2005年10月14日

メトカフ/イーサネットを完成(EJ1696号)

 PARC内のアルトを接続してネットワーク化する――これが
ロバート・メトカフに課せられた仕事です。当時はこういうネッ
トワークのことを「ローカル・ネットワーク」と呼んでいたそう
です。LANと呼ばれるのはもう少し経ってからです。
 メトカフは既にこの頃からパケット通信網の広がり全体を巨大
なシステムとしてとらえていたのです。そして、このネットワー
クが完成し、他にも同じようなネットワークがあるとそのネット
ワーク同士を統合してさらに巨大なネットワークを構築する――
実に広大な構想をメトカフは描いていたのです。
 しかし、この実現のためには、アルト用のローカル・ネットワ
ークをきちんと仕上げる必要があります。そのため、メトカフは
この仕事のパートナーとして、PARCの同僚のデビット・ボッ
グズを選んだのです。
 ローカル・ネットワークの基本設計としては、パケットの制御
を中央のコンピュータで行わない分散型の制御採用することに決
めていたのです。アロハ・システムと同じ方式です。具体的には
次のようなネットワークを目指したのです。
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 速くてシンプル、そして、太いケーブルを必要とせず、どこに
 でも這わせることができ、信頼性が高く、コンピュータの5%
 程度のコストにおさまるようなネットワーク。しかも、アルト
 に差し込めるカード仕様を充たすこと。
 ―――喜多千草著、『起源のインターネット』より。青土社刊
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 さまざまな問題点をクリアして、1974年にメトカフとボッ
クスは実験システムを完成させたのです。アルトを約100台接
続して動かしてみたところ、問題なくネットワークが稼動したの
です。ネットワークの仕様は次の通りだったのです。
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    最大伝送速度 ・・・ 2.94Mビット/秒
    最大伝送距離 ・・・・・・ 1キロメートル
    最大セグメント ・・・・・ 1キロメートル
    アドレス長  ・・・・・・ 8ビット
    伝送メディア ・・・・・・ 同軸ケーブル
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 このネットワークは当初「アルト・アロハネットワーク」と呼
ばれていたのです。しかし、メトカフとボッグスがゼロックス社
の法律関係部局に提出したこのネットワークの「発明記録」には
「イーサネット発明記録」と書かれてあったのです。
 「イーサ」というのは、ギリシャ語の「上層の空気」から作ら
れた言葉で、光を伝える仮想的な物質を意味しています。音は空
気が振動することで伝わりますが、宇宙空間は真空であるのに光
は太陽から地球まで届きます。それなら、光を伝える媒体とは何
か――17世紀にホイヘンスはそれが「エーテル(イーサ)」で
あると仮定したのです。
 しかし、ホイヘンスの考え方は19世紀末のマイケルソンとモ
ーリーの実験や20世紀初頭のアインシュタインの相対性理論に
よって否定されています。
 もちろんメトカフはそんなことは知っていましたが、「データ
を伝える媒体」という意味を込めて「イーサネット」と名付けた
のです。後年メトカフはこういっています。
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 ある物理学者は既に存在が否定されている物質の名前を使うな
 んて、評判を落とすだけだと思うけどね。
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 メトカフは、アルト・ネットワークを「イーサネット」と命名
するという趣旨の提案を研究者たちに配っています。その日付は
1973年5月22日――この日こそ「イーサネット」が誕生し
た記念日といえるでしょう。
 当時DEC社はベストセラーだったミニコンPDPの後継機と
してVAXという戦略商品を開発していたのですが、このマシン
はLANに繋ぐことが前提だったのです。
 そのことを知ったロバート・メトカフは、DEC社の技術部門
の責任者であるゴードン・ベルに次のように説得したのです。
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 DEC社の方からゼロックス社にイーサネットの標準化に協力
 すると説いてくれないか。標準化されれば、ゼロックス社のレ
 ーザー・プリンタは爆発的に売れますよとね。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 この説得は見事成功し、ゼロックス社はDEC社とイーサネッ
トの標準化で協調することになったのです。そして、この2社連
合にさらに1社が加わるのです。インテル社がそうです。当時イ
ンテル社は新しい半導体製造技術を開発したばかりで、この技術
が使える分野を探していたのです。
 この情報を入手したメトカフはひらめいたのです。もし、この
連合にインテル社が加われば、イーサネットの標準化ができた場
合、制御チップの供給先を確保できる――そう考えたメトカフは
インテル社を全力を傾けて説得し、承知させたのです。このメト
カフという人物、なかなか政治力があるようです。
 かくして、DEC、インテル、ゼロックス3社が共同で標準化
を目指すことになったのです。この3社連合は、それぞれの会社
の頭文字をを取って「DIX連合」と名付けられたのです。この
DIX連合――1980年9月にイーサネットの最初のバージョ
ン1.0を出しています。これをDIX仕様といいます。
 しかし、LANの標準化に競合する大企業が2社あらわれたの
です。GM社とIBM社です。1980年2月に第1回のIEE
E802委員会がサンフランシスコで開かれているのですが、結
局のところ、LANの標準化は1本化されず、DIX連合/GM
/IBMそれぞれがLAN仕様を出すことになります。政治的な
理由でそうなったといえます。 ・・・・[インターネット36]


≪画像および関連情報≫
 ・LANの3つの標準化仕様
  ―――――――――――――――――――――――――――
  IEEE802.3 ・・・ DIX連合
   ・バス型LAN
  TEEE802.4 ・・・ GM
   ・トークン・パス型LAN
  IEEE805.5 ・・・ IBM
   ・トークンリング型LAN
  ―――――――――――――――――――――――――――

1696号.jpg
posted by 平野 浩 at 08:48| Comment(0) | TrackBack(0) | インターネットの歴史 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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