2005年11月17日

伊藤博文はなぜ日露協調をとったか(EJ1719号)

 ロシアの満州居座りに対して、危機感を深めた日本政府内には
次の2つの考え方があったのです。
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    1.日露協調 ・・・ 伊藤博文・井上 馨
    2.日英同盟 ・・・ 山縣有朋・桂 太郎
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 この場合、「日露協調」を進めようとした伊藤博文らの考え方
はいささかわかりにくいのですが、司馬遼太郎の『坂の上の雲』
には次のように書かれています。
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  要するに日露戦争の原因は、満州と朝鮮である。満州をとっ
 たロシアが、やがて朝鮮をとる。(一部省略)そういうロシア
 の南下による重圧をなんとか外交の方法で回避できはしまいか
 と考え、いっそロシアと攻守同盟を結んでしまったらどうか、
 という結論を思いいたったのは、伊藤博文である。
  飛躍にちがいない。
  隣り村にまで押し込んできている武装盗賊集団に対し、自分
 の村と隣り村だけはなんとか侵さないでもらえまいかと、頭を
 さげて直取引きにゆくようなものであり、盗賊団にすれば虫の
 よすぎるはなしであった。同時に村の者からみれば、腰抜けと
 しかみえない。――司馬遼太郎著、『坂の上の雲』第3巻より
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 ロシアは既に満州を事実上占領している。しかも、そのやり方
は、これまで見てきた通り、フェアではない。居直り強盗そのも
のである。やがて、朝鮮半島に踏み込んでくることは確実。そう
なると、日本の安全保障が脅かされる。これを回避するためには
戦うしかない――本来ならこうなるはずです。それを当のロシア
と「攻守同盟」を結んで解決しようとする――これが伊藤博文の
考え方だったのです。
 どうして伊藤博文はこのような考え方を持ったのでしょうか。
おそらく彼は次のように考えていたのだと思います。
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 1.英国が日本との同盟に応ずることが信じられなかった
 2.日本が本当にロシアに勝てると考えていなかったこと
 3.現実派であって、ロシアを必要以上に恐れていたこと
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 伊藤博文は、日英同盟が本当に実現するとは考えていなかった
のです。黄渦論が渦巻くヨーロッパの国の中でも最も誇りが高く
それまでどこの国とも同盟を結んでいなかった最強の海軍国であ
る英国が、アジアの弱小国家に過ぎない日本と同盟を結ぶはずが
ない――伊藤はそのように考えていたのです。
 それに英国は日清戦争のときは、中立を宣言しながらも、日本
艦隊の所在を信号で清国に連絡するなど、必ずしも日本の味方と
はいえない行動をとっていたのです。しかし、英国は三国干渉に
は加わらず、その点はドイツやフランスと違っていたのです。当
時の英国はボーア戦争を抱えており、日本を利用するメリットは
十分あったといえます。
 確かに日英同盟が成立しなければ、日本がロシアに勝てるはず
がないと考えても不思議はないのです。それに伊藤は必要以上に
ロシアを恐れていたことも確かなのです。
 こういう伊藤博文の姿勢は、当然世間の批判を浴びます。中で
も駐露日本公使館付武官補佐官であった田中義一少佐は伊藤と直
談判をしたといわれます。歴史研究家の加来耕三氏の著作『真説/
/日露戦争』――出版芸術社刊にはそのシーンが次のように書か
れています。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 「閣下、ロシアは戦争を承知のうえで満州への侵略をすすめて
 おります。もはや日本には、戦う以外に選択肢はありませぬ。
 満州をロシアに、朝鮮を日本に任すなどといっても、所詮はロ
 シアの時間稼ぎに利用されるだけです。おわかりになりません
 か。この現実が」
  このとき、伊藤は60歳、田中は36歳であった。田中は明
 治29年から4年間、ロシアに留学しており、ロシアをつぶさ
 に見てきた。それをかわれて、日露戦争では満州軍総司令部の
 作戦主任に任命される。だが、伊藤は田中を認めない。
 「なにをいうか、青二才が!」
 激怒した。その伊藤に、なおも田中は食い下がる。
   ――加来耕三著、『真説/日露戦争』より。出版芸術社刊
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 しかし、結果として、伊藤の対露交渉は英国を慌てさせること
になって、日英同盟交渉が加速するという皮肉な結果となるので
す。そして1902年1月30日、ロンドンにおいて日英同盟協
約が締結され、即日発効されたのです。協約の骨子は次の3つに
まとめられます。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 1.清国における日英両国の利益と大韓国における日本の政
   治・産業の利益を第三国の侵略的行動や民衆の反乱から
   守るため、日英は適当な措置を講ずる。
 2.日英両国のいずれかが第三国と戦争になったとき一方の
   締結国は厳正に中立を守ることとする。
 3.前項において第三国に他の国が同盟して参戦するときは
   一方の締結国は同盟国と参戦すること。
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 ここで「第三国」とはロシアであることを想定しています。第
三項を見ると攻守軍事同盟であり、もし英国がヨーロッパでドイ
ツやイタリアと戦争を始めると日本は参戦する義務が生じたので
す。しかし、その時点でほぼ確実視される日露戦争においては英
国は参戦しないという点が抜け目のない英国の外交の巧さを感じ
させます。事実英国がそういう戦争をはじめる危険性は十分あっ
たのですから。      ・・・・・・・・ [日露戦争13]


≪画像および関連情報≫
 ・日英同盟に一役買った新渡戸稲造の英文『武士道』
  加来氏の上掲の本に次の一節がある。
  ―――――――――――――――――――――――――――
   義和団の蜂起、北清事変で事実上、連合国最大兵力を負担
  した日本はこの事変を通じて列強にその実力のほどを見直さ
  れ、とりわけイギリスに強い印象を与えることに成功した。
  「日本には騎士道同様の武士道がある」
   すでに国際的ベストセラーになっていた新渡戸稲造の英文
  『武士道』の影響力も手伝って、イギリスは日本との同盟を
  考えはじめる。
   ――加来耕三著、『真説/日露戦争』より。出版芸術社刊
  ―――――――――――――――――――――――――――

1719号.jpg
   『真説/日露戦争』
posted by 平野 浩 at 23:01| Comment(0) | TrackBack(0) | 日露戦争 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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