2008年04月10日

●OPECはなぜ機能しなかったのか(EJ第2303号)

 第1次石油危機は、原油生産の削減と米国をはじめとするイス
ラエル支援国への石油の禁輸がセットになっており、その後に原
油価格の引き上げが追い討ちをかけたのです。
 日本は米国と同盟関係にあり、イスラエル支援国とみなされる
可能性が高かったので、政府は三木武夫副総理を中東諸国に派遣
して日本の立場を説明するとともに、国民生活安定緊急措置法・
石油需給適正化法を制定して事態に備えたのです。
 省エネルギー対策がとられ、デパートではエスカレーターの運
転中止やテレビの深夜放送の休止、ネオンサインの早期消灯やガ
ソリンスタンドの日曜休業などが実施されたのです。
 これらの措置に加えて、国や石油企業が将来の石油危機に備え
て大量の石油備蓄を行うようになったのです。こうした一連の対
策が、1979年の第2次石油危機のときに役立ったのです。
 さて、前回、OPECとは別にOAPECがあるという話をし
ましたが、実にややこしい話です。これについて通商産業省(現
経済産業省)出身で、内閣官房内閣参事官である藤 和彦氏は自
著で次のように述べています。
―――――――――――――――――――――――――――――
 1970年代から80年代にかけて、人々の目にはOPECが
 かつてない最も強力なカルテルとして映ったはずである。石油
 危機を演出した「泣く子も黙る」OPECは日本の小学校の教
 科書にも登場した。ただ、この点はよく誤解されていることだ
 が、第1次石油危機自体は、OPECではなくOAPEC(ア
 ラブ石油輸出国機構)が引き起こしたもので、OPECはこれ
 に便乗して大幅値上げを断行したにすぎない。
 ――藤 和彦著、『石油を読む』/日経文庫1128/A52
―――――――――――――――――――――――――――――
 1979年にイラン革命が起こります。ホメイニ師を最高指導
者とするイスラム宗教勢力が、親米のパーレビ国王体制を倒して
政権を掌握したのです。
 イラン革命によってイランでの石油生産は中断されます。とく
に日本はイランから大量の原油を購入していたので、石油の需給
が逼迫したのです。しかし、第1次石油危機による学習効果によ
り、省エネをはじめとして、企業の合理化効果、膨大な量の石油
備蓄によって、第1次石油危機よりもひどい状態にはならないで
済んだのです。
 原油価格については、OPEC主導で決められるようになって
おり、リーダー役のサウジアラビアは機会があるたびに原油価格
を上げようとしたのです。
 OPEC内部は一枚岩ではなく、原油価格を上げようとはする
が、どちらかというと穏健な水準での価格統一を目指すサウジア
ラビアと一層の価格の引き上げを主張するイランやリビアなどの
強硬派がたびたび対立し、決定できないこともあったのです。
 しかし、1986年に原油価格が2Oドル以上も下落したので
す。その原因は、サウジアラビアが原油の増産をしたからですが
同時にOPECに加盟していないロシアや北海(英国)やメキシ
コも増産したため原油が大幅に余って価格が暴落したのです。こ
れは、逆オイル・ショックといわれ、産油国の収入が減少し、経
済は低迷したのです。
 これによって、あまりにも人為的に価格を引き上げようとする
と、その反動として需要が急速に減退し、原油価格が暴落するこ
とを産油国――なかんずくサウジアラビアは理解したのです。
 そこで、サウジアラビアは政府販売価格を放棄し、それを「ネ
ットバック価格方式」に変更して、事実上価格カルテルとしての
OPECの機能はその時点で、失われることになったのです。
 「ネットバック価格方式」とは、ガソリンや灯油などの石油製
品の価格から原油価格を逆算して求める方式です。この方式の利
点は、石油の精製マージンが保証される点にやり、原油価格が下
降局面にある場合や見通しが不透明でリスクが高いときは大きな
魅力のある方式なのです。
 これによって原油価格は、各地域における業者間の市場取引に
よって決まるWTI原油が國際原油価格の基準になっていったの
です。つまり、原油の価格形成は、市場メカニズムに委ねられる
ようになったわけです。
 既出の藤 和彦氏は、サウジアラビアの決断について次のよう
に述べています。
―――――――――――――――――――――――――――――
 OPECの盟主であるサウジアラビアは、70年代のOPEC
 の人為的高価格政策を「近視眼的なものであった」として80
 年代後半以降は「無茶な引き上げではなく、長期的に持続可能
 な合理的かつ安定的な価格の維持を目指す」と言明している。
 また、「第一次石油危機の際、政治目的は達成できなかったし
 近年の市場実勢から、そもそも武器にはなり得ない」としたう
 えで、「中長期的に見て自殺行為になるようなことをやるつも
 りはない」としている。
 ――藤 和彦著、『石油を読む』/日経文庫1128/A52
―――――――――――――――――――――――――――――
 OPEC設立の目的とは何でしょうか。
 石油はこれまで述べてきたように、その産業としての確立の経
緯から、石油メジャーや先進国が主導権を取って何もかも決めて
きており、産油国はただそれに従ってきたのです。
 こういう方式に対して産油国側には大きな不満があり、産油国
の利益を守ろうという気運が盛り上がって、その結果、OPEC
が設立されたのです。
 OPECでは、あくまで原油相場の安定を目的としますが、そ
のためには産油国が原油の生産量を調整して相場の安定を図るこ
とが必要になります。しかし、この原油の生産調整の足並みがう
まく揃わないのです。原油収入を確保するために決められた生産
枠をオーバーして生産する産油国があるからです。どの国も原油
収入を増やしたいからです。  ―― [石油危機を読む/14]


≪画像および関連情報≫
 ●藤和彦氏の『石油を読む』についてのコメント
  ―――――――――――――――――――――――――――
  石油の市場は、輸送コストの低さ等の理由から、現在単一の
  世界市場として統合されており、しかも嘗ての石油メジャー
  による国際カルテルがあった時代等とは異なり、その価格は
  ニューヨーク・ロンドンの石油先物市場によって概ね決定さ
  れる。「市場の再配分機能」により、特定輸入国に供給削減
  のしわ寄せがくることはかなりの程度避けられるのである。
   http://d.hatena.ne.jp/kuma_asset/20070912/1189610922
  ―――――――――――――――――――――――――――

藤 和彦氏.jpg
posted by 平野 浩 at 04:25| Comment(0) | TrackBack(0) | 石油危機を読む | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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