2005年11月18日

絶対に譲れぬ一線とは何か(EJ1720号)

 日英同盟が成立すると、さすがのロシアも国際的非難をかわす
ためにも満州から兵を引いてみせる必要があったのです。これを
巡ってロシア政府内部には次の3つの案があったといわれます。
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 1.満州を一時的に清国に返還することによって、英国の警戒
   心を解き、日英同盟を実質的に無効にさせて、しかる後、
   再度満州に兵を入れる。
 2.装備や軍需物資はそのままに残しておき、とりあえず兵員
   8万人を撤退させる。必要になれば、兵員のみを輸送すれ
   ば直ちに戦力化できる。
 3.清国と協約を結び、計画にしたがって撤退するが、情勢の
   変化に合わせて撤退をコントロールする。そして、瀋陽付
   近に兵員を集結させる。
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 1の案は、蔵相ウィッテ、陸相クロパトキン、外相ラムズドル
フの3人が主張したものです。ロシアは全軍を満州から撤兵し、
国策会社の利権を外国商社に売り、東清鉄道を露清銀行を使って
準民営化させ、ロシアの信用を回復させる――そのうえでシベリ
ア鉄道を早期に完成させ、動員力を確保し、再び満州に兵を入れ
それから朝鮮半島にも進出するという案です。
 もし、この案をロシアが採用していたら、おそらく日本は開戦
の機会を失い、朝鮮半島も獲られていたかも知れないのです。し
かし、ウィッテ、クロパトキン、ラムズドルフの3人は、こと極
東政策に関しては既に発言権はなかったのです。
 極東関係の主導権は、ニコライ二世が寵愛していたベゾブラゾ
フとアレクセーエフ海軍大将に移っていたのです。とくに国策会
社――鴨緑江木材株式会社はベゾブラゾフが作ったものであり、
これを外国商社に売ることなど承知するはずがなかったのです。
結局、彼らの採用したのは3の案なのです。
 そこでロシアは、1902年4月8日に、10月18日までに
満州南部の遼河以西の地域から撤兵すると発表し、本当に撤兵す
したのです。続いて、1903年4月8日までに、盛京省と吉林
省からも撤兵すると発表したのです。
 しかし、第2次の撤兵は行われなかったのです。それどころか
シベリア鉄道の未完部分の建設と警護を理由に多くの将兵を満州
に送り込み、満州と朝鮮半島で戦えるだけの兵力を着実に蓄積し
ていったのです。
 ある国との間に外交の懸案事項があるとします。どこの国の政
治家も戦争などやりたくないと考えているので、何とか妥協点を
探ろうとします。しかし、あることを妥協すると、相手はその妥
協点を出発点とする新しい要求を出してきます。これを繰り返す
と、妥協する方がどんどん不利になっていくのです。
 優れた政治家というものは、いくら妥協を繰り返しても「絶対
に譲れない一線」というものを明確に持っています。それを冒さ
れたときは敢然と実力行使――つまり、軍事力の行使を行い、そ
の一線を守り、妥協しないのです。
 その点、明治の政治家は、その「絶対に譲れない一線」という
ものをきちんと持っていたといえます。その譲れない一線とは何
でしょうか。
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      ロシアが朝鮮を保護国にしないこと
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 これを具体的にいうと、ロシアが満州を支配下に置くことを意
味するのです。こういう点は、穏健派であって、最後まで戦争を
避けるため、日露協調を探った伊藤博文でもきちんとそれを持っ
ていたのです。
 それに比べて、現在の日本の政治家は「絶対に譲れない一線」
を持っているでしょうか。
 1954年に韓国の警察隊(事実上は軍隊)に竹島を占拠され
ても具体的には何もせず、百名を超える自国民が不当にも拉致さ
れても経済制裁ひとつできない――ずるずると妥協を積み重ねて
いたずらに相手を利する結果を招いています。
 現在の国際社会では、「既成事実の原則」というものがありま
す。例えば、ある島が武力の行使によって主権が奪われたとき、
その主権を持つ国がその島の奪回のための闘争を続けていかない
限り、奪われた主権は既成事実によって相手国の主権に組み込ま
れてしまうことになっているのです。
 こういう時代に、戦争はもちろんのこと、敵から攻撃されても
十分な反撃もできない憲法を持つ日本は、今後やっていけるので
しょうか。
 当時の日本政府が一番恐れたのは、ロシアが満州に居座り、占
領という既成事実を作り上げてしまうことだったのです。なぜな
ら、当時の清国の力ではロシアに対して奪回のための抵抗ができ
ないことがわかっていたからです。
 稀代の戦略家といわれるナポレオンの名言に次のようなものが
あります。
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 軍隊は敵軍を撃破するためにある。よほどのことがないかぎり
 敵国を占領するのに軍隊を使用するな。それは軍隊運用の限界
 を越えている。              ――ナポレオン
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 確かにこれは名言です。軍隊は占領統治をするためのものでは
ないのです。成吉思汗は敵軍を撃破し、相手の国王を倒すと、即
座に兵を引いたのです。その国を再建するのは敗者の仕事である
というのです。そして、もし、そこに反成吉思汗政権が出来ると
再び来襲して殲滅したのです。こうして、成吉思汗はわずか25
万の兵力でモンゴル大帝国を築いたのです。
 そういう意味で当時のロシアや韓国を併合した日本は明らかに
間違っていたといえます。講和条約なき戦争終結は、侵略戦争そ
のものだからです。    ・・・・・・・・ [日露戦争14]


≪画像および関連情報≫
 ・松村 劭氏の本
  陸上自衛隊出身で、米国デビュイ戦略研究所東アジア代表
  ―――――――――――――――――――――――――――
      ――松村 劭著、『教科書が教えない/日露戦争』
                       文春ネスコ刊
  ―――――――――――――――――――――――――――
  軍事理論を日露戦争に適用して考察し、そこから得られる教
  訓をもって現代の諸問題を観察する好著である。今回のテー
  マでもいろいろな面で活用させていただいている。

1720号.jpg
『教科書が教えない/日露戦争』
posted by 平野 浩 at 12:26| Comment(0) | TrackBack(0) | 日露戦争 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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