2005年11月14日

ウィッテはなぜ蔵相になったのか(EJ1716号)

 今回のテーマ「日露戦争の真実」では、戦闘のディテールより
も、戦争にいたる経緯や戦争終了後の処理に重点を置いて記述を
進めようと考えています。そのために、話が少し前後することが
あることをお許し願います。
 そこで、当時のロシアの蔵相ウィッテ(1849〜1915)
について少しお話しする必要があります。ウィッテは、アレクサ
ンドル三世によって任命されたのですが、当時のロシアには首相
職はなく、蔵相は事実上の政府の最高責任者だったのです。
 ソ連時代におけるウィッテの評価は「帝政の腐敗の象徴」だっ
たのですが、ソ連が崩壊すると今度は「経済改革の先駆者」とし
て評価が一変します。各地にはウィッテの名前を冠した通りや記
念像が建てられ、官僚時代の事務書類までを集めた全集が現プー
チン政権によって進められているといった具合です。ウィッテと
はどういう人物だったのでしょうか。
 セルゲイ・ウィッテは、鉄道畑の出身なのです。1890年に
大蔵省鉄道局長、1892年には交通大臣を務めましたが、同じ
年にアレクサンドル三世によって蔵相に抜擢されています。シベ
リア鉄道を推進するためです。
 シベリア鉄道の建設計画は、1882年にアレクサンドル三世
によって決定されたのですが、実際に計画が実行に移されたのは
1891年からなのです。
 なぜ、かくも遅れたかというと、予想される建設経費が巨額で
あって、当時経済的に豊かでなかったロシアの財政を圧迫し、計
画の実現を妨げたからです。時の蔵相はヴィシネグラツキー――
彼は財政の均衡を重視し、終始鉄道建設に難色を示してきたので
す。蔵相であれば、当然のことといえます。
 それでは、なぜ、アレクサンドル三世は全長8000キロメー
トルに及ぶシベリア鉄道を敷こうとしたのでしょうか。
 もともとはヨーロッパのロシア部における人口の稠密状態を改
善するのが目的であり、それに当時清国において勢力を拡大しつ
つあった英国とドイツに対抗するということが加わったのです。
 当時英国は清国内で着々と鉄道利権を獲得しつつあり、それが
ロシア領アムール河とウスリー河沿岸地域に脅威になっていたの
です。もし、英国が清国と結び、ロシアの弱い部分を襲ってきた
らどうするか――ロシアの皇帝は心配したのです。
 それに、満州における清国人の人口増加も気がかりだったので
す。清国人1200万人に対して極東ロシア領の人口はわずかに
7万3000人――この人口格差は将来大きな問題になると皇帝
は考えて、鉄道建設を急ぐべきであると決断します。
 そして、1891年5月――シベリア鉄道は東端のウラジオス
トックから建設が着手されることになり、皇太子のニコライ二世
をその起工式に出席させたのです。このとき、皇太子は日本に立
ち寄り、大津で暴漢に襲われています。
 当時のロシアの経済力は急成長していたものの、経済力として
は、西ヨーロッパ諸国と比べると非常に小さかったのです。した
がって、財政を心配するヴィシネグラツキー蔵相をはじめとする
鉄道建設の抵抗勢力が存在していたのです。中でも最大の抵抗勢
力は、地主貴族たちだったのです。
 地主貴族たちは、ヨーロッパ・ロシア部に土地を持っていたの
ですが、鉄道敷設によって人口の移動が容易になると、地価が下
がることを恐れたのです。
 1902年9月、アレクサンドル三世は抵抗勢力の中心である
ヴィシネグラツキー蔵相を解任し、鉄道建設のプロフェッショナ
ルであるウィッテを蔵相に任命したのです。
 ウィッテは、直ちにシベリア鉄道特別委員会を設けて、そこで
立法を含むすべての事項が決められる体制を敷くと同時に、強力
な政治力によって抵抗勢力を次々と粉砕していったのです。何と
なくどこかの国の首相に似ていますね。
 蔵相ウィッテがシベリア鉄道建設に没頭していた1894年に
日清戦争が起きるのです。そして、日本が勝利します。このとき
既に皇帝は、ニコライ二世になっていたのです。
 ここでロシアには、選択すべき次の2つの道があったのです。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 1.清国の「弱さ」に着眼する戦略 ・・・ ニコライ二世
 2.日本の「強さ」に着眼する戦略 ・・・ ウィッテ蔵相
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 判断のポイントは、清国が弱いと見るか、それとも日本を強い
と見るかにあるのです。ニコライ二世は日本を過少評価して1の
戦略を取るべしと判断したのですが、ウィッテ蔵相は日本の強さ
を恐れて2の戦略を取ったのです。
 ここで大事なことは、西欧列強は日清戦争まで清国の力を過大
評価してきたということです。作家の司馬遼太郎は、その名著で
ある『坂の上の雲』で清国(シナと呼称)について次のように表
現しています。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 帝国主義の時代である。(中略)列強は、つねにきばから血を
 したたらせている食肉獣であった。その列強どもは、ここ数十
 年シナというこの死亡寸前の巨獣に対してすさまじい食欲をも
 ちつづけてきた。が、なおもシナの実力を過大に評価した。
 「シナはねむれる獅子である」
 と列強はおもい、もしもその獅子を過度に刺激することによっ
 て、ついに奮いたたせてしまいでもしたら、大けがをするのは
 列強のほうである。というおそれが、かれらの侵略行動をつね
 に制御した。
   ――司馬遼太郎著『坂の上の雲』第2巻より。文藝春秋刊
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 ニコライ二世は当時父の時代から権勢を振るっているウィッテ
には抵抗できなかったのです。つまり、ウィッテに一目置いてい
たわけです。そこで、ウィッテはドイツとフランスと共同で日本
に圧力をかけたのです。       ・・・ [日露戦争10]


≪画像および関連情報≫
 ・司馬遼太郎著、歴史エッセー『ロシアについて』
  日露戦争の相手国ロシアでは司馬遼太郎の『坂の上の雲』
  翻訳はないが、上記の書は1999年に翻訳・出版
  この本の中で東京在住のコンスタンチン・サルキソフ山梨学
  院大学大学院教授は、司馬遼太郎を19世紀のロシアの大作
  家レフ・トルストイにたとえて、『坂の上の雲』によって司
  馬遼太郎は、長編小説『戦争と平和』のような「伝統的な人
  文主義の歴史小説の世界」を描き出したと賞賛している。
   ――読売新聞取材班/『検証・日露戦争』中央公論新社刊

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posted by 平野 浩 at 08:47| Comment(0) | TrackBack(0) | 日露戦争 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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