2005年10月24日

ジェニングスのNSFネット構想(EJ1702号)

 ここでNSF――全米科学財団についてふれておく必要があり
ます。NSFの設立は、1950年に遡ります。1950年の全
米科学財団法に時のトルーマン大統領が署名したのです。そして
1951年に初代理事長としてアラン・ウォーターマンが指名さ
れて活動を開始しています。
 もともとこの財団設立の構想は、ルーズベルト大統領がヴァネ
ヴァー・ブッシュに書いた一通の手紙がきっかけで、ブッシュが
大統領に答申して実現したものです。もっとも答申した大統領は
ルーズベルトではなくトルーマンだったのです。ルーズベルトは
1945年4月12日に逝去したからです。
 一体どんな手紙だったのかというと、太平洋戦争において軍学
共同体制が生み出した数々の新しい知識や技術は、そのまま民間
でも役に立つものが多いが、こういう研究は平時においても続け
るべきであるかどうか、平時における科学知識・技術の研究体制
について答申して欲しい――おおよそこういう内容であったもの
と思われます。
 ブッシュは1945年7月25日に次の標題の答申をトルーマ
ン大統領に提出したのです。
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        『科学:限りなきフロンティア』
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 もともとブッシュは、科学研究こそ国家の安全にとって絶対の
基本であるという信念の持ち主であり、この信念に基づいて科学
研究のみを行う新組織「全米科学財団――NSF」の設立を提言
し、認められたのです。
 NSFは陸軍、海軍とは直接には関係を持たないが、緊密な連
絡をとることが条件とされたのです。NSFのモデルとなったの
は、海軍科学財団であり、初代理事長のアラン・ウォーターマン
も海軍研究局の主任科学者だったのです。ちなみにブッシュ自身
も海軍閥であることは既に述べた通りです。
 1950年代の後半からNSFは、各大学にコンピュータ・セ
ンターの設置の援助を開始しています。しかし、設置したコンピ
ュータは一括処理用であったため、一般の研究者の利用要求を満
たすところまでいかなかったのです。
 しかし、時分割処理が登場してより多くの利用に対応できるよ
うになり、NSFはセンターのコンピュータを時分割処理に対応
できる設備に変更するための助成を行うようになったのです。こ
れによって、NSFは大学の枠内にとどまらない地域コンピュー
ティング・センターを作るようになり、そのセンターの数は増加
していったのです。
 こうしたNSFの地道な努力の積み重ねにより、学校における
コンピュータ利用は次のレベルに達したのです。こういうところ
が米国の強さといえるでしょう。何しろ、1968年頃の話なの
ですから驚きです。
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     4年制総合大学 ・・・・・・ 100%
     単科大学(カレッジ) ・・・  33%
     短期大学 ・・・・・・・・・  25%
     高校 ・・・・・・・・・・・  20%
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 MERITネットワークというのがあります。ミシガン大学と
ミシガン州立大学、ウェイン州立大学の3校を結び、利用者はど
の大学の端末からでも、3つの大学にあるそれぞれの地域コンピ
ューティング・センターのコンピュータを自由に使うことができ
たのです。
 こういう地域センターのコンピュータネットワークがさらに拡
大しつつあった1970年代後半に、ウィスコンシン大学のラン
ドウェーバー教授のあの提案が出てきたのです。その結果、CS
ネットが構築されたのです。
 このCSネットの成功は、NSFの全国的ネットワーク構築へ
の布石となったのです。このとき登場したのが、デニス・ジェニ
ングスという人物です。1985年1月にNSFにやってきて、
ネット構築の責任者になった人物です。
 ジェニングスの仕事は速かったのです。彼はNSFネットの構
想を示し、すぐにテクニカル・アドバイザリー・グループを作り
デラウェア大学のディビット・ファーバー教授を委員長に指名し
たのです。
 ジェニングスの考え方は、既にNSFが設置しているスーパー
・コンピュータ・センターを「56キロビット/秒」の伝送速度
のバックボーン・ネットワークで結ぶというものだったのです。
バックボーン・ネットワークとは、いくつかのネットワークを繋
ぐ基幹的役割をするネットワーク回線のことです。
 これを決めるとき一番大変だったのは、通信プロトコルに何を
採用するかということだったのです。その時点での選択肢は次の
3つがあったのです。
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       1.DECネットのプロトコル
       2.TCP/IP
       3.OSIのプロトコル
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 ジェニングスはDECネットのプロトコルの信奉者であったの
ですが、TCP/IPとOSIのプロトコルの戦いになり、実質
標準のTCP/IPがOSIのプロトコルを押しのけて採用され
るようになったのです。これは、米国系のTCP/IPが、欧州
系のOSIに勝ったことを意味するのです。
 ルータの選定も大変だったのです。当時はBBN社のIMPが
主流だったのですが、非常に高価であり、新興勢力のシスコやプ
ロテオンは、まだ全国的なサポート体制ができていなかったので
す。結局、DECのPDP−11にソフトウェアをインストール
して使うことになったのです。 ・・・・[インターネット42]


≪画像および関連情報≫
 ・デニス・ジェニングスの3つ重要な決定
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  1.NSFネットの目的は、汎用の研究用のネットワークを
    建設することであり、単にスーパーコンピュータを接続
    することだけにとらわれない。
  2.各地にあるスーパーコンピュータセンターがこの地域の
    ネットワークを構築することにし、NSFNETはそう
    した地域ネットワークを相互に接続するためのバックボ
    ーンを提供する。
  3.NSFネットで使うプロトコルはARPANETのTC
    P/IPとする。
    (牛島研究室/オンライン「研究プロジェクト」より)
  −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

1702号.jpg
posted by 平野 浩 at 08:44| Comment(0) | TrackBack(0) | インターネットの歴史 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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