3便(ボーイング747登録機体番号JA8119)が、羽田空
港から大阪伊丹空港に向う途中、突発的な非常事態に陥り、群馬
県多野郡上野村の山中に墜落し、乗客乗員520人が亡くなると
いう痛ましい事故が起きています。「日航ジャンボ機123便御
巣鷹山墜落事故」です。今年は、亡くなった乗客乗員520人の
33回忌に当たる年です。
古くからのEJの読者はご存知のことですが、EJでは既に2
回にわたって、この墜落事故をテーマとして取り上げています。
次の2回です。
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第1回:1999年05月07日/EJ第0132号〜
1999年05月25日/EJ第0144号
「御巣鷹山/JAL123便遭難」
第2回:2003年02月24日/EJ第1051号〜
2003年04月04日/EJ第1079号
「再現/御巣鷹山飛行機事故の真相」
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EJは基本的には「メールマガジン」です。テーマを決めて複
数回連載する独特のスタイルのメールマガジンです。1998年
10月15日を第1号としてスタートし、20年かけて、本日の
EJ第4831号まで、営業日に毎日書いてきております。
現在、EJは同じコンテンツを毎日ブログにアップロードして
いますが、それはブログ自体が登場した2005年以降のことで
あり、上記の2回のテーマはブログには掲載されておりません。
そこで本日のEJ第4831号より、三度このテーマに挑戦し
その真相に迫ってみようと思います。なぜなら、新事実が続々と
出てきているからです。具体的には、新事実とは、元日本航空国
際線客室乗務員で、国内線時代には、事故機のクルーと同じグル
ープで乗務していた青山透子氏による次の3冊の著作です。
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青山透子著/河出書房新社
『日航123便/撃墜の新事実/目撃証言から真相に迫る』
──2017年10月11日/第10刷
青山透子著/河出書房新社
『日航123便墜落/疑惑のはじまり/天空の星たちへ』
──2018年5月30日初版
青山透子著/河出書房新社
『日航123便墜落/遺物は真相を語る』
──2018年7月30日初版
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これらの青山氏の本は、とてもよく売れており、2017年発
売の最初の本は、実に10刷を数えています。大ベストセラーズ
です。墜落事故発生から33年も経っているのに、なぜ、これほ
ど、関心が高いのでしょうか。
それは、日航機123便の墜落に自衛隊が深くかかわっている
とみられるからです。このことは、1999年にEJが指摘して
います。1999年5月7日のEJ第132号で、「御巣鷹山/
JAL123便遭難」を取り上げるとき、私は次のように書き始
めています。
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今日から取り上げるテーマは、私自身がまだ半信半疑に思っ
ているものです。何度かEJで取り上げようと思ったのです
が、見送ってきたテーマです。テーマの内容は「御巣鷹山/
JAL123便遭難」です。
──1999年05月07日/EJ第0132号より
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私がこの墜落事故に関心を持ったのは、よく通っている池袋の
ジュンク堂(現・丸善ジュンク堂)で、次の本を発見し、購入し
て読んだからです。
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池田昌昭著/文芸社
『JAL123便墜落事故真相解明/御巣鷹山ファイル』
──1998年01月25日初版
池田昌昭著/文芸社
『JAL123便は自衛隊が撃墜した/御巣鷹山ファイル2』
──1998年9月10日初版
池田昌昭著/文芸社
『JAL123便空白の14時間/御巣鷹山ファイル3』
──1999年4月10日初版
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青山透子氏の本もそうですが、池田昌昭氏の本も3冊続けて出
版されているということは本が売れている証拠です。多くの国民
が関心を持っているということです。これらの本のなかには多く
の新事実がありますが、国土交通省運輸安全委員会は、そんなこ
とは「陰謀論」であるとして、再調査に動こうとしなかったので
す。そして32年が経過し、またしても、基本的には池田昌昭氏
の主張に近い青山透子氏の本が出版されたのです。つまり、33
年経っても真相は何も解明されていないのです。
明日のEJから、こつこつとEJスタイルで真相を究明してい
きたいと考えています。青山透子氏の本だけでも800ページ近
いですが、全ページ、しっかりと読み込んで原因を究明したいと
考えています。本には多くの人々の貴重な証言が掲載されている
からです。この墜落事故で亡くなった人々の33回忌の弔いのた
めにも。タイトルは次のようにします。
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新事実を手がかりに三度探る日航機123便墜落の真相
──なぜいつまで経っても疑惑が消えないのか──
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──[日航機123便墜落の真相/001]
≪画像および関連情報≫
●青山透子氏の本の書評/読書日記
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他の本を探していて、ふと目について、思わず買ってしま
った本。8月12日が近づいたある日、大型書店で別の本を
探していて、偶然、本書に出会った。そうだ、もうすぐあの
日がやってくる、と、本書を手に取った。帰りの電車の中で
読みはじめ、帰ってからもベッドの中で読み続けた。いっき
に読み終えた。
あの日、大事故は、僕のすぐそばをかすめていった。あの
日の夕方、成田からニューヨークに飛ぶはずだった飛行機が
故障で飛ばず、旅行会社からはツアーが中止になる可能性が
あると伝えられた。もし中止なら、その日の夕方の便で大阪
に戻ることになっていた。午後遅く、翌日の便が確保できて
1日遅れの出発になった。空港近くのホテルに泊まった。移
動やツアーのメンバーとの食事でホテルに入るのが遅くなっ
た。事故のニュースを見て、慌てて自宅に連絡すると「夕方
の便で帰るかもしれないって言ってたから、あの飛行機に乗
ってるかもって、みんなすごく心配した。なんでもっと早く
連絡くれなかったのよ!とこっぴどく叱られた。ひょっとし
たら、成田から羽田に移動して日航123便に乗っていたか
もしれない。あの事故は、僕にとっても忘れられない大きな
出来事になっている。 https://bit.ly/2L2gh36
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日航123便と同型機/ボーイング747