2005年10月28日

インターネットができるまで/まとめ(EJ1706号)

 8月23日から45回にわたって続けてきた『インターネット
の歴史』は今回が最終回です。全46回――今までのEJの最長
記録は『JFK』の42回ですから、今回のテーマは最長記録を
更新したことになります。
 世界中の多くの人がコンピュータでネットにつながる現代情報
社会――誰がこのような便利なシステムを開発したのか。この謎
を46回にわたって追求してきました。
 長い話でしたので、簡単にまとめておきましょう。
 最初は、高価な1台のコンピュータを多数の人で同時に使える
ようにする時分割処理システムの開発からはじまったのです。こ
の時分割処理システムの開発を推進し実現させたのは、米国防総
省のIPTO部長として辣腕を振るったJ・C・R・リックライ
ダーです。
 やがて、その時分割処理システム上でそれを使っている人々同
士でメッセージのやり取りができるようになる――これが電子メ
ールのはじまりと考えらます。
 続いて、そういう時分割処理システム上で使っている大型コン
ピュータ同士を繋ぐという困難な試みへの挑戦がはじまります。
しかし、異なるハードウェアを持つコンピュータ同士をどうやっ
て繋ぐのか――こういう難問に突き当たってしまいます。
 この難問を解いたのは、ウェスレイ・クラークです。同じ仕様
のIMP(インプ)というミニコンを制作し、それによるサブ・
ネットワークを介して異なる仕様の大型コンピュータ同士を接続
する――この場合、大型コンピュータとIMPの間の通信、IM
P同士の通信という2つの通信が必要になります。こうして完成
したのが、ARPAネットです。
 1970年6月にゼロックス社はパロアルト研究所――PAR
Cを設立し、そのときIPTO部長を辞めていたロバート・テイ
ラーは、PARCに移ります。このときから、まるで水を得た魚
のように、テイラーの大活躍がはじまるのです。
 「もし、テイラーなかりせば・・」――現代の情報社会の基礎
を構成する基幹技術の数々は、本当に開発されていたのかどうか
わからないと思うのです。ロバート・テイラーはそれほどの活躍
をした人なのです。
 やがて、1973年、バトラー・ランプソン、チャールズ・サ
ッカー、それにアラン・ケイが企画に加わって、画期的な小型コ
ンピュータ「アルト」を作り上げます。当時日本ではコンピュー
タといえば、大型コンピュータと相場が決まっていたのですが、
その時点で現代のPCに通じる小型コンピュータ/アルトが既に
完成していたのです。
 このPARC内のアルトを繋いで「アルト・システム」という
ネットワークを作ったのは、ロバート・メトカフとデビット・ボ
ッグスです。このネットワークは「イーサネット」と命名され、
やがて、イーサネットはLAN(ローカル・エリア・ネットワー
ク)と呼ばれるようになります。
 続いて、アルト・システムはARPAネットと接続され、全米
のコンピュータと自由にプログラムやデータを交換できるように
なります。これによって、はじめてネットワークらしいネットワ
ークが誕生したことになります。
 しかし、ARPAネットはあくまで軍事用のネットワークであ
り、それを利用できる人は一部に限られています。そのため19
83年にARPAネットから軍事部分がMILNETとして分離
されます。これを契機にして、各地の大学や研究所の時分割処理
システムのネットワーク同士を結ぶ試みがはじまるのです。
 そして、1986年、NSF(全米科学財団)が援助して設置
した全米5ヶ所のスーパー・コンピュータを結んだネットワーク
が発足し、それはNSFネットと命名されます。NSFネットに
は、TCP/IPというプロトコルが採用されます。
 この時点で、ARPAネットのノード(拠点コンピュータ)は
拡大しており、それを結ぶネットワークは、米国を背骨のように
貫くバックボーン・ネットワークを形成して、基幹ネットワーク
として機能するようになります。
 NSFネットをバックボーンとして、TCP/IPで結ばれた
地域ネットワークとその下のキャンパス・ネットワークという3
層から成るネットワークが形成されていきます。これが後にイン
ターネットと呼ばれるようになります。そして、1989年、A
RPAネットは役割を終えて廃止されます。
 さて、ARPAネットからは軍事部分が分離され、残りはNS
Fネットに引き継がれたのですが、そのすべてが民間が使えるわ
けではなかったのです。それは、あくまで学術・研究関係の専用
ネットワークであり、民間全般が自由に使えるものではなかった
のです。まして、ビジネスとしてネットワークを使うことはでき
なかったのです。
 その不満から全米各地で草の根ネットワークが誕生していきま
す。代表格はCSネットです。それに加えて、IBMのコンピュ
ータのユーザー同士のネットワークであるBITネットというの
があります。さらに、UNIXのUUCPを使ったUSEネット
というネットワークもあります。
 結果として、NSPネットはそれらのネットワークをすべて束
ねるのですが、ネットワークの多くは、NSFネットに接続しな
いで、TCP/IPパケットを交換する通信を行うようになって
いき、NSFネットは1995年に廃止されるのです。
 1995年というと、ウインドウズ95が発売され、インター
ネットが急拡大をはじめる年です。その頃からはっきりと「イン
ターネット」と言葉が使われるようになってきているのです。
 EJで46回にわたって取り上げたのはここまでです。それ以
後の発展は目覚しいものがあるのですが、これについては改めて
取り上げる予定です。長い間にわたって熱心に読んでいただいた
読者の皆さんに感謝申し上げます。
          ・・・・ [インターネット46/最終回]


≪画像および関連情報≫
 ・喜多千草氏の本のまえがきより――
  アルト・システムは・・・・最初期のクライアント・サーバ
  ・システムを実現し、他社のコンピュータ・ネットワークと
  の接続や、時分割処理システムの広域ネットワークであるA
  RPAネットとの接続のための、階層的なプロトコルを備え
  ていた。つまり、アルト・システムは、インターネット時代
  のパーソナル・コンピュータのひな形だったのである。
   ――喜多千草著『起源のインターネット』より。青土社刊

1706号.jpg
posted by 平野 浩 at 08:52| Comment(0) | TrackBack(0) | インターネットの歴史 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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