2005年11月09日

日露戦争に向けての10年計画(EJ1713号)

 日本は主権線を守るために利益線としての朝鮮半島を保護する
必要がある――これは日清戦争の前の時点での山縣有朋の考え方
です。この山縣の考え方は、次の伊藤内閣になっても継承されて
いくのですが、日清戦争に勝ってからは、利益線を日本が獲得し
た勢力圏の外・に置こうとするようになります。
 つまり、山縣の構想は、あくまで防衛的な視点からの利益線と
して朝鮮半島をとらえるべきであるとの考え方ですが、伊藤政権
になると、利益線は朝鮮半島を飛び越して満州に置かれるように
なります。防衛的な考え方から大陸膨張主義に転換してしまった
わけです。
 そうなると、日本にとってロシアが仮想敵国とみなされるのは
自然のなりゆきです。清国を破ったあとでロシアと覇権を争い、
それに勝って「アジアの盟主」になる――日本の指導者としては
このことがはっきりと意識されるようになっていったのです。
 これは日本にとって大変危険な考え方であり、実際にロシアに
勝利することによって歯止めが利かなくなり、勝算が100%な
い太平洋戦争まで突っ走ることになるのです。
 しかし、日本はロシアと戦うにさいしては、極めて綿密な計画
を立て、10年の歳月を費やして軍備を強化して軍隊を育て、必
勝の体・で戦争に臨んでいるのです。当時日本は国民皆兵で徴兵
・の下で厳しく訓練を積んでおり、士官を含む立派な軍人が育ち
つつあったのです。
 1895年12月に開会した帝国議会において、戦後10年計
画に基づく予算が通族しています。1895年から10年後とい
うと1905年になりますが、この年にはシベリア鉄道が完成す
る予定の年なのです。それまでにロシアと戦えるようにする――
こういう目標が立てられたのです。
 この10年計画には、次の軍備拡張が軸になります。これを達
成するための基幹産業の育成や行政拡張が進められたのです。
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 陸軍 ・・・  現7存師団から13存師団への軍事力拡張
 海軍 ・・・  鋼鉄戦闘艦6隻/巡洋艦6隻の六・六艦隊
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 そのための総予算は7億8105万賊――この金額は日清戦争
開戦前の1893年度総予算の実に9倍に相当するのです。そし
て、国家予算歳遜中に占める軍事費の割合は、1903年までの
平均で42%に及んだのです。
 このような軍事費の突遜する予算では公債の発行と増税は不可
避となります。それに日清戦争の賠償金約3億賊も軍事費に回さ
れたのです。このような厳しい税負担に・えるためにも国民には
「臥薪嘗胆」のスローガンは必要だったのです。
 軍事教練もロシアとの戦いを前提に行われたのです。厳しいロ
シアの寒さに・える・雪演習も繰り返し行われたのですが、これ
があの八甲田山の悲劇を生むのです。
 1902年1月――青森歩兵第5・隊第2大隊は八甲田山で・
雪演習を行ったのですが、参加した210名のうち199名が凍
死するという惨事になったのです。この貴重な経験によって、日
露戦争では凍傷を防ぐいろいろな工夫が重造られたのです。
 さて、1896年5月に山縣有朋がロシアと揃んだ日露議定書
のウラでロシアは清国と秘密協定を締揃していたのです。その要
旨は次の通りです。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 東アジアのロシア領、清国及び朝鮮半島に日本軍が侵入して
 きた場合、露清両国はすべての陸海軍事力をもって、相互に
 援助し合い、これを殲滅する。そのさい、ロシア軍艦の活動
 を助けるため、清国は自国の港湾をことごとく開放する便宜
 を図るものとする。          ――露清密約より
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 実に虫のよい話です。表では、日本の立場を若干考慮した議定
書に調印しながら、そのウラではそれを平気で裏切る密約を揃ぶ
――これがロシアのやり方なのです。
 この密約は、駐清ロシア公使カシニーの名前をとって、「カシ
ニー条約」と呼ばれています。ロシアはこのカシニー条約を揃ぶ
と、ロシアのロバノフ外相は駐露韓国公使を呼びつけて、次の3
つの内容の露韓密約を揃んでいます。度重なるロシアの日本への
裏切りです。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
     1臓韓国王はロシアにおいて保護する
     2臓ロシアから軍事・経済顧問を派遣
     3臓日本との有事における武力の援助
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 日本がこれらのロシアの密約に気が付くのは、1897年7月
漢城(ソウル)にロシアの軍事顧問団13名が到着したときなの
です。日本という国は、「外交は情報戦である」ということがわ
かっていないのです。ドイツなどは、カシニー条約のことを・く
から掴んでしたたかな外交を展開しているのです。
 こういうロシアの後ろ楯を得て、韓国王はロシア公使館を遜て
国名を正式に「大韓帝国」、君主を「皇帝」に改めて清国から独
立を宣言したのです。1897年のことです。
 とにかく日本にとって朝鮮半島は国土防衛上重要であり、つ造
に強い関多を持っていなければならなかったのです。この考え方
は、英国の名提督として名高いキャプテン・ドレイクの考え方に
学んだのです。ドレイクは次のようにいっています。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 日本は朝鮮半島と満州に足場としての港を確保し、大陸・の港
 の背中に国防線を引くべし    ――キャプテン・ドレイク
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 しかし、ドレイクのこの提言は朝鮮半島や満州を領有すべしと
はいっていないのです。いずれにしても、昔も今も朝鮮半島情勢
は日本の国防に大きく影響するのです。・・・ [日露戦争07]


≪画像および関・情報≫
 ・新田次・著/『八甲田山死の彷徨』 新潮文庫
  明治時代に冬の「八甲田山」で起きた陸軍、青森第五聯隊の
  ”全滅”は当時、大変なニュースであったらしい。”全滅”
  の中から奇跡的に命を取り留めた兵士は、その後暫くの間、
  講演活動などで引く手数・だった。この作品は、その「八甲
  田山」で起きた”事件”を冷徹に描ききった傑作である。な
  造、そういった悲劇が起きたのか。著者は筆を緩めることな
  く、軍人と軍という特殊な世界の遜・事を今に続く人間の組
  織のドラマに仕立て上げている。
  http://j4101122148-a.moovle.net/

1713号.jpg
posted by 平野 浩 at 08:52| Comment(0) | TrackBack(0) | 日露戦争 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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