の中で一番有名な人物はアラン・ケイでしょう。ロバート・テイ
ラー――同名の有名映画俳優がいる――はともかくとして、ラン
プソン、サッカーにいたっては、長年コンピュータ業界に籍を置
いた人でさえ、その名前を知る人は少ないと思うのです。
それに比べてケイは、最初から「子供でも使える小型コンピュ
ータ/ダイナブック」というコンセプトを持っていて、コンピュ
ータ制作やプログラミングよりも、教育研究――その視点に立っ
たコンピュータ利用に情熱を傾けた人です。文才もあり、熱心に
執筆活動をしていたこともあって、世界的にその名前は知られて
いたのです。
そういう著名人であるケイは、講演でアルト・システムについ
て語るとき、それをアルトとは呼ばず、「暫定版ダイナブック」
として紹介しています。これを聞けば、単体のアルトがケイのダ
イナブック講想を実現したものであると誰でも考えてしうでしょ
う。これでは、ランプソンやサッカーが気の毒です。
もちろん、アラン・ケイの業績は素晴らしいとは思いますが、
私が調べた限りでは、ランプソンの小型コンピュータの将来像の
方がケイのそれよりもはるかに現実に近いものであったこと――
また、サッカーの類まれなるコンピュータ構築の技術やソフトウ
ェア開発力がなければ、アルトは誕生しなかったということを強
調しておきたいと思います。
話を先に進めます。PARC内部のアルトをネットワーク化し
LANの基礎を築いたのは、ロバート・メトカフです。メトカフ
は、1972年6月にPARCのコンピュータ科学研究室の一員
になっています。テイラーの勧誘によるものです。
メトカフは、MITの電子工学科を卒業して、ハーバート大学
の応用数学大学院に進み、主としてコンピュータ・ネットワーク
の研究をしていた研究者です。ハーバート大学には博士号を取得
する目的で通っていたのですが、当時優秀な研究者はいろいろな
研究所から引っ張りだこで、大学ではあまりじっくりと勉強でき
なかったようです。
ハーバート大学院在学中にMITのMAC計画に参加し、ミニ
コンのIMPをMAC計画で使っていたPDP−10に接続する
など、実践的な通信・ネットワークの仕事をしてたのです。
メトカフはこの仕事をした関係で、リックライダーやテイラー
を知り、博士号を取得したらPARCに就職することになってい
たのです。
既に述べたように、学者にとって博士号は特別なものではなく
取得していないと学者仲間から相手にされないという性格のもの
だったようです。メトカフはMAC計画に参加した経験を基にし
て、博士論文をまとめてハーバート大学に提出したのですが、不
合格として却下されてしまいます。理由は「理論化が十分ではな
い」というものだったのです。
困惑したメトカフはテイラーに電話をしてそのことを伝えたの
ですが、テイラーには次のようにいわれたのです。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
博士号なんてどうでもいいから、早くPARCに来て欲しい。
実はすぐに取り組んで欲しい仕事がある。博士号はその仕事で
とれる。 ―― ロバート・テイラー
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
こうしてメトカフはPARCのコンピュータ科学研究室の一員
となるのです。1972年6月のことです。
テイラーがメトカフに対してすぐにやって欲しい仕事といって
いたのは、次の2つだったのです。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
1.時分割処理システムMAXCをARPAに接続する
2.PARC内のアルトを接続してネットワーク化する
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
上記1の仕事に関しては、メトカフは簡単に片付けています。
しかし、2のアルトによるネットワーク化に関しては、いろいろ
考えるところがあったのです。これに関してもARPAを応用す
れば可能だったのですが、次の3つの理由によってARPAの技
術を使いたくないと考えていたのです。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
1.ARPAは電話回線を使うので遅い
2.接続するに当って、コストがかかる
3.システムが複雑になってしまう恐れ
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
メトカフがワシントンのARPAを訪れたとき、ハワイ大学で
行われているアロハ・システムのネットワークに関する1970
年の学会報告書を目にしたのです。アロハ・システムのリーダー
は、ノーマン・エブラムソンという学者で、ハーバード大学の教
授から自らの希望でハワイ大学にやってきていたのです。彼は海
が好きで、かねてからハワイに住みたいと考えていたのです。
エブラムソンの論文を読んだメトカフは、直ちにハワイに行っ
て、エブラムソンの指導を受けるために1ヶ月を過ごすのです。
1972年の夏のことです。
このアロハ・システム――ハワイ大学の電気工学部情報科学科
が、1968年9月から、空軍の研究資金援助により時分割処理
システムを中心とした情報通信設備の開発を行っている過程で構
築されたものなのです。
ハワイ大学の場合、その地理的条件などにより、通常の時分割
処理システムをそのままでは適用できないという事情があったの
です。とくに問題となったのは、次の3つです。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
1.大学の施設が離れた島に点在していること
2.電話回線はノイズが混入するので使えない
3.専用回線は高価であり、海をまたぐネック
−−−−−−−−−−−−−− ・・・・[インターネット34]
≪画像および関連情報≫
・ハワイ大学/オアフ島には「IBMシステム360」が設置
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
「IBMシステム360」はIBM最大のヒット商品であり
1964年に完成している。IBM社によると「360」は
「360度、どの用途でも応用できます」という意味であり
その汎用性を強調している。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
