起こったのでしょうか。この第1次石油危機の原因を解明するこ
とには意義があります。そこに國際石油資本の弱体化の兆しが見
えるからです。
1950年代は、国際石油資本セブン・シスターズの全盛期で
あったといわれています。しかし、産油国では國際石油資本に対
する強い不満が頂点に達しつつあったのです。
1948年にベネズエラ政府は、国際石油資本、すなわち、石
油メジャーと交渉して5O%採掘権料を得ることに成功していま
す。これを知ってサウジアラビア政府も同様の採掘権料を取得し
ているのです。しかし、これでも石油メジャーは十分利益を上げ
ることができたのです。
しかし、産油国では資源ナショナリズムの高まりによって、石
油産業の国有化宣言が相次いだのです。資源ナショナリズムとい
うのは、石油や天然ガスという貴重な天然資源を国家の富として
強く認識することにより、石油メジャーをはじめとする外国資本
にその富を収奪されないようにしようという考え方です。
きっかけとなったのは、イランによる石油産業の国有化なので
す。当時英国とソ連の影響に下にあったイランでは、選挙で選ば
れたモハマド・モサデグ首相がそれを行ったのです。
しかし、クーデターが起こってモサデグ政権は転覆してしまい
ます。このクーデターは米国CIAが裏にいたといわれているの
です。その結果、イランでは、1979年のイラン革命まで親米
政権が続くことになったのです。
その頃ソ連では、ボルガ・ウラル油田の生産量が増加していた
のです。ソ連では、東欧諸国に対し、国際価格より安く石油を提
供していたのですが、1955年頃以降になると、共産圏の需要
を上回る石油を生産できるようになり、共産圏以外の西欧の国に
も石油を提供できるようになっていったのです。
何しろソ連産原油は、アクナキャリー協定の対象外であるので
非常に安く提供することができるのです。このようにしてソ連産
原油が多く出回った影響で、世界の石油価格にはかなりの下落圧
力がかかったのです。
こういうとき、セブン・シスターズは、1959年と1960
年に産油国支払う採掘権料を引き下げたのです。これに反発した
産油国側は、1960年にサウジアラビアのタリキ石油相とベネ
ズエラのアルフォンソ石油鉱業相らが中心となってOPEC(石
油輸出国機構)が創設されることになったのです。
しかし、サウジアラビアでは米国の工作によって、タリキ石油
相は2年後に罷免され、親米派のヤマニ石油相に代わったことに
より、産油国の権利を認める改革は抑えられたのです。
1968年にはイラクではクーデターによって、サダム・フセ
インが政権を取ったのです。一方リビアでは、カダフィ大佐が政
権を掌握し、石油メジャーに対し、採掘権料の引き上げを認めさ
せたのです。これは石油メジャーによる価格カルテルを打破する
ことにつながり、以後石油メジャー主導で石油価格を決めること
は困難になったのです。
これを契機にして、産油国による石油産業の国有化が次々と進
められたのです。1971年にリビアとアルジェリアが石油産業
を国有化し、1975年にはイラクでも、それまで米欧の石油資
本に支配されていたイラク石油会社(IPC)の国有化を宣言し
ています。
一方、国有化まではできないものの、アブダビ、クウェート、
カタールなどの小国は、石油メジャーとの交渉により、採掘権料
の引き上げに成功しています。この中にあって、終始親米路線を
取ってきたサウジアラビアも、1972年にアラムコの25%
を所有し、10年後に51%を所有、1988年には正式に国有
化を宣言し、サウジアラビア・アラムコと名称変更しています。
1973年に、アラブ諸国とイスラエルの間で第4次中東戦争
が勃発します。アラブ諸国では、あくまでイスラエル支持を続け
る米国に反米感情が高まるなかで、OPECと石油企業との価格
交渉が行われたのです。
交渉は最初から紛糾し、行き詰ったのです。OPEC側は石油
企業に対し、70%の値上げを通告――この瞬間に価格決定権は
石油メジャーからOPECに移ることになったのです。
実はOPECのとは別にOAPEC――アラブ石油輸出国機構
という紛らわしい機構があるのですが、OAPECはイスラエル
がバレスチナから撤退するまで、毎月5%の減産を続けると通告
したのです。
しかし、ニクソン大統領は、あくまでイスラエル支援を発表し
たので、サウジアラビアは米国向けの石油輸出を禁止すると発表
したのです。なお、OAPECは、次の10ヶ国によって構成さ
れているのです。これに対して、OPECの加盟国は現在13ヶ
国(巻末参照)となっています。
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クウェート カタール
リビア バーレーン
サウジアラビア イラク
アラブ首長国連邦 シリア
アルジェリア エジプト
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さらにOPECは、1974年1月にさらに石油価格を2倍に
引き上げたのです。これによって原油価格は、それまでの3ドル
から、11.65ドルになったのです。約4倍の引き上げです。
このように、石油価格の急騰と産油国の禁輸によって、第1次
石油危機は起こったのです。今まで手中にしてきた原油価格決定
権をOPECに移転して危機が発生したのです。OPECによる
原油価格引き上げにより恩恵を受けた国はソ連だったのです。ソ
連ではチュメニ油田の生産量は拡大し、1970年代後半には世
界最大の産油国になっていたのです。 [石油危機を読む/13]
≪画像および関連情報≫
●OPEC加盟国/13ヶ国
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イラク リビア
イラン アラブ首長国連邦
クウェート アルジェリア
サウジアラビア ナイジェリア
ベネズエラ アンゴラ
カタール エクアドル
インドネシア
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