2005年10月04日

ゼロックス社とパロアルト研究所(EJ1689号)

 ARPAのIPTO部長といえば、何百万ドルという援助を気
前よく配る存在です。その部長室は、国防総省のDリングに位置
して非常に大きく、豪華な絨毯が敷き詰められ、大きな机、がっ
しりとしたオーク材の会議用テーブル、ガラスの扉のついた立派
な本棚、それから快適な革張りの応接セットなどの調度品で飾り
立てられている豪奢な部屋なのです。
 しかし、IPTO部長の給料は非常に低いのです。ロバーツな
どは外に出かけるときは、オンボロのレンタカーを使っていたと
いうのです。したがって、高給が保証されているMITの教授や
助教授などのポストを捨てて、その職につくのは、相当の奉仕精
神がないとできないことなのです。
 ロバート・テイラーは、実質的に1965年からIPTO部長
の仕事をしていたのですが、1967年にホワイトハウスからあ
る命令を受けるのです。その命令とは、ベトナム戦争に関する米
国の陸海軍および海兵隊からなる四軍の報告があまりにもでたら
めなので、実態を調査し、そういうことがないようにせよという
ものだったのです。
 命令はマクナマラ国防長官からのものと思われますが、どうし
てこのような命令が、軍事のための先端技術を研究するIPTO
に下ったかということです。おそらく他に持って行きようのない
問題だったからではないかと思われるのです。
 このマクナマラという人物は、ケネディ政権のリンドン・ジョ
ンソン副大統領が「フォードから来た髪の毛を統計数字のように
整理した男」といったように、何事も数量化し、秩序立てて判断
するという統計学の権化のような人だったのです。彼は、自分の
仕事はデータの解析と理解であり、データの提供は軍部にまかせ
ればよいと考えていたのです。
 しかし、軍事情報は作戦参謀によって再編集され、嘘で塗り固
められたものが国防総省に上がってきたのです。その結果、米四
軍からの報告をそのまま信ずると、ベトナム人民軍の戦死者は北
ベトナムの総人口を上回ってしまうという結果を招いたのです。
そういうわけで、実態調査命令がIPTO部長のロバート・テイ
ラーに下ってきたというわけです。
 テイラーは、早速ベトナム視察に行くのですが、現地軍から猛
烈な抵抗にあいます。そのため自分が一つ星の准将待遇であるこ
とをまるで水戸黄門の印籠のようにいちいち誇示しなければなら
なかったほどなのです。
 抵抗にあいながらテイラーは、ベトナム視察を繰り返していく
うちにこの戦争が民主主義を守るための正義の戦争であるという
信念が揺らいできたといっています。そして、何のために誰が読
むのかわからない嘘で塗り固められた報告書が恣意的に生産され
国防総省に報告されていた事実を掴んだのです。
 そこでテイラーはARPAネットがスタートし、拡大していく
のを見届けることなく、ARPAを去ってユタ大学に行き、19
69年の暮れから教鞭をとることになります。
 ちょうどその1969年に、ゼロックス社の3代目の社長であ
るピーター・マッカローは、コンピュータ分野への進出を考えて
おり、買収すべきターゲットのコンピュータ会社を物色していた
のです。当初はDEC社をターゲットにしていたのですが、うま
くいかなかったのです。
 1969年2月にSDS(サイエンティフィック・データ・シ
ステムズ)を9億2000万ドルで買収したのです。この金額は
当時としては膨大であり、さしものゼロックス社も新株を350
万株を発行してやっと買収したのです。そして、SDS社はXD
Sとなったのです。
 この買収時点のゼロックス社の研究所の統括責任者は、ジャッ
ク・ゴールドマンだったのです。ゴールドマンは、フォード社か
ら移ってきたばかりの物理学畑の学者でしたが、ゼロックス社の
技術者は「守りの研究」をしていると批判していたのです。
 ゴールドマンは、SDSを買収した日と同じ日付で、マッカロ
ー社長に対して、「新しい先端科学・システム研究所の提案」と
題する21ページに及ぶ提案書を提出しています。そこに書かれ
ていた提案は、次の3つにまとめられます。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 1.既存のゼロックス社研究所群は従来通り、複写機関連技術
   に関わることにする。
 2.新研究所は既存の製品に関わる守りの研究は一切行わず、
   最新の研究に徹する。
 3.新研究所には、コンピュータやシステムに重点を置く3つ
   の部門が必要である。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 ここでいう「守りの研究」とは、既存製品――ゼロックスであ
れば複写機に関連する技術を中心に研究する姿勢をいうのです。
3つの部門とは次の通りです。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 1.システム科学研究室 ・・・ ゼロックス他部門連携
 2.コンピュータ応用研究室 ・ データ・マネジメント
 3.基礎科学研究室 ・・・・・ 一流の学者を集め研究
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 ゴールドマンは、最初に親友のジョージ・ペイクを新研究所の
責任者にすることを決めて、それから研究所の場所探しをやった
のです。ゼロックス社の既存の研究所に近い東海岸はあえて避け
て、カルフォルニアのパロアルトに場所を決定します。そして、
1970年6月に「パロアルト研究所」として発足したのです。
 ジョージ・ペイクは、セント・ルイスのワシントン大学の物理
学教授をしていたのですが、この学校はあのウェスレイ・クラー
クのいた大学なのです。しかし、所長を引き受けるさい、ペイク
の念頭にあったのは、ユタ大学にいたロバート・テイラーだった
のです。そして、ペイクは、テイラーに対して、執拗な説得をは
じめたのです。       ・・・・・[インターネット29]


≪画像および関連情報≫
 ・パロアルト研究所/Palo Alto Research Center――parc
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  パロアルト研究所はアメリカ合衆国にある研究施設。複写機
  大手の米ゼロックス社が1970年にカルフォルニア・パロ
  アルトに開設する。アーキテクチャー・オブ・インフォーメ
  ーションの創出を目標にしたのである。コンピューター科学
  方面での影響力が大きく、スモールトーク、GUI、マウス
  イーサネット、レーザープリンタなどの発明が行われた。開
  放的な気風であったといわれる。
  出典:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より
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1689号.jpg
posted by 平野 浩 at 08:49| Comment(0) | TrackBack(0) | インターネットの歴史 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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