ンバーから成る国際ネットワーク・ワーキング・グループの座長
は、ARPA側の代表としてヴィントン・サーフが務めることに
なったのです。このグループは、1974年には国際情報処理学
会――IFIPの正式な下部組織になっています。
当時、フランスを中心とするヨーロッパでは、ネットワークの
方式について次の2つの方式が対立していたのです。
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1. データグラム方式
2.ヴァーチャル回線方式
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どちらの方式も階層的なプロトコルを持つという点では同じな
のですが、「データグラム方式」は、パケットの制御や再配列を
上位の層に受け持たせようとしているのに対し、「ヴァーチャル
回線方式」は、できるだけ下位の層にやらせて安定的なパケット
の配信を行うという考え方だったのです。
初期のARPAネットでは、IMPによる通信層がパケットの
制御や再配列を行っていたので、上記の2つの方式でいえばヴァ
ーチャル回線方式に該当していたといえます。このヴァーチャル
回線方式の通信層のプロトコルが国際電信電話諮問委員会(CC
ITT)によってまとめられた「X.25」なのです。
パケットの制御や再配列を上位の層にやらせるか下位の層にや
らせるかの違いは、パケットの配信・再配列に信頼性を持たせる
か否かの違いでもあります。もちろん、上位層にそれをやらせる
方が信頼性を保証するということになります。
ところが、1977年頃になると、ネットワークにパケット音
声機能を追加しようとする動きが出てきたのです。パケットは通
信経路の中で失われることもあり、その場合はパケットの再送信
を求めて再配列をすることになります。しかし、音声の場合はタ
イミングを重視する通信であるので、失われたパケットの再配信
の必要はないのです。
これを契機として、TCP(NCPから発展)は信頼性を受け
持たず、パケットを送ることだけに専念する層と信頼性の維持や
パケットの再配列などを受け持つ層に分けるべきであるという意
見が出てきたのです。
これによって、TCPはその下位層として「IP層(インター
ネット層)」を置き、次の4層にすることになったのです。19
77年のことです。つまり、ホスト層を2つに分割するとともに
名称も一変させたのです。
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アプリケーション層
トランスポート層
インターネット層
通信層
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そして音声通信には「UDP」というタイミングを重視したプ
ロトコルを新たに加えることにしたのです。つまり、TCPは、
パケットごとの着信を確認して送信するが、UDPはそれをせず
ただパケットを送信するだけなのです。
実はこれには、従来から対立していた「データグラムかヴァー
チャル回線か」に対して決着をつける意図があったのです。これ
について、喜多千草氏は次のように述べています。
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この四層構造こそが、ARPA方式が国際標準になってゆくた
めの基本となる見通しがあっただろうということである。(中
略)IPをTCPから分離し、信頼性を受け持たないIP層を
介して、その上の層にもともとARPAネットで確立したヴァ
ーチャル・サーキット方式を反映したTCPとCYCLADE
Sで確立したデータグラム方式を反映したUDPという二つの
プロトコルが併存することにより、異種のネットワーク間接続
がすっきりと収まり得ることになった。
―――喜多千草著、『起源のインターネット』
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ちなみに「パケット」という言葉は、「トランスポート層」で
は「データグラム」と呼ばれているのですが、ここまでEJを読
んでいただいた方には理解できると思います。
しかし、この時点ではIMPサブネットに支えられた旧プロト
コルが有効に機能していたのです。これをどのように切り替える
かがなかなかの難問であったのです。
ところがこの切り替えは急速に進むことになります。それは、
軍がTCP/IPを軍事用通信として本格的に利用しようと考え
ていたからです。1981年11月――ポステルのRFC801
によって、1983年1月までにすべてのノード(各拠点のホス
ト)で移行を完了せよということが伝えられたのです。
なぜこのような強引なことができたかというと、1975年に
ARPAネットは国防通信局(DCA)の管轄下に編成されてい
たからなのです。
国防通信局は、ARPAネットを軍事的な実用情報ネットワー
クにするため、セキュリティの甘い大学や研究所のノードと軍関
係のノードの切り離しを行っています。1982年にこの軍事部
分の分離を発表し、TCP/IPの移行が完了した1983年4
月にそれを実行したのです。このようにしてできたのが「MIL
NET」です。
これに伴い、軍はTCP/IPを産業界に公開したのです。こ
のために2000万ドルの予算を組んで、コンピュータ・メーカ
にTCP/IPを標準で搭載するよう奨励したのです。そのため
TCP/IPは急速に民間に普及していったのです。
しかし、既にIBM社をはじめ多くのメーカが独自のネットワ
ークの普及を行っており、世界中には互換性のないネットワーク
がうんざりするほど多くあったのです。 [インターネット39]
≪画像および関連情報≫
・ヴィントン・サーフ博士
ヴィントン・サーフ博士の近況については、ブログ・サイト
「BB Column」を参照されたい。
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http://www.bba.or.jp/bbc/
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