2005年09月20日

ミニ・コンピュータ界のIBM/DEC(EJ1680号)

 巨大にして強力ななコンピュータを大勢の人が端末を通して使
う――これが時分割処理システム/TSSの考え方です。リック
ライダーがIPTO部長として最も資金を投入したのが、このT
SSなのです。
 この考え方に対して反対の立場をとったのは、ウェスレイ・ク
ラークです。このクラークという人物――インターネットの歴史
にとって重要な役割を果たしているのです。そういうわけで、名
前をよく覚えておく必要があります。
 クラークは、1952年にMITリンカーン研究所に後のSA
GEとなるワールウインド計画のプログラマーとして入所してい
るのです。その当時リックライダーもMITリンカーン研究所に
いて、地下の薄暗い研究室でクラークと出会う話は前号で述べて
います。
 クラークはワールウインドのメモリ試験用のコンピュータを制
作しています。これは、TX−0、TX−2と呼ばれていますが
クラークがリックライダーにプログラミングを教えたのがTX−
2のプログラミングなのです。
 しかし、クラークはTXシリーズに飽き足らなくなり、自分が
理想と考えるコンピュータを制作したのです。それがLINCと
いう名前のコンピュータです。LINC――ラボラトリー・イン
スツルメント・コンピュータの頭文字であり、実体は研究室で使
える計測用の小型コンピュータなのです。
 LINCは画期的な小型コンピュータであり、これをPCの遠
い祖先とみる学者もいます。LINCは、MITのサマー・キャ
ンプで公開され、大きな話題を呼んだのです。LINCは自分専
用のコンピュータであり、当時としては夢の実現だったのです。
 しかし、先進的なものは保守的な層からは反撃を受けるものな
のです。LINCに対してMITの上層部は反対だったのです。
しかし、ここにDEC(デック)という会社が登場します。DE
C社はLINCをDEC製品として採用しようとしたのです。
 そうすると、MITの上層部は一転してその計画に参加させる
ようクラークに求めてきたのです。クラークはそのようなMIT
に失望し、MITを辞めて、1964年にセントルイスのワシン
トン大学にその拠点を移しています。それから、3年間、クラー
クはいったん表舞台から姿を消してしまうのです。
 ここでDECという企業について少し述べる必要があります。
この企業は大型コンピュータ全盛の時代に小型コンピュータ――
当時はこれをミニ・コンピュータと呼称――を制作し、「ミニ・
コンピュータ界のIBM」といわれた優良企業なのです。だから
こそ、クラークのLINCに興味を持ったのです。
 しかし、DEC社は1998年にコンパック・コンピュータに
買収され、さらにそのコンパックがヒューレット・パッカードに
買い取られるという劇的な変化に見舞われています。
 DECの創始者は、ケン・オルセンという人です。彼の父親は
コネチカット州のブリッジポートの金物工場の経営者だったので
す。オルセン少年はエレクトロニクス、具体的には無線に興味が
あったのですが、父親から機械関係の仕事を身につけるよういわ
れ、高校までは機械制作の現場で働いたのです。これがあとで役
に立つことになるのです。
 1944年にオルセンは海軍に志願入隊します。海軍なら、エ
レクトロニクスを勉強しながら、給料までもらえるという好条件
だったからです。1946年に帰還兵の特典を生かして、MIT
に入学し、電気工学科を選ぶのです。そして、1950年に大学
院に進学し、コンピュータを専攻します。
 その後、MITリンカーン研究所のワールウインド計画に参加
することになり、1954年からMIT初のトランジスタ・コン
ピュータTX−0、TX−2の制作に従事します。ここで、ウェ
スレイ・クラークとの接点が生まれるのです。
 1957年にケン・オルセンは、弟のスタン・オルセン、MI
Tリンカーン研究所の同僚であったハーラン・アンダーソンと3
人で、DEC社を設立します。
 1960年にDEC社は、「PDP−1」というコンピュータ
を発売したのです。PDPとは、プログラムド・データ・プロセ
ッサという意味です。このPDP−1――まったく新しいタイプ
のコンピュータであり、価格は12万ドル。当時としてはきわめ
て安く高速であり、ミニ・コンピュータという新しい分野を開い
た画期的な製品といえます。
 ところで、このPDP−1はグラフィック・ディスプレイとラ
イトペンを備えており、そういう意味でそれ以後のコンピュータ
の開発の方向性に大きな影響を与えたのです。
 PDP−1は、MITに寄付されたのですが、リックライダー
の提案でBBNも1959年に購入しています。リックライダー
は、キーボードとディスプレイのあるこのPDP−1を使うこと
によって、「機械と人間の共生」のアイデアを生み出したといえ
ると思います。
 PDP−1は大ヒット商品となったのですが、クラークのLI
NCはもっと画期的な小型コンピュータなのです。DEC社は、
PDP−12の一部にLINCを組み込んでいます。
 ところで、PDP−1を「ミニ・コンピュータ」と名づけたの
は、当時のコンピュータがあまりにも巨大であり、その落差は大
きかったからです。しかし、皮肉なことに、それ以後コンピュー
タはますます小型化が進み、「ミニ」の名前が奇異に感じられる
ようになります。
 DEC社は1966年に株式を公開し、超一流企業への道を進
むことになります。そして、1977年に32ビット・コンピュ
ータVAXを発表します。このコンピュータがDEC社の繁栄を
確固たるものにして、DEC社は「ミニ・コンピュータ界のIB
M」といわれるようになるのです。DEC社はMITに非常に近
い企業であり、分家のようなものです。そして、インターネット
にも深い関連があったのです。 ・・・・[インターネット20]


≪画像および関連情報≫
 ・デモンストレーションをするウェスレイ・クラーク

1680号.jpg
posted by 平野 浩 at 08:52| Comment(0) | TrackBack(0) | インターネットの歴史 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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