思います。
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第1次価格上昇: 第1次・第2次石油危機時点
第2次価格上昇: 2OO3年〜2006年時点
第3次価格上昇: 2006年〜2008年時点
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ここまで述べてきたのは、「第1次価格上昇」です。添付ファ
イルとして、1948年から2004年までの原油価格の長期推
移のグラフをつけているので、説明に合わせてごらんください。
第1次石油危機で原油価格は1バレル20ドル台になり、それ
が1979年の第2次石油危機で4Oドル台になっています。こ
れが「第1次価格上昇」です。
これが2006年までに6Oドル台に達しているのです。この
2回にわたる価格上昇のそれぞれのインパクトについて、三菱U
FJリサーチ&コンサルティング調査部主任研究員、芥田知至氏
は次のように述べています。
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2Oドルから40ドルに20ドルに上がったのと40ドルから
60ドルに上がったのとでは、同じ20ドルでもインパクトは
違う。前者が2倍なのに対して、後者は1.5倍に過ぎない。
学校の周りのランチの相場がそれまでの500円から急に10
00円に上がってしまったら学生は大きなショックであろうが
欲しいと思っていた20万円のノートパソコンが、あと500
円高い値段であったとしても、ショックはそれほどでもないで
あろう。 ――芥田知至著
『知られていない原油価格高騰の謎』/技術評論社刊
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要するに、「第1次価格上昇」は、価格決定権のある0PEC
が人為的に価格を引き上げた結果ですが、「第2次価格上昇」で
は、日々の相場の変動が積み上げられた結果として価格が上昇し
ているのです。この方が人為的に引き上げが行われるよりもショ
ック度は少ないといえます。
1999年のことです。ベネズエラではチャベス大統領が政権
を担うことになったのです。この新政権は、従来の親米政権とは
異なり、米国に対立する一方で、0PEC各国との関係強化を目
指し、OPECに対し、ある方式を提案したのです。
その方式とは「プライス・バンド制」といい、2000年3月
にOPEC各国は、この制度を導入することで合意しています。
「プライス・バンド制」――目標価格帯制とは、あらかじめ目標
価格帯を決めておき、これをベースに原油の増産・減産を決める
という方式です。
OPECは、プライス・バンドを22〜28ドルとし、下限の
22ドルを10営業日連続で下回った場合は日量50万バレルを
減産し、逆に上限の28ドルを20営業日連続で上回った場合は
日量50万バレルを増産する――これがOPECが採用したプラ
イス・バンド制なのです。しかし、このプライス・バンド制は、
OPEC参加国のすべてが参加したわけではなく、1Oヶ国だけ
の参加だったという点を考慮すべきです。
しかし、2003年になると、原油価格がプライス・バンドの
上限を超えた状態がずっと続いていたのです。OPECの立場か
ら見ると、原油を十分に供給しているにもかかわらず、原油相場
は下がらず上昇を続けていることになるのです。そうなると、プ
ライス・バンド制は形骸化せざるを得ないことになります。
OPECは、2005年1月の総会において、プライス・バン
ドの22〜28ドルを一時的に停止することを決めています。当
時のOPECのアハマド議長は「原価価格は35ドルが適正」と
述べて、プライス・バンドの変更を示唆していたのですが、結局
は新たなプライス・バンドを設定することはなかったのです。
この時期から原油価格は高止まりしているのに、世界景気は好
調で、原油需要は増加している――産油国にとっては理想的な状
態が継続していたのです。したがって、プライス・バンド制をあ
えてとる必要はなかったのです。ここで、現在OPECの市場支
配力はどの程度のものなのかについて考えてみます。
国際石油市場におけるOPECと非OPEC生産のシェアは平
均すると次のようになっています。
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OPEC ・・・・・ 40%
非OPEC ・・・・・ 60%
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国際石油市場における国単位の市場寡占度を見ても、1970
年代以降一貫して、産油国同士の競争が激しくなっており、カル
テルが成立しにくい状況になっています。
少し難しくなって恐縮ですが、「ハーフィンダール指数」とい
うものがあります。これは、パーセントであらわした各産油国の
シェアの2乗を合計した指数です。仮に一国が市場を完全独占し
た場合はシェア100%ですから、100%の2乗で指数は10
000になります。1965年以降の節目のある年のハーフィン
ダール指数(市場寡占度)を示しておきます
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ハーフィンダール指数
1965年 ・・・・・・・・ 1300
1979年 ・・・・・・・・ 900
1990年 ・・・・・・・・ 700
1999年 ・・・・・・・・ 500
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指数が500以下であれば「完全競争状態」ということになり
ますが、1999年以降はそうなっています。最近では、OPE
Cの戦略を超えたところで原油価格は動いています。どういう構
造になっているのでしょうか。 ―― [石油危機を読む/15]
≪画像および関連情報≫
●プライス・バンドに関する記事(2004年当時)
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OPECは、15日(2004年9月15日)にウィーンで
定例総会を開催する。主な議題は、生産上限を据え置くか否
かという点と、原油生産上限を決める上で指標とされる目標
価格帯いわゆるOPECプライスバンドに関し、現行の22
〜28ドル/バレルを引き上げるか否かという点である。先
週、OPEC関係者が引上げに合意することを明らかにした
との報道が流れた。同報道の根拠は、これまで引上げに慎重
な姿勢を示していたサウジアラビアが引上げを容認する姿勢
に転じたためとされている。具体的な新価格帯については、
総会前の非公式会議で協議する必要があるが、22〜28ド
ルは余りに実勢から懸け離れていることから、OPECプラ
イスバンド制、ひいては生産調整の信頼性回復に、目標価格
帯を引き上げるべきだとする論者は多い。
http://www.shinchosha.co.jp/foresight/web_kikaku/s09.html
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