ろいろないきさつがあるのです。この紛争には直接関係はないも
のの、遠因ではないかとされているのは、ソ連崩壊後の混乱期に
ロシア側がウクライナに対して貿易代金の不払いをやった過去が
あったことです。
資源が少なく、経済的にも苦しいウクライナとしては、これに
よって、ロシアに対して強い不信感を持つようになったと思われ
るのです。おそらくソ連崩壊後のロシアは、ウクライナへの貿易
代金が払えなかったものと思われます。
ロシアはソ連時代に東欧から西欧にかけてパイプライン輸送網
を敷き、天然ガスを西欧諸国を含む関係各国に供給していたので
す。とくにウクライナを含む旧共産圏の国に対しては、他の西欧
諸国よりも格段に安い価格で天然ガスを供給していたのです。
この場合、パイプラインは各国の領内を通るので、その部分は
「パイプライン利用料」として、ロシアがその国に利用料を支払
うことになっているのです。
ウクライナはソ連邦時代から、再三にわたってロシアに無断で
ガスの抜き取りをしたり、天然ガスの料金を支払わなかったりし
ており、それに対抗してソ連はガスの供給を停止することが何度
も行われていたのです。
そして、プーチン大統領統治下の2006年1月にロシアはウ
クライナに対して天然ガスの供給停止を行ったのです。ロシアと
しては、今までと同様の経済的なもめごとであり、ビジネス上の
出来事に過ぎないとしているのです。つまり、「地政学」ではな
く、「地経学」であるというわけです。
しかし、この問題は今後のロシアのエネルギー戦略を読み取る
格好の事例であり、少し詳しく述べることにします。
そもそも2005年のロシアとウクライナの天然ガスをめぐる
紛争が政治的であるとみられるのは、2004年12月のウクラ
イナ大統領選挙でビクトル・ユーシチェンコ大統領が誕生し、彼
が親欧米の立場を鮮明にしたことにあるのです。この選挙を巡っ
て、いわゆる「オレンジ革命」が発生しています。
オレンジ革命というのは、米国が仕掛けたとみられる「色つき
革命」と呼ばれる民主化活動であり、ウクライナ大統領選挙のさ
い、巻き起こったのです。なぜ、オレンジ革命というのかという
と、オレンジをシンボルカラーとして、リボンやマフラーにオレ
ンジ色の物を使用したことからなのです。ロシアが応援したのは
ビクトル・ヤヌコビッチ候補であり、この選挙でプーチン大統領
はそれこそなりふりかまわずヤヌコビッチ候補に肩入れしたので
すが、ユーシチェンコ候補に敗れ去ったのです。
勝利を勝ち取ったユーシチェンコ大統領は、EUへのウクライ
ナの加盟を希望し、ロシア離れの立場を公然と表明したのです。
加えてユーシチェンコ大統領は、ロシアが提唱する「CIS」に
よる「集団安全保障条約機構」と「ユーラシア経済共同体」にも
拒否反応を示したのです。
CISというのは、旧ソ連邦の12ヶ国で形成された緩やかな
国家共同体であり、これを「独立国家共同体」と称するのです。
ウクライナから見ると、プーチン大統領は、旧ソ連邦の12ヶ国
を再びまとめようと画策しているように見えるのでしょう。
この事態を見てロシアはウクライナに対して、欧米化路線を取
るなら、CISに対するガスの特別価格を廃して、西欧諸国並み
の料金である230〜40ドル(1000立方メートル当たり)
を支払えと通告したのです。
それまでロシアはウクライナに対して、ソ連崩壊後、パイプラ
インのウクライナ通過料とバーター決済で、50〜80ドルで提
供していたのです。したがって、ロシアの値上げ通告は、3倍か
ら4倍の大幅値上げになるのです。
当然ウクライナは猛反発し、ロシアの要求を拒否し続けたので
す。段階的な値上げならともかく、一挙に4倍なんか支払えるは
ずがないというわけです。
ロシアの本音としては、何とかウクライナをロシアの勢力圏に
取り込みたかったのです。ウクライナは1991年にソ連から独
立しているのですが、ウクライナは、国内においてエネルギー資
源を産出できないので、エネルギーに関しては大きくロシアに依
存せざるを得ない立場です。
ウクライナという国は、黒海に面しており、カスピ海で産出さ
れる石油・天然ガスの欧米に対しての積み出し港として重要なポ
ジションにあったのです。もちろんロシアはウクライナを地政学
的に重要な地域としてとらえています。
ロシアとウクライナのガス価格交渉の経過について、ソ連・ロ
シア研究の第一人者である木村汎北海道大学名誉教授は次のよう
に述べています。
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モスクワとキエフ(ウクライナ)の主張は平行線をたどり、決
着する見通しが一向に立たなかった。業を煮やしたプーチン政
権は、遂に05年末、キエフ宛に最後通牒を突きつけた。もし
キエフが1000立方メートル当たり230〜40ドルへの値
上げに応じなければ、モスクワは翌年1月1日を期して、ウク
ライナ向けのガス供給を停止する、との通告である。その言葉
どうりにロシアは、06年元旦の午前10時、ガスの元栓を締
めた。 ――木村汎著、『プーチンのエネルギー戦略』
北星堂刊
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これがロシアのプーチン政権がウクライナに対して取った強硬
措置です。ロシアは単なるビジネス上のもめごとであると主張し
ていますが、これはプーチン政権による「エネルギー外交戦略」
そのものです。それは単にウクライナだけではなく、EU諸国や
日本に対しても今後ロシアが取ってくる可能性のある戦略である
といえます。ロシアはエネルギーを外交の手段として使おうとし
ているのです。 ―― [石油危機を読む/26]
≪画像および関連情報≫
●オレンジ革命について
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プーチンは2003年のイラク戦争には反対して米国と対立
する。イラクのフセイン政権打倒を果たし、自信を付けたア
メリカ政府は「世界民主化」と銘打って、西欧のNGOなど
と共にCIS域内の民主化勢力の支援を行った。この結果、
グルジア(バラ革命)、ウクライナ(オレンジ革命)、キル
ギスで独裁政権が倒れて民主化された。しかし、米軍が駐留
していたウズベキスタンでは、市民運動が革命に繋がらずに
失敗、その結果アメリカは怒りを買い、同国から米軍を撤収
させることとなった。また、プーチンはこの動きに対し、2
006初頭にウクライナへの天然ガス輸出を停止、EU諸国
にも影響を与え、欧米の民主化勢力を牽制した。
――ウィキペディア
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