2005年01月07日

なぜ紅白は大晦日開催となったのか(EJ1507号)

 第4回の紅白歌合戦から大晦日に紅白を実施するようになった
のは、直接的にはNHKが正月の劇場探しに窮したからです。N
HKは第4回の紅白歌合戦はそれまでのスタジオ放送ではなく、
劇場での実況放送を考えていたのですが、それには事情があった
のです。その事情については後で述べます。
 NHKは正月3が日のいつでも良いという方針で劇場探しをは
じめたのですが、どこも満員で取れなかったのです。そんなとき
日本劇場から提案があったのです。それは、正月は駄目だが、大
晦日であれば貸してもいいというものだったのです。
 NHKとしては、正月よりも大晦日の方がトップ歌手を確保し
やすいと考えたので、この話に乗ったのです。しかし、当時は大
晦日の興行はリスクが大きかったのです。大晦日に果たしてお客
はくるだろうか――これには大きな不安があったのです。
 そこでNHKは、出場歌手を5組程度増やすという前提で歌手
交渉を始めたのです。大晦日であるので、年忘れの意味を込めて
今年を代表する歌を歌った歌手を中心に選定する――つまり、そ
の年のブームを大晦日に振り返ろうではないかというコンセプト
です。確かに当時は、パチンコブーム、八頭身ブーム、「君の名
は」ブームなどなど、「ブーム」がブームだったのです。
 このコンセプトとNHKの意気込みが通じて、紅組、白組17
組の一流歌手を確保できたのです。その中には、3人娘の1人で
ある江利チエミ、マドロス歌謡3人男の1人小畑実も入っていた
のです。そして、3人娘の残りの2人である美空ひばりと雪村い
づみも次の年の第5回(1954年)には出場しています。
 しかし、当時人気絶頂でありながら、最後まで紅白には出場し
なかった歌手がいます。岡晴夫です。彼は、NHKからの度重な
る出場要請を受けながらも、紅白では全部の歌詞を歌わせないこ
とを嫌って最後まで出場しなかったのです。なお、田端義夫につ
いては、なぜか、1963年の第14回の紅白まで出場の機会が
なかったのです。
 さて、NHKが第4回の紅白歌合戦をスタジオではなく、なぜ
劇場でやることにこだわったのかについて述べることにします。
結論を先にいうと、第4回の紅白歌合戦からテレビ中継を開始し
たからです。テレビの本放送は、1953年2月1日から始まっ
ており、当然その年の大晦日の紅白歌合戦ではテレビ中継をする
ことになっていたのです。
 1953年の第3回の紅白歌合戦――1月2日に東京放送会館
第1スタジオで行なわれたのです。この年は大晦日にも紅白が行
なわれていますので、1年に2回の紅白が行なわれた珍しい年な
のです。スタジオには客席も設けられており、そこにはテレビカ
メラが3台設置されていたのです。しかし、それまでテレビカメ
ラを見たことのないお客も出演歌手も「何かをやっているんだろ
う」程度にしか気にとめなかったそうです。
 そのとき1ヵ月後のテレビの本放送に備えてのテレビでの仮放
送と年末の紅白歌合戦の初のテレビ中継のための練習が行なわれ
たのです。しかし、テレビ受像機が非常に高価であったため、テ
レビが本格的に家庭に普及するには、それから6年ほどの年月が
かかったのです。ちなみに、紅白歌合戦で視聴率を取り始めたの
は1962年の第13回の紅白からであり、そのときの視聴率は
80.4%だったのです。
 このように紅白歌合戦のテレビ中継はかなり早くはじまってい
るのですが、それを見ている人はごく一部であったため、当時の
NHKのアナウンサーは、ラジオ時代のように、登場する歌手の
衣装などについて詳細に伝えていたのです。
 第3回の紅白歌合戦の総合司会者である志村正順アナウンサー
は、紅組の月岡夢路について次のように実況しています。
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  紅軍の月岡夢路さん、お客様から向かって右手側の紅軍の応
 援席から舞台中央のマイクに向かいます。アメリカから買って
 きたという肩を出して胸からの真っ白いイブニング・ドレス姿
 です。胸には赤い薔薇の花。客席から盛んに拍手が送られてお
 ります。              ――志村アナウンサ−
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 1953年12月31日――その日の東京は昼頃から雪になっ
たのです。ただでさえ当たらないといわれる大晦日の夜の興行で
す。NHKのスタッフは客足の鈍ることは覚悟したそうです。
 しかし、夜になると雪をついてお客が集まりはじめ、日劇の周
囲を取り巻く長蛇の列ができたのです。さらに、第3回までは連
続して白組が勝利していたのですが、第4回は初のテレビ中継を
意識して衣装に気を配った紅組が勝利をおさめています。
 かくして、事実上の第1回紅白歌合戦になる第4回紅白は一応
成功を収めたのです。これによって、大晦日の紅白歌合戦は定着
していくことになるのです。しかし、当時NHKは紅白などの大
きなイベントを開催できるホールを所有しておらず、NHKホー
ルが完成する1973年まで、毎年会場の確保に苦しむことにな
るのです。
 1961年の第12回紅白から1972年の第23回紅白まで
は東京宝塚劇場を連続して確保できたのですが、第5回紅白から
第11回の紅白までの会場確保は大変だったのです。それまでの
7回の紅白の会場を調べてみました。産経ホールまで使ったので
す。なお、紅白歌合戦のテーマは11日まで続きます。
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  1954年(昭和29)第 5回 ・・ 日比谷公会堂
  1955年(昭和30)第 6回 ・・ 産経ホール
  1956年(昭和31)第 7回 ・・ 東京宝塚劇場
  1957年(昭和32)第 8回 ・・ 東京宝塚劇場
  1958年(昭和33)第 9回 ・・ 新宿コマ劇場
  1959年(昭和34)第10回 ・・ 東京宝塚劇場
  1960年(昭和35)第11回 ・・ 日本劇場
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                ・・・・[紅白歌合戦03]

≪画像および関連情報≫
・2004年/第55回紅白歌合戦の結果を含む紅白歌合戦の最
 新情報がわかるサイトである。

       http://www1.plala.or.jp/nakaatsu/

1507号.jpg
posted by 平野 浩 at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 紅白歌合戦 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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