2005年09月26日

ラリー・ロバーツ招聘の顛末(EJ1683号)

 チャールズ・ハーツフェルド第2代ARPA局長――彼はオー
ストリア生まれの物理学者で、とても大柄の人物であり、その声
は轟くように大きかったといいます。そのため、提案のために彼
の前に出ると、多くの人は縮み上がって用意していたことを半分
もいえなかったそうです。しかし、テイラーはむしろ、ハーツフ
ェルドのような人物が好きだったのです。
 前回述べたようにIPTO部長の部屋は、ペンタゴンのDウイ
ングにあったのですが、ARPA局長の部屋はEウイング――外
の見晴らしのよいところにあったのです。
 ロバート・テイラーは意を決して、Eウイングにハーツフェル
ド局長を訪ねて例の提案をしたのですが、そこでどのような会話
が行われたか再現してみることにします。テイラーをT、ハーツ
フェルドをHと表記します。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 T:ARPAが支援している機関は、それぞれ規格の異なる独
   自のコンピュータを持っているのですが、それが仇となっ
   て、コンピュータの資産が共有できないでおります。
 H.つまり、物理的に孤立しているということかね。
 T:その通りです。ARPAが支援のさいに、コンピュータの
   機種を限定し、ハードウェアやOSを統一すれば共有は可
   能ですが、ARPAは政府機関でありますから、そんなこ
   とはできません。
 H:その通りだ。ところで、いいアイデアでもあるのか?
 T:ございます。本日はその提案に伺ったのです。
 H:どのような提案かね。
 T:規格の異なるハードウェアやOSを前提として、それぞれ
   のコンピュータを結ぶネットワークを構築するのです。そ
   うすれば資産は共有化できます。
 H:そんなことが本当に可能なのか?
 T:可能です。コンピュータがネットワークで結ばれれば、機
   種の相違から派生する問題は解決できます。
 H:ネットワーク化するというが、技術的には大丈夫なのか。
 T:大丈夫です。やり方は既にわかっておりますし、最初は実
   験的に4つくらいのノード(コンピュータ)からはじめた
   いと考えています。
 H:凄いアイデアだな。よし、わかった、やろう。たった今か
   ら君は100万ドル以上の資金が使える。がんばれ。
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 実際はこんなに簡単ではなかったでしょうが、折衝は20分し
かかからなかったといいます。
 しかし、「やり方は既にわかっております」といったものの、
これはあくまで方便であり、技術的には見当がついていなかった
のです。テイラーとしては、そういうことができる人物を探せば
よいと考えていたのです。
 コンピュータに通じていて通信の専門家でもある――現代でも
この条件を満たす人を探すのは難しいほどですが、テイラーはそ
の幅広い人脈から、条件にぴったりのMITのリンカーン研究所
の研究員、ローレンス・G・ロバーツ(愛称ラリー・ロバーツ)
を探し出してくるのです。
 1966年当時、ラリー・ロバーツは、MITリンカーン研究
所で空軍の電話システムを設計していたのです。リンカーン研究
所のコンピュータとサンタモニカにあるコンピュータを電話回線
を使って実験的につなぐ実験をしていたのです。このプロジェク
トについてもARPAは支援をしていたのです。
 テイラーは早速ロバーツに会い、今回のプロジェクトの趣旨を
話して、IPTOの実験的ネットワークのプログラム・ディレク
ターとして採用したいと申し入れたのです。そして、この仕事は
ARPA局長の全面的な支持を取りつけていること、さらにダメ
押しとして、自分の後任のIPTO部長に推薦するということま
で付け加えたのです。
 しかし、意外なことにロバーツの返事は「考えてみる」という
素っ気ないものだったのです。数週間後、テイラーは再びボスト
ンにロバーツを訪ねたのですが、このときロバーツは、はっきり
と「ノー」と断っているのです。
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 リンカーン研究所の仕事は楽しい。ワシントンの官僚になる
 のはごめんだ。          ――ラリー・ロバーツ
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 それから約2ヶ月に1回の割合で、テイラーはロバーツを訪問
して説得したのですが、ロバーツの意思は固かったのです。
 こうしてテイラーがハーツフェルドにOKをとってから、プロ
ジェクトは何も進展しないまま、空しく1年が過ぎようとしてい
たのです。思い余ったテイラーは、ハーツフェルド局長に会いに
行ったのです。
 テイラーは、リンカーン研究所の予算の51%はARPAから
出ていることは本当かと局長に尋ねます。本当だという答えを聞
いたテイラーは、ネットワークのプロジェクトを任せたいエンジ
ニアがリンカーン研究所にいるが、どうしても来てくれないと訴
えたのです。
 ハーツフェルドは「そいつは誰だ」と聞いたので、ラリー・ロ
バーツの名前を告げたのです。ハーツフェルドは、その場でリン
カーン研究所長に電話をかけて「ロバーツをくれ」と頼んだので
す。そして「何が起こるか楽しみだ」といって、ニャッと笑った
といいます。
 それから2週間後にロバーツからテイラーに「仕事を引き受け
た」という連絡が入ったのです。そして、ラリー・ロバーツはペ
ンタゴンの中で働くようになったのです。
 かくして、テイラーは、ロバーツという逸材をネットワークの
プロジェクトに引き入れることに成功するのです。1966年の
12月のことです。     ・・・・・[インターネット23]


≪画像および関連情報≫
 ・ロバート・テイラー
  1932年/米国生まれ
  1956年/米国航空宇宙局(NASA)に勤務
  1965年/IPTO部長に就任
  1966年/ARPAネット開発に参画
  1968年/『コミュラケーション・デバイスとしてのコン
        ピュータ』論文をリックライダーと共同執筆
  1970年/ゼロックス社パロ・アルト研究所創設に参画

1683号.jpg
posted by 平野 浩 at 09:00| Comment(0) | TrackBack(0) | インターネットの歴史 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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