2005年09月30日

電子メールが好評のARPAネット(EJ1687号)

 ホストとホストの通信をIMP(インプ)を介してつなぐとい
うウェスレイ・クラークのアイデアは実現されようとしていたの
です。この場合、通信は次の2つに分かれることになります。
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 1.ホストとIMPの間の通信 ・・   シンクロナス
               ――大学・研究機関の責任
 2.IMPとIMPの間の通信 ・・ アンシンクロナス
               ――開発会社BBNの責任
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 現在では、ホストとルータの通信とルータとルータの通信は同
じです。そういう意味では、厳密には「IMP=ルータ」とはい
えないのかもしれません。
 さて、UCLA、SRI、UCサンタバーバラ、そしてユタ大
学の4つの拠点にはIMPが搬入され、それぞれのホスト・コン
ピュータと接続、さらにそれが専用電話回線で結ばれて、最初の
ARPAネットが構築されたのです。
 ARPAネットによる通信は、本当にうまくいったのでしょう
か。最初にIMPが持ち込まれたUCLAでのデータの送受信の
模様を残されている資料を基にしてご紹介しましょう。
 1969年8月31日、UCLAには関係者が集まり、IMP
とUCLAのホスト・コンピュータSDSシグマ7の間でビット
・データが転送されたのです。しかし、専用電話回線上で実際に
データが転送されたのは、10月29日、ロサンゼルスのUCL
AとシリコンバレーのSRI(スタンフォード研究所)の間での
ことです。
 UCLAからSRIに「LOGON(ログオン)」というデー
タを送ろうとしたのです。最初に送られたのは「L」という文字
であり、続いて「O」という文字――これらが間違いなく、送ら
れていることは電話で確認しています。
 しかし、その時点でシステムダウンしてしまったのです。後で
判明したところによれば、SRI側のマシンのバグが原因なので
す。速やかにバクは取り除かれ、その日の午後にはUCLAから
SRIにログインが可能になっています。
 モールス信号の開発者、サミュエル・モールスが1844年に
電信で最初に送ったメッセージは「なんぞ神は造りたまいき」、
1876年にグラハム・ベルが、最初に電話に送ったメッセージ
は「ワトソン君、こっちにきてくれ。君に会いたい」――これに
対して、1969年にUCLAがARPAネットで最初に送った
メッセージは「LO」であったのです。
 かくして、ARPAネットは、ハード面については完成したこ
とになります。これからは、ソフトウェアやアルゴリズムの問題
になってくるので、研究開発の中心は東海岸のMITから西海岸
のUCLAに移ってくることになります。
 ここで、ARPAネットのアイデアを考えたテイラーとそれを
実現させたロバーツの考え方の差に注目する必要があります。
 ラリー・ロバーツは、テイラーの開発構想をARPAネットの
初期計画として次のようにまとめています。これを「技術的アジ
ェンダ」といいます。
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 1.負荷共有 ・・・・・・・・・・・・・ 負荷の平均化
 2.メッセージサービス ・・・・・ 電子メールサービス
 3.データ共有 ・・ データベースへのリモートアクセス
 4.プログラム共有 ・・ データやプログラムを遠隔地に
 5.遠隔アクセス ・・ 遠隔地のコンピュータにログイン
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 ロバーツとしては、IPTOの創始者であるリックライダー、
そして自分を引き抜いてくれたテイラーの意向を無視して、技術
的アジェンダをまとめるわけにはいかなかった事情をこの5項目
は示していると思います。
 この技術的アジェンダを見ると、リックライダーの考えていた
リソース共有ネットワークの機能は3、4、5にあらわれていま
すし、コミュニティの形成に重点を置いていたテイラーの考え方
は2の電子メールサービスに取り入れられています。
 しかし、ロバーツはメッセージ・サービスについては次のよう
にいっていたのです。
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 教育や会議などにはよいかもしれないが、科学目的のコンピュ
 ータ・ネットワークにとっては重要ではない。
                   ――ラリー・ロバーツ
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 しかし、結果としてARPAネットで一番よく使われたのは電
子メール・サービスだったのです。当時の学者としては、高価な
コンピュータを電子メールのようなものに使うことに大きな抵抗
があったのです。
 1968年、ロバート・テイラーは、リックライダーと共同執
筆で、次の論文を発表しています。この本は現在のコンピュータ
の使われ方を的確に示していたのです。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 J・C・R・リックライダー/ロバート・テイラー共同執筆
     『コミュニケーション装置としてのコンピュータ』
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 この論文の中でテイラーは、ネットワークでコンピュータを使
う人々のつながりを「オンラインで双方向のやりとりをするコミ
ュニティ」と名付け、その未来像について「そのうち同じ興味を
持つ人々が同じ部屋にいてさえも、コンピュータのネットワーク
を介して、一緒に仕事をしていくようになる」と書いています。
 コンピュータがネットワークを介して情報装置として機能する
ことで、地理的制限をとりはらった知的なコミュニティの出現を
うながすという予測をしているわけですが、この予測は見事に的
中することになったのです。 ・・・・・[インターネット27]


≪画像および関連情報≫
 ・『コミュニケーション装置としてのコンピュータ』発表時の
  著者紹介写真。リックライダーとテイラーがコンピュータを
  使っていかにも通信をしているように見えるが、この時点で
  通信はつながっていなかったのである。
  左側:リックライダー/右側:テイラー

1687号.jpg
posted by 平野 浩 at 08:52| Comment(0) | TrackBack(0) | インターネットの歴史 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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