2001年08月14日

昨年8月15日の日中2つの出来事(EJ679号)

 小泉首相は遂に内外の圧力に屈して13日に靖国神社に参拝し
ました。「私は首相になったら、どのような抵抗があっても8月
15日に靖国神社を公式参拝いたします」と断言していたのです
から、明らかに一歩後退です。
 中国や韓国が公式参拝に反対するのは最初からわかっていたこ
とです。それに、重要な外交課題もないのに、わざわざこの時期
に訪中した与党訪中団や自民党橋本派首脳によっても外堀を埋め
られ、日をずらすして参拝するというお粗末な結果に終ってしま
ったのは残念なことです。これでは、“加藤紘一”と同じです。
こんなことでは“改革”など夢のまた夢です。
 昨年の8月15日に、東京都知事の石原慎太郎氏が靖国神社を
公式参拝したのを覚えているでしょうか。あのとき靖国神社には
大勢の人が集まってきており、石原氏があらわれると大拍手で歓
迎したということです。
 この状況は、昭和60年の終戦記念日に行われた中曽根首相の
公式参拝の状況に似ているのですが、大きく違うのは石原氏の場
合は中国が何もいってこなかったことです。
 石原氏は総理ではないから・・・といわれるかも知れませんが
そうではないと思うのです。石原氏はある意味では当時の総理な
どよりはるかに人気のある政治家です。その政治家が堂々と公式
参拝をしても中国はなぜ黙っていたのでしょうか。
 まして石原氏は中国を「シナ」と呼び、中国に対して厳しい非
難をすることで知られています。石原氏が都知事に就任したとき
中国が批判的な発言をしたのですが、彼はチベット問題を取り上
げて猛烈に反論したところ、中国は黙ってしまいました。彼と論
争するのは得策ではないと判断したからです。
 中国は、当初小泉氏を相当な硬骨漢と見ていたようです。そこ
で揺さぶってみたのです。彼が外圧によって公言したことを変え
る人間かどうかをです。しかし、簡単に結論は出たようです。小
泉はブラフをかければ退く男であると。こうなると、遠慮会釈な
く理不尽な要求を突きつけてくるはずです。
 森前首相は不人気でボロクソにいわれましたが、中国には意外
にも毅然としていました。反対の嵐が巻き起こったのに台湾の李
登輝前総統の來日を実現させ、「新しい歴史教科書をつくる会」
の教科書に対する修正要求も撥ねつけたからです。中国はすでに
外交上のポイントを2本とられているのです。それに加えて8月
15日に小泉首相に靖国神社に行かれたのでは中国政府の面子が
立たないのです。そこで本気で圧力をかけたのです。
 それにしても終戦以来60年にもなろうというのに中国はA級
戦犯にどうしてこだわっているのでしょうか。なぜ、これほどし
つこいのでしょうか。
 それは中国の覇権戦略なのです。中国の目下の最大のライバル
は米国です。日本はその米国の同盟国であり、中国としては日本
に対して強硬な態度をとらざるを得ない立場です。そのため、国
内に対しては日本がいかに危険な国家であるかを訴え続ける政策
をとったのです。
 『日中再考』(産経新聞社刊)の著者、古森義久氏の情報では
昨年の8月15日に北京郊外の慮溝橋に豪華な公園ができたそう
です。場所が支那事変が始まった慮溝橋であり、オープンの日が
8月15日というのですから、何やらいわく付きです。
 この公園構内中心部の正方形区画には巨大なブロンズの塑像が
一定の間隔でずらりと並んでおり、ちょうど野外美術館のように
みえます。ブロンズの塑像は全部で38体あります。箱根の彫刻
の森美術館といったイメージですが、このブロンズの塑像は飛ん
でもない代物なのです。
 それは、日本の「侵略」と「残虐」をモチーフとした作品であ
り、日本人が中国人を無残に殺す情景をこれでもかこれでもかと
塑像で見せているのです。
 例えば、「日寇の侵入」というブロンズ塑像があります。この
彫刻は中国人の男女が日本軍に撃たれ、刺されて苦しむ構図なの
です。「日本の侵略で中国にはなまぐさい風が吹き、血の雨が降
るようになった」という解説文が刻んであるのです。その他「南
京での大虐殺」や「731部隊の魔窟」という像もあり、日本人
はとても見ていられない作品ばかりです。
 この公園の正式な名前は、「中国人民抗日戦争記念彫刻塑像公
園」というのです。塑像群の中心には白い花崗岩の碑が立ってお
り、「中国人民抗日戦争記念碑/江沢民」と国家主席の名前が刻
まれております。中国当局は、この公園の建設に、5年の歳月と
50億円の経費を投じているのです。
 これは、中国の一般国民に時間の経過に関係なく日本に対して
怒りと憎しみを持続させようとする中国共産党の一大方針である
といえます。来年は日中国交回復30周年ということですが、こ
のような国と日本は本当に仲良くできるのでしょうか。
 中国にとっては首相の靖国神社への参拝ということよりも靖国
神社の存在そのものが怒りの対象なのです。靖国神社は侵略戦争
の象徴として中国国民に認識されているのです。
 中国人が「まず、思い浮かぶ日本人の名前」としては、第1位
は東條英機、第2位は山口百恵、第3位は田中角栄、第4位は橋
本龍太郎と続いて、あとは、岡村寧次、松井石根、今村均という
中国戦線で戦った軍人の名前といわれます。60年近く経過して
いてなおこの有様ですから、中国がいかに国民教育を徹底させて
きたかが分かります。恐ろしい話であると思います。
 中でも東條英機は激しい憎しみの対象とされており、悪のシン
ボルになっています。中国の多くの地方には、マージャンの役に
「東條処刑」というのがあるのだそうです。「東」を基に「条」
に当るソウズの一定のパイを集めると、「国士無双」にも匹敵す
る特別に高い役になるのだというのです。
 これほどの憎しみ教育にどのように対抗できるのでしょうか。
中国は共産党の一党独裁の国です。そこには異論を許さぬ一枚岩
の政治体制があり、これは体制が崩壊するまで続くのです。

679号.jpg
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2001年08月15日

韓国は中国とは違う立場にある(EJ680号)

 今日は終戦記念日です。この日、EJは680号に到達しまし
た。このまま行くと9月11日には700号に達します。しかし
1000号は2002年の年末のこと、まだはるか先です。
 さて、靖国問題は日本の国論を完全に二分しました。これも中
国のねらいとすることです。最近中国の江沢民国家主席はロシア
のプーチン大統領と頻繁に会い、中央アジアの国々を交えてミサ
イル問題やエネルギー開発問題で米国に対して対抗姿勢を打ち出
しています。
 一方ロシアは日本が反発することを百も承知で、韓国に対して
北方領土周辺でのさんま漁の許可を与え、日韓の間に紛争の火種
を仕掛けてきています。そして中国は靖国問題で日本に対し露骨
な内政干渉を行っています。
 これほど外交問題が難しい時期に田中外務大臣は何をしている
のでしょうか。外務省内の改革ばかりに力が入って――その割に
は成果が上がっていない――こういう外交案件に対して大臣は他
人事のような顔をしているように感じるのは私だけでしょうか。
 古森義久氏によると、中国の中学・高校の教科書には日本の戦
争行為――正確な記述ではなくウソや誇大表現が多い――に関す
る記事が山ほど載っているのに、戦後の日本についての記述はゼ
ロに等しいそうです。憲法9条や平和主義や非核3原則について
の紹介は何もないのです。
そして何よりも日本が中国に対して行っている巨大資金援助に
ついては何も紹介していない――これなら中国国民は日本をひど
い国だと思うに決まっています。中国政府のねらいはまさにここ
にあるといえます。
 北京駐在が長い英国人のマーク・オニール記者は「歴史問題で
の大部分の中国人の意見は間違った情報に基づいている」と述べ
たあと、次のように慨嘆しています。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 『(中国が日本糾弾を続ける理由は)この反日政策が大成功で
あるからだ。日本を間断なく攻撃しても中国側になんの不利な
 結果もないからである。なぜなら、日本の企業は中国に依然投
 資を続け、観光客は訪中を続け、政府は援助資金を提供し続け
 るからである』。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 日本が中国の教科書に対して訂正を迫ったら中国は何というで
しょうか。内政干渉だというに決まっています。それなら、日本
の歴史教科書への改訂要求も総理の靖国参拝もすべて内政干渉の
はずです。それなのに日本は何もできない。小泉首相は、自らの
政治信条を賭けた8月15日の靖国参拝を日をずらすなどという
姑息な手段を講じてまで、なぜ内外に卑屈にならなければならな
いのでしょうか。
 小泉首相は8月13日に参拝するくらいなら、靖国神社の春と
秋の例大祭に公式参拝するというべきだったのです。靖国神社に
祀られているのは太平洋戦争の英霊だけではないのです。明治維
新の鳥羽伏見の戦い以来、日本が近代化する過程で起きた戦いで
亡くなった多くの人たちの霊が祀られているのです。
 それに靖国神社としては8月15日には特別な行事を行わない
のです。それなら例大祭に行く方がはるかに意義があると思いま
す。太平洋戦争の英霊だけでなく、日本のために尽くした多くの
英霊に対して総理大臣が参拝する――その方がはるかに筋が通る
と思うのです。
 韓国についても考える必要があります。韓国の立場は中国とは
かなり違います。中国と一番違う点は、韓国が対日戦勝国ではな
いことです。したがって、その後の連合国による極東軍事裁判で
も原告席には座れなかったし、サンフランシスコ講和条約でも当
事国ではなかったのです。
 つまり、韓国は日本と戦争していないし、連合国も国際社会も
韓国は日本と戦争したとは認めなかったのです。ここに石原東京
都知事が発言して問題化した「第三国」ということばが登場する
のです。戦勝国でも敗戦国でもない第三の立場ということで「第
三国」とか「第三国人」呼んだわけです。別に差別用語でも何で
もないのです。
 産経新聞のソウル支局長の黒田勝弘氏は、韓国の歴史観を「よ
くがんばった史観」と呼んでいます。韓国の場合、1945年8
月15日に日本の降伏で第二次世界大戦が連合国の勝利に終った
瞬間に独立(光復)したことになります。しかし、韓国は、あく
まで徹底的な抗日活動、独立運動の結果、本当にがんばり抜いて
独立を勝ち取ったものであるというスタンスをとったのです。こ
れは、韓国の立場から見ると当然のことといえます。
 高倉健主演の『ほたる』という映画が上映されています。この
映画の舞台は、鹿児島県の小さな港町、そこで漁を営む初老の男
・山岡とその妻の知子がこの映画の主人公です。
 物語は昭和天皇が崩御し、昭和の時代が終るところから始まる
のですが、それから40年前のあの時代の回想シーンに入って行
くのです。山岡は太平洋戦争の末期、沖縄を制圧して本土決戦の
構えを見せる米国軍に必死の抵抗をする特攻隊の一員であり、山
岡の妻知子は彼の戦友の許婚だったのです。しかし、山岡は特攻
に失敗して生き残り、戦友は壮烈な戦死を遂げます。
 この映画が単なる特攻隊をテーマとする従来の映画と違う点は
知子の許婚が韓国人、キム・ソンジェ(金山少尉)だったことに
あります。
 出撃の前日、「遺言は?」と聞かれて金山少尉は「私は大日本
帝国のためには死なない。朝鮮民族のため死ぬ。知子さん万歳!
朝鮮民族万歳!」という言葉を残して死んでいくのです。
 このように太平洋戦争では多くの韓国人が日本人として戦い、
多く戦死しているのです。そして、このキム・ソンジェ(金山少
尉)も靖国神社に祀られています。そういう意味で韓国は首相の
靖国参拝には他の国とは違う複雑な思いがそこにあることを私た
ちは理解する必要があります。

680号.jpg
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2001年08月16日

欺瞞に満ちた中曽根公式参拝(EJ681号)

 靖国問題でぜひふれておきたいのは、靖国神社の第6代宮司を
されていた松平永芳氏のことです。松平氏は元海軍軍人で、陸上
自衛隊に勤務した経験も持つなかなか気骨のある人物です。松平
氏は平成4年3月まで宮司に在任しており、あの中曽根公式参拝
のときの宮司は松平氏だったのです。
 松平氏は、中曽根氏が8月15日に靖国神社を公式参拝した勇
気は認めるものの、その無礼な参拝態度からみて彼の公式参拝は
自民党の一政治家としての私欲(遺族会の票田獲得)とスタンド
プレーでやったものと斬り捨てているのです。
 公式参拝にさいして中曽根氏は松平宮司に「政教分離」の原則
に反しないために、「手水(ちょうず)は使わない」「祓い(は
らい)は受けない」「正式の二礼二拍手はやらない」と事前に通
告してきたそうです。
 松平宮司は、手水や二礼二拍手は仕方がないが、「祓いを受け
ない」は公式参拝を自称する人物にあるまじき注文としてこれを
つっぱねたのです。それでは参拝にならないからです。
 そこで中曽根氏に対し「目立たないよう陰祓いをしますが、そ
ちらはあくまで祓いは受けなかったということで結構」といい、
8月15日には宮司は一切出迎えなかったといいます。何のこと
はない。神社が陰祓いすることを中曽根氏は承知していたことに
なります。
 その日、中曽根首相は武道館での全国戦没者追悼式に参列した
あと、時間調整のためそこで食事をとったそうです。その間に遺
族たちを動員して参道に並ばせるよう指示し、準備が整ったとこ
ろで登場したのです。総理の登場と同時に拍手が起こりましたが
それまで指示してあったというから、まさにショーのつもりなの
です。ちゃんと演出されていたのです。
 ところが中国政府から批判を浴びると、一転して参拝を取りや
め、その後現在にいたるまで、二度と靖国神社を参拝していない
のです。その態度を見ればわかるように彼の靖国参拝が表面だけ
の人気取りであったかがわかると思います。その点小泉首相の方
がはるかに真摯であり、好感は持てますが、諸外国の批判に屈指
した印象を与えたのは残念なことです。
 さて、松平氏は靖国神社の宮司に就任するとすぐそれまで前の
宮司が棚上げにしていたA級戦犯の合祀を行います。既に厚生省
から名簿は来ていたのですが、前の宮司は批判を恐れて合祀して
いなかったのです。
 いまさかんに「合祀」とか「分祀」とかいわれていますが、こ
れについて調べてみることにします。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 合祀 ・・・ 2柱以上の神をを1社に祀ること。柱という
        のは祭神のことである。
 分祀 ・・・ 分けて祀ること。本社と同じ祭神を別の新し
        い神社に祀ること。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 ここで注目すべきは「分祀」です。神道でいうところの分祀と
は、灯明を分けて増やすのと同じであって、特定の祭神を切り離
して別の場所に移すことを意味していないのです。分祀して他の
神社に移したとしても、祭神は靖国神社に残ったままなのです。
A級戦犯の分祀はもともとできない相談なのです。
 昭和60年の公式参拝がもたらした中国をはじめとする諸外国
からの非難を避けようと、中曽根氏はいろいろなことをやってい
ます。そのひとつがA級戦犯として死刑になった7人の遺族に対
して、靖国神社の合祀から7人を外すことに同意して欲しいとい
う要請です。
 しかし、7人中6人は承知して署名したのですが、東條家の遺
族だけが同意しなかったのです。分祀に同意しなかったのは東條
英機氏の弟の東條輝雄氏です。輝雄氏は署名を拒否した理由を次
のように述べたといわれています。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 『東條の次男という個人的感情から分祀に反対なのではなく、
 他国の干渉に屈する形での分祀を認めることはできない。近隣
 国の圧力で分祀を認めてしまうと、戦勝国が一方的に日本を断
 罪した東京裁判に基づく歴史観を認めることになる。それでは
 日本の国と家族のことを思って一途に散っていった246万英
 霊に申し訳ないと考えるからである』。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 8月15日における近隣諸国の反日抗議活動がテレビで流され
ていますが、マスコミの報道姿勢にも非常に問題があります。小
泉内閣が発足した4月26日の夜のことです。新閣僚の記者会見
が開かれましたが、「靖国神社に公式参拝しますか」としつこく
聞く記者がいましたね。あれは朝日新聞の記者なのです。
 それから靖国神社で参拝を終えたあとの議員に「公式ですか、
私的ですか」と質問する記者がいますね。あれも朝日新聞の記者
です。別に本人が聞きたいわけではないでしょうが、上司から命
令されているのです。石原都知事は「そんなくだらん質問をする
な!」と一喝していましたが、本当にくだらない質問です。
 このように朝日新聞は親中派であり、総理靖国参拝攻撃を平気
で行います。これに対して毎日新聞と読売新聞は中立的、産経新
聞は中国に対して厳しい報道姿勢をとっています。
 『日中再考』(産経新聞社刊)の著者、古森義久氏は現在産経
新聞社のワシントン駐在編集特別委員をしておられますが、19
98年12月から同新聞社の初代中国総局長を務めたことがある
のです。
 実は産経新聞社は、1998年までの31年間、北京には特派
員の駐在が認められていなかったのです。産経新聞社が台湾に置
いた特派員や支局を引き上げよという中国の要請を無視してきた
からです。しかし、なぜか中国政府はこの条件を引っ込めて同新
聞社に対して北京への特派員派遣を認め、初代総局長として古森
義久氏が赴任したというわけです。古森氏の意見は明日のEJで
ご紹介します。

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2001年08月17日

北京市は日本の資金援助で近代化(EJ682号)

 日本の国会議員は非常によく中国に出かけます。1999年に
中国に行った日本の国会議員の数は170人を超えていたといい
ます。2000年も同じくらいの数の議員が北京を訪問している
のです。彼らは一体何の目的で北京へ行くのでしょうか。
 それは中国が日本にとって最重要な隣国であることと、距離が
近いということもあると思います。こうした議員の中でも自民党
の野中広務氏などは北京詣での常連といえるでしょう。
 2000年5月、野中氏は幹事長時代に公明党の冬柴幹事長、
野田毅保守党幹事長とともに北京を訪れています。そして、今年
に入ってからも野中氏は古賀前幹事長と一緒に北京を訪問してい
ます。昨年は別として今年の中国行きは大きな政治課題がないの
に訪問したので、中国側に小泉首相の靖国参拝の中止を迫る機会
をわざわざ与えてしまったことになります。
 古森義久氏によると、訪中する日本の議員たちは中国側との会
談で日本の政策や動向のみを一方的に論じられ、中国側の意見を
ひたすら拝聴するだけという傾向があるそうです。
 昨年5月の与党3幹事長の訪中のさい、江沢民首席との会談で
日本側が提起したテーマとは、「故小渕恵三首相への江沢民首席
の弔意への感謝」、「江首席の日中友好に関する重要講和への感
謝と評価」、「江首席が訪日のさいに寄贈したトキ二羽にできた
子鳥の命名への意見拝聴」だったというのです。
 その時点で既に発生していた中国船の日本海域での活動である
とか、中国の軍事増強、対中援助の効用への疑問など日本側から
みて気にかかる問題は何も提起していないのです。中国の政策を
取り上げ、疑問や批判を正面から提起したのは自由党の小沢一郎
党首ぐらいのものです。
 さて、問題は、こうした議員たちの訪中がすべて中国共産党諸
機関の招待であることです。招待ですから、中国内の宿泊、交通
飲食の費用はすべて中国側負担なのです。なぜ、中国負担かとい
うと、これが、日本から毎年中国に贈られる約3000億円の援
助の謝礼という意味合いが含まれているのです。とくに与党の議
員や外務省関係者は歓待を受けるといわれています。
 そのため日本の議員たちのスケジュールはすべて中国側が決定
することになります。通訳やガイドが付いた観光に連夜にわたる
豪華な招宴が続くのです。
 しかし、援助を決定する立場の議員たちが援助の受け手から接
待を受ける――こんなこと国内でやったら汚職で即逮捕です。と
ころがそういうことが中国では繰り返されているのです。これで
は中国の耳の痛いことはいえないはずです。
 2008年のオリンピックは中国で開催されることに決まりま
したが、その最大の支援国家は日本なのです。その一方で大阪は
大差で敗れているのですから、本当に日本という国は何をしてい
るのかわからなくなります。
 オリンピックを招致するには、首都北京の都市機能が一定のレ
ベル以上にあることが条件となります。現在の北京は、国際空港
地下鉄、環状道路、高層ビル、上下水道などが高度に整備された
大都市になっています。
 この北京の近代都市としての経済や社会のインフラ建設に日本
の政府開発援助(ODA)が過去20年間にわたり、驚くほどの
額が投入されてきたのです。その援助は現在も続いていて、今年
も巨額の援助が贈られることになっています。
 おそらく北京ほど市街の基盤づくりを特定の外国からの援助に
依存した都市はないといえます。しかし、中国の一般市民はこの
事実を知らず、平気で対日批判を繰り返しています。それなのに
日本は巨額の援助を続けているのです。
 北京に行く日本人は多いですから、交通についていうと、国際
空港の新設に300億円、同空港の航空管制システムに210億
円、北京のすぐ隣の河北省の要港から北京首都圏に乗り入れる鉄
道の拡充建設に870億円、北京市内の地下鉄網の建設に200
億円が日本から供与されているという具合です。
 交通だけを取り上げてもこんな具合なのです。この他、電力や
通信、上下水道整備、浄水場建設、医療・福祉や防災などあらゆ
るところに日本のお金が使われているのです。このようにして、
北京の都市づくりに供与された日本の資金は、合計4000億円
を超えるのです。これは、北京市の2000年度の市予算総額と
ほぼ同額なのです。
 これだけの巨額の援助に加えて、2000年9月にも172億
円の新規対中援助が行われています。そのうちの141億円が北
京市内の都市鉄道新設に提供されるのです。
 大阪市の人からすれば、自分たちの納めた税金が北京市に供給
され、自分たちの市を栄えのオリンピック招致の競争で打ち破る
道具に使われたという奇妙な事態になるのです。だいいちこれほ
ど外国からの援助に依存しなければならない国が世界に冠たるオ
リンピックの開催に国力を傾けるというのは、少しおかしいので
はないでしょうか。
 このような中国に対する資金援助はどのようなかたちで出され
るのでしょうか。
 まず、ODA(政府開発援助)があります。日本のODAの最
大の供与国は中国で、総額の実に10%を占めているのです。今
までに中国に供与されたODAの総額は2000年までで約3兆
円になるのです。
 ODAは外務省が中心となり、外交戦略を踏まえて供与されて
きたはずです。しかし、外務省の現在の腐敗ぶりを見ると、どれ
ほど外交成果をあげているかは疑問です。とくに中国の場合、総
額の1割を注ぎ込んでいる割には感謝されるどころか、はげしい
非難の対象になっています。
 実は中国に対する支援はODAだけではないのです。旧日本輸
出入銀行の資金供与というものがあり、そのルートでODAと同
額の3兆円が供与されているのです。これについては、ODAと
いうものについて知る必要があります。来週から少しこの問題に
ついて勉強することにします。

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北京市は日本の資金援助で近代化(EJ682号)

 日本の国会議員は非常によく中国に出かけます。1999年に
中国に行った日本の国会議員の数は170人を超えていたといい
ます。2000年も同じくらいの数の議員が北京を訪問している
のです。彼らは一体何の目的で北京へ行くのでしょうか。
 それは中国が日本にとって最重要な隣国であることと、距離が
近いということもあると思います。こうした議員の中でも自民党
の野中広務氏などは北京詣での常連といえるでしょう。
 2000年5月、野中氏は幹事長時代に公明党の冬柴幹事長、
野田毅保守党幹事長とともに北京を訪れています。そして、今年
に入ってからも野中氏は古賀前幹事長と一緒に北京を訪問してい
ます。昨年は別として今年の中国行きは大きな政治課題がないの
に訪問したので、中国側に小泉首相の靖国参拝の中止を迫る機会
をわざわざ与えてしまったことになります。
 古森義久氏によると、訪中する日本の議員たちは中国側との会
談で日本の政策や動向のみを一方的に論じられ、中国側の意見を
ひたすら拝聴するだけという傾向があるそうです。
 昨年5月の与党3幹事長の訪中のさい、江沢民首席との会談で
日本側が提起したテーマとは、「故小渕恵三首相への江沢民首席
の弔意への感謝」、「江首席の日中友好に関する重要講和への感
謝と評価」、「江首席が訪日のさいに寄贈したトキ二羽にできた
子鳥の命名への意見拝聴」だったというのです。
 その時点で既に発生していた中国船の日本海域での活動である
とか、中国の軍事増強、対中援助の効用への疑問など日本側から
みて気にかかる問題は何も提起していないのです。中国の政策を
取り上げ、疑問や批判を正面から提起したのは自由党の小沢一郎
党首ぐらいのものです。
 さて、問題は、こうした議員たちの訪中がすべて中国共産党諸
機関の招待であることです。招待ですから、中国内の宿泊、交通
飲食の費用はすべて中国側負担なのです。なぜ、中国負担かとい
うと、これが、日本から毎年中国に贈られる約3000億円の援
助の謝礼という意味合いが含まれているのです。とくに与党の議
員や外務省関係者は歓待を受けるといわれています。
 そのため日本の議員たちのスケジュールはすべて中国側が決定
することになります。通訳やガイドが付いた観光に連夜にわたる
豪華な招宴が続くのです。
 しかし、援助を決定する立場の議員たちが援助の受け手から接
待を受ける――こんなこと国内でやったら汚職で即逮捕です。と
ころがそういうことが中国では繰り返されているのです。これで
は中国の耳の痛いことはいえないはずです。
 2008年のオリンピックは中国で開催されることに決まりま
したが、その最大の支援国家は日本なのです。その一方で大阪は
大差で敗れているのですから、本当に日本という国は何をしてい
るのかわからなくなります。
 オリンピックを招致するには、首都北京の都市機能が一定のレ
ベル以上にあることが条件となります。現在の北京は、国際空港
地下鉄、環状道路、高層ビル、上下水道などが高度に整備された
大都市になっています。
 この北京の近代都市としての経済や社会のインフラ建設に日本
の政府開発援助(ODA)が過去20年間にわたり、驚くほどの
額が投入されてきたのです。その援助は現在も続いていて、今年
も巨額の援助が贈られることになっています。
 おそらく北京ほど市街の基盤づくりを特定の外国からの援助に
依存した都市はないといえます。しかし、中国の一般市民はこの
事実を知らず、平気で対日批判を繰り返しています。それなのに
日本は巨額の援助を続けているのです。
 北京に行く日本人は多いですから、交通についていうと、国際
空港の新設に300億円、同空港の航空管制システムに210億
円、北京のすぐ隣の河北省の要港から北京首都圏に乗り入れる鉄
道の拡充建設に870億円、北京市内の地下鉄網の建設に200
億円が日本から供与されているという具合です。
 交通だけを取り上げてもこんな具合なのです。この他、電力や
通信、上下水道整備、浄水場建設、医療・福祉や防災などあらゆ
るところに日本のお金が使われているのです。このようにして、
北京の都市づくりに供与された日本の資金は、合計4000億円
を超えるのです。これは、北京市の2000年度の市予算総額と
ほぼ同額なのです。
 これだけの巨額の援助に加えて、2000年9月にも172億
円の新規対中援助が行われています。そのうちの141億円が北
京市内の都市鉄道新設に提供されるのです。
 大阪市の人からすれば、自分たちの納めた税金が北京市に供給
され、自分たちの市を栄えのオリンピック招致の競争で打ち破る
道具に使われたという奇妙な事態になるのです。だいいちこれほ
ど外国からの援助に依存しなければならない国が世界に冠たるオ
リンピックの開催に国力を傾けるというのは、少しおかしいので
はないでしょうか。
 このような中国に対する資金援助はどのようなかたちで出され
るのでしょうか。
 まず、ODA(政府開発援助)があります。日本のODAの最
大の供与国は中国で、総額の実に10%を占めているのです。今
までに中国に供与されたODAの総額は2000年までで約3兆
円になるのです。
 ODAは外務省が中心となり、外交戦略を踏まえて供与されて
きたはずです。しかし、外務省の現在の腐敗ぶりを見ると、どれ
ほど外交成果をあげているかは疑問です。とくに中国の場合、総
額の1割を注ぎ込んでいる割には感謝されるどころか、はげしい
非難の対象になっています。
 実は中国に対する支援はODAだけではないのです。旧日本輸
出入銀行の資金供与というものがあり、そのルートでODAと同
額の3兆円が供与されているのです。これについては、ODAと
いうものについて知る必要があります。来週から少しこの問題に
ついて勉強することにします。

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2001年08月20日

改めて『二国間援助』について考える(EJ683号)

 今朝はODAについて考えます。ODAというのは、次のこと
ばを訳したものです。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 ODA=Official Development Assistance〜政府開発援助
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 「援助」とは何でしょうか。「援助」ということばで一番基本
的なものが人々の善意をベースとして行われる援助です。例えば
NGOと呼ばれる民間団体の援助などは、こうしたヒューマニズ
ムをベースとして行われます。
 ヒューマニズムをベースとして行われる援助は、NGOだけで
なく、企業レベル、自治体レベル、国レベルにおいても行われる
のです。しかし、援助する主体が大きくなると、人道的という面
が弱くなり、経済的、政治的な色合いが強くなります。
 また、援助の主体が国連などの国際機関であるケースもありま
す。ユニセフの児童救済活動などは有名ですね。こういう国連や
国際機関によって行われる援助は「多国間援助」といわれます。
こういう多国間援助は、各国の経済的、政治的配慮が入り込みに
くいので、人道的配慮が強く前面に出ます。
 これに対して特定の国との間で行われる援助は「二国間援助」
と呼ばれます。政府が行う二国間援助には、その援助条件によっ
ていろいろあります。ODAはその中のひとつです。
 援助条件は緩やかなものから厳しいものまでいくつかのレベル
があります。一番緩やかなにものが「贈与」であり、これを「グ
ラント」(grant) といいます。要するに、タダであげるのがグ
ラントです。そして、そのグラントの割合を「グラント・エレメ
ント」というのです。「贈与」はグラント・エレメントが100
%のケースをいいます。
 これに対して単なる商業条件の「貸付」の場合は、グラント・
エレメントは0%です。援助の分岐点は、グラント・エレメント
が25%です。グラント・このエレメントが25%以上のものを
ODA、25%未満は、OOF(Other Official Flows)という
のです。
 日本の援助システムのもとでは、ODAは国際協力事業団(J
ICA/ジャイカ)と海外経済協力基金(OECF)によって取
り扱われ、OOFは旧日本輸出入銀行(輸銀)が担当していたの
です。旧輸銀は、1999年10月に海外経済協力基金と合併し
て日本国際協力銀行となっています。
 さて、ODAは次の2つに分かれます。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
  1.技術協力 ・・・ JICA
  2.資金協力 ・・・ 外務省/日本国際協力銀行
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 このうち「技術協力」はJICAが窓口で行われます。研修員
の受け入れ、専門家の派遣、機材の貸与、開発調査などいろいろ
あります。
 「資金協力」については、次の2つに分かれます。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
  1.無償資金協力 ・・・ 一般会計 が原資
  2.有償資金協力 ・・・ 財政投融資が原資
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 「無償資金協力」は、外務省を窓口として開発途上国に返済義
務を負わせないで資金を提供するのですが、これは国民の税金、
一般会計が原資となります。この資金は贈与であり、グラント・
エレメントが100%ということになります。
 無償資金協力といっても現金を渡すわけではないのです。援助
を受け入れる国は、日本政府が日本国内に指定する銀行(外国為
替銀行)にその国の政府名義の口座を開設します。日本政府はそ
の口座に供与資金を日本円で振り込むのです。
 援助受け入れ政府は、その資金で日本企業から物品、役務など
を調達するのです。そういう意味では「ヒモ付き」ということに
なります。これを「タイド・ローン」といいます。
 「有償資金協力」は、基本的には日本国際協力銀行による貸付
なのです。しかし、一般の商業ベースの貸付に比べると有利な条
件――長期・低利で資金が提供されます。この貸付は日本円で行
われるので「円借款」といわれます。
 この円借款をグラント・エレメントという基準で整理すると、
前述したように次の2つに分かれます。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 1.グラント・エレメント25%以上 ・・・ ODA
 2.グラント・エレメント25%未満 ・・・ OOF
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 有償資金援助は、基本原則としては「タイド・ローン」なので
すが、最近では「ヒモ付き」でない「アンタイド・ローン」でや
る場合もあります。
 ここで大切なことは、ODAは外務省が窓口であり、技術や資
金を提供する以上、そこに外交政策的配慮をして援助を行うこと
ができます。しかし、グラント・エレメントが25%未満のOO
Fは、1999年10月までは旧輸銀がやっており、外務省では
なく、旧大蔵省が影響力を持っているのです。しかし、旧大蔵省
がやる場合は、外交政策的配慮は無視されます。これは日本国際
協力銀行になっても変わらないのです。
 つまり、円借款には2つのルートがあるのです。サイフは2つ
あるわけです。中国などはその両方のサイフから膨大な資金が提
供されているのです。
 1989年6月に天安門事件が起こりましたが、そのとき外務
省は必死になってODA停止に取り組んだのです。ところが旧輸
銀の方は平気で対中資金援助を行っていたのです。つまり、外交
政策に何も整合性がないのです。
 そのとき旧輸銀は、グラント・エレメントは24%程度で低利
および長期で、しかも「アンタイド・ローン」というODAと同
じ条件で巨額の資金を中国に注ぎ込んでいたのです。
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2001年08月21日

複雑で統一性のない日本の援助行政(EJ684号)

 ODAのことを調べてみて不思議に思ったことがいくつかあり
ます。一番不思議に思ったことは、日本は量においては米国を上
回るODAを実施している援助大国であるにもかかわらず、援助
行政を一元的に扱う機関がないことです。
 外国における援助行政は、これを専門的に行う機関がちゃんと
あるのです。カナダ国際開発庁(CIDA)、アメリカ国際開発
庁(USAID)、イギリス海外開発庁(ODA)、西ドイツ経
済協力省(BMZ)などがそうです。
 ところが日本は、ODAは外務省、OOFは財務省(日本国際
協力銀行)と二元化しており、援助実施体制は複雑です。なぜ、
日本も「海外援助庁」のような単一機関を作らないのでしょう。
そのため、どこが、どのような基準で、どのような過程を経て、
援助案件を決めているのかさっぱりわからないのが実情です。あ
えて複雑にしているのではないかと疑ってしまいます。
 それに加えて、どういう理念に基づいて援助を行うのか、明確
な援助理念というものが、少なくとも1992年まではなかった
のです。しかし、そういう批判に受けて政府は「ODA大綱」を
1992年6月に内外に公表します。
 そのODA大綱によると、具体的に供与のさいに考慮すべき原
則としては次の4つをあげています。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 1.環境と開発の両立
 2.軍事的用途、国際紛争助長への使用の回避
 3.軍事支出、大量破壊兵器・ミサイルの開発・製造、武器
   の輸出入の動向への十分な注意
 4.民主化促進、市場経済導入、基本的人権・自由の保障へ
   の注意
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 昨日のEJで、中国にはODAだけでなく、ODAとほとんど
変わらない旧輸銀の「アンタイドローン」(円借款)が平行して
行われ、当初は石油や石炭の開発や生産を助ける資源ローンとし
て投入されたのです。こういう目的であれば、日本にとっては、
エネルギー源確保という観点から納得がいくものですが、199
4年からは中国側の要請により、供与先をエネルギー分野専門だ
けではなく、産業一般や橋、高速道路、国際空港などのインフラ
建設にまで拡大するようになります。
 この結果、上海外環状線に260億円、海南島の大橋に130
億円などの大型インフラ建設計画に投入されていったのです。そ
の結果、この中国向けアンタイドローンは合計4700億円、こ
れに資源ローンを加えると、中国向けの直接援助は2兆1700
億円にも及ぶのです。
 問題は、この旧輸銀による対中ローンは、ODAとは異なり、
対中外交の枠組みの外におかれていることです。ODAであれば
外務省が中心となり、日本の対中外交の枠内で「ODA大綱」に
基づいて推進されるのですが、旧輸銀資金はそれとは別の次元で
勝手に供与されてしまっているのです。
 しかも、中国側の要請に従い、日本側の決定プロセスも密室で
進行し、外から窺い知ることはできないのです。おそらく決定に
は、親中派の政治家も一枚噛んでいることは間違いないと思うの
です。これはとんでもないことだと思います。
 日本の対中援助の大部分は、鉄道、高速道路、空港、港湾、通
信網などの建設に投入されています。その結果、中国全土の電化
鉄道の40%、港湾施設の13%が日本の援助で建設されている
のです。しかも、他の国はこの種のインフラ建設にはまったく手
を出していないのです。
 なぜ他の国がインフラ建設を援助しないのかというと、中国で
のこの種のインフラづくりは軍事援助そのものであるからです。
当の人民解放軍の首脳も、経済インフラの軍事効用を隠そうとし
ないのです。
 中国は国土が広大ですから、地域戦争が勃発すると兵員や武器
を敏速に移動させることが必要なのです。こういうとき、空港は
もとより、鉄道、高速道路、地下交通路などがフルに役に立つの
です。そして、光ファイバなどの通信網が戦争に不可欠なことは
いうまでもないことです。
 これは、明らかにODA大綱の2番目、「軍事的用途」のポイ
ントに抵触します。実際問題として、台湾の李登輝氏が総統の時
代に、日本の援助は福建省の鉄道建設だけはやめて欲しい」と申
し入れてきたことがあるのです。中国軍はミサイルや各種部隊を
台湾をのぞむ福建省に集結させているからです。
 しかし、日本は1993年にこういう要請を無視して、福建省
の鉄道建設にも67億円の援助をしているのです。これが台湾に
とって大きな脅威になるだけでなく、日本にとっても脅威になる
ということを日本人はどうしてわからないのでしょうか。自分で
大金を援助して、それによって自分の国を危機にさらすというこ
とを現在の日本は平気でやっているのです。
 援助関係の用語に「プロジェクト・ファインディング」(プロ
ファイ)というのがあります。日本語に直すと「援助案件探し」
ということになります。要するに援助するのにふさわしい案件を
探すことですが、どこがやっていると思いますか。
 通常は外国に置かれている日本の大使館、領事館などを通じて
行うのですが、それを専任して担当する職員がいないので、実際
は、コンサルタント会社か商社がそういう案件を持ち込む場合が
多いのです。
 これらのコンサルタント会社か商社は、現地政府に各種のプロ
ジェクトを持ちかけ、当該政府がそれに関心を示せば、日本政府
の承諾を得られやすいように計画案を代書し、これを外交ルート
を通して要請させるのです。
 こうしたプロファイを主要目的として、コンサルタント会社、
商社、建設会社、メーカなどの業界団体が組織されており、しか
もこれらの業界団体には、日本政府から補助金を交付されている
のです。この補助金もODAから拠出されているのです。
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2001年08月22日

日本のODAは世界のどのレベルか(EJ685号)

 世界には190を超える国や地域が存在しますが、途上国の経
済開発、福祉向上を目的に政府レベルの援助を行っているのは、
OECDのDAC(開発援助委員会)加盟の22ヶ国とサウジア
ラビアなど非加盟のいくつかの国です。
 この中で援助の量、つまり支出総額では、日本は世界一なので
す。国連は「GDPの1%をODAに振り向ける」ことを目標に
するよう勧告してきており、また、グラント・エレメント率の向
上も求めてきています。
 既にご説明したように、グラント・エレメントとは援助条件の
緩やかさの比率(贈与の比率)のことです。国連はそのグラント
・エレメント率をODA約束額の86%以上にせよという「質」
の改善を強調してきています。
 日本のグラント・エレメント率は、93年から94年の平均で
46.6%なのですが、DACの平均は77.1%であって日本
はかなり低いのです。それは、後述する日本の国際援助の考え方
の違いによるものといえます。
グラント・エレメント率で上位にいるのは、北欧3カ国(デン
マーク、ノルウェー、スウェーデン)に加えてカナダ、オースト
ラリア、スイスの計6カ国です。これら6カ国の比率は100%
で完全な贈与です。いずれもODAは貸付ではなく、無償資金協
力、技術協力に集中しています。
 日本の国民一人当たりの負担額も他の援助国に比べて非常に少
なく、北欧諸国の実績が高いのです。96年のデータによると、
デンマークは日本の4倍の337.7ドルであるのに対して、日
本は第12位の75.2ドルです。英国は54.5ドル、米国に
いたっては34.3ドルに過ぎないのです。
 このように、日本は支出ベースの量では世界一であるものの、
その首位の座は、かなり危ない状況にあります。添付ファイルの
グラフをごらんください。これは、DAC主要7カ国国のODA
実績の推移(1990〜1996)ですが、これはドルの純支出
ベースのグラフです。
 1995年に日本が突出して伸びているのは、大幅な円高によ
るものです。その後一転して円安になったため、一挙に30%以
上も減少しています。こうしてみると、日本のODA実績はそれ
ほど誇りうるものではないということがわかると思います。
 現小泉内閣は聖域なき構造改革を掲げ、ODA予算については
10%の削減を行っています。膨大な財政赤字を抱えている日本
の現況では仕方がないことといえます。しかし、そうなると、パ
ーセンテージや国民一人当たりの負担額では低くても支出総額で
は世界一という論法が今後も通るかどうか微妙なところです。
 ODA予算を大幅にカットするのは初めてのことではなく、1
996年1月に発足した橋本内閣は97年予算ではODAを前年
比2.1%という低い伸びに抑えると、98年度予算では予算を
10%カットしたのです。しかも、98年度以降、2000年ま
での3年間、各年度ごとにその水準を引き下げることを決めてい
ます。
 このようにいうと、いかにも橋本内閣が毅然としていたように
思えるかも知れませんが、そうではなくODA予算は切りやすい
ので真っ先にやっただけのことです。
 どうしてかというと、ODAの世界には族議員がいないからな
のです。選挙区の利益誘導にODAは関係ない、つまり票になら
ないのです。だから、小泉内閣でも真っ先にやったのです。
その証拠に、橋本内閣は、無駄が指摘される一般会計の公共事
業費予算10兆円は7%カットにとどめ、1兆2000億円に過
ぎないODA予算は10%カットをしているのです。顔がすべて
国内に向けられており、外に目が向けられていないのです。
 昨日のEJで日本の対中援助の中心が鉄道、高速道路、空港、
港湾、通信網などの建設というインフラ建設に集中しているのは
問題であると述べましたが、それは中国に関してはそうであると
いう意味であり、他の途上国に関してはインフラ建設に力を入れ
ることは、日本のODA援助のポリシーとして決して間違ってい
ないと思います。
 日本の諸外国援助の場合、グラント・エレメント率が低いのは
インフラ建設などの大型プロジェクトに資金を投入しようとする
からです。
技術協力の重要性を説くとき次のたとえがよく使われます。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 『捕った魚をただであげるよりも、魚を捕る方法を教えたほ
 うがよい』
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 これに加えて、魚をたくさん捕った場合に余った魚を冷凍して
貯蔵し、他の村に効率的に輸送して販売するために道路は整備さ
れていなければならない――このように経済発展に欠かせないの
が社会的インフラの整備というわけです。
 中国に対してもそういう考え方で日本は巨大プロジェクトに資
金を投入してきたのですが、中国の方はそのようには受け止めて
いないようです。おそらく彼らは戦後賠償と考えているのです。
 北京の玄関口の北京首都国際空港に、日本の巨額の円借款が使
われたことは既にのべましたが、その運営会社の北京首都空港公
司が昨年香港の株式市場に上場してしまったことが、21日の日
本経済新聞に出ています。
 他の手段で資金調達ができるのであれば、援助というかたちで
の低利の円借款を適用する必要はないと思います。既に名だたる
軍事大国の中国は、そろそろ支援される側から卒業して、支援す
る側に回って欲しいものです。
 また、米国のブッシュ政権は、各国の援助政策でも緊密に連携
して進めたいと申し入れてきています。日本が援助を重要な外交
手段として使えないのは、軍事力をバックに使えないからである
という指摘もあります。援助政策で日米が手を組んだら、かなり
強力であることは確かですが、危険な道でもあります。

685号.jpg
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2001年08月23日

日本が目指すべき国家とODA(EJ686号)

 昨日のEJで「ODAの世界には有力な族議員がいない」とい
うことを述べましたが、この事実はテレビ朝日「サンデー・プロ
ジェクト」のコメンテータとしてお馴染みの慶応義塾大学教授、
草野厚氏の本(「ODAの正しい見方」/ちくま新書)で知った
のです。草野教授は外交問題の専門家です。
 確かにテレビに登場してくる政治家の中で、日本の外交につい
て語る人は非常に少ないとは思います。テレビ局が外交問題をテ
ーマに取り上げるときは、政治家よりも元大使経験者に意見を聞
いています。外交問題を積極的に口にするのは、中曽根康弘氏と
石原慎太郎東京都知事ぐらいなものではないでしょうか。
 ODAのことを調べていると、日本という国がどういう国家に
なることを目指しているのかわからなくなってきます。考えてみ
ると、ODAこそは軍事力がない日本の唯一の「外交の武器」で
あると思うからです。
 しかし、日本にとって唯一の外交のカードであるODAは、こ
こ何年かにわたって減少しています。それを今回、さらに10%
カットするのです。これは武器を弱くしているのです。こういう
ご時勢ですから、全体として予算を圧縮するのは当然ですが、必
要なものは増やすという方法が、なぜとれないのでしょうか。
 小泉首相の施政方針演説を読んでも、彼が日本をどのような国
にしたいのかは全く見えてきません。最近の小泉首相の談話から
外交問題について述べている部分を抜き出してみます。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 『外交面では、日米関係を機軸に、中国、韓国、ロシアを始め
 とするアジア近隣諸国との良好な関係を構築し、アジア太平洋
 地域の平和と繁栄に貢献するとともに地球環境問題等について
 我が国にふさわしい国際的な指導性を発揮してまいります』。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 官僚の作文でしょうが、はっきりいってこれはごく当たり前の
ことを述べたに過ぎません。よくいわれるように、状況対応型の
日本の外交姿勢を示しているだけです。一国のリーダーなのです
から、「私は日本をこれこれこういう国にしたい。そのためには
今後こういうようにやっていく」というべきであります。
 1996年1月、橋本龍太郎元首相は、施政方針演説で次のよ
うに述べています。これは、どういう国をめざすかに言及した点
では評価できると思います。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 『わたしがめざすこの国の姿は、一人一人の国民が、自らの将
 来に夢や目標を抱き、日本人に生まれたことに誇りと自信をも
 つことができ、そして世界の人々とともに分かちあえる価値を
 作り出すことのできる、そのような社会であり、国家でありま
 す』。(1996年1月、橋本総理大臣施政方針演説より)
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 施政方針演説ですからそうなるのでしょうが、かなり抽象的な
表現です。それにわが国と国際社会の関わりについては何もふれ
られていません。外国から、どのように評価される国になるのか
述べて欲しかったと思います。そういう外交姿勢がODAと関連
を持ってくるのです。
 草野教授は、日本のあるべき姿に積極的に言及した文書がある
といっています。それは日本国憲法の前文なのです。確かにそこ
には、こう書いてあります。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 『われらは、平和と安全を維持し、専制と隷属を、圧迫と偏狭
 を地上から永遠に除去しようと努めている国際社会において、
 名誉ある地位を占めたいと思う。われらは、全世界の国民が、
 ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を
 有することを確認する』。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 これこそ国際社会における日本の姿といえます。「国際社会に
おいて名誉ある地位を占めたい」とはっきりと目標を掲げている
のですが、さらに前文には、自国の繁栄のみを追求する一国平和
主義ではなくて、他国のことも考えなければならないということ
も書かれているのです。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 『われらは、いずれの国家も、自国のことのみに専念して他国
 を無視してはならないのであって、政治道徳の法則は、普遍的
 なものであり、この法則に従うことは、自国の主権を維持し、
 他国との対等関係に立とうとする各国の責務であると信ずる。
 日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想
 と目的を達成することを誓う』。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 改めて読み返してみると、なかなか含蓄のある名文ですが、皮
肉なことに、この文書は日本人の手によるものではないのです。
それ自体は実に情けない話でありますが、日本国憲法なのですか
ら、小泉首相は堂々とこの精神を強調すればよいのです。
 日本国憲法の前文の精神に立つとき、日本のODAは大きな意
味を持ってくると思います。敗戦の次の年である1946年から
1951年にかけて、日本は「ガリオア・エロア資金」(米国に
よる占領地の経済復興資金)を供与されたのですが、その総額は
約18億ドル、そのうち13億ドルは、無償資金援助だったので
す。現在の価値に換算すれば、15兆円を軽く超えるのです。
 いかに米国が日本の共産化を恐れたとはいえ、15兆円という
援助の額は旧敵国に与える援助の額としては破格のものです。こ
れがあったから日本は敗戦の最悪の状態から復興できたのです。
 また、1953年以来、世界銀行から延べ8億6000万ドル
の低利融資を受け、これによって東名高速道路、東海道新幹線、
黒部ダムなどの経済のインフラを整備して今日の繁栄の基礎を築
くことができたのです。
 それを考えれば、いかに経済再生の途上にあるとはいえODA
予算は削るべきではなかったのではないでしょうか。明日は、O
DA予算の財源について考えることにします。

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2001年08月24日

財政の中に占めるODAの財源(EJ687号)

 22日のEJ685号にひとつ間違いがあります。国連は「G
DPの1%をODAに振り向ける」よう勧告していると書きまし
たが、「GDP」ではなく「GNP」の間違いです。おわびして
訂正させていただきます。
 今朝はODAの財源について考えます。そのためには、国家予
算についての基礎知識が必要です。しかし、「予算書は日本で最
も難解な書物」といわれているように非常に複雑なのです。そこ
で、あまり深入りしないように、ODAに関連する部分だけに絞
って解説したいと思います。
 「財政」とは何でしょうか。
 国や地方自治体は、いろいろな経済行為をやっています。道路
や橋を作ったり、補助金を交付したり、公務員を雇ったり、国会
議員を選出して、その人件費を払ったりしています。その財源と
しては、税金や印紙収入、諸手数料を徴収し、公債を発行するな
どして調達します。
 このような国や地方自治体が収入したり、支出したりする経済
行為のすべてを指して「財政」というのです。財政には、国の財
政と地方の財政があります。これらは完全に独立しておらず、相
互に資金が移動しています。そのため、それぞれの会計には重複
している部分がかなりあるのです。
 国の財政は、次の3つに分けることができます。これら3つに
2000年度当初予算の数字を割り振ってみます。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
    1.一般 会計 ・・・・・・  85兆円
    2.特別 会計 ・・・・・・ 319兆円
    3.財政投融資 ・・・・・・  44兆円
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 一般会計は、税金や印紙収入などを財源として、政府活動のな
かの基本的な経費を賄っています。これは「狭義の財政」と呼ば
れます。これに対して特別会計は、特定の事業を営む場合や特定
の資本を保有して運用を行う場合、一般の歳入歳出と区別して経
理する必要のある場合に限って設けられる会計のことです。
 このようにいうと、特別な場合に設けられる会計といった印象
ですが、現在では、特別会計なしで財政を運営することはできな
くなっています。
 2000年度予算でみると、特別会計は一般会計の4倍ほどに
なっていますが、それは特別会計の中に国債の発行や償還、借り
換えを行う「国債整理基金特別会計」を含んでいるからです。こ
の会計だけで一般会計の規模を上回っており、だから特別会計は
一般会計の4倍近くになってしまうのです。
 財政投融資は、国の制度や信用に基づいて調達された有償の資
金を原資として投資や融資を行うものをいいます。有償の資金と
は何かというと、政府からみて税金や印紙収入などは無償ですが
金利をつけて返済する必要なものを有償の資金というのです。具
体的には、郵便貯金や公的年金の積立金などです。
 財政投融資は、民間では実現困難な大規模・長期プロジェクト
や民間金融では困難な長期・固定金利の資金の供給などに使われ
ます。これは金額的にも国全体にとって無視できない大きな存在
であり、「第2の予算」といわれるのです。
 しかし、「第2予算」といわれるものの、財政投融資を使う計
画は、国会には予算審議の参考資料として提出されますが、議決
の対象とはならないのです。ここに大きな問題があるのです。
 さて、ODAとか公共事業とか福祉などの予算を政策的経費と
いうのですが、この政策的経費は一般会計からだけ出ているので
はないのです。
 ODAの場合、一般会計を中心に、円借款の原資となる財政投
融資、金額は少ないですが、特別会計からも支出されているので
す。これらのODA関係予算の全体を指して「ODA事業予算」
といっています。
 このように予算は非常に複雑です。現在、小泉内閣で問題にな
っている道路関係の財源は、一般会計だけをみていても全体像は
掴めないのです。というのは、もともと特別会計、財政投融資に
財源が隠されているからです。
 もうひとつ大切なことがあります。最初に組まれる予算は、年
度全体にわたる歳入・歳出のすべてを盛り込んでいますが、年度
の途中でさまざまな理由によって修正が必要になることがありま
す。この場合、最初に組んで予算審議にかけられる予算を「当初
予算」、年度途中で修正したものを「補正予算」というのです。
 公共事業費については、当初予算ではなく補正予算に組み込ま
れることが多くなっているのです。なぜかははっきりしませんが
このあたりに何かからくりがあると思うのです。ちなみに当初予
算は国会審議に数ヶ月を要するのが普通ですが、補正予算は国会
に提出されてから成立するまで、通常10日前後で成立している
からです。
 なお、戦後、補正予算が行われなかった年は2000年度まで
に一度もないのです。それどころか、同じ年に複数回の補正予算
が組まれることも珍しくないのです。
 ごく大雑把に財政の話をしましたが、ODAの財源について整
理しておきましょう。ODAの財源としては、主として一般会計
特別会計、財政投融資の3つがあります。これら3つのいわば口
座から引き出された特定の目的の予算を「事業予算」というので
すが、ODA事業予算は1997年では1兆7000億円にしか
過ぎません。
 同じ年の道路予算は、一般会計分では2兆7064億円でしか
ありませんが、これに地方公共団体分、日本道路公団分などを合
わせた総事業予算は14兆4332億円にもなるのです。道路建
設には実に毎年14兆円も使われているのです。これに比べると
ODA事業予算などわずかなものです。
 「聖域なき構造改革」といいますが、ODA予算はとっくの昔
に聖域ではなくなっているのです。どんどん減額されているから
です。ODAを見直してもっと外交の武器として使うべきです。
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2001年08月27日

●銀行預金は10回貸し出しができる(EJ第688号)

 ここからは少し番号が飛びますが、いずれも日銀に関わる話題
です。2001年8月のEJです。
 相変わらず株価の下落が続いています。参院選で大勝した小泉
内閣は、公約である「聖域なき構造改革」を急ピッチに進めざる
を得ないところにきていますが、政府がこれを何の策もなく実施
すると、失業を増やし、デフレを加速させることになります。
 その結果、企業売り上げや政府の税収は減少し、不良債権問題
と財政赤字はさらに悪化します。そうなると、構造改革はもはや
できなくなってしまいます。
 しかし、構造改革を先に延ばし、景気対策をやるという意見に
は反対です。それは今までやってきたことの単なる繰り返しであ
り、1997〜1998年にかけて発生した金融危機と極度の金
融逼迫(クレジットクランチ)を再発するだだからです。
 小泉首相のいうように、もはや構造改革は後戻りはできないの
です。そのことを前提として、構造改革を進めながら、デフレを
加速させない金融政策をいかにしてとるかにすべてがかかってい
るといえます。そのためには、政府と日銀が果たして水も漏らさ
ぬ連携プレーをとれるかどうかです。
 そのための論議として、いまさかんに「インフレ・ターゲット
論」が話題になっています。これを巡ってはエコノミストの意見
は完全に割れていますし、自民党の一部の議員や竹中経済・財政
相は日銀に対して「早急にやるべし」という要求を突きつけてい
ますが、日銀は頑として応じないという姿勢をみせています。し
かし、肝心の小泉首相はこれに反対を表明しています。こういう
政策の不一致が株価をさらに下げることになるのです。
 このテーマは、7月にEJで取り上げた日銀問題のテーマと直
結しますし、タイムリーな話題であるので、続きをやりたい思い
ます。しかし、「インフレ・ターゲット論」を正しく理解するに
は、さらにその前提となる知識が必要になります。今朝はその問
題を取り上げることにします。
 最初に「銀行の役割」について考えましょう。
 ヴェルナー氏は『円の支配者』(草思社刊)の中で、次のよう
に述べています。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 『あなたが銀行に千円預け、中央銀行は預金準備率を1%に設
 定しているとする。この場合、銀行は990円貸し出し、10
 円(千円の1%)を預金準備として用意すると考えたくなる。
 しかし、じつはそうはならない。そうではなく、銀行はあなた
 の預金を百回まで貸し出すことができる。銀行はあなたの新規
 預金千円をもとに10万円貸すことが可能なのだ』。
 (ヴェルナー著、『円の支配者』(草思社刊)P88より)
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 この意味がわかるでしょうか。銀行は千円の預金でなぜ10万
円貸せるのでしょうか。そのお金を銀行はどのようにして手に入
れたのでしょうか。
 このパラドックスは、ミクロ経済をベースにして考えていると
解けないと思います。ミクロ経済では、ひとつの銀行しか分析の
対象としないので、銀行は預金を受け入れてその通貨を貸し出す
存在としか見えないからです。
 もう少し現実的な例で考えてみます。ミクロ経済ではなく、マ
クロ経済という立場で考えます。
 政府が年金を支払ったとします。年金受給者全体で40億円と
しましょう。実際にはそういうことはあり得ませんが、便宜上現
金で受け取ったとします。ほとんどの人はそのお金を自分の預金
口座に入金するでしょう。そうすると、銀行はその一定割合を日
銀当座預金として積み立てます。預金準備率を仮に10%とする
と4億円になります。
 さて、年金受給者は振り込まれたお金をそのままにしておく人
もいるでしょうし、モノを購入する人もいるでしょう。モノを買
うのに使ったりしても、お店がそのお金を受け取って、自分の預
金口座に入金すると考えてよいでしょう。
 なかには手元にお金を置くケースもありますが、仮に経済全体
ではすべてのお金が預金されると考えます。そうすると、銀行全
体で36億円の預金が生ずることになります。銀行はまたこの資
金を貸し出しに使えることになります。
 この段階で、市場全体では、40億円プラス36億円の計76
億円に増加したことになります。このように、銀行に預金として
戻ってきたお金はまた貸し出されて、さらに預金として戻ってく
るのです。ヴゥルナー氏が「預金は100回貸し出される」とい
うのはこういう意味なのです。
 ここでもう一度「マネタリーベース」の意味を再確認していた
だきたいのです。マネタリーベースは次のものが含まれます。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 ≪マネタリーベース≫
  1.日銀当座預金 ・・・・・・・  6%
  2.銀行手元現金 ・・・・・・・ 14%
  3.非銀行部門保有現金 ・・・・ 80%
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 40億円の年金が支給されると、これは非銀行部門保有現金が
増えることを意味しますから、マネタリーベースがそれだけ増加
したことになります。
 このうち36億円が貸し出され、また預金として銀行に預けら
れます。これが何回も繰り返されて銀行に戻ってきます。これを
少し専門的にいうと、「40億円のマネタリーベースが増加する
と、合計ではその数倍のマネーサプライが増加する」ことになり
ます。これを「信用創造」というのです。いい換えると、マネタ
リーベースが預金と貸し出しのメカニズムを通じて、数倍のマネ
ーサプライを創造することになります。
 マネーサプライとは、非銀行部門が保有する現金と各種預金、
定期性預金に郵便貯金、それに譲渡性預金(CD)などのことを
いいます。日銀の金融緩和政策とは、マネタリーベースの量を増
やす政策です。本来であれば、それが銀行の貸出しに回り、マネ
ーサプライを増やすはずなのですが、そうなっていないのです。
               −−[円の支配者日銀/07]
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2001年08月29日

●インフレターゲット政策論争激化(EJ第690号)

 今週発売の『週刊現代』9月8日号で、参議院議員舛添要一氏
がインフレターゲット論に関して日銀の速水総裁を厳しく批判し
ています。日銀も副総裁や理事をテレビに出演させ、反論をはじ
めていますが、今ひとつ迫力がありません。
 速水総裁をはじめ日銀側の主張は、次のようなものです。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 『金融緩和策をとって市場にジャブジャブに資金を投入して
 いるが、企業に資金需要がないから、これ以上注ぎ込んでも
 意味がない』。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 これに対して舛添要一氏は、それは、日銀の政策が「ツー・リ
トル、ツー・レイト」であるから効果が上がらないのだといって
います。旧日本軍(関東軍)と同じで、敵の攻撃に対し圧倒的な戦
力で戦うべきなのに小部隊を小出しにするので、各個撃破され負
けてしまうのだというのです。
 日銀の金融緩和のやり方は、1000CC血液が必要な患者に
100CCしか輸血しないのと同じです。これでは効果がないど
ころか命が危なくなってしまいます。日銀当座預金は、5兆円と
か6兆円とかいっていないで、10兆円ぐらいを投入する必要が
あるのです。長期国債の買い入れも現行の月6000億円では少
ない。月8000億円ぐらい買い入れるべきだと具体的です。
 多くの量のお金を投入すると、企業の資金需要は必ず出てくる
と舛添氏は主張しています。現在の経済の状況はまさに難病その
もので、最先端の医療技術が必要であるのに、速水総裁は江戸時
代の医術で治そうとしているようなものだと批判しています。
 舛添氏のインフレターゲット論に対して速水総裁は「バカな政
策」とこき下ろしたそうです。舛添氏は、インフレターゲット政
策が、英国の経済誌である『エコノミスト』、IMF、米大統領
経済諮問委員会委員長グレン・ハバード、米財務長官で世界的な
経済学者であるジョン・テーラー、それにノーベル賞経済学者ミ
ルトン・フリードマンやポール・サミュエルソンも支持する金融
政策であり、バカな政策とは何だと怒りをあらわにしています。
 昨日のEJで日銀のプリンスたちは旧大蔵省に対抗するため、
入念な計画を立てて旧大蔵省から金融政策の権限を奪い取ったと
いう趣旨の書き方をしましたが、このプリンスとは、佐々木直、
前川春雄、三重野康の3氏のことです。速水氏は、日銀が悲願の
独立を手に入れた1998年4月に日銀総裁に就任しています。
彼がどれほどの能力を有しているかは分かりませんが、就任して
からの金融政策を見る限り、プリンスたちとは肩を並べるような
人物ではないように思われます。
 気になる情報としては、日銀と政府の間では話がついていて、
日銀がインフレターゲットを受け入れる代わりに、速水氏のあと
の総裁(順番では財務省出身者)には元副総裁の福井俊彦氏を就
けるという話もあるようですが、真偽のほどは不明です。
 さて、話を昨日の続きに戻します。景気対策には、次の2つが
あります。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
     1.財政政策 ・・・・・ 政府が実行
     2.金融政策 ・・・・・ 日銀が実行
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 財政政策として一番ポピュラーな政策は、公共事業です。公共
事業を行うには、財務省が国債を発行して資金を調達することに
なります。しかし、これは、民間部門の購買力を増やすための財
政政策資金を民間部門から吸い上げることを意味します。
 財政政策というのは、与えられたパイを民間部門と政府部門で
どう分けるかを決めるのです。信用創造(お金の量)というパイ
が変わらなければ、財政政策資金の増加はその分だけ民間部門の
購買力を減らしてしまうのです。これを「量的クラウディング・
アウト」といいます。
 ところが信用創造そのものを増やすこと――要するに日銀が紙
幣を印刷すると、それは経済のパイを増やすというか、パイを大
きくするのです。しかし、日銀はなかなかこれをやろうとしない
のです。表面上は「インフレを防ぐ」という理由からです。
 速水総裁は、「インフレは起こせない。もし、インフレになる
ともはやコントロール不能になる」といっていますが、現在の状
況ではインフレは起こらないのです。経済の生産能力が100%
稼動している状況では、余分な紙幣の増加はインフレになります
が、現在は生産力が制限された状況にあり、インフレにはならな
いのです。もっとも、極端な金融緩和は長期金利の上昇を招く危
険性があり、監視が必要であることは確かです。
 インフレターゲット論者として知られる慶応義塾大学の深尾光
洋教授は、小泉改革が集中的に実施される期間に合わせて3年後
に目指すべき消費者物価水準を現在の水準からプラス2〜8%の
範囲に設定することを提案しています。
 そして、この目標圏設定は、期待物価上昇率を引き上げるため
だけでなく、将来量的緩和が成功して物価が上昇はじめたときに
直ちに日銀がすぐコントロールできるようにするためにも不可欠
であると深尾教授は主張するのです。
 深尾教授は、インフレターゲット政策の副作用についても認め
ています。それは量的緩和が成功して期待インフレ率が上昇する
と、長期金利が現在の1%台から4〜5%台に上昇することが考
えられるのです。
 長期金利が上がるということは、国債価格が暴落することを意
味します。そうなると、これにより経営難に陥る金融機関も出て
くるはずだというのです。そのため十分なリスク管理体制の構築
が必要なのです。
 いずれにしてもこの政策を成功させるには、政府と日銀の本当
の意味での水も漏らさぬ連携プレイが求められるのです。しかし
現在のような賛否両論のありさまではとても実施できる状態では
ありません。その間にもデフレは進行してしまうのです。
               −−[円の支配者日銀/08]

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2001年08月30日

●日銀の狙いは日本経済の構造改革(EJ第691号)

 ここからは少し番号が飛びますが、いずれも日銀に関わる内容
を示します。2001年8月のEJです。
 相変わらず株価の下落が続いています。参院選で大勝した小泉
内閣は、公約である「聖域なき構造改革」を急ピッチに進めざる
を得ないところにきていますが、政府がこれを何の策もなく実施
すると、失業を増やし、デフレを加速させることになります。
 その結果、企業売り上げや政府の税収は減少し、不良債権問題
と財政赤字はさらに悪化します。そうなると、構造改革はもはや
できなくなってしまいます。
 しかし、構造改革を先に延ばし、景気対策をやるという意見に
は反対です。それは今までやってきたことの単なる繰り返しであ
り、1997〜1998年にかけて発生した金融危機と極度の金
融逼迫(クレジットクランチ)を再発するだだからです。
 小泉首相のいうように、もはや構造改革は後戻りはできないの
です。そのことを前提として、構造改革を進めながら、デフレを
加速させない金融政策をいかにしてとるかにすべてがかかってい
るといえます。そのためには、政府と日銀が果たして水も漏らさ
ぬ連携プレーをとれるかどうかです。
 そのための論議として、いまさかんに「インフレ・ターゲット
論」が話題になっています。これを巡ってはエコノミストの意見
は完全に割れていますし、自民党の一部の議員や竹中経済・財政
相は日銀に対して「早急にやるべし」という要求を突きつけてい
ますが、日銀は頑として応じないという姿勢をみせています。し
かし、肝心の小泉首相はこれに反対を表明しています。こういう
政策の不一致が株価をさらに下げることになるのです。
 このテーマは、7月にEJで取り上げた日銀問題のテーマと直
結しますし、タイムリーな話題であるので、続きをやりたい思い
ます。しかし、「インフレ・ターゲット論」を正しく理解するに
は、さらにその前提となる知識が必要になります。今朝はその問
題を取り上げることにします。
 最初に「銀行の役割」について考えましょう。
 ヴェルナー氏は『円の支配者』(草思社刊)の中で、次のよう
に述べています。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 『あなたが銀行に千円預け、中央銀行は預金準備率を1%に設
 定しているとする。この場合、銀行は990円貸し出し、10
 円(千円の1%)を預金準備として用意すると考えたくなる。
 しかし、じつはそうはならない。そうではなく、銀行はあなた
 の預金を百回まで貸し出すことができる。銀行はあなたの新規
 預金千円をもとに10万円貸すことが可能なのだ』。
 (ヴェルナー著、『円の支配者』(草思社刊)P88より)
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 この意味がわかるでしょうか。銀行は千円の預金でなぜ10万
円貸せるのでしょうか。そのお金を銀行はどのようにして手に入
れたのでしょうか。
 このパラドックスは、ミクロ経済をベースにして考えていると
解けないと思います。ミクロ経済では、ひとつの銀行しか分析の
対象としないので、銀行は預金を受け入れてその通貨を貸し出す
存在としか見えないからです。
 もう少し現実的な例で考えてみます。ミクロ経済ではなく、マ
クロ経済という立場で考えます。
 政府が年金を支払ったとします。年金受給者全体で40億円と
しましょう。実際にはそういうことはあり得ませんが、便宜上現
金で受け取ったとします。ほとんどの人はそのお金を自分の預金
口座に入金するでしょう。そうすると、銀行はその一定割合を日
銀当座預金として積み立てます。預金準備率を仮に10%とする
と4億円になります。
 さて、年金受給者は振り込まれたお金をそのままにしておく人
もいるでしょうし、モノを購入する人もいるでしょう。モノを買
うのに使ったりしても、お店がそのお金を受け取って、自分の預
金口座に入金すると考えてよいでしょう。
 なかには手元にお金を置くケースもありますが、仮に経済全体
ではすべてのお金が預金されると考えます。そうすると、銀行全
体で36億円の預金が生ずることになります。銀行はまたこの資
金を貸し出しに使えることになります。
 この段階で、市場全体では、40億円プラス36億円の計76
億円に増加したことになります。このように、銀行に預金として
戻ってきたお金はまた貸し出されて、さらに預金として戻ってく
るのです。ヴゥルナー氏が「預金は100回貸し出される」とい
うのはこういう意味なのです。
 ここでもう一度「マネタリーベース」の意味を再確認していた
だきたいのです。マネタリーベースは次のものが含まれます。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 ≪マネタリーベース≫
  1.日銀当座預金 ・・・・・・・  6%
  2.銀行手元現金 ・・・・・・・ 14%
  3.非銀行部門保有現金 ・・・・ 80%
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 40億円の年金が支給されると、これは非銀行部門保有現金が
増えることを意味しますから、マネタリーベースがそれだけ増加
したことになります。
 このうち36億円が貸し出され、また預金として銀行に預けら
れます。これが何回も繰り返されて銀行に戻ってきます。これを
少し専門的にいうと、「40億円のマネタリーベースが増加する
と、合計ではその数倍のマネーサプライが増加する」ことになり
ます。これを「信用創造」というのです。いい換えると、マネタ
リーベースが預金と貸し出しのメカニズムを通じて、数倍のマネ
ーサプライを創造することになります。
 マネーサプライとは、非銀行部門が保有する現金と各種預金、
定期性預金に郵便貯金、それに譲渡性預金(CD)などのことを
いいます。日銀の金融緩和政策とは、マネタリーベースの量を増
やす政策です。本来であれば、それが銀行の貸出しに回り、マネ
ーサプライを増やすはずなのですが、そうなっていないのです。
               −−[円の支配者日銀/09]
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2001年08月31日

●現在の金融緩和策はインフレターゲッティング(EJ第692号)

 インフレターゲット論を「経済をあえてインフレにして借金を
チャラにする政策」というようにいう人がいます。何やらそこに
は、お札を刷ることのうしろめたさというものがあるようです。
何となくわるいことでもするような、そんなうしろめたさです。
 しかし、それはおかしな話です。必要なときにお札を刷って信
用を創造して経済を活性化させ、行き過ぎたときはお札を引き上
げて金融を調節するのが日銀の仕事なのです。
 さて、日銀は、3月19日に「量的緩和」に踏み切り、「消費
者物価指数が前年比ゼロ以上になるまで、資金を金融市場に供給
する」と言明しています。
 これは、「消費者物価指数がゼロになる」ことをターゲットと
して、日銀があらゆる手を打つというように解釈できると思いま
す。インフレターゲット論を説く人は、この目標をゼロではなく
2〜3%に設定しろといっているだけのことであり、そういう意
味では日銀はすでにインフレターゲット政策をとっているともい
えると思うのです。
 しかし、3月19日以来日銀のやっていることは、ゼロ金利政
策と何も変わっていないのです。株価が下落して世間が騒がしく
なると、日銀は量的緩和と称して短期金融市場にお金を流すだけ
であり、その実態は、「金融緩和策をパッケージ化したゼロ金利
政策の改良版」そのものです。
 日銀は、今回の金融緩和策には、「消費者物価指数がゼロにな
る」という目標に加えて「日銀当座預金の残高を5兆円にする」
という目標も掲げています。このあたりに日銀の巧妙な戦略が感
じられるのです。
 というのは、日銀はまず、「日銀当座預金の残高を5兆円にす
る」に手をつけてこれを達成しています。これだけだと、ゼロ金
利政策と変わりはないのです。ここで様子を見て、問題があれば
さらに1兆円増やすというように政策を小出しにする作戦と思わ
れるのです。しかし、こんなやり方では、余剰資金が市場に向か
わず、当座預金の中に滞留するだけなのです。銀行が不良債権の
処理などの関係で積極的に貸出しをしないのですから、日銀は他
の方法をとって新しいお金を市場に流す方法を考えるべきです。
 「お金は供給しているが企業に資金需要がない」といい続ける
だけでは、日銀は責任転換しているといわれても仕方がないと思
います。量的緩和とは、ずばりお札を印刷して市場に購買力を与
えることなのです。
 仮に日銀がある人の家を買うとしましょう。日銀が銀行を飛び
越して市場から直接、しかも金融資産でない不動産を買うなんて
とんでもないという人がいるかも知れませんが、べつに日銀がや
ってはいけないことことではないのです。
 買値を提示する必要がありますが、市場価格以上の値をつけれ
ば、その人は売る気になるはずです。日銀はお札を印刷してその
人に代金を支払ったとします。支払いの方法として日銀は、その
人の取引銀行の日銀当座預金に振込み、そのうえで代金がその人
の口座に入ることになります。
 家の代金を入手できたその人は、購買力が増加したことになる
ので、そのお金を一部使って何かを購入するはずです。家を売っ
てしまったのですから、前よりももっと広い一戸建てを購入する
か、マンションを購入するかも知れません。そして、その代金は
売り手に渡り、その人はまた何かを買って誰かにお金を渡すとい
うように連鎖的に経済行為がはじまるのです。これが大規模で起
これば市場は間違いなく活性化します。
 日銀はまさに無から有を創り出したことになるのです。日銀が
市場に直接手を出すのは平時は避けるべきですが、現在は銀行が
機能を果たしていないので、仕方がないのです。
 日銀のやることはいくらでもあります。高利回りの不動産であ
るとか、その流動化証券である不動産投信(REIT)、株式時
価総額先物とそれに連動する投信を買い入れることもできます。
そして、日銀の一番嫌がる国債の直接引き受けなど、そのときど
きの情勢に応じて的確に手を打って、日銀自らが掲げた消費者物
価指数をゼロに持っていくべきであります。そういう意味におい
て、日銀は自ら掲げた目標を達成させるための手をほとんど打っ
ていないのです。他に責任を押し付けています。
 といっても日銀の意思決定は、速水総裁の独断で決まるわけで
はないのです。日銀の政策委員会のメンバーは、速水総裁を含め
て9人です。これら9人のメンバーは、次のように色分けするこ
とができます。(添付ファイル参照)
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 ≪金融引き締め派≫
  速水優総裁、藤原作弥副総裁
 ≪ニュートラル派≫
  山口泰副総裁、武富将審議委員、三木利夫審議委員、
  須田美矢子審議委員
 ≪金融緩和派≫
  中原伸之審議委員、植田和男審議委員、田谷禎三審議委員
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 現在の政府と日銀のあつれきは、昨年8月11日の「ゼロ金利
解除」のときの葛藤が影響しています。2000年6月になると
日銀はゼロ金利解除のサインを出しはじめたのですが、7月12
日にそごうが破綻すると、当時の宮澤喜一大蔵大臣は日銀に対し
て「冷静な対応を」と釘をさします。
 これでゼロ金利解除は当分延びると誰もが思ったのです。しか
も、8月に入って消費者物価やGDPデフレータは低下し、解除
の環境としては最悪になっていたからです。9日になると、衆議
院の山本幸三議員、渡辺喜美議員、深尾光洋慶応義塾大学教授ら
7人が日銀に対して「ゼロ金利解除すべきではない」という緊急
提言を突きつけたのです。
 しかし、日銀は「これでは日銀の独立性を脅かされる」と判断
して、面子でゼロ金利解除を強行してしまったのです。
               −−[円の支配者日銀/10]

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2001年09月03日

●インフレ目標の達成手段は2つある(EJ第693号)

 現在、日本経済は「3つのD」の複合的な危機に直面している
といわれます。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 第1のD ・・ 不良債権と表裏一体の過剰債務(デット)
 第2のD ・・ 経済活動に水を差すデフレ
 第3のD ・・ 景気後退に伴う需要(デマンド)の不足
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 株安は、銀行、生保、企業年金に致命的な打撃を与えます。と
くに生保会社は巨額の逆ザヤを抱えており、株安によって含み益
が消えると、その逆ザヤを埋める原資が不足する事態に陥る恐れ
があるのです。
 現時点における生保各社の株式含み損益がゼロになる日経平均
株価を示しておきます。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 1.日本生命  8600円  6.大同生命 11200円
 2.太陽生命  9970円  7.安田生命 11500円
 3.明治生命 10400円  8.住友生命 12900円
 4.第一生命 10800円  9.三井生命 13700円
 5.富国生命 10900円 10.朝日生命 14700円
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 日経平均株価は、8月31日時点で10713円であり、この
時点で、日本生命、太陽生命、明治生命を除く国内生保会社はす
べて株式含み益はゼロになってしまっているのです。
 とくに、8月6日、格付け会社ムーディーズに格付けを下げら
れた三井生命と朝日生命は心配です。三井、朝日ともに「投資適
格」の最下位の「Baa3」だったのですが、今回、次のように三井
生命は1ランク、朝日生命は2ランク下げられたのです。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 三井生命 Baa3(投資適格最下位) ⇒ Ba1(投機的段階)
 朝日生命 Baa3(投資適格最下位) ⇒ Ba2(投機的段階)
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 解決策は、今までEJでもいろいろ検討してきたように、銀行
と日銀にすべてがかかっています。米連邦準備理事会(FRB)
グリーンスパン議長は、次のようにいっています。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 『日本で金融仲介機能を営むのは、基本的には銀行だ。その銀
 行が自らの資本不足に恐れをなして信用を拡張できないと、日
 銀のできることにも限界がある』――グリーンスパン
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 銀行の当座預金を積み上げる金融緩和策は既にとられています
が、効果が上がっていません。それは、巨額な不良債権を抱えて
いる銀行の金融仲介能力が低下しているからです。
 要するに、最近の銀行の行動原理は、「儲からないから貸さな
い」のではないのです。表面上の自己資本比率は10%以上ある
のですが、それが実態とかなり乖離しているので、実態がばれる
ことを恐れて貸し出しを増やせないのです。
 そこで、インフレターゲット政策が盛んにいわれているのです
が、問題はインフレ目標を達成する手段です。手段としては大別
すると、2つあります。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 1.日銀自身が信用リスクを覚悟で民間資産などを購入
 2.財政資金を日銀がサポートするマネタイゼーション
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 第1の手段としては、日銀自身が社債やCP(コマーシャル・
ペーパー)などを、銀行を経由しないで購入して企業に資金を流
す方法があります。それでも足りなければ、不動産だって引き受
けるという覚悟が必要になります。
 ここでCPというのは、企業が長期資金を得るために社債を発
行するように、機関投資家や個人に対して発行できる資金調達手
段のことです。日本では1987年に国内CPの発行が認められ
ています。
 しかし、日銀が直接民間リスクを引き受けるのはきわめてリス
キーなことであり、日銀がどこまで信用リスクをかぶるかを決め
ていないと、問題企業を日銀資金で延命させるだけで終ってしま
う恐れもあります。
 第2の手段としては、新たに発行する国債を最終的に日銀が引
き受ける方法です。しかし、新たに発行する国債の日銀による直
接引き受けは財政法で禁止されているのです。
 そこで、構造改革を使途とする「小泉ボンド」(国債)のよう
なものを発行し、日銀がお金を印刷して流通市場でその分の国債
を購入するという方法があります。
 現在のところ、2つの手段のどちらも日銀はやろうとしていま
せん。日銀としてはやるだけのことはやっており、あとは政府の
責任であるという姿勢です。EJでは、リチャード・ヴェルナー
氏の『円の支配者』(草思社)を取り上げ、ヴェルナー氏の主張
を詳細にお伝えしてきましたが、これを読むと日銀は経済回復の
カギを間違いなく握っています。
 過去の日銀のプリンスたちが、長期計画を立てて宿敵である大
蔵省支配を脱し、遂に1998年に独立を勝ち取った経過が詳細
に描かれています。日本の通貨の番人といわれる日銀が、いわゆ
る“省益”を守るためにこんなことをするとは信じられない思い
ですが、書かれていることはきわめて具体的であり、間違いない
と思われます。この本について、日銀が何も反論しないのもそれ
が事実である証明でしょう。
 速水総裁が率いる日銀としては完全に守りに入っています。今
までの日銀政策を見る限り、政府などからいわれるとしぶしぶそ
れに従っています。そこに日銀としての強い意思が感じられない
のです。こんなことで日本経済はどうなるのでしょうか。
               −−[円の支配者日銀/11]
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2001年09月04日

●構造改革の目指す姿とは何か(EJ第694号)

 日本に限らず中央銀行というものは、伝統的なやり方で失敗す
る方が非伝統的なやり方で成功するよりもマシという考え方があ
るようです。それほど伝統的なやり方にこだわるということであ
り、革新的な手法はなかなか使われないということです。
 日銀がお札を刷って市場にお金を投入する場合、その投入する
資金に見合う対価を銀行から引き取ることになります。この引き
取る対価として使われるのが国債です。日銀は毎月約4000億
円、年間にして5兆円の長期国債を引き受けています。
 インフレターゲット論者はこれを毎月6000億円以上、年間
7兆2000億円にせよといっているのですが、日銀がこのよう
にして金融機関から国債をどんどん買い上げていったらどうなる
でしょうか。
 日銀が銀行をはじめとする金融機関からどんどん国債を買い上
げていくとします。そうすると、銀行の手元には国債が減少して
現金が増えていきます。現在銀行は国債で資金運用を行っていま
すから、資産の組み替えをする必要が起こってきます。
 銀行は手元の現金でまた国債を買うかも知れませんが、それも
買い上げてしまうとします。そうすると、やがて国債の金利はギ
リギリのところまで低下してしまうのです。
 銀行としては、現金で持っていてもぜんぜん利益を生まないの
で、外国債券とか海外市場に目を向けた投資をするか、株式に投
資することになります。そのように考えると、量的緩和の効果は
為替市場か株式市場にあらわれてくるはずです。
 しかし、海外にお金が流れただけでは意味がないのです。銀行
が国内に融資先を本気で見つけなければ、日本経済の活性化には
つながらないのです。最近の日本の企業経営者は銀行を含めてリ
スクをとろうとせず、腰が引けていると思います。
 もっとも企業経営者としても、政府がビジョンを示し、どうい
う事業を助成しようとしているのかはっきりさせない状態では、
リスクの取りようがないことは確かですが・・。
 現在、政府は構造改革に取り組むといっていますが、その目指
す姿はどのようになるのか、どこに重点を置くのかについて政府
は具体的に示すべきです。そうでないと、企業も銀行も、ますま
す守りの姿勢を固めるだけだと思います。
 小泉内閣における経済の舵取りの司令塔、竹中平蔵経済財政担
当相は経済政策には次の4つがあって、それぞれを身体や病気に
喩えています。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
  1.不良債権の処理 ・・・・・・ 外科手術
  2.景気の回復 ・・・・・・・・ 痛み止め
  3.財政再建 ・・・・・・・・・ 糖尿病
  4.長期成長率の引き上げ ・・・ 基礎体力
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 不良債権の処理という外科手術は最優先で行われるべきであり
景気対策はその痛み止めとしての働きを持っています。しかし、
病気の根本原因である財政再建という糖尿病を放っておくと基礎
体力が回復しないので、それを根気よく治療しながら、長期成長
率を引き上げようという計画であるというのです。なかなか分か
りやすい説明だと思いますが、いま一番重要なのは不良債権処理
という外科手術なのです。
 ところで、構造改革の「構造」とは何でしょうか。
 「構造を変革する」とは、かつては「ジャパン・アズ・ナンバ
ーワン」といわれた日本的システムの構造を変革しようというこ
とを意味しています。そういう日本的システムのひとつに「間接
金融中心」ということがあります。
 今までの日本の企業の資金調達は、そのほとんどが間接金融、
すなわち銀行からの融資を受けて資金を調達する方法です。この
日本の金融構造が大きな問題といえます。この間接金融中心の資
金調達システムに誘導したのは日銀であることは既にお話した通
りです。
 このシステムが残っているからこそ現在のように銀行の貸し渋
りが起こると、倒産が起こってしまうことになるのです。この間
接金融偏重を直接金融に切り替える――これこそ構造改革そのも
のといえます。
 銀行の融資は、その企業がどういうアイデアを持ち、どのよう
に魅力的な事業計画を持っているかということよりも、土地とい
う担保を有しているかどうかによって決まってしまいます。本来
土地を担保にとってお金を貸すというのは、本当の意味でリスク
をとっていないのです。なぜなら、もし、回収できないのであれ
ば、担保を処分して資金を回収できるからです。
 それにこういう土地担保融資は、銀行の信用創造が担保である
土地の評価額によって制限されてしまうというマイナス点がある
のです。しかも、現在は地価が下がっており、資産デフレになっ
てしまっています。そうすると、土地の価格は毎年下がり、貸し
出しも鈍ることになります。そして、担保の土地の価値が下がる
ことによって、その債権が不良債権化するのです。
 もともと戦前の日本は間接金融よりも直接金融のウエイトが高
かったということは既に述べましたが、戦後株式市場が育たなく
なったのは税制に問題があります。なぜなら、現在の税収はリス
クに対する配慮がないからです。
 間接金融中心から直接金融中心に切り替えるのは、いろいろな
ことをやらなければなりません。税制を変更し、起業の手続きを
簡素化し、規制を撤廃し、株式市場を活性化する――これこそ構
造改革そのものであり、本気での取り組みが求められます。それ
に最も大切なことは、リスクの意識を育てることです。
 実は金融の世界において、このリスクの意識が日本では欠如し
ていると思います。それは80年代まで日本の金融機関が護送船
団方式によって規制でがんじがらめになり、自由な競争ができて
いなかったことに原因があると思います。リスクの問題は改めて
EJで取り上げます。それにしても小泉内閣は経済の構造を改革
して、どのようにするのか具体的な説明すべきです。
               −−[円の支配者日銀/12]
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2001年09月05日

●10曲聴いてショパンの全体像を掴む(EJ第695号)

 今日から3回にわたって、「ショパン」――あのピアノの詩人
のショパンをテーマに取り上げます。
 ショパンとモーツァルトというと、その名前を聞いただけで、
ある特定のイメージが浮かんでくる音楽家です。とくにショパン
といえばピアノであり、ピアノ好きな人であれば、ショパンは避
けて通れないでしょう。ショパンの名曲はたくさんあり、1曲も
知らないという人はいないのではないかと思います。
 しかし、ショパンの演奏に関わる人は、ショパンを弾くとき、
単に音符をひろっただけではショパンにならないというのです。
つまり、ショパンの音楽は、テクニックだけの問題ではなく“深
い音楽性”がそこに要求されるのです。
 ショパンの音楽が発するメッセージは、なぜか現代に通じるも
のがあります。けっして古めかしい過去の音楽ではないのです。
音楽家ラフマニノフは「ショパンはつねに新しい」という名言を
残していますが、それはショパンの音楽が現代に通じる精神とい
うか、エネルギーを持っていることを意味しています。
 小説家のアンドレ・ジイドは、「ショパンの作品を弾くときは
それがすでに出来上がっているように弾いてはならない。ひとつ
ひとつの音を新しく発見していくように弾くべきである」といっ
ており、それが新しさを感じさせる秘密だと思います。ジイドは
小説家なのですが、ピアノについては相当のうでを持っており、
終生ショパンの音楽を愛好したといわれています。
 今朝はショパンをあまり聴かない人にショパンの素晴らしさを
知っていただくためのガイダンスをやりたいと思っています。い
ささか乱暴ですが、ショパンの作品を4つに分けて、その魅力を
整理すると次のようになります。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
   ノクターン ・・・・ 彼のロマンティックな感性
   マズルカ ・・・・・ 彼の嘆きやメランコリー
   ポロネーズ ・・・・ 彼の愛国心の表現
   ワルツ ・・・・・・ サロン風な彼の貴族趣味
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 誰でも知っているショパンの人気ベスト10を選んでみたいと
思います。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
      1.『子犬のワルツ』作品64−1
      2.『ノクターン』作品9−2
      3.『雨だれ』作品28−24
      4.『マズルカ』作品7−1
      5.『別れの曲』作品10−3
      6.『幻想即興曲』作品66
      7.『英雄ポロネーズ』作品53
      8.『バラード』第1番作品23
      9.『ピアノソナタ第2番』作品35
     10.『ピアノ協奏曲第1番』作品11
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 ショパンの「ワルツ」といえば有名な曲がたくさんあるのです
が、どういうわけか、ショパンの作品の中ではマイナーな扱いに
なっています。ワルツは生前には8曲出版されているのですが、
その作曲年代を見るとポツンポツンと作曲され、晩年の作品が多
いのです。『子犬のワルツ』などは最晩年の曲です。なお、ショ
パンの死後遺作として発表されたものが11曲あります。
 ノクターンは全部で21曲。その言葉には「夜の感覚」「静か
な夢想」「詩的な香り」が含まれます。とくに、「ノクターン」
作品9−2は、映画「愛情物語」のテーマ音楽となっており、最
もポピュラーな作品です。
 プレリュードは全部で24曲。一曲、一曲が巧みに磨き上げら
れたショパン音楽の真髄というべき傑作です。「雨だれ」は15
番目に置かれた名曲です。
 マズルカは全部で60曲。生涯を通じて書かれており、その点
ワルツとは対照的です。このマズルカの人気作品は作品7−1で
す。ショパン20歳のときの作品です。とても有名な曲です。
 続いてエチュード24曲。エチュードとは「練習曲」のことで
19歳のときから着手して6年かけて完成されています。この作
品10−3はあの有名な『別れの曲』なのです。
 この24の練習曲に、ショパンは、彼がピアノ奏法の秘密と信
ずるものに何かのかたちを与えようとしています。短い一曲一曲
にバラードの大曲を書く以上の時間をかけてそれこそ真剣に取り
組んだのです。
 即興曲は4曲の作品があります。中でも有名なのは『幻想即興
曲』です。この曲の人気の秘密は中間部のノクターン風の旋律に
あると思います。この中間部をはさむ前後は、嬰ハ短調のエチュ
ード的な音の奔流のように書かれております。
 ポロネーズは全17曲。『英雄ポロネーズ』作品53は、ショ
パンのポロネーズの手法がしだいに成熟度を増してきた頃の作品
です。輝かしい雄壮な、しかも直裁な音楽は「英雄」というタイ
トルにピッタリです。
 ソナタは全4曲ですが、1曲はチェロ・ソナタです。有名なの
は『ピアノソナタ第2番』作品35――とくに第3楽章の「葬送
行進曲」があまりにも有名です。付点の動きに詫された悲痛な響
きが全編を印象づけています。
 最後はピアノ協奏曲全2曲。とくに『ピアノ協奏曲第1番』作
品11に人気が集中しています。この作品は1830年8月に完
成された若きショパンの意欲作です。
 ベスト10の10曲が、各ジャンルの代表になるように選曲し
てあります。ですから、この10曲を聴くと、ショパンの作品の
おおまかな全貌は分かります。好きな曲のみ偏って聴かないで、
ぜひ全般的に聴いていただきたいと思います。
                 −− [ショパン/01]

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2001年09月06日

●ショパンをどのように聴くべきか(EJ第696号)

 前回、EJでショパンの作品のベスト10をご紹介しましたが
少しきちんとショパンに取り組んでみたいと思う方は、エチュー
ド全24曲から聴くことをお勧めしたいのです。間違っても「シ
ョパン小品名曲集」のたぐいは買わないようにすべきです。耳慣
れた好きな曲ばかりを聴いてもショパンはわからないからです。
 エチュードには、作品10と作品25の2つがあり、どちらも
12曲ずつで計24曲です。作品10が着手されたのは1829
年のことで、ショパンが19歳のときのことです。そして、作品
25が完成したのが1835年ですから、およそ6年をかけて、
24曲全曲が完成しているのです。
 ところで、エチュードとは「練習曲」のことです。それをショ
パンは19歳から20代の前半に書いているのです。ほとんどの
作品はこれから書くというのに・・・。そして、仕上げられた作
品は途方もなく優れた作品だったのです。
 ピアノの作曲家が練習曲を書くのは、自分の作品をピアノで弾
くためのテクニックの披露ととらえることができます。そういう
観点に立ってこのエチュード全曲を聴いてみると、ショパンの高
度なテクニックを堪能することができます。もちろん、肝心のエ
チュードを弾くピアニストは、厳選する必要があるのはいうまで
もないことです。
 それにしても練習曲にしては何とメロディアスなのでしょう。
練習曲はもともと無機質性でメカニカルな性格を持つ音楽であり
曲としては面白くないものが多いのですが、ショパンのエチュー
ドは違うのです。硬質性で無機質性な中に歌謡的な要素を取り入
れて、曲として非常に魅力ある芸術性の高い作品にしている点は
素晴らしいと思います。
 例えば、作品10−3には「別れの曲」がありますが、その音
楽としての構造はどうなっているか分析を加えてみましょう。
歌の部分は前半と後半だけで、中間部は3度、4度、6度の連
続和音が並んでいて、転調も多く、演奏する者にとっては技巧的
に非常に難しい曲になっているのです。このように、ショパンの
音楽は、一見“歌うがごとき”印象を与えても、実際には“歌え
ない”ものが多いといえます。
 このエチュードはリストに献呈されているのですが、おそらく
リストは自分への挑戦状と受け取ったに違いありません。それは
リストも認めるほど高度なピアノテクニックだったからです。
 エチュードが発表されたときある評論家は次のように述べたと
いわれます。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
   『前代未聞の練習曲集、この曲を演奏するには側に
外科医が必要であろう』。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 さて、それでは、このショパンのエチュード全曲のCDは、ど
のピアニストが弾いているものを買うべきでしょうか。
 この曲を弾くピアニストとして推奨したいのは、マウリツィオ
・ポリーニです。これは音楽評論家のプロも推奨しており、購入
して間違いないと思います。ポリーニはこの難曲中の難曲を完璧
なテクニックで弾きあげ、テクニックというものを妥協なく極め
ると、こんなふうに聞こえるのだということを教えてくれます。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
     ショパン/『練習曲』全曲
     マウリッツィオ・ポリーニ/ピアノ
     POCG50071[G]
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 このポリーニに次ぐショパン弾きピアニストとしては、アシュ
ケナージとフランソワがあげられますが、ことエチュードに関す
る限り、ポリーニが他を圧倒しています。
 エチュードを聴いたら、次は何を聴くべきでしょうか。
 独断と偏見でいえば、前奏曲全24曲をお勧めしたいと思いま
す。エチュードも24曲ですし、前奏曲も24曲ですから、ちょ
うどきりがよいと思うのです。
 作品28の24曲をひとつの連作のように演奏するスタイルを
編み出しのは、ショパン弾きの巨匠として知られるアルフレッド
コルトーなのです。コルトーはこの24曲を何回も録音していま
すが、他のピアニストは繰り返し録音しようとしないのです。
 前奏曲、すなわち、プレリュードは、音の万華鏡といわれ、さ
まざまな性格の曲が集められています。
 それでは、前奏曲を聴くときのピアニストとしては誰がベスト
でしょうか。
 定評のあるピアニストとしては、アルゲリッチとポリーニを推
薦することができます。アルゲリッチの良さは、スケールが大き
く、演奏がスリリングであること、そして何よりも既成観念にと
らわれない自発的な感情表現を見せる点が魅力です。ラフマニノ
フがいったように「ショパンはつねに新しい」を地で行くのが、
アルゲリッチなのです。
 しかし、アルゲリッチの盤は1977年、ポリーニの盤も19
74年といささか古いので、現代的なサウンドを期待する向きは
1999年に出したキーシンか、1990年のウラジミール・ソ
コロフ盤がお勧めです。ともに演奏は素晴らしいのですが、内容
ではアルゲリッチということになります。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 ショパン『前奏曲』全曲
 1.アルゲリッチ・・・ UCCG3046[G]
 2.ポリーニ ・・・・ POCG4082[G]
 3.キーシン ・・・・ BVCC31025[R]
 4.ソコロフ ・・・・ OPS2009[仏オーパス]
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 前奏曲は、24曲全部を合わせて1つのプレリュードの世界を
形成しています。こういう傾向の曲はプレリュードだけです。聴
くときはそれを意識して聴くと良いでしょう。
                 −− [ショパン/02]

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2001年09月07日

●ショパンはピアノと指の研究家である(EJ第697号)

 秋のN響定期の開催日で久しぶりにN響を聴きました。指揮者
は話題の準・メルクル――Aチクルスはブラームス・チクルスで
最初の曲は何と『ハンガリア舞曲集』でした。私は40年来のN
響の定期会員ですが、こんなポピュラーな曲から始まったのは珍
しいことです。なかなか洒落た面白い演奏だったのですが、評価
は今ひとつというところです。
 昨日の白眉は、2曲目のブラームス作曲『ヴァイオリンとチェ
ロのための協奏曲イ短調作品102』でした。この曲はヴァイオ
リンとチェロが丁々発止と渡り合い、それにオケが絡むという名
曲です。ヴァイオリンは戸田弥生、チェロは原田禎夫のコンビ―
―なかなかの名演奏でした。
 今朝もショパンの話です。ショパン研究家の意見によると「真
にショパンを知りたいと思うならば、エチュード、マズルカ、ノ
クターンを聴くべし」ということがよくいわれます。これら3つ
のジャンルは、ショパンの作品の中でも初期に属するものなので
すが、これらのジャンルがショパンの後の主要作品のベースにな
っていることは確かなことです。それに、もしこれら3つのジャ
ンルがなかったら、ショパンの音楽は、かなり味気のないものに
なっていたはずです。
 ショパンのこれら3つの分野と不可分に結びついているものと
いえば、それは「ピアノ」という楽器です。ショパンという音楽
家は、まず、ピアノの演奏家としてデビューし、いわゆる“ピア
ノ弾き”としては、あっという間にリストと肩を並べる域に達し
ています。
 リストという人は、聴衆をひきつける圧倒的なピアニストとし
ての能力と、ショー的なアクロバット的奏法で有名になった音楽
家です。そのリストに唯一対抗できるピアニストは、ショパンし
かいないといわれたのです。
 このリストとショパンを比較した評価には次のようなものがあ
ります。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 「リストに匹敵する演奏家ならまずショパンで、ショパンなら
 ば少なくとも絶妙を極めた鋭敏・優雅という点では一歩も譲ら
 ない」―――シューマン
 「リストに比べるとどんなピアニストも見劣りしてしまうが、
 ショパン一人は例外で彼はピアノのラファエルである」
 ―――ハイネ
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 しかし、ショパンはその後作曲家としての本領を発揮していく
のです。ちょうどそのときピアノという楽器の改良と発展の時期
に当たっていたのです。当時最も高性能で高品質であったピアノ
は、プレイエル社のグランドピアノだったのです。
 このグランドピアノは、当時の最新のテクノロジーを備えてお
り、夢の新製品。ショパンはこのピアノに没頭し、ピアノの音を
生かした音楽創造にのめり込んでいったのです。この頃からショ
パンは、超高速でピアノを弾くというようなアクロバッティング
演奏家とは訣別し、ピアノという楽器を手段とする作曲家として
才能を伸ばしていくことになります。
 ショパンは、ピアノというものを「弦楽器と違って音を創るこ
とから始めなくていい楽器」としてとらえています。音を創るの
は調律師の仕事であり、鍵盤をたたきさえすれば、誰でもその音
を得ることができるのです。しかし、その鍵盤をたたく指につい
て研究する必要があるといっています。
 ショパンは「ハ長調は譜読みは易しいけれども、(指の)支点
がないので、なめらかに弾くのは最も難しい。しかし、ロ短調な
どは長い指(ひとさし指)の部分が黒鍵にあたるので、手の構造
に適しており弾きやすい」というように、鍵盤と手との関係につ
いてきわめて合理的に述べています。
 ショパンは晩年に「ピアノ・メソード」という本を書こうとし
ていたので、ピアノとその弾き方に関するさまざまな記述が残さ
れているのです。しかし、「ピアノ・メソード」は、完成せず、
草稿だけが残されていますが、ショパン研究者にとっては貴重な
資料になっています。
 ショパンが、指とピアノとの関係について記述した一部をご紹
介しましょう。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 『“指”を使って音を出さなければならないのだから、最も効
 率よく音を出せるようにしなければならない。そのためには当
 然指が運動しやすい状態を作ること。指が運動しやすいように
 するためには、指がついている手、手首、ひじ、腕全体も参加
 せねばならない。さらにピアノに向かう位置と距離、鍵盤に対
 するひじの高さなどを定めれば、あとは指そのものの問題だけ
 である』。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 このように、ショパンは、指とピアノとの関係についてそれこ
そ徹底的に研究しているのです。そして、ショパンは、「運動し
やすい指とは伸ばした指ではなく、丸みをつくった指――自由に
動ける柔軟性をもった指である」と結論を出しているのです。
 アンドレ・ジイドは、ショパンの音楽は即興性を重視すべきだ
と主張し、ショパンを弾くことは、一つ一つの音を発見するよう
に、手をまるめて、どちらかというとたどたどしく弾くべきだと
いって物議をかもしたことがあるのですが、ショパン自身も手を
丸めて弾くように教えているのです。
 ショパンはこういう指の研究について、「ピアノ・メソード」
で次のように結論づけています。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 『芸術は無限であっても手段は限られているのだから、この
 限られた手段をいかに無限なものとして表現するかを考えな
 ければならない』――ショパン
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
                 −− [ショパン/03]

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2001年10月04日

木村提案/大手30社問題とは何か(EJ715号)

 3日の日本経済新聞に「明治ドレスナーのMMF急減」という
心配な記事が出ています。倒産したマイカルを組み入れていて元
本割れを起こしており、ファンドの純資産が急減していると伝え
ているのです。
 発売されたばかりの「週刊文春」10月11日号に、「破綻寸
前大手30社リスト」をめぐる金融庁と政府との対立の様子がレ
ポートされています。これは、いわゆる不良債権問題の核心とい
うべき問題であり、不良債権問題に関する情報を整理する目的で
取り上げることにします。
 この「大手30社問題」というのは、元日銀マンで、現在は金
融コンサルタント会社、KPMGフィナンシャルの社長を務める
木村剛氏が提唱しているものです。この渦中の人物である木村剛
氏は、最近いろいろな面で注目されている人物であり、慶応義塾
大学教授、金子勝氏との対談で日本経済を論じた次の近著は、な
かなか読みごたえがありました。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
  『日本経済「出口」あり』
   金子勝、木村剛 宮崎哲弥(企画・進行) 春秋社刊
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 木村氏の提案とはこうです。
 現在、不良債権問題は、銀行の自己査定の甘さが批判の対象に
なっている。その中でもとくに「要注意先債権」として査定され
ている企業大手30社は本来なら「破綻懸念先債権」のレベルで
あり、十分な引当金を積むことが不良債権処理の優先課題のはず
である。もし、そのために過小資本に陥る銀行があればためらい
なく公的資金を再注入すべきである――これが木村提案です。
 ここで、銀行の債務者区分がどうなっているかについて知る必
要があります。これについてはEJで一度取り上げたことがあり
ますが、再現します。債務者は次の5つに区分されます。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
    1.正常先        4.実質破綻先
    2.要注意先       5.破綻先
    3.破綻懸念先
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 このうち「要注意先」と「破綻懸念先」についてその定義を示
しておきます。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 ≪要注意先≫
  金利減免・棚上げを行っているなど貸出条件に問題のある
  債務者、元本返済もしくは利息支払いが事実上延滞してい
  るなど、履行状況に問題のある債務者のほか、業況が低調
  ないしは不安定な債務者または財務内容に問題がある債務
  者など、今後の管理に注意を要する債務者
 ≪破綻懸念先≫
  現状、経営破綻の状況にはないが、経営難の状態にあり、
  経営改善計画などの進捗が芳しくなく、今後経営破綻に陥
  る可能性が大きいと認められる債務者
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 ここで問題になっている大手30社は「要注意先」に分類され
ているのですが、木村氏は「破綻懸念先」のレベルであると指摘
し、それらの企業は小泉政権の骨太方針によれば2年以内に処理
すべき債権に当るとしています。
 この30社の企業名はいろいろ取り沙汰されていますが、「週
刊文春」では、数社については実名を上げています。フジタ、佐
藤工業、大京、藤和不動産、ダイエー、日本信販、オリコ、日商
岩井、兼松、それに既に破綻したマイカルです。マイカルも破綻
懸念先ではなく、要注意先に分類されていたのです。
 それにしても金融庁の態度はおかしいのです。再検査して現状
を掴み、十分な引当金を積んで、必要ならば公的資金を再注入す
べきであるという周囲の声に対して、柳沢大臣は頑として耳をか
さず公的資金はいらないと明言しているのです。
 このかたくなな態度に、竹中平蔵経済財政担当相は柳沢大臣が
9月に訪米している間に、山崎幹事長、樋口広太郎内閣特別顧問
を味方につけただけでなく、経済産業省の平沼大臣も、金融庁批
判グループに引き入れています。
 平沼大臣は「確かに木村理論によれば、銀行が大手企業の過剰
債務に手をつけないが故に、中小企業への貸し出しにシワ寄せが
きていると読める」として、木村氏を自民党の経済産業部会に迎
え入れています。木村剛氏なかなか大モテなのです。
 小泉首相も木村氏から大手30社問題について説明を受けたと
されており、小泉首相は柳沢大臣に対して「政策は状況によって
変わるのであるから、政策変更しても恥ではない」と説得し、公
的資金注入を含めて対応策を報告せよと期限を切って求めたのに
もかかわらず、柳沢大臣はこれに従っていないのです。彼は一体
何を守ろうとしているのでしょうか。
 さらに首相は、今度は金融庁の森長官を呼び出し、木村氏、樋
口氏とともに大手30社への引当と公的資金投入を求める激しい
議論をしたと伝えられます。
 これに対する金融庁の答えが「特別検査の実施」です。あれほ
ど再検査はしないといっていた金融庁ですが、ここにきて特別検
査をやるといい出したのです。特別検査というのは、要注意先債
権について、格付けや株価などの市場評価の動向に応じて引当金
を積ませたり、最終処理を促すというものです。
 この引当金を積ませるということや最終処理をするという意味
については、明日のEJで具体的に取り上げますが、柳沢大臣は
国会答弁で「大手30社に十分な引当をしても自己資本比率は、
10%台」と明言しており、公的資金の再注入の必要なしという
主張をしています。したがって、金融庁は、検査する企業の選定
やどの債権を選ぶかという点について手心を加えるはずです。
 これに対して竹中経済財政相は、「検査結果を経済諮問会議で
点検する」といっています。結果はどうなるのでしょうか。

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2001年10月05日

不良債権の間接償却と直接償却の違い(EJ716号)

 不良債権の最終処理について昨日のEJで触れましたが、今朝
はこの説明からはじめます。
 X銀行がY商事に対して5000万円貸し付けます。この場合
X銀行のバランスシートには、貸金5000万円が記載されるこ
とになります。もちろん、この融資には担保をとっていますが、
その担保の価値は、当時5000万円以上の価値があったことは
確かです。
 ところが、担保にとった土地の価値が下がり、現在はその担保
価値は半分以下の2000万円になってしまったとしましょう。
しかし、Y商事のビジネスは順調で、銀行に対する元利払いを続
けているとします。この場合、何も問題は発生しないのです。Y
商事への貸金は不良債権ではないからです。
 しかし、Y商事は経営不振に陥り、X銀行に対して利息しか支
払えないようになり、元金の返済が滞るようになったとします。
この場合、問題なのは、銀行がY商事への貸金を不良債権として
扱うかどうかです。
 銀行によって判断は違ってきますが、Y商事のような債権はお
そらく「要注意先」に分類されるはずです。元本は滞っています
が、利息は支払われているし、価値は相当減ったとはいえ担保も
あるからです。
 しかし、X銀行の期待も空しく、Y商事は、利息の支払いも滞
るようになったとします。ここにいたってX銀行は、債権の分類
を1ランク下げて「破綻懸念先」とし、担保価値の減少分300
0万円分の引当金を積立てます。これが間接償却といわれるもの
です。しかし、X銀行のバランスシート上には、不良債権として
残っているのです。
 しかし、X銀行がY商事の担保物件を売却し、いったん現金に
してしまうと、X銀行のバランスシートからY商事の債権は消滅
することになります。これが直接償却であり、不良債権のオフバ
ランス化というのです。
 このところ間接償却はだめで直接償却でなければならないとい
うことがよくいわれるのですが、間接償却でもそれが時価で引き
当てられていれば立派な不良債権の償却であって、何も問題は起
こらないわけです。
 しかし、日本の銀行で「直接償却」といっているものの中には
「部分直接償却」というものが含まれていることを木村剛氏は明
らかにしています。「部分直接償却」というのは実は間接償却の
ことなのです。引当済みの実質破綻先の債権であっても、会計上
は担保を処分しない限り厳密な意味での「直接償却」にはならな
いのです。つまり、オフバランス化されておらず、会計上残って
しまっているのです。
 しかし、不良債権問題が社会問題化し、ディスクロージャーが
拡充されて数字を公表することになったときに金額が残っている
のはみっともないということで、その引当金を償却とみなして不
良債権の元本から差し引かせて欲しいという要望が銀行から出て
金融庁はそれを認めたという経緯があるのです。これは会計上は
インチキなのです。
 不良債権の直接償却について金融庁がいっていることは、かな
りおかしいことがたくさんあります。今年の2月26日に金融庁
は次のように発表していますが、正しくないのです。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 『68兆円の不良債権の処理のうち、80%はオフバンラ
 ンス化、すなわち直接償却によって処理されている』。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 全銀協の統計によれば、次のようになっています。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 ・平成4年度以降12年度中間9月期まで
  不良債権処分損の累計 ・・・・ 69兆9896億円
  このうち、直接償却などの累計  29兆1520億円
                        43%
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 80%と43%の違いは推測ですが、金融庁の数字にはおそら
く部分直接償却が入っているものと思います。少しでも公表数字
をよく見せかけるために粉飾が行われているわけです。
 しかも、この直接償却などの累計の33%に当たる9兆572
6億円は共同債権買取機構への売却なのです。ところが、共同債
権買取機構は、その売却元の銀行より融資を受けて不良債権を引
き取っているのです。これでは“不良債権飛ばし”と同じ手法で
あるといえます。不良債権は直接償却できても、銀行の同機構へ
の貸金が残っているのですから、不良債権は完全にオフバランス
化されたとはいえないと思います。
 しかし、間接償却よりも直接償却をすべきであるという理由が
あります。それは、冒頭の例でいうと、引当金3000万円を積
んだ間接償却のままであると、その金額は帳簿上残ってしまい、
そのお金は新たな貸し出しに振り向けることはできないので、ど
うしても新規の貸し出しが増えないということです。やはり、不
良債権は担保を売却してオフバランス化する必要があります。
 しかし、間接償却にせよ直接償却にせよ、償却のために膨大な
資金を使うわけですから、一挙にやろうとすると、銀行の中には
過少資本になってしまうところも出てくるわけです。そういうと
ころには公的資金を注入すべきです。
 その代わり公的資金を投入するなら、厳格な会計検査をやるこ
とを前提とすべきです。そして、それと同時に経営者責任を厳し
く問うべきなのですが、これがキチンと行われていないのです。
 それにしても、この不良債権問題で分かったことは、銀行の経
営者にしかるべき能力を持った人物が少ないということです。不
良債権の処理が遅れている原因のひとつでもあります。
 なぜなら、10年以上もかかって不良債権問題が解決できない
国は日本だけであるからです。それは、日本の銀行の経営者が経
営上真にリスクをとろうとする姿勢に欠けているからです。この
問題については、9日のEJで取り上げる予定です。

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2001年10月09日

●改めて”リスク”について考える(EJ717号)

●改めて”リスク”について考える(EJ第717号)

 これから休日に提供する4本の記事は、2001年10月9日
から10月12日に記述されたものです。9.11直後の記事で
あることを前提に読んでいただければと思います。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 遂に米英軍によるアフガニスタン攻撃が開始されました。この
戦争が世界経済に及ぼす影響ははかり知れないものがあります。
戦争に関連するテーマはいずれ取り上げる予定です。
 1990年代を「失われた10年」といいますが、この10年
の間に、日本が失ったものは実に大きいのです。その中でも一番
失ったものが大きいのは、生保会社も含む金融機関の信頼性では
ないでしょうか。
 なかでも銀行の凋落ぶりはどうでしょう。日本の銀行は欧米の
有力銀行に収益力で大きく水を空けられてしまっています。どう
してこのような大差がついてしまったのでしょうか。
 日本の銀行の凋落は、バブル期に無謀な融資を行い、その結果
生じた巨大な不良債権の処理の稚拙さ――つまり、問題先送りに
大きな原因があることは確かです。
 しかし、その底に潜むもっと根本的な問題があると思います。
それは「リスク」の扱い方が非常に稚拙であることです。それは
単に銀行のみならず、日本経済の背後にある企業や日本人個人の
行動原理に根ざす問題なのです。
 もし、この問題、すなわちリスクの扱い方が稚拙であることが
改善されないならば、たとえ不良債権問題が解決したとしても、
日本経済は永久に欧米の経済を抜くことは困難であるといっても
過言ではないと思います。
 ところで、「リスク」(Risk)ということばの正しい日本語訳
がないことをご存知でしょうか。
 「Risk」ということばを英和辞典で引くと、「危険」と出てい
ます。「危険」というのは、danger、つまり「避けるべきもの」
という意味になります。
 JPモルガン証券会社の岸本達士氏は、真の意味の「リスク」
は、「不確実・不確定であるが、リターンを得るためにはあえて
とらなければならないもの」であるといっています。この概念に
訳語を当てはめることは困難で、あえて訳さずに「リスク」とカ
タカナ表記するしかないのです。
 日本語訳で「リスク」に一番近い訳語は「冒険」ということば
です。しかし、冒険ということばは、「イチかバチか」という意
味になり、一流企業や銀行などの金融機関がとるのをためらう行
動です。要するに、日本にはリスクの概念は存在しないというこ
とになります。
 これは、一般論として、日本の企業家や銀行家には、その経営
に当たって「リスクをとっていない」ということを意味します。
意識して「リスクをとらない」というよりも、とっていないこと
を意識していないのです。
 さて、「リスク」と「リターン」との関係でいえば、この世の
中にあるのは次の2つです。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
      ハイリスク/ハイリターン
      ローリスク/ローリターン
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 「ハイリスク/ハイリターン」の典型は、株式投資です。株式
投資は多くのリスクがある反面、大きなリターンもあるのです。
株式投資で大きなリターンを得るためには、大きなリスクはつき
ものです。「ローリスク/ローリターン」は、国債などのように
リスクが少ないものについてはリターンも低いのです。
 しかし、そういうきわめて常識的なことが日本では必ずしも徹
底していないのです。なぜなら、日本ではリスクに関するきちん
とした教育を行っていないからです。そのため、実際にはあり得
ない「ローリスク/ハイリターン」があると信じて、投資詐欺に
会う人が少なくないのです。
 そのようにリスクについて教育をしていない国で、401Kプ
ランを導入し、自己責任で運用せよといってもうまくいくはずが
ないでしょう。「リスクをとる」ということは、そんなに簡単な
ことではないのです。学校教育において、基礎からリスクの概念
について指導すべきです。
 銀行に当てはめて考えてみます。銀行は今まで土地を担保とし
て融資を行ってきましたが、それは万一貸し倒れになっても土地
を担保にとっているので大丈夫という意識であったからです。し
かし、現状を見ればわかるように、土地を担保にとること自体が
実は巨大なリスクをとっていたのです。しかし、それを意識して
いなかっただけです。
 その意識がないことが問題なのです。そういう意識が巨大な不
良債権を生んだのです。投資には、価格、金利、為替、インフレ
信用、流動性の6つのリスクがあるといわれますが、こういうリ
スクについて学校教育でもきちんと教えておくべきです。
 本来資本主義経済というのは、リスクというものを認識し、そ
ういうリスクをとることによって大きなリターンを得るというこ
とで成り立っているのです。それなのに、リスクについて教育し
ないのは資本主義経済というものがよくわかっていない証拠であ
るといえます。
 欧米の有力金融機関では、個々のビジネス案件を数量化して議
論することが日常行われています。そういう金融機関の経営者は
自分の会社が今日一日でどれだけの損失を蒙る可能性があるかを
数字で把握しています。これを、Earnings-at-Risk と呼んでい
ます。どのようなビジネスの案件でも、つねにリスクとリターン
を熟考して進められるのです。
 企業の経営の内容を分析する経営指標にROEとROAがあり
ますが、これらの指標はどれだけのリスク資本を使ったかが考慮
されていません。
 しかし、トヨタ自動車やソニーなどが、積極的に採用している
EVAは、同じ収益を上げる場合でも、より少ないリスク資本で
上げた収益の貢献度を高く評価する経営指標です。
 銀行だけでなく、積極的にリスクをとろうとしない消極的な経
営者が日本には多くいます。それでは、これからの時代は成功し
ないことを認識すべきです。      −−[リスク/01]
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2001年10月10日

●日本経済には20のリスクがある(EJ第718号)

 先週の話で、Risk=Danger と解釈すると、「リスクは危険な
もの」という意味になり、人間はそれから「反射的に離れる」と
いう行動を起こすものです。
 銀行は、事業主から提示された事業プランがどんなに優れてい
ても担保がないと資金を融資しませんが、それは前向きにリスク
をとろうという姿勢がないことを如実にあらわしています。銀行
のやっていることは、まさに「危険なものから離れる」行動とい
えます。
 日銀から銀行に対しては資金がジャブジャブ流れているのに、
銀行の貸出しが伸びない理由は、銀行が資金を借りようとする企
業から土地などの十分な担保をとろうとするからです。事業プラ
ンよりも担保を重視するわけです。
 融資を受けようとする企業としては、銀行に提供できる担保が
あるくらいなら苦労はしないのです。それなのに、貸し出しが増
えない理由を企業の資金需要がないという一言で片付けられてし
まったのでは、企業としては納得がいかないでしょう。「優れた
事業プランに賭けてみる」というリスクをとろうとはいないわけ
です。ですから、お金はあっても貸し出しは増えないのです。
 EJでリスクの問題を取り上げたところ、今週発売の週刊「東
洋経済」が、『日本経済20のリスク』という緊急特集を組んで
いるのを知りました。
 早速購入して読んでみたところ、この「20のリスク」はこれ
からの経済のトレンドを見るキーワードとして活用できると思う
ので、ご紹介したいと思います。
 リスクを次の3つに分けL、M、Hで表現するとともに、それ
ぞれのリスクに私なりに簡単なコメントをつけておきます。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
   ロー リスク(Low Risk)  ・・・・・・・ L
   ミドルリスク(Middle Risk)・・・・・・・ M
   ハイ リスク(High Risk) ・・・・・・・ H

 T.国際環境リスク
   @世界恐慌 ・・・・・L テロ事件の長期化と世界恐慌
   A原油価格 ・・・・・L 軍事報復の原油価格への影響
   B米国の軍事行動 ・・M 外交によるタリバンの孤立化
   C狙われる大都市 ・・L 反イスラエル/反アラブ主義
   D日本のテロ対策 ・・H テロへの備え弱い日本の都市
 U.金融リスク
   E国債暴落 ・・・・・M 株の暴落より怖い国債の暴落
   F円 急騰 ・・・・・L 1ドル100円の時代がくる
   G銀行倒産 ・・・・・M 株価低迷と不良債権の二重苦
   H生保破綻 ・・・・・M 生保会社のドミノ倒しの恐れ
   I不良債権処理 ・・・M 不良債権処理はうまく行くか
   J連鎖倒産拡大 ・・・H 要注意債権の処理加速⇒倒産
  V.雇用リスク
   K派遣労働化 ・・・・M 規制緩和が進む労働者の派遣
   Lキャリアショック ・H 突然会社が外資系になる恐れ
   M雇用のミスマッチ ・H 需要と供給の間のギャップ大
   N突然の失業 ・・・・H 巨額ローンを抱えたリストラ
   O犯罪の急増 ・・・・M 日本の安全神話は完全に崩壊
  W.将来リスク
   P年金破綻 ・・・・・H 将来の年金給付水準はダウン
   Q医療 ・・・・・・・M 2025年老人医療費56%
   R景気 ・・・・・・・H 戦闘の長期化では景気は失速
   S大幅増税 ・・・・・M 財政赤字の解消に大増税必至
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 9月11日に例のテロ事件が起きてから、米国は非常に印象的
な2つの行動をとっています。
 第1は、9月24日に従来からの懸案であった国連分担金(5
億8200万円)の支払いを米国下院が可決したことです。これ
はアナン国連事務総長が対テロへの取り組みの重要性を訴えた数
時間後に行われたということです。
 第2は、10月1日にラムズフェルド米国防長官が今後4年間
の米国の国防指針「国防計画見直し」を連邦議会に提出している
ことです。今までの「極東と中東の二正面戦略」を見直し、米本
土防衛を最優先にすることにしたのです。
 この米国の「外向き」と「内向き」という方向のまったく異な
る対応は、テロとの戦いを意識したものです。今回の件で本土防
衛の必要性を痛感したことと、水も漏らさぬテロ包囲網を引くに
は、国際機関のネットワークが不可欠であるとの認識に立った処
置であるといえます。
 今までは、米国が世界の警察官であり、世界で何か紛争が起こ
るとすべて米国主導で解決に取り組んできたのです。しかし、米
国にとってそれらは自国に影響はあるものの、所詮は他の国の問
題であったのですが、今回は違います。米国本土が直接攻撃を受
けたのですから、そのショックは大きかったのです。
 現在においても同じことがせいえます。今までは、米国へのヒ
ト、モノ、カネの一極集中が起きており、世界中が米国依存体質
になっているのです。日本などはまさにその典型といえます。
 今回のテロ事件を契機に、米国依存の世界経済の成長、貿易、
人材開発に大きな変化が起きてくるはずです。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
    1985−90 1990−95 1995−2000
 米 国   9.1%    6.6%      6.7%
 日 本   5.8%    3.8%      0.8%
 ドイツ  11.2%    3.4%      0.6%
 英 国   5.4%    1.4%      1.1%
 仏 国   6.5%    1.6%      0.3%
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 これは世界貿易の伸びを示していますが、米国が強力に牽引し
ており、米国に代わる国がないことを示しています。
                   −−[リスク/02]
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2001年10月11日

●世界貿易センタービルは爆破された?(EJ第719号)

 2001年10月8日に米英両国の要請により、国連安全保障
理事会の非公式協議が開かれていますが、この協議に先立ち、米
国のネグロポンテ国連大使はアフガニスタン攻撃の経緯を説明す
る書簡を各国理事に送っています。
 この書簡の中で米国は、攻撃の経緯を述べるとともに次のよう
に書いているのですが、これがにわかに問題化してきています。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 『他の組織や国家に対し、必要があれば、さらなる自衛権行使
に踏み切る可能性もある』。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 これは何をいっているのかというと、「イラクへの攻撃もあり
得る」ことを示唆しているのです。米英軍がアフガン空爆をはじ
めた7日、ネグロポンテ大使はイラクに書簡を送り、「この機に
乗じて行動を起こすな」と牽制し、「もし、警告を無視すればイ
ラクは大きな代償を払うことになる」と伝えたといいます。
 この軍事対象の拡大について、EUをはじめとして各国は反対
を表明していますが、米国はこれにかなりこだわっているように
見えます。要するに、米国はイラクを攻撃対象に含めたいとして
いるのです。
 なぜ、米国はかくも好戦的なのでしょうか。これには理由があ
るのです。米国は、今回のテロ事件にイラクもかかわっていると
みているからです。10月1日発売の『文藝春秋』11月号に掲
載されている立花隆氏のレポート「自爆テロの研究」の一部にそ
のヒントが載っています。
 あの日、9月11日の夜、私はテレビを見ながら12日発信の
EJ700号を書いていたのです。最初に世界貿易センタービル
の北棟に飛行機が突っ込んだというニュースが伝えられ、それを
しばらく見ているうちに南棟にジャンボジェットが激突したわけ
です。そのとき私は飛行機が突っ込んだにしては、ビルは意外と
しっかり立っている、ビルというのは頑丈にできているんだなと
思ったのものです。
 そうしたらしばらくして、南棟、北棟の順に、ビルは崩壊して
しまったのです。ジャンボが飛び込んだ南棟はともかくとして、
それまで、しっかりと立っていた北棟までが南棟に続いて崩れる
のを見て、意外な気持になったことは確かなことです。
 びっくりしたことは、立花氏のレポートを読むと、立花氏も同
じことを考えてテレビを見ていたことがわかったことです。とい
うことは、同じように考えている人は案外多いのではないかと思
います。皆さんはどうでしょうか。
 立花氏は、北棟、南棟崩壊について次のように書いています。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 『「ええっ!」と思わず目を疑い、言葉を失ったのは、やはり
 あのビルが目の前で崩壊していくのを見たときである。特に北
 棟である。南棟のときは、はじめから飛行機の衝突の打撃と火
 災の被害が甚大そうに見えただけに、崩壊までは、予想できな
 かったものの、考えられないことが起きたとは思わなかった。
 しかし、北棟は、飛行機の衝突などものともせず、衝突後も立
 派に立ちつづけていたのです。崩壊をはじめた瞬間、「エッ、
 ウソ」と思わず頭の中でつぶやいた』。(『文藝春秋』11月
 号、立花隆氏のレポート「自爆テロの研究」より)。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 新聞などに書かれているビル崩壊の原因はこうです。あのビル
には中央部に頑丈な鉄骨構造がなく、ビルの外周をまるで鳥籠の
ように鉄骨が取り囲んでおり、その鉄骨に床が支えられている構
造になっています。
 飛行機が飛び込んだことによって火災が発生し、その熱で床を
支える鉄骨が溶け、床が次々と落下したというのです。そのうち
どこかで落ちてくる床を支えきれなくなり、ビル全体が崩落した
というが専門家の説明です。
 しかし、北棟は衝突後1時間45分、南棟は衝突後1時間とい
う長時間立っていたのです。そのビルをわれわれはリアルタイム
にテレビで見ているのですが、その間、ビルの外周の中で、上か
ら順に床が下へ落ちていたとはとても思えないのです。
 要するに立花氏は、ビルは爆破されたのではないか、といって
いるのです。ビルが崩壊する直前に、ニューヨーク証券取引所の
中でCNBC(経済情報の専門局)の女性レポーターが本日の取
引が中止になったことを報告していたのですが、彼女は、「第3
の爆発」ということばを口にしているのです。
 つまり、北棟への飛行機の衝突が第1の爆発、南棟へのジャン
ボの衝突が第2の爆発、そのあと第3の爆発があってビルが崩壊
したというのです。
 確かにビルの崩れ方は、よく行われる不要ビルの爆破のように
上からずるずると崩れていったのです。爆破されたと考えても不
思議はないと思います。
 それでは一体誰がやったのでしょうか。
 これに関して、立花氏は次のように述べています。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 『よく知られているように、貿易センタービルは、93年にも
 イスラム過激派による爆弾テロを受けている。この事件の背景
 にもビン・ラディンがいたと疑われているが、実行犯グループ
 は、エジプト人、パレスチナ人などからなるグループ、逮捕さ
 れた6人はいずれも各懲役240年の刑に処された。首謀者の
 ラムジ・ユーセフはイラクから送り込まれたエージェントであ
 り、このテロはイラク政府の支援を受けた国家支援テロという
 のが、アメリカの治安当局者の見方である』。(前掲誌より)
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 つまり、ハイジャック機による自爆グループとは別にビル爆破
グループがいて、同時多発に爆破を敢行したのではないかと治安
当局は考えており、それにイラクが関与していると見ているので
す。爆弾は地下に仕掛けられていたと考えられますが、それは、
すべての瓦礫を片付けてみればわかることです。
                   −−[リスク/03]
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2001年10月12日

●米英軍は果たして泥沼にはまるか(EJ第720号)

 今朝も米同時多発テロの話です。崩壊した世界貿易センタービ
ルは爆破されたのではないかという立花説をもう少しフォローし
てみたいと思います。
 ビルの上層部分に大型航空機が激突すると、さぞかしビル全体
にもの凄い激震が広がったのではないかと考えますが、実は飛行
機衝突時にビルが受けた衝撃は、地震に換算して北棟については
M1.0、南棟はM0.9でしかないそうです。
 信じられない数値ですが、地震としてはとるに足りないレベル
なのです。事実ビルはゆうに1時間以上立っていたのです。その
間にビルの中にいた多くの人たちは非常階段を降りて地上に出よ
うとしていたわけです。
 そのときに、専門家のいうように上の方から床が次々と下に落
ちていたとは到底考えられないのです。ビルに飛行機が激突した
あと、ニューヨークの大勢の消防夫が救出のためにビルの下に集
結したのも、ビルが崩壊するという二時災害は起こらないという
判断があったからに違いないのです。
 しかし、そこに信じられないビルの崩壊が起こり、多くの消防
夫が命を落とすことになったのです。もし、次々と床が落ちると
いう現象が起こっていれば、おそらくもの凄い音がしたはずであ
り、ビルの近くにいた人は本能的に危険を感じとったはずです。
まして、危険な現場には慣れていたはずのベテランの消防夫たち
なのですからなおさらのことです。
 1993年に起こったイスラム過激派による世界貿易センター
ビルの爆破事件では、彼らは重量約700キロという大型爆弾を
レンタカーのバンに積んで、ビルの地下2Fの駐車場に置き、約
20センチの導火線に火をつけて、別の車で逃走したといわれて
います。
 しかし、車の置く位置を誤ったため、爆弾は床に5メートル近
い穴を空け、上下5フロアに影響を与えたものの、死者6人、負
傷者1000人という程度の被害で済んだのです。
 この時の犯人は全員が逮捕されたわけではなく、そういうグル
ープが、今回の飛行機テロのグループと呼応してビルの爆破を企
てたのではないかと立花氏は推理しているのです。
 この事件のあと、記者会見が行われたのですが、この事件の背
後にイラクの存在は考えられないかと問う記者団に対し、FBI
の高官は「その可能性は否定しない」と答えているのです。実際
問題として、これ以外にトンネル爆破計画や橋爆破計画などがプ
ランニングの段階で摘発されているのですが、いずれもイラクの
関与が取り沙汰されていたからです。
 もし、ビルが爆破されたと仮定すると、やはり爆弾は同じ地下
駐車場に置かれたものと推測されます。一度ならずして二度まで
も駐車場に爆弾を積んだ車を置けるのかという疑問もありますが
あれほど厳重に警戒しているはずの飛行機のハイジャックが、い
とも簡単に成功したように、不可能とは思えないのです。8年も
経てばどうしても緊張が緩んでくるものです。瓦礫の撤去が終っ
て仮に爆破であったことがわかったとき、米国がどう出るか注目
されます。立花氏は五分五分であるといっています。
 さて、アフガン情勢ですが、依然として米英両軍による空爆が
続いています。また、地上軍の投入も近いといわれています。何
やら急ぎ過ぎの観があるような気もします。
 どうしてかというと、来月の16日頃から、ラマダン(断食)
が始まり、冬に突入するからです。ブッシュ大統領は「長期戦に
なる」といっていますが、何らかの成算で、ラマダンまでにケリ
をつけることを考えているのではないかと思われます。
 米国が今熱くなっているのは、米国という国がその本土をほと
んど攻撃されたことがない国だからです。今まで米国にとって最
大の戦争は内戦である南北戦争です。というのは、この戦争では
70万人の死者を出し、アトランタのほか南部の主要都市が灰燼
に帰したのですが、これ以上の被害を米国は、第1次大戦、第2
次大戦、ベトナム戦争でも出していないからです。
 唯一米国の中心部が攻撃されたのは、19世紀初頭の英国軍に
よるホワイハウス焼き討ちと真珠湾攻撃だけなのです。しかし、
今回はある意味で米国繁栄の象徴であるマンハッタン島の世界貿
易センタービルと国防のかなめであるはずのペンタゴンの両方が
破壊されたのですから、そこに米国の“滅び”を見た人も少なく
なかったと思います。米国民の頭に血が昇って当然といえます。
 ところで、特殊部隊が既にアフガンに侵入しているというウワ
サがよく聞かれますが、本当に大丈夫なのでしょうか。中西輝政
氏の情報ですが、湾岸戦争のときも空爆前に英国の特殊部隊SA
Sがバクダットの近くまで侵入しているのですが、そのときの部
隊の損耗率は非常に高く、3分の1は戦死、3分の1は捕虜、残
りの3分の1は、やっとシリア国境に逃れたというさんざんの結
果だったのです。
 軍事評論家に共通している意見は、米軍がアフガンの山岳地帯
に入り込むと、旧ソ連軍を打ち負かした屈強なムジャヒディンと
戦うことになり、ベトナム戦争のような泥沼にはまるというもの
です。ムジャヒディンは、イスラムゲリラのことです。
 しかし、これに対して真っ向から反対する意見を述べる人もい
ます。ジャーナリストの恵谷治氏がその一人です。恵谷氏による
と、ソ連軍侵攻当時と比較して、国際世論、米軍の士気、高性能
ハイテク兵器などが決定的に違うというのです。したがって、米
英両軍が軍事力でタリバン政権を打倒することはさほど難しくな
いと恵谷氏はいっているのです。
 米国は英国と共に外交交渉を巧みに行い、タリバン政権の孤立
化に一応成功しています。しかし、一番の問題は、頼りにしてい
たパキスタンが今ひとつ煮え切らないことです。そのため米英両
軍は大幅な戦略見直しをせざるを得なかったのです。
 インドの有力英字紙の「タイムズ・オブ・インディア」による
と、パキスタン国防省統合情報局のマムード前長官が同時多発テ
ロ事件のハイジャック容疑者に資金提供をしていたという事実を
明らかにしています。パキスタンは敵なのでしょうか。
                   −−[リスク/04]
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2001年10月15日

●思春期前の子どもを主人公とする映画(EJ第721号)

 先週のことですが、時間を作って「千と千尋の神隠し」を見に
行きました。1996年の「もののけ姫」に続く宮崎駿監督のア
ニメーション映画です。EJの読者の中には、まだご覧になって
いない方も多いと思いますが、何回かこの作品について考えてみ
たいと思います。この映画はお勧めです。
 この映画の主人公である「千尋」は10歳の女の子です。この
主人公のキャラクタは、今までの宮崎作品とは大きく異なってい
ます。「もののけ姫」のサン、「風の谷のナウシカ」のナウシカ
「天空の城ラピュータ」のシータ――いずれもひたむきで前向き
であり、大きく澄んだ瞳を持つ美しい強い心を持つ人たちばかり
なのです。
 それに対して「千と千尋の神隠し」の主人公の千尋は、とりた
ててかわいいわけでもなく、どこにでもいるような普通の女の子
であり、今までの宮崎作品の主人公とは大きく異なるのです。
 それは、冒頭のシーンで車(アウディ)に乗っている千尋の姿
を見れば一目瞭然です。やる気がなさそうに学友からお別れにも
らった花束をかかえてゴロンと横になり、不満げな表情をうかべ
ている――そんな感じの女の子なのです。
 千尋はセロファンに包まれたスイートピーの花束がズリ落ちる
と、自分の靴先を見つめ、「初めてもらった花束がお別れじゃさ
びしい」と嘆くようにつぶやくのです。宮崎監督は、この千尋を
現代っ子の象徴としてとらえているのです。
 車には、千尋の他に車を運転する父親と助手席には母親が乗っ
ています。現代日本の典型的な家族であり、サラリーマンの父親
は、リストラにあって田舎の勤務地に一家揃って引っ越しする途
中なのです。
 この10歳の女の子を主人公とする設定について宮崎監督は、
あえて思春期前の子どもを何とか取り上げたかったといっている
のです。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 『思春期のように、自分が自分をコントロールできない不安定
 な時期のことというのは、みんな覚えているし、僕も覚えてい
 るから、そういう時期の映画は作ることができるのです。でも
 思春期前になると、みんなあまり覚えていないのですよ。
  ただその時期の子どもを見ていると、ずいぶん律儀なんです
 よ。お父さんとお母さんをちゃんと大事だと思っているし、だ
 から問題に取り上げられることも少ない時期なんだけども、非
 常に大事で不安定な時期でもあることがわかるんですね』。
 (宮崎駿監督のことばより)
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 この映画を見て、感じたことは、これは宮崎風の「不思議な国
のアリス」の日本版だということです。私は、学生時代に「不思
議な国のアリス」に凝っていて、ずいぶん研究したものです。も
ちろん映画も見ました。
 アリスは、懐中時計を持ってぶつぶつ喋る変なうさぎを追って
異世界に入って行くのですが、「千と千尋の神隠し」は、引っ越
しの途中で道に迷い、好奇心が強い両親に引きずられて異世界に
入っていくのです。
 宮崎監督は、当初、神様たちが通る山道に造成業者が家を建て
そこに千尋たち一家が引っ越してきたことでいろいろあって、結
果的に異世界に入り込むという、非常に現代的な展開を考えてい
たといっています。
 さて、現代っ子の象徴である千尋は、両親が無鉄砲にも気味の
悪い森の中のトンネルをくぐりぬけようといるのを必死になって
とめようとします。もともと千尋は何かというと、「気味がわる
いよ」「やめようよ」「よそうよ」という積極性のない子なので
両親の行動にブレーキをかけようとします。
 「トンネルを抜けると、そこは不思議な町でした」というのが
映画の宣伝コピーですが、まさにそのコピーの通り、そこは奇妙
な町だったのです。忘れられた駅舎のような建物があって、そこ
からかすかに電車の音が聞こえるのです。その建物を抜けると、
夏草に蔽われている空間にまるで漂流物のように建物群があるの
が見えます。
 そしてどこからともなく食べ物の匂いが運ばれてくるので、両
親はそれに誘われてどんどん歩いていきます。そして、食べ物屋
の屋台を見つけます。奇妙なことに、屋台のカウンターには大皿
に料理が盛られていたのですが、店にはだれにもいないのです。
 両親は屋台に入り、料理を食べはじめます。千尋も誘われます
が、彼女は恐れて店に入らず、両親を必死になって止めようしま
すが、両親は何かに憑かれたように食べ物を口に入れます。
 千尋は仕方がないので、一人で石段を登ると、眼前に「油屋」
と書かれた巨大な銭湯のような建物があらわれます。手前の橋を
渡ろうとすると、そこに12歳くらいの美少年があらわれます。
これが「ハク」です。
 「ここに来てはいけない。すぐ戻れ!じきに夜になる」とハク
が叫びます。あわてて千尋は戻ろうとするのですが、周囲は急速
に黄昏ていきます。来た道の飲食店街には一斉に灯がともり、怪
しげな影が行き来しています。しかし、両親はまだ食べ続けてい
るのですが、近づくと何とブタに姿を変えられています。
 悲鳴をあげて千尋は来た道を戻ろうとすると、来るときはなか
った川が行く手をはばんでいます。思わずうずくまってしまう千
尋――「ここは夢だ。みんな消えろ!」とうめくのですが、何と
自分の手足が透明になっていくのです。
 ここから千尋にいろいろな恐怖が襲うのですが、この最初のシ
ーン――映画は実によくできていると思います。千尋の心細さが
観客によく伝わってきます。大人が見ても身を乗り出して見てし
まいます。このテーマは明日も続きます。
−− [千と千尋/01]

千と千尋@

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2001年10月16日

●千の働く油屋は昭和初期の疑洋風(EJ第722号)

 毎日の新聞、テレビ報道は、テロ、報復、不況、それに狂牛病
などなど、暗いニュースばかりです。こういうときには、「千と
千尋の神隠し」のようなメルヘンチックな映画の話題もいいと思
います。今週はこの話を中心に話を展開する予定です。まだ、映
画をご覧になっていない方はぜひご覧になってください。シニア
の方は子供料金で見ることができます。
 現代っ子である10歳の女の子が、異世界に迷い込んで決定的
に厳しい状況に置かれたときどのように行動するか――そういう
シミュレーションをやったのが、宮崎駿監督の「千と千尋の神隠
し」だと思います。
 両親をブタに変えられ、自分の身体が透明になって消えかかる
瞬間、ハクがくれた丸薬を飲んで元の身体に戻った千尋。ハクは
「両親を元に戻す方法がわかるまで湯屋『油屋』で働くのだ」と
親切にアドバイスしてくれます。この町では仕事を持たないと、
動物に変えられてしまうのです。
 油屋は、八百万(やおよろず)の神々が疲れを癒すためにやっ
てくる温泉なのです。その油屋を仕切っているのが「湯婆婆(ユ
バーバ)」という魔法使いなのですが、油屋で働くためには、そ
の湯婆婆と契約をしなければならないのです。湯婆婆は恐ろしい
魔法使いであり、彼女に逆らうと、この世界では生きていけない
のです。
 つまり、この世界では、自分の発することばには取り返しのつ
かない重みがあるのです。たとえ10歳の女の子といえども生き
るために自ら働かなければならないし、自分のことばに責任を負
わなければないないのです。それに「いやだ」とか「帰りたい」
などと一言でもいうと、湯婆婆によってニワトリに変えられてし
まうのです。
 現代では、ことばは限りなく軽く、どうとでもいえるあぶくの
ようなものと受けとられているといえますが、それは現実がうつ
ろになっている反映であるといえます。これは、宮崎監督の発す
るメッセージなのです。
 結局、千尋は、ハクが紹介してくれた油屋のボイラーマン、6
本腕の「釜爺」の協力を得て、湯婆婆と契約を結び、油屋で働く
ことになるのです。しかし、千尋は湯婆婆によって「千尋」とい
う名前を奪われ「千」という名前を与えられます。
 自分の名前を奪われるということは、相手から完全に支配され
ることを意味します。千尋はそういう状況において「千尋」とい
う名前を忘れていく自分に気が付いてぞっとします。ハクは自ら
魔法使いになることを志願して湯婆婆に弟子入りしたのですが、
自分の本当の名前を忘れてしまって元の世界に戻れなくなってし
まったのです。
 さて、この映画の舞台装置である油屋について少し考察してみ
ることにします。この油屋は昭和初期によく見られた「擬洋風」
の建物になっています。宮崎監督は、江戸東京建物園(東京都小
金井市)に行って自らデッサンしているのです。
油屋は、銭湯と温泉宿とを合体させたようなものと考えればい
いと思いますが、内部がとても変わっています。正面玄関には、
こけおどしの湯の滝があり、一歩内部に入ると、浴室場の上部が
天井まで吹き抜けになっています。周囲に回廊が取り巻き、その
外側に宴会場や客室が配置されており、エレベータで上下すると
いう作りになっているのです。
 油屋に関する宮崎監督が書いたコンテを見ると、湯婆婆の部屋
については、「日本風俗悪の頂点、豪華絢爛様式、ゴタマゼ成金
東アジア形」とあり、正面玄関の滝については「目黒ガジョエン
と並ぶ俗悪さ」とあります。それに、神々を乗せるフェリーは、
ギンギンに輝く絢爛豪華たる屋形船ときているのです。
 私は、この映画を見る少し前にテレビで「吉原炎上」という映
画を見たのですが、油屋はその吉原の建物と内部が大変よく似て
いると思うのです。要するに、一度見たら二度と忘れられない悪
趣味でギンギンの絢爛豪華な建物をあえて描いているのです。
 さて、この不思議な建物、油屋で働くことになった千尋、すな
わち千は、キリリとタスキがけをして姉さん格のリンと一緒に、
浴室でいきいきと働くのです。両親と一緒のときのようなブチャ
ムクレの表情は一変し、時おりハッとするような非常に魅力的な
表情を見せるようになるのです。自立して、自分の行動に責任を
持つようになると、人間は変貌することを教えているのです。
 さて、千とのかかわりを持つ登場人物で忘れられないキャラク
タを持つ者が「釜爺」と呼ばれるボイラーマンです。釜爺は菅原
文太が音声を担当しているのですが、彼は蜘蛛を思わせる伸縮自
在の手足を使って、まさに獅子奮迅の仕事ぶりです。
 彼はガラスの広口のビンのフタを開け、中から木の根のような
生薬を出し、これを挽きながらレバーに手を伸ばして動かし、そ
の内にもう一本の腕でハンドルを回転させ、さらにもう一本の腕
で、お札(各浴室から指示がくる)を上げたヒモをぐいっと引き
木槌でススワタリ(ススの精)に号令を出して石炭を火に入れさ
せ、そして時折ヤカンの水を呑むという働きをするのです。
この「釜爺」と小泉内閣の塩川財務相の愛称「塩爺」とは何か
関係があると思います。というのは、このニックネームが若い人
の間で自然にいわれるようになったからです。
 釜爺の音声を担当した菅原文太さんは、釜爺について次のよう
にいっています。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 『釜爺というのは俺向きの役だったしね。宮崎さんはきっと今
の日本の人々と対比して、古い昔の日本人というほど古くない
 かも知れないけれど、ただ何も厭わずに働いているお人好しの
 日本人を釜爺という人物に置き換えたんじゃないのかな』。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 釜爺を見ていると、本当に菅原文太さんのいう通りであると思
います。千尋が現代っ子の代表なら、確かに釜爺は現在日本のシ
ニアの人たちを指していると思います。
                  −− [千と千尋/02]

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2001年10月17日

●みんなの中にカオナシはいる(EJ第723号)

 「千と千尋の神隠し」には、不思議なキャラクタが多く登場し
ます。とくに油屋にやってくる神々が実にユニークです。春日さ
ま、オオトリさま、おしらさま、オクサレさま、牛鬼、おなまさ
ま・・・などなど。千とはとくに、おしらさまとオクサレさまが
かかわっています。
 断っておきたいのは、ここで神といっているのは、西洋におけ
る「GOD」のことでも、イスラム教における「アッラー」のこ
とでもなく、日本人がいうところの八百万の神であることです。
 古来より、日本に住む人々は自然界に存在するありとあらゆる
ものには神が宿ると考え、自然の要素は、すなわち神の分身であ
るとも考えてきたのです。
 日本人なら、あの山の中に山の神が鎮っているのだといわれれ
ば、ほとんど抵抗なく同意することが出来ますし、この森の中に
は森の神が鎮っているのだといわれても、あるいはこの樹木の中
には樹の神が鎮っているのだと言われても同様です。日本人は自
然の恵みを神の恵みと考え、八百万の神々と共存しながら暮らし
ていたのです。すなわち、私たちにとって、神とはかくも身近な
存在であったわけです。これが神道の考え方です。
 例えば、映画に出てくるかわいらしいヒヨコの格好をしている
オオトリさまは食べられてしまったヒヨコの霊ですし、ヘドロを
まとって異臭を放つオクサレさまは河の霊なのです。したがって
神々というよりも「霊」という字をあて「神」と読ませるべきか
も知れないのです。
 さて、千尋が契約のために湯婆婆に会いに行くときに、大根の
神様であるおしらさまと遭遇します。赤フン姿のおしらさまと油
屋のエレベータに乗り合わせて窮屈そうにしている千尋の姿が、
なかなかかわいいです。
 千になってからの最初の仕事の相手は、全身がヘドロの塊のよ
うになっていて、すさまじい臭気を放つオクサレさまだったので
す。その正体は翁の面の顔に百蛇の胴体を持つ高名な河の神様な
のです。宮崎監督は河が産業廃棄物で汚染されていることをこう
いうかたちで訴えているのです。
 千はリンに手伝ってもってオクサレさまをやっとの思いで薬湯
につけることに成功します。そして、オクサレさまに刺さってい
るとトゲにロープを巻いて引き抜くと、自転車やら建材やら、何
かの残骸が飛び出し、液体が一斉に噴出します。
 最後には巨大な翁の面が浮かび上がって空中に止まり、ヒモで
吊ったアゴがかすかに動いて「よきかな」といって空中高く舞い
上がり消えていくのです。そのあとには、団子状の黒い塊が残る
のですが、これが「河の神様がくれたお団子」で、あとでハクを
救うときに役に立つのです。
 これらの神々以上に、千にかかわりを持つ登場人物に「カオナ
シ」がいます。カオナシは、油屋のある世界とは別な世界からき
たといわれる謎の男です。自分というものを持たず、自分からは
「アーウー」としか喋れず、呑み込んだ相手の声を借りてしかコ
ミュニケーションのとれない男として描かれています。宮崎監督
は、カオナシを現代の若者に見立てているのです。
 宮崎監督は、カオナシを当初は橋のたもとにただ立っているだ
けのキャラとして位置づけていたのです。しかし、繰り返し映像
を見るにつけ、妙に存在感のあるヤツだということがわかってき
て、監督は考え方を改めます。「そうだ、カオナシを千のストー
カーとして使おう」と考えたわけです。
 油屋の最初の部分で、千が縁側から水を捨てようとすると、暗
闇の中にカオナシが立っていることに気がつきます。千は「そこ
寒いでしょう。ここ開けときますから」といって、オカナシを油
屋の中に入れてしまうのです。これがあとで、大きな騒動の原因
になってしまうのです。要するに、宮崎監督は、カオナシを劇の
後半部分で、千にからむ重要なキャラとして使うことにしたので
す。結果としてこれは大きな成果をあげていると思います。
 カオナシは、神ではないのに油屋の客人になりすまし、従業員
達に砂金をばらまき、支配しようとします。そして、何とか千の
歓心を買おうとするのです。しかし、千に「わたしの欲しいもの
はあなたには絶対に出せない」と断言され、キレて油屋の中で暴
れ回ります。
 宮崎監督は「みんなの中にカオナシはいる」といいます。確か
にそういう性向を人間は持っていると思います。ところで、宮崎
監督が作詞したカオナシの歌『さみしい さみしい』をご存知で
しょうか。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 『さみしい さみしい 僕ひとりぼっち
  ねぇ 振り向いて こっち向いて
  食べたい 食べたい 君 たべちゃいたいの
  君、かわいいね
  きっと寂しくなんかならなすんだね』
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 さて、油屋を支配している湯婆婆ですが、彼女には双子の姉が
います。その名前は「銭婆(ゼニーバ)」といいます。その銭婆
が途中から登場するからきわめてわかりにくくなります。銭婆は
竜の化身であるハクが、湯婆婆の命令で私から大事なハンコを盗
み出したことを千に伝えます。そのハクは竜の姿になって瀕死の
状態で横たわっているのです。「何とかハクを救わなければ・」
と考えた千は、竜の姿をしているハクを釜爺のところまで連れて
いきます。そして、千は、河の神様がくれたお団子をハクに飲ま
すと、ハクは銭婆のハンコを吐き出します。
 ところで、湯婆婆がハクに盗ませたハンコは油屋の労働協約の
改正にからむもので、これによって湯婆婆は油屋の従業員を奴隷
にできるのです。あとでそのことを知ったハクは「そんなこと飛
んでもない」と盗んだハンコを飲み込む――そのようにコンテに
は書いてあるのですが、この分はすべてカットされたので、その
いきさつはわからなくなっています。
                  −− [千と千尋/03]

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2001年10月18日

●明治と平成/おしんと千尋(EJ第724号)

 千尋と等身大の少女が主人公の作品といえば、1983年に放
映されたNHKの連続テレビ小説「おしん」があります。その放
映開始以来、たちまち絶大な人気を獲得し、平均52.6%、最
大62.9%という驚異的な視聴率をあげ、社会現象にまでなっ
た作品です。いわば「おしん」は、日本全体が貧しかった明治と
いう時代背景を映し出す鏡であったといえます。
 これに対して、豊かさに囲まれ、豊かさを当然のものとして暮
らす「千尋」は、そのまま平成という時代背景を映し出す鏡とい
うことになります。つまり、少女時代の「おしん」が日本の貧し
かった時代の申し子であるならば、「千尋」は日本が豊かになり
きった時代の申し子と呼ぶにふさわしいといえます。
 日本はわずか1世紀余という短い期間で世界屈指の豊かな国に
成り上がったといえます。そして、ほんの100年で日本の少女
は「おしん」から「千尋」になってしまったことになります。
 宮崎監督がこの作品を作るとき「おしん」が念頭にあったかど
うかは知るよしもありませんが、監督は10歳の子どもが働かな
ければ生きていけないという、現代日本では考えられない状況を
あえて設定することによって、この平成の世に「おしん」を復活
させたと考えることができます。
 それはさておき、千との愛を実らせる美少年ハクについて少し
書くことにします。ハクはこの不思議な国で千尋を何かと助ける
守護神の役割をします。しかし、ハクは湯婆婆の命令で銭婆から
ハンコを盗み出したことによって、銭婆から人型をした紙の飛行
機の攻撃を受け重傷を負うのです。
 ハクはもともと川に棲む竜の神様であり、かつて幼い千尋が川
に転落したとき優しく助けたことがあるのです。だから、ハクは
千尋が油屋の前にあらわれたときすぐ千尋がわかったし、以後何
かと千尋を助けてきたのです。千尋が溺れそうになった川は「琥
珀川」といい、千尋がそれを思い出してハクに告げたときハクは
自分の名前を思い出すのです。
 琥珀川は、バブル景気に踊らされた20世紀末、マンション建
築のために埋め立てられてしまい、居場所を失ったハクは流れに
流れた末、湯婆婆のもとで働くようになったのではないかと推測
されるのです。
 千はハクが吐き出したハンコを持って銭婆のところに行く決意
をします。銭婆の館は2両編成の電車に乗っていくと便利なのだ
そうです。この電車は何となく世田谷線に似ているのですが、水
の中のレールの上を走るのです。しかし、電車は行きっぱなしで
帰りの電車がないという奇妙な電車です。
 「帰りは線路を伝わって帰ってくるから・・」という千の決意
の固さに釜爺は、40年前の使い残りの電車の切符を出してくれ
ます。この電車のシーンは、映画のCMでも放送されており、映
画を見ていない人もテレビで見たことがあると思いますが、千の
横にカオナシもまるで幽霊のように乗っているのです。
 電車には不気味な影の乗客たちが乗ったり降りたりします。し
かし、目的の「沼の底」駅に着く頃は、辺りは真っ暗になってい
たのです。しかし、この電車のシーン、とても印象に残る幻想的
なシーンです。
 ハンコを銭婆に返したとき、彼女はこういいます。「一度あっ
たことは忘れないものさ。思い出せないだけで」――そのことば
の通り千はハクの名前が「コハクガワ」であることを思い出すの
です。これでハクにかけられていた魔法が解けるのです。
 ここまで書いたのですから、湯婆婆についてもふれておくべき
でしょう。湯婆婆と銭婆の声は夏木マリさんが担当しています。
夏木マリさんにいわせると、湯婆婆と銭婆はまさに動と静だとい
うのです。湯婆婆はアグレッシブに生きていく女であり、銭婆は
ちょっとミステリアスな感じ――そこを演じ分けたつもりだと自
信をのぞかせていますが、まさに当たり役であり、顔まで似てい
ると思うのです。
 いつも自分が生きている今を芝居で演じていきたいと思って仕
事をしていますが、湯婆婆はまさにその時代を一生懸命生きてい
る女――だからとてもカッコいい女性だなって思うと、夏木マリ
さんはいうのです。確かにアグレッシブ過ぎて世間的には悪い人
だと思われてしまうのでしょう。
 結果的には、湯婆婆の決断で千は油屋で働くことができたので
すし、銭婆のおかげでハクも救うことができたのです。それに、
千は最後に自分の名前を取り戻し、両親も救うことができたので
す。湯婆婆は多くのブタの中から両親を探し出せば、魔法を解い
てやると千尋にいうのですが、彼女は「この中にはいない」と断
言します。そしてそれは正解だったのです。
 どうして千尋にそれがわかったのかは一向にはっきりしていな
いのです。そんなことはどうでもいいのでしょう。宮崎作品には
そういうことはたくさんあるからです。
 映画の最後に千尋が人間に戻った父母と合流したとき、父母が
ブタになっていたことを覚えていないのはよくわかるのですが、
千尋自身もこの不思議な町での特異な体験を忘れてしまったので
はないかと思うのです。
 それは異世界で貴重な体験を積んだ彼女が現実の世界でも一段
とたくましくなったようには見えないからです。トンネルをくぐ
って元の世界に戻るとき、千尋は、母親にぴったりついて母親に
「そんなにくっつかないでよ。歩きにくいわ」といわれる情景は
前の千尋に戻ってしまったように見えるからです。もっともたと
えたくましくなったとはいえ10歳の子どもですから、母親に甘
えたくなったということもあるでしょう。
 宮崎監督によれば、油屋で働く千尋は「生きる力」が呼び覚ま
されただけであって、人間的に成長した訳ではないといっていま
す。そういう状況に置かれたからこそ「生きる力」を発揮したの
であって、状況が変われば元に戻るのです。しかし、現代っ子で
もそういう力を持っていることが証明されたわけです。宮崎監督
はそれをいいたかったのだと思います。
                  −− [千と千尋/04]

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2001年10月19日

●印象深い主題曲『いつも何度でも』(EJ第725号)

 「千と千尋の神隠し」をテーマとするEJを、遂に1週間(5
回)連続でお届けしました。「たかが漫画映画を1週間も取り上
げるとは・・」とお思いの読者もおられるかもしれませんが、こ
れは私にとって1つの挑戦だったのです。情報の少ないテーマを
1週間続けられるかどうかという・・挑戦です。
 というのは、宮崎駿の映画論に関する著作はきわめて豊富なの
ですが、それは宮崎監督の過去の作品についてであって、「千と
千尋の神隠し」については情報が少ないからです。なにしろ現在
上映中の作品だからです。既にこの映画を見られた何人もの読者
の方から感想や情報が寄せられており、感謝しております。
 さて、この映画の試写会のときの話です。試写会には千尋と同
年輩の女の子がたくさん来ていたのです。その中のひとりの女の
子にテレビ局のレポーターが感想を聞くと、「面白かったけど、
もの足りなかった!」といったというのです。
 その理由をそのレポーターは女の子から聞いて、次のようにレ
ポートしています。少し長いけれどご紹介しましょう。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
『 総合すると、おそらくは「映画館でただ座っているだけの自
分」がもどかしかったために「もの足りなさ」を感じたのであ
ろうと推察される。表現を変えれば、スクリーン上の千尋に完
全に感情移入し切っていて、「千尋と同じような経験が出来な
い自分」がもどかしかったために「もの足りなさ」を感じたの
であろうと思われる。
千尋が息を止めて橋を渡り始めた時、女の子も思わず息を止
めた。千尋が階段から足を滑らせてしまった時、思わず座席か
ら転げ落ちそうになった。千尋が重たい石炭を持ち上げようと
した時、思わず腕にぐっと力を込めた。ボイラーの中から火花
が飛んでくると、思わず顔をそむけてしまった・・・。
このようにして、女の子は千尋が感じたように自分も感じよ
うとしていたのだ。
だが、それにも限度がある。息を止めたり腕に力を込めたり
するくらいなら出来たとしても、お湯の温かさを感じることは
出来ないし、強烈な臭いを感じることも出来ない。仕事をやっ
たという充実感をかみしめることも出来ない。飛翔して風を肌
で感じることも出来ないし、水に潜った感触を確かめることも
出来ない。座席にじっと座っている限りそうした経験を肌身で
感じることは出来ない。「もの足りなさ」の正体はこれだ』。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 「映画を見ているだけではもの足りない。自分も千尋のように
何かをしてみたい!」というのがその女の子の感想だったとした
ら、それはまさにその女の子の中に眠っていた「生きる力」の衝
動のようなものが目覚めたことの証明であるといえます。
 宮崎監督がこの映画を通じて伝えたかったことは、誰もが持っ
ている「生きる力」を感じ取って欲しいということであったはず
であり、そうであるとすればこの女の子の感想はその狙いが達成
されているといってよいと思います。
 「千と千尋の神隠し」シリーズの最後に、どうしてもふれなけ
ればならないのが、この映画の主題歌『いつも何度でも』です。
宮崎作品の音楽は「風の谷のナウシカ」以来ずっと久石 譲氏が
担当しているのですが、この曲は宮崎作品のファン、木村弓さん
からの提供曲なのです。
 木村弓さんは竪琴ライヤーの独自の弾き語りを得意とする音楽
家ですが、宮崎作品のファンであり、どうしても作品に参加した
いという思いで、自分のCDを添えて、宮崎監督に手紙を書いた
そうです。
 そうしたら監督から返事がきて、現在「煙突描きのリン」とい
う企画を進めているので、その作品が形になるときがきたら連絡
するかもしれません」ということだったのです。そこで、木村さ
んは「リン」をイメージして作曲し、宮崎監督に送ったのですが
その時点で「リン」の企画が中止になったことを知ったのです。
 しかし、宮崎監督はこの曲を聴いて「千と千尋」の企画を思い
ついたといっており、シナリオづくりの最中、監督はこの曲をか
けて聴いていたといわれます。
 木村弓さんによると、急にメロディが浮かんできて繰り返し出
てくるので、それを楽譜に書き留めておいたそうです。そして歌
詞を考えたのですが、「呼んでいる 胸のどこか奥で いつも心
踊る 夢を見たい」という部分はすぐできたものの、あとが続か
ないので、友人の覚和歌子さんに相談したのです。覚さんは木村
さんからメロデイを鼻歌で聴かされて素直によい曲だと思い、あ
とは淀みなく歌詞が出てきたといっています。全部はご紹介する
スペースがないので、後半の一部をご紹介します。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
      さよならのときの 静かな胸
      ゼロになるからだが 耳をすませる
      生きている不思議 死んでいく不思議
      花も風も街も みんな同じ

      海の彼方にはもう探さない
      輝くものは いつもここに
      わたしのなかに 見つけられたから
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 21日午前9時からテレビ朝日で放送される「題名のない音楽
会」で「宮崎駿映画音楽スペシャル」が放送されます。そのとき
木村弓さんも出演されるので、見ていただきたいと思います。ま
た、同じ日の午後7時58分から日本テレビ「特命リサーチ20
00X」で、「宮崎アニメの秘密」が放送されます。
 「千と千尋の神隠し」をテーマに1週間書いてきましたが、ま
だ、この映画をご覧になっていない方は、ぜひご覧になっていた
だきたいと思います。きっと心が洗われると思います。私ももう
一回観たいと思っています。     −− [千と千尋/05]

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2001年10月22日

生保契約の解約権をめぐる最高裁判決(EJ726号)

 今朝は生命保険についての話です。昔から生命保険の死亡保険
金は、指定受取人の固有財産であるということに相場が決まって
いたのです。これは生命保険という金融商品の最大の特色という
べきものであり、その販売に当たっても生保セールスマンが強調
すべきポイントだったはずです。
 しかし、最近の生保セールスマンはその大事な特色を知らない
人が多いようです。これは、生保会社によるセールスマン教育が
徹底されていないことの証明といえます。また、最近は、図解入
りで生命保険のことを解説する本が多く出ていますが、この大事
なことにはふれていないものが多いのです。
 私は3年ほど前から、「保険情報」紙にパワーポイントのスラ
イド作品を制作する連載を続けており、今年の6月からは「生命
保険シリーズ」の制作を行っています。その第125回と126
回で「保険金は差し押さえの対象になるか」というテーマを取り
上げたさい、この問題についてリサーチしたところ新しい重要な
ことがいくつかわかったので、今朝は少し固いですが、このテー
マを取上げたいと思います。
 新しい重要なこととは、最近税務署が国税を滞納している企業
の財産を差し押さえるさい、その企業が加入している生命保険契
約を差し押さえ、税務署が、その契約を解約して滞納分に当てる
ケースが多くなっているということです。
 継続中の保険契約については、確かに以前から税務署としては
他に差し押さえる財産がないときは最後の手段としては、差し押
さえることがあるということは聞いていたのですが、滅多にやら
ないと考えていたのです。それが頻繁に行われているとは、それ
だけ不況が深刻化している証拠といえます。
 しかし、それだけではないのです。一般債権者による貸金の取
り立てにおいても、1999年9月9日にそれを認める最高裁の
判決が出ているのです。これによって、継続中の生命保険契約は
普通の財産と同じように差し押さえができることになるのです。
 生命保険の受取人の地位は本来不安定です。というのは、受取
人は契約者によって自由に変更できるからです。といっても、不
自然な受取人変更は、生保会社はなかなか認めないはずです。保
険金殺人事件が多発しているので、生保会社は慎重なのです。
 しかし、この契約者の受取人変更権を契約者自身が放棄するこ
とも可能です。生命保険契約の申込書の中に「私は保険金受取人
変更の権利を留保します」と書いてありますが、それを「・・・
留保しません」と変更することによってそれは可能になります。
しかし、そのようなことを契約前に、説明するセールスマンは少
ないようです。
 このように不安定な地位の受取人も被保険者が死亡すると、受
取人の地位は確定します。それどころか、その死亡保険金は受取
人の固有財産であって、何人もそれに手をふれることはできない
のです。
 夫が被保険者と契約者で、妻が受取人の契約において、契約者
が死亡したとします。この場合、契約者に多大の借金があったと
いう場合でも、妻が受け取る保険金には差し押さえはできないの
です。これが、死亡保険金が固有財産であるという意味です。
 ですから、「借金で首が回らないので保険なんか入れない」と
断るお客に対して、「借金があるからこそ生命保険に加入すべき
です。手付かずにご家族に財産を残すために・・・」といって説
得したものです。
 しかし、継続中の生命保険契約の場合は違うのです。税務署が
国税滞納企業を差し押さえる場合、はじめに預金や売掛金、不動
産などをチェックし、他に差し押さえる財産がなくて、解約返戻
金が企業に入る生命保険契約がある場合は、差し押さえを行うと
いうのです。
 この場合、契約者や受取人が誰になっていても、差し押さえた
保険契約の解約権は税務署側にあり、税務署長の名前で解約がで
きるのです。しかし、企業が加入している養老保険の加入形態は
役員や従業員が被保険者で契約者と受取人が企業という形と、契
約者が企業で受取人が役員や従業員という形があります。
 これらの契約の目的は、役員の退職慰労金や従業員の退職金と
して使われるケースが多く、保険契約の差し押さえラッシュは多
方面で問題化しつつあります。そのため、税務署としても保険契
約の差し押さえは最後の手段といっているのですが、ここにきて
その件数は増加しているそうです。
 しかし、税務署の差し押さえよりもショックなのは、一般債権
者による貸金取り立てで、生命保険契約の解約権を最高裁が認め
たことです。
 いきさつを説明します。この裁判は、知人にお金を貸した東京
都内のエンジン修理業者が、約束通り貸金が返済されないので、
その知人が契約していたM生命の生命保険(定期付終身保険)の
解約返戻金請求権を差し押さえたうえ、解約しようとしたところ
M生命に拒否されたので、提訴したものです。
 一審の東京地裁は、債権者の解約権を認めM社に54万円の支
払いを命じたのですが、M社はこの判決を不服として直接最高裁
に上告して法的判断を求めていたのです。
 しかし、1999年9月9日、最高裁第一小法廷として初めて
「債権者の持つ解約権を認める」という判決が示されたのです。
この判決に関与した裁判官は5人ですが、そのうち1人の裁判官
は「上告人に解約返戻金の支払いを命じた原判決には法令の解釈
を誤った違法性がある。原判決を破棄し、被上告人の本件請求を
棄却すべきである」という反対意見を述べたのですが、5対1で
解約権を認める判決が出てしまったのです。
 反対意見を述べた裁判官は、解約返戻金請求権を差し押さえる
ことは許されることであるが、その契約の解約権を行使すること
は問題であるとしています。
 この最高裁の判決は生命保険人として研究すべきテーマである
と思います。なぜなら、この判決は生活保障としての生命保険の
機能を著しく脅かすものであるからです。

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2001年10月23日

差押権者は解約権を行使できるか(EJ727号)

 EJ726号で取り上げた「生命保険の解約返戻金請求権の差
し押さえ」に関して、インターネット上で、何人かの法学者の意
見や最高裁判例を読んでみました。読んでわかったことは、これ
は法律上極めて微妙な問題であるということです。
 最近なぜこういうことが論議されるようになったかといえば、
不況が深刻化して、企業の倒産やリストラなどで職を失い、住宅
ローンなどの借金が返せなくなった個人債務者が増えていること
が原因であると思います。
 実際問題として、個人債務者は多くの場合、とくに見るべき資
産を有していないのが普通です。したがって、債権者が個人債務
者に対して債務名義(判決)を得ても、強制執行をするのは事実
上困難なのです。
債務者が不動産を所有していても、普通は金融公庫などの住宅
ローンが一番抵当に設定され、一番抵当以外の債権者には配当が
回ってこないからです。動産執行にしても、執行不能に終わるの
が普通であるし、債権執行にしても、電話加入権は、近時の市場
価格の下落により、2・3万円程度の回収しか期待できないので
給料債権を差し押さえるのが一番実効的な手段になっています。
ところが、失業者であれば、その給料債権がなくなってしまって
いるのですから悲惨です。
 しかし、多重債務者であっても生命保険や傷害保険に入ってい
るケースは比較的多く、その解約返戻金は意外に高額になってい
ることがよくあるのです。そこで、解約返戻金支払請求権を差し
押さえて、そこから債権を回収するという手段がよく取られるよ
うになってきたのです。
 父親が被保険者と契約者で、子どもが受取人である生命保険契
約について考えてみます。父親に多大の負債があり、それが約束
どおりに支払われなかったとします。この場合、債権者はこの保
険契約を差し押さえることは可能なのです。
 保険契約を差し押さえるこということは、保険契約者の有して
いる解約返戻金請求権を差し押さえるということを意味します。
この解約返戻金を差し押さえることについては以前から可能であ
るといわれてきたのですが、解約返戻金を差し押さえた債権者が
その債権者代位権に基づいて保険契約を解約し、解約返戻金を受
け取ることができるかどうかについては、法学者によって意見が
異なるのです。
 保険契約の差し押さえをしても解約権は契約者の意思を無視し
て行使されるべきではないという法学者の意見は、次のような論
拠に基づいています。
 1999年9月9日の最高裁の判決においてだだ一人反対意見
を唱えた遠藤光男裁判官は、次のように述べています。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 『生命保険契約の解約返戻金請求権は、保険契約者が解約権を
 行使することを条件として効力を発する一種の条件付き権利で
 ある。また、右請求権は、生命保険契約の核心をなす本来の保
険金請求権とは異なり、解約に基づいて発生する付随的権利に
 過ぎない』。(1999年9月9日、最高裁判決文より)
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 そのうえで、遠藤裁判官は、差押権者が解約権を行使するかど
うかについては、個々のケースについて検討されるべきであり、
その生命保険契約の目的によって一定の配慮が行われるべきであ
ると述べているのです。
 生命保険の契約の目的はいろいろありますが、受取人の生活保
障あるいは社会保障の補完を目的とするものについては、その契
約の継続や解約の意思決定に債権者がみだりに干渉するのは許さ
れないとしています。
 例えば、被保険者が末期的症状にある病に冒されていて、近々
保険事故の発生により、多額の保険金請求権が発生されることが
予測される場合や被保険者が現実に特約に基づく入院給付金の支
給を受けている場合などに、第三者の手によって保険契約が解約
されてしまう事態を想定してみれば、そこに一定の配慮があるべ
きであるというのです。
 しかし、明らかに貯蓄を目的とする生命保険契約については、
預貯金と基本的に性格が異なるものではないので、解約権の行使
もやむをえないとしています。
 これに対して、保険契約は通常金銭債権と同様に差し押さえで
きるし、解約権も行使できると主張する法学者は次のように述べ
ています。
 まず、法的根拠としては、生命保険契約の目的が何であれ、解
約返戻金を差し押さえた差押権者は、民事訴訟法第155条によ
る差押権者による取立権を使って債務者の有する解約権を行使で
きるほか、民法第423条による債権者代位権に基づいて解約権
を代行行使できるので、法的根拠は十分であるとしています。
 百歩譲って保険の目的によって一定の配慮をするという立場に
立ったとしても、その目的を判断する根拠は極めてあいまいであ
り、基準としては不明確であって実際には使えず、現実的ではな
いと批判してします。
 それに、債務者は債権者からお金を借りており、それが約定通
りに返済できなくなったのにもかかわらず、自らが解約権を行使
して返戻金の支払いを受ければ、債務の一部でも返済できる義務
を怠っているとこの主張をする学者はいっているのです。
 確かに解約返戻金請求権を差し押さえしても、解約権を行使で
きないとすれば、債務者はおそらく保険料の支払いをしないであ
ろうから、自動振替貸付によって解約返戻金はどんどん減少して
差押権者にとって不利になります。
 それにその間にもし被保険者が死亡すれば、死亡保険金は受取
人の固有財産となり、差押権者の手の届かないところに行ってし
まうことになるのですから、差押権者に解約権行使を認めるべき
であるという考え方も納得できます。
 それにしても、こういうテーマが話題になるほど、現在の世の
中は暗くなっているのです。明日から別のテーマになります。


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2001年10月29日

現代曲化が試みられる<四季>(EJ731号)

 ヴィヴァルディが作曲した「四季」という曲をご存知ですね。
この曲は日本人が最も好むクラシック曲の1つといわれています
ので、クラシックがあまり好きでない方でも何回かは聴いたこと
があると思います。
 「四季」というタイトルをつけた曲は、チャイコフスキー、グ
ラズノフ、ヨゼフ・ランナーなど、いろいろありますが、その中
でもヴィヴァルディの「四季」はダントツで、今や「四季」とい
えばヴィヴァルディの「四季」を指すくらい、有名な曲になって
います。
 もうひとつ、ヴィヴァルディの「四季」ほど現代の音楽家が好
んで現代風にアレンジを加える素材として取り上げる曲はないと
いうことです。ヴィヴァルディの「四季」を現代風に演奏して成
功したひとりに「ナイジェル・ケネディ」という人がいます。ケ
ネディの演奏は、もし、ヴィヴァルディがタイムスリップして現
代にきたら、「四季」をこのように演奏するでしょうという表現
法であるといわれています。
 チェロの巨匠、ミッシャ・マイスキーがタクシーに乗ったとこ
ろラジオで「四季」をやっていたので、「止めてくれ」と頼んだ
そうです。そうしたら、運転手が「お客さん、この曲をご存知で
・・」と聞いてきたので、「ヴィヴァルディの・・」と答えると
運転手が笑って「はずれ!」といったというのです。「そういう
曲じゃない。これはナイジェル・ケネディだ!」と。ナイジェル
・ケネディ――それほど大ヒットしたのです。
 ところで、近代タンゴの巨匠、アストル・ピアソラの曲の中に
も「四季」があるのをご存知でしょうか。「ブエノスアイレスの
四季」というタンゴの名曲です。実は最近ヴィヴァルディの「四
季」とピアソラの「ブエノスアイレスの四季」をドッキングさせ
1つの曲として仕上げたヴァイオリニストがいます。
 そのヴァイオリニストの名前はギドン・クレーメルです。クレ
ーメルは1947年にラトヴィアのリガに生まれたヴァイオリニ
ストで実力派として知られていますが、この人があまねく有名に
なったのは1996年に「ピアソラへのオマージュ」というCD
を出してからです。
 当時ピアソラの曲はあまり知られていなかったし、CDに収録
されている曲も有名なものではなかったのに、このCDは爆発的
に売れて、ベストセラーアルバムになります。以後クレーメルは
続々とピアソラのアルバムをCD化していますが、そのほとんど
がヒットしているのです。
 最近のクレーメルは、バルト3国(エストニア、ラトヴィア、
リトアニア)の若手演奏家で構成されるオーケストラ、クレメラ
ータ・パルティカを創設して、自らソリストをするとともにアー
ティスティック・リーダーを務めています。クレーメルの最近の
アルバムは、そのほとんどがこのクレメラータ・パルティカとの
共演によるものです。
 実は、このクレーメルはヴィヴァルディの「四季」には思い入
れがあり、何回も演奏しています。1980年にクレーメルは、
クラウディオ・アバドの指揮で、ロンドン交響楽団とヴィヴァル
ディの「四季」を演奏し、録音することになったのです。
 ところが、この曲の<冬>の第2楽章「ラルゴ」のテンポにつ
いてアバドとクレーメルは対立します。クレーメルは「四季」の
楽譜の深読みを何回もしており、曲に関して自分なりの考え方を
持っているので、指揮者のいいなりにはならないのです。
 この<冬>の第2楽章「ラルゴ」は大変よい曲で、早からず遅
からず絶妙のテンポで演奏する必要があります。アバドは、クレ
ーメルのこの楽章のテンポを気にしていて、「もう少しゆっくり
やってくれ」と注文をつけてきたので、クレーメルもできるだけ
指揮者の意に沿うよう演奏したつもりだったのです。
 しかし、アバドは録音が済んだあとから「第2楽章を録音し直
したい」といってきたのです。しかも、アバドはゆっくりしたテ
ンポで演奏したオケのテープを送ってきて、クレーメルに対して
自分のパートを吹き込むよう指示してきたというのです。
 これはかなり失礼な話であり、クレーメルは吹き込みを拒否し
たのです。しかし、その代わりに、たまたまイギリス室内管弦楽
団と録音したばかりの「四季」のテープをアバドに送りつけたと
いいます。クレーメルとしては、テンポに関して絶対に妥協する
つもりはなかったからです。
 ところで、この<冬>の第2楽章「ラルゴ」は短い曲で、問題
になっているのは数秒間の違いなのです。アバドはゆっくり目の
テンポを要求するのに対して、クレーメルは比較的早いデンポを
主張しているのです。実は、この部分は指揮者や演奏者によって
大きく異なる部分です。いくつか比較してみます。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
   アーノンクール ・・・・・・・・ 1分10秒
   クレーメル(イギリス室内管) ・ 1分16秒
   クレーメル(アバド)・・・・・・ 1分25秒
   アンネ・ゾフィ・ムター ・・・・ 2分49秒
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 アバドが要求したのは1分50秒ということであり、なかなか
意見が合わなかったのです。結局アバド側が折れて録音テープは
CD化され、そのまま発売になったのですが、皮肉なことにこの
CDは非常に売れたそうです。
 私個人の好みでは、この部分はゆっくり目に演奏して欲しいと
思います。最初に聴いたイ・ムジチ合奏団が比較的ゆっくり目で
あったからです。しかし、クレーメルのヴィヴァルディとピアソ
ラをコラボレーションした「四季」を聴いて、「四季」に対する
考え方が大きく変わったのです。

731号.jpg
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現代曲化が試みられる<四季>(EJ731号)

 ウインドウズXPの話はまだ続くのですが、固い話の合間の頭
休めで、今朝は音楽の話をお届けします。音楽の話は9月5日の
ショパン以来ですね。実は私が主宰しているMDの会というのが
あるのですが、その会の関係で集めた情報をお知らせします。
 ヴィヴァルディが作曲した「四季」という曲をご存知ですね。
この曲は日本人が最も好むクラシック曲の1つといわれています
ので、クラシックがあまり好きでない方でも何回かは聴いたこと
があると思います。
 「四季」というタイトルをつけた曲は、チャイコフスキー、グ
ラズノフ、ヨゼフ・ランナーなど、いろいろありますが、その中
でもヴィヴァルディの「四季」はダントツで、今や「四季」とい
えばヴィヴァルディの「四季」を指すくらい、有名な曲になって
います。
 もうひとつ、ヴィヴァルディの「四季」ほど現代の音楽家が好
んで現代風にアレンジを加える素材として取り上げる曲はないと
いうことです。ヴィヴァルディの「四季」を現代風に演奏して成
功したひとりに「ナイジェル・ケネディ」という人がいます。ケ
ネディの演奏は、もし、ヴィヴァルディがタイムスリップして現
代にきたら、「四季」をこのように演奏するでしょうという表現
法であるといわれています。
 チェロの巨匠、ミッシャ・マイスキーがタクシーに乗ったとこ
ろラジオで「四季」をやっていたので、「止めてくれ」と頼んだ
そうです。そうしたら、運転手が「お客さん、この曲をご存知で
・・」と聞いてきたので、「ヴィヴァルディの・・」と答えると
運転手が笑って「はずれ!」といったというのです。「そういう
曲じゃない。これはナイジェル・ケネディだ!」と。ナイジェル
・ケネディ――それほど大ヒットしたのです。
 ところで、近代タンゴの巨匠、アストル・ピアソラの曲の中に
も「四季」があるのをご存知でしょうか。「ブエノスアイレスの
四季」というタンゴの名曲です。実は最近ヴィヴァルディの「四
季」とピアソラの「ブエノスアイレスの四季」をドッキングさせ
1つの曲として仕上げたヴァイオリニストがいます。
 そのヴァイオリニストの名前はギドン・クレーメルです。クレ
ーメルは1947年にラトヴィアのリガに生まれたヴァイオリニ
ストで実力派として知られていますが、この人があまねく有名に
なったのは1996年に「ピアソラへのオマージュ」というCD
を出してからです。
 当時ピアソラの曲はあまり知られていなかったし、CDに収録
されている曲も有名なものではなかったのに、このCDは爆発的
に売れて、ベストセラーアルバムになります。以後クレーメルは
続々とピアソラのアルバムをCD化していますが、そのほとんど
がヒットしているのです。
 最近のクレーメルは、バルト3国(エストニア、ラトヴィア、
リトアニア)の若手演奏家で構成されるオーケストラ、クレメラ
ータ・パルティカを創設して、自らソリストをするとともにアー
ティスティック・リーダーを務めています。クレーメルの最近の
アルバムは、そのほとんどがこのクレメラータ・パルティカとの
共演によるものです。
 実は、このクレーメルはヴィヴァルディの「四季」には思い入
れがあり、何回も演奏しています。1980年にクレーメルは、
クラウディオ・アバドの指揮で、ロンドン交響楽団とヴィヴァル
ディの「四季」を演奏し、録音することになったのです。
 ところが、この曲の<冬>の第2楽章「ラルゴ」のテンポにつ
いてアバドとクレーメルは対立します。クレーメルは「四季」の
楽譜の深読みを何回もしており、曲に関して自分なりの考え方を
持っているので、指揮者のいいなりにはならないのです。
 この<冬>の第2楽章「ラルゴ」は大変よい曲で、早からず遅
からず絶妙のテンポで演奏する必要があります。アバドは、クレ
ーメルのこの楽章のテンポを気にしていて、「もう少しゆっくり
やってくれ」と注文をつけてきたので、クレーメルもできるだけ
指揮者の意に沿うよう演奏したつもりだったのです。
 しかし、アバドは録音が済んだあとから「第2楽章を録音し直
したい」といってきたのです。しかも、アバドはゆっくりしたテ
ンポで演奏したオケのテープを送ってきて、クレーメルに対して
自分のパートを吹き込むよう指示してきたというのです。
 これはかなり失礼な話であり、クレーメルは吹き込みを拒否し
たのです。しかし、その代わりに、たまたまイギリス室内管弦楽
団と録音したばかりの「四季」のテープをアバドに送りつけたと
いいます。クレーメルとしては、テンポに関して絶対に妥協する
つもりはなかったからです。
 ところで、この<冬>の第2楽章「ラルゴ」は短い曲で、問題
になっているのは数秒間の違いなのです。アバドはゆっくり目の
テンポを要求するのに対して、クレーメルは比較的早いデンポを
主張しているのです。実は、この部分は指揮者や演奏者によって
大きく異なる部分です。いくつか比較してみます。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
   アーノンクール ・・・・・・・・ 1分10秒
   クレーメル(イギリス室内管) ・ 1分16秒
   クレーメル(アバド)・・・・・・ 1分25秒
   アンネ・ゾフィ・ムター ・・・・ 2分49秒
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 アバドが要求したのは1分50秒ということであり、なかなか
意見が合わなかったのです。結局アバド側が折れて録音テープは
CD化され、そのまま発売になったのですが、皮肉なことにこの
CDは非常に売れたそうです。
 私個人の好みでは、この部分はゆっくり目に演奏して欲しいと
思います。最初に聴いたイ・ムジチ合奏団が比較的ゆっくり目で
あったからです。しかし、クレーメルのヴィヴァルディとピアソ
ラをコラボレーションした「四季」を聴いて、「四季」に対する
考え方が大きく変わったのです。

731号.jpg
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2001年10月30日

バロックと現代作品とのコラボレーション(EJ732号)

 ギドン・クレーメルが心から尊敬し、傾倒している音楽家は2
人います。一人はアストル・ピアソラ、もう一人はレナード・バ
ーンスタインです。この2人に共通しているのは、2人とも作曲
家であると同時に、演奏家(指揮者を含む)でもあるということ
です。19世紀には作曲家が演奏したり、指揮をすることはごく
普通のことでしたが、最近はそういう音楽家は減っています。
 ピアソラとバーンスタインの2人の音楽を聞いて感ずることは
2人とも「きわめてエネルギッシュである」ということです。こ
のことにクレーメルは魅かれているといっています。そういって
いる当のクレーメル自身、非常にエネルギッシュな人です。
 このピアソラの代表的な作品のひとつに「ブェノスアイレスの
四季」という曲があります。これは次のように四季を構成する4
曲が揃っているだけで、別に組曲というわけではなく、季節の順
番に並べて演奏する必要はないのです。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
    ブェノスアイレスの春 Primavera Portena
    ブェノスアイレスの夏 Verano Portena
    ブェノスアイレスの秋 Otono Portena
    ブェノスアイレスの冬 Invierno Portena
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 しかし、ピアソラ自身が4曲まとめて演奏したことが1回だけ
あります。それは、レジーナ劇場におけるリサイタルでのことで
この演奏は、次のCDにまとめられています。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
   「レジーナ劇場のアストル・ピアソラ1970」
    BMGファンハウス:BVCM−35001
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 ちなみにそのときの演奏順序は、冬、夏、秋、春の順になって
います。ピアソラは、夏、秋、冬については頻繁に演奏していま
すが、「春」についてはあまり取り上げていないのです。4曲の
中では地味な存在なのです。4曲の中で一番際立って美しいのは
「冬」です。「冬」はバロック調の香りが漂っており、ピアソラ
はバロック調を好んだといわれます。ここにピアソラとヴィヴァ
ルディとの接点があります。
 クレーメルは、ヴィヴァルディの「四季」のスコアについての
研究を重ねた結果、この曲の普遍性というものに気が付きます。
バロックでありながら、何か現代に通じるものがあると感じたの
です。このあたりは、ナイジェル・ケネディと通じるものがあり
ます。ただ、ケネディはそれを現代風に演奏しようと考えたのに
対して、クレーメルは「四季」と現代作品とをコラボレーション
したいと考えたのです。
 そこで、クレーメルは友人であるシュニトケ、カンチェーリ、
ノーノ、グバイドゥーリナなど多くの作曲家に「四季」と組み合
わせる作品を書いてくれと呼びかけたのですが、誰もクレーメル
の呼びかけには応じてくれなかったのです。
 そういうときクレーメルは、ピアソラの「ブェノスアイレスの
四季」のことを思い出すのです。2つの「四季」を結びつけるこ
とはできないか――クレーメルは、持ち前の大変なエネルギーを
もってこれの実現に取り組んだのです。
 50歳になったクレーメルは、この壮大な実験を実現させるた
めもあって、バルト3国の優秀な若手演奏家25人を集め、クレ
メラータ・パルティカを創設します。1997年のことです。な
お、クレーメル自身もバルト3国のひとつラトヴィアの出身なの
です。そういうこともあってクレメラータ・パルティカのデビュ
ー・コンサートはラトヴィアのリガで行われ、その後、多くの国
外ツァーを行い、大好評を博するのです。
 そして、クレメラータ・パルティカは、ノンサッチ・レコード
と独占録音契約を結ぶのですが、その第1弾が、ヴィヴァルディ
の「四季」とピアソラの「ブェノスアイレスの四季」の融合作品
「エイト・シーズンズ」なのです。
 1999年2月、クレメラータ・パルティカは日本にやってき
ました。そのとき「エイト・シーズンズ」が演奏されたのですが
大好評だったそうです。そのとき独奏ヴァイオリンを担当したク
レーメルは、ピアソラの音楽の部分になると、ときおり笑顔を見
せながら嬉々とした表情を浮かべて演奏し、クレメラータ・パル
ティカのメンバーも笑顔でそれに応えるなど、とてもよい雰囲気
だったそうです。
 「エイト・シーズンズ」は、ヴィヴァルディの「四季」を中心
に据えて、春、夏、秋、冬のそれぞれのヴァイオリン協奏曲のあ
とにピアソラの「四季」を置いたのです。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
  第1楽章:ヴィヴァルディ:協奏曲集≪四季≫/「春」
       ピアソラ:ブェノスアイレスの四季/「夏」
  第2楽章:ヴィヴァルディ:協奏曲集≪四季≫/「夏」
       ピアソラ:ブェノスアイレスの四季/「秋」
  第3楽章:ヴィヴァルディ:協奏曲集≪四季≫/「秋」
       ピアソラ:ブェノスアイレスの四季/「冬」
  第4楽章:ヴィヴァルディ:協奏曲集≪四季≫/「冬」
       ピアソラ:ブェノスアイレスの四季/「春」
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 もちろんただ並べても音楽にはなりませんので、ピアソラの曲
については編曲をして音楽が流れるようにしています。編曲者は
クレーメルの盟友レオニード・デシャトニコフです。
 とにかく聴いてみてください。本当に素晴らしいものです。ま
さにヴィヴァルディとピアソラの「四季」が融合して新鮮な輝き
を放っています。とくにヴィヴァルディの「四季」が好きな人に
は絶対にお勧めです。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
   『エイト・シーズンズ』(WPCS−10500)
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

732号.jpg
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バロックと現代作品とのコラボレーション(EJ732号)

 ギドン・クレーメルが心から尊敬し、傾倒している音楽家は2
人います。一人はアストル・ピアソラ、もう一人はレナード・バ
ーンスタインです。この2人に共通しているのは、2人とも作曲
家であると同時に、演奏家(指揮者を含む)でもあるということ
です。19世紀には作曲家が演奏したり、指揮をすることはごく
普通のことでしたが、最近はそういう音楽家は減っています。
 ピアソラとバーンスタインの2人の音楽を聞いて感ずることは
2人とも「きわめてエネルギッシュである」ということです。こ
のことにクレーメルは魅かれているといっています。そういって
いる当のクレーメル自身、非常にエネルギッシュな人です。
 このピアソラの代表的な作品のひとつに「ブェノスアイレスの
四季」という曲があります。これは次のように四季を構成する4
曲が揃っているだけで、別に組曲というわけではなく、季節の順
番に並べて演奏する必要はないのです。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
    ブェノスアイレスの春 Primavera Portena
    ブェノスアイレスの夏 Verano Portena
    ブェノスアイレスの秋 Otono Portena
    ブェノスアイレスの冬 Invierno Portena
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 しかし、ピアソラ自身が4曲まとめて演奏したことが1回だけ
あります。それは、レジーナ劇場におけるリサイタルでのことで
この演奏は、次のCDにまとめられています。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
   「レジーナ劇場のアストル・ピアソラ1970」
    BMGファンハウス:BVCM−35001
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 ちなみにそのときの演奏順序は、冬、夏、秋、春の順になって
います。ピアソラは、夏、秋、冬については頻繁に演奏していま
すが、「春」についてはあまり取り上げていないのです。4曲の
中では地味な存在なのです。4曲の中で一番際立って美しいのは
「冬」です。「冬」はバロック調の香りが漂っており、ピアソラ
はバロック調を好んだといわれます。ここにピアソラとヴィヴァ
ルディとの接点があります。
 クレーメルは、ヴィヴァルディの「四季」のスコアについての
研究を重ねた結果、この曲の普遍性というものに気が付きます。
バロックでありながら、何か現代に通じるものがあると感じたの
です。このあたりは、ナイジェル・ケネディと通じるものがあり
ます。ただ、ケネディはそれを現代風に演奏しようと考えたのに
対して、クレーメルは「四季」と現代作品とをコラボレーション
したいと考えたのです。
 そこで、クレーメルは友人であるシュニトケ、カンチェーリ、
ノーノ、グバイドゥーリナなど多くの作曲家に「四季」と組み合
わせる作品を書いてくれと呼びかけたのですが、誰もクレーメル
の呼びかけには応じてくれなかったのです。
 そういうときクレーメルは、ピアソラの「ブェノスアイレスの
四季」のことを思い出すのです。2つの「四季」を結びつけるこ
とはできないか――クレーメルは、持ち前の大変なエネルギーを
もってこれの実現に取り組んだのです。
 50歳になったクレーメルは、この壮大な実験を実現させるた
めもあって、バルト3国の優秀な若手演奏家25人を集め、クレ
メラータ・パルティカを創設します。1997年のことです。な
お、クレーメル自身もバルト3国のひとつラトヴィアの出身なの
です。そういうこともあってクレメラータ・パルティカのデビュ
ー・コンサートはラトヴィアのリガで行われ、その後、多くの国
外ツァーを行い、大好評を博するのです。
 そして、クレメラータ・パルティカは、ノンサッチ・レコード
と独占録音契約を結ぶのですが、その第1弾が、ヴィヴァルディ
の「四季」とピアソラの「ブェノスアイレスの四季」の融合作品
「エイト・シーズンズ」なのです。
 1999年2月、クレメラータ・パルティカは日本にやってき
ました。そのとき「エイト・シーズンズ」が演奏されたのですが
大好評だったそうです。そのとき独奏ヴァイオリンを担当したク
レーメルは、ピアソラの音楽の部分になると、ときおり笑顔を見
せながら嬉々とした表情を浮かべて演奏し、クレメラータ・パル
ティカのメンバーも笑顔でそれに応えるなど、とてもよい雰囲気
だったそうです。
 「エイト・シーズンズ」は、ヴィヴァルディの「四季」を中心
に据えて、春、夏、秋、冬のそれぞれのヴァイオリン協奏曲のあ
とにピアソラの「四季」を置いたのです。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
  第1楽章:ヴィヴァルディ:協奏曲集≪四季≫/「春」
       ピアソラ:ブェノスアイレスの四季/「夏」
  第2楽章:ヴィヴァルディ:協奏曲集≪四季≫/「夏」
       ピアソラ:ブェノスアイレスの四季/「秋」
  第3楽章:ヴィヴァルディ:協奏曲集≪四季≫/「秋」
       ピアソラ:ブェノスアイレスの四季/「冬」
  第4楽章:ヴィヴァルディ:協奏曲集≪四季≫/「冬」
       ピアソラ:ブェノスアイレスの四季/「春」
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 もちろんただ並べても音楽にはなりませんので、ピアソラの曲
については編曲をして音楽が流れるようにしています。編曲者は
クレーメルの盟友レオニード・デシャトニコフです。
 とにかく聴いてみてください。本当に素晴らしいものです。ま
さにヴィヴァルディとピアソラの「四季」が融合して新鮮な輝き
を放っています。とくにヴィヴァルディの「四季」が好きな人に
は絶対にお勧めです。
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   『エイト・シーズンズ』(WPCS−10500)
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2001年11月13日

DVDは音楽CDも再生できる(EJ742号)

 今年の年末の最大の目玉商品は、ウインドウズXP搭載のPC
とDVDプレーヤだそうです。ウインドウズ搭載PCにはすべて
DVDが付いており、世の中はDVD一色というところです。
 ところで、DVDというマシン――実に奥の深いマシンなので
す。というのは、このDVDというマシンを買いに行くと、商品
がピンからキリまであるのです。ピンは2万円台からキリは50
万円くらいまでの機種が並んでいるのです。
 この2万円と50万円の価格差――どのような機能の差がある
のでしょうか。たかが映画を見るだけなのにどうしてそのような
差があるのでしょうか。そういうわけで、しばらくDVDをテー
マとして取り上げてみたいと思います。
 私は仕事の関係でかなり早くからビデオを持っていましたし、
その関連でレーザーディスクも1980年代の前半には持ってい
ました。しかし、DVDはなぜか出遅れてしまい、いまだに持っ
ていないのです。
 オーディオのニューマシンを購入するときは、ハードよりもソ
フトの価格に注目すべきであるということがよくいわれます。ビ
デオであればビデオテープの価格、MDプレーヤであればMDデ
ィスクの価格、レーザーディスクであれば映像ソフトの価格に注
目すべきなのです。
 私がカセットデッキに見切りをつけ、MDプレーヤに切り替え
たのは、MDディスクの価格が500円を切ったときです。かつ
ては1枚1000円以上という時代もあり結構高かったのです。
現在はまとめ買いをすれば1枚200円を切る価格でMDディス
クを手に入れることができます。
 レーザーディスクのソフトも一頃よりも下がってはきたものの
なぜか3980円で止まってしまい、それよりも安くはならない
のです。協定を結んで下限を作っているのではないかと疑ってし
まいます。
 DVDソフトもレーザーディスクと同じような価格からスター
トしたのですが、昨年のソニーの「プレイステーション2」の発
売以来、DVDプレーヤのユーザが増えたことから価格が下落し
今では3000円を切るソフトも登場してきています。この価格
ならば、音楽CDの新譜と同等の価格なのです。
 そうなると、DVDは買いなのです。最近では、新作の映画が
出てもDVDとビデオしか発売されず、レーザーディスク用は、
発売されないことが多くなったのです。
 昨年暮れの「ファンタジア2」がそうだったのです。DVDと
ビデオのみの発売であり、これからはそういうことがますます多
くなるものと思われます。もはやアナログの時代ではなく、デジ
タルの時代になっているからです。
 ところで、DVDのディスクは12センチ、音楽CDと同じ大
きさです。この12センチディスクにいま革命が起こりつつある
のです。次のディスクはいずれも12センチディスクですが、そ
れぞれ何を意味するかお分かりでしょうか。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
  1.DVD−A     6.CD−RW
  2.DVD−V     7.DVD−R
  3.CD        8.DVD−RW
  4.VCD       9.SACD
  5.CD−R     10.SACDマルチチャンネル
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 実は、以上の10のディスクをすべて再生できるDVDプレー
ヤもあるのです。もちろんそれはキリに属するDVDプレーヤの
高級機の話ですが、DVDプレーヤの大きな価格差は、以上10
のディスクをどこまで再生できるかによって生まれていると考え
ていただきたいのです。
 最初にDVDの基礎からはじめることにします。まず、DVD
は、DVDソフトを再生するだけでなく、音楽CDも再生できる
ということを知っておくべきです。CDとDVDの記録容量は、
次のように大きく異なります。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
      CD  ・・・・・ 780MB
      DVD ・・・・・ 4.7GB
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 DVDの記憶容量はCDの6倍強に当たります。CDが74分
の「音楽」を記録できるのに対し、DVDは130分以上の「動
画」を記録できるのです。
 それでは、画質はどうなのでしょうか。
 画質を決めるファクターの1つに、水平解像度というものがあ
ります。水平解像度とは、画質のキメの細かさを表す目安となる
ものです。DVDをテレビとビデオと比較してみましょう。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
   テレビ放送 ・・・・・・・・・・ 330本
   ビデオ ・・・・・・・・・・・・ 240本
   DVD ・・・・・・・・・・・・ 500本以上
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 現在、ほとんどの映画が採用しているのは「サラウンド音声」
です。サラウンドとは、例えば、クルマが客席に突進してくると
き、音も一緒に移動するというもので、これに重低音が加わり、
迫力ある立体サウンドとなります。
 DVDは、ドルビーデジタルやdtsサラウンド信号が記録され
ているので、映画館並みのサウンドの再生は可能です。しかし、
装置が大変です。前方左右に2本、中央に1本、後方左右に2本
それに重低音用のスーパーウーハーを1本置くという6本のスピ
ーカ再生システムを構築する必要があります。よほど大きな家で
ないと無理ですね。
 しかし、そういうサウンドも再生できるデータが記録されてい
るのですから、DVDは凄いのです。なお、2本のスピーカでも
擬似的にサラウンドを実現することができます。

742号.jpg
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2001年11月14日

DVDの前にCDについて知る(EJ743号)

 DVDの話にもっと深く入る前にCDについて少し考えてみた
いと思います。CDのサイズはあのヘルベルト・フォン・カラヤ
ンが、「ベートーヴェンの交響曲第9番ニ短調の全曲が入るよう
にして欲しい」という要望があって、74分42秒に決まったと
いう有名な逸話があります。
 CDは、オランダのフィリップス社とソニーとの技術提携で作
りあげられた製品です。ソニーは、フィリップス社と組む前に、
デジタル・オーディオ・ディスク(DAD)の開発に取り組んで
おり、1978年9月、国内24社、海外5社によるDAD懇話
会を発足させ、いろいろな案が検討されていたのです。
 そしてソニーは、16ビット/44.1キロヘルツと48キロ
ヘルツの2つが業務用録音機の標準規格とすることに成功するの
です。当時市販されていた業務用録音機はソニーのPCM−16
00だけしかなかったので、この16ビット/44.1キロヘル
ツがデファクト・スタンダードになったのです。
 フィリップスが提携話を持ってきたのは、1979年3月のこ
とです。そのときフィリップスは、11.5センチのディスクで
60分の演奏ができるマシンを持参してきたのです。
 ソニーがフィリップスとの提携に同意したのはフィリップスが
CDの前身となる商品のかたちを既に作り上げていたからです。
当時ソニーは、デジタルの録音技術とか記録方式の研究に没頭し
ていて、商品化には一歩遅れていたのです。当時ソニーの社長を
していたのは先日他界した大賀典雄氏ですが、彼はこのフィリッ
プスのディスクを見た瞬間、「これはレコードに換わるものだ」
と直感したというのです。
 フィリップス社との作業で一番もめたのは、16ビットにする
か14ビットにするかです。ソニーは16ビットを主張し、フィ
リップス社は14ビットを主張して両者譲りませんでした。この
論争はかなり技術的ですが、DVDを理解する上にも必要な知識
なので、16ビットの根拠を示しておきます。
 ソニー側が16ビットを主張する根拠は2つあります。
 第1は、16ビットならダイナミックレンジが約96デシベル
となり、40年前にベル研究所のフレチャー博士が述べたハイフ
ァイの条件100デシベルに近づくことができるという点です。
エジソン以来の新しいメディアであるからこそ、どうしてもこの
条件を満たしたいと考えていたのです。
 第2は、ビデオ・ディスクとの互換性の問題です。ビデオ・デ
ィスクは16ビットであり、もしこちらが14ビットで出せば、
必ずライバルは16ビットで攻めてくるに決まっている。それに
8ビット(1バイト)をひとつの単位で扱うコンピュータも14
ビットよりも16ビットの方が好都合なのです。
 このソニーの理詰めの主張でフィリップス側が折れ、16ビッ
トで決着したのです。さらに、もうひとつもめたのは、ディスク
の大きさを巡る論争です。
 フィリップスから提案されたのは11.5センチで、このサイ
ズであれば演奏時間は1時間となります。当時のLPレコードは
片面30分であったので両面で1時間、レコードの両面がディス
ク1枚で切れ目なく入れられると提案してきたのです。
 これに対してソニーは、数多くの音楽の演奏時間からアプロー
チしたのです。その結果、74分あれば99%の音楽が全曲、オ
ペラの場合は、1幕が切れ目なく入ると主張したのです。74分
にするとディスクは12センチの大きさになります。
 それでもなかなか、フィリップス側は12センチディスクに同
意しなかったといいます。12センチではポケットに入らないと
までいったといわれます。
 ここで大賀社長は、1978年9月にカラヤンが盛田会長邸を
訪ねたさいの逸話をフィリップスのエンジニアたちに話したとい
われます。「あのカラヤンもベートーヴェンの第9交響曲が一枚
で入る大きさを望んでいる」と。フィリップスはこの大賀氏の説
得にやっと同意したといわれます。
 添付ファイルに付けたのは、当時のソニーによる米国向けCD
のキャンペーン用のポスターです。エジソンがCDを持っている
合成写真です。そして説明には、エジソンが「今にベートーヴェ
ンの交響曲第9番が、この1枚のレコードに収められるようにな
る」と妻メアリーに言い聞かせたと書いてあったそうです。
 当時デジタル・ディスクの規格はまだ統一されていなかったの
です。1980年に開かれたDAD懇談会には次の3つの規格が
提案されています。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
  1.AHD方式――日本ビクター
  2.MD 方式――テレフォンケン
  3.CD 方式――ソニー/フリップス
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 AHDとは、「オーディオ・ハイ・デンシティ」という意味で
あり、日本ビクターが開発した静電容量式ビデオ・ディスク・V
HDと同じプレーヤでかけられるという特性があります。
 MD方式は、ミニ・ディスクという意味ですが、現在のMDと
は全く別種なものであり、圧電式ビデオ・ディスクと同じ記録方
式なのです。
 CD方式は、他の2つの方式とは異なり、光ディスクを採用し
ており、ピックアップが非接触であって、ディスクの取扱いが簡
単である点が大きな特色があるのです。
 1981年4月、ザルツブルグのORFテレビスタジオで新聞
記者やオーディオの専門家を多数集めてCDプレーヤの発表会が
開かれたときのことです。
 その会には巨匠カラヤンも出席していたのですが、カラヤンは
自らCDプレーヤのボタンを押して、CD方式を擁護する演説を
したといわれます。カラヤンと盛田会長との親密な関係もあり、
テレフォンケンの方式があるにもかかわらず、カラヤンはCD方
式をかなり後押ししてくれたのです。

743号.jpg
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2001年11月15日

DVD規格はどのようにして誕生したか(EJ744号)

 昨日のEJ743号でソニーの大賀典雄氏が他界されたと記述
してしまいましたが、大賀氏は北京でオーケストラの指揮中に倒
れ、現在病院で治療中であり、お元気とのことです。大賀氏をは
じめソニー関係者の皆様に対し、深くお詫び申し上げます。
 1982年10月1日、ソニーは世界で始めてのCDプレーヤ
を発売しました。この第1号機は、「CDP−101」と名づけ
られましたが、この「101」という数字にはいろいろな意味が
あるのです。
 「100年に1度の大発明」という意味もありますし、至上命
令であった発売日のXデイ「10月1日」から付けられたという
説、デジタルの0と1の組み合わせという説もありますが、関係
者のいう言によると、すべて正しいということです。
 ところで、この「CDP−101」のネーミングをしたのは、
ソニーの現会長の出井伸之氏なのです。出井氏は当時オーディオ
事業部長をしていて、自ら「CDP−101」に決めたというの
です。出井氏によると「101」は以上の意味の他に別の意味を
そこに含めていたのです。
 「101」はデジタルの2進法では「5」を意味します。5は
10点満点の中間点であり、開発者としてはこの製品のランクは
あくまで5であって、やがて10を目指していこうという意味が
含められていたというのです。出井氏らしい話ですね。
 ちなみにこの「CDP−101」の価格は16万8000円、
同時発売されたCDソフトは15枚で、一番最初のCDソフトは
ビリー・ジョエルの『ニューヨーク五番街』だったのです。価格
は、3800円もしたのです。
 実は、私はこのソニーの1号機「CDP−101」を1984
年に手に入れていたのです。中古品ですが、友人からCDソフト
10枚付きで確か10万円で譲ってもらったのです。その当時、
持っていた約2000枚近いLPを全部処分してCDに切り替え
たのですから私としては相当の決断だったのです。
 DVDがテーマであるのに、なぜCDの話をしたかというと、
CDの技術がDVDの基礎になっているからです。DVDプレー
ヤでCDが聴けるのもそういう理由からです。
 1994年8月のことです。ハリウッドの大手映画7社がDV
Dのアドバイザリー・コミッティをつくり、次世代映画メディア
について次の5つの要望をメーカに突きつけたのです。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
      1.片面135分以上記録できること
      2.LDよりもより高画質にすること
      3.5.1チャンネル/デジタル音声
      4.音声、字幕が3〜5言語入ること
      5.CDと全く同じサイズにすること
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 これを「ハリウッド・ドリブン」というのですが、これに対し
て、次の2方式が企画段階で名乗りを上げたのです。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 1.MMCD方式 ・・・ 1994年12月提案
   ソニー、フィリップス
 2.SD  方式 ・・・ 1995年 1月提案
   東芝、パイオニア、日立、松下、タイム・ワーナーなど
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 MMCDのディスクは、CDと同サイズで、1.2ミリ厚の単
盤を使っています。3.7ギガバイトの記録容量を有しているの
で、2時間15分の映画が記録可能なのです。便利なのはCDの
生産設備をほとんどそのまま流用できることです。
 また、MMCDは記録膜を2層にすることができその場合は、
4時間30分の映画を切れ目なしで再生可能なのです。この2層
記録膜ディスクを使うと、片面に映画を記録し、もう片面にCD
と同じフォーマットで映画のサウンドラックの音楽を記録すると
いうようなこともできるのです。
 SD方式のディスクもCDと同じ外形12センチ、厚さ1.2
ミリでMMCDと同じなのですが、MMCDのように単盤の1.
2ミリではなく、0.6ミリのディスクが2枚貼り合わさって、
1.2ミリになっている点です。つまり、両面に記録できるので
す。片面が5ギガバイト、両面で10ギガバイトという大容量の
記録容量を持つ新しいディスクなのです。
 他の条件については、MMCCおよびSDの両方式ともにハリ
ウッド・ドリブンをクリアしていたのです。当然、両方式をめぐ
って激しい論争が行われたのですが、両方式ともに商品ができて
いたわけではなく、建設的な意見が積み上げられて、1995年
の秋になって、両陣営の規格は統一されることになり、決着した
のです。これが現代のDVDビデオの規格なのです。
 どのように決着したのかというと、ディスクの外形は12セン
チでCDと同じですが、片面0.6ミリのディスクを貼り合わせ
て1.2ミリ厚にするSD方式を取り入れ、それにさらに2層記
録方式もオプションで採用されることになるなど、両方式の良い
ところを取り入れてまとめています。
 さて、DVD最初の商品は東芝の「SD−3000」です。1
996年11月1日のことです。しかし、それから5年が経過し
技術はさらに高められております。例えば、記録方式には次の4
つがあり、それぞれ記録時間が異なります。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 1.片面1層方式 ・・・・・ 135分
 2.両面1層方式 ・・・・・ 270分
 3.片面2層方式 ・・・・・ 240分 ⇒ 最近の主流
 4.両面2層方式 ・・・・・ 420分
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 ここで注目すべきことは、DVDソフトの上映時間によって、
上記方式を選択するのではないことです。135分以内の映画で
も片面2層方式で記録してあるものがあるからです。これは、高
画質・高音質に配慮した措置なのです。

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2001年11月16日

DVDソフトから先進の技術を読む(EJ745号)

 テレビにしてもビデオにしても、その購入に当たっては、その
販売店に行って商品を選び、お金を払えば誰でも購入できます。
DVDの場合も基本的にはそれでいいのですが、商品を選ぶさい
基本的な知識がないと、かなり迷うはずです。
 何しろ価格が1万円台から50万円台まであり、機能もそれぞ
れ違うからです。DVDでCDの再生ができることすら知らない
人がかなりたくさんいるからです。
 技術が進歩していろいろなことができるようになると、そうい
う技術について勉強しようという気持がない人は、そういう技術
を応用した便利なマシンが幅広く普及したとき、他の人の介添え
なくしては、それを使えなくなってしまいます。
 その代表的なものにPCがあります。はじめは若い人のゲーム
マシンだと思っていたPCがビジネスの世界に入ってくるや、た
ちまち普及し、インターネットの普及によってコミュニケーショ
ンツールとなり、2003年には行政サービスまでPCでやるよ
うになるというところまできています。こうなると、PCが使え
ないのは生きていくうえで不便なことになってしまうのです。
 その点、DVDは「ディスクで映画を観る」という娯楽目的の
マシンではありますが、それを購入するとなると、ハード、ソフ
トともにある程度の専門知識が必要なのです。つまり、購入する
前に少し勉強する必要があるわけです。
 しかも、DVDはPCとも大いに関連があり、今やほとんどの
PCにはDVDドライブが標準で付いているのです。このPCの
DVDと、量販店で売っているDVDプレーヤとはどういう関係
にあるのか、それにDVDとCD-R/RWとの関係はどうなって
いるのかなどなど・・・疑問はフツフツと湧いてきます。
 そこで、DVDのハードの話は後まわしにして、DVDのソフ
トの話をすることにします。なぜなら、DVDソフトを知ること
によって、DVDの新しい技術のことがわかるからです。
 例を上げて説明しましょう。DVDソフトのパッケージのウラ
には、次のような記述があります。制作費140億円といわれる
『グラディエーター』のデータです。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
  『グラディエーター』ソニー・ピクチャーズ 3980円
  155分 片面2層 音声:英語(ドルビーデジタル――
  5.1chサラウンド、dts)特典:音声解説他 監督
  リドリー・スコット 出演:ラッセル・クロウ他
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 「片面2層」は昨日のEJで述べたようにDVDの記録方式を
示しています。片面2層は現在主流の記録方式であり、4時間の
連続再生が可能です。しかし、『グラディエーター』の上映時間
は155分(2時間35分)であって、かなり余裕があります。
 それは、あとで述べる「dts音声」などの多くの情報量を記
録しているためなのです。したがって、同じ収録時間のソフトで
も片面1層よりも片面2層の方が高画質・高音質であると判断で
きるのです。
 続いて「ドルビーデジタル」とは何でしょうか。
 「ドルビーデジタル」は、米国のドルビー社が開発したDVD
ソフト音声の基本フォーマットで、音声を圧縮して記録するデジ
タル記録方法のことです。つまり、音声を高音質のまま10分の
1に圧縮して、DVDソフトに記録・再生しているのです。
 それでは「5.1chサラウンド」とは何でしょうか。
 EJ742号で、この環境を実現するには、前後左右に6本の
スピーカを備えるなど道具立てが大変であり、よほど大きな家で
ないとダメと書いたところ、EJの読者のTさんから、次のよう
なご指摘がありました。Tさんは2部屋しかないのに1部屋を全
部AVルームにし、6スピーカシステムの「5.1chサラウン
ド」の環境を作ったというのです。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 「DVDを買うのであれば、プレステやPCなどで観たら意味
 がないと断言できます。ですから、「よほど大きな部屋」など
 といわずに、ぜひ、5.1chサラウンドの環境を作るべきで
 す。ちなみに映画『アルマゲドン』の隕石は5.1chサラウ
 ンドの環境では、頭上から降ってきて、座っているソファの背
 後に落ちるのを体験できます」。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 どうでしょうか。これが5.1chサラウンドのド迫力なので
す。実は私は、DVDがまだ発売される前に東芝でデモを体感し
ているのです。しかし、そのときの印象では、これだけのスピー
カー・システムを揃えるのは大変だなと思ったものです。
 しかし、Tさんによると、秋葉原のヒロセ電機に行くとホーム
シアター体感ルームがあり、5万円程度のスピーカーシステムも
あるというのです。
 そこで、調べてみたところ、確かに「5.1chスピーカーセ
ット」(ソニーSA−VE525)というのがあり、実勢価格は
6万円前後で購入できることが分かりました。直径50ミリのフ
ルレンジユニットを2個装備した小型スピーカ−5個と最大出力
120Wのアンプを内蔵したスーパーウーハーのパッケージとい
う内容で、6万円なのです。
 6スピーカーによるサラウンドのシステムを組んでおくと、D
VDでドルビーデジタル5.1chやdtsまでの主要な再生に
対応できるのです。なお、ドルビーデジタル5.1chでは、6
つのスピーカーはすべて同一のものを使うことが原則です。その
ため「5.1chスピーカーセット」は便利なのです。
 最後に「dts」とは何でしょうか。
 「dts」は、デジタル・シアター・システムの略で、映画館
の音声システムとして開発された方式です。音声情報を4分の1
に圧縮し、ドルビーデジタルの約3.5倍のデータ量で記録して
いるのです。dtsで最初に公開された映画はあの「ジェラシッ
クパーク」なのです。サラウンドでさらに高音質を可能にした注
目の方式がdtsなのです。この話題はまだ続きます。

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2001年11月19日

DVDソフトから先進の技術を読む/2(EJ746号)

 DVDの話を続けます。本格的なデジタル音声になるまでの映
画の音声処理はどのようにしていたかご存知でしょうか。
 それは、フィルム上にアナログ光学音声信号を記録しておき、
それを読み取って再生していたのです。初期のドルビー・デジタ
ルにおいても、フィルムの縁にはアナログ信号、フィルムの穴と
穴の間(パーフォレーション)にデジタル信号を記録して、それ
を専用のデコーダで伸張してサウンドを出していたのです。
 しかし、この方法では、上映回数を重ねるごとに物理的にフィ
ルムに傷ができて音質が落ちてくることは避けられなかったので
す。この問題点を克服したのが「dts」 なのです。
 「dts」のデジタル・サウンドトラックは、デジタル音声そ
のものはフィルムではなくCDに記録されており、フィルムには
タイムコードが焼き付けられているので、再生システムがそれを
読み取り、CDと同期して映画が上映されるのです。
 DVDソフトの裏にある「dts」の文字は、それがdtsに
対応していることを示しています。しかし、肝心のDVDプレー
ヤがdtsに対応していることが必要です。最近のDVDには、
かなり低価格のものでもdtsに対応していますが、購入すると
きには一応確める必要があると思います。
 DVDソフトを購入するときもうひとつ注意すべきは、画面サ
イズです。画面サイズには次の3つがあります。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
   1.スタンダード・サイズ ・・・ 1:1.33
   2.ビスタ・サイズ ・・・・・・ 1:1.85
   3.シネマスコープ・サイズ ・・ 1:2.35
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 DVDを上映するテレビが普通のテレビであれば、スタンダー
ド・サイズ用のソフトであれば、テレビの画面一杯に映像が表示
されます。このサイズは、古い映画やテレビ・ドラマのソフトに
多いですが、すべてのソフトにこのサイズが揃っているわけでは
ないのです。そういう場合は、2の「ビスタ・サイズ」を購入す
るしかないのです。この場合は、画面の上下は黒地になります。
このサイズの縦横の画面比率は「1:1.33」であり、DVD
では「4:3スタンダード・サイズ」と記されています。
 2のビスタ・サイズは、横に長い映像です。縦横の画面比率は
「1:1.85」であり、画面の上下が黒地となっています。D
VDのソフトには「4:3ビスタサイズ」と記されています。
 3のシネマスコープ・サイズは、ビスタ・サイズよりもさらに
横長の画面で、縦横の比率は「1:2.35」となっています。
DVDには「WIDE SCREENシネマスコープ・サイズ」
か「16:9LBシネマスコープ・サイズ」と記されています。
 このように「16:9LB」と記されているDVDソフトは、
映像がスクイーズ(横圧縮)で収録されています。ビスタ・サイ
ズにも「16:9LB」と記されているものがあります。これを
ワイドテレビで観ると、高画質で再生されるようになっているの
です。なお、このサイズで観る場合、DVDブレーヤの初期設定
を「ワイド」に指定しておく必要があります。
 もうひとつDVDソフトを購入するとき、知っておくべき大事
なことがあります。それは、DVDソフトはビデオと違って、再
生できる国が制限されていることです。つまり、輸入版のDVD
ソフトは再生できないものがあるということなのです。
 原則的に日本製のDVDプレーヤでは、日本国内で購入できる
DVDソフトしか再生できないようになっているのです。日本の
リージョン・コードは2であり、米国のそれは1です。しかし、
DVDソフトに「ALL」または「FREE」と表示されている
ものは再生可能なのです。
 しかし、米国のDVDソフトの「ALL」または「FREE」
は日本製のDVDプレーヤで再生可能ですが、ヨーロッパのDV
Dソフトの「ALL」または「FREE」は再生できないと考え
てよいのです。それは、DVDの伝送方式が日本とヨーロッパで
は、次のように異なるからです。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
    1.NTSC方式 ・・・・・ 日本、米国
    2.PAL 方式 ・・・・・ ヨーロッパ
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 NTSCは、日本や米国で採用されているカラーテレビ放送の
伝送信号の規格のことです。モノクロ放送との互換性を維持する
ために、色信号と輝度信号を分離して伝送する方式のことです。
モノクロ受像機で受信する場合は、輝度信号だけを利用すること
になっているのです。
 ヨーロッパでは、NTSCとは異なるPAL方式やSECAM
方式が採用されているので、ヨーロッパで録画されたビデオやD
VDソフトは、国内のビデオやDVDプレーヤでは見ることはで
きないのです。
 ところで、DVDソフトには「マルチ」という名前がついてい
るものがたくさんあります。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
  1.マルチ・オーディオ   3.マルチアングル
  2.マルチ字幕       4.マルチチャンネル
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 ビデオには、日本語字幕版と吹替え版が別々に販売されていま
すね。しかし、DVDソフトのほとんどは両方とも入っているの
です。これが「マルチ・オーディオ」です。「マルチ字幕」は、
英語、フランス語、スペイン語など、複数の字幕が用意されてい
るものをいいます。映画を見ながら語学の勉強ができますね。
 「マルチチャンネル」は、劇場公開版と劇場公開版にはないカ
ットを加えた特別編との両方を観ることができるものです。「マ
ルチアングル」は、ひとつのシーンを別のアングル、すなわち撮
影の裏側、絵コンテなど最大9つの画面をスイッチひとつで切り
替えて観ることができるものをいいます。宮崎作品では全編絵コ
ンテと切り替えて観ることができるのです。

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2001年11月22日

DVDの高画質化と高音質化を探る(749号)

 再びDVDの話です。なぜ、DVDをEJで取り上げたかとい
うと、私自身がDVDを購入しようと思ってビックカメラに下見
に行ったとき、その価格差があまりにも大きいこととその多機能
さゆえに選択が非常に難しかったことです。そこで少し勉強しよ
うと思ってDVDの解説書を探したところ、購入のガイドになる
本が非常に少ないことに気がついたのです。
 DVDをEJで取り上げたところ、既にDVDを使っている数
人の読者から貴重なアドバイスもいただき感謝しております。私
はDVDで映画などを観るだけではなく、新技術のCDも聴きた
いと考えており、かなり情報を集めましたので、それらをご紹介
したいと考えたのです。
 DVDプレーヤは本当にピンからキリまであります。そこでピ
ンのプレーヤを1台ご紹介しましょう。それは、「“moga”DV
01D」というプレーヤです。価格は何と13980円です。
 “moga”なんて聞いたことがないという人がほとんどであると
思います。それもそのはずで、“moga”は家電量販店コジマのオ
リジナルブランドであるからです。
 DVDの基本機能をチェックしてみます。CDの再生、マルチ
字幕、マルチ言語に対応し、ドルビーデジタル、dtsといった
サラウンドに対応したデジタル音声出力端子も付いています。
 DVDビデオ、ビデオCD、音楽CDに加えて、CD−R/R
Wのほか、MP3フォーマットで作成したディスクの再生も可能
になっています。CD−R/RW再生とMP3については改めて
説明します。
 このように、最近のDVDプレーヤは低価格機でもこのように
優れた機能を有しており、とりあえずDVDを楽しみたいが、お
金をかけたくない場合は、ピンの“moga”でも十分その期待に応
えてくれるのです。
 さて、もう少しましなDVDプレーヤを購入するには、次の2
つの方向があります。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
  第1の方向 ⇒ より「高画質」のプレーヤを求める
  第2の方向 ⇒ より「高音質」のプレーヤを求める
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 第1の方向である「高画質」について考えましょう。そのキー
ワードは「プログレッシブ」です。つまり、「プログレッシブ回
路」を備えたDVDプレーヤを求めればいいのです。
 DVDの画質は非常に優れており、赤ちゃんの細かな産毛まで
1本1本鮮明に映し出す力があります。しかし、大画面で見たと
きに走査線や画面のチラツキが気になることがあります。この原
因はインターレースという画像を作り出す方式にあります。
 通常のテレビは、画面表示を2段階の走査で行います。1回の
画面表示は奇数段目、2回の画面表示は偶数段目というようにで
す。これをインターレースといいます。動画を表示するときこの
方法で行うと画面のチラツキを抑えることができるのです。
 一方、文字や静止画が多いコンピュータのディスプレイの場合
は、インターレースでは逆にチラツキやにじみが生ずることが多
いのです。そのため、コンピュータのディスプレイでは画面表示
を1回の走査で行う方式が採用されています。この方式をノンイ
ンターレース、またはプログレッシブというのです。
 このプログレッシブ方式は動画を大画面で見るときに威力を発
揮するのです。しかし、プログレッシブには動画再生時にチラツ
キが出る副作用があります。そこで、新しい技術でこの副作用を
抑える処置が行われたものがDVDのプログレッシブ方式なので
す。これにより、フィルム素材でもビデオ素材でも自然で緻密な
画面が表示できるようになったのです。
 当初このプログレッシブ処理はテレビの方でやっていたのです
が、DVDプレーヤ側で行った方が画質がきれいなので、プログ
レッシブに対応したDVDプレーヤが登場したのです。
 したがって、「高画質」を求めるのであれば、プログレッシブ
に対応したDVDプレーヤを購入すべきです。とくに28型以上
の大画面テレビでDVDを観る場合は、プログレッシブ対応のD
VDプレーヤがお勧めなのです。
 それでは、プログレッシブ対応のDVDプレーヤの価格はどの
くらいするのでしょうか。
 結論からいうと、そのほとんどは4万円以上すると考えてよい
と思います。代表機種を3台ほどご紹介しておきます。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 1.東芝  SD−5500 ・・ 実勢価格45000円
 2.三菱  DJ−P500 ・・ 実勢価格40000円
 3.ビクターVP−P300 ・・ 実勢価格40000円
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 続いて第2の方向である「高音質」について考えましょう。
 DVDというと、映画を観るものという印象が強いので、高画
質にどうしても目がいってしまうものです。しかし、私の場合は
高音質に重点を置いて選ぶつもりです。ところが、高音質に重点
を置いてDVDプレーヤをチェックすると、価格は一挙に10万
円に近くなるか、10万円を軽く超えてしまうのです。そのため
高音質に重点を置いてDVDプレーヤを選ぶと、それは同時に高
画質にも対応していることになります。
 ここで「高音質」とは、具体的には次の2つの音楽フォーマッ
トを意味しています。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
  1.DVD オーディオ
  2.SACD(Super Audio CD)
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 CDが初めて登場してから20年になります。これからDVD
の全盛時代になりますが、そのDVDの登場と同時にCDを超え
るものが普及しようとしています。DVDオーディオとSACD
――この2つについて来週から述べていきたいと思います。

749号.jpg
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2001年11月26日

CDはなぜ冷たい音になるのか(EJ750号)

 DVDプレーヤを購入しようとする場合、「高画質」を求める
方向と、「高音質」を求める方向の2つがあります。「高画質」
については、EJ749号で述べたので、今朝は「高音質」につ
いて考えてみたいと思います。
 何度も述べていることですが、DVDプレーヤはCDプレーヤ
としても使えます。これからお話ししようとすることは、DVD
プレーヤの中には、現在のCDを超えるCDを再生できるものが
あるということです。
 これまで人間の耳は20キロヘルツまでの音しか聞こえないと
されてきました。そういうわけで、現在のCDに記録されている
高音の領域は20キロヘルツでカットされているのです。人間に
聞こえない音を録音しても仕方がないというわけです。
 しかし、現実には20キロヘルツ以上の高音が存在し、人間に
は聞こえないはずのその高音が音楽の忠実な再生に重要であるこ
とが分かってきたのです。そういう事実を踏まえて、次の次世代
オーディオが登場してきたのです。DVDプレーヤの中には、そ
ういうオーディオを再生できるものがあるのです。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
  1.DVDオーディオ
  2.SACD
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 20年前にCDが登場したときから「CDの音には暖かみがな
い」ということがいわれてきました。私は1984年頃からCD
を聴いていますが、LPの音とは明らかに違いがあります。LP
の音の方がやわらかく、暖かみがあるのです。CDはノイズがほ
とんどないので、そう聞こえるのかも知れませんが、CDの音は
冷たく固いサウンドといえます。
 昔の話ですが、N響の名誉指揮者をしていたこともあるオット
マール・スィトナーという指揮者が、ドレスデン・スタツカペレ
というオーケストラを指揮してモーツァルトの交響曲を録音した
ステレオLPがあったのです。その演奏は実にやわらかくしなや
かで、しかも伸びのある何ともいえない良いサウンドだったのを
今でも覚えています。
 CDで同じ指揮者による同じオケで、同じモーツァルトの交響
曲を演奏したものを探して聴いてみたのですが、そのサウンドは
全く違うように聞こえたのです。そこには、しなやかさも暖かみ
もほとんどなかったのです。
 少し専門的になりますが、この原因を探ってみましょう。
 今から20年前にCDが登場したとき、CDの規格は44.1
キロヘルツ/16ビット/リニアPCMという当時としては、最
高レベルの技術が使われていたのです。
 しかし、添付ファイルを見ていただくと分かりますが、44.
1キロヘルツ/16ビットでは、音の自然な波形とは似ても似つ
かないガタガタの波形になっているのです。もっともデジタル記
録なのですから、ガタガタをゼロにはできないのですが、そのガ
タガタを小さくして自然の波形に近づけることはできるのです。
 このガタガタを小さくして、オリジナルな波形に近づける方法
には、次の2つの方法があるのです。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 1.量子化ビット数を増加させる
   → 波形を縦方向により細かく表現する
 2.サンプリング周波数を上げる
   → 波形を横方向により細かく表現する
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 難しい話になってきましたが、次世代オーディオ規格のひとつ
「DVDオーディオ」について考えてみます。
 DVDオーディオは、CDと同じPCMを採用しています。P
CMというのは、アナログデータである音を、一定の時間ごとに
デジタルに変換(AD変換)してデジタルデータにすることをい
います。このことを「サンプリング」ともいいます。
 CDと違ってより高域まで記録するために、サンプリング周波
数を2チャンネル/ステレオで最大192キロヘルツまで伸ばし
よりダイナミックレンジを拡大するために、量子化ビット数をC
Dの256倍となる24ビットまで上げているのです。
 数字を細かく詮索する必要はないが、要するにCDとは大幅に
違うということを知っていただきたいのです。192キロヘルツ
/24ビットにすると、自然な音の波形と相当程度まで近づいて
いるのです。
 実はLPはまがりなりにも、音の波形をアナログで記録/再生
しています。ですから、いい機械を使っていると、CDには出せ
ない22キロヘルツを超える音を出せるので、自然な音を再生で
きるのです。LPの方が音がやわらかく、しなやかで暖かみがあ
るというのは、こういうところからきているのです。
 要するに、DVDオーディオは、6チャンネルで24ビット、
96キロヘルツ(2チャンネルの場合は192キロヘルツ)のサ
ンプリングの明瞭な音を提供する能力を持っているのです。とこ
ろが、DVDビテオの場合は、16ビット/48キロヘルツのサ
ンプリングの圧縮した音になってしまいます。
 DVDオーディオとDVDビデオの音の違いは相当音痴な人で
もわかるほどの差があります。しかし、そういうDVDビデオの
音でも、16ビット/44.1キロヘルツのCDの音よりは、格
段に優れた音質といえるのです。
 それにDVDオーディオは、マルチチャンネルオーディオにも
力をいれているのです。最大6チャンネルのサラウンドは単に複
数のチャンネルを持っているというだけではなく、制作者の意図
に沿ったミキシングが行えるようになっているのです。
 フロント2チャンネルを重視する場合、フロント3チャンネル
を重視する場合、4隅を重視する場合の3つの場合について、ミ
キシングが行えるのです。
 明日は、DVDオーディオの再生音についてお話しします。

750号.jpg
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2001年11月27日

8.5GBを音楽再生に使うDVD−A(EJ751号)

 ある読者から、興味と関心はあるのだが、話の内容がかなり難
しくなっており、問題をよく整理できないというメールをいただ
きました。確かにかなり複雑な話なのです。そこで、もう一度話
を整理してみたいと思います。
 現在家電量販店で販売されているDVDプレーヤは、DVDビ
デオディスクとDVD用の音楽ディスク、それに普通の音楽CD
の再生ができるのです。CDを含むこれら3つのディスクのサイ
ズはいずれもCDと同じ12センチです。
 一般的に単にDVDというと、映画などの映像のディスクを見
るマシンという印象が強いと思います。今までは、DVDと似た
ものとして、レーザーディスク(LD)がありましたが、DVD
はそれに代わるものという理解です。
 ちなみにLDはDVDとはディスクサイズも違いますし、その
内容はアナログであるのに対し、DVDはデジタルであり、ディ
スクの容量が大きいので、LDよりもはるかに小さい12センチ
に収まってしまうのです。
 さて、DVDビデオディスクとDVD用の音楽ディスクについ
て説明しましょう。
 DVDビデオディスクは、CDショップで販売している映画な
どのDVDディスクのことです。問題はDVD用音楽ディスクの
方です。これがいまお話ししている「DVDオーディオ・ディス
ク」(以下、DVDオーディオ)なのです。
 CDとDVDは、その収録できる容量が次のように大きく違い
ます。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
     CD  ・・・・・ 650MB
     DVD ・・・・・ 4.7GB
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 しかも、DVDは二層化することができますから、この場合は
8.5GBになるのです。DVDビデオの場合は、映像部分に多
くの容量を要しますが、DVDオーディオの場合その大半を音楽
信号として使えるので、今までにないサウンドが出せるのです。
ここにDVDオーディオの魅力があります。昨日からのEJの話
は、このDVDオーディオの話をしているのです。
 というのは、DVDプレーヤを、映像を無視して音楽の再生だ
けに使う人がいるということを知っている人はきわめて少ないと
思うからです。
 このDVDの、一層4.7GB、二層8.5GBという途方も
ない大容量を使う方法として次の3つが考えられます。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
   1.2チャンネル・ステレオとしての高音質化
   2.マルチ6チャンネルでの再生/サラウンド
   3.CD並みの音質を前提としての長時間記録
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 1は、昨日のEJ750号でお話ししたように、サンプリング
周波数を192キロヘルツで24ビット、再生帯域を100キロ
ヘルツまで拡大することができるので、凄いサウンドを実現でき
るのです。
 2についても昨日触れたように、5.1チャンネルなどのサラ
ウンド・サウンドが実現できます。
 3は、音質はCD並み(44.1キロヘルツ/16ビット)で
妥協すれば、圧倒的な長時間記録・再生が可能になります。既に
デンオンでは、ベートーヴェンの交響曲全集を1枚のディスクに
まとめていますし、マーラーの交響曲全集もまとめるという話を
聞いています。もの凄くコンパクトになりますね、
 ところで、DVDオーディオディスクは、既に店頭に並んでい
るのです。「DVD」というマークが付いているので、映像付き
だと思っている人が多いようですが、「DVD/Audio」 と印刷
されているのです。映像付きであると思って買っていき、映像が
出ないといって、あとから取り替えに来る人が多いようです。
 こういう内容をEJのテーマとして取り上げると、これはオー
ディオ・マニアの話で自分には関係がないと考える人が多いと思
います。しかし、私自身はオーディオ・マニアではありません。
自分の音響システムに変更を加えるときは、必ず友人のプロに依
頼することにしています。
 それでは何でそんなに詳しいのかという人がいると思いますが
これは世の中の変化に遅れないための勉強に過ぎません。PCに
ついてもそのように対応しましたが、オーディオの知識も変化に
遅れないための情報集めなのです。
 今どきビデオはどこの家にもありますね。しかし、多くの人は
ビデオの変化に対応できていません。かなり前から、ビデオには
S−VHSという上位規格ができており、現在ではかなり普及し
て価格も安くなっています。
 VHSとS−VHSでは情報量が違いますから、画質に大きな
差があります。困ることは、S−VHSで録画した映像をVHS
では見ることができないケースがあることです。ですから、そう
いう映像を提供したいと思うとき、「お宅のビデオはS−VHS
に対応していますか」と聞かなければならないことことです。
 S−VHSの存在を知っていてS−VHSを持っていない人は
いいと思います。しかし、S−VHSそれ自体を知らない人は、
世の中の動きに明らかに遅れています。それは、単にビデオの進
化の知識がないだけではなく、世の中の動き全体から遅れてしま
う恐れがあります。
 「DVD/Audio」 のディスクを映像付きと間違えて購入し、
映像が出ないと文句をつけて返しにくるお客にはなりたくないと
思います。それは、その人が「DVD/Audio」 についての知識
がないという証明になってしまうからです。
 そういう意味でDVDの話を続けています。なお、DVDが普
及すると、S−VHSそのものも、VHSも、やがては姿を消し
てしまうことになるとは思いますが・・・。

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2001年11月28日

DVD−Aはどのように聞こえるか(EJ752号)

 昨日のEJでお伝えする予定であったDVDオーディオがどの
ように聞こえるかについて今朝はお知らせします。といっても、
私自身はその音をまだ聴いたことはないので、それを聴いた専門
家の感想をお伝えすることになります。
 最初に、オーディオ評論家の喜多尾道冬氏によるDVDオーデ
ィオの感想をご紹介します。喜多尾氏は大変文学的な表現で感想
を述べておられます。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 『一言でいうとCDは特有な硬質なサウンド感がつきまとう。
 風景に譬えれば、凍結した冷たい銀世界の湖面といった印象で
 ある。それに対して2チャンネル用のDVDは、春になって空
 気がなごみ、氷が融け出し、暖かい陽射しが湖水に映り、あた
 りの風景がきらきらきらめいて見える、そんな春風駘蕩とした
 趣き。この二種類の方式を前にすれば、だれも躊躇なくDVD
 をとるだろう。――喜多尾道冬氏の感想より』
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 これは、96キロヘルツ、24ビット、2チャンネルで収録さ
れているDVDオーディオの試聴の感想です。相当音の透明感が
高く、演奏者が近くにいるような感じがするようです。
 別な情報によると、この98キロヘルツと48キロヘルツでは
人の話声からして全然違って聞こえるということです。これは、
DVDオーディオに収録された2人のギタリストによる「禁じら
れた遊び/渡辺香津美&福田進一」における演奏前の説明部分−
渡辺氏と福田氏の話し声なのですが、それを聞いた人が次のよう
に感想を述べています。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 『まず、48キロヘルツの声ですが、よく録れてはいるものの
 とくに感動を覚えるようなものではないです。続いて、98キ
 ロヘルツの声を聞いてみると、がらっと雰囲気が変わったこと
 に気がつきました。声に厚みが出て、ぐっとふくよかになり、
 出演者の周りの空気も感じられるようになりました』。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 「声が変わる」ということは、中低音が変わるということなの
です。これによって、48キロヘルツと96キロヘルツの違いは
別に100キロヘルツの性能保証をしているスピーカで聞くまで
もなく、ミニコンポや普通のラジカセでもその差がわかるくらい
違うということなのです。
 本来人間の耳には聞こえないとされた20キロヘルツ以上の音
をCDはカットしているわけですが、そうしてしまったために本
来そこにあるべき雰囲気というようなものまでカットされ、CD
が冷たい硬質なサウンドになってしまったわけです。
 しかし、DVDオーディオでは、容量に余裕があるので、そう
いう部分まで含めて収録し、再生しているので、ふくよかな暖か
いサウンドが聞こえるというわけなのです。どうでしょうか。聴
いてみたくなりませんか。
 それにマルチ・チャネルですが、どちらかというと、クラシッ
ク音楽ファンは、そもそもサラウンドなるものをあまり重視して
いないと思います。それは、かつて4チャンネル・サラウンドが
話題となったことがあり、私も一時凝って、部屋の4隅にスピー
カを置いて試してみたことがあるのです。
 しかし、結果はひどいものでした。それは、別にどうというこ
とのないサウンドだったからです。ですから、DVDが登場して
再びサラウンドが話題になっても、今度は騙されないぞと少し構
えていたわけです。しかし、どうやら、今度は本物のようなので
いずれ試してみたいとは思っています。
 考えてみると、演奏会ではステージは前方にあり、音は前の方
から聞こえてくるような気がします。しかし、それは目で見てい
るからであって、実際に耳には、360度に垂直方向の音が加わ
り、四方八方から音は聞こえているのです。これを実現したのが
サラウンドですが、それはあくまでソフトしだいということにな
ります。
 しかし、私は“CD”は、コンサートホールそのままに聞こえ
なくてもいいと思っています。音楽之友社が発行している『レコ
ード芸術』という音楽雑誌があります。私は43年以上この雑誌
を毎月精読しています。
 人から聞いた話ですが、この誌名の「レコード芸術」という意
味は、実際にコンサートホールで聴く生の演奏による音楽とは違
う芸術という意味を含んでいるのだそうです。つまり、最初から
生演奏とは違うということを前提として味あう芸術という意味な
のです。
 例えば、テレビでコンサートの録画を見るとしますね。これも
実際にそのコンサートに行って聴く音楽とは違うのです。音楽会
では、ステージでオーケストラが演奏しているだけですが、テレ
ビではいろいろなことができます。
 現在、中心になって演奏している楽器のアップを撮ったり、演
奏者の表情をクローズアップしたりします。それに指揮者の表情
を見せることもできます。演奏会では、通常演奏している指揮者
の表情は見ることはできないので、録画ビデオはビデオとして楽
しむことができます。つまり、別な芸術なのです。
 ですから、“CD”もコンサートのときと全く同じである必要
はない別な芸術として、「レコード芸術」というタイトルが付け
られたのだそうです。当時の録音技術としては、実際のサウンド
とあまり差があり過ぎたので、そういうタイトルを付けざるを得
なかったのかも知れませんね。
 ところで、DVDオーディオが聴けるDVDプレーヤは限定さ
れています。さらにDVDオーディオと競合するSACDという
新しいCDもあります。どうせなら、両方聴けるDVDプレーヤ
を購入したいですね。
 そういう高音質のDVDプレーヤの話は明日お話しします。今
週はDVDの話題で通し、来週から新しい話題を取り上げます。

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2001年11月29日

DVD−AとSACDの両方が聴けるDVD(EJ753号)

 DVDオーディオ(DVD−A)についてお話ししたのですか
ら、スーパーオーディオCD(SACD)についてお話ししなけ
れば、片手落ちということになってしまいます。
 最近「デジタル」が幅を利かせていて、何となく「アナログ」
が古い時代の象徴のように感じられます。しかし、音そのものは
いつまで経ってもアナログのままなのです。
 それに私たちが耳で聴くときの鼓膜や伝達の器官の振動もアナ
ログなのです。つまり、デジタル技術がどんなに進んでも、耳は
音楽をアナログでしかとらえられないのです。
 1997年6月のことです。ソニーとフィリップスは再び次世
代オーディオ・メディアとして、現行CDと互換性のある「SA
CD」の技術発表を行ったのです。このSACDとは一体どうい
う技術なのでしょうか。
 現行CDは、1.2ミリのところに音楽信号を記録してあるの
ですが、さらに半分の0.6ミリのところに、半透明の高密度記
録層を設けて、ここにダイレクト・ストリーム・デジタル(DS
D)によるCDの4倍の情報量を持つハイ・クオリティな音を記
録するものです。つまり、ディスクに二層にわたって記録したハ
イブリット・ディスクなのです。
 このDSDのデジタル信号は、現行のCDの4倍もの情報を持
つ「デルタ・シグマ変調」と呼ばれるパルス列の密度によって記
録が行われています。難しい表現ですが、音の疎密度をパルスの
疎密度に置き換えたものであり、アナログにもっとも近いデジタ
ル記録方式といえます。このサンプリング周波数は、2.822
4メガヘルツであり、CDの実に64倍になるのです。その結果
周波数特性は100キロヘルツ以上、ダイナミックレンジは可聴
帯において120デシベル以上が確保できます。
 それでは、このSACDはどのように聞こえるのでしょうか。
SACDを実際に聴いた人の感想をご紹介します。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 『SACDに切り替わった瞬間、目の前で不意に手を叩かれた
 時のようにハッとした。明らかに違うのだ!単に音がよいとい
うだけではない。CDでは定位が良いとしか捉えられなかった
 音源から、まるでチェロ奏者が目の前で弾いているかのように
 音が聞こえてくるのだ。奏者の周りの空気も手に取るように伝
わってくる。まさに「音が見える」のである』。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 それでは、DVD−AやSACDは、どのようなマシンで聴く
ことができるのでしょうか。
 10万円以上のマシンは排除することにすると、DVD−Aを
選ぶか、SACDを選ぶかの二者択一が必要になります。
 DVD−Aを選ぶケースでは、次の2つのDVDプレーヤがあ
ります。なお、価格はいずれもオープン価格ですが、実勢価格を
示してあります。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
  パナソニック『DVD−RP91』   ¥79800円
  オンキョー 『DV−S757』    ¥80000円
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 SACDを選ぶケースとしては次の1台があります。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
  ソニー   『DVP−NS900V』 ¥80000円
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 ここでご紹介した3台のDVDプレーヤのスペックは、いずれ
もプログレッシブも付いており、十分満足すべきものですが、オ
ーディオに重点を置くユーザにとって一番不満なのは、DVD−
AとSACDの両方が再生できるマシンがないことです。
 しかし、両方のディスクを再生できるDVDプレーヤはパイオ
ニアのDV−AX10というマシンがあるのですが、価格は50
万円と非常に高価なのです。これではちょっと考えてしまいます
ね。DVD−A、SACDの両方が聴けるというのはそれほど価
値があるのです。
 ところが待ってみるものです。この11月中旬に、今まででは
考えられないような凄いDVDプレーヤがパイオニアから発売さ
れたのです。しかも、10万円を切っています。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
  パイオニア 『DV−S747A』   ¥99800
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 このDVDプレーヤが再生できるディスクを上げてみます。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
   1.DVD−A    6.DVD−R
   2.DVD−V    7.DVD−R
   3.CD       8.DVD−RW
   4.VCD      9.SACD
   5.CD−R    10.SACDマルチチャンネル
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 もちろん、プログレッシブ、MP3、ドルビーデジタル、DT
Sにも対応しています。映像については、108MHz/12ビ
ットのビデオDACを搭載しているのです。DACというのは、
デジタル信号をアナログ信号に変換することをいいます。内容は
複雑なので説明を省きますが、このレベルは、従来は54MHz
が最高であったことを考えると、現時点の最高レベルと考えてよ
いと思います。
 といっても約10万円は決して安くはありませんが、ついこの
前なら50万円はした高機能DVDプレーヤが99800円なの
ですから、買いだと思います。DVDプレーヤも一度導入してし
まうと、なかなか買い替えができない商品ですから、できれば少
し高級機を導入してもいいのではないでしょうか。
 99800円といっても、ビックカメラの価格では、7980
0円で出ています。ポイントが8000円付くし、少しポイント
を貯めれば、十分手の届く価格であると思います。

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2001年11月30日

サラウンドに関する実証的研究(EJ754号)

 しばらく続いたDVDの話は今朝で終りです。最後のテーマは
「サラウンド」です。サラウンドを一言でいうと、音をあたかも
その場にいるように聞かせるということになるでしょうか。立体
音響などともいわれますが、いわゆる作った音ではなく、自然の
音場の実現といってもよいと思います。
 現実の音は上下左右四方八方から聞こえてきます。広い空間で
あれば、音は拡散してしまって反響しませんが、部屋のなかなど
では壁や天井などに反響し、これが部屋の空間に音場を作り出し
ているといえます。この音場を複数のスピーカを使うことによっ
て作り出すのが「サラウンド」です。
 サラウンドのはしりは「ドルビーサラウンド」です。これは、
通常の2チャンネルのステレオ信号の中に、セリフを中心とした
センターチャンネルの信号と効果音のサラウンドチャンネルを混
ぜたものです。よく映画のエンドロールにドルビーサラウンドの
マークがついているのを見かけますが、それらの映画にはすべて
その信号が収録されているのです。
 このドルビーサラウンドを実現するには、ドルビープロロジッ
ク・デコーダを搭載したアンプと、センター、フロントの左右、
リア2個のスピーカが必要になります。この場合、音源がアナロ
グであることと、2個のリアスピーカはモノラルで、同じ音を出
しているだけの4チャンネルであることを知っておくべきです。
 正直いってこのサラウンドは劇場の大スピーカシステムで聞く
場合は別としてあまり大したことはなかったのです。しかし、そ
の後サラウンドは大幅に改良されていくことになります。
 まず、音源がアナログからデジタルになって、ドルビーデジタ
ルになります。映画でいうと、1992年の「バットマン・リタ
ーンズ」からドルビーデジタルになったのです。画面側のフロン
トとセンターの音声に加えて、サラウンド音声をステレオ化し、
さらに重低音用のチャンネルも新たに独立チャンネルとして加え
られたのです。これが5.1チャンネル・サラウンドです。
 そもそもこの「5.1」という意味は、フロントの左右スピー
カとセンタースピーカの3個と、2個のリアスピーカの計5個の
スピーカに加えて、重低音再生用のスーパーウーハー1個で構成
されるシステムであるので、そういう名称で呼ばれるのです。
 実は、ドルビーサラウンド方式では、リアのスピーカから出る
音に制限が加えられていたのですが、ドルビーデジタルの5.1
サラウンドではそれが撤廃され、CDと同じ音域までカバーされ
るようになったので、一層迫力が増したのです。
 これを一歩進めたものが1993年に映画『ジュラシックパー
ク』で採用されたDTSです。これについては既に述べましたが
フィルムに加えてCD−ROMに記録した音を出す仕組みになっ
ているので、より原音に近い音が出せるのです。しかし、これを
聴くには、DVDプレーヤとAVアンプがDTSに対応している
ことが条件になります。
 ところで、最近のデジタルサラウンドはさらに新技術が加えら
れているのです。その代表的なものに次の3つがあります。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
   1.ドルビーデジタルサラウンドEX
   2.DTS−ES
   3.THX
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 1と2は、リアセンター用のスピーカを加えている点に共通性
があります。つまり、リアのセンターに1個、左右に2個のリア
を置く7スピーカシステムです。
 1と2のどこが違うのかというと、音の圧縮率の違いに加えて
DTS−EXはリアセンターが独立したチャンネルになっている
のに対し、ドルビーデジタルサラウンドEXのリアセンターは、
擬似的に音を作り出している点にあります。もちろん、DTS−
EXの方がより迫力のあるサウンドになります。
 3のTHXというのは、ルーカスフィルム社の提唱しているも
ので、これはリアセンターに2個のスピーカを使う8スピーカシ
ステムです。このようにスピーカばかりがどんどん増えていって
いるのです。
 THXは、DSPを使った音場プログラムです。DSPとは、
サラウンド音声にさまざまな残響音や反射音を加えて、広がり感
を得ることで、高い臨場感を再現することができます。
 THXと同じDSP処理を使っているのが、ヤマハの「シネマ
DSP」です。DSPデータとしては、コンピュータ上でシミュ
レーションした仮想データを使う場合と、実際にコンサートホー
ルやススタジアムで実測して使う場合があります。
 ヤマハ・シネマ・DSPでは、これらの実測音場データを基に
した音場プログラムを採用し、自然で、クリアな立体感、臨場感
奥行き感を再現しています。
 スピーカを中心に述べてきましたが、最後にAVアンプについ
てお話しします。AVアンプと普通のステレオアンプとはどこが
違うのでしょうか。
 普通のステレオアンプは、左右2本のスピーカを鳴らすために
アンプを2つ積んでいるのですが、AVアンプは、その2本のス
ピーカのほかに、センターと左右のリアを含めた合計5本のスピ
ーカを鳴らすために5本のアンプを最低限搭載しているのです。
 それでは、重低音用スピーカ(スーパーウーハー)はどうなっ
ているのかというと、それはスーパーウーハー自体が専用アンプ
を搭載しているのです。
 そして、AVアンプはDVDプレーヤがピックアップしたデジ
タルの音声信号がDTSやドルビーデジタル5.1チャンネル、
ドルビーサラウンドなど、どの方式のサラウンドかを識別して信
号を送るための、デジタル信号をデコードする回路も搭載してい
るのです。
 DVDについていろいろとお話ししてきました。最近のPCに
は、当然のことのようにDVDが搭載されています。きちんと知
っておいてソンはないと思います。
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2001年12月03日

危機が起こってから対策を練る日本(EJ755号)

 さて、今日からの話題は「危機管理」です。EJでも何度か取
り上げている木村剛氏という経済ジャーナリスト(KPMGフィ
ナンシャル代表)がいま注目されています。木村氏は通貨のこと
を書かせたら大変鋭い的確な指摘をすることで知られていますが
彼が2000年5月に上梓した『通貨が堕落するとき』(木村剛
著、講談社刊)という経済小説があります。
 この小説は大変面白いのでぜひご一読を勧めますが、現在の日
本の状況がしだいにこの経済小説の結末に近い状態になりつつあ
ることに戦慄を覚えます。この本は、日本の破綻のシナリオにつ
いて書いているのです。シナリオをメモ書きすると次のようにな
ります。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
  2000年
   冬、 ペイオフ再延期の決定
  2001年
   1月 関東百貨店の経営危機発覚
   2月 大成銀行破綻
  2002年
   3月 日銀資産が150兆円突破
   8月 東京国際銀行の経営危機発覚
   冬、 円相場1ドル=160円に 輸出主導の景気回復へ
  2003年
   1月 中東危機が勃発 円相場が1ドル=200円に
      原油価格が50超の急騰
   春、 公的資金70兆円が払底
   夏、 物価が前年比20%近くに 高齢者の自殺急増
      失業率が8%超える 自己破産25万件突破
      短期金利が30%超に 国際金利が10%超に
      住宅ローン破綻が急増
      円相場が1ドル=240円に
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 木村剛氏は日銀の出身であり、その読みは鋭く、小泉首相のア
ドバイザーも務めているといいます。しかし、こんなことが本当
に起こるのでしょうか。木村氏は、日本政府が十分なる危機意識
をもって真剣にこれにのぞめば、破綻のシナリオは回避できると
いっています。しかし、・・・・・
 9月11日のニューヨーク・テロの発生より3ヶ月が経過しま
したが、その間のわが国の動きを見ていると、つくづく日本とい
う国は、「危機が起こってからでないと何もしない国」であるこ
とがわかってきて情けなく思います。政府も国民も危機感が決定
的に欠落しているのです。
 あの阪神大震災が起こったとき、迅速に的確な手を打てず拱手
傍観していた村山内閣、それからペルー大使館人質事件における
橋本内閣の無為無策ぶり、そして未曾有の経済危機にきちんと対
応できたとはいえない小渕内閣、そして談合で生まれた森内閣の
ひどさ、その結果生まれた小泉内閣も改革を旗印にしているもの
の、その遂行力には疑問符がつきます。
 とくに狂牛病対策には、小泉首相自身何かひとごとのような態
度に終始しています。狂牛病は1990年以降、英国を中心に、
100例以上の発症が報告されるなど大きな被害を出してきたに
もかかわらず、その前例に何ら学ぶことなく、農水省の対応は、
危機を直視しないという伝統的なやり方を踏襲したのです。
 今年のことですが、EUが日本における狂牛病の発生の可能性
について報告書をまとめようとしたとき、「必要以上に危機を強
調している」と猛反対して取りやめさせたばかりか、たいした調
査もしないのに、「国内の牛は安全」とPRし、もし狂牛病が発
生したときの危機対策も本気で取り組んでこなかったのです。
 そして、狂牛病に感染した牛がいることが発覚してからも、そ
れを危機としてとらえず、全頭検査が決まるとすぐ「安全宣言」
をすることなかれ主義もいいところです。そして、世間の批判が
強くなると、畜産の所管は農水省だか、食肉の所管は厚生労働省
であると責任逃れをする始末です。それを政府はひとごとのよう
な態度で見守っているだけというリーダーシップのなさです。
 日本人の一番のいけないことは、現実を直視しないことです。
危機が起きるまでは「問題なし」といって、現実を直視せず、問
題が発生すると、あわてて対策を練るという態度です。これでは
本当の意味で危機に対応できません。そこで、現在の日本経済の
状況を直視してみたいと思います。
 11月28日、米大手格付け会社のスタンダード・アンド・プ
アーズ(S&P)が日本国債の格付けを引き下げ、先進国中の最
下位のランクになってしまったのです。小泉首相はこの件を新聞
記者に聞かれたとき、胸を張って「これでもし30兆円枠を守ら
なかった大変だったよ」とニコニコとコメントしたのです。
 しかし、S&Pが格下げの理由を述べたところによると、「2
次補正予算」の財源に国債を発行せず、政府の保有しているNT
T株売却代金を当てるという点に懸念を示したものと説明してい
るのです。
 というのは、NTT株の売却代金はもともと国債の返済財源に
使われるものなのに、それを2次補正予算に使おうというのです
から、結局は“隠れ借金”であり、国の債務負担の増加になるか
らなのです。小泉首相の発言を聞いていると、いかに彼が経済に
対して無知であるかがわかつてきます。
 とにかく日本の財政赤字はひどいのです。2001年末の財政
赤字の対GDP比は128.5%になります。これは、98年に
財政が破綻したロシアの60%をはるかに上回っています。国債
の発行残高は今年末で約389兆円に達するのです。
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2001年12月04日

円が大脱走するキャピタル・フライト(EJ756号)

 「キャピタル・フライト」という言葉が流行しています。木村
剛氏の新刊『キャピタル・フライト/円が日本を見棄てる』(実
業之日本社刊)がキッカケと思われます。現在、金融危機で苦し
んでいるアルゼンチンとトルコを例として取り上げてみます。
アルゼンチンは、もともと自国通貨のペソを米ドルにリンクさ
せる兌換制度を採用してきたのですが、ドル高が進んだので、高
くなり過ぎた通貨価値に見合う経済状態を維持できなくなり、貿
易取引については新しい兌換制度を導入せざるを得なくなってい
ます。その結果、アルゼンチンでは、1日当たり2億3300万
ドル(約290億円)の銀行預金が引き出されてドルに換えられ
ているというのです。
これに耐えかねてアルゼンチン政府は、12月1日に銀行預金
の大幅な減少を防ぐため、海外への送金の禁止、銀行からの預金
の引き出し額を制限するなどの大統領令を施行したとニュースは
伝えています。
 トルコでは、2001年2月下旬大統領と首相の深刻な対立を
契機に金融株式市場が動揺し、国債が暴落(金利が急騰)、株価
が暴落して、トルコの通貨リラは対ドルで50%以上下落したと
いうのです。その結果、物価が高騰し、2001年度のインフレ
率は52.5%に達し、自国通貨を嫌ったトルコ国民は、ドルや
ユーロでの支払いを求めているといいます。
 このアルゼンチンやトルコに見られるように、自国経済の実態
が通貨価値に見合わなくなり、資本が海外に流出する――それが
キャピタル・フライト(資本逃避)なのです。別に珍しいことで
はなく、今まで多くの国で起こってきた経済現象なのですが、そ
れが日本にも起こりうると木村氏は警告をしているのです。
 アルゼンチンやトルコ危機といっても日本人はピンときません
が、海外からみると、日本もアルゼンチンやトルコと同じように
経済的に危険な国と思われているのです。
 アルゼンチンやトルコと日本が同じであるというのは、巨額の
財政赤字と過剰流動性を抱えている点です。過剰流動性というの
は、経済全体の規模に対して通貨の供給量が過大な状況のことで
あり、日本は、日銀の金融緩和政策が長期間続けられており、明
らかに過剰流動性に陥っています。
 木村氏は、日本はアルゼンチンやトルコ以上に深刻であるとい
っているのです。それは、アルゼンチンやトルコの国民が経済に
関して強い危機意識を持っているのに対し、日本では国民はもち
ろん政府ものんびりと構えているからです。つまり、危機感がな
いわけです。それは、「危機を直視しない」という日本人独特の
スタンスによるものです。
 通貨危機が起こると一体どうなるのでしょうか。他国の例を参
照してみると、タイの通貨バーツの価値は8ヶ月で半減、韓国の
ウォンは2ヶ月で4割以上の価値が下落、インドネシアのルピア
については8ヶ月で価値が5分の1まで下落、ロシアのルーブル
は10ヶ月で4分の1の下落といったところです。
 もし、円が通貨危機に見舞われると、現在1ドル=120円前
後というレートはたちまち1ドル=200円以上という水準にな
ることは間違いないと考えられます。このように、事態は木村氏
の小説の水準、1ドル=240円に少しずつ近づいていくことに
なるのです。
 問題は、日本がそういう危機に見舞われたとき、政府は機敏に
市場を強制的に閉鎖したり、有事規制を発動するという荒療治が
できるかどうかということです。法律的には、「本邦通貨の外国
為替市場に急激な変化をもたらす場合は」そういう処置がとれる
ことを外国為替法で規定されていますが、日本は一事が万事やる
ことが遅いのです。
 海外のヘッジファンドや有力な投資家はそこを狙って通貨売り
を仕掛けてくる可能性があります。欧米諸国は、アルゼンチンや
トルコと並んで日本を「経済危機に陥っている国」に指名して、
世界経済の安全保障の観点から対応策の検討に入っています。
 英国の中央銀行であるバンク・オブ・イングランド(ROE)
は、「金融の安定性に関するレポート」において日本に対する危
機意識を明確に表明していますし、米国FRBのアラン・グリー
ンスパン議長も日本に対する懸念を表明しています。
 昨日、日本の財政赤字の対GDP比は、2001年度末には、
128.5%に達し、財政が破綻したロシアの60%を大きく上
回っていることを述べました。国債の発行残高も2001年度末
には389兆円になります。
 現在は、超低金利ですからいいとしても、金利が日本の通常金
利の5〜6%になったらどうなるでしょうか。国債残高の389
兆円の5%は19兆4500億円――毎年それだけの額が金利の
の支払いだけで必要なのです。これに償還分を入れると、30兆
円が元利払いのために消えることになります。本当にこのような
支払いができるでしょうか。
 よく日本は世界最大の債権国であり、1400兆円の個人金融
資産があるから大丈夫だなどといわれます。しかし、それは「日
本は経済破綻しない」という条件があるからいえることであり、
日本国民のひとり一人が「日本はダメだ」と思った瞬間、140
0兆円の個人金融資産は日本を壊滅させる一大凶器と化してしま
うのです。
 なぜなら、それらのお金は一斉に日本から逃げ出すからなので
す。その動きはすでにはじまっているのです。国内のお金持ちは
円資産の一部を海外資産へと分散をはじめています。今までであ
れば、円高になるとこの動きは沈静化して元に戻るのですが、最
近は円安傾向に振れており、外貨買いが膨らんでいるのです。怖
いのは、これに加速がついてくることです。
 そうなったら、一斉に「円の大脱走」がはじまると木村氏は指
摘します。そうなると、円は大暴落し、その瞬間に金利は高く跳
ね上がるはずです。これがキャピタル・フライトです。
 このような重大なリスクを日本は抱えています。海外からみる
と、日本は経済的にきわめてリスキーな国なのです。
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2001年12月05日

エンバラッシングといわれる日本経済(EJ757号)

 2001年1月のことです。スイスのダボスで開催されたダボ
ス会議で、森前首相はスピーチを行い、「日本はたくましく復活
する」と宣言したのです。例年ダボス会議では、日本問題は関心
がうすく会場は閑古鳥が鳴いていたのですが、今年は大変関心が
高く、立見席が出たほどなのです。
 この森前首相のスピーチに対して各国の識者たちのもらしたの
は、次のことばだったのです。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
      embarrassing―――エンバラッシング
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 木村剛氏によると、このことばは、日本語に直すと「なんとも
困ったものだ」というよりも「あーあ」という感嘆詞になるのだ
そうです。「だめだ、こりゃ」といったような意味でしょうか。
 日本だけではなく、世界中の人々が「森首相では日本はもたな
い」と感じていたわけです。その結果、生まれたのが支持率が常
時80%を超える小泉内閣だったわけです。
 日本の財政の借金は666兆円だけではないのです。これに特
殊法人などの政府機関の抱える隠れ借金をプラスすると、日本の
財政赤字は1000兆円を超えてしまっているのです。
 この1000兆円という数字――日本の税収は約50兆円です
から20年分の借金ということになります。年収の5年分の借金
を背負うと、生活は困窮するといいますが、20年分の借金を背
負ったら・・・。世界の識者が「エンバラッシング!」と慨嘆す
るのも無理はないのです。
 それでも日本は世界最大の債権国であるとか、貿易黒字による
円高効果があるとかいいますが、このまま行くとそのようなもの
はすべて吹き飛んでしまいます。1970年代に米国は、世界最
大の債権国だったのですが、それがたちまち「双子の赤字」――
経常収支と財政の2つの赤字を抱え、一挙に債務国に転落してし
まったではないですか。
 日本の貿易黒字は年々減少を続けており、現在は年間約10兆
円程度です。しかし、この程度の数字は、1400兆円の個人金
融資産の1%が外貨資産に向かっただけで消えてしまうことにな
ります。1400兆円の1%は14兆円であるからです。
 ところで、国の財政の健全性を示す国際的な尺度には次の2つ
があります。財政が赤字であるからといって、不健全というわけ
ではないのです。要は程度問題です。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
1.国と地方の財政収支のGDPに占める比率 ・・ 3%以内
2.国と地方の長期債務残高のGDPに占める比率 60%以内
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 2001年の暦年ベースで見ると、先進国では、英国、カナダ
米国が財政黒字国であり、あとは赤字国ですが、1の比率を比較
してみます。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
   フランス ・・・・・・・・ マイナス0.1%
   イタリア ・・・・・・・・ マイナス1.0%
   ドイツ ・・・・・・・・・ マイナス1.7%
   日本 ・・・・・・・・・・ マイナス7.7%
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 1の比率は、3%以内であれば、財政は健全と判断されるので
す。財政赤字の先進国はいずれもこの基準をクリアしているのに
日本だけがダントツに悪いのです。
 続いて、2の比率を比較してみます。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
   フランス ・・・・・・・・  63.6%
   カナダ ・・・・・・・・・ 100.5%
   イタリア ・・・・・・・・ 108.3%
   日本 ・・・・・・・・・・ 118.6%
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 2の比率は60%以内の圏内にあれば合格なのです。英国、米
国、ドイツは60%を切っており、合格です。英国にいたっては
先進国中トップの50.7%ですが、日本は118.6%とその
悪さは際立っています。
日本の財政がなぜかくも急速に悪化したかというと、1992年
の宮沢内閣以来、景気対策の名のもとに総額で実に130兆円に
も及ぶ財政出動が行われてきたからなのです。
 財政出動の中身は、公共事業などの政府支出ですが、そもそも
景気対策として公共事業に頼っているのは日本だけです。それは
公共事業費の国際比較――公共事業費の対GNP比率(1996
年)を見れば、明らかです。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
       公共事業費(単位億ドル) 対GNP比
    日本         402.1   8.7%
    フランス        47.0   3.1%
    カナダ         14.1   2.3%
    ドイツ         51.7   2.2%
    イタリア        27.1   2.2%
    米国         129.3   1.7%
    英国          16.1   1.4%
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 どの数字を見ても日本の数字は他に比べていずれもダントツに
よくないのです。景気が悪化するたびに、財政出動の議論をして
いるのは日本だけなのです。それでも景気はよくならない。これ
は、日本の学者、識者、エコノミストたちのレベルの低さを証明
することでもあるのです。
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2001年12月06日

不良債権処理は10年単位の仕事(EJ758号)

 今朝は不良債権の処理について考えてみたいと思います。不良
債権の問題は、多くの人がそれぞれの立場でいろいろなことを述
べていますが、最近一番すっきりしない問題です。
 不良債権処理の問題を考えるには、今年の2月17日にイタリ
アのパレルモで開催されたG7(主要7ヶ国蔵相・中央銀行総裁
会議)において、日本は次の2つの問題点を指摘されたという事
実を念頭に置くべきです。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
  1.株価の下落が続き、経済が下振れするリスク
  2.金融機関の不良債権と金融システムの脆弱性
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 つまり、米国をはじめとする先進国は、日本に対してG7とい
う公式の場において銀行の不良債権の処理を迫ったわけです。こ
れによって日本としては、不良債権処理の日限を国際社会に対し
て明示せざるを得なくなったのです。
 そこで、3月に発表された緊急経済対策において、次の2つの
ことが期間を明示して示されたのです。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
  ●既存の不良債権については2年で最終処理する
  ●新規の不良債権については3年で最終処理する
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 要するに、不良債権処理は国際公約であり、日本としては一歩
も引けない問題となったのです。欧米諸国としては、もし日本が
金融破綻をするようなことになると、それが世界経済を減速させ
国際金融市場にパニックを引き起こす恐れがあると本気に考えて
いるのです。
 これを受けて、現小泉内閣の経済財政諮問会議では、日本経済
の集中的調整と不良債権問題の抜本的解決を2001年〜200
3年度の3年間で行うとしているのです。
 しかし、一番わからないのは、この不良債権処理問題に対して
の小泉内閣内部の政策方針の不一致です。経済財政諮問会議を仕
切っているのは竹中平蔵経済財政担当相なのですが、不良債権処
理を実際に指揮して実行させる金融庁と必ずしも意見が一致して
いないのです。
 柳沢伯夫金融担当相は、主要行の不良債権処理は「向こう7年
間で半減」させるといっているのです。その理由として、今後3
年間に新規の不良債権が毎年6兆円も発生することを上げている
のです。同じ内閣の閣僚なのに、これは一体どうなっているので
しょうか。
 世間一般では、よくテレビなどのマスコミに精力的に出て話を
する竹中経財相の方が正しいと考えているようですが、果たして
本当でしょうか。
 水野隆徳氏という国際エコノミストがいます。水野氏はテレビ
朝日のサンデープロジェクトをはじめよくマスコミに登場するの
でご存知の方も多いと思います。水野氏は富士銀行の出身ですが
その諸説は合理的で納得のいくものであり、私自身は高く評価し
ているエコノミストの一人です。
 その水野氏によると、不良債権処理の見通しにおいては、竹中
氏よりも柳沢氏の方が正しいというのです。その論拠として、竹
中経財相の見通しは、きわめて雑駁で、実現性に欠けると酷評し
ているのです。
 その証拠として水野氏は、小渕内閣時代の経済戦略会議におけ
る主力メンバーであった竹中氏が中心となってまとめた日本経済
再生戦略「バブル経済の集中的清算を1999年〜2000年で
やる」が絵に描いた餅で終わったことをあげています。要するに
今回もそうなると指摘しているのです。
 水野氏は、「バブル経済の清算、あるいは日本経済の調整は、
今後2〜3年単位の仕事ではなく、10年単位の仕事である」と
いっているのです。水野氏が10年かかるといっている根拠は、
米国の主要行の不良債権処理の経過を見ているからです。
 1980年代から90年代のはじめにかけて、シティコープ、
チェ−ス・マンハッタン、ケミカル・バンキングなどは倒産一歩
手前までいったのです。
 しかし、米国の場合、不良債権の残高が最高のシティコープで
も135億5100万ドル(1992年末)、当時の為替相場で
換算して1兆6905円であり、不良債権の対GDP比率につい
ては6.34%と高かったが、他のほとんどの主要行は5%以下
だったのです。
 ところが日本の主要行の不良債権残高は、次のようにケタ外れ
に膨大なのです。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 三菱東京フィナンシャルグループ ・・ 4兆5321億円
 みずほフィナンシャルグループ ・・・ 4兆1955億円
 三井住友銀行 ・・・・・・・・・・・ 2兆8225億円
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 それに不良債権の対GDP比率も日本の主要行は、全行が危
機ラインの5%を上回っているのです。その米銀でも数年を要
したので、日本の場合は10年かかるというのです。

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2001年12月07日

銀行はなぜ査定を甘くするのか(EJ759号)

 小泉内閣の推進する日本経済再生シナリオによると、その骨子
は次の通りです。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 1.3年間(2001-2003) で日本経済の集中的調整を実施する。
 2.その後、少なくとも、約2%程度の経済成長を実現する。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 ここでいう「日本経済の集中的調整」というのは、主要行の不
良債権処理を意味するのです。不良債権処理と一言でいいますが
いう人によってその対象が異なるのです。竹中平蔵経財相の推進
する日本経済再生シナリオによれば、不良債権を2〜3年で処理
する対象は「主要行」だけなのです。その不良債権の額は、シナ
リオが作成された時点では、11.7兆円だったのです。
 それでは、2〜3年で処理できる根拠とは何でしょうか。
 その根拠は、主要行の業務純益は年間およそ3.5兆円であり
3年で10.5兆円になります。差額の1.2兆円は積み立てて
ある貸倒引当金でカバーできるので、3年あれば処理ができると
いう計算です。
 しかし、この「11.7兆円」という数字は、2ヶ月も経たな
いうちに「17.4兆円」に膨れ上がってしまったのです。それ
は、2001年3月期の決算で、不良債権は5.7兆円も増えて
しまったのです。
 どうして銀行の不良債権は、決算を迎えるごとに増加し続ける
のでしょうか。
 この疑問を解くには、「不良債権とは何か」について具体的に
知る必要があります。EJでは何度も取り上げて説明しています
が、銀行は融資先をその財務内容や返済状況にしたがって、次の
5つに分類しています。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
  1.正常先 ・・・・・ 元利返済期日が守られている
  2.要注意先 ・・・・ 赤字企業など注意が必要企業
  3.破綻懸念先 ・・・ 元利返済に3ヶ月以上の遅れ
  4.実質破綻先 ・・・ 債務超過など再建見込みなし
  5.破綻先 ・・・・・ 会社更生法などが適用の企業
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 金融庁による不良債権の定義は、「破綻懸念先」以降、すなわ
ち、3、4、5です。つまり、3以降に関しては、商法の規定に
よって貸倒引当金を積まなければならないのです。
 しかし、不良債権に関するこの考え方は、明らかに実態にそぐ
わないのです。今年の9月に破綻した大手スーパーのマイカルは
「要注意先」もしくは「正常先」(銀行によって異なる)として
査定されていたからです。
 木村氏の指摘によると、倒産した企業の64%は1年前の銀行
による査定で「要注意先」だったという事実があります。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
    正常先 ・・・・・  7%  629億円
    要注意先 ・・・・ 64% 5599億円
    破綻懸念先 ・・・ 26% 2278億円
    実質破綻先 ・・・  3%  267億円
                 (出所:日本経済新聞)
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 これを見ると、銀行の査定がいかに甘いものであるかがわかる
と思います。それは、問題を抱えている大企業――別な表現をす
ると、その不良債権の額があまりにも巨額であるために、十分な
引き当てができないでいる大企業に意図的に甘い査定をしている
のではないかという疑いです。
 それに比べると、中小企業には容赦なく厳しい査定をしている
のです。中小企業など千や二千潰れても銀行にとってはどうとい
うことはないのです。仮に1億円の貸出先が5000社同時に潰
れても、大手行はビクともしないのです。「破綻懸念先」以降の
いわゆる不良債権の3分の2は中小企業です。ここを2〜3年で
直接償却するというのは、中小企業がバタバタ潰れてしまうのを
意味しています。しかし、それをやっても不良債権は一向に解決
しないのです。
 しかし、そういう大銀行でも引き当てが十分積めないほどの巨
額の不良債権を抱えた大企業が何社かダウンすると、簡単に潰れ
てしまうのです。したがって、問題があることを承知しながら、
「破綻懸念先」にはできないでいる問題企業を銀行はいくつか抱
えているわけです。
 木村剛氏は、この問題を「不良債権問題に関する大手30社問
題」としてアッピールしています。この問題は改めてEJで取り
上げますが、木村氏によると、「不良債権問題の核心は大手30
社の引き当て不足にある」といっているのです。これが解決しな
い限り、不良債権問題は解決しないことになります。
 この問題の根は深く、まだ掘り下げてみたいと思いますが、来
週は緊急対策としてウイルスの問題を取り上げる予定です。
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2002年01月07日

ご存知ですか/ネットワーク・ウォークマン(EJ774号)

 昨年暮れに「ネットワーク・ウォークマン」というものを購入
しました。機種は次の通りです。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
          ソニー/NW−E10
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 私は現在コンピュータを職業にしていますが、今までPCに音
楽CDから曲を取り込んだり、聴いたりした経験は一度もなかっ
たのです。そのためNW−E10を使いこなすには何日かかかり
ましたが、その結果、新時代の音楽の聴き方は大きく変わるとい
うことを実感したしだいです。
 そういうわけで新春はこの話題からはじめたいと思います。昨
年暮れにネットワーク・ウォークマンは非常によく売れたそうで
すが、まだあまり持っている人を見かけないので、その詳しいご
紹介はニュースにはなると思います。
 そもそもネットワーク・ウォークマンがどういうかたちをして
いるのかについては添付ファイルをご覧になっていただきたいと
思います。黙ってNW−E10を出すと、誰でもライターだと思
うでしょう。そして、ライターで火をつける要領で音楽が流れる
のです。それほどよく似ているのです。長さ9センチ、幅2セン
チというサイズで、重さは内蔵電池を含んで55グラムですから
胸ポケットに十分収まります。
 NW−E10には、128MBのフラッシュメモリが付いてお
り、標準モードで120分の音楽を入れることができます。従来
のMDウォークマンが最長80分でしたから、120分入るとい
うことはどのような曲でも聴くことができるわけです。ちなみに
「フラッシュメモリ」とは、データの書き換え可能なROMの一
種であり、今やデジタル機器には欠かせないものです。
 肝心の音はどうかというとこれはクリアそのものであり、いう
ことはありません。私はかなり音にはウルサイ方でありまして、
その私がいうのですから、それはかなりのレベルです。
 それでは、このネットワーク・ウォークマンでどのようにして
音楽を聴くのかについてその手順などをご紹介しましょう。
 ネットワーク・ウォークマンには、「OpenMG Jukebox」とい
うソフトウェアが付いていますので、これをPCにインストール
します。このソフトを使うと音楽CDの音楽著作権を保護したま
ま、PCやウォークマンに音楽データを取り込むことができるの
です。このことは著作権との関連であとから取り上げます。
 ネットワーク・ウォークマンとPCは「USBクレードル」と
いうものを介して接続します。USBクレードルにネットワーク
・ウォークマンをセットして、PCのUSBポートに接続して充
電します。最初の充電は5時間ほどかかります。
 充電が終わると、音楽CDから自分がネットワーク・ウォーク
マンに入れたい曲を選んで、PCのハードディスクに取り込みま
す。具体的には、音楽CDをCD−ROM(DVD)ドライブに
セットすると、自動的に「OpenMG Jukebox」が起動され、音楽
CDのトラックが表示されるのです。
 この中から録音する曲を選択してそれらの曲をハードディスク
に取り込みます。音楽をハードディスクに取り込んでしまうとそ
れらの曲をPC上でいつでも再生可能になります。もちろんCD
の録音レベル以上にはなりませんが、PC上で再生される音楽は
かなりクリアな音質なのです。
 曲が複数のCDにまたがるときはそれらの曲も同様にしてハー
ドディスクに収録します。そのうえで、ネットワークウォークマ
ンに収録する曲のプレイリストを作成します。プレイする順に曲
を並べてプレイリストを作るのです。
 そのうえで、プレイリストをネットワーク・ウォークマンに録
音します。ホテルのようですが、これを「チェックアウト」とい
うのです。チェックアウトは私が考えていたよりも、かなりのス
ピードで行われ、ネットワーク・ウォークマンにはプレイリスト
の曲が転送されます。
 ここで大事なことですが、1枚の音楽CDでは最大3回までの
チェックアウトしか許されていないことです。チェックアウト前
の「残りチェックアウト回数」は3でしたが、チェックアウト後
は2となっています。
 しかし、この数字を再び3に戻すことはできるのです。それは
ネットワーク・ウォークマンで曲を聴いて、曲を入れ替えたい場
合にウォークマンをUSBクレードルにセットすると、自動的に
「OpenMG Jukebox」が起動されプレイリストが表示されます。
ウォークマンの曲をPCに戻す操作をすると、「残りチェックア
ウト回数」は3に戻ります。この操作を「チェックイン」といっ
ています。つまり、チェックアウトすることによって減ったチェ
ックアウト回数は、チェックインすることによって取り戻すこと
ができるのです。
 このように、PCからウォークマンにチェックアウトされた曲
は、それを行ったPCのみしかチェックインできないのです。た
とえ他のPCに「OpenMG Jukebox」がインストールされていた
としても、そのPCにはチェックインできないのです。つまり、
ネットワーク・ウォークマンは自分で楽しむことはできますが、
コピーはとれないことになります。著作権を保護したままPCや
ウォークマンにコピーできるというのはそういう意味です。
 ネットワーク・ウォークマンの使い方のイメージをご紹介しま
したが、いかがでしょうか。
 マニュアルはなぜか非常に不親切であり、中級程度にPCが使
いこなせない人には少しムリがあると思います。マニュアルの不
親切さは作成法が下手なのではなくて、ワザと不親切にしている
ような気がします。なにしろ「音楽CDからPCにコピーする」
というように明確に書いておらず、ぼかしているような気がして
なりません。これは音楽著作権問題がバックにあるからであり、
ソニー自身がレコード会社でもあるという事実があるからです。

774号.jpg
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2002年01月08日

著作権法の私的複製について考える(EJ775号)

 昨年12月31日の朝日新聞の朝刊のトップ記事で「音楽CD
コピー防止」という記事が大きく掲載されました。PCを使った
音楽CDのコピーが流行し、その歯止めが効かなくなったとし、
PCを使ったコピーを防ぐ機能を付けた音楽CDを今年中に販売
するという内容の記事です。
 こういうコピー防止の動きと、昨日のEJで取り上げたネット
ワーク・ウォークマン(以下、Nウォークマン)の流行は、どの
ように関連してくるのでしょうか。ネットワーク・ウォークマン
は音楽CDをPCでコピーできなくなれば、その魅力は半減して
しまいます。なぜなら、音楽CDのコピーができなくなれば、音
楽を取り込むメディアがEMDのみになってしまうからです。
 ちなみに「EMD」というのは、次のことばの略であり、「電
子音楽配信サービス」を意味します。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
     EMD=Electronic Music Distribution
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 つまり、EMDはインターネットを通して音楽データを購入し
自分のPCにダウンロードして音楽を聴くという新しい音楽の聴
き方といえます。しかし、EMDでは音楽購入コストが高くつく
のです。この理由はあとで触れます。
 しかし、ソニーのように、一方で音楽CDのコピーを禁止する
運動を進めながら他方でNウォークマンのような商品を出すとい
うのは非常に矛盾しているように思います。
 この間の事情を調べてみると、ソニーは「オープンMG」とい
う著作権保護技術を使ってこれに対応しているのです。「オープ
ンMG」というのは、PCに録音された音楽データの著作権保護
環境を作る技術のことです。PCにインストールされているネッ
トワーク・ウォークマン用ソフトウェア「OpenMG Jukebox」が
音楽データを暗号化し、著作権保護規約に基づいたデータの管理
を行うメカニズムになっているのです。
 著作権法の第30条に「私的使用のための複製」について定め
た次の条文があります。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 第30条:著作権の目的となっている著作物は、個人的にまた
 は家庭内その他これに準ずる限られた範囲内において使用する
 こと(以下、「私的使用」という)を目的とするときは、その
 使用する者が複製することができる。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 法律である以上、著作権を守るということは大切なことですが
この条文において「私的使用の複製」を認めていることは重要な
意義があるといえます。
 われわれは音楽CDを購入して音楽を聴いていますが、普通は
アルバムとして購入するので、自分の聴きたい曲以外の曲も買わ
されていることになります。もちろんそれによって良い曲にめぐ
り会うこともありますし、結果として、1曲あたりの単価も安く
なっています。
 ですから、自分が購入したCDの中から、自分の聴きたい曲だ
けを集めた独自のアルバムを作り、それを最初から通して聴きた
いという欲求は当然出てきます。そもそもウォークマンが流行し
たのは、そういう欲求を実現できたからではないでしょうか。
 つまり、ウォークマンのユーザはCDから録音のできるカセッ
トデッキを持っていて、それを使って自分の購入した音楽CDか
ら自由に曲を選曲して"マイカセットテープ"を作り、それをウォ
ークマンで再生して楽しむという音楽を聴くスタイルを確立した
のです。だからこそ、ソニーのウォークマンは売れたのではない
でしょうか。
 現在では、カセットテープがMDに変わってMDウォークマン
で聴くようになっています。カセットテープが単にMDというメ
ディアに変わっただけであり、ユーザとしての音楽を聴くスタイ
ルは何も変わってはいないのです。
 カセットテープの時代でもレコード会社は、CDからカセット
テープへのコピーに関して「私的使用以外はダメ」とはいってき
ましたが、それは単なる形式的なものでしかなかったはずです。
ちょうど、電車内でのケータイの使用を禁ずるアナウンスと同じ
ようなものであると思います。
 しかし、カセットテープのときは比較的寛容であったといえる
コピーに関するレコード会社の態度が、MDになるといろいろな
面で厳しくなっているのです。なぜかというと、テープに比べて
MDは音が抜群に良くなっているからです。
 そこで、一方においてはレコード会社であり、他方においては
CDから録音できるMDデッキのメーカであるソニーは、一台の
MDから多くのコピーがとれないようさまざまな工夫(完全に後
ろ向きな工夫)をマシンに施しているのです。私は、ソニーの最
新のMDデッキを4台も持っていますから、これは間違いなくい
えることです。最近購入したMDデッキなどは、前の機種には間
違いなく付いていた光の出力端子を外してしまっているのです。
それもパンフなどに十分な予告なしにです。
 しかも、MDに関してはレコーデットMDの発売は完全に中止
されており、MDデッキを生かすにはCDから録音するしかない
のです。それでいて音楽CDからのコピーの防止を主張している
のですから矛盾しています。本当に音楽CDからのコピーを防止
したいのなら、CDからMDに録音できるMDデッキを発売しな
ければよいのです。
 確かに「オープンMG」という著作権保護技術であれば、「私
的使用の複製」は最低限可能であるといえます。しかし、Nウォ
ークマンの専用ソフトの「OpenMG Jukebox」の不親切さはひど
いものです。私的複製を認め、十分な歯止めをかけながら、なぜ
か腰が引けていると感じです。Nウォークマンに収録したプレイ
リストの印刷さえできないのです。
 DVDはもっとひどい世界です。DVDのコピーガードについ
ては明日お話しすることにします。

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2002年01月09日

コピーガードは音楽CDの普及を制限する(EJ776号)

 12月31日付の朝日新聞では、コピー防止ガード付きのCD
発売の根拠を次のように書いています。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 『コピーCDや無料ネット配信が個人が楽しむ域を超えて横行
 しはじめている。そこで、現在と将来のCD売り上げの損失を
 最小限にし、作詞・作曲家や歌手の権利を守って新たな音楽を
 生み出していくため、CDを改良し、デジタルコピーを防止す
 る機能を加えることになった。
  コピーを放置すれば音楽ソフトはだれも買わなくなり、(レ
 コード会社の)将来の経営に大きな不安を残すという危機感が
 ある』。(12月31日付、朝日新聞より)
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 私はここに書かれていることは間違っていると考えます。私は
1958年以来、つまり、ステレオLP時代からクラシック音楽
を中心にレコードを買い、現在はそれをCDに切り換えて続けて
います。仮に私が誰かから、あるアルバムをコピーしたMD(C
D)をもらったとします。私はそれを聴いて「よかった」と思え
ば、きっとその製品版のCDを探して購入するでしょう。
 ネットからダウンロードしたり、誰かからもらったMDはジャ
ケットも付いていませんし、解説のブックレットもありません。
コレクションに加えるには体裁が整っていないのです。タダでも
らったし、もう聴いてしまったから買わないだろうと考える人は
本当の音楽好きの人の気持を知らない人です。まして音楽コレク
ターは欲しいCDをいつでも聴けるようにCDケースの中に入れ
ておきたいものなのです。そういうときはきちんとした製品版を
揃えておきたいものなのです。
 しかし、そのMDを聴いていいと思わなかったら、もちろん購
入しません。そういう意味において、そのコピーMD(CD)は
私にとって試聴盤(サンプラー)としての意味を持つわけです。
日本は欧米に比べてサンプラーが少なすぎると思います。サンプ
ラーは販売を促進させる有力な武器となるはずです。
 もうひとつ、「作詞・作曲家や歌手の権利を守る」とあります
が、真の音楽家は自分の曲や演奏を一人でも多くの人に聴いても
らいたいと考えているはずです。コピーだろうが何だろうが、多
くの人に聴いてもらうことによって満足感をおぼえるものです。
 多くの人がその曲を聴いていいと思えば、さらにコピーされる
でしょうが、必ずCDも売れるはずです。コピーされるぐらいで
ないとミリオンセラーには絶対にならないと私は考えます。
 それなのに、レコード会社はなぜケチくさいことを考えるので
しょうか。今までコピーを禁ずる措置を施したものが、爆発的な
ヒットをしたことがありますか。DATしかり、SACDしかり
DVDオーディオしかり――売れていますか。全部ダメじゃない
ですか。こんな簡単なことがレコード会社はなぜわからないので
しょうか。それは、レコード会社の経営者に真に音楽を愛する人
がいないからではないかと思っています。
 先ほども述べたように、CDのコピー防止の声は、メディアが
MDになってデジタルコピーができるようになることによって強
くいわれるようになっています。しかし、真のデジタルコピーは
親CDから子CDまでは許されていますが、その子CDを親とす
るデジタルコピーはできないようになっています。
 しかし、アナログコピーであれば何回でもできるようになって
います。これは私的複製である限り許されてしかるべきであると
思います。しかし、新聞に書いてあるコピー防止を施したCDか
らは一切のコピーがとれないようになるはずです。つまり、私的
複製でもできなくなる可能性があるのです。
 DVDソフトはもっとひどいです。DVDソフトのほとんど全
部に「複製不能」と書いてあります。もっとも私の知る限りでは
そう書いてあってもコピーできるDVDソフトもあるのです。
 DVDソフトの制作会社の考え方としては、映画をコピーする
必要はないという考え方に立っていると思いますが、音楽の映像
のことをどう考えているのでしょうか。音楽映画は劇映画よりも
繰り返し見る可能性が高いといえると思いますが、そのつどアタ
マから見るのはうっとうしいものです。といっても、いちいち、
チャプターサーチするのも煩わしい。
 例えば、オペラかミュージカル映画の場合を考えてみます。何
回かは最初から最後まで見るでしょうが、そのあとは、有名なア
リアだけを抜き出してビデオに収録し、アリア集を作ったり、ミ
ュージカルのいくつかの歌のシーンを抜き出して、ダイジェスト
版を作って楽しみたいと考える人が出てきても不思議はないと思
うのです。もちろんDVD自体は自分で購入したものであること
が前提ですが、それならこういう行為は明らかに私的複製に該当
すると思うのです。しかし、DVDではそれができないようにコ
ピーガードがかかっているのです。なぜ、そこまでしなければな
らないのでしょうか。
 仮にDVDのコピーがとれるとしましょう。何にコピーするで
しょうか。可能性としては、ビデオかDVD−Rということにな
りますが、現実的にはビデオということになります。
 どうしてかというと、DVD−Rの場合はコピーするのに時間
がかかるからです。現在の平均コピースピードは、相当レベルの
高いPCでコピーされる映像の時間の3倍もかかるのです。仮に
60分の映像であれば3時間もかかってしまうのです。
 ビデオであれば、DVDの映像は相当劣化して録画されるはず
です。そうであれば、たとえコピー映像を見たとしても、気に入
れば映像のきれいなDVDが欲しくなるからです。
 それでも心配な場合は、劇映画については丸ごとコピーされる
ことを防ぐためのコピーガードをかけ、部分コピーされる可能性
が強い音楽映画については、プロテクトを外す代わりに価格を高
くすればいいのです。
 DVDのコピー問題は次回も続けます。それにPCのソフトに
対するコピー問題も取り上げます。

776号.jpg
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2002年01月10日

CDシングル減少の本当の理由は何か(EJ777号)

 1月8日の朝日新聞によると、CD、LP、テープを合わせた
音楽用レコードの総生産額は、1998年の6075億円をピー
クに減少し、2001年は前年比7%減の5002億円になって
しまったそうです。
 1997年〜1998年に約4億8000万枚あった総生産量
は、前年比11%減の約3億8000万枚に減少し、とくに年間
1000億円、1億5000万枚の生産規模であったCDシング
ルが792億円、約1億枚に落ち込んだと伝えています。
 日本レコード協会としては、その落ち込みの有力な理由として
ネットによる音楽の無料配信をあげているのですが、私はそれに
非常に疑問を感じます。今朝はDVDのコピーガードの続きとソ
フトウェアのコピーを話をする予定でしたが、予定を変更して、
この話題を取り上げることにします。
 CDシングルが売れない理由としては、ネットによる音楽配信
を上げる前に次の3つの理由があると思うのです。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
   1.本当の意味のヒット曲が減少していること。
   2.CDシングルの価格の高さに気づいたこと。
   3.旧態依然たる販売手法に依存していること。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 1の「本当の意味のヒット曲が減少している」ということにつ
いてですが、最近のヒット曲というのは、テレビドラマの主題歌
か、CMソング、キャンペーンソング、映画主題歌がほとんどで
あり、そういうテレビドラマや映画を見ていない人にとっては、
まったく興味も関心もない音楽なのです。
 『TVガイド』2002お正月超特大号に出ている「BEST
HIT 2001」40曲中その内訳は次の通りです。なお、ダ
ブッているものはどちらかに入れてあります。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
  TV主題歌 ・・・・・・・ 17  42.5%
  CMソング ・・・・・・・  5  12.5%
  キャンペーンソング ・・・  3   7.5%
  映画主題歌 ・・・・・・・  3   7.5%
  純粋な歌 ・・・・・・・・ 12  30.0%
 ――――――――――――――――――――――――
                40 100.0%
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 CMソング、キャンペーンソング、映画主題歌などはテレビ主
題歌と同じと考えていいですから、そういう何かに依存した曲は
全体の70%を占めるのです。
 主題歌がヒットしているテレビ番組をいくつか上げてみます。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 「ASAYAN」テレビ東京系・ PIECES OF DREAM
 「HERO」フジテレビ系 ・・ Can You Keep A Secret?
 「あいのり」フジテレビ系 ・・ fragile
 「明日があるさ」日本テレビ系  明日があるさ
 「大学生」テレビ朝日系 ・・・ 眩暈
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 どうでしょう。ご存知の番組がありますか。ほとんどは若い人
向けの番組です。まして、昨年の大ヒット曲の中に「明日がある
さ」が入っているようでは、いかにヒット曲がないかを物語って
います。これではシングルCDが売れるはずがありません。
 2の「CDシングルの価格の高さに気づいた」について述べま
しょう。CDシングルは現在約1000円です。曲は2曲しか入
っていませんから、1曲500円です。これはとても高いです。
アルバムCDなら、新譜でも15〜20曲入って、2500円〜
3000円ですから、1曲150円〜170円です。1曲500
円はあまりにも高すぎるのです。高くて、しかもいい曲がないの
ですからCDシングルの売り上げは減って当然です。なお、ネッ
トで買うと、平均して1曲350円、ジャケットもブックレット
もなく単に曲だけなのに350円はあまりにも高いです。
 あのヒット映画『千と千尋の神隠し』の主題歌「いつも何度で
も」――といってもこの曲は映画のエンディングテーマですが、
ネット上で無料配信され、多くの人が聞いたそうです。その結果
とてもよい曲だということがわかり、CDが売れたのです。テレ
ビでの宮崎映画制作のドキュメンタリーの放映もあって、多くの
人があの曲を知ったのです。映画を見ていない人でもあの曲を知
っている人は多いのです。
 3の「旧態依然たる販売手法に依存している」について述べま
しょう。どこかの業界と同じですが、レコード業界は旧態依然た
る曲の売り方をしています。CDが売れなくなっているのは、レ
コード会社のマーケティング戦略が適切ではないからです。
 音楽というものは、どのようなよい曲でも何回か繰り返し聴く
チャンスがないと曲をよいとは認識しないものです。最近テレビ
では歌番組が減っており、テレビドラマの主題歌などのかたちで
繰り返し聞かせるぐらいしか手がなくなっています。
 そういうときインターネットをなぜ利用しないのでしょうか。
ネットで無料配信されることばかりを恐れていないで、それを逆
手にとって利用すべきです。例えば、ヒットさせたい曲をレコー
ド会社がネットで無料で配信し、感想などを求めるのです。この
場合、大切なことは曲の一部ではなく、全曲を提供した方がよい
ということです。そして応募してくれた人には、CDシングル盤
を提供し、さらに普及に協力してもらうのです。
 いまやPCは単なるビジネスマシンではなく、音楽を聴くマシ
ンになっています。こういう状況においてインターネットを利用
しない手はないと思います。
 CDが売れないのは、ネットの無料配信も多少あるでしょうが
それ以外の原因によるものだと思います。音楽CDにコピーガー
ドをかけるぐらい不毛にしておろかな措置はないと思います。そ
んなことをすればCDはますます売れなくなり、ウォークマンな
どの関連機器にも影響して、逆効果になると思います。


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2002年01月11日

DVDビデオに対するプロテクトの現状(EJ778号)

 私はかつて、ある有名ソフトウェア会社の社長と親交がありま
した。なぜ過去形で書くのかというと、その社長(以下S氏)は
若くして亡くなってしまったからです。
 S氏とはよく酒を飲んでビジネスのことについていろいろ話を
する機会があったのですが、ソフトウェアのプロテクトについて
もよく話し合ったものです。当時、PCのソフトウェアにはプロ
テクトがかけられているのは常識であり、それを外すソフトも出
回っていたのです。
 S氏の会社の主力ソフトウェアにも当初プロテクトがかけられ
ていたのですが、何度かけても外されるということの繰り返しで
あり、いわゆるイタチゴッコだったのです。他のソフトウェアの
会社でもその当時は同様の状態だったのです。
 S氏の話によると、プロテクトは外すよりもかける方が、お金
がかかるのだそうです。そのためS氏の会社はソフトに商品コー
ドは入力させるものの、プロテクトはかけないことを決断するの
です。つまり、コピーされないためのプロテクトの開発にお金を
掛けることは不毛の投資であり、そのエネルギーを製品の開発に
注ぎ込む方がメリットがあると考えたからです。
 以来、マイクロソフト社がオフィスXPでアクティベーション
という究極のプロテクトを開発する2001年まで、ソフトウェ
アの世界からはプロテクトは消えたのです。これは、コピーされ
るくらいのソフトウェアでなければ、ヒット商品にならないとい
う発想が芽生えたことになるといえます。
 ユーザの立場からいうと、あるソフトをコピーして入手したと
してもそのソフトが継続して使われるワープロや表計算のソフト
の場合、当然次々とバージョンアップが行われますが、そのつど
バージョンアップ版のコピーを入手するのは困難です。それなら
正規に購入してユーザ登録をすれば、バージョンアップ版は低価
格で手に入れることができるので、その方がいいと考えるように
なってきたのです。
 しかし、個人ユーザの場合はそれでいいのですが、複数台数の
PCを使う企業などの場合、バージョンアップ版を1セット購入
して、PC1台だけではなく、残りのすべてのPCにインストー
ルしてしまう違法コピーを行うケースがあり、それがアクティベ
ーションという特殊なプロテクトを生む結果になったのは一応理
解できます。
 このように、PCのソフトウェアの場合は、比較的ユーザが納
得できる著作権保護のやり方といえますが、DVDビデオのコピ
ーガードは、著作権法第30条の私的複製も禁じてしまうかなり
キツイものです。メーカ側は、コピーガードを外したらそれだけ
で著作権法違反であるとユーザに警告していますが、むしろユー
ザ側が、メーカ側を著作権法第30条の私的複製権の侵害である
と訴えたいぐらいです。
 専門家である私の友人の調査によると、DVDビデオにかかっ
ているコピーガードの方式は「CSS」というのだそうです。以
下、友人の調査結果をお伝えしたいと思います。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
      CSS=Content Scrambling System
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 プロテクトには「視聴制限レベル」というものがあり、映像内
容によって8段階のレベルを設けています。このレベルが低い映
像はコピーがとれる場合があるそうです。もちろん、視聴レベル
は公表されていません。
 これを外す方法として合法的な方法があります。少し専門的な
話になりますが、PCのVGA映像信号をコンポジット映像信号
に変換する方法―これをダウンコンバートといいます―です。
 実際それを行うコンバーターは存在します。価格は高いもので
20万円を超えるものから、2万円を切るものまであります。い
わゆるピンからキリまであるのです。友人はそのキリのマシンを
入手して実験をやってくれたのですが、コピーガードそのものは
一応外れています。
 マシンというと何か大きな機械みたいですが、マシンそのもの
は手のひらに入るくらいの大きさということです。具体的にいう
とPCとディスプレイをつなぐケーブルの中間にそのマシンは取
り付けられており、そのマシンにはVTRと接続するためのジャ
ックがついているのです。
 つまり、そのマシン、すなわちコンバーターはケーブル付きで
あり、通常のディスプレイケーブルを取り外して、そのコンバー
ター付きのケーブルを使います。そしてコンバーターとVTRを
ケーブルで接続し、PCのDVDドライブにDVDビデオをセッ
トして、VTRに録画するわけです。もちろんPCのディスプレ
イにはDVDビデオの映像は表示されます。
 さて、そのようにして録画した映像を私は見たのですが、かな
り画質は落ちるものの、コピーガードは外れているのです。画質
が悪いのはキリのマシンだからと考えれば、より高いコンバータ
ーを使えば相当マシな映像がコピーできると考えることができる
と思います。
 問題はこのマシン、すなわちコンバーターが著作権違反になる
かどうかです。結論からいって、著作権違反にはなり得ないと思
います。というのは、このマシンは単にVGA映像信号をコンポ
ジット映像信号に変換だけのコンバーターに過ぎないからです。
DVDのコピーガードを外すマシンではないからです。
 ちなみにコンバーターはダウンとアップの2つがあるのです。
PCのVGA映像信号をコンポジット映像信号にするのはダウン
コンバート、その逆はアップコンバートというのです。アップコ
ンバートは安く製品化でき、画像の品位はわるくないのです。
 このように、DVDビデオにいくらコピーガードをかけても、
それを外すマシンは必ずあらわれるものです。かつてコンピュー
タの世界で起こった不毛のイタチゴッコが繰り返されるだけで愚
かなことだと思います。このコピー問題は断続的に来週以降も続
ける予定です。

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2002年02月28日

●金熊賞をとった『千と千尋の神隠し』(EJ第810号)

 2月6日から17日まで開催されていた第52回ベルリン国際
映画祭の最終日に宮崎駿監督のアニメーション映画「千と千尋の
神隠し」が最高賞である金熊賞に選ばれました。このところ日本
は深刻な不況のせいでロクなことがありませんが、このニュース
は唯一明るい話題だったように思います。
 「千と千尋の神隠し」については、昨年の10月15日のEJ
721号から10月19日の725号までの5日連続で取り上げ
ていますが、その後に収集した情報があるので、本日のテーマと
して取り上げたいと思います。
 映画を見ていない人にとっては何のことかさっぱりわからない
話ですが、そういう人は金熊賞を取った機会に映画をぜひご覧に
なってください。本当に印象に残るとてもいい映画です。
 まず、「千尋」という名前について考えます。「千尋」を広辞
苑で引いてみると、次のように出ています。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 千尋=一尋の千倍。非常に長いこと。また、非常に深いこと
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 「尋」というのは、両手を左右に広げたときの両手間の距離を
意味しています。「一尋」は「五尺」(1.5メートル)、また
は「六尺」(1.8メートル)と同じ長さを意味しています。縄
の長さを計るときや水深を計る単位として昔は使われていたので
す。千尋はその千倍――広くて深い心を持つ人という意味です。
 名前といえば、ハクは千尋のお陰で忘れていた自分の名前を思
い出したのですが、どういう名前か覚えていますか。正解は「ニ
ギハヤミコハクヌシ」です。千尋は、自分が昔おぼれかけた川の
名前が「コハク川」であることを思い出して、それをハクに告げ
るのです。とのとき千尋を助けてくれたのがコハク川の主である
ハクだったのです。
 ところで「ニギハヤミ」は、あの「ニギハヤミの命」から来て
いるのでしょう。「ニギハヤミの命」については昨年の4月2日
のEJ587号から597号で詳しく取り上げています。
 「銭婆(ゼニーバ)」と「湯婆婆(ユバーバ)」という特異な
キャラクタが登場しますが、これは双子の姉妹という設定になっ
ています。顔はそっくりですし、どっちがどっちかわからなくな
ってしまいますが、仕事に対して強欲なのは「湯婆婆」(妹)、
千尋に対して優しいのが「銭婆」(姉)です。ちなみに「ゆたん
ぽ」を漢字で書くと「湯湯婆」となりますが、宮崎監督はここか
ら名前を発想したのでしょうか。
 「銭婆」というと、お金に関してがめついイメージがあります
が、このイメージはむしろ「湯婆婆」に当てはまります。2人の
役割分担はどうなっているのでしょうか。
 この2人については、ハクが「銭婆」のところからハンコを盗
んでくる事件を思い出す必要があります。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
  1.ハンコはいつも「銭婆」が管理・保有
  2.「湯婆婆」はハンコを欲しがっていた
  3.そのハンコは魔女の契約印であること
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 「銭婆」が契約印を持っていたということは、油屋の雇用契約
や経理などの大切な契約は、すべて「銭婆」が行っていたことを
示しています。事実上のオーナーです。これに対して、油屋の実
際の運営を取り仕切っていたのは「湯婆婆」――つまり、執行役
員といったところです。
 ですから、「湯婆婆」は油屋の実権が欲しいので、ハクをそそ
のかして「銭婆」のハンコを盗ませるのです。しかし、「銭婆」
は力のある魔法使いであり、人のかたちをした紙の大群を繰り出
し、ハクを追い詰め、瀕死の重傷を負わせます。
 この「人のかたちをした紙」は、陰陽師(おんみょうじ)が使
う「式神」といわれるものと思われます。陰陽師といえば、平安
時代に活躍した安倍晴明が有名ですが、安倍晴明はこの「式神」
の術が得意であったといわれています。
 「式神」は、陰陽師たちの呪いを実行に移す「使役霊」(使い
魔)のことであり、陰陽師に代わって呪いを実行に移すのです。
式神の場合は、使い魔になるのは、人の形をした紙だけではなく
カラスであったり、魚であったり、人間であったり、何でもいい
のです。それを陰陽師は離れた場所から操って呪いの実現をはか
るというわけです。いわば、リモコン人形ですね。
 さて、ハクを救うため魔女の契約印を「銭婆」のところに返し
に行きたいという千尋に対して、釜爺が海原電鉄の乗車券を渡す
シーンがありますね。その切符を見たリンは「どこで手に入れた
のこんなの?」と聞くと、釜爺は「40年前の使い残りだ」と答
えています。釜爺の現在の年齢を70歳とすると、40年前です
から30歳のときに電車を使ってどこかの街に出かけていたこと
になります。「銭婆」の家は海原電鉄の「沼の底駅」から歩いて
数分のところにあるのです。
 映画では油屋の雇用契約は「湯婆婆」と結んでいましたが、昔
は「銭婆」と結んでいたのではないかと推測されます。そのため
契約更新などのたびに「銭婆」のところに行く必要があつたので
海原電鉄の切符が支給されていたのではないでしょうか。
 それとも昔釜爺と「銭婆」は恋愛関係にあったが、「湯婆婆」
と浮気をして「坊」という子供ができてしまったので、「銭婆」
は怒って釜爺と別れた・・と考えることもできます。そうすると
いろいろつじつまが合ってくるのです。
 ところで、この映画にしばしば登場する黒い影の人たちは何者
なのでしょうか。夕方の街も多くの黒い影が歩き回っていました
し、千尋がカオナシたちと一緒に海原電鉄に乗ったとき、他の乗
客はみんな実体がはっきりしない黒い影でしたね。
 千尋が船着場で自分の体が消えかけてパニックになったことが
ありましたが、ハクに丸薬を呑まされて消えずに済んだことがあ
りましたね。あれを飲まないと黒い影になってしまうのです。
 このようにいろいろ想像するのは楽しいことです。
                  −− [千と千尋/06]
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2002年03月01日

●カオナシは日本をあらわしている!(EJ第811号)

 DVDの普及で、最近映画が手軽に見られるようになったと思
います。話題を呼んだ映画、印象に残った映画は、あとから何度
でも見たくなるものです。金熊賞をとった「千と千尋の神隠し」
についても何度も見ているとそのたびに新しい発見があります。
 千尋一家が乗っていた車は何でしょうか。車について交わされ
る会話は、道を間違えて深い山道に迷い込んでしまった父親と千
尋の次の会話です。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 千尋「大丈夫?」
 父親「まかせとけ、この車は四駆だぞ!」
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 車に強い人であれば、映画を見れば車種はわかります。千尋の
父親が運転している車はドイツ製の外車「アウディ」――もっと
正確にいうと、「アウディA4クワトロ」なのです。ちなみに価
格は400万円以上するでしょう。もちろん、左ハンドルです。
 実は、この車は宮崎監督自身が所有している車と同じであり、
映画でこの車の走る音は、本当にこの車種を走らせて音を録音し
たといいますから、この凝り方は尋常ではありません。
 ところで、映画に登場するこの車のナンバープレートは、「多
摩34へ19−01」なのです。このようにリアルにナンバーを
つけると、同じナンバーの人から苦情がくるので、映画のスタッ
フはとても気を使うのです。
 そういうわけで、このナンバープレートは絶対にこの世に存在
しないのです。それは、4桁のナンバーの前に記されているひら
がなが「へ」であるからです。というのは、「お」「し」「へ」
「ん」はナンバープレートとしては使用しないことになっている
からです。他の文字と見間違えたり、「し(死)」など縁起が悪
い文字ということで使わないのです。
 ついでに他のひらがな文字の意味についても述べておきたいと
思います。これは、登録規則第13条第3号で次のように定めら
れているのです。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 ●事業用 ・・・・・・・ あいうえかきくけこを
 ●自家用 ・・・・・・・ さすせそたちつてとなにぬねの
              はひふほまみむめもやゆらりるろ
 ●レンタカー用 ・・・・ われ
 ●駐留軍人軍属私有車両・ EHKMTYよ
 ●不使用文字 ・・・・・ おしへん
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 千尋一家が迷い込んだ不思議な町をよく観察すると、面白いも
の、わからないもの、不気味なものが結構たくさんあります。添
付ファイルの「油屋の町マップ」をごらんください。
 「生あります」と書いてあるので、神様も生ビールを飲むのか
なと思ったりしますが、よく見るとこの店は「目」を売る店であ
り、目を生で売っているのです。そうかと思うと「唇」と書いて
ある店もあります。本当に「唇」を売っているのでしょうか。
 「呪」と「鬼」なんて書いてある店もありますが、どういう食
べ物を出しているのでしょうか。そうかと思うと「CAFE」と
書いてある店もありますね。やはり喫茶店なのでしょうか。油屋
の従業員は休み時間にこんなところでコーヒーを飲むのでしょう
か。もっとわからないのは「ぶく゜」です。「ふぐ」ではありま
せんよ。「ぶく゜」 です。一体何なのでしょう。
 さて、「千と千尋の神隠し」で一番印象に残る登場人物はなん
といっても「カオナシ」でしょう。カオナシは、最初のうちは油
屋に渡る橋のふもとにオドオドとたたずむ何となく寂しげなキャ
ラとして描かれているのですが、油屋の中に入り込むやいなや大
きく変貌し、散在して大暴れをするのです。
 しかし、千尋に対してだけはおとなしいのです。さんざん暴れ
て食べたものを吐き出してしまうと一転しておとなしくなり、千
尋と一緒に海原電鉄に乗って銭婆を訪ねるのです。そして、カオ
ナシだけ銭婆のところに残ることになるのです。
 要するにカオナシとは、顔(自分)を持たない人間なのです。
ですから、欲深いカエルやナメクジ女を飲み込むとそのまま彼ら
の影響を受けてしまうのです。汚いことばで話しはじめ、姿も後
足を持ったカエルのようになります。「もっと料理を食べたい!
金さえ払えば何でもオレのものだ!」という欲望はカオナシが本
来持っていたものではなく、飲み込んだカエルやナメクジ女の性
格なのです。だから、それらを吐き出してしまうと、もとのおと
なしい性格に戻るのです。
 日曜日によくテレビに登場する著名政治コメンテータは「カオ
ナシは日本そのものだ!」といっていましたが、本当にそうかも
知れません。確かに日本はカオがありませんから・・・。
 宮崎監督は、カオナシを登場させることで、10歳の子供に対
してきっと次のようにいいたかったのでしょう。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 『お金がすべてなんて考える汚れた大人になりたくなかったら
 今のうちに確固たる自己を確立しなさい。カオナシみたいにフ
 ラフラしていないで、何ものにも染まらず自分の信念を持って
 進むことです』。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 ところで、神様たちが集合して風呂に入るという行事は本当に
あるのでしょうか。
 「湯立神事」と呼ばれるものがあります。巫女や神職が釜に沸
かした湯に笹の葉を浸して、参拝者にふりかけることで無病息災
を祈るというものです。また、長野県の天龍村に伝わる「霜月神
楽」というものがあります。万物の生命力が衰える冬至の時期に
神々に風呂に入ってもらいその汚れを落とすことで神々の生命力
を回復してもらおうというものです。
                  −− [千と千尋/07]

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2002年03月22日

軍歌は日本精神史の結晶である(EJ825号)

 昨年の暮れのことですが、友人に勧められて慶応義塾大学の塾
員を原則として会員とするBRBというクラブに入会しました。
BRBというのは「ブルー・レッド・アンド・ブルー」のことで
あり、慶應義塾大学の校旗/三色旗の色を意味しています。
 このクラブのどこが気に入ったかというと、午後7時から30
分ごとに演奏されるピアノの演奏にあります。最近はピアノを伴
奏として、ヴァイオリンの演奏も行われています。曲は季節にふ
さわしい曲や映画音楽などのごく一般的なものですが、ステージ
の最後の曲はピアノで慶応義塾大学の応援歌が必ず演奏されるの
です。これが実にいいのです。
 私は幼稚舎から慶応で、慶応以外の学校に行ったことはないこ
ともあって、幼稚舎の頃から耳にこびりついている慶応の歌は何
とも懐かしいのです。ですから、BRBに行くときは、支配人の
深沢さんに無理をいってピアノの音が一番よく聞こえるシートを
とってもらっているのです。
 なぜこんなことを書いたかというと、学校の歌に関連して国歌
と軍歌について少し書きたいからなのです。映画脚本家の林秀彦
氏の近著に『日本人と軍歌/海ゆかば山ゆかば』(PHP研究所
刊)というのがあり、とても面白かったからです。
 軍歌というタイトルをつけた本を書いているといっても林氏は
国粋主義者でも軍国主義者でもありません。彼はテレビドラマや
映画の優れた脚本家であり、その作品には、「ただいま11人」
「若者たち」「七人の刑事」「鳩子の海」などの名作があるので
す。それに林氏は、1988年からオーストラリアに移住してお
り、外国の地から日本を見ているのです。林氏と私はほぼ同年輩
であり、時代背景はよく分かるので、林氏のいわんとするところ
はよく理解できたつもりです。
 この本を読んでいくつかの発見をしました。そのひとつは、米
国には「軍歌」というジャンルの歌が存在しないことです。それ
どころか、世界中に日本のような軍歌は存在しないのです。林氏
は、終戦直後は「タキシード・ジャンクション」が米国の軍歌だ
と思っていたようです。
 林氏は映画『グレンミラー物語』に関して、次のように書いて
います。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 『映画の一場面にもヨーロッパ戦線に慰問に出かけたミラー楽
 団が、大きな飛行機格納庫の中でGIに囲まれ、「チャタヌガ
 ・チューチュー」を演奏する場面がある。
 パードンミーボーイ、イズザッツァチャタヌガ・チューチュー
 と女性歌手が歌うと、男性コーラスが
 イェース、イェース、トラックトゥエンティナイン
 と歌い返す。驚異だった。当時ラジオで聞き、こんな軍歌を歌
 いながら進軍されては、わが皇軍が負けるはずだと肝に銘ずる
 ように納得した』。
 (林 秀彦著、『日本人と軍歌/海ゆかば山ゆかば』より)
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 実は、私もあの映画で、軍艦の中で米軍の兵士がジャズを聞き
ながら攻撃するシーンを見て、「これでは勝てない」と思ったも
のです。
 「軍歌」というジャンルが日本特有のものであるとすると、日
本人がいかにも戦争好きの国民のようにとられ勝ちですが、それ
は大きな間違いというものです。
 工学博士の新津靖氏の書物によると、日本以外の世界では、ユ
ダヤ人がバレスチナに移住した紀元前1880年から、米国のリ
ンカーン大統領が暗殺された1865年の約3700年間の間に
10000回の戦争が起きているのです。その間8000回の平
和条約が各紛争当事国同士で結ばれ、その条約は平均2年で破ら
れています。
 これに対して日本は、曽我・物部氏の争いから西郷隆盛の西南
の役まで50回しか“戦い”を経験していないのです。日本はそ
れまで戦争ということばを使っていないのです。日本における戦
争とは、ムラとムラの間の「諍い」からヤクザの「出入り」、元
寇の役といわれたりする「役」どまりです。あとは「合戦」であ
り「乱」なのです。まして、日本には宗教戦争などは経験したこ
とがないのです。
 戦争と呼ばれ出してからは、世界の帝国主義に巻き込まれた明
治以来、日清・日露・日中を経て大東亜戦争の終結にいたるまで
わずか4回なのです。軍歌は、このような戦争の異常に少ない日
本という国から生まれたものであることをよく認識する必要があ
ります。
 林氏によると、軍歌の起源は「久米歌」であるとのことです。
「久米歌」とは、神武天皇がながすねひこを征伐に行くとき、大
和朝廷の親衛隊である「久米部」を連れていき、彼らの戦意を鼓
舞して歌った歌であり、その歌に合わせて舞った舞が「久米舞」
なのです。この「久米歌」は、現在でも雅楽歌曲として宮内庁に
受け継がれています。実はこの久米歌の中に「撃ちてし止まむ」
や「神風」が出てくるのです。
 日本民族は古代から歌が好きな民族であり、雅楽はすでに10
00年以上前から日本に存在しているし、民謡もわらべ歌も起源
が探れないほど昔からあるのです。日本人は、嬉しいにつけ、悲
しいにつけ、また、恋をし、恋にやぶれ、人を送り、人を迎える
――そういうときに歌を歌い続けてきたのです。このような国は
どこを探しても日本しかなかったのです。
 歌合戦、歌合せというのもあります。林氏の表現を借りると、
「古代、歌は戦いであり、戦いは歌である」といわれていますが
軍歌もそういう環境の中から自然に生まれてきたものなのです。
 林氏は、軍歌は消し去ることのできない質文明としての武士道
的価値観を反映した「日本精神史の結晶」であり、世界に類を見
ないものであるといっています。来週もこのテーマをしぱらく続
けることにします。

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2002年03月25日

軍歌が生み出された背景を探る(EJ826号)

 『海ゆかば山ゆかば』の著者、林秀彦氏は現在オーストラリア
に移住して、海外から日本を見ているのですが、最近の祖国日本
の在りように強い疑問を持っています。
 林氏によると、2001年11月8日のCNNのインターネッ
ト画面には、翻る旭日旗をバックに凛々しく挙手の礼をとってい
る若い日本の“軍人”の写真が載っており、「第二次世界大戦後
日本のトゥループス(軍隊)ははじめて日本の領域から離れる」
という英文のコメントが出ていたそうです。
 記事を読むと、日本の軍隊がどっと押し寄せるという語感があ
り、きっとタリバン側もそう受け取ったのではないかと林氏は、
いっています。それなのに、日本ではこの際に当たって、“武器
使用基準”についてもめていたのです。何と現実離れをした発想
なのでしょうか。それは、「戦争」というものが何もわかってい
ない日本の無残な姿であるといえます。
 林氏が住んでいるオーストラリアのテレビニュースの映像でも
自衛隊の戦車訓練風景の紹介を含め、日本が自分たちの同盟国側
の一員として、戦後初めて武力参加すると決め込んでいるような
報道ぶりであったと林氏はいっています。
 林氏は、日本人は伝統的にデモクラシーならぬ「ブラカシー」
をDNAとして持っているといいます。「ブラカシー」は古い日
本語の「ぶらかし」であり、その意味は次の通りです。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 「態度をきめかね、曖昧に問題処理を一寸延ばしの先送りに
 する姿勢」――→ ぶらかし
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 このブラカシーは、かのペリー艦隊を目の当たりにしても、右
往左往した幕府の対応を見てもいえることです。「テロ対策特別
措置法」に基づく“出兵”などは、ブラカシー法案とそれに基づ
く行動そのものである――と林氏はいっています。
 これは、米国の日本占領政策から続く左翼的日本国家改造計画
の実行部隊である日教組のメンバーが長年にわたってじわじわと
刷り込んでいった日本抹殺プログラムが遂に国民の骨の髄まで浸
透した結果ではないか――と林氏は激白しています。
 林氏は、日本の崩壊は日本が“戦争”ということばをはじめて
使った明治以来の4回の戦争からはじまっているといいます。明
治以来の日本の4回の戦争は、アジアの侵略を実行する欧米の列
強を跳ね除けようとしてはじめた、やむにやまれぬ戦争であった
のですが、そもそも量を争う戦争に質で対抗しようとして日本は
敗れたといえます。
 絶対的な量としての軍事力を向こうに回して、大和魂とか武士
道とか一億一心とかの質で対抗しようとしたのです。軍歌はそう
いう中で生み出されたものですが、林氏は、軍歌は日本の精神的
基盤から生まれた貴重な芸術であるといっています。そして、日
本の芸術について次のようにいっています。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 『芸術は理屈ではない。情のバイブレーションである。特に日
 本で生まれる芸術は、日本人しか持ちえないと私が確信してい
 る“情波”の一つである。音楽にしても絵画にしても建築にし
 ても、いまは同じ芸術という言葉にくくられても、日本のそれ
 は、他に類型を見ない独特の形と内容を持っている。それは、
 「量」の価値観を排する「質」の追求から生まれている。量の
 美と質の美の違いである』。(林 秀彦著、『海ゆかば山ゆか
 ば』より。PHP研究所刊)
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 音楽を例にとると、確かに日本本来の音楽は、西洋のオーケス
トラによる圧倒的な量の芸術ではなく、三味線や尺八などによる
音と音の間の「無音の質」に美を見出す芸術であるといえます。
 軍歌についても貴重な日本的芸術作品であると林氏はいうので
すが、芸術である以上それは強制されたものではなく、すべてが
自発的なものである必要があります。
 現在、60歳以上の世代の人はおそらく軍歌がふつふつと自然
に口をついて出てくるはずですが、それは決して強制されたもの
ではなかったはずです。私自身がそういう世代ですから、それが
強制されたものではないことは確かです。それは、愛国心と歌の
心が自発的に結びついた結果生まれたものなのです。
 そういう意味でかつての軍歌は、学校の応援歌ととてもよく似
ていると思います。なぜなら、学校の応援歌は決して強制される
ものではないからです。
 林氏は、終戦までの日本は、国家自体が芸術作品であったこと
を強調しています。そこに暮らす日本人は一人一人が芸術家であ
り、芸術国家と芸術国民が、非芸術性の化身である戦争に参加し
量を争うべき戦争に質で挑んで敗れ去ったのです。そして、質の
価値が否定されることによって、軍歌は古色蒼然たる使い捨ての
歌として忘れ去られようとしています。
 確かに林氏のいうように、日本の軍歌が芸術作品であることは
国歌『君が代』にしても、準国歌『海ゆかば』にしても、その歌
詞の元が日本の古典、『古今和歌集』や『万葉集』から採られて
いることからもいえると思います。
 ところで、林氏が本のタイトルに付けた『海ゆかば山ゆかば』
の歌の正式な名称は『海ゆかば』というのですが、その歌詞は次
のたったの4行なのです。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
        海ゆかば 水漬く(みずく)屍
        山ゆかば 草むす屍
        大君の 辺(へ)にこそ死なめ
        かえりみはせじ
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 この歌は、万葉集に収められた大伴家持の長歌の一部に、東京
音楽学校教授の信時潔が曲をつけたものであり、戦時中は国歌の
『君が代』に次ぐ第2の国民歌に指定されていたのです。

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2002年03月26日

世界に通用しない特得な日本の歌(EJ827号)

 EJで軍歌のことを取り上げたと思ったら、3月24日の朝日
新聞に軍歌に関する記事が出ました。不思議なものです。
 このたび秘書の不祥事で自民党を離党した加藤紘一氏は、かね
てから自民党の古い体質のことを「若い人のカラオケパーティで
軍歌を歌うようなもの」といっていたそうです。「演歌」といわ
ず「軍歌」といったところが面白いと思うのです。
 加藤氏は、ミスターチルドレンやスピッツなど、若い人に人気
の歌を熱心に覚えることで知られますが、その感覚から自民党の
古い体質を軍歌と表現したものと思います。この表現のしかたで
加藤氏が軍歌を”日本の古き時代のおぞましいもの”というとら
え方をしていることがよくわかります。林氏の考え方とは大きな
差があります。
 「頂点への道/旧来型限界」と題するこの記事は次のように結
んでいます。現在EJで取り上げている軍歌の概念とは関係あり
ませんが、ご紹介しておきます。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 『自民党の「古い体質」、経世会的な「数と力」。加藤氏はこ
 うした「軍歌」を嫌い、若者の歌を懸命に覚えた。だが、自民
 党の枠の中で頂点を目指した加藤氏の歌は、時代の流れに追い
 越されてしまった。しかもその足元は、金庫番が逮捕に至ると
 いう「軍歌」そのものの世界にむしばまれてもいた』。
 (3月24日付、朝日新聞より)
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 軍歌という歌のジャンルが実は日本しかないということをEJ
で書いたところ、何人かの読者から「意外だ」というメールをい
ただきました。私も最初はそう思ったのですが、どうやらそれは
事実のようです。
 確かにCDでも各国の「行進曲集」というのはあっても軍歌集
はないはずです。「米国軍歌集」とか「ドイツ軍歌集」というの
はないでしょう。それなら、どうして日本だけに軍歌というジャ
ンルがあり、平時には歌わない軍歌が多くあるのでしょうか。
 それは、昨日のEJでも述べたように、量を争う戦争において
質で挑戦しようとした結果なのです。多くの軍歌を作って士気を
鼓舞し、精神的な高揚を図ろうとしたのです。きっとそうせずに
はいられなかったのでしょう。
 そういう意味で『海ゆかば』は、軍歌中の軍歌といえると思い
ます。この歌は、昭和12年10月13日に日本放送教会(NH
K)が「国民唱歌」のラジオ放送を開始したさいに、その第1回
の国民唱歌に選ばれた作品だったのです。
 そして、4年後の昭和16年12月15日に『海ゆかば』を国
歌『君が代』に次ぐ第2の国民歌に指定しています。ちょうどそ
の1週間前の12月8日に日本は米英に対して宣戦布告しており
大東亜戦争がはじまっていたのです。当時ラジオではしきりに、
『君が代』と『海ゆかば』が流されていました。
 とくに『海ゆかば』は、戦死者が出るたびに一種の葬送歌とし
て必ず流されたので、国民に対して非常に多くのインパクトを与
えたのです。たった4行のこの歌が戦意高揚に大きな働きをした
のですが、若い人にはピンとこないでしょう。『海ゆかば』につ
いて林秀彦氏は次のように述べています。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
       『海ゆかば 水漬くかばね
        山ゆかば 草むすかばね
        大君の 辺(へ)にこそ死なめ
        かえりみはせじ』
 『この大伴家持の歌には「戦う」という言葉も「勝つ」という
 言葉もない。中に出てくる「大君」という単語も必ずしも「天
 皇」に置き換えることはない。大切な君でありさえすればよい
 のである。あくまでも象徴であり、抽象であり、非合理な質的
 な発想である。全体としての意味は、君のためならたとえ火の
 中水の中・・・、この身を犠牲にしてもなんの迷いも後悔もな
 いという、まるで恋をしている若者のように心身を捧げんがた
 めの歌である』。(『海ゆかば山ゆかば』より)
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 軍歌はない国でも国歌の歌詞には「戦え」とか「勝て」という
ことばが使われています。フランスの国歌には「血塗られた剣を
引っさげて、皆立ち上がり進め」という激しい言葉が綴られてい
ます。しかし、『海ゆかば』には、「戦え」も「勝て」もないの
です。それでいて当時強い戦意の高揚があったのです。
 大伴家持が生まれたときはわかりませんが、死んだのは785
年のことです。それが1000年以上も過ぎてから五線の楽譜に
移され、少なくとも昭和20年までは歌い継がれたのです。そし
て、多くの日本人がこの歌を歌いながら、祖国への犠牲的精神の
発露として散っていったのです。林氏のいうようにこれは「日本
人の精神史の結晶」というべきものといえます。
 考えてみると、日本の歌は中国や韓国は別として、それ以外の
世界に通用しない独特のものです。それは、歌の持つすべての味
のようなものが、あまりにも独特であるためであると思います。
 日本の歌は洋楽を根として、童謡、演歌、歌謡曲、校歌、応援
歌、映画主題歌というように発展していったのですが、それでい
て、その味わいが一種独特なのです。
 シナトラやプレスリーやビートルズが世界中で通用するように
美空ひばりや石原裕次郎の歌が、なぜ世界に通用しないのでしょ
うか。それが、演歌的な世界というローカル的文化性が原因なの
でしょうか。
 終戦後の日本の教育では、日本の独自性、特異性、特有性とい
うような民族性を強調することは軍国主義に通じるとして、マイ
ナスなイメージとして教えられています。しかし、・・・。日本
という国はそんなに軍国主義的な国だったのでしょうか。むしろ
逆ではないのでしょうか。現在、世界のどの国をとっても軍国主
義でない国などほとんどないのです。

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2002年03月27日

戦時歌謡はどのようにして作られたか(EJ828号)

 かつての日本は本当に軍国主義国家だったのでしょうか。それ
は違うと思います。異論の向きもあるかも知れませんが、日本は
四方を海に囲まれている国であり、覇権のために他の国を攻めた
り、侵略したりする国ではないと思うのです。それは、明治以来
の戦争の回数がたったの4回という数字に何よりもあらわれてい
ると思います。
 林秀彦氏は、日本人の戦争意識について次のように述べていま
す。日本人が戦争に立ち上がるのは「お国の大事」という場合に
限られているのです。日本はもともと専守防衛の国なのです。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 『少なくとも明治以来大東亜戦争までの一般日本庶民の念頭に
 ある戦争意識は、十字軍のそれでないどころか、ナポレオンに
 対する帝政ロシアの自衛でもなく、ナチスに対する連合諸国の
 自衛でもなく、短く乱暴に比喩すれば、吉良上野介に侵害され
 た浅野家の「お家の大事」の自衛だった』。
 (『海行かば山ゆかば』より)
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 さて、日本の歌には独特の味付けというか風味があって他の国
では流行しにくいということを書きましたが、例のポール・クル
ーグマンの本に日本人について次の面白い表現があります。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 『何年か前にイギリスの「エコノミスト」誌が日米をうまく比
 較する記事を掲載していた。その記事によると、アメリカの場
 合、たとえ国民全員が火星人に取って代わられても、依然とし
 てアメリカはアメリカである。だが、日本は伝統的に祖先に自
 らのアイデンティティーを求める傾向がある。誤解を恐れずに
 言えば、日本人であるということは、日本人を両親とし、日本
 で生まれたということである』。(クルーグマン著、『恐怖の
 罠/なぜ政策を間違えつづけるのか』、中央公論新社刊)
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 これを見ても分かるように、日本はやはり独特の国であり、そ
れは歌においても同じことがいえるのです。日本の歌に詳しい歌
手の藍川由美氏が、古賀メロディーの原点といわれる「影を慕い
て」について面白い話をしています。
 この歌は昭和5年に佐藤千夜子が吹き込んだのですが、さほど
売れなかったのです。しかし、昭和7年に藤山一郎の歌で発売さ
れると爆発的な大ヒットとなったそうです。同じ歌なのに、どこ
が違ったのでしょうか。
 佐藤千夜子も藤山一郎もともにクラシックの声楽家を目指して
勉強していたのですが、2人の歌には男女の差を越えた決定的な
違いがあったのです。
 佐藤はベルカント歌唱に近い歌い方で、まるでカタカナを読ん
でいるような日本語で歌っていたのに対し、藤山一郎はささやき
かけるような日本語でしっとりと歌ったのです。この藤山の歌唱
法は多くの日本人の心を揺さぶって大ヒットになったのです。
 これは、演歌に限らず、クラシックの歌曲をはじめとし、タン
ゴ、ブルース、ブギウギ、ロックなどについてもつねに「和製」
の冠がつけられ、日本人好みの味付けになっているのです。それ
は、日本語で歌っているというよりもリズムの取り方が日本的に
なってしまい、それで日本独特になってしまうのです。
 ところで、「流行歌」と「歌謡曲」はどこが違うか、ご存知で
しょうか。どちらも似たようものですが、次の違いがあります。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
    流行歌 ・・・・ レコード会社が作るもの
    歌謡曲 ・・・・ 放 送 局が採択したもの
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 もともと「歌謡曲」は、昭和初期に流行したエロ・グロ・ナン
センス的な流行歌に対抗して皆で歌える清新なホーム・ソングを
目指したものです。そのため、放送局が作詞者や作曲者を多数抱
え込んでこれを実現していったのです。
 これが戦時下では「国民歌謡」として、「時局歌謡」、すなわ
ち、「軍歌」になっていくのです。しかし、NHKは戦後になる
と、戦時中放送した時局歌謡をひた隠しにし、臭いものにフタを
しようとしているのです。
 時局音楽に携わった詩人や作曲家の中には、戦後になって自分
は軍歌を作っていないと発言したり、戦時中の歌詞を破棄して新
しい歌詞を音楽著作権協会に登録して、証拠隠滅を図ろうとした
人も多いのです。保身のためなのでしょうが、これは大変残念な
ことだと思います。
 確かに戦時中は歌を作る際にその打ち合わせに軍部も出席して
歌詞などに干渉したのです。作詞家や作曲家――とくに作詞家は
自分の意に沿わない歌詞を押し付けられた人もおり、自分の作品
でも封印したくなる気持もわからないでもありません。
 作詞家の西条八十は「比島決戦の歌」において、敵将の名前を
入れるよう打ち合わせ会議に出席していた将校に求められたとい
います。「水師営決戦の歌」に「敵の将軍ステッセル」と入って
いるではないかというわけです。西条は断固反対したのですが、
強制的に歌詞を変更させられてしまったのです。
 「レイテは地獄の3丁目、出てくりゃ地獄にさか落とし」と西
条は書いたのに「いざ来いニミッツ、マッカーサー、出てくりゃ
地獄にさか落とし」と変更させられたのです。
 こうなってくると、かなり次元が低くなりますが、軍歌の中に
は本当に良い歌もあるのです。そういう戦時歌謡としての軍歌に
関して忘れられない作曲家がいます。古関裕而がその人です。彼
は、誰でも知っている戦時歌謡の名曲をたくさん作曲しており、
隠蔽しておくにはもったいないものばかりです。
 古関裕而氏は平成元年8月22日に亡くなったのですが、その
葬儀には、早稲田大学と慶応義塾大学のそれぞれの応援団が掲げ
る校旗に見送られて出棺したのです。早稲田出身でも慶応出身で
もない古関氏なのになぜでしょうか。その理由は明日のEJで、
詳しく述べることにします。

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2002年03月28日

応援歌づくりの名人/古関裕而(829号)

 作曲家/古関裕而(敬称略)――といってもピンとこないかも
知れません。とくに若い人はほとんど知らないでしょう。13年
も前のことですが、平成元年8月に「古関裕而死す!」という情
報が流れると、私は古関裕而のCDを求めて、CDショップをハ
シゴしたものです。
 古関裕而の作った曲はあまりにもたくさんありますが、次の3
曲なら若い人でも知っているでしょう。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
  1.「巨人軍の歌/闘魂こめて」
  2.「阪神タイガースの歌/六甲おろし」
  3.「全国高等学校野球大会の歌/栄冠は君に輝く」
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 このような応援歌を作らせたら、古関裕而の右に出る人はいな
いと思います。巨人と阪神の、しかもプロ野球の応援歌としては
最も有名な応援歌を同じ作曲家が作っているなんてとても珍しい
ことだと思います。
 それだけではないのです。古関裕而は早稲田大学と慶応義塾大
学の両方の応援歌を作っているのです。昨日のEJの最後の部分
で、古関裕而の葬儀に早稲田と慶応の応援団が駆けつけ、両校の
校旗が掲げられる中で出棺が行われたと書きましたが、彼が両校
の応援歌を作曲しているからなのです。
 最初に作ったのは、早稲田大学の応援歌「紺碧の空」です。昭
和6年のことです。この歌は早慶戦のときに神宮球場のスタンド
でよく聞いたものですが、慶応側の人間もこの曲がいい曲である
ことを認めていて、一緒に歌っている者もいるぐらいです。
 この歌は、古関裕而の同郷の歌手伊藤久男のいとこが早稲田大
学の応援団をやっていた関係で、依頼されたものといわれていま
す。作詞は学生から募集して住治男という人の作品が選ばれてお
り、それに曲をつけたのです。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
       紺碧の空 仰ぐ日輪
       光輝あまねき 伝統のもと
       すぐりし精鋭 闘志は燃えて
       理想の王座を 占むる者われ等
       早稲田 早稲田 
       覇者 覇者 早稲田
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 「紺碧の空」ができた昭和6年当時、慶応義塾も新しい応援歌
を作って対抗しました。その歌は、橋本国彦(故人)の作曲で、
「ブルー・レッド・アンド・ブルー」といったのです。三色旗は
慶応義塾の校旗です。しかし、この春の早慶戦は「紺碧の空」を
歌った早稲田が勝利して「ブルー」は消えたのです。
 戦後になって、中断していた東京六大学リーグ戦が復活した昭
和21年のことです。早稲田大学の「紺碧の空」があまりにもい
い曲なので、慶応義塾大学の応援団が古関家を訪れて「ぜひ応援
歌を作って欲しい」と頼み込んだのです。
 古関裕而は早稲田大学の了解を取ることを条件に慶応義塾大学
の応援歌を作曲してくれたのです。曲が先にできて、あとから慶
応出身の藤浦洸(故人)が歌詞をハメこみ、完成したのが「我ぞ
覇者」なのです。
 この歌は4番まであり、4番は早慶戦用の応援歌になっていま
す。現在では4番だけが独立して歌われるようになっています。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
       よくぞ来たれり 好敵早稲田
       天日(てんじつ)のもとにぞ 戦かわん
       精鋭われに有り 力ぞあふれたり
       おお 打てよ砕け
       早稲田を倒せ
       慶応 慶応 慶応義塾
       叫べよ高く 覇者の名を
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 ついでに「六甲おろし/阪神タイガースの歌」のことも書いて
おきましよう。この歌は昭和11年に阪神球団から依頼されて作
曲され、中野忠晴という人の歌でレコードが作られていますが、
これは一般発売ではなかったのです。このときのタイトルは「大
阪タイガースの歌」で、B面はやはり古関裕而作曲の「大阪タイ
ガース行進曲」が収録されていたのです。
 「阪神タイガースの歌」は、阪神ファンの間にじわじわと浸透
し、やがて「六甲おろし」と呼ばれるようになったのです。1番
の歌詞の最初が「六甲おろしに 颯爽と」ではじまるところから
そう呼ばれるようになったのです。
 東京にいかに巨人ファンが多くてもカラオケで「闘魂こめて」
が歌われることはありませんが、関西ではカラオケで「六甲おろ
し」が歌われることはさほど珍しいことではないのです。そのく
らいこの歌は関西人に浸透しているのです。
 ところで、昨日のEJでご紹介した歌手の藍川由美さん―――
この人は声楽の分野でわが国初の学術博士号を取得した人なので
すが、古関裕而の研究家としても有名です。それに、藍川さんに
は「古関裕而歌曲集」というCDもあります。
 藍川さんはその著書『これでいいのか、にっぽんのうた』(文
春新書)の中で、古関裕而がこれほどの名曲をたくさん作曲して
いるのに、意外に日本の音楽界の中で評価が高くないことに疑問
に感じ、調べはじめたと書いています。
 古関裕而は、昭和4年に行われた英国の国際作曲コンクールで
堂々第2位を獲得しているという事実があるのですが、このこと
は日本の音楽史のどこにも記載はないとそうです。
 しかし、これは事実であり、これによって古関は、日本ではじ
めて国際的に認められたクラシックの作曲家ということになるの
です。日本の音楽ジャーナリズムは、東京音楽大学出身者以外は
音楽家として認めないという傾向があったのです。

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2002年03月29日

情感あふれる古関裕而の軍歌(EJ830号)

 藍川由美氏の指摘によると、昭和のヒトケタの時代には、中山
晋平の「波浮の港」「東京行進曲」「東京音頭」「天龍下れば」
などや古賀政男の「影を慕ひて」「酒は涙か嘆息か」「丘を越え
て」が一世を風靡し、昭和フタケタに入ると古関裕而や服部良一
が登場するのです。
 ところで中山晋平といえば、東京音楽学校を卒業したわが国の
クラシック音楽の総本山とされている人ですが、古関裕而は福島
商業学校卒で正式に音楽教育を受けておらず、独学で作曲を勉強
したのです。
 その古関裕而が、福島商業学校の5年生の夏から翌年の5月に
かけて作曲したオーケストラの作品が昭和4年の英国国際作曲コ
ンクールで第2位に輝いたというのですから、それは日本の音楽
史上の快挙というべきものです。
 しかし、藍川由美氏の指摘によると、その快挙が事実であるに
もかかわらず、堀内敬三の『音楽50年史』、中島健蔵の『証言
・現代音楽の歩み』には一切記載されていないのです。
 古関裕而は日本の音楽界にまったく後ろ盾がなく、独学でもあ
るので、東京音楽学校のメンツを重んじようとしたのか、それと
も国内の著名音楽家に遠慮したのか、この快挙が報道されること
はなかったのです。日本の音楽界は、古関のような在野の音楽家
を冷淡に扱う傾向が強かったことを藍川氏は指摘しています。
 古関裕而のオーケストラの作品がいかに素晴らしいかは、今で
もNHKがスポーツ放送のテーマ曲にしている「スポーツ・ショ
ウ行進曲」や、昭和39年、55歳のときに作曲した東京五輪用
の「オリンピック・マーチ」を聴けば明らかです。
 とくに「オリンピック・マーチ」は古関裕而の天分がいかんな
く発揮された名曲であり、世界中から、誰の作曲かという問い合
わせがNHKに相次いだといいます。そして、いつしか古関は、
「日本のスーザ」といわれるようになったのです。それなのに、
いまだに古関裕而の業績は高く評価されていないのです。
 軍歌の話からかなり脱線してきているようですが、国民歌謡や
時局歌謡(軍歌)は、そのまま校歌や応援歌につながってくる歌
であり、その根は同じものというべきです。そういう意味で古関
裕而も数多くの軍歌を作っているのです。
 その中でもとくに有名であり、名作といわれるものをいくつか
上げ、最初の歌い出しを書いておきます。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
  1.露営の歌 ・・・・・・ 勝ってくるぞと勇ましく
  2.暁に祈る ・・・・・・ ああ あの顔で あの声で
  3.若鷲の歌 ・・・・・・ 若い 血潮の 予科練の
  4.ラバウル海軍航空隊 ・ 銀翼つらねて 南の前線
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 おそらく現在60歳以上の人であれば、最初の歌い出しを見れ
ば自然にメロディが出てくるはずです。それほど何回も聞いたし
聞かされた歌なのです。しかし、それ以上にこれらの歌が質的に
良かったからこそ、記憶に残ったのです。
 この中でとくに印象的なのは「露営の歌」です。この歌は、昭
和12年7月に支那事変がはじまったときに、東京日日・大阪毎
日新聞社(現在の毎日新聞社)が時局歌を募集したところ次点に
なった歌詞に基づいて作られたのです。ちなみに一等当選歌は、
「進軍の歌」であり、これは陸軍戸山学校軍楽隊が曲をつけ、次
点は古関裕而に作曲が委嘱されたのです。
 そのとき古関裕而は満州を旅行中だったのですが、電報で急遽
呼び戻されたのです。古関は下関で買った新聞で「露営の歌」の
歌詞を知り、下関から東京に戻る汽車の中で曲を作り、東京に着
いたときにはできていたという逸話が残っているのです。
 このときの選者のひとりに北原白秋がいたのですが、北原はこ
の「露営の歌」を評して、「うまく曲がつけば第二の『戦友』に
なるだろう」と評しているのを知り、古関は「それなら・・」と
車中にもかかわらず曲をつけたといっています。
 第1位の「進軍の歌」は、いかにも軍歌らしく武張った印象で
あるのに対して、「露営の歌」は戦陣に在って生きていくことの
実感と感慨とをにじませたヒューマンな、もののあわれに通じる
感傷性がみなぎっている良い歌です。
 「露営の歌」は5番までありますが、3番は少しトーンを落と
して歌うよう古関は指定しています。3番の歌詞を紹介します。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
    弾丸(たま)もタンクも 銃剣も
    暫し露営の草枕
    夢に出てきた 父上に
    死んで還れと 励まされ
    さめて睨むは 敵の空
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 一般的に軍歌というと、行進曲風のいかにも士気を鼓舞する押
しつけ的な曲想が多いものですが、古関の曲の場合、行進曲風で
ありながら、そこに豊かな情感というものが感じられるのです。
それが何度歌っても飽きがこない音楽となっているのです。「露
営の歌」もそういう歌のひとつです。
 また、同じ行進曲でも単に勇ましいものから、希望が湧いてく
るものまでいろいろありますが、古関の行進曲風の曲には弾むよ
うなリズムがあって、しかも情感にあふれ、それが素直にやる気
を起こさせる原動力になっているものが多いのです。
 その典型的な歌に、戦後菊田一夫と組んで作ったドラマ「鐘の
鳴る丘」の主題歌「とんがり帽子」があります。これは、もとも
と戦災孤児を励まそうと、米国の占領軍が企画して菊田一夫にド
ラマの制作を依頼してできたものなのです。「緑の丘の 赤い屋
根 とんがり帽子の時計台・・・」ではじまる歌です。
 このドラマの主題歌がどんなに当時の子どもたちの力になった
か、印象に残ったか、現在50歳以上の人ならきっとわかると思
います。

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2002年04月01日

日本の歌の両端に古関と古賀がいる(EJ831号)

 今日から新年度に入りますが、古関裕而の音楽についても少し
書きましょう。
 藍川由美氏は、「日本の歌」の両極端に位置する作曲家として
古関裕而と古賀政男をあげており、両者の決定的な違いは音階に
あることを指摘しています。
 古関裕而の作風は、10代の頃からリムスキーコルサコフやス
トラビンスキー、シェーンベルクといった作曲家の作品の影響を
強く受けています。古関の音楽は、1オクターブを12分割した
12平均律によって構築され、自在な転調をその特色としており
そういう意味でスタンダードであるといえます。
 これに対して古賀政男の音楽は、日本独特の、あるいはアジア
の伝統的な歌唱法をベースとしています。これは、厳密にいうと
古賀政男の音楽は12平均律で調律された楽器では出せない音で
構成されているといってよいと思います。
 藍川氏の本には、12平均律の音階の振動数と、英国人エリス
が明治初期に測定した日本の音階の振動数を比較する表が載って
いますが、そこには微妙な差があるのです。これは何を意味する
のかというと、12平均律で調律されたピアノで日本の音階を弾
くと、日本人の耳には微妙に狂って聞こえたり、心地よくない響
きになったりすることがあるということです。
 そこで、古賀は、自分で自由に調弦できるギターやマンドリン
などの弦楽器を使って作曲し、ピアノでは出せない音を求めたの
ではないかといわれています。古賀の求めた日本独特の音は三味
線などの日本特有の楽器の音にも通じるのです。
 日本の流行歌の世界では、作曲家自身が歌手に直接節回しを歌
いながら伝授するのが通例となっています。そのため、同じ曲で
も歌手によって歌い方はかなり違ってくることになります。
 とくに古賀の作品の場合、その自筆譜には細かい節回しが16
分音符や3連符などを用いて書き込まれており、古賀はそれを使
って歌手に合わせて歌い方を指導したといわれています。したが
って、流行歌の場合、どこまでが楽譜に書かれていることで、ど
こまでが歌手の個性なのかわからないまでに歌と歌手が一体化し
ていくのです。
 これに対して、「雨のオランダ坂」や「三日月娘」、「君の名
は」や「黒百合の歌」などの流行歌も多く手がけている古関裕而
の方は、あくまで12平均律にのっとって音楽を作り、それをき
ちんと音符に書き、歌手がスコアの通りに歌わないと非常に厳し
かったそうです。それに加えて古関は、オーケストラ・スコアや
パート譜までていねいに書き、その通り演奏するよう求めたとい
われています。
 実は古関がスコアを重視したのは、それなりの理由があるので
す。流行歌の世界では、作曲家が作るのは詞に合わせたメロディ
だけであり、それを基にアレンジャーが曲として仕上げるという
スタイルが定着しているそうです。したがって、楽譜が書けない
作曲家も実際には存在するのです。
 前にも述べたように、古関は流行歌作曲家として一段低く見ら
れていたフシがあり、せっかく古関のオーケストラのスコアがつ
いていても、曲の一部がカットされたり、オーケストラのスコア
全部を他の編曲者がやるという、普通では考えられないような失
礼なことも行われていたようなのです。
 これに関して、藍川由美氏は自著において次のように書いてい
るのです。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 『しかし、そういった当時の演奏家の限界を知りながらも、古
 関は理想を曲げることなく自らの書法を貫いた。十代の頃から
 常に「世界」を意識していた古関は、きちんとした楽譜さえ残
 しておけば、いつの日か必ず正しく演奏される日が来ることを
 信じられたのであろう。時代や慣習に流されない立派な態度で
 ある。古関の自筆譜に向き合うことで、こうした生きざまに触
 れ、私は流行歌は下品で、芸術歌曲は高級というような思い上
 がった考え方がいかに空虚なものであるか知った』。藍川由美
 著、『これでいいのか、にっぽんのうた』/文春新書)
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 軍歌についてはもう少し続けますが、古関裕而については今回
で終了するので、最後に興味ある情報を提供します。
 よくデパートやレストランなどで、最後に「蛍の光」が演奏さ
れますね。これはただの「蛍の光」の演奏ではなく、ある特定の
楽団のものを使っているケースが多いのです。
 それはユージン・コスマン楽団の演奏による「別れのワルツ」
なのです。この楽団の演奏は、哀愁切々としており、2番はヴァ
イオリン、3番はかなり凝ったアレンジをしています。これを聞
くと例のセリフ「本日はご来店いただきまして、誠にありがとう
ございました。まもなく閉店時間でございます。またのご来店を
・・」が自然に口をついて出るほどです。
 実はこのユージン・コスマン楽団――これは古関裕而をもじっ
た仮の名前なのです。スコットランド民謡「蛍の光」は昭和24
年に公開された米MGM映画『哀愁』に使われたのですが、古関
はこれをベースに独特のアレンジを加え、コロンビアの洋楽盤と
して「別れのワルツ」というタイトルで発売したところ、これが
ロング・セラーとなって今も使われているのです。
 2番に流れる哀愁切々たるヴァイオリンは、一説によると厳本
真理の演奏といわれています。この盤は1956年に廃盤になっ
ているのですが、その後何度も再生盤が作られて現在にいたって
いるのです。
 私は、ユージン・コスマン楽団の原盤とその再録盤、それから
13年前の最新再現盤(コロンビア・シンフォネット演奏)の3
つを持っています。原盤は1953年の録音ですから、さすがに
音は最悪ですが、コロンビア・シンフォネットの再現盤の音は良
好で、古関裕而の編曲の妙を興味深く聴くことができます。
 古関裕而の曲は本人執筆の完璧なスコアが残っているので、再
生するのはきわめてラクなのです。

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2002年04月25日

カラヤンの再来か/ワレリー・ゲルキエフ(EJ849号)

 ワレリー・ゲルギエフという指揮者がいます。現在最もブレイ
クしている指揮者の一人です。1953年にコーカサス地方の北
オセアニア共和国の首都ウラディスカウで生まれ、現在キーロフ
・オペラの芸術監督を務めるほか、世界中の有名オーケストラの
客演指揮者として八面六臂の活躍をしています。
 ときどきCDショップのクラシックCD売り場に行く人であれ
ば、ここまで書くと「ああ、髭づらの・・」とすぐわかるはずで
す。どんな人かは添付ファイルをご覧ください。
 このところゲルギエフ指揮の作品をまとめて聴いてみたのです
が、素晴らしいの一語に尽きます。ゲルギエフは「カラヤンの再
来」といわれているようですが、このようにいわれるのには2つ
の根拠があるようです。
 1つは、1977年にカラヤン・コンクールに1位なしの2位
に入賞していることです。カラヤンとの結びつきとしては、まず
これがあると思います。このコンクールに優勝するにはカラヤン
のようなカリスマ性が求められるのですが、ゲルギエフにはそれ
があるということです。
 2つは、ポピュラーな曲を数多く取り上げて演奏し、そのほと
んどで白熱の名演を繰り広げているということです。カラヤンが
まさにそうであったと思います。カラヤンは巨匠指揮者が普通は
演奏しないようなポピュラーな小品も積極的に取り上げ、それら
をていねいに指揮して見事な芸術作品に仕上げています。だから
こそ人気があったのです。
 ゲルギエフもそういうところがあります。ゲルギエフといえば
昨年、チャイコフスキーの「交響曲第6番」と「交響曲第5番」
の演奏が話題となり、ストラビンスキーのバレエ「春の祭典」で
2001年レコード・アカデミー賞(管弦楽曲部門/大賞銀賞)
を獲得しています。それに今年に入ってからは、ウィーンフィル
を指揮したムソルグスキーの「展覧会の絵」が大変な話題を呼ん
でいます。いずれもポピュラーな曲ばかりです。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 ストラビンスキー:バレエ≪春の祭典≫[1947年版]
 スクリャービン:交響曲第4番≪法悦の詩≫
 ワレリー・ギルギエフ指揮/サンクト・ペテルブルグ・マイリ
 ンスキー(キーロフ)[フィリップス:UCCP1035]
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 考えてみると、誰でも知っているポピュラーな曲ほど指揮者に
とって難しいのです。ポピュラーな曲には人それぞれにいろいろ
な思い入れがあり、ほとんどは特定の演奏が耳にこびりついてい
るものです。したがって、そういう曲で新鮮な感動を与えるのは
至難のわざなのです。
 しかし、ゲルキエフはそれをやってのけているのです。私がそ
れを一番感じたのは、あまり知られていない次のCDです。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
  チャイコフスキー:バレエ≪くるみ割り人形≫全曲
  ゲルギエフ指揮/キーロフ歌劇場管弦楽団
 [フィリップス:PHCP−11132]
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 このCDは全曲盤なのですが、CD1枚に収められているオト
クな一枚です。「くるみ割り人形」全曲盤で思い出すのは、LP
時代のエルネスト・アンセルメ盤です。当時アンセルメの指揮に
よるスイスロマンド管弦楽団の演奏で、チャイコフスキーの3大
バレエ曲、「くるみ割り人形」「白鳥の湖」「眠れる森の美女」
の全曲盤はまさに絶品だったのです。
 少なくとも私の耳には、アンセルメの演奏がこびりついていま
す。しかし、ゲルキエフの演奏はそういう過去の名演を完全に吹
き飛ばし、実に新鮮な、それでいてきびきびとした楽しい「くる
み割り人形」を聴かせてくれたのです。
 私は「くるみ割り人形」に凝っていて、自分で何枚持っている
かわからないくらいあります。しかし、ゲルキエフの演奏はその
いずれをも上回っているのです。あの聴き慣れた曲が、まるで、
はじめて聴く曲のように新鮮なのです。
 それにゲルキエフの演奏は手際よく、颯爽としています。実際
のバレエにおいて数々の場面展開を行いながら演奏しているよう
に感じます。きびきびした演奏を繰り広げながら、つぎつぎと舞
台場面を変化させているような演奏なのです。そういう意味でゲ
ルギエフは、バレエ演奏の職人といえると思います。
 「くるみ割り人形」の全曲盤は、組曲に含まれる曲のほかに優
れた名曲がたくさんあります。第1幕第2場で演奏される「情景
と雪片のワルツ」、第2幕第3場で演奏される「特徴のある踊り
(ディヴェルティスマン)」の「花のワルツ」のあとに演奏され
る「パ・ド・ドゥ」などは聴き惚れてしまうような名曲です。
 ゲルギエフは、これらの曲を大胆にして実に新鮮な演奏で極上
に仕上げています。一般的にゲルギエフは生の演奏では、ダイナ
ミックにして型破りの演奏を繰り広げるといわれていますが、録
音では意外にオーソドックスな演奏をしているのです。
 しかし、金管やホルンをいかに強奏しても美感を損なわず、少
しもうるさいとは感じられることなく、濃厚な味わいを作り出す
ことに成功していますし、ひとつひとつの楽器が実によく鳴って
いるのです。
 それにしてもゲルキエフとキーロフ歌劇場管弦楽団とは当然で
しょうが、よく息が合っています。「くるみ割り人形」のような
ロシアものではこのコンビの実力がいかんなく発揮されていると
いえます。もし、演奏がウィンフィルであったらこういう感じは
出ないと思います。一度ぜひ聴いていただきたいと思います。
 なお、MDの会の方は連休明けに送付されるMDを聴いたうえ
でお求めください。明日もこの話題を続けます。

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2002年04月26日

ゲルギエフとキーシンの『展覧会の絵』(EJ850号)

 カラヤンにしてもゲルギエフにしてもいずれも個性的な指揮者
です。そのため「カラヤン節」とか「ゲルギエフ節」といわれる
のです。カラヤンにいたっては、演奏を聴いただけで指揮者がカ
ラヤンであることが分かるくらい演奏が個性的です。ゲルギエフ
についても同じことがいえると思います。
 こういう指揮者は演奏にさいしてオーケストラに対して相当注
文をつけるのではないかと思われますが、カラヤンについてはこ
んな話があるのです。
 カラヤンは曲のレコーディングのさい、各楽器の奏者に対して
あまり多くの注文はつけず、それよりむしろそれぞれの奏者に自
分がベストだと思う演奏をさせるようにするとのことです。その
方がのびのびとした良い演奏ができるからです。しかし、そのよ
うにして完成したCDを聴いてみると、曲全体は典型的なカラヤ
ン節になっていたというのです。
 ゲルギエフについてもその手兵であるキーロフ歌劇場管弦楽団
については完全に全体を掌握しており、オケを縦横無尽に操って
いるように見えます。とにかく息がぴったり合っているのです。
 しかし、これは当然のこととして、他のオーケストラ、とくに
ウィーンフィルについてはどうなのかということが私としては、
大変興味があったのです。とにかくウィーンフィルは、伝統を重
んずる誇り高いオーケストラであり、ゲルギエフのような若手の
手に負えないところがあるからです。
 ところがゲルギエフがはじめてウィーンフィルを指揮したとい
う次のライブ録音(1998年7月)を聴く限りにおいて、ゲル
ギエフはあたかも自らの手兵のようにウィーンフィルをコントロ
ールしており、きわめて個性的な名演となっているのです。まさ
にゲルギエフ節そのもの。ウィーンフィルのしなやかさとゲルギ
エフの心を奥底からゆさぶる力強い音楽とが見事な調和を見せて
圧倒的な名演となっているのです。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
  チャイコフスキー:交響曲第5番ホ短調作品64
  ワレリー・ゲルギエフ指揮
  ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
  [PHCP−11149]
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 ゲルギエフは、ウィーンフィルとの第2弾として、ムソルグス
キーの「展覧会の絵」を録音しており、「レコード芸術」で推薦
盤を取っています。この盤では、「展覧会の絵」の他にムソルグ
スキーの作品――シヨスタコーヴィッチ編曲の歌劇「ホヴァンシ
チナ」前奏曲、交響詩「はげ山の一夜」、リャードフの編曲の歌
劇「チロチンスクの市」から「ゴバック」が収録されています。
 「展覧会の絵」の原曲はピアノ曲ですが、これにリムスキー・
コルサコフが手を入れて、ピアノ譜を作成しているのです。この
リムスキー・コルサコフのピアノ譜を底本に使ってラヴェルが管
弦楽をつけたのですが、これが「ラヴェル版」として一番よく演
奏されているのです。
 「展覧会の絵」はムソルグスキーが晩年に病床で作曲した作品
であり、結局何人もの作曲家が手を入れています。しかし、ラヴ
ェル版はロシア的な味が薄いとして、昨今は部分的にムソルグス
キーの原曲版が演奏されるようになってきています。
 しかし、ゲルギエフの今回の演奏はラヴェル版に忠実に演奏を
しているのです。ムソルグスキーの原典版とラヴェル版との違い
はたくさんありますが、「サミュエル・ゴールデンベルグとシュ
ムイレ」のシュムイレをあらわすトランペット・ソロの部分が特
徴的といえます。
 これは、サミュエル・ゴールデンベルグという肥満の金持ちと
貧乏人のやせたシュムイレをあらわす曲です。圧倒的なフル演奏
で示されるサミュエル・ゴールデンベルグに対して、おべっかを
使うようなオドオドしたシュムイレを弱々しいトランペット・ソ
ロであらわしているのです。
 音楽評論家の金子建志氏によると、このシュムイレのトランペ
ット・ソロは、ラヴェル版では半音(ソのナチュラル)で吹くよ
うスコアで指示しているのに対し、最近ではシャルル・デュトワ
のような指揮者でも、原典版の指定である全音の下降(ラ→ソ)
で吹かせるのが一般化しているとのことです。
 しかし、ゲルギエフはラヴェルのスコアに忠実に半音で演奏し
ており、ラヴェル版を忠実に音にしているのです。それでいて、
曲全体はラヴェルのフランス的な響きではなく、ロシア的な味が
濃厚な作品に仕上がっているのですからさすがと思わせます。
 ちょうど時期を同じくして、「神童」といわれたピアニスト/
エフゲニー・キーシンが「展覧会の絵」を録音し、CDを発表し
ているので、早速聴いてみたのです。これも大変素晴らしい演奏
であり、「レコード芸術」の推薦盤になっています。
 音楽評論家の濱田滋氏の批評の一部をご紹介しておきます。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 「(キーシンの演奏は)至るところに見事な音の造形があり、
 かつ、それを底から支える情感のすばらしい厚味がある。「古
 城」ひとつ取っても一聴されたら、 この言葉に少しの誇張も
 ないと納得していただけよう。これ見よがしのスタンドプレイ
 的なところは全然なく、あくまでも自然なロジックに沿って表
 される音色(タッチ)およびアーティキュレーションの多彩さ
 も、また驚嘆に値するものだ」――濱田滋氏
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 ゲルギエフ/ウィーンフィルの「展覧会の絵」とピアノの神童
キーシンのピアノによる「展覧会の絵」――こういう名演が揃う
ことは大変珍しいのです。このさい、「展覧会の絵」のピアノ版
とオーケストラ版の名演を揃えて聴いてみるのも一興ではないで
しょうか。
 EJもいよいよ850号となり、900号が3ヶ月先に見えて
きました。30日からはIP電話を取り上げます。

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2002年07月03日

歳をとって勉強しないと早死にする?(EJ895号)

 2000年4月のことです。1日と2日の両日、東京において
史上はじめての「教育サミット」が行われたのです。主要8ヶ国
の教育相と欧州委員会の教育担当委員が一堂に会したのです。
 実は、このサミットは、1999年にドイツのケルンで行われ
たケルンサミットで採択された「ケルン憲章――生涯学習の目的
と希望」に基づいて行われたものです。
 どういうことかというと、先進国においては、工業社会は既に
終焉し、知識社会の時代に入るので、生涯教育を受けないと、社
会に生き残れるパスポートは得られない――これがケルン憲章の
強調するところなのです。
 ところで、現代の社会は「情報社会」といわれており、工業社
会は次のようにして「知識社会」にいたるのです。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
     工業社会 ⇒ 情報社会 ⇒ 知識社会
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 それでは、知識社会というのはどういう社会なのでしょうか。
それは、教育サミットの議長の要約の中に具体的に示されている
のです。少し長いが、中心部分を紹介します。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 『知識社会は重要な機会を提供すると同時に、現実的な危機を
 もたらすものである。(略)労働市場で求められる技能レベル
 は高く、すべての社会は教育レベルの向上という課題に直面し
 ている。高い技能レベルを身につけ維持できる者は社会的にも
 経済的にも大成功を収めることができるが、そうでない者は安
 定した職業および、その職業によって得るべき社会的・文化的
 生活活動に必要な収入を得る見通しも立たない状態で、かつて
 ない疎外の危険に直面している』。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 要するに、知識社会においては、高い知識レベルを持ち、それ
を維持し向上させていけない者は食べていけないといっているの
です。教育サミットでは、このことを各国の教育大臣の合意とい
うかたちで、世界の共通認識にするねらいがあったのです。
 いうまでもなく、これは大変なことを意味しています。現在、
どこかの企業に勤務している人の場合、その人の知識レベルが知
識社会に適応できないと判断されると、たちまちリストラ候補に
なってしまう恐れがあります。不況だからリストラされるのでは
なく、役に立たないからそうなるのです。
 一方、企業を定年退職し、悠々自適という人も、ちゃんと勉強
しておかないと、たちまち世の中から置いてきぼりを食ってしま
うことになります。今の世の中は変化の時代であり、吸収した知
識はすぐ古くなるので、「勉強を続ける」ということが大切にな
るからです。
 今や80歳くらいまでは誰でも生きられる時代なのです。それ
なりの健康管理をやっていれば、75歳くらいまでは通常の勤務
に耐えられる健康を維持することは可能なのです。それなのに、
若いときに勉強した遺産だけで何もストックしないと、それまで
は到底持たないでしょう。
 こういう社会情勢を反映して、最近『40歳から何をどう勉強
するか』というタイトルの本が増えています。そういう本が増え
ているということは売れていることを意味します。この手の本を
一番書いているのは、精神科医の和田秀樹氏です。
 和田氏は、自著の中で衝撃的なデータを紹介しています。それ
は、フライ大学の学者が調査したという、オランダ・アムステル
ダムの55歳から85歳までの地域住民2380人に関する4年
後の死亡率についてのデータです。その一部を紹介します。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 ≪心臓病≫          4年後の死亡者数(死亡率)
  心臓病なし  1922人    180人( 9.4%)
  心臓病あり   458人     83人(18.1%)
 ≪癌疾患≫
  癌疾患なし  2172人    227人(10.5%)
  癌疾患あり   208人     36人(17.3%)
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 地域住民2380人中、心臓疾患のあった人は458人、癌を
患っていた人は208人いたのですが、それぞれの4年後の死亡
率は、18.1%、17.3%と疾患を持っていない人と比べる
と倍近く高いことがわかりました。これは当然のことです。
 しかし、この調査では、歳をとってからの知能機能を調べてい
るのです。そうすると、次の驚くべき結果が出たのです。
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 ≪情報処理速度≫
  下位ランク 1180人    194人(16.4%)
  上位ランク 1200人     69人( 5.8%)
 ≪流動性知能≫
  下位ランク 1219人    182人(14.9%)
  上位ランク 1161人     81人( 7.0人)
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 情報処理速度というのは、2個が対になったアルファベットの
一覧表を見せて、その後アルファベットの列を示してその関連を
問うというようなテストです。これに対して流動性知能というの
は、一部が欠けた図形を見せて、欠けた図柄に一致するものを選
ばせるというようなテストです。
 情報処理速度の速い人の上位1200人の死亡率がわずか5.
8%であったのに対して、下位1180人の死亡率は16.4%
と3倍も高くなっています。
 流動性知能のテストにおいても、上位の1161人の死亡率が
7.0%であるのに対して、下位1219人の死亡率は14.9
%と倍になっています。
 どうでしょう。歳をとってからも高い知能を保っている人は長
生きできますが、勉強しないで遊び暮らしている人は早く死ぬと
いう驚くべきデータなのです。

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2002年07月04日

知恵を生み出す知識を身につける(EJ896号)

 勉強して知識を身につける――といっても、その知識がその人
の血となり肉とならなければ意味がありません。別ないいかたを
すれば、「知恵」を生み出せるような知識の身のつけ方が必要で
あるということです。
 「知恵」とは、複数の知識から生み出されるものですが、その
ためには知識を次のように身につける必要があります。知恵とは
いろいろな物事の解決策(ソリューション)を生み出したり、ア
イデアを出したりする力といってよいと思います。
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      第1段階:つねに知識を取得する
      第2段階:知識を他と関連づける
      第3段階:知識の言語化/文章化
      第4段階:知識のメンテナンス化
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 現代は情報社会です。情報社会においては、その気になれば、
インターネットなどを通じて、あらゆる情報が居ながらにして得
られます。こういう時代では、単に知識の仲介をするだけの大学
教授をはじめとする知的職業人といわれている人は職を失うこと
になります。多摩大学・大学院教授の田坂広志氏は、これを「知
識の流通革命」といっています。
 第1段階で必要とする知識を取得した場合、必ず第2段階とし
てやるべきことは、その知識と他の知識を関連づけることです。
これは、俗にいう「ウラをとる」ことを意味します。ある知識を
別の角度からみた同一の知識に関連づけるのです。とくに、イン
ターネットから取得した知識や情報は、別ルートから複数の情報
を集める必要があります。その真偽のほどに若干疑問があるから
です。1つの情報だけでは知識として不安があります。
 第3段階は、単なる知識を、知恵を生み出す知識に変換させる
重要なプロセスです。それは、知識や情報について誰かに話すた
めに言語化するか、文章化することです。
 取得した知識を講演や授業などで誰かに話したとします。そう
すると、その知識は単なる知識ではなくなり、実践的な生きた知
識としてその人の血となり肉となります。なぜなら、知識につい
て話すためには、知識を整理したり、別の関連知識を集めたりし
て肉づけし、その知識を知らない人に対してわかりやすく説明で
きるよう加工しなければならないからです。これが知識の「言語
化」のプロセスです。
 しかし、教師でもない限り誰かに話す機会が誰にでもあるわけ
ではありません。そういう場合は、知識を文章としてまとめるこ
とによって同じ結果を得ることがでまます。言語化と同様に知識
を文章化するには、知識の整理・追加はもとより、文章表現の工
夫などをしなければなりません。そして、何よりも価値があるの
は、知識を文章化することによって、知識が客観性を持ち資料と
して残せることです。
 ナレッジマネジメントは、知識を客観化し、言語化することに
よってはじまるのです。一番身近な例としてEJがあります。E
Jは私が取得した知識を文章化し、資料化したものです。こうす
ることによって知識が整理され、客観性を持った資料として残せ
るのです。そして、何よりも、それを書いている私にとっては、
知識がよいかたちで着実にアタマの中にストックされていくこと
になります。
 第4段階は、取得した知識は必ずメンテナンスするということ
です。とくに現代は変化の時代――ドックイヤーの時代であり、
知識の種類によっても違いますが、日が経つにつれて知識は確実
に古くなります。したがって、時期をみて知識のメンテナンスを
図る必要があります。昔勉強したということは、今も知っている
ということには必ずしもならないのです。
 知識社会における知識の修得の方法には、以上の4段階のプロ
セスを踏んで行う必要があるのです。この4段階のプロセスを踏
むことによって、知恵を生み出す知識がストックされるのです。
 さて、知識社会は、「ナレッジ(知識)」というものが最大の
経営資源になる「知識資本主義」の時代です。このような時代に
求められる人材とはどのような人材なのでしょうか。
 多摩大学教授の田坂広志氏は、「知的プロフェッショナル」が
その答であるといっています。それでは、「知的プロフェッショ
ナル」とはどのような人材でしょうか。
 ちょっと考えて思いつくものを上げると、次のような人材が思
いつきます。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
         1.大学教授
         2.弁護士、弁理士
         3.会計士、税理士
         4.各種コンサルタント
         5.各種エンジニア
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 確かにこれらの人々は、専門的な知識を使って仕事をしている
人々であり、知的プロフェッショナルのように見えますが、田坂
氏にいわせると、これらの人々は「ナレッジ・ワーカー」であり
必ずしも知的プロフェッショナルとは限らないといいます。
 知的プロフェッショナルとは、ナレッジ・ワーカーであること
に加えて、「言葉であらわせない知識」を持っている人のことを
いうのです。
 言葉にあらわせない知識――ディープ・ナレッジ(深層知識)
ともいいますが、この知識は書物で学んだり、学校で学んだりで
きないのです。ひとつの職業について真剣に何年も取り組んだ結
果、自然に備わるものといったらよいでしょうか。田坂氏はこれ
を「職業的な知恵」と呼んでいます。
 このディープ・ナレッジとまったく同じことを科学哲学者のマ
イケル・ポランニーは「暗黙知(tacit knowledge)」 と呼び、
暗黙知について「われわれは、語ることができるより、多くのこ
とを知ることができる」という暗示的表現を使っています。


posted by 平野 浩 at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | その他 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする