2005年11月29日

戦略を忘れた参謀本部の暴走(EJ1726号)

 メッケルが陸軍大学校にやってくるまでは、フランス陸軍の戦
略の専門家、ベルトー大尉が『戦略原理』というテキストにした
がって、戦略論を教えていたのです。
 しかし、メッケルが教えたのは主として戦術論であり、話が具
体的で面白いので、誰も戦略の重要性にはあまり重きを置かなく
なってしまったのです。そして、任期切れのベルトー大尉を二度
と招かなかったのです。
 しかし、これは大きな間違いであったといえます。確かに対清
国、対ロシアとの戦争が迫っていたという事情があり、具体的な
戦術論が役立つという背景はあったといえます。
 とはいえ、つねに情報を収集して時流の分析を行い、国家とし
ての的確な判断を行うため、戦史の研究などをもっと力を入れて
やるべきであったのです。
 もちろんメッケルは戦略の重要性についても力説したのですが
具体的な図上演習、参謀旅行など、実地に即した戦術論の面白さ
に学生たちは目を奪われてしまったのです。これが、日露戦争以
降の日本の重要な判断ミスにつながっていくのです。
 戦略的に判断していれば、アジア諸国および太平洋上の島々に
おいて、2000万人を超える人々の命を奪い、日本人にも31
0万人という犠牲を出して惨めな敗戦を迎えることはなかったは
ずです。国家としての戦略が完全に欠落していたのです。
 もともと参謀が重要視されたのは、ナポレオン率いるフランス
軍がプロシア軍に敗れたからです。ナポレオンという軍事戦術の
天才ですらも、大規模な組織を動かすには能力の限界があったこ
とを示しているのです。
 近代戦においては指揮官の能力は、個人の把握できる限界を超
えており、そのために参謀本部が必要になったのです。しかし、
その参謀本部が天皇に直属するというプロシア式統帥権を採用し
ていたために、参謀本部がそれを利用して日清戦争に突き進むこ
とを許したのです。
 日清戦争において、戦略なき参謀本部の暴走があったことは事
実なのです。その中心人物は、当時参謀本部次長に過ぎなかった
川上操六その人なのです。
 今回のテーマの第2回目に、徳富蘇峰の次の一文を紹介してい
ますが、再現しておきましょう。
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 日清戦争は老人が始めたのではない。若者が始めたのだ。内地
 では、川上、北京では小村、それに巧く活機を捉えた所の陸奥
 などが、巧みに伊藤、山縣等の大頭を操って行ったらしいと思
 う。                ――『蘇峰自伝』より
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 この中の川上、小村、陸奥の3人のうち重要な役割を演じたの
は、川上操六なのです。川上は何とか清国と戦争する口実が欲し
かったのです。そこで、彼は朝鮮(李王朝)内部の内乱鎮圧を利
用しようと考えたのです。
 閣議で清国と共同で朝鮮から出兵要請を受けることを決めたと
き、川上は1個旅団を送ることを政府に報告しています。伊藤は
「もっと削れ」と命令したのですが、川上はこれを拒否していま
す。参謀本部の次長に過ぎない川上が首相の命令を拒否したので
す。川上は「兵数はじめ、出兵に関するすべては内閣の権限外で
ある」として、1個旅団を送ることを決めています。
 しかも、伊藤総理は1個旅団は2000人であると勘違いして
いたのですが、2000人は平時の人数であって、戦時には80
00人ほどにふくれあがるのです。にもかかわらず、川上はそれ
を総理に報告していないのです。
 伊藤首相としては、朝鮮半島における日清両国の勢力のバラン
スをうまくとって、平和裡にことを収めようとしていたのですが
川上はいうことをきかなかったのです。
 陸軍大将の大山巌も膨大な数の朝鮮出兵に不安を感じていたの
です。アジアにおいて列強の侵略を阻んでいる勢力は日本と清国
であり、この両国が戦争をすれば喜ぶのは欧州の列強である――
戦争をしてはならない。勢力均衡の埒外に出るなと戒めたのです
が、参謀本部は聞く耳を持たなかったのです。
 川上をはじめとする開戦派のアタマにあるのは、戦争をすれば
勝てる――それだけしかなかったのです。その判断は戦術として
は間違っていませんでしたが、戦略的思考に欠けていたのです。
 そういう意味において、日清戦争は純軍事的に見れば、明らか
に侵略戦争そのものだったといえます。参謀本部の暴走を時の総
理が抑えきれなかったのです。明らかにモルトケの戦略・戦術を
はきちがえているのです。
 とにかく日清戦争にはいろいろと疑惑があるのです。奈良女子
大学名誉教授中塚明氏の著書に『歴史の偽造をただす』という大
変興味深い本があります。その本の「はしがき」に次の記述があ
ります。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 いま「国民的作家」としてひときわその名が高い司馬遼太郎を
 はじめ、日清・日露戦争までの日本は指導者もしっかりしてい
 て国を誤らなかったのに、満州事変以降、太平洋戦争の時期に
 は、指導者の能力は極端に落ちて、無能な指導者によって敗戦
 の憂き目を見たのだと、考えている人が大勢いる。太平洋戦争
 における破たんは「明治の遺産」ではなく、「良き時代であっ
 た明治」への「背信」の結果であると考えているのである。
    ――中塚明著、『歴史の偽造をただす』より。高文研刊
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 これは違うと思います。明治の日本には数多くの問題があって
この遺産が大正、昭和に受け継がれていることを中塚氏は述べて
いるのです。具体的には日本軍の「朝鮮王宮占領」です。これは
明らかに当時の参謀本部の暴走なのです。
 これは、非常に面白いテーマですので、現在のテーマとは別の
EJのテーマとして取り上げます。・・・・・ [日露戦争20]


≪画像および関連情報≫
 ・中塚明氏の前掲書より
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  朝鮮王宮占拠の事実が、参謀本部の手によっていったんは詳
  細に書かれながら、その同じ参謀本部によって、ウソの「作
  り話」に書き変えられたのである。日本陸軍の参謀本部とい
  う公権力によって「歴史の偽造」が行われていたことが、ほ
  かならぬ参謀本部の記録で立証されたのである。
    ――中塚明著、『歴史の偽造をただす』より。高文研刊
  ―――――――――――――――――――――――――――

1726号.jpg
  『歴史の偽造をただす』
posted by 平野 浩 at 08:46| Comment(0) | TrackBack(0) | 日露戦争 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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