2005年09月21日

第2代目IPTO部長サザーランドの役割(EJ1681号)

 同じ対話型コンピューティングを目指しながらも、2つの考え
方があったことは既に述べました。リックライダーの考え方とク
ラークの考え方です。
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 1.中央に強力な大型コンピュータがあって、それを時分割の
   環境で端末を介してファイルを共有して使用する。しかし
   この場合、入出力装置は貧弱にならざるを得ない。
          ――J・C・R・リックライダーの考え方
 2.真の対話型コンピューティングは画像処理可能の入出力装
   置によってはじめて可能になる。そのためには各人が資源
   を占有できる小型コンピュータを持つ必要がある。
             ――ウェスリー・クラークの考え方
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 これは、1台の巨大なコンピュータを端末を介して時分割(T
SS)で多くの人で使うか、各人が小型のコンピュータを使い、
それらを何らかの方法でネットワーク化するかの違いなのです。
 現代のわれわれから考えると、クラークの考え方が正しいこと
はすぐわかりますが、当時は小型コンピュータが存在しなかった
時代なのです。それにおそらくリックライダーとしては、将来コ
ンピュータが小型化して、誰でも持てるようになるとは考えてい
なかったと思われるのです。
 しかし、クラークは小型コンピュータ同士でデータをやりとり
する具体的なアイデアまで持っていたのです。これについてはあ
とで明らかになります。
 クラークは小型コンピュータを設計するさい、最初に価格を決
めているのです。その価格は2万5千ドル――これは当時一人の
研究スタッフの年俸程度の金額であり、学部長決済で購入できる
予算額なのです。このようにして完成した小型コンピュータが、
LINC(リンク)なのです。
 クラークは、対話型コンピューティングにおいては、人とコン
ピュータが自然に対話できるように「対話の質」を上げる必要が
あると主張しています。そのためには、入出力装置にディスプレ
イが付き、それがグラフィクスを扱えることが不可欠であり、個
人がコンピュータの資源を占有しなければならない――これが、
個人が占有して使える小型コンピュータが必要であるとするクラ
ークの根拠です。
 確かに考えてみると、PCが一挙に普及したのはOSがウイン
ドウズ95になってからです。ウインドウズ95になってPCの
インターフェースがグラフィクス化されたのです。文字だけのイ
ンターフェースからグラフィクスになって対話の質が向上し、コ
ンピュータが身近なものになったからです。クラークは現代のコ
ンピューティングに非常に近いアイデアを当時持っていたことに
なります。
 クラークはこれほど優秀な学者ですから、彼を慕う門下生は多
かったのです。彼らはクラークがMITリンカーン研究所を去っ
た後も一部の人は研究所に残っていたのです。そして、クラーク
の開発によるTX−2というコンピュータ上で育っていた高度な
対話型コンピューティングの研究開発は、クラークが去っても研
究が継続されていたのです。その門下生の1人にイワン・サザー
ランドがいます。
 このサザーランド――1938年の生まれなのです。ネブラス
カ州の出身です。1959年に奨学金を受けて、ピッツパークの
カーネギー工科大学を卒業し、1960年にカルフォルニア工科
大学修士、1963年にMITで博士号を取っています。
 サザーランドはMITやARPAの主催する会合に講師として
招かれることが多く、その講演内容も期待を裏切らなかったので
リックライダーの目に止まったのです。そして、リックライダー
は、弱冠25歳のサザーランドを自分の後任のIPTOの部長に
選んだのです。
 サザーランドは、大学院を卒業すると陸軍に入隊し、国家安全
保障局(NSA)に配属されています。そして、1964年にI
PTOの部長に就任することになったのです。ちなみにサザーラ
ンドの軍隊での階級は陸軍一等兵、IPTOの部長職は准将待遇
なのです。つまり、一等兵がなんと一挙に将官になってしまった
ことになります。25歳の若者が、1600万ドルの予算権限を
握ったのですから大変なことです。
 しかし、サザーランドにとってIPTO部長の仕事はやはり少
し重荷だったようです。それもあって、サザーランドは、196
4年7月から1966年6月までIPTOに在籍はしたのですが
実質的にIPTOの仕事をしたのは、1年間だけだったのです。
 1965年になるとサザーランドは、ハーバード大学やNSA
(国家安全保障局)の仕事にかかりっきりであったそうです。し
かし、サザーランドはIPTOにとってひとつ大きな貢献をして
いるのです。それは、当時NASAの研究助成管理部にいたロバ
ート・テイラーをARPAに引き抜いたことです。
 テイラーは1965年からサザーランドに代わってIPTOの
仕事をしており、1966年6月から正式に第3代目のIPTO
部長に就任するのです。
 後にサザーランドはハーバード大学の電気工学科の助教授とな
り、そこで赤外線暗視鏡「リモート・リアリティ」を使ったヘリ
コプターの夜間着陸システムを開発しています。これが後に「バ
ーチャル・リアルティ(仮想現実)」の萌芽になるのです。これ
ではハーバード大学やNSAが彼を離さないはずです。それにも
かかわらず、彼を第2代のIPTO部長にしたのは、彼の師であ
るクラークをリックライダーは意識していたと思われます。
 ところで、ロバート・テイラーとは何者でしょうか。
 ロバート・テイラーは、1956年にテキサス州立大学に入学
し、心理学と数学を学び、大学院では心理音響学を専攻している
のです。専門分野がリックライダーと同じであり、お互いによく
知る間柄だったのです。   ・・・・・[インターネット21]


≪画像および関連情報≫
 ・「CGの父」といわれるサザーランド
  コンピュータ・グラフィックスは昔はCAD/CAMなどで
  使われた、ごく限られた専門家の世界だったが、ここ数年で
  大きく様変わりした。ハリウッドの映画は今やコンピュータ
  グラフィックス無しでは成り立たないし、テレビゲームの世
  界も3Dグラフィックスは当たり前になってきた。アイヴィ
  ン・サザランドは、このコンピュータグラフィックスの基礎
  技術を確立した人として知られている。現在はサンマイクロ
  システムズのフェローとして健在である。
  http://www.chienowa.co.jp/frame1/ijinden/Ivan_Sutherland.html

1681号.jpg
posted by 平野 浩 at 08:48| Comment(0) | TrackBack(0) | インターネットの歴史 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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