2005年11月22日

アレクセーエフ極東全権を握る(EJ1722号)

 EJは、現在、日露戦争開戦1年前の出来事を記述しておりま
す。しかし、どうして日本がロシアと戦争する事態になったのか
についてなるべく詳細に書こうと考えております。このあと、日
付を記載するとき、それが何年の話であるか、わからなくなると
いけないので、次の年月をあらかじめ示しておきます。
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 1904年(明治37年)2月 6日  ロシアと国交断絶
 1904年(明治37年)2月10日  ロシアに宣戦布告
 1905年(明治38年)9月 5日  日露講和条約調印
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 1903年当時、日露交渉に当った日本の政府首脳は、桂太郎
首相と小村寿太郎外相です。桂も小村も「ロシアとの戦争はやむ
なし」と心に決めていたものの、ぎりぎりまで戦争を避けるため
の日露交渉に全力を尽くしたのです。
 この時点で日本の政界に大きな影響力を持つ山縣有朋と伊藤博
文も対露交渉については桂−小村ラインに完全にまかせていたと
思われます。1903年7月に伊藤は枢密院議長に就任し、彼の
有する政友会総裁の地位を西園寺公望に譲っています。これによ
って、日露交渉の全権は桂−小村ラインに委ねられたのです。
 山縣有朋も桂−小村ラインの考え方を支持しており、彼も「ロ
シアとの戦争はやむなし」と考えていたのです。伊藤にしても山
縣にしても、桂−小村ラインが戦争を決意すればそれに従うハラ
は固めていたのです。
 1903年7月28日、小村外相はモスクワ駐在の粟野公使に
ラムズドルフ外相に対して交渉の申し入れをするよう命令してい
ます。これに対するロシア側の了承は得られたので、小村は8月
3日に目指すべき協定の基本線を粟野公使に示しています。この
提案の要旨は次の通りですが、この小村提案は、かなり強気の提
案だったのです。
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 1.清国と韓国の独立と領土保全を尊重し、各国のあらゆる商
   業活動を妨げてはならないこと。
 2.ロシアは日本の韓国における、また日本はロシアの満州に
   おける商工業活動を妨害しない。
 3.ロシアは韓国において日本が軍事上の援助を含めて助言を
   与える権限を持つことを認める。
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 これを見るとわかるように、ロシアの権限を明確に制限し、ロ
シアが韓国に有していた権限を放棄させ、日本の韓国における独
占的な権限を与える内容になっています。小村としてもこの案を
ロシアが認めるはずはないとは考えていましたが、交渉は最初は
強気に出る作戦で提案したのです。
 しかし、ロシアのラムズドルフ外相は多忙を理由として、粟野
公使に会うことを拒否し、8月12日にはじめて日本の提案を受
け取ったのです。
 ところがその12日にロシア皇帝は、極東大宰府を新設し、そ
の長にアレクセーエフ提督を任命すると発表したのです。これに
よってアレクセーエフはいわゆる極東総督になり、太平洋艦隊と
この極東地域に配備されたロシアの全軍を指揮し、極東地域でロ
シアと隣接する国家との外交関係を左右する権限を手に入れたの
です。もちろん対日窓口の最高責任者もアレクセーエフというこ
とになります。
 アレクセーエフ極東総督は、日本との交渉は駐日ロシア公使の
ローゼンと東京で行うべしと命令しているのです。これは、領土
を含む重要な国家間交渉を日本政府はロシアの出先機関との間で
行うことを意味しており、日本にとってきわめて屈辱的なことで
あったのです。
 とにかくロシアは日本をなめ切っていたのです。とくにベラブ
ラゾフらの対日強硬派はそうだったのです。3年間駐日ロシア公
使館付陸軍武官ワンノフスキー大佐や海軍のグランマッチコフ艦
長は、日本の軍隊について次のようにいっていたのです。
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 ・日本陸軍がヨーロッパ最弱の軍隊と同一の水準に達するのに
  はあと100年かかる。     ――ワンノフスキー大佐
 ・日本海軍は物的装備はまあまあだが、海軍軍人の精神を持っ
  ていない。軍艦の操法、運用などは幼稚というほかない。
                 ――グランマッチコフ艦長
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 ロシアの返事は遅れに遅れ、10月3日に返事がきたのです。
内容は日本にとってひどいものだったのです。
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 1.日本の韓国における優越な利益は承認するが、韓国の領土
   は軍略上の目的で使用してはならない。
 2.満州およびその沿岸は日本の利益の完全なる範囲外である
   ことを日本は承認しなければならない。
 3.韓国領土の中で、北緯39度以北にある部分は、中立地帯
   とし、両国は軍隊を引き入れないこと。
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 つまり、韓国における日本の優越な利益は条件付で認めるが、
そこを軍略的に使うことを禁ずるなど種々の制約を加えているの
に対し、満州は日本には関係ないから、一切はロシアが清国と相
談して自由に使うことを日本は承認すべしといっています。
 しかも、3については、韓国の北緯39度以北――現在の平壌
と元山を結ぶ線の中立地帯を除くと、ロシア側は韓国国境の鴨緑
江と豆満江を確保し、日本軍が満州や遼東半島に向かうのを阻止
できるなど、日本が到底承服できない内容だったのです。
 しかし、桂−小村ラインは交渉を継続すべしとして山縣、伊藤
とも連携して、日本は修正案をまとめ、10月末にロシアのロー
ゼン公使に手交しています。それは朝鮮半島の中立地帯のライン
の変更提案だったのです。   ・・・・・・ [日露戦争16]


≪画像および関連情報≫
 ・エフゲニー・イワノヴィッチ・アレクセーエフ
  ロシアの東方進出を推進した中心的人物で、皇帝の信任も厚
  く、しばしば国政を壟断した。海軍大将であったが、極東地
  区の内政・外政・軍事の三権を掌握し対日政策では日本の戦
  力を過小評価し強硬路線を取った人物である。

1722号.jpg
posted by 平野 浩 at 08:56| Comment(0) | TrackBack(0) | 日露戦争 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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