2011年06月13日

●「国民は民主党に何を期待しているか」(EJ第3075号)

 2011年6月2日──菅直人首相がきわめて曖昧ながら、期
限付きの退陣を表明した日です。その日に首都圏で行われた世論
調査があります。もちろん退陣表明後の調査です。
 この調査結果を見ると、非常に興味深いことがわかります。菅
内閣の支持率は次の通りです。
―――――――――――――――――――――――――――――
 『菅直人内閣を支持するか』
     支持する  ・・・・・・・ 37.4%
     支持しない ・・・・・・・ 58.4%
     分からない ・・・・・・・  4.2%
                 ──6月6日付、産経新聞
―――――――――――――――――――――――――――――
 支持率は菅政権にしてはやや高目に出ていますが、相変わらず
不支持率は高い状態のままです。他の世論調査と大きく変わると
ころはないのです。ただ、ひとつだけこの調査では今までの数値
と大きく違うところがあったのです。
―――――――――――――――――――――――――――――
 『次の衆院選でどの党に投票?』
  民主党    25.0 %  みんなの党   6.8 %
  自民党    24.6 %  たちあがれ日本 0.8 %
  公明党     3.2 %  新党改革    0.0 %
  共産党     2.0 %  無所属・他   3.0 %
  社民党     1.4 %  棄権する    4.4 %
  国民新党    0.4 %  未定     28.0 %
  新党日本    0.4 %  ──6月6日付、産経新聞
―――――――――――――――――――――――――――――
 この調査は、日曜日午前7時30分からのフジTVの政治番組
「新報道2001」の最後にいつも表示されるのですが、この数
字は6月5日の同番組で公表されています。
 これによると、民主党に投票するという数値がわずかではあり
ますが、自民党を上回っているのです。私の記憶では29日の調
査では民主党は15.0 %であったので、10ポイントも回復し
たことになるのです。
 それだけではないのです。この数値は今年の1月20日の調査
(1月23日公表)で自民党が民主党を逆転して以来、実に18
週ぶりの再逆転なのです。突然のこの逆転は、何を意味している
のでしょうか。
 それは、国民の民主党への期待がまだ少しは残っていたことを
意味しています。しかし、2009年の政権交代以来、とくに菅
政権になってからの政権運営は、あまりにもひどいので、支持率
が下がってきたのです。
 それでも2011年の1月上旬までは、この調査『次の衆院選
でどの党に投票?』の1位は民主党だったのですが、1月20日
に遂に自民党に逆転されてしまったのです。
 しかし、菅首相が曖昧なかたちにせよ、退陣を表明したことで
民主党への期待が少し回復したのです。自党の首相が辞める時期
を口にしたことで、民主党への支持率が回復するのは皮肉なこと
ですが、それでも少しは期待をしたのです。けっして自民党政権
に戻したいと考えているわけではないからです。民主党に一票を
投じた国民は、民主党ならば日本政治の閉塞状態を少しは変えて
くれるのではないかと期待をかけていたのです。
 もっともその退陣時期を表明した菅首相は、その後、時期を明
確にするどころか、続投すら匂わせたので、12日の「新報道2
001」の数値を心配したのですが、民主党の25.0 %は変わ
らず、逆に自民党は23.6 %に減少しています。これは、民主
党への期待が消えていないことを示していると思うのです。
 それでは民主党に投票した国民は民主党に具体的には何を期待
したのでしょうか。
 自民党が「バラマキ4K」と揶揄する民主党の主要政策──子
ども手当、高校無償化、(農家の)戸別補償制度、高速道路無料
化が財源不足で菅政権はその撤回を画策していますが、これは国
民に対するとんでもない裏切りです。
 これらの政策自体は、けっして悪い政策ではないのです。経済
政策としても間違っているとは思えないのです。しかし、その実
現には、恒久的な安定財源が必要です。その財源は事業仕分けを
するぐらいでは出てこないのです。その実現には一にも二にも公
務員制度改革を実現し、予算そのものの基本的な組み替えが必要
になるのです。そのことについて、小沢一郎氏は代表時代に明言
しています。
 しかし、それはきわめて難しい事業なのです。少しオーバーに
いえば命がけでないとできないと思います。強力なリーダーシッ
プを持つ首相の下に党が一丸となって取り組んでも何年もかかる
はずです。
 民主党によるそういう改革が本当に進められると困る向きがた
くさんあるのです。やって欲しくないそういう連合体は、それを
実現させまいと、さまざまな妨害を仕掛けてきます。それは何で
もありです。現在の小沢一郎元代表がまさにそういう目に遭って
いるといえます。
 現在、日本の政治は混迷を極めています。今回の大震災にも政
治はきちんと対応できているとはいえません。根本的に何かが欠
如しています。何がどうなっているのでしょうか。何もかもおか
しいです。一体この国は何者によって支配されているのでしょう
か。明日から、次のテーマでこの問題についていろいろな角度か
ら書いていくつもりです。
―――――――――――――――――――――――――――――
     この国は何によって支配されているのか
     ─ 日本政治の現況について考える ─
―――――――――――――――――――――――――――――
             ─── [日本の政治の現況/01]


≪画像および関連情報≫
 ●小沢一郎に対する人物破壊が行われている
  ―――――――――――――――――――――――――――
  小沢氏は日本が変わらなければならないことを知っている。
  しかも彼は本気でそれに取り組んでいる。そしてだからこそ
  日本の旧態依然とした体制を変えまいと固執する勢力から見
  れば、そんな小沢氏は脅威なのだという事実を我々ははっき
  りと認識しなけれ ばならない。そのときどきで程度の差こ
  そあれ、小沢氏に対する「人物破壊」の試みが、1993年
  当時から現在にいたるまでずっと続いてきたのはなぜか?そ
  れは彼が実際になにをしたかどんな過ちをおかしたかなどと
  いうこととはまったく関係がない。彼という存在が体制側に
  とって最大の脅威であることそれこそが理由なのである。
       ──カレル・ヴァン・ウォルフレン著/井上実訳
         『誰が小沢一郎を殺すのか?』/角川書店刊
  ―――――――――――――――――――――――――――

ウォルフレン氏の本.jpg
ウォルフレン氏の本
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2011年06月14日

●「官僚システムと政治家の関係」(EJ第3076号)

 「戦後レジームからの脱却」を掲げてスタートした自民党の安
倍政権ですが、期待を裏切り、一年もたずに政権を投げ出してい
ます。安倍政権は教育改革をはじめとするさまざまな改革をやろ
うとして発足したのですが、まったく何もできなかったのです。
 これについて、経済産業省大臣官房付の古賀茂明氏は、戦後レ
ジームの中核が官僚システムそのものであることを指摘したうえ
で、次のように述べています。
―――――――――――――――――――――――――――――
 大きな改革を行えば、必ず現行のシステムに寄生した既得権グ
 ループが被害を受ける。業界も族議員も、そしてそれと一体と
 なった官僚も被害者になる。さらに、既得権グループが本気で
 抵抗してくるときに、抵抗のための理論的支柱を提供し、世論
 対策や国会対策等すべての面で高度な戦略を立て、事実上の司
 令部となるのが霞が関の官僚システムである、ということに改
 めて気づいたのではないか。大きな改革を成し遂げるには、な
 によりも抵抗勢力の中心的存在である官僚システムを変えなけ
 れば、結局、改革は絵に描いた餅に終わる。 ──古賀茂明著
               『日本中枢の崩壊』/講談社刊
―――――――――――――――――――――――――――――
 現在、日本の天皇は憲法上象徴天皇になっています。これは、
日本が太平洋戦争に負けたことによる、やむを得ざる政治体制と
考える人も多いですが、天皇が象徴天皇であった時代はかなり長
いのです。ちなみに江戸時代は、徳川家が政治を握っており、天
皇は象徴的存在であったといえます。
 しかし、明治維新は「王政復古」と呼ばれるように、天皇が中
心になって政治を執り行う「太政官制」と呼ばれる朝廷の伝統的
な政治体制が採用されたのです。
 この太政官こそ天皇を支える官僚であり、太政官制が現在の官
僚制度そのものなのです。つまり、当時の官僚は権力の中枢にい
て支配者の一翼を担っていたのです。そして最後は天皇の裁可を
仰ぐものの、実際に政治を行っていたのは官僚たちであったとい
えます。政党政治による政治家が登場するのは、明治14年(1
881年)になってからです。したがって、「官僚=公僕」とよ
くいわれますが、明治維新では官僚は天皇を支えるのが職務であ
り、体制側、すなわち権力側の存在であったのです。
 しかし、戦後になってGHQは天皇は象徴天皇にしたものの、
戦前の官僚機構はそのまま残したのです。これによって官僚たち
はそのまま権力側に居座ったのです。もちろん政治家はいるので
すが、長年にわたる情報の蓄積と経験、それに磐石な組織力を持
つ官僚には逆らえない構造がそこにはあるのです。
 この明治初期の日本の政治機構について、アムステルダム大学
教授であり、ジャーナリストのカレル・ヴァン・ウォルフレン氏
は次のようにいっています。ウォルフレン氏は2011年3月に
『誰が小沢一郎を殺すのか?』という書籍を上梓し、話題を呼ん
でいるオランダ人ジャーナリストです。
―――――――――――――――――――――――――――――
 明治政府が発足すると、体制づくりにたずさわったこうした少
 数の権力者たちはおもな政治・経済機構のリーダーになった。
 彼らは省庁を率い、その発展に寄与した。あるいは枢密院とい
 う、明治憲法体制下での国政に関する天皇の最高諮問機関を創
 設した。初期の経済機構を率いた者もいた。要するに、彼ら自
 身が封建体制の大名に代わる、新しい日本の統治者となったわ
 けである。ただし明治維新後に治めたのは藩ではなく、それぞ
 れの管轄領域に分かれた官僚機構であり、その頂点に君臨した
 のが彼らだった。ただし自分が獲得した特権を政敵に奪われる
 ことのないよう、熱心に守りを固めたという点で、彼らは封建
 領主となんら変わらなかった。そんな彼らはもちろんのこと、
 選挙によって継承者が決定されるような民主主義へと日本が向
 かうのを、決して許そうとはしなかった。
       ──カレル・ヴァン・ウォルフレン著/井上実訳
         『誰が小沢一郎を殺すのか?』/角川書店刊
―――――――――――――――――――――――――――――
 こういう官僚システムが一応できた頃に、有司専制の批判から
板垣退助や後藤象二郎らによって「民選議院設立建白書」が提出
され、自由民権運動がはじまるのです。この建白書は、政府に対
して最初に民選の議会開設を要望した文書です。
 それは、政治権力が天皇にも人民にもなく、ただ官僚にあるの
を批判した文書であり、有司専制の批判なのです。これを解決す
るには、「天下ノ公議」を張ることにあり、「天下ノ公議」を張
るとは「民選議院」を設立することであるとしているのです。こ
れによって、有司専制を押えようとしたのです。
 木戸孝允はあくまで国民の意思に責任を持つ立憲政体が必要で
あるとは感じていたのですが、それが根付くには相当の時間がか
かると考えていたのです。
 これに対して大久保利通や伊藤博文らは、最初のうちは日本で
は欧米の議会制度は適さないと考えていたものの、西欧諸国の視
察を重ねるなかで、政党政治なくして日本は西欧諸国に追いつく
ことはできないことがわかってきたのです。
 ところで日本では、「党」というと児玉党や村上党などという
ように武士団を意味する用語であったのですが、幕末には「土佐
勤王党」などのように公論を主張した党派が誕生し、自由民権運
動の高まりによって、議会政治における政党システムに着目する
人が多くなっていったのです。
 このようにして登場した政治家は、国家の中枢を担う大久保利
通や伊藤博文ら官僚(有司)にとって、体制側を脅かす危険な存
在としてとらえられていたのです。したがって、その力をセーブ
するために官僚システムを強化しようとしたのです。この考え方
によって、とくに力のある改革政治家は危険な存在としてとらえ
らるようになったのです。 ─── [日本の政治の現況/02]


≪画像および関連情報≫
 ●自由党と立憲改進党の設立
  ―――――――――――――――――――――――――――
  勃興する自由民権運動に対して、明治14年(1881年)
  明治天皇の御名で「国会開設の勅諭」が下り、明治政府は、
  明治22年(1899年)に議会を開設することを国民に約
  束した。これにともない、明治14年自由党が板垣退助を中
  心として、翌明治15年(1882年)立憲改進党が大隈重
  信らによって結成される。また、福地源一郎ら親政府の要人
  による立憲帝政党も結党された。だが、政府は「超然主義」
  の方針を打ち出す一方、自由民権運動の弾圧強化に乗り出し
  た。このため、自由党は一時解散に追い込まれ、立憲改進党
  は分裂状態となり、立憲帝政党も政府から見捨てられる形で
  自然消滅を余儀なくされた。     ──ウィキペディア
  ―――――――――――――――――――――――――――

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古賀茂明氏の本
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2011年06月15日

●「カレル・ウォルフレンとは何者か」(EJ第3077号)

 『誰が小沢一郎を殺すのか?』の著者、カレル・ヴァン・ウォ
ルフレン氏の考え方を中心にしばらく述べることにします。
 ウォルフレン氏といえば1994年にも次の本を上梓し、33
万部のベストセラーを記録しています。
―――――――――――――――――――――――――――――
   カレル・ヴァン・ウォルフレン著/新潮OH!文庫
      『人間を幸福にしない日本というシステム』
―――――――――――――――――――――――――――――
 驚くべきことにウォルフレン氏は、この本で小沢一郎氏の政治
家としての能力を高く評価し、その時点で、いずれ官僚側の抵抗
により、その手先である検察によって狙われるであろうと予言し
ているのです。そして、「日本のアドミニスレーターズ」として
中央官僚──とくに財務官僚、経団連、大銀行などの大企業・団
体複合体の存在を上げているのです。
 表向きは議員内閣制による政治家はいるものの、実際に国を動
かしているのは官僚であるということを証拠を多数上げて説明し
ています。官僚は「説明責任」(アカウンタビリティ)がないた
めに「非公式な権力」であるが、権力であることに変わりはない
としています。ちなみに、「説明責任」という言葉は、この本か
ら広く使われることになるのです。
 参考までに、この本についてのレビューをひとつご紹介してお
きます。
―――――――――――――――――――――――――――――
 本書は極めて鋭い視点から理論的に日本の社会を斬っている。
 誰もが薄々と感じながらも具体的には把握できない日本の社会
 における「シカタガナイ」ことがおきる原因を指摘。著者は、
 オランダ人であるが故に西欧中心主義者のレッテルを貼られ、
 「外人の戯言」と一蹴されることもあるようだが、外国人であ
 ることを忘れて読めば、あまりに的を得た説明に驚かれるだろ
 う。自分の国、価値観、文化をかなり刺激する文章に抵抗感を
 感じるかもしれないが、冷静に読み解いていくと、なるほど、
 「シカタガナイ」と諦めることがいかに空虚で愚かなことなの
 か気づいてくる。読み終えたところで無力感に襲われるか、希
 望に満ち溢れるかは本人次第だが、本書は確実に日本をより良
 くするためのヒントを与えてくれるだろう。  ──CyberPunk
―――――――――――――――――――――――――――――
 ウォルフレン氏が『人間を幸福にしない日本というシステム』
を上梓した1994年といえば、その1年前に小沢氏が自民党を
離党して新生党を結成し、細川護煕氏を首相として非自民連立政
権を樹立しているのです。また、1993年5月に小沢氏は自身
政治ビジョンを示す『日本改造計画』(講談社刊)を上梓してお
り、自らの政治の道筋を明らかにしています。
 ウォルフレン氏は1993年の政変を日本の政治の歴史におけ
る一大変化としてとらえ、それを成し遂げた小沢一郎氏を希有の
政治家として評価しているのです。ウォルフレン氏は近著では、
そのときのことを次のように述べています。
―――――――――――――――――――――――――――――
 後でふり返ってみたとき、一九九三年の政治変動こそは連綿と
 受け継がれてきた日本の政治システムの仕組みに大きな風穴を
 開けた、歴史的な事件であったことがわかる。その結果、人々
 は日本の政治を新しい視点でとらえるようになった。つまり、
 小沢氏らの行動は、単に政党政治というシステムの構造を変え
 るにとどまらず、日本の一般の人々の政治に関する考え方まで
 も一変させてしまったのである。このときから、自国の将来を
 心配する心ある日本人たちは、日本の政治システムを変えるべ
 きだと考えるようになった。
       ──カレル・ヴァン・ウォルフレン著/井上実訳
         『誰が小沢一郎を殺すのか?』/角川書店刊
―――――――――――――――――――――――――――――
 さらにウォルフレン氏はかなり前から日本の首相は公式に認め
らけれているはずの権力を実際に有していないのではないかと考
えており、ウォルフレン氏のもう一冊の本では、次のことを主張
しているのです。
―――――――――――――――――――――――――――――
 日本の権力システムには政治責任の所在としての中枢が欠如
 している。──カレル・ヴァン・ウォルフレン著/篠原勝訳
            『日本/権力構造の謎』/早川書房
―――――――――――――――――――――――――――――
 前述したようにウォルフレン氏についていちばん驚くべきこと
は、何といっても1994年の時点で小沢氏がやがて検察に狙わ
れるようになることを指摘していることです。なぜなら、この時
点では小沢氏は剛腕ということは知れわたっていたものの、いわ
ゆる疑惑らしいものは何もなかったからです。
 ただ、小沢氏が田中角栄や金丸信という特捜部によって起訴さ
れた政治家の弟子であるということから、連想的に「きっと悪い
やつだろう」という憶測があったことは確かです。しかし、その
時点で彼は何もしていないし、何の疑惑も存在しないのです。
 これについては改めて述べるが、ウォルフレン氏は日本政治の
特殊性を実に的確に把握していて、小沢氏の政治行動がさらに強
化されると、中央官僚──とくに財務官僚、経団連、大銀行など
の大企業・団体複合体にとって都合の悪いことが起きるので、そ
の手先ともいうべき検察によって何らかの阻止行動が起きること
を予測したものと思われるのです。
 ウォルフレン氏の指摘、いや予言は見事に的中し、現在小沢氏
は二重三重にがんじがらめの状態にあります。しかし、それでい
て小沢氏は、6月はじめの自民党提出の不信任案賛成のための一
種のクーデターを成就させる寸前まで持って行っているのです。
本当に成立する可能性があったからこそ、菅首相は退陣表明をせ
ざるを得なかったのです。 ─── [日本の政治の現況/03]


≪画像および関連情報≫
 ●『日本/権力構造の謎』/早川書房のレビューより
  ―――――――――――――――――――――――――――
  日本にいるとその中からは見えない「日本の“権力”が力を
  持つ構造」を、じつに明快にえぐり出してくれています。こ
  の本を読んで改めて「ほりえもん問題とは何だったのか?」
  「小沢対検察のせめぎ合い」といった現象を考え直すと、著
  者の指摘する日本の権力構造とは何か、また欧米との違いは
  といったことがあぶり出されてきます。さらには、今の民主
  党政権のアキレス腱は、この権力構造へのチャレンジとなっ
  ているにもかかわらず、有効な戦略を打ち出せないでいると
  ころにあることも見えてきます。      Bytsukihoshi
  ―――――――――――――――――――――――――――

カレル・ヴァン・ウォルフレン氏.jpg
カレル・ヴァン・ウォルフレン氏
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2011年06月16日

●「小沢一郎への人物破壊の異常さ」(EJ第3078号)

 2011年6月11日(土)の朝日新聞の「声」の冒頭に掲載
された意見です。
―――――――――――――――――――――――――――――
           農業 奥住高正(東京都日野市 60)
 今回の菅内閣不信任案を民主党内のごたごた・茶番劇などと評
 する向きがある。が、すべては小沢一郎元代表の政治家うんぬ
 ん以前の性向から起きていることではないか。なぜ彼のような
 政治家が日本に存在し得るのか。常々闇に隠れて配下の者にこ
 とを図らせ、人心を操る。(中略)菅直人首相が任期中になす
 べき最大の職務は、この元代表を民主党からたたき出すことだ
 と私は思う。野党と組んで政権を倒す構えを見せたことは許さ
 れざる反党行為である。執行部が直ちに元代表を除名しなけれ
 ば党としての体をなさず、民主党に未来はないと考える。
           ──2011年6月11日付/朝日新聞
―――――――――――――――――――――――――――――
 これが現在世間の多くの人が考えている小沢一郎という政治家
の評価であろうと思います。まるで「悪」を代表する政治家のよ
うです。明らかに新聞、テレビ、週刊誌などのメディアの伝える
小沢一郎像をストレートにそのまま取り入れています。
 私は小沢ファンでも支持者でもないのですが、あまり、小沢一
郎氏の評価がひどいことと、異常なほど何年にもわたって執拗に
続けられているので、小沢一郎について書かれた本や雑誌──好
意的に書かれたものも、そうでないものも含めてすべて丁寧に読
み、ネットなどからの資料も可能な限り集めて分析してみると、
事実とはかなり異なることが分かったのです。
 そこで、その資料を基にして2010年1月4日から4月14
日のウィークデイの毎日、71回にわたって「小沢一郎論」を書
いたところ大きな反響がありました。この連載はブログに掲載し
ておりますので、興味があればご覧ください。
―――――――――――――――――――――――――――――
 『小沢一郎論』/2010年1月4日〜4月14日
http://electronic-journal.seesaa.net/category/7466989-1.html
―――――――――――――――――――――――――――――
 人物破壊──character assassination という言葉があるそう
です。ウォルフレン氏によると、標的とする人物を実際に殺さな
いまでも、その世間での評判や人物像を破壊しようとする行為の
ことです。小沢一郎氏や植草一秀氏などは、明らかにこの人物破
壊を受けていると思います。
 世界に目を転じてみると、そのような人物破壊は数多くあると
ウォルフレン氏はいいます。例を上げると、米国政府によるベネ
ズエラ大統領のチャベス氏への人物破壊、最近では「ウィキリー
クス」の創始者、ジュリアン・アサンジ氏に対する人物破壊キャ
ンペーンなどがあります。
 しかし、ウォルフレン氏は、こと小沢氏の人物破壊については
いささか常軌を逸しており、異常ですらあるとして次のように述
べています。
―――――――――――――――――――――――――――――
 だが小沢氏の人物破壊キャンペーンに関するかぎり、これは世
 界のあらゆる国々の政治世界でも目にすることはない、きわめ
 て異質なものだと結論せざるを得ない。その理由は、断続的な
 がら、このキャンペーンが実に長期にわたって続けられている
 ことだ。世界のどこを見回しても、ひとりの人間の世評を貶め
 ようとするキャンペーンが、これほど長期にわたって延々と繰
 り広げられてきた例はほかにない。しかも、再燃するたびごと
 に、それは強化されている。
       ──カレル・ヴァン・ウォルフレン著/井上実訳
         『誰が小沢一郎を殺すのか?』/角川書店刊
―――――――――――――――――――――――――――――
 小沢氏への人物破壊は、小沢氏が自民党を離党して新生党を結
成し、非自民連立政権を樹立した1993年から連綿として続け
られ、代表として率いる2009年にはそれが頂点に達したとい
えます。そして現在でも執拗に続けられています。
 なぜ、2009年が強化されたのかというと、小沢氏が代表を
務める民主党が衆院選で勝利するのはほとんど間違いがないとみ
られていたからです。もし、小沢代表のまま2009年の衆院選
に突入していたら、小沢首相が実現していたのです。しかし、そ
れだけは何としても避けたいと考えるある勢力が、あろうことか
証拠も明確でないまま、小沢氏の第一秘書を逮捕したのです。そ
してやっと小沢氏を代表から引きずり下ろしたのです。
 ウォルフレン氏は、日本の最有力紙の論説執筆者が、まるで個
人的な恨みでもあるかのように小沢氏を批判するのをみて、首を
傾げています。政治評論家のほとんどや雑誌の編集者、テレビの
コメンテーターなどにも小沢氏を誹謗する人が多いのです。
 なかには次のような本まで書く人もあらわれるなど、明らかに
異常そのものです。
―――――――――――――――――――――――――――――
              西部邁著/飛鳥新社刊
     『小沢一郎は背広を着たゴロツキである』
―――――――――――――――――――――――――――――
 全編小沢氏のことを書くほどの情報もなく、それ以外の政治家
も取り上げているのですが、それにしてもこのタイトルで本にす
る神経には疑問を感じます。本人に対してあまりに失礼であるし
いささか品がなさ過ぎると思います。
 これほどの人物破壊を受けても小沢氏は依然として健在のよう
です。新聞は「小沢氏の影響力に陰り」とか「小沢氏の求心力は
低下」と連日書きまくっていますが、不信任案採決のときに70
人を超える同調者を集めたのです。この数には鳩山グループが含
まれていないことを考えると、影響力はまったく低下していない
ようです。        ─── [日本の政治の現況/04]


≪画像および関連情報≫
 ●文藝評論家/山崎行太郎氏によるゴロツキ本の批評
  ―――――――――――――――――――――――――――
  西部邁といえば「大衆批判」とか「衆愚批判」等でお馴染み
  だが、七十二歳にもなった今でも馬鹿のひとつ覚えのように
  政治家や選挙民を捕まえて「大衆」だ、「衆愚」だ、「民主
  主義が政治家を真底まで腐らせた」と喚いているが、僕には
  むしろ、西部邁こそ衆愚の代表のように見えるし、西部邁の
  ような「評論家業者」に関して、「民主主義が評論家業者を
  真底から腐らせた」と思わないわけにはいかない。─中略─
  要するに、西部邁は、小沢一郎やその他の政治家達を論じ、
  罵倒するのに、完璧に情報不足であり、情報難民であること
  がわかる。つまりテレビや新聞のマスコミ報道しか情報源は
  ないらしいことが分かる。
  http://d.hatena.ne.jp/dokuhebiniki/20100725/1280067487
  ―――――――――――――――――――――――――――

西部邁氏と本.jpg
西部 邁氏と本
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2011年06月17日

●「米英で出版された小沢一郎伝記本」(EJ第3079号)

 日系米人ジャーナリスト、岡孝氏による初めての英語での小沢
一郎民主党元代表の伝記が米英両国でこのほど出版されたという
記事が6月14日の産経新聞(ワシントン/古森義久記者)が伝
えています。すべての新聞をチェックしていないので、正しくは
わかりませんが、おそら産経新聞だけだったと思います。少なく
とも小沢一郎氏の問題点だけを針小棒大に書く朝日新聞には載っ
ておりません。
 最近アイフォーンで産経新聞を読むようになって、この新聞に
ついて少し私自身の評価が変わりました。現在では、アイフォー
ンで記事を読んで、残しておきたい記事があるときは会社に行く
途中のコンビニで産経新聞を買うようにしていますが、このとこ
ろ、毎日のように買うようになりました。
 産経新聞は小沢一郎氏をコテンパンに書く新聞社として有名で
すが、小沢氏をプラス評価する記事もちゃんと掲載するのです。
当然のことですが、新聞社としてフェアです。
 さて、米英で発刊された小沢一郎氏の伝記本の正式書名は次の
通りです。
―――――――――――――――――――――――――――――
              岡孝著者/ラウトレッジ社
    『日本の政策企業家と選挙=小沢一郎政治伝記』
―――――――――――――――――――――――――――――
 著者はクリスチャン・サイエンスモニターなど米大手紙の記者
として長年、活躍した日系米人の岡孝氏で、英オックスフォード
大学に出した博士論文を基礎としています。岡氏は1990年代
から小沢一郎氏の国際問題顧問をも務めており、直接の交流も深
いといいます。
 同書は小沢氏が検察審査会の議決で強制起訴されて、刑事被告
人となった経緯を説明しながらも、なお同氏が今後の裁判で無罪
を獲得し、今度こそは首相になるという可能性にも言及している
といわれます。
 「来栖宥子★午後のアダージョ」というブログの来栖宥子氏は
この本の出版について、次のように論評しています。
―――――――――――――――――――――――――――――
 賛否を超えて、小沢一郎氏という人物は長年にわたって、日本
 国内は無論のこと、世界に余程気になる存在であることに間違
 いない。首相であるのに顔すらも記憶されない菅氏とはえらい
 違いだ。今後の裁判で無罪を獲得し、今度こそは首相になると
 いう可能性も記している。胸が熱くなった。首相というポスト
 の成否はどうでもよい。小沢氏は政策の人であり、総理という
 椅子を望んでいないから(これも菅氏とは大違い)。無罪を獲
 得して戴きたいのだ。裁判所が正義の砦であってほしいのだ。
http://blog.goo.ne.jp/kanayame_47/e/5ed3d376144bfdb679646c1cff7eb90e
―――――――――――――――――――――――――――――
 このように世界でも注目されている小沢一郎という政治家に対
して、日本社会は、なぜ、異常なほど激しい人物破壊を続けなけ
れば、ならないのでしょうか。
 とくに理解できないのは、現在の民主党執行部の「脱小沢」い
や「殺小沢」の方針──醜いの一言に尽きます。とうてい理解で
きるものではありません。政権交代できたのは誰のおかげなの
でしょうか。そのことに少しは恩を感じないのでしょうか。政治
家というよりも人の道に反しています。
 さて、カレル・ウォルフレン氏は、このような小沢氏への人物
破壊がなぜ起きるかについて、日本の歴史──とくに近代史から
解こうとしています。彼は、明治維新後の日本という国家を非常
に的確にとらえており、そこから割り出して、小沢氏のような本
格的な改革派の政治家には、現在彼に対して行われているような
人物破壊が起きることを以前から予測していたのです。
 江戸時代──徳川幕府統治下の日本は、かたちのうえでは統一
国家ではあったのですが、その実態は徳川家を中心とする軍事独
裁体制であったといえます。全国の藩を強権をもって政治的にま
とめ、軍事的な脅しや人質をとることによって、国全体の秩序を
維持しようとしていたのです。
 しかし、幕府の権力が弱くなると、そういう体制の維持ができ
なくなるのは当然のことです。明治維新によって新しい時代を迎
えたとき、国を統一するには何が必要かを考えたのです。そして
何らかのイデオロギーが必要であることに気がつくのです。警察
権力をいかに強化しても無理であると考えたからです。
 そのイデオロギーについて、ウォルフレン氏は次のように述べ
ています。
―――――――――――――――――――――――――――――
 明治政府がみずからの権力保持のために行なったことは、彼ら
 にとって大いに役立ったばかりでなく、日本の生活と政治の大
 部分を今日にいたるまで決定づけている。彼らは完壁な体制と
 いう観念を以前にもまして明確に打ちだした。信じられないほ
 ど巧妙なイデオロギーをつくったのだ。このイデオロギーは、
 「調和」と「独自性」という概念にもとづいている。徳川幕府
 の権力構造を正当化するための理論からヒントを得ているもの
 の、その大部分は明治時代の政治家の頭脳の産物だ。これが、
 「国体」として知られるようになったイデオロギーである。
      ──カレル・ヴァン・ウォルフレン著/鈴木主税訳
   『人間を幸福にしない日本というシステム』/OH!文庫
―――――――――――――――――――――――――――――
 日本という国は調和がとれている──明治の支配者はイデオロ
ギーとして国民にそれを信じ込ませようとし、日本人の多くはそ
う信じているとウォルフレン氏はいいます。それは、聖徳太子の
十七条憲法における「和」の精神から来ているのです。しかし、
ウォルフレン氏はそれによって日本人は聖徳太子の時代から明治
時代まで政治的に抑圧されてきており、人々は調和を装うしかな
かったというのです。   ─── [日本の政治の現況/05]


≪画像および関連情報≫
 ●「古村治彦の酔生夢死日記」より
  ―――――――――――――――――――――――――――
  小沢一郎代議士の英語で書かれた伝記が出版されたというこ
  とが産経新聞に記事として掲載されました。これは、小沢氏
  の国際問題顧問をしている岡孝(おか・たかし)氏(日系ア
  メリカ人)がオックスフォード大学に提出した博士論文を基
  にしているそうです。調べてみると、岡氏は2008年に博
  士号を取得しているそうです。小沢氏の伝記を書いただけで
  博士号が授与されるようなことはないでしょう。ここからは
  予測ですが、理論的な部分を除いて、実証の部分で書いた小
  沢氏の個人的な歴史と政治の歴史の部分を本にしたのではな
  いかと思います。政治学では、個人の分析をする研究をファ
  ースト・イメージと言います。今回の小沢氏についての岡氏
  の研究はこれに分類されます。そして中身は、典型的な日本
  の政治家である小沢氏が、どうして「改革者」としてこれま
  での日本政治では提起されなかった政策を提案してきたのか
  という問題提起をし、それを心理学や社会学、国際関係論的
  な手法を使って分析した内容ではないかと推察します。
    http://suinikki.exblog.jp/tags/%E5%B2%A1%E5%AD%9D/
  ―――――――――――――――――――――――――――

「人間を幸福にしない日本というシステム」.jpg
「人間を幸福にしない日本というシステム」
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2011年06月20日

●「明治以後日本を支配している思想」(EJ第3080号)

 日本の政治体制は明らかに異常であるといえます。その真の原
因を突き止めるには、明治維新以降の歴史を辿ってみる必要があ
ります。カレル・ウォルフレン氏の著書などを参考にして整理し
て行くことにします。
 徳川幕府はなぜ260年も続いたのでしょうか。それは支配者
にとっては、いわゆる幕藩体制が非の打ちどころがないほど完璧
な社会体制であったからです。また、その社会に住む多くの人た
ちもそれを当然のものとして受け入れたのです。
 徳川幕府が多くの人たちにその社会体制が最善のものであると
信じさせるためにはひとつの条件が必要であったのです。それは
「人々が自分たちの生活には多くの改善の余地がある」ことを分
からせないようにすることです。それは独裁体制国家が常套手段
してよく使う手法そのものです。
 それは、人々を外国人から遠ざけることです。その手段として
鎖国体制をひき、海外渡航を禁じ、違反者を処刑して口を塞いだ
のです。要するに、外国の情報を遮断して入れないようにするこ
とですが、これはほぼ完璧に実施されています。
 もうひとつ徳川幕府の為政者は、藩同士や家同士はもちろんの
こと、個人同士であっても深刻な対立を防止するため、「喧嘩両
成敗」という巧妙な方法を考え出したのです。それは、次のよう
な理屈に基づいています。
―――――――――――――――――――――――――――――
 喧嘩においては片方が正しいという事はあり得ず、双方とも
 に非がある。            ──ウィキペディア
―――――――――――――――――――――――――――――
 この喧嘩両成敗の考え方は、江戸時代までは慣例法として継続
され、その後も日本人の精神観としては現在まで脈々と受け継が
れてきています。
 しかし、これは本来おかしなロジックなのです。「双方それぞ
れにどんな非があったかを吟味せずに同罪として処断する」とい
うやり方はかなり乱暴な考え方です。西欧ではとても考えられな
いことなのですが、一応理屈は通っているので、日本人の心に深
く浸透していったのです。
 さて、戊辰戦争が終結し、日本を統一した明治政府の為政者が
日本全体をまとめ、政治体制を維持するために必要としたものは
巧妙なイデオロギーであったのです。
 なぜなら、自らが否定した徳川幕府の政治体制を再現すること
はできないからであり、それに既に開国されており、世界からの
情報流入は止めようがないからです。さらに日本が西欧諸国に伍
していくために、議会制度を導入しなければならないので、それ
に伴い政治家が誕生し、新聞などのメディアの登場も、不可避に
なっていたのです。
 それらをすべて前提としたうえで、全国民をひとつのイデオロ
ギーで縛ろうというのです。ウォルフレン氏によると、そのイデ
オロギーを支える考え方のキーワードは次の2つです。
―――――――――――――――――――――――――――――
            1.調 和
            2.独自性
―――――――――――――――――――――――――――――
 第1のキーワード「調和」について、ウォルフレン氏は、日本
では、誰かが誤って足を踏んだら、踏んだ人と踏まれた人の両方
がお互いに謝るということを例えとして上げています。確かにそ
ういうことはあると思います。
 電車のシートに座っていて、足を少し前に伸ばしていたとき誰
かから足を踏まれたとします。そういうとき、足を踏んだ方は当
然謝るし、踏まれた方も自分がそういう場所に足を置いていたこ
とを反省し謝らないまでも寛容の態度をとる──そういうことは
ある一定の年齢を超えている人同士ではあると思います。
 これは「調和」の精神であり、江戸時代まで慣例法になってい
た喧嘩両成敗の考え方に基づいています。つまり、深刻な対立の
表面化を最小限に抑える慣例なのです。しかし、こういうことを
続けていると、当然欲求不満が累積してきます。それを日本人は
「仕方がない」という言葉に押し込めてしまう──ウォルフレン
氏はそのようにいっています。
 第2のキーワードの「独自性」とは、日本人は他の民族と違い
特殊な存在であり、単一民族で同質性があるので、日本人同士な
ら、多くの言葉を使わなくても以心伝心で伝わるというきわめて
日本的な考え方を意味しています。
 この2つのキーワードを極めて巧妙に織り込んでできたイデオ
ロギーが「国体思想」なのです。この国体思想についてウォルフ
レン氏は次のように述べています。
―――――――――――――――――――――――――――――
 国体思想の基盤は日本は一つの巨大な家族になぞらえうるほど
 特別に恵まれた国だという幻想である。つまり、すべての日本
 人がこの家族の一員であり、家族国家の中心である慈悲深い天
 皇のおかげで、全員が大いに恩恵を受けているというわけだ。
 国体思想が確立されたあと、明治政府は明けても暮れてもこの
 思想を人びとに吹きこんだが、こんな国家体制をもつ国は日本
 だけだった。─カレル・ヴァン・ウォルフレン著/鈴木主税訳
   『人間を幸福にしない日本というシステム』/OH!文庫
―――――――――――――――――――――――――――――
 考えてみると、この国体思想があったため、日本はあの不毛の
戦争に突き進んだのです。この思想は、1945年の日本の敗戦
によって公式には放棄されています。
 しかし、国体思想の多くは生き残っています。日本人の国民的
記憶のなかに残っているのです。そしてそれを支える官僚体制は
ますます強固になって残っています。こういうものが異常な「小
沢外し」につながってくることになるのです。
             ─── [日本の政治の現況/06]


≪画像および関連情報≫
 ●「国体」とは何か/政治評論家・山本峯章氏
  ―――――――――――――――――――――――――――
  国体は、その国特有の国のかたちである。神話や歴史、伝統
  的価値観、民族文化などの背骨をもち、多くの場合、王政・
  君主制をともなっている。国体に対応するのが、国土の保持
  や治世、外交などをうけもつ政体である。政体(権力)は、国
  体(権威)の認証を得て初めて、権力としての正当性を発揮で
  きるのである。国体と政体の両方をそなえた先進国家は、日
  本のほかには、イギリスなどヨーロッパの王政国家があるだ
  けで、立憲君主国家は、国連に加盟している一九二の国のな
  かで、二十数国にすぎない。フランスやロシア、中国などは
  みずから歴史の連続性を断ち、アメリカは、歴史そのものを
  もたない。その他、多くの国々も戦争や植民地化などによっ
  て、国体を放棄しており、世界の大半は、民主主義を掲げた
  政体国家である。
http://www.kunidukuri-hitodukuri.jp/web/kikou/kikou_28.html
  ―――――――――――――――――――――――――――
 ●図の出典「国体とは、こんな感じ」
  http://www.tanken.com/kokutai.html

国体とは、こんな感じ.jpg
国体とは、こんな感じ
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2011年06月21日

●「調和イデオロギーが対立を押え込む」(EJ第3081号)

 日本は調和のとれた国である──ウォルフレン氏はこれについ
て、ナンセンスであるといい切り、日本は調和どころか並はずれ
て不調和の国であるといっています。そして、調和のイデオロギ
ーは日本にとって有害であるとまでいうのです。
―――――――――――――――――――――――――――――
 調和のイデオロギーが日本にとって有害なのは、それが嘘のか
 たまりだからだけでなく、日本社会における対立の正当な役割
 までも否定するからだ。私たちには対立が必要だ。この言い方
 に驚くとすれば、それは調和の達成を倫理的に必要なものと思
 わされている証拠だろう。すぐには信じられないかもしれない
 が、対立がなければ社会にしっかりした秩序をもたらすことは
 できない。──カレル・ヴァン・ウォルフレン著/鈴木主税訳
   『人間を幸福にしない日本というシステム』/OH!文庫
―――――――――――――――――――――――――――――
 日本人に植えつけられた「調和」のイデオロギーの問題点は、
対立を押え込んでしまうことにあります。権力に逆らっても勝て
るはずがないし、「仕方がない」とあきらめてしまうのです。こ
のように調和の精神は対立することを押え込むのです。これは権
力者に対して抵抗しないということにつながります。
 徳川幕府の時代においては、外国からの情報を遮断しただけで
なく、多くの人々がいろいろな物事を知ることを制限していたの
です。徳川の独裁政権を維持するためには、人々を無知の状態に
置いておくことが望ましかったからです。そのため、生まれたの
が次の言葉です。
―――――――――――――――――――――――――――――
      民は知らしむべからず、依らしむべし
―――――――――――――――――――――――――――――
 しかし、明治維新になると、国民各層に広く教育を徹底させな
ければならなくなったのです。これは危険な賭けであったといえ
るのです。もし、国民の中の頭の良い人たちが多くのことを知る
ようになると、当局にとって厄介な存在になり、既存の体制を揺
るがしかねないからです。そこで、明治の為政者たちは、国民を
次の2つに大別し、別々に管理することにしたのです。
―――――――――――――――――――――――――――――
           1.普通の国民
           2.  文化人
―――――――――――――――――――――――――――――
 ここでいう2の「文化人」とは、専門家や知識人や学者などを
いい、こうした人たちには情報を与え、比較的自由にものをいわ
せたり、書かせたりしたのです。それはその人がどういう思想を
持っているかを調べるのに役立つからです。このように、彼らは
厳重に監視され、危険な思想を持っているとみなされる場合は、
それを発表させないよう細心の注意が払われたのです。
 しかし、それらの文化人の中で権力側の一員として使える者は
登用し、また、その思想によって既存体制の宣伝に使える者は宣
伝活動に従事させるようにしたのです。
 しかし、それでも十分なコントロールは効かなかったのです。
そのため、1925年には治安維持法を公布し、危険思想を取り
締まるようになります。3年後の1928年には同法は一段と強
化され、危険思想には無期懲役や死刑に処することができるよう
になったのです。なぜ、そこまでするのか。危険思想は権力機構
は崩壊させかねないからです。
―――――――――――――――――――――――――――――
 日本の官僚は、自分たちの属する権力機構をあからさまに分析
 されるのを好まない。いや、この言いかたは控え目にすぎる。
 官僚は、真の分析を恐れているのである。それもそのはずだ。
 なぜなら、彼らの権力機構がつねに正確に説明され広く理解さ
 れれば、絶えず非難されるようになり、やがては官僚機構が機
 能しなくなると思われるからだ。秘密主義は、日本の官僚独裁
 主義を成功させるために必要な条件なのである。
      ──カレル・ヴァン・ウォルフレン著の前掲書より
―――――――――――――――――――――――――――――
 このように明治の権力者たちは、政治や経済機関のリーダーに
なり、省庁を率い、その基礎作りに寄与したのです。そして枢密
院という明治憲法体制下での国政に関する天皇の最高諮問機関を
創設し、明治の官僚機構が出来あがったのです。そして官僚を天
皇に対して滅私奉公する存在として位置づけたのです。
 それでいて、彼らは一度手に入れた権力を政敵に奪われること
がないよう細心の注意を持って守りを固めたのです。そのため、
彼らは、国民に対して対立を押え込む調和のイデオロギーの徹底
に加えて、政治家たちの行動を忌まわしいものと感じさせるよう
な価値観を体制に植えつけたのです。
 彼らにとって選挙で選ばれた政治家は、体制側の秩序を乱し、
イデオロギーを踏みにじる存在として位置づけられるのです。こ
のように、官僚と政治家は最初から対立関係にあったのです。政
治家対官僚の対立は政治家誕生の瞬間から生じていたのです。
 この明治の権力者たちが国民の精神に植え込んだこのイデオロ
ギーは連綿と受け継がれ、現代の日本人の精神に何らかのかたち
で生きているといわれます。これに関して、ウォルフレン氏の本
にこういう話が出ています。
 もし、オランダ人が「あなたはオランダ人らしくない」といわ
れた場合、十中八九一笑に付するだけですが、アメリカ人が「あ
なたはアメリカ人らしくない」といわれるときっとうろたえる。
しかし、日本人が「あなたは日本人らしくない」といわれると、
大きなショックを受けて落ち込み、心の安定を失うといいます。
 そのため、日本人の行動を制する言葉として「あなたのやり方
は日本人らしくない」というほど効き目のある非難の言葉はどこ
にもない──とウォルフレン氏はいっています。
             ─── [日本の政治の現況/07]


≪画像および関連情報≫
 ●日本社会における「対立」について
  ―――――――――――――――――――――――――――
  日本の社会では、真の対立はすぐに表面の下に押しこめられ
  るので、対立が対立として適切に処理されない。見えないの
  だから、処理のしようもないのだ。対立が気づかれず、ある
  いは無視される場合、その当事者はたいへんな不幸におちい
  りかねない。日本の社会はある意味でとても貧しい社会だ。
  というのも、第三者の勝手な裁定に頼る以外、対立を解消す
  る効果的な手段がないからである。
      ──カレル・ヴァン・ウォルフレン著/鈴木主税訳
   『人間を幸福にしない日本というシステム』/OH!文庫
  ―――――――――――――――――――――――――――

講演会で質問に応ずるウォルフレン氏.jpg
講演会で質問に応ずるウォルフレン氏
posted by 平野 浩 at 04:09| Comment(0) | TrackBack(0) | 日本の政治の現況 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年06月22日

●「姿なき権力者とは何か」(EJ第3082号)

 日本という国の最大の権力者は誰なのでしょうか。
 はっきりしていることは、それが内閣総理大臣ではないことで
す。今回の菅首相をめぐる騒動で、総理大臣がいかに大きな権力
を持っているかを再認識した人は多いと思います。その総理を辞
めさせようとしてもそれが果たせないからです。それでも総理大
臣よりもさらに強い権力を持っている組織があることは確かなこ
とです。しかし、その姿はよく見えないのです。
 まさに「姿なき権力者」という表現が的を射ています。姿が見
えないので、権力の行使に反対することも、抵抗することも何も
できないのです。これでは国民は泣き寝入りをせざるを得ないこ
とになります。
 この平成の世の中でも「姿なき権力者」は存在し、権力を行使
しています。そのほとんどは既得権者の利益を守り、国民に痛み
を押し付けるものばかりです。身近な例を上げましょう。
 現在日本は、東日本大震災で未曽有の危機に瀕しています。そ
の日本で被災地の支援がほとんど進んでいないのに、被災地支援
とはまったく関係ない消費税増税案が急ピッチで進められていま
す。これはきわめておかしなことですが、このプロジェクトだけ
がすべてに優先して急ピッチで進められているのです。それに加
えて、復興に関わる資金までも別の増税で賄おうとしています。
とんでもないことであると思います。
 それは菅首相率いる民主党現政権がやっていることであるとい
う人がいるかもしれません。確かに直接的にはそうです。しかし
現政権がそうさせられているという見方もあるのです。「姿なき
権力者」の力がそこに強く働いており、現政権はそうせざるを得
なくなっていると思うのです。
 「姿なき権力者」とは何か。
 カレル・ウォルフレン氏は、外国人であるのにその謎に果敢に
挑戦し、かなりその核心に迫っています。いや、外国人であるか
らこそ、日本を客観的に分析することができるのでしょう。
 しかし、どのように虐げられても日本人は、政治的なことには
無関心であり、おとなしいのです。もし、外国であれば確実に暴
動が起きるようなときにでも、日本ではほとんど反応しないので
す。それは調和のイデオロギーが「対立」を押え込んだ結果であ
る──このようにウォルフレン氏はいうのです。
 ウォルフレン氏は、1990年(原書は1988年)に上梓し
た著書において、日本人について、次のように述べています。
―――――――――――――――――――――――――――――
 無数の政治的勢力が、しかも、それぞれがその気になれば国家
 を揺るがしうるだけの力を有し、自分の利益を守ろうとひしめ
 き合うなかで、責任をとるものがまったくいなくても社会的混
 乱が起こらない。それどころか、社会の秩序正しさと人びとの
 規律正しさというのが、日本の際立った特徴である。これでは
 どこか別のところになにか非常に有力な政治的勢力があって、
 それが結合力のもとになっているにちがいないと思ってしまう
 人もいるだろう。カレル・ヴァン・ウォルフレン著/篠原勝訳
            『日本/権力構造の謎』上/早川書房
―――――――――――――――――――――――――――――
 現在の日本の政治の原点は明治維新にあります。「太政官」と
いう制度を頭に入れておく必要があります。
―――――――――――――――――――――――――――――
                I── 右大臣
      天皇──太政大臣──I── 左大臣
                I── 参 議
―――――――――――――――――――――――――――――
 明治政府は、主権者である「天皇」の下に政府の総責任者であ
る「太政大臣」が設置されています。その太政大臣の下に「右大
臣」「左大臣」「参議」という3つの職制が並列的に配置されて
います。この3つの職制の主座は「左大臣」です。これら4つの
職務全体を「太政官」というのです。
 本来太政大臣は具体的職掌がなく、功労者を処遇する名誉職で
あり、常設の職ではなかったのです。そのため、左大臣が太政官
の職務を統べる議政官の首座として朝議を主催したのです。
 しかし、左大臣も常設の職ではなく、そういうときは右大臣が
その職務を代行をしたのです。右大臣の下には、次の10省から
成る行政機関が配置されています。
―――――――――――――――――――――――――――――
         大蔵省     宮内省
         外務省     工部省
         陸軍省     文部省
         海軍省     内務省
         司法省     北海道開拓使
http://page.freett.com/sukechika/meizi11/05settei/meizi09-1-1.html
―――――――――――――――――――――――――――――
 これら太政官の制度外に、各省庁の上位に元老院──上院と称
する法律案審議機関があります。そして、これと対になる下院と
いう立法機関もあるのです。しかし、欧米諸国の真似をして上下
両院を設置したのですが、かたちだけのもので終っています。
 立法機関としての元老院には、実際には省庁の役職からあぶれ
た土佐藩出身の維新志士が多く配置され、元老院議員はその肩書
を利用して自由民権運動に走ったのです。
 明治政府組織は、明治初年より何回も整備統合が行われ、2〜
3年で全く政府の機構が変貌してしまうこともたびたびあったの
です。しかし、組織は次第に強固なものになって行き、明治11
年(1878年)には、ほぼこのかたちの政府組織が編成された
のです。しかし、選挙で選ばれる政治家が登場するのは、自由民
権運動、国会開設運動を経て、明治23年(1890年)の帝国
議会まで待つことになります。その間に官僚機構はかなり緻密が
かたちででき上がっていたのです。
             ─── [日本の政治の現況/08]


≪画像および関連情報≫
 ●元老院とは何か
  ―――――――――――――――――――――――――――
  元老院は、明治初期の日本の立法機関。新法の制定と旧法の
  改定を行うこととしたが、議案は天皇の命令として正院(後
  に内閣)から下付され、緊急を要する場合は事後承認するだ
  けになるなど権限は弱かった。構成者は元老院議官。187
  5年に大久保利通・伊藤博文・木戸孝允・板垣退助らの大阪
  会議での合意に基づき、続いて出された立憲政体の詔書によ
  り、1875年4月25日左院にかわり設置された。当初は
  正副議長各1名が置かれ定員は無制限とされたが、程なく財
  政上の都合から同年11月25日に職制が改正されて正副議
  長各1名とこれを補佐する幹事2名(1886年廃止)、そ
  の他の議官28名の計32名が定数とされた。
                    ──ウィキペディア
  ―――――――――――――――――――――――――――

元老院.jpg
元老院
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2011年06月23日

●「『権力の最高裁決者』とは誰か」(EJ第3083号)

 「姿なき権力者」をさらに追及していくことにします。まず、
国──ネーションとは何でしょうか。
―――――――――――――――――――――――――――――
 「国」とは何か。国(民族国家)とは、共通言語を使用し、
 ほかとは異なる独自の文化があるところ(場所)である。
―――――――――――――――――――――――――――――
 この点に立つと、日本はネーションであることは間違いないと
いえます。それでは、「国家」とは何でしょうか。
―――――――――――――――――――――――――――――
 「国家」とは何か。国家とはその国土の究極的な統治権を有
 し、権力の最高裁決者である。
―――――――――――――――――――――――――――――
 ここで注目すべきは「権力の最高裁決者」です。ごく常識的に
いえば、これは「国会」ということになります。日本は議会制民
主主義の国であるので、主権は国民にあり、立法権は選挙で選ば
れた議員によって構成される「国会両院」にある──そういうこ
とになります。しかし、確かに法案を最終的に決めるのは国会で
すが、それをもって「権力の最高裁決者」といえるかというと、
大きな疑問があります。
 なぜなら、今や国会での法案についての議論や裁決はほとんど
儀式化しているからです。議論は噛み合わないし、法案は提出時
点で裁決の結論が出ているからです。
 これについて、権力があるように見える組織について、ウォル
フレン氏は次のように言及しています。
―――――――――――――――――――――――――――――
 国会両院以外に、国家の中核として権力を持っているらしく見
 える組織は、官僚と大企業である。だが、この両者のどちらに
 も、究極的な権力はない。ボスはたくさんいるが、ボス中のボ
 スといえる存在はないし、他を統率するだけの支配力のあるボ
 ス集団があるわけでもない。首都が国の経済、文化の中心だと
 いう意味では、日本は高度に中央集中型の国と言える。東京は
 パリやロンドンに負けず劣らず、〃すべてのものがある¢蜩s
 市である。大企業は、中央官庁の役人から離れないよう、本社
 あるいは重要な支社を東京に構える。主要教育機関も、ここに
 集中している。予算陳情のためには、地方自治体も国の中央官
 僚に取り入らなけれはならない。
       ──カレル・ヴァン・ウォルフレン著/篠原勝訳
            『日本/権力構造の謎』上/早川書房
―――――――――――――――――――――――――――――
 ウォルフレン氏は、事実上の「権力の最高裁決者」として中央
官庁の上級官僚と大企業を暗示していますが、これはきわめて興
味深い指摘であるといえます。
 そういう中央官庁の上級官僚と、主権者である国民とをつなぎ
政治的コミュニケーションを可能にするのが政治家の仕事なので
すが、ウォルフレン氏は、日本の政治家はその役割を果たしてい
るとはいえないとして次のように述べています。
―――――――――――――――――――――――――――――
 政治家の公式な役割は、「公僕」であるはずの官僚と国民との
 あいだを仲介することだ。だが、政治家はその役割をはたして
 いない。理論上は、公式の政府を形成するために選出された政
 治家たち(すなわち首相の率いる内閣の閣僚たち)だけが、官
 僚を支配する力をもっている。しかし、閣僚たちは長いあいだ
 その力を行使していない。彼らは、民主主義国で彼らの役割と
 されていること、すなわち政治的説明責任(アカウンタビリテ
 ィ)の中枢を形成する努力をしていない。
      ──カレル・ヴァン・ウォルフレン著/鈴木主税訳
   『人間を幸福にしない日本というシステム』/OH!文庫
―――――――――――――――――――――――――――――
 公務員幹部の天下り問題が平然と続く中で、日本の政治権力は
拡散し、官僚の上層部と経済界のエリートの上層部、それに一部
の政界のエリートが結びつき、それはかなり厚い層を形成してい
るのです。この分散化している政治権力が政治システムを形成し
ているわけです。
 この政治システムにとって、この国の最も重要なことは、すべ
てこの層によって企画され、財源がつけられ、実行に移されてい
るのです。しかし、この政治勢力は表面から姿を隠しているので
国民には、はっきりとは見えず、どのように権力が行使されてい
るのかわからないのです。そのため、「姿なき権力者」といわれ
るのです。
 ウォルフレン氏は「社会の政治化」という言葉を使います。民
間部門と公共部門の境界がわからなくなっているからです。そこ
で、ウォルフレン氏は官公庁で働く官僚と、業界団体や系列企業
や系列銀行の高度に官僚化された幹部をまとめて表現する言葉が
必要になるとして、次の言葉を使っているのです。
―――――――――――――――――――――――――――――
      管理者たち/アドミニストレーターズ
―――――――――――――――――――――――――――――
 この「管理者たち」にマスコミが加わった連合体が現在の日本
を動かしているのです。本来、マスコミの中心である新聞は「社
会の木鐸」といわれています。その意味は、世に警告を発し、社
会を正しい方向に導くということであり、新聞の代名詞であった
のです。「鐸」とは法令を宣布するときに振って鳴らした大型の
鈴のようのもので、文事には木の舌のもの(木鐸)、武事には金の
舌のもの(金鐸)を用いたとあります。
 本来であれば、おかしな政治システムの不正を暴いて広く国民
に知らせるのが役割であるのに、今のマスコミは明らかに権力側
についており、その権力を毀す恐れのあるものに対しては、事実
をねじ曲げることなどなんとも思っていないようにみえます。
             ─── [日本の政治の現況/09]


≪画像および関連情報≫
 ●池田香代子氏のブログ「社会の木鐸」/一読の価値あり
  ―――――――――――――――――――――――――――
  社会の木鐸。この言い回しがいつごろから使われるようにな
  ったのか知りませんが、最近は聞かないので、若い方はご存
  じないかも知れません。木鐸は「ぼくたく」と読み、「社会
  の」がつくと、新聞や新聞記者を指します。人びとに真実を
  伝えて警鐘を鳴らし、世論形成を助ける存在、というほどの
  意味合いです。歴史的オブジェとしての木鐸は、金口木舌─
  ─「きんこうもくぜつ」とも言われるように、金属の本体に
  木製の棒を打ち当てて音を出すもので、古代中国で人びとに
  情報を知らせる人が鳴らしました。為政者に遠ざけられた孔
  子が木鐸になぞらえられた故実から、権力とは一線を画し、
  社会のあるべき姿を示すオピニオンリーダー、というニュア
  ンスがあります。
http://blog.livedoor.jp/ikedakayoko/archives/51322671.html
  ―――――――――――――――――――――――――――

「日本/権力構造の謎」/ウォルフレン著.jpg
「日本/権力構造の謎」/ウォルフレン著
posted by 平野 浩 at 04:19| Comment(0) | TrackBack(0) | 日本の政治の現況 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年06月24日

●「日本の官僚制度の特殊性がある」(EJ第3084号)

 ウォルフレン氏のいうところの「管理者たち/アドミニストレ
ーターズ」の中心は官僚です。日本の官僚制度は、何度もいうよ
うに、政治的野心を持った明治の強力な指導者──主として薩長
重鎮たちによって作られたのです。
 しかし、彼らは民主主義の信奉者ではなく、独裁的な支配者で
あったのです。彼らは自分たちの作った「天皇の下僕」の機構を
少数の人間で支配する寡頭制を選んだのです。しかし、それを次
世代に受け継ぐシステムを構築していなかったのです。
 そのためその権力者たちが死ぬと、彼らに任命された各省や枢
密院、それに軍の官僚たちは、そのあとを引き継いだのですが、
彼らは政治的に統一された新しい寡頭制度を構築しなかったので
す。そのため、それぞれの職務に権力が分散し、全体を取り仕切
る権力者がいなくなったのです。
 もとよりかたちのうえでは、最高の権力者は天皇ということに
なっており、官僚は天皇の下僕として位置づけられたのですが、
実際はそうではなかったのです。官僚たちは天皇の意思と称して
さまざまなことを勝手にやったのです。しかし、官僚を管理する
システムがないので、国全体としてはまるで政策の整合性がとれ
ず、ばらばらになってしまったのです。
 こういう日本の官僚制度について、ウォルフレン氏は次のよう
に述べています。
―――――――――――――――――――――――――――――
 日本の官僚制度が注目を余儀なくさせる側面、同時にきわめて
 恐ろしい側面は、それを管理するものがいないことだ。日本の
 市民は、なかなかこれを実感できない。私は、日本が他の国と
 異なると主張しているとしばしば批判される。日本で見られる
 政治現象は、たしかに他の国でも見られる。だが、強大な権力
 が公的な権力として規定されないまま闇のなかに据えおかれて
 いる度合いや、日本の社会が政治化されている度合い、また官
 僚の権力が管理されていない度合いは非常に大きく、その点で
 日本はまったく異質である。日本の市民は、官僚が日本ほど放
 任されている大国はないという事実に気づくべきだ。
      ──カレル・ヴァン・ウォルフレン著/鈴木主税訳
   『人間を幸福にしない日本というシステム』/OH!文庫
―――――――――――――――――――――――――――――
 しかし、明治の権力者たちは議会制度を導入し、国民の選挙で
選ぶ政治家を登場させています。これは民主主義の制度です。こ
れと官僚制度をうまく組み合わせて機能させることは可能だった
のですが、彼らはそれをあえてしなかったのです。なぜなら、日
本の議会制度と法の仕組みは、日本を近代国家に見せかけるため
だけのものでしかなかったからです。
 明治の指導者たちの中には、巨大化する官僚機構の規制を強化
すべきと唱えるものもいたのですが、少数の権力者たちは、国民
を信頼せず、国民によって選ばれる政治家を警戒すべき対象とし
たのです。そのため、自由民権運動をはじめとする初期の政治活
動に対して徹底的に弾圧を加えたのです。これでは、徳川時代の
封建体制と何も変わらなかったわけです。
 ウォルフレン氏は、官僚の権力を野放しにして日本に起こった
悲劇として太平洋戦争を上げています。この戦争は、軍の官僚が
仕組んだものであり、それらの官僚へのコントロールが効かなく
なった結果起こったものなのです。
 日本が、当時の日本の国力の10倍以上の工業力を持つ米国に
対して戦争を仕掛けても勝てるはずがないのです。しかし、官僚
が暴走すると、こういう悲劇が生まれるのです。それはまさに自
殺行為であったとウォルフレン氏はいっています。「国民が慈悲
深いはずの権力者に裏切られたまさに悲劇である」と。
 問題なのは、日本の官僚制度は現在も野放しであることです。
なぜなら、官僚に対して政治的な管理がなされていないのは、昔
と何ら変わっていないからです。彼らは、強固な組織と情報と資
金を有しており、自分たちの身分と生活は法律で安全を保証され
ているのです。そして、彼らは日本を事実上コントロールしてい
るのです。しかし、国民にはその姿が確認されず、姿なき権力者
になっているわけです。
 そのため、政治家が革新的なことをやろうとすると、官僚側は
それが彼らにとって都合の悪いことであると、徹底的にそれを潰
そうとします。現在の民主党がやろうとした政策がことごとく実
現しないのは、野党ではなく、官僚──とくに財務省の協力が得
られないからなのです。自民党によって「バラマキ4K」と名づ
けられた民主党の主要政策は、それが継続されると、官僚が使え
るカネが減少し、財務省が危機感を感じたからなのです。
 かかる官僚機構に立ち向かうことは非常に困難なことです。公
務員改革制度が進まないことにそれがあらわれています。これに
ついては改めて取り上げるつもりです。
 1945年の終戦後において官僚制度はますます強固なものに
なります。それまで彼らの上には、絶対の権力者としての天皇が
存在していたのですが、終戦によって天皇は象徴天皇になったか
らです。それでいて、アメリカの占領軍は官僚制度をそのままの
かたちで残しています。これについて、ウォルフレン氏は次のよ
うに解説しています。
―――――――――――――――――――――――――――――
 日本にとって不幸だったのは、1945年の終戦後、アメリカ
 の占領軍が日本の実情を完全に誤解していたことだ。占領軍は
 日本の政治家もアメリカの場合と同様に官僚を支配すると思い
 込んでいた。(中略)そして民主主義の実現のために日本が何
 よりも必要としているものは中央政府の強力な指導力だという
 ことに、まったく思いいたらなかった。
        ──ウォルフレン著/鈴木主税訳の前掲書より
―――――――――――――――――――――――――――――
             ─── [日本の政治の現況/10]


≪画像および関連情報≫
 ●現在の日本の官僚システムは明治以来のもの
  ―――――――――――――――――――――――――――
  官庁の役人の天下り問題とか、今回の防衛庁人事での小池前
  防衛大臣と守屋次官の次官後任人事を巡る確執騒ぎとかで、
  最近特に官僚制に関しての論議が従来にも増して注目される
  ようになっているが、この官僚システムはいつに遡るかとい
  うと、明治初期につくられたシステムであることが内田通夫
  氏による週刊東洋経済の7月14日号の『このままの官僚制
  度を放置していいのか』という題名の記事に明解に描がかれ
  ている。以上の記事を要約すると以下のようになる。
   http://blogs.yahoo.co.jp/worldforum2007/35631149.html
  ―――――――――――――――――――――――――――

憲法発布略図.jpg
憲法発布略図
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2011年06月27日

●「山縣有朋と日本の官僚制度」(EJ第3085号)

 最大の懸案であった特例公債法の成立の確約を含む50日の国
会延長──民主党執行部が必死になってまとめてきた野党との合
意案を蹴っ飛ばして70日延長で押し切った菅首相。これで特例
公債法の成立の見通しは不透明になりましたが、菅首相が一向に
ひるまないのにはワケがあります。
 今年度予算の財源の40%を占める赤字国債を発行するには、
特例公債法の成立が不可欠であり、6月中に決まらないと予算が
足りなくなってしまうのです。本来であれば、今年度予算案と同
時に成立していなければならない法案なのです。
 それにもかかわらず、菅首相が強気なのは財務省の幹部から次
の耳打ちがあったからなのです。
―――――――――――――――――――――――――――――
 10月〜11月ぐらいまで予算は持つ。特例公債法はそれま
 でに成立させればよい。
―――――――――――――――――――――――――――――
 予算の40%ですから、常識的には11月まで持つとは考えに
くいですが、どこからかカネを持ってくるのでしょう。財務省と
しては消費税増税のことがあるので、それまで何とか菅首相を続
投させたいのです。省益にかなう首相だからです。
 この財務省の耳打ちで菅首相はがぜん強気になったのです。要
するに内閣ではなく財務省が国をコントロールしているのです。
これは本来あってはならないことであり、異常な事態です。
 日本の官僚制度がこのようなかたちになっていることについて
ウォルフレン氏は、明治の元老のひとり山縣有朋の存在を上げて
いるのです。年配者や歴史に興味のある人は別として、山縣有朋
といってもピンとこないかもしれません。第3代内閣総理大臣、
日本陸軍の基礎を築いた「国軍の父」というエライ人という印象
を持っている人が多いと思います。しかし、ウォルフレン氏の山
縣有朋の評価は最悪であり、次のように述べているのです。
―――――――――――――――――――――――――――――
 少数の独裁者のなかには国にとってまったく有害な者もいた。
 政治の健全性を損なった悪者を一人だけあげるとすれば、私は
 山県有朋を選ぶ。彼はまったくよこしまな人で、漠然とした不
 安からくる性格的な問題をかかえていた。それは彼が非社交的
 かつ陰険な態度で周囲の人びとに接したことからも明らかだ。
 また、日本の社会をいっそう閉ざされたものにしたやりかたか
 らも明らかだ。山県は、政治における代議制度という考えかた
 そのものを非常に嫌悪し、一連の複雑な規則をつくって、選挙
 で選ばれた政治家が日本の官僚を決して掌握できないようにし
 た。近代日本にとって、山県が「近代官僚制度の父」であり、
 「陸軍の父」であったことは、最大の不幸だった。彼が長生き
 したのも不幸だった。
      ──カレル・ヴァン・ウォルフレン著/鈴木主税訳
   『人間を幸福にしない日本というシステム』/OH!文庫
―――――――――――――――――――――――――――――
 ウォルフレン氏の山縣有朋の評価はこのように厳しいものです
が、ほかの人はどう評価しているのでしょうか。山縣有朋が何を
やったかはあとで述べることにして、司馬遼太郎氏の著作から山
縣の評価を拾ってみることにします。
―――――――――――――――――――――――――――――
 ◎山県に大きな才能があるとすれば、自己をつねに権力の場所
 から離さないということであり、このための遠慮深謀はかれの
 芸というべきものであったが、同時にこの新しい国家の建設の
 ためによく働きもした。それについての彼の芸は、官僚の統御
 であった。
 ◎いわゆる明示的な天皇絶対制の基礎をつくったのが大久保利
 通であり、それを憲法によって制度化して、大久保の思惑より
 も明朗なかたちにしたのが伊藤博文であり、その明色を暗色に
 しておもくるしい装飾をほどこしたのが山形だと思っている。
 いずれにせよ山形の帝王美学は日露戦争前のロシアゆきによっ
 て着想された。    http://zoompac.exblog.jp/13733154/
―――――――――――――――――――――――――――――
 初代内閣総理大臣の伊藤博文や第2代の黒田清隆は、官僚では
なく、政治家にもっと主導権を与えるべきであるという要望を取
り入れるべく努力したのですが、山縣有朋が総理になると、それ
を退け、官僚主導を強化したのです。まず、彼が手がけたことは
官僚機構を政権政党による政策決定の枠外に置くことによって、
官僚の人事から政治家から遠ざけたことです。官僚の人事は官僚
が決めるということです。これは現在まで続いています。
 山縣は、自分の決めた制度が自分の死後、変更されることを懸
念し、いくつか手を打っています。彼は、内閣は枢密院の命令に
遵守すべきものと定め、枢密院に自分が講じた仕組みの監視役と
して機能させたのです。
 こういう仕組みを作ったうえで山縣は、枢密院にはかられるべ
きいくつもの「勅令」を天皇に出させたのです。勅令とは、日本
においては天皇が発した法的効力のある命令のことです。山縣は
天皇の使い方が非常に巧妙だったのです。天皇の勅令に誰も逆ら
えなかったからです。このようにして、官吏登用試験、任命、規
律、解任、序列に関するさまざまなものがどんどん決まっていっ
たのです。
 山縣有朋は政治家の台頭を恐れており、過激な政治弾圧を行っ
ています。明治33年(1900年)3月には、政治結社・政治
集会の届出制および解散権の所持や軍人・警察官・宗教者・教員
・女性・未成年者・公権剥奪者の政治運動の禁止、労働組合加盟
勧誘の制限・同盟罷業(ストライキ)の禁止などを定めた治安警
察法を制定し、政治・労働運動などを弾圧したのです。
 山縣有朋のやり方は20世紀の最初の40年間、日本の政治や
省庁──とくに内務省の体質作りに決定的な影響を及ぼしたので
す。           ─── [日本の政治の現況/11]


≪画像および関連情報≫
 ●山縣有朋についての情報
  ―――――――――――――――――――――――――――
  明治の元勲として陸軍の基礎を作ったことから、軍部への影
  響力は大きなものがあった。山縣はこれと見込んだ軍人や官
  僚を要職につけて見捨てることがなく、これが自然と「山県
  系」ともいえる人脈を形成した。しかしこれは同時に元長州
  藩出身の人材ばかりを要職に就かせる手法にも見え、長閥と
  して嫌う者も非常に多かった。また近代日本初の大掛かりな
  汚職疑惑に絡み、江藤新平をいただく司法省の厳しい追及に
  あって一旦は辞職もしている(山城屋事件)。
                    ──ウィキペディア
  ―――――――――――――――――――――――――――

山縣有朋.jpg
山縣 有朋
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2011年06月28日

●「検察官はスーパーガーディアンか」(EJ第3086号)

 官僚は滅私奉公で天皇を支える重要な存在であるが、政党政治
家には疑わしい人物が多い──この考え方は明治時代から国民の
意識に植えつけられているとウォルフレン氏はいいます。
 そんなことはないという人がいるかもしれないが、検察の捜査
の手が政治家におよび、その政治家が逮捕でもされると、国民の
多くは喝采する人は多いのです。それは潜在的に「政治家=悪」
であると思っているからであるとウォルフレン氏はいうのです。
 ウォルフレン氏は、日本は法治国家であるのに、超法規的な慣
習というものがあるとして、次のように述べています。
―――――――――――――――――――――――――――――
 日本の場合、経済や政治上の取り引き、関係性など、現実のな
 かで実際に利用されるやり方が、法律によって決められている
 わけではないのである。それを決定するのは慣習である。さら
 には現状維持をはかる勢力である。ちなみに個人やグループに
 みずからの行いを恥じ入らせる「辱め」は、日本の当局が秩序
 を維持するために用いる手口のひとつだ。体制を揺るがしかね
 ない人間を、辱め、世間の見せしめにすることで、超法規的な
 秩序を逸脱すれば、このような仕打ちが待っているとあらゆる
 人々に警告するのだ。その陣頭指揮をとるのはもちろん、日本
 の検察である。しかも、新聞はそんな彼らを大いに支援してい
 る。    ──カレル・ヴァン・ウォルフレン著/井上実訳
         『誰が小沢一郎を殺すのか?』/角川書店刊
―――――――――――――――――――――――――――――
 このウォルフレン氏のいう「体制を揺るがしかねない人間を、
辱め、世間の見せしめにする」という表現はきわめて重要です。
これはそういう政治家を人物破壊することによって体制(官僚制
度)を守ろうとしているからです。それは、具体的には検察とメ
ディアによって行われるのです。こういう仕組みを歴史的には山
縣有朋が作っていたのです。
 ウォルフレン氏は、検察官を「スーパー・ガーディアン」と呼
んでいます。「スーパー・ガーディアン」とは何でしょうか。
 ガーディアンとは「見張り人」のことです。統治機構に属する
官僚をはじめとして、自治体の長や政治家は、それぞれの領域に
おいてガーディアンの役割を果たすことが求められており、ガー
ディアンはどこの国にもあるのです。
 しかし、そういうガーディアンである官僚や政治家などを見張
るためのガーディアンも必要になります。それをスーパー・ガー
ディアンというのです。
 真の民主主義国家では、報道機関もこのスーパーガーディアン
的役割を担うのですが、日本の報道機関はきわめて特殊であり、
その役割を担うどころか権力側についているといえます。そうさ
せているのは、記者クラブの存在です。記者クラブの存在が諸悪
の根源であることは、何度も述べてきているところです。
 もともと民主党は「記者クラブの解放」を主張してきた政党な
のです。しかし、政権をとると手のひらを返したように記者クラ
ブを廃止するどころか、温存しています。
 ウォルフレン氏は、日本の検察官は多くの日本人にとっては神
聖な存在であり、神に近いとまでいっています。これはオーバー
な表現のように聞こえますが、日本の検察の特殊性を衝いている
鋭い指摘であると思います。
 現在検察はあの証拠改竄事件があって、その権威は地に落ちま
したが、ウォルフレン氏は1994年の時点で、日本の検察につ
いて次のように述べています。
―――――――――――――――――――――――――――――
 日本の検察官がこのように神聖視されているのは、きわめて残
 念なことだ。これは、日本の司法に関する偽りの現実の典型的
 な例だからである。実のところ、日本の政治システムが間違っ
 ていることを示す最たる例なのだ。あえて言わせてもらえば、
 日本の検察官は、民主主義の実現にたいする最後の、そして最
 も手強い障害になりかねない。検察官は、社会のスーパー・ガ
 ーディアンではない。民主主義を信奉する日本人は、検察官に
 喝采するべきではない。司法制度の独立こそが本当の正義と民
 主主義の維持を保証する最善の道であると知る者は、検察官を
 非難してしかるべきなのだ。
      ──カレル・ヴァン・ウォルフレン著/鈴木主税訳
   『人間を幸福にしない日本というシステム』/OH!文庫
―――――――――――――――――――――――――――――
 1996年といえば、特捜部長は熊崎勝彦氏の時代(1996
年〜1998年)です。ロッキード事件、金丸信巨額脱税事件、
ゼネコン汚職事件などで検察が大活躍し、喝采を浴びていた時代
です。この時期にウォルフレン氏はこのような検察批判をしてい
るのです。それは先見性というより、日本の特殊性をウォルフレ
ン氏が見抜いていたというべきでしょう。
 ここで官僚サイドに立って考えてみよう。日本の古い慣習を残
し、事実上日本を支配する官僚制度を継続し、死守するために制
度的に政治家が変更できにくい状況を作り、その体制を揺るがし
かねない政治家が出現してきたときは、検察を使ってその政治家
を辱め、世間の見せしめにして政治生命を失わしめるというやり
方をするのです。
 さらに長期的には、一定の地位に達した上級官僚を政治家にし
てその者を当選させ、その数を増やし、政治家のなかに官僚を守
る政治家を増やして行き、官僚制度をガードする──その結果、
自民党のような政党ができたといえます。
 日本の検察庁は法務省の管理下にあるので、結局は官僚の下僕
なのです。そのため、官僚が強力な政治家に脅威を感じ、危険で
あると判断すると、検察はその政治家を始末する──このように
ウォルフレン氏は述べています。ウォルフレン氏の検察について
の考え方は明日以降のEJでもさらに取り上げていきます。
             ─── [日本の政治の現況/12]


≪画像および関連情報≫
 ●検察庁の沿革と組織について
  ―――――――――――――――――――――――――――
  我が国の近代検察制度は,明治5年8月に司法職務定制が制
  定されたことにより始まりましたが,この制度は近代的なフ
  ランスの検事制度を採用しながらも,従前の律令系体制下の
  弾正台に似た機能を検事に求めたものでありました。明治政
  府は,明治6年パリ大学のボアソナード教授を招へいし,本
  格的に法律の編さん作業に取り組み,同13年「治罪法」が
  制定,同15年から施行しました。この法では国家訴追主義
  や起訴独占主義を宣明し,律令系法制の名残が一掃すること
  となりましたが,予審制が採用されており,予審判事が直接
  証拠収集に当たるというものでした。
      http://www.moj.go.jp/keiji1/keiji_keiji04.html
  ―――――――――――――――――――――――――――

熊崎勝彦氏.jpg
熊崎 勝彦氏
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2011年06月29日

●「明治政府の法律の扱い方の特殊性」(EJ第3087号)

 日本の検察の役割は、ヨーロッパ諸国や米国の検察とは、明ら
かに異なるとウォルフレン氏はいいます。日本の検察は国の秩序
を守ることが任務であると考えています。しかし、それは明らか
に欧米の検察の守備範囲を超えており、そんなことはいわば余計
な任務であるとウォルフレン氏はいいます。
 明治の為政者は外国から成文法典を移入したのですが、肝心の
法の精神の部分は完全に欠落しており、かたちだけの導入になっ
ています。しかし、それでも徳川時代に比べると、国民は大幅な
権利と自由を手にしています。しかし、それには次の条件が付い
ていたのです。
―――――――――――――――――――――――――――――
 社会の安寧秩序を妨げず、臣民たるの義務に背かざる限りにお
 いて、(彼らの権利と自由に制限を加える)法律の範囲内にお
 いて・・・
―――――――――――――――――――――――――――――
 しかし、山縣有朋は法律に頼り過ぎることの危険を肌で感じて
いたのです。そこで法律を導入しても、知識人が「悪い思想」を
抱かないように対策を立てています。山縣は法律を「政治に対す
る防護物」として活用することを考えたのです。その結果、法律
は権力者の有力な道具に変質したといえます。そのため、日本の
国民にとって法律というものは、政府が国民の行動を抑制するも
のとして受け止められたのです。
 この山縣有朋の考え方が、後の治安維持法の制定や思想警察の
誕生につながっていくのです。これによって警察や検察も当然そ
の影響を大きく受けます。そのため、日本人は1945年の敗戦
まで、政治的権利という概念を、身近なものとして感ずることは
なかったといえます。
 ウォルフレン氏は、日本の検察の特殊性として彼らが容疑者を
法廷に引き出すという公式の任務を果たすさい、ほとんどのケー
スで勝利を手にしていることを上げています。その有罪判決率は
99.9 %という高い確率であったからです。
 この有罪判決率について書かれている「金融そして時々山」の
ブログをご紹介します。
―――――――――――――――――――――――――――――
 最近日本のことをほとんど取り上げなくなったエコノミスト誌
 が珍しく「検察か迫害者か」という記事で、日本の刑事裁判の
 問題を世界の読者に紹介していた。その話の内容は日本のマス
 コミに流れているものと重複するので、細かい紹介は省略する
 が、欧米諸国の有罪判決率と人口当たり弁護士の数を紹介しよ
 う。記事によると日本の有罪判決率は99.9%でこれは中国
 と同じレベルだ。米国、ドイツ、英国の有罪判決率は85%、
 81%、55%である。これについて日本は刑事訴訟に係わる
 人的資源が少ないので、検察は有罪の確信が持てる事件だけを
 訴訟に持ち込むと日本の法律家は擁護している。ある東京地検
 の元検事は、もしある検事が一回敗訴するとキャリアをひどく
 傷付けられ、二回の敗訴はキャリアの終わりにつながるだろう
 と述べている。
http://kitanotabibito.blog.ocn.ne.jp/kinyuu/2010/10/post_74d0.html
―――――――――――――――――――――――――――――
 有罪判決率99.9 %ということを冷静に考えてみると、日本
の検察官は裁判官の役割も同時に果たしているということになり
ます。裁判にさえ持ち込めば有罪にはできるからです。
 もうひとつ大きな問題があります。日本の法律の条文は、検察
官が自らの目標(起訴)を達成しやすくするため、幅を持って解
釈できるようわざと曖昧な表現が使われていることです。つまり
そのときの状況に応じて起訴したり、不起訴にできるようになっ
ているのです。つまり、検察官は起訴するかしないかを恣意的に
決めることができることになります。
 その典型が政治資金規正法なのです。小沢一郎事務所は、他の
ほとんどのケースでは形式犯として訂正をするだけで済んでいる
事案であるのに、小沢事務所の場合は秘書全員が逮捕され、強制
捜査を受け起訴されています。これは検察の考え方ひとつでどの
ようにでもできることを示しています。
 これでは特定の政治家を狙い撃ちにしたといわれても仕方がな
いと思います。検察はそれに加えて記者クラブを通じて情報をリ
ークし、小沢一郎氏の政治生命を失わしめる試みを執拗に行って
いるのです。こんなことが現代の日本でも平然かつ堂々と行われ
ているのです。これについては、改めてその問題性を指摘するつ
もりでおります。
 ウォルフレン氏は1960年代から70年代にかけて日本の政
治や権力構造について研究し、『日本/権力構造の謎』という大
書をまとめています。そのなかで、日本の検察の特殊性について
「法を支配下におく」という章(8章)を設けて、このことにつ
いて詳しく述べています。
 この章のなかでウォルフレン氏は、検察官と裁判官の関係につ
いて、次のように述べています。
―――――――――――――――――――――――――――――
 日本の検察権力の優位性は、一九二〇年代から受け継がれてい
 る。当時は、まるで裁判官が検察官の召使のように考えられる
 ほど、検察が司法界を支配していた。法廷では検察官が裁判官
 とともに高座についた。一九三〇年代には、「国体の本義」の
 思想を推進し、政治家も含め、この思想を脅かす危険性がある
 とみなされた者との闘いに検察官職が主要な役割を果たした。
       ──カレル・ヴァン・ウォルフレン著/篠原勝訳
            『日本/権力構造の謎』上/早川書房
―――――――――――――――――――――――――――――
 現在と違って、検察官は裁判官と一緒に高座についていたとい
うことですが、それは当時の検察官がいかに力を持っていたかを
あわわしています。    ─── [日本の政治の現況/13]


≪画像および関連情報≫
 ●明治時代の法廷風景/【宮津裁判所法廷】
  ―――――――――――――――――――――――――――
  こちらは明治時代の法廷です。この、宮津裁判所は、外見は
  普通の家のようです。珍しく「欧米化!」されていない裁判
  所です。一番手前の長椅子に腰掛けているのが被告人です。
  その隣で、制服姿の男性が、被告人に逃走をさせまいと、厳
  しく監視しております。写真奥、壇上の左から、検察官(赤
  い唐草模様)、裁判官(紫)、書記官(襟だけ緑)です。行
  われているのは冒頭陳述か、はたまた論告なのでしょうか。
  写真右端、忘れられそうなぐらいに小さく座っているのが、
  被告人の味方である弁護人(白)です。
      http://chisai.seesaa.net/article/40678563.html
  ―――――――――――――――――――――――――――

明治時代の法廷風景.jpg
明治時代の法廷風景
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2011年06月30日

●「検察劣化の元凶/平沼騏一郎」(EJ第3088号)

 検察は他の官僚にも増して「天皇の忠臣」のような存在でした
が、それに伴い強大な権力が与えられていたのです。検察がその
権力を利用して司法制度全体の支配に向けて動き出したのは19
20年代のことです。そのとき、背後で権力を振るった人物がい
ます。平沼騏一郎がその人です。ウォルフレン氏は平沼騏一郎に
ついて次のように述べています。
―――――――――――――――――――――――――――――
 我々は山縣有朋に続き、日本でのそういう状況の背後で権力を
 ふるった、あるひとりの人物を明らかにすることができる。平
 沼騏一郎である。平沼は当時、日本社会を支配するための仕組
 み作りにおいて、山県に勝るとも劣らぬ働きをなした。彼はマ
 ルキシズムやリベラリズムといった海外の理論に断固として反
 対した、つまりは民主主義の恐るべき敵であった。(中略)検
 察の政治家に対するあつかい方を確立したのが平沼であった。
       ──カレル・ヴァン・ウォルフレン著/井上実訳
         『誰が小沢一郎を殺すのか?』/角川書店刊
―――――――――――――――――――――――――――――
 平沼騏一郎とはどういう人物なのでしょうか。
 平沼騏一郎は、保守的かつ国粋主義的な政治姿勢を持ち、民主
主義、社会主義、共産主義といった外来思想を危険視した人物と
して知られ、第35代内閣総理大臣を務めています。
 平沼騏一郎の思想には2つの柱があるのです。
 第1の柱は、天皇が統治の主体で、祭政一致の政治を行うべき
であるということです。そのため、大日本帝国憲法下で確立され
た憲法学説である「天皇機関説」に反対したのです。
 第2の柱は、わが国古来からの良さを確保した上で外国の美点
を採り入れるということです。そして、日本には他に誇るべき特
有の良さがあるとして「国本社」という思想的啓蒙運動団体を主
宰し、日本精神主義、国粋主義的な思想を宣伝したのです。
 天皇機関説というのは、統治権は法人としての国家にあり、天
皇はその最高機関として、内閣をはじめとする他の機関からの補
佐を受けながら統治権を行使すると説いたもので、憲法学者の美
濃部達吉らが唱えたものです。
 憲法学者の宮沢俊義氏による「天皇機関説」の解説をご紹介し
ておきます。
―――――――――――――――――――――――――――――
 国家学説のうちに、国家法人説というものがある。これは、国
 家を法律上ひとつの法人だと見る。国家が法人だとすると、君
 主や、議会や、裁判所は、国家という法人の機関だということ
 になる。この説明を日本にあてはめると、日本国家は法律上は
 ひとつの法人であり、その結果として、天皇は、法人たる日本
 国家の機関だということになる。これがいわゆる天皇機関説ま
 たは単に機関説である。
  ──宮沢俊義『天皇機関説事件(上)』有斐閣、1970年
―――――――――――――――――――――――――――――
 平沼騏一郎は、帝国大学法科大学(後の東京大学法学部)を卒
業した法律の専門家で、司法省と枢密院に大きな影響力を持って
いたのです。しかし、第2次若槻内閣や浜口内閣に対する攻撃や
天皇機関説排撃事件などにより、実力者ではあったが、明治の元
老のひとり西園寺公望に嫌われ、本人の強い希望にもかかわらず
首相候補にも枢密院議長にもなれず、副議長に据え置かれたまま
であったのです。
 そのため、平沼は検事総長のときに、西園寺と彼の育てた立憲
政友会を潰すための国策捜査を仕掛けます。これが「帝人事件」
です。この事件は昭和9年(1934年)4月に発覚した帝人株
取得をめぐる大疑獄事件です。
 平沼の意向を受けた検事たちの捜査は、立憲政友会幹部らの逮
捕を優先して、裏付けとなる証拠収集があまりにも杜撰であった
ために、起訴したものの、公判では全員無実無根であるとして無
罪判決が出されてしまったのです。
 しかし、平沼はその後も司法省を牛耳り、前例のない9年間に
わたる長期間、検事総長を務めています。そして、司法大臣に上
りつめ、西園寺が老齢により政治の表舞台から一歩引いた後に、
やっと枢密院議長になり、総理大臣に就任するのです。
 平沼騏一郎は、政治化した日本の検察官の典型であり、自分が
嫌う政党を捜査し、収賄事件に関わった政治家に有罪判決を下し
強制的に議員を辞職させたのです。しかし、自分の政治的キャリ
アのためには、政治家を起訴せず、その政治力を利用してポスト
を手に入れるという卑劣なことも平気で行なったのです。
 この平沼の手法を真似たのは元検事総長である馬場義続です。
彼は当時の自民党の実力者であった河野一郎をやり玉にあげ、河
野の懇願によって調査は中止し、河野の政治力を利用して検事総
長になったのです。ウォルフレン氏は1960年の時点で現在大
きな問題になっている検察による多くの冤罪事件が起きることを
次のように予測しているのです。
―――――――――――――――――――――――――――――
 検察のほとんど無敵ともいえる地歩のために、誤審裁判はあと
 をたたないのではないかと考えられる。日本では、公の場で論
 駁されると顔に泥を塗られることになりかねないからである。
 法学者・野田が指摘するように、検察の活動は〃疑わしきは罰
 せず≠フ原則に従っていない。彼らに面目を失わせるようなこ
 とは裁判官もしない、ということを検察は知っているのだ。法
 廷において、弁護士が、検事ばかりでなく裁判官をも敵側とみ
 なすこともよくある。さらに、裁判官の下した判決が控訴審で
 覆されては株が下がるので、検察側の意向に沿うほうが得策だ
 ということもある。  ──カレルウォルフレン著/篠原勝訳
            『日本/権力構造の謎』上/早川書房
―――――――――――――――――――――――――――――
             ─── [日本の政治の現況/14]


≪画像および関連情報≫
 ●「検察の劣化は帝人事件にはじまる」/EJ第2802号
  ―――――――――――――――――――――――――――
  これからしばらく戦前戦後の政治的大事件にからんで、当時
  のマスコミがどのように動いたかについて見て行くことにし
  ます。そうすることによって、検察に代表される官僚機構プ
  ラス政権与党(自民党)と大企業とマスコミがどのようにして
  連合軍を組むにいたったかが見えてくると思うからです。1
  934年のことです。「帝人事件」という事件が起こったの
  です。帝人──帝国人造絹絲株式会社は当時鈴木商店の系列
  下にあったのですが、1927年の恐慌で鈴木商店が倒産す
  ると帝人の株式22万株は台湾銀行の担保になったのです。
http://electronic-journal.seesaa.net/article/147779677.html
  ―――――――――――――――――――――――――――

平沼騏一郎.jpg
平沼 騏一郎
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2011年07月01日

●「有罪判決率を上げる自白中心主義」(EJ第3089号)

 山縣有朋の官僚制度を守るためのさまざまな仕掛けを土台とし
て、平沼騏一郎や馬場義続のような検察官が力を握り、力のある
政治家を脅しつつ、妥協を図るようになったのです。この平沼や
馬場の処世術について、相手の出方によって、政治評論家の田原
総一朗氏は次のように述べています。
―――――――――――――――――――――――――――――
 「検察官として、ごく平均的な生き方をした人間」として平沼
 騏一郎がおり、平沼が出世した理由として、政治家のちょっと
 したスキャンダルを見つけてきては、それをフレームアップす
 る。狙いをつけている政治家が頼み込んできたら、そこで打ち
 切って大いに恩に着せる。その平沼流出世術を真似したのが馬
 場であり、これを当時の自民党の実力者である河野一郎にやり
 のち広島高検に転出させられそうになったのを河野の口利きで
 撤回させている。なお、検事総長になるほどの人物であれば、
 誰でもこの類の話に事欠かない。    ──ウィキペディア
―――――――――――――――――――――――――――――
 検察は平沼や馬場の時代から、有罪判決率を上げるため、次の
3つのことを心がけていたのです。
―――――――――――――――――――――――――――――
 1.検察官が恣意的な判断の余地を多く取れるようにするた
   め、法律の条文はできるだけ曖昧にする。
 2.客観的情況証拠を重視しないで、あくまで容疑者の自白
   に重きを置き、それを証拠の中心にする
 3.もし、無罪判決が出たときは「検察職」の権威を保つた
   め、控訴を続けて執拗に戦うことにする。
―――――――――――――――――――――――――――――
 上記3つのことは、現在の検察の中で生き続けているのです。
多くの客観的情況証拠を集めるよりも、取り調べを強化して、自
白調書を作り上げ、裁判所もそういう自白調書を一級の証拠とし
て活用してきたのです。しかし、あの証拠改竄事件によって、検
察の権威には黄ランプが灯ってはいますが、本当に検察の改革が
進むかどうかは予断を許さないものがあります。
 こうした日本の検察の自白主義に対して、鋭い知覚で日本につ
いて書いている政治学者、チャーマーズ・ジョンソンは次のよう
に書いています。
―――――――――――――――――――――――――――――
 日本の警察、検事、裁判官は、自白を「証拠の王」と考える。
 自白は、あらゆる検事が起訴に先立って欲しがる決定的な証拠
 であり、それはまた、検事のそれまでの努力が法廷でどれだけ
 裁判官に認められるかを決める、唯一もっとも重要な要素であ
 る。内容の詳しい自白に比べれば、情況証拠は明らかに二の次
 である。このように検事と裁判官が自白をより重視することか
 ら、日本の警察が、客観的≠ノ事件を証拠だてするよりも、
 自白を得ることに力を注ぐこともそれはど驚くことではない。
            ──カレルウォルフレン著/篠原勝訳
            『日本/権力構造の謎』上/早川書房
―――――――――――――――――――――――――――――
 しかし、敗戦により、日本に進駐した占領軍は、この慣行を変
えようとしているのです。それは、それまでかなりの割合におい
て、自白が拷問などによって引き出されていたからです。
 そこで憲法において、次の規定──憲法第38条が設けられる
ことになったのです。
―――――――――――――――――――――――――――――
 1.何人も、自己に不利益な供述を強要されない。
 2.強制、拷問若しくは脅迫による自白又は不当に長く抑留
   若しくは拘禁された後の自白は,これを証拠とすること
   ができない。
 3.何人も、自己に不利益な唯一の証拠が本人の自白である
   場合には,有罪とされ,又は刑罰を科せられない。
―――――――――――――――――――――――――――――
 この規定は、大日本帝国憲法にはないのです。第1項は、黙秘
権(自己負罪拒否特権)を規定しており、第2項と第3項は自白
法則を規定しています。この条文によって自白の証拠性は否定さ
れているのです。また、唯一の証拠が本人にとって不利益な自白
だけであるという場合は、それによって有罪になることはなく、
検察は、自白以外の証拠を十分に得なければ、起訴出来ないこと
を意味しているのです。
 しかし、占領時代が終わると、自白が決め手の有罪判決が多く
なってきています。それは、大雑把に見積もって、全有罪判決の
65〜75%を占めるようになったのです。この有罪率がさらに
進んで99.9 %に達するようになるのです。これは、明らかに
憲法第38条の規定に違反しています。
 実際に被告が撤回した自白が、後で証拠として使われることも
あるのです。こういう場合に裁判官の姿勢が重要になるのですが
検事サイドのこのやり口を阻もうとする正義感のある裁判官は、
ほとんどいないとウォルフレン氏は慨嘆し、著書で次のように書
いています。
―――――――――――――――――――――――――――――
 1987年12月16日、東京地裁の反町宏裁判長は住居侵入
 強盗・婦女暴行未遂の罪に問われた被告に無罪を言い渡し、容
 赦なく自白を引き出す検事のやり方を公然と批判した。筆者が
 判事や弁護士にインタビューしてわかったのは、1パーセント
 のさらに何分の一というごくわずかながら、検察側が負けたケ
 ースがあるのは、自由主義的な裁判官が撤回された自白を証拠
 として認めなかったためだということだった。
            ──カレルウォルフレン著/篠原勝訳
            『日本/権力構造の謎』上/早川書房
―――――――――――――――――――――――――――――
             ─── [日本の政治の現況/15]


≪画像および関連情報≫
 ●法学館憲法研究所/「憲法第38条逐条解説」
  ―――――――――――――――――――――――――――
  刑事手続における被疑者や被告人に限らず、証人も刑事責任
  を問われる可能性のある供述を強要されることはありません
  (1項)。この供述拒否権は、刑事裁判のみならず民事裁判や
  議院における証言の場においても、また行政手続においても
  保障されます。2項は強制された自白など、任意性のない自
  白を証拠として使うことを禁じます。強制や利益誘導されて
  得られた自白は虚偽である危険が大きいですし、捜査機関に
  黙秘権侵害をさせないようにするには、証拠として使えない
  とすることが効果的だからです。2項に列挙された事由はあ
  くまでも例示であり、たとえば長時間にわたる取調べによっ
  て得られた自白も、その任意性に疑いを生じさせるようなも
  のであれば証拠として使うことはできません。3項は、自白
  を唯一の証拠とする場合にも有罪とできるとすると自白強要
  のおそれや誤判の危険が高まるので、その自白だけでは有罪
  にできないとしました(補強法則)。
                  (2006年11月3日)
        http://www.jicl.jp/itou/chikujyou.html#038
  ―――――――――――――――――――――――――――

田原総一朗氏.jpg
田原 総一朗氏
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2011年07月04日

●「『姿なき権力者』が恐れるのは誰か」(EJ第3090号)

 「管理者たち/アドミニスタレーターズ」の中心的存在──官
僚について述べてきています。彼らは「姿なき権力者」として、
日本の国を実質的に動かしている存在です。
 表向きの権力は大臣や副大臣が持っていますが、本当の権力は
そのバックにいる官僚組織が国を動かしているのです。具体的に
いうと、実質的には各省庁の官僚トップの事務次官が権力を握っ
ているといっても過言ではないのです。
 なぜなら、その事務次官の下に官僚組織が配置されているから
です。いくら大臣が何かをやろうとしても、この官僚組織が動か
ない限り、実現することは困難です。まして官僚組織が嫌がるこ
とはほとんど実現できないことになります。
 このシステムは官僚側から見るときわめて都合がよいのです。
実質的に組織や資金を握っていて、国を動かせるからです。そし
てどんなに失敗しても責任はいっさいとらないで済むからです。
 そのために官僚としては、自らの組織(システム)を守ること
が重要になります。そのための諸制度や仕掛けが緻密に作り上げ
られ、明治以来現在まで続いているのです。
 その磐石の体制ができたのは、1955年以来の自民党の一党
独裁体制です。中国の共産党一党独裁体制を批判する割には、日
本人は自国の一党独裁体制をあまり批判しないのです。それは日
本が民主主義国であるからです。
 確かに日本は、欧米諸国以外で、民主主義国家としての体裁が
もっとも整っている国であるといえます。ウォルフレン氏は日本
について次のように述べています。
―――――――――――――――――――――――――――――
 日本には、議会制民主主義には欠かせないとされる機関がすべ
 てある。そして、表面的に見るかぎり、別に並外れて特異なと
 ころがあるわけではない。東京の都心には国会議事堂がある。
 衆参両院の議員たちが集まって審議をする場所である。民主主
 義にそって自分の職務を遂行していないのではないかなどとい
 われれば、彼らは激怒するであろう。日本国民には、四年ごと
 に、また時によってはもっと頻繁に、広範にわたる候補者の中
 から自分がよいと思う議員を投票で選ぶ機会がある。
            ──カレルウォルフレン著/篠原勝訳
            『日本/権力構造の謎』上/早川書房
―――――――――――――――――――――――――――――
 しかし、日本は自民党による一党独裁だったのです。この体制
がよいはずがありません。そのため、50年を超える年月が経過
して自民党が劣化し、遂に2009年夏に事実上小沢一郎が率い
る民主党が政権交代を果たしたというわけです。なぜ、事実上か
というと、選挙直前に検察によって小澤事務所の大久保秘書が逮
捕され、代表を降りざるを得なかったからです。
 既に選挙前から民主党が勝つことは見えていたので、「姿なき
権力者」たちは大きな危機感を覚えたわけです。そこで、検察を
使って小沢氏を代表から降ろし、小沢総理の実現だけはなんとか
防止したのです。小沢首相が率いる民主党だけは絶対に実現させ
ないという強い意志をそこに見ることができます。
 それでは、なぜ小沢氏をそれほどまでに恐れるのでしょうか。
それは小沢氏の政治的パワーが並外れて強いからです。その実力
は、時の政権与党を倒して野党が政権をとるなどということを2
度にわたって実現させていることによって明らかです。そんな政
治家は今までに一人もいないからです。
 小沢氏が政権をとったら何をするかは、1993年に彼が上梓
した『日本改造計画』(講談社刊)で明らかです。そこには19
93年の時点で明確に日本の政治の弊害が鋭く指摘され、日本の
統治構造をどのように改革すべきか、その基本的なやり方が示さ
れているからです。
 しかし、その計画は官僚組織にとってはとうてい受け入れられ
るものではなく、そういう意味で小沢氏は官僚にとって最大の恐
るべき敵なのです。ウェルフレン氏は、日本が必要とする抜本的
な改革に取り組めるのは、小沢一郎氏をおいてほかにはいないと
いっています。
 「姿なき権力者」は、民主党が政権をとり、小沢氏が幹事長に
就任したあとも、もし鳩山内閣が行き詰まったら、次の総理にな
る可能性は高いとして、検察を使って乾坤一擲の勝負に出たので
す。それが小沢氏への人物破壊です。
 今や小沢一郎といえば「公共工事を利用してゼネコンから泥の
カネを手に入れる悪徳政治家」のようにいわれています。このイ
メージは、検察がマスコミを使って長期にわたって執拗に続けた
人物破壊の結果であり、事実と完全に異なるものなのです。多く
の人が騙されているのです。
 既に民主党の反小沢グループ(現菅政権と執行部)はもはや民
主党ではなく、自民党以上に自民党化したグループです。彼らは
そうしなければやっていけないことを政権与党の座について悟っ
たのです。そして実権は「姿なき権力者」に握られているが、表
面上は政権与党として振るまえる道を選んだのです。
 しかし、肝心の小沢氏はまだ何もやっていないのです。官僚側
の物凄い抵抗に遭って身動きがとれない状況だからです。秘書裁
判での不起訴にも関わらず、疑惑の検察審査会での起訴を受け、
これから裁判がはじまるからです。
 日本の現状は深刻なものがあります。一刻でも早く、力のある
政治家によって改革を実現することが不可欠な状況にあります。
とくに菅政権になってからは、めちゃくちゃな国家運営が行われ
ており、それに加えて大震災に遭遇し、一層日本は混迷の度を深
めつつあります。
 7月2日の日本テレビの政治番組で、このまま菅政権が続くと
どうなるかについて4人の識者全員が、「日本破綻」と書いたフ
リップを出していました。まさに日本の危機といっても過言では
ないでしょう。      ─── [日本の政治の現況/16]


≪画像および関連情報≫
 ●アジアの政治体系のなかの日本
  ―――――――――――――――――――――――――――
  この形式上の権威と実質的な権威との不一致ということは、
  近隣のアジア諸国にもなじみが深い。今日のアジアの形式上
  の権力構造の多くは体裁をつくろうための作りものである。
  アジアの非共産主義諸国の飾りものの公式の体裁は、インド
  インドネシア、フィリピソ、マレーシアの場合には、旧植民
  地宗主国によって、また、タイや日本の場合には、西洋的形
  態を取り入れたはうが自国の独立も護れ、西欧諸国からも敬
  意の目で見られるだろうと考えた国内の改革者によって、西
  欧からとり入れられたものである。
            ──カレルウォルフレン著/篠原勝訳
            『日本/権力構造の謎』上/早川書房
  ―――――――――――――――――――――――――――

菅直人首相.jpg
菅直人首相
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2011年07月05日

●「陸山会公判重要局面へ」(EJ第3091号)

 陸山会公判が重要な局面を迎えています。2009年の衆院選
の直前に東京地検特捜部は、当時民主党代表の小沢一郎氏の第一
秘書である大久保隆規氏をいきなり逮捕・起訴したのです。特捜
部は、その取り調べの模様を記者クラブを通じてリークし、テレ
ビや新聞はそれを使って派手に書き立てたのです。
 政権交代が起きる可能性のある選挙の直前であり、どう考えて
も、小沢氏の失脚を狙った選挙妨害ともいえる逮捕であったとい
えます。しかし、小沢氏は代表を鳩山氏に譲り、選挙担当として
選挙戦を勝ち抜いて、民主党の政権交代は実現したのです。
 ところが、強引に起訴した大久保隆規被告の裁判では検察側が
きわめて劣勢であり、検察側の立てた証人の供述によってその立
証の根拠が崩れ、2010年2月に予定されていた判決では無罪
を勝ち取る可能性が高くなったのです。
 そうすると、東京地検特捜部は、今度は小沢氏の資金管理団体
「陸山会」の土地購入問題を取り上げ、大久保隆規氏を含め、衆
議院議員で元秘書の石川知裕氏、同じく元秘書の池田光智氏の3
人を政治資金規正法違反の容疑で逮捕したのです。
 政治資金収支報告書に虚偽記載があったという容疑ですが、そ
れも土地購入の登記日にずれがあったというだけのものであり、
通常であれば形式犯として訂正で済む事案なのです。まして通常
国会開催の直前に衆議院議員の逮捕をするなどあまりにも強引な
やり方なのですが、マスコミは「小沢一郎=悪人」の証明ができ
たとばかり、鬼の首でも取ったように書き立てたのです。
 そのさい、無罪判決が間違いないところにきていた大久保隆規
の容疑の訴因変更を行い、3人をまとめて起訴したのです。つま
り、無罪必至の事件は訴因から外しているのです。これはとんで
もないことです。そして当時幹事長の小沢氏に関しては2回の事
情聴取を行い、テレビや新聞・雑誌はそれを派手に取り上げたの
です。しかし、小沢氏は結局不起訴になったのです。いや、起訴
したくてもできなかったというのが正しいといえます。そのとき
証拠改竄の前田事件は起こっていないのです。前田元検事の証拠
改竄が報道されたのは2010年9月のことです。
 結局、小沢氏は鳩山氏と一緒に辞任し、菅政権が誕生するので
すが、それまで急落していた民主党の支持率は急回復しているの
です。しかし、菅陣営が支離滅裂な選挙を行ったことにより、参
院選では大敗したのです。そして、2010年9月の代表選に敗
れた小沢氏に降りかかったのは、検察審査会による2回にわたる
「起訴相当」による強制起訴です。代表選と検察審査会の決定に
は大きな疑惑があり、これについては改めて取り上げです。しか
し、いずれにしても、これによって小沢氏は表立った政治活動が
できなくなってしまったのです。
 さて、その陸山会公判は最初から異常だったのです。検察側は
起訴事実とは関係のない証人を次々と立てて証言させ、4億円の
出所がゼネコンからの献金であるかのように印象づけたのです。
新聞は例によって検察側の主張のみ派手に書き立てたのです。目
的はただひとつ小沢氏を貶めることにあるようです。
 しかし、陸山会公判は既に最終段階にきており、7月20日に
論告求刑、8月22日に最終弁論が行われることになっているの
です。これに伴い、地裁は6月30日付で検察が証拠申請をして
いた3人の秘書の捜査段階の供述調書38通のうち12通を「任
意性がない」として全部却下し、他にも多数の調書を一部棄却し
たのです。検察の面子丸つぶれです。
 これは検察にとって想定外のことであったようです。とくに小
沢氏に虚偽記載することを報告して了承を得たとする調書はすべ
て任意性がないとして却下されているからです。
 ここで触れておくべきことがあります。そもそも事実と異なる
調書になぜ容疑者がサインするかということです。そこに検事の
駆け引きがあるのです。もし、事実と少しでも異なる調書にサイ
ンしないで突っ張ると、検事は「それなら保釈させないぞ」と脅
して実際にそうするのです。大久保氏はそれを貫き、ほとんど調
書にサインしなかったので、長期にわたって保釈は認められてい
ないのです。これは違法なのですが、実際には行われています。
 そこで昨年1月の逮捕時では、3人は多少のウソが入っていて
も認めてサインしています。しかし、証拠改竄の前田事件が起き
るまでは、その調書が有罪の決め手になっているのです。開示さ
れない取り調べでは検事による脅しや取引が平然と行われている
のです。このあたりのことを今回の裁判長の登石郁朗氏はていね
いに調べ上げ、これらの調書を却下させているのです。前田事件
の影響がこのようなところに及んでいるのです。登石裁判長は、
検察側提出の供述調書を大量に却下した理由について次のように
検察側を批判しているのです。これは極めて異例のことです。
―――――――――――――――――――――――――――――
 威迫と利益誘導を織り交ぜ、硬軟両面の言辞で調書に署名させ
 ている。そのため石川は強い心理的圧迫を受け、小沢氏に類が
 及ばないよう妥協していた。      ──登石郁朗裁判長
―――――――――――――――――――――――――――――
 検察側は「調書は採用されるはず」と楽観視していたフシがあ
り、大量の調書却下に衝撃を受けています。とくに小沢氏を強制
起訴した指定弁護士は、今回却下された調書を基に起訴しており
裁判長は変わっても調書は採用されない可能性があります。
 そうなると、小沢氏の無罪の可能性は高くなり、これ以上検察
審査会の起訴裁判で与党の有力政治家の行動を制限することは国
益に反することです。指定弁護士は自らの面子にとらわれること
なく、早期に収束を図るべきであると思います。なお、今回の証
拠却下について、郷原信郎弁護士と徳山勝氏のコメントが参考に
なるので、「関連情報」をご一読いただきたいと思います。もし
大久保秘書の逮捕がなければ、現在のような醜い民主党の混乱は
なかったといっても過言ではないと思います。「姿なき権力者」
の姿が少し見えてきています。── [日本の政治の現況/17]


≪画像および関連情報≫
 ●東京地裁の証拠却下決定についての意見/郷原信郎氏
  ―――――――――――――――――――――――――――
  民主党の小沢元代表の政治資金を巡る事件で、起訴された元
  秘書らの主な供述調書のほとんどが証拠請求を却下された。
  NHKニュース「裁判所特捜部の取り調べ批判」によると、
  裁判所は、決定の中で「心理的圧迫と利益誘導を織り交ぜな
  がら、巧妙に供述を誘導した」と指摘し、東京地検特捜部の
  取り調べを厳しく批判した。今回の決定は、特捜検察の従来
  の捜査・取調べの手法に対して、村木事件における大阪地裁
  の証拠却下決定と同様に、裁判所が正面から否定的な判断を
  示したものであり、私が「検察の正義」(ちくま新書)「検
  察危ない」(ベスト新書)等で批判してきた一連の小沢事件
  捜査の暴走に対する司法判断として極めて重要な意味を持つ
  ものである。http://www.twitlonger.com/show/bfqpmu
 ●ニュースクリップ/徳山勝氏
  震災報道の所為か意識的にかは知らないが、マスコミは陸山
  会事件の公判で被告側に有利な報道は全くして来なかった。
  だが、裁判所が公表したからには報道せざるを得なかったの
  だろう。1日の新聞・テレビではその内容に濃淡の差はある
  が、陸山会事件で検察が証拠として申請した検察調書38通
  の内12通を、東京地裁(登石裁判官)が証拠として採用し
  ないことを決定したことを報じた。
  http://www.olive-x.com/news_30/newsdisp.php?m=0&i=12
  ―――――――――――――――――――――――――――

郷原信郎氏.jpg
郷原 信郎氏
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2011年07月06日

●「西松事件公判はどこに行ったのか」(EJ第3092号)

 昨日のEJ第3091号の記述に追加したいことがあり、今回
はそれを中心に書きます。現時点で小沢事務所の陸山会関連で裁
判になっている事件は次の2つがあります。
―――――――――――――――――――――――――――――
  1.西松建設の献金事件 ・・・       大久保
  2.陸山会土地購入事件 ・・・ 石川、大久保、池田
―――――――――――――――――――――――――――――
 小沢一郎氏をターゲットとする政治謀略は、小説のレベルを超
えています。検察と大メディアが、有力政治家とはいえ一人の人
間に過ぎない小沢一郎氏に対して襲いかかり、執拗に人物破壊を
続ける異様さに多くの国民は気がついていないのでしょうか。
 「姿なき権力者」のひとつである検察は、メディアの力を借り
て、日頃から有力政治家のウラネタを収集しており、何かのとき
に使おうと企んでいるといわれます。それは与党の有力議員全員
に及んでいるといわれます。
 しかし、そういう政治家が本当に悪いことをしているなら、そ
れは暴かれても仕方がないと思います。問題なのは、何も悪くな
いのに、事件をでっち上げられ、逮捕起訴される──そんなこと
は絶対にあってならないはずです。
 そのひとつ事例が西松建設事件です。この事件で小沢一郎氏の
公設第一秘書の大久保隆規氏が逮捕・起訴され、小沢氏は民主党
の代表の座を降りたのです。もし、代表のまま2009年の衆院
選を戦っていたら小沢内閣ができていたのです。そのため、それ
を嫌った検察が仕掛けた小沢氏の公設秘書の逮捕劇であったと思
われます。これが謀略でなくて何でしょうか。
 ところで、この西松建設事件はどうなっているのでしょうか。
確かに大久保被告は現在裁判を受けていますが、これは西松建設
事件の裁判ではなく、陸山会事件の裁判のはずです。西松建設事
件の裁判は忽然と消えているのです。この裁判はどうなっている
のでしょうか。
 西松建設事件をフォローしてみます。この裁判は、2009年
11月に第1回公判が開かれ、第2回公判は2010年1月13
日だったのです。実は大久保被告の無罪の兆しが明確に見えたの
が、この第2回公判だったのです。
 第2回公判では、検察側要請の証人が西松建設の2つの政治団
体は実態のある団体であることを証言したからです。検察側はそ
れらの政治団体はダミーであることを前提に起訴しているので、
立証の根拠が崩れたことを意味するのです。
 検察は窮地に追い込まれたのです。なぜなら、次の第3回公判
は2010年1月26日であり、態勢を立て直すには、時間がな
かったからです。しかも残りの公判日は、2月26日まで既に決
められていたのです。
 そこで検察がやったことは、陸山会の別の事件「陸山会土地購
入事件」を取り上げ、2日後の1月15日に小沢事務所の元秘書
大久保隆規、石川知裕、池田光智の3氏を逮捕したのです。
 この逮捕は計画されたものではないといえるのです。なぜかと
いうと、15日に逮捕できたのは石川、池田の両氏だけであり、
大久保氏の逮捕は次の日になったからです。政治犯の場合、逮捕
状を取って逮捕するときは、逮捕日前に警察や検察はあらかじめ
本人の所在を把握しており、本人が不在で逮捕が次の日になるな
どということは考えられないことだからです。
 そして、検察のやったことは、2010年1月22日付、産経
新聞で明らかです。彼らはとりあえず、既に決まっている公判を
すべて先延ばしし、時間を稼いだのです。
―――――――――――――――――――――――――――――
 政治資金規正法違反事件で逮捕された小沢一郎氏の公設第一秘
 書、大久保隆規容疑者(48)について東京地裁(登石郁朗裁
 判長)は22日、今月26日から2月26日まで指定していた
 西松建設の違法献金事件の期日4回をすべて取り消した。次回
 は未定。大久保容疑者に対する西松建設事件の公判は2月にも
 結審する見込みだった。しかし、大久保容疑者に対する捜査が
 続いているため、検察、弁護側、地裁の3者が期日を取り消す
 ことで合意した。   ――2010.1.22付/産経新聞
―――――――――――――――――――――――――――――
 注目すべきことは、大久保被告の公判(西松建設事件)を担当
していた裁判官が、現在、陸山会事件の公判を担当している登石
郁朗裁判長であることです。
 これは、西松建設事件公判の訴因を変更し、大久保被告を他の
2人の被告と一緒に変更した訴因で裁くことによって、西松建設
事件の公判を先送りしようと画策したのです。無罪必至の裁判を
スケジュール通りにやって、もし本当に無罪判決が出ると、世間
からあの逮捕は何だったのか、小沢潰しが目的の政治謀略ではな
いかと一斉に非難を浴びる結果になり、検察として権威が保てな
くなるからです。しかし、先送りすれば、いくら無罪必至の裁判
でも無罪判決が出るまでは無罪ではないからです。
 このようにして、西松建設事件の裁判は昨年の3月以来一年以
上にわたって止まっています。「訴因変更」──こんな都合のよ
い手が検察にはあるのです。これには裁判所も加担しており、結
局のところ、警察、検察、裁判所はつるんでいるということをい
われても仕方がないと思います。
 その登石郁朗裁判長でさえ、今回の検察の取り調べには疑問を
呈しており、このようなことでは国民の司法不信が募る恐れがあ
ります。検察も裁判所もマスコミも、それに菅政権も、どこまで
小沢潰しをすれば気が済むのでしょうか。あまりにも度が過ぎて
いると思います。
 西松事件の公判を裁判所がどう処理するのか、国民は監視する
必要があります。これは司法の問題であり、自分にも降りかかる
問題でもあるからです。もっともメディアがどこまで報道するか
疑問ではありますが・・・。 ── [日本の政治の現況/18]


≪画像および関連情報≫
 ●「訴因変更」とは何か
  ―――――――――――――――――――――――――――
  検察官が公判の途中で、起訴状に記載した事実の範囲内で該
  当する罪名を変更したり追加したりすること。裁判所は訴因
  に対してしか判断できないが、刑事訴訟法は、審理の経過を
  みて適当と認めたときには検察官に訴因変更を命じられると
  定めている。例えば、ほかの訴因に変更すれば明らかに有罪
  なのに、検察官の主張する訴因のままだと無罪になると判断
  した場合などに変更を命じるケースなどが想定されている。
  ただし、検察官は命令に従わなくても構わないとされる。

 ●ブログ「誰も通らない裏道」より/2010年2月17日
  ―――――――――――――――――――――――――――
  当ブログでもで触れたことではあるのだが、どうしても気に
  なるので、もう一度書いておく。それは西松事件における大
  久保秘書の訴訟の行方だ。ネット上ではすでに有名な話だが
  この裁判では今年1月13日に行われた第2回公判で検察側
  の証人として出廷した西松建設の元取締役が検察側の描いた
  構図を覆す証言をした。そのため公判の成り行き、具体的に
  言えば大久保秘書は無罪の可能性があるのではないかと注目
  されていた。そしてこの裁判の第3回目の公判は来週26日
  に行われて、ここで結審する予定だった。ところが、東京地
  検は石川知裕議員を逮捕した際に大久保秘書も再び逮捕し、
  それとともに西松公判については訴因変更を請求するという
  報道が流れた。これが認められれば26日の公判は行われな
  いわけで、裁判は長期化する。つまり窮地に陥った東京地検
  がこの裁判の方向性を無理やり変えて、裁判の引き伸ばしを
  謀ったわけだ。これは私の感覚ではとてつもない大ニュース
  出来事だと思う。
  http://fusenmei.cocolog-nifty.com/top/2010/02/post-bb1c.html
  ―――――――――――――――――――――――――――

大久保隆規氏.jpg
大久保 隆規氏
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2011年07月07日

●「公務員改革はなぜ進まないか」(EJ第3093号)

 憲法によると、行政権は内閣に付与されています。つまり、法
律上は各省庁の大臣はその省庁のトップとして、その運営を担う
ことにができるわけです。しかし、日本の大臣は省庁の運営にか
かわることはない。省庁の官僚がそれを許さないし、運営しよう
としてもできるはずがないからです。
 つまり、大臣とは名ばかりで、各省庁の事務次官が実質的な権
力を握っているのです。したがって、大臣は余計なことにはかか
わらず、省庁のことはほとんど事務次官にまかせて自分は神輿の
上に乗って悠然としていれば、物事はスムーズに運ぶのです。神
輿に担ぐのは軽い方がよいといわれるように、むしろ無能の大臣
の方が物事はスムーズにうまく行くのです。
 少し力のある大臣であれば、与党内の勢力をバックに省庁の高
級官僚の人事に何らかの影響を与えて、政策決定の分野で自分の
影響力を示すことはできますが、よほどのベテランの大臣でない
限り、それは困難なのです。
 大臣は内閣改造や選挙によってその任期はきわめて短く、その
省庁における情報を吸収する時間はなく、実務に関しては、入省
してからずっとその省にいる事務次官にはとても対抗できないの
です。このように、ごく一部の例外を除いて、大臣のその省庁へ
の影響力はほとんどないといっても過言ではないのです。
 その一部の例外といえるのが、田中角栄元首相なのです。田中
角栄は官僚の扱いが非常に上手な政治家であり、大臣時代から事
務次官をはじめ多くの官僚は角栄のいうことであれば、どのよう
なことでも進んで協力したといわれています。
 田中角栄のエピソードとして伝えられていることはたくさんあ
ります。大臣には大臣機密費という自分の裁量で自由に使える機
密費がありますが、田中角栄は、郵政、大蔵、通産大臣のときは
それに一度も手を付けず、「部下の面倒も見なければならんだろ
う、自由に使ってくれ」とすべて事務次官に渡していたといいま
す。官僚が驚いたのはいうまでもなく、特に課長クラスには目を
かけ、飲み食いできる金額を人知れず渡していたというのです。
今の首相や大臣とは大変な違いです。
 小沢氏はそういう角栄の側近として仕えており、角栄の人使い
の見事さに感服はするものの、官僚が最も嫌がることはしない人
であり、それが角栄の限界とあると見抜いていたのです。これが
小沢氏が自民党を離党した大きな理由なのです。自民党にいては
政治改革はできないと悟ったからです。
 ここで知っておくべきことがあります。政治家には次の2つの
タイプがあるのです。
―――――――――――――――――――――――――――――
           1.党人派政治家
           2.官僚派政治家
―――――――――――――――――――――――――――――
 「党人派政治家」というのは生粋の政党員である政治家です。
これに対して「官僚派政治家」とは、官僚(かつては軍人、皇族
などを含む)出身の政治家のことです。
 明治政府が成立した初期は、薩長の藩閥出身者が政権の大半を
占めていたのですが、その後、藩閥の影響下にある官僚出身者と
自由民権運動に端を発する政党出身者が政権に加わるようになっ
たのです。これから、前者を官僚派、後者を党人派とする用語が
生まれたのです。したがって、これらの2つの言葉は明治時代か
らあるのです。
 第2次大戦前は、軍部が台頭し、軍人出身の政治家が多数を占
めたのですが、戦後は軍そのものが解体され、それに加えて、公
職追放によりその他の人材も大量に追放され、政治家が不足して
しまったのです。
 この事態に対処するため、時の総理の吉田茂は、代わりの人材
として自らの出身母体である官僚から政治家を大量に登用し、後
に公職追放から復帰した鳩山一郎などの党人派と対置されるよう
になったのです。
 こういう官僚派の政治家が古巣の省庁の大臣になる場合は、人
にもよりますが、少なくとも党人派の政治家よりもその省庁につ
いての情報もあるし、知己もいるので有利になります。
 しかし、そういう官僚派政治家への官僚組織の協力は、あくま
で彼らが官僚組織を毀さないということが条件であり、もしそれ
をやると、手痛い反撃を食う結果になるのです。
 例えば、公務員制度改革などをやろうとするには、官僚の気質
を知りぬいている官僚派政治家の方が本当はよいのですが、その
ようなことをする官僚派政治家はほとんどいないのです。
 「脱官僚」といえば民主党の専売特許のように考えている人が
多いですが、実は1962〜64年にかけて、第一次臨時行政調
査会(会長/佐藤喜一郎三井銀行会長)が、当時の池田勇人内閣
に脱官僚の提言を出しており、実に40年以上前から議論されて
きているが、何も実現していないのです。
 したがって、民主党が政権を取ると、たちまち尻尾を丸め、菅
内閣に至っては、脱官僚どころか官僚中心に回帰してしまってい
るのです。明治維新以来、大久保利通をはじめ多くの官僚派政治
家がそのシステムの維持のために心血を注いで守り抜いてきたも
のを力のない政治家が切り崩せるはずがないのです。
 それなら官僚にしたがった方が得策と考えて、自らの掲げた公
務員制度改革を骨抜きにしようと考えているように見えるのが現
在の菅内閣であるといえます。
 その典型が自らキャリア官僚でありながら、抜本的な公務員改
革を唱える古賀茂明氏の勇気ある行動を助けるどころか、国会で
恫喝し、退職を強要されているのを見て見ぬフリをする菅内閣の
姿勢です。「脱官僚」を掲げて政権交代を成し遂げながら、その
最大の功労者の小沢氏を座敷牢に閉じ込め、官僚に尻尾を振る菅
内閣の姿勢こそ「ペテン師」そのものであるといっても過言では
ないでしょう。       ── [日本の政治の現況/19]


≪画像および関連情報≫
 ●元行革大臣補佐官/原英史氏の言葉
  ―――――――――――――――――――――――――――
  ところで、ここまで「脱官僚」という言葉を使ってきたが、
  お気づきだろうか、鳩山総理(当時)は、総選挙前後から、
  「脱官僚」という言葉を意識的に避け、「脱官僚依存」と言
  い換えるようになった。「官僚に依存することがいけないの
  であって、官僚をすべて排除するわけではない」という論理
  だ。この論理は別に間違いではないが、当たり前のことだ。
  官僚を全員クビにして政治家だけで行政府を運営することな
  ど、国民は誰も期待していない。そんな誤解を心配するのは
  全く無意味だ。どうでもよいところで言葉を言い換え始めた
  ときは、たいてい裏がある。要するに、政権獲得を目前に、
  腰が引けたのだと思う。     ──原英史著/新潮社刊
    『官僚のレトリック/霞が関改革はなぜ迷走するのか』
  ―――――――――――――――――――――――――――

田中角栄元首相.jpg
田中 角栄元首相
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2011年07月08日

●「なぜ古賀茂明氏は退職させられるのか」(EJ第3094号)

 古賀茂明氏(経済産業省大臣官房付)は、松永和夫経産事務次
官から、7月15日付で退職を勧奨されています。公務員は解雇
できないので、あくまで本人の意思を尊重するかたちをとってい
ますが、明らかにクビの宣告です。
 この時期に退職勧奨が出たのは、バックに仙谷官房副長官がい
るからです。現在、官邸は震災対応のために霞ヶ関の人事を凍結
していますが、そのなかで古賀氏だけがピンポイントでクビを宣
告されるのは仙谷官房副長官の意向が働いているためです。自分
が官邸に睨みがきくうちに古賀氏を切ってみせしめにしたいと考
えているものと思われます。
 このような経緯から見て、仙谷副長官は古賀氏の行動に相当激
しい怒りを覚えているようですが、かつて仙谷氏は古賀氏を非常
に買っていた時期があるのです。
 2009年9月16日、民主党政権が誕生すると、鳩山首相は
直ちに公務員制度改革に取り組む姿勢を見せたのです。仙谷由人
氏は行政刷新担当大臣に就任したのですが、実は組閣前に古賀氏
は、仙谷氏から都内のホテルに3回ほど呼び出されています。
 そこで仙谷氏のブレーンとみられる民間の人たちと一緒に、公
務員制度改革、規制改革、独立行政法人改革などが話し合われ、
古賀氏は「いよいよ改革がはじまるぞ!」と胸が高鳴ったのを覚
えていると述懐しています。
 その席で古賀氏は仙谷氏から行政刷新会議と事務局のメンバー
の候補者リストを作ってくれといわれて届けています。そして古
賀氏は公務員改革事務局に入っているのです。
 しかし、2009年12月になって、古賀氏を含む公務員改革
事務局の幹部全員が更迭され、古賀氏は経産省に戻されているの
です。古賀氏の本によると、仙谷氏はそのさい古賀氏を補佐官と
して残し、改革推進をしようとしたのですが、財務省を筆頭に各
省庁は古賀氏の起用に猛反対し、遂に仙谷氏は断念したという事
情があったようです。
 実はこれと似た話が一年以上前にもあったのです。2008年
6月8日──国家公務員制度改革基本法が衆議院内閣委員会で可
決された日です。このとき、インタビューで、担当の渡辺喜美大
臣は涙をこぼしていたことを覚えています。この涙はその法律の
成立がいかに大変であったかを物語っています。時の総理は「あ
なたとは違うんです」の福田康夫氏でです。
 国家公務員制度改革基本法では、総理大臣をトップとする閣僚
クラスで構成される国家公務員制度改革推進本部を設置し、その
事務局を設けることになっていたのです。基本法で謳っている改
革が実を結ぶか否かのカギを握っていたのは、その事務局のメン
バーの人選にあったのです。
 一般的には、事務局のメンバーは、各省から出向した官僚で構
成されるのですが、これらの官僚は省益を担っており、事務局に
入れると、所属する省にとって都合の悪いことはすべて骨抜きに
してしてしまうことは火を見るよりも明らかだったのです。
 渡辺喜美大臣はそのことは熟知しており、事務局幹部の一人と
して、古賀茂明氏を推薦したのです。しかし、古賀氏の起用は財
務省をはじめ、官邸にも反対者が多く、福田総理まで反対したと
いうのです。とくに二橋正弘官房副長官が強く反対したといわれ
ているのですが、古賀氏によると、福田総理はもとより二橋氏に
も面識はないということです。したがって、官僚の中枢からの意
思で「古賀を外せ」の指令が出されていたと思われます。
 公務員制度改革推進本部事務局のスタッフの人選でもめたのは
仙谷副長官のケースと同じですが、渡辺大臣はそういう反対を押
し切って古賀氏を事務局の幹部に入れてしまったのです。ここが
渡辺喜美氏と仙谷由人氏の政治家として器量の違いなのです。
 このようにして古賀氏は、2008年7月に発足した公務員制
度改革推進本部事務局の審議官になったのです。このときの事務
局のスタッフについて古賀茂明氏は次のように述べています。
―――――――――――――――――――――――――――――
 官邸でのすったもんだがあったため他の幹部はすでに着任して
 おり、私だけ遅れて七月二八日に着任した。事務局内の管理職
 で改革派とはっきり分かっていたのは、原英史、石川和男(元
 経済産業省)、磯谷俊夫(元オリックス球団代表)、菅原晶子
 (経済同友会部長)各氏(いずれも企画官)と、その他一部の
 民間人と数名の若手官僚くらいである。後はほとんどが守旧派
 または事なかれ派だとすぐに分かった。五分話せば分かるはど
 はっきりしていたといっていい。各省が既得権確保のために送
 り込んだ、いわば精鋭部隊だ。もちろん若手には、他にも改革
 の気概に燃えている者がいたかもしれないし、議論していけば
 改革の意味を理解してくれる人もいただろう。しかし、守旧派
 のオルグも徹底していた。いずれにしても少数派に甘んじるし
 かない。それでも、渡辺大臣のリーダーシップのもとで少数派
 が主導権を握る、それが私の作戦だった。  ──古賀茂明著
               『日本中枢の崩壊』/講談社刊
―――――――――――――――――――――――――――――
 しかし、何ということでしょうか。肝心の福田総理が8月1日
に政権を投げ出してしまったのです。そして、麻生政権が誕生す
ると、渡辺大臣は外されてしまったのです。何しろ麻生氏は「官
僚は敵ではなく友である」と明言する人であり、公務員制度改革
に熱心なはずがないのです。
 そのとき、皮肉なことに古賀氏らを支援したのは、政権交代を
狙う民主党だったのです。とくに民主党の3М──松本剛明、松
井孝治、馬渕澄夫の3氏であったと古賀氏はいっています。
 こういう経緯があったので、行政刷新担当大臣の仙谷氏が目を
つけたのが、古賀茂明氏であったというわけです。しかし、仙谷
氏はどこで方針を変更させたのでしょうか。それは官僚組織を解
体することがいかに困難かを物語っており、来週に述べていくこ
とにします。        ── [日本の政治の現況/20]


≪画像および関連情報≫
 ●大泉一貫氏のブログより
  ―――――――――――――――――――――――――――
  国家公務員制度改革推進本部の事務局長に立花宏日本経団連
  参与(64)が就任した。7月上旬のこと。立花さんが、橋
  本行革のメンバーだったとは知らなかったが10年たって機
  は熟したということか。最も困難な課題だ。「官僚内閣制」
  から「議院内閣制」への転換が可能か?全て、立花さんにか
  かる。断固たる姿勢でやって欲しい。課題は、事務局体制の
  編成の仕方。チーム立花が組めるか?外のスタッフを有効に
  利用できるか?脱藩官僚候補などを探し当て登用できるか?
  これを自民党の手でやり遂げたら民主党は出番がなくなる。
  福田さんに断固やり抜くの覚悟をと、立花さん要請したそう
  だが、議員総出で支援したらいい。族議員が多いので、そう
  もいかないのかもしれないが、前途多難であることだけは間
  違いない。
  http://blog.goo.ne.jp/ikkan_2005/e/0c1e037a8950e6dd9ddd1a97e919109c
  ―――――――――――――――――――――――――――

古賀茂明氏.jpg
古賀 茂明氏
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2011年07月11日

●「国家公務員制度改革はなぜ必要か」(EJ第3095号)

 日本の国家財政が厳しい状況にあることは多くの人はわかって
いますが、それを解決するためには、国家公務員制度改革が何よ
りも必要であることを分かっている人は少ないと思います。
 今や話題の人である古賀茂明氏は、現在の日本の国家財政の現
状を次のように述べています。
―――――――――――――――――――――――――――――
 日本の国家財政はぎりぎりの状態にある。企業にたとえれば分
 かりやすい。いま日本が置かれているのは、企業でいえば一時
 的赤字の段階ではなく、構造的赤字で、借金返済の目処が立た
 ず、しかも本業の稼ぎも向上の見通しが立たない状態。民事再
 生や会社更生の申し立てを検討する段階である。企業の再生時
 には、一時的経常悪化時とはまったく異なる大胆な改革が必要
 となる。経営陣の退陣や外部人材の投入で、すべてのしがらみ
 を断って非連続的改革を行う。と同時に、並行して内部の中堅
 ・若手を抜擢し、改革業務をリードさせる。信賞必罰を徹底し
 年功序列が能力主義に改められる。     ──古賀茂明著
               『日本中枢の崩壊』/講談社刊
―――――――――――――――――――――――――――――
 ウォルフレン氏が述べているように、日本人には「国家」とい
う概念が希薄なのです。長い間にわたって平和が続き、国という
ものを意識するときは、パスポートを持って海外に出るときやオ
リンピックやサッカーの国際試合で日本を応援するときぐらいの
ものであるからです。ウォルフレン氏は、日本人に対して、自分
の人生をよりよいものにするために、日本を根本的に変えること
にもっと力を尽くすべきだと強調しています。そのために理解し
なければならないのは、次の概念であるといいます。
―――――――――――――――――――――――――――――
      市民としての立場(シチズンシップ)
―――――――――――――――――――――――――――――
 ウォルフレン氏は、次の3つの概念を分けて認識することが重
要であるといっています。これらの概念を多くの日本人は同じ意
味であると混同しています。
―――――――――――――――――――――――――――――
      1.市民 ・・・・・   シチズン
      2.臣民 ・・・・・ サブジェクト
      3.国民 ・・・・・  ナショナル
―――――――――――――――――――――――――――――
 「市民」は、日本で生活する外国人も含むので「国民」とは明
らかに異なり、政府や君主に服従する「臣民」──つまり官僚と
も異なる存在です。国を変えようとするには、「市民としての立
場」に立つ必要があるというのです。市民についてウォルフレン
氏は次のようにいっています。
―――――――――――――――――――――――――――――
 市民とは政治的に意味をもつ存在だ。市民とは、自分のまわり
 の世界がどう組織されるかは自分の行動にかかっていると、お
 りにふれてみずからに言いきかせる人間である。私は、市民と
 してのみなさんに向かってこの本を書いている。私は日本人で
 はないが、市民としてはみなさんと対等の立場にある。市民は
 つねに、社会における自分たちの運命について理解を深めよう
 とつとめる。市民は、ときに不正にたいして憤り、なんとかし
 なくてはいけないと思いたって、社会にかかわっていく。受け
 身の姿勢では、市民としての立場を失うことになる。
      ──カレル・ヴァン・ウォルフレン著/鈴木主税訳
   『人間を幸福にしない日本というシステム』/OH!文庫
―――――――――――――――――――――――――――――
 「臣民」とされる官僚──とくに中央省庁の官僚は、自分の所
属する省庁ならびに公務員全体の世界を「国」に近い概念として
とらえている人は多いのです。昔の「藩」の考え方に似ていると
いえます。だから、国益にとってどんなマイナスなことでも、省
益を守るためであれば平気でやってしまうのです。
 今や日本人(国民)のほとんどは、日本が国家財政の危機にあ
ることは知っています。しかし、日本が20年近く連続で世界一
の債権国であるという認識は薄いのです。それは、官僚の意図的
な宣伝によるものであるからです。
 といっても世界一の債権国だから国家財政の危機ではないとい
うわけではないのですが、そのあたりのことを市民という立場に
立って、情報を正確に見極める必要があるのです。
 現在、大半の国民は政府が進める「社会保障と税の一体改革」
における消費税増税について容認する姿勢を示しています。しか
し、その前に「ムダの排除」が不可欠であると多くの国民は考え
ています。しかし、その無駄の排除が事業仕分けなどによるちょ
こちょこしたものではなく、その根っこにある国家公務員制度改
革をやり遂げないと達成できないし、国家財政の危機もクリアで
きないことを知るべきです。
 しかし、東日本大震災で経済が疲弊している現在の日本で増税
をするとどうなるのかは火を見るよりも明らかです。しかし、政
府はそれを強引に推し進めようとしています。これは政府がとい
うよりも「政府のバックにいて事実上政府を動かしている官僚」
がそうさせていると考えるべきです。
 国の税収を上げるには、増税だけでなく、経済力を強化する方
法があります。被災地の復興ということも経済力を強化する機会
になります。しかし、財務官僚は、その財源は増税で賄うという
ように話をすぐ増税に持って行くよう画策しています。
 ここで考えなければならないことは、増税で経済が破綻しても
困るのは国民であって、公務員は収入が安定しており、何も困ら
ないのです。彼らは経済の成長には無関心です。時間もかかるし
確実性がないからです。そのため、日本の経済はあの橋本元首相
時代の消費税5%アップのとき以来、まったく成長していないの
です。こんな国は日本だけです。─ [日本の政治の現況/21]


≪画像および関連情報≫
 ●社会保障・税一体改革「2つのアプローチ」/日本財団
  ―――――――――――――――――――――――――――
  そもそも社会保障・税の一体改革を考えるには2つのアプロ
  ーチがある。一つは、「赤字補填アプローチ」である。現在
  国の消費税収は、すべて医療・介護・年金の高齢者3経費に
  充てられることになっている。3経費と国の消費税収の間に
  は10兆円のギャップ(平成23年度予算ベース)がある。
  毎年自然増が見込まれるので、2015年時点でそのギャッ
  プは13兆円弱に膨れ上がる。これは、消費税率でいえば、
  5%分である。そこで、これを増税の根拠とするアプローチ
  である。しかし、国民の立場からは、今の社会保障にはさま
  ざまな非効率があり、生活保護ビジネスの横行などの恥部も
  見え隠れする。現行制度の表面づらを化粧直しして、財源が
  これだけ足りない、増税を、というのでは、納得できないと
  いうことになる。そこで、現行の社会保障制度を改革し、そ
  の姿を具体的に示しつつ、そのために必要な財源を試算し、
  それを税負担増の根拠とするという「社会保障改革アプロー
  チ」が出てくる。要点は、「徹底した社会保障の効率化」と
  「真に必要な分野への重点的な拡充」、この2つである。
      http://www.tkfd.or.jp/topics/detail.php?id=280
  ―――――――――――――――――――――――――――

与謝野経財相.jpg
与謝野経財相
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2011年07月12日

●「参院予算委における古賀氏の発言」(EJ第3096号)

 ウォルフレン氏の3つの分類──市民、官僚、国民によると、
古賀茂明氏は、身分は官僚なのですが、市民の立場に立って公務
員制度改革について革新的な発言をしたわけです。しかし、これ
は官僚から見ると、とんでもない裏切りであるわけです。
 ところで最初のうち古賀氏を高く評価していた仙谷官房副長官
がなぜ古賀氏を遠ざけるだけでなく、その退職勧奨にまでかかわ
るようになったのかについて古賀氏の本を参照してまとめておき
たいと思います。そうすれば、現在の菅政権の公務員制度改革に
ついての姿勢も見えてくるからです。
 2010年10月15日のことです。その日古賀氏は前日から
四国に出張していたのですが、急遽帰京を命じられたのです。み
んなの党の小野次郎議員から指名があり、参議院予算委員会に出
席せよという命令です。
 そのまま空港に向かい、帰京して何の準備もないまま、参議院
の予算委員会に出席したのです。質問に立った小野議員は次のよ
うに私に意見を述べるよう促したのです。
―――――――――――――――――――――――――――――
 国家公務員制度改革の政府案では、天下り根絶というスローガ
 ンが骨抜きになっている。政府は現役出向は天下りではないと
 いっているが、このことに関して貴兄の知見を伺いたい。
―――――――――――――――――――――――――――――
 この手の質問がくることは見当をつけていたのですが、実際問
題として古賀氏は正直にいうべきかどうか迷っていたそうです。
もし、国会で話せば大きな問題になり、それなりの覚悟はしなけ
ればならない。しかし、小野議員に促されてると、その瞬間自分
の考え方として正直に述べようという気になっていたのです。
―――――――――――――――――――――――――――――
 天下りがいけないという理由は二つある。天下りによってその
 ポストを維持する、それによって大きな無駄が生まれる、無駄
 な予算がどんどん作られる、あるいは維持されるという問題が
 一つ。もう一つは、民間企業などを含めてそういうところと癒
 着が生じる。そして、たとえばその企業あるいは業界を守るた
 めの規制は変えられないというようなことが起こる。ひどい場
 合は官製談合のような法律に違反する問題さえ出てくる。一部
 に退職金を二回取るのが問題だという詰もあるが、それは本質
 的な問題ではなくて、重要なのは、無駄な予算が山のようにで
 きあがる、あるいは癒着がどんどんできる、これが問題だ。現
 役で出ていけば、問題ないというのは非常に不思議なロジック
 だ。無駄が生まれる、あるいは維持される、それから不透明な
 癒着ができるということは、公務員の身分を維持して出ていっ
 てもまったく同じことが起きる可能性があるので、その点が非
 常に問題だ。               ──古賀茂明氏
              /『日本中枢の崩壊』/講談社刊
―――――――――――――――――――――――――――――
 これに対して、仙谷官房長官(当時)は小野議員から質問をさ
れていないのに、次のように発言したのです。これによって、参
議院予算委員会の会場は騒然となったのです。
―――――――――――――――――――――――――――――
 さっきの古賀さんの上司として、一言先ほどのお話に私から話
 をさせていただきます。私は、小野議員の今回の、古賀さんを
 こういうところに、現時点での彼の職務、彼の行っている行政
 と関係のないこういう場に呼び出す、こういうやり方はなはだ
 彼の将来を傷つけると思います・・・。優秀な人であるだけに
 大変残念に思います。      ──仙谷官房長官(当時)
―――――――――――――――――――――――――――――
 仙谷官房長官(当時)は、古賀氏に対してでなく、小野議員に
クレームをつけたのです。その当時古賀氏は政府案が骨抜きであ
ることを批判しており、経産省大臣官房付という閑職に追いやら
れ、長期出張をさせられていたのです。
 それをわざわざ国会に呼び出して政府案の批判をさせるなど許
せない。そんなことをすれば古賀氏をやめさせることになる──
これが仙谷氏の本音であったと思います。
 この参議院予算委員会の質疑のさい、小野議員の人事に対して
配慮を求めたのに対し、当時の大畠章宏経産大臣は次のように答
えています。
―――――――――――――――――――――――――――――
 ご本人のお話などを承わりながら、ご本人の経験やあるいは能
 力、そういうものが十分発揮できるような形で対処してまいり
 たいと思います。      ──大畠章宏経産大臣(当時)
―――――――――――――――――――――――――――――
 しかし、その後大畠大臣は経産相を去り、この約束は何ら引き
継がれていないのです。大畠大臣としても官僚幹部とぶつかって
まで古賀氏を守るつもりなどないし、後任の海江田大臣にしても
こんなことに首を突っ込むほどヒマではないわけです。
 経産省幹部としては、しばらく時間稼ぎをして、あまり騒がれ
なくなるまで待つという考え方であったようです。しかし、経産
省幹部は、この7月15日付での退職勧奨を古賀氏に求めている
ようです。意外に早いという感じです。
 その原因は仙谷官房副長官がそれを経産省に求めたものと思わ
れます。というのは、現在の菅政権は先行きが不安定であり、い
つ退陣するかわからない情勢にあります。そうなると、仙谷氏は
官房副長官を外れる可能性があり、自分が官邸に力を持っている
うちにケリをつけたいと考えたものと思われます。
 しかし、もし今古賀氏をクビにすると、相当大きくマスコミに
取り上げられることは必至であり、古賀氏はテレビに引っ張りだ
こになるはずです。単に部下に恥をかかせられた腹いせでしょう
か。自分が口を出してまでやるべきことではないのになぜそうす
るのでしょうか。古賀氏は正しいことをいっているのです。民主
党の主張ではないですか。  ── [日本の政治の現況/22]


≪画像および関連情報≫
 ●古賀氏答弁/仙谷官房長官の発言/動画で再生
  ―――――――――――――――――――――――――――
  菅直人内閣で異様な存在感を放つ仙谷由人官房長官が、20
  10年15日の参院予算委員会で、政府参考人として菅内閣
  の天下り対策に批判的な答弁をしたキャリア官僚に対し「彼
  の将来が傷つき残念だ」と発言し、審議が一時紛糾した。批
  判的な官僚に対する人事権の発動とも受け取れ、「公衆の面
  前で官僚を恫喝した仙谷氏の罷免を求める」(自民党中堅)
  との声も出てきた。
           http://sakura-memo.jugem.jp/?eid=118
  ―――――――――――――――――――――――――――

参議院予算委員会での古賀茂明氏.jpg
参議院予算委員会での古賀 茂明氏
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2011年07月13日

●「海江田経産相は役人に使われている」(EJ第3097号)

 2011年7月10日の「サンデー・フロントライン」に古賀
茂明氏が出演しました。古賀氏は7月15日をめどに退職を迫ら
れていますが、先日松永事務次官から催促されたというのです。
 7月7日の国会では、自民党の塩崎恭久議員が海江田経産相に
古賀氏の問題を取り上げ、質問しています。そのやりとりを要約
すると次のようになります。
―――――――――――――――――――――――――――――
 塩 崎/古賀茂明さんは海江田大臣の下にいますが、6月21
     日に「君にふさわしい仕事はないから、7月15日ま
     でにやめてくれ」といわれたと聞いています。
 海江田/確かにそういう退職勧奨を次官を通じて行ったことが
     ございます。
 塩 崎/2月15日の記者会見であなたはこういっています。
     「大畠大臣と基本的に同じ。能力を発揮できる場所で
     仕事をしていただくというのが一番いい」。間違いな
     いですね。
 海江田/その通りです。この件についてぜひ大臣室にお越しく
     ださいと記者会見でも申し上げておりますが、お越し
     になっていません。
 塩 崎/そもそもね。仕事も与えない。ポストも与えない。そ
     れで待っていても来ないなんて、そんなこといっても
     だめですよ。職務違反があったのですか。
 海江田/そういうことではございません。
 塩 崎/古賀さんはいろいろな問題、公務員改革もそうだし、
     電力のこともそうだし、中小企業政策もそうですよ。
     経産省も参考にしたらよいことが、古賀さんの本には
     たくさん出ていますよ。
 海江田/だから、一度話を聞きたいので、私の部屋まで来てく
     ださいと申し上げているのです。
 塩 崎/女性問題を起こして経産省に恥をかかせた西山審議官
     が更迭されただけなのに、よいことを提言している古
     賀氏がクビというのは不釣り合いですよ。正式にここ
     で古賀氏の退職勧奨を撤回してください。
 海江田/繰り返しますが、私に直接、話にきてください、と申
     し上げておきます。
―――――――――――――――――――――――――――――
 このやりとりを見て、私が思うのは、海江田氏は結局役人に動
かされているだけの人物であって、原発問題にしても、電力問題
にしてもとても改革などできないと思います。
 経産省がなぜ古賀氏を嫌うかはよくわかります。古賀氏をなぜ
長い間意味のない出張に行かせたのかというと、何回も国会に呼
び出されると困るからです。小野氏のような強面の政治家には通
用しませんが、「出張中で出席できない」といって通る政治家も
いるからです。
 それではなぜ7月15日に退職を迫ったのかですが、それは経
産省のインサイダー疑惑が発覚し、その経緯について詳しい情報
を古賀氏が握っているからです。この事実はかなり前から幹部は
わかっていたのを隠蔽していたのです。もし、そんなことを現職
の経産省の役人が国会で話したら、大変なことになります。
 とにかく古賀氏を公務員の身分を外して民間人にさせたい──
経産省の幹部はそう考えているのです。そこでその役割を海江田
大臣に担わせようとしているのです。海江田大臣にしてみれば、
せっかく手に入れた重要閣僚の地位を失いたくない──そのため
には事務次官をはじめ役人のいうことに従うしかないというわけ
です。改革に真面目に取り組み、結局志し半ばで追われた長妻前
厚労相のようにはなりたくないからです。
 現在、海江田氏は菅首相にハシゴを外され、辞意を表明したこ
とで、同情が集まっています。しかし、「いずれ辞任する」は辞
任しないということです。本当に辞任する気があったら即座に辞
任すべきです。
 菅首相の指示を受け、佐賀の玄海原発の再稼働の折衝に古川康
・佐賀県知事と会い、ほとんどまとめてきているのに、菅首相が
ストレステストを持ち出して潰したということが世間一般の認識
ですが、古賀氏の意見は少し違うのです。
 ストレステストが出る前には、浜岡原発は止めたが、他の原発
については安全宣言が出れば再稼働するという点で菅首相と海江
田経産相の意見は一致していたのです。しかし、この件は最初に
海江田経産相がいい、それを菅首相が追認するかたちになってい
たのです。
 しかし、原発の停止にいちばん危機感を持ったのは、経産省自
身なのです。原発が続くことで出向先をはじめ、旨みのある仕掛
けをたくさん作っているからです。
 菅首相による浜岡原発停止によって不安を覚えた経産省幹部は
海江田大臣に話を持ちかけたのです。佐賀の玄海原発は町長が協
力的であり、再稼働の可能性がいちばん高いので、何とか再稼働
させて欲しいと大臣を動かしたのです。このさい、ひとつでも動
かしておけば、他も動かせると考えたのです。
 そこで海江田経産相は佐賀県知事に会い、玄海原発の再稼働の
約束を取り付けたのです。しかし、菅首相は迷っていたのです。
浜岡原発停止の評判がよく、脱原発の流れが出来つつあるところ
に玄海原発を再稼働させると脱原発で盛り上がりつつある代替エ
ネルギー開発ブームに水をさす──菅首相はこう考えてストレス
テストを持ち出し、玄海原発の再稼働を潰したのです。
 それに菅首相は海江田氏が経産省の幹部役人に動かされている
ことを知っていたのです。今回の原発のことで、経産省に首相は
不満を抱いていたのです。しかし、これが国会で取り上げられ、
閣内不一致と批判されたことと、自分が一層悪者になり、海江田
氏に同情が集まってしまったことが誤算だったのです。
              ── [日本の政治の現況/23]


≪画像および関連情報≫
 ●古賀氏退職勧奨関連ブログ
  ―――――――――――――――――――――――――――
  少し時間が経ってしまったが報道に依れば経産省次官が審議
  官の古賀茂明氏に退職勧奨したという事だ。表向きは仕事が
  ない、そういう事らしいが、古賀氏は官僚としてはいわゆる
  改革派と目される人物で、歯に衣着せぬ物言いなどで、一部
  守旧派からは煙たがられる存在である。私の生き方からすれ
  ば所詮、官僚、そういうものもあるが、しかし、現実に国民
  が納めた血税を食い物にして自分たちだけが太るような事を
  している官僚組織や官僚達の浪費を抑える事をやってくれる
  ならば頭の色がどうであれネズミを捕る猫はいい猫と、ぜひ
  力を発揮してもらいたい。
         http://u-san.blog.so-net.ne.jp/2011-07-01
  ―――――――――――――――――――――――――――

塩崎恭久自民党議員.jpg
塩崎 恭久自民党議員
posted by 平野 浩 at 04:10| Comment(0) | TrackBack(0) | 日本の政治の現況 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年07月14日

●「民主党とはどういう政党か」(EJ第3098号)

 民主党という政党について考えるとき、気をつけるべきことが
あります。それは明らかに一枚岩ではないことです。強いて分け
ると次の3つになります。
―――――――――――――――――――――――――――――
          1.主流グループ
          2.中間グループ
          3.小沢グループ
―――――――――――――――――――――――――――――
 第1の主流グループは、現在の菅政権を形成しているグループ
(とくに閣僚クラス)です。もともと最初から民主党にいるグル
ープです。代表経験者としては、菅、鳩山、岡田、前原氏らがこ
のグループに属しています。しかし、鳩山グループは現在は主流
グループと距離を置いており、中間グループといわれています。
 第3の小沢グループは、いうまでもなく、小沢一郎元代表を中
心とするグループで、その中心組織はかつての自由党のメンバー
であり、民由合併で民主党に合流したグループです。小沢グルー
プの政治に対する考え方は、他のグループ、少なくとも主流グル
ープの考え方とはかなり違います。
 そして、主流グループでも小沢グループでもないグループが第
2の中間グループです。このグループはそのときの情勢に応じて
主流グループに属したり、離れたりします。
 民主党は、1998年4月の結党ですが、なかなか政権が取れ
なかったのです。とくに小泉内閣の高支持率を背景に国政の主導
権を握る与党の自由民主・公明両党に対して大きく離される状況
が続いていたのです。
 そこで、何とか政権交代の展望を見出すため、非自民勢力の結
集を狙い、民主党の方から小沢一郎氏率いる自由党に合併の申し
入れを行ったのです。2003年9月のことです。
 もともとこの合併には、鳩山氏が熱心であり、もし合併に反対
すれば、鳩山グループは離党も辞さないとの態度を示したので、
菅氏自身も非自民勢力を結集する必要性を感じていたことによっ
て民由合併が実現したのです。
 一方の小沢氏率いる自由党も自民党との連携などいろいろやっ
てはいたが、先の展望が開けているわけではなかったのです。し
かし、民主党と合併すると、十分自民・公明の与党と戦う体制が
確保でき、自由党としてもメリットはあったので、合併の誘いに
応じたわけです。そしてその後党勢を拡大させ、6年後の200
9年9月に待望の政権交代が実現したのです。
 したがって、合併前の民主党のグループと小沢グループとは考
え方は根本的に違うのです。それは次のキャッチコピーにあらわ
れています。
―――――――――――――――――――――――――――――
  合併前のキャッチコピー/「元気な日本を復活させる」
  小沢一郎キャッチコピー/   「国民の生活が第一」
―――――――――――――――――――――――――――――
 そして、2009年の衆院選では、「国民の生活が第一」のス
ローガンを掲げて戦い、これによって政権をとっているのです。
しかし、とくに党内主流派の考え方は小沢一郎の理念の外にあり
今頃になって政権公約を次々と破棄しはじめているのです。それ
が現在の民主党の凋落の原因です。
 もともと、国家公務員制度改革など、最大の支持団体である連
合を抱える民主党ができるはずがないのです。最初から腰が引け
ているのです。それでもマニュフェストにそれを掲げたのは、あ
くまで政権交代のためのスローガンとしてです。
 しかし、小沢グループの考え方はかなり違うのです。小沢氏の
考え方は、彼の『日本改造計画』(講談社刊)に明確に示されて
いますが、そのためには官僚組織を完全に破壊し、真の意味での
公務員制度改革を成し遂げないと実現しないのです。
 しかし、連合を抱える民主党ではその実現は困難であり、おそ
らく党を割って、自民党やみんなの党などのグループの一部と組
んで自民党でも民主党でもない新しい保守新党を作るつもりであ
ると考えます。小沢氏は連合と仲が良いという人は多いですが、
それはあくまで政権交代を成し遂げるための手段だったのです。
 だから、小沢元代表は何が何でも民主党で首相になろうとはし
なかったのです。昨年9月の代表選に出たのは、菅氏があまりに
もひどいと見抜いていたからです。
 しかし、官僚組織は小沢一郎という政治家の実力を知り抜いて
おり、彼が首相になることを恐れたのです。そのため、手段を選
ばず、検察やメディアを使って潰しにかかったのです。
 現在の民主党が駄目であることは国民の誰もがそのように感じ
ていると思います。しかし、気になるのは、鳩山元首相や菅首相
だけではなく、小沢一郎氏を含めてそういっていることです。確
かに小沢氏は現在強制起訴され、刑事被告人の身であり、当然と
いう人が多いですが、それは間違っていると思います。
 なぜ、官僚組織が小沢一郎という政治家を恐れるのかというと
その実力を知っているからです。そのひとつを上げるなら、政権
交代を二度にわたって成し遂げた政治家は日本では小沢一郎しか
いないからです。考えてみると、小沢氏が自民党を離党して以来
つねに政局の中心には小沢氏がいるのです。
 官僚組織はメディアを使って小沢氏を貶めていますが、それで
も小沢氏を完全に潰すことはできず、彼が政権を取ることを何よ
りも恐れています。今や国家公務員制度改革を完全に成し遂げる
には、小沢政権しかないといえます。
 先日私のツイッターに「なぜ、それほど小沢を擁護するのか。
小沢の政治的実績を示せ!」というリプライがきました。そこで
「私のブログの『小沢一郎論』72回を読んでください」とリプ
ライを返したら、沈黙してしまいました。小沢氏を批判する前に
彼の政治理念やこれまでにやってきたことをよく調べてからそう
すべきであります。     ── [日本の政治の現況/24]


≪画像および関連情報≫
 ●民主党とはどういう政党か
  ―――――――――――――――――――――――――――
  1998年4月、院内会派「民主友愛太陽国民連合」(民友
  連)に参加していた旧民主党・民政党・新党友愛・民主改革
  連合が合流して結成された。法規上では、1998年に旧民
  主党が各党を吸収したという形をとっており、1996年結
  成の旧民主党が存続ということになっている。結党時には保
  守中道を掲げる旧民政党系と中道左派を掲げる旧民主党系が
  対立した結果、党の基本理念を「民主中道」とすることで落
  ち着いた。保守・中道右派を自認する自民党に対して、主に
  海外メディアからはリベラル・中道左派の政党と位置付けら
  れることが多い。しかし、結党の経緯により主に自民党の流
  れを汲む保守本流・保守左派の議員や旧民社党系の反共色の
  強い議員も一定数存在しており、このため左派政党と位置付
  けられることに否定的な党員や支持者も存在する。
                    ──ウィキペディア
  ―――――――――――――――――――――――――――

政権交代を成し遂げた民主党.jpg
政権交代を成し遂げた民主党
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2011年07月15日

●「民主党潰れたって構わない」(EJ第3099号)

 7月12日の産経新聞の「単刀直言」において、鳩山由紀夫前
首相が「民主党潰れたって構わない」というタイトルで自省の念
をこめて激白しています。このタイトルは、菅首相が仮に解散を
仕掛けるることによって民主党が割れ、消滅してしまったとして
も構わないという決意を述べています。前と大きく違います。
 今のままでは、国民の利益を大きく損なう状況になることは間
違いないので、そんな民主党なら潰れたって構わないと考えてい
るわけです。そして、菅氏のやり方について次のことを明かして
います。
―――――――――――――――――――――――――――――
 菅直人さんは、私が首相のときに副総理として、何度も「厳し
 い局面に立たされたら、別の大きなテーマを示せばそちらに国
 民の目が向いて局面を打開できるんだ」と進言してきました。
 (米軍)普天間飛行場移設問題で危機に陥ってるときにも「消
 費税増税を言え」と働きかけました。私は「言えない」と答え
 ました。      ──2011年7月12日付、産経新聞
―――――――――――――――――――――――――――――
 菅氏はまさに確信犯なのです。国民にとっては実に失礼な話で
あります。鳩山政権のときからそのようなことを考えていたので
すから。そして首相になってから実際に自分の思うところを実践
し、参院選に敗北したのです。それでも懲りず、現在は自政権の
延命のため、そういうパフォーマンスを続けているのです。鳩山
氏は菅氏の政権運営について次のように批判をしています。
―――――――――――――――――――――――――――――
 小泉純一郎元首相の流儀をまねて、党内に抵抗勢力を作って戦
 っている姿を示して支持率を上げようともしました。憎悪の塊
 みたいに小沢一郎元代表を敵に祭り上げ、政権運営してきまし
 た。「小沢さんが党内にいると、うまくいかない」と言ってい
 ましたね。菅さんには、鳩山政権と違う色を出せば政権浮揚す
 るという気持ちがあるんですね。私が打ち出したものを否定し
 たことで、民主党の理念が見えなくなった。
           ──2011年7月12日付、産経新聞
―――――――――――――――――――――――――――――
 それでは、民主党はどうしたらよいのでしょうか。鳩山氏は次
期首相について次のように意見を述べています。
―――――――――――――――――――――――――――――
 次の首相は、党内をきちんとまとめ、好き嫌いではなく、政策
 の議論を行い、他党にも協力を得られるような包容力のある人
 が必要です。小沢さんのような官僚システムを熟知している人
 の協力を求めながら、党としても政府としても経験と能力を生
 かし切れる態勢にすべきです。
           ──2011年7月12日付、産経新聞
―――――――――――――――――――――――――――――
 この鳩山氏の言葉では「小沢さんのような官僚システムを熟知
している人の協力を求めながら」と述べていますが、小沢氏と協
調しながら、他党にも協力を得られる人材など、今の民主党に果
たしているでしょうか。この難局を乗り越えて、民主党政権を安
定させるためには、小沢氏が総理になるしかないという思いがそ
こに込められているのです。
 既に述べたように、野党のときの民主党は、自分たちの力では
政権は取れないと考えて、日本の政治家で唯一政権交代を成し遂
げている剛腕小沢一郎自由党党首に頼ったのです。そしてその願
いは6年後に結実します。
 しかし、そうなった瞬間から彼らは小沢氏が邪魔になったので
す。そして党の政策決定になるべく小沢氏が介入しないよう予防
線を張りはじめたのです。こんな勝手な話があるでしょうか。
 鳩山氏自身は、自分たちが政権交代を実現するために招聘した
小沢氏にはそれなりのポストを用意するつもりでいたのですが、
党内には強い反対が多く、鳩山氏はそういう動きをうまくまとめ
切ることができなかったのです。
 こんな動きがあったのをご存知でしょうか。
 2009年8月30日──それは歴史に残る衆議院選挙の投票
日です。既にその時点で世論調査の結果を受けて、民主党勝利は
間違いなしの予測が出ていたのです。これに有頂天になった民主
党の一部の議員(主流G)人たちは、岡田克也氏が代表時代にま
とめた「岡田政権500日プラン」に基づいた政権移行チームを
8月31日にも立ち上げるべく動き出したのです。
 彼らとしては、小沢氏が動き出す前に手を打たないと小沢氏に
思うようにやられるという不安感があったのです。しかし、この
政権移行チームについては、何も聞かされていなかった輿石東氏
が潰したので、外に大きく漏れることはなかったのです。しかし
このことを知った小沢氏は激怒したといいます。30日の選挙の
大勝利にもかかわらず、小沢氏の表情が非常に険しかったのはそ
のためなのです。
 鳩山政権のとき、さかんに「小沢幹事長による二重支配」とい
うことがいわれましたが、細川政権時代に武村正義氏や田中秀征
氏がそのように批判したことから、マスコミがそう書いたもので
あると、平野貞夫氏は反論しています。細川首相の主席秘書官で
現在駿河台大学総長の成田憲彦氏は、2009年9月10日の産
経新聞に掲載されたコメントでそれを否定しています。
―――――――――――――――――――――――――――――
 細川内閣時代には、当時、新生党代表幹事だった民主党の小沢
 一郎代表代行による「二重支配」が指摘され、今も同様な構図
 と指摘する報道があるが、事実ではない。小沢氏は細川元首相
 の言うことに従っていた。         ──平野貞夫著
       『日本一新/私たちの国が危ない!』/鹿砦社刊
―――――――――――――――――――――――――――――
 日本中の多くの人が小沢一郎という政治家を間違ってとらえて
います。          ── [日本の政治の現況/25]


≪画像および関連情報≫
 ●「岡田政権500日プラン」の夢物語
  ―――――――――――――――――――――――――――
  民主様の能書きは、壮大ですね。(棒読み)
  第1週内に首相官邸の首相補佐官、首相秘書官ら前政権を支
  えたスタッフは全員入れ替える。あのさぁ、亜米利加のホワ
  イトハウスじゃないんだからさ、総取っ替えしたら、仕事が
  回らんのではないんかい?ホワイトハウスは、総取っ替えし
  ますよ、たしかに。でも、それって、2大政党制政治が熟し
  ているからであって、能力も人材も無い政党がそれをマネし
  ても、上手くいくわけないと思うんだけどねぇ。
  普通だったら「お手並み拝見」で済むかもしれないけれど、
  このご時世・・・日本の政治が空転したら、世界的にも影響
  があるわけで、今までのノウハウを全部捨て去ることの影響
  まで考えてないんだろうなぁ・・・
     http://myjulia.btblog.jp/cm/kulSc03mH454672A1/1/
  ―――――――――――――――――――――――――――

鳩山前首相.jpg
鳩山前首相
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2011年07月19日

●「最初から脱小沢外に動いた民主党幹部」(EJ第3100号)

 ここにきて、民主党内では小沢総理待望論がじわじわと高まり
つつあります。中間派だけではなく、主流派の中からもそういう
声が上がりつつあります。菅首相の居座りでグチャグチャになっ
ている民主党内をまとめ、党を立て直せる人は小沢元代表しかい
ないというわけです。困ったときの小沢頼みです。
 1998年結党の民主党は、当時の実力では政権がとれないこ
とを自覚し、小沢一郎氏率いる自由党と合併して、政権交代を目
指すことにしたのです。2003年9月のことです。
 しかし、民主党の多くの党員は本当に政権交代が実現できると
は思っていなかったので、剛腕小沢氏を警戒しつつも、多くの議
員は、お手並み拝見を決め込んでいたのです。
 しかし、政権交代が間違いなく実現すると確信したとき、小沢
氏に政策の主導権を取られないよう、現在の主流派グループが中
心になって一斉に「小沢外し」に動き出したのです。もはや信義
も何もない恩知らずの行為であるといえます。
 それでも鳩山氏は民主党が政権を取り、自分が首相になれたの
は、小沢元代表のお蔭であるとして、周囲の反対を押し切って小
沢氏を幹事長に任命したのです。しかし、その一方で鳩山氏はと
んでもない裏切りをやっているのです。
 これについて、小沢氏の盟友である平野貞夫氏は、次のように
述べています。
―――――――――――――――――――――――――――――
 政権交代したとき、鳩山さんと菅さんがいろいろ相談して、党
 内に反対はあったけど小沢さんを幹事長にしました。しかし、
 そのときに条件として、政策には関わらない選挙だけを担当す
 る幹事長にしようというヘンテコなことをやった。民主党のマ
 ニフェストは「政治のやり方を変える」ということで、税金の
 無駄遣いとか問題点を、政府と党を一本化することで解決しよ
 うとした。それを鳩山さんと菅さんが破って肝心な政策協議に
 小沢を排除した。ところが、民主党もマスコミも誰も言わない
 でしょう。だからぼくは、鳩山内閣は一年もたないと言った。
 小沢さんにも言いましたよ、そんなことで議院内閣制は運営で
 きないと。                ──平野貞夫著
       『日本一新/私たちの国が危ない!』/鹿砦社刊
―――――――――――――――――――――――――――――
 実は、与党と内閣の一体化は、小沢氏の年来の主張なのです。
政権交代の前にそのことは民主党内で何回も話し合われ、自民党
から政権を奪取した暁にはぜひやろうということになっていたの
です。この構想は、1993年の小沢氏の『日本改造計画』(講
談社)において、既に発表されているのです。
―――――――――――――――――――――――――――――
 政治改革によって首相のリーダーシップを強化するとき、ポイ
 ントになるのは、与党と内閣の一体化なのである。(中略)具
 体的にどうするか。まず党の重要な役職者を内閣に取り込んで
 しまう。そして、党の政策担当機関を内閣のもとに編成しなお
 し、正式な機関として位置づける。党の中枢イコール内閣とい
 う体制にするのである。          ──小沢一郎著
                 『日本改造計画』/講談社
―――――――――――――――――――――――――――――
 鳩山内閣で小沢氏は幹事長になりましたが、小沢構想によれば
幹事長は閣僚として内閣入りするべきなのです。幹事長といえば
与党側の議会運営の最高責任者ですが、その幹事長が閣僚になる
ことによって、内閣と与党が頂点でひとつになり、責任を持って
政治を運営できる──これが小沢構想です。
 しかし、鳩山氏と菅氏は党内の反対を抑えるため、小沢氏を政
策協議から外したのです。しかし、鳩山氏や菅氏をはじめ、民主
党の主流グループのメンバーは、自己を過信し、一度もやったこ
とがない内閣の運営を小沢抜きで行なったのです。
 そのため、小沢氏としては鳩山内閣がどんなに行き詰まっても
内閣を助けられず、結局平野貞夫氏の予想通りに鳩山内閣は一年
持たなかったのです。しかし、それでも鳩山氏としては、その時
点で小沢氏に政権を譲る気などまったくなかったのです。
 2010年6月、退陣のハラを固めた鳩山首相は、小沢氏の提
示した「鳩山首相が小沢一郎を切る」というシナリオに乗って、
退陣することにしたのです。受け皿は、鳩山、小沢ともに菅とい
うことで決めていたのです。小沢氏は自分を悪者にして鳩山首相
と一緒に退陣すれば、支持率は回復すると考えたのです。そのと
きは菅直人という人物がこれほどひどいとは、2人とも想像して
いなかったのです。
 しかし、退陣発表の前夜、鳩山氏は菅氏と電話で次のように話
しているのです。
―――――――――――――――――――――――――――――
     鳩山:やめることにした。後をやってくれ
     菅 :わかった。このさい、小沢を切ろう
―――――――――――――――――――――――――――――
 小沢氏の狙い通り、鳩山氏と小沢氏の退陣で、支持率は急回復
したのです。しかし、首相就任後、菅氏は一変します。公然と小
沢切りを宣言し、消費税10%増税を打ち出し、参院選で大敗し
たのです。これによって、せっかくの政権交代を機能不全にして
しまったのです。
 世間の多くの人は、鳩山氏が小沢氏と抱き合わせ退陣を画策し
たということを信じているはずです。実はこれは小沢氏の演出な
のです。小沢氏は、一切弁解しない人であり、自分が悪役になっ
て他人を立てて事態を収拾する人である──平野貞夫氏はこのよ
うにいっています。
 これに対して鳩山氏は、どちらかというと、他人のせいにして
問題を処理しようとする政治家です。辞任の挨拶でも「国民が耳
を傾けない」とか、「社民党が・・」といういい方をしていたで
はないですか。       ── [日本の政治の現況/26]


≪画像および関連情報≫
 ●「しばらく静かにしていろ!」は暴言である
  ―――――――――――――――――――――――――――
  鳩山辞任後、菅さんは代表に立候補したときの記者会見で、
  「小沢幹事長は国民の不信を招いたことについて、少なくと
  もしばらくは静かにしていただいた方が、ご本人にとっても
  民主党にとっても日本の政治にとってもいい」と発言しまし
  た。テレビや新聞のコメンテーターなどは、「しばらく」と
  は小沢に甘いなどと言ってましたけど、そんな問題ではない
  でしょう。この菅さんの発言こそ、憲法感覚の欠如と人間性
  の欠陥を自分で吐露したものです。人間は基本的人権として
  言論と行動の自由をもっています。まして与党の幹事長を務
  めて、党の代表として政権交代に自己を犠牲にして貢献した
  小沢一郎という政治家に「日本のためにも静かにしていろ」
  との暴言は見逃せません。この発言は、政治家の言論・活動
  の自由を侵害するという憲法上、由々しき問題です。日本の
  有識者、政治家がこのことに気がつかないことが、日本の知
  的危機と言えますね。          ──平野貞夫著
       『日本一新/私たちの国が危ない!』/鹿砦社刊
  ―――――――――――――――――――――――――――

平野貞夫氏の『日本一新』.jpg
平野貞夫氏の『日本一新』
posted by 平野 浩 at 04:11| Comment(0) | TrackBack(0) | 日本の政治の現況 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年07月20日

●「マックス・ウェーバーと小沢一郎」(EJ第3101号)

 鳩山政権ができたとき、政権幹部は政権交代の最大の功労者で
おり、与党の幹事長経験も閣僚経験もあるベテランの政治家・小
沢一郎氏を内閣に口を出させない幹事長に押し込み、当の民主党
自身が「脱小沢」をやっているのです。
 その民主党から小沢一郎待望論が出ているのです。土肥隆一衆
院議員(兵庫3区選出・当選7回)というベテランがいます。こ
の人は菅グループの重鎮的存在であり、小沢切りの先頭に立って
いた人です。この土肥隆一議員は最近次のように述べています。
―――――――――――――――――――――――――――――
 私は党常任幹事会議長として昨年12月、小沢氏を党員停止処
 分の決定の断を下しました。しかし、今の民主党をまとめ上げ
 挙党一致態勢を築けるのは剛腕の小沢氏以外にない。もっとも
 小沢氏が反小沢派一掃の報復人事をやったらおしまいです。
             ──『サンデー毎日』7/24より
―――――――――――――――――――――――――――――
 この土肥隆一氏の発言は実に身勝手であると思います。困った
ときだけ、小沢氏に頼って政権交代の果実を手にしたにもかかわ
らず、強い疑いのある検審による小沢氏に対する強制起訴には、
仲間であり、党の恩人である小沢氏の味方にならず、党の名誉に
傷つけたとして党員資格停止処分にする。しかし、党が再び危機
に瀕すると、また小沢一郎を頼りにする。こんなことをしていた
のでは、民主党は国民からの信頼は得られないでしょう。
 これとは別の角度から小沢氏の復活を予言しているのは、姜尚
中氏です。姜尚中氏は、石川知裕氏の次の新刊書を読んだ感想を
下敷きにしてかなり内容のあることを語っています。
―――――――――――――――――――――――――――――
         石川知裕著/朝日新聞出版
        『悪党/小沢一郎に仕えて』
―――――――――――――――――――――――――――――
 そのタイトルは「姜尚中が語る/小沢一郎は復活してくる」で
あり、『週刊朝日』(7/22)に掲載された特集です。姜尚中
氏は小沢一郎氏を学者らしく分析しており、大変興味深いので、
少し詳しくご紹介することにします。
 姜尚中氏は、石川知裕氏の著書の第2部第3章の「悪党とウェ
ーバー」が最も興味深いとして次のように述べています。ウェー
バーとは、ドイツの社会学者であり、経済学者であるマックス・
ウェーバーのことです。姜尚中氏は、石川氏の文章を読んで、政
治家としてはかなり精緻にウェーバーを読解していると評価して
次のように述べています。
―――――――――――――――――――――――――――――
 ウェーバーはドイツの「鉄血宰相」ビスマルクをアンビバレン
 トに解釈しました。ビスマルクは憲政を敷き、旧体制を合法的
 に葬り去った。ウェーバーはそこは評価しましたが、後継者が
 育たず、エピゴーネン(模倣者)が蔓延した点は問題視した。
 結果的には政治を後退させてしまったのです。
             ──『週刊朝日』(7/22)より
―――――――――――――――――――――――――――――
 アンビバレントとは、1つの物事に対し、全く相反する感情、
態度、考えを抱くことをいいます。姜尚中氏は、現在小沢氏の周
辺には多くのエピゴーネン(模倣者)がいますが、石川氏はそう
なっておらず、ウェーバーの目をもって小沢政治をアンビバレン
トに評価していると述べています。
 石川氏は著書で、ウェーバーの『職業としての政治』の次の1
節を取り上げています。
―――――――――――――――――――――――――――――
 官吏にとっては、自分の上級官庁が・・・自分には間違ってい
 ると思われる命令に固執する場合、それを、命令者の責任にお
 いて誠実かつ正確に・・・執行できることが名誉である。(中
 略)官吏として倫理的にきわめて優れた人間は政治家に向かな
 い人間、とくに政治的な意味で無責任な人間であり、(中略)
 こうした人間が……指導的地位にいていつまでも跡を絶たない
 という状態、これが『官僚政治』と呼ばれているものである。
           ──マックス・ウェーバー著/脇圭平訳
              『職業としての政治』/岩波文庫
―――――――――――――――――――――――――――――
 ここで、ウェーバーが何をいっているのかというと、官僚は政
治的指導者の出す命令が、自分の意思に反するものでも、それに
従うべきであって、そういう意味で官僚は政治をするべきでない
し、巻き込まれてもいけないと述べているのです。
 石川氏はそのひとつの例として、2009年12月に中国の習
近平・国家副主席が来日したさい、小沢氏の申し入れによって天
皇陛下との会見が実現したケースを取り上げています。これに対
して宮内庁の羽毛田信吾長官(当時)は「天皇の政治利用」だと
小沢幹事長に物言いをつけたのです。なぜなら、天皇との会見は
1ヵ月前に申し入れるという慣例(法律ではない)を破ったから
です。石川氏そのとき、小沢幹事長の行為に対し、ウェーバーに
照らして次のように述べています。
―――――――――――――――――――――――――――――
 小沢一郎は記者会見でこう反論した。「内閣の一部局の一役人
 が、内閣の方針にどうだこうだ言うなら、辞表を提出した後に
 言うベきだ」。ニュースでは「天皇の政治利用」が論点となっ
 たが、小沢の意図は少し違った。羽毛田氏は厚生労働省から、
 「派遣」された官僚である。官僚は政治家の決定に従わなけれ
 ばならない。それは解釈によって、あるいは政策によって変わ
 らない、政治家の本領(エレメント)である。羽毛田発言に対
 して小沢がこだわった点は、そこだった。  ──石川知裕著
         『悪党/小沢一郎に仕えて』/朝日新聞出版
―――――――――――――――――――――――――――――
              ── [日本の政治の現況/27]


≪画像および関連情報≫
 ●ウェーバーの政治論
  ―――――――――――――――――――――――――――
  政治とは何かについてウェーバーは「自主的におこなわれる
  指導行為」の一切を含むものと述べている。銀行の為替政策
  都市の教育政策、細君の亭主操縦などあらゆる社会現象は政
  治的なものである。ただし以後述べる政治は国家の指導に影
  響するような政治活動に限定する。社会学的な国家とは物理
  的暴力の行使という特殊な手段を有する政治団体であるとい
  うものであり、トロツキーが「すべての国家は暴力の上に基
  礎付けられている」と述べたように、暴力を持たない国家は
  無力である。無論、暴力の行使は平時における通常の国家の
  政治的手段であるわけではない。つまり国家とは域内におい
  て「正当な物理的暴力行使の独占を要求する人間共同体」だ
  と捉えることができる。       ──ウィキペディア
  ―――――――――――――――――――――――――――

石川知裕氏.jpg
石川 知裕氏
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2011年07月21日

●「姜尚中氏/小沢一郎は復活してくる」(EJ第3102号)

 石川知裕氏のウェーバーの目による小沢一郎論を続けることに
します。減税日本の河村たかし代表は、政治家が家業になってい
る政治家──政治を代々家業にしている者が増えていることを嘆
いています。
 とくに比例単独で当選した人々は、地元事務所も私設秘書も不
要であり、事務所の運営はすべて公費で賄えるので、歳費はすべ
て自分の懐に入ります。こういう政治家の中に小沢一郎氏の「政
治とカネ」を根拠もないのに批判する者がいるのですが、こうい
う輩は、小沢氏を批判する資格などかけらもないのです。
 ウェーバーは、政治家を分けるのは「経済的側面」であるとい
い、次のように述べています。
―――――――――――――――――――――――――――――
 政治を恒常的な収入源にしようとする者、これが職業としての
 政治『によって』生きる者であり、そうでない者は政治『のた
 めに』ということになる。(中略)ずばり言えば、恒産がある
 か、でなければ私生活の面で充分な収入の得られるような地位
 にあるか、そのどちらかが必要である。
           ──マックス・ウェーバー著/脇圭平訳
              『職業としての政治』/岩波文庫
―――――――――――――――――――――――――――――
 政治家は官僚に立ち向かう必要があります。そのためにはお金
がいります。それは政治のために必要なお金なのです。そういう
お金が確実に定期的に入ってくる何らかの制度が必要である──
このようにウェーバーはいうのです。そうでないと、議員歳費を
当てにするようなサラリーマン的な政治家が多くなる恐れがあり
ます。政治家が税金で賄われる生活に安住してしまうと、「第2
の官僚」が続々と生まれるだけなのです。
―――――――――――――――――――――――――――――
 国家や政党の指導が、(経済的な意味で)政治によってではな
 く、もっぱら政治のために生きる人によっておこなわれる場合
 政治指導者層の人的補充はどうしても『金権制的』におこなわ
 れるようになる。(中略)政治関係者、つまり指導者とその部
 下が、金権制的でない方法で補充されるためには、政治の仕事
 に携わることによってその人に定期的かつ確実な収入が得られ
 るという、自明の前提が必要だ。
          ──マックス・ウェーバー著の前掲著より
―――――――――――――――――――――――――――――
 小沢一郎氏は、自民党を離党して樹立した細川政権において、
かねてからの念願である政治改革4法──改正公職選挙法や改正
政治資金規正法、政党助成法などの政治改革四法を難産のすえ成
立させているのです。
 小沢氏としては、政治改革法は自民党において成立を目指した
のですが、それが不可能であると悟ると、果敢に自民党を離党し
新生党を結党、総選挙のうえ誕生した細川連立政権においてそれ
を成立させたのです。
 この政治改革四法において、ウェーバーのいう「政治の仕事に
携わることによってその人に定期的かつ確実な収入が得られると
いう自明の前提」の実現として、企業・団体献金の制限を打ち出
し、その代償として政党助成法を成立させているのです。さらに
1999年の自自公政権において、今や当たり前になった副大臣
・政務官制度を導入しています。何のことはない。政治改革の諸
制度に関する限り、ほとんど小沢氏がやっているのです。このよ
うに野党であっても小沢氏はきちんと仕事をしているのです。
 一般的には、小沢一郎という政治家は「政治とカネ」に汚い政
治家としての認識しか持っていない人が多いのですが、これはマ
スコミによる意図的な宣伝であり、その実体は大きく異なるので
す。小沢一郎の本当の姿を知りたければ、石川知裕氏の著書を一
読されることをお勧めします。
 小沢氏は、自分のやるべきことを『日本改造計画』によって具
体的に示し、行動を起こすたびにきちんと目標にしている仕事を
着実に仕上げているのです。石川氏は、そういう真の政治家のあ
り方を示すウェーバーの言葉として次を上げています。
―――――――――――――――――――――――――――――
 政治とは、情熱と判断力の2つを駆使しながら、堅い板に力を
 こめてじわっじわっと穴をくり貫いていく作業である。
                 ──マックス・ウェーバー
―――――――――――――――――――――――――――――
 ここでいう「堅い板」とは官僚主導政治であり、「判断力」と
は先を見通す力であると石川氏はいうのです。そういう力を有す
る政治家をこともあろうに座敷牢に閉じ込めて自由に動けないよ
うにしている菅民主党政権は、国益に反することを平然と行って
いることになります。
 姜尚中氏は、石川氏の本の文中に出ている、ウェーバーと小沢
一郎などについて、次のように独自の意見を述べています。
―――――――――――――――――――――――――――――
 ウェーバーの『職業としての政治』に出てくる政党政治が生ん
 だ「ボス」を(石川氏は)小沢氏に当てはめていますが、彼は
 必ずしも黒幕型のリーダーではな思います。2010年代表選
 小沢氏は連日ワイドショーなどに出て饒舌に語っていました。
 文中にもある、代表選で打った演説は「能弁の小沢」の典型例
 です。師弟対談での小沢氏の話しぶりを見ると、角栄が裁判闘
 争のさなかに見せたような悲壮感がありません。むしろ、ディ
 レッタント(好事家)になっているのでは。読み終えて、小沢
 氏は、これから積極的に表舞台に出てくるという確信を得まし
 た。          ──『サンデー毎日』7/24より
―――――――――――――――――――――――――――――
 このように姜尚中氏は、一般的にいわれている小沢一郎像とは
異なる表現をしており、「小沢一郎は復活してくる」と読み解い
ているのです。       ── [日本の政治の現況/28]


≪画像および関連情報≫
 ●職業政治家について(『職業としての政治』)
  ―――――――――――――――――――――――――――
  政治は臨時や副業の政治家でも可能であるが、物的にも心的
  にも一義的に政治で生きている人々としての職業政治家がい
  る。職業として政治を行う場合は政治のために生きるか、政
  治によって生きるのかのどちからがある。もしも政治のため
  に生きる政治家が成り立つためには十分な資産を持つか、私
  生活で十分な収入がなければならない。つまり政治関係者が
  政治のために生活するためにはその報酬を保障しなければな
  らない。              ──ウィキペディア
  ―――――――――――――――――――――――――――

姜尚中氏と石川氏の本.jpg
姜尚中氏と石川氏の本
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2011年07月22日

●「どこが虚偽記載なのか/陸山会論告」(EJ第3103号)

 2011年7月20日、小沢一郎民主党元代表の資金管理団体
「陸山会」の政治資金規正法違反事件で、検察側は次の論告求刑
を行っています。
―――――――――――――――――――――――――――――
  石川知裕被告(衆議院議員) ・・・    禁錮2年
  大久保隆規被告(元秘書)  ・・・ 禁錮3年6ヵ月
  池田光智被告        ・・・    禁錮1年
―――――――――――――――――――――――――――――
 ところで、「論告求刑」とは何でしょうか。
 刑事訴訟法では、「起訴」から「判決」に至るまでの間の審理
を「公判」というのです。その判決前の最後の公判において、今
までやってきた証拠調べに基づいて当事者が意見陳述を行うこと
になっているのです。
 これが「弁論」ですが、検察官が行う弁論のことを「論告」と
いうのです。この論告のときについでに検察官としては被告人に
これだけの刑を科すのが相当だという意見を述べることがあるの
です。いや、ほとんどの検察官は求刑しますが、しなくてもよい
のです。単なる慣習であり、法律上の規定ではないからです。
 ですから、ずいぶん厳しい求刑をしていますが、単なる検察官
側の願望というか希望に過ぎないのです。なお、8月22日に今
度は弁護側の最終弁論が行われ、判決は9月26日にいいわたさ
れることになっています。
 陸山会事件──一体これは何の事件なのでしょうか。この件に
ついてEJでは何回も述べていますが、推論を交えず、事実だけ
に絞って述べるならこうなります。
 小沢事務所は、秘書寮建設用地を取得するため、世田谷の物件
を購入することにしたのです。しかし、陸山会にはそのときお金
がなかったので、2004年10月に小沢一郎氏から4億円を借
り入れたのです。そして、10月末日に土地を購入したのですが
登記は2カ月後の2005年1月に行っているのです。土地取得
日と登記日のずれ──ただそれだけのことです。これだけのこと
で、現職国会議員を含む3人の元秘書を逮捕・起訴したのです。
 それでは、どこが収支報告書を虚偽記載に当るのでしょうか。
 はっきりしていることは、2004年10月に小沢氏から借り
入れた4億円は収支報告書に記載があることです。これについて
は平成16年(2004年)の収支報告書に次のように記載があ
ります。EJ第2858号(2010年7月20日)でも指摘し
た通りです。
 収支報告書は官報に記載されます。「借入金 4億円」の記載
のある官報は「官報号外223号」です。
―――――――――――――――――――――――――――――
 <官報号外223号>
http://www.soumu.go.jp/main_content/000047155.pdf#page=162
―――――――――――――――――――――――――――――
 上記URLをクリックすると、官報号外223号の86ページ
が出るので、247ページまでスクロールすると、陸山会が出て
きます。そこにちゃんと「借入金 小沢一郎 4億円」と出てい
ます。しかし、スクロールが面倒な人も多いと思うので、EJ第
2858号で使った同じ添付ファイルを付けておきます。
 ところが21日の新聞を見ると、どの社もその記載のあること
をぼかして書いているのです。これほどはっきりしている事実を
なぜ認めないのでしょうか。
 陸山会では、小沢氏から借りた4億円を定期預金にして銀行か
ら同額の融資を受けています。検察側はこれを「複雑な資金の操
作」といっていますが、企業ではそんなことはよくあることを検
察が知らないだけです。常識を疑います。
 しかし、2004年の収支報告書にあるのは小沢氏からの借入
金(4億円)の記載だけであり、銀行から借り入れた4億円の記
載はありません。なぜでしょうか。それは記載する必要がないか
らです。政治資金規正法第4条によると、収支報告書の「収入」
の定義には、銀行からの借入金は該当しないのです。法律の専門
家である検察がなぜ知らないのでしょうか。
―――――――――――――――――――――――――――――
 「収入」とは、金銭、物品その他の財産上の利益の収受で、第
 八条の三各号に掲げる方法による運用(銀行預金など)のため
 に供与し、又は交付した金銭等の当該運用に係る当該金銭等に
 相当する金銭等の収受以外のものをいう。
               ――政治資金規正法第4条より
―――――――――――――――――――――――――――――
 それでは、なぜ、購入と同時に登記しなかったのでしょうか。
それは登記しなかったのではなくて、できなかったのです。それ
は政治団体が「権力なき社団」という法的立場にあるからです。
そのため、政治団体名義あるいは政治団体代表者の肩書き名義で
の土地登記権限がないのです。そのため、代表者個人名義でない
と登記できないのです。
 陸山会としてどうするかですが、小沢氏からの4億円を定期預
金にし、それを担保として同額を土地代金として銀行から融資を
受けます。その資金を使って、不動産の所有者に代金を支払い、
この時点で土地は個人小澤一郎の所有になります。あくまで個人
ですから、収支報告書に記載する必要はないのです。
 土地の所有権が確定した個人小澤一郎は、その所有権に基づき
土地利用権が陸山会に帰属することを明示する契約を陸山会と交
わします。その契約日をもって、陸山会は、土地代金相当を個人
小澤一郎に支払い、同時にこの土地を陸山会の資産として計上す
るのです。
 陸山会はほぼそれと同様のことをやっています。どこが収支報
告書の虚偽記載なのでしょうか。ちょうど一年前のEJ第285
8号の再現になってしまいましたが、なぜこんなことでまだもめ
ているのでしょうか。    ── [日本の政治の現況/29]


≪画像および関連情報≫
 ●衝撃の郷原発言/サンデー・プロジェクト(当時)より
  ―――――――――――――――――――――――――――
  田原:
  この土地を買ったという4億円が、どうも小沢さん側が言っ
  ているように銀行から融資を受けたんではないと。どうもこ
  れは小沢さんの金ではないかと。
  郷原:
  私も最初はこう理解していたんですね。2005年に土地を
  買ったということになっていたけれども、実際には2004
  年に買っている。2004年の土地を買った原資のことが、
  全然収支報告書に出ていない。だから不記載だ。だから石川
  さんは違反だ。ということかと思っていたんですね。ところ
  がよく見てみると、2004年の収支報告書には小沢さんか
  らの4億円の借入れの記載は、あるんです。
  田原:
  えっ。ちょっと大変なことだ。何ですか?
  郷原:
  2004年の収支報告書には「小澤一郎 400,000,000」 と
  いうのは書いてあるんです。
  田原:
  この4億円が全く書かれていない謎の金ではなくて。ちょっ
  とアップしてください。郷原さんの持っている紙。どこに書
  いてありますか?
   http://ameblo.jp/hirokane604/entry-10431618730.html
  ―――――――――――――――――――――――――――

陸山会/2004年収支報告書.jpg
陸山会/2004年収支報告書
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2011年07月25日

●「小沢一郎はなぜ動かないか」(EJ第3104号)

 7月24日の朝日新聞は民主党に対して次の見出しの記事を掲
載しています。
―――――――――――――――――――――――――――――
       動かぬ小沢氏/視線は「ポスト菅」
            ──2011年7月24日/朝日新聞
―――――――――――――――――――――――――――――
 これに先立つ『週刊ポスト』8/5では次のタイトルを掲げて
特集を組んでいます。
―――――――――――――――――――――――――――――
    小沢一郎よ、この「瀕死の日本」を見捨てるのか
                 ──『週刊ポスト』8/5
―――――――――――――――――――――――――――――
 どこもかしこも小沢、小沢、小沢です。困ったときの「小沢頼
み」です。小沢氏は検察審査会から強制起訴されているうえその
強制起訴を理由として民主党から党員資格停止処分を受けている
のです。岡田幹事長は、かなり前に幹事会に提出されていた小沢
氏の「異議申し立て」を最近になってわざわざ却下して党員資格
停止処分を最終決定しています。それも渡部恒三最高顧問や輿石
参院幹事長が反対するなかを押し切ったのです。なぜ、この時期
になってわざわざ処分を最終決定したのでしょうか。
 岡田幹事長をはじめとする現在の民主党の執行部は、菅首相退
陣後に行われる民主党の代表選に小沢氏が出てくるのを何よりも
恐れているのです。常識からいっても菅首相が退陣すれば、前回
の代表選の議員票で互角に戦った小沢氏が代表になるのが当然す
ぎるほど当然であったからです。そんなことになれば、自分たち
は惨めなことになると考えるからです。
 それで党員資格停止処分を最終決定することによって小沢氏を
総裁選に出れないようにしたのです。もし菅首相がこのまま居座
って、9月に入ってしまい、もし陸山会公判で小沢氏に有利な判
決が出てしまうようなことになれば、党員資格停止処分も撤回せ
ざるを得ない状況になってしまうからです。
 ところで、小沢氏はいまなぜ動かないのでしょうか。結論から
いうと、動く必要がないからです。
 実は小沢氏は、2010年9月の代表選のときでさえ、小沢氏
自身が小沢支持グループを本気でまとめようと動いていないので
す。しかし、現在は毎日のように支持グループの会合に顔を出し
結束固めをやっているのです。こんなことは珍しいのです。
 7月15日のことです。民主党の中堅・若手議員で作る「国益
を考える会」が、菅直人首相の即時退陣を求める決起集会を呼び
かけたのです。考える会の長島昭久、吉良州司両衆院議員ら衆参
両院議員11人が党所属の全議員に出席を呼びかけたのですが、
集まったのはたったの31人であり、100人以上入る会議室は
がらんとしていたのです。小沢氏が「その会合には出るな」と指
示したからです。
 小沢氏が本気になって「菅降ろし」に動いたのは、不信任案可
決のときだけであり、後は「菅首相を降ろすのは、かつて彼を支
持した執行部が責任を持ってやるべきことである」として、突き
放しているのです。
 現在は、菅首相の居座りによって、脱小沢グループはバラけつ
つあります。それに小沢グループが動かなくても執行部を中心に
菅降ろしをやっており、菅首相も粘るので、執行部のイメージが
ダウンする一方です。
 小沢グループの現状について、小沢グループの有力議員は次の
ように述べています。
―――――――――――――――――――――――――――――
 ここで再び小沢さんが菅降ろしの号令を掛ければ、再び反小沢
 勢力を結束させてしまう。小沢さんは確実に政権を取り戻すた
 めに、支持派の若手議員たちに1人ずつ電話をかけて意見を聞
 き、グループの地固めをしているところだ。本人は出馬資格が
 ないから意中の代表候補に出馬を打診し、代表選の準備も始め
 ているが、まだ調整に時間がかかっている。しかし、菅首相が
 粘るほどこちらにも時間ができるし、かつての菅支持派の亀裂
 も大きくなるから情勢は有利だ。─『週刊ポスト』8/5日号
―――――――――――――――――――――――――――――
 現在の民主党で次期代表になるには小沢グループの支持が得ら
れないとなれないことは明らかです。小沢氏は「過去の言動や振
る舞いは問わない」と明言しています。
 そもそも同じ党の仲間であるのに、首相自ら「脱小沢」などと
いう党内を割るような運営をすれば、行き詰ることは目に見えて
いるのです。救いがたいことに民主党の執行部はそれをまだやっ
ているのです。脱小沢をそのままにして、醜態の限りを尽くし、
特例公債法案ですら、まとめられない──与党として態をなして
おりません。
 石川知裕氏の本に佐藤優氏の次の言葉が紹介されています。民
主党の議員は手加減を知らないのです。
―――――――――――――――――――――――――――――
 肉食動物よりも草食動物の方が実は残酷なのです。どこまで叩
 いていいかわからない。だからやりすぎてしまう。頭でっかち
 の民主党にはそういう政治家が多い。国民が求めると自分を守
 るために小沢一郎を殺してしまう。自民党では派閥間で政争を
 繰り広げてもお互いに致命傷はなかった。  ──石川知裕著
         『悪党/小沢一郎に仕えて』/朝日新聞出版
―――――――――――――――――――――――――――――
 菅政権とその執行部の最大の問題点は「誰も責任を取らない」
ことに尽きます。選挙に大敗しても首相も幹事長も選挙対策本部
長も責任を取らず、知らん顔であり、ひたすら自分の地位にしが
みついていて見苦しい限り。「政治とは責任を取ることである」
──これは小沢一郎氏の言葉です。
              ── [日本の政治の現況/30]


≪画像および関連情報≫
 ●「国益を考える会」の菅退陣要求決起大会
  ―――――――――――――――――――――――――――
  民主党の中堅・若手議員で作る「国益を考える会」が呼びか
  け人となって(7月)15日昼、菅直人首相の即時退陣を求
  める決起集会を国会内で開いた。同党の衆参両院議員32人
  が出席し、首相の下では東日本大震災の復興や東京電力福島
  第1原発事故の早期収束は実現不可能だとして即時退陣を求
  める決議を行った。運動の拡大次第で、同党内の早期退陣論
  に弾みが付きそうだ。集会は、考える会の長島昭久、吉良州
  司両衆院議員ら衆参両院議員11人が党所属の全議員に「首
  相は政権運営にとり致命的な失態を繰り返している。3条件
  に関係なく即刻退陣すべきだ」とする文書を配り、参加を呼
  びかけていた。
http://sankei.jp.msn.com/politics/news/110715/stt11071513460011-n1.htm
  ―――――――――――――――――――――――――――

「国益を考える会」.jpg
「国益を考える会」
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2011年07月26日

●「小沢グループの戦略を分析する」(EJ第3105号)

 民主党の小沢グループは現在体制を固めています。現在の小沢
グループは次の3つから成っています。
―――――――――――――――――――――――――――――
      ≪小沢グループ≫
       1.一新会 ・・・・ 約30人
       2.北辰会 ・・・・ 約50人
       3.参議院 ・・・・ 約30人
―――――――――――――――――――――――――――――
 一新会というのは、小沢氏のコアグループです。北辰会は20
09年の衆院選の1期生のグループです。これに参議院の人数を
加えると、ゆうに100人を超えるのです。
 現在、小沢グループがやろうとしていることは、上記3つのグ
ループを1つのグループにまとめ、大小沢グループづくりであり
会長には小沢氏自身が就任するとみられています。
 こんなことは小沢氏ならいつもやっていることだという人もい
るかもしれませんが、小沢氏自身が積極的にグループづくりに力
を入れるのは珍しいことなのです。少なくとも民主党に入ってか
らは小沢氏自身はグループ強化に取り組んでいないのです。
 一体小沢氏は何を考えているのでしょうか。石川知裕氏の本の
「あとがきにかえて」にその謎を解く次の一文があります。
―――――――――――――――――――――――――――――
 小沢新党はできるのか。できた場合に、党本部として使える部
 屋を小沢は持っている。ホテルニューオータニの近くにある、
 かつて新生党本部があったビルのだだっ広い一室だ。小沢が自
 民党政治に反旗を翻して初めて「悪党」を集めた、思い入れの
 ある象徴的な場所でもある。そこに再び小沢一郎を筆頭とする
 造反した議員たちが集まり、「挙党一致内閣」を動かす夢を私
 は思い浮かべてみた。           ──石川知裕著
         『悪党/小沢一郎に仕えて』/朝日新聞出版
―――――――――――――――――――――――――――――
 この石川氏の記述を見ると、小沢氏が新党を考えていることが
読み取れます。それでは、どういうときに新党を立ち上げるのか
現在わかっている情報から予測してみます。なお、この予測は、
「サンデー毎日」7/31の記事を参照しています。次の3つの
可能性のそれぞれについて考えてみます。
―――――――――――――――――――――――――――――
       1.菅首相が8月末で退陣したとき
       2.菅首相が8月に辞任しないとき
       3.菅首相が解散総選挙に出たとき
―――――――――――――――――――――――――――――
 まず、菅首相が8月末で退陣したときです。このときは9月に
代表選が行われますが、小沢グループはしかるべき代表候補を選
び、支援する方針です。これが民主党を割らない最善の方法であ
るといえます。野田、馬淵、前原、海江田氏らがポスト菅に意欲
を見せています。このさい、小沢グループは代表選びに大きな影
響力を持つことになります。
 それでは、菅首相が8月末に辞任しない場合どうするかです。
このさい、次の2つの可能性があります。
―――――――――――――――――――――――――――――
     1.小沢グループがクーデターを敢行する
     2.自公両党が内閣不信任案を再提出する
―――――――――――――――――――――――――――――
 上記2から考えます。内閣不信任案の再提出は、今のところ公
明党が乗り気ではありませんが、可能性としてはあります。もし
内閣不信任案が提出されると、今度は問題なしに可決されます。
民主党の執行部としても首相に何回も辞任を迫りながら、内閣不
信任案を否決したのでは整合性がとれないからです。
 この場合、菅首相がどう出るかです。内閣を総辞職すれば代表
選になりますが、菅首相のことですから、解散し、脱原発総選挙
を仕掛けてくる可能性があります。党の大半を敵にまわしている
ので、彼なら破れかぶれ解散をやりかねません。この場合、民主
党は壊滅的敗北を喫するはずです。このとき、小沢グループはど
うするのでしょうか。
 上記1について考えます。小沢グループによるクーデターとは
何でしょうか。
 これはいろいろあります。両院議員総会における代表解任動議
や分党論の提案です。もともと小沢グループは、不信任案に小沢
グループ71人だけで賛成する場合、分党を考えていたといわれ
ます。実際には賛成する議員はさらに増えて、可決ラインまで行
ったのですが、71人だけでは不信任案は成立しないので、賛成
した小沢グループは全員離党し、そのさい分党を提案する予定だ
ったのです。すなわち、小沢グループは新党を作ったうえで、民
主党と連立政権を組むという構想です。かつて原口前総務相がい
っていた「民主党A」(新党)と「民主党B」(現在の民主党)
に分党するアイデアです。
 これには小沢グループだけでなく、現在の民主党から去る議員
も多く出ると思われます。なぜなら、現在の民主党では選挙は勝
てないからです。既に「新党自由」という名前も決まっていると
いわれます。
 もちろん小沢グループ以外の民主党が分党に応じないで、小沢
グループその他が民主党を離党する可能性もあります。そのさい
は残った民主党が過半数割れに追い込まれることは確実です。そ
うすると、民主党は自民党との連立をしようとするでしょうが、
小沢氏は既に自民党にも手をまわしており、民主党Bが自民党と
簡単には連立を組めるとは思えないのです。
 こうなると、どのみち総選挙になります。この場合、民主党の
残党にまず勝ち目はないと思われます。すべては菅首相が8月末
に素直に辞めるかどうかです。これによって日本の政治状況は大
きく変わることになります。 ── [日本の政治の現況/31]


≪画像および関連情報≫
 ●原口一博前総務大臣の「民主党分党論」
  ―――――――――――――――――――――――――――
  原口一博前総務大臣の「民主党分党論」が、日本の政治を大
  きく変える「一撃」になる可能性がある。原口氏の意見は、
  簡単に言えば、民主党は「2009年マニフェストを実現す
  る派」と「マニュフェストを修正する派」に分かれる必要が
  ある、というものだ。さらにシンプルに考えれば、二派の分
  かれ目は、「増税」を受け入れるか否か、になる。デフレ下
  にも関わらず、菅現政権はマニフェストを大きく修正して増
  税路線に転換しようとする。方や原口氏は、現政権の消費税
  を始めとする増税路線に反対である。
         http://www.janjanblog.com/archives/33056
  ―――――――――――――――――――――――――――

分党論を説く原口前総務相.jpg
分党論を説く原口前総務相
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2011年07月27日

●「なぜ、世間は小沢を悪くみるのか」(第3106号)

 小沢一郎ほど、ここまで悪しざまにいわれる政治家も少ないで
しょう。多くの人が小沢を慕い、そして多くの人が小沢から離れ
ていくといいます。「来る者は拒まず、去る者は追わず」、そし
て「言い訳をしない」──これが小沢氏の信条です。
 しかし、小沢一郎について調べていくと、世間一般で認識され
ている評価は非常に歪められていることがわかります。明らかに
彼はある勢力によって意図的に悪者に仕立てられています。どう
いう意図をもって彼らは小沢氏を貶めているのでしょうか。
 小沢氏の身近に仕え、彼を知り尽くしている元秘書の石川知裕
氏はこれについて、次のように述べています。
―――――――――――――――――――――――――――――
 新生党を立ち上げ、細川政権を樹立した時は「剛腕」と称賛さ
 れた。だが、「普通の国」と言い出したとたんに「独裁者」と
 なった。小選挙区制や国民福祉税を掲げると「強権」と言われ
 保保連合が取りざたされると「悪魔」と呼ばれた。新進党を解
 党した時、「壊し屋」が定着。そして、近年、「政治とカネ」
 が小沢の代名詞になった。政策や理念に共鳴しているなら、小
 沢の評価は変わらないはず。それなのに、人は離れていく。新
 進党、自由党にいた人は自民党に戻った。民主党でも近づいて
 きた人がいたが、小沢が代表や幹事長を辞任した後には菅さん
 や前原さんのもとに移っていった。いつも小沢が下野している
 時、人は離れていく。そんなものだ。    ──石川知裕著
         『悪党/小沢一郎に仕えて』/朝日新聞出版
―――――――――――――――――――――――――――――
 ブログやツイッターで小沢氏のことを取り上げると、「なぜ小
沢を擁護するのか。小沢にどれほどの政治的業績があるのか。彼
はただの壊し屋じゃないか」というような意見をいただくことが
あります。テレビや新聞などのマスコミが意図的に小沢氏を貶め
ている効果がここまで浸透してしまっているのです。
 同じようなことをカレル・ヴァン・ウォルフレン氏がいってい
るのです。ウォルフレン氏は日本で講演する機会が多いそうです
が、必ずといってよいほど次のような質問が出るといいます。
―――――――――――――――――――――――――――――
 ウォルフレンさん、あなたのおっしゃることはほぼすべてにつ
 いてもっともだと感じます。しかしあなたがなぜ小沢ファンな
 のか、私には理解できません。
       ──カレル・ヴァン・ウォルフレン著/井上実訳
         『誰が小沢一郎を殺すのか?』/角川書店刊
―――――――――――――――――――――――――――――
 ウォルフレン氏は、日本政治の現代史を調べるなかで、小沢一
郎に関するさまざまな資料を集めて彼がこれまでやってきたこと
を踏まえて、彼が日本の政界できわめて重要な存在であることを
認識しているのです。
 しかし、日本人の多くのは小沢一郎の政治的業績についてロク
に調べもせず、彼の書いた本も読まず、テレビや新聞の報道を見
て「小沢は悪い奴だ」というイメージを持っているのです。テレ
ビや新聞が小沢一郎という政治家を意図的に貶めているのではな
いかとなぜ考えないのでしょうか。
 ウォルフレン氏は、しだいに日本人の小沢一郎観がわかってき
て、事態が飲み込めるようになってきたといいます。そして小沢
一郎という希有な政治家が、このままでは政治的に「殺される」
ことを危惧して『誰が小沢一郎を殺すのか?』という本を上梓し
たのです。その中で、ウォルフレン氏は小沢一郎について次のよ
うに書いています。
―――――――――――――――――――――――――――――
 やがて自分にも、小沢氏の強烈な個性と果断さ、傑出した政治
 手腕が理解できるようになった。するとなぜ彼のやり方が、当
 時、世間に賛否両論を呼び起こしたのか、ということがわかっ
 た。それは小沢氏がその非凡な能力ゆえに、日本の政治システ
 ムという旧態依然とした体制を維持しようともくろむ勢力にと
 って真の脅威であるからだった。早くも一九九三年と九四年に
 その政治的な動機にあらぬ疑いをかけ、小沢氏の立場を貶めよ
 うとする動きが生じ、さまざまな異論が噴出したのはなぜか?
 私から見ればその答えは単純明快である。それは小沢氏が疑い
 もなく、日本の政治システムを運営し、権力の頂点に達し、さ
 らにはほかの政治家たちの支持をも集めることのできるような
 効果的で、なおかつ従来とは異なるやり方を、だれにも増して
 熟知しているという点で、改革を志す政治家のなかでは最強の
 人物だったからである。要するに、小沢氏は日本の政治システ
 ムという現体制の最大の脅威となり得る人物だということなの
 だ。小沢氏の著書『日本改造計画』(1993年/講談社)を
 読めば、彼が日本の政治の弊害をいかによく理解しているかが
 わかる。  ──カレル・ヴァン・ウォルフレン著/井上実訳
         『誰が小沢一郎を殺すのか?』/角川書店刊
―――――――――――――――――――――――――――――
 ウォルフレン氏の推薦する『日本改造計画』には、小沢氏が日
本の政治体制はかくあるべしということが具体的に記述されてい
ます。そして、その多くのことを小沢氏自身が既に実現してきて
いるのです。小選挙区制、政党助成金制度、国会改革などなど、
日本の政治の世界で既に実現していることが『日本改造計画』に
は既に書かれていたのです。1993年の出版であり、小沢一郎
という政治家がいかに先見の明があるかがよくわかります。
 そして、民由合併によって民主党入りして6年、諸悪の根源で
ある自民党を倒して政権交代を成し遂げて最後のステージに入っ
ているのです。これからが小沢氏の本番であったのです。
 小沢氏は最後の総仕上げに取りかかっており、これぞというと
きに、危機を感じた旧態依然たる体制を維持しようともくろむ勢
力によってフェアでない足払いをかけられ、その動きを止められ
てしまったのです。     ── [日本の政治の現況/32]


≪画像および関連情報≫
 ●『日本改造計画』について
  ―――――――――――――――――――――――――――
  小沢が自民党の幹部時代、講談社から1993年5月20日
  に発表され、実際に書店に並んだのは6月下旬だった。内容
  は小沢の政策やビジョンをつづったもので、小沢が自民党を
  離党して、新生党を立ち上げ、細川連立内閣が成立するとい
  う政治の激動期において、中心人物の小沢の考えを知るため
  の書として、発行部数72万5000部の年間3位のベスト
  セラーになった。かつて、小沢の師の田中角栄が1972年
  に著してベストセラーになった『日本列島改造論』の平成版
  ともいわれる。           ──ウィキペディア
  ―――――――――――――――――――――――――――

小沢一郎/『日本改造計画』.jpg
小沢一郎/『日本改造計画』
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2011年07月28日

●「日本は政治上巨大な壁がある」(EJ第3107号)

 東日本大震災の復旧・復興が4ヵ月を経過しても遅々として進
んでいません。原発事故に対しても政府の対応は後手後手に回っ
ており、その収束はまだ遠い先の話です。まさに現在は日本の危
機であるといえます。
 こういうときに政治が果たすべき役割が期待されるのですが、
菅政権の稚拙きわまる対応に国民の焦慮感は募る一方です。さら
に菅首相の脱原発の思い付き発言によって、今後原発は次々に止
まり、日本中に深刻な電力不安が起きつつあります。このまま事
態が推移すると、日本の企業──とくに製造業は続々と国外に生
産拠点を移し、日本経済に深刻な打撃を与えることが懸念されま
す。選挙のさいに「一に雇用、二に雇用、三に雇用」と連呼して
いた菅首相ですが、今そこにある危機を見ずに「脱原発」「自然
エネルギー」という遠い未来の話にかまけている──まさに支離
滅裂な政権運営といえます。これによって、いま多くの雇用が失
われようとしているのです。
 「このままでは日本の製造業が日本脱出を企てる」──その事
態は既にはじまっています。先の話ではないのです。新聞は報道
しませんが、少しオーバーにいえば、怒涛のように企業は日本脱
出をはじめているのです。いくつか例を上げることにします。
 三井金属鉱業は、この6月に主力製品であるスマートフォン用
材料の製造ラインをマレーシア工場に新設することを決めていま
す。なぜその決断をしたのかというと、同社は計画停電によって
埼玉の上尾営業所の生産が1ヵ月間ストップし、業界に大打撃を
与えたからです。
 レンズメーカー大手のHOYAは、中国・山東省に工業用ガラ
ス工場を新設し、今年の12月から稼働させる予定です。ガラス
工場では原料を溶かす工程で安定した電力供給が不可欠であり、
前途に不安を感じて移転を決断しています。
 まだあります。半導体産業の日本最大のルネサスエレクトロニ
クスは台湾やシンガポール企業に委託生産する方針を決定してい
るし、中堅自動車メーカーのユーシンは中国に拠点を移し、同社
は、「このままいくと日本での部品生産はゼロになる」と話して
います。精密モーターなどの電子・工業部品の世界的企業である
日本電産も実験設備などは海外に移転すると述べています。
 この事態を小沢氏の側から見ると、政権交代をした民主党の中
にいながら何もできない状態になっています。強制起訴の件も重
いですが、党員資格停止処分を受けていては、党員ではないので
事実上何もできないのです。まさに座敷牢に入れられているのと
同じです。
 かつて小沢氏は、自民党の幹事長であったとき、湾岸戦争が起
こっています。時の政権与党の幹事長ですから、何でもできる権
力を持っている立場にありながら、思うように国としての対応が
取れなかったと述懐しています。
 サダム・フセインがイラクに進攻したとき、米国が懸念したの
はサウジアラビアのことだったのです。軍事専門家によると、も
し、イラクがサウジアラビアに攻め込むと、約2週間でサウジア
ラビアの主要な油田地帯をほぼ制圧できるというのです。そうす
ると、イラクは世界の55%の石油をコントロールできることに
なります。イラクは当時毒ガスを平気で使う国であり、これはま
さに世界的危機といえます。
 このとき、日米両国は「グローバル・パートナーシップ」のス
ローガンのもとで、政策協議がスムーズに進んでいたのです。で
すから、米国は同盟国である日本の協力を非常に頼りにしていた
のです。はじめての有事での対応であり、まさに、日米同盟の真
価が問われる事態だったからです。
 しかし、結局日本にできたことは、130億ドルの資金提供だ
けだったのです。もちろん幹事長の小沢氏は、最善の努力をした
のですが、頑強な官僚機構に阻まれて、ほとんど何もできなかっ
たのです。
 このときの状況を小沢氏は『日本改造計画』において、次のよ
うに書いています。
―――――――――――――――――――――――――――――
 まず、アメリカは日本に軍用物資を運ぶ輸送機の派遣を要請し
 てきた。それに対して日本政府はあまり検討の時間もかけずに
 「ノー」の答えを出す。次にアメリカは補給艦を要請する。こ
 れも「ノー」。軍用のタンカーはどうか。またまた「ノー」。
 それでは船を。これに対しては、日本国籍二隻、米国籍一隻の
 計三隻を出して応じたが、出港した九月末は輸送需要のピーク
 を過ぎていた。さらに、アメリカは掃海艇の派遣を要請してき
 た。政府は憲法上の観点から「ノー」と答えた。最後には政府
 は掃海艇を派遣したが、戦争が終わってからであった。このよ
 うに、政府の対応が遅すぎて、本当に必要なときに協力できな
 かったのである。             ──小沢一郎著
                『日本改造計画』/講談社刊
―――――――――――――――――――――――――――――
 このとき、小沢氏は幹事長としてあらゆる手を尽くしたのです
が、官僚機構の壁を破れず、ここを変えないと、日本は変わらな
いと考えて仲間と一緒に自民党を離党したのです。そして今それ
に取り掛かる直前に手足を奪われたかたちになっています。
 これに関連して小沢氏はこういっています。民主主義のあり方
が日本と欧米とは逆である、と。米国では日常生活の次元で民主
主義が徹底されていますが、一朝、緊急事態が発生すると、きわ
めて少数の人間が責任をもって決断、対処して行くのです。
 しかし、日本は逆なのです。一朝有事になると、マスコミを筆
頭にして、民主主義が高らかに叫ばれるのです。しかし、その場
合の民主主義とは、きわめて手続き面に偏重した民主主義なので
す。「議論をとことん尽くせ」となるわけです。今回の震災対応
にもそれがあらわれているのです。小沢氏はそれを根本から変え
ようと考えているのです。  ── [日本の政治の現況/33]


≪画像および関連情報≫
 ●小沢一郎著、『日本改造計画』冒頭部分より
  ―――――――――――――――――――――――――――
  世界の大国でなければ、国の指導者に指導力が欠如していて
  も、少なくとも世界に対して迷惑をかけることはない。しか
  し、ひとたび大国といわれるほどに国力が高まり、その動き
  の一つ一つが対外的に影響を及ぼすようになれば、もはや、
  「指導力の欠如」は許されない。「弱い指導者」は他国には
  迷惑でしかないのである。(中略)大国としての責任を免れ
  ることはできない。アメリカが単独で世界を取り仕切ってい
  た時代のようなわけにはいかない。日本はその広く深い影響
  力をきっちりとコントロールし、世界のために役立てる義務
  がある。そのためには何が必要なのか。強力なリーダーシッ
  プである。その強いリーダーシップが日本にあるだろうか。
                      ──小沢一郎著
                『日本改造計画』/講談社刊
  ―――――――――――――――――――――――――――

どう動くか。小沢一郎.jpg
 
どう動くか。小沢 一郎 
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2011年07月29日

●「菅氏にはこんな側近がついている」(EJ第3108号)

 7月26日の「BSフジプライムニュース」は、『「首相・菅
直人」研究、辞めない男の“原点”』というタイトルで報道され
たのです。この番組に「菅直人」のことをよく知る人物として次
の2氏が出演しています。
―――――――――――――――――――――――――――――
            下村健一内閣審議官
        橘 民義第一総合研究所代表
―――――――――――――――――――――――――――――
 下村健一氏はTBSの元ジャーナリストで、現在菅氏の身近に
いてその考え方をよく知る人物であり、橘民義氏は江田五月氏の
元秘書で、岡山県議を経て菅首相と30年以上の付き合いのある
人物です。このほか、田中秀征・元経済企画庁長官、作家・大下
英治氏がゲストとして出演しています。
 この菅氏サイドの2氏の発言には唖然とすることがたくさんあ
ります。例えば、2011年6月2日の民主党代議士会での菅首
相の「退陣表明」について、われわれとはぜんぜん違う意見を述
べているからです。
 橘民義氏は6月2日の民主党代議士会における菅首相の発言は
退陣表明ではないといい、下村健一氏までが、菅首相は「退陣」
とか「辞任」という言葉は一切使っていないという始末です。本
人は退陣する気はないのに、「退陣」とメディアに書かれ、菅氏
は不本意に思っているそうです。
 これに対して、キャスターの反町理(おさむ)氏と田中秀征氏
が鋭く2人に切り込みます。その一部を再現します。
―――――――――――――――――――――――――――――
 反町:菅さんはあの代議士会でどうしてあんな発言をしたんで
    すかね。
 橘 :いや、それは民主党の分裂を恐れたのですよ。
 反町:自分の不信任が通ることを恐れたのではないのですか。
 橘 :不信任なんて通らないですよ。鳩山さんだって自分のグ
    ループで賛成する議員が少なくて愕然としたというぐら
    いですからね。数が足りないのですよ。
 大下:そんなことないよ。最終段階で執行部が票読みしたら、
    80票をはるかに超えていて、鳩山さんの提案に乗らざ
    るを得なくなったのですよ。
 橘 :そんなことないですよ。6月2日のことで菅さんは辞任
    を口にしたじゃないかといわれ、報道も辞任表明という
    ように書かれましたね。ところが菅さんは、俺は辞任な
    んかいったおぼえはないというのです。
 反町:議員生活30年やってこられて、あの発言が退陣と受け
    取られないと思っているとしたら、それが側近の橘氏と
    してはつらいところじゃないのではないですか。あれを
    退陣といわない野党なんていませんよ。
 橘 :そうかもしれませんが、菅さんは少なくとも辞めるとい
    うつもりで発言したんじゃないといっているのですよ。
 田中:退陣表明というように、海外を含めて新聞がデカデカと
    出したわけだ。だったら、それを否定しなきゃ。そうで
    しょう。あれは退陣表明じゃないと菅さんはっきりいう
    べきでしょう。
 下村:菅さんは総理の椅子に長くとどまりたいので、いろいろ
    政策を出していると世間の人はいうけれども、まるで逆
    なのです。政策をやりたいので、総理に留まっているだ
    けなのです。そこが菅氏と世間のギャップなんです。
   ──7月26日放送/「BSフジプライムニュース」より
http://www.bsfuji.tv/primenews/movie/index.html?d110726_0
―――――――――――――――――――――――――――――
 橘民義氏は「不信任なんか通らない」といっていますが、これ
は大下氏のいう通りで、大きな間違いです。執行部は最初のうち
は、小沢グループが数をまとめ切れないとみていたのです。
 しかし、小沢グループは、最初から鳩山グループはあてにでき
ないと見て、小沢氏自身がグループの結束に力を入れ、70名以
上を固めたのです。しかし、70名では不信任案は可決できない
ので、全員離党して新党を結成するつもりでいたのです。
 ところが小沢グループが70名以上まとめていることを知った
他の議員──その大半は様子見を極め込んでいた議員たちなので
すが、それらの議員が賛成にシフトしてきて、80名を大きく超
えてしまったのです。不信任案はほぼ可決が確実だったのです。
 菅氏は鳩山氏に辞任を明言しています。そのため、人の好い鳩
山氏は文書から辞任や退陣の言葉や辞任時期を外し、あえて曖昧
にしたのです。武士の情けです。しかし、サインはして欲しいと
迫ったのですが、菅氏はそれも「勘弁してくれ」と拒否していま
す。しかし、辞任の言葉を聞いている鳩山氏はそれでも受け入れ
たのです。菅氏は鳩山氏の甘さにつけ込んだのです。
 さらに代議士会で菅氏は、慎重に辞任や退陣という言葉を使う
ことを避け、言質を取られないようにしています。それ以降菅氏
は国会の答弁でも辞任や退陣という言葉を一切使っていないので
す。そして、側近には「俺は辞任する気でいったのではない」と
伝えているのです。最初から騙すつもりだったようです。
 下村氏も橘氏も菅氏とは30年来の付き合いであり、菅氏の良
い点も悪い点も知り尽くしているはずです。まして下村氏は、元
ジャーナリストであり、支持率が16%まで落ちて、不支持率が
70%を超えている菅氏の置かれた立場がどういうものかよくわ
かっているはずです。なぜ、その状況を説明し、退陣を勧めない
のでしょうか。ただ、菅氏を擁護しているだけで、世間一般とは
お二人ともズレていると思います。
 鳩山政権のときと違ってメディアは菅政権に好意的であったと
思います。それでも最近は批判色が濃くなりつつあります。それ
は菅氏が世間の常識を超えて総理の座に本気でしがみついている
からです。         ── [日本の政治の現況/34]


≪画像および関連情報≫
 ●BSフジプライムニュースとは何か
  ―――――――――――――――――――――――――――
  単にニュースを伝えるのではなく、ニュースで浮き彫りにな
  った問題点を多面的な観点から解説し、ゲストと共に議論。
  その中で新たなニュースを番組から発信し、視聴者へ前向き
  かつ具体的な提言や提案をすることを目指す。キャスターに
  は、元フジテレビアナウンサーの八木亜希子と、フジテレビ
  入社以来報道一筋の反町理(フジテレビ政治部編集委員)が担
  当。金曜日は八木に代って島田彩夏(フジテレビアナウンサ
  ー)が担当する。また、解りづらい専門用語や問題の経緯な
  どを解説する解説キャスターに報道のエキスパートであるフ
  ジテレビ解説委員の面々が曜日別で登場する。
  ―――――――――――――――――――――――――――

BSフジプライムニュース/2011.7.26.jpg
BSフジプライムニュース/2011.7.26
posted by 平野 浩 at 04:07| Comment(0) | TrackBack(0) | 日本の政治の現況 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年08月01日

●「菅首相偽装退陣のからくり」(EJ第3109号)

 注目すべき情報があります。2011年7月28日、小沢一郎
元代表が、カレル・ヴァン・ウォルフレン氏と会談をしているの
です。自由報道協会の公開討論においてです。
 そこでは、政府の震災・原発事故対応について、「今までみた
いなやり方をしていたらダメだ」と菅政権を批判し、意見の一致
を見たのです。小沢氏とウォルフレン氏は確か直接会うのはこれ
がはじめてではないかと思われます。
 そして、討論会後の記者会見で、菅首相の辞任問題について、
小沢氏は次のように述べているのです。
―――――――――――――――――――――――――――――
 日本人的常識で言えば菅さんも『辞める』みたいなことを言っ
 たんでしょうけれども、その常識の通用しない相手だとどうし
 ようもないわけで、今のようになっちゃうわけです。
                       ──小沢一郎
      http://etc8.blog83.fc2.com/blog-entry-1108.html
―――――――――――――――――――――――――――――
 先週のEJでも書きましたが、菅首相の側近の下村健一氏や橘
民義氏(EJ第3108号)の発言を聞いてわかったことがあり
ます。それは、6月2日の代議士会の前夜、菅首相以下、執行部
が票読みをしたところ、賛成票は80票をはるかに超えており、
不信任案の可決は必至の情勢であったのです。
 焦った菅首相は、鳩山前首相の提案を受け入れることにし、話
し合いをもったのです。そのとき菅首相は「メドがついたら首相
を辞める」と明言しているはずです。いま発言しているようなぼ
かした表現ではなく、「辞める」とはっきりいっているのです。
そうでなければ、いくら鳩山氏が甘くても、ぼかした表現では納
得するはずがないからです。
 ところが代議士会ではああいう発言です。しかし、鳩山氏とし
ては、直前に「辞める」という発言を聞いているので、総理の立
場上そういわざるを得なかったのだろうと好意的に判断したわけ
です。菅首相はそういう鳩山氏の甘さにつけ込んで不信任案可決
を回避したのです。だから、菅首相が「辞任とはいっていない」
といったとき、鳩山氏は「ペテン師だ」といって怒ったのです。
 さらに菅氏は鳩山氏が民主党を壊したくないという思いも利用
したのです。もし、このまま不信任案の採決に突入すると、小沢
グループ約77人以上が賛成する──たとえ否決しても小沢グル
ープは党を割ることは確実で、そうなると、民主党は壊れる。お
そらく同調者がさらに加わると思われるので、民主党は衆議院で
過半数を失ってしまうのです。
 したがって、鳩山氏としては、それを何とか回避したかったの
です。だからこそ、菅氏は「辞任」するフリをすれば、鳩山氏は
それに飛びつくと考えたのです。
 この経緯から見て、同席していた岡田幹事長は菅氏の「辞任」
発言を直接聞いているはずです。それでいて岡田幹事長が鳩山氏
のペテン師発言を聞いたとき、「辞任とはいっていないし、一定
のめどというのは辞任の条件ではない」と否定しているので、2
人が共謀して鳩山氏を騙したことは明らかです。
 鳩山氏は、おそらくこれで菅直人と岡田克也という人物とは付
き合っていけないと思ったはずです。最近の鳩山氏は民主党につ
いて弟である邦夫氏との対話でこう話しています。
―――――――――――――――――――――――――――――
 邦 夫:菅さんは辞めるのか?一体、どうなっているのか霧の
     中みたいだ。兄貴はどうするつもりなんだ?
 由紀夫:いよいよ民主党への愛着がなくなってきたよ。若手議
     員らもどんどん民主党への愛着がなくなってきてる。
     もう、民主党なんか壊れたっていい。
          ──2011年7月25日発行、夕刊フジ
―――――――――――――――――――――――――――――
 鳩山邦夫氏も、兄の鳩山由紀夫氏が菅首相の「退陣偽装」に騙
されたのは「党を壊したくない」という思いであり、「兄貴はそ
の心の隙に付け込まれた」といっています。その由紀夫氏が「も
はや愛着がない」というのは、尋常ならざることです。邦夫氏は
次のように由紀夫氏の気持ちを代弁しています。
―――――――――――――――――――――――――――――
 菅首相に母屋を取られたんだからもういい。母屋は菅首相にや
 ればいい。新しい道(新党)しかないな、ということだろう。
                  ──前掲、夕刊フジより
―――――――――――――――――――――――――――――
 もともと民主党は、鳩山兄弟に菅氏が加わってスタートしたの
です。新党設立資金は、由紀夫氏が8億円、邦夫氏が7億円借金
して用意したのですが、菅氏は300万円しか出さなかったとい
うのです。菅直人という人は、こういうときはたとえ金があって
も出さない人といわれているのです。その民主党を菅氏は鳩山氏
をペテンにかけて取り上げたのです。
 一体民主党はどうなるのか。小沢氏はそれまで菅首相の問題は
執行部の責任でやるべきだといって、表立って動かなかったので
すが、ウォルフレン氏との討論会を契機に一挙に前面に出て発言
するようになっており、次のように述べています。
―――――――――――――――――――――――――――――
 岡田幹事長をはじめとする執行部や、菅さんを支えてきた人た
 ちが、「お盆まで辞める」といっているのだから、今は見守る
 しかない。もっともお盆を過ぎても辞めなければ、これは話が
 違うということになってくる。自発的に辞めてくれなければど
 んな手を使っても・・・というものはある。
        ──2011年7月29日発行、日刊ゲンダイ
―――――――――――――――――――――――――――――
 なんだかんだといっても、現在の民主党は小沢グループを無視
できないのです。小沢グループが誰につくかによって、代表が決
まるからです。       ── [日本の政治の現況/35]


≪画像および関連情報≫
 ●ブログ「日々坦々」より/小沢一郎発言
  ―――――――――――――――――――――――――――
  原発事故、深刻な事態と、当初から訴えてまいりました。日
  本人の長所が発揮されていると同時に、欠点も露呈されてい
  る。皆、力をあわせて復興のため努力している。その忍耐、
  努力、能力は誇っていい。しかし、原発事故と放射能汚染の
  拡大は、個人の力の発揮だけでなく、国家として力を発揮す
  る仕組みが大事になる。ところが、一般の国民の中からもな
  かなか出てこない。これは日本的な現象。他国だったら、そ
  うはならない。国民運動のようになる。日本人の不思議なと
  ころ。マスコミが政治が何をするべきか、お悔やみをいうこ
  とか。政治家は国家がどうあるべきか、考えるのが仕事。
      http://etc8.blog83.fc2.com/blog-entry-1108.html
  ―――――――――――――――――――――――――――

小沢一郎×カレル・ウォルフレン.jpg
小沢一郎×カレル・ウォルフレン
posted by 平野 浩 at 05:52| Comment(2) | TrackBack(0) | 日本の政治の現況 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年08月02日

●「与党提出の内閣不信任決議案」(EJ第3110号)

 「お盆過ぎまで菅首相が辞めないときは、どんな手を使っても
降ろす」──小沢元代表の発言です。かなり自信に満ちた大胆な
発言です。一体小沢氏は何を考えているのでしょうか。
 それは不信任決議案(以下、不信任案)の提出です。日本の総
理大臣を降ろすには不信任案しかないと小沢氏はいうのです。も
っとも不信任案といっても再提出ではないのです。与党の民主党
から菅首相の不信任案を提出するか信任案を提出するのです。ど
ちらも同じですが、与党から出すときは、信任案の方がスジが通
っているように見えます。いうまでもないことながら、不信任案
のときは「賛成多数」、信任案のときは「反対多数」で首相は内
閣を総辞職するか、解散をするしかなくなります。
 このように不信任案と信任案は、野党でも与党でも提出できる
のです。ただし、提出には人数上の条件はありますが、現在の民
主党では退陣賛成派が多いので、問題なく、クリアできます。
 もうひとつ与党提出の不信任案にはそれを提出する方に大きな
メリットがあるのです。野党提出の不信任案に同調すると、党紀
違反になり、除名などの処分を受けることになります。しかし、
与党提出の不信任案は党の意思として出すことになるので、党紀
処分の対象にならないことです。
 したがって、小沢グループでは、最初から与党提出の不信任案
の提出を示唆していたのです。小沢氏は提出の根拠について、次
のように述べています。
―――――――――――――――――――――――――――――
 【首相辞任】首相を代えるために唯一、憲法上認められるのは
 内閣不信任決議案の可決だ。自発的に辞めるなら結構だが、辞
 めないときは意を決するときが来る。不信任案は提出者と理由
 が違えば一事不再議に反するものではなく2度でも3度でも出
 せる。岡田克也幹事長も「お盆前に辞める」と言っているので
 当面は見守るが、辞めないのなら民主党議員全員が深刻に考え
 決断すべきだ。
 【ポスト菅】次の人については、菅さんでなければ、どなたで
 もいいんじゃないでしょうか。
           ──2011年7月29日付、産経新聞
―――――――――――――――――――――――――――――
 同じ菅首相に対する不信任案ですが、提出者は野党ではなく、
与党の民主党、提出理由は「退陣表明しているのに辞めない」と
いうように前回と変更すれば出せるのです。
 新聞や小沢氏を批判する政治評論家は、これまでことあるごと
に小沢氏を「これで小沢氏の影響力の低下は避けられない」とい
う決まり文句で書くのがつねです。何とかして小沢氏の影響力を
排除したいの一心で固まっているのでしょう。報道人としては、
あってはならないことです。政権交代以来、小沢氏がそう書かれ
たのは次の5回に及ぶのです。
―――――――――――――――――――――――――――――
         1.陸山会元秘書逮捕
         2.民主党幹事長辞任
         3.民主党代表選敗北
         4.検察審の強制起訴
         5.党員資格停止処分
―――――――――――――――――――――――――――――
 しかし、いずれもメディアの書いていることとは、違う結果に
終っています。とくに2010年9月に民主党の代表選に破れ、
追い撃ちをかけるような検察審査会による強制起訴、そしてそれ
を利用して小沢氏の力を弱めようとした菅内閣執行部による党員
資格停止処分──メディアはそのつど「もはや小沢は終り!」と
書いてきたのです。
 そして今年6月の菅内閣不信任案の採決でのドタバタ──鳩山
氏の変心による不発によって、またしてもメディアは「小沢氏は
終り!」と書き続けたのです。
 しかし、事実はそれとまったく異なるのです。小沢氏を排除す
ることは、反小沢の菅内閣、執行部にプラスのメリットをもたら
すとして、党執行部は党を政権交代に導いた小沢元代表の恩を忘
れ、メディアの力も借りて小沢グループを干し上げたのです。
 そして、党則を破ってまで事実上無期限の党員資格停止処分と
いう座敷牢に小沢氏を閉じ込め、菅内閣はうまく政権運営ができ
たのでしょうか。2010年の参院選に負けてねじれの原因を作
り、その後のすべての選挙に負け続けても誰も責任を取らず、稚
拙きわまる政局運営に加え、国民との約束であるマニュフェスト
を大幅に変更して野党にへつらっても特例公債法案が通らない。
そうすると、今までかついできた菅首相を執行部や閣僚が批判す
るというグチャグチャの事態になっています。それでいて、菅首
相を降ろせず、遠巻きにして眺めている。なぜ、執行部や閣僚は
批判するなら、辞表を出さないのでしょうか。
 そこまで徹底的に露骨な小沢封じ込めをやってきて、迎えた不
信任案採決の事態──そのとき小沢氏は賛成同意の議員を77人
集めているのです。これについて元フジテレビ政治部の鈴木哲夫
氏は次のように書いています。
―――――――――――――――――――――――――――――
 不信任案で自主投票に転じた小沢グループについて、菅首相側
 近やメディアは「菅追い落としに失敗」「小沢氏の求心力も落
 ちた」と論評した。たしかに、不信任案採決前夜、賛成すると
 集まったのは77人。一気に不信任案を成立させる人数には足
 りず、かつて代表選で200票を集めたことからすれば「たっ
 た70人そこそこ」となる。しかし、私の取材では77人は脅
 威だ。小沢グループ幹部も「(集めたことで)この勝負は小沢
 の勝ち」と胸を張る。
   ──鈴木哲夫の永田町核心レポート/夕刊フジ/6.14
―――――――――――――――――――――――――――――
              ── [日本の政治の現況/36]


≪画像および関連情報≫
 ●日本人は知ってはいけない/関連ブログの記事
  ―――――――――――――――――――――――――――
  予定通り内閣不信任案が提出されました。もともと、民主党
  は、菅直人氏と小沢一郎氏がタッグを組んで、政権交代を成
  し遂げてきたもの。それでは、どこで、おかしくなっていっ
  たのか大雑把に振り返り考えてみたい。ここからは全て筆者
  自身の妄想であります。妄想ではありますが、ほぼ間違えな
  いでしょう。民主党が政権を担う直前に策を練ったやつがい
  る。「小沢を潰そう」。その為に「小沢をえん罪にしよう」
  と。そして、マスコミ、検察の総動員で「水谷建設」、「検
  察」の疑惑をつくりだした。これがもとで世論の中で、風評
  にながされやすい、無知な人たちは影響を受け始めた。それ
  をマスコミはあおった。
   http://cosmo-world.seesaa.net/article/206204017.html
  ―――――――――――――――――――――――――――

主導権を握っている小沢グループ.jpg
主導権を握っている小沢グループ
posted by 平野 浩 at 04:10| Comment(0) | TrackBack(0) | 日本の政治の現況 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年08月03日

●「小沢政治の原点と自自合意文書」(EJ第3111号)

 小沢一郎という政治家は多くの人に誤解されています。ほとん
どの年配者は、小沢氏を田中角栄や金丸信などのイメージをだぶ
らせて見ています。そして「力はあるが、カネに汚く、裏にいて
総理を操る黒幕型のリーダー」というイメージが小沢氏に定着し
ているのです。
 しかし、これは小沢氏のイメージとはまったく異なります。と
もに検察に逮捕・起訴された田中角栄や金丸信の子分として見ら
れていますが、まったく違います。自民党時代の小沢氏を調べて
みると、確かに田中、金丸という2人の実力政治家から多くのこ
とを学んでいますが、汚いカネとはまったく無縁です。
 しかし、今や「政治とカネ」は小沢氏の代名詞にまでなってい
ます。一体どうしてこうなったのでしょうか。彼は他の政治家の
誰よりも政治資金の扱いは慎重であり、そのすべてを公開してい
るのです。そういう政治家は他にいないはずです。まして不正な
カネなどまったく手にしていないのです。それなのに、なぜ、カ
ネに汚い政治家といわれるのでしょうか。
 それは自民党が使う汚い手のひとつ、スキャンダルを探して、
公にし、政権から追い落とす手法です。これによって細川政権は
下野を余儀なくされています。しかし、小沢氏には、そういうス
キャンダルがないのです。そこで徹底して小沢を貶める作戦に出
たのです。「政治とカネ」はその一環です。
 小沢氏にはもうひとつ「剛腕」というイメージがついてまわっ
ています。どこが剛腕なのでしょうか。それは決断が早いことと
自らが目指す政治目標につねに向き合い、それを着実に実行に移
して実現していることです。
 自分が実現を目指す政治改革が自民党では実現不能と判断する
と、野党の提出した宮沢内閣の不信任案に賛成し、自民党を離党
し、新政党を結成する。そして細川連立政権に参加して政権交代
を成し遂げています。これによって、自民党ははじめて政権を失
うのです。小沢氏は自民党にとって仇敵そのものです。この頃か
ら「反小沢」「非小沢」などといわれるようになったのです。
 小沢一郎という政治家の基本は真の保守主義です。理想的な保
守新党を立ち上げることにあります。しかし、それを達成するに
は、いろいろな問題を乗り越える必要があります。彼はそのため
の独自の行動計画を持っているのです。
 小沢氏の行動計画をごく簡単にいうと、こうなると思います。
10の目標を達成しないと政治的理想が実現しないとします。そ
のうちの3は、ある政党と一緒にやる必要があるとします。この
場合、その政党の理念と自分のそれが合わなくても、その政党と
連立するなりしてそれを実現するのです。これを小沢氏の本質を
知っている人から見ると、「小沢は変質した」というように見え
ますが、彼にとってはあくまで手段なのです。
 細川連立政権は、小沢氏の努力で結成できたのですが、小沢氏
の目指そうとしている改革には水と油の社会党(当時)やさきが
けなどが加わっていたのです。しかし、それでも連立政権を樹立
したのは、もっともコアになる改革がその政権で実現できると考
えたからです。
 小沢氏は、その連立政権で細川首相と共に改正公職選挙法や改
正政治資金規正法、政党助成法などの「政治改革四法」を成立さ
せています。上記のたとえでいうと、これで3の目標が達成でき
たことになります。
 これらの制度は現在でも生きているのです。これによって、今
までよりも政権交代が可能な制度ができ上がったのです。しかし
もともと合うはずのない社会党やさきがけは党を出て行き、細川
政権は崩壊します。
 続いて小沢氏は次の目標を達成するため、自由党を結成するの
です。1998年1月のことです。その同じ年の夏、自民党は、
橋本連立政権が参院選で大敗して橋本首相は退陣し、7月から小
渕内閣が誕生したのです。
 小沢氏はこれをチャンスと考えたのです。なぜなら、小沢氏は
小渕氏と仲が良く、話し合える男と考えていたからです。この内
閣であれば、小沢氏の政治目標は達成できるとみて、自自連立が
成立します。小沢自由党はここでも与党になったのです。このあ
たりがずっと野党のままであった鳩山・菅両氏の率いる民主党と
はぜんぜん違うのです。
 この自自連立で、副大臣制度の導入や、衆議院議員定数削減な
どが実現しています。あの党首討論(クエッションタイム)も小
沢氏のアイデアでこのとき実現しているのです。小渕内閣と組ん
だのは、残りの7の目標のうち、そのほとんどを達成できると考
えたからです。それは自自連立の合意書にはっきりと書かれてい
るのです。すべてを書くと長くなるので、その合意文書の大きな
タイトルを示しておきます。
―――――――――――――――――――――――――――――
 T、政治を国民の手に取り戻すために(政治・行政改革)
   政治が責任を持って諸改革を推進する体制を確立するため
   に、効率的で小さな政府を実現する。
 U、国民の命を守るために(安全保障)
   日本国憲法の理念に基づき、冷戦後に適した安全保障体制
   を確立する。
 V、国民の暮らしを守るために(税制改革)
   経済・社会の構造改革を進めるとともに、社会保障制度の
   基盤を強化するため、税制の抜本改革を断行する。
                  ──渡辺乾介著/小学館
              『小沢一郎/嫌われる伝説』より
―――――――――――――――――――――――――――――
 ここから民主党のスローガン「国民の生活が第一」が生まれて
きているのです。しかし、小沢氏にとって頼みの綱であった小渕
恵三氏は総理の職のまま急逝してしまうのです。
              ── [日本の政治の現況/37]


≪画像および関連情報≫
 ●自自連立政権を伝える当時の記事/琉球新報
  ―――――――――――――――――――――――――――
  小渕恵三首相は14日午後、内閣改造を断行、自自連立政権
  が正式に発足した。首相は同日午前の閣議で「国民の政治に
  対する信頼を回復し、世界から尊敬される日本を創造するた
  めに連立政権を樹立する」と決意を表明した。保守党同士の
  連立政権としては1983年12月発足の自民党と新自由ク
  ラブによる第二次中曽根内閣以来、約15年ぶり。自由党か
  らは野田毅幹事長が自治相として入閣、首相が求めてきた小
  沢一郎党首の入閣は見送った。
  http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-92943-storytopic-86.html
  ―――――――――――――――――――――――――――

小渕恵三元首相.jpg
小渕 恵三元首相
posted by 平野 浩 at 04:11| Comment(0) | TrackBack(0) | 日本の政治の現況 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年08月04日

●「自自連立合意9項目は無血革命」(EJ第3112号)

 1998年11月19日のことです。その日、首相官邸の総理
大臣執務室で行われた小渕自由民主党・小沢自由党の両党首会談
で、自自連立が合意されたのです。
 連立交渉から基本政策にいたるまで、すべて小沢氏が一貫して
衝に当り、政策の一字一句まで詰めたといわれます。そしてこれ
は自民党による自由党政策の丸飲みというべき合意であったとも
いえるのです。
 小沢氏はこれを「無血革命」と称しています。合意書にサイン
した小沢氏は、自由党の側近たちとの祝勝会で次のように述べて
いるのです。
―――――――――――――――――――――――――――――
 自民党はすでに保守党としての使命を終えている。9項目の政
 策は自民党内から生まれることなどありえなかった。外から変
 え、抑えるのが一番いい。(一部略)この連立を一言でいうと
 無血革命だ。9項目を見ればその意味がわかるだろう。
                  ──渡辺乾介著/小学館
              『小沢一郎/嫌われる伝説』より
―――――――――――――――――――――――――――――
 ここでいっている「9項目」とは、前回ご紹介した合意書の大
項目の中の細目です。整理して以下に示しておきます。これは小
沢氏の著書、『日本改造計画』をベースとし、現在の民主党の政
策にもつながるものです。
―――――――――――――――――――――――――――――
 ◎第1項目(政治・行政改革)
  国会の政府委員制度を廃止し、国会審議を議員同士の討論形
  式に改める。
 ◎第2項目(政治・行政改革)
  与党の議員は大臣、副大臣、政務補佐官として政府に入り、
  与党と政府の一体化を図る。
 ◎第3項目(政治・行政改革)
  中央省庁の再編は1府12省とする。ただし、閣僚の数は、
  金融監督庁所管の大臣を加えて14人とする。
 ◎第4項目(政治・行政改革)
  国家公務員は平成11年度採用分から毎年新規採用を減らし
  公務員を10年間で25%削減する。
 ◎第5項目(政治・行政改革)
  衆議院、参議院とも当面、議員定数を50ずつ削減すること
  を目標として、自由民主・自由両党間で協議を行い、次の通
  常国会で公職選挙法の改正を行う。
 ◎第6項目(安全保障)
  わが国は、わが国が武力による急迫不正の侵害を受けた場合
  に限り、武力による阻止、反撃を行う。国際連合の総会また
  は安全保障理事会で国際平和活動に関する決議が行われた場
  合には、国連の要請に従い、その活動に従事する。
 ◎第7項目(安全保障)
   第6項目の原則に基づいて、法整備を整備する。
 ◎第8項目(税制改革)
  消費税については税率・福祉目的への限定(基礎年金、高齢
  者医療、介護等)などの抜本的見直しを行う。
 ◎第9項目(税制改革)
  所得税、住民税等の減税規模は10兆円を目途とする大幅減
  税を実施する。その内、法人関係税の実効税率は40%に引
  き上げる。     ──渡辺乾介著の前掲書よりのまとめ
―――――――――――――――――――――――――――――
 実は小渕と小沢両氏は、政治改革の真の実現は自自連立では無
理であると考えていたのです。旧来の自民党の体質ではこの改革
は受け入れられないとみていたからです。
 そもそも自自連立が成立したのは、橋本自民党が1998年7
月の参院選で惨敗し、参院の与党少数のねじれ国会になったこと
がベースにあります。どこかと組まないと政権運営が困難になっ
ていたからです。現在の民主党と同じ状況です。
 小渕首相は別として、多くの自民党幹部は参院に多数の議席を
持つ公明党と連立を組んで、小沢の自由党を追い出すことを考え
ており、そのことは小渕・小沢両党首も百も承知だったのです。
 案の定というべきか、自自連立がスタートした翌年の1999
年10月に公明党が加わって自自公連立になったのです。これを
機に自民党は反転攻勢に出ます。政策会議に小沢氏が出てくると
仕切られてしまうので、自自公3党の幹事長会談を立ち上げて、
小沢氏の影響力を排除しようとしたのです。
 そういうわけで、小渕氏と小沢氏は自民党を解体し、他の保守
勢力と合わせて、保守新党を立ち上げる計画──保守合同を考え
ていたのです。実際に小渕・小沢両氏は、その新党協議を非公式
ではあるが、数回行っています。しかし、これに危機感を抱いた
のは、旧経世会と清和会などの自民党主流派です。
 「このまま傍観すると小沢にやられる!」──当時幹事長代理
の野中広務氏や官房長官の青木幹雄氏が小渕首相に強い縛りをか
けて小沢氏に同調しないようにしたのです。
 野中と青木両氏は、自由党内に手を突っ込み、連立維持派の抱
き込み工作をやったのです。このとき小沢氏を裏切り、自民党に
寝返った議員が今も自民党にたくさんいます。
 小沢氏は猛然とこれに抗議し、連立離脱を宣言して巻き返そう
とします。その板ばさみになったのは小渕首相です。おそらくこ
れが原因で、小渕首相に病魔が少しずつ巣食っていったのです。
こればかりは小沢氏の計算外のことだったのです。
 2000年4月1日、三党首会談が行われたのです。この時点
で小沢氏は連立離脱を決めており、公明党を取り込んだ自民党は
自由党にたいし、「お好きにどうぞ!」の姿勢だったのです。し
かし、小渕首相は悩みに悩んでおり、この会談終了後に小渕氏は
脳梗塞で倒れてしまうのです。── [日本の政治の現況/38]


≪画像および関連情報≫
 ●自由党とは何か
  ―――――――――――――――――――――――――――
  自由党は、かつて存在した日本の政党。憲政史上、数々ある
  日本の自由党と区別するため、小沢自由党と呼ばれることも
  ある。1998年1月5日に届出、1998年1月6日に結
  党大会を開いた。但し、法的には新進党分党によるものであ
  るため、1998年1月1日発足。2003年9月26日、
  解党し、民主党に吸収合併された。政策スローガンは「日本
  一新」である。           ──ウィキペディア
  ―――――――――――――――――――――――――――

野中広務氏.jpg
野中 広務氏
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2011年08月05日

●「自自公連立からの自由党の離脱」(EJ第3113号)

 2000年4月1日の自民、公明、自由の三党首会談──この
日、自民・公明両党は組んで小沢自由党を連立離脱させる方針で
会談に臨んでいます。小渕首相は党からそれを求められていたの
で、とても悩んでいたといわれます。
 『小沢一郎/嫌われる伝説』の著者、渡辺乾介氏の取材記録か
ら、会談でのやり取りを再現します。「神埼」というのは、神埼
武法公明党代表です。
―――――――――――――――――――――――――――――
 小沢:政策合意を実行する決意とそのスケジュールを示して欲
    しい。
 小渕:今国会では難しい。不可能と言っていいかもしれない。
 神埼:努力したいが、総理と同じだ。
 小沢:そういうことなら、月曜日の全議員懇談会で協議して態
    度を決める。
 神埼:それは連立離脱の発言と理解していいか。
 小沢:月曜日に結論を出すということだ。
 小渕:党に何と言えばいいのか。  ──渡辺乾介著/小学館
              『小沢一郎/嫌われる伝説』より
―――――――――――――――――――――――――――――
 これで事実上自由党の連立離脱が決まったのです。その後9年
にわたって自公連立政権が続くことになります。そして、200
9年の衆院選で、民主党を指揮した小沢一郎氏に自公は敗れるの
です。小沢氏の政治家としての一貫性、粘り強さ、信念に対し、
自民党は再び政権交代を許すことになったのです。
 渡辺乾介氏によると、この3党首会談のあと、小渕首相と小沢
自由党党首は2人だけで、総理執務室で30分ほど話しているの
です。渡辺氏の取材記録を基にして、そのやり取りを再現するこ
とにします。
―――――――――――――――――――――――――――――
 小渕:切り捨てるようなことになってすまんな。こうしなくて
    はならなくてな。俺もどうせ長くない。俺が全部任され
    ていれば、政策も保守新党もみんなできるんだが、俺も
    情けないけれど、任されていないんだ。
 小沢:政策はほどほどにして丸く丸くやればいいということは
    わかっているんですが、この時代、理念を掲げて政策を
    実行しなければならんということで、自由党を結成して
    やってきたものですから。
 小渕:それはわかっちょる。お互い立場があるんだから、しよ
    うがない。今日でケリをつけるよう言われているんだ。
 小沢:申し訳ありませんが、連立を解消しなきゃなりません。
 小渕:しかし、いっちゃん、またやろうな。また話ができるよ
    な。もっとも選挙の後は立場が逆になっているかもしれ
    ないけど・・・。じゃあ、またな。
    ──渡辺乾介著/『小沢一郎/嫌われる伝説』小学館刊
―――――――――――――――――――――――――――――
 2人は握手して別れたそうです。小渕首相はその数時間後に病
変に襲われたのです。小渕、小沢両氏のこの最後のやり取りでも
分かるように、小渕首相は、自分が自民党の幹部の激しい反対に
遭い、小沢氏と約束した合意事項を実現できないことを非常に悩
んでおり、それが原因で脳梗塞になったものと思われます。
 しかし、小沢自由党が自自公連立から離脱するとき、自由党に
残った人たちに浴びせられたのは次の言葉だったのです。
―――――――――――――――――――――――――――――
    小渕首相を病気に追い込んだのは小沢一郎である
―――――――――――――――――――――――――――――
 これはマスコミを使って派手に行われたのです。その中心には
野中広務、神埼武法の両氏がいたのです。このさい、小沢の勢力
を出来る限り削いでおこうという考え方です。
 さらに連立離脱のさい、自民党の工作により、50人いた自由
党議員のうち、26人が引き抜かれ、24人になってしまったの
です。例によってマスコミや評論家は「もう小沢は終り!」とさ
かんに書き立てたのです。小沢氏を排除したいと願うマスコミの
常套手段です。
 このとき自由党を出て行く人に対して小沢氏が「金を分ける」
いい出したのです。このときのことについて、かつての小沢氏の
側近である平野貞夫氏は次のように書いています。
―――――――――――――――――――――――――――――
 このときに、小沢さんは党の金を出て行った人に分けると言っ
 たんです。ぼくが小沢さんに「どの金を分けるんだ」と聞くと
 「政党助成金だ」と言うので、「憲法違反だ」と反対したんで
 す。直近の参議院選挙の比例票、「自由党」と書いてくれた五
 二〇万に対する政党助成金でしょう。自民党に手を突っ込まれ
 て党に離反して出て行く反党行為に出すのはおかしいと。する
 と小沢さんは、「ならば企業団体や個人献金とかほかの金をや
 る。それなら文句ないだろう」と言い出した。でもぼくは「野
 党から与党に行く議員に、党の資金をやるなんて話は民主政治
 の国ならどこにもないですよ」とそれも反対した。小沢さんは
 顔を真っ赤にして怒り、「あんたはこれで何回目だ。理屈を言
 ってぼくの評判を悪くするのは」と言う。結局、残っている人
 たちに聞いて結論を出そうということになった。でも、残って
 いる人たちも「ゼロ回答」だった。     ──平野貞夫著
       『日本一新/私たちの国が危ない!』/鹿砦社刊
―――――――――――――――――――――――――――――
 平野貞夫氏は、これを契機に「小沢は金に汚い」といわれるよ
うになり、それは自分のせいであると述懐しています。平野氏に
よると、小沢氏自身はカネに関しては潔癖なほどきれいてあり、
風評とは違うことを強調しています。それでも2000年6月の
衆院選では比例区において658万票を得て、小沢自由党は党勢
を回復しているのです。   ── [日本の政治の現況/39]


≪画像および関連情報≫
 ●小沢邸で考えたこと/平野貞夫氏
  ―――――――――――――――――――――――――――
  元日に小沢邸を訪ねた。昨年は大勢の政治家が押しかけると
  いうことで遠慮したが、今年は「小沢新年会」に顔を出した
  政治家を観察する魂胆があった。国会議員が120名ぐらい
  だったが、昨年の元旦、総選挙直後の160名と比べて遜色
  はなかった、というより、再生民主党の力としては十分だと
  思う。出席者で目立ったのは、海江田万里国務大臣・原口一
  博元総務大臣・細野豪志議員らであった。細野氏は「朝まで
  生テレビ」の元日放映に出演したばかりで眠そうだったが、
  少しの間、番組の話をした。司会の田原総一朗氏の「ソーシ
  ャル・ビジネス」と、細野氏が主張した「新しい公共事業」
  は似て非なるものだ。田原氏には何か企みがあるのではない
  か、と私は問いかけた。
     http://news.livedoor.com/article/detail/5259012/
  ―――――――――――――――――――――――――――

平野貞夫氏.jpg
平野 貞夫氏
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2011年08月08日

●「なぜ、政治改革が必要なのか」(EJ第3114号)

 小沢一郎氏が総理になったら、彼は何をするでしょうか。それ
は、小沢氏の著書『日本改造計画』(1993年/講談社)の中
にいくつかのヒントがあります。
 小沢氏はこの本で「政府は国際政治の舞台では、せいぜい民間
の『企業弁護士』的な役割しか期待されない」と述べているので
す。この「企業弁護士」とは何でしょうか。
 企業弁護士について小沢氏は次のように述べています。本が出
されたのが、1993年(平成5年)であることを前提に読んで
いただきたいと思います。
―――――――――――――――――――――――――――――
 日本が「大国」の一つに数えられる存在になったことは誰も否
 定しないだろう。これまで幾度となく国連安保理の非常任理事
 国となり、先進国首脳会議(サミット)のメンバーでもある。
 何が現在の日本を「大国」にしているのか。技術力であり経済
 力である。ところが、その肝心の経済力は民間の手の中にあり
 政府の手中にはない。政府はひたすら民間の利益追求を極限ま
 で可能にすることを求められる。政府が果たすべき仕事は「企
 業弁護士」的な役割なのである。もし政府や官僚組織が公平な
 調整者としての立場をきっちり示さなければ、この傾向はます
 ます強くなるだろう。やがては政府や官僚組織は、個別の利益
 の擁護者、代理人、あるいは極端な場合には「人質」にされて
 しまう。こうなると、何が国益かという問題が出てくる。
        ──小沢一郎著/『日本改造計画』/講談社刊
―――――――――――――――――――――――――――――
 小沢氏は同書でこうも述べています。既に中国に抜かれ、世界
第3位になってしまったものの、日本が経済大国といわれるまで
に経済成長できたのは国際社会が存在していたからである、と。
自由と民主主義という共通の価値観によって貫かれている国際社
会のおかげで日本はそのメリットを受けて成長してきたのです。
 したがって、日本がこれからもさらに発展したいのであれば、
国際社会の理念にしたがって行動し、その発展のために協力する
必要があると小沢氏は強調するのです。
 しかし、湾岸戦争で日本は何ができたのかについて、日本人は
考えるべきであると小沢氏はいいます。湾岸戦争のような問題は
緊急な決定を次々としなければならないのです。しかし、現在の
日本は首相のイニシアチブで政策決定ができないのです。そこに
は大きな壁があります。小沢氏は湾岸戦争のさい、いやというほ
ど味あわされたのです。それが小沢氏をして政治改革に立ち上が
らせるきっかけになったのです。湾岸戦争が日本の政治・行
政のあり方に多くの欠陥があることを示したからです。
 小沢氏は自民党を離党し、与党となった細川連立政権で政治改
革の第一歩になる「政治改革四法」を成立させ、野党に転じてか
らも自自連立で国会改革の一部を実現しています。これについて
は既にここまで述べてきていることです。
 細川護煕氏は1993年8月5日召集の特別国会で首相に指名
され、9日に細川連立内閣が発足しています。その就任演説で細
川首相は次のように述べているのです。
―――――――――――――――――――――――――――――
 この内閣は政治改革をやるために生まれた。年内に政治改革関
 連法案を成立できなければ、私は責任を取る。 ──細川首相
  ──渡辺乾介著/小学館/『小沢一郎/嫌われる伝説』より
―――――――――――――――――――――――――――――
 何と思い切りのよい、責任感あふれる発言でしょうか。小沢氏
はこの発言を聞いて感激し、「さすがだ!歴代の総理大臣で、こ
れだけのことを言った人はいない」と最大級の賛辞を贈ったので
す。結果はどうなったかというと、年内にはさすがに無理でした
が、次の年に「政治改革四法」は成立しているのです。
 その後細川氏と小沢氏の仲は不仲になったとされていますが、
2010年9月の民主党代表選で、既に政治家を引退している細
川護煕氏が、小沢支持の運動を続けていたことを知る人は少ない
と思います。日本のために小沢総理を何とか実現させたいと細川
氏は考えていたからです。
 自民党は当時の圧倒的な細川人気に危機感を感じ、細川氏のス
キャンダルを追及し、退陣させています。そのとき官僚組織が少
なからず、自民党に協力しているのです。このように小沢氏が少
しでも台頭すると、自民党と官僚組織は手を組んで小沢潰しに動
く体制をとってきているのです。
 2004年5月10日、民主党代表の菅氏は年金未加入問題で
辞任しています。実際にはそういう事実がなかったことがあとで
判明するのですが、このとき菅氏はあっさりと辞任したのです。
そこで民主党は、後任に代表代行の小沢氏を立てようとしたので
す。小沢氏もそれを受けるつもりで準備していたのです。
 ところが、「小沢一郎に年金未加入期間あり」という情報が流
れたのです。国民年金が任意加入だった80〜86年と古い衆院
議員当選以前の11ヵ月間が未加入であったというのです。
 すべて加入義務のなかった時期であり、何の問題もないので周
辺は小沢氏に代表に就任するよう求めたのですが、小沢氏はその
情報発信源を独自のルートで調べたところ、それが首相官邸であ
ることがわかったのです。
 それがわかると、小沢氏は即座に代表を辞退しています。もは
や周囲がどのように説得しても、小沢氏の決断は動かなかったの
です。小沢氏はこれは「小沢潰し」であり、その包囲網が敷かれ
ていることを察知したからです。
 相手は誰か。それは自民党時代から反小沢包囲網を敷き、その
司令塔的存在であったYKKの1人である小泉純一郎氏であり、
そのとき首相の地位にあったのです。当時小泉首相は「消えた年
金問題」をかわすため、閣僚をはじめ、与野党の政治家の年金加
入状況を調査させ、その結果を政治的に利用したのです。
              ── [日本の政治の現況/40]


≪画像および関連情報≫
 ●細川護煕首相退陣のいきさつ
  ―――――――――――――――――――――――――――
  連立の一致点であった政治改革が曲がりなりにも実現したこ
  ともあり、政権は国民福祉税構想の頓挫以降急速に求心力を
  失っていく。早期からあった「一・一ライン」とさきがけ代
  表の武村官房長官との対立も、政権運営の手法や政治改革の
  方法などに加え税制改革をめぐって深刻化。武村は悪化が明
  らかになってきた景気へのてこ入れを優先し政治改革法案は
  継続審議にすべきと主張する自民党に同調し、幹部とも頻繁
  に接触していた。また小池百合子は、北朝鮮有事に際し、ア
  メリカ側から北朝鮮に宥和的な社会党や武村の存在を問題視
  されたのも、武村更迭の一因だと後に述懐している。
                    ──ウィキペディア
  ―――――――――――――――――――――――――――

細川護煕氏.jpg
細川 護煕氏
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2011年08月09日

●「首相官邸はこうあるべきである」(EJ第3115号)

 首相が名実ともにトップに立って、政治をリードしていく体制
──これをつくる必要があると小沢一郎氏は主張するのです。首
相周辺のスタッフを充実化させ、緊急課題を的確に判断して処理
すると同時に長期ビジョンに基づいて政策を立案する体制──こ
れが必要であるというのです。
 それには戦前の岡田内閣のようになってはならない──小沢氏
はそう考えたのです。岡田内閣で何があったのでしょうか。
 岡田内閣というのは、退役海軍大将の岡田啓介が第31代内閣
総理大臣に任命され、1934年(昭和9年)7月から1936
年(昭和11年)3月まで続いた内閣のことです。
 岡田啓介首相は、内閣直属の内閣調査局を作り、政策立案ブレ
ーン制を導入したのです。この調査局は各省の政策を横断的に統
合して国策にするのが任務だったのです。そしてこの内閣調査局
には、次の3つの特色があったのです。
―――――――――――――――――――――――――――――
         1.全体合議制の導入
         2.15人専任調査官
         3.民間人の積極採用
―――――――――――――――――――――――――――――
 しかし、内閣調査局は内閣にとってはまったく役に立たない存
在だったのです。それでいて内閣調査局の影響力の方は著しく拡
大し、やがて企画院として、独立官庁になってしまったのです。
このようにして官僚組織は自己増殖するのです。
 したがって、小沢氏は官邸機能の拡充強化は、首相のブレーン
を拡充する補佐官制度を導入するという方向で行うべきであり、
官僚組織を拡充させてはならないと考えたのです。
 そのためには、首相秘書官や官房長官、官房副長官で構成され
ている現在の官邸ではなく、首相の手足になる部分を多彩な人材
から成る補佐官群によって増強し、首相の頭脳を分担するための
ブレーンつくる──これが小沢氏のいう補佐官制度です。
 『日本改造計画』には、小沢氏の考える「将来の首相官邸」図
が、「現在の首相官邸」図(1993年当時)との対比で掲載さ
れているので、その図を添付ファイルにしてあります。与党の幹
事長として官邸と接した経験に基づく改革案です。
 その大きな特色は、官房長官を主席補佐官にしている点にあり
ます。内閣を首相を中心として位置づけるためです。小沢氏はこ
れについて次のように述べています。
―――――――――――――――――――――――――――――
 内閣官房長官を首席補佐官とするのは、内閣を名実ともに、首
 相を中心としたものに位置づけるという狙いである。また首相
 の側近を一元化することによって、官邸の柔軟な運営が可能に
 なる。もちろん、首席補佐官は国務大臣であり、閣僚として閣
 議に出席する。閣議では官邸を代表する立場から積極的に論議
 をおこし、議長である首相と一緒になって閣議をリードする。
 首席補佐官のもう一つの重要な役割は、拡充した官邸の調整役
 である。首席補佐官はそれに徹する。私は、ホワイトハウスに
 おける大統領首席補佐官が果たしている役割を念頭に置いてい
 る。人選でも、その点が考慮されるべきだ。最近、官房長官の
 重要性が認識されてか、有力政治家が登用される傾向がある。
 しかし、首席補佐官はあくまで首相スタッフの長であり、任期
 中はある程度までは個性を抑えて職務に尽くす必要がある。政
 界内での地位よりも、首相との信頼関係を重視した方がよい。
        ──小沢一郎著/『日本改造計画』/講談社刊
―――――――――――――――――――――――――――――
 現在の内閣官房長官は枝野幸男氏であるが、そのイメージは内
閣報道官です。小沢氏によると、これも改めるべきであり、報道
官は広報補佐官をあてるべきであるといっています。
 なぜかというと、首席補佐官はあくまで陰の調整役であり、あ
まり表面には出ない方がよいからです。陰の調整役と表の広報役
の一人二役ではどちらも満足に任務が果たせなくなる──このよ
うに小沢氏はいっています。
 企画補佐官は何をするのでしょうか。これは首相の発言を企画
し、首相の世界への発信を助ける専門家であり、実質的な「コミ
ュニケーション補佐官」です。現在、世界では、首脳発言が非常
に重要になっていますが、日本だけは、担当閣僚が発言する──
これではきわめてインパクトが弱いと小沢氏はいうのです。
 それでは、現在の官房副長官の仕事は誰がするのでしょうか。
 それは調整補佐官と政務補佐官が行うのです。これらの補佐官
は、首相と一体となって動く存在であり、スタッフも首相と共有
することになります。
 ところで、内閣審議室は何をするのでしょうか。
 内閣審議室について小沢氏は次のように述べています。
―――――――――――――――――――――――――――――
 閣議を本当の意味の討議の場にするため、審議室を、議案を閣
 議にはかる前の予備的な調整機関とする。これによって、実質
 的な調整機能を官邸に持ってくることができる。審議官はこれ
 まで通り各省庁からの出向者を中心とし、一部民間人を加える
 ことを検討すべきだ。彼らは実質的な調整権限を持っているの
 で、各省庁は上位の官僚を派遣しなければ、その省庁の意向を
 反映することができない羽目になる。
        ──小沢一郎著/『日本改造計画』/講談社刊
―――――――――――――――――――――――――――――
 1993年の時点において小沢氏は首相官邸についてこれだけ
の構想をもっているのです。この考え方は現在でも十分通用する
はずですが、何ら取り入れられていないのです。
 しかし、どんな立派な首相官邸をつくっても肝心の首相自身が
一国を治める器量や能力、リーダーシップを持っていないと機能
しないのです。間違って首相を選ぶと何が起きるか。民主党議員
はよくわかったはずです。  ── [日本の政治の現況/41]


≪画像および関連情報≫
 ●企画院とは何か
  ―――――――――――――――――――――――――――
  企画院の前身は1935年(昭和10年)5月10日に設置
  された内閣総理大臣直属の国策調査機関である内閣調査局に
  ある。「重要産業統制法」(1931年7月公布)から始ま
  り、五・一五事件を経て二・二六事件以後の陸軍内での統制
  派の勃興以後、所謂「新々官僚(新官僚)」の牙城・内閣調
  査局の権限は強まり、より強力な重要政策を立案する組織と
  して1937年5月14日に企画庁へ改組。同年10月25
  日に内閣資源局と統合し企画院が発足した。
                    ──ウィキペディア
  ―――――――――――――――――――――――――――

首相官邸のあり方.jpg
首相官邸のあり方
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2011年08月10日

●「与党と内閣の一体化/小沢提案」(EJ第3116号)

 日本の政治体制は「議院内閣制」です。議院内閣制とは、立法
権を有する議会と行政権を有する政府(内閣)が分立しています
が、政府は議会の信任によって存在するとする制度のことです。
議会内閣制、政党内閣制などとも呼ばれます。議会と政府の関係
を整理しておきます。
―――――――――――――――――――――――――――――
        議会 ・・・・・・ 立法権
        政府 ・・・・・・ 行政権
―――――――――――――――――――――――――――――
 議会の多数派が内閣を組織し、責任を持って政治を担当する制
度であり、立法府の多数派と行政府が手を握るのですから、本来
であれば、首相は強力な指導力を発揮できるはずです。
 しかし、皮肉なことにその制度自体が、首相のリーダーシップ
の足を引っ張っていると小沢氏は指摘するのです。その理由につ
いて小沢氏は次のように述べています。
―――――――――――――――――――――――――――――
 ところが、(日本の場合)戦前からの官僚制を温存したため、
 権力の中枢は「官」であり、政治家は「民」の代表にすぎない
 という意識をそのまま引きずってきた。だから、たとえ国会の
 多数派となって、ある政党が政権を担っても、統治機構の外部
 の存在にすぎないという意識が残りつづけた。たとえば、与党
 である自民党は、しばしば「政府」に対して「要望」を出して
 いる。このような習慣があるのは、「官」としての政府が政治
 の頂点であり、与党はその周辺に存在しているものという図式
 になっているからだ。議会内の多数派である与党が名実ともに
 政権を担当するという意識が欠けているのではないだろうか。
 憲法に定められた制度は建前上の制度であり、実際には、戦前
 のように権力が「官」の世界に分散している状態がつづいてい
 るというほかない。
        ──小沢一郎著/『日本改造計画』/講談社刊
―――――――――――――――――――――――――――――
 内閣における一番重要な会議が「閣議」です。政策はすべて閣
議にかけられ、合議されることになっています。閣議の意思決定
には「閣議決定」と「閣議了解」がありますが、「意思決定は閣
僚の全員一致を原則」とするのです。
 議院内閣制の下では、各省庁のトップである大臣は同時に国政
全体に責任を持つゼネラリストとしての国務大臣の役割があるの
です。したがって、閣議に参加するときの資格は本来国務大臣と
してなのであり、各省庁の代表としてではないのです。
 しかし、現実には、各大臣は各省庁の代表として参加しており
ほとんどの大臣は自分の省庁についての知識がないので、官僚の
言い分を代弁する役割をしているに過ぎないのです。これでは閣
議において政策の調整をすることはきわめて困難になります。し
かも、「意思決定は閣僚の全員一致を原則」とするからです。
 そうなると、閣議にかけられる案件は事前に根回しの済んでい
るものに限られることになります。そこで実際にその調整をする
のは各省庁の事務次官であり、閣議の前日に開かれる事務次官会
議において提出案件が決められることになります。そうならざる
を得ないのです。そのため、閣議そのものは単なる儀式に過ぎな
いものになってしまいます。
 しかも、民主党政権では、その事務次官会議をかたちのうえで
は廃止しているので、閣議にかけられる案件の調整が、不十分に
なっているのです。その解決策として小沢氏は次のことを提案し
ているのです。
―――――――――――――――――――――――――――――
 具体的にどうするか。まず党の重要な役職者を内閣に取り込ん
 でしまう。そして、党の政策担当機関を内閣のもとに編成しな
 おし、正式な機関として位置づける。党の中枢イコール内閣と
 いう体制にするのである。まず、与党の重要ポストを内閣に取
 り込むことだが、イギリスでは、中世以来の重要ポストで現在
 は名目化している閣僚ポストに、議会運営の責任者や特命事項
 の担当者を任命する慣行ができている。それを参考にして日本
 でも、法案について内閣が責任を十分負えるよう、与党側の議
 会運営の最高責任者、たとえば幹事長を閣僚にする。それによ
 って、内閣と与党が頂点で一つになり、責任を持って政治を運
 営できる。  ──小沢一郎著/『日本改造計画』/講談社刊
―――――――――――――――――――――――――――――
 上記の小沢氏の考え方に基づいて、民主党は各省庁に副大臣や
複数の政務官を入れたのです。それまで各省庁の大臣は「民」の
代表としてひとりぼっちで省庁に乗り込んだのです。大臣の下に
は官僚のトップである事務次官がいるので、これでは官僚が反対
する政策がスムーズに進むはずがないのです。
 政務官の正式名称は「大臣政務官」といい、そのポジションは
副大臣の下で、事務次官の上であって権限はあるのです。そのた
め、大臣としては自分の下に政治家の部下がいることによって、
以前よりは仕事が進めやすくなったことは確かです。
 しかし、いかんせん政治家に経験が不足していることや官僚が
抵抗してサボタージュをすることによって必ずしも仕事が順調に
進んでいるとはいえない状況にあります。それに人数も明らかに
足りないのです。
 小沢氏は『日本改造計画』において「省庁ごとに2〜3人の政
務次官と4人〜6人の政務審議官のポストをつくり・・」と述べ
ています。政務次官を副大臣、政務審議官を政務官と考えると、
大臣の下には6人〜9人のスタッフが入ることになります。これ
によって、160人程度の議員が政府に入ることになりますが、
小沢氏は1993年の時点で著書においてそのことを提言してい
るのです。民主党政権でそのことが一歩進んだと思いますが、最
初からうまくいかないのは当たり前の話です。継続して時間をか
けるしかないのです。    ── [日本の政治の現況/42]


≪画像および関連情報≫
 ●「大臣政務官」について
  ―――――――――――――――――――――――――――
  大臣政務官は、国会審議の活性化及び政治主導の政策決定シ
  ステムの確立に関する法律により、従来の政務次官を廃止し
  て副大臣とともに設けられた。従来の政治任用ポストであっ
  た政務次官は権限も小さく役割も不明確であったため、「省
  庁の盲腸」と揶揄され軽んじられてきた。この点を反省し、
  国会審議の活性化と政治主導の政策決定システムを確立する
  ため、国会における政府委員制度を廃止し、副大臣と大臣政
  務官に適材適所の実力者を登用することとした。
                    ──ウィキペディア
  ―――――――――――――――――――――――――――

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歴代内閣総理大臣の花押
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2011年08月11日

●「日本は経済運営に失敗している」(EJ第3117号)

 現在の日本は、こと経済に関してはあまりにも無策というか、
明らかに政策を間違えているとしか思えないのです。それは次の
数字を見れば歴然としています。
―――――――――――――――――――――――――――――
    ≪株価≫
    1989年12月末
     日経平均 ・・・・・・ 38915 円
     NYダウ ・・・・・・  2753ドル
    2010年12月末
     日経平均 ・・・・・・ 10229 円
     NYダウ ・・・・・・ 11577ドル
    ≪名目GDP≫
    1991年
     日  本 ・・・・・・  467 兆円
     アメリカ ・・・・・・  5.9 兆ドル
    2010年
     日  本 ・・・・・・  480 兆円
     アメリカ ・・・・・・ 14.6 兆ドル
                   出典/中浜経済研究室
      http://money-clinic.co.jp/economy/blog/652.html
―――――――――――――――――――――――――――――
 株価については約20年経過しているのに日経平均は 0.26
倍、NYダウは4.2 倍になっています。名目GDPで見ると、
日本は1.02 倍(横ばい)であるのに対し、米国は2.47 倍
に増加しています。日本は、20年前から一向に成長していない
ということになります。
 米国もリーマンショックがあり、けっして経済はよくないにも
かかわらず、この差がついています。日本はGDPが増えず、株
価は4分の1、地価は半分以下、給料も増えず、物価も上がらな
いという構図です。日本の経済運営は明らかに失敗しているとし
か思えません。
 まして東日本大震災以後は、増税、増税、増税です。まず、自
民党が消費税増税10%を打ち出し、2010年に菅首相がそれ
に呼応するように消費税増税10%を掲げて参院選を戦い、惨敗
し、ねじれ国会の原因をつくっています。
 日本の財政赤字が危機的状況にあることは否定しませんが、国
民には正しい実態が知らされているとは思えないのです。これに
ついては改めてきちんと述べますが、少なくとも現時点での増税
が日本経済にもたらす影響には深刻なものがあります。
 この20年間の経済運営は自民党と財務省がやってきたのです
が、明らかに経済運営に失敗しています。とくに依然としてデフ
レから脱却できない日本──自民党、財務省、日銀の責任は重大
です。民主党政権になってからは、財務省は、菅、野田財務相に
働きかけ、彼らの描いたシナリオに沿って増税路線を進ませよう
と画策しているのです。
 しかし、なぜ、こうも単純に増税推進になってしまうのでしょ
うか。他の経済運営の手段はないのでしょうか。自由党党首時代
の小沢氏は、2003年5月24日に新進党代表のとき以来、4
年半ぶりに代表質問に立ち、はげしく自民党を批判したのです。
―――――――――――――――――――――――――――――
 (1996年総選挙で)所得税・住民税の半減、法人税の大幅
 引き下げを柱とする18兆円の大減税を訴えました。国民が自
 分の所得の使い道を自分で決められる仕組みに改めるとともに
 可処分所得を増やすことで個人消費を拡大し、景気の回復にも
 役立つと考えたからであります。(中略)政府・自民党は『財
 源はどうするのか。無責任なばら撒きだ』と激しく攻撃しまし
 た。私たちは一時的に国債を増発しても、景気回復による税の
 自然増収と行政経費の削減によって十分カバーできると反論し
 ましたが、聞く耳を全く持ちませんでした。(中略)一方で政
 府・自民党は相変わらず、従来型の公共事業と国債増発を続け
 その結果、国債発行残高は平成8年度(1996年)の245
 兆円から現在の428兆円にまで急増、国家財政は破綻状態に
 陥っています。(中略)仮に、私たちが主張したように、全額
 国債を財源として18兆円減税を実施しても、今年度(200
 3年)までの6年間で108兆円にしかなりません。平成9年
 度(1997年)から18兆円減税を断行していれば、少なく
 とも日本経済と国家財政が、今のように破滅的になることはな
 かった。
  ──渡辺乾介著/小学館/『小沢一郎/嫌われる伝説』より
―――――――――――――――――――――――――――――
 このときの小沢氏の代表質問について渡辺乾介氏はこう記述し
ています。「小沢氏は、自民党政治が招いた国と社会の危機を指
摘したくだりでは悔恨を叩きつけ、咆哮せんばかりの激しさであ
り、議場はどよめいた」と。
 事実自民党政権が政権を担っていた2009年までの国債残高
は、800兆円に膨らんだのです。この経済失政は自民党に全責
任があります。そうであるのに、政権を再び取り戻すために特例
公債法を人質に取り、菅政権を解散・総選挙に追い込むという姑
息な戦略を取ろうとしています。
 自民党としては、菅首相のままで選挙を戦いたいのです。最近
自民党が行った独自の世論調査によると、今選挙をすると、自公
で過半数が取れるという結果が出たからです。これによって、菅
首相のままで選挙をした方が得策である──そのように判断して
作戦を変更したものと思われます。
 東日本大震災の被災地復旧や復興が進んでいないなか、政局の
ために国民の生活をさらにドン底に落とすようなことをしようと
する自民党は明らかに間違っています。公約を平気で変更する現
在の民主党政権は本来の民主党ではないといえます。国民は冷静
に判断すべきです。     ── [日本の政治の現況/43]


≪画像および関連情報≫
 ●「エコノMIX異論正論」/池田信夫氏のコラム
  ―――――――――――――――――――――――――――
  参議院選挙が7月11日に決まったが今回も「不毛の選択」
  といわざるをえない。民主党は鳩山首相から菅首相に代わっ
  ても「行き過ぎた市場原理主義」を嫌悪して所得再分配ばか
  りいう方針は変わらない。それに対して自民党は「小さな政
  府」という対抗軸を打ち出すことに失敗し、選挙の争点がよ
  くわからない。あとの新党は、ポピュリズムや意味不明なも
  のばかり。この調子では、日本経済の「失われた20年」は
  25年年ぐらいに延長されそうだ。
  http://www.newsweekjapan.jp/column/ikeda/2010/06/20-1.php
  ―――――――――――――――――――――――――――

小沢一郎氏代表質問.jpg
小沢 一郎氏代表質問
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2011年08月12日

●「日本は財政危機ではない」(EJ第3118号)

 今まで日本の財務省は、長期にわたって日本の財政がいかに危
機的な状態にあるかを国民に印象づけてきています。したがって
民主党が国民に約束したマニュフェストの目玉である「子ども手
当」を事実上降ろしても、国民にはあまり怒りがなく、子ども手
当廃止の是非を世論調査で聞いても、賛成が反対を大きく上回っ
ています。
 実際に子ども手当が廃止されて、大きなマイナスになる世帯に
聞いても「国の財政が厳しいときであるから仕方がない」という
殊勝な返事が返って来るのです。こんなことをいう国民はおそら
く世界中で日本人だけだと思います。これは、財務省の洗脳が国
民の間にいかに浸透しているかを示しています。
 これはとても恐ろしいことです。かつての戦争もこういう国民
への洗脳によって引き起こされているからです。日本人は昔から
「官」に弱く、お上のいうことは正しいと素直に信じてしまう傾
向があるのです。
 結論からいうと、「日本は未曽有の財政危機にある」というの
は財務省のウソです。財務省はもちろん本当のことを把握してい
て、それらの情報をコントロールし、増税に世論を誘導しようと
していますが、民主党は、首相をはじめ、現政権の閣僚や執行部
がどれほど本当のことを理解しているのか、非常に疑問に思いま
す。少なくとも菅首相は日頃の言動から、経済のことはまったく
わかっていないと思います。この財務省のウソについて、EJで
は、いろいろな角度から実証していきたいと思っています。
 2010年2月のことです。5日からカナダ・イカルウィット
で開かれたG7で、菅副総理・財務相(当時)は日本の財政赤字
について何か問われるのではないかとすごく心配していたという
のです。なにしろ、日本はGDP比でギリシャよりも財政赤字を
積み上げているので、ギリシャのようになりかねないと菅氏は本
気で心配していたようです。
 これについては、「極東ブログ」の2010年2月9日付の記
事からご紹介することにします。このブログでは英和対比による
解説があり、詳しくはブログを参照願います。
―――――――――――――――――――――――――――――
 ≪極東ブログ≫
 http://finalvent.cocolog-nifty.com/fareastblog/2010/02/post-62ee.html
―――――――――――――――――――――――――――――
 2010年2月8日付のフィナンシャルタイムズ紙の社説は、
日本の財政赤字について、次のように論じています。
―――――――――――――――――――――――――――――
    Japan’s debt woes are overstated
    日本の財政赤字問題は深刻に悩まなくてよろし
―――――――――――――――――――――――――――――
 フィナンシャルタイムズ紙は、日本はギリシャのように債務不
履行にならないとして、その理由を次のように書いています。
―――――――――――――――――――――――――――――
 1.債務の全体が誤解されやすい。日本国の債務は、国の保有
   分を相殺すれば、GDPの100%以下になる。
 2.日本の国債償還費は低く、GDPの約1.3 %。対するに
   米国は1.8%、英国は2.3 %、イタリアは5.3 % 。
 3.日本の財政には遊びの余地がある。消費税はわずか5%に
   すぎない。
 4.日本の債務の95%は国内で消化されている。外国人が気
   まぐれに影響を与えることはできない。
  以上の4つを上げて、結論として次のように書いています。
 つまり、日本の問題は依然貯蓄の過剰にある。日本の銀行には
 預金がじゃぶじゃぶしていて、投資先が必要になっている。し
 ばらくの間は、日本政府が国債の安定した買い手を探すことに
 はならない。日本の財政赤字問題は、お家の都合で解消されう
 るものだ。
―――――――――――――――――――――――――――――
 フィナンシャルタイムズ紙といえば、1888年創刊で、発行
部数44万部、世界140ヶ国、のべ150万人が読む世界最高
峰の国際経済紙です。そこにはっきりと「日本の財政は心配する
ことはない」という記事が出ているのです。
 もちろん、膨大な債務に見合う債権があるとはいえ、財政赤字
があまりにも多いのは、褒められたことではありませんが、多く
の日本人が財務省のキャンペーンによって信じ込まされている事
実とはかなり異なるのです。そんなことは、世界では常識に属す
ることです。知らないのは日本人だけです。
 ちなみに、フィナンシャルタイムズ紙の記事には、解決の処方
箋まで付いているので、その一部をご紹介します。
―――――――――――――――――――――――――――――
 日銀、仕事をしろよ。日銀は国債買い上げをして、その分市場
 に貨幣供給ができるのだ。日本の財政状況は見た目ほどには悪
 くはないのだから、もうちょっと名目成長率を上げれば、全体
 の見た目も大きく改善できる。──フィナンシャルタイムズ紙
―――――――――――――――――――――――――――――
 もし、日本の財政が本当に危機的であれば、米国債の格付けが
下がったからといって、世界が円を買うはずはないのです。それ
にしても、政府(財務省)も日銀は、なぜ本気で事態の解決に動
かないのでしょうか。
 「失われた10年」といっていましたが、いつのまにか「失わ
れた20年」になり、このままでは「失われた25年」になって
しまいます。なぜ、いつまで、デフレをそのままにしておくつも
りでしょうか。そうしておいて増税とは経済に対してどういう考
え方をしているのか理解できません。
 民主党の政治家はよく勉強していると思っていたのですが、一
部の議員をのぞいてどうやら経済には弱いようです。しっかりと
勉強して欲しいものです。  ── [日本の政治の現況/44]


≪画像および関連情報≫
 ●「失われた20年」/関連ブログ
  ―――――――――――――――――――――――――――
  このブログで何度も書いてきたように、デフレ不況から脱却
  するために有効な政策を発動できるのは政府・財務省(財政
  政策)と日銀(金融政策)のみである。個別企業や個人の合
  理的な努力は無力なのだ。にもかかわらず、日本はこの20
  年間、財政支出の拡大が必要な時には「財政再建」を目指し
  て増税・歳出削減を行い、また、ようやくインフレ率がマイ
  ナスからプラスへ転じようとすると金融引き締めを行いデフ
  レに引き戻すという、信じられないような財政政策と金融政
  策を繰り返してきた。その結果が「失われた20年」であり
  「失われた3200兆円」なのである。
     http://philnews.seesaa.net/article/155723935.html
  ―――――――――――――――――――――――――――

財務省.jpg
財務省
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2011年08月15日

●「『江藤惇』の小沢一郎への引退勧告」(EJ第3119号)

 菅首相がやっと退陣を表明したので、次の首相選びが騒がしく
なってきています。こうなると、現在、座敷牢に入牢されている
小沢一郎氏が、またしても、どう動くかが最大のかぎとなってき
ているのです。またしても小沢中心の政局です。
 石川知裕議員の本に、作家の江藤惇氏のコラムについて触れた
部分があります。
―――――――――――――――――――――――――――――
 「帰りなん、いざ、小沢一郎に与う」
 小沢君よ、その時期については君に一任したい。しかし、今こ
 そ君は新進党党首のみならず衆議院の議席をも辞し、飄然とし
 て故郷水沢に帰るべきではないのか。そして、故山に帰った暁
 には、しばらく閑雲野鶏を友として、深く国事に思いに潜め、
 内外の情勢を観望し、病いを養いつつ他日を期すべきではない
 のか。        ──1997年3月3日付、産経新聞
                      ──石川知裕著
         『悪党/小沢一郎に仕えて』/朝日新聞出版
―――――――――――――――――――――――――――――
 江藤惇氏といえば、戦後日本の著名な文芸評論家であり、小林
秀雄亡き後の文芸批評の第一人者であり、20代の頃から長らく
文芸時評を担当し、文壇に大きな影響力を与えた作家です。19
99年に亡くなっています。
 この江藤惇氏のコラムを小沢一郎氏への「引退勧告」と解釈し
「文藝評論家の江藤惇もいうように・・」と小沢氏へ引退を勧め
る政治評論家も少なくないのです。
 しかし、これは「引退勧告」ではないのです。石川氏は江藤先
生の真意を知っているといいます。なぜなら、江藤惇氏と小沢氏
が軽井沢ではじめて会ったとき、運転手として小沢氏を送って行
き、江藤先生と小沢氏が話しているとき、石川氏はすぐ側にいた
からです。コラムの後半部分にその真意を解く鍵があります。
―――――――――――――――――――――――――――――
 小沢一郎が永田町を去れば、永田町は反小沢の天下になるのだ
 ろうか?かならずしもそうとはいえない。そのときむしろ、無
 数の小・小沢が出現する可能性が開けると見るべきである。な
 ぜなら、反小沢を唱えさえすれば能事足れりとして来た徒輩が
 今度は一人ひとり自分の構想を語らざるを得なくなるからであ
 る。         ──1997年3月3日付、産経新聞
―――――――――――――――――――――――――――――
 江藤惇氏はこういいたかったのです。「小沢一郎が政界からい
なくなってはじめて小沢の必要性に国民は気が付くはずだ」と。
つまり、この言葉は江藤淳氏から小沢一郎に対するエールだった
のです。石川氏はこれについて、次のようにいっています。
―――――――――――――――――――――――――――――
 つまり、小沢一郎という便利な合わせ鏡″がなくなれば、多
 くの政治家は「自画像」を描けなくなる。多くの政治家が座標
 軸を見失い、政界は混乱に陥るということだろう。小沢一郎に
 は、自分の国家観を示したテキストが複数存在する。中でも、
 『日本改造計画』は出版から20年近くたっても、いまだに読
 まれている。一方、菅直人さん、岡田克也さんや前原誠司さん
 あるいは仙谷由人さんはどうか。彼らがマニフェスト以外に、
 中長期に日本が取るべき方向性を個別・具体的に論じたり、独
 自の政策集をまとめたりしたという話は聞いたことがない。江
 藤先生が指摘するように、「自分の構想」をいつ語るのだろう
 か。                   ──石川知裕著
         『悪党/小沢一郎に仕えて』/朝日新聞出版
―――――――――――――――――――――――――――――
 考えてみると、自分が首相になって日本という国家をどのよう
にして治めていくかについて事前に明確に示した政治家はきわめ
て少ないのです。1993年の時点で小沢氏が日本という国のあ
り方について論じた『日本改造計画』(講談社刊)を発刊してい
ることはきわめて希有なことです。そういう人にして、はじめて
「政治主導」を実現できるのです。
 しかし、政治家の多くは、首相になれるチャンスが出てきた時
点で、その政権構想を雑誌などで発表するスタイルがほとんどで
す。今回の民主党の代表選で、出馬を表明している野田財務大臣
が、8月10日発売の月刊誌『文藝春秋』に「わが政権構想」と
題する論文を発表したあのスタイルなのです。それでも政権構想
を事前に発表するのはマシの方で、菅首相などはそれすらもやっ
ていないのです。
 もっとも既に強固にでき上がっている官僚組織に最初から乗る
つもりであれば、何とか首相らしいことはさせてもらえるでしょ
う。しかし、現在のように世界が多極化し、経済がグローバル化
して変動が激しく、とくに先進国においては首脳発言が注目され
るときには、官僚任せでは国家を治めることは困難です。
 経産省の古賀茂明氏は、民主党の政治主導について、国をバス
会社に例えて次のように述べています。
―――――――――――――――――――――――――――――
 バス会社に例えると、政治家は経営者、官僚は運転手。自民党
 時代はバスの運転手に運転を任せっきり。順調に運行している
 ように見えても全体の路線図に不備があり、いろんな場所で、
 人々が置き去りにされた。民主党政権に代って「オレたちが乗
 る」とバスの運転を始めたが、いろんな所で事故を起こして混
 乱してしまっている。運転は官僚に任せ、大臣は路線図の書き
 換えを行うという役割分担が必要だ。
         ──2011年8月13日付、朝日新聞より
―――――――――――――――――――――――――――――
 政治は大きな方向性を決め、それを官僚がスピーディーに実行
するという役割分担が機能不全になっているのです。それができ
るリーダーがいま日本で求められています。
              ── [日本の政治の現況/45]


≪画像および関連情報≫
 ●野田佳彦財務相が「政権構想」発表
  ―――――――――――――――――――――――――――
  民主党代表選に出馬する意向を固めた野田佳彦財務相が十日
  発売の月刊誌「文芸春秋」で発表する政権構想が九日、明ら
  かになった。財政再建を「未来への責任」と指摘し、消費増
  税を含めた税制改革の実現に取り組む決意を表明している。
  野田氏は、政府・与党が消費税率を「二〇一〇年代半ばまで
  に、段階的に10%」と決めた六月の社会保障と税の一体改
  革案について「覚悟を持って実現していく」と強調。社会保
  障制度の財源を安定させることで「雇用、消費の拡大を促し
  経済成長につながる」としている。
         ──2011年8月10日付、東京新聞より
  http://www.tokyo-np.co.jp/article/politics/news/CK2011081002000040.html
  ―――――――――――――――――――――――――――

江藤惇氏.jpg
江藤 惇氏
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2011年08月16日

●「鳩山氏も『小沢外し』をしている」(EJ第3120号)

 鳩山・菅首相の下での民主党政治によって、せっかくの政権交
代が無意味になろうとしています。とくに菅首相は、内閣不信任
案可決の間際に追い詰められ、その場しのぎの退陣を口にして党
員を欺き、2ヵ月以上も政権に居座り続けて、今ごろになって、
やっと辞任を口にする始末です。
 2010年の参院選での大敗でも誰ひとりとして責任を取らず
不幸にして起こった3・11の東日本大震災や福島原発事故に対
しても政府は稚拙な対応を繰り返し、復旧・復興対策は大幅に遅
れ、被災地から強い不信を買っています。
 それに加えて首相がいったん辞任を表明しながら居座ったため
に生じた外交空白による国益の喪失、国民との約束のマニュフェ
ストの取り下げなど、失政に次ぐ失政を重ねてテンとして恥じる
ところがないのです。
 民主党がこういう事態に陥った最大の責任は、菅内閣の閣僚や
執行部に加えて、2010年9月の民主党代表選で「菅直人」に
投票した民主党の議員全員にあります。しかるに、現在ポスト菅
の有力後継者として名乗りを上げているのは野田財務相であり、
それを仙谷、前原、岡田の3人が支える構図になる可能性が十分
あります。彼らには既に前科があるように、「責任を取る」とい
う意識がぜんぜんない人たちのようなのです。
 どうして鳩山内閣と菅内閣は、このような失政を重ねることに
なったのでしょうか。
 結論から先にいうと、その原因は、両内閣ともに「小沢外し」
を画策したことにあります。このようにいうと、鳩山内閣のとき
は違うのでは・・と考える人が多いと思いますが、実は程度の差
こそあれ、鳩山、菅両氏ともに「小沢外し」を行い、結果として
政権運営に失敗しているのです。
 鳩山政権最大の失敗は、幹事長の小沢氏を政策決定の場から外
したことにあります。既に述べたように、民主党の議員は政権交
代をすると、一斉に小沢氏排除に乗り出しているのです。鳩山首
相は小沢氏に幹事長を引き受けてもらうことは考えていたのです
が、政策の決定には関わってもらいたくなかったのです。
 本当は、選挙前と同様の代表代行(選挙担当)をやってもらい
たかったのですが、それでは政権交代の功労者である小沢氏にあ
まりにも失礼であるとして、幹事長を打診したのです。しかし、
「選挙と国会運営」に限定して、政策決定には関わらせないよう
にしたのです。結果として、これが鳩山政権が窮地に陥ったとき
小沢氏が助けられなかった原因になるのです。
 新聞報道で間違っているのは、小沢氏が政策調査会を廃止した
としていることです。これは、鳩山氏の周辺にいる官僚出身議員
が、一般議員に政策を作らせると族議員化するからということで
政府に一元化することに決めたのです。これについても、小沢氏
に政策に関わって欲しくないということから決まったことです。
 これら一連のことを「小沢外し」といわずして、何というので
しょうか。与党政治がどういうものであるかを一番熟知している
小沢氏を外しても政権運営できるという思い上がりが鳩山政権を
迷走させたのです。
 しかし、小沢氏はそういう不当な条件をすべて受け入れている
のです。なぜかというと、民主党にとって一番重要なことは、次
の参院選(2010年7月)であり、そこで勝たなければ政治改
革は何も進まないと考えたからです。
 しかし、小沢氏にも誤算があったのです。まさか、自分の秘書
3人が逮捕されるとはさすがに考えていなかったからです。それ
は、官僚機構がそれほど小沢氏が力を握ることを恐れていること
を意味しています。
 しかし、鳩山内閣の支持率はどんどん下がり、小沢氏の秘書3
人の逮捕による影響も受けて、参院選を勝ち抜くためには、鳩山
内閣を退陣させ、党を立て直す以外に方法はなかったのです。そ
こで小沢氏は輿石参院幹事長と相談し、自分も辞めることを前提
に鳩山氏に退陣を迫ったのです。そのとき、小沢氏は、後継は菅
氏ということに決めていたのです。
 しかし、鳩山氏はなかなか辞めなかったのです。鳩山氏といえ
ども政権を簡単に投げ出したくはなかったので、辞めることにつ
いては聞く耳を持たなかったのです。そこで小沢氏は鳩山氏に花
を持たせる作戦に出たのです。このことについて、平野貞夫氏は
次のように述べています。
―――――――――――――――――――――――――――――
 鳩山首相を辞任させるにあたって、鳩山氏が自分も首相をやめ
 るから小沢氏にも辞任を迫った、と報じられているが、真実は
 逆だ。この辞任劇はすべて小沢氏の脚本、演出によるものだ。
 鳩山首相は辞任すべきであったのに、なかなか辞任しないこと
 に小沢氏は頭を悩ませていた。日本の首相として格好もつけさ
 せてやらなければならないから、小沢氏が悪役になることで、
 辞任の大義名分を与えてやったわけだ。   ──平野貞夫著
        『日本一新/私たちの国が危ない』/鹿砦社刊
―――――――――――――――――――――――――――――
 この時点で小沢氏は菅直人という人物を過大評価していたので
す。菅氏の下で挙党一致体制を築き、何よりも参院選を勝利する
計画を立てていたのです。狙い通り、鳩山・小沢のダフル辞任に
よって、菅政権の支持率は一挙に回復し、参院選の勝利は間違い
ないものと思われたのです。
 しかし、菅氏と仙谷氏一派は、これを小沢追い落としの絶好の
チャンスととらえたのです。菅氏は民主党の政策スローガンであ
る「国民の生活が第一」という理念を捨て去り、「強い経済、強
い財政」という新自由主義を復活させ、小沢政策を全否定に出た
のです。ここまでは、鳩山・菅の両氏は共同歩調をとっていたと
考えられます。そして、突如として消費税増税を打ち出し、参院
選に惨敗を喫することになります。さらに民主党はその後の選挙
で負け続けるのです。    ── [日本の政治の現況/46]


≪画像および関連情報≫
 ●鳩山首相辞任会見/極東ブログ
  ─――――――――――――――――――――――――――
  鳩山由紀夫首相は退陣すべきだと思っていたが、これまでど
  れほど失態しても嘘と無責任を貫いてきたので、このまま参
  院選で痛い目に合うしかないのだろうとも思っていた。しか
  も実際には、それほど痛い目に合うこともないのかもしれな
  い。そんな中、今日午前鳩山首相辞任と聞いて少し驚いた。
  小沢幹事長も辞任すると聞いて、もう少し驚いた。辞任の弁
  を聞いて、呆れた。会見では鳩山首相は涙ぐんでいるように
  も見えた。辺野古に新基地を押しつけた時点で辞任を考えて
  いたのかもしれない。が、実際に話を聞いていると、本当に
  ダメだったんだなこの人という思いを新たにした。産経新聞
  「鳩山発言詳報」より。
  http://finalvent.cocolog-nifty.com/fareastblog/2010/06/post-b7ca.html
  ―――――――――――――――――――――――――――

鳩山首相と小沢幹事長(当時).jpg
鳩山首相と小沢幹事長(当時)
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2011年08月17日

●「静かにしていろ/菅氏の暴言」(EJ第3121号)

 2010年6月2日──菅直人氏は民主党代表に就任すると、
開口一番次のようにいい放っています。
―――――――――――――――――――――――――――――
 国民の不信を招いたのだから、小沢幹事長はしばらく静かにし
 た方が、ご本人、民主党、日本の政治にとっていい
                   ──菅直人民主党代表
―――――――――――――――――――――――――――――
 このとき、小沢氏は未曽有の苦境にあったのです。逮捕された
3人の元秘書は2月に起訴され、小沢氏は起訴こそ免れたものの
4月には第5検察審査会から第1回目の「起訴相当」の議決を受
けたからです。テレビと新聞はここぞとばかり陸山会事件につい
てあることないことを書き立てて、民主党の支持率はその影響を
受けて急落していたのです。参院選の前の民主党の危機です。そ
こで小沢氏はこのタイミングで鳩山首相と共にダブル辞任したの
です。その直後、代表に就任した菅代表の発言がコレなのです。
 この当時、小沢氏は「悪者」のイメージが一段と強くなってお
り、菅氏にこのようにいわれても当然と受け止めた国民は多かっ
たと思います。しかし、これは総理になる人の発言としては、と
んでもない内容なのです。菅氏の発言には、民主党にとって政権
交代の恩人であり、代表経験者でもある同志の小沢氏に対し、一
片の配慮も見せない、思いやりのまったくない冷たい発言であっ
たからです。平野貞夫氏は、菅氏のこの発言に対し、強い怒りを
次のようにぶつけています。
―――――――――――――――――――――――――――――
 これは党内政変であると同時に人格罵倒であり、表現の自由、
 行動の自由を次期内閣総理大臣という最高権力者が制限すると
 いう、小沢氏の人権をないがしろにするような許しがたい発言
 だった。菅新政権の本質、参議院大敗の根源はここにある。私
 の政治の師であり人生の師である故・前尾繁三郎(元衆議院議
 長)は「政治家である前に人間であれ」と遺言した。これは、
 政治家としての駆け引き、手腕以前に、人間としての見識、判
 断力、人格こそが問われるということだ。菅氏、そして幹事長
 に就任した枝野幸男氏に決定的に欠けているのはこうした人間
 としての資質だ。国民は本能的に、しかし鋭くこうした人格の
 高低を見抜くものだ。           ──平野貞夫著
        『日本一新/私たちの国が危ない』/鹿砦社刊
―――――――――――――――――――――――――――――
 2009年に歴史的な政権交代が実現し、鳩山政権が誕生した
のですが、鳩山政権はスムーズな政権の運営ができなかったので
す。しかし、その責任をとって鳩山・小沢両氏は速やかに辞任し
ており、それにより民主党の支持率はV字回復しているのです。
 この事実をもってもわかるように、この菅代表の発言の時点で
は民主党が政権を取ってまだ一年経過していないので、大多数の
国民はこの時点でも民主党を強く支持しており、菅首相に多くの
国民は期待していたのです。
 しかし、菅首相とその取り巻きの反小沢グループはこれを「小
沢切り」の絶好のチャンスとしてとらえ、あからさまに反小沢政
策を取りはじめたのです。菅首相は、民由合併のときから、いつ
かこういう機会がきたら、小沢切りに動くと決めていたようであ
り、これには鳩山氏も同調していたと思われます。
 そこで菅氏が掲げたのは「消費税の増税」──これは「国民の
生活が第一」を理念として掲げる小沢政策、いや、民主党政策の
全否定です。つまり、菅首相は戦略的に小沢氏を葬り去ろうとし
たわけです。まず、陸山会疑惑で政局的に小沢氏を切り、続いて
政策的に小沢氏を退けるというやり方です。
 こういう菅政権のやり方こそが、民主党が参院選で大敗する原
因になったと平野貞夫氏は次のように述べています。
―――――――――――――――――――――――――――――
 小沢切りという政争のために国民に痛みを強いる消費税増税を
 持ち出す、政治家以前に人間としての低劣さに、国民が拒否反
 応を示したのだ。これは、野党各党との舌戦においても如実に
 表れていた。菅氏、枝野氏の発言は、口喧嘩にもなっていない
 レベルのものだった。自分の言論に対する誠実さなど微塵も感
 じられず、問題点を指摘されると屈理屈ではぐらかし、不利に
 なると相手の古傷に指を入れて罵倒し、逆襲する。この様子は
 昭和四十年代の、無秩序に陥り、とにかく相手を潰しさえすれ
 ばよいという大学紛争や、平成七年の過激新興宗教団体広報担
 当の「ああ言えばこう言う、こう言えばああ言う」という詭弁
 を髣髴とさせ、背筋が凍りつくものだった。
                ──平野貞夫著の前掲書より
―――――――――――――――――――――――――――――
 平野貞夫氏は、2010年の参院選で民主党が敗れた決定的原
因は、一人区での「8勝21敗」という事実にあると指摘してい
ます。どうしてこんな差が生じてしまったかです。
 このとき、自民党の政権パートナーであった公明党は、自民党
と共に衆院選でボロ負けしたことにより、自民党との距離を置き
はじめており、その関係はけっしてよくなかったのです。選挙に
おける自公協力も、本部からの指令は、「やれるところはやれば
よい」という程度であったのです。
 しかし、選挙後半に入ると、その自公協力が突然復活するので
す。それはテレビなどで各党首脳の討論が報道されるようになっ
てからのことなのです。菅首相も枝野幹事長も、議論というより
も、理屈で相手をやり込めることが多く、野党の主張に耳を傾け
る度量にまるで欠けていたのです。
 これは菅首相が小沢氏に放った「党のためにも、自分のために
も静かにしていろ!」と恫喝する口舌と何ら変わらないものであ
り、公明党もこんな政党を勝たせるわけにはいかないとして奮起
し、自公協力を復活させたのです。その結果、民主党は一人区で
惨敗を喫したのです。    ── [日本の政治の現況/47]


≪画像および関連情報≫
 ●前尾繁三郎(1905〜1981)について
  ―――――――――――――――――――――――――――
  前尾繁三郎──日本の政治家、官僚。宏池会第二代会長。第
  58代衆議院議長。政界有数の読書家、教養人としても知ら
  れ、小学生時代に太平記を読破し、蔵書は和漢、欧米の原書
  など約4万冊と言われ、現在故郷宮津市で前尾文庫として残
  る。芸事も巧みで、小唄は春日流名取りで「春日と繁利」の
  名を持ち、入院中、見舞いに来た宮沢喜一と床でおさらいを
  したり、田中角栄と並んで東横ホールに出演し唄ったことも
  ある。三味線、ハーモニカ、バイオリン、明笛もこなした。
                    ──ウィキペディア
  ―――――――――――――――――――――――――――

前尾繁三郎.jpg
前尾 繁三郎氏
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2011年08月18日

●「財務省に取り込まれた野田財務相」(EJ第3122号)

 民主党の総裁選に名乗りを上げた野田財務相は、代表選の主要
テーマは「大連立による救国内閣」であると発言しています。こ
の言葉に騙されてはいけないと思います。大連立は手段であり、
その手段を使って野田氏は何をしようとしているのでしょうか。
 それは「増税──消費税の増税」です。財務省はこれに賭けて
いるのです。そのため、財務省はまず財務相になった菅氏を洗脳
したのです。これには自民党の財務省寄りの議員を使って狡猾な
謀略を仕掛けています。
 その自民党議員は、国会で菅財務相(当時)に対し経済学の基
礎的な知識「乗数効果」の意味を問い、答えられない菅財務相に
万座で恥をかかせた後、協力を約束して取り込んだのです。まさ
か財務省がそこまでするかと思うかもしれませんが、このような
ことは官僚の常套手段なのです。
 財務副大臣としてこれを見ていた野田氏としては、自分が将来
首相になるには財務省の協力は欠かせないと思っても不思議はな
いのです。もちろん財務省はあらゆるデータを駆使し、野田氏を
完璧に洗脳したのです。
 既に洗脳されている自民党は「消費税10%」を早くから宣言
していますし、民主党は財務省に洗脳された菅内閣が2010年
の参院選で突然「消費税10%」を打ち上げ、選挙に大敗し、ね
じれ国会の原因をつくっています。
 本来であれば、民主党は大敗した原因を総括して分析し、20
09年の衆院選のとき民主党が打ち出したマニュフェストとの関
係も十分議論して政権運営を行うべきだったのですが、それを怠
り、あろうことか、政権首脳は「脱小沢」を鮮明にして、党内融
和を乱す政権運営を強引に進めたのです。これは政権運営という
よりも「政争」そのものです。
 それに加えて、菅内閣は増税派の与謝野氏まで閣内に引っ張っ
てきて「税と社会保障の一体改革」をまとめ上げ、紛糾したもの
の、閣議了承までもっていっています。与謝野氏の閣内取り込み
をアドバイスしたのもおそらく財務省でしょう。
 しかし、次の代表が誰になるかによって実現するかどうかわか
らないのです。そのため、野田財務相は8月12日の記者会見で
次のようにいい、増税反対派を牽制したのです。
―――――――――――――――――――――――――――――
 (「税と社会保障の一体改革」は)どんな内閣であっても先送
 りできないテーマである。ちゃぶ台返しの議論があってはなら
 ない。                  ──野田財務相
―――――――――――――――――――――――――――――
 一見もっともな議論のように見えます。国民も社会保障の目的
に使うなら消費税を5%上げてもいいではないかと考える人が多
く、世論調査では賛成が反対を上回っています。
 しかし、ここに落とし穴があるのです。消費税を社会保障の目
的税にすると、もともと社会保障費は毎年激増していくものであ
り、不足すると税率を上げて行くことになります。そうすると、
税率は10%どころか20%、30%以上にもなってしまうので
す。世論調査でこれに賛成した人は、そのあたりのことをよくわ
かった上での賛成なのでしょうか。もっと議論すべき問題である
と思います。
 もうひとつ重要なことがあります。他党と連立を組むには、当
たり前のことですが、民主党が一本にまとまっていることが必要
です。しかし、民主党は菅政権の「脱小沢」の政権運営により、
主流派、小沢派、中間派に割れています。とくに主流派と小沢派
の亀裂は深く、まるで別の党のようです。
 民主党の3派による力学は、主流派対小沢派の対立に中間派が
どちらにつくかによって優位が移動するのです。小沢氏が秘書逮
捕や強制起訴によって貶められているときは、中間派の多くは主
流派に付き、菅首相の増税推進や退陣表明後の居座りによって不
信が増大している現在では、中間派の多くは小沢派に付いて、小
沢派が大勢力になっているのです。
 したがって、主流派は民主党をひとつにまとめるには、「脱小
沢」や「殺小沢」の政権運営をやめて、真の党内融和を心がける
必要があります。つまり、主流派は自民党との連立ではなく、小
沢派との連立(?)が必要なのです。野田氏も当初は「誰かを排
除する恩讐の政治はよくない」と党内融和を掲げていたはずなの
ですが、これは菅氏が代表選後にいった「ノーサイド」発言と同
じ意味だったようです。
 自公と大連立を組む場合、当然自公は小沢グループ付きの連立
には反対するはずです。この連立工作は仙谷副官房長官が行って
おり、当然小沢派外しを前提としているのです。何も恩讐の政治
を超えていないのです。依然として「脱小沢」です。
 ここで民主党がなぜ政権交代できたかについて考えてみる必要
があります。少なくとも自民党が口汚く罵る「バラマキ4K」に
有権者が釣られたわけではないのです。これについて、政治評論
家の尾山太郎氏は次のように述べています。
―――――――――――――――――――――――――――――
 民主党は2年前、何をやると言ったか、思い出して貰いたい。
 バラマキ4Kに釣られた有権者もいただろうが、最も人心を捕
 らえたのは「天下り根絶」の公約だっただろう。当時、天下り
 法人数は4600、天下り者数は2万8000人、法人に流れ
 込むカネは12兆6000億円といわれた。例えばUR(都市
 再生機構)は不動産業を営み、明らかに民業を圧迫している。
 7月に総務省が発表した「3代以上」にわたり理事長を同一省
 庁出身者が占めている独立行政法人は1594に及ぶ。官が民
 業に侵入する現象は日本の官僚内閣制≠フ象徴だ。天下り法
 人は民業を歪め、競争を阻害する。日本を20年にわたり不況
 に導いている元凶ともいえる。 ──8月16日付、産経新聞
―――――――――――――――――――――――――――――
              ── [日本の政治の現況/48]


≪画像および関連情報≫
 ●UR──独立行政法人都市再生機構とは何か
  ―――――――――――――――――――――――――――
  独立行政法人都市再生機構は、大都市や地方中心都市におけ
  る市街地の整備改善や賃貸住宅の供給支援、UR賃貸住宅─
  旧公団住宅の管理を主な目的とした国土交通省所管の独立行
  政法人である。略称は都市機構またはUR、愛称はUR都市
  機構。2004年7月1日、都市基盤整備公団と地域振興整
  備公団の地方都市開発整備部門が統合され、設立された。運
  営形態、業務範囲などは独立行政法人都市再生機構法によっ
  て定められている。主な収益はUR賃貸住宅の家賃収入や市
  街地整備による土地の売却益である。本社は神奈川県横浜市
  中区にある。            ──ウィキペディア
  ―――――――――――――――――――――――――――

野田財務相.jpg
野田財務相
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2011年08月19日

●「野田氏は民主党を身売りするのか」(EJ第3123号)

 昨日のEJでご紹介した政治評論家・尾山太郎氏は、民主党が
一番死守すべきだったのは公約である「天下り根絶」であるとし
て、次のように述べています。
―――――――――――――――――――――――――――――
 民主党は「天下り根絶」と「わたり禁止」を標榜した。天下り
 をなくすということは肩たたきという役所の慣行を変えること
 である。各省の幹部人事は「内閣人事局」が行い、政策全般に
 わたる戦略は「国家戦略局」が担い、独法などの整理は「行政
 刷新会議」が行う──というのが民主党の公約だった。小沢氏
 はいま、「マニフェスト(政権公約)を守れ」と言っているが
 幹事長時代は、「天下り根絶」を一顧だにしなかった。4Kバ
 ラマキの方が楽だったせいだろう。     ──尾山太郎氏
       2011年8月16日付、産経新聞『正論』より
―――――――――――――――――――――――――――――
 尾山太郎氏は、大方の政治評論家たちと同様に小沢一郎氏がお
嫌いなようです。尾山氏のコラムの前半では「蠢く『小鳩』よ、
恥を知れ」と書き、小沢氏も鳩山政治の失敗に責任があり、まし
て目下は政治資金規正法にかかわる刑事被告人なのだから、恥を
知ってもらいたいと批判しています。これは菅首相の「静かにし
ていろ!」の発言と同様であり、失礼な話です。
 小沢氏は鳩山政治に責任があると感じたからこそ、鳩山氏と一
緒に辞めたのです。しかし、「天下り根絶」を小沢氏が一顧だに
しなかったというのは事実に反します。尾山氏は、小沢氏が選挙
を含む党務と国会運営だけに職務を限定された幹事長であった事
実をご存知なかったようです。公務員制度改革こそ小沢氏が執念
を燃やして政権交代を成し遂げた目的であるからです。
 ところで、『週刊朝日』8月26日号に次のタイトルの対談が
掲載されています。
―――――――――――――――――――――――――――――
     瀕死の「日本システム」を再起動させるには・・
     オザワを解放すべし
     カレル・ヴァン・ウォルフレン/榊原英資
―――――――――――――――――――――――――――――
 『週刊朝日』に小沢氏を擁護する記事が載るのは久しぶりのこ
とです。「朝日新聞」は反小沢を現在も貫いていますが、「週刊
朝日」は小沢問題に対して真実を伝えようとして努力していたの
です。それは山口一臣編集長の時代のことです。
 しかし、山口氏がこの4月に販売部長に異動になると、編集方
針は一新され、親新聞とあまり変わらない記事が載るようになっ
たのです。そういう意味では、今回の対談記事は画期的な企画で
すが、ウォルフレン氏が次のようにいっているにもかかわらず、
表紙からは一切無視されています。(添付ファイル参照)
―――――――――――――――――――――――――――――
 榊:小沢さんが再びリーダーシップを発揮することはとても重
   要です。裁判が終わればそれが可能になるはずです。
 ウ:では、この号の表紙に「小沢を解放せよ!」と文字を大き
   く入れたらどうかな(笑い)。非民主的なプロセスで起訴
   された小沢さんが有罪にでもなったら、それこそ日本の民
   主主義にとって大変な危機です。
 榊:小沢さんは間違いなく無罪になると思います。
           【註】榊→榊原英資/ウ→ウォルフレン
               『週刊朝日』8月26日号より
―――――――――――――――――――――――――――――
 民主党を創設した鳩山由紀夫氏と菅直人氏の2人は、結果は満
足なものではなかったものの、ともに総理をやっています。しか
し、2人が総理になれたのは、小沢一郎氏の尽力による政権交代
のお陰ではないでしょうか。その小沢氏だけが、総理をやってい
ないのです。これはどう考えても不合理な話です。「次は小沢」
は常識的な話です。でも誰からもそういう声は出てこない。
 小沢氏は「政治の仕組みを変えて日本を変える」ということで
これまで政治活動をやってきており、着実にその成果を上げてい
ます。したがって、民主党による政権交代はその仕上げの段階に
入っているのです。それだけに従来の支配構造を死守したい官僚
組織にとって小沢氏は危険きわまる存在といってよいのです。
 そのため小沢氏に対して悪意に満ちた「人物破壊」が行われて
活動が意図的に抑止されている──このようにウォルフレン氏は
解説しています。
 野田氏のいう「大連立」は、仙谷、岡田両氏と大島副総裁との
間で話し合いが進められており、それなりの展望と感触のある話
なのです。自民党は現在党員に満足に「氷代」も出せないほど金
に困っています。したがって、第3次補正にはどうしても加わり
たいのです。民主党の現在の執行部としても連立になれば役職に
も恵まれると考えており、ひそかに狙っています。つまり、彼ら
の狙う大連立は国家国民のためではなく、自分たちの延命のため
なのです。これは自公への「身売り」そのものです。これでは菅
首相と五十歩百歩であり、その本性は同じです。
 一体小沢氏は今回の代表選をどのように戦うのでしょうか。民
主党を自公に身売りしようと画策する野田氏を支援することは考
えられないし、他のどの候補も帯に短し襷に長しであり、いずれ
もパッとしません。
 しかし、次の代表の任期は菅代表の残りの約1年なのです。し
たがって、本番は来年の9月の代表選です。その頃には裁判の決
着はついていると考えられるので、小沢氏自身が代表選に出馬す
ると考えられます。そのときは、前原氏も確実に出馬すると思わ
れるので、代表選は壮絶な戦いになるはずです。
 そうすると、次の代表はそれまでのつなぎになると考えられま
す。それなら、誰が代表にふさわしいのか。選挙の期日によって
も戦い方に違いが出てきます。おそらく来週には動きが出てくる
と思います。        ── [日本の政治の現況/49]


≪画像および関連情報≫
 ●松下幸之助の「無税国家論」について
  ―――――――――――――――――――――――――――
  野田氏は松下政経塾の第1期生である。その創始者の松下幸
  之助は無税国家論論者である。野田氏は一体何を学んできた
  のであろうか。ジャーナリストの出井康博氏は次のように述
  べている。「松下幸之助が唱えていたのは「無税国家論」で
  す。予算の使い道を徹底的に洗い直し、ムダ遣いをなくせば
  余剰金が生まれます。これを積み立てていけば、いずれは運
  用益だけで国家財政を賄えるようになり、税金はいらなくな
  る。幸之助は、高い税金が勤労意欲を失わせ、生産性を下げ
  ることを懸念した。重税は国家にとってマイナスと考えたの
  です」。  ──2011年8月17日発行/日刊ゲンダイ
  ―――――――――――――――――――――――――――

『週刊朝日』8/26.jpg
『週刊朝日』8/26
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2011年08月22日

●「民主党代表選/仙谷氏の思惑」(EJ第3124号)

 民主党の代表選──どうやら仙谷官房副長官の戦略が狂ってき
たようです。仙谷氏の戦略とはこうです。今回は切り札である前
原氏は温存し、野田氏を擁立することで、「脱小沢」グループ約
70人をまとめて多数派を形成し、代表選を乗り切り、今国会会
期中に新首相を選出するというものです。短期決戦です。
 いうまでもなく今回の民主党の代表選は、事実上首相を選ぶ選
挙なのです。その大事な選挙を本稿執筆時点では、8月29日に
代表選、新首相の指名は30日、とたったの2日でやろうとして
いるのです。それが民主党執行部の方針なのです。それにしても
なぜそのように急ぐのでしょうか。
 民主党のこれまでの首相である鳩山氏と菅氏は、ともに民主党
の創設者であり、野党ではあったものの、その政治活動は多くの
国民の目にとまっています。したがって、政権交代後に首相の地
位に就いても誰も不思議には思わないでしょう。
 しかし、現在代表選で名前の出ている候補者の知名度はいずれ
も低く、国民はどういう人物かわからないのです。そういう人に
国を委ねられるでしょうか。それだけに代表選では、ある程度の
時間をとって大いに論戦を戦わせ、その主義や主張を国民にアッ
ピールする義務があると思うのです。それをなぜ2日で強行しよ
うとしているのでしょうか。
 この問いを民主党議員にすると、現在は東日本大震災や福島原
発事故による非常時であり、一日も政治空白が許されるときでは
ないという返事が返ってきます。しかし、現在の菅政権の存在そ
のものが政治空白であり、次の日本を委ねる首相の主義や主張を
吟味するための短い政治空白など問題ではないはずです。どう考
えても2日で決めるのは無茶苦茶な話なのです。
 仙谷氏を中心とする「脱小沢」陣営では、9月26日に出る陸
山会事件の秘書公判判決の結果を気にしているのです。もし、無
罪判決が出ると、小沢氏自身の裁判も即無罪になる可能性があっ
たからです。『週刊ポスト』はそのように報じていたのです。
 そういう話が出ていた8月上旬のことですが、突如小沢氏の初
公判の日程が「10月6日」と発表されたのです。これは、小沢
氏自身の即無罪はないという指定弁護士たちの意思表明であると
思われます。しかし、あまりにもタイミングが良すぎるのと思う
のは私だけでしょうか。
 何しろ仙谷氏といえば、法務・法曹関係に隠然たる力を持って
おり、そこに何らかのコントロールがあったと考えても不思議は
ないといえます。昨年の検察審査会の強制起訴議決についても疑
惑がたくさんあり、これについては改めて書くつもりです。
 『週刊ポスト』9/2号によると、この代表選について官房機
密費が使われているといわれます。
―――――――――――――――――――――――――――――
 今回の代表選では軍資金≠ェ飛び交っている。現在、官房機
 密費を握っているのは党内で野田氏と同盟を組む枝野幸男・官
 房長官や仙谷由人・官房副長官ら凌雲会(前原グループ)であ
 る。菅首相が退陣を明言してからほどなく、民主党の広報戦略
 にかかわる広告代理店関係者に、官邸スタッフの一人から連絡
 が入ったという。「菅総理が辞める前に、いまある機密費を使
 い切りたい。こちらに有利な世論を喚起できるようないいアイ
 デアを出して欲しい」。機密費の支出権を持つ枝野長官ら官邸
 中枢が、自分たちに都合がいい新首相をつくるため、メディア
 工作に機密費を投入する相談だったというのである。それと軌
 を一にして、大新聞には連日、「野田本命」の記事が躍り始め
 た。代表選から小沢氏を排除せよという論調には、ますますエ
 ンジンがかかった。       ──『週刊ポスト』9/2
―――――――――――――――――――――――――――――
 こうしたメディアの援護にもかかわらず、野田氏の支持は広が
らなかったのです。野田氏の打ち上げた「大連立」「増税」「マ
ニュフェスト見直し」の3つに対して、強く反発する民主党議員
が多かったからです。
 野田氏としては、前原氏は今回の代表選は出ないという前提で
前原グループの支援をあてにしていたのです。そのため、野田氏
は8月17日に前原氏と会って支援を要請したのですが、前原氏
は即答を避けています。
 翌8月18日に前原グループは会合を開いています。その席で
前原氏は支持議員から強く出馬を求められたのです。そして、も
し前原氏が出馬しないのであれば、自主投票にして欲しいという
要望が出されたのです。つまり、前原氏が出るなら凌雲会として
一本化するが、出ないのであれば野田氏を支持するかどうかは各
自の自由にするというものです。
 このとき仙谷氏は会合に同席していましたが、実に不思議な発
言をしているのです。
―――――――――――――――――――――――――――――
 ・私が野田氏を推すとの報道があるが、そんなことはない。
 ・もう「親小沢」とか「反小沢」かという議論は、乗り越えて
  いかなければなりません。
            ──2011年8月20日/産経新聞
―――――――――――――――――――――――――――――
 この2つの仙谷氏の発言は何を意味しているのでしょうか。彼
は野田氏をかつぐ気でいたのですが、支持が拡がらないので、危
機感を感じ、前原氏が出馬するのであれば、野田氏を切って前原
氏を支援する気でいるのです。どちらにしても自分は主流派でい
たいのです。
 しかし、これ以上「脱小沢」を続けるのは得策でないと判断し
代表選後には、挙党体制をつくるべきだと前原氏の会合で説いて
いるのです。もし、小沢氏が無罪となって復権すると、自分は主
流派でいられなくなるとの恐れから、このような信じられない発
言をしたのではないかと思われます。代表選はますます混迷を深
めています。        ── [日本の政治の現況/50]


≪画像および関連情報≫
 ●野田佳彦氏の小沢氏に関係する発言
  ―――――――――――――――――――――――――――
  野田氏は講演で小沢氏の党員資格停止処分の解除にも言及し
  次のように述べている。「93年の政権交代の推進者は小沢
  先生だ。依然として政局の中心にいる。希有な存在であり、
  政治力量のすごい方だ。与野党が向き合うとかきは、与党が
  しっかりまとまるのは必須条件である。 ──18日千葉市
  内での野田佳彦氏の講演/2011年8月20日/産経新聞
  ―――――――――――――――――――――――――――

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仙谷 由人官房副長官
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2011年08月23日

●「民主党の基本政策はそんなに劣悪か」(EJ第3125号)

 現在の民主党に大きな疑問を感ずるのは、民主党の基本政策で
ある次の4つの政策を次々と捨て去ろうとしていることです。
―――――――――――――――――――――――――――――
          1.   子ども手当
          2.高校授業料無償化
          3.高速道路の無料化
          4.農家戸別所得補償
―――――――――――――――――――――――――――――
 自民党はこれを「バラマキ4K」と呼び、メディアは票集めの
ための人気取り政策とボロクソにいっていますが、本当にそんな
にひどい政策なのでしょうか。
 これら4つの公約には共通する特色があるのです。それは「直
接給付」ということです。自公時代は、農業補助金のように役所
が天下り団体を通じて恣意的に業界に金を配分する「間接給付」
だったのです。こういう金の配分方式では、特定集団に既得権が
発生してしまうのです。このようなかたちで、もし既得権ができ
てしまうと、それ以後長年にわたって、そこには膨大な税金が注
ぎ込まれることになるのです。
 民主党ではこれを「直接給付」することによって、役人の権益
を縮小し、特定団体の既得権を破壊しようとしたのです。高速道
路や教育に使われる税金についても、そのメリットを等しく国民
が享受できるようにしようということで、マニュフェストが作ら
れたのです。そのどこがいけないのでしょうか。
 民主党のマニュフェストに危機感を抱いたのは、霞が関、すな
わち財務省です。そして、その財務省に洗脳されている自民党で
す。財務省にとって既得権を侵害する者はすべて敵なのです。そ
のため首謀者の小沢一郎氏の政治活動を検察を使ってとことん妨
害し、あらゆる手段を講じて、既得権益を守ろうとしたのです。
そして小沢氏が座敷牢に入れられて動けない間に自民党を使い、
特例公債法などの重要法案を人質にとって、「バラマキ4K」を
すべて葬り去ろうとしたのです。要するに、菅政権とその執行部
は自らのマニュフェストの精神をまるで理解しておらず、自己保
身で自民党との大連立を目指し、「バラマキ4K」を捨てようと
したのです。
 民主党のマニュフェスト策定ブレーンの一人である山崎養世氏
──成長戦略総合研究所理事長は、高速道路の無償化を提案した
人物ですが、その政策について次のように述べています。
―――――――――――――――――――――――――――――
 自公政権は構造的に地方を貧しくする政策をとってきた。高速
 料金ひとつを例にとっても、首都高は安く、地方は高い。だか
 ら民主党はまず高速無料化で大都市と地方の格差をなくし、地
 域が自立して豊かになる社会をつくることを国作りの目標にし
 た。地域が潤えば地域の人口も増える。国民益にもなる。とこ
 ろが、政治家、官僚、マスコミが無料化したらJRが困る、お
 れの業界が困るからとよってたかって高速無料化をつぶした。
               ──『週刊ポスト』9/2より
―――――――――――――――――――――――――――――
 こういうマニュフェストは、民主党全体で検討し、合意の下で
作られているはずです。しかし、前原誠司元国交相は、担当大臣
であるにもかかわらず、高速道路無料化は間違いだったと次のよ
うに述べているのです。
―――――――――――――――――――――――――――――
 担当大臣でありながら、実は、おかしいなと思っていました。
 道路建設の負債が約34兆円あり、それを返さないといけない
 し、維持管理費も年間、数千億円単位でかかる。全道路を無料
 化すると、他の公共事業費が捻出できないだけでなく、既存の
 インフラの維持・管理すらおぼつかなくなります。(中略)高
 速道路無料化という公約は撤回すると正直に言い、国民にお詫
 びするべきだと思います。  ──『週刊朝日』8/26より
―――――――――――――――――――――――――――――
 この前原氏の発言には唖然とせざるを得ないのです。高速道路
無料化の政策は、民主党の基本政策であるのに、前原氏はタッチ
していなかったのでしょうか。彼は民主党において、基本政策作
りに意見もいえない程度の人物なのでしょうか。
 しかも担当大臣を務めながら、高速道路無料化をおかしな政策
だとは何事でしょうか。おかしな政策なら、担当大臣のときに廃
止すればいいではありませんか。
 前原氏は、新聞の世論調査などでは「国民的人気が高い」とさ
れていますが、この程度の人物なのです。20日発行の日刊ゲン
ダイが前原氏について次のように書いています。
―――――――――――――――――――――――――――――
 前原総理なんて国民にとっては悪夢だ。八ツ場ダムしかり、J
 AL再建も尖閣問題も、最初だけは威勢がいいが、すぐ腰砕け
 になって、結局、後始末は他人任せ。何ひとつマトモニこなせ
 なかった「口先番長」である。
      ──2011年8月20日発行/日刊ゲンダイより
―――――――――――――――――――――――――――――
 前原氏は、鳩山首相時代には国土交通相、菅政権では外相を務
めていますが、どんな仕事をしたでしょうか。国土交通相時代は
八ツ場ダムとJAL再建を迷走させ、高速道路無料化は信念がな
いので適当に行い、外相としては何をやったか思い出せず、しか
も外国人献金疑惑を国会で追及され、辞任しています。
 それでも新聞は「国民的人気の高い首相候補」と書き立て、本
人もその気になっています。もし、彼が首相になったら、菅政権
よりも民主党は劣化してしまう恐れがあります。
 民主党にはまだ2年残っているのです。この2年で党勢を復活
させられるのは、ただひとり首相をやっていない小沢一郎氏しか
いないと思います。小沢氏が残っていることが民主党にとって真
の切り札なのです。     ── [日本の政治の現況/51]


≪画像および関連情報≫
 ●高速道路無料化を拒んでいるのは誰か/山崎養世氏
  ―――――――――――――――――――――――――――
  民主党の目玉政策であるはずの高速道路無料化を巡る混乱が
  続いている。前原誠司国土交通大臣と小沢一郎民主党幹事長
  の対立が報じられ、混乱の原因は小沢幹事長だ、という見方
  がマスメディアの大勢だ。事実は全く異なる。2003年に
  当時の菅直人代表が私の高速道路無料化の提案を民主党のマ
  ニフェストに採用し、私を「影の内閣」の国土交通大臣に指
  名した。それ以来私は政権交代からこれまでの経緯をつぶさ
  に見てきたし、高速道路無料化を巡る動きを体験してきた。
  今、私にはっきり分かるのは、前原国土交通大臣が、高速道
  路無料化の予算がマニフェストの6分の1にまで削減される
  のを放置してきたということだ。そのため、新しい通行料金
  は、8割のユーザーにとっては値上げになる。
         http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/3347
  ―――――――――――――――――――――――――――

前原誠司氏.jpg
前原 誠司氏
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2011年08月24日

●「『数の力』はどうして悪いのか」(EJ第3126号)

 民主党代表選の候補者たちが次々と小沢一郎元代表に対する党
員資格停止処分の凍結ないし解除を口にしています。驚くべきこ
とは、それが海江田万里氏や小沢鋭仁氏のように、小沢氏に近い
鳩山グループの候補者だけではなく、今まで脱小沢を標榜してい
た候補者の口からも出ていることです。
 もちろん代表選において、数を持つ小沢グループの支持を得る
ことが狙いのすり寄りであることは明らかです。しかし、それを
口にする候補者のすべてが、そういう支援狙いだけであるとはい
い切れないのです。
 やはり、それらの議員は心のどこかで、検察が不起訴を出した
にもかかわらず、検察審査会による2度の起訴相当議決──それ
もきわめて疑惑に満ちた決定によるものであることを知っている
からです。それを仙谷官房副長官は「起訴は起訴である」といい
岡田幹事長が強引に党員資格停止処分に踏み切ったのです。民主
党の議員は、そのうしろめたさがどこかにあるので、ここにきて
処分の凍結ないし解除をいい出したのです。自分が代表になれば
それができるからです。
 これについて、メディアはいつものことながら、批判的です。
とくに20日の産経新聞は社説に「耳疑う小沢氏処分の解除」と
いうタイトルをつけて、次のように書いています。
―――――――――――――――――――――――――――――
 民主党は今年2月、「法に基づき国会議員本人が起訴された事
 実は重い」として、小沢氏の党員資格停止処分を下したばかり
 だ。具体的には判決確定まで党の役職に就けず、公認や活動資
 金も得られないなどの内容だ。いったい、どんな理屈をつけれ
 ば代表選実施が処分解除につながるのか。党のけじめをつけた
 のではなかったか。強制起訴の裁判も進んでいないのに、党倫
 理委員会などで検討を重ねた正式決定の変更を安易に論じる状
 況そのものが、党への信頼をさらに失わせている。
     ──2011年8月20日付、産経新聞「社説」より
―――――――――――――――――――――――――――――
 大新聞は、小沢氏の問題になると正義面をして「立派な」こと
をいいますが、大きな事実誤認があるのです。「党倫理委員会な
どで検討を重ねた正式決定」というが、最初の党倫理委員会では
多くの議員が反対だったのです。
 そうすると、菅政権の執行部は菅首相の命を受けて、常任幹部
会(党倫理委員会の上部機関)のメンバーを入れ替え、親小沢グ
ループが反対しても決定できないメンバー構成にして、2011
年2月に強引に決定しているのです。
 それに小沢氏が党則に基づいて異議申し立てたにもかかわらず
長期間最終決定を放り出し、菅首相の退陣が見えてきた7月末に
なって慌てて正式決定をしたのです。なぜ、ここにきて正式決定
をしたのでしょうか。それは小沢氏が代表選に出てくるのを封じ
たのです。これでは政局そのものです。
 マスコミはすべてを知っていながら、依然として小沢叩きをや
めないのです。この調子だと、仮に小沢氏の秘書が無罪になって
も、小沢氏自身の検察審の最終判決が無罪と出ても、あるいはそ
の以後も、メディアは小沢氏を叩き続けると思われます。脱小沢
で大失敗し、日本を危機に陥れた菅政権の現状を見ても、こうい
う偏向報道をなぜまだやめないのでしょうか。
 もうひとつ、マスコミは「数の力」を批判します。しかし、政
治における「数」がなぜ悪いのでしょうか。
 小沢グループが「数」を持っているのは2009年の衆院選で
勝利したからです。小沢氏の選挙指揮が功を奏し、大勢の民主党
新人議員が当選したのです。小沢グループの大半はそうした新人
議員で成り立っているのです。
 しかし、それらの新人議員は、小沢主義というか、小沢イズム
というものがわかっていないのです。そのため、小沢グループは
当選した新人議員に教育しようとします。小沢一郎という人は、
しっかりとした政治信条を持っており、民主党において最多の政
治経験を持つ小沢氏の話を聞くことは、とくに新人議員にとって
は役に立つことは多いはずです。
 しかし、このことと小沢グループに参加するかどうかは各議員
の自由です。鳩山内閣において小沢氏が幹事長になったときでさ
え、当選した新人が他のグループにも流れているのです。すべて
が小沢グループが囲い込んでいるわけではないのです。
 しかし、それ以後は、小沢氏の秘書の逮捕・起訴、幹事長辞任
代表選の敗北、検察審の強制起訴などなど、そしてそれを巡る嵐
のようなマスメディアによる小沢叩き──小沢氏にとってマイナ
スなことがいろいろあって、当然小沢グループから離れていった
新人議員は多いのです。小沢氏の主張は「来る者は拒まず、去る
者は追わず」に徹しています。それでいて、小沢グループには現
在も120名以上の議員がいるのです。新聞報道によると、前原
誠司氏は「国民的人気がある」そうですが、彼のグループは50
人程度であり、最近増加したという話は聞かないのです。
 このようなさまざまなマイナスの出来事にもかかわらず、小沢
氏のグループが120名という数を有しているというのは、小沢
氏の信条に共鳴する人が多いということであり、これこそ人気の
バロメーターといってもよいと思います。
 このように政治において「数の力」は、物事を決める重要な要
素であり、批判の対象になるものではないのです。どうも小沢氏
には、田中角栄の次の言葉の負の影響が多いようです。
―――――――――――――――――――――――――――――
    政治は数であり、数は力であり、力は金である
                   ──田中角栄
―――――――――――――――――――――――――――――
 本号をお送りする日には、代表選に出馬する候補は絞られてい
ると思います。いずれにしても小沢グループが支持する候補が総
理になる可能性があります。 ── [日本の政治の現況/52]


≪画像および関連情報≫
 ●自民党幹事長時代の「呼びつけ面接事件」の真相
  ―――――――――――――――――――――――――――
  代表選候補者の小沢詣が行われると、マスコミは自民党幹事
  長時代の小沢氏のやった「呼びつけ面接事件」を紹介して、
  またしても小沢氏を貶めている。しかし真相はこうである。
  「小沢の呼びつけ面接事件が起きた。当日は折悪しく日曜日
  に当たった。経世会事務局がある建物には職員が出勤してお
  らず、ホテルは秋シーズンで予約が取れなかった。小沢は候
  補たちの事務所を訪ねようとしたが、渡辺が事務所の不都合
  を理由に、小沢のいるところに出向くと申し出たことから、
  小沢の事務所で会談することになつた。それを知った宮沢と
  三塚も同意し、時間差をつくつて会った」。──渡辺乾介著
           『小沢一郎/嫌われる伝説』/小学館刊
  ―――――――――――――――――――――――――――

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かぎを握る小沢 一郎氏
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2011年08月25日

●「忠臣は最後に出てくる/謎の発言」(EJ第3127号)

 民主党代表選の候補者は出揃ったのでしょうか。実はこの原稿
は22日の夜に書いています。EJは日刊なので、仕事が入って
いるときは数日前に書いておく必要があります。22日夜の時点
で代表選に出馬を表明するか、意欲を示している候補者を上げる
と次の7人になります。なお、EJの発信登録をする23日に、
前原氏は代表選出馬を表明しています。
―――――――――――――――――――――――――――――
    野田 佳彦   小沢 鋭仁   鹿野 道彦
    馬淵 澄夫   海江田万里   前原 誠司
    樽床 伸二           ──敬称略
―――――――――――――――――――――――――――――
 代表選の告示日を27日とすると、少なくとも26日まではこ
れ以外の候補者が出る可能性があります。また、上記の候補者の
中で20人の推薦人が集まらずに出馬を断念する人も当然出てく
ると思われます。
 議員だけによる短期決戦ということになると、多数を有する小
沢グループの推す候補が有利になります。ところで小沢グループ
はどのくらいの陣容なのでしょうか。
 夕刊フジの人気コラム『鈴木棟一の風雲永田町』の鈴木棟一氏
は、22日のコラムで次のように書いています。
―――――――――――――――――――――――――――――
 衆院だけで小沢グループは、100人を下らない。参院民主は
 参院民主は106人だが、そのうち3分の2ぐらいが小沢系。
 議員会長の輿石を中心に執行部全体が小沢寄り。党内で180
 人とみる。     ──2011年8月22日付、夕刊フジ
―――――――――――――――――――――――――――――
 180人ということになると、もし小沢グループが一致団結し
て特定候補を支援すれば、その候補者がほぼ代表選を制すると考
えてよいと思います。
 それでは、小沢氏は現在の時点で誰を支援すると考えているの
でしょうか。22日の時点ではまったくわかっていないのです。
しかし、今回小沢一郎氏は、鳩山兄弟と緊密な連携を取って動こ
うとしています。ネット上にはそれに関連するいくつかの情報が
出ているので、ご紹介することにします。
 代表選の候補者がしきりと小沢詣でをしていますが、小沢氏は
ある候補者に対して、次のような謎の発言をしているのです。私
はこれをニュースで聞いたのです。
―――――――――――――――――――――――――――――
          忠臣は最後に出てくる
―――――――――――――――――――――――――――――
 これはどういう意味でしょうか。
 実は8月17日(水)に第62回小沢一郎政経フォーラムがA
NAインターコンチネンタルホテル東京で行われたのです。その
ときの講師は、副島隆彦氏であったのですが、小沢氏が出てきて
次のように話したそうです。ちなみに、この政経フォーラムの入
場料は2万円とかなり高いのですが、いつも700人ほど集まる
といわれています。
―――――――――――――――――――――――――――――
 歴史の中でもいろいろ困難な時期はいくらでもあるのですけど
 も、そういうときに中々国論はまとまらず、あるいはリーダー
 が不在、というようなことが重なることがままある。しかしな
 がら、一方において「国乱れて忠臣あり」という昔からの言葉
 もございます。私がそういう意味において、なんとか国民のみ
 なさんが2年前に託してくれた、その気持ち、そしてその気持
 ちに応えようとしていた我々の初心に返って原点に返って、そ
 してみんなで一生懸命期待に応えられるよう努力して参りたい
 と思っております。 ──政経フォーラムでの小沢氏の話より
―――――――――――――――――――――――――――――
 「国乱れて忠臣あり」という言葉は、中国前漢の武帝の時代に
司馬遷によって編纂された中国の歴史書である『史記』の中に出
てくる言葉です。
 これは、「国がよく治まっているときは、家来の誰が忠臣で、
誰が不忠の臣であるかはわからないが、国が乱れてくると、忠臣
がはっきりしてくる」という意味です。
 確かに現在日本は国難に遭遇し、危機的状況にあります。もと
もとデフレで経済が弱いときに東日本大震災、福島原発事故、円
高などが重なり、それに対して菅内閣が稚拙な対応を繰り返し、
事態を悪化、深刻化させています。
 このことを通じて、反小沢で固めた菅首相と官邸と執行部では
事態の乗り切りは困難という事態に立って、忠臣が見えてきたと
いっているのです。果たしてその忠臣とは誰でしょうか。小沢氏
は、次の代表のリーダー像について次のように語っています。
―――――――――――――――――――――――――――――
 次のリーダーは、それなりの知識と経験があり、命に代えてで
 もという自らの自己犠牲的な精神をもつ人でなければいけない
 と思います。そういう中で、いろいろと自分自身が必ずしも皆
 さんの期待にこたえ切れない現状であることを大変申し訳なく
 思っております。(少し沈黙)私も・・・・何といいますか、
 出来る限り積極的にその仕事に携わり努力していきたいと思っ
 ております。    ──政経フォーラムでの小沢氏の話より
   http://31634308.at.webry.info/201108/article_18.html
―――――――――――――――――――――――――――――
 ネット上ではこの部分の解釈を巡っていろいろな意見が出てお
ります。「命に代えてでもという自らの自己犠牲的な精神をもつ
人」──そんな人が民主党にいるのでしょうか。もし、いるとす
れば、それは小沢一郎氏しかいないのではないか。そういう論調
がネットに流れています。しかし、それをどのようにして実現す
るのでしょうか。小沢氏には党員資格停止処分がかかっているの
です。           ── [日本の政治の現況/53]


≪画像および関連情報≫
 ●小沢氏は「自分でやるつもりである」?!
  ―――――――――――――――――――――――――――
  小沢氏がこの史記の言葉を使う限りにおいて、「不忠臣」は
  菅執行部で、自分こそは「忠臣」であると暗に述べている。
  自分がやれば初心に返り、2年前の夏の原点に返ると述べて
  いる。これをもう少し強調すれば、このスピーチの核心であ
  る『何といいますか、出来る限り積極的にその仕事に携わり
  努力していきたいとそう思っています。』に行きつく。つま
  り、小沢氏自身が、自分でやると言っているのだ。
             ──「かっちの言い分」ブログより
   http://31634308.at.webry.info/201108/article_21.html
  ―――――――――――――――――――――――――――

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政権フォーラムでの小沢 一郎氏
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2011年08月26日

●「ウルトラCに実現の可能性はあるか」(EJ第3128号)

 遂に代表選に前原誠司氏が出馬宣言をしました。本人はいろい
ろ立派なことをいっていますが、どのように考えても「野田氏で
は勝てない」とみての出馬です。
 「党内融和」とか「全員野球」とかいっていますが、もともと
菅首相側の人間が何をいっても信用できないと思います。反小沢
グループの危機感が前原氏を出馬させたものと考えます。
 もうひとつ前原氏が出馬したのは、明らかに世代交代を意識し
ているのです。「鳩山、菅、小沢+輿石」の「トロイカ+1」か
らの脱却を口にしていますし、実際にそれを狙っています。「脱
ベテラン」であり、結局は「脱小沢」です。
 複数候補で戦う第1回投票では全員が過半数が取れず、決着が
つかないはずです。その場合、2回目の投票では「前原氏対小沢
氏が支持する候補」の一騎打ちになると思います。前原氏はそれ
には勝てると自信を持っているのです。確かに小沢グループが一
致した行動がとれないと敗れることが考えられます。しかし、今
回はそのような手抜かりはないと考えます。
 ところで小沢氏は誰を推すのでしょうか。小沢氏は後継首相に
は、次の条件を上げています。
―――――――――――――――――――――――――――――
 後継総理には、マニフェストの理念を守ることと、知識と経
 験があり、命懸けでやる人でなければならない ──小沢氏
―――――――――――――――――――――――――――――
 この条件に該当する人は、現在の民主党には小沢氏以外いない
と思います。しかし、小沢氏は自分のことを意識してそのような
ことをいうはずはないし、意中の人がいる──小沢氏はどう考え
ているのでしょうか。
 この原稿は23日の夜に書いています。代表選の告示を27日
とすると、それまでにどのような人が出てくるかわからないので
予測するしかありません。事実と異なるかしれませんが、あえて
書くことにします。25日の夜までに予測と異なる事態が起きて
も、内容の訂正をしないで26日のEJを配信します。「小沢氏
はそんなことも考えていたのか」ということを知っていただくの
も無駄ではないと思うからです。
 小沢氏の構想はこうです。小沢氏の推す人は代表選に勝って民
主党代表になっても総理にはならず、国会の首班指名で「知識と
経験のある人」を指名する──こういう戦略を立てていることは
確かです。いわゆる「総・代分離」です。ウルトラCですが、党
員資格停止の小沢氏としては、これしか手がないのです。といっ
ても政局を制し、自分が総理になろうと考えているのではないの
です。このままでは「日本が壊れる」と思っているからです。
 日本は現在未曽有の国難に遭遇しています。ただでさえ大変な
のに、菅政権のちくはぐな対応で、危機が一段と深刻化していま
す。そういうときは、豊富な知識と経験を持つベテランの起用が
どうしても必要なのです。
 それでは、総理にならない「代表」の候補者は誰でしょうか。
その候補者は既にそのことを告げられており、その準備をしてい
ると思います。ということは、小沢氏や鳩山氏に近い人物です。
2人いますが、その1人は海江田万里氏です。
 『サンデー毎日』サイドの情報ですが、海江田氏は代表選の出
馬のさい、輿石氏と会談しています。そのときに海江田氏は「私
は代表選には出馬するが、首相にはならない」という約束を交わ
しているというのです。
 それでは首相は誰なのでしょうか。それはそのあと、輿石氏が
会談を持った3人の中にいると考えられます。3人とは小沢一郎
氏と石井一氏と亀井静香氏です。ある民主党の幹部は、首相候補
者は亀井氏であると明かし、この「総・代分離」について次のよ
うに述べているのです。
―――――――――――――――――――――――――――――
 首相指名選挙では「海江田代表」ではなく、連立与党の統一候
 補として亀井氏に立候補してもらう。党議拘束がかかる首相指
 名選挙で民主党の大半の議員が「亀井静香」と書けば、「亀井
 首相」が実現する。その見返りとして亀井氏は、衆参のねじれ
 解消のため参院自民党からの一本釣り″を担う──その話し
 合いが行われたのではないか。──『サンデー毎日』9/4号
―――――――――――――――――――――――――――――
 もう1人は、松野頼久元官房副長官です。松野氏の父は、政界
の仕掛け人といわれた松野頼三氏です。父が元熊本県知事で日本
新党を結成した細川護熙氏の政治的後見人であったことが縁で、
1993年、日本新党の職員となります。日本新党解党後は、フ
ロム・ファイブを結成した細川氏の議員秘書になっています。第
42回衆院選(2000年)で民主党公認で初当選し、以後連続
当選し、2009年8月、選挙後成立した鳩山由紀夫内閣におい
て内閣官房副長官に就任。鳩山側近3人衆の1人です。
 松野氏は、一貫して脱小沢に反対し、民主党の党内融和を主張
し、面倒見がよいので、中堅・若手議員の信望が厚い存在です。
小沢氏は党務に使える優秀な人材と見ています。
 この「総・代分離」なら、代表になるや小沢氏の党員資格停止
処分を解いて小沢氏を幹事長に復帰させることも可能です。いや
それどころか、小沢氏を国会の首班指名で総理に就任させること
もできるのです。海江田氏か松野氏が代表選に出馬し、「自分は
代表になり、小沢氏を総理にする」と「総・代分離」を打ち出し
代表選に勝利すればよいのです。
 実際に「総・代分離」という手を使うのか、それとも別の戦術
を使うのかは23日の夜の時点ではまったく不明です。いろいろ
な選択肢があるからです。
 しかし、小沢、鳩山兄弟は新党結成を覚悟してこの代表選に臨
んでいます。もし、民主党の議員が実体のない「前原人気」に心
を奪われて、前原氏を勝たせるようなことがあると、そのときは
民主党は終りです。     ── [日本の政治の現況/54]


≪画像および関連情報≫
 ●果たして「総・代分離」はあり得るのか
  ―――――――――――――――――――――――――――
  この「総・代分離」を成功させるには大きな壁があると『サ
  ンデー毎日』は書いている。脱小沢を辞め、党内融和に努め
  るとともにマニュフェストの理念を守ることを約束すれば、
  小沢氏は前原氏や野田氏を推すこともありうる。
  「海江田氏が出馬表明の時点で明確にしなければ、同僚議員
  を騙すことになる。またいくら連立パートナーとはいえ、他
  党の代表の名前を書くことには相当な心理的抵抗がある」。
               ──『サンデー毎日』9/4号
  ―――――――――――――――――――――――――――

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海江田/松野両氏
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2011年08月29日

●「民主党の良心が問われる代表選」(EJ第3129号)

 本日、民主党の代表選が行われ、新代表が決まります。候補者
は、次の5人です。
―――――――――――――――――――――――――――――
    前原 誠司前外 相   野田 佳彦 財務相
    馬淵 澄夫前国交相   鹿野 道彦 農 相
    海江田万里 経産相
―――――――――――――――――――――――――――――
 民主党の所属国会議員は、衆院301人、参院106人の合計
407人ですが、党員資格停止処分中の議員を除くと、398人
で過半数は200人になります。
 しかし、1回目の投票では、誰も過半数は取れないと考えられ
るので、上位2人による決選投票になるはずです。このさい、1
回目の投票で、第1位の候補が有利になると考えられます。支援
グループによって予測すると、常識的には前原氏と海江田氏です
が、果たしてどうなるかは現時点では見えない状況です。
 前原陣営の支持がどこまで拡がるかはわかりませんが、果たし
て海江田氏で小沢グループや鳩山グループがどこまで一本化でき
るかが読めないのです。
 小沢一郎氏にとって、海江田万里氏の支持はおそらく苦渋の決
断であったと思われます。なぜなら、海江田氏では明らかにイン
パクトが弱いからです。とくに国会で涙を見せたこともあり、こ
れは明らかに海江田氏にとってマイナスになっています。
 しかし、政治家として知識面、とくに経済面においては、経済
評論家としてマスコミで活躍していた時期もあり、他の候補者に
比べて強いといえます。また、野末陳平氏に師事したことが縁で
中国に強く、人脈も有しています。よく知られているように、漢
詩に造詣が深く、2006年には私撰の詩集まで出しています。
インパクトにはいささか欠けるが、常識人であり、誠実な人柄で
も知られています。
 小沢氏としては、民主党の党勢を回復するには最低でも2年は
必要であり、そのためには代表選が終了する直後から建て直しに
取り組む必要があると考えています。
 そのため、もし、意中の候補が代表に選ばれず、脱小沢側の首
相が誕生する事態になれば、情勢を見て鳩山兄弟とともに新党結
成に動く可能性があります。もちろん、民主党が近く解散に追い
込まれるという判断をしているからです。
 このことを裏付ける重要な情報があるのです。7月中旬に民主
党のある大物議員が大手銀行に億単位の融資を打診し、その総額
は10億円規模に達するというのです。7月中旬といえば、菅首
相が退陣を匂わせながら、「脱原発」を掲げた解散総選挙の可能
性を探っていた時期に当ります。
 この大物議員は、おそらく小沢一郎氏と考えられ、総選挙に備
えての資金確保ではないかと思われるのです。かねてから、総選
挙になれば鳩山兄弟とともに民主党を離党し、新党結成を計画し
ていたフシがあるからです。これについて、政治評論家の小林吉
弥氏は次のように述べています。
―――――――――――――――――――――――――――――
 融資打診が事実なら、時期的に見て総選挙資金の可能性が高い
 のではないか。当時、菅首相が「脱原発」解散に打って出る可
 能性があった。大物議員としては万一に備えて、若い議員を助
 けるためにも準備したのではないか。    ──小林吉弥氏
           ──「ZaKZaK/政治・社会」より
―――――――――――――――――――――――――――――
 27日の『田勢康弘の週刊ニュース新書』(テレビ東京)には
田原総一朗氏と平野貞夫氏の2人が出演しましたが、代表選以後
の今後の政局について、田勢、田原、平野の3氏ともに「民主党
と自民党その他による政界再編成」と答えています。
 このように、今回の代表選は代表に誰が選ばれるかによって、
民主党分裂の危機をはらんでいるのです。民主党の、とくに前回
の代表選で菅氏に投票した議員は、今度こそ日本のことをよく考
えて投票して欲しいと思います。
 27日、今回民主党の代表選に出馬する5人の候補者の記者会
見が行われましたが、記者団の一番前に陣取った朝日新聞の星浩
論説委員、読売の橋本五郎論説委員らの海江田氏に対する質問は
きわめて意地の悪いものであり、公平さに欠けるものであったと
思います。不偏不党のはずの大新聞の論説委員がこのようなこと
では大新聞の価値が下落する一方です。
 小沢グループが支援したからといって、海江田氏がまるで小沢
氏であるかのような質問をするのは常軌を逸しています。小沢氏
の処遇などを代表選のテーマにすべきではないでしょう。27日
の『田勢康弘の週刊ニュース新書』で平野貞夫氏がいっていまし
たが、小沢氏は裁判できちんと無罪が出るまで動くつもりはない
と明言しているそうです。
 小沢氏としては、今回の代表選で誰が選ばれても自らが幹事長
に就任したりはしないといっているのです。名実ともに裁判で無
罪を勝ち取ってから動いても遅くはないと考えているのです。そ
れにしても、あれほど日本中が大騒ぎをして、もし、小沢氏が無
罪になったら、メディアはどのようにして小沢氏に申し開きをす
るのでしょうか。名誉棄損に問われても仕方がないでしょう。
 27日午後7時の情勢では、前原氏の支持が広がっておらず、
海江田、野田、前原の順に支持を固めているようです。野田氏の
発言は、小沢氏寄りにかなり修正されており、もし「前原対海江
田」の決戦投票では野田氏の票の一部が海江田氏に流れる可能性
があります。もしかとすると、第1回投票では野田氏が2位につ
ける可能性すらあります。野田氏のバックに細川護煕氏が支援に
動いており、それが影響しています。前回の代表選でも細川氏は
小沢氏の支援に動いたのです。伏兵は鹿野道彦氏です。鹿野氏の
発言はしっかりしており、もしかすると、海江田氏の強敵になる
可能性があります。     ── [日本の政治の現況/55]


≪画像および関連情報≫
 ●民主党代表選/記者会見/2011.8.27
  ―――――――――――――――――――――――――――
  菅首相(民主党代表)の後継を決める民主党代表選の候補者
  5人は27日午後、日本記者クラブ主催の共同記者会見に出
  席した。5人とも東日本大震災と福島第一原発事故への対応
  を優先課題に挙げた。ねじれ国会への対応について、前原誠
  司前外相は「大連立を前提にすべき」と明言したが、馬淵澄
  夫前国土交通相は「大連立ありきではない」、海江田万里経
  済産業相は「国会が(立法府としての)機能を引き続き果た
  していくことが必要」と慎重な姿勢を示した。野田佳彦財務
  相は「与野党の信頼関係を築くべきだ」、鹿野道彦農相は、
  「野党に対して責任をもって話し合いが出来る体制作りが大
  切だ」と、それぞれ述べるにとどめた。東日本大震災の復興
  における財源について、前原氏は民間資金の活用や政府資産
  の洗い直し、復興債を挙げた。野田氏は、行革を進めながら
  足りない部分について「歳入増加の環境整備を進めたい」と
  した。鹿野氏は復興債を日銀が引き受けることを検討課題に
  挙げた。馬淵氏と海江田氏は「経済の成長を前提にすべき」
  と強調した。   ──2011年8月27日付、読売新聞
  ―――――――――――――――――――――――――――

民主党代表選/記者会見.jpg
民主党代表選/記者会見
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2011年08月30日

●「海江田氏の敗因を分析する」(EJ第3130号)

 遂に民主党代表選は決着。野田佳彦氏が新代表に選出されたの
です。野田首相の誕生です。海江田万里氏の完敗です。
―――――――――――――――――――――――――――――
      ≪第1回投票≫
       海江田万里 ・・・・・ 143
       野 田佳彦 ・・・・・ 102
       前原 誠司 ・・・・・  74
       鹿野 道彦 ・・・・・  52
       馬淵 澄夫 ・・・・・  24
      ≪決選 投票≫
       野田 佳彦 ・・・・・ 215
       海江田万里 ・・・・・ 177
―――――――――――――――――――――――――――――
 党内最大勢力の小沢グループが支援した海江田万里氏は、なぜ
勝てなかったのでしょうか。その敗因として、次の3つが考えら
れると思います。
―――――――――――――――――――――――――――――
        1.海江田万里氏の力不足
        2.小沢傀儡政権への警戒
        3.解散回避への議員心理
―――――――――――――――――――――――――――――
 敗因の第1は「海江田万里氏の力不足」です。
 多くの議員は、国会での海江田氏の経産相としての仕事ぶりを
見ており、リーダーとしてふさわしくないと考えたのでしょう。
私もそう思います。国会で号泣したことはともかくとして、何よ
りも問題なのは、海江田氏が経産省の役人に簡単に取り込まれて
しまったことです。今回の原発事故に対する経産省の責任はきわ
めて重大であるのに、幹部3人の更迭──実は割増金付きの特別
待遇の辞任と順送り人事を認めてしまったことです。
 あのとき、菅首相は経産省に最大のダメージを与える人事を検
討していたのです。それは、あの古賀茂明氏を事務次官に抜擢す
る人事です。
 これは菅首相にしてはなかなか良いアイデアです。実現したら
経産省は震撼し、組織が劇的に変わったかもしれないのです。と
ころが、菅首相はあくまで国のためではなく、自分の人気取りに
利用しようとするので、それが問題なのです。
 しかし、その情報を掴んだ松永和夫事務次官(当時)は、人の
好い海江田経産相を焚きつけて、素早くこの人事案を潰し、自ら
幹部3人が責任を取って辞任するかたちを急いだのです。惜しむ
らくは、もし、「古賀茂明事務次官」を海江田氏が推進していた
ら、たとえそれが実現しなかったとしても、海江田人気は相当沸
騰したと思われます。菅首相の方が一枚上手です。こんなことで
は、代表選に勝てるはずがないのです。
 敗因の第2は「小沢傀儡政権への警戒」です。
 民主党の議員、とくに一年生議員は、小沢一郎という政治家の
ことをあまりにも知らなさ過ぎです。それはたとえ小沢グループ
に属する議員も同様でしょう。ほとんど小沢氏について勉強して
いないし、小沢氏の著書である『日本改造計画』(講談社刊)も
読んでいない人も多いと思われます。
 今回の代表選でもメディアは、小沢グループが支持した海江田
氏をわざと小沢氏の名前を出すことによって貶めています。どの
メディアも同様ですが、とくに産経新聞は28日の「主張」(社
説)において、次の見出しをつけて、3人の秘書裁判の進行をあ
えて無視して論じています。明らかな海江田潰しです。
―――――――――――――――――――――――――――――
    「民主党代表選告示」
    政治とカネはどうした/「小沢問題」と向き合え
        ──2011年8月28日付、産経新聞
―――――――――――――――――――――――――――――
 民主党の議員──反小沢議員は当然として、中間派や小沢氏に
近い議員も含めて、小沢氏を本当にそういう政治家だと思ってい
るようです。今回の投票結果を見ると、それがよくわかります。
 数合わせ、数の力、二重権力など、これらはすべてメディアの
造語ですが、そういうメディアの論評が明確な意図を持った小沢
潰しであることを理解せず、そのまま受け入れる幼稚な議員が民
主党には多いのです。
 民主党は、このままでは次の総選挙で壊滅的敗北を喫するはず
です。その原因は、実は「マニュフェストの見直し」なのです。
メディアの世論調査では国民は「マニュフェストの見直し」に賛
成する人が多いようですが、こういうメディアの調査は信用でき
ません。小沢氏としては、自分の意見が素直に聞き入れられる体
制を求めたに過ぎないのです。小沢傀儡政権など、メディアの意
図的な造語のひとつであり、実態のないものです。
 敗因の第3は「解散回避への議員心理」です。
 第1回投票の結果から見て、野田候補の主張する大連立や増税
に反対する議員が多いので、中間派や鹿野グループ、馬淵グルー
プからある程度の数が海江田候補に入ると思ったのですが、ほと
んどそうならなかったのは意外です。
 政治評論家の分析によると、野田氏は安定しており、大連立も
主張しているので、もしそれがうまく行けば、解散・総選挙は当
面なくなるのではないかと考えた議員が多かったのではないかと
思いますが、果たしてそうでしょうか。
 野田氏になると、マニュフェストを全面見直し、自民党との大
連立を仕掛ける──これは国民に対する裏切りであり、それがど
のような結果をもたらすかについて、決戦投票で野田氏に入れた
議員は責任を持つべきです。これは民主党にとって自殺行為であ
ると思います。野田氏が勝利宣言として口にした「ノーサイドに
しましょう、もう」は果たして本当でしょうか。その実行をしば
らく見届けたいと思います。─── [日本の政治の現況/56]


≪画像および関連情報≫
 ●非小沢勢力結集に成功/東京新聞
  ―――――――――――――――――――――――――――
  野田佳彦財務相が民主党代表選で勝利したのは、海江田万里
  経済産業相を支援して復権を狙う小沢一郎元代表に批判的な
  非小沢勢力の結集に成功した結果だ。小沢氏と敵対してきた
  菅政権主流派は、野田氏と前原誠司前外相が出馬表明したこ
  とで、互いに票を食い合う状態が続いていた。その結果、海
  江田氏に大幅リードを許し、海江田氏が一回目の投票で過半
  数を制する可能性さえ指摘された。これに危機感を持った野
  田、前原、菅首相グループは投開票日の前日、非小沢系勢力
  を結集させることで一致。決選投票に持ち込んで、下位連合
  で海江田氏を破る戦略を描いた。「二位はどちらでも構わな
  い。海江田氏に勝てればいい」。前原陣営幹部はこう言い切
  った。ただ非小沢系勢力が結集しても、海江田陣営と数の上
  では互角。勝敗を決したのは、海江田氏が民主、自民、公明
  の三党合意の見直しを明言したことで、国会運営の行き詰ま
  りを心配した層が海江田氏から逃げ出した。代表選を争って
  きた鹿野道彦農相も決選投票で海江田氏に投票しないよう陣
  営に呼び掛け、これも決め手の一つとなった。海江田氏が環
  太平洋連携協定(TPP)に慎重姿勢を見せるなど、小沢氏
  の意向をくんで、次々と政策を転換する姿もマイナスに働い
  た。             ──「東京新聞/ウェブ」
  ―――――――――――――――――――――――――――

民主党新代表の野田佳彦氏.jpg
民主党新代表の野田 佳彦氏
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2011年08月31日

●「民主党が躓いた2つの原因」(EJ第3131号)

 EJで再び日本政治のテーマを取り上げたのは、この国の政治
には異様なものが存在するからです。民主党の代表選に決着がつ
いたので、このテーマをさらに掘り下げて行くことにします。
 理想を掲げて悲願の政権交代を実現した民主党は、なぜ現在の
ようなテイタラクになってしまったのでしょうか。それは見るも
無残な状態で、修復が困難なほどです。
 経産省官僚で今や一番の有名人である古賀茂明氏は、民主党が
躓いた基本的な原因を2つ上げています。
―――――――――――――――――――――――――――――
    1.民主党が何をやりたいのか、明確でないこと
    2.政治主導のための仕組みを確立できていない
―――――――――――――――――――――――――――――
 民主党は何をやりたいのでしょうか。民主党がそれを掲げて選
挙を戦ったマニュフェストを熟読しても、民主党が目指している
国家観が伝わってこない──このように古賀氏はいっています。
 しかし、民主党を政権交代に導いた小沢一郎元代表は、その著
書である『日本改造計画』(講談社)において、既に1993年
にそれを明確にしています。それだけではないのです。小沢氏は
新生党、新進党、自由党において、野党でありながら、与党と連
立を組むなりして、それをひとつずつ実現してきていることは、
ここまで述べてきている通りです。
 しかし、民主党の議員たち──とくに反小沢陣営の議員たちは
果たしてこの本を読んでいるのでしょうか。テレビなどで、そう
した議員たちの発言を聞くと、とてもそう思えない人もたくさん
いるのです。小沢氏に対して「政治とカネ」のレッテルを貼るだ
けで、小沢一郎という政治家についてろくに研究もせず、理解し
ようとしていないのです。それではいつまで経っても「脱小沢」
はなくならないのです。
 民主党が評判を落としたことのもうひとつは、政治主導に失敗
したことです。少し厳しくいうと、官僚の前から尻尾を巻いて逃
げ出した観があります。その理由は2つあります。
 第1は、最初の鳩山内閣が「弱い内閣」を作ってしまったこと
にあります。それは鳩山首相が小沢氏を「条件付き」の幹事長に
しか起用しなかったことにあります。そのため、鳩山内閣は小沢
氏の剛腕をフルに使えなかったのです。政治の制度改革には与党
として相当の覚悟で取り組む必要があります。そのため、政治改
革を政治目標としてこれまでやってきている小沢元代表を使うべ
きだったのにそれをしなかったのです。
 古賀茂明氏は民主党の「政治主導」について次のように述べて
います。
―――――――――――――――――――――――――――――
 官僚が国民の代表である政治家の考えを半ば無視して、自分た
 ちの利益につながる政策を立案している。これを改革するキー
 ワードが「政治主導」なのは間違いないが、言葉だけが独り歩
 きしていて、そのための仕組みが整えられておらず、掛け声倒
 れになった。そうなってしまったのは、政治の制度改革が遅れ
 ていたからだ。国家公務員制度改革推進本部で公務員制度改革
 に取り組んでいたときに、行政と政治の制度改革はセットで行
 うべきだと強く感じた。公務員制度が改革され、官僚が国民の
 ために働く仕組みになっても、政治がそれを使いこなし、政策
 に活かせる体制になっていなければ、行政は正常に機能しない
 からだ。  ──古賀茂明著/『日本中枢の崩壊』/講談社刊
―――――――――――――――――――――――――――――
 第2は、民主党議員の勉強不足です。「政治主導」とは、政治
家が「主」になって、官僚を「従」として使いこなし、物事を決
めていくことですが、知識や知恵が不足しているために、政治家
が「主」になれなかったのです。ところで、政権交代の前に民主
党は次のようなことをいっていたのを覚えているでしょうか。
―――――――――――――――――――――――――――――
 霞が関の幹部職員(事務次官など)には、全員辞表を書いて
 もらう。それが政治主導というものである。
―――――――――――――――――――――――――――――
 これについて古賀茂明氏は、うまくやると、これはきわめて効
果的であったと述べているのです。どうすればよかったかのとい
うと、内閣発足と同時に本当に幹部職員から辞表を書いてもらう
のです。もちろん、公務員には身分保障があるので、有無をいわ
さず、クビにはできないのは当然です。
 鳩山内閣では辞表すら集められませんでしたが、辞表は集める
べきであり、その辞表は大臣預かりにするのです。これだけでも
官僚は相当プレッシャーを感ずるものです。そのうえで、例えば
「独法の天下りポストをすべて廃止せよ」とか「無駄なコストを
2割削減せよ」という指示を一定の期限を切って出し、それがで
きれば留任させ、できなければ辞表を受理するか、他のポストに
異動させるのです。
 米国では、政権が変われば政権を支えたスタッフは全員代るの
です。しかし、そういう習慣のない日本でこれをやるには、閣僚
としての相当の度胸と決断力が必要です。民主党は結局は何もし
ないまま、自民党のときの幹部官僚を全員そのまま受け入れてし
まったのです。これで政治主導ができるはずがないのです。
 己の力を過信し、政治経験豊富なベテラン政治家を遠ざけ、官
僚を敵視して相手にせず、結局何もできないで終る──これが現
在の民主党の現状であるといえます。
 民主党が最初にぶつかったのは、既に概算要求として財務省に
提出されていた予算の扱いです。これは自民党政権下において提
出されたものであり、民主党としてはそれをそのまま追認するわ
けにはいかなかったのです。一から組み直す時間がない。予算編
成の経験もない。結局、妥協の産物として、財務省に頼らざるを
得なかったのです。これによって財務省にすっかり取り込まれた
のです。        ──── [日本の政治の現況/57]


≪画像および関連情報≫
  ●予算の概算要求について
  ―――――――――――――――――――――――――――
  年度の予算編成にあたっては、前年度の夏から秋頃までに各
  省庁が必要な予算額を財務省に示す。これが「概算要求」で
  ある。これを財務省の主計局がとりまとめて「財務原案」と
  呼ばれる予算の原案を作成するという手順になる。概算要求
  基準は、この概算要求の上限をあらかじめ財務省が設定して
  各省庁に通知するものであり、英語で天井・限度を意味する
  「シーリング」と称される。この数字は経済財政諮問会議で
  議論された上で閣議了解されることで決定される。
                    ──ウィキペディア
  ―――――――――――――――――――――――――――

経産省・古賀茂明氏.jpg
経産省・古賀 茂明氏
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2011年09月01日

●「なぜ、政治家は財務省を恐れるか」(EJ第3132号)

 官僚組織の中心には財務省が位置しています。財務省は「省庁
の中の省庁」と呼ばれる役所で、絶大な権限を持っています。し
かし、一般的な印象では、財務省はカネを握っている役所で、一
般企業でいうと経理部に当る役所と考える人が多いと思います。
経理部というイメージであれば、権限の大きさは感ずるものの、
「怖い」という感じはあまりしないものです。
 しかし、財務省はいろいろな意味において、非常に怖い役所な
のです。とくに政治家、それも大臣クラスのエライ政治家にとっ
ては、財務省は怖い役所なのです。それに財務省について書かれ
ている本は限られており、その実態は掴めないでいます。
 しかし、怖い役所といえば、警察庁や検察庁の方が怖いのでは
ないかという人がいるかもしれません。捜査権もあるし、逮捕す
る権限も持っています。これに比べれば、財務省は表面上はそう
怖い役所には見えないのです。実はここがミソなのです。
 本当のことをいうと、財務省も事実上捜査権も逮捕権も持って
いるのです。それは、国税庁という組織を傘下に持っているから
です。古賀茂明氏は、著書において、財務省が絶対に認めない改
革について次のように述べています。
―――――――――――――――――――――――――――――
 財務省が絶対に受け入れられない改革、それは国税庁の完全切
 り離しである。一時期、消えた年金問題に関連して歳入庁構想
 が浮上した。年金も国税も国民からお力ネを徴収する点では同
 じ機能なので、社会保険庁と国税庁を統合し、歳入庁を新設し
 て、国民から徴収する機能を一元管理しようという構想だ。こ
 ういう仕組みにすれば、無駄な人件費が削減できるだけでなく
 徴収率も上がるし、データの管理もしっかりし、間違いも起こ
 りにくい。極めて妥当な案だった。ところが、いつの間にか、
 歳入庁構想は俎上に載せられなくなり、立ち消えになった。財
 務省が反発したか、あるいは、民主党がそれを恐れたからだと
 いわれている。─古賀茂明著/『日本中枢の崩壊』/講談社刊
―――――――――――――――――――――――――――――
 財務省が「怖い役所」といわれるゆえんは、国税庁の持つ査察
権にあるのです。この査察権は、警察や検察に勝るとも劣らぬ力
の根源なのです。国税庁は次の3つの力を握っています。
―――――――――――――――――――――――――――――
       1.国税庁は査察権を有している
       2.国民の財産情報を握っている
       3.査察でメディアも牽制できる
―――――――――――――――――――――――――――――
 古賀茂明氏は財務省の怖さについてこういっています。普通の
人が常識的な生活をしていれば、刑事事件に巻き込まれることは
少ないし、警察や検察に事情を聞かれることなど、まずないと考
えられます。
 しかし、国税庁は違うのです。サラリーマンは別として、法人
であれば、その税務処理を徹底的に調べ上げられると、経理上の
ミスは必ずあるといっても過言ではないのです。税法は複雑であ
り、国税庁の解釈いかんによっては脱税とみなされることはいく
らでもあるといえます。
 したがって、国税庁は、その気になれば普通に暮らしている人
でも脱税で摘発し、刑事被告人として告訴できるのです。とくに
カネの流れが不透明になり勝ちな政治家にとって国税庁はきわめ
て怖い存在です。そのため、国税庁を管轄している財務省には、
とことん歯向えないのです。
 小沢一郎氏は、このことをよく承知しており、政治資金の出入
りの記録に関しては、きわめて厳しい対応をしています。政治資
金収支報告書でも、法律で定める範囲を超えて、使ったものはた
とえ1円でも記載して公開しているのです。
 そのようにしている政治家でも、秘書が不当にも逮捕・起訴さ
れ、本人も政治活動に重大な影響があるかたちで、何回も事情聴
取を受けているのです。このようなことが許されるようでは、日
本は官僚ファッショ国家になってしまいます。
 もうひとつ大事なことがあります。国税庁は定期的に大手出版
社や新聞社などのマスコミに調査や査察に入っているのです。こ
れだけでマスコミを牽制することは十分できるのです。財務省の
批判記事を継続的に書いたり、その裏事情を暴く書籍を出すフリ
ージャーナリストなどは財務省がその気になれば、いつでも黙ら
せることができるのです。
 まだあります。とくにマスコミに査察に入ると、経理資料をて
いねいに調べ、重役や編集者がいつ、どこで、どの政治家や役人
に会い、食事をしたかなどの記録がすべて入手できるのです。そ
ういう情報は必要に応じて検察にも流し、台頭して欲しくない政
治家を牽制する情報として使えるのです。
 そのあたりのことを小沢氏は知り尽くしており、非常に用心し
ているといわれます。しかし、与党慣れしていない民主党の若手
政治家のなかには、脇の甘い議員も多くいるのです。したがって
公務員制度改革などの大仕事に取り組む政治家は、よほど身辺や
政治資金の扱いを厳正にして、財務省に尻尾を掴まれないように
することが必要なのです。
 この場合、力のある政治家が陥りやすい罠があるのです。それ
は、官僚組織にとって不都合なことをしないという姿勢を見せる
と、財務省を中心とする官僚組織はその政治家に情報を提供し、
その政治活動に全面的に協力してくれるのです。これは政治家に
とっておいしいエサになるのです。
 菅政権では、仙谷前官房副長官がその方針で官僚を取り込み、
「陰の総理」といわれるようになったのです。そういう隠然たる
権限を持つ財務省でも政治家の協力がないとできないのが、増税
です。なかでも消費税の増税は彼らの悲願なのです。そういう意
味で現在の民主党は、残念ながら、財務省主導になっているとい
わざるを得ないのです。 ──── [日本の政治の現況/58]


≪画像および関連情報≫
 ●国税庁とは何か
  ―――――――――――――――――――――――――――
  国税庁は、国家の歳入確保のため、所得税・法人税・相続税
  (以上、直接国税)、酒税・消費税(以上、間接国税)など
  の国税(中央税)の課税・徴収を行う財務省の外局である。
  財務省主税局が税制の企画・法制化などにかかわるのに対し
  て、租税制度を執行する機関としての位置付けになる。また
  国税庁の地方組織として、11の国税局、1つの国税事務所
  524の税務署が置かれている。税務署では、個人の場合、
  毎年2月中旬から3月中旬にかけて確定申告を行う。なお、
  法人の場合は決算期の終了から2ヵ月以内に確定申告するこ
  とになっている。 なお、酒販免許・酒造免許などは税務署
  長が権限を持ち、国税庁(大蔵省→財務省)は「酒」業界の
  所轄官庁でもある。         ──ウィキペディア
  ―――――――――――――――――――――――――――

仙谷由人氏.jpg
仙谷 由人氏
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2011年09月02日

●「諸悪の根源は『大蔵省』にあり」(EJ第3133号)

 カレル・ヴァン・ウォルフレン氏は、当時の大蔵省について、
次のような重要な指摘をしています。
―――――――――――――――――――――――――――――
 日本の「事実上」の国策の指導者である大蔵省(財務省)の高
 官は無能である。彼らには国の舵を取る能力はもはやない。彼
 らは日本を破滅に導きかねない。
       ──カレル・ヴァン・ウォルフレン著/篠原勝訳
         『人間を幸福にしない日本というシステム』
                       毎日新聞社刊
―――――――――――――――――――――――――――――
 ウォルフレン氏は、ここで「無能」という言葉を使っています
が、これには少し説明が必要です。ウォルフレン氏は自分のこと
になぞらえてこう述べています。自分は著述家としては「有能」
であると自負しているが、チェスの指し手としては「無能」であ
ると認識している、と。自分はチェスに関してはプロではないと
いっているわけです。つまり、「無能」とは財務省が自分の手に
負えないことをやろうとしているといっているのです。
 さらにウォルフレン氏は、多くの日本人が「日本は根本的変革
が必要である」と考えていることを認めながらも、その変革が一
向に果たされていないと述べています。ウォルフレン氏がこの主
張をしたのは前掲の本が出版された1994年ですが、2011
年の現在まで日本はずっとその状態のままなのです。
 ウォルフレン氏は、この日本の状況について、次のように述べ
ています。
―――――――――――――――――――――――――――――
 日本の政治エリートの中心メンバーの一部を含め多くの日本人
 は根本的変革が必要だとたしかに認めている。にもかかわらず
 その幅広い合意は実際の変革に結びついていない。これは日本
 が組織としてきちんと機能していないことを意味している。す
 なわち日本は組織的な惰性におちいっている。(中略)堕落し
 ていることは組織の人々もとっくに気づいている。しかし、状
 況をくつがえすなにごとも起こらない。こういう状況をとくに
 「有害な惰性」(injurious inertia)と呼ぶことにしよう。
      ──カレル・ヴァン・ウォルフレン著の前掲書より
―――――――――――――――――――――――――――――
 ウォルフレン氏は、彼のいう「有害な惰性」には次の2つの原
因があるといいます。
―――――――――――――――――――――――――――――
         1.根本的な「無関心」
         2.根本的な「無能力」
―――――――――――――――――――――――――――――
 ウォルフレン氏は、日本は堕落し続ける「有害な惰性」に陥っ
ていて、そうなった原因は、事実上の国策の指導者たちの「無能
力」とそれに干渉すべき国民の「無関心」によるものである──
こういっているのです。
 謎のような言葉ですが、国民の無関心についてはわかるような
気がします。日本人、とくに若い世代の人は、政治に関してきわ
めて無関心です。これは残念なことです。次の時代を担う若者が
自分の国をどのようにして良くしていくかについて無関心であっ
たとしたら、国は絶対に発展しないでしょう。
 ところでウォルフレン氏は、なぜ大蔵省を「事実上の国策の指
導者」というのでしょうか。
 それは日本の場合、実際に国を動かしているのは、政治家では
なく、財務省の高官だからです。加えてウォルフレン氏は彼らの
ことを「無能」であるとし、日本の将来を危惧しています。
―――――――――――――――――――――――――――――
 彼らは日本を破滅に導きかねない。日本の戦後最長の不況がな
 おも続いている現在、政治の行方と外交関係が不安定のままで
 あるこの時期に、この官僚たちは彼らが本来するべきことの逆
 をしている。内需拡大のために国民の懐に現金を差し入れるべ
 きなのに、それどころか彼らは消費税にくわえて公共料金まで
 上げたくて仕方なくなっている。日本の経済の健全性と貿易相
 手国との関係を広い視野でながめればわかる。これは悲惨な状
 態だ。これは、世界との関係の基盤と日本経済の双方にさらな
 る打撃となるだろう。   ──ウォルフレン著の前掲書より
―――――――――――――――――――――――――――――
 もし、このようなことが外国で起これば、現在英国で起こって
いるように国民による暴動が起こってしまうでしょう。ところが
日本人はどんな不当なことが起こっても、「仕方がない」とあき
らめ、暴動など起こそうとしない国民性があります。これはけっ
して誇るべきことではなく、干渉すべき国民の「無関心」に過ぎ
ないとウォルフレン氏はいうのです。
 さらにウォルフレン氏は、無能な経営者に率いられた組織で、
その組織の構成員たちに無関心の幅が広がれば、それは組織の衰
退と破滅の決定的な要因になるといっています。そして、日本は
まさにそういう状態にあるのです。
 既に指摘しているように、日本は1990年以降経済の成長が
止まっています。このような先進国は日本だけです。表面的には
自民党の経済政策の誤りが指摘されますが、そのバックにいて自
民党を操ってきたのは大蔵省(財務省)なのです。
 自民党政権は長期にわたったので、党と官僚の一体化が進み、
官僚抜きでは物事は決まらないのです。つまり、この国を実際に
動かしているのは官僚組織なのです。
 民主主義を標榜している先進国で、政府が使う金の額と入手方
法が、選挙で選ばれていない官僚によってすべて決定される国は
日本以外どこにもない──ウォルフレンはこういっています。こ
ういう厳しい官僚の壁を唯一突破できると期待される政治家は、
小沢一郎氏以外見当たらないのです。メディアの扇動に騙されて
はならないと思います。  ─── [日本の政治の現況/59]


≪画像および関連情報≫
 ●ウォルフレン氏の上掲本に対するひとつのコメント
  ―――――――――――――――――――――――――――
  本書は極めて鋭い視点から理論的に日本社会を斬っている。
  誰もが薄々と感じながらも具体的には把握できない日本の社
  会における「シカタガナイ」ことがおきる原因を指摘。著者
  はオランダ人であるが故に西欧中心主義者のレッテルを貼ら
  れ、「外人の戯言」と一蹴されることもあるようだが、外国
  人であることを忘れて読めばあまりに的を得た説明に驚かれ
  るだろう。自分の国、価値観、文化をかなり刺激する文章に
  抵抗感を感じるかもしれないが、冷静に読み解いていくと、
  なるほど「シカタガナイ」と諦めることがいかに空虚で愚か
  なことなのか気づいてくる。読み終えたところで無力感に襲
  われるか、希望に満ち溢れるかは本人次第だが、本書は確実
  に日本をより良くするためのヒントを与えてくれるだろう。
  ―――――――――――――――――――――――――――

講演するウォルフレン氏.jpg
講演するウォルフレン氏
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2011年09月05日

●「野田政権は財務省主導の増税内閣」(EJ第3134号)

 野田新政権が発足しました。この内閣の性格を一言でいうと、
次のようになります。
―――――――――――――――――――――――――――――
         財務省主導の増税内閣
―――――――――――――――――――――――――――――
 増税とは、復興債は出すものの、短期償還で財源は復興増税で
賄い、合わせて元財務大臣の与謝野前経財相が主導した「社会保
障と税の一体改革」での消費税増税を実現させるというものであ
り、財務省官僚にとって千載一遇のチャンスなのです。
 バフル崩壊以来、稚拙な経済運営で日本経済を失速させ、「失
われた20年」を作り出した元凶の財務省は、それに輪をかけて
「失われた30年」を実現させるつもりのようです。ウォルフレ
ン氏が指摘するように「無能」の財務省が、「無能」の野田政権
を操って乾坤一擲の増税シフトを敷こうとしているのです。許せ
ないのは、それでいて財務省は、公務員制度改革などには一切手
を触れさせない構えです。
 今回の民主党代表選では、財務省の高級官僚はウラで走り回り
現在の内閣を作ったのです。スタート直後に失速した野田氏を支
えるために、小沢一郎氏のところにも財務官僚が足を運ぶなど、
何としても野田氏を勝たせるために財務省は死にもの狂いで工作
を行ったといわれています。
 内閣の顔ぶれを見るとそれがわかります。財務副大臣から財務
相を2年間務め、完全に洗脳された野田首相、旧大蔵官僚出身の
古川元久国家戦略相、財務省のシナリオに乗って事業仕分けを演
出した蓮舫行政刷新担当相、そして金融財政はまったくの素人な
がら財政規律派の岡田前幹事長に近い安住財務相──このような
布陣なら財務省のいうがままです。それにカウンターパートの自
民党の谷垣総裁が、これまた財務省に洗脳された元財務相ときて
いるので、右を見ても左を見ても財務省に息のかかった者ばかり
であり、日本は財務省に完全に支配されているといえます。
 財務省は今回の野田内閣が力不足であることを知り抜いていま
す。安住財務相など初入閣にしていきなり財務相ですから、唖然
とせざるを得ません。財務大臣の地位も随分相場が下がったもの
です。そのため、財務省としては野田首相を失敗させないため、
万全の体制を敷いているのです。
 この点を指摘したのは、3日の朝日新聞です。ポイントになる
人事は「官房副長官(事務)」のポストです。一見そんな重要な
ポストに見えませんが、実は官僚機構のトップに立つ重要ポスト
なのです。
 菅政権のときの官房副長官(事務)は、総務省出身の滝野欣弥
氏ですが、この人は財務事務次官の勝栄二郎氏と地方税の財源な
どをめぐって意見が合わないのです。そこで、勝事務次官は野田
氏に滝野氏の更迭を進言し、竹歳誠・国土交通省の現職事務次官
を官房副長官に就けることに成功しています。このポストに現職
の事務次官を起用するのは異例中の異例です。
 さらに首相秘書官には太田充主計局長というエース級を抜擢し
ています。陰の財務相である勝事務次官がウラでこのようにフル
活躍しているのです。野田首相は組閣の1日前に財務省幹部に対
し、「代表選で主張したことはすべて実行する」と話しているの
です。これは「増税は必ずやりますから」という宣言です。
 財務省による日本の実効支配は着々と進んでいます。政権内部
だけでなく、財務省出身や財務省寄りの発言をする政治評論家や
コメンテーターを多数擁し、国税庁による定期的調査・査察など
によるマスコミ支配を通じて「増税やむなし」の世論を作り上げ
ることに腐心しています。よくテレビで街の声などを報道します
が、増税賛成意見7対反対意見3ぐらいの割合で編集されている
ことが多いのです。ニュースは意図的に編集されているのです。
 かつて「昔関東軍、今大蔵省」ということがよくいわれたそう
です。このことは今も同じであり、財務省はかつての軍部である
とウォルフレン氏は次のように述べています。
―――――――――――――――――――――――――――――
 かの三〇年代、軍部は日本の官界のなかで最強の集団になって
 いた。当時の日本の公式の政府はあまりに弱体で、不法な政治
 権力を振りまわす軍部に抵抗できなかった。軍部にはたしかに
 有能なところもあった。彼らのシンガポール占領は史上最も輝
 かしい軍事作戦の一つだ。しかし軍部には、外の世界にうまく
 対処する能力や、日本にとっての最善の外交施策を探り出す能
 力などはなかった。それでもほかの主な権力集団は、軍部の威
 圧的な振る舞いにすっかりひるんでしまい、彼らの敷いた路線
 に従っていってしまったのだ。こういうところが、今日の大蔵
 省をめぐる状況によく似ている。産業拡大の使命をどこまでも
 追い求めている経済界と官界も、結局、大蔵官僚の敷いた路線
 に従っている。─カレル・ヴァン・ウォルフレン著/篠原勝訳
  『人間を幸福にしない日本というシステム』/毎日新聞社刊
―――――――――――――――――――――――――――――
 しかし、野田内閣で財務省が画策する増税は実現するのでしょ
うか。財務省は、今週半ばに政府税制調査会で議論を開始し、納
税額に上乗せする所得税の定率増税の案を9月中に提示する方針
を立てています。そして、3次補正と増税法案を10月中に臨時
国会に提出する構えであり、増税は来年度から実施する方針でい
るのです。
 しかし、このように財務省のスケジュール通りに進むかという
と、そう簡単ではないのです。まず、ネックになるのは、政調会
長の判断です。前原政調会長は、復興増税には反対を表明してお
り、そう簡単には復興増税を了承しないでしょう。それに党内に
は、小沢Gを中心に増税反対派も多く、強引に通そうとすると物
凄い反対意見が噴出するはずです。今回は小沢Gが復権している
ので、その抵抗は凄まじいものになると予想されます。それに与
野党協議も難航必至です。 ─── [日本の政治の現況/60]


≪画像および関連情報≫
 ●野田内閣は果たして持つか/鈴木哲夫/経済ジャーナリスト
  ―――――――――――――――――――――――――――
  最大のポイントは12月です。税調審議、来年度予算編成、
  社会保障と税の一体改革の法案作りなどがこの時期に集中し
  ます。財務省の言いなりに増税シフトを具体化させようとす
  れば、党内の反対派、とりわけ小沢グループが民主党の理
  念からかけ散れている″と猛反発し、一触即発の政局に発展
  する可能性があります。
          ──2011年9月3日付、日刊ゲンダイ
  ―――――――――――――――――――――――――――

勝栄二郎財務省事務次官.jpg
勝 栄二郎財務省事務次官

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2011年09月06日

●「子ども手当の理念を考える」(EJ第3135号)

 野田内閣では、増税の問題よりも「3党合意」の順守か否かが
大きな問題になるはずです。「3党合意」は裏を返せば、マニュ
フェストを守るか放棄するかの問題です。これだけは、小沢一郎
氏は絶対に譲らないはずです。
 なぜなら、マニュフェストを放棄すれば、それは民主党が民主
党でなくなることを意味しているからです。民主党の主流派がマ
ニュフェスト放棄を強行すると、小沢グループは党を割ると思わ
れます。今までの小沢氏の政治行動から見ると、これは間違いが
ないことです。
 マニュフェストの放棄に関しては、小沢グループに限らず、党
内に相当の抵抗があるのです。民主党参院議員の有田芳生氏は次
のように述べています。
―――――――――――――――――――――――――――――
 私は小沢派ではない。だが結局、マニュフェストの意義を問う
 なら、政権交代を実現した当事者である小沢一郎に代表選を戦
 ってもらうほうがわかりやすかった。いまは党員資格停止中だ
 が、裁判で冤罪が確定した場合、来年秋の代表選には出ること
 になるだろう。小沢一郎に総理大臣をやらせてみて、判断せね
 ばならない。今の体たらくを見ていると、そう強く感じる。
              ──民主党参院議員の有田芳生氏
               『週刊ポスト』9/9日号より
―――――――――――――――――――――――――――――
 民主党のマニュフェストの目玉は何といっても「子ども手当」
です。子ども手当については、EJ第3125号でも述べたよう
に自民党には絶対できない政策です。『週刊ポスト』9/9日号
に詳しい分析レポートが出ているので、これを参考にして再び子
ども手当について紹介することにします。
 3党合意とは、基本的には2012年4月から子ども手当を廃
止し、自公政権時代の児童手当を復活させることで合意するとい
うことです。なお、3党合意には、合わせて他の政策──「高校
授業料無償化」「高速道路の無料化」「農家戸別所得補償」の見
直しにも言及しています。
 この3党合意について、2011年8月5日付の読売新聞は次
のように報道しています。
―――――――――――――――――――――――――――――
 最初から財源の裏付けを欠いた無理な政策であり、加えて、東
 日本大震災では巨額の復興財源が必要になった以上、廃止する
 のは当然である。   ──2011年8月5日付の読売新聞
―――――――――――――――――――――――――――――
 野党、とくに自民党は何かというとすぐ「財源」といいますが
当の自民党は今まで財源を決めずに今日まで膨大な赤字国債を出
し続けてきたのです。そのため、日本は膨大な財政赤字を膨らま
せることになったのです。子ども手当について大新聞は、「財源
の裏付けを欠いた無理な政策」ときめつけ、批判しています。民
主党の政策というよりも、小沢氏の政策としての批判でしょう。
 さらに朝日新聞は8月に実施した世論調査において、次の質問
をし、賛成が過半数に達していることを伝えています。
―――――――――――――――――――――――――――――
 子ども手当をやめて児童手当に戻すことに賛成ですか 63%
           ──朝日新聞による2011年8月調査
―――――――――――――――――――――――――――――
 しかし、この数字は本当に民意を反映しているのでしょうか。
子ども手当の受給世帯は全体の20%程度なのですが、明らかに
そういう世帯を中心に聞いていないと思われるからです。これで
は、子ども手当に関するネガティブキャンペーンといわれても仕
方がないでしょう。
 子ども手当を廃止し、児童手当に戻すといいますが、そもそも
自公の児童手当と民主党の子ども手当は理念が違うのです。自公
の児童手当は、子育てはあくまで親がするものであり、行政はそ
れをサポートするという前提に立っています。
 しかし、子ども手当は、「社会で子どもを育てる」という理念
に立っており、少子化対策として位置付けています。少子化対策
について自公政権は、その重要性を認めながら、思い切った施策
をまるでやってこなかったのです。
 「社会で子どもを育てる」という理念であれば、所得制限など
は設けるべきではないのです。それに子ども手当は、EJ第31
25号でも強調したように、国民への「直接給付」というところ
に特徴があるのです。もし、自公時代の農業補助金のように「間
接給付」で実施すると、経由する団体に既得権が発生してしまう
からです。既得権益を作らないという意味でも「直接給付」にし
ているのです。
 もともと日本は、子育てに対する支援をきちんとやってきてい
ないのです。これに対してヨーロッパでは手厚い制度を設けてい
るのです。橋本俊詔・同志社大学経済学部教授は、ヨーロッパの
制度について次のように述べています。
―――――――――――――――――――――――――――――
 ヨーロッパ諸国では子供への現金給付が盛んだ。フランスは学
 費免除に加えて、第2子以降なら20歳になるまで2万〜3万
 円程度が給付される。スウェーデンでは、子供の数に応じて第
 1子の約2万円〜第5子以降の約6万円まで、産めば産むほど
 もらえる(16歳まで)。その甲斐あって、フランスは2・0
 スウェーデンは1・9(ともに08年)と高い出生率を誇って
 いる。       ──橋本俊詔・同志社大学経済学部教授
               『週刊ポスト』9/9日号より
―――――――――――――――――――――――――――――
 民主党の子ども手当は、これを目指しているのです。しかし、
国民に約束した特別会計にろくに切り込みもしないで「財源がな
い」として断念し、その理念を放棄するとは国民に対する裏切り
です。          ─── [日本の政治の現況/61]


≪画像および関連情報≫
 ●子ども手当の財源について
  ―――――――――――――――――――――――――――
  民主党が野党時代から主張してきた政策であるが、財源の確
  保が明示されていないことが問題点として指摘されている。
  財源は初年度で2兆2500億円、翌年からは倍のの4兆5
  000億円ほど必要であり、その財源については、扶養控除
  等の廃止を充てるとされていた。これによって得られる税収
  増は扶養控除8000億円、配偶者控除6000億円であり
  子ども手当の必要経費には及ばない。国際通貨基金や経済協
  力開発機構などの国際経済機関からも見直しを求められてい
  る。国際通貨基金(IMF)は日本の財政赤字が国内総生産
  (GDP)に対して10・5%に達する見通しであると発表
  し、子ども手当など国債増発によりイギリスやアイルランド
  のように大規模な財政調整が必要になると指摘した。
                    ──ウィキペディア
  ―――――――――――――――――――――――――――

有田芳生氏.jpg
有田 芳生氏
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2011年09月07日

●「合計特殊出生率が改善している」(EJ第3136号)

 民主党の子ども手当は、自民党政権時代の次の組み合わせの矛
盾を解決するために実施されたのです。
―――――――――――――――――――――――――――――
       「児童手当」+「年少扶養控除」
―――――――――――――――――――――――――――――
 これについて、北明美・福井県立大学看護福祉学部教授は次の
ように述べています。
―――――――――――――――――――――――――――――
 私は民主党の子ども手当を100%評価するわけではないが、
 新聞やテレビで不正確な情報が流され、誤解が広まってしまっ
 たことが子ども手当の不幸な点だったと考えている。自民党政
 権時代の「児童手当」と「年少扶養控除」の組み合わせという
 システムは、実は所得税の税率が高くなる高所得者に手厚く、
 低所得者に薄いという歪な構造を持っていた。「子ども手当」
 の登場と「年少扶養控除」の廃止は、その歪な構造を解消する
 意味もあった。 ──北明美・福井県立大学看護福祉学部教授
               『週刊ポスト』9/9日号より
―――――――――――――――――――――――――――――
 自民党がなぜ子育て関連の福祉を強化してこなかったのかとい
うと、それは票にならないからなのです。2006年度の数字で
すが、社会保障給付費の給付は、高齢者は62兆円であるのに、
子どもには3・5兆円、実に高齢者には子どもの17・5倍も支
給されているのです。
 こういう実情を踏まえて、民主党では若い世代に思い切って投
資をするため、子ども手当の創設に踏み切ったのです。なぜなら
若い世代への投資を怠れば、日本という国の斜陽化が進む一方で
あったからです。
 添付ファイルは、このたびの子ども手当の見直しによって、年
収別にどのくらいの損害が生ずるかについて試算したものです。
その前提条件は次の通りです。
―――――――――――――――――――――――――――――
      「手当の年間支給額」 − 「年税額」
        夫婦と3歳未満の子ども2人の世帯
―――――――――――――――――――――――――――――
 左上が政権交代前の児童手当のグラフです。これが左下の子ど
も手当満額のようになるはずだったのです。これによると、一部
の高所得者を除き、ほとんどの世帯の可処分所得が大幅に増える
計算になるのです。
 現在は右上のグラフですが、10月からは左中央のグラフにな
り、さらに2012年4月からは右中央のグラフになるのです。
この2回にわたる見直しによって損害を受ける世帯は、大幅に増
えることがわかると思います。
 野党や大マスコミは子ども手当を「バラマキ」といい、票欲し
さの実現不能の政策とこき下ろしていますが、たったの一年です
が、早くも実績が上がっているのです。
 子ども手当が始った2010年の日本の合計特殊出生率──1
人の女性が一生の間に産む子供の数は1・39なのですが、この
数字は、前年、前々年の1・37をわずかですが、上回っている
のです。半額支給であっても、効果が出ていると考えられるので
す。大マスコミは「バラマキ」と書くよりも、この事実を伝える
のが、本来の仕事なのではないでしょうか。
 しかし、財源がないからしょうがないではないのか──こう反
論する人もいるでしょう。しかし、日本にとって少子化の解決は
死活問題なのです。財源というものは探すものではなく、作り出
すものです。政権交代前に民主党がいっていたように、予算の全
面見直しによって財源を作り出す努力をなぜ簡単にあきらめてし
まったのでしょうか。
 それとも、既に鼻血も出ないほどムダを切り詰め、逆さまにし
ても、もう何もでない状態であるというのですか。しかもまだ、
民主党には2年という年月が残されているのです。卑劣なのは自
民党です。特例公債法を人質にとって、子ども手当を廃止に追い
込んでいます。そういう政党だから政権を失ったのです。
 子ども手当は、子育てしていない80%の世帯にとっては、こ
ういう手厚い支援策は「面白くない」かもしれません。まして大
マスコミが「バラマキ」と書くので、そのように思う人も少なく
ないでしょう。それが子ども手当の見直しにの「63%賛成」の
数字にあらわれているのだと思います。
 しかし、子ども手当はそういう世帯、とくに高齢者世帯にもプ
ラスなのです。なぜなら、子ども手当によって少子化が少しずつ
改善されるなら、現在2・6人で1人を支えている年金の危機的
状況が改善に向かうからです。そこまで考えないで、子ども手当
を批判している人があまりにも多いことに日本人の政治レベルの
低さを感じます。評論家やキャスターまでそうなのですから。
 社会保険労務士で「年金博士」といわれる北村庄吾氏は、子ど
も手当は画期的であると評価し、子ども手当の意義について、次
のように述べています。
―――――――――――――――――――――――――――――
 今までの社会保障制度が高齢者に厚く、子供など若い世代に薄
 かったのは事実。理由は、票に結びつかないからといわれてき
 た。そう考えると、子ども手当という政策は画期的なものと評
 価できる。確かに育児休業や保育所・幼稚園の問題など解決さ
 れていない問題は他にも多くあるが、すべての子育て世帯に現
 金給付という新しい段階に踏み込んだだけでも、大きな前進だ
 った。社会保障制度は長期間行なうことで効果が出てくるので
 継続が大切。とくに少子化対策は1、2年で止めるべきではな
 い。           ──社会保険労務士・北村庄吾氏
               『週刊ポスト』9/9日号より
―――――――――――――――――――――――――――――
             ─── [日本の政治の現況/62]


≪画像および関連情報≫
 ●「合計特殊出生率」とは何か
  ―――――――――――――――――――――――――――
  合計特殊出生率とは、人口統計上の指標で、一人の女性が一
  生に産む子供の平均数を示す。この指標によって、異なる時
  代、異なる集団間の出生による人口の自然増減を比較・評価
  することができる。女性が出産可能な年齢を15歳から49
  歳までと規定し、それぞれの出生率を出し、足し合わせるこ
  とで、人口構成の偏りを排除し、一人の女性が一生に産む子
  供の数の平均を求める。       ──ウィキペディア
  ―――――――――――――――――――――――――――
 ●図表出典/『週刊ポスト』9/9日号より

子ども手当廃止の「損害」決算表.jpg
子ども手当廃止の「損害」決算表
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2011年09月08日

●「子ども手当を潰したのは財務省」(EJ第3137号)

 経済評論家の山崎元氏は、ブログで官僚隠語に「ざぶとん」と
いうのがあることを明かしています。「ざぶとん」とはOBが天
下りをすることのできるポストと人件費の総称です。
 しかし、子ども手当は「ざぶとん」にならないのです。子ども
手当はお金だけを再分配する仕組みなので、官僚から見ると、外
郭団体やポストを作れないということになります。
 山崎元氏は、この官僚が差配しているカネを小さくすることこ
そが「脱官僚」であり、子ども手当は官僚の「ざぶとん」を奪う
ところに真の狙いがあるとして、次のように述べています。
―――――――――――――――――――――――――――――
 財務省の権力の源泉は、お金をどこにいくら分配するかを決め
 る権限にあるわけだが、国民に広く薄く配ったのでは権限の拡
 大に何の役にも立たないのである。私が子ども手当を支持する
 理由は、官・業による「中抜き」のない効率的な分配であるこ
 と、分配先に偏りが少ないこと、そして使途が自由であること
 の3つ。ばらまきとの批判があるが、子供の有無以外に条件を
 つけない公平なばらまきだからこそ意味がある。地域や業種が
 偏る公共事業よりはるかに公平ではないか。
                 ──経済評論家・山崎元氏
               『週刊ポスト』9/9日号より
―――――――――――――――――――――――――――――
 このように子ども手当は非常によく考えられた政策であり、民
主党の掲げる「脱官僚」にマッチしているだけではなく、自民党
では絶対にできない政策なので、民主党のスローガン「国民の生
活が第一」にふさわしい政策であるといえます。
 しかし、菅政権以降の民主党の主流派の議員──そのほとんど
は反小沢議員であるが、彼らはこの政策の理念を理解しているよ
うには思えないのです。
 野田首相は、財務大臣当時に愛知県豊田市で行われた民主党支
部の総会で子ども手当について次の発言をしています。今年の1
月末日のことです。
―――――――――――――――――――――――――――――
 月額2万5000円では総額5兆円を超す。防衛費より高くな
 り、現実的には厳しい。2010年度の1万3000円で効果
 を見ながら、次年度の額を考えるべきだ。
                  ──野田財務相(当時)
―――――――――――――――――――――――――――――
 これに対して山崎元氏は、野田氏は子ども手当が防衛費より高
いことをその政策を作った時点で知らなかったとしか思えないと
いっています。本当に心血を注いで作った政策でないからこそ、
簡単に捨てられるのです。
 財務省から見ると、子ども手当は自分たちの既得権益が冒され
るので、絶対に潰したい政策です。彼らがまずやったことは、彼
らの支配下にある記者クラブを使って、子ども手当のネガティブ
キャンペーンを展開させ、民主党の反小沢勢力に働きかけて潰し
たのです。野田氏はその過程で財務官僚によって洗脳されたので
しょう。山崎氏は、官僚の軍門に下った菅政権を次のように揶揄
しているのです。
―――――――――――――――――――――――――――――
 菅直人の「カン」は官僚の「カン」。海江田万里は、経産省
 の「海江田便利」。野田佳彦は財務省の「使い勝手よし彦」
                      ──山崎元氏
―――――――――――――――――――――――――――――
 しかし、いかに民主党の反小沢勢力といっても、流石に子ども
手当を捨て去ることにはためらいがあったと思われます。彼らに
も良心があったのでしょう。
 そこに起こったのは東日本大震災です。彼らはこの大震災を活
用し、子ども手当の放棄を自公両党と約束し、特例公債法案を通
したのです。これを国民への裏切りといわずして何でしょうか。
 まして岡田幹事長をはじめとする執行部は、この重大な変更を
都道府県の議員からのヒヤリングを一切しないで、政務調査会に
一任し、強引に決めてしまったのです。
 一律支給から所得制限へと変更してしまうと、もはや子ども手
当の理念は完全に失われています。菅前首相や野田首相はもとよ
り、子ども手当の放棄に加担した岡田前幹事長、玄葉前政調会長
安住前国対委員長らは、2009年の衆院選で多くの国民が支持
した民主党議員ではないといえます。彼らは、「政治の良心」を
失っているからです。
 しかし、新内閣でコトは順調に進むのでしょうか。
 それはきわめて困難であると思います。東京新聞の論説副主幹
の長谷川幸洋氏は次のように述べています。
―――――――――――――――――――――――――――――
 3党合意は、菅直人を辞めさせるために政治決着されたもので
 あり、今後の状況次第では合意が撤回される可能性もある。子
 供たちを政争の具にして振り回すことが「子ども手当バッシン
 グ」の実態だったのかもしれない。    ──長谷川幸洋氏
               『週刊ポスト』9/9日号より
―――――――――――――――――――――――――――――
 子ども手当の支出がGDPに占める割合は0・8%なのです。
しかし、日本では幼稚園から大学までにかかる費用は1400万
円〜2000万円と高額です。
 これに対してフランスではGDPは3%で、幼稚園から大学ま
での費用は無料なのです。その結果、日本の出生率は1・39に
対してフランスは2%になっています。昨日のEJで述べたよう
に子ども手当の半額支給だけで、1・37から1・39に改善し
ているのです。なぜ、民主党は、少子化対策として有効な子ども
手当をやめてしまうのでしょうか。それなら即刻民主党は解散・
総選挙をして国民に信を問うべきです。
             ─── [日本の政治の現況/63]


≪画像および関連情報≫
 ●フランスの少子化対策
  ―――――――――――――――――――――――――――
  日本など先進諸国が少子化に悩む中、フランスは今、ベビー
  ブームに沸いている。フランスの合計特殊出生率は、196
  5年の2・82から1994年には1・65まで低下。その
  後、徐々に上昇し始め、2000年に1・88、2006年
  には2・00まで回復した。いまや欧州でトップの出生率を
  維持しており、少子化対策のモデル国として目下注目されて
  いる。パリの街中では、かつてないほどに子ども向けのブテ
  ィックやヘアサロン、カフェなどが充実し、ベビーカーを押
  す姿も多くみられるという。一方日本は、1994年の1・
  46から2005年には過去最低の1・26まで落ち込み、
  2006年に若干回復したものの、1・32にとどまってい
  る。            ── gooリサーチポータル
  ―――――――――――――――――――――――――――

経済評論家/山崎元氏.jpg
経済評論家/山崎 元氏
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2011年09月09日

●「小沢氏の影響力は落ちていない」(EJ第3138号)

 今回の民主党の代表選では、誰の目にも小沢一郎元代表の迷走
ぶりが目立ったといえます。小沢グループがかつぐ候補者を誰に
するか迷いに迷ったからです。最初に輿石東参議院議員会長に声
をかけています。なぜ、輿石氏なのでしょうか。
―――――――――――――――――――――――――――――
        1.救国内閣と位置づける
        2.したがって解散しない
        3.任期は菅氏の任期1年
―――――――――――――――――――――――――――――
 ポイントは「救国内閣」を打ち出すことにあります。輿石氏の
ような高齢者が出馬する以上、非常時との位置づけは必要であっ
たのです。また、救国内閣であれば参議院議員であっても許され
ると考えたのです。
 参議院には解散権はなく、そういう参議院議員が首相になって
衆議院の解散権を持つことには問題があるのですが、非常時であ
ればクリアできると考えたのでしょう。この場合、亀井静香氏で
もよかったのですが、亀井氏では時間もないので、民主党内を一
本化することは困難だったと思われます。
 救国内閣という以上、野党との協力は不可欠になります。しか
しそのためには、党内が一本化される必要があります。小沢氏は
輿石氏ならば党内一本化できると思ったのです。輿石氏なら、も
ちろん解散もなく、任期は菅前首相の1年ということであれば、
党内もまとまると読んだのでしょう。
 輿石氏はいったんこの提案に乗って、出馬に賛成しています。
しかし、8月23日に前原氏が出馬を決めたことにより、輿石氏
は降りてしまったのです。輿石氏は、国民的人気の高い前原氏と
戦うことに怖気づいたものと思われます。
 そうすると、小沢氏は西岡武夫氏に声をかけたのです。西岡氏
は参議院議長ですが、会派は離脱しているものの、民主党の党籍
は離脱していないのです。しかし、西岡氏の場合は輿石氏よりは
るかにハードルは高いのですが、本人はやる気があったといわれ
ています。これには輿石氏と鳩山氏が猛烈に反対したのです。輿
石氏は同じ参議院で西岡氏をライバル視していますし、鳩山氏は
海江田氏を出馬させたかったからです。しかし、小沢氏には最初
から海江田氏という選択肢はなかったのです。
 なぜ海江田氏ではだめかというと、海江田氏では救国内閣には
ならないし、任期1年ではスジが通らないからです。海江田氏が
首相になって、それなりの実績を上げれば、当然代表を継続する
ことになるからです。
 しかし、小沢氏としては、裁判がクリアできれば、2012年
9月の代表選に自分が出馬し勝利して、どうしても総理になる必
要があったのです。そうしなければ、菅政権の稚拙な政権運営で
党勢が低下している民主党を2013年の衆院選で勝利できるよ
うに党を立ち直らせることはできないと思っていたのです。
 しかし本音では、海江田氏では小沢グループが支援したとして
も、代表選に勝てないのではないかとも考えたのですが、ここは
鳩山元首相を立てて、グループとしてかつぐ候補者を海江田氏に
決めたのです。しかし、負けた場合でも小沢氏は別な目標を立て
て代表選に臨んだのです。しかし、小沢グループ内の反発ははげ
しかったのです。
―――――――――――――――――――――――――――――
 代表選直前の8月26日夜、ホテルオークラに集まったグルー
 プの議員を前にそれまで態度を曖昧にしていた小沢氏が「海江
 田を応援しよう」と呼びかけると、会場からは一斉に「えーっ
 !?」と落胆した声が上がった。特に激昂したのが、いわゆる
 小沢ガールズ≠ニ言われる女性議員たちだ。ガールズはこの
 会合後、別の店に15人が再集結。「海江田さんには決断力が
 ない」「泣いたしね」「原発も推進派だよね」と、不満をぶち
 まけあったという。彼女たちを宥めるためか、間もなく小沢氏
 がその場に駆けつけた。すると、ガールズたちはここぞとばか
 りに、「なんで海江田さんなんかを!」と、ボスを吊るし上げ
 たのだという。「彼女らの剣幕に、小沢氏はタジタジとなった
 そうです。あまりに突き上げが激しいため、『とにかく、今回
 は海江田をオレだと思ってやってくれ』と、小沢氏が頭を下げ
 ようやく彼女たちも矛を収めたとか」(民主党若手代議士)
                 ──『週刊現代』9/17
―――――――――――――――――――――――――――――
 代表選の結果は野田氏が決選投票で海江田氏を破って新首相に
なっています。これで小沢氏は、2010年の代表選、不信任案
の可決失敗、そして今回の代表選と3連敗しています。早速新聞
やテレビは鬼の首でも取ったように「小沢氏の影響力に陰り」と
か「小沢氏は終った」とか書いていますが、小沢氏はまったく落
ち込んでいないのです。
 それはもうひとつの目標をクリアしたからです。それは決選投
票での海江田氏の得票である「177」という数字です。これに
ついて、政治評論家の三宅久之氏は、同じ政治評論家の田崎史郎
氏との対談で次のように述べています。
―――――――――――――――――――――――――――――
 小沢さんの号令一下、海江田さんに177人もの政治家が投票
 したということになる。野田さんの最終得票は215票ですか
 ら差は38票。実は野田圧勝でも、小沢惨敗でもないんです。
 まして、小沢グループには本人も含めて党員資格停止中で投票
 のできなかった議員が9人いますから、これを加えると186
 人が事実上、小沢さんを支持したことになる。昨年9月の代表
 選で小沢さんが集めた議員票は200票でしたから、代表選敗
 退とその後の強制起訴で影響力に陰りが出たといわれていても
 14人減った過ぎない。     ──『週刊現代』9/17
―――――――――――――――――――――――――――――
             ─── [日本の政治の現況/64]


≪画像および関連情報≫
 ●「神戸新聞」社説より/2011年8月31日
  ―――――――――――――――――――――――――――
  民主党内、野党との関係の両方をにらみ、バランスをとった
  安定した政権運営が求められる。その最初のステップとして
  注目されたのが党役員人事だ。野田氏は、「怨念を超えた政
  治」を掲げる。人事の焦点は、党の資金配分や選挙の公認権
  を差配する幹事長ポストで、そこに小沢一郎元代表に近い輿
  石東参院議員会長を充てた。(中略)野田氏が、党内基盤の
  強化を狙っていることは間違いない。だが、輿石氏は、小沢
  氏の党員資格停止処分の見直しを主張しており、幹事長起用
  はもろ刃の剣である。議論を経て決めた処分を覆すようなこ
  とは、党内から反発を招く。小沢氏は、野田氏が意欲を示す
  消費税率引き上げに反対し、マニフェスト(政権公約)見直
  しにも異議を唱える。見直しは、自民、公明両党との3党合
  意であり、ほごにすれば、野党との関係は一気に悪化する。
  小沢氏の影響力が増せば、野党が対決姿勢を強めるのは必至
  だ。何より「二重権力」の再現では、新政権は国民からそっ
  ぽを向かれる。──2011年8月31日付、神戸新聞社説
  ―――――――――――――――――――――――――――

三宅久之氏.jpg
三宅 久之氏
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2011年09月12日

●「なぜ官が政の上にいるのか」(EJ第3139号)

 2011年9月9日、鳩山政権発足と同時に廃止された事務次
官会議が事実上復活しています。ところで、この事務次官という
ポストはどういうポストなのでしょうか。
 事務次官とは、国家行政組織法によって各省におかれるポスト
であり、各省の官僚のトップのポストです。各省のエライ順にい
うと、大臣、副大臣、政務官の次が事務次官です。かつては、大
臣の下に、政務次官と事務次官が同列におかれていたのですが、
現在では、大臣の下に副大臣のポストがおかれ、政務次官が政務
官として、事務次官の上のポストになっています。大臣を含む3
ポストは、民間から登用されることはあるものの、基本的には政
治家が担うことになっています。
 このようにエライ順にいうと、事務次官は随分下のポストのよ
うに見えますが、事務次官は、実際に仕事をする各省の官僚組織
をすべて一手に握っている実力者なのです。
 この事務次官のポストについて、元通産官僚で改革派の噂の高
い原英史氏は次のように述べています。
―――――――――――――――――――――――――――――
 官僚から見れば、事務次官こそが実権のある「社長」であり、
 大臣らはいわば非常勤の「会長」や「役員」、あるいはもっと
 実権のない「1日警察署長」の延長のようなものだったのだ。
                  ──原英史著/新潮社刊
    『官僚のレトリック/霞が関改革はなぜ迷走するのか』
―――――――――――――――――――――――――――――
 「官僚主導から政治主導へ」──これは民主党がマニュフェス
トに冒頭に掲げた国民との約束です。真の政治主導は官僚を外す
ことではなく、使いこなすことであるといいますが、仕事のこと
をロクに知らない大臣や副大臣、政務官が仕事のプロ中のプロで
ある事務次官以下の官僚を使いこなせるはずがないのです。
 事務次官は何人かの同期とともに入省し、さまざまな仕事をし
て豊富な経験を有しており、すさまじい同期との「戦い」を勝ち
抜いて、官僚最高のポストに辿りついたエリート中のエリートな
のです。したがって、事務次官が命令を下すと、官僚組織は一斉
に動くのです。上司よりも部下の方がはるかに優れているという
構図になります。
 このような官僚軍団を使いこなすことは、容易なことではない
のです。つまり、上司よりも部下の方が優れているのです。しか
し、このようなことは企業でもよくあることです。そういう場合
部下が奮起して上司を支えるのが普通です。そうしないと、組織
がもたないからです。
 既出の原英史氏は、企業でよくある部下が上司よりも主導権を
握っている状況は「現象」に過ぎないといいます。しかし、各省
における大臣らと事務次官との関係は、単なる「現象」の域を超
えて、「制度」に昇華していると指摘するのです。
 部下の方が上司よりも主導権を持つことは当然のことであると
いう意識を持っていて、たとえ大臣から命令があっても、官僚側
がやって欲しくないことは絶対にやらせないという「暴走」が起
こりつつあるというのが、「官僚主導システム」なのです。
 どうしてこうなってしまったのでしょうか。
 EJの前のテーマ「明治維新について考える」でも述べました
が、ことは明治維新に遡るのです。そのとき官僚は天皇に仕える
忠実な部下であり、官僚は国益のために働く存在として位置付け
られたのです。やがて政治家が登場するのですが、政治家は官僚
に比べると、低位におかれることになります。
 次の一文は1889年(明治22年)、大日本帝国憲法の発布
のさい、当時の総理大臣黒田清隆が行った演説の一部です。
―――――――――――――――――――――――――――――
 所謂政党なる者の社会に存立するは亦情勢の免れざる所なり。
 然れども政府は常に一定の方向を取り、超然として政党の外に
 立ち、至公至正の道に居らざる可らず。各員宜く意を此に留め
 不偏不党の心を以て人民に臨み、撫ぎょ宜きを得、以て国家隆
 盛の治を助けんことを勉むべきなり。──原英史著/新潮社刊
    『官僚のレトリック/霞が関改革はなぜ迷走するのか』
―――――――――――――――――――――――――――――
 これは「超然主義演説」として有名です。超然主義とは、外の
動静には関与せず、超然(平然)として独自の立場を貫く主義の
ことをいうのです。一般的には、大日本帝国憲法発布後、帝国議
会開設から大正時代初期頃までにおいて、藩閥・官僚から成る政
府がとる立場を指し、政府は議会・政党の意思に制約されず行動
すべきであるという主張であるとされています。
 黒田総理大臣の演説の意味は非常に難解ですが、原英史氏の解
釈によるとポイントは次の2つです。
―――――――――――――――――――――――――――――
 1.議会人(政治家)は国益ではなく、私利私欲だけを考える
   低劣な存在であること
 2.官僚(当時は大臣を含めて官)は議会人の影響を受けずに
   国益のために働くこと
―――――――――――――――――――――――――――――
 これは「官を尊び政を卑しむ」思想なのです。薩摩・長州の藩
閥勢力と対峙していた議会勢力に対抗するための思想です。しか
し、このときは頂点に天皇がおり、官僚はその天皇に仕える存在
として位置付けられていたので、それは正しいものとして受け入
れられてきたのです。
 これによると、もともと官僚の方が政治家よりも地位が上の存
在であり、太平洋戦争終了までこの状態が続くのです。しかし、
太平洋戦争が終結し、天皇が象徴天皇になると、官僚の上の存在
がいなくなってしまったのです。
 しかし、官僚たちはそれまでの地位を維持するために狡猾な方
法でその地位の保全を図ったのです。これについては明日のEJ
で述べます。       ─── [日本の政治の現況/65]


≪画像および関連情報≫
 ●事務次官のルーツは何か
  ―――――――――――――――――――――――――――
  事務次官のルーツは「次官」である。日本語における次官の
  語の使用は、律令制のもとですべての官司に置かれた四等官
  の第2位である「次官」(すけ)に遡り、大宝律令以来の官
  名である。近代以降の日本においては、大臣(各省大臣およ
  び大臣庁の長官たる国務大臣)の下に位置する官僚機構の最
  高責任者であり、戦後は事務次官と称する。これに対して大
  臣を置かない機関(警察庁)や外局(法務省外局の公安調査
  庁、国土交通省外局の海上保安庁、経済産業省外局の中小企
  業庁など)では、次官ではなく次長と称する。
                    ──ウィキペディア
  ―――――――――――――――――――――――――――

原英史氏の本.jpg
原 英史氏の本
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2011年09月13日

●「なぜ、『脱官僚』が必要なのか」(EJ第3140号)

 天皇の忠実な部下たる官僚は戦時中は軍部と連合し、完全に国
を動かし、日本の国を支配したのです。
 実は1945年の終戦のとき、日本は「官を尊び政を卑しむ」
思想をベースにする官僚機構を根本から改革すべきであったので
す。しかし、当時のGHQ──米占領軍が結果として日本の官僚
機構を温存させてしまったのです。これについて、ウォルフレン
氏は次のように述べています。
―――――――――――――――――――――――――――――
 占領軍は、戦時中の日本は、戦時中のドイツやイタリアと同じ
 だったろうと判断した。占領軍は、東條英機大将はヒトラーや
 ムッソリーニの日本版だと考えたのだ。そして、民主主義の実
 現のため日本が何よりも必要としていることは、中央政府の強
 力な政治指導性だということにまったく思いいたらなかった。
 1945年以降、日本の寡占支配の構造は変わった。軍人と官
 僚との連合は、官僚と実業界の経済官僚との連合に取って代わ
 られたのだ。ここで言う経済官僚のほとんどは退職官僚で、各
 種業界団体の重要な地位と、また、のちに系列企業となる会社
 の官僚的経営者の地位を占めはじめた。
       ──カレル・ヴァン・ウォルフレン著/篠原勝訳
  『人間を幸福にしない日本というシステム』/毎日新聞社刊
―――――――――――――――――――――――――――――
 今まで官僚の上には天皇がいたのです。官僚制度はそれを前提
として作られていたのですが、その天皇が象徴天皇になったので
すから、当然制度全般を見直すべきであったです。しかし、米占
領軍はそれをしないで、それまでの官僚制度をそのままに残して
しまったのです。
 よく知られているように、公務員は特別の理由がない限り、免
職や降格が出来ないのです。これは、国家公務員法に「公務員の
身分保障」として規定があるからです。
 なぜ、このような規定があるのでしょうか。
 当初は大臣も官僚でしたが、そのうち政治家が大臣の地位を占
めるようになり、かたちのうえでは、官僚は政治家を上司として
迎えるようになったのです。その場合、人事権は一応大臣が持っ
ているので、大臣の恣意的な人事を防ぐ必要があったのです。
 官僚は上司である大臣がいろいろ命令を出してくることに内心
不快感を抱いているのです。このとき、心のなかでは次のように
考えているといわれます。
―――――――――――――――――――――――――――――
  われわれは大臣に雇われているのではなく、日本という
  国家に雇われている。
―――――――――――――――――――――――――――――
 これは非常におかしないい分なのです。確かに政治家が大臣に
なっていますが、政治家も大臣に任命されたら「官僚の身分」に
なるのです。したがって、大臣は名実ともに官僚の上司というこ
とになります。
 公務員の身分保障の規定は、「政治家は悪いことをする」とい
う前提に立っています。政治家は自分の政治的な野望のため、自
分の気に入らない公務員を免職し、自分の息のかかった人物を登
用したりする恐れがあるので、こういう規定を作って、官僚の人
事には政治家が口を出させないようにしているのです。
 しかし、自民党が結成された1955年以降、政治家と官僚は
共存してやっていくようになったのです。これは一種の取引のよ
うなものです。例えば大臣は公務員の人事には口を出さないが、
その代り、これこれの協力はするというようにです。
 これは一定の効果をもたらし、自民党は非常に長期にわたる安
定政権を続けることができたのです。小沢一郎元民主党代表は、
かつて自民党の幹事長のとき、政治改革を実現させようとしたの
ですが、官僚機構の厚い壁に跳ね返され、自民党にいては政治改
革はできないと判断して自民党を離党したのです。当時既に自民
党と官僚との関係は抜き差しならぬものになっており、自民党の
中からそれを変えるのは不可能になっていたのです。
 小沢氏は、以来さまざまな理不尽な苦難に遭いながらも、一歩
一歩本丸に近づきつつあります。官僚側も負けてはいません。こ
ともあろうに、今度は反小沢系の民主党政権を取り込んで、自ら
を守ろうとしています。
 現在の官僚機構は盤石であり、政治家はそれに対抗できなくな
りつつあります。事務次官の立場からいうと、大臣は何も知らな
い、能力のない素人の方が都合がよいのです。彼らは彼らのやり
方で、大臣などいなくてもやれる力を持っているからです。しか
し、それは国益のためではなく、あくまで省益のためです。そし
てうまくいかないときは大臣に責任をとらせればよいのです。自
分たちの身分は保障されており、クビになる心配はないのです。
 現在、官僚側は完全に主導権を握っていて、やりたいようにで
きる体制にあります。民主党の反小沢系の政権が官僚と手を握り
自民党化しつつあるからです。菅政権と野田政権は、何かという
と、自民党との大連立を口にしています。そうなることが官僚側
には都合がよいので、政権側にサジェスチョンしていると思われ
ます。昔の自民党のようにしようと思っているからです。
 しかし、官僚が主導権を持って省益で国を動かしている現状は
まさに「官僚の暴走」です。政治家の暴走は国民が選挙でチェッ
クすることは可能ですが、官僚の暴走は、国民の力ではどうする
こともできません。だから「脱官僚」は必要です。
 現在、迷走を続ける民主党が戦うべき本当の相手は、官僚の世
界を「聖域」化している諸制度と慣習である──既出の原英史氏
はいいます。それは公務員制度の改革なのです。日本はいま未曽
有の危機にあります。野田政権は、それこそ過去の恩讐を乗り越
えて、真の意味での党内の一体化をはかり、日本の国益のために
公務員制度改革に党を上げて全力で取り組むべきであり、それが
使命であると考えます。  ─── [日本の政治の現況/66]


≪画像および関連情報≫
 ●わざと素人大臣を起用し政治主導を完全放棄/原英史氏
  ―――――――――――――――――――――――――――
  野田首相は財務告が担ぎ上げた政権であるといわれる。私も
  そう思うし、状況証拠もある。例えば、2009年の事業仕
  分けで建設凍結となった財務省所轄の公務員宿舎(埼玉県・
  朝霞市)がいつの間にか着工していたりする。もちろん、凍
  結解除を認めたのは当時の財務相、今の野田首相その人だ。
  役人に取り込まれている首相がそれをゴマカすために公務員
  制度改革を持ち出し、蓮舫大臣を担当にしたところで、その
  正体は見透かされている。(談)
               ──9/6発行/日刊ゲンダイ
  ―――――――――――――――――――――――――――

原英史氏.jpg
原 英史氏
 
posted by 平野 浩 at 04:13| Comment(1) | TrackBack(0) | 日本の政治の現況 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年09月14日

●「事務次官会議をなぜ復活するのか」(EJ第3141号)

 2007年8月のことですが、当時の防衛相・小池百合子氏は
守屋武昌防衛事務次官を更迭し、かねてから親交のある警察庁出
身の西川徹氏を防衛事務次官とする人事案を実現させようとして
密かに動いたのです。
 しかしこの人事情報は、たちまち守屋事務次官の知るところと
なり、守屋氏は小池大臣ではなく、当時の安倍首相や塩崎恭久官
房長官に対して直接人事案の撤回を直訴し、塩崎官房長官が守屋
氏の肩を持つという異常事態が発生したのです。
 人事権者は明らかに小池防衛相です。しかし、小池氏が決めよ
うとした人事案を部下の守屋氏が撤回させようと政権のトップに
直訴したのです。「何とかしてくれ!」と・・・。
 常識的には人事権者の決めたことであり、守屋事務次官の撤回
要求はスジが通らないものです。ところが塩崎官房長官は小池防
衛相の方にクレームをつけたのです。「官僚の人事には介入しな
い」という慣例に反する行為だからです。
 これに激怒した小池防衛相は辞任を口にして抵抗したのですが
安倍首相、塩崎官房長官らは、守屋留任でも西川でもない「第3
の人事案」を小池防衛相に提案して事態の収拾を図ろうとしたの
です。マスコミはこれを「痛み分け」とか「けんか両成敗」など
と書き立てる事件があったのです。
 民主党はこういう人事を巡るドタバタをやめて、次の方針を掲
げたのです。
―――――――――――――――――――――――――――――
 事務次官・局長などの幹部人事は、政治主導の下で業績の評価
 に基づく新たな幹部人事制度を確立する。政府の幹部職員の行
 動規範を定める。   ──民主党マニュフェスト/2009
―――――――――――――――――――――――――――――
 しかし、これをやられると官僚側には何かと都合のわるいこと
が多く、絶対に受け入れられないことなのです。そのため、これ
を計画的に潰しにかかったのです。
 さらにこれに関連して鳩山政権は、次のように事務次官会議の
廃止を宣言しています。
―――――――――――――――――――――――――――――
 これまでの事務次官等会議などは廃止し、政府の決定について
 事務次官など官僚のみによる事前調整にゆだねることはしない
―――――――――――――――――――――――――――――
 これは単なる会議の廃止ではないのです。事務次官会議には全
省の事務次官が一堂に会するのです。毎週月曜日と木曜日──閣
議の前日に総理官邸で行われることになっています。この会議を
仕切るのは、官房副長官です。これは全事務次官の上に立つ存在
であり、文字通り官僚のトップということになります。
 野田政権では、この官房副長官には竹歳誠氏(元国土交通省事
務次官)が就いていることはEJ第3134号でお知らせした通
りです。勝英二郎財務事務次官の画策によるものです。ちなみに
官房副長官は政治任用の特別職であり、法律では3人と定められ
ており、そのうち2人は政府の副長官として国会議員が、1人は
事務の副長官として事務次官経験者が就くことが慣例となってい
るのです。
 事務次官会議に関連して、昔から守られてきている、ひとつの
不文律があります。次のような慣習です。
―――――――――――――――――――――――――――――
 総理以下、各大臣が勢揃いして閣議で決定する案件は、必ず、
 前日の事務次官会議で、全会一致で了承されなければならない
―――――――――――――――――――――――――――――
 例えば、ある省で法案を国会に提出する場合、事務次官会議は
全会一致と決められているので、事務次官会議の前の段階で、全
省と根回しをして、事務次官会議で賛成してもらうよう調整する
必要があるのです。そのための会議が「各省協議」です。
 この各省協議で、相撲取りの星の貸し借りのように、この法案
は賛成するから、うちの出す法案は賛成してくれといったような
取引が行われるのが通例になっています。こういうものがあるの
で、事務次官会議や閣議は儀式化してしまうのです。こういうや
り方が120年間以上続いてきたのです。
 民主党はこういうやり方を変えようとしたのです。これは画期
的なことです。政権交代がなければ絶対にできないことです。政
治家同士が議論して方針を決定するトップダウン型にすれば、事
務次官会議などは不要になるのです。政策調整は「閣僚委員会」
で行うことになります。
 閣僚委員会は、正式には「基本政策閣僚委員会」といい、閣議
の前に主要閣僚による政策協議を行い、閣僚が課題を調整するこ
とによって、政治主導を行おうとするものであり、鳩山内閣の政
権構想としてはじめられたものです。これは英国の議会制度を参
考にしたものです。(「関連情報」参照)
 鳩山内閣は迷走したといわれます。確かに沖縄問題などの外交
問題では、そういう面もありましたが、慣れないなか、随分がん
ばったと思うのです。支持率が下がったのは、明らかにこの政権
を潰そうとするある勢力が働いたからなのです。
 少なくとも選挙前に打ち出したマニュフェストを何とか守ろう
とする民主党政権に対しては、官僚機構は記者クラブメディアを
使って潰しにかかっています。そういう政権が存続することは官
僚機構にとって困るからです。
 そういう意味で野田内閣になってから、直ちに事務次官会議が
復活したことにきは違和感を感じます。事務次官会議が復活する
と、既に禁止されている「事務次官会見」も復活する可能性があ
ります。この会見は「あくまで官が政の上の存在である」ことを
誇示するものであり、政治主導に反するものです。
 民主党にとって敵は自民党などの野党ではないのです。官僚機
構なのです。民主党として力のある政治家を結集することこがな
ぜできないのでしょうか。 ─── [日本の政治の現況/67]


≪画像および関連情報≫
 ●民主党政権と「政治家主導の政治」/富士通総研
  ―――――――――――――――――――――――――――
  民主党のマニフェストにも記されている閣僚委員会とは、イ
  ギリスのCabinet Committeeの日本語訳であろう。イギリス
  でも内閣は閣議においてその意思決定を行うが、閣議の構成
  員である閣内大臣は20名を越えるため、その場での実質的
  な議論は困難である。そのため省横断的な場合、予算規模が
  大きい場合、新たな政策展開を行う場合には、その政策課題
  ごとに総理を含む関係大臣が定期的に集まり、少人数で実質
  的な議論を通して総合調整を行い、その結果を閣議に報告し
  て正式に意思決定する。イギリスではサッチャー政権におい
  て、閣議よりも「閣僚委員会」が実質的意思決定を担うよう
  になったと言われている。
  http://jp.fujitsu.com/group/fri/column/opinion/200908/2009-8-4.html
  ――――――――――――――――――――――――――

小池百合子衆議院議員.jpg
小池 百合子衆議院議員
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2011年09月15日

●「民主党マニュフェストと小沢一郎」(EJ第3142号)

 鳩山政権は「5原則」と「5策」を掲げて、政権を発足させて
います。そのうちの「5原則」を以下に示します。
―――――――――――――――――――――――――――――
 【原則1】:官僚丸投げの政治から、政権党が責任を持つ政
       治家主導の政治へ
 【原則2】:政府と与党を使い分ける二元体制から、内閣の
       下の政策決定に一元化へ
 【原則3】:各省の縦割りの省益から、官邸主導の国益へ
 【原則4】:タテ型の利権社会から、ヨコ型の絆の社会へ
 【原則5】:中央集権から、地域主権へ
―――――――――――――――――――――――――――――
 この5原則を見ると、その基本的部分は小沢一郎氏が自著『日
本改造計画』(講談社刊)で主張していることを実現するプラン
になっています。といっても、小沢元代表の時代に作ったもので
あるから、自分たちはあずかりしらないといっている反小沢系の
民主党議員がいるようですが、とんでもない話です。
 マニュフェストは、当時の民主党の正規の意思決定機関を経て
決定されたものであり、すべての民主党議員のマニュフェストで
あることは当然のことです。それを鳩山、菅両政権において、ロ
クに努力せず、実現不能のこととしてマニュフェストを葬り去ろ
うとしていることは国民に対する裏切りです。
 この鳩山政権時のマニュフェストの骨格部分が小沢一郎氏がか
ねてから主張している理念と同じであるかどうかを以下に実証し
ていきます。「5策」のうち「第1策」を以下に示します。
―――――――――――――――――――――――――――――
 第1策 政府に大臣、副大臣、政務官(以上、政務三役)、大
 臣補佐官などの国会議員約100人を配置し、政務三役を中心
 に政治主導で政策を立案、調整、決定する。
        ──鳩山政権構想マニュフェスト「5策」より
―――――――――――――――――――――――――――――
 この「第1策」は、ほぼそのまま『日本改造計画』で述べられ
ています。なお、現在の副大臣、政務官などの役職についても、
小沢氏が自民党の小渕政権との連立(自自連立)のさい、提案し
決められたものです。小沢氏は、英国の議会を例に引きながら、
日本の議会のあり方を次のように説いています。
―――――――――――――――――――――――――――――
 日本ではどういう形にするか。
 省庁ごとに2〜3人の政務次官と4〜6人の政務審議官ポスト
 をつくり、与党議員を割り振るのがよい。その結果、閣僚を含
 めて与党議員のうち150〜160人程度が政府に入る。政府
 ポストを与えられた与党議員は、各省庁の局ごとの分担なり、
 テーマごとの分担なりを決めて政策を勉強し、政策立案に参画
 する。省庁の政策方針を決定するときでも、政治家チームが、
 官僚の助言と協力を得ながら、最終的な責任を持つという形で
 リードする。これが本当の意味で「民」主体の政策決定であり
 民主主義の根幹をなすものだ。       ──小沢一郎著
                 『日本改造計画』/講談社
―――――――――――――――――――――――――――――
 小沢氏は1993年にこの提案をしており、それが民主党のマ
ニュフェストのベースになっていることは明らかです。しかし、
当の民主党の議員──反小沢系だけでなく、小沢系の議員を含め
て、どれほどの議員がこの本を読んでいるのでしょうか。
 政治について発言する機会の多い政治評論家やコメンテーター
それに政治学者や改革派官僚と呼ばれる人たちの小沢氏に関する
コメントを聞いたり見たりすると、どうやら彼らもこの本を読ま
ずに発言しているとしか思われない人も多いのです。
 つまり、小沢一郎像を完全に取り違えているのです。かつて田
中角栄や金丸信が、数を頼んで政治の主導権を取り、不正な金を
動かし、陰で政権を操ったようにきっと小沢もやっている──こ
う信じて疑わないようです。彼らは、それまで小沢氏の著作や政
治的実績を十分に調べもせず、風評によって小沢氏を貶めている
のです。しかし、メディアの中枢は小沢氏の力をよく知っていて
その政治力を潰そうとしていることは確かです。
 さて、マニュフェストの「第1策」についてですが、十分なか
たちで実現されているかといえば、それは「ノー」です。なぜ、
実現されないのでしょうか。それは、民主党議員の力不足、経験
不足といわざるを得ないのです。
 しかし、今までに一度も政権与党についたこともなく、政治的
経験も少ないのですから、うまくいかないのは当然のことです。
何しろ相手は明治維新以来続いている官僚機構なのです。これを
崩すには相当強い政治的リーダーが必要なのです。民主党はその
リーダーをあろうことか、座敷牢に入れているのです。これは政
治的謀略としか、いいようもないことです。
 それではどうすればよかったのでしょうか。
 鳩山内閣は「5原則」の2で、「政府と与党の一体化」を掲げ
ています。しかし、これが十分にできていないのです。既に述べ
たことですが、小沢氏は次のようにいっているのです。
―――――――――――――――――――――――――――――
 与党の重要ポストを内閣に取り込むことだが、日本では法案に
 ついて内閣が責任を十分負えるよう、与党側の議会運営の最高
 責任者、たとえば幹事長を閣僚にする。それによって、内閣と
 与党が頂点で一つになり、責任を持って政治を運営できる。
                ──小沢一郎著の前掲書より
―――――――――――――――――――――――――――――
 幹事長を閣僚にする──このように小沢氏はいうのです。もし
鳩山政権が小沢幹事長を閣僚にしていたら、きっとまだ鳩山政権
は続いていたと思われます。しかし、当時の鳩山氏には小沢氏に
権力が集中することを恐れて、幹事長にするのでさえ、迷うテイ
タラクだったのです。   ─── [日本の政治の現況/68]


≪画像および関連情報≫
 ●小沢氏が幹事長が引き受けたいきさつ/平野貞夫氏
  ―――――――――――――――――――――――――――
  2009年8月30日に歴史的な選挙結果が出たとき、鳩山
  氏の腹の中は、小沢氏に幹事長をお願いすることで固まって
  いた。ところが党内では、小沢氏の幹事長就任は好ましくな
  いので、岡田幹事長を留任させるべきだという動きが起こっ
  た。鳩山氏は、すでに9月1日には小沢氏に会いたいとの意
  向を示していたが、その意向が意図的に小沢氏側に伝えられ
  ず、9月3日午後になつて鳩山氏自らがプレスに対して「今
  日小沢さんと会う」と伝え、ようやく会談が実現した。鳩山
  氏は岡田幹事長案に賛成しなかったので、鳩山氏の周辺は、
  「政権運営、政策協議に関わらない」という条件で小沢氏の
  幹事長就任を受け入れた。鳩山氏は、小沢氏に「選挙と国会
  運営をお願いします」という形で幹事長就任を要請した。小
  沢氏はこれを受け入れた。 これが事実経過だが、果たして
  このような考えで行う議院内閣制度というものがあるのだろ
  うか。しかも、当初国会道営までも政府側でやるとの意見が
  あったらしい。三権分立についての理解が欠如していると言
  わざるを得ない。            ──平野貞夫著
       『日本一新/私たちの国が危ない!』/鹿砦社刊
  ―――――――――――――――――――――――――――

民主党マニュフェスト.jpg
民主党マニュフェスト
posted by 平野 浩 at 03:00| Comment(1) | TrackBack(0) | 日本の政治の現況 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年09月16日

●「国会法改正をなぜやらなかったのか」(EJ第3143号)

 9月11日、テレ朝の「サンデー・フロントライン」で、後藤
田正晴氏の秘話──危機管理の対応について特集していましたが
ご覧になったでしょうか。
 番組の狙いは、もし、後藤田氏がいま健在で、東日本大震災や
福島原発事故の処理を担当したとしたら、どのような対応をした
かについて、視聴者に考えさせたかったものと思われます。これ
までの菅政権の対応があまりにもひどかったからです。
 しかし、何も亡くなった人を持ち出すまでもなく、まかせてや
らせてみたら、他の政治家とは違う危機管理の対応のできる政治
家が一人います。小沢一郎氏です。彼は岩手県出身であり、豊富
な政治経験と決断力を持つ剛腕政治家です。そのような小沢氏を
座敷牢に入れておくほどもったいないことはないと思います。
 もし、鳩山政権に小沢氏が幹事長として入閣していたら、小沢
氏はどのような手を打ったでしょうか。今までの小沢氏の行動を
参考にして推理してみることにします。
 小沢氏は、最初に国会法の改正に手をつけたはずです。政権交
代した民主党を待っていたのは2010年度予算案です。通常年
度予算は8月半ばまでに各省で詰められ、8月末までに概算要求
というかたちで財務省に上がってきているのです。当然のことで
すが、鳩山政権が発足した9月半ばには、概算要求は財務省に上
がってきていたのです。
 しかし、これは自民党政権下で提出されたものであり、民主党
としてはこれを追認するわけにはいかないのです。当然白紙から
やり直すことになります。予算案の提出は12月です。3ヵ月し
かない。ベテランがやっても3ヵ月では厳しいのに、民主党は予
算編成をやるのははじめてであり、自力でやるのは非常に困難な
ことです。叡智を集める必要があったのです。
 しかし、民主党は2010年度予算の全面組み替えを国民に約
束しているのです。そして予算に優先順位をつけて組み替えを行
い、マニュフェストの財源を捻出するのです。そのためには政治
主導で予算の骨格を策定する組織を作る必要があり、そこに民主
党の国会議員をスタッフとして集結させる必要があったのです。
 それでは、なぜ、国会法の改正が必要なのでしょうか。
 それは、予算の骨格を決める次の2つの組織を機能させるため
に必要だったのです。
―――――――――――――――――――――――――――――
        1. 国家戦略局 → 予算編成
        2.行政刷新会議 → ムダ排除
―――――――――――――――――――――――――――――
 国家戦略局は民主党の政権構想の「第3策」で、行政刷新会議
は「第5策」に掲げられています。国家戦略局には菅直人氏が副
総理格で国家戦略相に決まり、そのときは予算の全面組み替えを
やるぞと意気盛んだったのです。
 しかし、国会法には「兼業の禁止」規定があるのです。国会法
第39条です。
―――――――――――――――――――――――――――――
 【国会法第三九条】議員は内閣総理大臣その他の国務大臣、内
 閣官房副長官、内閣総理大臣補佐官、副大臣、大臣政務官及び
 別に法律で定めた場合を除いてはその任期中国又は地方公共団
 体の公務員と兼ねることができない。ただし、両議院一致の議
 決に基づき、その任期中内閣行政各部における各種の委員、顧
 問、参与その他これに準ずる職に就く場合はこの限りでない。
―――――――――――――――――――――――――――――
 この条文は、民主党の谷亮子参院議員が議員をしながら柔道を
続けようとしたときにも問題になった条文です。このケースなら
誰でも理解できるのですが、民主党マニュフェストの「国会議員
100人を政府に配置」する場合もこの規定が問題になります。
 同様に国家戦略局や行政刷新会議に多くの国会議員を送り込む
場合もこの兼業の禁止の規定が立ちはだかるのです。これについ
て、原英史氏は次のように述べています。
―――――――――――――――――――――――――――――
 この規定があるため、仮に仙谷大臣が、行政刷新会議の「事務
 局長」や「次長」といったポストに(副大臣や政務官以外の)
 民主党議員を就けようとしても、法律上許されない。そして、
 民主党議員を「仕分け人」にすることも、実は合法性の疑わし
 いグレーな行為だったのだ。このため、「仕分け人」議員は、
 敢えて位置付けを暖昧にした「ワーキンググループ」のメンバ
 ーという形にされていた。正式に政府の職員として辞令を交付
 し、「事業仕分け」に参画させたら、現行の国会法に明らかに
 違反するからだ。         ──原英史著/新潮社刊
    『官僚のレトリック/霞が関改革はなぜ迷走するのか』
―――――――――――――――――――――――――――――
 小沢氏はかねてから国会法の改正には強い意欲を燃やしており
自自連立などを通して少しずつ改正させてきています。したがっ
て、もし小沢氏が政府側に入っていれば、10月からの臨時国会
の冒頭に「国家戦略局改正法案」を提出し、成立させていたはず
です。それはけっして困難なことではなかったはずです。
 しかし、なぜか鳩山首相は早々と国家戦略局はあきらめてしま
うのです。どうしてあきらめてしまったのでしょうか。諸説はあ
りますが、菅国家戦略相にあまり大きな権限を与えたくなかった
ともいわれています。
 鳩山首相はその代り行政刷新会議には力を入れ、枝野、蓮舫両
議員を使って事業仕分けを派手に展開したのです。しかし、予算
の組み替えとムダの排除とは、その狙うところが異なるのです。
はっきりしていることは、ムダの排除だけではマニュフェストを
実現するための必要な財源など到底出てこないのです。
 なぜ、鳩山首相は、国家戦略局をあきらめてしまったのでしょ
うか。それはマニュフェストを実現するために一番大事なことで
あったのです。      ─── [日本の政治の現況/69]


≪画像および関連情報≫
 ●民主党マニュフェスト/第3策と第5策
  ―――――――――――――――――――――――――――
  第三策 官邸機能を強化し、総理直属の「国家戦略局」を設
  置し、官民の優秀な人材を結集して、新時代の国家ビジョン
  を創り、政治主導で予算の骨格を策定する。
  第五策 天下り、渡りの斡旋を全面的に禁止する。国民的な
  観点から、行政全般を見直す「行政刷新会議」を設置し、全
  ての予算や制度の精査を行い、無駄や不正を排除する。官・
  民、中央・地方の役割分担の見直し整理を行う。国家行政組
  織法を改正し、省庁編成を機動的に行える体制を構築する。
               ──民主党マニュフェストより
  ―――――――――――――――――――――――――――

事業仕分け/行政刷新会議.jpg
事業仕分け/行政刷新会議
posted by 平野 浩 at 03:13| Comment(0) | TrackBack(0) | 日本の政治の現況 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年09月20日

●「鳩山政権はなぜ戦略局を断念したのか」(EJ第3144号)

 鳩山元首相は、国家戦略局強化になぜ一転消極的になったので
しょうか。民主党にとって国家戦略局の新設は、官僚機構の本丸
である財務省に切り込むと同時にマニュフェストの財源確保のた
めに不可欠であったはずです。
 菅氏が巨大な権力を握ることに懸念したともいわれますが、そ
の真意はいまだにわかっていないのです。その代り鳩山氏は、行
政刷新会議にはかなり力を入れ、こちらを「政治主導の司令塔」
として機能させようとしたのです。つまり、事業仕分けで予算の
組み替えをしようと考えたわけです。
 しかし、この考え方は間違っています。少なくとも事業仕分け
で税金の無駄を削っても、民主党のマニュフェストの財源を生み
出すことができないことは最初からわかっていたからです。
 なぜなら、ムダというのはその予算を必要とする側の意見とム
ダと断ずる意見が真正面から衝突し、決着がつかなくなるからで
す。それに事業仕分けは、行政のムダを発見する方法ではあるが
ムダと判定した事業に関しては、予算を計上した省庁で原案につ
いて廃止を含め、再考を促すに過ぎないのです。そのため、事業
仕分けで「廃止」と判定しても続々と復活してきているのです。
 しかし、予算の組み替えはムダを排除することではなく、国家
戦略に基づいて優先順位づけを行い、優先順位の低い政策は新年
度予算からは削るのです。これこそ政治主導で行うべきであり、
これならマニュフェストの予算は確実に確保できたはずです。
 鳩山氏が側近などからの間違ったアドバイスを受け入れ、小沢
氏を幹事長には任命するものの、「政権運営、政権協議には関わ
らない」と条件をつけたことは大失敗であったのです。鳩山氏は
いまだに自分のミスに気づいていないように思われます。
 鳩山氏が国家戦略局に対して冷淡であったことは、2010年
2月に提出された「政治主導確立法案」においても国家戦略局に
まったく配慮していないことでも明らかです。原英史氏はこれに
ついて次のように述べています。
―――――――――――――――――――――――――――――
 2010年2月に遅ればせながら提出された「政治主導確立法
 案」では、「行政刷新会議」については「専門委員」という形
 で、国会議員が、正式にサポートに入る仕組みが用意されてい
 る(「事業仕分けチーム」への参加を想定していると考えられ
 る)。しかし、「国家戟略局」については、どうしたわけか、
 「国家戦略局長」と「国家戦略官」の2名しか、国会議員は着
 任できないように定めてある。例えば「11年度予算での全面
 組み替え」を本気で「国家戦略局」でやろうと考えているなら
 ば、相当数の国会議員によるサポートが当然必要になるはずだ
 が、なぜそのための制度を設けていないのか、不思議でならな
 い。               ──原英史著/新潮社刊
    『官僚のレトリック/霞が関改革はなぜ迷走するのか』
―――――――――――――――――――――――――――――
 実は、民主党が政権を取ったとき、財務省は最悪の事態を考え
てその対応策を練っていたのです。2003年の民主党のマニュ
フェストには「内閣財政局」の設置が明記されていたのです。し
たがって、鳩山内閣が内閣官房か内閣府に予算局を設置し、政治
主導で予算編成を実現させる可能性は十分にあったのです。
 財務省が絶対に守ろうとしていることは、次の3つのことなの
です。これは国のためではではなく、省益のためです。
―――――――――――――――――――――――――――――
          1.財政破綻の回避
          2.予算配分権確保
          3.特別会計の死守
―――――――――――――――――――――――――――――
 財務省は、税収減と財政危機──基本的には自らがそういう状
況を作ったのであるが、彼らはそうは自覚していない──これに
よって、自由裁量で差配できる財源がどんどん小さくなっている
ことに強い危機感をもっているのです。これは財務省の権力が小
さくなることを意味しており、絶対に避けなければならないと考
えていたのです。そのために彼らが画策していたのが消費税の大
増税なのです。
 しかし、財務省は自信を持っていたのです。仮に官邸に予算局
ができたとしても、実質的な予算編成権を握れればよいと考えた
のです。国家の予算編成は誰でもできるものではなく、財務官僚
が協力しなければ不可能です。その予算局には財務官僚が入り、
財務省の定番のポストである官房副長官補の指揮の下で予算編成
が行われれば実質的に同じと考えたからです。
 特別会計については、一般会計よりも財務省の自由裁量の余地
がまだ大幅にあるので、それを支配下におくことで、ことカネに
関しては財務省が支配できるので死守しようというわけです。
 しかし、案に相違して予算局の話は封印され、国家戦略局によ
る予算の組み替えも事実上見送られたのです。確証はないものの
これは官邸と財務省の間で何らかの取引が行われたのではないか
と考えられます。
 予算の全面見直しは見送る代りに、財政刷新会議での事業仕分
けについては財務省は協力し、それなりの削減を行い、予算編成
に全面協力するというものです。
 実際問題として、鳩山内閣では2010年度予算の全面組み替
えには絶望感を示す議員も多くいたのです。「2011年度予算
からやればいいではないか」という声も多かったのです。しかし
政権交代のときであったからこそ、何が何でもやるべきだったの
です。小沢氏だったら絶対に妥協しなかったと思われます。
 結局麻生内閣の概算要求88兆円をほぼそのままにし、それに
民主党マニュフェストの予算を上乗せした予算を作ってしまった
のです。予算の全面組み替えは結局行われなかったのです。これ
は民主党の国民への明らかな裏切りであり、とうてい許されない
ことなのです。      ─── [日本の政治の現況/70]


≪画像および関連情報≫
 ●EJ第3000号記念パーティー開催!
  ―――――――――――――――――――――――――――
  2011年9月17日午後6時、ライオン銀座本社6階ホー
  ルにおいて、EJの読者有志による「EJ第3000号記念
  パーティー」が開催され、大勢の方が参集されました。ご多
  忙のなか参加していただいた読者、メッセージやお祝い金を
  お寄せいただいた読者に対して、EJ執筆者として厚く御礼
  申し上げます。EJ2000号達成は、2007年1月17
  日、EJ3000号達成は2011年2月21日です。その
  4年間で19のテーマを取り上げましたが、その内訳は次の
  ようになっています。
  ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
       経済  7     音楽  2
       IT  3     歴史  3
       政治  4
  ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
  EJはどこまで続けることができるか、執筆者の私にもわか
  りませんが、これからも4000号を目指して執筆してまい
  ります。今後ともご愛読のほどよろしくお願いします。
                       ──平野 浩
  ―――――――――――――――――――――――――――

EJ3000号記念パーティー.jpg
EJ3000号記念パーティー
posted by 平野 浩 at 04:15| Comment(1) | TrackBack(0) | 日本の政治の現況 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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