2005年01月31日

死せる火星/死につつある地球(EJ1522号)

 今日からしばらく「火星」について考えます。今年に入って3
番目のテーマです。今日はそのプロローグ――予告編であると考
えてください。
 ところで、「紅白歌合戦」、「ハウルの動く城」ときて、次は
なぜ「火星」なのでしょうか。
 別に天文学をやろうというのではないのです。EJのテーマは
ニュース性のあるものを取り上げることにしていますが、いま、
火星はいろいろな意味で注目されているのです。最近米国をはじ
めとする世界各国で宇宙探査がさかんですが、どうしてだかわか
りますか。それは、単なる学問的探求だけでなく、ゆっくりとで
あるが、確実に迫りつつある、人類にとって深刻にして切実な問
題を解決することを目指して行われているのです。
 今年は2005年、京都議定書の第1期である最初の5年間は
2008年からスタートします。京都議定書は気象変動――地球
温暖化防止に向けて定められた最初の国際規則です。京都議定書
はまだ発効されていませんが、まもなく発効される見通しになっ
ています。既に日本をはじめEUなど125カ国・地域が批准し
ているのに、なぜ、ここまで遅れたのか、わかるでしょうか。
 京都議定書が発効するためには、批准した先進国の二酸化炭素
の排出量が90年時点の55%以上なければならず、これまで発
効できなかったのです。それは、最大の温室効果ガス排出国であ
る米国とロシアが参加していなかったからです。
 しかし、2004年11月に、京都議定書の批准案にプーチン
大統領が署名し、ロシアが批准したことによって、米国抜きでも
二酸化炭素の排出量が61%を超えるため、ようやく京都議定書
が今月中にも発効できる見通しとなったわけです。
 それにしても米国のブッシュ政権は、京都議定書を拒否する姿
勢を示し、2001年に離脱しています。しかしながら、その一
方において米国は、世界環境研究の分野ではトップレベルにある
――米国という国はそういう国なのです。
 その米国の火星科学の研究者が書いた次の本があります。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
  ブランデンバーグ&バクソン著/藤倉良訳 講談社刊
  「沈黙の惑星――火星の死と地球の明日」
   ―― DEAD MARS.DYNING EARTH ――
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 原題が凄い――戦慄的です。そのまま訳せば「死んだ火星、死
につつある地球」となります。地球は死につつある――われわれ
はいま「地球号タイタニック」に乗っているようなものだと著者
はいっているのです。それは地球温暖化が深くかかわっているの
でしょうか。
 環境問題の中でも気象変動は目に見えないだけにわかりにくい
のです。100年後に気温が5度〜6度上がるといわれたって、
そんな先のことは誰もピンとこないはずです。それだけに恐ろし
いといえるのです。
 著者は、海洋に長い間にわたって蓄積された二酸化炭素が何か
のはずみで突然大気中に吹き出す可能性にも言及しています。実
際に、湖底の二酸化炭素が噴出して村が全滅した例があるという
ことから推論しています。本当にそんなことが起こるのかどうか
はわかりませんが、可能性はあるといえます。
 著者は、「温暖化の末路は火星を見ればわかる」といっていま
す。火星はなぜ「死の惑星」になったのか――その原因を究明す
ることによって、地球の危機を救うヒントが見つかるのではない
かと提案しているのです。
 確かに、2004年は、明らかに気象は大きく変動しているこ
とが誰の目にも明らかになっています。異常に暑い夏と異常に寒
い冬、台風、地震、津波、竜巻、大雪などが世界レベルで起こっ
ているからです。何かが狂っています。
 しかし、「沈黙の惑星――火星の死と地球の明日」の著者によ
る提案は、火星はかつて生物が住めるような緑の惑星であったこ
とを前提としているのです。火星は太陽から遠くて寒いけど、か
つては大気中に二酸化炭素と水蒸気があって温暖に保たれていた
という前提です。本当でしょうか。果たして、火星には本当に生
物がいたのでしょうか。
 2004年4月に米国のブッシュ大統領は「2020年までに
月と火星の有人探査を行う」と宣言しており、今後5年間、NA
SAにはその有人宇宙探査のために年間1000億円の予算が与
えられることになったのです。
 地球上に問題が山積しているこの時期に、果たして月と火星の
有人探査について米国民の理解が得られるかどうか――諮問委員
会は智恵を絞ったすえにSF作家のレイ・ブラッドベリに次のよ
うな質問をしています。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 諮 問委員会:実用的なアメリカ国民に、有人の月と火星の探
        査を理解してもらえるだろうか。
 ブラッドベリ:新しい自由、地球上の政治と恐怖のテロから離
        れる動きを強調すれば、人々はその重要性を認
        識するでしょう。
 諮 問委員会:地球上に課題が山積しているのに、宇宙探査に
        予算を費やしていいのだろうか。
 ブラッドベリ:地球上では毎日1000億円ものお金が、戦争
        や紛争に費やされているのです。1年のうちの
        1日分を宇宙旅行に使うことにすればできるこ
        となのです。たとえばコロンブスが大航海に出
        なかったら、すべての問題は解決できたでしょ
        うか。アメリカも発見されなかったでしょう。
        あきらめたら、ダメなのです。
        ――竹内薫著、

『火星地球化計画』より。実業
                        之日本社刊
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−


≪画像および関連情報≫
・地球を構成しているすべての物質は宇宙からやってきた。われ
 われの現在の安住の地としての故郷、「天」と「地」は一体で
 ある。               ――カール・セーガン

1522号.jpg
「沈黙の惑星――火星の死と地球の明日」

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2005年02月01日

火星に行くのに必要な時間を知る(EJ1523号)

 あなたは火星のことをどのぐらいご存知ですか。
 よくご存知の方もそうでない方もおられると思いますが、これ
からの話を進めやすくするため火星に関して最小限度の知識を整
理しておくことにします。
 火星は地球軌道のすぐ外側をまわる惑星です。つまり、地球の
隣りの惑星なのです。そして火星は、ほぼ2年2ヶ月ごとに地球
に接近してくる身近な惑星といえます。
 なぜ、2年2ヶ月なのでしょうか。それは、地球、火星それぞ
れの軌道を何日かけてひとまわりするかによって決まってくるの
です。ちなみに軌道を一周するとは、太陽の周りをまわる時間で
あり、これを公転周期と呼んでいます。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
       地球 ・・・・・ 365.26日
       火星 ・・・・・ 686.98日
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 この、地球と火星の公転周期の違いが地球と火星の間の距離の
変化を引き起こす原因となるのです。
 地球と火星の公転周期について知っておくと便利なことがあり
ます。それは「衝」(しょう)と「合」(ごう)の2つです。
 地球と火星の軌道は、ともに楕円軌道です。しかし、楕円の度
合いは違いがあり、地球の方が真円に近いのです。しかし、この
ことはあとでもう少し詳しく述べるとして、説明の便宜上、地球
も火星もともに真円であると仮定します。
 太陽が中心にいて、その下の軌道を地球、さらにその下の軌道
を火星が回っているのですが、太陽・地球・火星が一直線に並ぶ
ときがあります。地球と火星が接近するのは、このときです。つ
まり、地球から見て火星が太陽の反対側にあるときです。この位
置に火星があるときを「衝」というのです。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
   ・・・・・・太陽・・・・・・地球・・・・・・火星
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 これに対して、地球・太陽・火星の一直線に並ぶときがありま
す。地球から見て太陽と同じ方向にあるときです。この位置に火
星があるときは「合」と呼ばれるのです。「合」のときは、火星
は地球から一番離れていることになります。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
   地球・・・・・・太陽・・・・・・・・・・・・火星
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 「衝」のときは、地球から見て火星は太陽と反対側にあるので
火星は日没とともに東から昇り、日の出とともに西に沈むことに
なります。つまり、一晩中見えているわけで、「衝」のときは観
測にはきわめて都合がよいことになります。
 これに対して「合」のときは、火星は太陽と同じ方向にあるの
で、地球から見ると、太陽の光に邪魔されて火星はまったく見え
なくなってしまいます。しかも、「合」のときは、火星は地球か
ら一番離れているときであり、観測には最も適していない時期で
あるといえます。
 ここで話を少し前に戻します。地球と火星の軌道の話です。地
球と火星の軌道は真円ではなく、楕円なのです。もっとも地球に
ついては真円に近いので、小さい図を見ると真円に見えてしまい
ます。火星の軌道は地球よりもいびつですが、それほどひどくは
ないのです。(添付ファイル参照)
 地球と火星の軌道が楕円ということになると、2つの軌道の間
隔には、狭いところと広いところが生ずることになります。した
がって、「衝」の起きる場所によって接近の度合いを次のように
いうのです。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
    軌道の間隔のせまいところの衝 ・・・ 大接近
    軌道の間隔の中度のところの衝 ・・・ 中接近
    軌道の間隔のひろいところの衝 ・・・ 小接近
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 このように火星の接近にはいろいろあるのですが、記憶に新し
い2003年8月27日の大接近では、地球との距離が5575
万8000キロにまで近づいたのです。
 「衝」を前提として地球と火星との距離を考えると、次のよう
なります。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
    平均距離 ・・・・・ 8000万キロ
    大接近時 ・・・・・ 5500万キロ
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 人間が歩くスピードを時速5.5キロとすると、大接近時では
1000万時間――1000年以上かかる計算です。しかし、ま
さか歩いて行くことはあり得ないので、車を時速200キロで走
らせると30年弱で火星に到着します。これが音速のマッハ1の
飛行機だと5年――いずれも現実的ではありませんね。
 そこで、ロケットで考えてみます。ロケットが地球の重力圏を
脱出するのに必要な速度は毎秒11.2キロ――これよりも少し
早い速度で宇宙に飛び出すことができれば、火星には約6ヶ月で
到着するのです。まとめておきます。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
     ≪火星に行くのにかかる時間≫
      徒 歩 ・・・・・ 1000年
      車   ・・・・・   30年
      戦闘機 ・・・・・    5年
      宇宙船 ・・・・・   6ヶ月
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 これで思い出すのは、「2001年宇宙の旅」を意識して火星
に向かった2001マーズ・オデッセイです。2001年4月に
打ち上げられ、7ヵ月後には無事に火星の周回軌道に入っている
のです。火星までの距離は約6ヶ月になっているのです。


≪画像および関連情報≫
・公転周期の違いから、約780日の周期で火星は地球に接近す
 るが、接近時の地球との距離は一定ではない。2003年8月
 27日の大接近は、ALPO(月惑星研究会)のシェフリー・
 ビーシュ博士によると、5万7000年ぶりの大接近であると
 いうことである。

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2005年02月02日

火星の地球化計画というものがある(EJ1524号)

 昨日のEJで、地球から火星までは、現在のロケットで約6ヶ
月かかることを指摘しました。今後ロケット技術が飛躍的に向上
すれば、この時間はさらに縮まると思いますが、いずれにしても
月に行くのとは比較にならないほど長期間の宇宙旅行が前提とな
ることになります。
 ブッシュ大統領は、月や火星への有人宇宙探査のために、今年
から5年間にわたって毎年1000億円の予算をNASAにつけ
ると宣言しています。その本当の狙いは何なのでしょうか。
 その前に火星の大きさをチェックしておく必要があります。惑
星の大きさは、赤道半径を比較します。地球と比べてみると、次
のようになります。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
    地球の赤道半径 ・・・ 6378キロメートル
    火星の赤道半径 ・・・ 3396キロメートル
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 これをみるとわかるように火星は地球の半分よりも少し大きめ
であることがわかります。体積は地球の6.5分の1ぐらい、質
量は地球の10分の1しかなく、かなり小さな惑星であることが
わかります。
 ここで注目すべきは、火星の全表面積と地球の陸地の総面積が
ほぼ等しいということです。地球の半分の大きさしかない火星の
表面積が、なぜ地球の陸地の総面積に等しいかというと、現在の
火星には海がないからです。
 ということは、もし、人類が火星に移住したとすると、現在の
地球上の陸地と同じだけの活動の場が得られることになります。
このようにいうと、火星に移住するなんて荒唐無稽――火星は人
間の住める環境ではないという反論を浴びてしまいます。ところ
が火星への移住計画はけっして絵空事ではなく、現在マジで研究
されているのです。もちろん、実現は100年以上先のことにな
るとは思いますが・・・。
 このように、火星は地球とは大きく異なる惑星ですが、似てい
るところもあるのです。そのひとつに火星の自転周期は約24時
間39分であり、地球とほとんど変わりませんし、自転軸の傾き
も約25度で地球と同じです。
 したがって、火星では地球上とほとんど同じように一昼夜を繰
り返し、四季の変化もあるのです。しかし、既に述べたように、
火星の一年間(公転周期)が1.88年であるため、季節の移り
変わりは地球の2倍近い長さになり、かなり間のびした感じの四
季の移り変わりになります。
 空気はどうなのでしょうか。
 火星の大気圏については、かなり詳しいことがわかってきてい
ます。それは、1976年のバイキング1号と2号による探査以
来のことです。
 これによると、火星の表面気圧は平均6.1ヘクトパスカルと
なっています。これは、地球の成層圏の高度35キロメートルあ
たりの気圧に相当するほど希薄なのです。このため気温は非常に
低く、赤道地帯の夏の昼間ですら、〇度Cを上回ることはまずな
いという寒さです。
 火星の大気の組成は次のようになっています。いずれも体積比
であり、概算です。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
      二酸化炭素 ・・・・・ 95.4%
      窒素 ・・・・・・・・  2.8%
      アルゴン ・・・・・・  1.7%
      酸素 ・・・・・・・・  0.1%
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 水はどうなのでしょうか。
 火星の大気中にはわずかに水分が含まれていますが、液体の水
は存在せず、気体(水蒸気)と固体(氷晶)のいずれかです。雨
が降らないので、火星の表面は極度に乾燥しています。しかし、
水は地下や極冠には氷として蓄えられているのです。
 探査機が撮影した火星の表面の写真を見ると、砂漠のようなも
のが連なっている部分があります。そのことから、大気は希薄と
はいえ、かなり強い風が絶えず吹いていることがわかります。大
規模な砂嵐もときどき起こっており、火星の大気中には微小なダ
ストが含まれています。このダスト粒子のため、火星の空は地球
のような青空ではなく、淡いピンク色をしているのです。
 このような厳しい環境の火星に人類を住めるようにする計画が
あるといったら信じられますか。
 それがあるのです。「火星テラフォーミング」――火星の地球
化計画といいます。人類の火星への移住計画――これを実現する
には、火星の環境を人間が住めるようにしなければなりません。
そけがテラフォーミングです。
 テラフォーミングは次のように定義することができます。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
  テラフォーミングとは、地球以外の天体、すなわち火星や金
  星、月などの環境を地球のように作り変えることである。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 「テラ」とはラテン語で大地あるいは地球を意味し、フォーミ
ングは英語で何かを作り上げることを意味します。つまり、テラ
フォーミングとは、宇宙の地球以外の場所に、生物が生きられる
地球的な環境を産み出し、人間が住めるようにするという意味に
なります。
 そのためには、無人の宇宙探査を何回も繰り返し、やがて有人
探査を行うことが必要になります。2020年のブッシュ大統領
の宣言はこのテラフォーミングを意識してのものなのです。
 しかし、火星を地球化することなど、理論的にもできることな
のでしょうか。そして、なぜ、このような計画が立てられたので
しょうか。そうしなければならない事情でもあるのでしょうか。
EJでは、そういうことについて少しずつ解明していきます。


≪画像および関連情報≫
・火星に関するデータ
  火星の1年 ・・・ 687日
  火星の1日 ・・・ 24時間39分35秒
  火星の風速 ・・・ 毎秒40メートルの大型台風なみ
  火星の重力 ・・・ 地球の38%
  火星の重さ ・・・ 地球の約11%と非常に軽い
  地軸の傾き ・・・ 火星/25.2度
            地球/23.5度

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2005年02月03日

元祖はカール・セーガンである(EJ1525号)

 火星の地球化計画――テラフォーミングを科学者として最初に
取り上げたのは、カール・セーガン(1934〜1996)とい
う科学者です。
 この科学者については、2003年にEJで「タイムマシン」
のテーマを取り上げたとき、詳しく説明しています。2003年
6月30日のEJ第1138号から7月31日のEJ第1160
号までの23回です。カール・セーガンは、映画『コンタクト』
の原作者なのです。
 このカール・セーガンという科学者は、1996年に62歳の
若さで亡くなっているのですが、その半生は科学界のスーパース
ターとして活躍したのです。米国の人気テレビ科学番組「コスモ
ス」の案内人として登場し、その同名の著書は、空前のベストセ
ラーになったのです。
 カール・セーガンは、テレビや新聞・雑誌にたびたび登場し、
彼の専門分野である天文学、物理学、生物学などを誰にでもわか
るやさしい語り口で解説したのです。
 しかし、何といってもカール・セーガンを世界的に有名にした
のは、「核の冬」という理論を展開してからです。1983年の
ことです。これによって、セーガンは一躍、科学界や一般社会だ
けではなく、国際政治の世界でも知られる存在になったのです。
 「核の冬」という理論は、第二次大戦後、膨大な数の核兵器に
よる米ソ対決で、もし全面核戦争になると、地球全体が寒冷化し
て、氷河期のような気候が生じて全人類が滅亡するということを
科学的に示した理論なのです。
 もし、何千発もの核爆発が起こると、それが巻き上げる巨大な
粉塵や砂嵐が空を覆い、地球の大気が高度数十キロまで著しく汚
染されることになります。これが長期にわたって太陽光を遮るこ
とによって、地球の気温が急降下することを指摘したのです。
 このセーガンの「核の冬」理論は、米ソ両大国の核兵器開発競
争を牽制し、それに歯止めをかけただけではなく、地球の大気汚
染というテーマをはじめて地球スケールで考える目というか視点
を世界に与えたという点において高く評価されているのです。
 このように、カール・セーガンは、その時代の社会に衝撃を与
える科学的な理論や仮説をしばしば発表して国際的に注目された
科学者であり、火星へのテラフォーミングもそのひとつであった
のです。思えば、惜しい科学者を若くして亡くしたものです。
 カール・セーガンは、以前から宇宙の地球以外の天体に生命が
存在する可能性を追い続けていたのです。とくに人間のように知
性を持つ生物――地球外知性体/エクストラテレストリアル・イ
ンテリジェンス=ETIが存在する天体が宇宙にどのくらいある
かについて研究していたのです。
 そして、セーガンは多くの科学者との議論を通じて、銀河系宇
宙だけで、100万の天体にETIが存在する可能性があること
を指摘しています。テラフォーミングはその研究の中から生まれ
たものと考えられます。
 テラフォーミングという言葉を最初に取り上げたのは20世紀
前半に活躍したSF作家たちなのです。彼らの取り上げた天体は
金星であったり木星であったりいろいろです。そして、1960
年代になって、当時カルフォルニア大学に籍を置いていた、弱冠
27歳のカール・セーガンがはじめて科学者としてテラフォーミ
ングに言及したのです。
 カール・セーガンがテラフォーミングの対象として最初に着目
したのは、火星ではなく金星だったのです。なぜなら、1960
年代は、米国のアポロ計画によって代表されるように米ソが宇宙
開発を競い合っていた時代であり、金星探査機も金星へ送り出さ
れていたからです。
 そして、セーガンが金星を対象に考えた時期がたまたま、19
62年12月に米国の金星探査機マリナー2号がはじめて金星の
側方通過――フライ・バイに成功して、金星のことが少しわかっ
たという時期と一致したという事情があったのです。
 金星という惑星は、ある面において地球によく似ています。ま
ず、大きさですが、赤道半径は次のようになっています。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
    地球の赤道半径 ・・・ 6378キロメートル
    金星の赤道半径 ・・・ 6050キロメートル
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 質量は地球を1とすると金星は0.82、密度(比重)はとも
に岩石質、そして地表重力は地球1に対して金星は0.91とい
うようにほとんど同じです。
 しかし、他の条件は地球と大きく異なっています。金星は地球
より太陽に近い軌道を回っているため、金星に降り注ぐ太陽エネ
ルギーは強烈であり、500度近い高温に達するのです。
 一番問題なのは金星の大気です。金星の大気は地球よりもはる
かに濃密であることはわかっていましたが、当時は正確なデータ
がないため、セーガンは金星の大気密度は地球大気の約4倍と想
定したのです。
 そして、大気密度の成分の大半は水蒸気であり、その他は二酸
化炭素であると仮定し、もし、水蒸気の多い大気環境であれば、
そこには生物が生きられるニッチ、つまり「生態系のすきま」が
存在すると考えたのです。
 これを前提として、金星の大気に何らかの方法で、上空からあ
る種のバクテリア――シアノバクテリアをばらまけば、それらが
大気中で増殖し、光合成によって二酸化炭素を固定することがで
きると考えたのです。そして、この微生物の死骸が地上に堆積す
る過程で大気中に酸素が残されて、温室効果が低下して温度も下
がっていくはずである。さらに温度が下がると低地には水がたま
り、岩石の風化作用がはじまる――こう考えたのです。
 生物学者であるセーガンらしいアイデアですが、金星の大気が
地球の約4倍という想定が大きく違っていたためセーガンは、金
星のテラフォーミングをあきらめたのです。


≪画像および関連情報≫
・金星は太陽系の太陽から2番目に近い惑星である。地球型惑星
 であり、太陽系内で大きさと平均密度が最も地球に似た惑星で
 あるため、地球の姉妹惑星と表現されることがある。また、太
 陽系の惑星の中で最も真円に近い公転軌道を持っている。欧米
 ではローマ神話よりヴィーナスと呼ばれている。世界各国で金
 星の名前には女性名を当てることが多い。

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2005年02月04日

セーガンの『長い冬モデル』理論(EJ1526号)

 カール・セーガンは、金星の大気密度を地球大気の4倍と推定
したのですが、これは大きく事実と異なっていたのです。しかし
当時の金星に関する情報からいえば仕方がなかったといえます。
 セーガンはこう考えたのです。金星の大気の大半は水蒸気であ
り、その他は二酸化炭素であると。地球から観測したときの金星
が「宵の明星」と呼ばれるように明るく輝いているのは、全体が
高温の水蒸気に包まれた蒸し風呂の状態にあって、それが太陽光
を反射して輝いて見えると考えたのです。
 しかし、実際には、金星の大気の成分の96%が二酸化炭素で
あり、残りのほとんどは窒素であって、水蒸気などはごく微量し
かなかったのです。どうして、これほど多量の二酸化炭素が出た
かというと、過去の火山活動によって二酸化炭素が地表に噴出し
それが大気中に蓄積した結果なのです。
 こうして出来上っている金星の大気密度は、セーガンが推定し
た地球の4倍などではなくて、100倍以上だったのです。そう
であるとすると、金星の地表に立つ人間は、計算上地球において
深さが100メートルの海中にいるときと同じ圧力を受けること
になるのです。
 これでは呼吸すらできないし、しかもこの濃密な大気が温室効
果によって、摂氏500度に近い高温に達している――500度
といえば、鉛が融ける温度なのです。これではまさしく灼熱地獄
そのものであるといえます。
 これらの事実が米ソの探査機によって次々と明らかにされてく
ると、さすがのカール・セーガンも、金星テラフォーミングの思
考実験を中止せざるを得なかったのです。しかし、微生物をばら
まいて酸素を作り出すというセーガンのアイデアは、当然他の惑
星にも応用できるもので、注目されたのです。
 1964年11月に米国のマリナー4号が火星のフライ・バイ
に成功し、その後1970年代に入って、米国の一連の火星探査
機とソ連の火星探査機も加わって火星の詳しい情報が入ってくる
ようになったのです。そのため、太陽系惑星に関する学者の関心
は金星から火星へと移っていったのです。
 カール・セーガンも対象を火星に切り換えて、1973年にあ
る論文を提出します。それは「長い冬モデル」というタイトルの
火星の気象モデルに関する科学論文だったのです。それは、火星
の地表のいたるところに残っている「干上がった川床」の地形が
どのようにして生じたのかを数万年単位の時間スケールで論じた
ものだったのです。
 セーガンの論文によると、火星は5万年の周期で温暖期と寒冷
期が繰り返されているというのです。温暖期には、大気は現在よ
りも濃密で湿度が高く、寒冷期には地表のすべてが凍りつき、二
酸化炭素の大気まで凍って、北極と南極――極冠にドライアイス
状になってしまうのです。そして、現在の火星は寒冷期にあると
指摘しています。
 このように火星に温暖期と寒冷期が生じるのは、太陽に対する
自転軸の傾きが変化するためなのです。地球の地軸も自転軸が一
定の方向を向いておらず、コマの回転のように首振り運動をして
いるので、やはり、温暖期と寒冷期が生じる――火星は5万年、
地球は2万6000年の周期です。
 カール・セーガンは、火星の極冠の氷に注目したのです。この
氷を何とか溶かすことができないか。どうしてかというと、氷が
溶けると、それは二酸化炭素になって解放され、現在よりもはる
かに濃密な大気を火星に作り出せる――今まで誰もが考えたこと
のないセーガンらしいアイデアなのです。
 問題はどのようにして火星の極冠の氷を溶かすかです。これに
ついてセーガンは実に奇抜なアイデアを考え出しているのです。
それは、何らかの方法で極冠にほかの場所から採取した表土を広
範にばらまくというものだったのです。
 そうすれば、極冠は黒く汚れた状態になり、太陽光を効率的に
吸収できるというのです。現在極冠の氷は太陽光のほとんどを反
射させてしまっています。だから、氷は溶けないのです。
 極冠の氷が溶けると、既に述べたように閉じ込められていた二
酸化炭素が解放されて濃密な大気を作り出します。それに温室効
果が生じて火星の温度が上昇するのです。
 このようにして、温度が上昇すると地中に永久凍土として隠れ
ている水が溶け出して、地上に水たまりができるようになる――
そうすると、水たまりは蒸発して水蒸気を増やし、しだいに生物
が生きられる環境が作られていくというのです。
 どうでしょうか。これが「長い冬モデル」という論文の概要で
すが、これなら素人にも十分納得できるはずです。カール・セー
ガンという人はこういう誰でもわかるやさしい語り口で、多くの
人々に科学を説いたのです。
 セーガンのこの「長い冬モデル」は、明らかに火星テラフォー
ミングを意図したものです。そして、セーガンは後世においてテ
ラフォーミングを実際に実施するかもしれない世代に対して、た
とえば核爆発のような強引な手法で彗星の軌道をそらせて火星に
衝突させるといったような手荒な手法は極力避けて、彼が金星テ
ラフォーミングのときに提案した微生物をばらまくなどの穏やか
な手法を用いるべきであると強調しているのです。
 この「長い冬モデル」が発表されて数年後に、NASAはセー
ガン理論の誤りを2つ指摘しています。しかし、論文の発表時点
でのセーガンの指摘は正しかったのです。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 1.セーガンは、極冠のドライアイスを100年で蒸発させら
   れるとしているが、NASAの計算では10万年が必要で
   あること。
 2.極冠の氷はドライアイス――凍結した二酸化炭素ではなく
   その大半は水の氷であり、ドライアイスはごく少量と判明
   したこと。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−


≪画像および関連情報≫
・1970年代までの火星探査の歴史
 1964.11.28/マリナー4号(米)
  史上はじめて火星表面の近接写真撮影に成功
 1971. 5.30/マリナー9号(米)
  はじめて火星を回る人工衛星になる
 1973. 7.25/マルス5号(ソ)
  火星表面の観測撮影に成功
 1975. 8.20/軟着陸探査機バイキング1号(米)
  火星のクリュセ平原に軟着陸し、生命探査

1526号.jpg


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2005年02月07日

火星に生物の痕跡発見か !?(EJ1527号)

 カール・セーガンの「長い冬モデル」には、いくつかの誤りは
あったものの、それ以後の火星テラフォーミングに大きな影響を
与えたのです。
 その後の新しいシナリオは、火星に濃密な大気を作り出そうと
するセーガン・モデルを修正して、火星を少しばかり暖めること
によって必要なガスを放出させようとする方向に変化していった
のです。
 ただ、必要な気体(大気)の生成については、セーガンの考え
ていた極冠からレゴリス(地表を包む岩石)へと対象が変化して
います。火星の岩石層は多孔質であり、そこに大量の二酸化炭素
が含まれている可能性が高いことがわかったからです。
 そして、2004年、火星の周回軌道を飛行して地表を精査し
ている米国の探査機マーズ・オブザーバーと、火星の地表を走り
回って直接探査をしているランドローバーが凄い事実を発見した
のです。水――そうです。これらの探査機は火星にはかつて膨大
な量の水が存在し、それが現在、地下の永久凍土に氷として隠さ
れていることを確認しています。
 この発見は、火星には極冠と地中に大量の水が存在することに
なり、今後の有人火星探査、火星基地の建設、テラフォーミング
を考えるさいの重要な与件となったといえます。そして、水があ
れば生物がいるのではないかという期待が大きく膨らむことにな
るのです。
 しかし、まだ火星には謎が多いのです。現在、火星について一
番多くの情報を保有しているのは米国のNASAですが、NAS
Aは必ずしも情報をすべて出しておらず、公表情報を加工してい
るフシがあります。つまり、NASAは多くの事実を隠蔽してい
ると思われるのです。
 そこで、テラフォーミングの問題はひとまずおいて、火星の謎
についてご紹介していきたいと思います。それには、1996年
にNASAによって行われた衝撃的なニュースの公表から始める
必要があります。
 1996年8月7日――NASAの研究チームは次のニュース
を伝えています。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 米国科学財団の調査隊は、1984年に南極で採取した隕石か
 ら、原始生命の痕跡を発見。その隕石は発見場所のアランヒル
 ズにちなんで「ALH84001」と命名された。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 「ALH84001」――「ALH」は発見場所のアランヒル
ズ、「84」は発見した1984年、「001」は第1号という
意味です。なぜ、この発表が衝撃的かというと、その隕石が火星
から飛来した隕石――火星起源隕石だったからです。
 どうして、火星から飛来したものとわかったのでしょうか。
 それは、この隕石に含まれる微量のガス成分が、1976年に
米国の探査機「ヴァイキング1・2号」によってもたらされた火
星大気成分のデータと一致したからです。
 それでは、どうして地球に落下してきたのでしょうか。
 これについても、微量元素の同位体分析によって、その隕石は
小惑星サイズの天体が火星に衝突した衝撃で地殻が砕かれて、そ
の破片が宇宙にばらまかれ、その一部が地球にやってきたものと
考えられます。
 これらの隕石は「SNC隕石」と呼ばれたのです。SNCとは
「スニック」と発音するのですが、その由来はそれまでに、やは
り火星から地球に落下してきたと思われる次の3つの隕石の名前
の頭文字をとったものなのです。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 1865年  インド シャーゴッティ(Shergotty) ・・S
 1911年 エジプト ナクラ(Nakhla) ・・・・・・・N
 1815年 フランス シャシニー(Chassigny) ・・・・C
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 SNC隕石は現時点で19個が確認されているのですが、それ
らの生成年代は平均して13億年前後であるとされています。し
かし、ALH84001については、その生成が40〜45億年
前と推定され、例外的存在なのです。
 生成時期が40〜45億年というと、それはほとんど火星誕生
の年代に近いのです。これにより、火星の地殻は火星誕生の非常
に早い時期に既に出来上がっていたものと考えられます。
 ところで、NASAの発表した「原始生命の痕跡」とは何のこ
とでしょうか。ALH84001から、一体何が発見されたので
しょうか。
 NASAとスタンフォード大学の共同研究グループは、この隕
石――ALH84001を薄くスライスして成分の分析を進めた
結果、PAH――多環式芳香族炭化水素と呼ばれる有機物を発見
したのです。PAHは燃焼のさいに発生する物質なのですが、有
機物の分解や化石化のプロセスでも生まれるものなのです。
 ALH84001は、他のSNC隕石よりも炭酸塩鉱物を多量
に含んでいたのです。この炭酸塩鉱物はカルシウムに富む鉱石が
二酸化炭素の溶け込んだ水の中で分解して二次的に作られるもの
なのです。これが隕石の中の空洞や割れ目に多量にあるのです。
 このことから、ALH84001隕石の源岩石は、かつて火星
に存在した液体の水にさらされて、その影響を受けた部分が変質
したものと見られるのです。
 研究班は、PAH濃度が最も高い炭酸塩の端にある白黒の細い
帯に注目したのです。そして、この帯を形成している直径10〜
100ナノメートル(1ナノメートルは100万分の1ミリ)と
いう微細な鉱物結晶の形状が、地球のバクテリアが作り出すもの
と同じ立方体や水滴上の形をしていることを発見します。
 この中から地球のミミズのような両端が丸く、細長いチューブ
状の構造をした細胞の連なる物体が発見されたのです。その形は
どうみても微生物の化石にしか見えないものだったのです。


≪画像および関連情報≫
 ・PNC隕石ALH84001の情報
  全体がほとんど斜方輝石という鉱物から成る。重量1.9キ
  ログラム。火星地殻の比較的深い部分を構成していた岩石の
  断片と見られる。
 ・≪1986年8月7日のNASAの会見≫
 ・デビット・マッケイ博士(添付ファイルの3人の写真の右の
  人物)とPNC隕石ALH84001

1527号.jpg


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2005年02月08日

火星人がいることを信じた時代がある(EJ1528号)

 平凡社新書112に『火星の驚異』という本があります。惑星
地質学者の小森長生氏の著作です。この本の冒頭は次のように始
まるのです。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
  20世紀の初めに、この世界が、人間よりもすぐれた知能を
 もち、しかも人間と同じようにいつかは死をむかえる運命にあ
 る生物によって、ごく間近に観察されてきたことを、みなさん
 はご存知だろうか。
  人間はだれもが身の回りのささいな事がらに気をとられてい
 る間に、こと細かに調べつくされていたのだ。あたかも、一滴
 の水の中でうごめく小さな生きものを、われわれが顕微鏡の下
 で調べるようなぐあいに。
  はるかな宇宙空間をこえて、われわれとはくらべものになら
 ないほどに冷酷で無情な、とてつもない知性体が、この地球を
 羨望のまなざしで見つめ、ゆっくりと、しかも確実に、われわ
 れ人類を自分たちのたくらみに引き込もうとしていたのである
 ・・・・
     小森長生著、『火星の驚異』より。平凡社新書112
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 これは、1938年10月30日午後8時に、米国コロンビア
放送(CBS)のラジオからいきなり流されたナレーションなの
です。続いて、アナウンサーは、火星でガス爆発によると思われ
る閃光が数回にわたって観測されたというニュースを伝えると、
次のように続けたのです。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
  ニュージャージー州のトレントンからの特別報告です。午後
 8時50分、隕石と思われる巨大な火の玉物体が、トレントン
 から22マイルはなれた、グローバーズミル近くの農地に落下
 しました。空での閃光は半径数百マイルの範囲で見られ、また
 落下の衝撃音は、はるか北方のエリザベスまで聞かれました。
  目下、特別中継車が現場に急行中ですが、担当記者のカール
 ・フィリップスが現地に到着しだい、状況をお知らせします。
 それまでの間、ブルックリンのホテルから、ボビー・ミレット
 とその楽団によるダンス音楽をお送りします・・・。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 このあと、現場に到着した担当記者フィリップスから驚くべき
事実が報告されるのです。地球に落下したものは実は隕石ではな
く人工の物体であり、中から奇妙な生き物――火星人が出てきた
ということをフィリップス記者が伝えたからです。
 これは、あの『タイムマシン』の原作者、H・G・ウエルズが
1898年に発表したSF小説『宇宙戦争』をラジオ・ドラマに
仕立てて、放送したものなのです。プロデュースしたのは、のち
に名優の名をほしいままにしたオーソン・ウェルズで、ハワード
・コッフの脚本をもとに人気番組「マーキュリー劇場」の一編と
してドラマ化したのです。
 しかし、演出が凝っていて、わざわざある番組を中断して、ア
ナウンサーが「特別報告です」と割り込み、以後は実況中継のか
たちで進められたため、ラジオを聞いていた人が本当のことと信
じてしまうというハプニングがあったのです。放送の途中で「こ
れは単なるドラマです」という断りを何度も入れたのですが、そ
んなことは視聴者の耳には届かなかったのです。
 H・G・ウェルズの『宇宙戦争』は、米国の天文学者パーシバ
ル・ローウェルの説に基づいて作られています。ローウェルとい
う人は、1894年に米国アリゾナ州フラグスタッフに私設の観
測所を作って火星観測に打ち込んだ人です。
 ローウェルは、火星の表面にある多数の細線模様を知的生物が
作った人工運河と解釈し、この説を中心に最初の著作『火星』を
出版するのです。1895年のことです。H・G・ウェルズはそ
のわずか3年後の1898年に『宇宙戦争』を発表しているので
すから、ウェルズはローウェル説を素材にしたといえます。
 ちなみに、H・G・ウェルズの『宇宙戦争』は、1953年に
も『世界戦争』のタイトルで映画になっています。この映画には
ジーン・バリーが主演しています。もうひとつ1996年にその
続編と見られる『マーズアタック』という映画もあります。いず
れも火星軍が地球を攻めてくる映画です。
 『世界戦争』のときは、火星軍の飛行物体に地球軍は翻弄され
るのですが、最後に地球を救ったのは地球のバクテリアだったと
いう話です。これによって、それまで快進撃を続けていた火星の
飛行物体は次々と墜落し、活動を停止してしまったのです。
 『マーズアタック』では、火星軍が強力な宇宙戦艦で攻めてく
るのですが、今度はバクテリアならぬコンピュータ・ウィルスが
地球を救うのです。しかし、この映画は完全なコメディであり、
作品の質も高くないので、あまりお勧めできませんが・・・。
 この2つの映画から、もし、本当に火星人がいて、地球に攻め
てくるのであれば、火星のバクテリアを日本に持ち込んでくるに
違いないと考えられます。そして、1996年に火星の隕石AL
H84001が公開されるのですが、奇しくもその1996年は
日本でO−157が猛威を振るった年であったのです。そしてこ
の隕石の中から火星のバクテリアが発見されたのです。
 ALH84001の中から発見されたチューブ状の構造物は、
地球上の先カンブリア時代の岩石から発見されるバクテリアの化
石に酷似しているのです。ただし、その大きさは20〜100ナ
ノメートルで、地球上で発見される最小のバクテリアの100分
の1程度の大きさしかないのです。
 こんな小さい生物で、生命現象を営むのに必要なDNAなどを
体内に持つことができるかどうかという疑問がありますが、現在
のところそれが生物体でないという立証もできない状態であると
いえます。いずれにしても映画に出てくるような火星人がいない
ことだけは確かなようです。
 火星にはこのほかにも謎が多くあり、明日も追及します。


≪画像および関連情報≫
 ・ALH84001が発見されるまで
  ・45億年前、火星の誕生とほぼ同時にALH84001の
   母体火成岩が地殻の一部として形成される。
  ・約40億年前、隕石の衝突によって、この火成岩は火星の
   地表に放り出される。
  ・約36億〜18億年前、この火成岩の割れ目や空隙に溶液
   が浸透し、バクテリアの格好の住まいとなる。
  ・約1600万年前、2回目の隕石衝突によって、この岩石
   の一部は炭酸塩とバクテリアの化石を抱えたまま宇宙空間
   にはじき出され、長い宇宙旅行に出発。
  ・1万3000年前地球の南極に落下し、氷に埋もれていた
   が、1984年に米国の隕石探索隊によって発見され、A
   LH84001と命名される。
  ・1996年8月7日にNASAによって発表


1528号.jpg
  『マーズアタック』 H・G・ウェルズ『宇宙戦争』



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2005年02月09日

ローウェルの『カナリ論争』のゆくえ(EJ1529号)

 火星人論争は「カナリ」の発見から始まるのです。昨日のEJ
で火星人論争に火をつけたのはパーシバル・ローウェルであるで
あると書きましたが、正確にいうとローウェルより先に火星に運
河らしいものを発見した人が2人いるのです。1人はイタリアの
天文学者ジョバンニ・ヴィルジニオ・スキャバレリ、もう一人は
フランスの天文学者カミーュ・フラマリオンです。
 スキャバレリは、火星を観測してその表面に「すじ」があるこ
とを発見します。イタリア語でそれを「カナリ」というのですが
それがフラマリオンによってフランス語のカナルになり、さらに
英語のキャナル、すなわち、「運河」になってしまったのです。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
        カナリ(canale) → canal
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 しかし、スキャバレリ自身は火星の表面の線を水路とは考えま
したが、それが人工の運河とはいっていないのです。それをいい
出したのはフラマリオンです。運河があるなら、それを作った火
星人がいるに違いない――彼はそう考えたのです。火星人論争は
こうしてはじまったのです。1877年のことです。
 1895年になって、米国人のパーシバル・ローウェルは、フ
ラマリオンの著作『惑星火星』を読んで啓発され、自らも火星を
観測して4連作の論文を書きます。これが彼の著作『マーズ/火
星』となるのですが、それは最初に「アトランティック・マンス
リー」誌に掲載されたのです。
 4連作の最後の論文「火星/オアシス」には、次のように書い
てあります。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
  まず、第1に、火星の全体的な物理条件は、ある種の形態の
 生命を否定するものではない。第2に、見たところ火星の表面
 では水が不足しているようであり、したがって、十分なる知性
 が棲んでいるのであれば、生命を維持するために灌漑に頼るほ
 かない。第3に灌漑用の水路とまったく同じように見えるネッ
 トワーク状の模様が円を覆っていることがわかる。そして、最
 後に灌漑によって肥沃になった土地があるであろう場所にいく
 つもの点が存在し、それはあたかも人工的につくられたオアシ
 スのようなものである。
          ――「アトランティック・マンスリー」誌
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 火星に灌漑用の水路(運河)を作れるほど高度な知性を持つ生物
がいる――このローウェルの説は学者だけでなく、一般の人にも
大きな反響を巻き起こし、天体望遠鏡が爆発的に売れるほどだっ
たのです。ローウェルはこうして一躍有名になったのです。
 しかし、しだいに天体望遠鏡の性能によって運河が見えたり、
見えなかったりする――天文学者の間では、やがてそういう意見
があらわれるようになります。すなわち、普通の天体望遠鏡では
運河にみえるものが、高性能の望遠鏡で見ると、それは単なる点
の集まりにしか見えないことがわかってきたのです。
 このようにして、ローウェルの説に反論する学者が増えていっ
ていったのです。その代表的な学者の一人にギリシャ出身のフラ
ンスの天文学者E・M・アントニアジがいます。
 彼は最初のうち、フラマリオンと共同歩調をとり、ローウェル
説を支持していたのですが、20世紀に入って、パリ郊外のムー
ドン天文台の口径83センチの大屈折望遠鏡で観測をはじめるに
ようになってからは、ローウェルたちとの距離を置くようになり
ます。なぜなら、今まで線に見えていたものが、点の集まりであ
ることがわかったからです。
 E・M・アントニアジらの反論によって、フラマリオンとロー
ウェルの主張した「火星運河説」は急速にしぼんでいくことにな
ります。いわゆる火星人の存在が否定されたのです。
 しかし、このままでは、パーシバル・ローウェルという学者は
「単なる夢想家」という烙印が押されてしまうので、いくつか付
け加えておきたいと思います。
 天文学者ローウェルの最大の関心事は火星だったのですが、そ
れ以外にも天文学に2つの大きな貢献をしているのです。
 1つは、渦巻銀河を観測して、その運動における大きな発見を
し、それがエドウィン・ハッブルが「ハッブルの法則」と呼ばれ
る銀河の後退速度と距離の関係を導き出す重要な基礎になったこ
とです。
 2つは、天王星の運動が計算された軌道からずれることを見出
し、海王星の外側に未知の惑星Xが存在することを予測し、結果
として、冥王星の発見につながったことです。
 「ハッブルの法則」への貢献については素人にはわかりにくい
ですが、冥王星の発見と軌道の予測については誰しも認めるロー
ウェルの功績であるといえます。
 冥王星の最初の2文字「P」「L」は、パーシバル・ローウェ
ルの「P」「L」に合わせてあるのです。これはこの発見に関す
るローウェル天文台の業績を高く評価している証といえます。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
     冥王星 Pluto → Percival Lowell
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 ローウェルについてはもうひとつふれておく必要があります。
ローウェルは天文学者として活躍する前には、明治16年に来日
し、以来10年にわたって日本に滞在していたのです。日本の各
地を訪ねて日本の文化を研究したのです。そして、欧米に日本の
ことを紹介したのです。
 小泉八雲という日本人名で知られるラフカディオ・ハーンも、
ローウェルの影響を受けて日本に関心をもったひとりなのです。
ローウェルは明治26年に離日し、米国のアリゾナ州に自前の天
文台を作って天文学に多大の貢献をすることになります。
 この天文台は現在もあり、グランドキャニオンの観光スポット
のひとつになっています。


≪画像および関連情報≫
 ・ローウェルの火星の運河図
  1894年の夏から秋にかけて、ローウェルは火星観測を続
  けて、回を追うように多数の線状模様(運河)を発見し、そ
  れらが幾何学的な網目をなしてつながっていることを認めて
  いる。運河が交差するところは暗い斑点として見え、これを
  砂漠の中の「オアシス」だとしている。

1529号.jpg


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2005年02月10日

水はかつてあったのか今あるのか(EJ1530号)

 火星には生命体が存在するのかどうか――これは火星に水が存
在するかどうかの問題と裏腹の関係にあります。水が存在すれば
そこに生命体がいる可能性は大きくなります。
 果たして火星に水はあるのかどうか――それもかつて存在し、
いまないのか、それとも現在もあるのかどうか――をはっきりさ
せる必要があります。
 われわれは今まで火星とは次のようなところであると知らされ
てきています。科学ジャーナリストの並木伸一郎氏の著書より引
用します。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
  その薄く透明な大気は冷たく、地表では巨大な火山や峡谷が
 あたりを睥睨する。平野部に目を転ずると、無数のクレータが
 隕石の衝突を、縦横に走る干上がった河床が太古の大洪水を物
 語る。地表の気温は赤道付近で日中はセ氏マイナス31度、夜
 間はマイナス86度。常時秒速7メートル程度の風が吹き、春
 には地表全体を覆う砂嵐が起こる。乾燥しきった極寒の世界。
 これが、われわれが教えられてきた火星の素顔である。
          ――並木伸一郎著「火星人面岩の謎」より
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 既に述べたように、現在、火星について一番豊富な情報を持っ
ているのは米国のNASAです。米国以外の探査機がことごとく
失敗する中で米国だけが成功しているからです。そのNASAの
情報によると、火星の素顔は上記のようになるのです。
 しかし、1997年以降、NASAの多くの探査機からもたら
される火星の情報を総合すると、火星の素顔は、上記とはかなり
違ったものになるのです。
 1997年7月4日と9月11日――この2つの日は火星探査
にとって記念すべき日となったのです。それは、NASAの2つ
の探査機が相次いで火星への軟着陸に成功したからです。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 マーズ・パスファインダー     1997年7月 4日
 マーズ・グローバル・サーベイヤー 1997年9月11日
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 これらの探査機は、パラシュートで落下し、ロケット噴射で減
速したあと、エアバックで衝突を吸収しながら火星に軟着陸する
システムを採用し、成功したのです。そして、マーズ・パスファ
インダー(MPF)が着陸した地点は、カール・セーガンを追悼
して「カール・セーガン・メモリアル・ステーション」と名づけ
られたのです。
 MPFにはカメラや気象観測装置などが搭載され、火星の地表
や気象の観測などを行ったのです。地表の調査については、「ソ
ジャーナー」と呼ばれる超小型火星面車(ローバー)が担当し、
多くの情報を収集しています。
 MPFは、着陸機が撮影した画像1万6000枚、ローバーが
撮影した画像550枚、その他15種類の岩石の分析や気象デー
タなどを送ってきたのですが、これによって火星について重要な
事実が判明したのです。
 その重要な事実とは、火星にはかつて確実に水が存在したとい
うものであり、これについては、2002年3月にNASAが発
表して認めています。それも南極周辺の浅い地中に大量の水が、
それも液体の水として存在しているという表現(?)でです。
 マーズ・グローバル・サーベイヤー(MGS)からも貴重な画
像が数多く送られてきています。1998年に火星の異常地形を
研究している米国のブライアン・ブッチャーは、MGSが撮影し
た画像に奇妙な黒い影を発見――インターネット上にそれを発表
し、「このコーヒーのしみ(スティン)のようなものは何か」と
問いかけたのです。
 2000年6月19日――エンタープライズ・ミッションの主
宰者リチャード・ホーグランドは、やはりMGSが送ってきた画
像にスティンを発見し、はっきりとそれを「水が流れる」証拠と
しています。
 既出の並木伸一郎氏は、これについて次のように記述している
のですが、これは液状の水の流れなのでしょうか。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
  そこには、クレーターの壁面から続く不自然に暗い色をした
 ものと、薄い色の細長いスティスンが写っている。暗く写ると
 いうことは、深みがあり、穏やかな水流で、しみ出てからそれ
 ほど時間が経過していないことを意味する。つまり、この画像
 は地表からしみ出た水が溜まり、それが穏やかな流れとなって
 間もない瞬間をとらえたものだ。―――――――並木伸一郎氏
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 また、米国のアマチュア天文学者エフレイン・パレルモは熱水
作用によって湧き出た水分こそがスティンの正体であり、地表と
しみのような部分には温度差があると主張しています。
 問題は、スティンがかつてあった水の流れの痕跡なのか、それ
とも現在進行形で流れているのかという点です。これについて、
既出のリチャード・ホーグランドは、スティンは水がまさに流れ
ている現在進行中のものであると断じています。
 このホークランドの発言を裏づける1999年に撮影された2
枚の写真(添付ファイルA/B)があるのです。この2枚の写真
は、1999年3月19日と同年8月16日の同じ火星面の写真
なのですが、3月の時点ではなかったスティンが6月には明確に
写し出されているのです。
 また、いま、まさに流れ出そうとする寸前のスティンの写真−
Cもあります。その周辺には多くのスティンがあり、地底から湧
き出る水がスティンとなって地表にあらわれてきていると考えら
れるのです。このように、もし、スティンが水の流れであるとし
たら、火星には地底に大量の液状の水があり、それがスティンの
かたちをとって流れ出し、やがて川のようになりつつある――そ
ういう想定もできると思うのです。


≪画像および関連情報≫
 ・NASAは、MGSが撮影した画像について水の存在を認め
  ているが、それは「かつて存在したかも知れない水」――具
  体的には100万年前に起きたものであるといっており、現
  在における水の存在については言葉を濁している。

1530号.jpg


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2005年02月14日

さらに火星の水の問題を追及する(EJ1531号)

 「火星に水があるのかないのか」という疑問には、「ある」と
答えて間違いはないと思います。2004年1月に火星の着陸に
成功した火星探査車スピリットとオポチュニティは、火星に水が
あったことを示す証拠を発見しています。
 スピリットは、火星のグセフクレーターというところに着陸し
「ハンフリー」という60センチほどの岩石の表面を削って調べ
たところ、内部に裂け目が見つかり、明るい物質が発見されたの
です。この物質は水に溶けていた物質が結晶化したものであり、
水の存在を示唆するものとして発表されたのです。
 オポチュニティは、昔湖の底であると考えられているメリディ
アニ平原に着陸し、調査をした結果、@高濃度の硫酸塩鉱物の存
在、A岩石の裂け目、B粒状の物体の3つが決め手になって大量
の水が存在していた確証が得られたと発表しています。
 しかし、これは「かつて火星には水が存在した」ということを
いっているのであって、現在、水――それも液体の水が存在して
いるといっているのではないのです。
 学者は理論的には「火星に水はない」と考えています。その根
拠をご説明しましょう。小学生の理科の知識で理解できます。添
付ファイルの図をご覧ください。
 縦軸に「気圧」、横軸に「温度」をとります。1気圧の状態で
水が沸騰する温度をセ氏100度とします。これを「沸点」とい
います。これに対して水が凍る温度をセ氏0度とします。これを
「氷点」といいます。グラフ上で「沸点」と「氷点」の位置を確
認してください。
 この場合、沸点よりも高い温度では水蒸気だけが存在し、氷点
よりも低い温度では固体の氷だけが存在できます。液体の水とい
うのは、温度が沸点と氷点の間にあるときだけ存在できることに
なります。
 なお、固体の氷も液体の水も一定の量以下の水蒸気と共存する
ことはできます。この最高の水蒸気の圧力を「飽和水蒸気圧」と
いい、その何パーセントまで水蒸気量があるかの割合を「湿度」
というのです。この飽和水蒸気圧は温度によって変化し、温度が
高いほど大きくなります。
 さて、沸点も氷点も気圧によって変化します。1気圧より圧力
が下がると、沸点と氷点の幅が狭くなり、「3重点」と書いてあ
るところで、沸点と氷点は同じになります。
 図の中で「地球」、「火星」と書いてある矩形の印は、それぞ
れの気圧、気温の範囲を示しています。これを見ると、地球上の
温度・圧力では、水は固体、液体、水蒸気のいずれの状態にもな
り得るのに対し、火星では、液体の水は存在しないことになるわ
けです。ちなみに、3重点の圧力は、6.1ミリバール、温度は
セ氏0.01度ですが、火星の気圧はこれにほぼ近いといってよ
いのです。
 このように、火星には理論上は水――それも液体の水は存在し
ないのです。しかし、各種の探査機の調査によると、火星表面に
は、大量の水が流れた形跡があるのです。
 添付ファイルの写真は、1971年5月に米国のマリナー9号
が撮影した火星の南極地方に存在する地形なのですが、満々と水
をたたえ、音を立てて流れる大河に見えませんか。30年以上も
前に撮られた写真なのに、NASAは今頃になって出してきてい
ます。NASAは明らかに何かを隠しているのです。
 理論上存在するはずがないのに水が存在する――このパラドッ
クスをどのように解ければいいのでしょうか。これは、次の2つ
の問題として考えてみるのです。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 1.今はないが、遠い過去には火星上に水は存在したのではな
   いか。
 2.もしそうであるとしたら、その水はどこに行ってしまった
   のか。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 1については、遠い過去において火星はもっと暖かくて、もっ
と湿った厚い大気をもっていたと考えれば納得がいきます。いく
つもの火星探査機の調査がそれを証明しており、それは間違いな
いと考えられるのです。そうであるとすると、そのときは火星に
生物がいた可能性は非常に高くなります。
 それでは、かつてあったとされる水はどこへ行ってしまったの
でしょうか。
 第1に考えられるのは、極冠です。南北両極に冬の間に白く見
える(白冠)のがそうです。もっとも氷といっても、水が凍った
氷なのか、二酸化炭素が氷結したドライアイスなのかは議論のあ
るところです。
 1948年にジェラルド・カイパーという人が地球から火星の
極地方の赤外スペクトル観測を行った結果、「水の氷である」と
いう結論を出しています。しかし、問題は白冠の温度がどのくら
いかによって結論を出すしかないのです。温度によっては次の判
定ができるからです。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 白冠の温度が−112度より高ければ、二酸化炭素は氷結でき
 ないので水の氷であるし、もし、それよりも低い温度であれば
 ドライアイスである。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 これに関しては、マリナー6号と7号の赤外輻射計による観測
では−123度という温度が得られているのでドライアイスと判
定されるのです。しかし、その後のバイキング2号による測定で
は北極冠の周囲の黒い部分の温度は−38度、中央の白い部分の
温度は−65度とかなり高く、水の氷と判定されるのです。
 水のゆくえで第2に考えられるのは土壌の中です。いわゆる地
球にもある「永久凍結帯/ツンドラ」にある――そう考えられて
いるのです。しかし、これについての考察は行わないことにし、
明日はさらなる火星の謎に迫ります。


≪画像および関連情報≫
 ・人類は小さな球の上で
  眠り起きそして働き
  ときどき火星に
  仲間を欲しがったりする

  火星人は小さな球の上で
  何をしているか 僕は知らない
  (或いはネリリし キルルし ハララしているか)
  しかしときどき地球に
  仲間を欲しがったりする
  それはまったくたしかなことだ

  谷川俊太郎「二十億年の孤独」より

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2005年02月15日

火星の空は本当に赤いのか(EJ1532号)

 火星は「夜空に赤く輝く星」として知られます。火星の空と土
地もすべては赤く染まっている――一般的にはこう考えられてい
ます。確かにNASAの発表する火星の写真の多くは、火星の空
は、ピンク色になっています。
 そもそも地球の空はなぜ青いのでしょうか。
 太陽からの光の中には、波長の違ういろいろな光が含まれてい
ます。太陽から直進してくる光は、大気中を漂う塵や埃や水蒸気
それに大気そのもののゆらぎや酸素や窒素などの気体の分子――
つまり、光から見て障害物にぶつかってしまうのです。
 この衝突が起こると、光は地上に届く前に大気中に散乱してし
まうことになります。これを「レーリー散乱」というのです。こ
の「レーリー散乱」の「レーリー」というのは、「空はなぜ青い
のか」ということに疑問を持ったレーリー卿の名前から取られた
といわれています。
 さて、光の中で紫色の光は波長が短いので、その結果、紫色の
光は大気中に散乱します。それがなぜ青く見えるかというと、人
間の目の感度が「紫」よりも「青」の方が強いためと、他の波長
の短い光も一部は散乱するので、それらが混ぜあわせられ、青い
色になるのです。なお、雲が白く見えるのは、雲の分子が大きく
て、すべてを反射してしまうからです。
 それなら、火星の空はなぜ赤いのでしょうか。
 それは、火星の大気は、いつも塵や埃の微粒子で満たされてい
て、そのせいで光が屈折するからであるといわれるのです。しか
し、大気がいつも微粒子で汚染されているという状況は実は考え
にくいことなのです。
 確かに2001年において、火星全体がかつてないほどの砂嵐
に見舞われたことがあります。そのとき、ハッブル望遠鏡で見た
火星は、赤く染まった地表と、グリーンのレーリー散乱が認めら
れたのです。この写真を見ると、確かに火星は赤い星であるよう
に見えます。添付ファイルの写真Aです。
 もともと火星の空は、地球と同じように青いのでは・・・最近
はこういう説が出てきています。
 2001年の大砂塵のさいのグリーンのレーリー散乱も火星の
空は青であることを証明しているという説もあるのです。それは
黄色と青色が混ざるとグリーンなるからです。つまり、黄色の大
砂塵が、もともとの青いレーリーと混在した結果であるといわれ
ているのです。つまり、火星の空は地球と同じように青いという
わけです。
 トレド大学のフィリップ・ジェームス博士は、1997年5月
27日と6月27日にハッブル宇宙望遠鏡で撮られた2枚の写真
を発表したのですが、そこには明確に青いレーリー散乱が認めら
れるのです。添付ファイルの写真Bです。
 添付ファイルの写真Cは、1976年にはじめて火星に着陸し
たヴァイキング1号が送信してきた火星地表の写真です。これを
見ると、青い空が広がっていることが確認できます。しかし、そ
の後、NASAから公表された同じ写真では空の色はピンクに染
まっています。添付ファイルの写真Dです。
 ヴァイキング計画に携わったギルバート・レヴィン博士による
と、火星の空は青く、NASAの公表した写真の空はNASAが
画像を修正を施したものであるという衝撃的な暴露発言をしてい
るのです。
 それにしても、なぜ、NASAは火星の空の色を隠そうとする
のでしょうか。
 NASAは、火星に生命体が存在したことの一切を隠蔽しよう
としているフシがあります。それなら、空の色と生命体の有無は
どのように関係するのでしょうか。
 ひとつ考えられることは、火星の大気中に占める窒素の割合と
の関連です。地球の場合、大気の75%は窒素が占めています。
もし、火星に生命体が存在するとしたら、火星の大気も窒素を豊
富に含むと考えられるのです。窒素は有機分子の生成に不可欠な
要素であり、アミノ酸からできる蛋白質が全ての地球生物の源に
なるからです。
 大気に含まれる豊富な窒素によって生命体が生まれ、それが二
酸化炭素を排出する――それが大気を構成する物質の比率に影響
を与えて、空は青くなるのです。ハーバート大学のマイク・マッ
ケルロイ博士は、探査機ヴァイキングによって採取されたデータ
を分析して、火星はかつて窒素を含む多様な物質から成る大気に
覆われており、二酸化炭素も現在ほど高いレベルではなかったと
結論づけています。このように、空の色は、生命体の存在の可能
性に直結する問題なのです。
 もうひとつ、火星の地表が赤いことについて、ヴァイキングに
よって採取されたデータを分析した報告書の中に次の記述がある
のです。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
  地球上では、主として海底で発見される粘土質の赤土によく
 似た土壌が火星で発見されている。こうした粘土質の赤土には
 磁赤鉄鋼が含まれているが、発色は鉄分が酸化することで起き
 るものだ。また、マグネシウムやアルミニウム、鉄分、玄武岩
 から成る土壌の存在が確認されている。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 火星の北半球には、南半球に比べてクレーターが少ないという
事実があります。この謎については、存在していたクレーターは
溶岩流によって埋められたという説が主流になっています。
 これについて、元NASAの研究員で火星の異常構造物につい
ての研究家であるリチャード・ホーグランドは、「火星の北半球
はかつて海底であった」とする大胆な仮説を立てています。
 鉄分を多く含む赤土の土壌が火星に存在する――これは火星に
かつて海が存在したということの証明になるのです。それはヴァ
イキングのデータとも、地球で見られる土壌の特質とも一致する
のです。


≪画像および関連情報≫
 ・添付ファイルの写真の説明
  A.2001年の大砂塵のときの火星
  B.青のレーリー散乱認められる火星
  C.ヴァイキングから送信された画像
  D.NASAが発表した同じ写真画像

1532号.jpg

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2005年02月16日

『ガリバー旅行記』と火星の2衛星(EJ1533号)

 『ガリバー旅行記』という本をご存知でしょうか。
 そうです。あのジョナサン・スウィフトの名作です。この本は
一般的には単なる児童向きの物語と思われていますが、実はそん
な単純な物語ではないのです。これは、次の4部から成る超大作
になっています。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
  第1部 「リリパット国(小人国)渡航記」
  第2部 「ブロブディナグ国(大人国)渡航記」
  第3部 「ラピュタその他の国への渡航記」
  第4部 「フウイヌム国渡航記」
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 児童物語として知られているのは第1部と第2部ですが、ここ
で注目すべきは、第3部の「ラピュタその他の国への渡航記」な
のです。第3部の正式名称は次の通りです。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 第3部 「ラピュタ、バルニバービ、ラグナグ、魔法使いの島
     および日本旅行記」
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 ここに出てくる国はすべて架空の国ですが、日本だけが実在の
国なのです。スウィフトがなぜ日本を取り上げたかについては興
味はありますが、ここで取り上げるのは「ラピュタ」なのです。
 このように書いてくると、火星の話をしているのに、なぜ『ガ
リバー旅行記』なのかと不思議に思われると思いますが、この物
語は火星に密接な関係があるのです。
 「ラピュタ」とは何でしょうか。スウィフトは次のように説明
しています。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
  この空を飛ぶ島、乃至は空に浮かんでいる島の形は正確な円
 形である。直径は7837ヤード(7.166キロメートル)
 つまり4マイル半、従って広さは1万エーカー(約40平方キ
 ロメートル)に及んでいる。厚さは300ヤード(274メー
 トル)である。底部、いいかえれば、下界から見上げた者の眼
 に映る下部の表面は、平らででこぼこのない硬石の一枚岩で出
 来ており、硬石の厚さは約200ヤード(183メートル)で
 ある。この層の上に数種の鉱物が下から一定の順序で堆積して
 おり、さらにそれを厚さ10フィート(約3メートル)から、
 12フィート(3.7メートル)に及ぶ肥沃な土壌が一面に上
 から蔽っている。・・・・・
          ――スウィフト著『ガリバー旅行記』より
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 このようにして、島の構成が語られて、島がどうして飛ぶのか
の説明がそのあと続くのです。
 「ラピュタ」といえば、宮崎駿監督の作品に『天空の城ラピュ
タ』がありますが、そのアイデアはおそらく『ガリバー旅行記』
からとられていると思われます。そして、『天空の城ラピュタ』
『ハウルの動く城』につながってくるのです。
 さて、スウィフトの「ラピュタ」の話に戻ります。この島に住
む人は変わり者が多いのですが、頭脳は明晰なのです。とくに天
文学には優れていて、ヨーロッパの天文学者が知らない遠くの星
までを発見しているという説明のあと、注目すべき次の記述が出
てくるのです。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
  彼らは火星のまわりを回転している2個の小さな星、つまり
 衛星を発見している。その2個のうち、内側の星は、そのもと
 となる惑星つまり火星の中心から、火星の直径のまさに3倍の
 距離を保っており、外側の星の場合はそれが5倍である。前者
 が1回転するのに要する時間は10時間、後者は21時間半で
 ある。したがって、この2つの衛星の周期の2乗が、その火星
 の中心からの距離の3乗にほとんど同じくらい比例している。
 ということは、他の天体を支配しているのと同じ引力の法則に
 よってこの2つの衛星が支配されていることを、明らかにして
 いる。          ――平井正穂訳、岩波文庫版より
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 既出の小森長生氏によると、原作の「直径」は「半径」の誤り
であると指摘しています。そうでないと、ケプラーの第3法則と
合わなくなってしまうからです。
 スウィフトのこの記述は実に驚くべきものなのです。火星には
「フォボス」と「デイモス」という2つの衛星があり、それらの
火星中心からの実際の距離は次のようになっているからです。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 フォボス ・・ 火星半径の2.76倍  7時間39分公転
  スウィフトの記述 ・・ 火星半径の3倍/10時間で公転
 デイモス ・・ 火星半径の6.92倍 30時間18分公転
  スウィフトの記述 ・・ 火星半径の5倍/21時間で公転
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 数字的な多少の違いがあるにしても、天文学者でないスウィフ
トがここまで正確に記述するのは驚きです。いや、天文学者でも
無理なのです。当時は、火星の2衛星の存在自体が知られていな
かったからです。
 スウィフトが『ガリバー旅行記』を出版したのは1726年で
あるのに対して、火星の2衛星が発見されたのは1877年のこ
とだからです。つまり、スウィフトは火星の2衛星が発見される
150年も前に事実に近い記述をしているのです。
 どうしてスウィフトが火星の2衛星のことを知ったのかは、今
もって謎につつまれています。火星の2つの衛星を発見したのは
米国の天文学者アサフ・ホールです。
 ホールは1862年にワシントンDCの米国海軍天文台に助手
として就職し、1877年にホールは折からの火星の大接近に合
わせて、この天文台の最大最新鋭の屈折望遠鏡を使って火星を観
測、2つの衛星を発見したのです。


≪画像および関連情報≫
 ・ホールは発見した2つの衛星にフォボスとデイモスという名
  前を付けたが、これらの名前はトロイ戦争をうたったホメロ
  スの長編叙情詩「イリアッド」からとられている。デイモス
  とフォボスは、この詩に登場する軍神アレス(ローマ名では
  マーズ)の部下である。

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2005年02月17日

フォボス2号はなぜ消滅したのか(EJ1534号)

 2つある火星の衛星のうち内側の衛星フォボス――注目される
のはその軌道です。中心の惑星にこんなに近く、しかも火星の自
転周期の3分の1にも満たない公転周期で回る衛星など今までに
例がなく、前代未聞のことだからです。
 それにフォボスは長い間に高度が少しずつ下がり、公転速度が
速くなっているのです。これをめぐっていろいろな仮説が出され
ているのですが、旧ソ連の天文学者I・S・シクロフスキーの出
した仮説はそのユニークさにおいて群を抜いています。
 フォボスは、約5億年前に火星人が打ち上げた人工衛星である
――シクロフスキーはこういったのです。火星には希薄ではある
ものの大気があります。その大気がフォボスの軌道あたりまで広
がっているとすれば、フォボスの公転運動にはブレーキがかかっ
て公転速度は遅くなるはずです。
 それでも公転運動が速くなるというのは、フォボスの平均密度
が非常に小さい場合です。そうすれば密度の小さい衛星は希薄な
大気中でも大きな抵抗を受けて高度が下がり、公転速度は速くな
るはずであるとシクロフスキーは考えたのです。
 それでは、そのような密度の小さい天体とはどういうものであ
るか――それは内部が空洞の球体であればその条件を満たすと考
えたのです。しかし、内部ががらんどうの球状の天体などはあり
得ないので、シクロフスキーとしては半ば冗談のつもりで、火星
人の打ち上げた人工衛星なのだろうと推理したのです。
 もうひとつフォボスにからんで非常に奇怪な話があるのです。
それは、「フォボス」とネーミングされた旧ソ連の宇宙探査船の
話です。1988年7月、旧ソ連は2機の宇宙探査船を火星に向
けて発信させたのです。目的は火星地表の写真撮影と気象データ
の収集、それに火星の衛星フォボスの調査です。探査船は、「フ
ォボス1号」「フォボス2号」と名づけられたのです。
 既に述べたように、フォボスもデイモスも非常に小さい衛星で
あり、地上からの観測には限界があったため、欧州13ヶ国、そ
れに米国も個人レベルでの協力体制をしき、その成果は大いに期
待されたのです。しかし、地球を飛び立って2ヵ月後、フォボス
1号は忽然と姿を消してしまったのです。公式発表では、「コン
ピュータの制御ミス」ということでしたが、真相はわかっておら
ず、謎のままです。
 しかし、フォボス2号は予定通り、1989年1月に火星の衛
星軌道に到着しています。それから約2ヶ月かけて、フォボス2
号は火星地表の写真撮影や各種データの収集を行っていますが、
2号に関しては何もかも順調そのものだったのです。
 1989年3月26日――フォボス2号は軌道を変更して、計
画通りに衛星フォボスに向かったのです。衛星フォボスにぴった
りとついて飛行しながら、詳しい調査が行われることになってい
たからです。
 ところが、3月28日になってフォボス2号は原因不明の交信
不能状態に陥り、すべての通信が途絶えてしまったのです。普通
地上と探査船との交信が途絶することはよくあることであり、地
上からのコンピュータ制御で交信が回復することは珍しいことで
はなく、当初はあまり深刻さはなかったのです。
 しかし、事故の翌日の3月29日、グラフコスモス(ソビェト
宇宙開発総局)の幹部ニコライ・シムヨノフ氏は、沈痛な表情で
次のコメントを発表したのです。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
  フォボス2号が永遠に失われたことはほぼ間違いない。
                 ――ニコライ・シムヨノフ
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 3月30日のソ連のテレビ番組「フレムヤ」は、数名の科学者
をスタジオに招き、フォボス2号の事故に関する経過報告を行っ
ています。それによれば、フォボス2号が消息を絶つ寸前に撮影
した写真に「未確認飛行物体」が写っていたというのです。
 この報告に世界は驚愕し、31日以降各国のマスコミはこれを
取り上げ、報道したのです。それまでも、未確認飛行物体を目撃
した話は何回もマスコミに取り上げられていたのですが、無人の
探査船とはいえ、未確認飛行物体から直接攻撃を受け、破壊され
た(?)ということは尋常ならざることだったからです。
 1989年3月31日付のスペインの「ラ・エポカ」紙は、次
のように報道しています。新聞にはっきりと「未確認飛行物体」
という言葉が掲載された珍しい例です。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
  ソビエトのテレビ番組「フレムヤ」の報ずるところによると
 28日月曜日、火星の衛星軌道を周回中に消息を絶ったフォボ
 ス2号は、その通信が途絶える寸前に火星表面を飛行する未確
 認物体を撮影していたという。
  番組では、フォボス2号が最後に撮影したという2枚の写真
 についての説明に多くの時間が割かれた。それらの写真には、
 大きな影がはっきりと写し出されていた。スタジオに招かれた
 科学者たちは、これらの写真にはっきり写し出された細い楕円
 形の影について、科学的な説明は不可能であるとした。
  これらの影は、いわゆる光学現象ではないという。なぜなら
 ば、影は通常のカメラのみならず、赤外線カメラによっても鮮
 明にとらえられているからだ。ソビエト常任宇宙委員会の科学
 者たちは、これらの影を火星の地表近くを飛行する何らかの巨
 大な物体の影が地表に映ったものと考えているという。
  ある試算によると、フォボス2号が撮影した最後の写真に写
 し出されている影の長さは約20キロであるという。また、そ
 れよりも数日前に撮影された同様の影については、長さ26〜
 30キロと算定された。
  ソビエト特別宇宙委員会のある委員は、この異物の形状が何
 らかの宇宙船のものと思われるとする見解に同意を示した。
              ――スペインの「ラ・エポカ」紙
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−


≪画像および関連情報≫
 ・写真説明
  火星にはフォボスとデイモスという2個の衛星がある。どち
  らも小型で火星に捕獲された小惑星と考えられている。フォ
  ボスには巨大クレーターと、何かが転がったような細長い溝
  が表面に刻まれている。

1534号.jpg

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2005年02月18日

未確認飛行物体とフォボス2号(EJ1535号)

 最初に添付ファイルの写真Aを見ていただきたいのです。これ
はフォボス2号が通信を絶つ直前に写した写真なのです。確かに
巨大な楕円の影が見えます。これを未確認飛行物体と見るか、単
なる影とみるかは微妙なところです。
 未確認飛行物体(UFO)があるかどうかの議論は、幽霊がい
るかどうかのそれと同じであり、それを信ずる人はいるといい、
信じない人はアタマから否定する――どっちもどっちなのです。
しかし、フォボス2号喪失事件ではソビエトを中心に世界中の科
学者がマジでこの問題を議論したのです。
 スペインの新聞「ラ・エポカ」紙が伝えるように、ソビエト常
任宇宙委員会の科学者は、「この影は火星の地表近くを飛行する
何らかの巨大な物体の影が地表に映ったもの」といっています。
しかも、その影の長さは20キロ程度と推定しているのです。も
し、宇宙船であるとしたら、途方もなく巨大な宇宙船ということ
になります。
 無人の宇宙探査船が何らかのアクシデントで故障することは珍
しくないことであり、未確認飛行物体から攻撃を受けたとは限ら
ないではないかという意見があります。確かに未確認飛行物体か
ら攻撃を受けたという証拠はないのですが、フォボス2号に関し
てはそれまでの飛行は非常に順調であり、突如として通信が途絶
するようなことは考えられないのです。
 多くの情報を収集すると、フォボス2号は通信途絶に陥る直前
に機体の安定を失っていたことがわかっているのです。しかし、
フォボス2号には、その優秀性には定評のある「三軸式安定化装
置」が組み込まれており、よほどのことがない限り、突如として
安定を失うなど考えられないことなのです。
 フランスの情報筋は、そのときのフォボス2号の状態を次のよ
うに伝えているのです。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
  カリーニングラード・コントロール・センターでフォボス2
 号の機体制御を担当していた技師によると、撮影終了時に同機
 は信号を送信してきたが、それはまるで、くるくる回るコマか
 ら発せられた信号のようだったのである。
                   ――フランスの情報筋
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 つまり、フォボス2号はきりもみ状態に陥っていたと考えられ
るのです。安定化装置が故障したのか、それとも何かにぶつかっ
たのか――事故直前までに安定化装置には何も異常はなかったの
で、何らかの外部的な力が加わったのではないかと考えざるを得
ないのです。
 この問題を調査するソ連の科学チームは1989年10月19
日号の「ネイチャー誌」において、同計画を技術的側面から報告
しています。その中でフォボス2号がきりもみ状態になったこと
を認め、その原因を制御コンピュータの故障か、あるいは何らか
の物体との衝突と推定しているのです。
 しかし、同チームはその時点でのコンピュータの故障は考えら
れず、また、その何らかの物体が宇宙空間に漂う塵である可能性
も否定しています。しかし、宇宙探査船をきりもみ状態にさせる
ことができる物体とは何かという点については「わからない」と
記述しているのです。
 もうひとつ、その巨大な楕円形の影は衛星フォボスの影ではな
いかという説があります。単に衛星フォボスの影が火星に投影さ
れただけというわけです。衛星フォボスの大きさは約27キロあ
り、大きさも合致するというわけです。添付ファイルの写真Bが
衛星フォボスの影ですが、確かに楕円形ではあるものの、全体が
ぼやけた感じであるのに対し、写真Aの楕円形は火星表面の照り
返しの中に鮮明に浮き上がっており、明らかに違うのです。だい
いち、そうであるとしたら、フォボス2号はなぜ事故を起こした
のか、ますます謎につつまれることになります。
 これらのフォボス2号が撮影した写真をソ連当局は一度に公開
したわけではなく、小出しにしています。関係各国の圧力に負け
てしぶしぶ公開したのです。しかし、一枚だけは今もって公開し
ていないのです。それはなぜでしょうか。何か公開できない事情
が存在するのでしょうか。
 この公開しない最後の写真の存在が、逆にフォボス2号の事故
の真相を握っているといえます。フォボス2号は、「あるはずの
ない何か」に衝突し、永遠に失われたということを雄弁に物語っ
ているといえます。
 既出のシクロフスキーに代表されるように、ソ連の科学者は衛
星フォボスには何らかのかたちで人為的な力が加わっていると考
えているのです。それには、次の2つの理由によります。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
      1.地表に多数の直線的な溝がある
      2.巨大な真円のクレーターの存在
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 第1は、フォボスの地表を走る多数の溝の存在です。これらの
溝は直線的に、しかもお互いに平行を保ちながら走っている――
このことから少なくとも自然にできたものではないと考えられて
いるのです。溝の幅は、約230〜330メートル、深さは25
〜33メートルと計算されています。もうひとつ奇怪なことにこ
れらの地表に走る溝が増えていることがわかっているのです。大
気も水もないフォボスに溝ができるはずがないのにです。
 第2は、衛星の一端に開いた真円のクレーターの存在です。こ
のクレーターの直径はフォボス自身の直径の3分の1におよんで
おり、大きさにしても、真円というかたちからしても、とても自
然に形成されたものとは思えないのです。
 加えて、地表のすべての溝がこのクレーターから流れ出たよう
に、もしくは流れ込むようなかたちで走っているのを見ても自然
とはいえないのです。このクレーターは天体の内部に通じる間口
部なのでしょうか。


≪画像および関連情報≫
 ・火星の第一衛星(内側の軌道を回る衛星)で、長軸の直径は
27キロメートルと非常に小さい。1877年にA・ホール
  (1829〜1907)によって、もう一つの衛星デイモス
  (ダイモスとも言う)とともに発見された。いずれもじゃが
  芋に似た形をしており、火星の引力にとらえられた小惑星と
  考えられている。1977年、火星探査機ヴァイキング1号
  が500キロメートルまで接近して撮影した画像によると、
  クレーターの多い岩石の表面をしていることがわかった。ス
  ティックニーは最大のクレーターで、火星の直径の1/3を
  占める。

1535号.jpg

→次の記事(第1536号)
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2005年02月21日

シドニア地区の立体構造物の正体(EJ1536号)

 1975年の夏のことです。NASAは火星の周回軌道に向け
て2機の無人探査機を打ち上げています。ヴァイキング1号と2
号です。1976年の夏にヴァイキング1号は探査機が火星の周
回軌道に達し、7月20日に同探査機から発射された着陸船が火
星の地表に降り立ったことは既にお話しした通りです。
 さて、火星の赤道から見て約41度北に「シドニア地区」と呼
ばれる荒地があります。探査機が35回目の軌道周回を行ったさ
い、このシドニア地区を撮影した写真を送ってきたのですが、そ
の中に驚くべきものが写り込んでいたのです。
 35回目の軌道周回で撮影された写真は全部で72枚あるので
すが、その中の1枚に「35A−72」と名づけられた写真があ
ります。添付ファイルの写真Aがその「35A−72」です。
 その「35A−72」には、どのように見ても人間の顔としか
思えない形状をした台地が写っているのです。その台地には、矢
印を付けておきました。そして、その台地を拡大したのが写真B
です。どうでしょうか。その幅は1.6キロもありますが、どう
見ても人間の顔にしか見えません。
 この火星の顔のことを「人面岩」というのですが、この岩に最
初に気が付いた人物がトビー・オーエンという人です。オーエン
はNASAが画像処理を依頼している「ディープ・スペース・ネ
ットワーク」の画像処理班の一人です。オーエンは続いて火星に
飛来してくるヴァイキング2号の安全な着陸地点を大きなルーペ
で探しているときに偶然に人面岩を発見したのです。
 オーエンは驚きの声を上げて周りにいる人にその写真を見せま
したが、幅が1.6キロもある人の顔が火星表面にあるはずがな
いという常識的な考え方で、この顔の存在を否定してしまったの
です。かくして、いわゆる火星の人面岩論争が始まるのですが、
その決着はいまもってついていないのです。
 オーエンが声をかけた一人にジェリー・ソフェン博士がいたの
ですが、彼は記者団にこの「35A−72」を見せて次のように
いったそうです。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
  光と影は、ときとしてとんでもないものを造りだしてしまう
 ようです。これが人間の顔のように見えるのは、光が当たった
 角度によってできた陰影が原因と思われます。数時間後に同じ
 地域を撮影した写真には、このような構造物はまったく写って
 おらず、ごく普通の台地が写っているだけでした。
                ――ジェリー・ソフェン博士
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 ソフェン博士が行った記者会見の記者席に後にこの人面岩の権
威といわれる存在になるリチャード・C・ホーグランドがいたの
です。彼はそのとき「アメリカン・ウェイ」誌の記者という資格
でその記者会見に参加していたのです。
 とくかく博士と名乗る人物が「光と影のいたずら」といえば、
情報もなく、知識もない人間はそれに一応納得するはずです。ホ
ーグランドも博士の説明に納得した一人です。
 さて、人面岩の発見と検証について抜きには語れない次の2人
の人物がいます。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 ヴィンセント・ディピエトロ ・・・・ 画像処理の専門家
 グレッグ・モレナー ・・・・ コンピュータ・サイエンス
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 ヴィンセント・ディピエトロは、14年以上にわたる画像処理
及びデジタル技術の専門家ですが、彼は『地球外生命体考古学』
というタイトルの付いた小冊子で火星の人面岩をはじめて見たの
ですが、そのときはあまり関心を持たなかったのです。
 それから2年半後に、メリーランド州グリーン・ベルトにある
NASAのゴダード宇宙飛行センター内に設置された国立宇宙科
学センターで同じ人面岩の写真を見つけたとき、彼はそれを不思
議に感じたのです。なぜなら、NASAが何の意味もなく、写真
を保存するはずがないからです。
 NASAは、既にジェリー・ソフェン博士によって、その写真
は「光と影のいたずら」と片付けてしまっており、本当にそうで
あればそんな写真を残しておくはずがないからです。
 ディピエトロは、友人のグレッグ・モレナーにこのことを相談
したところ、モレナーもその写真に興味を持ち、空いている時間
を利用して一緒に調べてみることにしたのです。
 検証の方法は、コンピュータによる画像処理で、画面内にある
被写体の輪郭を際立たせ、全体像をより明確にするという方法な
のですが、画質向上のために何回も試行錯誤を繰り返した結果、
通常NASAが画像解析に用いる手法とは異なる新技術の開発に
成功したのです。この手法を「SPIT」といいます。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 SPIT = Starburst Pixel Interleaving Technique
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 このSPITという手法によって人面岩画像の検証作業を進め
た結果、幅1.6キロの台地が人間の顔を思わせる完全な左右対
称構造であることがわかったのです。太陽光が当たっていなかっ
たため影となっていた部分には、明るい部分に写った目と同じ大
きさと形状をしたもうひとつの目も確認できたのです。眉毛も鼻
も口も、人間の顔と同じように配置されていたのです。
 ヴァイキング1号がこの写真を撮影したとき、太陽光線は10
度というきわめて低い角度から当たっており、陰に隠れた部分に
写っているものはまったく判別できなかったのです。ところが、
SPITによる画像解析技術によって、それが白日の下に明らか
になったのです。
 NASAは人面岩の存在を否定していますが、SPIT分析で
は、それは「光と影のいたずら」ではなく、左右対称の立体構造
をしていることが判明したのです。しかし、「35A−72」と
いう1枚の写真だけではいかにも説得力がなかったのです。


≪画像および関連情報≫
 ・写真A ・・・ シドニア地区
 ・写真B ・・・ 人面岩
 ・グレック・モレナー&ヴィンセント・ディピエトロ

1536号.jpg


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2005年02月22日

火星地表にはピラミッドがある(EJ1537号)

 火星の人面岩に対するNASAを代表するジェリー・ソフェン
博士は記者会見のさい、次のようにいっています。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
・・・数時間後に同じ地域を撮影した写真には、このような構
 造物はまったく写っておらず、ごく普通の台地が写っているだ
 けでした。            −−ジェリー・ソフェン
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 前回にご紹介したディピエトロとモレナーは、ソフェン博士の
発表を裏付ける写真を徹底的に探したのです。その結果、彼らは
それに該当するものを発見しています。しかし、その写真は真っ
黒で何も識別できなかったのです。
 確かにそういう意味ではソフェン博士のいうように「このよう
な構造物はまったく写っておらず」はウソでないといえます。し
かし、これは撮影した時間が夜であるから当然なのです。という
のは、写真「35A−72」が撮影されたのが午後6時のことで
すから、それから「数時間後」は夜になってしまい、何も見えな
い暗闇を写しているに過ぎないからです。暗闇なら人面岩だけで
なく、他の何ものも見えないからです。
 なぜ、NASAはこのような児戯に等しいウソをつくのか――
ディピエトロとモレナーは、NASAが「光と影のいたずら」で
あるとする問題の写真「35A−72」を処分せず、それを残し
ているのは本音はその逆であると推理し、他にも人面岩を撮影し
た写真があるはずと考えてヴァイキングからの写真を探したので
す。そして写真「70A−13」を見つけたのです。
 「70A−13」は70回目の軌道周回において撮影した13
枚目の写真ということを意味しています。「70A−13」は、
添付ファイルの写真Aをごらんください。この写真は「35A−
72」と比べて、当たっている光の角度こそ違うものの、はっき
りわかるかたちで人面岩が写っているのが確認できます。
 この「70A−13」についてもSPIT解析を行ったところ
人面岩が立体構造物であることが確認できたのです。つまり、こ
の人面岩は「光と影のいたずら」などではないことがはっきりし
たのです。
 確かに風に吹き飛ばされた砂によって、地表にさまざまな凹凸
ができることはよくあることです。しかし、それが左右対称とな
り、目や鼻がつくという偶然はほとんどないといえます。ディピ
エトロとモレナーは、シドニア地区の人面岩一帯の1000キロ
平方メートルについて、「70A−13」の写真を使って、もう
一度ていねいに見直す作業をはじめたのです。そして、もうひと
つの驚くべきものを発見することになるのです。
 それは、人面岩の下方16キロ離れた地点にあるピラミッドを
思わせる構造物(○印)です。それは、1.6キロ×2.5キロ
という巨大なものであり、四面に急斜面をもち、人面岩と同じよ
うに左右対称形をしていたのです。
 実はビラミッドに似た構造物の発見はこのときがはじめてでは
ないのです。1971年に打ち上げられたマリナー9号がエリシ
ウム平原を写した画像にピラミッドを思わせる構造物が写りこん
でいたのです。ちなみに、エリシウム平原は人面岩のあるシドニ
ア地区のちょうど真裏の位置にあるのです。
 ディピエトロとモレナーの発見は米国の天文学協会の月例会議
に招かれたことから有名になり、マスコミにも名が知られ、セミ
ナーには世界中の天文学者が集まるようになったのです。これに
気を良くして、2人はヴァイキングから送信されてきたモノクロ
写真に色をつけて、カラー分析を施してみたのです。
 その結果、さらなる発見がもたらされたのです。それは、もっ
とも暗い部分である人面岩の眼窩のなかに、瞳のある眼球らしい
ものがはっきりと見てとれたことです。添付ファイルの写真Bを
ごらんください。
 ディピエトロとモレナーは、これらの分析結果を世界中の地質
学者に送り、専門家としてさらなる分析を期待したのですが、そ
の期待は裏切られてしまうのです。それは、火星地表に見られる
人工建造物らしきものを論拠として、火星に知的生命体が存在す
る可能性を探るというやり方自体が、地質学界に受け入れられな
かったのです。
 もともと地質学界と生命科学学界とは昔から折り合いがわるく
水と油だったのです。だいいち、「火星に生命が存在する可能性
を探る」というヴァイキング計画そのものに地質学界はソッポを
向いていたのです。
 かくして、ディピエトロとモレナーの画期的な発見にもかかわ
らず、火星の人面岩論争はまるで冷や水を浴びせられたように関
心が薄くなっていってしまったのです。なぜなら、地質学界が何
の反応も示さなかったため、火星の異常構造物は自然の作用によ
るものであるという暗黙の合意が、アカデミズムの世界でできあ
がってしまったからです。
 火星の地表に異常な構造物が存在する――アカデミズム全体で
はほぼ完全否定であり、それが常識的とされています。もし、あ
なたが学者であるとした場合、この説に同調している限り、常識
的なまともな学者とみなされます。一度できてしまったアカデミ
ズムの合意をくつがえすほど困難なことはないからです。それに
一番情報を握っているNASAは一貫して火星の異常構造物につ
いては全否定なのです。
 しかし、一貫して火星の異常構造物を人工のものと主張するリ
チャード・C・ホーグランドは次のようにいっています。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
  私ははっきりと指摘しておく。人面岩およびディピエトロと
 モレナーが発見したピラミッド状構造物は、決して自然の作用
 でできたものではない。しかも両者には明らかに因果関係があ
 る。その因果関係を解き明かす鍵は、火星表面の「都市遺跡」
 構造物にあるのだ。   ――リチャード・C・ホーグランド
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−


≪画像および関連情報≫
 ・写真A ・・・ 「70A−13」
 ・写真B ・・・ 人面岩の眼窩内に見られる眼球と瞳。これ
          はどう見ても人間の目以外のものでない。

1537号.jpg


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2005年02月23日

異常構造物は何のために作られたか(EJ1538号)

 世の中には「常識」という不可解なものがあります。その常識
なるものが必ずしも正しいと決まっているわけではないが、いっ
たん世間の合意ができている常識に逆らうとヒドイ目に遭うので
す。逆に常識的なことをやっていると、何らトラブルを起こすこ
となくやっていけるのです。ですから、多くの人は常識外れにな
らないよう気をつけて行動するのです。
 しかし、学者はそれでは困るのです。新しい発見は常識を破る
ことによってもたらされるからです。火星に人工物としか考えら
れない構造物がある――この事実は常識を超えています。誰も火
星に行ったことがないのですから、どうとでもいえるのです。し
たがって、多くの人は常識にしたがって「自然のいたずら」とし
て片付けようとします。それでもそうではない、人工物なのだと
主張するには大変な勇気がいるのです。
 そういう意味において、カール・セーガンという人は、立派な
学者であると思います。天文学において立派な業績を遺し、人々
に尊敬されながら、ディピエトロやモレナー、ホーグランドとい
う人たちの唱える人面岩説、ピラミッド説を否定せず、積極的に
彼らに会って意見の交換をしています。実に学者としてフェアな
態度だと思います。
 そして、セーガンは、学説としては発表できないことは小説と
して書くという特技を持つ学者です。その小説の中には他の星に
は知的生命体がいるのです。彼は誰よりも地球以外の天体に知的
生命体がいることを確信していたからです。
 さて、話を火星地表の異常構造物に戻します。中でも奇怪なの
は人面岩ですが、どのくらいの大きさか見当がつくでしょうか。
 既出の並木伸一郎氏によると、米国の橋と建物――といっても
ニューヨーク貿易センタービルはもうありませんが――に例えて
次のように述べています。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
  サンフランシスコのゴールデンゲートブリッジの半分くらい
 の長さ(1500メートル)と、ニューヨークの貿易センター
 ビルほどの高さ(450メートル)を持った構造物が火星の地
 表にあるのだ。             ――並木伸一郎氏
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 人面岩――途方もない大きさですが、仮に火星に知的生命体が
いたとして、そんなものを何の目的で作ったのでしょうか。
 はっきりしていることは、人面岩は空を向いており、空から火
星に飛来する者が見ることを前提として作られていることです。
このことから、次の3つのことが考えられます。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
       @着陸地点を示す標識である
       A何かのモニュメントである
       B未来へのメッセージである
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 第1は、「着陸地点を示す標識である」とする説です。
 この説はかつて火星には何らかの知的生命体――つまり火星人
がいて、彼らの飛行物が着陸するさいの標識にしたのではないか
という考え方です。この場合、人面岩だけではなく、周辺のピラ
ミッドも含めて標識になっていると考えるべきです。
 第2は、「何かのモニュメントである」とする説です。
 人面岩は、火星には知的生命体は住んでおらず、太陽系外の異
星人が火星を訪れたさいの一種の記念碑――訪問したことを示す
モニュメントではないかという説です。それには火星の周回軌道
に入ったときわかるようにしておく必要があります。
 第3は、「未来へのメッセージである」とする説です。
 太古の地球には先進文明が存在しており、すでに火星に到達で
きるほどの技術力を有していたと考えるのです。人面岩や周辺の
ピラミッドはその地球人が未来の地球人に向けて、何らかのメッ
セージをこめて建造したものである――そういう説です。
 リチャード・ホークランドは、この中で一番可能性があるとし
たら、おそらくBの説であろうといっています。
 火星には火星人という知的生命体がいる――この考え方には無
理があると思うのです。まして、太陽系以外星の異星人というの
はもっと現実的ではないと思います。
 そうであるとしたら、残るのはBの説なのです。太古の地球人
は先進文明を持っていたと考える説です。つまり、タコの化け物
のような火星人は存在せず、太古の地球人は月や火星に行ける技
術を持っていたと考えるのです。人面岩が人間の顔をしているの
はそのためであると考えるのです。
 太古の地球には先進の文明があった――これを立証するのは不
可能です。なぜなら、紀元前1世紀にエジプト、アレキサンドリ
ア図書館の蔵書を火事で焼失しているからです。
 しかし、太古の地球人が真に先進文明を持っており、月にも火
星にも行けたのだとしたら、火星に何らかの痕跡を残そうと考え
ても不思議はないのです。現代の地球人が将来火星に行けるよう
になったら、人面岩やピラミッドから数多くの痕跡を発見するは
ずです。人面岩はそのためのサインではないか――ホーグランド
はそう考えたのです。
 おそらく太古の火星には、大気も十分あり、水も豊富にあった
と思われるのです。したがって、太古の地球人は火星にも暮らし
ていたのではないか――それなら、人面岩があっても、ピラミッ
ドがあっても不思議はないのです。
 火星の人面岩やピラミッドが人工物であるとしたら、それはき
わめてエジプト文明と酷似しています。エジプトにはピラミッド
があり、スフィンクスがあるからです。これらの建造物を見ても
相当高度な文明を持っていたことは確かですが、それが現代でも
解明されていないのです。それらは、宇宙人が作ったものではな
く、太古の地球人が作ったと考えてみると、すべての謎が解けて
くるのです。


≪画像および関連情報≫
 ・      35A−72     70A−13
  カメラ高度 ほぼ真上       北寄り
  太陽の角度 太陽方位88.5度  86.5度
  探査機高度 1860キロ     1728キロ
  軌道傾斜角 北方位154.8度  北方位170.5度

1538号.jpg

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2005年02月24日

シドニア地区にある都市遺跡(EJ1539号)

 人面岩はひとまずおき、ディピエトロとモレナーが発見した巨
大なピラミッド状の構造物についてお話ししたいと思います。こ
のピラミッド状の構造物は、人面岩から南西に16キロ離れた場
所にあるのですが、発見したディピエトロとモレナーの頭文字を
とって「D&Mピラミッド」といっているのです。
 シドニア地区における人面岩とD&Mピラミッド――これら2
つは明らかに異常構造物です。D&Mピラミッドを中心に半径を
16キロとして円を描いたとします。この円内に入る範囲の面積
はおよそ100平方キロになります。
 1億5000万平方キロの火星の全面積のうち、この100平
方キロというごく限られた範囲内に、2つの異常な構造物が存在
する可能性は150万分の1という確率でしかないそうです。そ
れにこの範囲に入る面積の中には、人面岩やD&Mピラミッド以
外にも特異な構造物が存在するのです。つまり、異常構造物がご
く限られた場所に集中して存在しているわけです。
 このD&Mピラミッド――実は5面体なのです。しかも、単な
る5面体ではなく、底辺は見事な左右対称の5角形なのですが、
底辺を挟んだ2組の斜辺の長さが異なるのです。つまり、短い3
辺と長い2辺で構成されているのです。短い辺は約1.5キロ、
長い辺は約2.6キロであり、ちょうど将棋の駒のような格好を
しているのです。(添付ファイル/写真A)
 さらに南側の三角形の斜面とは反対の北側の斜面は、真ん中の
稜線が一直線ではなく、途中で三叉に分かれているのです。それ
でいて、左右対称のバランスを保っているのです。このように、
左右対称の斜面を持ち、なおかつ向かい合った2つの辺の長さを
同じにし、頂点には左右対称の三叉構造を長さ数キロに及ぶ地形
として生じさせることなど自然界にはあり得ないことなのです。
 D&Mピラミッドを形成する辺の比率は1:1.6となってい
ます。これは、黄金分割比と一致します。線を2分するさい、美
的効果が最大になるとされる比率です。レオナルド・ダ・ヴィン
チはこの比率を具現化し、「正方円内の男」という作品を残して
います。この絵画は、正面を向いた裸の男が正方形と円に内接す
る形で描かれています。
 芸術家にして科学者であったダ・ヴィンチは、人間の体の美し
さに感動し、その美しさの根源が幾何学図形である正方形と円に
内接するプロポーシヨンにあると考えて「正方円内の男」を描い
たのです。これを「神聖のプロポーション」というのです。
 この「正方円内の男」は、正面を向きながら左右の両腕を水平
にした状態と、少し斜め上に上げた状態を重ねて描いており、同
時に両足を閉じた状態と少し開いた状態を重ねて描いているので
す。この場合、両腕は正方形に両足は円に内接しているのです。
添付ファイル/写真Bをごらんください。
 これら2つのポーズのうち、両腕を水平に伸ばし、かつ両足を
開いた状態を考えると、頭と両手、両足を結ぶ直線は、左右対称
の5角形を形成するのです。D&Mピラミッドはまさにこの形を
している――すなわち、人体の構造をあらわしているのです。
 このように、火星の地表には、人間の顔をあらわす人面岩と人
体の構造をあらわす1:1.6の比率のD&Mピラミッドが存在
するということになります。
 D&Mピラミッドを中心に半径を16キロとして円を描いたと
き、その円内には人面岩やD&Mピラミッドだけでなく、他にも
異常構造物が存在すると述べましたが、それらの構造物について
明らかにしておくことにします。ホーグランドによる発見です。
 人面岩から西に数キロのところに一部が壁で囲まれたように見
える構造物があります。壁は真っ直ぐであり、南東の角では2つ
の壁が「逆くの字形」でつながっています。この形状が外敵を防
ぐ城壁に似ているところから、ホーグランドはこれを「要塞」と
名づけているのです。
 しかし、この「要塞」は後にMGS(マーズ・グローバル・サ
ーベイヤー)が撮影された画像により、全てが光と影の造形、す
なわち、幻影であったことが判明しています。何しろ写真での判
定なので、こういうことも起こり得るのです。
 続いて、その「要塞」の西側に三角のピラミッド状構造物があ
ります。その白く輝く2辺の長さはいずれも約1.6キロと推定
されるのですが、これらの2辺に相対するかのように、少し離れ
たところには、まるでギリシャの神殿を思わせる構造物が認めら
れるのです。それらは、長方形の連続を基調とした構成で、4キ
ロから8キロほどの区画の中にすべて収まっているのです。
 その構成はまさしく都市構造そのものであり、ホーグランドは
「シティ」と名づけているのです。中心部には、5つの構造物が
サイコロの「五の目」のような形で配置されており、東西方向、
南北方向に走る道路のようなものも認められます。
 この「シティ」の東10キロのところに人面岩があります。シ
ティと人面岩の間には何の障害物もないのです。つまり、シティ
から人面岩ははっきり見える位置にあるのです。人面岩の中心部
に定規を当ててみると、口の部分を通過して延びた直線がシティ
の中心部に達するのです。
 このように、シドニア地区に集中する構造物群には、数学的・
幾何学的概念が介在することが明らかになっています。それは、
火星地表に存在する特異な構造物群が自然現象で作られたもので
はなく、人工構造物であることを示す証拠なのです。
 具体的にいうと、シドニア地区のそれぞれの構造物、あるいは
複数の構造物の間には特定の位置関係があります。これは19.
5度といった特定の角度で表されるものです。つまり、それぞれ
の構造物が内包する角度やお互いの距離は数学的要素に満ちたも
のなのです。したがって、そこに数学的な分析が不可欠になるの
です。このようなものが自然現象でできるはずはないのです。
 しかし、一番情報を握っているNASAは、いかにも常識的な
発表しかしていないのです。したがって、ホーグランドのシティ
なども、相変わらず「光と影のいたずら」だというのです。


≪画像および関連情報≫
 ・写真A:5角面体のD&Mピラミッド
 ・写真B:ダ・ビンチの「正方円内の男」
 ・写真C:シティの全貌

1539号.jpg


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2005年02月25日

NASAはなぜ事実を隠蔽するのか(EJ1540号)

 1月31日からはじめた今回のテーマは、今朝で19回目とな
ります。この種のテーマに興味のない方には申し訳ないですが、
このテーマはこれから佳境に入るところです。
 火星における人面岩をはじめとする多くの異常構造物の発見に
おいて、NASAは一貫して「光と影のいたずらである」と主張
し、いまだにその存在を否定してきています。
 そのため、多くの「常識的な」人々はこの手の情報の信憑性に
ついてかなり懐疑的であり、事実を認めようとはしない傾向があ
ります。一番情報を握っているNASAがそれを「光と影のいた
ずら」といっているのだから、きっとそれが正しいのだろうと考
えているのだと思います。
 私は今回のEJのテーマを書くに当って、火星に関する多くの
文献を読んでみましたが、そのほとんどはこのような常識的な見
解の本ばかりでした。その中にあって、既に何回も名前を出して
いるリチャード・C・ホーグランド氏の次の著書は、火星の異常
構造物について科学的にアプローチしており、その内容は高く評
価できます。既に絶版であって、入手不能であったものを梅木氏
が練馬図書館から借りてきてくれたのです。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
   リチャード・C・ホーグランド著/並木伸一郎訳
   『火星のモニュメント』
   学習研究社刊
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 NASAは、明らかに火星のシドニア地区の異常構造物に非常
に関心を持っているのに、その事実を隠そうとしているフシがあ
ります。そのひとつの証拠として、人面岩が写っていた「70A
−13」の写真を隠していたという事実があります。この写真は
現在でもNASAは正式には公表していないのです。
 既に述べたように、人面岩は写真「35A−72」に写り込ん
でいたのです。しかし、一枚の写真にそれらしきものが写ってい
たからといって、それだけでは決め手とはならないのです。少な
くとも別の写真でもそれが写っていないとそれこそ「光と影のい
たずら」である可能性が高いからです。
 しかし、NASAはジェリー・ソフェン博士を通じて「数時間
後に同じ地域の写真を入手したが、そこにはそのようなもの――
つまり、人面岩など写っていなかった」といっているのです。し
かし、これはウソであり、別に「70A−13」というシドニア
地区を写した写真があって、そこにもはっきりと人面岩は写って
いたのに、NASAはこの写真を公開しなかったのです。この写
真は、ディピエトロとモレナーが発見したのです。
 NASAとしては、「70A−13」を公開してしまうと、人
面岩の存在を認めざるを得なくなるので、それを隠したものと思
われるのです。同じ地域を写した2枚の写真があって、いずれに
も人面岩が写っていたら、「光と影のいたずら」ではコトは収ま
らなくなるからです。
 それにしても、NASAはなぜシドニア地区の情報を隠すので
しょうか。NASAは、公式発表とは裏腹に、シドニア地区にお
ける人面岩をはじめとする異常構造物に対して、異常なほど情報
収集に熱心なのにもかかわらずです。
 NASAは、探査機が伝えてくる情報をすべては公開していな
いはずです。それを示す証拠として次の話があります。
 1996年12月4日のことです。米国は火星探査機「マーズ
・パス・ファインダー」(以下、MPF)を火星に向けて発進さ
せたのです。この探査機は1997年7月4日に火星に到着し、
火星への軟着陸にはじめて成功したのです。そして、早速素晴ら
しい火星のパノラマ写真を送ってきたのです。火星の着陸地点は
「アレス峡谷」と発表され、そこを「セーガン記念基地」と名づ
けたことは既に述べた通りです。
 しかし、このNASAの発表に異議を唱えた人がいるのです。
それは「アート・ベル・ショー」というラジオの深夜番組でのこ
とです。この番組は、当時米国、ネヴァダ州のラスベガスを中心
に大変人気のある番組だったのです。
 内容は、番組のメイン・パーソナリティのアート・ベルが、テ
ーマごとに招いたスペシャリストを向こうにまわし、巧みな話術
で本音を徹底的に聞き出すというやや挑発的な番組です。
 アート・ベルは、1997年7月26日にゲストとして、あの
リチャード・ホーグランドを招いていたのです。もちろん、MP
Fの火星着陸のことを彼から聞き出すためです。
 そのとき、ホーグランドは驚くべき発言をしたのです。このホ
ーグランド――科学ジャーナリストを名乗っていますが、かつて
はNASAの関連施設で技術顧問としてNASAのプロジェクト
に携わったことのある宇宙の専門家なのです。
 そのラジオの番組でホーグランドは、NASAの発表した着陸
地点である「アレス峡谷」に異議を唱えたのです。アレス峡谷は
火星の北緯19.5度、西経32.8度にあり、火星基準面より
も2メートルほど低い場所なのです。
 問題は、MPFが着陸したとき、地球は火星の水平線から見て
5度ほど低い位置にあったことです。MPFが送信してきた写真
には「ツイン・ピークス」というラクダのコブのような2つの隆
起が写っているのですが、実はそのとき地球は隆起した部分の裏
側に隠れていたことになるのです。
 ということは、NASAの発表が正しいとすると、セーガン記
念基地と地球には障害物があることになり、通信は邪魔され、電
波は地球には届かないはずである――ホーグランドはこのように
主張したのです。
 しかし、通信は途絶えることなく、立派なパノラマ写真が送ら
れてきているのです。これは、MPFの着陸地点はアレス峡谷で
はなく、別の場所であることを意味しています。正しい着陸地点
はどこだったのかというと、あの人面岩のあるシドニア地区だっ
たのです。本当であるとすると、これは重大なことです。


≪画像および関連情報≫
 ・1970年〜1997年までの米国の火星探査機

  1975. 8.20 ヴァイキング1 ・・・・・・・・・・ 成功
  1976. 9. 9 ヴァイキング2 ・・・・・・・・・・ 成功
  1992. 9.25 マーズ・オブザーバー ・・・・・・・ 失敗
  1996.11. 7 マーズ・グローバル・サーベイヤー ・ 成功
  1996.12. 4 マーズ・パス・ファインダー ・・・・ 成功

1540号.jpg
ホーグランド/著『火星のモニュメント(学習研究社)』

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2005年02月28日

宇宙開発に関わるNASAとJPL(EJ1541号)

 火星探査機の着陸地点をめぐる食い違い、火星のシドニア地区
における人面岩のあるなし――火星をめぐる発表には表と裏があ
ります。どうしてこのようなことになるのでしょうか。
 それは、宇宙の探査や開発には、次の2つの組織が関わってい
るからなのです。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
    NASA ・・・ 米国航空宇宙局
      National Aeronautics and Space Administration
    JPL  ・・・ ジェット推進研究所
      Jet Propulsion Laboratory
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 NASAの名前は知っていてもJPLの存在は知らない人は多
いと思います。宇宙のことは、すべてNASAが仕切っていると
思っている人が多いのです。しかし、そうなら、NASAの発表
に相反する事実など出てくるはずがないのです。
 少し詳しく知っている人は、JPLは11あるNASAの関連
施設のひとつと考えています。確かにこれは間違っていないし、
JPLを取材するにはNASAの許可が必要なのです。つまり、
JPLはNASAの下部組織であると認識しているはずです。
 しかし、NASAとJPLには大きな違いがあるのです。
 それは、NASAが米国合衆国、大統領直轄の国家機関である
のに対して、JPLは純粋に民間研究施設という点です。もっと
正確にいえば、私立大学であるカリフォルニア工科大学――カル
テックの研究機関なのです。
 工科大学といえば、米国にはマサチューセッツ工科大学(MI
T)がありますが、カルテックはMITと双璧を成す工科大学の
名門中の名門であって、米国テクノロジーの頭脳ともいうべき優
秀な学者や研究者が結集しているのです。
 宇宙開発・探査におけるNASAとJPLの関係を簡単にいう
と、スペース・シャトルや探査機を打ち上げるのはNASAであ
り、探査機から送られてくる画像やデータを分析するのがJPL
ということになります。
 それでは、技術力はどちらが高いのかというと、JPLがNA
SAを大きく上回っていると考えてよいと思います。そのため、
NASAとしては、嫌でもJPLの力を借りざるを得ないという
ことになります。
 どうしてNASAとJPLでは技術力が違うのかというと、そ
もそも歴史からして違うのです。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
     NASA ・・・・・・・ 1958年創設
     JPL  ・・・・・・・ 1940年創設
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 NASAが創設された理由は、ソ連のスプートニクが成功して
米国がショックを受けたからです。既に存在したNACA(国家
航空諮問委員会)を母体として急遽設立したのです。NACAは
航空機を専門とする研究機関で、宇宙空間における衛星やロケッ
トの開発を軽く考えていたのです。
 これに対してJPLは、1940年にカルテックのセオドア・
フォン・カーマンが米国陸軍とロケット開発の契約を結んだのが
キッカケで創設されたのです。
 NASAが創設された1958年には、既にロケット開発の分
野で数々の実績を上げていたので、ロケットに弱いNASAとし
ては、最初からJPLに頼らざるを得なかったのです。しかも、
JPLはその1958年に、米国初の人工衛星エクスプローラ1
号を完成し、その打ち上げに成功しているのです。これによって
米国は先を越されたソ連に追いつくことができたのです。
 このようにNASAは最初からJPLには頭が上がらないので
す。国家機関の権力にものをいわせて、JPLを傘下に置こうと
するのですが、JPLの猛烈な反発にあって成功していないので
す。結局、現在でもNASAはJPLに契約というかたちで仕事
を依頼しているのです。
 NASAは国家機関、JPLは民間の研究機関――この両機関
の溝は大きく、相互に人材の往来もあるので、どうしても情報が
JPLから漏れることになるのです。そして、JPLはNASA
の公式発表にも堂々と異議を唱えるのです。NASAにとってJ
PLは、頼りになる存在であると同時に目の上のタンコブのよう
な存在でもあるのです。
 もうひとつわれわれはNASAという組織について認識してお
くべきことがあります。NASAは「米国航空宇宙局」と訳しま
すが、ここでいう「航空機」とは民間機のことではなく、戦闘機
やロケットのことです。これらはすべて軍事兵器なのです。つま
りNASAは軍事機関なのです。「宇宙開発」というと純粋に学
問的な探査・研究ととられるきらいがありますが、米国の国益を
守るための軍事行動として宇宙開発に取り組んでいるのです。そ
の証拠にNASAのスペースシャトルの乗組員はすべて軍人なの
です。日本をはじめとする一部の外国招待者は別として。
 したがって、NASAが事実を隠したり、事実と違う公表をし
てもそれは当然であるといえます。軍事下において、自国に不利
になると判断される情報は隠蔽したり、改編するのはその意味に
おいて当然であるといえます。
 しかし、その一方において米国という国は、NASAの下に位
置づけられるJPLという民間の組織が、その研究においてNA
SAと違う事実を述べることを容認しているように見えます。い
かにも自由の国、米国らしい一面であると思います。
 火星の人面岩論争も、宇宙開発に思惑の違うNASAとJPL
という2つの組織が存在していることを知ったうえで分析する必
要があるのです。ちなみに、既出のホーグランドは元NASAの
研究員であり、JPLにも関係のある人物なのです。
 火星の人面岩――けっして荒唐無稽な話ではないのです。明日
からさらに分析を続けていきます。


≪画像および関連情報≫
 ・写真上は、ワシントンD.CのNASA本部
  写真下は、JPLのマシンルームの一部/工作機械のほとん
  どは日本製である。探査機などはここで製作される。

1541号.jpg


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2005年03月01日

NASAは人面岩に関心を持っている(EJ1542号)

 「光と影のいたずら」といい続けている火星シドニア地区のモ
ニュメントに関して、実はNASAは重大なる関心を寄せている
と考えられます。そのため、マーズ・パスファインダーの着陸地
点をアレス峡谷ではなく、シドニア地区に変更したことは、ホー
グランドの指摘の通りであると思われるのです。
 しかし、火星探査機のフォローは、逐一米国パサディナにある
JPLで行っており、進路変更などすればすぐにわかってしまう
はずです。前回述べたように、JPLは必ずしもNASAのいう
通りにならないからです。これに対してホーグランドは、次のよ
うにいっているのです。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
  6月24日から25日にかけて、ロシアの宇宙船ミールに給
 油船が衝突するという事故が起きたが、この事故の第1報が入
 ったとき、人々の関心は一瞬だが、パスファインダーから離れ
 たのです。そのスキを狙って、シドニア地区降下のための進路
 変更が行われたのだ。    ――リチャード・ホーグランド
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 ホーグランドによると、NASAはJPLのほかにもうひとつ
の秘密のコントロールセンターを持っており、それはテキサス州
ダラスにあるといっています。その施設は工場地帯の一角にある
としていますが、正確な場所は特定されていません。
 つまり、探査機を追い、その情報を受ける真のコントロールセ
ンターはダラスの施設で行い、そこからニセの情報がパサディナ
のJPLに送られている――ずいぶん大胆な予測ですが、そうい
う可能性も100%否定しきれないのです。
 1997年7月20日――NASAは7月4日の着陸地点から
送られてきた写真とは別に、パスファインダーからのもう一枚の
写真を発表しています。この写真にはラクダのコブのような2つ
の峰――これは「ツインピークス」と呼ばれる峰が写っているの
です。添付ファイルをごらんください。
 ホーグランドは、このツインピークスが、シドニア地区のピラ
ミッドであると主張しているのです。7月22日、NASAはこ
の写真について、アリゾナ大学のピーター・スミス教授を通じて
次のコメントを出しています。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
  ツインピークスの右側の山の中腹に水で削られた跡と見られ
 る窪みが発見されている。(中略)パスファインダーの着陸地
 点は、かつて大洪水に見舞われている。

  これは、丘陵地帯の拡大写真です。ふたつある峰のうち、北
 側(右側)のものです。この写真には頂上部分しか写っていま
 せんが、頂上部分の下もいくつもの層が折り重なった構造であ
 ることも考えられます。     ――ピーター・スミス教授
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 スミス教授のこの発言を踏まえてNASAは、着陸地点には、
かつて洪水が起こった痕跡が残されているのが確認されたと発表
したのです。しかも、そのさいに流出した水の量は、なんと地中
海を満たすほどの規模であったというのです。
 添付ファイルの写真の2つの峰を見てください。向かって右側
の峰は洪水による損傷はひどく、土砂崩れでも起こしたように崩
落しています。しかし、崩れながらも峰は残っています。
 これに対して左側の峰に至っては、洪水による影響をまったく
受けていないように見える――いずれにせよ、地中海を満たすほ
どの水がきたら何もかも流されて平地のようになってしまうはず
なのに、これら2つの峰は残っているのです。堅牢に造られたピ
ラミッドであったからこそ残ったのではないか――これがホーグ
ランドの考え方なのです。
 スミス教授はこれらの峰を「頂上部分の下もいくつもの層が折
り重なった構造」と述べていますが、これはピラミッドの構造そ
のものではないかとホーグランドは主張するのです。もし、2つ
の峰がピラミッドであるとすると、パスファインダーの着陸地点
は、やはりシドニア地区ということになるのです。NASAは、
なぜそんな大事なことに沈黙しているのでしょうか。
 もうひとつ、パスファインダー(MPF)とその1ヶ月前に打
ち上げられたマーズ・グローバル・サーベイヤー(MGS)に関
して奇怪な事件が起きていることをお知らせしておきます。
 1997年6月25日――ロシアの宇宙船ミールが事故を起こ
した日のこと――NASAの上級プログラム・ディレクターを務
めていたガーガン・レイ博士が、メリーランド州ポトマックの自
宅近くで変死体となって発見されたのです。
 しかも、その数日前、カルフォルニア州のパロ・アルトにおい
て、MPFのコンピュータ制御を担当していたエンジニアが、ス
タンフォード大学近くの高級住宅街の立ち木とフェンスの間に挟
まって死体となって発見されたばかりだったのです。
 さらに、MGSの35歳の女性プログラム・マネジャー、メア
リー・K・オルセンが、JPLに出向後に非常に珍しい病気で急
死しているのです。
 NASAの職員が、MPFの着陸と前後して不可解な死を遂げ
ている――しかも、探査機の航行などに深く関わっているプログ
ラム担当の部署に所属する職員が、立て続けに3人も不審の死を
遂げたというのはどう見ても尋常ではないです。
 どのように考えても、NASAは火星に関して発表していない
多くのことを握っています。問題は、なぜそこまでして真相を隠
蔽しようとしているのか――その理由は何かです。
 火星のシドニア地区には人工物が存在している。それは超古代
文明の遺産の一部である。NASAはその事実を公表すべきであ
る――リチャード・ホーグランドはマスメディアを通じ、批判を
繰り返したのです。これに対し、NASAはその批判を払拭すべ
く、はじめて動いたのです。明日のEJでそのことについて詳し
く述べることにします。


≪画像および関連情報≫
 ・写真A
  ツインピークスの全体像
  写真B
  2つの峰の右側の部分をクローズ・アップ
  写真C
  ぼやけているが、黒い構造が規則的に並んでいる。

ツインピークス.jpg


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2005年03月02日

マクダニエル教授はどう裁定したか(EJ1543号)

 火星の人面岩とピラミッド――それがなぜ問題になるのかとい
うと、そのような人工物が本当に火星に存在するのであれば、火
星には知的生命体が存在したことの証明になるからです。
 マーク・カーロット博士――火星表面の構造物が人工的なもの
であるか否かの分析を行った学者ですが、分析の手法として「フ
ラクタル分析」という手法を採用したのです。
 フラクタルというのは、「フラクチュア」(破片)を語源とし
て命名されたもので、自己相似構造を持つ図形を意味します。こ
の理論を用いて分析すると、人工的に造られた物体と周囲の環境
を区別することが可能になるのです。フラクタル分析は1991
年の湾岸戦争でも、砂漠に隠された戦車を発見する手段としても
使われて、効果を発揮しているのです。
 カーロット博士は火星表面の構造物に対してフラクタル分析を
行った結果、少なくとも人面岩に関しては、自然の構造物とは考
えられず、人工物であるとの結論を出しています。
 五角形ピラミッド(D&Mピラミッド)については、地図学や
地形学が専門のエロル・トランが分析をしています。彼はシドニ
ア地区のD&Mピラミッドについて分析した結果、非常に重要な
事実を発見したのです。話が少し専門的になることを勘弁してい
ただくことにして、トランの説を紹介します。
 トランは、まず、五角形を成す岩が自然の作用でできる可能性
は低いと指摘しています。そのうえで、D&Mピラミッドが造り
出す角度について、五角形の内角度の数値が人面岩からピラミッ
ドを結んだ直線から得られる角度にも見られるといっています。
 さらに、D&Mピラミッドの位置――北緯40.868、西経
9.5度)は、きわめて慎重な計算のうえに選ばれたらしいと指
摘したのです。
 そして北緯40.868度という数値の正接関数(タンジェン
ト)の値はe(イー/自然対数の底)を円周率π(パイ)で割っ
た数値に等しいことを発見したのです。この数字はエジブトのピ
ラミッドやスフィンクスとも関連してくるのです。
 これほどの証拠が上がってくると、NASAもホーグランドの
批判をそのままにしておけなくなってきたのです。そこで、NA
SAは、この問題をカルフォルニア州ローランドにあるソノマ州
立大学のスタンレー・マクダニエル名誉教授に公式調査を委嘱し
たのです。
 NASAとしては、マクダニエル教授であればNASAに有利
な裁定をしてくれるであろうと期待して委嘱したと思うのです。
マクダニエル教授は、論理学、哲学、倫理学について30年以上
も教鞭を執るかたわら、コンピュータ関連のマニュアルも数多く
執筆している大物の学者なのです。
 マクダニエル教授は、約1年間にわたって調査を行い、その結
果を1993年に発表したのです。それが、「マクダニエル・レ
ポート」といわれるものです。
 EJで「マクダニエル・レポート」の詳細をお伝えすることは
適当でないでしょう。なぜなら、その内容は非常に難解なものに
なってしまうからです。マクダニエル教授は数学的・幾何学的に
アプローチしているからです。
 それでは、マクダニエル教授のこの問題に関する裁定結果はど
うだったのでしょうか。
 マクダニエル教授は、NASAの思惑とは逆の結論を出してい
るのです。つまり、NASAに非があったことを明らかにして、
ホーグランドの報告を非常に科学的であり、すべての調査が信頼
に値する各分野の専門家によってなされているとして、その内容
を高く評価したのです。
 この結論は、発表と同時に全米に大きな反響を巻き起こしたの
です。なぜなら、米国の国民が絶対的な信頼を寄せているNAS
Aがウソをついていたことが明らかになったからです。NASA
はその実態は確かに軍事機関ではありますが、あくまで表向きは
民主的機関を装っており、米国国民からは絶対的信頼を勝ち得て
いたからです。このレポートによって、その信頼の一角が崩れた
ことになります。
 それにしてもなぜNASAは、そのようなリスクを冒してまで
真相を隠そうとしたのでしょうか。
 これについてマクダニエル教授は、NASAの行動を縛ってい
るのは「ブルッキング・レポート」の存在であると言明している
のです。
 「ブルッキング・レポート」とは何でしょうか。
 これは、1958年、NASAの設立にあたって、ワシントン
D.Cにあるブルッキング研究所が、宇宙探査に関する指針を示
した文書を作成し、下院に提出したのです。これが「ブルッキン
グ・レポート」と呼ばれるものです。
 このレポートがなぜ問題なのでしょうか。それは、同レポート
の215ページの記述を見れば明らかです。このレポートの内容
は、平和利用のための宇宙探査と宇宙開発に関するものが中心な
のですが、216ページには地球外生命体について言及している
のです。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
  知性を持った地球外生命体との遭遇は、あと20年間は発生
 しないであろう。しかし、今後の月、火星および金星に関する
 宇宙探査の過程において、彼ら地球外生命体がかつて建造した
 構造物が発見されるかも知れない。
            ――「ブルッキング・レポート」より
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 この指摘は驚くべきものです。既に1958年において、「地
球外生命体がかつて建造した構造物」が発見される可能性を指摘
しているからです。おどろくべき予見といえます。
 これによると、NASAは最初から惑星上においてそういう構
造物が存在する可能性を予測し、そのための探査を行っているこ
とになります。


≪画像および関連情報≫
 ・「ブルッキング・レポート」には、次のようなことも書かれ
  ている。

   人類の歴史において、ある文明がまったく異なる高度な文
  明に出会ってしまったために、重大な危機に陥ってしまった
  例は枚挙にいとまがない。だから、地球外生命体と遭遇した
  場合、発生する影響を考慮したうえで、情報をいかに操作す
  るかが問題になる。
   地球外生命体の存在を公表した場合、最も危険な集団とし
  ては、用心深い人々および非科学的思考を持つ人々があげら
  れる。こういった集団が、いかなる情報に敏感に反応するか
  を考慮しなければならない。彼らにとっては、地球外生命体
  にせよ、それらが構築した構造物にせよ、脅威でしかありえ
  ないのだ。科学者や技術者にとっても、人類を万物の霊長と
  する概念を出発点としてしている限り、はるかに高度な、し
  かもまったく異質の文明に接することは危険でさえある。
            ――「ブルッキング・レポート」より

マクダニエル・レポート.jpg


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2005年03月03日

JPLにあってNASAにないもの(EJ1544号)

 これから火星のテーマは、その地表にあるとされる人面岩につ
いて述べていくことになりますが、そこにはNASAやJPLの
虚々実々の駆け引きがあり、話がかなり複雑になっています。そ
こで、もう少し前提条件について述べておくことにします。
 そもそもマーズ・オブザーバーからはじまる米国の火星探査の
目的は、表面上は気象学的、地誌学的調査などのもっともらしい
目的がついているものの、実はシドニア地区の人面岩などの調査
に絞られているのです。
 それも尋常の力の入れ方ではなく、巨費を投入して数多くの探
査機を火星に送り出しているのです。1992年9月打ち上げの
マーズ・オブザーバーから数えて、実に8機を火星に送っている
のです。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
                   打上年     成否
 マーズ・オブザーバー       1992     失敗
 マーズ・グローバル・サーベイヤー 1996     成功
 マーズ・パスファインダー     1996     成功
 マーズ・クライメートオービター  1998     失敗
 マーズ・ポーラーランダー     1999     失敗
 マーズ・オデッセイ        2001     成功
 スピリット            2003     成功
 オポチュニティ          2003     成功
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 しかし、世間では「火星の人面岩」などというと、何かいかが
わしいもの、妄説としてとらえられています。UFOと同じ扱い
で、まともな新聞・雑誌では一切取り上げられていないのです。
 これは、NASAの徹底的な情報操作がもたらしたもので、当
のNASAはシドニア地区の異常構造物について、巨費を投じて
調査を続けているのです。
 現在、火星の情報の99%は米国に握られています。しかし、
唯一、2003年6月2日に打ち上げられたヨーロッパ宇宙機関
(ESA)の火星探査機「マーズ・エクスプレス」が火星の周回
軌道に乗ることに成功しているのみで、過去の探査船はすべて失
敗しているのです。
 このESAのマーズ・エクスプレスは、軌道周回機と着陸機で
ある「ビーグル2」によって構成されているのですが、ビーグル
2は、2003年12月12日に火星への着陸に失敗しているの
です。ロシアにいたっては、ソ連時代に15回、ロシアになって
1回、計16回火星に探査機を出しているのですが、ことごとく
失敗しているのです。どこか、異常だと思いませんか。
 NASAとJPLの関係については、2月28日のEJ第15
41号で述べましたが、もう少し詳しく述べることにします。
 JPLにあってNASAにないもの――それは「DSNシステ
ム」というものです。DSNというのは、ディープ・スペース・
,ネットワーク/深宇宙電信網の略です。
 ここで宇宙開発におけるNASAとJPLの役割分担について
知っておく必要があります。スペースシャトルを例にとって説明
しましょう。
 スペースシャトルの場合、打ち上げおよび着陸は、「ケープカ
ナベラル宇宙センター」で行われます。しかし、打ち上げ直後か
ら着陸直前までは、「ゴダード宇宙センター」が直接管理するこ
とになっています。
 ゴダード宇宙センターには、STDN――スペースフライト・
トラッキング・アンド・データ・ネットワークと呼ばれるシステ
ムがあります。ここはNASAのNASCOM――コミュニケー
ション・システムの中枢であり、パイロットの健康状態からエン
ジンの調子まで、すべての情報はSTDNを通してヒューストン
の本部に送られるのです。
 ここまではNASAの担当ですが、ロケットが地球の衛星軌道
を離れ、惑星間航行に入るとNASAからJPLに管理が移され
るのです。そこからは、JPLのDSNシステムがデータを収集
し、分析をするのです。ボイジャーやパイオニア、それにガリレ
オといった探査機の映像は、すべてがJPLのDSNシステムに
よって解析されているわけです。つまり、このDSNシステムが
ある以上、NASAはJPLに依存せざるを得ないわけです。
 DSNシステムはNASAの歴史よりも古いのです。1950
年代において、JPLは米国陸軍と契約を結んだのですが、その
さいにミサイルの飛行情報管理システムとして開発したものが、
DSNシステムの基礎となったのです。
 それ以来、50年以上かけて改良が加えられ、数億キロかなた
にある複数の探査機を同時に遠隔操作でき、送信されてきた莫大
なデータをきわめて短時間で処理するという驚くべきシステムに
変貌を遂げているのです。
 なお、DSNシステムを支えるパラボラアンテナは、直径63
メートルもある巨大なもので、次の地域に設置されています。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
      カルフォルニア州ゴールド・ストーン
      スペイン/マドリッド
      オーストラリア/キャンベラ
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 NASAは軍事機関であることを理由にJPLに対して圧力を
かけ、データの隠匿や改ざんを要求するのですが、JPLはこれ
に反発し、表面上は従うフリをして、重要データを無修正でイン
ターネットで流したりするのです。シドニア地区の情報もこのよ
うにして外に流出したのです。既出のリチャード・ホーグランド
も、JPLから情報をもらっていたといわれています。
 NASAは、JPLがこのように深く介在するシステムでは、
情報の流出は防げないとして、非常手段に打って出たのです。そ
れは、JPLとは別のDSNシステムを構築し、秘密のコントロ
ール・センターを設置することだったのです。


≪画像および関連情報≫
 ・ソ連の火星探査計画失敗の軌跡(年号は打上日)
  名前なし ・・・・・・ 1960.10.10
  名前なし ・・・・・・ 1960.10.14
  名前なし ・・・・・・ 1962.10.24
  マルス1 ・・・・・・ 1962.11. 1
  名前なし ・・・・・・ 1962.11. 4
  ゾンド2 ・・・・・・ 1964.11.30
  コスモス419 ・・・ 1971. 5.10
  マルス2 ・・・・・・ 1971. 5.19
  マルス3 ・・・・・・ 1971. 5.28
  マルス4 ・・・・・・ 1973. 7.21
  マルス5 ・・・・・・ 1973. 7.25
  マルス6 ・・・・・・ 1973. 8. 5
  マルス7 ・・・・・・ 1973. 8. 9
  フォボス1 ・・・・・ 1988. 7. 7
  フォボス2 ・・・・・ 1988. 7.12
  マルス96 ・・・・・ 1996.11.16/ロシア

DSNパラボラアンテナ.jpg


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2005年03月04日

探査機をスペース・ハイジャックする(EJ1545号)

 宇宙探査技術において米国が突出していることは確かです。し
かし、旧ソ連/ロシアが16回も挑戦してすべて失敗に終わって
いるというのは、かつて宇宙開発競争では米国を凌駕していたロ
シアとしては、少し不可解な状況であるといえます。
 逆に米国の不可解さといえば、次の3つの探査機が失敗してい
ることです。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
  1992年/マーズ・オブザーバー
   ・火星到着直前の1993年8月21日通信途絶
  1998年/クライメートオービター
   ・火星到着直前の1999年9月23日通信途絶
  1999年/ポーラーランダー
   ・火星到着直前の1999年12月3日通信途絶
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 米国ほどの技術を持っていて、いずれも判を押したように火星
到着直前に突如として通信途絶――これはどうみても不可解その
ものといえます。
 旧ソ連も最初の7台ぐらいまでの探査機の失敗は、技術力に問
題があったといえると思いますが、8台目のマルス2号は火星の
表面にペナントを残しているし、マルス3号からは写真撮影には
成功し、技術力を高めてきていたのです。
 そして1988年7月のフォボス1号とフォボス2号について
は、その技術レベルが失敗するはずがないレベルに達していたの
です。しかし、既に述べたように、フォボス1号については火星
に行く途中で通信途絶になり、フォボス2号は衛星フォボスに接
近する寸前にやはり通信が途絶してしまっています。UFOに撃
墜されたという説はとても信ずるに値しないと思うのです。
 真偽のほどは分かりませんが、旧ソ連のフォボス計画失敗につ
いては、米国が破壊工作に関与した疑いがあるのです。NASA
は火星に関しては隠していることがたくさんあるので、米国以外
の国の探査機が無事に火星に来て欲しくないのです。火星探査は
表面上は平和利用をうたっていますが、宇宙飛行士は軍人ですし
宇宙探査は軍事行動という側面もあるのです。したがって、国益
にかかわるという事態になれば、他国の探査機を排除することも
十分あり得るのです。
 探査機は多くの部品からできていますが、戦時中ではないので
これらの部品はすべて自国製のものを使うわけではなく、諸外国
――とくに宇宙開発の先進国である米国の部品を使うことが多い
のです。
 米国は軍需産業ルートを使って、フォボス計画に参加するヨー
ロッパ側の要人と内通し、フォボス1号と2号の両方に米国製の
秘密の基盤を組み込ませることに成功したのです。この基盤はあ
る特別な周波数を感知すると、姿勢制御ブースターが破壊するよ
うに設計されていたのです。
 ソ連のフォボス計画の場合、1号と2号を同時に暴走させると
不審に思われるので、最初に1号を破壊し、2号については火星
軌道に入り、軌道変更した時点で破壊したのです。つまり、米国
は、他国の探査船をこのようにして排除する技術も既に持ってい
たことになります。
 さて、NASAにとっては、他国の探査機よりももっとやっか
いな相手がJPLなのです。JPLにあってNASAにないもの
――それはDSNシステムです。DSNシステムさえあれば・・
とNASAは考えても不思議はないのです。
 NASAは米国政府の機密予算ブラック・バジェットから資金
を引き出し、JPLのとは別に秘密のDSNシステムを構築して
しまったのです。このNASA版DSNシステムは、ホーグラン
ドの指摘通り、ダラスにあるといわれます。大型ビルの地下深く
に「シークレット・コントロール・センター」があって、そこに
NASA版DSNシステムが設置されています。
 NASA版DSNシステムの性能は、JPLのそれを上回ると
いわれており、そういう意味でNASAは既にJPLを必要とし
ていないのです。しかし、表の顔としては不可欠ですが・・。
 宇宙からの信号をキャッチするためのパラボラアンテナは地上
ではなく、高度3万6000キロの静止軌道上に軍事衛星として
宇宙に浮かんでいるのです。その数は3機――巨大なパラボラア
ンテナを宇宙に向けているのです。場所は、太平洋上空、大西洋
上空、そしてインド洋上空の3つです。
 NASAは、2つのDSNシステム――JPLのDSNとNA
SAの秘密のDSN――これをどのように使い分けているのでし
ょうか。はっきりしていることは、あくまでDSNシステムは、
JPLのひとつであり、それ以外のDSNシステムはあり得ない
――こういう建前に立っています。
 このNASA版のDSNシステムの存在を前提とすると、冒頭
の3つの米探査機の通信途絶事件の謎は簡単に解けてきます。こ
れらの探査機は、JPLのコントロールからNASAがスペース
・ハイジャックしたものと思われます。
 すべてにおいて順調だったマーズ・オブザーバーは、1993
年8月21日に火星の周回軌道への投入の直前に突如通信が途絶
えたのです。その犯人はNASAです。NASAはあらかじめ発
信信号が自動変換する基盤をマーズ・オブザーバーに埋め込み、
NASA版DSNシステムを使ってそのコントロールを乗っ取っ
たのです。これには米空軍も一枚噛んでいるのです。
 信号が変換されてしまうと、JPLのDSNシステムには情報
は入ってこなくなり、通信途絶状態になるのです。通信が途絶え
た以上、何らかの故障が生じたと考えざるを得ないのです。
 その時点でマーズ・オブザーバーのコントロールはNASAに
委ねられ、JPLに気づかれることなく、極秘裏に火星の探査が
進められることになります。同じく通信途絶になったクライメー
ト・オービターとポーラーランダー――これについては、来週の
EJで述べることにします。


≪画像および関連情報≫
 ・添付写真「マーズ・オブザーバー」(貴重な写真)
  マーズ・オブザーバ探査機は、バイキング探査機以降途絶え
  ていたアメリカの火星探査機である。火星表面の元素分布測
  定、高度分布測定、火星表面・大気温度測定、磁場測定など
  を行う予定だったが、火星周回軌道投入3日前に通信が途絶
  一般的には推進系の不具合が原因と考えられている。

1545号


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2005年03月07日

火星における表の情報と裏の情報(EJ1546号)

 NASAはJPLを出し抜いて火星の真の秘密を守るために、
密かに独自のDSNシステムを構築したのです。その結果、火星
に関する情報には表の情報と裏の情報が存在することになったの
です。つまり、真の情報は裏の情報としてNASAが握っていて
それにフィルターをかけた情報が表の情報として世界に公開され
ているのです。
 1992年から1999年までの米国が打ち上げた火星探査機
を並べてみます。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 1992年 9月25日/通信途絶
  ・マーズ・オブザーバー
 1996年11月 7日/成功・継続的に火星表面探査
  ・マーズ・グローバル・サーベイヤー
 1996年12月 4日/成功・初めての火星着陸
  ・マーズ・パスファインダー ・・・・
 1998年12月11日/通信途絶
  ・マーズ・クライメイトオービター
 1999年 1月 3日/通信途絶
  ・マーズ・ポーラーランダー
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 そもそもの発端は、1976年のヴァイキング1号が撮影した
シドニア地区の写真「35A−72」と「70A−13」にある
のです。ここに人面岩が写っていたからです。
 なぜ、この写真が流出したのでしょうか。
 実は当初からNASAはシドニア地区のピラミッド構造物に関
心を持っていたのです。しかし、人面岩には気づいていなかった
と思われます。NASAとしては、まだはっきりしていない事実
に関しては公表を控えるという方針で臨んでおり、探査機から送
られてくる膨大な画像に関してそれに該当するものがあれば、申
告するようJPLに申し渡していたのです。
 しかし、JPLはうっかりミスを装って、「35A−72」と
「70A−13」の写真を外に流してしまったのです。ところが
そこには例の人面岩が明確に写し出されていたのです。この写真
をめぐって世界では大騒ぎになります。NASAは「光と影のい
たずら」とコメントしますが、騒ぎは沈静化しなかったのです。
 そこでNASAとしては、密かにシドニア地区の徹底調査が必
要であると考えます。当時NASAの技術顧問をしていたコーネ
ル大学のカール・セーガン博士は、シドニア地区の探査を目的と
するマーズ・ミッションの必要性を強調したのです。
 そこで、NASAははじめてとなる火星探査機をシドニア地区
に着陸させることにしたのですが、表向き着陸地点はアレス峡谷
ということにしたのです。これをめぐって、NASAとカール・
セーガンは相当衝突したと伝えられています。
 NASAがこの決定をしたとき、ちょうど旧ソ連が火星探査機
フォボス1号と2号を打ち上げる時期に当たっていたのです。こ
の探査機は成功する可能性があり、これによってシドニア地区の
情報が漏れたら大変なことになる――そう考えたNASAはフォ
ボス1号と2号の破壊を実施したのです。乱暴なようですが、宇
宙開発は戦争と同じであり、国益に関わると考えれば米国は何で
もやるのです。
 そして、当面の脅威がなくなった1992年、NASAはマー
ズ・オブザーバーを打ち上げます。そして、かねてからの計画に
したがって、NASA版DSNシステムによってスペース・ハイ
ジャックし、マーズ・オブザーバーをシドニア地区に着陸させた
のです。もちろん、世界にはマーズ・オブザーバーは通信が途絶
して失敗したと公表したわけです。
 シドニア地区に密かに着陸したマーズ・オブザーバーはシドニ
ア地区の予備調査を行ったものと思われますが、この情報はもち
ろんJPLには知らされず、NASAだけが握っているのです。
 予備調査を終えたNASAは、1996年にマーズ・グローバ
ル・サーベイヤーとマーズ・パスファインダーを打ち上げて、い
ずれも成功させています。巧妙なことに、このミッションはJP
Lに探査機のフォローをまかせて、表のミッションとしているこ
とです。もちろん、NASAはダラスのシークレット・コントロ
ール・センターでJPLのフォローをチェックしているのです。
 マーズ・グローバル・サーベイヤーは、周回軌道による火星の
マッピングを行うとともに、地下構造も詳細に分析して、全火星
的な人工構造物の位置と大きさを把握しています。
 マーズ・パスファインダーは、1997年9月27日に火星地
表にはじめて無事軟着陸した米国の探査機となっていますが、そ
の着陸場所は本当はシドニア地区なのにアレス峡谷と公表されて
いる経緯は既にお話しした通りです。
 マーズ・パスファインダーは、探査車ソジャナーを発進させて
シドニア地区をくまなく調べています。ソジャナーには地下構造
を探る機能があり、人面岩の内部構造を把握することができたは
ずです。しかし、情報の多くは伏せられています。JPLもあま
り派手にリークはできないからです。
 1998年12月に打ち上げられたマーズ・クライメート・オ
ービターは、1999年3月に通信が途絶していますが、これは
裏のミッションなのです。このオービターとセットでミッション
を行うマーズ・ポーラーランダーも、当然のことのように極地方
の着陸に失敗、通信が途絶していますが、この2機もNASAに
よるスペース・ハイジャックが行われているのです。
 マーズ・ポーラーランダーはNASAの誘導によって、極地方
を通過して軌道を変更し、シドニア地区に到着――2機の小型探
査機マイクロ・プローブを放出して人面岩の掘削作業を行ってい
るのです。そして、これらの情報はすべてNASAが独占的に把
握しています。
 人面岩とは何なのでしょうか。そして、人面岩の現状はどうな
っているのでしょうか。今週はそれを探ります。


≪画像および関連情報≫
 ・写真/シドニア地区の3D画像

1546号.jpg


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2005年03月08日

変形している人面岩/NASA公開(EJ1547号)

 1998年3月26日、NASAはマーズ・グローバル・サー
ベイヤー(MGS)がシドニア地区の人面岩の観測を開始すると
発表します。関係者はこれに大きな期待を抱いたものです。NA
SAが人面岩の観測を口にすることは珍しいこと、それにMGS
に搭載されているカメラが非常に高度なものだったからです。
 MGSのカメラの解像度は、1画素で約4.3メートル四方を
カバーでき、ヴァイキングのカメラの解像度の10倍も高いので
もっと鮮明な人面岩の写真が見られると期待したのです。
 そして、NASAが発表した10日後の4月5日、人面岩の最
新画像が公開されたのです。NASAによると、この写真の画像
解析は、カルフォルニア州サンディエゴにある「マリン・スペー
ス・サイエンス・システムズ」によって行われ、JPLに送られ
インターネットを通じて世界に発信されたのです。
 しかし、その写真には人面岩など写っていなかったのです。高
さ800メートルと計算されている人面岩はどこにも見当たらな
いのです。ただ、よく見ると、変形した楕円形の模様がうっすら
とあることがわかる程度です。添付ファイルの写真Aです。
 これは、強いていえば人面に見えなくもないといった程度であ
り、まさにNASAのいう「光と影のいたずら」以外の何もので
もなかったからです。NASAの技術者の「してやったり」とい
う顔が浮かんでくるような写真であるといえます。
 人面岩の存在を信じる科学者たちは、この写真は意図的に修正
されていると判断し、画像の再解析をはじめたのです。その中心
人物は、米国海軍天文台の天体力学部長トマス・ヴァン・フラン
ダーン博士です。
 人面岩の最大の特徴は左右対称性にあります。しかし、MGS
が撮影した人面岩は左右対称性が崩れ、向かって左側が大きくな
り、代わって右側が縮んだように小さくなっているように見えま
す。そのように見えるのは、火星の冬独特の砂塵や雲の影響と考
えられるのですが、NASAはあえてそういう写真を選んで公開
したと考えられます。それとも、何かによって右側が崩されとも
いえるのです。
 フラン・ダーン博士は、まず、NASAの写真の陰影を強調し
てみたのです。そうすると、顔の造作がはっきりとしてきます。
これが添付ファイルの写真Bです。これなら、人面らしきものが
浮かび上がってきます。
 フラン・ダーン博士は、次に太陽光の当たり具合と明度を調整
し、顔の中央に鼻がくるように修正したのです。これでかなり顔
の輪郭がはっきりとしてきたのです。これが添付ファイルの写真
Cです。大きな疑惑とされるのは、NASAは本当はこのように
撮れている写真を修正して写真Aのようにしたのではないかとい
うことです。
 これに対してNASAは、2001年5月24日にさらに人面
岩の写真を公開しています。それが添付ファイルの写真Dです。
この写真は、1998年のものに比べると左右対称ははっきりし
ており、このことから考えても、1998年の写真には意図的な
修正があったことは間違いないと考えられます。
 NASAが公開した人面岩の写真Dを見ると、右側が相当崩れ
てはいるものの、少なくとも自然のものではなく、人工物である
ことは確かであるといえます。NASAは明言こそしていません
が、それが人工物であることを暗に認めたと考えて間違いないと
思われます。
 もうひとつ写真Dをよく見ると、これは人面というよりも猿に
近い容貌ではないかと考えられます。実際の人の顔に比べて額が
狭いからです。専門家によると、骨相学的には人面よりも猿面に
近いといえるということです。
 しかし、ここに興味ある指摘があります。リチャード・ホーグ
ランドが率いる「独立火星調査団」のメンバーであるコンピュー
タ技師のマーク・カーロットの次の指摘です。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 人面岩の映像を詳細に解析した結果、眼窩に眼球が存在し、瞳
 も存在する。さらに目から頬にかけて涙の跡らしいものが認め
 られる。             ――マーク・カーロット
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 「涙を流している」と考えると、やはり猿面ではなく人面と考
えられますが、モニュメントとして、あえて「涙」を構築したと
すると、そこには何らかのメッセージがあるということになりま
す。一体何を伝えようとしたのでしょうか。
 「涙を流す石像」は地球上に存在します。その場所は、南米ボ
リビアのアンデス高地――標高4000メートルの高原にあるプ
レインカ時代のティアワナコ文明の遺跡です。そこにカラササヤ
神殿があるのですが、その手前に「太陽の門」といわれる高さ約
3メートルほどの石像物があります。太陽の門は、チチカカ湖と
いう湖の近くにあります。
 その太陽の門の正面に、ひとりの神が前を向いた姿で描かれて
いるのです。神は両手に杖を持ち、空中に浮かんでいます。頭部
の額は狭く、インディアンがつけるように鳥の羽根でできた冠を
かぶっています。角ばった顔からはふたつの丸い目が見開き、そ
こから涙が数滴、頬を伝わって流れているのです。添付ファイル
写真Eをごらんください。
 この石像の神は、火星の人面岩とよく似ています。ホーグラン
ドによれば、約50万年前、シドニア・シテイから人面岩を見る
と、ちょうど口元のあたりから太陽が昇ったというのです。そう
であるとすると、「人面岩=太陽の門」という図式も成立するこ
とになります。
 この神は、古代インカの神話に登場する主神「ヴィラコチャ」
という創造主ではないかといわれています。天地をあまねく照ら
す太陽神であり、光そのものを象徴しているのです。その神のい
る門であることから太陽の門といわれるのです。なお、火星には
「インカ・シテイ」と呼ばれる場所もあるのです。


≪画像および関連情報≫
 ・写真のメモ
  写真A
  ・NASA1998年公開/MGSによる人面岩
  写真B
  ・フラン・ダーン博士解析@/陰影を強調
  写真C
  ・フラン・ダーン博士解析A
   太陽光の明度を調整し、鼻を中央に持ってくる
  写真D
  ・NASA2001年公開/MGSによる人面岩
  写真E
  ・プレインカ遺跡/太陽の門「ヴィラコチャ」

1547号.jpg


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2005年03月09日

人面岩は人間とライオンの融合物である(EJ1548号)

 昨日のEJで火星の「インカシテイ」について触れましたので
今朝はこの話からはじめます。
 1971年5月30日のことです。米国は火星探査機の「マリ
ナー9号」を打ち上げます。マリナー9号は同年11月13日に
世界ではじめて火星の周回軌道に乗ることに成功し、火星表面の
70%をカバーする7329枚の写真を撮影し、地球に送ってき
たのです。
 その中の1枚――南経80度、東経64度の南極付近の写真に
奇妙なものが写っていたのです。それは、ほぼ正確に4〜5キロ
の幅で区切られた遺跡のような地形なのです。添付ファイルの写
真Aをごらんください。
 NASAの科学者ジム・カッツと国立地質調査所のラリー・ソ
ダーブロムは、ヴァイキング計画のためにマリナー9号の写真を
チェックしているときにこの不思議な地形を発見――見た目の第
一印象から「インカ・シテイ」と名づけたのです。
 「インカ・シテイ」の名前のもとになったのは、南米ペルーの
インカ遺跡マチュピチュ――正確な長方形が整然と並んでいると
ころなど、共通点は確かに多いです。インカ遺跡マチュピチュに
ついては、添付ファイル写真Bをごらんください。
 しかし、そのときからNASAは一貫して「自然の光と影のい
たずら」という主張をしており、当のジム・カッツは建前上、こ
れは自然の地形であると述べる一方で割り切れないものを感じて
いたと思われます。自然の産物にしては、あまりにも不気味な規
則性があり過ぎるからです。ラリー・ソダーラムとその同僚のハ
ロルド・マサースキーも地質学者として、「自然の地形としては
ほかに類例がない」と述べています。
 しかし、NASAの科学者アーデン・オルビー博士は、CNN
との会見で、次のように述べて、人工物であることを否定してい
るのです。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
  地盤に強い圧力がかかった場合、比較的、軟らかい部分が押
 し固められ、それ以外がやがて侵食される。インカ・シテイは
 そうした地形の一例に過ぎない。――アーデン・オルビー博士
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 火星と地球では重力や気候などの環境が違うものの、地形の形
成メカニズムについては、同じように扱うことができる――これ
がNASAの科学者の意見のようです。それならどうして地球上
で、インカ・シテイに似た構造がひとつも見つからないのでしょ
うか。NASAの主張には説得力が欠如しています。
 このように、火星にはシドニア地区だけに異常構造物があるの
ではなく、いろいろな場所にそういうものが発見されているので
すが、NASAは公式には一向に認めようとしないのです。
 ここで、もう一度人面岩の話に戻りましょう。
 マーズ・グローバル・サーベイヤー(MGS)が撮って、20
01年にNASAが公表した真上から撮った人面岩の写真――ホ
ーグランドは、これに対してさまざまな分析をしています。人面
岩の顔を左右半分にカットして、それぞれを鏡合わせにする――
例えば、左半分をカットしてそれから右半分を作成して貼り合わ
せて左右対称の顔にする――これを鏡合わせというのです。
 このようにして左半分を合成すると、写真Cのように動物の顔
になるのです。これに少し手を加えたものが写真Dです。これは
まさしくライオンの顔そのものです。
 同様にして右半分を合成すると写真Eのようになります。これ
は若干猿の顔に似ており、人間の顔に近いと考えられます。目を
補正すれば人間の顔になると考えられます。ちなみに、ヴァイキ
ングが撮影した人面岩についても同じことをやっていますが、同
様の結果になっています。
 このことから、火星の人面岩は人間の顔とライオンの顔との融
合の産物なのです。人間とライオンの融合というと、エジプトの
スフィンクス――首から上は人間、下はライオン――を連想する
と思います。ピラミッドといい、人面岩といい、火星とエジプト
文明は何かがつながっているのです。
 スフィンクスといえばそこに大きな謎があるのです。スフィン
クスは第2ピラミッドの参道脇にある大スフィンクス像のことで
すが、このスフィンクスは侵食がひどく、これまで何度も修理が
行われてきているのです。同時期に建造されたといわれている河
岸神殿はビクともしていないのに、なぜスフィンクスだけがそん
なに傷んでいるのでしょうか。
 1973年にフランスの数学者であるR・A・シュワレ・ド・
リュピタは、大スフィンクスの頭部以外は水による侵食を受けて
いると指摘しています。しかし、エジプトのカイロは、ここ数千
年間乾燥状態にあり、ほとんどまとまって雨が降らないのです。
したがって、水による侵食はあり得ない――こういうわけでリュ
ピタの説は誰も注目しなかったのです。
 しかし、そうともいえなくなってきたのです。スフィンクスを
含む三大ピラミッドの建造年代に疑問が出てきたからです。つま
り、これが建造されたのは1万2000年以上前のことであると
いう説が出てきたからです。
 これについては、改めてテーマを設けて述べることにして、も
う一度人面岩に戻ります。MGSの人面岩の画像をもとにして作
られた3D画像があります。添付ファイルの写真Fですが、上は
東、下は西から人面岩を見ています。下の画像を見ると、2つの
コブがはっきり見えます。これが「ツインピークス」と呼ばれる
ものですが、何のことはない。人面岩なのです。
 マーズ・パス・ファインダー(MPF)から最初に送られてき
た写真に「ツインピークス」は写っていたのですが、これは人面
岩を西から撮影したものであり、MPSの着陸地点がアレス峡谷
ではなく、シドニア地区であることの証拠になります。つまり、
カール・セーガン基地は、人面岩のあるシドニア地区ということ
になるのです。


≪画像および関連情報≫
 ・写真メモ
 ・写真A−−MGSの撮影したインカ・シテイ
  写真B−−インカ遺跡マチュピチュ
  写真C−−左部分の合成写真――ネコ科の動物の顔
  写真D−−写真Cの補正写真――ライオンの顔
  写真E−−右部分の合成写真――人間の顔
  写真F−−MGS撮影の人面岩の3Dグラフィックス

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2005年03月10日

独自理論/ハンコックとヴェリコフスキー(EJ1549号)

 火星のテーマを取り上げてから、今日で28回目になります。
そろそろテーマのしめくくりをはかる必要がありますが、今後の
展開として、次の2つの方向があります。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 1.火星には超古代文明が存在していた可能性があるが、それ
   はエジプト文明と関連が深い。この火星と地球をめぐる壮
   大なコネクションを探っていく方向
 2.火星に超古代文明が存在していたとしても、それがどうし
   て崩壊してしまったのか。その謎を探り、火星再生計画を
   進める方法について探っていく方向
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 いずれも大きなテーマであり、それぞれがひとつのテーマにな
る内容があります。そこで、これらの両方にまたがる問題をこの
あと続けてこのテーマはひとまず終了し、時期を改めて上記2つ
のテーマに挑戦したいと考えています。
 「火星には超古代文明が存在した」――既にこの段階で抵抗を
感じてしまう人も少なくないと思います。しかし、火星上に展開
する数多い異常構造物――これらはどのように考えても人工物と
しか思えないものばかりです。
 現在でもNASAはこれらの異常構造物を人工物とは明確に認
めていませんが、内部的にはそれらが人工物であるという仮説に
立って、数多くの火星探査機を火星に飛ばすことによって、その
細部を詳しく探ろうとしています。
 かつては、「火星には生物がいるかいないか」に興味の中心が
あったのですが、現在では「火星の超古代文明はどのようなもの
であったか」とか「その超古代文明はどのようにして滅びたか」
また「その超古代文明と地球とはどのような関係にあるのか」と
いう火星に何らかのかたちでETI――地球外知性体/エクスト
ラテレストリアル・インテリジェンスが存在したことを前提とし
て、それがどうなったかを研究することに興味の焦点は移ってい
ると感じます。
 グラハム・ハンコックという人物をご存知でしょうか。
 グラハム・ハンコックは、『神の刻印』『神々の指紋』『天の
鏡』(いずれも翔泳社刊)などの世界的ベストセラーの著者なの
です。これらの本は世界で500万部以上を売り上げ、27の言
語に翻訳されているといわれます。
 ハンコックは、人類の歴史および前史に関して正統な疑問を呈
し、大衆的な盛り上がりを背景に主流派学者の凝り固まった見解
に挑みかかる人物として認識されるようになってきています。
 このグラハム・ハンコックは、火星にはかつてETIが存在し
たことを前提として、火星の超古代文明が滅んだ原因は、彗星、
もしくは小惑星の火星への激突ではないかと推測しています。彼
は火星だけではなく、地球もまた、かつて小惑星が激突し、それ
が原因で失われた文明が存在するのではないかという仮説を立て
ていることでも知られています。
 火星の表面を見ると、数多いクレータが見られます。これは隕
石の衝突によってできるものです。中には、火星の直径の8分の
1以上のスケールを持つクレータもあるのです。したがって、グ
ラハム・ハンコックのいう小惑星の激突によって火星の超古代文
明が滅亡したというのはそれなりに根拠があります。
 ここで注目すべきは火星の海なのです。火星に超古代文明が存
在したということは、火星には豊富な水があったということを意
味します。もちろん海もあったのです。その海の水はどこに行っ
たのかということです。
 火星の海を消滅させたものは何か――火星の海を消滅させたカ
タストロフィこそが火星の超古代文明を滅亡させた原因ではない
かというわけです。そのカタストロフィは、小惑星が地球に激突
したということなのでしょうか。
 小惑星が地球に激突した場合、海の水はどうなってしまうので
しょうか。仮に小惑星が海に激突したとしたら、一体何が起こる
のでしょうか。
 小惑星が海に激突したら、想像を絶する高波が大陸を襲い、高
熱で大量の水が水蒸気になるはずです。つまり、火星は灼熱のス
チーム状態となるわけです。しかし、その水蒸気はどこに行って
しまうのでしょうか。
 現在火星に残るクレータから逆算して衝突した隕石の大きさを
計算しても、海の水を一挙に失わしめるほどの隕石が衝突したと
は考えられないのです。つまり、多少大きい隕石が火星に激突し
ても、海の水が一挙に失われることはあり得ないのです。
 アカデミズムは、数億年かけて水は少しずつ失われていったと
していますが、これについてもそれを裏づける実証データは一切
ないのです。NASAは学者の集まりであり、当然アカデミズム
の側に立っています。
 海の水が一挙に失われるほどのカタストロフィは、隕石や彗星
小惑星クラスのものではなく、もっと巨大な天体が関与しなけれ
あり得ない――それは想像を絶する天体の動きというものが前提
となるのです。具体的には巨大天体による火星とのニアミス――
つまり、大天変地異がそれにかかわっているとしか考えられない
のです。これには、惑星形成論が深く関連してきます。
 ここにアカデミズムが最も忌み嫌い、恐れる理論がこの問題に
かかわってきます。それは「ヴェリコフスキー理論」といって、
かつてNASAが徹底的に攻撃して、葬り去ったはずの理論なの
ですが、火星の大気のほとんどを奪い取り、海の水を一挙に消滅
させる大天変地異を説明する理論なのです。
 イマヌエル・ヴェリコフスキー――学界の従来の理論を根底か
らくつがえす奇想天外な理論で学界に衝撃を与えた精神科医であ
り、NASAとしては絶対に受け入れられない理論なのです。
 NASAが忌み嫌うイマヌエル・ヴェリコフスキー理論とは、
一体どういう理論なのでしょうか。明日のEJでは「ヴェリコフ
スキー理論」について解説します。


≪画像および関連情報≫
 ・イマヌエル・ヴェリコフスキー
  ユダヤ系ロシア人で精神科医。1950年に米国で『衝突す
  る宇宙』を著し、学界に衝撃を与えている。
  ≪ヴェリコフスキー事件に関する参考文献≫
   @アイザック・アシモフ著、「我が惑星、そは汝のもの」
    ハヤカワ文庫、pp.65-81
   AM.ガードナー著、「奇妙な論理」、社会思想社現代教
    養文庫、pp.54-62
   B「禁断の超「歴史」「科学」」、新人物往来社、pp.124
    -131
   Cカール・セーガン、「サイエンス・アドベンチャー」
    潮選書
   Dテレンス・ハインズ著、「ハインズ博士『超科学』をき
    る」、化学同人、pp.276-285

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2005年03月11日

神話をベースとするヴェリコフスキー理論(EJ1550号)

 ヴェリコフスキー理論について述べる前に、この理論が相当問
題のある理論であることをお断りしておく必要があります。要す
るに、ヴェリコフスキーの主張は従来の天文学の常識から考えて
とても受け入れ難い理論であるということです。
 そのため、ヴェリコフスキーの理論は多くの学者から激しく攻
撃され、徹底的に批判されたのです。その批判者の中には、あの
カール・セーガンもいたのです。しかし、彼はヴェリコフスキー
の考え方をまともに受け止め、十分研究したうえで、根拠を明ら
かにして、反論したのです。
 ヴェリコフスキーを批判する学者の中には、彼の考え方をロク
に研究もせず、批判した学者も非常に多かったのです。学者でな
くてもそういう人は多くいます。多くの人が批判するから、自分
も批判するというスタンスの人です。
 そういう人に対して、カール・セーガンは次のように戒めてい
るのです。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
  科学は自由な研究によって進歩してきたし、自由な研究のた
 めに存在する。どんな奇妙な仮説でもその長所を考えて見よう
 いうのが科学である。(中略)
  ヴェリコフスキーの事件よくない点は、彼の仮説が間違って
 いるのか、確立された事実に反しているというのではなく、科
 学者と自称する人たちがヴェリコフスキーの研究を抑圧しよう
 としたことだ。           ――カール・セーガン
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 カール・セーガンの偉いのは、どのような荒唐無稽な理論に対
してもまともに向き合ったということです。これらのことを前提
としてヴェリコフスキーの理論について説明します。
 ヴェリコフスキーとはどのような人だったのでしょうか。
 1895年ロシアに生まれ、英国に渡ってエディンバラで自然
科学を学び、ロシアに帰国後、法律・経済・歴史を学び、モスク
ワ大学、チャルコワ大学で医学を修めたのです。そのあとドイツ
に渡り、ベルリンで生物学を学び、雑誌「スクリプタ・ウニベル
シタティス」を創刊するのです。これは世界のユダヤ人学者をま
とめ、エルサレム大学創立のきっかけとなるのです。
その後パレスティナで医者を開業し、チューリッヒとウィーン
でフロイト派の精神分析学を研究しています。とてもエネルギッ
シュな学者であるという印象です。
 ヴェリコフスキーの理論の特色は、天文学がベースではなく、
世界中の神話や伝説がベースであるという点です。その取り上げ
られている数は膨大であり、彼は世界中の神話に通じていたので
す。それにしても理論のベースになるものが神話とは・・・この
あたりにヴェリコフスキーの理論の問題点があるといえます。
 その神話や伝説の研究において彼はあるひとつの発見をしたの
です。それは、古代中国やインド、それにバビロニアなどの古い
神話や伝説になればなるほど、金星の話が出てこないのです。そ
れでいて、どの神話にも金星に相当する神の誕生の話は劇的に描
かれている――そのことから、ヴェリコフスキーは約4000年
前には金星はなかったのではないかと考えたのです。金星に相当
する神の誕生とは、ギリシャ神話のアフロディティとパラス・ア
テナ、ローマ神話のヴィーナスの誕生です。
 ここで、パラス・アテナの誕生についてふれておきます。ゼウ
スは、女神メーティスを飲み込んだところ、頭がとてつもなく痛
くなったのです。そこで鍛冶の神ヘファイストスに自分の頭を斧
で割って欲しいと頼むのです。この要請を受けてヘファイストス
は、斧でゼウスの額を割ったところ、真っ赤な傷口から武装した
パラス・アテナが飛び出してきたというのです。
 このたわいもない神話からヴェリコフスキーは、驚くべきこと
を考えたのです。それは、ゼウスを木星、パラス・アテナは金星
と考えたのです。つまり、ゼウスの額からパラス・アテナが誕生
したというのは、木星から金星が飛び出し、彗星となったと解釈
したわけです。
 ピテゴラス派という一派がありますが、アリストテレスは彼ら
について次のように書いています。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
  ピタゴラス派と呼ばれる若干のイタリア人は、彗星は惑星の
 一つであるが、長い期間を隔てて現れるものであり、地平線か
 ら、わずかしか上がらないものだという。
                    ――アリストテレス
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 水平線からわずかしか上がらない惑星とは、彗星だけではなく
金星にもそれは当てはまるのです。つまり、西暦前4世紀のピタ
ゴラス派の人々は、5つの惑星の1つは彗星であると考えていた
わけです。
 木星から飛び出したとされる灼熱の巨大彗星「金星」は当分は
現在のような安定した公転軌道を描いてはいなかったのです。そ
れは多くの彗星がそうであるように、長楕円軌道をとっていたの
です。そのため、ほかの惑星の公転軌道と交差するようになった
とヴェリコフスキーは主張するのです。
 さらにヴェリコフスキーは、金星が木星から誕生した時期を割
り出したのです。それは『旧約聖書』に記されている預言者モー
セがイスラエル人を率いてエジプトを脱出したときではないかと
考えているのです。
 映画『十戒』で見られたあの「紅海割れ」――これは彗星であ
る金星の地球への超接近によって潮汐作用が激しくなり、地球の
海の干満の差が激しくなったためであるとしています。とくに紅
海の付近は一時的に未曾有の干潮となり、水位が極端に低下し、
海の水が左右に分かれたのです。
 このように、ヴェリコフスキーはすべてを聖書や神話によって
立証しようとするのです。火星の海の水が失われたのもこれが原
因であるとヴェリコフスキーはいっているのです。


≪画像および関連情報≫
 ・パラス・アテナ=金星説について
  パラス・アテナ=金星説に関してはヴェリコフスキー自身は
  まったく根拠を挙げていないわけではない。歴史家プルタル
  コスの著作『モラリア』の一編「エジプト神イシスとオシリ
  スの伝説について」には、「サイスにある女神アテナ、これ
  を人々(エジプト人)はイシスだとも信じている」とある。
  さらに『博物誌』で知られるプリニウスは、エジプトの女神
  イシスは金星であると記している。

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2005年03月14日

火星を襲ったカタストロフィーの謎(EJ1551号)

 ギリシャ神話における火星の神は「アレス」と呼ばれます。と
ころが、ローマ神話では「アレス」は「マルス」と呼ばれるので
す。英語で火星のことを「マーズ」というのは、この「マルス」
が語源であるからです。
 マルスは「軍神」と呼ばれ、恐れられるのですが、これは火星
の色が赤であるからです。真っ赤な色は血の雫を連想させ、火星
は不吉な星とされたのです。このことから、マルスは血を好む殺
戮と戦争の神を象徴するものとされたのです。
 しかし、不思議なことがあるのです。西暦前8〜9世紀におけ
る古代神話の世界において火星は軍神どころか何ら顕著な働きを
していなかったのです。つまり、火星は誰からも恐れられてはい
なかったのです。むしろ恐れられていたのは、輝くばかりの原始
大気を後ろにたなびかせて暴れまわっていた金星の神「アテネ」
だったのです。
 この「輝くばかりの原始大気を後ろにたなびかせて」という表
現は、金星が彗星であったことを暗示しています。金星は超楕円
軌道を描き、多くの惑星を危機に陥れていたからです。
 しかし、紀元前8〜9世紀以降、それまでおとなしかった火星
は軍神「マルス」に変貌し、暴れまわっていた金星は、愛と平和
の女神「ヴィーナス」へと変貌してしまったのです。それは、金
星が現在の円軌道、太陽系第2番惑星の地位を獲得したことと無
関係ではないでしょう。
 ヴェリコフスキーは神話をベースとして宇宙論を展開する――
このようにいうと、いかにも荒唐無稽に思えますが、もともと神
話は天空の神々の話――宇宙の惑星など――であり、宇宙の話な
のです。かつて宇宙で起こったことを神話として後世に伝えてい
るのです。
 そうであるとすると、おとなしかった火星の神が不気味な軍神
「マルス」となり、暴れ者であった金星の神「アテネ」がおとな
しくなったという神話は何かを暗示しているのです。
 それは紀元前8世紀頃、金星は火星に異常接近し、火星に想像
を絶するカタストロフィーを引き起こしたのではないかという暗
示です。それは、火星の海をも一挙に失わしめるほどの未曾有の
カタストロフィーです。
 火星の質量は金星の8分の1程度ですから、もし異常接近する
と、受けるダメージは火星の方がはるかに深刻になります。神話
で縷々と語られるように火星は金星に敗れ去ったのです。それを
示す証拠はたくさんあります。
 第1の疑問は、火星の地表はなぜ赤いのかということです。
 これは、マリナーやバイキングらの火星探査機によって、既に
明確になっています。火星が赤いのは表土が赤いからです。赤土
が火星の全面を覆っているために、赤く光って見えるのです。
 火星の表土は、土の中に大量の鉄分が含まれていることにより
赤い色をしているのです。酸化した鉄は赤い色を帯びているので
す。探査機バイキングによる分析の結果、赤い土壌の正体は、酸
化第二鉄を含む風化生成物であることが分かっています。
 問題は、火星の表面には、なぜ、こんなにも多量の鉄分が存在
するのかということです。鉄は比較的重い元素ですから、原始惑
星の時代に、その多くは地中深く沈んでしまうのです。
 それでは、地中深く沈んでしまっている鉄分がなぜ地表にあら
われるかです。それは、火山の爆発によって地表に露出してくる
のです。
 赤土として有名な関東平野の「関東ローム層」――これは、か
つて富士山から噴出した火山灰がその正体なのです。火山が爆発
したとき、地中深くにあった鉄分が地上に噴出したのです。その
ため、火山灰の中に含まれる鉄分が酸化して、赤くなってしまっ
たのです。
 それでは、火星の場合も火山が噴火して地中深くにあった鉄分
が表層化したのでしょうか。否、それはあり得ないことです。な
ぜなら、火星中の火山がすべて噴火しても、たかが知れているか
らです。それに、火星の場合、赤土の広がりがきわめて不均衡で
あることです。
 それに、火星には真っ黒な地表が露出しているところがあるの
です。よくよく観察すると、黒い地表の上に、赤土の表土が覆い
被さっていることが分かります。それは、まるで、宇宙から赤い
表土が吹付けられたかのように見えるのです。
 第2の疑問は、火星の赤道付近にあるクレーターの存在です。
 そのクレーターは「台状クレーター」と呼ばれるもので、極地
方特有のクレーターなのです。
 隕石が極地方に衝突すると、厚い氷床の上に破片が積もること
になります。夏になって氷床が溶けはじめますが、上に塵が集積
した場所だけ、日光を遮断するので、溶け方が遅くなります。そ
うすると、クレーターを中心として、氷床が台状に溶け残ってし
まい、結果として台状のクレーターになってしまうのです。
 問題は、本来であれば極地方にしか存在しない台状クレーター
がなぜ赤道付近にあるかです。それにこの台状クレーターは実は
もうひとつ存在し、それは互いに火星の反対側になっているので
す。これは何を意味しているのでしょうか。
 想像でしかありませんが、その台状クレーターのある2つの地
域がかつての火星の極地方であったということになるのです。つ
まり、何らかの天変地異が起こって、両極が移動してしまったと
考えられるのです。これを「ポールシフト」といいます。
 この火星と金星の天変地異は、ギリシャ神話の原典ともいうべ
きホメロスの叙事詩――「イリアス」と「オデュッセイア」にお
ける第20歌と第21歌として伝承されてきているのです。
ヴェリコフスキーは、アテネを「金星の神」、アレスを「火星
の神」とし、この闘いを独自の宇宙論をもって、惑星同士の宇宙
的衝突を描いたものと解釈したのです。
 火星にかかる天変地異があったとすると、火星には超古代文明
があって、その時点で滅びているとの解釈も成り立つのです。


≪画像および関連情報≫
 ・写真左 ・・・ 火星の赤い地表
  写真右 ・・・ 台状クレーター

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2005年03月15日

なぜ、ヴェリコフスキーを無視できないのか(EJ1552号)

 神話をベースとしてすべての理論を構築しているヴェリコフス
キーに対して天文学者たちがヒステリックに攻撃したのは理解で
きるような気がします。なぜなら、彼の仮説はあまりにも荒唐無
稽であるからです。
 しかし、それならばなぜ無視できなかったのでしょうか。荒唐
無稽なことをいっているなら無視して相手にしなければいいので
す。それなのにアカデミズムはヒステリックに攻撃している――
それはその理論を相当意識をしている証拠だと思うのです。
 その理由は、荒唐無稽な仮説であるはずのヴェリコフスキーの
理論が、探査機が火星や金星に行くようになって、いろいろな事
実が判明し、次第に無視できなくなりつつあるからです。
 金星や木星の探査がまだ行われていなかった時代に、ヴェリコ
フスキーはいくつかの予言をしているのです。
 そのひとつに金星に関する予言があります。
 金星は誕生して4000年ほどしか経過してしないので、まだ
熱が十分に放出されていない――したがって地上は灼熱状態であ
るといっているのです。
 これに対してアカデミズムは、金星が有史以前から知られてい
る存在であったため、誕生してから4000年しか経っていない
という点に強い反発を感じていたのです。
 それどころか、金星は地球に近い惑星であり、濃密な大気もあ
って地球と似ている点も多いため、発見当初は生命の存在すら期
待されていたほどなのです。そのため、あのカール・セーガンで
すら、当初は火星よりも金星をテラフォーミングの対象として考
えていたほどだったのです。
 ところが探査機を打ち上げて金星を調べて見ると、金星の地表
の気温は摂氏400度以上――とても生物が住める状態ではない
し、テラフォーミングの対象になり得ないことがわかってきたの
です。一番新しい調査では金星の気温は摂氏530度――鉛です
ら融解する灼熱地獄であることがわかっています。ヴェリコフス
キーの予言は的中したのです。
 もうひとつ、ヴェリコフスキーは金星は木星から誕生した惑星
であり、そういう木星であるから、かなり活発な活動をしている
に違いない――とくに電磁気エネルギーが莫大であり、おそらく
電磁波を放出していると予言したのです。
 金星が木星から誕生したということについてアカデミズムは認
めるはずはないのですが、電磁波エネルギーについては的中した
のです。木星には強力な地磁気が存在し、極地方にはオーロラが
たびたび観測されているのです。
 このようにヴェリコフスキーの予言が次々と的中するにつれ、
NASAの学者たちは真っ青になったといいます。そのため、ア
カデミズムは集中的に攻撃する裏で、ヴェリコフスキー理論を徹
底的に分析し、そのかなりの部分が正しいことを既に悟っている
といわれています。アカデミズムがヴェリコフスキーをけなしな
がらも無視できないのは、こういう理由によるものです。
 ここで「マクダニエル・レポート」に話を戻します。この「マ
クダニエル・レポート」がどのような趣旨のレポートであるかご
存知ない方は3月2日のEJ第1543号を参照してください。
 このレポートで、マクダニエル教授は、火星のシドニア地区の
構造物群については次の趣旨のことを述べています。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
  シドニア地区に集中する構造物群には、数学的・幾何学的概
 念が介在している。それは、火星地表に存在する特異な構造物
 群が人工構造物である可能性を十分に示唆するものである。
  それぞれの構造物、あるいは複数の構造物の間に特定の位置
 関係がある。これは、19.5度といった特定の角度で表され
 るものである。           ――マクダニエル教授
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 D&Mピラミッドを覚えておられるでしょうか。
 以下の記述は添付ファイルを見ながら読んでいただくと理解し
やすいと思います。まず、写真を見てください。
 D&Mピラミッド(五角錐体構造物)の頂点から人面岩(FA
CE)とホーグランドの発見した正四面体構造廃墟(RUIN)
とをそれぞれ直線で結ぶと、そこに19.5度という角度ができ
るのです。
 この19.5度という角度には幾何学的な意味があるのです。
既に述べたようにD&Mピラミッドは五角錐体ですが、正五角錐
体ではないのです。ひとつの辺を挟んだひと組の2辺がほかの辺
よりも少し長いのです。また、北側の稜線は先が三叉に分かれて
います。
 まず、このD&Mピラミッドの頂点から北東に伸びる稜線と火
星の緯度(北緯40.868度)が作る角度を測ってみると、こ
れが19.5度になるのです。
 続いて、D&Mピラミッドの北東角から突起部まで引いた直線
と北東辺との角度が19.5度なのです。さらにD&Mピラミッ
ドの北西角から突起部まで引いた直線と北西辺との角度を測ると
これも19.5度なのです。
 この19.5度という数値は何なのでしょうか。
 正四面体(三角錐)とそれの4つの頂点に内接する球体を考え
てください。このとき正四面体の頂点のひとつを北極点にもって
くると、残りの3つの頂点は南緯19.5度に等間隔に並ぶので
す。反対に、それを南極点にすれば3つの頂点は北緯19.5度
にくるのです。
 マクダニエル教授は、火星のシドニア地区の異常構造物にはこ
の19.5度の他に次の3つの数字も出てくるといっています。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
    1.√3、√2、√5の数値が頻出すること
    2.円周率 π を組み合わせて得られる数値
    3.1対1.618の黄金比率が発見できる
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−


≪画像および関連情報≫
 ・図形出典
  並木伸一郎著『火星人面岩の謎』
  学習研究社/学研

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2005年03月16日

北緯/南緯19.5度にあるもの(EJ1553号)

 昨日のEJで述べた19.5度の謎――これについてもっと深
く調べた人物がいます。あのリチャード・ホーグランドです。彼
は、地球、火星、海王星、木星の4つの惑星について、その北緯
/南緯19.5度に何があるかを調べたのです。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
   地 球 ―― 北緯19.5度 マウナロア火山
   火 星 ―― 北緯19.5度 オリンポス火山
   海王星 ―― 南緯19.5度 大暗班
   木 星 ―― 南緯19.5度 大赤班
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 地球の北緯19.5度には、ハワイのマウナロア火山がありま
す。この火山は地球最大の火山として知られています。続いて、
火星の北緯19.5度には、太陽系最大の巨大火山であるオリン
ポス火山があるのです。
 遠く離れた海王星の南緯19.5度には「大暗班」――グレー
ト・ダーク・スポットがあるのです。高気圧の渦巻きと見られて
いますが、その正体は不明です。そして木星の南緯19.5度に
は「大赤班」――グレート・レッド・スポットがあるのです。
 ホーグランドは、惑星における北緯/南緯19.5度には、エ
ネルギーを放出する特殊なポイントがあるとしています。しかし
地球と火星は火山であることはわかっていますが、海王星と木星
については、その正体はわかっていないのです。
 しかし、サイエンス・エンタテイナーを自称する飛鳥昭雄氏は
海王星と木星についても火山であると明言しています。飛鳥氏は
ヴェリコフスキー理論を信奉しており、木星の大赤班は金星が飛
び出した場所であるとしており、その下には超弩急の巨大火山が
あると主張しています。ちなみにヴェルコフスキー自身は金星を
生み出した場所までは特定していないのです。
 しかし、この説には大いに疑問があるのです。なぜなら、飛鳥
氏の仮説が成立するためには、木星が地球と同じように固い地殻
を有する惑星であることを証明しなければならないからです。
 しかし、木星の基本的なデータだけを見ると、木星がそのよう
な固体惑星ではあり得ないのです。確かに木星は太陽系の中で最
も大きい惑星であり、その大きさは太陽系が木星とその他で出来
ているといえるほどなのです。
 ところが、木星の体積は地球の約1316倍であるのに、質量
は約318倍しかないのです。しかも、密度にいたっては、地球
の4分の1しかないのです。これは何を意味しているのかという
と、木星はほとんどが軽い元素――水素とヘリウムで構成されて
いるということなのです。
 そしてそれらの元素は、高圧力のために液体化せざるを得ない
のです。赤道半径約7万1000キロのうち、少くとも表面から
1万キロ以上が水素を中心とするガスなのです。そのような木星
に火山が存在するはずがないのです。
 それならば、大赤班の正体は何でしょうか。
 カール・セーガンによれば、大赤班は巨大な台風であるとして
います。木星の大気は非常に高速で流れており、そうした気流の
はざまで渦巻く低気圧が大赤班であるといっているのです。
 しかし、飛鳥氏は台風ではないと主張しています。その理由は
大赤班は南緯20度付近にとどまっていてほとんど動いていない
からであるというのです。
 しかし、これに対して大赤班は大きく移動しているという説が
あります。これに関してはデータもありますので、本当のことで
あろうと思います。データについては、添付ファイルCのグラフ
を参照してください。
 このデータによると、1831年から1880年までについて
は−1200度ほど移動、1880年から1910年は600度
ほど移動、1910年から1930年は−200度以上移動、そ
して1930年から1980年までには、約1250度移動して
いるのです。そして、現在も大赤斑は西に移動し続けているとい
うのです。
 ちなみに、木星からの金星誕生を語るヴェリコフスキー説は、
カール・セーガンらが「定量的に」覆しており、その信憑性には
疑問符がつくのです。つまり、木星が金星を生むことはあり得な
いというわけです。
 しかし、宇宙の情報に関しては、NASAが独占しており、情
報の操作も行われていることは確実なので、部外者が知ることの
できる範囲は限られていると思います。何しろ、本当にアポロが
月に行ったかどうかですら疑われているほどですから、本当のと
ころは、部外者にはわからないのです。
 部外者の研究家については、ひたすら多くの情報を収集し、そ
こからから推論するしかないのです。そういう意味では、飛鳥昭
雄氏らの太陽系の研究も大いに参考になるのです。
 火星について、今日まで32回にわたっていろいろ調べてきま
したが、どうやら火星には超古代文明が存在した可能性は高いと
いえると思います。その情報を一番握っているのはもちろん米国
のNASAです。
 もし、火星にかつて超古代文明が存在したと仮定すると、次の
2つのことが想定されるのです。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 1.地球には古代に優れた文明があって、既に火星に行ける技
   術力を有していて、人類が火星の超古代文明を形成したと
   考えてみる。
 2.もともと人類は火星に住んでいたが、火星の環境が住むの
   に適さなくなったので、一番近い惑星――地球に移ったと
   考えてみる。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 どちらも驚天動地の考え方ですが、もし、火星に超古代文明が
あったとすれば、以上のような想定も十分成り立つのです。明日
はもう少し詳しく考えてみましょう。


≪画像および関連情報≫
 ・Cのグラフの説明
  このグラフは、大赤班が1831年以来経度方向にどのくら
  い推移したかを示す。この変化は、大赤班が固定した模様で
  もなければ、木星の雲の下のいかなる固定した地形的様相と
  も関連していないことを示している。

1553号.jpg


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posted by 平野 浩 at 08:29| Comment(0) | TrackBack(0) | 火星探査 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年03月17日

カイロは火星と同義語である(EJ1554号)

 それが人工物か否かの議論は別として、火星にピラミッドが存
在することはNASAも事実として認めています。そのピラミッ
ドは地球にもある――エジプトの首都カイロの郊外に存在するの
です。実はこの「カイロ」という地名は「火星」を意味する言葉
なのです。これは単なる偶然の符合なのでしょうか。
 1983年のピラミッド調査の最高責任者、ランバート・ドル
フィンによると、カイロは10世紀頃「キャンプ」という名称か
ら改名されたもので、このキャンプという名称も同様にアラビア
語の「火星」に由来するというのです。
 もう少し正確にいうと、「キャンプ」は「エル・カヒラ」と呼
ばれるようになるのですが、「エル」というのはエルサレムのエ
ルと同様に都市を意味するのです。そのため、語幹は「カヒラ」
となり、やがてそれが「カイロ」と呼ぶようになったのです。
 古代エジプトの中心地にしてピラミッドがある土地「カイロ」
が「火星」を意味することを最初に発見したのはあのリチャード
・ホーグランドなのです。
 カイロの郊外にあるピラミッドといえば、やはり世界七不思議
のひとつといわれる三大ピラミッドでしょう。古代エジプト文明
の遺産ですが、建造されたのは古王国第4王朝の時代であり、今
から4550年前といわれています。
 歴史書によると、ピラミッドを建造したのは、北側からクフ王
カフラー王、メンカウラー王ということになっています。しかし
これはギリシャの歴史家ヘロドトスの書を根拠にしてしているの
ですが、ヘロドトスの記述にはかなりの誤りがあることが現在わ
かっているのです。
 それに、クフ王、カフラー王、メンカウラー王が建造したとい
う根拠が非常に乏しいのです。そこで、かねてから三大ピラミッ
ドの建造年代に疑問を抱いていたピラミッド研究家のジョン・ア
ンソニー・ウエストは、1990年にボストン大学の地質学者ロ
バート・ショック博士に連絡をとり、大スフィンクスに刻まれた
侵食について調査を依頼したのです。
 これについては既に少し述べましたが、ショック博士は、大ス
フィンクスの侵食は降雨によるものと断定したのです。しかし、
カイロはここ数千年間にわたって、雨らしい雨が降ったという記
録がないのです。
 かつてこの地に経常的な降雨があったとすると、少なくとも数
千年――7000年〜9000年は遡る必要があるのです。した
がって、建造はさらに遡る必要があるのです。あのグラハム・ハ
ンコックの計算によると、大スフィンクスが建造されたのは、お
よそ1万2000年以上前になるのです。つまり、大スフィンク
スは、古代エジプト文明の遺産ではないということになります。
 この三大ピラミッドに関しては、興味深い不思議な話がたくさ
んあるのです。そのひとつに三大ピラミッドの配置があります。
普通3つのものを並べようとすると、縦か横に一列に並べるか、
斜めに一列にするか、正三角形か二等辺三角形のそれぞれの頂点
の位置に並べるか――そういうものを意識するのが人間というも
のです。
 しかし、三大ピラミッドはそのいずれでもないのです。それで
は、とくに意識せずに建造したのかというと、けっしてそうでは
ないのです。なぜなら、それぞれのピラミッドの底辺が正確に東
西南北に向いているからです。
 この三大ピラミッドの位置に関連して、注目すべき意見を述べ
ている人が2人います。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
   ヴィリー・クロス ・・・・ ドイツのエンジニア
   ロバート・ボーヴァル ・・ ピラミッドの研究家
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 ドイツの技師ヴィリー・クロスは、1977年に著書『クフ王
のピラミッドの数学的・天文学的な謎を解く新しい試み』の中で
驚くべき仮説を提唱しているのです。この説は、1980年に宇
宙考古学協会フルダ会議でクロス本人によって発表され、世界中
で注目を集めたのです。
 どのような説かというと、火星にある三つの火山――アスクレ
ウス山、パボニス山、アルシア山が、それぞれクフ王、カフラー
王、メンカウラー王のピラミッドに対応しているというのです。
 三大ピラミッドの配置に合わせて火山は作れないから、火星の
3つの火山に合わせてピラミッドを建造しているフシがある――
クロスはこれを数学的にきちんと証明しているのです。
 これが正しいとすると、かつて人類は火星にいて、地球にやっ
てきたものである――そして、故郷の3つの火山に位置に合わせ
て三大ピラミッドを建造したという仮説が現実味を帯びてくるこ
とになります。そして彼らはその地に火星を意味する「カイロ」
という地名をつけたのではないか――というわけです。
 ロバート・ボーヴァルは、ベルギーの建築家でピラミッドの研
究家なのですが、彼は三大ピラミッドの配置がオリオン座の3つ
の星とよく似ていることを発見したのです。オリオン座には、ア
ルニタク、アルニラム、ミンタカという3つの星がありますが、
そのそれぞれがクフ王、カフラー王、メンカウラー王のピラミッ
ドに対応しているといっているのです。
 それも見た目によく似ているというのではなく、きちんとした
数学的な位置関係を検証してのことです。しかも、天空のオリオ
ン座の右上と左下の星についても、それぞれダハシュールの屈折
ピラミッドと赤のピラミッドが対応しているというのです。
 さらに、オリオン座の左側に位置する天の川が、三大ピラミッ
ドの東側を流れるナイル川に対応しているといるのです。ロバー
ト・ボーヴァルは、この説を『オリオン・ミステリー』という本
にまとめて発表し、大反響を呼んだのです。
 どうでしょうか。火星と地球はどうやらつながっているようで
す。それにしても、「カイロ」が火星を意味するとは・・・驚き
です。


≪画像および関連情報≫
 ・添付ファイル説明
  上図――三大ピラミッドの配置とオリオン座の3つの星
  左図――火星三大火山と三大ピラミッドの配置への対応
  右図――カイロ――ギザの大スフィンクスとピラミッド

1554号.jpg

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posted by 平野 浩 at 04:45| Comment(1) | TrackBack(0) | 火星探査 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年03月18日

地球にもあるシドニア地区(EJ1555号)

 火星のテーマは本日で第34回目ですが、このテーマは今回で
一応終了し、来週からは新しいテーマとなります。まだ、大きな
謎が残ったままですが、それにはさらなる調査とデータ収集が必
要になるからです。
 それに、2月25日のEJ第1540号でご紹介したリチャー
ド・ホーグランドの著書『火星のモニュメント』――梅木氏に依
頼して練馬図書館から借りた本ですが、3週間借りて返却したと
ころ、この本を予約していた人がいて、現時点でまだ戻ってきて
いないのです。こういう事情があって、このテーマは本日で終了
ということにさせていただきたいと思います。
 リチャード・ホーグランドは、人面岩のある火星のシドニア地
区には19.5度という数値をちりばめた構造物群があることを
指摘していますが、地球上にもその縮小モデルというべきものが
あるという驚くべき発表をしています。
 その場所は、英国のパンプシャー州にあるのです。先史時代の
遺跡であるエイブベリー・サークルと人工古墳としてはヨーロッ
パ最大級の規模を持つシルベリー・ヒルがそれです。
 このエイブベリー・サークルとシルベリー・ヒルは、4500
年前に造られたものといわれていますが、その正確な建造年代や
建築方法、建造の目的についてはわかっていないのです。
 まず、エイブベリー・サークルですが、その直径は320メー
トル以上もある円形の巨大遺跡です。シルベリー・ヒルは人工の
円錐形の丘で、斜面の角度は約30度、高さ39メートル、その
頂点は2.5メートルの平らな面となっています。
 ここで以後の説明のために、ホーグランドが火星のシドニア地
区の構造物について命名した2つの言葉の意味を知っていただく
必要があります。それは次の2つの言葉です。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 トロス ・・ 円形構造物/らせん状の道を持つ円錐盛り土
 クリフ ・・ 崖/山の屋根を思わせるかたちの直線状の崖
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 ホーグランドは、この遺跡に行ったとき、何となく火星のシド
ニア地区と共通性があると感じたのです。そこで、彼の主宰する
「エンタープライズ・ミッション」のスタッフに現地の軍用地図
を用意させ、シルベリー・ヒルとエイブベリー・サークル間の距
離が、火星のトロスとクレーター間の距離と等しくなるように倍
率を設定して地図のコピーを作成させたのです。
 そして、そのコピーとシドニア地区の写真を重ねてみると、驚
くべきことがわかったのです。何とエイブベリー・サークルは、
火星のシドニア地区のクレーターと同じ大きさだったのです。エ
イブベリー地区の遺跡は、火星のシドニア地区をおよそ100分
の7の縮小率で再現したものだったのです。
 早速ホーグランドは現地に行き、地図を片手にシドニア地区の
クリフに該当するものを探したのです。現在のエイブベリー地区
には中心部の近くに郵便局やパブや一般住宅があるのですが、ホ
ーグランドはその地区の最北端に「溝」のようなものを発見し、
それがクリフであると仮定したのです。
 火星のシドニア地区のトロスの中心からクレーターの切れ目に
ある四角錐ピラミッドの頂点まで引いた線と、トロスからクリフ
まで引いた線とのなす角度は19.5度になります。
 同様に、シルベリー・ヒルの頂点からエイブベリー地区で発見
された「溝」とエイブベリー地区の切れ目に2本の線を引き、そ
こにできた角度を測るとこれも19.5度になったのです。
 このようにして、ホーグランドと「エンタープライズ・ミッシ
ョン」のスタッフは、シドニア地区にあるピラミッドや人面岩に
該当する構造物を丹念に探したのです。
 シドニア地区における構造物の配置図を基にしてエイブベリー
地区の地図に線を引き、火星の構造物が存在する地点にそれらし
きものはないかと探したところ、いずれもそれらしき痕跡が発見
されているのです。ただ、人面岩についてはそのものずはりのも
のは発見されなかったのですが、それがあったとおぼしき痕跡は
見つかっています。
 それにしてもなぜこの地に火星のシドニア地区の痕跡があるの
でしょうか。考えてみれば不思議な話です。それに英国のエイブ
ベリー地区といえば、近年ミステリーサークルの多発地帯として
も知られています。
 2001年8月14日のことです。同じハンプシャーのチルボ
ルトンの電波望遠鏡施設前の畑に巨大な顔と情報ボードのミステ
リーサークルがあらわれたのです。備え付けられていたセキュリ
ティ・カメラには何も写っていなかったそうです。
 どんな顔だったかというと、驚くなかれ、あの火星の人面岩に
そっくりなのです。きっと何者かによるいたずらと考えられます
が、気持ちの悪い話です。添付ファイルで確認してください。
 ミステリーサークルには明らかに人工のものとそうでないもの
とがあります。後者を仮に「本物のミステリーサークル」とした
場合、そのサークル内の麦を顕微鏡で観察すると、麦の節の細胞
壁が膨張し、細胞内は小さな穿孔で穴だらけになっているのが分
かるというのです。これと似ている現象は、電子レンジで引き起
こせることがわかっています。
 しかし、ことミステリーサークルについては人工的なものであ
ることはわかっています。あのオカルト絶対反対論者の早稲田大
学の大槻義彦教授は、プラズマ装置を使って小型とはいえ、ミス
テリーサークルを実際に作っているからです。
 大槻教授によって作り出されたミステリーサークルは、単円、
二重円、三重円とほぼ完璧です。小麦に現れた細胞レベルでの変
化についても、プラズマが放つ電磁波の影響を受けたと考えれば
納得がいくのです。
 それにしても、火星と地球のコネクションはまだ精査する必要
があります。いずれさらに情報を積み重ねてEJで取り上げるこ
とにします。長期のご愛読感謝いたします。


≪画像および関連情報≫
 ・画像説明
   A.英国ハンプシャー州エイブベリー地区
   B.シドニア地区に散見される19.5度
   C.エイブベリー地区における19.5度
   D.チルボルトンでのミステリーサークル
   E.ミステリーサークルの人面岩部分拡大

1555号(縮小版).jpg
posted by 平野 浩 at 19:41| Comment(1) | TrackBack(0) | 火星探査 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする