2005年10月21日

CSネットの誕生の背景(EJ1701号)

 ARPAネットが普及してくると、ある動きがはっきりとした
かたちを取りはじめたのです。1980年代になってから、それ
は具体的に動き出します。ARPAネットの恩恵にあずかれなか
ったコンピュータ研究者たちの不満の高まりです。
 ARPAネットは、国防総省の所管であり、軍事研究をしてい
ない大学、研究所、企業が利用することはできなかったのです。
そこで持たざる者のためのネットであるCSネット――コンピュ
ータ・サイエンス・リサーチ・ネットワークを作ろうという動き
が起こってきたのです。
 この考え方を提唱したのは、ウィスコンシン大学コンピュータ
科学科のラリー・ランドウェーバー教授です。1979年5月に
ランドウェーバーは、ウィスコンシン大学に各大学、ARPA、
NSF(全米科学財団)の代表を集めて、次のテーマで会議を開
いています。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
    コンピュータ科学学科の研究用コンピュータ
    ・ネットワーク構築の可能性について
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 この会議を開く2年前からランドウェーバーは、理論物理学者
同志のメール交換用のネットを作って運用していたのです。これ
は「セオリーネット」と呼ばれていたのです。
 「セオリーネット」は、ウィスコンシン大学にメールサーバー
を置き、利用者の端末をダイヤルアップ回線で接続してメールの
やり取りだけをやっていたのです。ランドウェーバーは、これを
ファイル転送、リモート・ログイン、高速メッセージ配信に拡大
したいと考えていたのです。ウィスコンシン大学は、このシステ
ムについて、NSFから資金援助を受けています。
 もうひとつ、パーデュー大学のケースがあります。同大学のピ
―ター・デニング教授は、AT&Tベル研究所のサービスを通じ
て、やはりダイヤルアップ回線を利用してメールの交換をやって
いたのです。
 ところで、AT&Tベル研究所のサービスというのはどのよう
なサービスだったのでしょうか。
 AT&Tベル研究所は、一日に一度、このネットワークに参加
している大学に電話回線経由で接続し、メールや小規模ファイル
を集めて、それを配付していたのです。この方式だと、メールを
出してから届くまで最低一日かかってしまいますが、郵送よりは
速かったのです。
 AT&Tベル研究所のシステムは、UNIXというサーバーO
S上で動くUUCP(UNIX間コピー・プログラム)というプ
ログラムで通信していたのです。しかし、このサービスは次第に
評判になり、UUCPシステムのユーザは増加し、AT&Tベル
研究所のUNIXサーバーは、同研究所の本来の業務に支障をき
たすようになってしまったのです。
 普通の企業であれば、これだけユーザが増えたらそれをビジネ
スにすることを考えるものですが、AT&Tという会社自体が、
ネットワークの会社でありながら、きわめて後進的な考え方しか
持っていなかったので、1979年の春にこのサービスをやめて
しまったのです。
 困ったのは、パーデュー大学です。しかし、そういうときにラ
ンドウェーバー教授の呼びかけがきたので、ピーター・デニング
教授は会議に参加したというわけです。
 会議は、ARPAのIPTOからボブ・カーン(当時はまだ部
長ではない)、NSFからは数学/コンピュータ部長ケント・カ
ーティスが出席していたのです。この会議の目的は、CSネット
の概要を説明し、NSFからの資金援助を仰ぐ根回しにあったの
で、ケント・カーティスの出席はランドウェーバーにその期待を
抱かせるのに十分なものであったのです。
 話を聞いたケント・カーティス部長は、次の3つの条件を出し
たのです。
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 1.CSネットは多様なサービスをサポートし、使った額に応
   じて従量課金すべきである
 2.NSFは多くの大学を支援したいので、供出できるものは
   最大5500万ドルとする
 3.NSFとしては無制限に支援できないので、2年間が経過
   したら自立して欲しいこと
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 この会談に基づき、ランドウェーバーはNSFに提案書を書い
たのです。NSFは、1980年1月にこの提案を受け入れるこ
とを了承しています。
 この時点でIPTOの部長になったボブ・カーンは、NSFの
関心がCSネットとARPAネットの接続にあるということを知
って、その責任者にヴィントン・サーフを任命しているのです。
またしてもヴィントン・サーフです。この人はよほど信頼の厚い
人物であったものと思われます。まさに「インターネットの父」
にふさわしい人物といえます。
 いろいろあって、CSネットの提案者にネットワークの専門家
はいないので、NSFのカーティス部長は、このCSネット・プ
ロジェクトのフルタイム・マネージャーとして、ボブ・カーンを
任命するのです。完全なるNSFペースです。
 そしてCSネットは、ARPAネットが提供しているのと同じ
ビス――メール、リモート・ログイン、オンライン・ネームサー
ビスを提供できるようになったのです。
 そして、NSFが手をひいた1983年1月には、CSネット
はちゃんと自立できるようになっていたのです。その他にも数多
くのネットワークが続々と誕生しつつあったのです。IBM社が
支援したBITネット、UNIXのUUCPを使ったUSEネッ
トなど――NSFはそれらを統合して「NSFネット」を立ち上
げる手を打っていったのです。 ・・・・[インターネット41]


≪画像および関連情報≫
 ・ウィスコンシン大学
  自然豊かな米国中西部ウィスコンシン州にあり、1894年
  年創立で、ウィスコンシン州・州立大学群の中で最も古い歴
  史を持つ。学生数は約9000人。教養、経営、教育、工学
  など100科目以上の授業が開講されている。研究・教育内
  容も年々充実しており、2002年度の大学 ランキングで
  は大学院修士課程(中西部)の部でベスト4位。

1701号.jpg
posted by 平野 浩 at 08:54| Comment(0) | TrackBack(0) | インターネットの歴史 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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