2005年10月26日

IBM社とインターネット/BITネット(EJ1704号)

 8月23日から43回にわたって続けてきた「インターネット
の歴史」は28日で終了します。本来であれば、インターネット
は1990年に入ってから大きく変わったので、さらに続けるべ
きですが、あまりにも長くなるので、1990年代以降のインタ
ーネットについては、日本におけるインターネットの歴史と一緒
にして、別の機会に取り上げることにします。
 そこで今回を含めて最後の3回は、インターネットに深く関わ
りながら、なぜかインターネットの誕生・発展の少なくとも主役
ではなかった2つの巨大企業のインターネットへの関わりについ
て述べることにします。
 2つの巨大企業の1つとはIBM社です。前回述べたように、
IBM社は、NSFネットの基幹ノードを構築し、インターネッ
トのノウハウについては熟知していたのです。しかし、それを生
かして他に売る努力をしていない――それはなぜでしょうか。
 推測ですが、IBM社はやはり大型コンピュータから脱却でき
ていなかったからではないかと思います。1990年代から急速
に普及するPCにおいても主導権をとれなかったし、インターネ
ットについても、必ずしも強いリーダーシップを発揮していると
はいえないからです。
 このことに関連して、IBMの大型汎用機を使う人たちの間で
作られていたBITネットについて述べることにします。
 BITネットの「BIT」という意味には次の2つがあるとい
われています。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
      BIT = Because It is There.
      BIT = Because It is Time.
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 「ビコーズ・イッツ・ゼア」は、「それがそこにあったから」
という意味であり、「ビコーズ・イッツ・タイム」は、「時が満
ちていたから」という意味になります。
 BITネットの創始者は、アイラ・フュークスという人です。
1980年当時、フュークスを含めた大学関係者でコンピュータ
を使っている人たちの間には、ARPAネットに関しては大きな
不満が渦巻いていたのです。
 それは、ARPAネットは素晴らしいネットワークなのだが、
利用に当って制約が多過ぎるという不満です。実際にかなりのア
クセス制限があったのです。そこで、ARPAネットに接続でき
なくても、似たようなことができないかと考えていたのです。
 そこで使ったのがIBM社の「Vネット規格」です。フューク
スはこの規格を使って、IBMのVM370というコンピュータ
を使っている大学間をネットワーク化することを考えたのです。
要するにこのネットワークは、特定のコンピュータ会社の特定種
類のコンピュータ同士をつなぐという、きわめて内向きのネット
ワークなのです。
 IBM社のコンピュータユーザであるフュークスの立場から見
ると、自分が使っているコンピュータを、同じメーカの他のコン
ピュータと接続したいと考えたら、「そこに(Vネットという)
規格があったら」それを使ってネットワークを構築したというわ
けです。そういう意味でそのネットワークはBITネットと名づ
けられたという考え方です。
 いや、ARPAネットが充実し、コンピュータのネット機能も
充実している――すなわち、「時が満ちていたから」当然に作ら
れたネットワークという考え方もあるのです。
 フュークスの呼びかけにIBM社製の大型汎用機を使っている
大学が応じ、BITネットは、米国からカナダ、ヨーロッパまで
広がっていったのです。実際にできたことといえば、電子メール
やファイル交換機能という限られたものであったのですが、それ
でも他に手段がなかった時代ですから、結構重宝がられていたの
です。そして、この結果、メーリング・リストというサービスが
生み出されることになります。
 最終的には、32ヶ国の2300台以上のコンピュータがつな
がれ、その規模はARPAネットをしのぐほどになります。そし
て最終的には「世界一の学術コンピュータ・ネットワーク」とい
われるようになるのです。
 IBM社はBITネットに対して「自社にとって誇らしいユー
ザ・グループの活動」として、大規模な資金援助を行っているの
ですが、これには他の草の根ネットワークからはやっかみと批判
の声があったようです。
 NSFネットはちょうどこのときできたのです。このことによ
り、アイラ・フュークスは、ARPAネット経由のインターネッ
トがペンタゴンを離れ、民営化されることを受けて、同じような
ネットワークであるCSネットと合併して学術研究ネットワーク
会社――CRENを形成するのです。そして、CRENは、TC
P/IPを採用することによって、やがてインターネットに吸収
されていったのです。他の草の根ネットについても、同じような
行動を起こしているのです。
 IBM社関連では、もうひとつ「Fidoネット」と呼ばれる
ものがあったのです。これは、IBM PCを使う人々のネット
ワークです。IBM PCが発売されたのが1981年8月のこ
とであり、「Fidoネット」がスタートしたのは1983年か
らです。
 「Fidoネット」は、IBM PCやIBM互換PCを使っ
ている人たち用の電子メール交換用のネットワークです。そうい
う「Fidoネット」のユーザは、ARPAネットで行われてい
た情報交換の場を何とか作ろうとして、「電子掲示板システム」
(BBS)を作り出しています。
 BBSは米国では「オンライン・サービス」、日本では「パソ
コン通信」というかたちで流行することになります。しかし、こ
のサービスは中央のコンピュータを大勢の人で使う時分割処理シ
ステムの大衆版そのものなのです。・・ [インターネット44]


≪画像および関連情報≫
 ・「貧者のARPAネット」
  IBMのコンピュータのユーザ同士のネットワークがあった
  ように、UNIXというOS――ワークステーションに搭載
  ――を使う人たちのネットワークがある。「ユーズネット」
  がそれである。
 ・きっかけは、1981年のUNIXへのTCP/IPの標準
  搭載である。これはARPAネットに対して「貧者のARP
  Aネット」といわれたのである。そういう意味では、CSネ
  ット、BITネット、Fidoネットも、すべて「貧者のA
  RPAネット」ということになる。

1704号.jpg
posted by 平野 浩 at 08:52| Comment(0) | TrackBack(0) | インターネットの歴史 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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