2005年10月17日

RFC文書というものがある(EJ1697号)

 ゼロックス社は、小型コンピュータのアルトを2000台も生
産しながら、1台も外部に販売しなかったのです。これは、産業
史上の大失敗のひとつとして語り草になったほどです。
 しかし、PARC内ではそれらのアルトがイーサネット・ネッ
トワークで相互につながり、さらにそれがARPAネットにつな
がって全米のコンピュータと自由にプログラムやデータを交換で
きるようになったのです。
 これに貢献したのがメトカフとボックスの2人なのです。2人
は「ボブジーの双子」といわれるほどいつも一緒に働き、イーサ
ネットの実装を熱心に行ったのです。
 ところが、イーサネットの実装が進む過程において、ファイル
転送用プロトコル(EEFTP)が作られ、1975年にレーザ
ー・プリンタをネットワーク上に置くEARSというネットワー
ク・プリンタ・システムが出来上がったのです。
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 EEFTP=Experimental Ethernet Transfer Protocol
 EARS =Ethernet Alto Research Character generator
       Scanning laser output terminal
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 PARC内で多くの研究者が個人でアルトを使うようになって
一番扱いに苦慮していたのが、実はプリンタの扱いなのです。し
かし、イーサネットが開発され、PARC内のアルトがネットワ
ークで接続されると、プリンタをネットワーク上の個々のアルト
から共有して使用できるようになったのです。
 もう少し正確にいうと、ネット上の1台のアルトにプリンタを
接続して制御できるようにし、それをネットワークで個人が使っ
ているアルトから利用するシステムなのです。
 やがて、プリンタに接続されたアルトは、入出力機器などの制
御を担当したり、ファイルを記憶したりすることで他のコンピュ
ータに奉仕する機能を持たされたことから、「サーバー(奉仕す
る者)」と呼ばれるようになります。これに対してそれを利用す
るコンピュータは「クライアント」と呼ばれ、「サーバー・クラ
イアントシステム」という方式のはしりになったのです。
 このEARSは、ゼロックス社に莫大なる利益をもたらすこと
になる「ゼロックス9700」というプリンタのプロトタイプに
なったのです。このプリンタの成功によってゼロックス社は、P
ARCへの投資の数倍も稼いだといわれます。
 ここで「RFC文書」について触れておく必要があります。通
信というのは必ず相手があるわけであり、そこに共通の約束事が
できていくことになります。この約束事をどのようにして決めて
いくかということに使われたのが「RFC文書」なのです。
 こういう通信の約束事はARPAネットのノード――ARPA
ネットの拠点のホスト・コンピュータ――から、大学院生が派遣
され、彼らによる話し合いで決められていったのです。
 1969年当時のノードは4ヶ所――UCLA、SRI、UC
サンタバーバラ、ユタ州立大学――でしたが、UCLAのステフ
ァン・クロッカーとジョン・ポステルが「RFC文書」を回覧す
る方法を考え出したのです。1969年4月のことです。そして
エディターはジョン・ポステルが長期にわたって務めたのです。
RFCは次の頭文字です。
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      RFC = Request For Comment
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 このジョン・ポステルという名前を覚えているでしようか。
 EJの現在のテーマの第1回――8月23日付、EJ第166
1号に登場しているのです。そして、慶応義塾大学の村井純教授
の受けた賞がポステル賞なのです。やっと連載37回目にして、
ジョン・ポステルの名前が出てきたのです。
 さて、RFCとは「コメントを求む」という英文の頭文字をと
ったもので、ARPAネットの構築に当ってネットワーキングの
標準規約を定めていくための議論の内容を周知徹底し、関係者の
自由なコメントを求める文書なのです。
 このRFC文書は、現在も新しいものが出され続けており、総
数が4000を超えているそうです。世界中のネットワーク管理
者は、これらの規約によってネットワークを運用しているからこ
そ、世界各地の無数のネットワークが破綻することなく、一定の
秩序のもとに機能しているのです。
 ちなみにRFC文書第1号は次のような内容だったのです。
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    1969年4月7日/ステファン・クロッカー
    「ホスト・ソフトウェアについて」
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 初期のREC文書はシステム上では電子的に書かれていたので
すが、プリントアウトされ、紙の文書を郵送するかたちで流通し
ていたのです。当時はメールやファイル交換のプロトコルができ
ていなかったので、メールで配付するというわけにはいかなかっ
たのです。
 現在、初期のRFC文書もインターネット上のウェブページで
読むことができますが、これは後年RFCオンライン・プロジェ
クトで、90年代に入ってから電子化されたものなのです。
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  http://www5d.biglobe.ne.jp/~stssk/rfcjlist.html
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 1969年の時点で4ヶ所であったノードは1972年4月に
は23ヶ所になり、ARPAネットは大々的に国際会議で公開さ
れたのです。その当時、最も多い利用例は電子メールだったので
すが、電子メールはファイル転送の特殊な例という位置づけだっ
たのです。       ・・・・・・・[インターネット37]


≪画像および関連情報≫
 ・ジョン・ポステル
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  ジョン・ポステル(Jonathan Bruce Postel,1943−19
  98)は米国のコンピュータ科学者。1974年にUCLA
  よりコンピュータサイエンスの博士号を授与される。UCL
  A在学中より初期のARPAネットにかかわる。1977年
  より南カルフォルニア大学(USC)の情報科学研究所にて
  インターネットの発展と標準化に多大な貢献をし、「インタ
  ーネットの神」と呼ばれた。
  出典:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より
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1697号.jpg
posted by 平野 浩 at 08:46| Comment(0) | TrackBack(0) | インターネットの歴史 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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