの世界では、かならずしも同じ理屈が通用しない
 ことを示す経済学の用語。
 ★合成の誤謬/fallacy of composition ――ウィキペディア
―――――――――――――――――――――――――――――
 経営者個々の判断で、ここはバランスシートをきれいにする、
すなわち、借金を返済することがベストであるとして行動したこ
とが、結果として上場企業のほとんどの経営者が同じ行動を取っ
たため、国の経済に変調をもたらすことになったのです。
 企業というものは、資金を調達して事業の拡大をはかるのが本
来の行動なのですが、それをやめて借金返済に回ったら、経済は
どうなるでしょうか。
 結論からいうと、その結果次の2つの需要が失われ、景気は確
実に悪化します。
―――――――――――――――――――――――――――――
 1.企業が自社のキャッシュフローを再投資に回さなくなった
   ことによって失われる需要
 2.企業が借金返済に注力し、金融機関の貯蓄を使わなくなる
   ことによって失われる需要
―――――――――――――――――――――――――――――
 ここでクー氏のいう「バランスシート不況」について簡単な数
字を使って、復習しておくことにします。
 ここに1000円の所得のある人がいます。この人は900円
を自分で使い、100円を金融機関に貯蓄したとします。この貯
蓄が家計部門による貯蓄に該当します。
 そうすると、900円は次の誰かの所得になり、残りの100
円は金融機関によって貸し出され、そのお金を借りた人によって
消費されます。これで当初の1000円の所得に対して、900
円プラス100円の1000円の支出が発生したことになり、経
済は回っていくことになります。
 この場合、金融機関が100円をすべて貸し出せないときは、
金融機関は金利を下げればよいのです。金利が下がれば通常借り
手は必ずいるからです。
 しかし、バランスシート不況になると、1000円の所得のあ
る人は依然として900円を消費し、100円を貯蓄するのです
が、貯蓄した100円には借り手が見つからなくなります。
 常套手段として金融機関は金利を下げますが、それでも借り手
は見つからないのです。金利をゼロまで下げてもそれは変わらな
いのです。そのお金を借りるはずの企業が必死になって借金を返
済しているからです。
 結局、100円が消費されないと、経済全体としては900円
しか消費されなかったことになります。これは、経済が1000
円から900円に縮小したことを意味します。
 900円の所得しかなくなった家計が、再び所得の10%を貯
蓄して810円しか使わず、それでも金融機関がお金を貸し出せ
ないとすると、次の段階では810円しか所得が発生しないこと
になります。このようにどんどん経済は縮小していくことになる
のです。まさにデフレスパイラルそのものです。
 1000円、900円、810円、730円・・・というよう
に所得が減っていき、経済はデフレスパイラルに陥る。こうなる
と、当然景気は後退してしまいます。景気が悪くなると、一層資
産価値は下がるわけで、企業の借金返済はますます加速化するこ
とになります。
 このスパイラルがどこまで行くのかというと、もし、政府がこ
の状態を放置して何もしないと、この悪循環は民間(家計と企業
の合計)をどん底の貧乏に追い込み、まったく貯蓄できなくなっ
たところでとまることになります。
 この悪循環が続いて、1000円の所得が500円まで落ちた
とします。500円ないと生活できないとすると、500円はす
べて消費されますが、何も貯蓄できないのです。つまり、民間部
門が1円も貯蓄できないほど貧乏になったところで、経済は新し
い均衡に達するのです。この500円の世界が世にいうところの
「大恐慌」なのです。
 家計部門の貯蓄を企業に回す――これは経済の根底のメカニズ
ムです。上記の数字の例は、家計部門の貯蓄だけを取り扱ったの
ですが、それに企業の借金返済が加わると、経済は家計の貯蓄と
企業の借金返済額の合計分の需要を失うことになるのです。
 このゼロ金利でも企業がお金を借りないで借金返済に回るとい
う現象は、70年前の1930年代の米国の大恐慌で起きている
のです。これによって当時の米国のGNPがわずか4年間で約半
分になってしまっています。
 これに対してルーズベルト大統領のニューディール政策や第2
次世界大戦、朝鮮動乱などで巨額な積極財政が取られたのですが
金利はいつまでも上昇しなかったのです。それは、当時の借金返
済の苦しさがトラウマになって、企業経営者が借金を避けようと
したからであると、クー氏は分析しています。
 添付ファイルは、その時期の金利の動きを示したグラフです。
1929年に株の大暴落があって、大恐慌に突入します。それか
らはじまって、長短金利が再び1920年代の平均レベルに戻る
のに実に30年もかかっているのです。1959年になってやっ
と金利がもとの4.1%まで戻ってきたのです。
 米国で現在70代、80代の元経営者は、そのときの借金返済
の苦しさがトラウマになって、いまだに借金を拒否する人が少な
くないというのです。
 しかし、日本においては、明らかに1930年代とほとんど同
じ現象が起きているのに、GDPは米国のように下がっていない
のです。どうしてでしょうか。−― [日本経済回復の謎/05]


≪画像および関連情報≫
 ・世界大恐慌についてのサイトより
  ―――――――――――――――――――――――――――
  1929年10月24日、暗黒の木曜日(ブラック・サース
  デイ)ニューヨーク、ウォール街の株式市場で株価の大暴落
  が発生。寄り付きは平穏だったが、間もなく売りが膨らみ、
  午前11時には売り一色に。そこでウォール街の大手株仲買
  人たちが協議、買い支えを行うことで合意。このニュースで
  相場は値を戻し、数日間は平静を保つ。
  1929年10月29日、悲劇の火曜日。実際に激しい暴落
  を演じたのはこの日。投資家はパニックに陥り、株の損失を
  埋めるため様々な地域・分野から資金を引き上げ始める。
http://www.tcat.ne.jp/~eden/Hst/dic/great_depression.html
  ―――――――――――――――――――――――――――

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2007年06月08日

●資産デフレでもGDPが減らなかった理由(EJ第2097号)

 この10数年間の日本経済は、現象としては1930年代の米
国経済と同じなのですが、大きく違っていることがひとつありま
す。それは米国のGNPが4年間で半減してしまったのに対して
日本の場合は一向に減っていないことです。
 これについては、添付ファイルの「グラフ1/バブル崩壊後も
拡大」を見てください。このグラフを見るとわかるように、過去
10数年間の日本のGDPは、バブル期の一番高いところからほ
とんど変わっていないばかりか、最近では徐々に上昇に転じてい
るほどなのです。グラフは明確にそれを示しているのです。これ
は一体どうしたことでしょうか。
 この謎を解くかぎは、EJ第2095号で取り上げた「部門別
資金不足」のグラフの中にあります。念のためそのグラフも添付
しておきます。グラフのタイトルは「グラフ2/家計部門と政府
部門の動き」となっています。
 なお、これまでEJは毎日同じ量の文章と図か写真をひとつ添
付するという方針で続けてきていますが、今回のテーマに限って
は図は2つになることもあるので、ご了承ください。
 「グラフ2」を見てください。あれほどひどい資産価値の下落
にもかかわらず、日本のGDPが一向に減少しなかった原因は、
次の2つのことにあるのです。
―――――――――――――――――――――――――――――
       1.家計部門の貯蓄切り崩し
       2.政府部門による借り入れ
―――――――――――――――――――――――――――――
 家計部門の動きを見ると、1993年以降は右肩下がりで減っ
ています。これは何を意味しているのかは明らかです。貯蓄が切
り崩されているのです。貯蓄の減少は2003年まで続き、そこ
で一応底を打っています。実に10年間下がり続けたのです。
 この間多くの人がリストラされて失業したり、給料を減らされ
たり、ボーナスがなくなるなどの目にあっており、とても貯蓄ど
ころではない状態に陥ったのです。
 さらに住宅ローンがあります。1990年以前の日本の家計の
前途はとても明るいものだったのです。雇用は安定的に維持され
給与水準も年を追うにしたがって上昇していくことが期待された
ので、ローンを組んでマイホームを建てた人が多かったのです。
 しかし、その想定は完全に外れ、多くの人がリストラの憂き目
にあったのです。しかし、たとえ職を失っても、給与を減らされ
ても、住宅ローンは払わなければならないのです。そういう状況
に置かれれば、誰でも貯蓄をとり崩して、それを補填する行動を
とることになります。
 かつては日本の家計部門は世界に類のない高貯蓄率を誇ってい
たのですが、この10数年間の不況で4つに1つの家計は貯蓄ゼ
ロに追い込まれてしまったのです。それほど大幅な貯蓄の取り崩
しが行われたことになります。
 このように、収入が減ったために貯蓄ができずに貯蓄を取り崩
したりすることは良くないことですが、これはミクロの世界の話
であり、マクロ経済的な観点に立つと、本来は銀行に滞留しかね
なかった資金が減少し、それが経済全体を支える力となって機能
したのです。つまり、深刻な不況下でもGDPを支えたひとつの
力は、この家計部門の貯蓄の取り崩しにあったのです。
 続いて、「グラフ2」の政府部門の動きを見ていただきたいの
です。政府部門のグラフの理想的なポジションはゼロの線の前後
です。政府部門は、1990年〜1991年は、バブルの影響も
あって税収が好調でまだ財政黒字だったのです。しかし、199
2年〜1930年頃から景気は急速に悪化していったのです。そ
して、2003年に底を打っています。これは、何を意味するの
でしょうか。
 昔のポンプは、長く使わないと漕いでも水がでないことが多い
のです。そういうとき、ポンプに水を少し入れると、それが呼び
水となって、水が出るようになったのです。日本ではこの原理を
景気対策に使っていたのです。
 景気が悪くなると、政府は景気対策と称して、1〜2回、巨額
の資金を投入してお金を回しはじめると、それが呼び水になって
景気は回復すると考えられていたのです。
 ここでいう景気対策とは具体的にいうと、政府が国債を発行し
て家計部門からお金を借りて使う財政政策のことです。これを昨
日のEJの例でいうと、金融機関に滞留しかねなかった100円
を政府が企業に代わって借りて使ってくれたことを意味するので
マクロ経済的にはとても意義があるのです。
 クー氏がいうには、この政府の財政政策があったからこそ、あ
れほどひどい資産デフレがあったにもかかわらず、GDPが減少
しなかったのであるといっているのです。
 しかし、この財政政策はすこぶる評判が良くないのです。景気
対策と称して注ぎ込まれた資金が公共事業の名のもとに、無駄な
ハコものの建設やほとんど使われない道路などに重点的に投資さ
れたからです。しかも、それらの資金が何ら呼び水的役割を果た
さないで景気が回復しないままにさらに巨額の資金が必要になっ
たからでもあります。
 ここで注意しなければならないことがあります。デフレとは、
いわゆるデフレギャップが存在するときに起こる経済現象なので
す。つまり、供給が多すぎるか、あるいは需要が少なすぎるとき
に起こるのです。
 デフレギャップを埋めるためには、財政支出を増やす必要があ
るのですが、そのとき重要なのは、支出の内容ではなく、増やす
財政支出の規模なのです。しかし、財政出動が嫌われているのは
支出の内容であり、増加する財政赤字の規模なのです。
 ところが最近は、財政内容の批判から財政支出の額を削れとい
う批判の大合唱になっています。高名な経済学者もテレビによく
出る経済のコメンテータもその方向の発言を平気でしています。
何かが違っています。    −― [日本経済回復の謎/06]


≪画像および関連情報≫
 ・財政政策とは何か
  ―――――――――――――――――――――――――――
  財政政策とは、主に国の財政の歳入や歳出を通じて、総需要
  を管理して経済へ影響を及ぼす政策のことである。金融政策
  と並ぶ経済政策の柱である。税制や国債などによる歳入の政
  策と社会保障や公共投資などからなる歳出の政策がある。財
  政政策は、景気変動の動きを相殺するように政府が能動的に
  財政支出を増減させたり、家計や企業の負担を増減したりす
  る積極的財政政策と、政府による能動的な対応がなくとも自
  動的に政策が変更されてしまう消極的財政政策にわけること
  ができる。             ――ウィキペディア
  ―――――――――――――――――――――――――――

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2007年06月11日

●テレビから姿を消したリチャード・クー(EJ第2098号)

 2006年11月16日に亡くなった米国のノーベル経済学賞
受賞学者、ミルトン・フリードマン氏は、2002年1月に、日
本経済復活への処方箋として、次のように述べています。
―――――――――――――――――――――――――――――
 景気刺激のために財政政策を発動すべきではない。この10年
 間、日本は金融政策より財政政策に頼りすぎた。要らない橋を
 建設し、開通しても誰も喜ばない道路作りに邁進してきた。
                ――ミルトン・フリードマン
 2002.1.14日号『日経ビジネス』コラム「時流超流」
―――――――――――――――――――――――――――――
 こういう趣旨の発言を小泉政権のとき、多くのエコノミストや
コメンテーターがテレビでさかんにいっていたのです。この種の
発言をいつも聞かされていると、確かに無駄は良くないし、財政
赤字の規模も巨大化して、いつ破綻が起きてもおかしくない――
常識的には誰でもそう考えるものです。
 したがって、小泉首相が国債発行額を毎年30兆円以下に抑え
るという公約を打ち出したとき、まさにその通りだと多くの人は
賛同したのです。そういうなかにあって、リチャード・クー氏は
どのようにしたら日本経済は回復するかとの問いに対して、一貫
して財政出動の重要性とペイオフの延期を説いたのです。
 世の中全体が財政赤字を気にしているときに、さらに財政支出
を増やせといっているのですから、この人少しおかしいんじゃな
いのと思う人が増えて当然です。世の中全体が長いものに巻かれ
てしまったのです。
 そうなると、テレビ局はクー氏を経済のコメンテーターとして
使わなくなったのです。そして小泉政権が発足して数年経つと、
前政権と前々政権のときは経済番組には解説役やコメンテーター
として必ずといってよいほど登場していたクー氏は、ほぼ完全に
テレビから姿を消してしまったのです。しかし、クー氏の主張は
本当に間違っていたのでしょうか。
 クー氏が経済回復の方法として、「財政出動」と「ペイオフ延
期」を主張した根拠は、70年前の米国の経済事情と違っている
ことがその2つだったからといっていっているのです。
 日本は不況の入り口において小渕政権から森政権にかけて大き
な財政出動をやっているのに対し、1930年代の米国の場合、
フーバー大統領は株が暴落しているのにまったく財政出動をやら
なかったので、傷口を大きく広げてしまったのです。
 株の暴落で損をしている人がいるからといって、何で国が財政
出動をしなければならないのかというのがそのやらない理由だと
いうのです。フーバーは立派な人物だったようですが、これでは
経済のことがまったくわかっていないといっても過言ではないと
思います。彼は今でいう構造改革論者なのです。
 しかし、日本はその財政出動をやっていたために、デフレギャ
ップが問題化するのを回避できたのだとクー氏はいうのです。数
字の例でいうと、所得1000円の10%の100円――つまり
貯蓄に回る分が問題化するのを防いだということです。
 これに対して1930年代の米国では、財政出動をしなかった
ために、所得1000円が全部使われずに900円になり、それ
が810円、730円と、経済の縮小化が進行し、わずか4年で
米国のGNPは半分になってしまったのです。
 もうひとつクー氏が主張した「ペイオフ延期」――1930年
代の米国には預金保険機構という制度はなかったのです。ですか
ら、銀行が倒産したら預金はまったく保護されなかったのです。
1929年から1933年の間に約1万の米国の銀行が倒産した
のです。当時銀行は2万5000あったので、3分の1以上の銀
行が倒産し、預金者保護ができなかったのです。
 ですから、クー氏としては不況の傷口を広げないためにもペイ
オフをあわててやる必要はないと説いたのです。日本の場合、銀
行問題が表面化したのは1997年の橋本内閣のときです。後年
橋本首相は米国のフーバー大統領と並び称されますが、そのとき
橋本政府はペイオフを延期し、預金の全額保護を明言しているの
です。これが結果として日本を救ったことになります。
 日本の場合、GDP3年分の資産価値が失われ、そのかなりの
部分が銀行に集中したので、1930年代の米国の銀行が被った
被害よりもはるかに大きかったのです。しかし、政府の「預金全
額保護宣言」によって、極端な預金異動が起こらずに済んだので
す。その結果、日本は数100兆円単位の危機を回避できたとい
えるのです。もし、米国のように3分の1の銀行が潰れていたら
国民や政府は、それこそ数100億円以上の損失と支出を強いら
れた可能性が高いからです。
 「顕在化した危機に取り組み、危機から脱出させた人は英雄に
なれるが、危機を事前に察知し、危機が起こらないようにした人
は英雄になれない」という言葉があります。
 危機が実際に発生して多くの人が被害を受けてから、それに取
り組んで破滅から救う――そういう人は英雄になれます。現在で
は、小泉――竹中コンビがそれを行ったようにとられる向きがあ
りますが、これは間違っています。彼らは状況が改善されること
を遅らせただけであり、むしろ状況を悪化させています。
 しかし、事前に危機が来ることを察知し、危機が起こらないよ
うにした人は英雄になれないのです。危機が起こってしまうより
も回避した方がいいに決まっていますが、それをやった人は英雄
になれないのです。
 首相自身が承知してやったかどうかはともかく、橋本内閣は財
政再建を目指して構造改革を行おうとしたのですが、銀行問題で
はペイオフを延期し、「預金全額保護」を約束しています。そし
て次の小渕内閣では巨額の財政出動をして、その後に起こる可能
性のあった大きな危機を結果として救ったのです。
 いずれにしても、ミクロの世界ではマイナスと思えることが、
マクロ経済ではプラスであることが少なくないのです。これにつ
いては明日考えましょう。  −―[日本経済回復の謎/07]


≪画像および関連情報≫
 ・ミルトン・フリードマン
  ―――――――――――――――――――――――――――
  ミルトン・フリードマン(Milton Friedman) は、ニューヨ
  ーク生まれの経済学者。20世紀後半の主要な保守派経済学
  者の代表的存在で、戦後、貨幣数量説であるマネタリズムを
  蘇らせ反ケイジアンの宗主として今日の経済に多大な影響を
  与えた経済学会の巨匠。       ――ウィキペディア
  ―――――――――――――――――――――――――――

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2007年06月12日

●生産力を伴わない投資の必要性(EJ第2099号)

 日本の経済の現状を理解するためにマクロ経済の基礎を勉強す
ることにします。この記述については、有名サイト「経済コラム
マガジン」の記事を参考にさせていただきました。
 デフレという経済現象は、供給が多すぎるか、あるいは需要が
少なすぎる場合に起こります。需要が供給力を上回った部分をイ
ンフレギャップ、逆に供給力が需要を上回った部分がデフレギャ
ップということになります。
 日本経済はもともと過剰貯蓄、過少消費の状態が続いていたの
です。つまり、貯蓄が大きくてもそれが民間の投資に使われてい
るのであれば、マクロ経済上はバランスが取れるのですが、日本
の貯蓄は大きすぎるので使い切れないのです。
 したがって、国内で消費されない生産物を輸出して、何とかバ
ランスさせようとしてきたのですが、それでも消費が不足するの
です。そのため政府や地方が、赤字国債や建設国債、地方債を発
行し、財政の支出でこれをバランスさせてきたのです。
 このように日本では巨大なデフレギャップが存在するのですが
問題は、そのデフレギャップがどのくらいの大きさであるかなの
です。需要の大きさについては、政府支出や投資、輸出・輸入の
差額、そして消費などの金額を合計すれば出てきます。
 供給力の大きさはどうかですが、通常、生産設備がフル稼動し
完全雇用の状態で生み出される生産額が供給力であるーーつまり
日本の生産力の上限が供給力ということになるのです。
 さて、このような日本経済において緊縮財政をとるとどうなる
でしょうか。財政支出を抑えようというわけです。国だけではな
く、地方においても借金を重ねると、赤字公共団体に転落すると
いうことで、国以上に支出削減にやっきとなっています。
 そうすると、日本に残されているのは、輸出だけということに
なってしまいます。しかし、輸出は為替の問題があり、相手国の
購買力に依存する側面があるのです。そうすると日本は安全保障
は米国に依存し、経済についても他国の購買力に依存するという
自立性のない国になってしまいます。
 さて、マクロ経済の理論上は「貯蓄と投資が一致する」ことに
なっていることです。したがって、貯蓄が投資よりも大きい場合
投資に一致するまで貯蓄は減ることになります。ここで貯蓄とは
所得の一定割合と考えることができます。
 どうやら投資が鍵を握っているようです。投資というとすぐ企
業の設備投資を連想しますが、投資には次の2面性があります。
―――――――――――――――――――――――――――――
          1.需 要の増加
          2.生産力の増加
―――――――――――――――――――――――――――――
 第1の側面は「需要の増加」です。投資を増やすと、その乗数
効果によって数倍の最終需要が増えるのです。そして、第2の側
面が「生産力の増加」なのです。
 しかし、日本の生産力は非常に大きく、需要をはるかに超えて
おり、そのデフレギャップは30%以上に達するといわれている
のです。つまり、生産力過剰に陥ってしまうのです。
 したがって、日本の場合、生産力を伴わない投資が必要になっ
てきます。生産力を伴わない投資としては「住宅投資」とそれに
政府による投資――つまり、公共投資が上げられます。
 しかし、住宅投資はともかくとして、公共投資に関しては無駄
であり、悪であるという価値観が持たれています。それはテレビ
に登場するエコノミストやコメンテーターが、公共投資は無駄で
あり、悪であるとあまりにもいい過ぎたのです。そのために国と
して方向転換ができにくくなっているのです。リチャード・クー
氏がマスコミから消えたのもそれが原因です。
 しかし、マクロ経済的視点に立ったとき、公共投資は必要なの
です。確かに財政赤字は巨額に達していますが、経済が良くなら
ない限りかえって赤字幅は増大するのです。
 ところでこの公共投資――その支出の内容によっ乗数効果はあ
まり左右されないのです。問題は規模なのです。したがって、支
出の内容は知恵を絞って後で役立つものに使うべきですが、そう
いう内容の議論よりもどのぐらいの額を投資するかが問題です。
 ちなみに公共投資に並ぶ財政政策である減税の乗数効果は日本
の場合低いといわれます。それは減税分のかなりの部分が貯蓄に
まわされ、狙い通りの効果が上げられないからです。貯蓄が増え
れば借り手がいないので、銀行に滞留する資金が増えるだけであ
り、経済が回っていかないのです。
 ちなみに地方で行われる公共投資の恩恵は都会にももたらされ
るが、都会における公共投資の経済効果は地方にはほとんど波及
しないことを知っておくべきです。せっかくの資金ですから有効
に使うべきです。
 経済学の教科書によると、政府は財政政策と金融政策の2つで
景気をコントロールすると書いてあります。とくに1970年代
以降の景気変動はどこの国でも金融政策が前面に出て対応してき
ているのです。
 しかし、リチャード・クー氏はバランシート不況下では、金融
政策はまったく効かなくなるといっています。実際に1995年
から、日本の金利がほぼゼロになったにもかかわらず、そこから
2004年までの10年間、日銀が精一杯量的緩和を行ったにも
かかわらず、何も起きていないのです。
 添付ファイルのグラフを見てください。このグラフは民間の借
り入れ(白い部分)と民間以外の借り入れ(黒い部分)――つま
り、政府部門とマネーサプライ(M2+CD)の関係をあらわし
ています。
 民間はずっと借金返済に回っているのに、本来なら減るはずの
マネーサプライは増えています。借金をしている民間部門は19
98年以降ずっとマイナスであるが、その間政府部門はお金を借
りており、それがマネーサプライ(M2+CD)のプラスをもた
らしているのです。     −―[日本経済回復の謎/08]


≪画像および関連情報≫
 ・マネーサプライとは何か
  ―――――――――――――――――――――――――――
  マネーサプライは通貨供給量とも言われ、金融機関と中央政
  府を除いた経済主体(一般法人、個人、地方公共団体等)が
  保有する通過の合計として定義される。金融商品のうちで通
  貨としての機能を持つものの範囲、金融機関とみなす通貨発
  行主体の範囲については単純に決められず、幾つかの指標が
  作られている。日本ではM2(現金通貨+要求払預金+定期
  性預金)+CD(譲渡性預金)がマネーサプライの指標とし
  て使われる。            ――ウィキペディア
  ―――――――――――――――――――――――――――

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2007年06月13日

●見えない、聞こえない不況(EJ第2100号)

 「バランスシート不況」――これはリチャード・クー氏の造語
です。経済学の教科書にはいっさい載っていないまったく新しい
考え方です。
 経済学に限りませんが、新しい考え方というものはなかなか受
れ入れられないものです。もし、それを安易に受け入れると、自
分が拠って立つ基盤が崩れてしまうからです。まして学者はそう
いう基盤の上に立って学説を組み立てているので、拠って立つ基
盤が崩壊すると学説も意味を失ってしまうからです。
 実はこれまでのマクロ経済理論は次のことを前提として組み立
てられており、バランスシートは盲点だったのです。
―――――――――――――――――――――――――――――
     企業のバランスシートには問題がない
―――――――――――――――――――――――――――――
 マクロ経済学者が企業のバランスシートを見ていないとすれば
誰が企業のバランスシートを見ているのでしょうか。
 通常企業のバランスシートを見ている人は、アナリストと呼ば
れるミクロの企業経営分析をする人たちです。また、企業に融資
をするための審査をする金融機関の人たちも企業のバランスシー
トを分析します。
 しかし、エコノミストは企業のバランスシートを検討して、そ
の企業の株が買いなのか売りなのかを分析しており、金融機関は
要するに貸すお金が果たして戻ってくるかどうかを分析している
だけであって、それ以上のものではないのです。
 これらはいずれもミクロの世界の話なのです。「木を見て森を
見ず」という言葉がありますが、木はよく見るが全体の森のこと
など考えてみないのです。
 そうすると、森を含めて経済全体を見るのは、マクロ経済学者
ということになりますが、肝心のマクロ経済学者は「企業のバラ
ンスシートには問題がない」という前提に立っているから最初か
ら企業のバランスシートを見ていないのです。これについて、リ
チャード・クー氏は次のようにいっています。
―――――――――――――――――――――――――――――
 バランスシートの問題を抱えた企業が債務の最小化に走り出す
 と、総需要が減少して不況になる。ところが、企業が前向きで
 あることを前提とした経済学だけを何十年も勉強してきた人た
 ちは企業が後ろ向きになる可能性を最初から考えたこともない
 ので、何とか従来の経済学にある視点や分析手法でこの不況を
 理解しようとする。その結果、バランスシートの問題は完全に
 見落とされてしまうのである。   ――リチャード・クー著
     『「陰」と「陽」の経済学/我々はどのような不況と
     戦ってきたか』       ――東洋経済新報社刊
―――――――――――――――――――――――――――――
 要するに企業のバランシートは盲点であり、誰も見ていなかっ
たということです。それに加えて、借金返済を始めた企業経営者
は、そのことを絶対に秘密にするので、外部の人には一層わから
ないということです。このことは外部の人にはもちろんのこと、
企業内部でもごく一部の人にしか漏らさないよう、細心の注意を
払うはずです。
 なぜなら、もしこのことが外に漏れると、「あの企業は債務超
過だ」という噂を立てられ、銀行から取引停止を受けたり、取引
先から現金決済を通告される恐れもあるからです。そして表面上
は平静を装うのです。
 一方資金を返されている金融機関もこの話を秘密にしようとし
ます。もし、お金を貸している企業が債務超過になっていると、
それらは不良債権としてみなされ、融資を停止して資金の回収を
しなければならなくなるからです。銀行としても、企業にキャッ
シュフローさえあれば、この問題は時期が解決することはわかっ
ているので、黙って返済を受けようとするのです。
 つまり、銀行としては問題の所在がよくわかっている企業経営
者がそういう行動――つまり、借金返済をとってきている場合は
絶対に外にそれを漏らさないようにして、企業が返済を終えるの
をひたすら待ったのです。
 しかし、小泉政権ではちょうどそういう時期に構造問題として
銀行問題を取り上げ、不良債権の削減を強行しています。そのた
め、銀行側としては時期が解決するとわかっている企業――つま
り、潰れなくてもよい企業がその時期にいくつも倒産しているの
です。この不況が何によって起こされているかを知らないために
そういう間違った処置を取ってしまったといえます。
 このようなわけで、この不況をクー氏は「見えない、聞こえな
い不況」と呼んでいるのです。
 実際に過去10数年間にわたって企業がバランスシートを綺麗
にするために借金返済に走った実態を検証してみましょう。添付
ファイルを見ていただきたいと思います。
 棒グラフの部分は、銀行の企業向け貸出残高を示しています。
1985年頃から急速に増えはじめ、10年後の1995年には
ピークに達しています。1987年にバブルが発生しているので
時期的に一致しています。
 1995年の頂点から棒グラフは減りはじめ、2006年の時
点で1985年の水準まで圧縮されているのです。つまり、銀行
の企業向け貸出残高は、バブルの発生前の時点のレベルまで圧縮
されたことになります。
 なお、折れ線グラフは、銀行の企業向け貸出の対GDP比を示
していますが、この指標はバブル期には85%まで上昇していた
のですが、現在では52%まで減少しています。これは1956
年以来の低水準なのです。
 このグラフを見ると、クー氏のいうように、企業の借金返済は
本当に行われたことがわかるし、そしてそれが遂に終わったこと
を確認できます。だからこそ、景気が回復したのです。これは日
本経済にとって大変良いことである――リチャード・クー氏はそ
ういっています。      −―[日本経済回復の謎/09]


≪画像および関連情報≫
 ・マクロ経済学とは何か
  ―――――――――――――――――――――――――――
  マクロ経済学とは、個別の経済活動を集計した一国経済全体
  を扱う経済学である。マクロ経済変数の決定と変動に注目し
  適切な経済指標とは何か、望ましい経済政策とは何かという
  考察を行なう。その主要な対象としては国民所得・失業率・
  インフレーション・投資・貿易収支などの集計量がある。対
  語は経済を構成する個々の主体を問題にするミクロ経済学。
  ―――――――――――――――――――――――――――

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2007年06月14日

●バランスシート修復を遅らせた小泉改革(EJ第2101号)

 リチャード・クー氏によると、日本を過去15年間にわたって
襲った不況は「見えない、聞こえない不況」だというのです。バ
ブルの崩壊によって、史上空前の資産価値の下落が起こったため
に企業(上場企業)のバランスシートがひどく傷んで、いつなん
どき、「債務超過」といわれかねない状況に陥ったのです。
 この危機に対処するために、企業は一斉にバランスシートの修
復に取り組み、それが原因で日本がいまだ体験したことのない不
況に突入し、それが約15年間にわたって続いたのです。
 企業がこぞってバランスシートを正常化するために一斉に借金
返済を行うことによって引き起こされたバランスシート不況は、
当事者同士である経営者と金融機関がその行為を秘匿し、誰から
も見えない、どこからも聞こえてこない経営者の経営行動だった
ため、「見えない、聞こえない不況」といわれるのです。
 日本の不況の本質が「バランスシート不況」にあるとすると、
EJ第2093号で指摘した次の3つの現象の謎も簡単に解けて
しまうのです。
―――――――――――――――――――――――――――――
      1.外銀はなぜ参入しなかったのか
      2.社債市場はなぜ縮小化したのか
      3.金利はなぜどんどん下落したか
―――――――――――――――――――――――――――――
 まず、外銀ですが、彼らは日本ではキャッシュフローのある優
良な企業のほとんどが借金返済に走っていることをよく知ってい
たので、進出しなかったのです。
 また、社債は企業にとってれっきとした借金であり、過剰債務
を抱えている企業としては、これを一刻も早く返済するのが急務
であり、金利がいくら下がったといっても、社債を発行するはず
がなかったのです。
 金利が下がった理由は、貸し出せる企業が少ないため、銀行間
の競争が激化したのです。そうなると、当然市場原理が働いて、
金利はどんどん下がってしまったのです。
 もっとも当時の企業が一斉に借金返済に走ったのは、すべてが
「債務超過」を恐れての行動ばかりとはいえないのです。そこに
は、もうひとつ大きな理由があったといえます。
 当時の日本企業は、欧米の企業に比べて借金依存度がとても高
かったのです。自己資本に対して抱えている借金の比率を「レバ
レッチ」というのですが、日本企業の場合、そのレバレッチ率が
非常に高かったのです。
 その理由は当時日本経済は高度成長期に当たり、資産価値がど
んどん上昇していたからです。経済がこのような状態であると、
企業が自己資本に対して大きな借金をしても、誰も倒産の心配な
どしないし、経済も成長していて資産価値も上がっている――こ
のような状況ではむしろ借金を増やす方が、自己資本にレバレッ
チをかけて自己資本利益率(ROE)を上げることができるので
経営的には高い評価をされることもあったのです。
 添付ファイルの「日本企業のレバレッジ比率」を見ていただき
たいのです。これによると、1980年代前半の日本企業のレバ
レッジは、当時の米国企業の5倍という、今から考えるとすさま
じい規模の過剰な借金をしていたのです。
 ところが、1990年のバブル崩壊で、この流れは逆回転をは
じめたのです。日本経済の低成長と資産価値の下落――収益が減
少するなかで、巨額の借金を抱えた企業は利払い費に苦しみ、一
気に経営不振になってしまうリスクに見舞われたのです。
 日本企業が一斉に借金返済に走りだしたのは、こうした理由か
らです。それらの企業が目標としたのは次の2つです。
―――――――――――――――――――――――――――――
     1.毀損したバランスシートの完全修復
     2.低成長に見合うレバレッチ引き下げ
―――――――――――――――――――――――――――――
 これによって、日本企業のレバレッチ率は1990年以降に下
がりはじめ、2006年には米国企業とほとんど変わらないとこ
ろまで下がっています。それでも日本企業のレバレッジ率が米国
のそれよりも高いのは、金利の関係であって、何ら問題ではない
のです。現在の米国の短期金利は5%以上あるのに対し、日本は
ようやくゼロから離脱したばかりであり、そのため日本企業のレ
バレッチは適正であるといえます。
 小泉政権の経済担当といえば竹中平蔵氏です。竹中氏は運が強
いというか、辞める時期がタイミングが良かったというか、小泉
・竹中コンビが辞任する前後に景気が回復したので、何となく彼
らのとった構造改革路線が正しかったというような評価をする人
が出てきています。
 しかし、これは大きな誤りです。リチャード・クー氏は竹中氏
にとくに厳しいが、竹中政策とバランスシート不況の関係につい
て次のように述べています。
―――――――――――――――――――――――――――――
 竹中氏が金融相に就任した2002年9月以降、同氏は「竹中
 ショック」を放って銀行改革を進めようとしたが、当時の企業
 部門はバランスシート修復作業の真っ只中であり、銀行からお
 カネを借りるどころか、年間30兆円もの借金返済を進めてい
 た。そのように民間資金需要がないどころかマイナスになって
 いるときに、銀行改革を急ぐ理由は全くなかった。それどころ
 か、「竹中ショック」によって株価を含む全国の資産価格が下
 落したことは、今回の不況の主因である企業のバランナスシー
 ト修復作業を一段と長引かせてしまった。
                  ――リチャード・クー著
     『「陰」と「陽」の経済学/我々はどのような不況と
     戦ってきたか』       ――東洋経済新報社刊
―――――――――――――――――――――――――――――
 「竹中氏がいたから景気が回復した」のではなく、「竹中氏が
いたけれども回復した」のです。―[日本経済回復の謎/10]


≪画像および関連情報≫
 ・自己資本利益率(ROE)
  ―――――――――――――――――――――――――――
  自己資本利益率は、自己資本――株主資本を使って、どれだ
  け効率的に当期利益が稼げているかを見る指標。当期利益÷
  自己資本という式で求められ、自己資本がどれだけ効率的に
  使われているか(資本効率)を見るもの。一般的にはROE
  ――Return On Equity と呼ばれる。基本的には、この数字
  は高いほど資本効率が高いとみなされて、投資家から見たそ
  の会社の評価は高いものとなる。しかし、自己資本が非常に
  薄くなってしまっている場合にも、この数字は高くなってし
  まう。たとえば、債務超過ギリギリにまで自己資本が減って
  しまい、その状況で少しでも利益が出れば、非常に高いRO
  Eとなってしまう。したがって、ROEの指標は自己資本比
  率など財務体質の危険度を測る指標と合わせて見ていくこと
  が必要である。          ――マネー用語集より
  ―――――――――――――――――――――――――――

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2007年06月15日

●リチャード・クーとポール・クルーグマンの対談(EJ第2102号)

 少し前の話ですが、1999年11月号の『文芸春秋』に、リ
チャード・クー氏とポール・クルーグマン教授の対談が掲載され
たことがあります。テーマは次の通りです。
―――――――――――――――――――――――――――――
        「日本経済/円高は悪魔か」
           ――1999年11月号の『文芸春秋』
―――――――――――――――――――――――――――――
 当時、既に私はEJを書き始めていましたが、残念ながらこの
対談は読んでおらず、『経済コラムマガジン』第146号/00
/1/17日付ではじめてそれを知ったのです。
 当時の日本経済が深刻な状況にあるという点では、これら2人
の有力エコノミストの認識は一致していたのです。日本経済は、
いわゆる「流動性の罠」にかかっており、金利政策の有効性は失
われている点についても両者の意見は一致していたのです。
 ところで、「流動性の罠」とは何でしょうか。
―――――――――――――――――――――――――――――
 景気後退に際して、金融緩和を行うと利子率が低下することで
 民間投資や消費が増加する。しかし、投資の利子率弾力性が低
 下すると金融緩和の効果が低下する。そのときに利子率を下げ
 続け、一定水準以下になると、流動性の罠が発生する。
                    ――ウィキペディア
―――――――――――――――――――――――――――――
 日本の場合、短期金利はほぼゼロになったのですが、利子率は
ゼロ以下にはならないため、この時点ではすでに通常の金融緩和
は限界に達していたといえます。
 この場合、日銀がいくら金融緩和をやってマネーサプライを増
やそうとしても、民間投資や消費に火がつかないため、通常の金
融政策は効力を喪失してしまうのです。
 経済がこういう状況になったとき、政府として何を行うべきか
について、クー氏とクルーグマン教授の発言は次のように大きく
相違していたのです。
―――――――――――――――――――――――――――――
 ≪リチャード・クー氏≫
  現状では金融政策だけでは限度がある。したがってバランス
  シートの改善が済むまで、大胆な財政出動により景気の下支
  えを行うべきである。
 ≪ポール・クルーグマン教授≫
  当分財政支出による需要の喚起も必要であるが、これにも限
  度がある。また日本は現在深刻なデフレの状態である。そこ
  で今一番必要なのは大胆な金融の緩和である
―――――――――――――――――――――――――――――
 これは、2000年のはじめの話であり、われわれはその後の
状況をよく知っています。この対談が行われた当時は森政権でし
たが、2001年からは小泉政権が実際に経済政策を取り仕切っ
たのです。そして小泉政権は、明らかにクルーグマン教授の提言
に近い政策を採用したのです。
 しかし、結果はどうだったでしょうか。
 小泉・竹中両氏にいわせれば、「痛みに耐えてがんばったから
こそ景気が回復したではないか」と胸を張るでしょうが、果たし
てそれは正しかったのでしょうか。
 経済が流動性の罠に陥ったとき、政府として何をするべきかに
ついては、かつてケインズが唱えて、ニューディール政策の理論
的根拠になった政策が存在するのです。
―――――――――――――――――――――――――――――
 ケインズが当時の他の経済学者らと違った点は、政府の役割を
 強調した部分だ。1920年代の大恐慌当時、貨幣がたくさん
 供給されたが、景気は息を吹き返さなかった。ケインズはその
 理由について、流動性のわなのためだと説明した。金利があま
 りにも低くなれば、中央銀行がどんなに通貨を供給してもお金
 がうまく回らず、消費や投資が伸びない現象を、流動性のわな
 と呼んだのである。したがって、不景気のときにはお金を供給
 するよりも、政府が財政支出を増やす方がもっと効果的だとケ
 インズは主張し、こうした主張はニューディール政策の理論的
 根拠となった。
 http://learning.xrea.jp/%CE%AE%C6%B0%C0%AD%A4%CE%E6%AB.html
―――――――――――――――――――――――――――――
 クー氏は既にこのとき、バランスシート不況に言及しており、
ゼロ金利でも上場企業は債務の返済を優先し、投資は伸びないと
主張し、大胆な財政政策の必要性を説いているのです。この考え
方はケインズの政策からみても正しいといえます。
 リチャード・クー氏とポール・クルーグマン教授の対談に関し
て、「経済コラムマガジン」の著者は次のように批評しているの
でご紹介します。
―――――――――――――――――――――――――――――
 どちらの考えが正しいかと言えば、筆者の考えでは、それはリ
 チャード・クー氏の方である。まさに正論である。しかし、両
 者の考えを同時に実現する方法もあると筆者は考える。大きな
 財政支出を行い、それに伴う国債を日銀が直接引受けるのであ
 る。これにより財政政策による需要の増加と、仲介機能が不全
 になっている銀行を飛び越え、市中に資金を供給することが同
 時に実現するはずである。しかしリチャード・クー氏は国債の
 日銀引受けの可能性については、どうも触れたがらないようで
 ある。筆者は、国債の大量発行と言うことになれば、どうして
 も日銀引受けと言う話が浮上してくると思われる。筆者は、リ
 チャード・クー氏がニューヨーク連銀、つまり中央銀行の出身
 と言うことが影響し、どうしても中央銀行による国債の引受け
 と言う事態に抵抗があるのではないかと考えている
          ――「経済コラムマガジン」/第146号
―――――――――――――――――――――――――――――
              ――[日本経済回復の謎/11]


≪画像および関連情報≫
 ・海外レポート/エッセイ/村上龍
  ―――――――――――――――――――――――――――
  ポール・クルーグマン氏といえば当代きっての人気経済学者
  である。プリンストン大教授兼『ニューヨークタイムズ』コ
  ラムニストとして、時には厳しく時には茶目っ気たっぷりに
  時勢を切りまくっている。彼のように絶大な人気があれば何
  を言っても怖いものなしだ。目下のイシューは、ブッシュ政
  権が打ち出した社会保障年金制度改革案。ブッシュ大統領も
  2期目の一般教書演説でこの社会保障年金制度改革案を念入
  りにアピールし精力的に全米を遊説するなど相当力を入れて
  いる。
  http://ryumurakami.jmm.co.jp/dynamic/report/report5_173.html
  ―――――――――――――――――――――――――――

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2007年06月18日

●高名な経済学者による日本の不況の分析(EJ第2103号)

 『週刊/東洋経済』2007年6月2日特大号に、ノーベル賞
経済学者であるポール・サミュエルソン氏の対談が出ています。
前回のクルーグマン教授とクー氏との対談に関連する点もあるの
で、過去数10年間にわたる日本の不況に関するコメントをひろ
ってみることにします。
―――――――――――――――――――――――――――――
 ・90年にバブルが破裂したとき、ポール・クルーグマンや私
  は、日本は「流動性の罠」にはまっていると指摘しました。
  何らかの理由で日本経済には根深い硬直性がある。
 ・バブル期の日本はまるでギリシャ悲劇のようでした。日本は
  舞い上がっていて、私たち米国人に対し、米国のやり方は時
  代遅れだ、米国の問題の元凶はハーバート・ビジネススクー
  ルだ、日本には全員一致と終身雇用による新たな企業統治の
  手法があると言っていました。
 ・財政政策と金融政策の双方で過ちを犯し続けていて、そのせ
  いで金融機関への対処に時間がかかりすぎただけなのか、ま
  たはこれらの過ちは全体像の一部の問題に過ぎず、今も構造
  的な欠陥が存在して構造改革が必要なのか、どちらの見解も
  正しいといえるでしょうね。 ――ポール・サミュエルソン
      『週刊/東洋経済』2007年6月2日特大号より
―――――――――――――――――――――――――――――
 過去数10年間の日本の不況の原因に関しては、クルーグマン
氏にしてもサミュエルソン氏にしても、正直何をいっているのか
よくわからないというのが本音です。そして、自分たちの理論で
説明できないと、「日本は特殊である」という論法で逃げている
ような気がしてならないのです。
 経済学というものはそういうものであるといってしまえばそれ
までですが、本当に不況の原因を掴んでいるなら、素人にも理解
させることができる説明が私はできると考えています。その点、
リチャード・クー氏のバランスシート不況論は素人でも理解でき
る納得性があります。しかし、高名な経済学者ほど、クー氏のい
うバランスシート不況論など一顧だにしないといいます。加えて
クルーグマン氏やサミュエルソン氏は米国における対日の経済政
策要求にかかわるオピニオン・リーダー的存在であることも頭に
入れてその発言を読み取るべきであると考えます。
 スティーヴン・ヴォーゲルという人がいます。カルフォルニア
大学バークレー校准教授ですが、彼の父親が『ジャパン・アズ・
ナンバーワン』の著者、エズラ・ヴォーゲル氏なのです。
 ジャパン・タイムズの記者を経て、ハーバード大学などで教鞭
をとったのち現職に就いているのですが、大変な日本通の学者で
す。彼は、『VOICE』2007年7月号に『日本企業は米国
型を超える』という興味深い論文を発表しています。
 その中で、彼は日本経済の回復が遅かった理由について次のよ
うに述べています。
―――――――――――――――――――――――――――――
 それ(日本経済の回復が遅かった理由)は、主に政策の失敗に
 原因があった。この政策の失敗を是正する必要があったが、そ
 れが非常に遅かった。財政政策、金融政策、銀行規制の3つの
 政策が失敗したのだが、財政政策についてはバブル崩壊後、政
 府は経済刺激策を実行するのが遅かった。金融政策も緩めるが
 実行に移すのが非常に遅く、ゼロ金利政策を実行したときはそ
 れを量的緩和政策でフォローするのが遅かった。また、金融危
 機の処理も非常に遅かった。そういうことが重なって、日本経
 済の回復にかなりの時間がかかったのである。
               ――スティーヴン・ヴォーゲル
            『VOICE』2007年7月号より
―――――――――――――――――――――――――――――
 それでもスティーヴン・ヴォーゲル氏は、時間はかかったけれ
ども、小泉政権がデフレと金融危機という2つの問題に真剣に取
り組んだことは評価しているものの、小泉前首相の政策の重点の
置き方については、次のように苦言を呈しています。
―――――――――――――――――――――――――――――
 小泉前首相は、経済回復にもっとも重要な問題であるデフレと
 金融危機の問題にそれほどエネルギーを費やさず、さほど重要
 ではない、構造改革や郵政改革、特殊法人改革という問題にエ
 ネルギーを使いすぎた。私の考えでは、郵政改革や特殊法人の
 問題は経済回復にはまったく関係ない。
               ――スティーヴン・ヴォーゲル
            『VOICE』2007年7月号より
―――――――――――――――――――――――――――――
 さほど重要ではない構造改革や郵政改革、特殊法人改革――こ
のヴォーゲルの言葉はまったくその通りであると考えます。日本
は何かとんでもない回り道をしてきたような気がするのです。
 ヴォーゲル氏は、日本はバブルが崩壊したとき、今まで日本を
成功に導いてきた「日本型経済モデル」は間違いであったとして
日本の官僚、経営者、オピニオンリーダーたちはそれをあっさり
と捨て米国型モデルに変更しようとしたことを批判しています。
 日本型経済モデルとは、政府指導の経済、政府と企業の密接な
関係、終身雇用、メインバンクシステム、密な企業間ネットワー
クなどを意味しています。それは日本がかつて世界に対して誇っ
た日本経済成長のモデルだったのです。
 バブル崩壊後に日本で起こったいわゆる改革の波は、こうした
従来の日本型モデルを問題ありとして変えようとしたのです。日
本政府は、民営化、規制緩和という米国政府のレトリックを信奉
し、ひたすらその方向で構造改革を推し進めたのです。
 しかし、結果としてそこに出来上がった新しい日本型モデルは
ヴォーゲル氏にいわせると、日本の既存制度の強化によって生ま
れたものであり、良くなったことも問題のあるものもあるが、ど
ちらにせよ、やはり、きわめて日本的なものであると指摘してい
ます。           ――[日本経済回復の謎/12]


≪画像および関連情報≫
 ・ポール・サミュエルソンについて
  ―――――――――――――――――――――――――――
  経済学のの多岐にわたる分野で活躍し、古典派経済学にジョ
  ン・メイナード・ケインズのマクロ経済学的分析を組み合わ
  せた新古典派総合の創始者として著名。厚生経済学の分野で
  は、リンダール・ボーウェン・サミュエルソン条件(ある行
  動が福祉をより良くするかどうかを決める判断基準)で知ら
  れている。             ――ウィキペディア
  ―――――――――――――――――――――――――――

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2007年06月19日

●「小さい政府」に本当に変えていいのか(EJ第2104号)

 経済というものをどのようにとらえるかについては、さまざま
な考え方があります。経済の原点といえば、一方に資本を提供す
る者がいて、他方にその資本を使って人を雇い、事業を行って利
益を得る者がいる――そういうかたちになります。
 こういう経済のかたちをいつから「資本主義経済」とか「自由
主義経済」とか呼ぶようになったかは、はっきりとはしていない
のですが、そういう経済を否定する共産主義や社会主義が登場し
てからのことと思われます。別に「これから資本主義経済をはじ
めるよ」と宣言してはじめたわけではないのです。
 19世紀までの経済は、「夜警国家」という考え方の基に成り
立っていたのです。ところで「夜警国家」とは何でしょうか。
 「夜警国家」とは、政府は国防や警察サービスを強化し、国民
を外敵の攻撃や暴力から守ることに専念して、経済を含む民間の
活動については介入すべきではないという考え方です。こういう
国家では、経済については自由放任――レッセ・フェールの市場
経済が原則になります。
 英国のアダム・スミスは、『国富論』という著作において、夜
警国家の理論を体系化して、次の考え方を明らかにしたのです。
―――――――――――――――――――――――――――――
 政府が民間の活動に介入しなければ、私的利益だけでなく、公
 共の利益もまた最大になる。      ――アダム・スミス
―――――――――――――――――――――――――――――
 別に経済理論の歴史を論ずるつもりはないのですが、小泉内閣
とその後継の安倍内閣において進められている構造改革の底辺に
どのような思想があるのか、またどのような考え方の人がこれを
推進しようとしているのかを明らかにしたいのです。
 さて、自由放任の資本主義社会には、次の3つ病気があること
がわかってきたのです。
―――――――――――――――――――――――――――――
       1.第1の病:貧困層の増大
       2.第2の病:失業者の増大
       3.第3の病:市 場の失敗
―――――――――――――――――――――――――――――
 第1と第2の病については説明する必要はないと思いますので
第3の病について解説することにします。
 自由放任の経済では、私的独占や不公正な取引による事故や損
失などがしばしば発生します。独占企業によって価格が吊り上げ
られて消費者が不利益を受けたり、医療事故や、薬害、公害など
が起こります。このように、自由放任の経済なのにかえって独占
が起こるのです。これを「市場の失敗」と呼んだのです。
 こういう3つの病を治そうとすると、政府は大きくならざるを
得ないのです。つまり、「大きな政府」です。戦後の欧米諸国や
日本は、第1と第2の病を治療して、社会主義に優る安定的な資
本主義の建設を目指したのです。
 加えて政府は「市場の失敗」を拡大解釈して、規制を強化した
り、私企業を国有化するなど、市場に積極的に介入し、自由な市
場の動きを修正するようにしたのです。これらは「大きな政府」
にしてはじめてできることなのです。
 日本では21世紀までこの「大きな政府」が続いてきたのです
が、小泉政権になって小泉首相は初閣議において次のように決意
を表明しています。
―――――――――――――――――――――――――――――
 構造改革なくして景気回復なしとの認識のもと、社会経済構造
 改革に取り組み改革断行内閣とする。構造改革を通じた回復に
 は痛みが伴う。              ――小泉前首相
―――――――――――――――――――――――――――――
 これは、経済学的にいうと、小渕内閣のとったケインズ政策路
線からの決別を意味しているのです。さらに2003年になると
「小泉改革宣言――政権公約2003」において「簡素で効率的
な政府を目指す」と明言しています。つまり、「大きな政府」か
ら「小さな政府」を目指すと宣言したことになります。これは経
済理論の変更を意味する大変化です。
 しかし、国民は熱狂的に小泉改革を支持したのです。「小さい
政府」が何を意味するのか、はっきりしないままです。果たして
これでいいのでしょうか。
 自由放任の経済――これは古典派経済学といわれます。この経
済の世界の最大の問題点は、巨大な需要不足状態――つまり、経
済恐慌が発生することです。
 マルクスはこの経済恐慌が起こることを事前に予想し、資本主
義経済には問題があると指摘したのです。そして、共産主義・社
会主義経済こそがそれに代わる正しい経済システムであることを
説いたのです。これがマルクス主義です。
 このマルクスとは別の方法によって自由放任の経済の重要な欠
陥――有効需要の不足が起こること――を理論的に指摘したのは
ケインズです。そしてそれを「市場の失敗」と名づけたのです。
ケインズは、その「市場の失敗」は政府が是正することによって
市場は正常に機能するようになることを示し、共産主義をとる必
要がないことを明らかにしたのです。
 このようにして第2次世界大戦後の経済政策はケインズ政策が
主流となったのです。そのケインズ政策のおかげで、資本主義経
済国家は深刻な経済不況に遭遇したことがないのです。唯一の例
外は、バブル崩壊後の日本経済なのです。
 そのように経済がおかしくなると、一度滅びたはずの怪しげな
政策を唱えるゾンビどもが復活してくるものなのです。そのゾン
ビの正体が自由放任の経済思想であり、現在の日本ではその経済
思想が力を得つつあるのです。この一派を「新古典派」――ニュ
ー・クラシカル」というのです。
 ややこしいのは、同じ「新古典派」を名のる別の一派があるこ
とです。これはケインズ政策を修正したとされる一派であり、ネ
オクラシカルと呼ぶのです。 ――[日本経済回復の謎/13]


≪画像および関連情報≫
 ・新古典派経済学とは何か
  ―――――――――――――――――――――――――――
  新古典派経済学とは、経済学における学派の一つ。もともと
  は、イギリス古典派の伝統を重視したマーシャルの経済学を
  さしたとされるが、一般には、限界革命以降の、効用の理論
  と市場均衡分析をとりいれた経済学をさす。数理分析を発展
  させたのが特徴であり、代表的なものに、ワルラスの一般均
  衡理論や新古典派成長理論などがある。
                    ――ウィキペディア
  ―――――――――――――――――――――――――――

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2007年06月20日

●構造改革派の正体は何か(EJ第2105号)

 「新古典派経済学」を名乗る学派には次の2つがある――前回
そうお話しいたしました。
―――――――――――――――――――――――――――――
    新古典派経済学 ・・・ ニュー・クラシカル
    新古典派経済学 ・・・ ネオ ・クラシカル
―――――――――――――――――――――――――――――
 ネオ・クラシカルの方から説明します。ネオ・クラシカルは、
新古典派経済学にケインズ経済学を組み合わせた新古典派総合の
経済学のことであり、その創始者が1970年にノーベル経済学
賞を授与されたポール・サミュエルソンなのです。
 これに対してニュー・クラシカルは、自由放任(レッセ・フェ
ール)の下での経済が理想であり、現在の経済で起こっている不
都合は、いろいろな障害が経済の機能を阻害していることが原因
と考えるのです。したがって、これらの障害を排除することこそ
が正しい経済政策であるというのです。
 それでは彼らが障害と考えるものは具体的には何でしょうか。
それは、あらゆる社会的、経済的な規制なのです。したがって、
それらの規制の緩和や撤廃、さらに一歩踏み込んで経済の構造改
革が重要な課題と考えるのです。そしてもちろん政府の経済への
介入をできるだけ少なくしようといる――そのため歳出の削減を
強く求めるのです。
 自由放任(レッセ・フェール)の下での経済の障害のひとつ、
失業を例にとって考えてみます。ケインズ経済学では、失業は有
効需要不足による不況が原因で起こるので、政府が有効需要創出
政策を行うことで解決するという考え方に立ちます。
 ところがニュー・クラシカルでは、失業は硬直的な雇用慣行や
雇用環境に問題があると考えるのです。つまり、制度が悪いと考
えるわけです。賃金制度を見直して、賃金水準を柔軟に変更でき
るようにすべきだと主張するのです。具体的には、最低賃金制の
撤廃や人材派遣の自由化などの制度見直しがありますが、これら
は現代社会のなかで次々と実現しつあります。
 このように、ケインズ経済学もニュー・クラシカルも、ともに
自由放任(レッセ・フェール)の下での経済が理想と考えている
点は同じなのです。ともにアダム・スミスの古典派経済学を原点
としているのです。
 しかし、そういう経済の下では往々にして障害が起きるのです
が、その場合、政府が介入して是正するという立場のケインズ経
済学と、「見えざる手」がスムースに働くように制度などを改正
・撤廃をするとともに、経済を構造的に改革するというのがニュ
ー・クラシカルの考え方なのです。したがって、ケインズ経済学
では「大きな政府」、ニュー・クラシカルでは「小さな政府」が
前提となるのです。
 既に何度かご紹介している「経済コラムマガジン」の著者は、
このニュー・クラシカルをいわゆる「構造改革派」として次のよ
うに厳しく批判しています。
―――――――――――――――――――――――――――――
 構造改革派の主張は論理的ではない。構造改革派の教典は古典
 派経済学である。しかし古典派経済学に基ずくレッセフェール
 (自由放任主義)経済は、歴史的に破綻している。現実の経済
 は古典派理論のようには動かなかったのである。ところが構造
 改革派の人々は、なんと経済が古典派理論通りうまく動くよう
 に今度は現実の社会の構造の方を変えようというのである。倒
 錯した感覚である。ハルマゲドンを予言した新興宗教団体が、
 実際にハルマゲドンを起こそうとしたのと非常に似ている。た
 しかに構造改革派は新興宗教的な体質を持っている。社会改革
 運動とは実に胡散臭い動きである。
           ――経済コラムマガジン/476号より
―――――――――――――――――――――――――――――
 「経済コラムマガジン」でも述べているように、構造改革派の
唱える古典派経済学は歴史的に破綻して一度姿を消しているはず
なのです。それがどうして息を吹き返したのでしょうか。
 結論からいうと、ケインズ経済学による財政政策がなぜか人気
を失い、劣勢になったことです。一国の経済が不況になると、ケ
インズ政策は否定され、構造改革派が台頭してくるのです。それ
に「ベルリンの壁崩壊」の影響が大きいのです。つまり、共産主
義・社会主義国家が没落し、政府による経済への過度の介入が悪
であるとみなされるようになったことと無関係ではないのです。
 よく考えてみると、日本はこの数10年間――とくに小泉政権
において、構造改革派が唱える案が取り入れられてきており、彼
らの推進する社会改革活動が進んでいるように見えます。
 「経済コラムマガジン」によると、構造改革派の人々の特徴は
を次のようになっています。
―――――――――――――――――――――――――――――
 経済をマクロ(一国の経済)で捉えるという考え方が衰退して
 いる。今日の経済学者は、盲目的に「小さな政府」「官業の民
 営化」「規制緩和による競争促進」を訴える。ところがこれに
 よって落ちこぼれる人々が出て来ると指摘されると、必ず「セ
 ーフティーネット」を張ると言う。「セーフティーネット」な
 んて心にもないくせに、慌ててこのセリフを付け加えるのであ
 る。        ――「経済コラムマガジン」/444号
―――――――――――――――――――――――――――――
 経済をマクロでとらえる学者が少なくなっているという指摘は
重要です。確かにマクロ経済学者でありながら、平気で経済をミ
クロで分析する人がいます。マクロとミクロでは結論が逆になる
ことは少なくないので、間違った情報が伝えられてしまいます。
 そして、前提条件を明らかにしないままに財政赤字が巨額であ
り、それが時々刻々と増えているということばかり強調して財政
再建が焦眉の急であると強調する――そういう社会情勢になって
いるといえます。その象徴的なものはテレビで表示される「借金
時計」であるといえます。  ――[日本経済回復の謎/14]


≪画像および関連情報≫
 ・「見えざる手」とは何か
  ―――――――――――――――――――――――――――
  アダム・スミスの『国富論』第4編に、ただ1回だけ出てく
  る有名なことば。スミスによると、社会の各個人は自己の利
  益だけを追求してゆくうちに、見えざる手に導かれて自分の
  思いもかけぬ目的、つまり社会全体の利益を達成することに
  なる。なぜなら、スミスの念頭にある各個人は、自己の資本
  を使って最大の利益をあげようとする資本家のことで、最大
  の利潤を求めて、最大の勤労を維持し、その結果、生産物の
  価値を最大ならしめるから、全生産物の価値にひとしい社会
  全体の年収入も最大になるとされるのである。
    http://www.sarimedi.com/value/2005/11/post_296.html
  ―――――――――――――――――――――――――――

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2007年06月21日

●なぜ、公共投資を嫌うのか(EJ第2106号)

国の経済にかかわる人のなかに「構造改革派」といわれる一派
があります。これと対極にある一派がケインズ経済学派――ケイ
ンジアンです。
 自由放任(レッセ・フェール)経済をあくまで理想の経済とし
て、その機能を阻害する制度や規制を撤廃するとともに経済の構
造を改革してレッセ・フェール経済を実現する――これが構造改
革派ニュー・クラシカルの思想です。
 これに対してレッセ・フェール経済では、そのままでは必ず問
題が発生するとして、そのときは政府などが積極的に市場に介入
すべきであると提唱する、修正資本主義的な考え方が、ケインジ
アンなのです。マクロ経済学においては、ごく常識的な考え方で
あるといえます。
 しかし、最近の経済学でケインジアンは一昔前の経済思想とし
てきわめて劣勢なのです。なぜ、劣勢なのかについてはいろいろ
な原因があるのですが、ケインジアンの考え方で経済を運営しよ
うとすると国家の財政赤字が累増するので、国家財政の健全化と
いう立場から、忌避されるのです。日本では財務省が徹底的にこ
の考え方をとることを避けようとしています。
 そうなると、力を得るのは、構造改革派です。小泉政権以来の
日本の経済運営は、ほとんど構造改革派的考え方に乗っ取られて
おり、ケインジアン的政策を提言しようものなら、たちまち、古
い時代のエコノミストとして批判の対象となります。
 しかし、「経済コラムマガジン」では、この構造改革派を徹底
的に批判しています。
―――――――――――――――――――――――――――――
 構造改革派の公共事業に対する感情は異常である。彼等の公共
 事業への憎しみは尋常ではない。公共事業が、彼等が嫌う政府
 支出であるということでまず拒否反応がある。さらに公共工事
 の入札に伴い頻繁に談合が行われることが災いしている。構造
 改革派にとって、公共事業は二重の意味で自由主義市場経済の
 原則に反するものなのである。
         ――「経済コラムマガジン」/444号より
―――――――――――――――――――――――――――――
 もともと公共事業重視政策は、あの田中角栄首相が地域格差を
なくす切り札として実施したものです。いわゆる「日本列島改造
論」がそれです。具体的には、工業の全国的再配置と知識の集約
化、全国新幹線と高速道路の建設、情報通信網によるネットワー
ク形成などがその内容です。
 問題は財源をどうするかです。その点、田中角栄という人物は
まさに天才だったといえます。彼は、揮発油税を道路整備の財源
にするというアイデアを思いつき、1953年に議員立法で次の
法律を作ったのです。
―――――――――――――――――――――――――――――
     道路整備費の財源等に関する臨時措置法
―――――――――――――――――――――――――――――
 これが現在話題になっている「道路特定財源」のはじまりなの
です。田中首相は衆参両院――とくに参議院では100日間にわ
たり、すべての答弁をひとりで行い、法律を成立させたのです。
驚くべき力の入れようです。それも小泉首相のようなはぐらかし
答弁ではなく、反対意見には噛んでふくめるがごとくていねいに
説得し、押し切ったのです。
 田中首相は、日本列島改造を進め、地域格差を解消するために
次の2つ政策を推し進めたのです。
―――――――――――――――――――――――――――――
         1.財政の先行的運用
         2.税制の積極的活用
―――――――――――――――――――――――――――――
 第1の「財政の先行的運用」は、現在の世代の負担だけでなく
未来の世代の負担をも考慮した積極財政を意味しています。これ
を今いおうものなら、「子どもや孫たちの世代に借金を残す」と
いわれ、とんでもない妄論とされるでしょう。
 これについて、経済評論家の岩田規久男氏は、自著において次
のように述べています。
―――――――――――――――――――――――――――――
 子どもや孫たちに借金を残したくないという考え方は、一見、
 親切そうにみえるが、結果はそうではない。生活関連の社会資
 本が十分整備されないまま、次の世代に国土が引きつがれるな
 らば、その生活や産業活動に大きな障害がでてくるのは目に見
 えている。美しくて住み良い国土環境をつくるには、世代間の
 公平な負担こそが必要である。
     ――岩田規久男著、『「小さな政府」を問いなおす』
                     ちくま新書616
―――――――――――――――――――――――――――――
 第2の「税制の積極的活用」は、大都市と地方の税制を改め、
集積の利益を享受できる大都市は税を重くし、地方は税の優遇措
置を実施したのです。このようにして、田中内閣では地域格差の
是正に全力で取り組んだのです。
 このような田中内閣の政策によって、日本はそれまでの均衡財
政主義から離脱し、財政赤字が累積する状態が続いたのは確かで
すが、経済は大きく発展したのです。田中首相は地方に手厚く公
共事業を配分するためには、財源は地方税だけでは大幅に不足す
るので、この不足を埋めたのが、地方交付税と補助金なのです。
 しかし、現在ではこうした田中的なやり方は、良いことも含め
てすべてが否定され、悪とされてしまっています。確かに田中首
相はロッキード事件で失脚し、そのイメージは地に落ちた感があ
るものの、良い面もたくさんあったのです。
 構造改革派は、この風潮をたくみに利用し、財政赤字の巨額さ
を必要以上に強調し、借金時計まで作って財政再建の必要性を強
調しようとしています。そして、その試みはかなり着実に成功し
つつあるといえます。    ――[日本経済回復の謎/15]


≪画像および関連情報≫
 ・田中角栄の「日本列島改造論」
  ―――――――――――――――――――――――――――
  岩崎定夢氏は、「角さんの功績、真の実力この魅力」の中で次
  のように述べている。
  ――未来を見通してどのように生きるのかビジョンを示し、
  国民が納得の上でその実現に努力する。その目標を示すのが
  政治家の最大の務めなのに、そのきっかけになるはずだった
  日本列島改造論を、寄ってタカって潰してしまった。問題は
  潰してしまった者達にはこれっぽっちも反省の気配はなく、
  むしろ、それで正義を実現したと思い込んでいることだ。悲
  しいことと云わざるを得ない――。
http://www.marino.ne.jp/~rendaico/kakuei/giyoseki_nihonreetokaizo.htm
  ―――――――――――――――――――――――――――

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2007年06月22日

●日本の「小さい政府」への挑戦(EJ第2107号)

 70年代以降、田中角栄型の社会主義政策が展開されるように
なって日本政府は急速に「大きな政府」になっていったのです。
しかし、80年代に入ると、その揺り返しとして「大きな政府」
の流れに歯止めをかけ、財政を再建しようという動きが出てきた
のです。
 この動きは80年代後半から90年代のはじめにかけて、財政
収支が黒字に転換し、政府規模の拡大に歯止めをかけるという大
きな成果を生んだのです。日本政府のはじめての「小さい政府」
への挑戦の成果といってよいでしょう。
 しかし、90年代に入ってバブルが崩壊すると、景気は一挙に
後退したのです。そのため、何度も景気対策としてケインズ政策
がとられたので、財政収支は再び赤字に戻り、国債残高は累増し
ていくことになります。
 この80年代の「小さな政府」への挑戦をプランニングしたの
は、1980年の臨時行政調査会(以下、臨調)、1983年の
臨時行政改革推進審議会(以下、行革審)による答申なのです。
 臨時行政調査会は、昭和30年代後期に同名の審議会が設置さ
れているので、「第2次臨調」と呼ばれています。なお、「第2
次臨調」と「行革審」の答申は、その路線は基本的には同じであ
り、以下はまとめて臨調と呼ぶことにします。臨調の答申は次の
ように述べています。
―――――――――――――――――――――――――――――
 明治の富国強兵政策や戦後の経済発展政策は、追いつき型近代
 化の過程では有効であったが、追いつき型近代化に成功した今
 日では、民間がその活力を自由に発揮できるように、規制の緩
 和・撤廃等の措置を徹底する行政改革が不可欠である。
     ――岩田規久男著、『「小さな政府」を問いなおす』
                     ちくま新書616
―――――――――――――――――――――――――――――
 これらの行政改革は財政構造を改革することを可能にするので
2つを合わせた行財政改革が「小さな政府」を目指す改革の目標
として掲げられたのです。この改革の流れが中曽根内閣から橋本
内閣まで受け継がれてきたのです。
 財政再建はある局面では、どうしてもやらざるを得ないもので
すが、そういう意味で80年代はじめの臨調による財政再建の動
きは適切なものだったといえます。しかし、気をつけなければな
らないのは、時期尚早の財政再建です。その典型的な失敗例は橋
本内閣のそれであるといってよいと思います。
 橋本首相が行財政改革に着手しようとしたのは1997年のこ
とです。当時、橋本首相にそう仕向けたのは、米国のクリントン
政権と当時の大蔵省(現財務省)なのです。このとき、米国政府
も大蔵省もバランスシート不況を認識していなかったのです。
 橋本首相は、次の4点セットで財政赤字を一挙に減らそうとし
たのです。
―――――――――――――――――――――――――――――
       1.消費税率の2%引き上げ
       2.社会保障負担費引き上げ
       3.特別減税廃止を決定する
       4.大型補正予算見送り決定
―――――――――――――――――――――――――――――
 橋本首相は、1996年の財政赤字が22兆円だったので、こ
れによって15兆円を減らそうとしたのです。ところが、これは
無謀な政策であり、1997年度こそ財政赤字は20兆以下にな
ったものの、そこから経済は5・四半期連続でマイナス成長とい
う最悪の結果になってしまったのです。
 当時の日本経済の構図は家計が1000円の所得のうち900
円を使い、100円を貯蓄していたものを企業がバランスシート
の正常化を図るため借りて使わないので、代わりに政府が借りて
使っていたので、辛うじて経済が回っていたのです。そういう時
期に政府は、100円を借りることをやめてしまったのですから
経済が回らず経済規模が縮小して行ってしまったのです。
 本来であれば、消費税率を3%から5%に上げたのですから、
税収が増えていなければならないのに、逆に財政赤字が16兆円
も増え、1999年には38兆円にまで拡大してしまったのです
から、大失敗であったといえます。
 もともと財政再建を仕掛けたのは、橋本内閣の官房長官、梶山
静六だったのです。梶山は第2次橋本内閣の組閣で橋本に進言し
与謝野馨を官房副長官に起用させたのです。これはまことに異色
の人事であったのです。
 なぜなら、官房副長官というポストは、自民党の総裁派閥の有
望な若手議員の登竜門として位置づけられているのですが、与謝
野は既に文相経験があり、若手ではないこと――それに総裁派閥
の小渕派でもなく、そういう意味で異色の人事だったのです。つ
まり、梶山が財政再建をやるにはどうしても不可欠の人物と考え
ていたからです。
 挨拶に官邸にやってきた与謝野に対して梶山は次のようにいっ
たといわれています。
―――――――――――――――――――――――――――――
 俺は組織いじりには何の興味もないんだ。君と2人で財政再建
 をやろうじゃないか。  ――清水真人著/日本経済新聞社刊
              『官邸主導/小泉純一郎の革命』
―――――――――――――――――――――――――――――
 梶山としては、自ら行革屋を気取り、官僚と重箱の隅をつつく
ような議論を好んで行い、官僚をやりこめて得意な顔をする橋本
首相の姿勢を内心批判していたのです。
 そこで橋本には好きなようにやらせておき、以前から温めてき
た財政再建を切れ者の与謝野と一緒にやり遂げて、政権の看板政
策として打ち出すことを考えていたのです。その梶山も与謝野も
企業によるバランスシートの正常化という行動にはまったく気が
ついていなかったのです。  ――[日本経済回復の謎/16]


≪画像および関連情報≫
 ・梶山官房長官の野望
  ―――――――――――――――――――――――――――
  1996年1月中旬。首相官邸で官房長官・梶山静六が大蔵
  省・小村武ら主計局の幹部と向かい合っていた。
  「このままではこの国が滅びてしまうぞ。財政再建中期計画
  をつくれ!」。梶山は説明が終わるか、終わらないかのうち
  に強い調子でこう言い放った。小村たちが持参し、ご進講に
  及んでいたのは、1月下旬に始まる通常国会で96年度予算
  案と一緒に参考資料として提出する毎年度恒例の「財政の中
  期展望」だった。
             ――清水真人著/日本経済新聞社刊
              『官邸主導/小泉純一郎の革命』
  ―――――――――――――――――――――――――――

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2007年06月25日

●政府与党全体の経済失政(EJ第2108号)

 2001年4月12日、首相・森喜朗の退陣表明を受けた自民
党総裁選に再び出馬したときの橋本元首相の挨拶です。
―――――――――――――――――――――――――――――
 財政再建を急いだ結果が、今の不況の一つの原因になった。こ
 れは率直に認める。国民にお詫び申し上げる。――橋本龍太郎
―――――――――――――――――――――――――――――
 選挙戦術の一環とはいえ、かつての総理大臣が自分の経済政策
の失敗を認めるのはきわめて異例のことです。しかし、橋本とし
ては、がんじがらめの状況で、ああいう政策をとらざるを得ない
状況に追い込まれたともいえるのです。そのときの橋本元首相の
周辺の状況を少し探ってみることにします。
 1996年、橋本は首相になると、「官邸主導」というよりは
「橋本主導」に非常にこだわっていたといいます。金融ビックバ
ンについては、大蔵省総務審議官の武藤敏郎の指揮下で、証券局
長・長野厖土、銀行局長・坂篤郎が練り上げたシナリオを首相自
らがけん引する姿を演出する「橋本主導」にこだわったのです。
 したがって、行革においても橋本はそういうかたちをとろうと
したのです。しかし、当時の梶山官房長官は、そういう橋本のパ
フォーマンスを内心苦々しく思っていたのです。そこで、行革を
橋本の「格好のおもちゃ」にさせないよう与謝野を使って首相が
やらざるを得ないようにもっていく作戦を立てたのです。
 財政再建の影の仕掛け人は梶山静六その人であったのです。橋
本と梶山について、当時幹事長の職にあった加藤紘一は次のよう
に述べています。
―――――――――――――――――――――――――――――
 橋本さんは梶さんにろくに相談せず、行革をペットイシューに
 してまい進した。橋本政権をつくったのは自分だという自負の
 ある梶さんはそれに不満で、与謝野氏を巻き込んで財政再建に
 命をかけると言った。橋本さんはそれほど熱心ではなく、梶さ
 んに乗った形だった。     ――加藤紘一幹事長(当時)
             ――清水真人著/日本経済新聞社刊
              『官邸主導/小泉純一郎の革命』
―――――――――――――――――――――――――――――
 梶山と与謝野は、歳出を個別に切っていく方法だけでなく、上
からタガをはめていく手法――財政再建法づくりを目指すように
大蔵省の主計局にはっぱをかけていたのです。しかし、当の大蔵
省はというと、最後に責任を押し付けられることを恐れて、なか
なか乗ってこなかったのです。政治主導を警戒したのです。
 そこで、与謝野が精力的に動いて、主計局に対して次のことを
申し渡すところまでコトを運んだのです。
―――――――――――――――――――――――――――――
 首相、蔵相経験者でつくる財政再建会議を官邸に設け、与党で
 財政再建法に取り組む必要がある。首相経験者らが中心になる
 親会議と、三党幹事長(当時は自・社・さ連立政権)、政策担
 当責任者でつくる幹事会をつくろう。大蔵省は下働きを務めて
 ほしい。           ――清水真人著の前掲書より
―――――――――――――――――――――――――――――
 1997年1月21日、財政再建会議に参集した首相・蔵相経
験者たちは財政構造改革に対して非常に積極的な姿勢を示したの
です。なかでも中曽根康弘はもっとも積極的だったといいます。
―――――――――――――――――――――――――――――
 今は戦後50年で最大の非常時だ。自社さ3党が大局的に譲り
 合ってこの困難を克服する必要がある。財政改革をやり抜けば
 経済にもプラスになる。          ――中曽根康弘
―――――――――――――――――――――――――――――
 また、もともと積極財政を身上とするケインジアンの宮沢喜一
は、財政再建は「総論」だけでは問題は解決せず、「各論」まで
踏み込んで、分野ごとの歳出削減が必要であると強調したといわ
れます。中曽根のいう「財政改革をやり抜けば経済にもプラスに
なる」という発言に代表されるように財政再建会議は、これから
起こってくる数々の難問の解決のかぎはすべて財政再建の成否に
かかっているというような明らかにおかしなムードになっていっ
たのです。
 そういう意味で、梶山と与謝野の仕掛けは成功しつつあったと
いえます。しかし、橋本としてはやっかいな米国の要求もあり、
こういうムードは頭の痛いことだったのです。
 1997年5月20日、首相官邸で橋本首相と加藤幹事長の間
でこのようなやり取りがあったのです。
―――――――――――――――――――――――――――――
 加藤「97年度は補正予算で対応させてほしい」
 橋本「幹事長、それはダメだ」
 加藤「それは大変厳しいお話ですが・・・」
 橋本「4月の日米首脳会議で補正予算での財政出動はしないと
   はっきり言ってきた。農業だけやるというわけにはいかな
   いんだ」         ――清水真人著の前掲書より
―――――――――――――――――――――――――――――
 加藤幹事長は、補正予算阻止に猛反発した農林族を調整できず
補正予算の計上を首相に求めたのです。そうしないと党内が持た
ないと判断したからです。
 しかし、橋本首相としては、4月25日にワシントンで行われ
たクリントン大統領との日米首脳会談で、大統領に公共事業によ
る内需刺激策を強く求められたさい、財政構造改革路線を盾にし
てこれを断った経緯があるのです。
 このように、よく「橋本失政」といいますが、橋本首相として
は、既に敷かれている財政構造改革路線をとらざるを得ないよう
に走らされていただけといえるのです。
 しかし、橋本のバックに回って族議員の抵抗を抑え、大蔵官僚
を指揮して財政構造改革路線を進めてきた梶山と与謝野は次の橋
本改造内閣では姿を消して、橋本政権のパワーは大きく減退する
ことになったのです。    ――[日本経済回復の謎/17]


≪画像および関連情報≫
 ・EJ第2000号達成記念会開催!/6月16日
  ―――――――――――――――――――――――――――
  6月16日(土)、東京日比谷のレストラン「松本楼」にお
  いて、「EJ第2000号達成記念会」が開催され、大勢の
  の方が来賓されました。EJは1998年10月15日を第
  1号として、ウィークデイの毎日、8年以上にわたって継続
  してお届けしてきております。パーティーにご参集いただい
  た皆様、お祝いのメッセージをいただいた皆様へ感謝の意を
  捧げます。ありがとうございます。       平野 浩
  ―――――――――――――――――――――――――――

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2007年06月26日

●梶山構想と宮澤私案(EJ第2109号)

 なぜ、梶山官房長官と与謝野官房副長官は、橋本内閣から去っ
たのでしょうか。
 1997年6月、財政構造改革の最終方針が決まった頃、橋本
内閣の求心力はかなり高かったのです。一方に梶山――与謝野ラ
イン、他方に加藤――山崎(山崎拓政調会長)ラインが官邸に設
置した財政構造改革会議を中心に、財政構造改革に反対する族議
員退治を競い合って政権の車の両輪となっていたからです。
 しかし、自民党の保守を代表する梶山としては、どうしても自
社さ派の主張に傾斜しがちな加藤幹事長とはそりが合わず、確執
を積み重ねることがあまりにも多かったのです。
 そこで梶山は橋本に加藤更迭を持ちかけたのですが、聞き入れ
られず、自らが身を引く決意を固め、1997年9月に橋本が自
民党総裁選に無投票で再選を果たしたのを機に、与謝野と一緒に
官邸を去ったのです。
 しかし、梶山は自らの案による財政再建をあきらめたわけでは
なかったのです。1997年11月21日、梶山は首相の橋本と
沖縄に向かう政府特別機に同乗していたのです。沖縄復帰25周
年記念式典に前官房長官として招かれていたからです。
 その機中で梶山は橋本に「後で読んでおいて欲しい」といって
あるペーパーを渡したのです。そのペーパーこそ、翌週の『週刊
文春』に掲載され、永田町や大蔵省、金融界に大きな波紋を広げ
ることになる「梶山10兆円構想」だったのです。
 ちょうどこの頃、金融界においては、少し前なら予想もつかな
い次の事態が起こっていたのです。
―――――――――――――――――――――――――――――
   11月 3日 三洋証券会社更生法適用申請
   11月17日 北海道拓殖銀行が経営破たん
   11月24日 山一証券が自主廃業を決める
―――――――――――――――――――――――――――――
 実はこれらの一連の経営破たんでは、山一証券の破たんが一番
衝撃であったと思われがちですが、実は三洋証券の経営破たんが
金融関係者にとっては一番のショックだったのです。
 というのは、三洋証券では資金繰りがつかず、史上はじめての
無担保コールのデフォルト(支払い不能)が起こってしまったか
らなのです。
 短期金融市場では、金融機関同士は相互信用のもとに無担保で
日々の資金を融通し合う仕組みができています。したがって、今
までの常識では、たとえ破たんしても無担保コールだけは返却す
るという金融機関同士の「仁義」があったのですが、それが崩れ
たからです。そして、その影響で拓銀が破たんしたのです。
 もちろん四大証券の一角である山一証券の経営破たんは一種の
社会不安を巻き起こしたのです。なぜなら、山一証券が破たんす
るということは、どんな大企業が破たんしても不思議はないとい
うことを意味していたからです。そのため、これが個人消費を一
挙に冷え込ませる結果になったのです。
 金融収縮に消費減退が重なって日本経済は危機の淵に立つこと
になったのですが、そんなとき発表された「梶山構想」は大きな
インパクトを社会に与えたのです。バックライターがいる――と
いう噂は多く出ましたが、梶山は政策面をよく勉強しており、梶
山自らの構想と考えてよいと思います。
 「梶山構想」について『官邸主導』の著者、清水真人氏は次の
ように紹介しています。
―――――――――――――――――――――――――――――
 梶山構想――それはひと言で言えば、金融機関の自己資本増強
 にそれまで禁じ手中の禁じ手だった国の一般会計から財政資金
 を一気に投入し、金融不安一掃の決意を示すという内容だった
 のである。まず、政府が保有する日本電信電話(NTT)や日
 本たばこ(JT)の株式の売却益を償還財源の担保とし、10
 兆円程度の「改革・発展国債」を発行する。それを銀行が発行
 する優先株の購入などの形で投入する。さらに銀行経営者の責
 任追及、不良債権の情報開示の徹底などを提唱。国債は新産業
 の育成など景気対策にも積極的に活用すればよいという。
             ――清水真人著/日本経済新聞社刊
              『官邸主導/小泉純一郎の革命』
―――――――――――――――――――――――――――――
 この梶山構想よりも早く元首相の宮澤喜一は「宮澤私案」を橋
本に渡し、早急な検討を提案していたのです。宮澤私案では、預
金保険機構の財源を強化する案だったのです。具体的には、金融
機関の破たん処理に伴う損失を銀行などが収める保険料による積
立金でまかないきれないときに、同機構が自ら債券を発行して資
金を調達し、財源不足を補うという仕組みなのです。この債券は
政府保証債とし、資金運用部(財政投融資/郵貯・年金)資金で
引き受けるという構想なのです。
 橋本首相から宮澤私案の検討を命ぜられた加藤幹事長は頭を抱
え込んだのです。というのは、あの住専処理のさい、財政資金は
「信用組合以外は使わない」と封印してきたからです。
 もし、その財政資金を銀行などにも投入することになると、自
民党総務会から政策転換だとして、強烈な執行部批判が出ること
が必至だったからです。
 そのとき総務会には、「4K」といわれる論客がすべて揃って
おり、その激しい揺さぶりを耐えしのぐことを執行部は「K点越
え」と称していたほどだったのです。
―――――――――――――――――――――――――――――
   第1のK――亀井静香   第2のK――河野洋平
   第3のK――梶山静六   第4のK――粕谷 茂
―――――――――――――――――――――――――――――
 事態は宮澤私案に沿って動き出したのです。そして、12月1
日には、元首相の宮澤が現首相の橋本に予算委員会で質問して、
国民に金融機関処理が万全であることを印象づける演出までやっ
たのです。         ――[日本経済回復の謎/18]


≪画像および関連情報≫
 ・1997年12月1日/予算委員会の橋本首相の発言より
  ―――――――――――――――――――――――――――
  預金者を守る、お客様を守る、そして金融システムの安定性
  を守る、そのためにはあらゆる手段を行使していく決意であ
  ることを申し上げておきたい。私自身、公的支援によってセ
  ーフティーネットを完備する、そして預金者を保護すること
  が重要なことだという思いは大変強く持っている。
                       ――橋本首相
  ―――――――――――――――――――――――――――

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2007年06月27日

●「交付公債」という絶妙の智恵(EJ第2110号)

 金融危機に対応する自民党対策本部は、元首相宮澤喜一を本部
長にいただき、宮澤私案に沿った対策が進み出したのです。この
状況では、誰でも梶山構想ではなく、宮澤私案を中心として対策
が立てられる――そう考えていたはずです。
 しかし、最後の土壇場で橋本が大きく揺れたのです。衆議院予
算委員会の質疑で、橋本は当の宮澤元首相をひっぱり出して金融
危機解決の意欲を示したのが、1967年12月1日のこと。そ
の次の日の12月2日のことですが、橋本は梶山に次の電話を入
れているのです。
―――――――――――――――――――――――――――――
 じっくり話を聞いて勉強したいので、官邸に来てもらえないだ
 ろうか。                  ――橋本首相
―――――――――――――――――――――――――――――
 橋本は急に考え方を変えたわけではないのです。橋本は11月
21日に沖縄に向かう特別機のなかで梶山から受け取ったレポー
ト――梶山構想について研究していたのです。
 橋本は首相秘書官の坂篤郎に梶山からもらったペーパーを渡し
検討を命じていたのです。坂首相秘書官は、大蔵省出身で中小金
融課長の経験もある金融のベテランだったのです。
 坂は梶山構想に関して「この内容は基本的には正しい」と橋本
に答えていたのです。その話を聞いた橋本は坂に梶山に「構想を
支持する」という旨の手紙を書かせ、そのうえで梶山を官邸に呼
んでいるのです。
 それからもうひとつ橋本は、ここで打ち出す金融危機政策を歴
史に残るものにしたいという野望を抱いていたのです。こういう
ところが橋本の橋本らしいところなのです。どんなときでも、パ
フォーマンスを考えて行動する姿勢です。
 橋本が考えていたのは、かつて田中角栄が蔵相の時代に山一証
券に対して実施した日銀特融なのです。今回、山一証券が廃業に
追い込まれたので、それを連想したのかもしれません。橋本はど
うせやるならそれに準ずるものにしたい――そう考えたものと思
われます。
 それに宮澤私案に乗ると、その後継者とされている幹事長の加
藤紘一にリーダーシップをとられてしまい、歴史に残るものにな
らないとも考えたのでしょう。それにこのところ、橋本と加藤・
山崎執行部の間にはすきま風が吹いていたのです。
 この情報を掴んだ大蔵省の桶井主計局長ほかの幹部は竹下事務
所に駆け込んだのです。竹下とはあの竹下登元首相です。当時予
算にかかわる重要政策を通すには、陰のドンである竹下の力が必
要であるとして、とくに大蔵省幹部は頻繁に竹下詣を繰り返して
いたのです。
 このとき竹下はどういう判断をしたのでしょうか。
 竹下は梶山構想に関しては極めて深刻であると考えていたよう
です。それは彼の次の言葉によくあらわれています。
―――――――――――――――――――――――――――――
      梶山構想は政局に火を付けかねない
―――――――――――――――――――――――――――――
 竹下が心配したのは、梶山構想を無視すると、梶山が水面下で
新進党の小沢党首と結んで、与野党問わずに連携する「危機突破
の議員連盟」という連合軍を作って、議員立法でやりかねないと
考えていたからです。
 しかし、10兆円の国債を発行するということは、財政構造改
革路線に明らかに反するのです。やるとすればひと工夫する必要
がある――竹下はこう考えたのです。竹下は集まってきた大蔵省
の幹部に次のようにいったといわれます。
―――――――――――――――――――――――――――――
      あれ(梶山構想)は面白いわなぁ
―――――――――――――――――――――――――――――
 大蔵省の幹部は、竹下の発言を「もし、梶山構想を実現すると
したら、どんな智恵があるか」という意味にとったのです。これ
を受けて大蔵省の主計局が中心となって考えだしたのが「交付国
債」なのです。交付国債を金融用語辞典で引いてみると次のよう
に出ています。
―――――――――――――――――――――――――――――
 交付国債とは現金の代わりに交付するために発行される国債で
 資金借入のために発行される通常の国債とは性質が異なる。土
 地の買収や補償金などの現金支払に代えて交付され、実際の現
 金の支払を後年に繰り延べる。    ――金融用語辞典より
―――――――――――――――――――――――――――――
 ごく簡単にいうとこういうことになります。政府は受け手に現
金を渡すのではなく、債券(国債)を交付するのです。受け手は
現金が必要となった時点で政府に支払いを要求するのです。政府
は支払いを要求された時点ではじめて予算措置を行い、それに応
ずるという仕組みなのです。
 この仕組みは政府が国際機関に資金を出す場合などに使われる
のです。そのため、「出資国債」とか「拠出国債」と呼ばれたり
するのです。その仕組みを梶山構想に使おうというのです。
 どうしてこれが「絶妙の智恵」なのかというと、仮に政府がこ
の交付国債を預金保険機構に交付しても、その時点では予算上は
国債の増発にならないという点にあります。
 預金保険機構に交付する場合、実際にそれが使われるのは先の
ことです。したがって、それまでは財源問題は生じないのです。
そのため、財政構造改革の路線にも反しないで済むのです。そう
かといって、必要になれば使えるのですから、いざというときの
支えにはなるのです。
 つまり、宮澤本部案や加藤執行部の路線を守りながら、梶山構
想も取り入れることができるのです。だから、絶妙の智恵といわ
れるのです。
 資金の出し方を決めた竹下は、さっそく関係者の根回しをはじ
めたのです。        ――[日本経済回復の謎/19]


≪画像および関連情報≫
 ・田中角栄蔵相の日銀特融
  ―――――――――――――――――――――――――――
  1965年5月28日は戦後の経済史に残る重要な日になり
  ました。日銀が証券会社向けに事実上無担保・無制限に特別
  融資することを決めたからです。いわゆる日銀特融です。ま
  ず大手の山一証券が対象になり、2ヵ月後の7月には大井証
  券にも特融が実施されました。この異例の措置によって信用
  不安の拡大を抑えることができましたが、日銀特融に至る過
  程はなかなかドラマチックなものでした。  
    http://www.nikkei.co.jp/nkave/about/history_2.html
  ―――――――――――――――――――――――――――

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2007年06月28日

●竹下の見事な水面下の調整(EJ第2111号)

 竹下はまず幹事長代理の野中広務を橋本のところに行かせたの
です。橋本が梶山にあまり傾斜しすぎないよう歯止めをかける狙
いがあったのです。
 『官邸主導』の著者、清水真人氏はそのときの2人のやりとり
を次のように描いています。
―――――――――――――――――――――――――――――
 野中:梶山構想では国債の大量増発となる。財政構造改革路線
    を転換するおつもりか。
 橋本:そういうわけじゃないんだ。10兆円は「枠取り」の話
    なんだ。すぐに国債を発行するわけじゃない。
 野中:梶さんに乗ったら危ない
             ――清水真人著/日本経済新聞社刊
              『官邸主導/小泉純一郎の革命』
―――――――――――――――――――――――――――――
 ここで橋本が「枠取り」といっているのは、その10兆円を交
付国債で調達することを意味しているのです。しかし、これは既
に述べてきたように、竹下が大蔵省を促して出させた智恵であり
この時点で梶山は10兆円を交付国債で用意することを知らない
のです。問題はどのようにして梶山を説得するかです。
 竹下は、梶山の説得は自分と宮澤の2人でやることにしたのし
たのです。元首相が2人かがりで説得する――このかたちが一番
いいと考えたのです。その方針に宮澤は同意します。
 宮澤は大蔵事務次官の小村武を呼んで、交付国債で10兆円用
意する案を検討させたのです。そして、宮澤案と梶山案をドッキ
ングさせようとしたのです。
 少し難しい話になりますが、交付国債といっても最終的な支払
い財源によつて出資国債と拠出国債に分かれるのです。出資国債
は財源として建設国債を使える場合に限られ、そうでない場合は
税収の不足を埋めるために発行する赤字国債を使う拠出国債とい
うことになるのです。ここで宮澤は梶山構想を取り入れてそれを
拠出国債で用意することに決めたのです。
 1997年12月15日、午前9時に梶山は竹下を訪問したの
です。竹下は梶山の提案に賛意を示し、あとは宮澤の意見を聞い
てくれというにとどめたのです。説得の功績は宮澤に譲る竹下特
有の気配りなのです。
 同じ日の午前11時、梶山は宮澤の個人事務所を訪ねているの
です。宮澤は十分に梶山のメンツに配慮して、「梶山色の包装紙
に包んだ宮澤私案」を提示したのです。梶山はこれに対して次の
ように反発しています。
―――――――――――――――――――――――――――――
 これは換骨奪胎だ。私の構想とは似て非なるものである。
―――――――――――――――――――――――――――――
 しかし、梶山はこの時点でこれは竹下の仕掛けによるものと判
断し、自分はここで手を引くべきだと判断したのです。そして、
次のようにこれを少しでも早く取り組むよう要請したのです。
―――――――――――――――――――――――――――――
 これは一刻も早く実現する必要がある。年明けからの通常国会
 は98年度予算案が優先で、こっちは4月、5月なんて言って
 いたら、3月期決算を乗りきれませんよ。
                ――清水真人著、前掲書より
―――――――――――――――――――――――――――――
 宮澤はこれに応じたのです。翌日12月16日、自民党は緊急
金融システム安定化対策を決定し、預金者保護機構に預金者保護
と金融機関の資本注入のため、それぞれ10兆円ずつ日銀からの
借り入れ枠を設定し、政府保証をつけています。そして、当初予
定した10兆円の交付国債は、この20兆円が焦げ付いたときの
返済原資に当てることになったのです。
 しかし、最終的にはどうせ公的資金を投入するなら、金額は大
きい方がよいという判断で、政府保証の20兆円と交付国債によ
る10兆円を合わせて、「最大で30兆円規模の公的資金枠」と
してPRしたのです。
 竹下はこういう手を打つ一方で梶山が宮澤のいうことを聞かず
独走することを恐れ、もうひとつ手を打ったのです。相手は総務
会の4Kのひとりである亀井静香です。
 使者に立ったのは野中広務です。彼は亀井と会って竹下の支持
をちらつかせながら、執行部の提案を説明し、その一部は公共事
業にも使えると吹き込んだのです。反執行部への分断工作そのも
のです。それに竹下ならでの、もうひとつのカードもちらつかせ
たのです。
 それは、政策の路線変換の責任を取って蔵相・三塚博と大蔵事
務次官小村武の引責辞任と党総務会長・森喜朗の蔵相転出とそれ
に伴う亀井の総務会長就任の約束だったのです。これには亀井は
何もいうことはなかったのです。
 しかし、総理の橋本が望んだように、今回の公的資金枠30兆
円の政策がかつての田中角栄の山一証券への日銀特融のようには
いかなかったのです。橋本のあまりにも乏しいリーダーシップで
は田中角栄のようにいかなくて当然でしょう。すべては竹下の手
のうちにあったのです。
 しかし、橋本はこれに満足をしなかったのです。土壇場になっ
て橋本は誰も予想しないことをやったのです。12月16日夜、
与党3党の幹事長、政策担当責任者が集まって、98年度の税制
改正の協議を行っていたのです。焦点は社民党の要求する2兆円
規模の特別減税をどうするかです。
 加藤幹事長と山崎政調会長は、あくまで財政構造改革法の縛り
で、赤字国債の増発はできないと押し返し、何とか先送りで合意
できる寸前まできていたのです。
 ちょうどこの夜、橋本はクアラルンプールで開かれていた東南
アジア諸国連合(ASEAN)との首脳会談から帰国し、政府専
用機で羽田に着いたのです。橋本は坂秘書官を伴って官邸に入り
早速電話をしたのです。   ――[日本経済回復の謎/20]


≪画像および関連情報≫
 ・交付国債について
  ―――――――――――――――――――――――――――
  もともとは第2次大戦の戦没者の遺族や強制引き揚げを余儀
  なくされた引き揚げ者を支援するため、現金の代わりに支給
  した国債。通常の国債は国が収入を得るのが発行の目的なの
  に対し、交付国債は生活者援助という特定の理由があった。
  数万円から数十万円の券面が普通で必要に応じて現金化でき
  るが、性格上、譲渡が禁じられている。金融システム安定化
  のために準備した7兆円は異例の用途と言える。国の予算で
  預金保険機構の勘定に必要と見積もられる金額を計上してい
  る。破綻金融機関処理のため、預保機構に準備された交付国
  債は7兆円。預保機構は資金が必要になった場合、交付国債
  の現金化(償還)を政府に要請、政府は国債整理基金特別会
  計から償還資金を拠出する。国債整理基金で足りない場合、
  一般会計で補填することになっている。
     http://www.central-tanshi.com/dr-call/yougo.html
  ―――――――――――――――――――――――――――

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2007年06月29日

●減税の発案者は三塚蔵相!?(EJ第2112号)

 橋本が坂秘書官に電話させたのは、加藤幹事長と三塚蔵相の2
人です。そのときの橋本と加藤との電話のやり取りを再現してみ
ると次のようになります。
―――――――――――――――――――――――――――――
 橋本:実は2兆円の特別減税を実施することに決めた。必要な
    手続きをとって欲しい。
 加藤:減税は財政構造改革の路線転換です。政治責任になりま
    す。減税はできないといっていま、社民党を説得してい
    たところなんです。
 橋本:いや、もう決めたから。路線転換だの政治責任だの、政
    局に利用するならすればいい。この危機を乗り切ること
    が大切なんだ。
 加藤:といわれましても・・・
 橋本:もういい。このことは他言無用だ。
             ――清水真人著/日本経済新聞社刊
            『官邸主導/小泉純一郎の革命』より
―――――――――――――――――――――――――――――
 12月17日午前10時に、橋本は三党の幹事長、政策担当責
任者ら首脳陣、三塚蔵相を首相官邸に緊急招集し、2兆円減税の
決断を打ち明けたのです。
 なぜ、橋本首相は2兆円減税を決断したのでしょうか。
 表面上はクァラルンプールでのASEAN会議でアジアの経済
状況の深刻さを痛感し、日本初の世界恐慌の引き金を引いてはな
らないと考えての決断――そういうことになっています。
 しかし、実際はそうではなかったのです。実は減税の発案者は
三塚蔵相だったのではないかといわれているのです。橋本はこれ
に乗っただけです。クァラルンプールでの話うんぬんは、後から
付けた理屈ではないかといわれています。
 どうして減税の発案者が三塚蔵相であるかというと、橋本首相
がクァラルンプールに行く前から、減税にかかわる予算措置の検
討を誰にも知らせず、密かに検討する指示が出せたのは蔵相しか
いないからです。大蔵省は最初から知っていたのです。
 2兆円減税の内訳は次の通りです。このうち所得税については
1998年2月から実施するのです。
―――――――――――――――――――――――――――――
     所得税 ・・・・・ 1兆4000億円
     住民税 ・・・・・   6000億円
―――――――――――――――――――――――――――――
 これについて、大蔵省が2兆円減税決定の指示を受けてやった
ことは、97年度補正予算を編成し、国税の所得税減税分の財源
として、赤字国債を約1兆円増発したことです。
 問題は、財政構造改革法との整合性です。問題の核心は、20
03年度には赤字国債の発行額をゼロにしなければならないとい
う点です。
 こういうと、どこかで聞いた話であると思う人もいると思うの
です。小泉政権時代に2010年にプライマリーバランスを均衡
させる――赤字国債の発行額をゼロにするという政策と同じなの
です。何のことはない。橋本政権のときに2003年にプライマ
リーバランスを均衡させる計画があったのです。
 2003年度に赤字国債をゼロにするためには、98年度から
は毎年度、赤字国債の発行額を前年度よりも減額することを法律
で義務づけられているのです。
 ところが、98年度の当初予算案はその時点でほとんど決まっ
ており、ここで1兆円を97年度補正予算で増額すると、98年
度の赤字国債の発行予定額を増やすことが可能になったのです。
大蔵省はそこまで計算して、2兆円の特別減税を蔵相を通じ橋本
首相に進言させたのです。
 なぜ減税が1998年2月からの実施となったのかは、97年
度中に減税を補正予算で処理する必要があったからです。これに
ついては大蔵省の外局である国税庁の判断にかかっていたのです
が、時の竹島一彦国税庁長官はゴーサインを出したのです。これ
も事前に情報が伝わっていないとできることではないのです。
 しかし、1997年12月17日の朝、大蔵省幹部は次の言葉
を口にしたのです。
―――――――――――――――――――――――――――――
        首相の決断は寝耳に水だった
―――――――――――――――――――――――――――――
 橋本という人は自分が「仕事のできる政治家」を自負し、それ
をかたちで示そうとする政治家です。これについて『官邸主導』
の著者、清水真人氏は次のように書いています。
―――――――――――――――――――――――――――――
 橋本は突然の決断でいかにも大蔵省を押し切った形の「橋本主
 導」を演出しながら、実は大蔵省にしっかり乗っていた。財政
 改革法の枠組みを首の皮一枚残して何とか守れることを十二分
 に計算したうえでの周到な「決断」だった。だからこそ、路線
 転換や政治責任を懸念する声をも強気で突破できたのである。
                ――清水真人著の前掲書より
―――――――――――――――――――――――――――――
 もともと97年度は、94年度から始まっていた2兆円の特別
減税をいったん取りやめ、先行した減税の財源を補うため、4月
1日から消費税率を3%から5%にアップさせています。
 これらは村山政権時代に決めていたことをそのまま実施したに
過ぎないと橋本はいいます。そして、秋からは医療保険制度改革
で医療費の患者負担を引き上げています。減税の廃止で2兆円の
負担増、消費税アップの負担増が約5兆円、それに加えて医療費
の負担増が2兆円――総額で9兆円の負担増を実施したうえに、
公共事業費も押さえ込もうとしたのです。これが橋本不況の原因
といわれています。
 そういう状況で行われた2兆円の特別減税――整合性がとれて
いないことは確かです。   ――[日本経済回復の謎/21]


≪画像および関連情報≫
 ・プライマリーバランスについて
  ―――――――――――――――――――――――――――
  プライマリーバランスは、1993年度予算で初めて約2兆
  5000億円の赤字になったのを皮切りに、その後、景気対
  策のための財源不足を国債の大量発行によって補ったため,
  赤字幅が拡大し、03年度には過去最高の20兆4000億
  円を記録した。財政赤字の増大を危惧した当時の宮沢財務相
  は01年3月、国会答弁で「わが国の財政は破局に近い状況
  にある」との危機感を露わにした。このあと小泉首相は01
  年5月、所信表明演説で、02年度予算で国債発行を30兆
  円以下に抑えることと、「持続可能な財政バランスを実現す
  るため、例えば、過去の借金の元利払い以外の歳出は新たな
  借金に頼らない」と公約し、具体的には「プライマリーバラ
  ンスを2010年代初頭に黒字化する」との目標を掲げた。
  それから4年、厳しい財政状況に変わりはない。
                  ――「日本の論点」より
  ―――――――――――――――――――――――――――

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2007年07月02日

●橋本はなぜ減税を決意したのか(EJ第2113号)

 橋本政権の「経済失政」は、国民に対する9兆円の負担増が原
因で消費が冷え込み、金融機関の連鎖倒産がそれに追いうちをか
けたという見方が一般的です。ここで、9兆円の負担増について
復習しておくことにします。
―――――――――――――――――――――――――――――
     特別減税の廃止 ・・・・・ 2兆円
     消費税率引上げ ・・・・・ 5兆円
     医療費負担増加 ・・・・・ 2兆円
     ―――――――――――――――――
                   9兆円
―――――――――――――――――――――――――――――
 この見方に関し、当時の官邸と自民党執行部は、景気の後退は
9兆円の負担増のせいではないと明確に言い切っているのです。
―――――――――――――――――――――――――――――
 金融問題が招いた景気の後退なのであって、9兆円の負担増の
 せいではない。だから、減税しても効果はない。
             ――加藤紘一自民党幹事長(当時)
 消費税を上げ、消費が減退して景気が悪くなったかというとそ
 うじゃないことは統計上も明らかだ。危機の到来は三洋、拓銀
 山一の連鎖倒産で一気に金融が収縮し、企業の設備投資を冷え
 込ませたためだ。     ――江田憲司政務秘書官(当時)
             ――清水真人著/日本経済新聞社刊
            『官邸主導/小泉純一郎の革命』より
―――――――――――――――――――――――――――――
 政策当局が景気後退の原因を9兆円の負担増であると認めない
のは、もしそれを認めると、自らの判断でやったことであるので
決定的な政策ミスを認めることになってしまうからです。だから
こそ、その原因を「予測がつかなかった」と言い訳のできる金融
機関の連鎖倒産に求めたものと思われます。
 要するに政策当局は、もし連鎖倒産がなければ景気は巡航速度
に戻っていたはずと考えていたのです。それに江田氏は連鎖倒産
によって金融が収縮し、企業の設備投資を冷え込ませたと分析し
ていますが、本当の原因は、リチャード・クー氏のいうようにバ
ブルの崩壊によって大幅な資産価値の下落が起こり、上場企業が
バランスシート健全化を図るため、一斉に借金返済をはじめたこ
とにあるのです。
 金融機関の連鎖倒産によって打撃を受けたのは中小企業なので
す。なぜなら、金融機関の連鎖倒産によって銀行の不良債権問題
が重視され、銀行が基準を厳しくしたことによって倒産しなくて
もよい多くの中小企業が潰れたのです。
 上場企業はこういう状況を見て、一層バランスシートの健全化
が必要であると認識し、キャッシュフローの多くを借金返済にま
わしたのです。銀行が融資を絞ったのは中小企業であって、上場
企業には大きく門戸を開いていたのです。しかし、一方で銀行は
それらの企業のバランスシートの健全化も大切であるとして、あ
えて黙って返済資金を受け入れていたのです。
 なぜなら、それらの上場企業のバランスシートが問題化される
と、不良債権問題が加熱しているときであり、銀行にとっても企
業の不良債権のランクを引き下げたり、それによる積立金の積み
増しが必要になるなど大きな問題になってしまうからです。
 しかし、これでは銀行にお金が積み上がるばかりです。本来の
借り手である企業が借りないで借金を返してくるのですから、経
済が回るわけがないのです。橋本政権はこの事実に気がつかない
で、財政再建をやろうとしたのです。
 その結果が1999年の財政赤字38兆円なのです。橋本政権
は、消費税率の引き上げによって財政赤字を一挙に15兆円減ら
す計画だったのですが、逆に38兆円に増えてしまったのです。
バランスシート不況下で財政再建をやると景気が後退して税収が
落ち込み、結果として財政赤字が増えてしまうのです。
 ところで、橋本首相はなぜ唐突に2兆円の減税に踏み切ったの
でしょうか。もちろん橋本一流の単なるパフォーマンスだけでは
ないのです。やむにやまれぬ強烈な突き上げがあったことについ
て述べる必要があると思います。
 この問題に関連して、2007年6月28日に亡くなった宮沢
喜一元首相に関する話題をひとつご紹介します。宮沢のニューヨ
ークでの定宿は、最高級ホテル、ウォルドルフ・アストリアなの
です。1998年3月、宮沢はそこに宿泊していたのです。
 その宮沢を訪ねて、米財務長官のロバート・ルービンがやって
きたのです。そして、次のようなとんでもないことをいったとい
うのです。
―――――――――――――――――――――――――――――
 ハシモトにこう伝えてほしい。減税を含めて、リアル・マネー
 (真水)で8兆円から10兆円の財政出動を望んでいる、と。
 それに加えて消費税の税率を5%から3%に戻せないか。
              ――ロバート・ルービン財務長官
                ――清水真人著の前掲書より
―――――――――――――――――――――――――――――
 完全な内政干渉です。宮沢はきっぱりと断っています。「そん
な話を日本政府に伝えるわけにはいかない」と。背景としては、
1998年2月のG7会議において、アジア金融危機を打開する
ため、日本を名指しして財政出動を要請する、次のような共同声
明が出されていたのです。
―――――――――――――――――――――――――――――
 日本の経済活動は低迷し、見通しは弱い。IMFの見方では今
 や、98年の経済活動を下支えするため、財政刺激の強い理由
 がある。        ――1998年G7・共同声明より
―――――――――――――――――――――――――――――
 ルービンの要請をきっぱり断った宮沢でしたが、帰国すると橋
本と加藤にはルービンの要請のことを伝えています。ルービンは
そう読んでいたのです。   ――[日本経済回復の謎/22]


≪画像および関連情報≫
 ・主要先進国首脳会議(サミット・G8)
  ―――――――――――――――――――――――――――
  主要先進国首脳会議(サミット・G8)は、原則として年1
  回の開催で、国際経済、金融で重大な問題が生じた場合には
  必ず開催される。蔵相と中央銀行総裁で構成する非公式会議
  のこと。1975年に米、英、仏、独、伊、日の6ヶ国の国
  家首脳が集まり、経済強調についての自由な意見交換が始ま
  り。翌年にカナダの参加でG7となる。冷戦終結後、ソビエ
  ト社会主義共和国連邦(現ロシア)がサミット本会議の後に
  G7に参加し始め、P8(Political 8) または俗にG7プラ
  ス1といわれていたが、ロシアの完全参加でG8となる。G
  8は国際連合や世界銀行のような機関とは異なり、国際横断
  的な管理部門を持たず、メンバー国が毎年順番にグループの
  議長を担当する。議長国は一連の大臣級会議を主催し、続い
  て年の中頃に3日間の、首脳によるサミットを行う。また、
  出席者の安全確保も議長国の役割となっている。
  ―――――――――――――――――――――――――――

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2007年07月03日

●恒久的な税制改革と恒久的な減税(EJ第2114号)

 その後の橋本政権のことも書いておく必要があると思います。
米クリントン政権の要請を受け入れるわけではないが、G7の共
同声明は無視できなかったのです。
 というのは、この共同声明を受けて円相場も東京株式市場も急
落し、橋本政権としては何らかの総合経済対策を打ち出さざるを
得なかったのです。そのとき、三塚蔵相と小村大蔵事務次官は大
蔵省不祥事で引責辞任しており、蔵相には松永光、大蔵事務次官
には田波耕治、主計局長には桶井洋治が就任していたのです。
 国際的な状況を受けて、97年度の補正予算で実施した2兆円
の減税だけではとても収まる状況ではなかったのです。しかし、
減税の積み上げをするとなると、その財源は赤字国債の増発しか
ない――そうなると、財政構造改革法の改正は避けることはでき
なくなる。これは明らかに政策転換になります。
 加藤、山崎、野中らの執行部は、この政策転換によって橋本首
相の責任問題が浮上し、政局が大混乱になって、1998年7月
の参院選に影響が及ぶことを心配したのです。
 ことは急を要する――とにかくここは公共投資を積み上げるし
かないということになったのです。問題は総額をいくらにするか
です。市場に対するメッセージとしては、少なくとも過去最大の
額にする必要がある――執行部はそう判断したのです。
 これまでの最大は、村山内閣の事業規模14兆2200億円。
したがって、15兆円の大台に乗せれば史上最大になる――これ
を大蔵省に求めたのです。大蔵省は、2兆円の特別減税を99年
度に限って継続するなら、それを含めて15兆円ではどうかと提
案してきたのです。
 執行部としては減税を入れないで15兆円、だから17兆円を
認めるよう大蔵省に迫ったのですが、大蔵省は減税込みで15兆
円をなかなか譲らなかったのです。結局加藤幹事長の裁定で16
兆円ということで双方が折り合ったのです。
 しかし、官邸からはこの執行部の案に対して、冷ややかな反応
が帰ってきたのです。「減税が2兆円程度ではもはや不十分であ
る」というのです。官邸は例によってあくまで「橋本主導」にこ
だわっており、「自民党とは違うこと」を電撃的に発表すること
によって政権浮揚を図ろうとしていたのです。この時点で、橋本
官邸と加藤執行部のミゾは決定的なものになっていたのです。
 官邸では橋本は江田だけを使って、独自に案を練り上げていた
のです。そして、江田はその案について官房長官の村岡兼造と官
房副長官の額賀福志郎と密かに協議を重ねています。もちろん、
加藤執行部には一切何も知らせずにです。
 なぜ村岡と額賀が協議に加わったのかというと、額賀は、19
98年1月はじめに訪米し、ホワイトハウスの意向を聞いていた
からです。彼らは極秘のうちに次のような大型減税シナリオづく
りを画策していたのです。
―――――――――――――――――――――――――――――
 98年度の2兆円の特別減税を99年度も継続し、4兆円の
 減税を行い、減税の恒久化をはかる。
―――――――――――――――――――――――――――――
 なぜ減税なのかというと、クリントン政権としては公共投資の
上積みよりも減税による景気刺激策を重視していたからです。そ
こで橋本は、額賀を通してクリントン大統領の側近のスパーリン
グに対して、次のことを伝えていたのです。あくまで極秘を条件
としてです。
―――――――――――――――――――――――――――――
 98年度当初予算の成立後に、2兆円の所得・住民税減税の補
 正予算での追加、あるいは恒久化が考えられないか検討する。
―――――――――――――――――――――――――――――
 ホワイトハウスは、日本の複雑な政治事情はわかっていたので
秘密を守ることは同意したが、これは事実上の対米公約であると
受け取ったのです。この密約があったので、橋本としては執行部
の案には乗れなかったのです。
 最大の問題は「減税の恒久化」という言葉です。橋本としては
税制全般を見直し、結果として個人も法人も前よりも税金が安く
なる「恒久的な税制改革」を意味して使った言葉なのですが、そ
れが「恒久減税」と受け取られてしまい、参院選直前までこの問
題で紛糾することになります。
 大型減税の発表は、1998年4月9日だったのです。その当
日の朝、橋本は竹下と宮澤に電話を入れ、大型減税について伝え
ていますが、額については話していないのです。そして会見直前
に橋本は、加藤、山崎、野中などの執行部を緊急招集し、財革法
の改正と大型減税に踏み切ることを打ち明けたのです。
 加藤幹事長は、財政構造改革会議の結論を待つべきであると主
張したのですが、橋本は「自分でやる」といって譲らなかったの
です。あくまで「橋本主導」にこだわったからです。
 しかし、橋本の発表に市場は好感せず、日経平均株価は反発し
なかったのです。あとに残ったのは「恒久的な税制改革」か「恒
久的な減税」の論争だけです。
 この問題は何度も記者会見で取り上げられ、橋本の微妙な言い
回しを記者が読み切れず、次のような相反する見出しが新聞紙上
に踊ったのです。
―――――――――――――――――――――――――――――
         首相が恒久減税を表明
         首相が恒久減税を撤回
―――――――――――――――――――――――――――――
 党執行部と一体感のない橋本政権は1999年7月の参院選ま
でそのまま迷走を続けたのです。そして、自民党は参院選で大敗
し、橋本は退陣に追い込まれます。
 首相官邸と与党の両者が並び立つ「双頭の鷲」型日本の政策決
定メカニズム――橋本はこれに必死に立ち向かったが、結局は何
もできないまま一敗地にまみれたのです。現在も自民党は似たよ
うなことをやっています。  ――[日本経済回復の謎/23]


≪画像および関連情報≫
 ・1999年7月5日の橋本首相の発言
  ―――――――――――――――――――――――――――
  私は「恒久的な税制改革」と申し上げたのであり、「恒久的
  な制度減税」とは申し上げていません。見直した結果、増税
  になるとは思わない。税収中立かもしれない。
                       ――橋本首相
  ―――――――――――――――――――――――――――

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2007年07月04日

●国債発行枠30兆円がなぜ間違いなのか(EJ第2115号)

 リチャード・クー氏というと、後先のことを考えずに財政出動
をやって、景気を回復させることを主張しているエコノミストと
思われています。しかし、クー氏の著作を読んでみると、けっし
てそんなことをいっていないことがよくわかります。
 彼は財政再建の重要なことは認めているのです。国家財政が破
たんしてしまったら大変だからです。しかし、それをやるタイミ
ングを間違えるなといっているのです。経済が危機状態にあり、
他にとくに有効な手段がないと思われるときに、経済を回すため
に財政出動を行うべきであるといっているのです。
 日本の場合、やってはならないタイミングばかりを狙って財政
再建をやっているといえます。そのためにせっかく良くなりつつ
あった景気の足を引っ張り、その結果、以前よりもかえって借金
を膨らませてしまう――そんなことがあまりにも多いのです。
 それは政策担当者自身が不勉強で、経済の仕組みというものが
わかっていない面があるといえます。経済も他の科学技術と同様
に、新しい発見があるはずです。バランシート不況もそのひとつ
ですが、経済学者やエコノミストたちはほとんど認めない――皆
が自分だけが正しいと思っているのです。
 しかし、バランスシート不況は実に明解です。なぜなら、経済
の素人にも十分な納得性が得られるからです。素人にもわかる理
論―−それこそ本当に正しいといえるのです。
 バランスシート不況は、家計の貯金と企業の純借金返済額の合
計が銀行部門に入ったきり出てこない――これによって、有効需
要が減少することによって、はじまるのです。当時は家計の貯金
と企業の純借金返済額の合計額は、35兆円〜40兆円ぐらいは
あったと思われます。
 2001年4月から発足した小泉政権において小泉首相は、国
債の発行枠を30兆円にすると国民に公約しています。これは、
「国債を少しでも発行しないようにすれば、それは前進である」
と考えたとすれば、あまりにも経済というものを知らないといわ
れても仕方がないと思います。
 家計の貯金と企業の純借金返済額の合計額が35兆円〜40兆
円ある時点で、国債発行枠を30兆円以下に抑えるということは
その差額の5兆円〜10兆円が埋まらず、デフレギャップとして
残ることを意味しています。これが景気の足を大きく引っ張っぱ
る原因になります。
 確かに小泉首相就任後の2年間――2001年〜2002年に
経済は大幅に悪化し、株価も大きく下落しています。これは明ら
かに小泉首相が最もタイミングの悪い時期に財政再建をはじめた
ことによる景気後退であるといえます。そして、結局のところ小
泉首相は一回も国債発行枠30兆円を守れなかったのです。
 そこで小泉首相は事実上この国債発行枠30兆円を放棄してし
まうのです。つまり、税収では足りない分は赤字国債で穴埋めす
るという元のスタイルに戻ったのです。
 そうすると財政は自然体に戻って、財政でいう「オートマチッ
ク・スタビライザー機能」を発揮しはじめたのです。その結果、
景気にプラスの影響を与える状況になったといえます。この機能
について、クー氏は次のように説明しています。
―――――――――――――――――――――――――――――
 財政の「オートマチック・スタビライザー機能」というのは、
 景気が良いときは税収の伸びがGDPのそれを上回ることで景
 気の加熱にブレーキをかけ、またその逆の景気の弱いときは、
 失業保険など政府の支出は増える一方で税収が落ち、景気を下
 支えする機能のことである。    ――リチャード・クー著
     『「陰」と「陽」の経済学』 ――東洋経済新報社刊
―――――――――――――――――――――――――――――
 小泉政権と安倍政権――それぞれが打ち出している経済に関す
るスローガンは次のようになっています。
―――――――――――――――――――――――――――――
   構造改革なくして経済成長なし ・・ 小泉政権
   経済成長なくして財政再建なし ・・ 安倍政権
―――――――――――――――――――――――――――――
 ちょっと見ると似ていますが、その意味しているところはぜん
ぜん違うのです。例えば、国債発行枠30兆円というキャップは
「構造改革」の中に含まれていますが、これは結果として不況を
長続きさせただけで、大失敗に終っています。小泉政権を支えた
経済閣僚は、構造改革をやったからこそ景気が回復したといって
いますが、そんなことはあり得ない。上場企業の借金返済が終わ
ったからこそ景気が回復基調に乗ったのです。
 これに対して安倍政権のそれは「経済成長なくして財政再建な
し」となっており、十分納得性があります。しかし、安倍政権か
らの経済メッセージはきわめて弱く、本当にスローガン通りにや
るのかどうかは不透明です。
 タイミングを間違えて実施したものはまだあります。2001
年3月に導入された時価会計制度の導入です。これは小泉政権発
足の直前であり、小泉政権に責任はありませんが、この制度は企
業収益と税収を直撃し、不況を一層深刻にすることに大いに貢献
したのです。
 2001年といえば、資産価格が暴落していたときです。企業
の保有する資産には巨額の評価損が発生していたのです。それま
では、評価損が出ても含み損という形で処理し、表面に出さなく
てもよかったのです。
 しかし、この制度の導入によって、正式に評価損の計上をしな
ければならなくなったのです。そこで、企業としてはどうせ計上
するなら、売却して実現損にした方が税法上のメリットがあると
いうことで、一斉に売却をはじめたのです。ここに発生した巨額
の実現損が企業収益を直撃し、その結果税収はGDPの動向が示
唆する水準をはるかに超えて激減してしまったのです。官邸には
もっと経済の分かる人はいないのでしょうか。
              ――[日本経済回復の謎/24]


≪画像および関連情報≫
 ・時価会計とは何か
  ―――――――――――――――――――――――――――
  時価会計とは、有形固定資産や有価証券に適応される。土地
  の価格や株価が大きく下った場合には、それをなるべく速や
  かに資産減として簿記に反映させることを言う。逆に上がれ
  ば資産増として反映させる。法律はどれほどの変動までを、
  無視してよいか、どのくらいの頻度で簿記に反映すべきかを
  規定しているだけである。当然、時代の経過につれ、なるべ
  く迅速に現実を反映する方向が要求されるようにあってきて
  いるので、法律の如何にかかわらず、現在でも決算時にはこ
  れらの時価を調べ、それを記載するように努力すべきであろ
  う。こうした透明性が株主や投資家に対する責務であろう。
    http://www.moge.org/okabe/temp/balance/node74.html
  ―――――――――――――――――――――――――――

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2007年07月05日

●バランスシート不況と金融政策(EJ第2116号)

 経済学の教科書には、政府は財政政策と金融政策の2つを使っ
て、景気をコントロールすると出ています。このうち財政政策は
政府が行うが、金融政策を担うのは日本銀行なのです。
 1970年代以降の景気変動は、どこの国でも金融政策が前面
に出て対応してきています。したがって、景気が減退し、それが
長期化すると、政府はしきりに日本銀行はもっと機能を発揮すべ
きであるとプレッシャーをかけるのがつねとなっています。
 小泉政権下での竹中大臣などはとくに激しく日銀の役割を要求
していた一人です。それだけではなく、内外の経済学者たちから
も、「日銀がもっとしっかり金融政策をやれば不況は回避できた
はずである」という意見がひっきりなしに出ているのです。
 このあたりのことを理解するために、2005年2月28日に
行われた日銀福井総裁の講演において、福井総裁と当時政府・経
済財政諮問会議の民間委員をしていた本間正明大阪大学教授との
質疑応答を取り上げます。本間教授の質問は次の通りです。
―――――――――――――――――――――――――――――
 財政再建の流れの中で、金融政策の役割はますます高まってい
 る。今の低金利政策を解消しながら正常化をし、賃金配分機能
 の強化をする流れの中で、われわれが抱える財政のマイナスを
 吸収する民の需要の喚起という観点で、金融政策の役割をどう
 考えているか。         ――本間正明大阪大学教授
―――――――――――――――――――――――――――――
 本間教授は要するに、これから政府は財政再建を進めていくわ
けであるが、その影響で景気が悪くなるときは日銀はしっかりと
金融政策をとっていただけますねという確認をしているのです。
この場合、本間教授が日銀に求めているのは金融緩和――マネー
サプライを増やせという要求なのです。
 福井が日銀総裁になったのは、2003年3月20日のことで
あり、その時点で既に前任の速水総裁が相当の金融緩和を実施し
てきていたのです。本間教授の質問はそのさらなる継続を求めた
ものと思われます。
 これに対して福井総裁は次のように答えているのです。
―――――――――――――――――――――――――――――
 政府と中央銀行の関係は、何か片方が引き締めたから、そろば
 んを置いて差し引き計算で差額は日本銀行が緩和するという単
 純な話ではない。(一部略)民間部門の資金需要はまだ弱い。
 この先、今は経済は踊り場だが、再び経済が立ち上がり、民間
 の資金需要がより強く出るという段階と政府措置とが整合性が
 とれていくようであれば、それはあまり大きな問題じゃなくて
 済む可能性がある。そこのところをよく見極めて欲しいという
 ことだ。                ――福井日銀総裁
―――――――――――――――――――――――――――――
 福井総裁は慎重に言葉を選んでいますが、本間提案を厳しく批
判していると思います。政府側が財政再建をやると景気が後退す
るので、そのときは日銀はきちんと対応措置を取れというが、政
府と日銀の関係はそういうものではない。お互いが目指す安定化
に向けて、政府と日銀が、どれだけ呼吸が合っているかの問題で
ある――このようにばっさりと本間提案を切り捨てています。
 問題は後半の発言が何を意味しているかです。まず、福井総裁
は「民間部門の資金需要はまだ弱い」ことを前提として述べ、そ
れと政府措置――財政再建が整合性がとれていないのではないか
と指摘しているのです。つまり、財政再建は時期尚早であること
を暗にほのめかしているフシがあります。
 これについて、リチャード・クー氏はとても分かり易い解説を
しています。
―――――――――――――――――――――――――――――
 例えば、2006年度の民間の資金需要、つまり企業がおカネ
 を借りたいという金額が、2005年度に比べて5兆円増える
 のであれば、政府はその5兆円分だけ増税または歳出カットを
 やってもいい。しかし、2006年度の民間の資金需要が前年
 比5兆円しか増えないのに、政府が2006年度に10兆円の
 財政再建、例えば増税、歳出カットをやったとしたら、これは
 大きな問題になりますよという意味である。
                  ――リチャード・クー著
     『「陰」と「陽」の経済学』 ――東洋経済新報社刊
―――――――――――――――――――――――――――――
 何回も取り上げているモデルでいうと、今までは企業に資金需
要がないので回っていない貯蓄部分の100円を、政府(民間)
が借りて使っているかから経済が回っているのです。
 ところが企業(民間)が、100円のうち50円を借りて使う
ようになったので、政府は借り手としての役割を50円分だけ撤
退してもいいのです。その場合は50円分の増税なり、歳出カッ
トをやることはできるのです。
 しかし、企業(民間)が50円しか借りないのに、例えば80
円の財政再建をやってはいけない――そんなことをすれば30円
分のデフレギャップが生じ、それは確実に景気の足を引っ張るこ
とになる――福井総裁はこういっているのです。
 ここでクー氏は大事なことをいっています。それはバランスシ
ート不況下では金融政策は効かないということです。それはわれ
われが今まで体験してきたことでもあります。
 80年代後半の資産価格のバブルは、公定歩合が2.5%のと
きに発生しています。このときは、株価や地価は急上昇して、景
気も物凄く良くなったのです。しかし、それからわずか数年後の
1993年2月に公定歩合は同じ2.5%なのに何も起こってい
ないのです。そこからさらに金利を下げて行ってゼロになったが
それでも何も起こらないのです。
 これは日本がバランスシート不況下にあったからで、そういう
ときに金融政策は何も効かないことがわかるはずです。それを金
融政策を重視する経済学者やエコノミストは果たして知っている
のでしょうか。       ――[日本経済回復の謎/25]


≪画像および関連情報≫
 ・金融政策について
  ―――――――――――――――――――――――――――
  金融政策は、中央銀行が行う金融面からの経済政策のこと。
  財政政策とならぶ経済政策の柱である。物価や通貨価値の安
  定、さらに景気対策の一環として、金融引き締め、金融緩和
  を行う。手段は基準割引率および基準貸付利率(公定歩合)
  や預金準備率(準備預金制度)を変更したり、公開市場操作
  を行ったりする。また、操作の目標として金利かマネーサプ
  ライ、その結果としての為替レートなどが上げられる。
                    ――ウィキペディア
  ―――――――――――――――――――――――――――

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2007年07月06日

●バランスシート不況下では税収はどうなるか(EJ第2117号)

 EJ第2115号で、時価会計制度の導入についてお話ししま
した。日本はこの制度を資産価値が大暴落中の2001年3月に
導入しています。
 これによって企業は巨額の資産の評価損を計上しなければなら
なくなったのですが、どうせ計上するなら売却して実現損を出し
た方が税法上のメリットがあると大半の企業は判断し、一斉に売
却をはじめたのです。
 この実現損は巨額に達したので、当然のことながら企業はそれ
を繰り延べたのです。企業がこういう行動を取ることは政府とし
ては十分予測できたはずなのに、なぜか時価会計制度の導入を決
めてしまったのです。森政権から小泉政権へ政権交代のはざまで
あり、あまり注目されていなかったのです。
 しかし、税収という観点に立つと、これは、税収が長期間にわ
たって落ち込む原因になったのです。多くの企業は景気や企業収
益が回復してキャッシュフローが活性化しても、それを借金返済
に回してしまい、なおかつ税金を払わずに済んだからです。ちょ
うど昨今の銀行が大幅な利益を上げているにもかかわらず、ほと
んど税金を払っていないのと同じです。
 さらに小泉政権は国債発行枠30兆円を公約として打ち出し、
不況をいたずらに長引かせてしまったのです。しかし、経済政策
は数学のようにそれが正しかったのか間違っていたのかという白
黒がつけられないので、客観的に見て明らかに違っている政策で
もあえて「正しい」といい続けると、そのまま通ってしまうこと
が多いのです。つまり、間違えても反省をしないから、いつまで
も誤りに気がつかないのです。
 2003年に財務省が財政制度等審議会に提出した財政の見通
しによると、2005年度の財政赤字は43〜44兆円になって
います。それでは実際はどうだったのでしょうか。
 実際は31.3兆円なのです。実に12兆円も違っているので
す。2003年度に2005年度を見通すのですから、12兆円
も狂うのは明らかに異常です。財務省はなぜこんなミスをやった
のでしょうか。
 この計算の狂いは実は重大なのです。2003年において、2
年後の2005年度の財政赤字が43兆円になると予測して政策
を打ち出すのと、31兆円になると予測して政策を組むのとでは
大きく結果が違ってくるからです。
 もし、43〜44兆円になることを危惧して財政再建――例え
ば国債発行を意識的に抑制したり、増税に走っていたらどうなっ
たでしょうか。
 それは1997年の橋本政権の財政再建のときを上回るデフレ
スパイラルに陥っていたはずです。しかし、幸いにも小泉首相は
2003年の時点で国債発行枠30兆円という公約を事実上放棄
していたので、財政のオートマチック・スタビライザー機能が働
いて、景気回復と税収増をもたらしたのです。考えてやったので
はなく、結果としてそうなったのです。
 財務省が予測を間違えた理由についてごく簡単にいうと、財務
省は、2003年当時の税収をベースにして以前から使われてい
る「税収弾性値――1.1」をGDP予測に当てはめて税収の推
計を求めているのです。この「税収弾性値――1.1」というの
は次のことを意味しています。
―――――――――――――――――――――――――――――
   名目GDPが1%伸びれば、税収は1.1%伸びる
―――――――――――――――――――――――――――――
 予測が違った理由は、財務省がバランスシート不況の存在を知
らなかったからですが、企業が損失を繰り延べられるのは最長で
7年であることも見落としていたのではないかと思われます。
 つまり、繰り延べ期間が過ぎた頃――ちょうどそれは企業の借
金返済がそろそろ終る時期とも一致するのですが、その時点から
の税収の伸びは、GDP成長率をはるかに超えるペースで拡大す
るのです。
 添付ファイルを見ていただきたいのです。これはリチャード・
クー氏作成によるイメージ図です。もし、経済活動の動向が一番
上のような動きであったとすると、税収はその下の点線のように
推移します。エコノミストが通常予測するのは、この点線の推移
なのです。
 しかし、バランスシート不況の場合は、経済活動の落ち込みと
資産価値の下落が重なるので、税収は上から3番目の実線のよう
な推移になり、大幅に落ち込んでしまうのです。バランスシート
不況を知らないエコノミストにとっては予想もつかない落ち込み
ということになります。
 クー氏は期間を(A)(B)(C)に分けていますが、(A)
の左の先端は、企業が時価会計制度に対応して資産を売却して、
実現損を出した時期になります。小泉政権の発足時です。
 (B)は、企業がその損失を繰り延べした期間です。これは最
長で7年になります。この間企業は税金を支払わないので、税収
は落ち込んだままです。
 (C)は企業の借金返済が終わり、損失の繰り延べ期間が過ぎ
た期間です。ここではGDPの成長率よりも、税収は高く伸びる
のです。2005年時点の数値を当てはめてみると、税収につい
ては7.6%で伸びているのにGDPは1.8%の伸びにとどま
っている――これは税収のGDP弾性値が4.2という極めて高
い数値になっていることを意味しているのです。
 現在の日本のGDPはバブルのピークであった1990年に比
べ13%増、企業収益は金融と保険を除くと、1990年に比べ
て48%増なのです。しかるに税収は1990年の60兆円に対
して49兆円――クー氏の理論が正しいとすると、今後政府・日
銀の政策に間違いがなければ、税収は60兆円に向けて大きく伸
びていくと予想できます。政府はすぐ改革、改革といいますが、
今は税収を何とか1990年の水準に戻す努力をすべきときであ
ると思います。       ――[日本経済回復の謎/26]


≪画像および関連情報≫
 ・税収弾性値に関する議論より
  ―――――――――――――――――――――――――――
  とにかく奇妙な発言が続いている。まず「財政再建なくして
  は日本の将来はない」「国や地方の借金孫子の代に残すな」
  などがあった。周知の通りこれらの意見を念頭に置いた「財
  政改革路線」の政策により、景気の落ち込みに拍車がかかり
  結果的には景気対策費用がかさみ、かえって財政の悪化を招
  いているのである。日本の累進的な税構造から税収のGDP
  に対する弾性値は「1」を大きく越えると考えられる。つま
  りGDPが1%伸びることによって税収は1%以上伸びるの
  である。このことは反対にGDPが1%減少すると税収は1
  %以上減少することを意味する。つまり間違った緊縮財政の
  結果、GDPが減少するケースにおいて、弾性値が極めて大
  きい場合には、かえって財政を悪化させることが有り得るの
  である。            ――経済コラムマガジン
           http://www.adpweb.com/eco/eco96.html
  ―――――――――――――――――――――――――――

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2007年07月09日

●研究すべきバランスシート不況論(EJ第2118号)

 経済を見る見方にはいろいろな学説や議論があり、決め手とい
うものがないのです。したがって、いろいろな学者や評論家が書
籍や雑誌で述べたり、テレビなどで話しているのを聞いても、今
ひとつピンとこない主張が多いものです。
 しかし、リチャード・クー氏の主張するバランスシート不況論
で昨今の経済の分析をしてみると、今まではっきりしなかったも
のが明確に見えてくるのは事実です。経済の素人にも十分納得性
のある主張だからです。
 それでは、このバランスシート不況論の評価はどうなのかとい
うと、内外の経済学者、経済評論家の間ではあまり高い評価を与
える人は少なく、この考え方を引用して話す学者や評論家もほと
んどいないのが現状です。
 しかし、上場企業の経営者による借金返済の行動は、これまで
見てきたように明確に数値で裏付けられており、否定できない事
実です。そして、そういう経営者の行動が景気に少なからず影響
を与えたであろうことも否定できないのです。バランスシート不
況論についての反論は改めて取り上げますが、この理論を認めた
うえで取る経済政策と知らないで取る政策とは大きく違ってくる
と思うのです。
 2007年7月5日――安倍首相は162日間の国会の終了に
当たって次のように述べています。
―――――――――――――――――――――――――――――
 今国会では、憲法改正のために必要な国民投票法も成立しまし
 たし、4兆5千億円という過去最大の国債発行の減額を行った
 19年度予算、そして、教員免許更新制を含む教育再生3法を
 成立させることができました。        ――安倍首相
―――――――――――――――――――――――――――――
 安倍首相は、赤字国債について、過去最大の「4兆5千億円の
減額」の実現に胸を張っています。それは景気回復によって税収
が増えたからです。そしてそれは、小泉政権以来の改革の成果で
あり、引き続き改革を続行し、2011年にプライマリーバラン
スを達成させる財政再建を進めるとしています。さらに選挙の終
った秋には抜本的な税制改正を行い、おそらく消費税率の引き上
げに向けて動き出すものと思われます。
 2005年末に、当時の谷垣財務相や与謝野経財相がしきりと
消費税の引き上げに言及したことがあります。当時、名目成長率
は1.8%なのに税収は7.6%で伸びていたのです。こういう
状況になると、財務省は決まって財政再建を持ち出し、今まで何
回も景気回復の芽を摘んできているのです。
 谷垣財務相や与謝野経財相がなぜ消費税引き上げに言及したか
というと、景気が回復すると確かに税収も増えるが、同時に長期
金利も上昇するので、トータルでみると財政赤字は減らないと考
えているからです。
 谷垣財務相や与謝野経財相といえば経済の専門家であり、その
主張はそれなりの根拠があると考えてよいと思います。確かに、
通常の不況からの脱出時にはそういうことに配慮して手を打つこ
とは経済の常識になっています。
 しかし、現在までのところは事態はそのようには動いてはいな
いのです。税収が名目GDPの伸びを大幅に超えて回復する一方
で、長期金利はGDP成長率を下回っているからです。どうして
このようなことが起こるのでしょうか。
 これに対して、リチャード・クー氏は、今回の景気回復は通常
の不況からの脱出ではなく、バランスシート不況からの脱出であ
り、事情が違うとして、次のように説明しています。
―――――――――――――――――――――――――――――
 10年以上もバランスシート問題で借金返済に追われた経営者
 の多くは、既に骨の髄まで借金が嫌になっており、自社のバラ
 ンスシートが健全になってもなかなかお金を借りなくなってい
 る可能性が高いからである。    ――リチャード・クー著
     『「陰」と「陽」の経済学』 ――東洋経済新報社刊
―――――――――――――――――――――――――――――
 2001年3月の時価評価制度の導入によって生じた実現損の
繰り延べ期間(最長7年)中にある企業はまだ多く、税金は支払
わなくても済んでいます。それにバランスシート修復を終えた企
業はそれまで返済に回していた資金をそのまま設備投資に回すこ
とができる――これによって有効需要は増えて経済の成長率は上
昇し、名目成長率は長期金利を上回る状態になっているのです。
 企業が積極的に借入れをしないので、その結果、金利が上がり
にくくなっており、バランスシート不況の脱出時には通常の不況
のそれとは明らかに違う減少が起こるのです。
 鍵を握っているのは、実現層の損失繰り延べ期間が終了した企
業が、新たに支払わなければならなくなった税金に見合う金額を
借り入れてくれれば、政府の税収増と同じ金額だけの民間資金需
要が増えるので、景気の悪化は避けられることになります。
 しかし、これはそれぞれの企業が取る行動であって、コントロ
ールすることはできないのです。もし、企業が税金として支払う
分に合わせて設備投資などの支出を抑制すると、そのキャッシュ
フローの減少分がデフレギャップとなって、景気の足を引っ張っ
てしまうのです。
 したがって政府は、そのあたりのことを見極めて減税をするな
り、歳出を増やすなりして、経済全体が再び失速しないよう手を
打つ必要があるのです。
 したがって、税収が増えればその分国債を減額し、極力歳出を
カットして、増税をする――政府がこんなことをやっていると、
せっかく回復した景気は確実に失速してしまうでしょう。
 企業がバランスシートの健全化を達成しつつあるといっても、
民間資金需要は弱く、安心できるレベルまでには回復していない
のです。現在、不況期に取り崩した金融資産の積み増しをしてい
る企業も多く、企業は需要者ではなく、資金の供給者になってい
るのです。         ――[日本経済回復の謎/27]


≪画像および関連情報≫
 ・名目GDPと実質GDPについて
  ―――――――――――――――――――――――――――
  国内総生産には名目国内総生産――名目GDPと実質国内総
  生産――実質GDPがある。名目GDPはその年の経済活動
  水準を市場価格で評価したものである。実質GDPは、名目
  GDPから物価変動の影響を除いたものである。つまり、G
  DPが名目で増加しても同時に物価が上昇していれば、経済
  活動が高まったとは必ずしもいえない。
  ―――――――――――――――――――――――――――

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2007年07月10日

●「バーナンキの背理法」とは何か(EJ第2119号)

 EJ第2102号で、『文藝春秋』の1999年11月号に掲
載されたポール・クルーグマン教授とリチャード・クー氏の対談
をご紹介しましたが、そこでクルーグマン教授は、日本経済の需
要不足について次のようにいっています。
―――――――――――――――――――――――――――――
 私は日本経済の需要不足の原因がどこにあるのかを理解するこ
 とが、それほど重要なことだとは思わない。経済の構造的な状
 態によって効果は異なるとはいえ、経済の原則から考えれば紙
 幣を刷れば需要を増やすことができる。通貨供給量(マネーサ
 プライ)を増やせば何らかの効果はあるのです。
          ――『文藝春秋』1999年11月号より
―――――――――――――――――――――――――――――
 要するに、クルーグマン教授は「通貨供給量を増やせば何らか
の効果がある」といっているのですが、それが実現するには次の
2つことが成り立つこと必要なのです。
―――――――――――――――――――――――――――――
     1.中央銀行が通貨供給量を増やせる
     2.民間に旺盛な資金需要があること
―――――――――――――――――――――――――――――
 クルーグマン教授は2の「民間に旺盛な資金需要があること」
を大前提として中央銀行は通貨供給量を増やせるといっており、
日本の不況は貸し手側の問題が原因で起こったと考えています。
 しかし、これは明らかに誤りです。日本の不況は借り手側の行
動変化が原因で発生し、民間資金需要がなくなったのです。この
間の事情はクー氏の唱えるバランスシート不況論で十分説明がつ
くと思います。
 ここで「中央銀行が通貨供給量を増やせる」ということについ
て説明する必要があります。ここでいう「通貨供給量」はマネー
・サプライという意味であり、具体的には、次の2つの合計がマ
ネー・サプライになります。
―――――――――――――――――――――――――――――
   マネー・サプライ=現金通貨の量+預金通貨の量
―――――――――――――――――――――――――――――
 結論からいうと、日銀が直接コントロールできるのは、マネタ
リー・ベースと呼ばれるものだけであり、マネー・サプライはコ
ントロールできないのです。
 マネタリー・ベースとは、「ベース・マネー」とか「ハイ・パ
ワード・マネー」と呼ばれますが、これはマネー・サプライと同
意義ではないのです。マネタリー・ベースは日銀が発行する現金
の量です。このマネタリー・ベースの中には、各銀行が日銀に預
けている預金――日銀預け金も含まれます。
 例えば、日銀がX銀行を通じて2000万円の現金を発行する
とします。この場合、X銀行の日銀口座に2000万円を積み上
げますが、それをどう使うかはX銀行の自由です。1000万円
を使い、残りの1000万円は日銀預け金の口座に残しておくと
いう使い方をするかもしれません。
 したがって、日銀は預金の発行量そのものをコントロールする
ことはできず、預金の量に日銀預け金の量を足し合わせた量をコ
ントロールするだけなのです。
 しかし、日銀がいくらマネタリー・ベースを増やしても、民間
に資金需要がなければ――お金の借り手がいなければ、資金は日
銀と銀行の口座に積み上がるだけです。つまり、クルーグマン教
授は、日銀が実際に増やすことができる流動性――マネタリー・
ベースの供給と、民間が実際に使えるお金の量である通貨供給量
――マネー・サプライを同意義のように使っているのですが、こ
れが実現するには、民間に旺盛な資金需要のあるという条件が満
たされるときだけです。
 確かに1970年〜90年の間はマネタリー・ベースとマネー
・サプライは同じ動きをしていたのですが、過去15年間にわた
る日本では企業が一斉に借金返済に走り、民間資金需要が完全に
枯渇してしまったので、日銀がいくら量的緩和を行ってもマネー
・サプライには影響がなかったのです。
 それにしても、クルーグマン教授によって代表される金融政策
重視派の人たちは、この15年間に日銀がとってきた金融緩和政
策がまったく効果がなかったという事実を前にしても、そういう
金融政策の有効性を信じて疑わないのでしょうか。
 ところで、「バーナンキの背理法」というのをご存知でしょう
か。ここでバーナンキとは、第14代連邦準備制度理事会(FR
B)議長のベン・バーナンキ氏のことです。彼はゼロ金利下でデ
フレ克服に向けて有効な手だてを施せない日銀の金融政策を批判
して次のようなことをいったのです。
―――――――――――――――――――――――――――――
 「もし、日銀が国債をいくら購入したとしてもインフレにはな
 らない」と仮定する。そうすると、市中の国債や政府発行の新
 規発行国債をすべて日銀がすべて買い漁ったとしてもインフレ
 が起きないことになる。そうなれば、政府は物価・金利の上昇
 を全く気にすることなく無限に国債発行を続けることが可能と
 なり、財政支出をすべて国債発行でまかなうことができるよう
 になる。つまり、これは無税国家の誕生である。しかし、現実
 にはそのような無税国家の存在はありえない。ということは、
 背理法により最初の仮定が間違っていたことになり、日銀が国
 債を購入し続ければいつかは必ずインフレを招来できるはずで
 ある。                ――ウィキペディア
―――――――――――――――――――――――――――――
 これは、日本の下手な金融政策を皮肉ったものでしょうが、論
理的に少しおかしいのです。無税国家はあり得ないから、国債購
入はインフレをもたらすという論法には飛躍があります。ただ、
はっきりしていることは、日銀がいくら国債を買っても、企業の
バランスシート修復が終わるまでは何も起きない――そういう事
実だけです。       ―― [日本経済回復の謎/28]


≪画像および関連情報≫
 ・「バーナンキの背理法」についてのクー氏の意見
  ―――――――――――――――――――――――――――
  ここではあたかも「無税国家はあり得ないので、日銀による
  国債購入はインフレをもたらす」という解釈が期待されてい
  るが、実際にここでインフレをもたらすのは、企業がバラン
  スシートの修復を終え、彼らが再びお金を借りて使うという
  行動である。そして彼らがそのような行動に出たときに巨額
  の流動性が銀行システムにあふれていれば、それをもとに膨
  大な信用創造が始まり、それが深刻なインフレをもたらす可
  能性はある。          ――リチャード・クー著
     『「陰」と「陽」の経済学』 ――東洋経済新報社刊
  ―――――――――――――――――――――――――――

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2007年07月11日

●金融政策は万能ではない(EJ第2120号)

 過去20年ほどの間、経済学界では「金融政策は万能である」
という考え方――マネタリズムが幅をきかせてきたのです。彼ら
にとって、日本の不況で金融政策が効かないということは、とう
てい受け入れることができなかったのです。
 日本の経済学界においても金融政策重視派が主流となっており
そういう学者や経済評論家たちにとって、バランンスシート不況
下における金融政策は効かないと主張する財政派のリチャード・
クー氏の意見を素直に受け入れるはずもなかったのです。
 例えば、長年、政策提言のカリスマとして経済学徒から熱狂的
に支持されている岩田規久男氏は自著のなかで、次のように述べ
ています。
―――――――――――――――――――――――――――――
 日本では、小泉内閣誕生当時、「デフレの悪を説き、デフレを
 止めて、穏やかなインフレ経済に移行することこそが、最優先
 されなければならない経済政策であり、デフレ脱却のための基
 本的な政策は金融政策である」という経済学者・エコノミスト
 は少数派であった。しかし、海外では、ジェース・トービン、
 ロバート・ソロー、ミルトン・フリードマン、ジョセフ・ステ
 ィグリッツ、ロバート・ルーカスといったノーベル経済学賞受
 賞者はもとより、ベンジャミン・フリードマン、アラン・メル
 ツァー、アラン・ブラインダー、トーマス・サージャント、ベ
 ン・バーナンキ、ラース・スベンソン、ポール・クルーグマン
 ベネット・マッカラム、バリー・アイケングリーン、ケネス・
 ロゴフ、ジェフリー・サックスなど、そうそうたる経済学者が
 日本経済の低迷の最大の原因は日銀の金融政策の失敗にあり、
 日本経済がデフレから脱却して再生するためには、なんらかの
 金融拡張政策が必要であるという点では完全に一致しているの
 である。      ――岩田規久男著、『昭和恐慌の研究』
                     東洋経済新報社刊
―――――――――――――――――――――――――――――
 これを見てあなたはどう考えるでしょうか。「デフレ脱却のた
めの基本的な政策は金融政策である」ということを訴えるために
外国の経済学者を16名も列挙し、海外の論調に弱い日本人に圧
力をかけているとしか思えないのです。
 クー氏によると、岩田氏がここで上げた16人の経済学者の中
で、企業がもしかしたら債務の最小化に走っているのではないか
というとらえかたをした人は一人としていないといっています。
すべての論者は企業は従来通り利益の最大化に走っているという
前提で日銀失政を説いているのです。
 海外のこうした論調に加えて、不況がなかなか回復しないこと
にしびれを切らした政治家やマスコミがしきりに量的緩和を訴え
たことによって、当初やっても意味がないとしていたに日銀の速
水前総裁は、押し切られるかたちで量的緩和の実施を決断したの
です。そして、日銀は最終的に30兆円という法定準備金の6倍
もの流動性を供給したのですが、マネー・サプライは一向に増え
なかったのです。これに関してクー氏は、次のようにいっている
のです。
―――――――――――――――――――――――――――――
 実際、今の学界は金融政策万能論というのが蔓延していて、と
 にかく金融政策さえ正しくやれば景気の問題は必ず解決すると
 いうことを信じている学者が大勢いる。だから、そういう人た
 ちから見ると、日銀当座預金の残高を最大35兆円まで増やし
 ても効果がないのであれば、50兆円、100兆円やったらど
 うかということを言ってくるのである。
                  ――リチャード・クー著
     『「陰」と「陽」の経済学』 ――東洋経済新報社刊
―――――――――――――――――――――――――――――
 これらのマネタリズムを信奉する人たちは、ひとつの大きな過
ちを冒しているのです。それは、日本がなぜデフレに陥ったかを
調べずに日本がデフレであることを前提して、一般論でそれを片
付けようとしているということです。
 クー氏と根本的に違うのは、マネタリズム信奉者が企業の借金
返済行動をデフレだからそういう行動を取ったとしているのに対
し、クー氏は企業がそういう行動を起こしたからデフレになった
としている点です。
 それは、経済学者の田中秀臣氏によるクー氏の主張に対する反
論にも見ることができます。(著者=クー氏)
―――――――――――――――――――――――――――――
 著者は「バランスシート不況」という観点は従来の教科書には
 ない「新しい経済学」である、と力説している。しかし今日、
 日本の大学などで利用されているスティグリッツやマンキュー
 の教科書では、不況をきちんとバランスシート問題に結びつけ
 て論じている。それはまた、著者が本書やそれに先行する論考
 を発表する以前から、啓蒙書(あるいはよく知られている研究
 論文)などにおいて、論壇やアカデミズムの共通財産となって
 いる。また、著者は、従来の経済学では、なぜデフレのもとで
 は企業が借金の返済を優先し、新規の投資をしないかが説明さ
 れていない、と批判している。しかし、それは正しくない。
            ――リチャード・クー著の前掲書より
―――――――――――――――――――――――――――――
 田中氏は「デフレのもとで」と述べていますが、因果関係が逆
なのです。クー氏は、企業が借金返済に走るから総需要が減少し
不況とデフレが起きるのであって、田中氏のいうデフレがあるか
ら企業がキャッシュフローを債務返済に回しているのではないと
いうことです。
 また、田中氏の指摘するスティグリッツやマンキューの教科書
には、貨幣乗数の説明に必要な銀行のバランスシートに関する記
述はあったものの、過剰債務を抱えた企業が債務の最小化に走る
という記述は発見できない――このようにクー氏は反論している
のです。          ――[日本経済回復の謎/29]


≪画像および関連情報≫
 ・クルーグマンの速水批判
  ―――――――――――――――――――――――――――
  速水優・日本銀行総裁は、金融政策の緩和はハイパーインフ
  レを引き起こすかもしれないと警告している。これは驚くべ
  きことだ。大恐慌が本格化した1931年から32年にかけ
  て、インフレを心配して金融緩和に警告を鳴らした銀行家が
  いた。その間、物価は年率で10%下落していた。速水総裁
  の発言もそれと同じで、驚くべきことである。彼がどのくら
  いインフレが起こりそうだと考えているのか分からないが、
  身の回りのあらゆる場所でデフレが起きていてもなおインフ
  レを心配するというのは、いかにも中央銀行らしい発想であ
  る。ノアの洪水が起こっている最中に「火事だ、火事だ」と
  叫んでいるようなものだ。
            ――ポール・クルーグマン/中岡望訳
        『恐慌の罠/なぜ政策を間違えつづけるのか』
                       中央公論社刊
  ―――――――――――――――――――――――――――

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2007年07月12日

●財政出動は悪ではない(EJ第2121号)

 政府が実施する経済政策は、財政政策と金融政策があり、政府
はそれぞれの経済情勢に合わせて2つの経済政策を行うのです。
これら2つの経済政策の中で、最近では財政政策がすこぶる評判
が悪いのです。
 財政政策の評判が悪いのは、必然的に多額の財政赤字を伴うか
らであり、それが嫌われるからです。そして、最近では財政政策
を唱える学者やエコノミストがあまり財政政策を強調すると、古
い時代遅れの政策を唱えるケインジアンとしての評価を受ける傾
向が強いのです。その典型的なエコノミストはクー氏です。その
ため金融政策派の学者やエコノミストが増えてしまったのです。
 しかし、これは次の2つの点においておかしいと思います。
―――――――――――――――――――――――――――――
 1.国家にとって必要なときは財政赤字が増えてもやらなけれ
   ばならないときがある
 2.財政赤字が将来世代の負担を増やすという意見があるが、
   それは正しくないこと
―――――――――――――――――――――――――――――
 今回は上記1について考えます。日本は、既に対GDP比で、
150%以上の財政赤字残高があります。昨今においてこれは何
とかしなければならないということで、財政再建が大きなテーマ
になってきています。
 これはけっして間違ったことではありませんが、前政権におい
て、政府、というより財務省が増税を認めさせるコンセンサスを
作ろうと、現在の財政赤字の巨額さを意図的に訴えるキャンペー
ンを張ったり、借金時計まで作って借金が時々刻々増えているこ
とを強調するやり方は間違っていると思います。
 財政赤字が一定の規模に達すると、国の経済に致命的な打撃を
与えるというような規準は存在しないのです。国家がそれを必要
とするときは、たとえ財政赤字が積み上がっても、やらなければ
ならないことがあるのです。
 1945年時点において英国は、対GDP比で250%の財政
赤字を抱えていたのですが、英国はスピットファイヤー戦闘機や
アブロランカスター爆撃機の増産を続けたのです。もし、英国が
財政赤字を気にしてそれをやめていたら、英国はヒットラーの率
いるドイツの一部になっていたかもしれないのです。
 バランスシート不況時――それが契機になってデフレになる時
期においては、政府の財政支出だけが経済のデフレスパイラルを
防ぐことがわかっています。そういう時期には間違っても財政再
建をやってはならないのです。なぜなら、それをやっても財政赤
字は減るどころか増えてしまうからです。
 これは、1996年からの橋本政権、1998年後半からの小
渕政権、そして森政権を経て2001年からの小泉政権が実施し
た経済政策とその結果を分析すればわかることなのです。
 1996年に日本は、当時G7で最高の実質4.4%のGDP
成長率を誇っていたのです。既に不動産価格は急落していたので
すが、バブルの頂点からせいぜい6年前の1985の水準であり
賃料はそれほど下がっていなかったのです。そこに注目して外国
から投資家が日本の商業用不動産を買いにきていたのです。つま
り、日本の不動産は投資対象として十分魅力的であったのです。
 したがって、もし橋本内閣が適正な経済政策を行っていれば、
GDP成長の勢いは維持され、国内の資産価格もこうした外人投
資家の買いによって早く底を打ったと思われるのです。
 しかし、橋本政権が財政再建をはじめたことで経済は変調し、
5・四半期連続でマイナス成長となり、経済がメルトダウンして
しまったのです。そのため、せっかく外国から投資物件を買いに
きた外人投資家たちに対し、投資物件の購入前に必要なデュー・
デリジェンスという手続きがとれなくなってしまったのです。
 デューデリジェンスとは、主に投資用不動産の取引を行うとき
や企業が他社の吸収合併――M&Aや事業再編を行うとき、ある
いはプロジェクトファイナンスを実行する際、果たして本当に将
来的に見て適正な投資なのか、また投資する価値があるのかにつ
いて判断するため、事前に詳細に調査を行う手続きです。
 しかし、経済がメルトダウンしてしまったために、将来の収益
見通しはたたなくなり、手続きができなくなったのです。先進国
においてこのようなことが起こるのは珍しいことなのです。そし
て、商業用不動産価格はこれによって1997年の水準からさら
に53%も下落し、ほとんどの企業がバランスシートに大きな問
題を抱えるようになってしまったのです。
 リチャード・クー氏のバランスシート不況論を知れば知るほど
従来から経済政策の中にある次の不可解な図式を改める必要があ
ることを感じます。
―――――――――――――――――――――――――――――
      財政再建 ・・・・・ 良いこと
      財政出動 ・・・・・ 悪いこと
―――――――――――――――――――――――――――――
 EUのマーストリヒト条約では、加盟国の財政赤字には「国内
総生産(GDP)の3%以内であること」という上限が儲けられ
ています。この規定は何となく正しいように見えますが、上記の
図式にしたがっており、問題があります。なぜなら、これによっ
て、そのときどきの国の経済状況に応じて、有効な経済政策を実
施する自由度を縛っているからです。
 クー氏によると、現在ドイツとフランスの経済は、バランスシ
ート不況の中にあり、財政出動が求められているからです。仮に
ここで財政赤字が拡大しても、バランスシート不況が起こるのは
最短でも数十年に1回の頻度であり、その不況からの脱出のため
に大量の国債を発行して莫大な財政赤字を抱えたとしても、それ
を修復するのに必要な年数は確保できるのです。
 2003年にEU経済・財務相理事会(ECOFIN) は独仏
両国に対する処分を保留する決定を下しています。財政出動が必
要な状況にあるからです。  ――[日本経済回復の謎/30]


≪画像および関連情報≫
 ・マーストリヒト条約とは何か
  ―――――――――――――――――――――――――――
  マーストリヒト条約は、欧州連合(EU)創設のための条約
  で、3つの柱からできています。
  (1)欧州共同体(EC)の改正 … 通貨統合を目的とする
  (2)共通外交安全保障政策 … 外交・安全保障における欧
     州一体化を目的とする
  (3)司法・内務協力 … 警察協力・難民対策などにおける
     各国協調を目的とする
  マーストリヒト条約では、通貨統合の計画や、通貨統合参加
  に対する国内経済の一定基準が定められ、1991年12月
  合意、1993年11月発効となりました。なお、マースト
  リスト条約は、1997年6月に合意したアムステルダム条
  約(新欧州連合条約)で強化され、2000年12月に合意
  したニース条約でEU加盟国拡大を踏まえた改正が行われて
  います。      http://www.findai.com/yogo/0325.htm
  ―――――――――――――――――――――――――――

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2007年07月13日

●財政赤字は孫子の世代にツケを回すか(EJ第2122号)

 政府は財政再建をやらなければならない理由として「孫子の世
代に負担を回してはならない」ということをよくいいます。参院
選を直前にした安倍首相もよくこの言葉を使います。この言葉は
本当に正しいのでしょうか。今日はこのテーマについて考えてみ
ることにします。
 最初に明らかにしておかなければならないのは「政府の借金」
は「国民の借金」ではないことです。政府がいずれ借金を返済し
ようとすると、そのときの国民から余分に税を徴収するので、そ
こだけに注目して「孫子の世代に負担を回す」というのです。
 しかし、日本の場合、政府から返済されるお金を受け取る人の
かなりの割合はそのときの国民でもあるのです。政府は借金する
場合、国債を発行し、国民がそれを買うケースは多いのです。
 政府にお金を貸したのが(国債を購入したのが)国民の誰かで
あれば、国民全体では借金とはならないのです。息子が父親から
お金を借りても家族全体では借金とならないのと同じです。
 添付ファイルを見ていただきたいのです。とても単純なケース
を考えてみます。政府は財政拡大政策として減税を実施すること
にして、そのために1000万円の国債を発行します。AとBに
対して500万円ずつの減税を行い、その財源である1000万
円の国債はCが購入したとします。
 この政策で利益を受けるのはAとBです。政府は30年後に借
金を返済(国債償還)したとします。そのときはAは死亡してお
り、BとCは生きていて、新たにDが生まれているとします。政
府はDに対して1000万円の増税を行い、Cに借金を返済した
のです。金利を除いて計算していますが、金利を入れても話は成
立します。
 これを見ると、利益を得たのはAとBで、損をしたのはDです
から、財政赤字が次世代のDに負担を残したように見えます。し
かし、これは正しくないのです。本質的な問題は、今年と30年
後のそれぞれの年で別々に起きているからです。
 お金の動きだけでなく、個人がどれだけのものを消費できるか
という観点で考えてみます。
 減税を受けたAとBは減税分だけ余分にものが消費できます。
経済学ではそう考えるのです。これは将来生まれてくるDの生活
を犠牲にしているわけではありません。AとBが減税分だけ消費
できるものとは、今年生産されたもののうち誰か他の人が消費す
るはずだったものか、今年生産されたが需要が小さくて余ってい
たもののいずれかです。
 とくに後者については、ムダにされていた資源の有効活用であ
り、減税の効果が上がったといえます。いずれにせよ、財政赤字
は、現在の世代と将来の世代の間で利益と負担をやりとりさせる
ものではなく、同じ年に生きている人たちの間で利益と負担をや
りとりさせるのです。
 30年後はDは増税によって1000万円分だけ消費できるも
のが減り、生活水準が低下します。それによって利益を得るのは
ものの面でみれば、その同じ30年後の時点で生きている人たち
であり、Dが消費しなかった分のものを余分に消費できるという
かたちで恩恵を受けます。30年後に生きている人たちの間で利
益と負担が発生しているのです。
 もうひとつ考えるべきことがあります。それは、通常ではAと
Bの利益の大きさとDの負担の大きさは一致しないのです。30
年の間に貨幣価値の変化――たとえばインフレが起こり、通貨の
価値が100分の1まで低下したとします。そうすると、30年
後の1000万円は今年を基準でみると、実質的に10万円の価
値しかないことになります。
 しかし、あわせて1000万円分のものを余分に消費できたA
とBの利益と実質10万円のDの負担は一致しないのです。タイ
ムマシンでも作らない限り、将来の時点でつくられるものを現時
点の国民が消費することはできませんから、現在の国民が豊かに
なるために将来の国民に負担を押し付けることはひとつの場合を
除いてできないのです。
 そのひとつの場合とは、海外から借金して、そのお金で海外か
らものを余分に買って消費するケースです。つまり、貿易を赤字
にすれば、それによって自分たちが生産した以上のものを消費で
きて、その負担は将来海外に返す時点の国民に押し付けることが
できるのです。
 しかし、現在の日本は海外からお金を借りるどころか、海外に
対して莫大なお金を貸していますから、現在の日本の国民は、将
来の日本の国民に大きな蓄えを残していることになります。政府
の借金残高がいかに大きくても、日本国民全体ではけっして将来
に負担を押し付けてなどいないのです。巨額の財政赤字は「孫子
の世代に負担を回す」というレトリックに騙されないことです。
 リチャード・クー氏は、将来世代に引き継ぐのは債務残高だけ
ではないとして、次のように述べています。
―――――――――――――――――――――――――――――
 「将来世代の負担」という言葉のなかには、将来世代が引き継
 ぐ債務残高だけではなく、将来世代が引き継ぐ経済の健全性も
 含まれるべきだということである。なぜなら、将来世代にとっ
 ては、たとえ莫大な財政赤字を抱えていたとしても、十分な対
 策が講じられて回復途上にある経済を引き継ぐほうが、財政赤
 字はないが、傷口が開いたままで治療されず、瀕死の状態にあ
 る経済を引き継ぐよりも、はるかに望ましい場合があるからで
 ある。              ――リチャード・クー著
     『「陰」と「陽」の経済学』 ――東洋経済新報社刊
―――――――――――――――――――――――――――――
 経済が本当の意味で回復していないときに財政再建を進めても
目標は達成できず、かえって財政赤字は増えてしまうことは橋本
政権や小泉政権のやってきたことを調べれば明らかです。「政府
の借金」は「国民の借金」ではないのです。改革という言葉に騙
されてはならないのです。  ――[日本経済回復の謎/31]


≪画像および関連情報≫
 ・小泉純一郎前首相の講演から
  ―――――――――――――――――――――――――――
  税収が50兆円ぐらいしかないのに、30兆円以上借金をし
  ないと予算編成できないということ自体異常だと思います。
  なおかつ今や孫子の代にツケを残すどころじゃないですよ。
  借金したって、借金が政策上に使えないんだから。30兆円
  借金したとしても、20兆円程度は今までの国債を買ってく
  れた人の懐に入っちゃう。しかも建設国債よりも赤字国債は
  倍ですよ。そういう時にもっと借金しろと。現在の納税者が
  借金の負担に喘いでいる。自分たちの税金が、全部今までの
  国債費にいっちゃう。利払いに回っちゃう。全国民の所得税
  は約18兆円ぐらいですよ。この18兆円が全部借金の利払
  いに回っちゃう。これを異常と思わないほうがおかしい。だ
  から今や借金は孫子の代にツケを回すどころじゃない、納税
  者が今までの借金の返済に四苦八苦している。
   http://www.asahi-net.or.jp/~vb7y-td/kak3/130425.htm
  ―――――――――――――――――――――――――――

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2007年07月17日

●陰と陽の経済学の狙いは何か

 ここまで、リチャード・クー氏の「バランスシート不況論」を
ベースにして、日本経済復活の謎について検討してきました。こ
のクー氏の説が正しいとすると、日本の景気がまだ十分ではない
ものの復活しつつあるのは、上場企業がバランスシートの健全化
のために取り組んできた借金返済行動がそろそろ終わりに近づい
てきたためである――そう解釈できます。企業の行動はデータに
もはっきりとあらわれているので、十分納得性があります。
 はっきりしていることは、日本経済の回復は間違っても小泉改
革の成果ではないということです。安倍首相はこのところよくテ
レビに出演し、「小泉改革の成果で景気が回復した」といってい
ますが、これは大きな間違いです。
 小泉改革は乱暴きわまる不良債権処理で日本の銀行を脆弱な体
質に変質させ、国民に痛みのみを押し付けて、景気回復を遅らせ
ただけなのです。これについては改めて述べる予定です。
 さて、今年の4月13日付の日本経済新聞に、自民党の憲法調
査会の中間報告の素案がまとまったことが報道されていたのです
が、そこにとんでもないことが載っているのです。その記事のタ
イトルが、「財政均衡、憲法に明記」となっていたからです。政
府財政は、歳入と歳出の均衡を保つべきである――これを財政均
衡論というのですが、日本には根強くこれがあるのです。
 ところが、この記事はそれほど大きな波紋を巻き起こしていな
いのです。なぜなら、「財政均衡」とか「財政再建」という言葉
は響きの良い言葉だからです。これに対して「財政赤字」や「財
政出動」は問題のある言葉といえます。ですから、財政赤字の状
態のときに「財政均衡」や「財政再建」という言葉を聞くと、す
こぶる良いことのように響くのです。
 しかし、「財政均衡」や「財政再建」とバランスシート不況論
は相容れないものを持っています。ましてデフレのときにこの2
つは、絶対にやってはいけないのです。それなのに「財政均衡」
を憲法に明記するとは何事でしょうか。
 この問題はさておき、このテーマで何度も参照させていただい
ているクー氏の本――『「陰」と「陽」の経済学』(東洋経済新
報社刊)の「陰」と「陽」の経済学とは何かということを明らか
にする必要があります。
 クー氏によると、バランスシート不況は、資産価格バブルの崩
壊が引き金になって起こるのですが、その資産価格バブル自体は
何によって起こるのかというと、それは民間部門――つまり、企
業が将来の経済見通しや収益性を過信することによって起こると
いうのです。
 日本の場合は何が原因で起こったのかというと、1980年代
において日本的経営が賞賛されたとき、日本人はそれまで自分た
ちがやってきたことが正しかったのだと過信して、多くの人々が
自信過剰になってしまったのが原因で起こったのです。
 もうひとつ、1990年代の終わりにも、世界中の人々がその
とき起こっていたIT革命を産業革命以来の大革命であると勘違
いして、その収益性を過剰評価したことが上げられます。企業経
営者も人間であるので、そのような間違えを冒すのです。
 こういう間違いによって景気が過熱し、資産価値が高騰して、
いろいろ弊害が出てくるようになると、政府や中央銀行はバブル
潰しを迫られることになります。その結果、金融政策が引き締め
られ、バブルは崩壊するのです。そうすると、民間のバランスシ
ートに大きな問題が発生することになります。これによって企業
は一斉に借金返済をはじめるようになり、バランスシート不況が
引き起こされるのです。
 クー氏は、バランスシート不況には「陰」と「陽」のサイクル
があるといいます。詳しくはクー氏の本をお読みいただくことと
し、ここではクー氏の考え方を私なりに整理してお話しすること
にします。
 サイクルには、「バブル発生」とそれが収まる「不況の終焉」
という段階があります。それぞれの間にはさらに4段階ずつがあ
り、景気循環のように循環します。そして、「バブル発生」を機
に陰のサイクルに入り、「不況の終焉」によって陽のサイクルに
戻るという循環を繰り返すのです。
 「バブル発生」の時点から説明します。この時点から「陰の4
段階」がはじまります。
 バブルが発生すると、金融政策は引き締めに転じて、やがてバ
ブルは崩壊します。これが「陰の第1段階」です。
 資産価格は暴落し、企業には過剰債務だけが残って、バランス
シートに問題が発生します。そこで、企業は利益の最大化よりも
債務の最小化に経営の軸足を移します。ここから、バランスシー
ト不況が始まります。これが「陰の第2段階」です。
 企業は借金返済に走り、民間の資金需要はなくなります。資金
需要がなくなると、金融政策は効かなくなり、政府は総需要を維
持するため財政政策に依存するようになります。これが「陰の第
3段階」です。
 企業の借金返済行動が終わり、企業のバランスシートは健全化
しますが、強い借金拒絶症状が残るので、資金需要はまだ伸びな
いままです。これが「陰の第4段階」です。
 これらの4段階を経て「不況の終焉」に達します。
 民間の資金需要が回復し、金利が徐々に上昇し、金融政策が力
を取り戻します。しかし、財政赤字が民間投資を圧迫し、問題化
します。「陽の第1段階」です。
 経済政策の主役は、財政政策から金融政策に移ります。これが
「陽の第2段階」です。
 景気が良くなり、民間はますます元気になり、自信を取り戻す
ようになります。これが「陽の第3段階」です。
 しかし、自信が過剰になり、間違いを重ねて、民間がバブルを
引き起こします。これが「陽の第4段階」です。
 そして再び「バブル発生」に至り、陰の4段階がはじまる――
そういうサイクルです。   ――[日本経済回復の謎/32]


≪画像および関連情報≫
 ・「陰」と「陽」の経済学の狙い
  ―――――――――――――――――――――――――――
  従来の経済学は、本業が健全な企業が、深刻なバランスシー
  ト問題に直面したときに、債務の最小化に走るという可能性
  を見落としてきた。(中略)ここで、企業が債務の最小化に
  走る可能性を従来の経済学に組み込み、通常の不況とバラン
  スシート不況を明確に区別することによって、これまでバラ
  バラであった新古典派、マネタリスト、ケインジアン、そし
  てニューケインジアンの考え方を、すべて一つの包括的なマ
  クロ経済理論に統合することができる。
                  ――リチャード・クー著
     『「陰」と「陽」の経済学』 ――東洋経済新報社刊
  ―――――――――――――――――――――――――――

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2007年07月18日

●陰の局面を認めない現代経済学(EJ第2124号)

 経済には「陰」と「陽」がある――しかし、大学で教えられて
いる経済学には「陽」の世界しかないのです。というより「陰」
の世界など従来の経済学では最初から認めていないのです。
 そのため経済学界から出される政策提言のほとんどは、企業は
前向きで利益の最大化に走っているという前提に立って出されて
いることになります。
 したがって、不況に対する政策提言というと、次の2つのこと
が例外なく提言されるのです。
―――――――――――――――――――――――――――――
          1.更なる金融緩和
          2.財政赤字の削減
―――――――――――――――――――――――――――――
 同じ不況でも「陰」の局面でのバランスシート不況の場合は、
民間(企業など)に借り手がいないので、いくら金融緩和をして
も効果を発揮できないのです。それは日本の過去15年間を振り
返ってみればよくわかることです。しかし、「陰」の局面を認め
ていないので、この金融政策は正しいとされています。
 これに対して、2の「財政赤字の削減」には説明がいります。
なぜ、不況からの脱出に財政赤字の削減が必要なのでしょうか。
不況なのに歳出削減や増税などによって財政赤字を削減しようと
すれば景気はさらに悪化し、その結果、財政赤字がかえって膨ら
んでしまうのではないでしょうか。
 しかし、政策提言者は、次のように専門用語を並べてそうする
ことの正当性を主張します。
―――――――――――――――――――――――――――――
 財政赤字の削減は、民間投資のクラウディングアウトを避ける
 ためである。
―――――――――――――――――――――――――――――
 ところで、「クラウディングアウト」とは何でしょうか。
 大阪学院大学教授の丹羽春喜氏は、クラウディングアウト現象
について次のように述べています。
―――――――――――――――――――――――――――――
 クラウディングアウト現象とは、例えばケインズ的な総需要拡
 大を目指す財政政策のマネタリーな財源を国債発行にもとめた
 場合に、そのような国債の市中消化によって、民間資金が国債
 購入代金の形で国庫に吸い上げられ、民間資金の不足が生じて
 市中金利の高騰といった事態となることを指している。そうい
 った市中金利の高騰ということになれば、民間投資が冷え込み
 景気回復が挫折する危険が生じてくることになる。
               ――丹羽春喜大阪学院大学教授
―――――――――――――――――――――――――――――
 要するに、財政赤字が拡大すると実質長期金利が上昇し、設備
投資や住宅投資などの民間投資が減少する――だから、財政赤字
は削減しないといけないという考え方なのです。
 既に述べたように、「陰」の局面――バランスシート不況下で
は金融政策はまったく効かず、財政出動のみが効果があります。
しかし、現在、経済政策としてクー氏のいうような財政政策を実
施するにはさまざまな壁が存在するのです。経済学界では長い年
数をかけて「反ケインズ主義」が着々と積み上げられてきており
マスコミもそれに同調しています。
 この考え方は、フリードマンを最高指導者とする「マネタリズ
ム」学派の学者やエコノミストたちの主張であり、ケインズ的政
策はそれを「需要サイド」からみると、クラウディングアウト現
象による実質長期金利という副作用が生じる――これによって、
ケインズ的政策の長期的有効性を否定しているわけです。
 ロバート・マンデルというカナダの経済学者がいます。やはり
マネタリズム学派の著名な経済学者の一人です。彼はクラウディ
ングアウトにより市中金利が上がると、諸外国からのその国への
資金流入が増えるので、国際通貨市場でその国の通貨の価値が上
がり――日本でいうと円高が進行し、輸出産業が大打撃を受ける
ことにより、景気回復が阻害されるといっています。
 そのため変動相場制のもとで景気回復や雇用を増やすには、財
政政策よりも金融政策が効果的だという展開になるのです。マン
デルはこの考え方を、マルコス・フレミングと一緒に「マンデル
・フレミング効果」として発表しています。
 フリードマンにしてもマンデルにしてもノーベル経済学賞の受
賞者であり、並みの経済学者ではないのです。したがって、偉い
人のいっていることだから間違いないという威光効果が働くので
明らかに主張の異なるクー氏のバランスシート不況論を素直には
受け入れられないでいるのです。
 これについて、前述の丹羽春喜大阪学院大学教授は次のように
反論しています。
―――――――――――――――――――――――――――――
 しかし、実は、経済学のごく初歩的な基本的知識にすぎないこ
 とであるが、そのような「副作用」は、たとえば日銀の「買い
 オペ」といった政策手段で、容易かつ確実に、それを防止する
 ことができるはずのものなのである。もちろん、戦前に高橋是
 清蔵相と深井英五日銀総裁が協力して実施したように、新規発
 行国債を日銀が直接に引き受けるという方式であれば、そのよ
 うなクラウディング・アウト現象の発生を防止する効果はいっ
 そう決定的で即効的であろう。
               ――丹羽春喜大阪学院大学教授
―――――――――――――――――――――――――――――
 上記の丹羽教授の論文を読むとよくわかりますが、世界の名だ
たる経済学者が、きわめてヒステリックにケインズ的政策を批判
しており、なぜそこまでしなければならないのか理解に苦しむと
ころです。とくにフリードマンやマンデルなどのノーベル賞学者
たちは、内心ではケインズ的政策の有効性を十分認めながら、あ
えてそれを論破しようとしているしか思えないところがあるとい
えます。          ――[日本経済回復の謎/33]


≪画像および関連情報≫
 ・丹羽春喜大阪学院大学教授の論文より
  ―――――――――――――――――――――――――――
  言うまでもなく、すべて、こういうことは、エコノミストで
  あれば、誰でもがよく知っているはずのことにすぎない。も
  ちろん、フリードマンやマンデルも、このようにクラウディ
  ング・アウト現象を防止することがきわめて容易なことであ
  るということを、よく知っているはずである。つまり、かれ
  ら新古典派による、こういったクラウディング・アウト現象
  を理由付けに用いた「ケインズ的政策無効論」の場合もけっ
  して「うっかりミス」によってそれが主張されているのでは
  なく、それは、疑いもなく、現行の経済社会体制にダメージ
  をあたえるために故意になされているディス・インフォーメ
  ーション(欺瞞情報)策略であると、見なければならないの
  である。
  http://www.niwa-haruki.jp/ronbun/20040507.html
  ―――――――――――――――――――――――――――

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2007年07月19日

●なぜ、財政政策を否定するのか(EJ第2125号)

 経済政策を調べていくと、経済学界はそのよって立つ思想の対
立の激しい世界であることがわかってきます。そして、その流れ
をさかのぼると、「マルクス主義」と「ケインズ主義」に行きつ
くのです。前回のEJで取り上げた丹羽春喜教授によると、冷戦
を次のように定義づけているのです。
―――――――――――――――――――――――――――――
 冷戦とは、経済思想的には、マルクス主義とケインズ主義の対
 立である。               ――丹羽春喜教授
―――――――――――――――――――――――――――――
 マルクス主義陣営は「ケインズ主義は軍拡を意味する」として
ケインズ的政策論を誹謗・中傷したのです。しかし、ソ連や東欧
の共産圏諸国の経済が極度の不振に陥り、1960年以降になる
と、マルクス主義陣営の政治的、社会的、経済的パワーは全世界
的に弱体化するに至ったのです。
 ところがこの20年ほどを見ると、米国において新古典派経済
学者グループが反ケインズ主義を唱えるようになり、それに隠れ
マルクス主義者たちが呼応するようになったのです。丹羽春喜教
授によると、日本の旧経済企画庁はそういう一派によって占めら
れていたというのです。
 こうした反ケインズ主義を唱える一派が主張するのが財政再建
であり、財政均衡なのです。自民党の憲法調査会が「財政均衡」
を憲法に明記しようとしていることから考えても、日本の経済学
界も反ケインズ主義の傾向が強いことがわかります。とくに財務
省はその巣窟であるといえます。
 もともと経済政策には、財政政策と金融政策の2つがあり、経
済の局面に合わせてそれぞれの政策を使い分けるべきものである
と考えます。少なくとも2つの政策がよって立つ経済思想によっ
て、どちらかが封印されるようなことがあってはならないと思う
のですが、現状は財政政策は劣勢であり、金融政策が大きな力を
得ているように感じます。
 実は国のとる経済政策と戦争には密接な関係があるのです。あ
の大恐慌が発生したときの米国大統領はフーバーでしたが、彼は
信仰にも似た均衡財政論者であり、あの不況期において財政出動
を一切考えなかったのですから、徹底しています。
 そのため世界経済は大恐慌に突入してしまったのですが、さら
なる悲劇を生んだのはドイツなのです。というのは、当時のドイ
ツ首相のブリューニングも均衡財政論者であり、その不適切な経
済運営によって、ただでさえ疲弊していたドイツ経済は奈落の底
に沈んでしまったのです。
 そこに突如として登場したのはヒットラーなのです。一般的に
ヒットラーというと、類まれなるカリスマ性で一挙にドイツ国民
の心を掴んだと思われていますが、ヒットラーが国民の強い支持
を勝ち取ったのは、彼のとった経済政策の成功にあるのです。
 当時のドイツは、クー氏によると「陰」の局面にあったのです
が、ヒットラーは積極財政を打ち出し、あっという間に30%の
失業率を2%までに劇的に引き下げてしまったのです。
 そのあまりにも見事な経済政策の成果でヒットラーは神格化さ
れ、絶大なる人気を掌中にしたのです。しかも、ヒットラーがド
イツに好景気をもたらしたのに、当時のイギリスやフランスは依
然として均衡財政にこだわり、景気回復が大幅に遅れ不況が継続
していたのです。
 ドイツ国民は、イギリスやフランスとのあまりの違いに驚き、
ヒットラーを賞賛したのです。当時の米国はルーズベルト大統領
のニューディール政策による公共事業によって、ようやく景気の
回復がはじまっていたのですが、もともと均衡財政論者のルーズ
ベルトは、1937年に財政再建をはじめ、せっかく上昇しつつ
あった景気を潰してしまったのです。
 この間もドイツの経済は活性化し、米英独仏との経済格差は拡
大したのです。これによってヒットラーは自信過剰になり、今な
らイギリスとフランスを敵に回しても勝てると踏んで、第2次世
界大戦を引き起こしたのです。
 実はヒットラーは米国を非常に警戒していたのです。とくに米
国が1935年に完成させたボーイングB−17四発重爆撃機を
極度に恐れていたのです。なぜなら、ドイツにはこれに匹敵する
爆撃機は一機もなかったからです。
 しかし、この爆撃機は緊縮財政が組まれていたため、生産が大
幅に遅れ、ヒットラーが開戦に踏み切った1939年9月の時点
では、わずかに30機が配備されていただけだったのです。ヒッ
トラーはこういう情勢を分析して開戦に踏み切り、連戦連勝を重
ねたのです。
 イギリスの著名な経済学者であるジョ−ン・ロビンソン女史は
ヒットラーの経済政策について次のように述べています。
―――――――――――――――――――――――――――――
 ケインズ革命はトライアンフ――勝利ではなく、トラジェデイ
 ――悲劇であった。ケインズがなぜ失業が発生したかの説明を
 始める前前に、ヒットラーがその解決法を見つけてしまったか
 らだ。           ――ジョ−ン・ロビンソン女史
―――――――――――――――――――――――――――――
 現在もドイツはバランスシート不況下にありますが、EUのマ
ーストリヒト条約の縛りで、思い切った財政出動が打ち出せない
でいます。欧州連合(EU)は、通貨ユーロの信認を保つため、
財政収支を2010年までに均衡させる目標を掲げており、その
ため、ドイツは苦肉の策の経済運営を強いられています。
 結局ドイツは2008年度予算において、新規国債の発行を前
年度比40%削減し、税収の自然増収を見込んで法人税減税を実
施し、2011年に均衡させる計画を立てています。
 これに対して、サルゴジ大統領が率いるフランスでは、財政再
建を一時棚上げし、経済活性化を講じ、2O12年に財政均衡を
実現するとしていますが、果たしてうまく行くかどうか結果が注
目されます。        ――[日本経済回復の謎/34]


≪画像および関連情報≫
 ・サルコジ流EUと摩擦――ブリュッセル――岸善樹
  ―――――――――――――――――――――――――――
  フランスのサルコジ大統領が打ち出した2兆円近い減税案を
  めぐり、仏と欧州連合(EU)の摩擦が激しくなっている。
  自国の成長路線を優先する仏に対し、EU域内では「財政規
  律を定めたEUルールの棚上げだ」との反発が強い。5月の
  発足以来、ドイツとの協調で欧州を引っ張ってきたサルコジ
  政権だが、ここにきて仏伝統の「独自路線」が顔をのぞかせ
  ている。      ――2007.7.10付、朝日新聞
  ―――――――――――――――――――――――――――

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2007年07月20日

●なぜ、マクロ経済学を勉強する必要があるのか(EJ第2126号)

 経済学には、ミクロ経済学とマクロ経済学があります。ミクロ
経済学について、経済書では次のように定義しています。
―――――――――――――――――――――――――――――
 ミクロ経済学は、経済学が経済主体の最小単位と定義する家計
 (消費者)、企業(生産者)、それらが経済的な取引を行う市
 場をその分析対象とし、世の中に存在する希少な資源の配分に
 ついて研究する経済学の一分野である。 ――ウィキペディア
―――――――――――――――――――――――――――――
 経済学の定義というと、何やら小難しくなりますが、要するに
最小単位の経済主体の行動を扱うためにミクロ経済学と呼ばれる
のです。
 それでは、なぜ、マクロ経済学が必要になるのでしょうか。
 それは、ミクロの経済行動を足し合わせた合計がマクロの結果
にはならないからです。
 リチャード・クー氏は、マクロ経済学が成立する唯一の根拠は
経済学に「合成の誤謬」という可能性があるからである――この
ようにいっています。
 「合成の誤謬」――難しい専門用語ですが、そんなに難しいこ
とをいっているのではありません。ミクロ経済の世界で、個々の
経済主体が慎重に判断して最もベストであると考える経済行動を
とっても経済全体、つまり、マクロの世界の視点で見ると、経済
的に見てとんでもない現象を引き起こす可能性がある――これが
合成の誤謬というのです。マクロの世界では、一家計や一企業の
収支を改善する方法が通用しないことが多いのです。
 資産価格が暴落してバランスシートが傷んだことを知った企業
経営者が債務を最小化するために、キャッシュフローを借金返済
に回すことは企業経営者としてベストな経営行動であり、誰もそ
れを止められないのです。
 しかし、それをマクロの視点から見ると、多くの企業が一斉に
それをやると、深刻なバランスシート不況に陥ることはここまで
見てきた通りです。これが合成の誤謬です。財政赤字の深刻さを
説明するとき、よく家計の借金に例える向きがありますが、それ
は正しいことではなく、国民の判断をミスリードさせる恐れがあ
り、とても危険なことです。
 現在、「公共事業=悪」ということになってしまっています。
確かに人があまり通らない田舎の道路建設や採算の取れないハコ
もの建設はムダそのものであり、悪といえます。しかし、公共事
業や公共投資は、けっして悪ではないのです。
 先日、政治番組「報道2001」において、亀井静香氏が安倍
政権は国民に痛みだけを押し付けていると発言をしたとき、少し
財政出動について触れたのです。そうすると、黒岩キャスターは
ヒステリックに次のようにいったのです。
―――――――――――――――――――――――――――――
 亀井さんはまた国債を発行して、借金を積み重ねて無駄な公共
 事業をやれというのですか。      ――黒岩キャスター
―――――――――――――――――――――――――――――
 私は亀井氏の発言は間違っていないと思います。政府は減税が
必要な時期に増税をしているからです。しかし、怖いのは、この
黒岩キャスターの発言が真実らしく聞こえることです。繰り返し
いいますが、ミクロ世界で正しいと思えることはマクロの世界で
は違っていることが多いのです。
 クー氏のいう「陰」の世界と「陽」の世界を10の経済項目で
比較したのが次の表です。これを見ると、「陰」の世界と「陽」
の世界の違いがよくわかります。
―――――――――――――――――――――――――――――
             「陽」の世界    「陰」の世界
  1.現象       教科書の経済 バランスシート不況
  2.法則      神の見えざる手     合成の誤謬
  3.企業財務内容  資産−負債>0   資産−負債<0
  4.行動原理     利益の最大化    債務の最小化
  5.結果     最大多数最大幸福   放置すれば恐慌
  6.金融政策         有効        無効
  7.財務政策        逆効果        有効
  8.物価         インフレ       デフレ
  9.金利      通常の金利水準      超低金利
 10.貯蓄           美徳        悪徳
                  ――リチャード・クー著
     『「陰」と「陽」の経済学』 ――東洋経済新報社刊
―――――――――――――――――――――――――――――
 この比較表によると、経済政策においてやるべきこと、やって
はならないことがよくわかります。重要なポイントをまとめてお
くことにします。
―――――――――――――――――――――――――――――
 1.経済が「陰」の局面にあるとき、金融政策はまったく効か
   なくなること
 2.経済が「陰」の局面にあるとき、政府としてとるべきは財
   政政策である
 3.経済が「陽」の局面にあるとき、財政政策はマイナスの結
   果をもたらす
―――――――――――――――――――――――――――――
 リチャード・クー氏は、いわゆるケインズ政策といわれる財政
政策は、バランスシート不況――経済が「陰」の局面にるときだ
けに使うものであるとして、前著『デフレとバランスシート不況
の経済学』(徳間書店刊)において次のようにいっています。
―――――――――――――――――――――――――――――
 50年代と60年代に、ケインズ理論は全能とあがめられ、財
 政政策はあらゆる機会で景気の微調整に動員された。当時は誰
 も、ケインズの財政政策が本当はバランスシート不況のためだ
 けにあるということに気がついていなかったのである。
――――――――――――――― [日本経済回復の謎/35]


≪画像および関連情報≫
 ・「プレジデント」編集長/藤原昭広氏
  ―――――――――――――――――――――――――――
  最近、経済アナリストがよく口にする「合成の誤謬」という
  言葉がある。つまりは、企業も個人も過剰感のある借金を一
  生懸命返済するとういう、それ自体は正しい経済活動を行う
  と、結果としてマクロレベルでの経済活動が縮小し景気が回
  復しないという事態。次号(10月22日発売)の特集「怒
  れ!ビジネスマン」のなかで評論家の櫻井よしこ氏が、日本
  の官僚組織の自己保身の論法を「詐欺師紛い」だと一刀両断
  に切り捨てている。読むとすっきりしますのでご興味のある
  方は、次号をぜひお読みいただきたいのですが、どうも日本
  の官僚たちの行いも、ある種の「合成の誤謬」ではないかと
  思うのだが、いかがか。
  http://www.president.co.jp/pre/special/rabbit/005.html
  ―――――――――――――――――――――――――――

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2007年07月23日

●ドイツ経済はバランスシート不況の中にある(EJ第2127号)

 リチャード・クー氏によると、ドイツの経済は現在「陰」の局
面にまだあり、バランスシート不況であるといいます。そこで、
ドイツ経済を分析してみることにします。
 添付ファイルを見てください。このグラフ1は、ドイツ経済の
中で、どの部門が貯金(=資金余剰)し、どの部門がそれを借り
て使っているか(=資金不足)を示しています。日本のケースに
ついては、既に分析済みですが、グラフ2で示します。
 既に述べたように、このグラフの理想的なかたちは各部門が次
のように位置することです。
―――――――――――――――――――――――――――――
     家計部門 ・・・ 上方に位置している
     企業部門 ・・・ 下方に位置している
     海外部門 ・・・ ゼロ線の付近にいる
     政府部門 ・・・ ゼロ線の付近にいる
―――――――――――――――――――――――――――――
 家計部門が上方にあるということは、貯蓄しているか、その累
積分があることを示しています。一方、企業部門が下方にあれば
資金が不足しているということであり、家計部門の貯蓄を借りて
使うことが期待できるわけです。
 グラフを見ると、4つの部門の位置が理想形をしていたのは、
日本では1990年だったのですが、ドイツでは2000年がそ
れに該当します。日独ともにバブルの頂点であった年に、そのよ
うな理想形になっていたのです。
 日本の場合、6大商業地の地価は、1990年以降、ピーク時
の水準から最大87%も下落したのですが、ドイツの場合は地価
の下落は限定的であったものの、2000年に崩壊したテレコミ
ュニケーション・バブルによって株価が暴落し、とくにドイツの
新興株式市場であるノイマルクトは、2000年のバブル崩壊後
3年でピークから96%も下落したのです。
 これによって上場企業のバランスシートは大きく毀損し、多く
の企業が「債務超過」の状況に置かれたのです。しかし、これら
の企業の多くは、本業のキャッシュフローは健全であったので、
企業としてはバランスシートの健全化を図るため、キャッシュフ
ローを借金返済に回しはじめたのです。
 日独両国は、この間世界最大級の貿易黒字を維持してきており
そういう意味でも両国の企業は高度な技術力と優れたマーケティ
ング力を背景にして高い競争力を維持していたのです。したがっ
て、企業防衛上借金返済という行動をとることは当然なのです。
 この企業の経営行動はグラフに明確にあらわれているのです。
グラフ1の中の企業部門(非金融法人企業)の線に注目してく
ださい。2000年には最も低い位置にありましたが、バブルが
崩壊すると同時に上昇し、ゼロを突き抜けてプラスになっていま
す。これは借金返済を始めたことを表わしています。
 この企業部門の線の動きは日本と同じなのですが、ドイツの場
合は日本と大きく違う点があります。日本の場合は借金返済ペー
スが急激(企業部門の上昇が急)であるのに対し、ドイツの場合
は日本よりも緩やかであること――さらに日本の場合は家計部門
が貯蓄を切り崩している(家計部門の線が企業部門の下になって
いる)のに対して、ドイツの場合は家計部門は依然として貯蓄を
積み上げている点です。これは家計部門の線が、2000年以後
一段と上昇していることで明らかです。
 ここまでの検討でも明らかなように、バランスシート不況にな
ると銀行にお金が積み上がるので、貯蓄の取り崩しはそれが消費
に回るという意味において、経済にとっては良いことなのです。
しかし、ドイツでは企業部門は借金返済というかたちで、家計部
門は貯蓄というかたちでともにお金を銀行に積み上げているので
それが消費に回らず深刻な事態となっているのです。これが20
00年からの5年間、ドイツ経済が全く振るわなくなってしまっ
た本当の理由であるといえます。
 しかし、ドイツは日本と違ってクー氏の唱えるバランスシート
不況論を参考にしようとしているのです。というのは、クー氏の
バランスシート不況論の最初の本の英語版が一番読まれたのがド
イツだったからです。
―――――――――――――――――――――――――――――
    リチャード・クー著/楡井浩一訳/徳間書店刊
      『デフレとバランスシート不況の経済学』
      ―― Balans Sheet Recession ――
―――――――――――――――――――――――――――――
 リチャード・クー氏は、その根拠について次のように述べてい
るのです。
―――――――――――――――――――――――――――――
 ドイツ銀行のアッカーマン会長が私の本を読んで、同行のレポ
 ートに私の本を紹介してくれ、一気に読者が増えたのである。
 それで私は、ブンデスバンク(ドイツの中央銀行)に2回、欧州
 中央銀行(ECB)に1回、講演を頼まれて行った。実際に同銀
 行では、日本とドイツの類似点につぃて大変有意義な議論が行
 われた。彼らも日本の経験から学ぼうと必死だったのである。
                  ――リチャード・クー著
     『「陰」と「陽」の経済学』 ――東洋経済新報社刊
―――――――――――――――――――――――――――――
 しかし、ドイツの場合、マーストリヒト条約によって財政出動
を厳しく制限――メンバー国の財政赤字はGDPの3%以内――
されていることは既に何度も指摘した通りです。クー氏にいわせ
ると、マーストリヒト条約は経済が「陰」の局面に入ることを全
く想定せずにつくられた欠陥条約であるといっています。
 そこでドイツ企業がとった対策は、ユーロ圏内の景気の良い地
域に輸出を促進させることだったのです。ユーロ圏内なら同じ通
貨の世界であり、合わせて関税障壁がないので、これを活用した
のです。その結果、ドイツは日本を抜いて世界最大の貿易黒字国
になったのです。      ――[日本経済回復の謎/36]


≪画像および関連情報≫
 ・ドイツの経済状況について/日本総研
  ―――――――――――――――――――――――――――
  ドイツ経済が長年低迷してきた原因は、同国が歴史的に社会
  福祉を重視し、「手厚い社会福祉国家体制」を築いてきたこ
  とにある。家計に手厚い各種制度が、グローバル化・少子高
  齢化・IT化といった環境変化への適応を妨げ、90年代以
  降に「高コスト体質」という構造問題が一層顕在化すること
  となった。1999年に実施された「欧州通貨統合」が、こ
  うした高コスト体質を背景とした経済低迷を一段と深刻化さ
  せた。「東西ドイツ統合」もドイツ経済の低迷の一因として
  考えられる。
  http://www.jri.co.jp/press/press_html/2006/060623.html
  ―――――――――――――――――――――――――――

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2007年07月24日

●ドイツ経済とEUの財政規律(EJ第2128号)

 ドイツ経済についてもう少し述べる必要があります。なぜなら
バブルが崩壊した2000年以降のドイツの経済状況を分析する
ことによって、マーストリヒト条約により財政政策が自由に使え
ない状況では、バランスシート不況で何が起こるかについての情
報が得られるからです。
 マーストリヒト条約はEUの財政規律であって日本には関係が
ないと楽観してはいられないのです。既に述べているように、日
本でも自民党の憲法調査会では「均衡財政」を憲法に明記しよう
と画策しており、そうなると日本でも財政政策は自由に使えなく
なってしまうからです。「均衡財政」は響きの良い言葉ですが、
政府の財政政策の手足を縛るものなのです。
 ドイツは、世界有数の工業先進国であるとともに貿易大国であ
り、GDPの規模では米国、日本に次いで世界第3位、とくに輸
出のGDPに占める割合は大きく、2002年は約35.5%を
占めるのです。ちなみに日本は約11.1%であり、これから考
えてもドイツの約36%がいかに大きいかわかると思います。
 しかし、日本もそうであるように、貿易大国であるとか貿易黒
字国であるといっても、一部の大企業が潤うだけで、国民の生活
は必ずしもよくなるとはいえないのです。
 それでは、バランスシート不況によってドイツに何が起こって
いるのでしょうか。
 ドイツの抱える現在最大の課題は失業問題です。シュレーダー
前政権下のドイツは、2001年以降、景気低迷が続くなかで失
業者が急増し、2005年1月には統計数値上、失業者が戦後初
めて500万人の大台を突破し、2月には522万人を記録する
までになったのです。
 そして、この失業問題はシュレーダー政権への大きな批判材料
となって、政権交代の原動力となったのです。その後多少状況は
改善されたものの、現メルケル政権が発足した2005年11月
の時点の失業者は次の通りとなっていたのです。
―――――――――――――――――――――――――――――
 失業者数453万人 失業率10.9%――2005.11
―――――――――――――――――――――――――――――
 ドイツは歴史的に社会福祉を重視し、いわゆる「手厚い社会福
祉国家体制」を築いてきた国なのです。しかし、これがグローバ
ル化、少子高齢化、IT化といった環境変化にうまく適応できず
高コスト体質といった構造問題が顕在化するようになります。
 そして、1999年に実施された「欧州通貨統合」が従来の体
質とうまくマッチングできず、それに「東西ドイツ統合問題」も
加わって一層の経済低迷を招く原因となったのです。
 前シュレーダー政権は、こうした構造問題に取り組んできたの
です。高コスト体質には労働市場改革、税制改革、社会保障改革
など――日本のように口先だけの改革ではなく、これらは少しず
つではあるが、解消に向かいつつあるといえます。
 こういう経済状況においてドイツ企業が成長していく道は、輸
出しかないのです。ユーロ圏の景気の良い地域に向けて、ひたす
ら輸出を促進するのです。ユーロ圏であれば同じ通貨であり、関
税障壁もないので、製品に競争力があればいくらでも輸出を伸ば
すことができるのです。そのために労働賃金は低く抑えられるこ
とになったのです。そして、今やドイツは日本を抜いて世界最大
の貿易黒字国になっているのです。これによって、ドイツの経済
は少し良くなりつつあることは確かです。
 この反動で現在のヨーロッパでは、ドイツの賃金は安過ぎると
いう批判が出ています。というのは、ドイツのやり方は悪くいう
と、自国の失業を近隣国に輸出していると批判されてもしかたが
ないからです。
 2005年11月に発足したメルケル政権は、EUの財政規律
を守るため、350億ユーロ規模の財政健全化策を公約とし、そ
の実現のために付加価値税(日本の消費税)を3ポイント引き上
げを決めています。すなわち、2007年1月にそれまで16%
だった付加価値税を19%に引き上げ、さらに高額所得者の所得
税率をアップさせるなど、景気を抑制させる政策を打ち出してお
り、経済の本当の意味での再生を遅らせているといえます。
 リチャード・クー氏は、ECB(欧州中央銀行)の幹部に対し
て、バランスシート不況のときは、マーストリヒト条約の例外を
認めるべきであると主張したところ、ECBはそれはできないと
いうことだったそうです。
 しかし、いずれにしてもマーストリヒト条約の財政規律には大
きな問題があります。日本総合研究所のドイツに関する次のレポ
ートでも、EUの財政規律はドイツの経済成長の足かせになると
して次のように述べています。
―――――――――――――――――――――――――――――
 欧州通貨統合が(ドイツの)経済成長の新たな重石となる懸念
 もある。金融政策および財政政策の自由度が低下したために、
 必要なときに機動的な景気政策が打ち出せず、景気の不安定化
 を招いてしまいかねないという点が懸念されている。
           ――『ドイツ経済の回復は本物か』より
 日本総合研究所・調査部/マクロ経済センター/2006.6
―――――――――――――――――――――――――――――
 経済には「陰」と「陽」の局面がある――そして、「陰」の局
面のときだけに適切かつ大胆な財政出動を行い、経済を少しでも
早く「陽」の局面に転換させる。しかし、「陽」の局面では絶対
に財政出動を行わず、金融政策で経済を支える。そして財政再建
を行って、財政赤字を削減し、次の「陰」の局面に備える――こ
ういう経済政策を行えば、大恐慌を避けることができるというの
がリチャード・クー氏の主張するバランスシート不況の経済学で
あるといえます。
 しかし、それにしても、なぜこれほどまでにケインズ的財政政
策は嫌われるのでしょうか。経済学の世界にはこのようにミステ
リアスなことが多くあるのです。―[日本経済回復の謎/37]


≪画像および関連情報≫
 ・ECBとは何か
  ―――――――――――――――――――――――――――
  ECB――欧州中央銀行とは、ヨーロピアン・セントラル・
  バンクの略で、欧州全体の金融政策を決める唯一の中央銀行
  のこと。欧州通貨統合のスタートに伴い、1998年6月発
  足。本部はフランクフルト。欧州単一通貨ユーロの通貨発行
  権を持ち、管理も行う。最高意思決定機関は各国中央銀行総
  裁らを含む17人で構成する理事会。理事会は毎月開かれ、
  政策金利変更の是非を議論する。職員は政策立案から経済情
  勢分析などを行い、物価の安定を目的に、加盟国の外国為替
  オペレーションや外貨準備などを行っている。
                 ――政治・経済用語集より
  ―――――――――――――――――――――――――――

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2007年07月25日

●2006年4月のIMFの声明文の衝撃(EJ第2129号)

 このところ難しい話が続いているので、少し論点を整理してお
くことにします。EUのマーストリヒト条約の財政規律−−財政
赤字の上限がGDP比3%−−この数値はかなり低いし、こうい
う規律によって財政政策が縛られるのは問題です。
 国債発行枠を30兆円以下にする−−いうまでもなく小泉前首
相の公約ですが、これもEUの財政規律と同じように制限を設け
る間違った政策といえます。
 しかし、小泉首相は2003年になると、国債発行枠制限につ
いて何もいわなくなります。「やろうと思ったけれども結局無理
だとわかってやめたのだろう」−−多くの人はそう思っているよ
うですが、小泉前首相はいったん口にしたことを引っ込めるよう
な人間ではありません。たとえそれをやって経済が多少おかしく
なっても、断固としてやり続ける人です。それでは、なぜ、やめ
たのでしょうか。
 米国−−というよりG7からストップがかかったのです。日本
では小泉政策により財政支出が制限されているので、日本の選択
肢は輸出しかないのです。それを可能にするためには「円安」政
策が必要になります。しかし、既に世界有数の貿易黒字国である
日本がそれをやるのは大きな問題があるのです。
 これはドイツがとっている、いやとらざるを得なくなっている
選択肢と同じです。ただ、ドイツの場合、主としてユーロ圏の景
気の良い国に輸出しようとしているのです。しかし、通貨は同じ
なので労働賃金を低くして競争力をつけているのですが、これが
EU内の周辺国から非難の的となっているのです。
 日本の場合、国債発行を制限したので、当然円安政策を望む声
が強くなります。そうしないと、輸出産業はやっていけないから
です。そのため小泉政権は史上最大の10兆円という為替介入を
実施して円安を維持しようとしたのですが、G7からはそれをや
めてくれといわれたのです。
 というのは、当時米国でも、EUでも自国通貨を安くしようと
していたので、これをそのまま放置すると、世界が1930年代
の大恐慌と同じ間違いを繰り返すことになるからです。自国の経
済を救済するために国外からの需要にたよる−−これを近隣窮乏
政策というのですが−−多くの国がこれをやると、世界レベルの
合成の誤謬が起こってしまうのです。
 ケインズが1945年に国際通貨基金(IMF)を創設したの
はこの国際的な合成の誤謬に対処するためです。国のレベルで起
こった国内的な合成の誤謬であれば、各国政府の財政出動で対処
できるのですが、国際的な合成の誤謬に関しては対応不能になる
からです。
 日本経済の回復には、基本的部分と循環的部分があります。経
済に「陰」と「陽」の両局面があり、「陰」の局面ではバランス
シート不況が発生するというここまでの説明は、基本的部分と考
えてよいでしょう。それに加えて景気には、循環的部分があるの
です。この基本的部分の解決傾向と循環的部分がうまく重なりつ
つあるのが、現在の日本経済の状況です。この傾向は2006年
頃から目立ってきたのです。
 2006年4月の時点−−日・米・欧の経済指標はきわめて好
調だったのです。そこには、景気の悪化を示唆するものは何もな
かったといえます。ところが、4月の終りから5月のはじめにか
けて世界的に急に株価が下がり、金利が下がったのです。
 何が起こったのでしょうか。
 それは、G7、OECD、IMFがほとんど時期を合わせて、
世界的な貿易不均衡問題に対して警告を発したからです。この中
で一番長いペーパーを出したのはG7であり、一番トーンが厳し
かったのはIMFなのです。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 世界的貿易不均衡の秩序ある解消のためには、各国の内需の再
 調整、すなわち具体的には米ドルを現状の水準から大幅に切り
 下げることと、経常黒字国、特にアジアの諸国と産油国の通貨
 を切り上げることが必要になるだろう。 ――IMFの声明文
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 このIMFの声明文について、リチャード・クー氏は後日ワシ
ントンを訪れたとき、IMFの幹部に会って「この声明は米国の
合意があってのことか」と、その真意を確かめたところ、次の返
事が返ってきたというのです。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
         Absolutely −−その通り
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 これは、世界的な貿易不均衡問題は、今や待ったなしの情勢で
あることを意味しています。このところ米国が軍事・外交の面で
大きな政策転換をしてきていますが、このIMFの声明にもそれ
が見られるのです。
 つまり、米国は経済の面でも大きな政策変換をしようとしてき
ているのです。それは、米国はこれまで世界経済を引っ張ってき
ましたが、もうそろそろ限界ですよというサインにほかならない
というわけです。
 それほど、米国の貿易赤字は厳しい状況にあるのです。国の貿
易赤字がGDPの3%を超えると、IMFから警告が入ることに
なっています。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−       3%を超える ・・・・・ イェローカード
    5%を超える ・・・・・ レッド・カード
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 ところが最近の米国のそれは7%を超えているのです。だから
こそ警告が、G7、OECD、IMFの3ヶ所から同時に出され
ることになったのです。
 これには、いろいろな背景があります。明日のEJでは、米国
の双子の赤字とドルの問題について、その内情について述べるこ
とにします。        −−[日本経済回復の謎/38]


≪画像および関連情報≫
 ・あるブログから――米国の貿易赤字について
  −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
  ・・・そんな私の数年前からの疑問は、「米国が毎年莫大な
  貿易赤字を出しているのに、なぜドルの値段はどんどん下が
  っていかないのか?」である。「それは日本が米国の国債を
  買ってあげているからだよ(日銀の米債買い支え説)」「ア
  メリカ政府はドル紙幣をどんどん印刷しているからだよ(ド
  ル紙幣印刷説)」、「アメリカ人は借金して買い物をしてい
  るからだよ(アメリカ人の過剰消費説)」などの発言も聞い
  たことがあるが、どうも私には納得出来ない。世界の金融市
  場は、そんなデタラメを許すほど甘くはないはずだ。  
    http://satoshi.blogs.com/life/2005/08/post_18.html
  −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

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2007年07月26日

●米国の貿易赤字と財政赤字の関係(EJ第2130号)

 1950年に日本は確実に経済成長する方法を模索していたの
ですが、次の方針でいくことを決めたのです。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
          1.良い製品をつくる
          2.それを最優先する
          3.それを米国に売る
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 まず、競争力のある良い製品を作るのです。そのためには難し
い政治の問題や軍事・外交の問題は、基本的には米国にまかせて
良い製品作りに集中するのです。そして、それを米国に売る−−
米国人はこれを買ってくれたのです。そのために輸出は伸び、そ
れで得たお金で新たに技術や機械を入れてさらに成長するという
方法で、日本はリッチになっていったのです。
 日本経済が発展すると、台湾と韓国がともに難しい政治問題を
抱えていたものの、日本の真似をはじめたのです。そして、台湾
も韓国も成長すると、香港、シンガポール、タイ、マレーシアが
真似をする−−そして最後に乗ってきたのが中国なのです。その
結果できてしまったのが米国の莫大な貿易赤字なのです。
 米国は双子の赤字−−貿易赤字と財政赤字を抱えています。こ
の双子の赤字の解消には財政赤字の解消が先である−−このよう
にいわれるのですが、これはどうもそうではないようなのです。
これら2つはリンクしていないようです。
 1998年から2001年にかけて、対GDP比で2〜3%と
いうかなり大きな財政黒字を達成していた時期があるのです。ク
リントン政権の時期です。しかし、貿易赤字はこの時期ほぼ倍増
しているのです。
 2005年1月にFRBは、財政赤字と貿易赤字の関係を分析
したレポートを発表しています。計算モデルを使って財政赤字と
貿易赤字の関係を算出したものなのですが、その結果は、5対1
であったのです。つまり、仮に財政赤字を5ドル減らしても、貿
易赤字は1ドルしか減らないという結果だったのです。これは財
政赤字は貿易赤字に対してはほとんど影響がないことを示してい
たのです。つまり、貿易赤字の5分の4は財政赤字とは別の要因
で起こっているということになります。その要因には次の2つが
あります。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
          1.GDP成長率格差
          2.ドルの為替レート
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 まず、考えられるのは「GDP成長率格差」です。確かに米国
の成長率は日本や欧州よりも高かった時期が多いのです。成長率
が高いということは景気が良いということであり、輸入は多くな
るといえます。
 しかし、「GDP成長率格差」が原因であるといっても米国の
成長率を落としても問題の解決にはならないのです。成長率を落
とせば輸入は減少するからです。そうなると、もうひとつの要因
である「ドルの為替レート」しかないということになります。こ
れがあのIMFの声明になってあらわれたのです。
 一般的にいって、米国の大統領は1期目には為替レートの調整
には手を出さないものです。下手に為替レートをいじってドルが
暴落してしまうと、大統領は市場の信認を失ったとして野党から
攻撃されるからです。
 ブッシュ大統領の場合も1期目は貿易赤字が拡大する一方だっ
たのですが、為替レートの調整は何もやってはいないのです。し
かし、2期に入るやこの問題に手を打ってきたのです。ブッシュ
大統領の再選が決まったのが2004年11月の最初の週なので
すが、その2週間後の11月19日にFRBのグリーンスパン議
長はドイツのフランクフルトで次のようにドルのトークダウンを
はじめたのです。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 このまま不均衡が拡大すれば、ドルは大暴落する。だから、早
 くこの問題に手をつけなければならない。−−グリーンスパン
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 クー氏によると、為替の問題は大統領と財務長官しかいえない
ことになっており、中央銀行に当たるFRBの議長がいうのは異
例のことなのだそうです。
 しかし、グリーンスパン議長のドルのトークダウンについては
議会でも問題になっています。グリーンスパン発言から3ヶ月後
の2005年2月17日の議会でのやりとりです。
 ジョーンズというサウスカロライナ出身の議員はグリーンスパ
ン議長に対して次の質問をしています。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 ジョーンズ議員−−
 日本が7000億ドル以上の米国債を保有し、中国と香港が合
 わせて2500億ドル以上の米国債を持っているといわれるな
 かで、このまま赤字が増加を続ける一方で、その赤字を抑制す
 るために必要なことをしない場合、仮に日本あるいは中国が米
 国債を買うのをやめたら、アメリカの金融市場にどういう影響
 があるだろうか。
 グリーンスパン−−
 その点について我々は調べたが、我々の結論は、外国人による
 買いは米国債の利回りをわずかに押し下げているというもので
 あり、そこから言えることは、もしも彼らが買うのをやめたり
 売りに回ったとしたら、金利はわずかだけ上ることになる。
                  −−リチャード・クー著
     『「陰」と「陽」の経済学』 −−東洋経済新報社刊
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 このグリーンスパンの発言は実に意外であったのです。かつて
はそうでなかったのですが、米国では大きく何かが変化している
ようです。         −− [日本経済回復の謎/39]


≪画像および関連情報≫
 ・アラン・グリーンスパンとは何か
  −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
  アラン・グリーンスパンは、米国のマネタリスト経済学者で
  1987年から2006年まで、連邦準備制度理事会(FR
  B)議長を務めた。就任直後の1987年に起きたブラック
  マンデーを巧みな金融政策で乗り切り、1990年代の米国
  経済の黄金時代を招来したため、長期にわたって信任されて
  いた。米国マスコミも彼の手腕を絶賛し、マエストロ−−巨
  匠、名指揮者を意味するイタリア語の称号を与えた。
                    −−ウィキペディア
  −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

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2007年07月27日

●なぜ、モダレイト・アマウントなのか(EJ第2131号)

 ここでいささか古い話を思い出していただく必要があります。
1997年6月23日、橋本元首相はコロンビア大学で講演をし
たのです。講演後の質疑応答で、次のようなやり取りがあったの
ですが、朝日新聞の有田哲文記者の報道をそのまま記述します。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 質  問:日本や日本の投資家にとって、米国債を保有し続け
      ることは損失をこうむることにならないか。
 橋本首相:ここに連邦準備制度理事会やニューヨーク連銀の関
      係者はいないでしょうね。実は何回か財務省証券を
      大幅に売りたいという誘惑にかられたことがある。
      ミッキー・カンター(元米通商代表)とやりあった
      時や、米国の皆さんが国際基軸通貨としての価値に
      あまり関心がなかった時だ。
      (財務省証券を保有することは)たしかに資金の面
      では得な選択ではない。むしろ、証券を売却し、金
      による外貨準備をする選択肢もあった。しかし、仮
      に日本政府が一度に放出したら米国経済への影響は
      大きなものにならないか。財務省証券で外貨を準備
      している国がいくつかある。それらの国々が、相対
      的にドルが下落しても保有し続けているので、米国
      経済は支えられている部分があった。これが意外に
      認識されていない。我々が財務省証券を売って金に
      切り替える誘惑に負けないよう、アメリカからも為
      替の安定を保つための協力をしていただきたい。
            −−1997.6.24付、朝日新聞
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 この話がきっかけになって米国株式は暴落したのです。しかし
そんなに深い話ではないということで、翌日には株式も戻し、一
件落着という話にはなっています。
 一体橋本首相はなぜこのような発言をしたのでしょうか。これ
については、次の3つの説があります。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
      1.単なるジョークとしての発言
      2.米国の円高誘導に対する牽制
      3.米国の驕りに対する反発姿勢
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 発言の真意はおそらく2であろうと思われます。元首相は日米
首脳会談で「内需拡大が無理なら為替での調整しかない」と迫ら
れていたからです。
 もうひとつこんな話があります。1987年3月25日のこと
です。1ドルが史上初めて150円を割ったときのことです。3
月25日といえば、日本企業の決算日である31日の6日前であ
り、企業の財務担当者が1年で一番ドルの動きに神経をとがらし
ている時期なのです。
 1985年9月23日に「プラザ合意」があってから17ヶ月
間、ドルは当初の240円から下がり続けており、どこまで下が
るのかG7諸国は見極めたいと考えていたのです。そこで、19
87年2月には「ルーブル合意」があり、それによってG7諸国
はドルは150円以下には下がらないという合意が打たれた−−
そのように考えていたのです。
 最初に起きたことは、今まで米国債を買っていた日本の投資家
がドルを買うのをやめたことです。しかし、買うのをやめただけ
で売りには回っていないのに、それだけで米国の長期金利はわず
か6週間の間に7.5%から9%に上がったのです。これと同時
に、日本の長期金利は4%から2.5%に下落しています。
 為替レートはこれによって1ドル137円となり、13円も下
がってしまったのです。クー氏によると、当初米国当局は正確な
原因を把握しておらず、金利が上がったのは米国国内のインフレ
懸念のせいであると考えていたのです。
 やがて米国の金融当局は金利上昇の真の原因に気づき、あわて
てドル安を止めに入ったのです。それに合わせて介入を行い、短
期金利を上げて、6月後半にはドルを150円に戻しています。
添付ファイルはこれらの動きがすべて出ております。
 これに衝撃を受けたのは日本の金融当局なのです。おそらく米
国からの要請もあったと思われますが、それ以来、為替業者に対
して報告義務を負わせ、民間の為替取引に関わる事務コストを膨
大なものにしてしまったのです。「もし黙ってドルを売ったら、
バラスぞ」という脅しが課せられたものと思われます。
 以上の2つの事件をなぜご紹介したかというと、これほど日本
や中国の国債売りに対して神経質であった米国であるのに、20
05年2月17日の議会でのグリーンスパンFRB前議長の発言
は、日本や中国が米国債を買わなかったり、売ったとしても金利
はわずか上がるだけである−−こういい切ったのです。一体どう
なっているのでしょうか。
 リチャード・クー氏によると、グリーンスパン議長がいう「金
利はわずかだけ上ることになる」の「わずかだけ」は英語で次の
ように表現しているというのです。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
   モダレイト・アマウント = moderate amount
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 クー氏によると、「モダレイト・アマウント」はイメージ的に
は「0.3%から0.5%」程度の上昇という意味であるという
のです。これなら、「国債を売りたければどうぞ!」という意味
にもとれることになります。
 このときグリーンスパンは、今こそドルのトークダウンの絶好
のチャンスと見ていたのではないかと思われます。だから、ブッ
シュ政権の2期目に入るとすぐドルのトークダウンをはじめたの
です。今なら外国が国債を売っても国内の投資家がそれを買うは
ずであると読み切っていたのです。この理由については来週分析
することにします。     −−[日本経済回復の謎/41]


≪画像および関連情報≫
 ・ルーブル合意について
  −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
  1987年2月22日、パリのルーブル宮殿に集まったG7
  は、プラザ合意を契機に加速していたドル安に歯止めをかけ
  るため,「為替相場を現行の水準の周辺に安定させる」こと
  で合意した。これをルーブル合意という。1985年9月の
  プラザ合意とその後の各国による協調介入の結果,1ドル=
  240円台であったドル相場はほぼ一本調子で下落し,87
  年2月には150円台に到達していた。そこで今度は各国が
  過度のドル安に対する懸念を共有したことからルーブル合意
  となったが,大幅な国際収支不均衡を是正するためにはドル
  相場の一層の下落が必要との見方があったこと,ブラックマ
  ンデー(暗黒の月曜日)と呼ばれる米株式市場の暴落が生じ
  たことなどから,合意後もドル相場の下落は続いた。
                    −−独学ノートより
  −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

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2007年07月30日

●なぜ政府はドル安容認発言をしたか(EJ第2132号)

 なぜ、グリーンスパンFRB議長(当時)は、2004年11
月にドル安容認発言をしたのでしょうか。その真意を探ってみる
ことにします。
 ドル安容認発言をすれば、日本と中国がドル安を嫌気して米国
債を売ってくることは明らかなのです。もっとも日本については
すべての取引を当局へ報告する制度があるので、かなり抑制的で
はあるものの、それでも多少は売ってくると考えられます。今ま
での常識であれば、海外からの大量の米国債売りがあれば米国の
長期金利は急騰し、米国経済がおかしくなるはずなのです。
 それでもかまわないとグリーンスパン議長が考えたのは、クー
氏によると、ちょうどその頃比較的緩やかではあるものの、米国
はバランスシート不況−−金余りの状況にあったからというので
す。それでは、なぜバランスシート不況時であれば、大量の米国
債売りがあっても経済はおかしくならないのでしょうか。
 これについては添付ファイルをごらんください。これは米国の
資金循環表です。このグラフの中の「非金融法人企業」(上場企
業)−−米国の企業の動きを見ていただきたいのです。
 1980年代は、グラフはゼロ線より下にあり、これは米国の
企業が資金不足の状態にあって、家計部門から積極的にお金を借
りて使っていたことを示しています。その結果、当時の米国の資
金需要は逼迫しており、金利水準も高かったのです。そして、日
本の機関投資家が米国債を買ってくれるかどうかに金利は敏感に
反応していたのです。
 ところが1991年頃から企業のグラフは、ゼロ線を超えてプ
ラスに転じています。クー氏の解説によると、その頃米国では銀
行の貸し渋りが発生し、多くの企業は資金調達ができなくなり、
無理矢理資金過剰に状態にさせられたとしています。そしてそれ
があまりにもひどかったので、その後しばらく企業は借金拒絶症
になってお金を借りようとしなかったというのです。
 しかし、その後ITバブルが発生すると、再びグラフはマイナ
スになり、お金を借りようとする企業が出てきたのです。ところ
が、2000年にITバブルが崩壊すると、バランスシートに問
題の発生する企業が多くなり、そういう企業はキャッシュフロー
を借金返済に回しはじめます。そして、2003年頃にはバラン
スシートの調整は終ったと見られるのですが、その後遺症ともい
うべき借金拒絶症によって、少なくとも2006年頃まではそう
いう状況が続いているのです。2001年から企業のグラフがゼ
ロ線を超えてプラスになっているのは、まさにそれを裏付けてい
るといえます。
 このように、米国でも企業がお金を借りない状況がITバブル
の崩壊後に発生していたことになり、そのためにこの5〜6年、
米国の長期金利は4%前半の極めて低い状況にあったのです。
 グリーンスパン議長がドル安容認発言をした2004年の終わ
りから2005年にかけて、米国の経済は名目で5%〜6%成長
しており、インフレ率も2〜3%あったのです。そうであれば、
本来7%〜8%程度あっていい長期金利が4%前半しかなかった
のは当時の米国が日本ほどではなかったものの、バランスシート
不況下にあったことを意味するとクー氏はいうのです。
 グリーンスパン議長は、米国経済のこういう状況はドルを下げ
るまたとない機会であると判断したのではないかと思われるので
す。なぜなら、このような局面で米国政府がドルのトークダウン
をやれば、日本や中国の投資家がドル債を売り、その結果、米国
債の金利−−つまり長期金利は上がりますが、急騰せず、せいぜ
い4.8%〜5%程度にとどまると考えられたからです。
 それまで米国の投資家は、国債の金利があまりに低いので、無
理して社債を買っていたのです。しかし、国債が4.8%〜5%
という、ほど良いレートになれば米国の投資家が国債市場に戻っ
てくると判断したのではないかと思われるのです。そして彼らが
国債を買いはじめれば、国債利回りの上昇はそこでストップする
――グリーンスパン議長はそのように考えたと思われるのです。
要するに日本や中国がドル安に嫌気して米国債を売ってきても、
米国の投資家がそれを買ってくれると考えたのです。
 しかし、2004年11月頃からの米金融当局のドルのトーク
ダウン発言は、グリーンスパン議長の発言の直後からピタリと止
まってしまったのです。それは、2005年2月以降の石油価格
の上昇が原因なのです。2004年10月26日に石油価格は史
上初めて次の価格に達しています。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
    1バレル=55ドル/2004.10.26
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 そのときグリーンスパン議長は、IMF世銀総会で次のように
スピーチしています。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 ここまで価格が上がれば代替エネルギーや限界的な油田が稼動
 をはじめるので供給が増えて、必ず原油価格は下がる。だから
 これは一時的なものだ。何の心配もない。
                  −−リチャード・クー著
     『「陰」と「陽」の経済学』 −−東洋経済新報社刊
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 確かにグリーンスパン議長のいう通り、このスピーチかから2
ヵ月後の2004年12月には石油価格は1バレル=40ドルま
で下がっています。これによって米国は一安心したのです。
 しかし、2005年2月から石油価格は再び上昇に転じている
のです。従来の石油価格の先物曲線は右肩下がりの様相を呈する
のですが、グラフのかたちが大きく変わってしまったのです。
 これによると、2006年10月27日時点で1バレル=60
ドルになり、その後2011年になっても1バレル=62ドルの
相場が続くことになるのです。これは実に深刻な事態であるとい
えます。これで米国政府高官のドル安容認発言はピタリと止んで
しまったのです。      −−[日本経済回復の謎/42]


≪画像および関連情報≫
 ・原油高止まらぬ米国/2007.7.4
  −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
  米国の旺盛なガソリン需要を背景に、原油価格が過去最高値
  をつけた昨年夏の水準に接近しつつある。ニューヨーク・マ
  ーカンタイル取引所の原油先物相場は2日、指標となる米国
  産標準油種(WTI)が、昨年8月下旬以来10カ月ぶりに
  終値で1バレル=71ドルを突破した。需給懸念に加え、今
  後の需要増を見込んだ投機的資金が相場を押し上げている。
  ロンドン国際石油取引所(IPE)の北海ブレント原油先物
  相場も70ドル台で先行して上昇しており、このまま原油高
  が続けば国内景気にも影響を与えそうだ。
  http://www.sankei.co.jp/keizai/kseisaku/070704/ksk070704000.htm
  −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

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2007年07月31日

●米政府がドル安容認発言をやめた理由(EJ第2133号)

 石油価格が急騰すると、米国金融当局はピタリとドル安容認発
言を封印しましたが、どうして封印したのでしょうか。実はこれ
には次の2つの理由があるのです。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 1.石油価格が上ると、ガソリンスタンドの小売価格も同じ比
   率で値上がりする。この状況でドル安容認発言をすると、
   ドルベースでみた石油価格は上ることになる。
 2.石油はドル表示であり、米国は自国通貨で石油を購入でき
   る。ドル安容認発言をすると、産油国の強い反発を招き、
   石油のドル表示をやめようとする動きが出る。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 第1の理由について述べます。
 米国は石油に課されている税金が他の国に比べて非常に少ない
のです。ですから、石油価格が上がると、ガソリンスタンドの小
売価格はそのまま同じ比率で上がってしまうのです。日本やヨー
ロッパでも小売価格は上がりますが、即座に上がるとか、同じ比
率で上がることはないといえます。
 そういう状況において政策当局者がドル安容認発言をするとド
ルが下がり、ドル当たりの石油価格が上がることになる−−これ
は絶対に避けなければならないことなのです。
 第2の理由について述べます。
 米国は多額の貿易赤字を出しながら、まだ石油を海外から買え
るのは石油価格がドル表示だからです。貿易赤字国は国内に外貨
が乏しいわけですが、石油はドル表示なので、米国は自国通貨で
石油が買えるのです。米国にとってこれは生命線です。
 どうして、石油はドル表示−−正確にいうと「石油・ドル本位
制」になったのでしょうか。
 「石油・ドル本位制」は、米国と世界最大の産油国サウジアラ
ビアとの間に築かれている「密約」−−ワシントン・リヤド密約
によって成立しているのです。そして、その密約は次のような内
容だといわれています。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 ワシントンは、サウド王家に安全保障を提供する。リヤドは引
 き換えに、米国国益の増進を心がける。
 −−谷口智彦著、『通貨燃ゆ/円・ドル・ユーロの同時代史』
                     日本経済新聞社刊
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 この「リヤドは引き換えに米国国益の増進を心がける」という
部分によって実現したのが、「石油代金はドルでのみ受け取る」
というサウジの米国に対する約束なのです。
 現在では、アラブの産油国と米国との関係はイラク問題もあっ
て良くないのです。そんなときにドル安容認発言をすれば、石油
のドル表示をやめることに動きかねないのです。加えて、最近米
国の気に障ることを次々と行い、第2の冷戦かと緊張を高めてい
るロシアのプーチン大統領はロシア産油国の輸出はユーロ建てに
したいとはっきりいっているのです。この発言が飛び出したのは
2003年10月9日のプーチン大統領の次の発言です。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 我々は、ロシア産油国の輸出をユーロ建てとする可能性を除外
 していない。ヨーロッパの貿易相手国は、それを面白いと思う
 のではないだろうか。
             −−ロシア・プーチン大統領の発言
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 おそらくこれほど米国を苛立たせた発言はないでしょう。なぜ
なら、その提案が経済合理性に合っており、EU諸国にはこれを
歓迎するムードが存在するからです。それと、このプーチン発言
はドイツと相談したうえで行われている可能性が高いからです。
 EUのなかで中心的役割を果たしているドイツは、ユーロをド
ルに代えて基軸通貨にしようとしています。そのドイツとロシア
は、前シュレーダー政権の時代から仲が良いのです。ですから、
プーチンの発言は明らかに米国を刺激し、ドイツに肩入れしよう
とする意思のあらわれといえます。
 もし、石油のドル表示が廃止され、ユーロ表示になったら米国
はどうなるでしょうか。
 リチャード・クー氏はこれについて、次のようにコメントして
いるのです。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 アメリカはもともととんでもない赤字国だから、国内に外貨が
 乏しい。もしも石油がユーロ表示になったら、アメリカは自ら
 ドルを為替市場で売って、ユーロを調達し、そのユーロで石油
 を買わなければならない。そのような巨額なドル売りが出てく
 るということは、それこそドルが大暴落するシナリオになる。
 このような事態になったら、それこそ1ドル=50円か、40
 円になるかも知れない。このようなシナリオは、アメリカとし
 ては絶対に避けなければならない。 −−リチャード・クー著
     『「陰」と「陽」の経済学』 −−東洋経済新報社刊
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 実はかつて米国はこの種の問題で大失敗をしたことがあるので
す。1970年後半のことです。当時はカーター大統領の時代で
したが、彼はこういう問題に無頓着であったのです。当時は第2
次オイルショックで石油価格が上がっていたのに、カーター大統
領は巨額な貿易赤字を解決しようとして、ドル安容認発言をやっ
てしまったのです。
 当時のアラブの産油国は、彼らの憎むべき敵国であるイスラエ
ルを支持する米国を快く思っていなかったのです。カーター大統
領の発言の結果、ドルはどんどん下がっていったので、アラブの
産油国は怒り、石油のドル表示をやめてSDR表示にしようとす
る動きが出てきたのです。SDRというのは、IMFの通貨なの
です。その結果がどういう事態になったかについては明日のEJ
で述べます。        −−[日本経済回復の謎/43]


≪画像および関連情報≫
 ・SDR――特別引出権
  −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
  ブレトン・ウッズの固定為替相場システムは、1960年代
  に困難に陥りました。世界貿易の拡大と金融発展をまかなう
  ために必要とされる準備資産の成長を調節するメカニズムが
  なかったことによります。当時、金と米ドルが2つの主要準
  備資産でしたが、金の生産は準備資産の供給源として不十分
  かつ信頼性を欠くものでした。また、米ドル準備資産の継続
  的増加によって米国の国際収支が絶えず赤字となり、そのこ
  と自体が米ドル価値への脅威となりました。こうしてIMF
  主導による新しい外貨準備資産の創設が決定されたのです。
   http://www.imf.org/external/np/exr/facts/jpn/sdrj.htm
  −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

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2007年08月01日

●米国にとって石油のドル表示は生命線(EJ第2134号)

 1970年代−−カーター大統領は自国の大きな貿易赤字を解
消するためドル安容認発言を繰り返したのです。その結果、アラ
ブの産油国の怒りを買い、石油のドル表示をSDR表示にするた
めの研究会を発足するという事態になったのです。
 この事態になってはじめてカーター政権は愕然とし、パニック
に近い状況に陥ったのです。これをやられるとドルは暴落し、経
済は破たんする−−カーター大統領は緊急対応として、当時ニュ
ーヨーク連銀総裁をしていたボルカー氏をFRB議長に抜擢し、
インフレ退治という名目で、短期金利を22%まで引き上げ、ド
ル防衛を行ったのです。
 これでアラブ産油国による石油のドル表示のSDR表示への転
換の動きはなんとか収まったのですが、そのかわりとんでもない
経済への後遺症を残してしまったのです。
 FRBが短期金利を22%に引き上げた結果、米国の貯蓄貸付
組合(S&L)は全滅してしまう事態になります。それもそのは
ず、当時のS&Lの資産は30年固定ローンであり、その利回り
は約10%だったのです。それまでは短期金利は7%前後であり
利益が出ていたのです。しかし調達サイドの金利が7%から22
%に急騰してしまったので、すべてのS&Lは債務超過に陥り、
破綻してしまったのです。今でも米国はこのときの失敗を教訓と
して持っているといわれます。
 しかし、米国の貿易赤字問題の解決は不可避なのです。そこで
貿易黒字国に対して内需拡大策を求めてきているのですが、一向
に進展がないのです。
 それはなぜなのかというと、内需拡大策を進めるにはどうして
も財政出動が必要であるからです。しかし、ドイツや日本をはじ
めとする貿易黒字国には今まで見てきたように財政政策を使うこ
とを封印するムードがあるのです。「こんなに財政赤字を抱えて
いるのに財政出動なんてとんでもない」−−そういう空気ができ
てしまっているからです。
 既出の大阪学院大学経済学部教授の丹羽春喜氏は、その著書の
中で、これは「反ケインズ主義」の思想的大攻勢の成功であると
して次のように述べています。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 1970年代以降、「新古典派」理論を中核とした新自由主義
 と称する「反ケインズ主義」の思想的大攻勢がはじまったので
 ある。これは単なる経済理論の域を越え、従来のマルクス主義
 に代って、一つのアグレッシブな巨大イデオロギーと化してし
 まっていると言ってよい。そのような反ケインズ主義の思想攻
 勢は、しばしば、新自由主義とマルクス主義的な左翼陣営との
 共同戦線のような形で、行われるようになってきた。
 −−丹羽春喜著、『謀略の思想「反ケインズ」主義/誰が日本
            経済をダメにしたか』より。展転社刊
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 この丹羽春喜教授の説はとても興味深く納得性があるので、い
ずれEJの新しいタイトルとして取り上げる予定です。
 リチャード・クー氏のいうように、経済が「陰」の局面にある
ときは金融政策、「陽」の局面にあるときは財政政策というよう
に経済政策を使いわけるべきなのですが、財政政策だけが制限さ
れたり、ムード的に使いにくくなっているというのは問題です。
 クー氏によると、現在日米独と中国の経済は、次の位置にある
と述べています。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
  ≪バブル発生≫
   「陰の第1段階」
   「陰の第2段階」
   「陰の第3段階」 ドイツ
   「陰の第4段階」 日本 米国
  ≪不況の終焉≫
   「陽の第1段階」
   「陽の第2段階」
   「陽の第3段階」 中国
   「陽の第4段階」
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 クー氏の分析では、日本は既に多くの企業でバランスシートの
修復が終わっており、「陰の第4段階」に入ったところにきてい
るとしています。
 米国は、2000年のITバブルの崩壊のダメージは限定的で
あったので、2003年末には企業のバランスシートは修復され
日本と同様に「陰の第4段階」にいると考えられます。
 しかし、米国の場合、現在進行中の住宅バブルの崩壊の状況い
かんでは「陰の第3段階」か、悪くすると「陰の第2段階」に戻
りかねない不安定さがあります。
 それでは、ドイツはどうでしょうか。
 ドイツの場合は、2000年のITバブルに大きくのめり込ん
でしまっており、バランスシートの修復に時間がかかっていると
考えられるのです。したがって、現在ドイツ経済は「陰の第3段
階」にあると考えられます。
 このように米日独の3大経済大国の経済がいずれも「陰」の局
面にある中で、中国だけが「陽」の局面にあると考えられます。
中国は巨額の経常黒字を出していることからわかるように資本を
輸出しています。
 世界3大経済が「陰」の局面にあるということは、資金需要が
低迷していることを意味しています。それに加えて「陽」の局面
の中国が資本輸出国になっている−−これは世界的に資金があふ
れているということであり、世界的に低金利が続いている原因と
なっています。
 このように世界経済を見ていくと、今まで見えなかったことが
見えてくるはずです。そういう意味でバランスシート不況論は経
済学の革命といえます。   −−[日本経済回復の謎/44]


≪画像および関連情報≫
 ・世界的な国際収支の不均衡/竹森俊平氏
  −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
  資本は先進国から発展途上国に輸出されるという「定型」に
  反して、東アジアなど貯蓄過剰な途上国から先進国への資本
  輸出が拡大している。先進国での家計貯蓄率の低下もこの傾
  向に拍車をかけており、日本も5年後には資本輸入国に転じ
  る可能性がある。
  http://www.rieti.go.jp/jp/papers/contribution/takemori/01.html
  −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
  ≪参考≫
  資本輸出国/2005
   日 本     ・・・ 14.2%
   中 国     ・・・ 13.7%
   ドイツ     ・・・  9.7%
   ロシア     ・・・  7.5%
   サウジアラビア ・・・  7.5%

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2007年08月02日

●米国経済に影響を与える国内事情(EJ第2135号)

 リチャード・クー氏による『バランスシート不況論/「陰」と
「陽」の経済学』の理論を通してここまで43回にわたって分析
してきた今回のテーマ「日本経済生還の謎」はあと2回で終了し
ます。そこでまとめとして、いくつか述べたいと思います。
 経済というものはその中心が人間の行動ですから、理論といっ
ても数学のようにきちんと説明できないものが残るのは仕方がな
いと思います。そのため経済現象を説明するためいくつもの説が
あるのは当然のことです。
 しかし、世界の経済学界にはノーベル賞受賞者を中心とするあ
る特定の学派の考え方−−反ケインズ主義−−が中心となりつつ
あり、それがかつての「資本主義か共産主義か」というかたちの
イデオロギー化して対立している−−そう感じます。
 これは大変危険なことであると思います。なぜなら、それは新
しい経済学の発達にブレーキをかけることになるからです。もと
もとはっきりしない人間の行動を対象とする学問にはいろいろな
考え方が共存すべきであるし、それを受け入れることによって経
済学は発達するからです。
 しかし、現在の経済学界は新しい理論を嫌い、受け入れようと
はしないのです。すべてを自分たちが信奉する理論によって説明
しようとします。それで説明し切れないことが出てくると、別な
理由をつけて整合性をとろうとします。
 その格好のテーマが過去15年間にわたる日本の長期不況だっ
たのです。この不況に関して従来の経済学をベースとして組まれ
実践された数多くの処方箋はまったく無力だったのです。そうす
ると、現在の経済学を牛耳る経済学者たちは、「日本は特殊であ
る」という日本特殊論で片付けようとしています。
 それは学問というよりも一種の信仰に近い思想であり、そうい
う思想によって世界は社会的なマインドコントロールされている
という学者もいるほどです。
 しかし、リチャード・クー氏のバランスシート不況論は、ここ
までご説明してきたように、ほぼ完全に日本の長期不況の原因を
解明し切っています。だからといって、バランスシート不況論の
すべてが正しいというわけではありませんが、ひとつの興味ある
考え方として従来の経済学に取り入れたらよいと思うのです。そ
のひとつの提案が『「陰」と「陽」の経済学』なのです。
 しかし、経済学界はこのクー氏の考え方をまったく認めようと
はしていないのです。クー氏の今回の本を読めばわかるように、
内外の経済学者はこぞってこの説に反対のようです。その反対の
根拠についても書いてありますが、素人としてはまったく納得性
のない論拠のように思えます。
 クー氏にいわせると、現在の主流の経済学による経済政策は、
「陽」の局面において有効な政策であって、「陰」の局面には効
かないといっているからです。おそらく金融政策に自信過剰な経
済学者たちはこれを認めることはできないでしょう。しかし、前
回のEJで述べたように、現在日米独の経済大国はすべて「陰」
の局面にあり、少しでも早く「陰」から「陽」への転換が求めら
れているのです。
 それはさておき、このテーマの終りに当たって世界経済の鍵を
握る米国経済について簡単に分析をしておきます。
 現在の米国経済は、元気な企業部門を中心にして活況を呈して
いますが、次の3つの重要な国内事情を抱えています。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
      1.GDPの7%に達する貿易赤字
      2.インフレが加速しつつあること
      3.住宅バブルが崩壊していること
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 第1の問題は、対GDP比で7%を超えている貿易赤字の存在
です。しかし、貿易赤字を減らすにはドル安が不可欠であって、
その実施には特に慎重に対応する必要があります。
 第2の問題は、インフレが加速しつつあることです。インフレ
懸念は2006年春から数値的にはかなり顕著になってきており
米国金融当局としては警戒感を強めているのです。
 第3の問題は、住宅バブルの崩壊です。現在、米国では新築住
宅の売れ残り在庫が過去最高に達しています。また低信用力の個
人向け住宅融資の焦げ付きも問題になっています。
 米国経済が抱えるこれら3つの問題はいずれも非常に対応が難
しいのです。貿易赤字を解決するにはドル安は不可欠ですし、イ
ンフレにはドル高や金利高がいいのです。ところが、住宅バブル
の崩壊には低金利の方がソフトランディングに持っていきやすい
のです。あちらを立てればこちらが立たずという状況であり、解
決の順番がきわめて難しいのです。
 米国はインフレ対策から手をつける方針のようです。そのため
には金利は高い方がいいし、ドルも安くならない方がベストであ
ると考えています。したがって、米国は2OO6年4月末のIM
FやG7発言以来ドルに関しては何もいっていないのです。
 住宅問題については、確かに深刻なものがあります。しかし、
幸いなことに米国の企業はすこぶる元気であり、この4〜6月期
の米実質国内総生産(GDP)の伸び率は前期比年率3.4%と
なり、極めて高水準です。設備投資や輸出といった企業部門の回
復に支えられて、足元の経済は持ち直しているのです。
 現時点での米国当局の判断は、住宅市況は急ピッチで落ちてい
るが、企業部門がしっかりしているので、米国経済が底割れする
ことはないと考えているようです。それどころか、住宅需要があ
る程度減速に向かわないと、インフレも収まらないし、インフレ
が収まらないと、経済全体も軟着陸できない−−そう考えている
と思われます。
 それだけに、信用力の低い個人向け住宅融資−−サブプライム
ローンの焦げ付き問題で株価が動揺している現状には頭を痛めて
いるようです。これによって、市場は不安の連鎖に陥る恐れがあ
るからです。        −−[日本経済回復の謎/45]


≪画像および関連情報≫
 ・サブプライムローンとは何か
  −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
  サブプライムローンは、アメリカの住宅ローンのうち優良顧
  客向け(プライム層)向けでないものをいう。このローンは
  近年拡大した。ところでこのローンに限らず、アメリカの住
  宅ローンについて返済方式が、当初数年間の金利を抑えるも
  のとか、当初数年間金利だけ払うといった当初負担を軽減し
  たものが近年普及し、そのため返済する側が自分の返済能力
  を無視した借入を行う傾向があった。しかし返済の破綻はこ
  れまでは必ずしも表面化しなかった。それは所得の上昇がな
  く生活費が上昇して返済に行き詰まる状況になっても、住宅
  価格が上がりさえすれば、借入れる側は担保評価を超える値
  上がり分を担保に新たな借入を受けるホームエクイティロー
  ンを受けることができ、破綻を先延ばしするだけでなく消費
  を拡大することもできたからである。 −−ウィキペディア
  −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

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posted by 平野 浩 at 04:30| Comment(0) | TrackBack(0) | 日本経済回復の謎 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年08月03日

●なぜ、公共投資を押さえ込むのか(EJ第2136号)

 もし、リチャード・クー氏の理論が正しいとした場合、世界経
済を牽引する日米独の3大経済大国が現在揃って「陰」の局面に
ある−−このとき効く経済政策は「財政政策」のみであるという
ことになります。
 しかし、この財政政策は現在非常に使いにくくなっている−−
このことはここまで何回も述べていることです。7月29日に投
開票が行われた参院選で民主党が勝利すると、すぐさま新聞には
『バラマキ復権の気配も』というタイトルで次の記事が掲載され
たのもその一環です。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 地方への配慮が公共事業や中小企業政策の見直しに及ぶ可能性
 もある。国の公共事業費は、98年度の14兆9千億円(補正
 後)をピークに減少傾向が続き、07年度は当初予算で8兆9
 千億円まで落ち込んだ。  2007.7.31付、朝日新聞
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 このように「公共事業費=バラマキ」ととらえるほど公共事業
削減路線は正当化され、「公共事業=悪い政策」となってしまっ
ています。それが、地方重視の民主党が参院選で勝利したので、
再びバラマキが復権するのではないかという論調です。
 しかし、なぜ公共事業を削減するのでしょうか。それは832
兆円に及ぶ国の借金(政府長期債務)があるからであり、それを
少しでも減らすためのはずです。それならば、公共事業をひたす
ら削減し、国民に痛みを押し付けてそれを目指した小泉政権と安
倍政権はその目標を少しでも達成できたのでしょうか。
 政府長期債務は減るどころか増えています。小泉政権になって
からの2002年の421兆円、2004年の499兆円、安倍
政権になってからの2006年の832兆円というようにです。
 それでは、小泉政権から現安倍政権の間、税収はどうなったで
しょうか。2OOO年から2006年までの税収の推移は次のよ
うになっています。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
  2000年・・503兆円 ≪税収の推移≫
  2001年・・493兆円 2004年・・498兆円
  2002年・・489兆円 2005年・・503兆円
  2003年・・493兆円 2006年・・506兆円
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 ここで、添付ファイルを先に見ていただきたいのです。これは
不良債権の新規増加率と名目GDP成長率の推移です。
 まず、名目GDP成長率の線(点線)に注目してください。こ
の線は右目盛であり、0よりも上がマイナス、下がプラスです。
いわゆる橋本失政によって、1998年に名目GDP成長率はマ
イナス1.3%になっていますが、これが小渕政権に代わると、
小渕首相の積極財政によって2000年に名目GDP成長率はプ
ラス1.2%に回復します。財政出動の重要さが、これによって
はっきりと読み取れるはずです。
 しかし、森政権を経て2OO1年に小泉政権がはじまると、緊
縮財政をとったため、名目GDP成長率は再びマイナス2.1%
となり、2004年になるまでプラスにならなかったのです。さ
らに税収は2001年から500兆円を割り、2005年になっ
てやっと500兆円に戻るという有様です。
 そして、極め付きは不良債権処理です。小泉政権は銀行の不良
債権処理をやったということを政権の看板にしていますが、実際
はどうなのでしょうか。
 グラフの中の実線は、新規不良債権増加率をあらわし、左目盛
です。新規の不良債権が増えたのはやはり橋本政権の末期の19
98年ですが、小渕政権になってからは減少し、2000年には
9%まで減っています。しかし、2001年以降の小泉政権から
は逆に増加しています。
 小渕政権は低支持率でスタートし、良い仕事をしているのにそ
の後も人気が上らず、高く評価されないで、最後は首相が病に倒
れるという不幸な終わり方をしたのですが、今考えると、日本経
済にとって、国民によって一番あたたかい配慮をした政権だった
と思うのです。しかし、小渕首相はいわゆるケインズ政策をとっ
たために現在でも評価されないで終わっています。
 それに対して、小泉政権は日本経済にとっても、国民にとって
も最悪の政策をとったと思えるのですが、なぜか比較的高い評価
が与えられているのは問題があると思うのです。
 橋本、小渕、小泉3政権の政策の成果がよくわかる例をひとつ
紹介します。あまり新聞や雑誌に取り上げないのですが、「1人
当たり名目GDPの国際順位」というものがあります。
 1994年度には日本は1位だったのですが、橋本財政改革の
失敗で7位に転落−−しかし、その後の小渕政権の積極財政で2
位に戻しています。それを2001年からの小泉内閣の構造改革
の失敗で2005年度には14位に急落してします。これによっ
て日本の国際的評価も急落してしまっています。安倍政権も小泉
政権の政策を引き継いでおり,そういうことが今回の参院選にお
いて安倍自民党の大敗北につながったと考えます。
 『増税が日本を破壊する』(ダイヤモンド社)の著者、菊池英
博氏は、日本の政府長期債務の832兆円は、あくまで借り入れ
総額であり、粗債務であるが、政府の保有する金融資産530兆
円を差し引いた純債務で見るべきであるといっています。
 菊池氏は、純債務で見れば日本は302兆円であって、何ら危
機的状況ではないというのです。とりわけ日本のように金融資産
がGDPを上回る国は粗債務だけでは財政事情を正確に判断でき
ず、純債務で判断すべきであるとしています。ちなみに他の主要
国では、金融資産はGDPの10%から15%程度なのです。
 要するに借金の大きさで危機感を煽り、増税による財政再建を
正当化しようと画策しているのです。もっと経済のことをわれわ
れは研究し、事態を正確に把握する必要があります。長い間のご
愛読を感謝します。 −−[日本経済回復の謎/46・最終回]


≪画像および関連情報≫
 ・菊池英博教授のコメント(添付ファイル)
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  「不良債権はデフレの結果である」ことは、経済成長と不良
  債権の発生状況を調べるとよくわかる。名目国内総生産(名
  目GDP)の伸び率の低下と、不良債権の発生率とは相関関
  係にある。つまり、名目GDPの成長率が低下すると、不良
  債権の発生率が高くなり、名目GDPの成長率が成長率が増
  加すると、不良債権の発生率は低下するのである。
  −−菊池英博著、『実感なき景気回復に潜む金融恐慌の罠』
                     ダイヤモンド社刊
  −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

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posted by 平野 浩 at 04:32| Comment(0) | TrackBack(0) | 日本経済回復の謎 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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