2001年05月01日

ソ連から見たキューバ危機(EJ607号)

 今朝も『13デイズ』の話です。EJ606号でお伝えした事
実に一部間違いがありましたので、もう少し正確に当時の状況を
お伝えします。
 フォーミンこと、フェクリソフ氏が、1962年10月26日
にスカーリ記者と2回会ったのは事実です。スカーリ記者が2度
目にフェクリソフ氏に会って米国側の提案を伝え、それは直ちに
クレムリンに打電されたはずなのですが、なかなか返事がこない
ので、米国側はイライラします。
 そして、10月27日になって、フェクリソフ氏はスカーリ記
者にまた呼び出されるのです。フェクリソフ氏によると、米国側
は、ソ連はキューバのミサイル基地が完成するまで時間稼ぎをし
ているのではないかと疑心暗鬼になっていたといっています。
 そのことに関連して、ロバート・ケネディ司法長官はその日、
駐米ソ連大使ドブルイニン氏に2回も会っています。確かにロバ
ート・ケネディVSドブルイニン会談はあったのですが、映画の
ような内容ではなかったのです。米国側の提案を伝える提案は、
スカーリ記者とフェクリソフ氏の間で行われたのです。
 それでは、なぜロバート・ケネディ司法長官は2度もドブルイ
ニン大使に会ったのかというと、27日に米軍のU2偵察機がソ
連側に撃墜された件についてであろうと思われます。27日にロ
バートは夜になってもう一度駐米ソ連大使館を訪問し、大統領顧
問ゲオルギー・ボルシャコフに会っています。深夜になっても、
クレムリンからの返事は来ず、米国側は「ソ連に騙されたかな」
と本気で考えたといわれます。米国側がこの時点で一番心配した
のは、フルシチョフ大統領の失脚だったのです。
 米国のU2偵察機を撃墜したのはキューバに赴任していたソ連
のゲルチェノフ少佐の部隊のミサイルで、午前10時21分に撃
墜は行われたのです。
すぐクレムリンに撃墜の件を報告したところ、モスクワからの
反応は10時55分に国務大臣から直接電話があり、「われわれ
は急ぎ過ぎた」といっていたそうです。したがって、このときク
レムリンでは、既に平和的手段による危機解決策が準備されてい
たようなのです。そして、その返事がきたのは、28日早朝のモ
スクワ放送だったのです。
 それでは、そもそもソ連はどういう目的でキューバにミサイル
基地を設置しようとしたのでしょうか。なぜこのような疑問をす
るのかというと、ソ連とキューバは、あまりにも距離が離れてい
るからなのです。
 当時弾道核ミサイルの分野では、ソ連は米国に1対17相当の
遅れをとっていたのです。そればかりか、トルコに配備された米
ミサイル「ジュピター」は、ソ連の中枢部に10分以内に到達す
るのに対し、ソ連のミサイルが米国に到達するには、少なくとも
30分はかかったのです。
 しかし、キューバに核ミサイル基地を作ると、米国本土には、
やはり10分以内に到達するのです。したがって、フルシチョフ
としては、どうしてもキューバにミサイル基地を築きたかったの
です。問題は、キューバにどのようにしてミサイルを持ち込むか
ということです。
 まず、カモフラージュが必要ということで、北方で大規模な軍
事演習をやると発表し、昼間には衆目の中でスキー板と防寒具を
大量に船に積み込んだりしたのです。
 巡航ミサイル「ソプカ」師団のミハイル・クジバノフ元司令官
によると、6月18日黒海の港を出港した時点では、船がどこに
向かうのか知らされていなかったといいます。出港前に受け取っ
たのは、白い封筒だけだったのです。
 その封筒には「中立海域到達後開封のこと」と書いてあり、そ
の海域に出たので空けてみると、別な封筒が入っており、そこに
は「地中海で開封のこと」とあったそうです。さらに次の封筒に
は「太平洋で開封のこと」とあり、太平洋に出てはじめて行き先
がキューバであることがわかったというのです。
 そのときキューバに設置されたのは、中距離核ミサイル「R1
2」です。その設置の任務を担ったのは、中距離核ミサイル連隊
のチーフ・エンジニア、アナトーリ・ブルロフ氏です。R12ミ
サイルは、長さ22メートル、総重量42トンの巨大な物体であ
り、牽引車の長さは約12メートルで、これにさらに5メートル
の牽引システムがつくという巨大なものです。
 アナトーリ・ブルロフ氏によると、10月26日以降なら、2
時間30分もあれば、ミサイルシステムを点検し、ミサイルを発
射台に引き出して弾頭を取り付け、垂直位置にマウントしてチャ
ージし、標的に照準を合わせる用意は出来たといっています。ま
さに間一髪であったといえます。
 このようにソ連側の情報を集めてみると、キューバ危機を克服
できたのは、両国首脳の努力はあるものの、きわめて運が良かっ
たとしかいい得ないのです。1992年に開かれたキューバ危機
に関する会議に出席したマクナマラ元国防長官は、当時キューバ
には広島型の原爆と同程度の破壊力を持つ核兵器が162発あっ
たとロシア側に聞かされて、ワナワナと膝を震わせていたという
話は有名です。30年経ってはじめて知った事実なのです。
 ところで、ケネディ大統領は、キューバにミサイル基地がある
ということが分かった時点では、戦争やむなしと考えたといわれ
ます。それは、映画での大統領の次の台詞にあらわれています。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 Well,if there are alternative that makes sense __and I`m
not saying that there are__then we need them and we need
them fast.
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 「もし他に選択肢があれば、といってもボクはあるとは思わな
いけどね、でもあれば早急に検討する必要がある」と。この「そ
んな解決策があるとは思わないけどね」という大統領のことばは
事態の深刻さを如実に物語っていると思います。

607号.jpg
posted by 平野 浩 at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | その他 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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