を上回る機能を持つコンピュータ「MAXC」――これはCをサ
イレントにして「マックス」と呼ぶのです。
これは、SDS社をゼロックス社に高値で売りつけて億万長者
になったマックス・パレフスキー(XDS社の社長)を揶揄して
「マックス」と呼んだのです。MAXCを制作したのは、テイラ
ーのチームであり、テイラーと仲が悪かったパレフスキーをから
かったというわけです。しかし、この揶揄がパレフスキー本人に
通じているかどうかは定かではないそうです。
さて、ロバート・テイラーがPARC(パロアルト研究所)に
連れてきた研究者はかなりの人数になります。その中で、とりわ
け現在のインターネット環境づくりに重要な貢献をしたと考えら
れる人物を上げると、次の4人になると思います。これら4人の
関係について記述していきます。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
1.バトラー・ランプソン
2.チャールズ・サッカー
3.アラン・ケイ
4.ロバート・メトカフ
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
アラン・ケイ――1968年当時、彼はユタ大学の大学院生で
あり、イワン・サザーランドの弟子の一人だったのです。そのと
き、同じユタ大学にいたテイラーとは当然面識があり、テイラー
によってPARCに引っ張られたのです。
アラン・ケイは、PARCに入社する前から「ダイナブック講
想」という画期的なコンピュータのアイデアを持っており、これ
を実現するため、テイラーの誘いに乗ってPARCに入社したの
です。彼はPARCではシステム科学研究室に属していたのです
が、テイラーの率いるコンピュータ科学研究室のディスカッショ
ンにはよく参加していたのです。
1972年9月のこと、ランプソンとサッカーは、アラン・ケ
イの部屋を訪ねたのです。彼ら2人はアラン・ケイに次のように
尋ねたのです。これは今でも語られる有名な話なのです。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
「予算をお持ちではありませんか」
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
これに対してケイは「持っている」と答えると、ランプソンと
サッカーは「そのお金であなた用の小さなコンピュータを作らせ
ていただけませんか」と頼んだというのです。
もともとアラン・ケイは小型コンピュータには関心があり、彼
らがあまりにも真剣なので、現在考えている自分の仕事をあきら
めて、予算の23万ドルを彼らのために提供したのです。このア
ラン・ケイの決断が伝説的な名器「ALTO/アルト」を誕生さ
せることになるのです。
ALTOの設計は、次のような分担で行われたと記録に残って
います。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
主設計者 ・・・・・・・・・ チャールズ・サッカー
副設計者 ・・・・・・・・ エドワード・マクレイト
監 修 ・・・・・・・・・ バトラー・ランプソン
総 括 ・・・・・・・・・・・・・ アラン・ケイ
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
ランプソンとサッカーはアラン・ケイに「3ヶ月で作る」と宣
言したのですが、さすがに3ヶ月では無理で、約6ヶ月をかけて
ALTOは1973年4月に完成したのです。
添付ファイルにALTOの写真を載せていますが、本体部分は
かなり大きいものの、現代のPCに近いものになっています。そ
れでは、ALTOはどのようなコンピュータなのでしょうか。
脇英世氏の本から、ALTOがどのようなコンピュータである
かをご紹介します。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
ALTOは8.5インチ×11インチのモノクロのビットマッ
プ・ディスプレイが採用された。このビットマップ・ディスプ
レイによってGUIが可能になり、さらにビットマップ・ディ
スプイとレーザー・プリンタがイーサネットによって結合され
ることにより、WYSIWYGが可能になった。
―――脇英世著、『インターネットを創った人たち』より
青土社刊
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
かなり、専門用語が入っているので、簡単に説明します。ディ
スプレイは縦型で、ウインドウズのようなグラフィカル・ユーザ
・インタフェース(GUI)を装備しています。脇氏の説明には
ありませんが、キーボードとマウスという現在と同じ入力装置が
ついています。
WYSIWYG――ウィジウィグというのは、ディスプレイの
画面で見たままが印刷されるという意味であり、WYSIWYG
は次の英文の頭文字をひろったものです。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
What You See Is What You Get.
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
どうでしょう。まさしく現代のPCの原型とでもいうべきもの
が1973年には米国では完成していたことになります。しかし
ゼロックス社の首脳はALTOを商品として販売せず、2000
台も生産しながら、PARC内部で使われただけで、終わってし
まったのです。これは同社の経営幹部の責任といえます。
ALTOがどんなに素晴らしいコンピュータだったかは、19
79年にPARCを見学に来たアップルのスティーブ・ジョブス
CEOがALTOを見て感激し、まず、「リサ」を作り、それを
「マッキントッシュ」に発展させて大成功したことを見ても明ら
かなことです。 ・・・・・[インターネット32]
≪画像および関連情報≫
・スティーブ・ジョブス/アップル社暫定CEO
スティーブ・ジョブズは米国の企業家。スティーブ・ウォズ
ニアックなどとともにアップル・コンピュータ社を創立。P
ARCのALTOのGUIやマウスのアイデアの可能性に目
をつけたジェフ・ラスキンやビル・アトキンソンのアイデア
である「マッキントッシュ」に最初は反対しながらも、自ら
ALTOを見て考え方を変更し、「マッキントッシュ」を制
作して成功する。近年では業績不振に陥っていたアップル社
の暫定CEOを引き受け、「アイ・マック」や「iPod」
を発売して業績を回復させている。ジョブスは暫定CEOで
あるとして、毎年1ドルしか給与を受け取っていない「世界
で一番安いCEO」といわれている。「マッキントッシュ」
と写っているのは、若き日のスティーブ・ジョブスである。
