「エルヴィス死す」のニュースが流れた瞬間、米国のあらゆる
メディアは番組を変更し、特別番組を組んで、全米がエルヴィス
一色に染まったのです。そして、誰もがメンフィスに行こうとし
てメンフィスへの航空券は全部なくなったのです。さらに米国中
のレコード店からエルヴィスのレコードが姿を消し、書店ではエ
ルヴィスについて書いてある本が売れに売れたのです。
8月17日、エルヴィスの死を知った時の大統領ジミー・カー
ターは、次のような異例の追悼メッセージを出したのです。
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われわれアメリカ人は、エルヴィス・プレスリーの死によって
国の一部を失ってしまった。彼は独創的で比類のない存在だっ
た。彼は、20年以上も前に忽然と世に姿を現し、まったく先
例のない、今後も二度と見ることのない大きな衝撃を巻き起こ
した。彼の音楽とパーソナリティーは白人のカントリー・ミュ
−ジックと黒人のリズム&ブルースを融合し、アメリカ大衆文
化を永遠に変容させてしまった。彼の影響力は計り知れない。
彼は、世界中の人々にとって、アメリカの活力と反骨精神、そ
して善意の象徴であった。エルヴィスは逝ってしまったが、彼
の名はわれわれの心のうちに永遠に生き続けるであろう。
――前田絢子著/角川選書/413
『エルヴィス、最後のアメリカン・ヒーロー』より
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やがて大勢の人がグレイスランドのエルヴィスの自宅にやって
きて収拾がつかなくなったのです。エルヴィスの父親のヴァーノ
ンは、いつもファンを大事にしていた息子の気持ちを思い、彼ら
に棺に眠るエルヴィスに最後の別れをすることを許したのです。
翌日の1977年8月18日、C・W・ブラッドリー牧師の司
式によって、家族と友人だけのごく内輪の葬儀が執り行われたの
です。そして生前エルヴィスと一緒にショウに出演していた2組
のゴスペル・グループや歌手が、エルヴィスが心から愛したゴス
ペル・ソングや讃美歌を歌っています。
その日はとくに暑い日で、米国南部の真夏の熱波が降り注ぐな
かをエルヴィスの遺体を乗せた白い霊柩車は17台の白いリムジ
ンを従えてグレイスランドの自宅から墓地まで移動したのです。
その長い車の葬列を8万人以上のファンが猛暑の沿道に立ちつく
して見送ったのです。
普通の歌手であれば、生前にどんなに人気があったとしてもこ
れで終わりになるだけですが、エルヴィスの場合はむしろそれか
らはじまったのです。それは後に「エルヴィス現象」といわれる
社会現象がエルヴィスの死後はじまったからです。
最初に起こったのは、暴露本の出版合戦だったのです。それは
大衆の貪欲な好奇心に応えるように執拗に出版が繰り返され、そ
れなりにビジネスになっていったのです。
しかし、それと平行してエルヴィスのCDやビデオは大きな売
り上げを伸ばしていったのです。とくにエルヴィスの死の2ヶ月
前に発売された次のアルバムは、とくに売れたのです。
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エルヴィス最後のアルバム/『ムーディ・ブルー』
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このアルバムは、エルヴィスの生前に既に「ゴールド・ディス
ク」を達成していたのですが、死後さらにその売り上げを伸ばし
米国内で150万枚、世界では1400万枚に達したのです。ゴ
ールド・ディスクというのは、1OO万枚以上売り上げると与え
られる金製のレコードのタイトルのことです。
さらにエルヴィスの死後に巻き起こったすさまじい暴露本や暴
露記事に対抗して、エルヴィスの名誉を守るために真のファンが
立ち上がったのす。それはエルヴィスが生前に行った善行を明ら
かにしようという運動です。
貧しい家庭に育ったエルヴィスは、窮状にある人をそのままに
しておけず、個人や団体に数多くの寄付をしているのです。そう
いうエルヴィスの人道的な業績を公表することによって悪意の暴
露本に対抗しようとしたのです。前田絢子氏はこれについて次の
ように書いています。
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(エルヴィスは)特に黒人たちには同情的だった。折りにつけ
て、個人や団体に多額の寄付をしていたので、材料には事欠か
なかった。チャリティ・ショーからの莫大な収益は、エルヴィ
ス自身の口座からの寄付金と合わせて、宗教や人種に関係なく
各種の施設に割り当てられていた。メンフィスのコマーシャル
・アピール紙に公表されただけでも、病院、学校、老人ホーム
障害者施設など、おびただしい数に及んだ。それに加えて窮地
を救われた多くの個人が次々と名乗りを上げた。
――前田絢子著/角川選書/413
『エルヴィス、最後のアメリカン・ヒーロー』より
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こうしたいわゆるエルヴィス現象は、1990年代に入っても
終わらず、1993年には多くのファンの働きかけもあって、米
国郵便局からエルヴィスの記念切手が発行されています。その発
売日、メンフィスでは記念式典が行われ、その様子が全米にテレ
ビで放映されたのです。
切手は即日完売し、増刷分を含めてその数は1億2000万枚
に達したのです。そして、1997年の没後20周年、それから
さらに10年後の2007年の没後30年には盛大なメモリアル
イベントが行われ、CDやDVDが発売され、エルヴィスについ
ての書籍も発売されています。今回のテーマで数多く引用させて
いただいた前田絢子氏の書籍も没後30周年を記念して2007
年7月31日に発売されたものです。
34回にわたって書いてきたエルヴィス・プレスリーのテーマ
は今回を持って終了します。長い間にわたってのご愛読を感謝い
たします。 ――[エルヴィス/34/最終回]
≪画像および関連情報≫
・エルヴィスとの思い出
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没後30周年を迎えるロックの王様エルヴィス・プレスリー
は1958年に兵役に就き、ドイツのフリートベルクのにあ
る米軍兵舎でジープのドライバーをしていた経験があり、没
後30年を迎えた今もなおその場所に住む人々の記憶に残っ
ている。米軍事区域の隣にあるクラブでは、当時14歳の少
女が後に伝説となるロックの神様と腕を組むモノクロ写真が
飾られている。その日からはや50年、アンジェリカ・スプ
リンガルフさんは目を輝かせながらエルビスとの時間を回想
する。少女はエルビスが父親、祖母、二人の友人と共にエル
ビスが滞在していた町の近郊のバード・ナウハイムに住んで
いた。――8月17日/AFP
http://www.afpbb.com/article/life-culture/culture-arts/2268532/2026693
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2007年12月07日
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