2005年09月22日

第3代IPTO部長ロバート・テイラー(EJ1682号)

 ロバート・テイラーは、1961年にNASAに就職し、そこ
でフライト・シミュレータを制作しています。NASAは、彼の
業績を高く評価し、テイラーは若くしてNASAの枢要な地位に
就くことができたのです。
 そして、有人飛行制御、表示、シミュレーションなどの技術研
究に資金援助する仕事についたのです。そういう仕事の関係で、
テイラーは、CGのサザーランドやマウスの開発者エンゲルバー
トなどとも付き合いがあったのです。
 リックライダーは、早くからテイラーには注目しており、彼を
IPTOに呼んで、仕事をまかせたいと考えていたのです。なぜ
なら、NASAで彼がやっていた仕事とIPTOの部長の仕事は
よく似ており、彼はそれを手際よくこなしていたからです。
 こうしたリックライダーの強い要請によって、ロバート・テイ
ラーは、1966年6月から5年間にわたってIPTO部長を務
めることになるのです。しかし、テイラーは、サザーランドの都
合で、実質的には、1965年6月から、IPTO部長の仕事を
していたことは既に述べた通りです。
 ロバート・テイラーは、ある意味でリックライダーよりもこの
IPTO部長という仕事を割り切った感覚でこなしていったので
す。忘れてはならないのは、ARPAは国防総省の一組織であり
あくまで軍事目的のための先端技術研究ということで予算が出て
いるということです。
 しかし、テイラーは、この仕事について、次のように考えて仕
事をしていたのです。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 われわれは国防総省のエージェンシーだったが、私が援助する
 研究には特定の軍事的なつながりがあるべきであるとは考えて
 いなかった。(中略)われわれは軍事的な関連性があるという
 だけの理由で何かに資金援助しなければならないとは思ってい
 なかった。            ――ロバート・テイラー
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 テイラーによると、IPTO部長という仕事には途方もない自
由度があったといっています。当時ARPAには審査委員会など
はなかったので、研究プロジェクトへの資金援助は、IPTO部
長とARPA局長だけで決められたのです。したがって、IPT
O部長の良いと考えたプロジェクトには、資金援助はきわめてス
ピーディーに行われたのです。
 ちなみにIPTOは、9.11テロで被害のあった国防総省ビ
ルの中にあり、IPTO部長室はDリングにあったのです。国防
総省ビルは、上空から見ると五角形をしているので、ペンタゴン
――五角形の意味――といわれるのですが、五角形はさらに5つ
の五角形のリングで構成されているのです。なぜ、こんな形をし
ているのかというと、この構造であれば一番遠いところにも10
分以内で到着できるからです。
 この5つの五角形のリングは内側からA、B、C、D、Eと呼
ばれるのですが、外側になるほど位階の高い将官が使っているの
です。つまり、ラムズフェルド国防長官の部屋はEリングにある
のです。IPTO部長室はDリングにあったのですから、かなり
高い将官待遇(准将)だったわけです。
 そういう立場でありながら、IPTO部長はほとんど自分の判
断で、軍事目的を意識せず、これはと思う研究に資金を投入でき
たのです。結果としては、それができたからこそ、インターネッ
トが開発されたといえるのです。
 したがって、全体的なバランスなどほとんどなかったのです。
そのため、東海岸のMITや西海岸のUCLA/カルフォルニア
大学ロサンゼルス校やUCバークレー校にばかり資金が集中した
のです。とくに、MITには大量の資金が集中したといえます。
 テイラーは、国防総省の建物にいて将官でありながら、軍服も
着ず、白のタートルネックのセーターを愛用し、机に足を投げ出
していたといわれます。
 しかし、彼の頭はフル回転していたのです。そして、あること
を思いつくのです。リックライダーの考え方によって、資金はタ
イムシェアリング・システムに重点投入されていたので、多くの
タイムシェアリング・システムがあちこちにあったのです。
 それぞれのタイムシェアリングの周りには、これを取り巻く一
種のコミュニティができていたのです。例えば、MITのMAC
計画、UCバークレー校のGENIE計画などがそうです。大勢
の人が巨大なコンピュータを使うのですから、そういう共同体が
できるのは当然なことといえます。
 「そういったコミュニティ同士を何とか接続できないものか」
――テイラーはこのように考えたのです。しかし、これを実現す
るのは大変な難問があったのです。その難問とは、それぞれのコ
ミュニティが使っている端末の規格や通信に使うプロトコルなど
がすべて異なっていたことです。
 これを解決することは意義がある−−こう考えたテイラーは、
当時のARPAの局長であるチャールズ・ハーツフェルドのとこ
ろに交渉に行ったのです。ハーツフェルドは、ARPAの初代局
長であるジャック・ルイーナの後任者です。
 このときテイラーは、まだサザーランドの補佐役であり、正式
なIPTO部長ではなかったのですが、事実上の部長権限を有し
ており、こういう交渉ができたのです。
 ハーツフェルドは、1961年に弾道ミサイル防御計画のため
に着任したのですが、彼はリックライダーのタイムシェアリング
・システムを高く評価しており、軍事に直接関係がないとみられ
る一般的科学研究に資金を投ずることにもあえて異を唱えること
はしなかったのです。
 ハーツフェルドとテイラーの交渉はわずか20分で終了し、そ
の場で100万ドルの予算がついたのです。こうして、テイラー
構想――ARPAネットは滑り出したのです。1966年2月の
ことです。         ・・・・・[インターネット22]


≪画像および関連情報≫
 ・ペンタゴンについて
  ペンタゴンは、米国国防省総司令部の庁舎、または総司令部
  そのもののこと。建物のかたちより英語で五角形を意味する
  「ペンタゴン」で呼ばれる。5階建てで、各床に環状の廊下
  がある。この構造により世界最大のオフィスビルでありなが
  ら一番遠いところにも10分以内でたどり着くことができる
  とされている。所在地はワシントンD.C.郊外のバージニ
  ア州のアーリントン。約23,000名の軍事・民間の従業
  員、約3,000名のペンタゴンの国防以外の援助要員を収
  容する。
  ――出典:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)

1682号.jpg
posted by 平野 浩 at 08:47| Comment(0) | TrackBack(0) | インターネットの歴史 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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