ました。「私は首相になったら、どのような抵抗があっても8月
15日に靖国神社を公式参拝いたします」と断言していたのです
から、明らかに一歩後退です。
中国や韓国が公式参拝に反対するのは最初からわかっていたこ
とです。それに、重要な外交課題もないのに、わざわざこの時期
に訪中した与党訪中団や自民党橋本派首脳によっても外堀を埋め
られ、日をずらすして参拝するというお粗末な結果に終ってしま
ったのは残念なことです。これでは、“加藤紘一”と同じです。
こんなことでは“改革”など夢のまた夢です。
昨年の8月15日に、東京都知事の石原慎太郎氏が靖国神社を
公式参拝したのを覚えているでしょうか。あのとき靖国神社には
大勢の人が集まってきており、石原氏があらわれると大拍手で歓
迎したということです。
この状況は、昭和60年の終戦記念日に行われた中曽根首相の
公式参拝の状況に似ているのですが、大きく違うのは石原氏の場
合は中国が何もいってこなかったことです。
石原氏は総理ではないから・・・といわれるかも知れませんが
そうではないと思うのです。石原氏はある意味では当時の総理な
どよりはるかに人気のある政治家です。その政治家が堂々と公式
参拝をしても中国はなぜ黙っていたのでしょうか。
まして石原氏は中国を「シナ」と呼び、中国に対して厳しい非
難をすることで知られています。石原氏が都知事に就任したとき
中国が批判的な発言をしたのですが、彼はチベット問題を取り上
げて猛烈に反論したところ、中国は黙ってしまいました。彼と論
争するのは得策ではないと判断したからです。
中国は、当初小泉氏を相当な硬骨漢と見ていたようです。そこ
で揺さぶってみたのです。彼が外圧によって公言したことを変え
る人間かどうかをです。しかし、簡単に結論は出たようです。小
泉はブラフをかければ退く男であると。こうなると、遠慮会釈な
く理不尽な要求を突きつけてくるはずです。
森前首相は不人気でボロクソにいわれましたが、中国には意外
にも毅然としていました。反対の嵐が巻き起こったのに台湾の李
登輝前総統の來日を実現させ、「新しい歴史教科書をつくる会」
の教科書に対する修正要求も撥ねつけたからです。中国はすでに
外交上のポイントを2本とられているのです。それに加えて8月
15日に小泉首相に靖国神社に行かれたのでは中国政府の面子が
立たないのです。そこで本気で圧力をかけたのです。
それにしても終戦以来60年にもなろうというのに中国はA級
戦犯にどうしてこだわっているのでしょうか。なぜ、これほどし
つこいのでしょうか。
それは中国の覇権戦略なのです。中国の目下の最大のライバル
は米国です。日本はその米国の同盟国であり、中国としては日本
に対して強硬な態度をとらざるを得ない立場です。そのため、国
内に対しては日本がいかに危険な国家であるかを訴え続ける政策
をとったのです。
『日中再考』(産経新聞社刊)の著者、古森義久氏の情報では
昨年の8月15日に北京郊外の慮溝橋に豪華な公園ができたそう
です。場所が支那事変が始まった慮溝橋であり、オープンの日が
8月15日というのですから、何やらいわく付きです。
この公園構内中心部の正方形区画には巨大なブロンズの塑像が
一定の間隔でずらりと並んでおり、ちょうど野外美術館のように
みえます。ブロンズの塑像は全部で38体あります。箱根の彫刻
の森美術館といったイメージですが、このブロンズの塑像は飛ん
でもない代物なのです。
それは、日本の「侵略」と「残虐」をモチーフとした作品であ
り、日本人が中国人を無残に殺す情景をこれでもかこれでもかと
塑像で見せているのです。
例えば、「日寇の侵入」というブロンズ塑像があります。この
彫刻は中国人の男女が日本軍に撃たれ、刺されて苦しむ構図なの
です。「日本の侵略で中国にはなまぐさい風が吹き、血の雨が降
るようになった」という解説文が刻んであるのです。その他「南
京での大虐殺」や「731部隊の魔窟」という像もあり、日本人
はとても見ていられない作品ばかりです。
この公園の正式な名前は、「中国人民抗日戦争記念彫刻塑像公
園」というのです。塑像群の中心には白い花崗岩の碑が立ってお
り、「中国人民抗日戦争記念碑/江沢民」と国家主席の名前が刻
まれております。中国当局は、この公園の建設に、5年の歳月と
50億円の経費を投じているのです。
これは、中国の一般国民に時間の経過に関係なく日本に対して
怒りと憎しみを持続させようとする中国共産党の一大方針である
といえます。来年は日中国交回復30周年ということですが、こ
のような国と日本は本当に仲良くできるのでしょうか。
中国にとっては首相の靖国神社への参拝ということよりも靖国
神社の存在そのものが怒りの対象なのです。靖国神社は侵略戦争
の象徴として中国国民に認識されているのです。
中国人が「まず、思い浮かぶ日本人の名前」としては、第1位
は東條英機、第2位は山口百恵、第3位は田中角栄、第4位は橋
本龍太郎と続いて、あとは、岡村寧次、松井石根、今村均という
中国戦線で戦った軍人の名前といわれます。60年近く経過して
いてなおこの有様ですから、中国がいかに国民教育を徹底させて
きたかが分かります。恐ろしい話であると思います。
中でも東條英機は激しい憎しみの対象とされており、悪のシン
ボルになっています。中国の多くの地方には、マージャンの役に
「東條処刑」というのがあるのだそうです。「東」を基に「条」
に当るソウズの一定のパイを集めると、「国士無双」にも匹敵す
る特別に高い役になるのだというのです。
これほどの憎しみ教育にどのように対抗できるのでしょうか。
中国は共産党の一党独裁の国です。そこには異論を許さぬ一枚岩
の政治体制があり、これは体制が崩壊するまで続くのです。
