2007年12月04日

●プリシラの決断/エルヴィスとの別れ(EJ第2219号)

 米国では1963年に「均等給与法」、1964年に「公民権
法」が相次いで成立しています。「均等給与法」では男女差別を
違法とし、「公民権法」では、性差別を禁止する条項が設けられ
ていたのです。さらに1971年には「アファーマティブ・アク
ション」によって、企業が女性を職場から締め出すことはできな
くなったのです。
 女性の社会進出は急増し、70年代の半ばには大学を卒業する
90%の女性は就職し、既婚女性の半数が働いていたのです。女
性の意識が大きく変わってきたのです。
 こういう時期において、プリシラ・ポーリューは何を考えてい
たのでしょうか。
 1985年に出版されたプリシラの回想録『私のエルヴィス』
には、当時のプリシラの心境が次のように記述されています。
―――――――――――――――――――――――――――――
 生まれて初めて、自分自身をまっすぐ見つめるようになった。
 内輪の人間以外の結婚生活を観察する機会があったが、そこで
 は日常の取り決めや将来の目標について、女性が男性に負けず
 に言うべきことを言っているのを知った。私は今までの自分の
 生き方がひどく不自然で、幸福にはほど遠いものであることを
 思い知らされた。自分の人生は自分で決めなければならないの
 だ。新たに得たこの考え方を振り捨てることはできなかった。
 外には広々とした世界が待っている。その中に私自身の居場所
 を見つけなければ・・。 ――前田絢子著/角川選書/413
      『エルヴィス、最後のアメリカン・ヒーロー』より
―――――――――――――――――――――――――――――
 1971年のクリスマス――いつもであれば、エルヴィスの邸
宅であるグレイスランドでは、盛大なクリスマス・パーティーが
開催されるのが通例であったのです。そのとき、プリシラはいつ
もパーティーの中心的存在だったのです。
 しかし、1971年のクリスマスはいつもと同じように開催さ
れましたが、その席にはプリシラも娘のマリーもいなかったので
す。さらに1972年1月のエルヴィスの誕生日パーティーにも
2人の姿はなかったのです。これで、エルヴィスとプリシラの仲
は決定的になったのです。
 そして、同年2月、プリシラは強い意思を持ってマリーを連れ
て、グレースランドの邸宅を出たのです。そして、カルフォルニ
ア州ハンティントン・ビーチにアパートを借りて、自分の空手教
師であったマイク・ストーンとの新生活をはじめたのです。覚悟
の離婚だったのです。そして、1973年10月に正式に離婚す
ることになったのです。
 このプリシラという女性は只者ではなかったのです。彼女は自
らのイメージを一新し、ロサンゼルスに高級ブティック店をオー
プンして成功させています。さらにいくつもの事業を興し、見事
な経営手腕を発揮し、事業家として活躍をはじめたのです。
 そのかたわら、美貌を生かしてモデルや女優の仕事もするよう
になり、人気テレビドラマ『ダラス』をはじめ、映画にも出演し
てハリウッド女優としてのポジションも固めるという八面六臂の
大活躍をはじめたのです。
 エルヴィスの死後は、エルヴィス・プレスリー・エンタープラ
イジズを設立して、初代の会長に就任するや、グレイスランドを
一般公開して事業を飛躍的に拡大させています。さらに、ファッ
ションや化粧品分野にまで事業の幅を広げるなど、現在でもキャ
リアを拡大させているのです。
 2006年6月に、ブッシュ大統領と一緒にグレイスランドを
訪問した小泉純一郎元首相を出迎えたのは、このプリシラと娘の
リサ・マリーであり、世界中にプリシラの健在振りを見せつける
ことになったのです。
 このようにしてプリシラを失ったエルヴィスは、狂ったように
コンサートに打ち込んだのです。1972年から1976年まで
のコンサートの回数は725回にも及ぶのです。
 しかし、エルヴィスの身体は不規則な生活も祟ってボロボロに
なっていたのです。強い照明とカメラのフラッシュで痛めつけら
れていた眼は禄内障を起こしており、肝臓や腸、腎臓や心臓にも
障害が見られ、多くの薬剤を服用していたのです。
 しかし、エルヴィスはコンサートになると、不思議な活力が出
るのか甦り、立派にステージをこなしたあと落ち込むという状態
が続いたのです。それでも次のコンサートのためにまた大量の薬
を飲むということが続いたのです。
 プリシラと別れたあと、エルヴィスはリンダ・トンプソンとい
う女性に会い、一緒に暮らすようになります。リンダは美人であ
るばかりではなく、メンフィス大学で英文学を専攻するという大
変理知的で愛情深い女性だったのです。それに同じ南部の出身で
あって、宗教的にも同じ信仰を持ち、家族を愛し、両親を大事に
するという点も同じだったのです。
 エルヴィスは、このリンダ・トンプソンという女性に失った2
人の女性――母とプリシラとの面影を見たのです。そして、19
72年から76年にかけてエルヴィスはリンダとグレイスランド
で暮らすことになります。
 その間、何回も入院を余儀なくされたエルヴィスにいつも付き
添っていたのはリンダであり、エルヴィスの病室にはリンダの簡
易ベットが備えられていたといいます。
 しかし、エルヴィスに対する嫌がらせは相変わらずは頻発し、
グレイスランドの邸宅にはつねに何人もガードマンがいて警備に
当たるという状態でエルヴィスは家にいても精神的に落ち着くこ
とはなかったのです。
 しかし、エルヴィスは、ラスヴェガスの公演があると、ショー
ガールの美女と派手に遊ぶなど、自分を積極的に変えようとはし
なかったのです。それを見届けように、リンダはプリシラと同様
に、1976年11月にグレイスランドを去ったのです。今度こ
そエルヴィスは一人になったのです。―― [エルヴィス/31]


≪画像および関連情報≫
 ・コイズミの夢実現/ニューヨーク・タイムズ紙
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  【メンフィス(米テネシー州)=有元隆志】「コイズミの夢
  が実現した」−。米国の人気歌手、故エルビス・プレスリー
  宅のあるテネシー州メンフィスのグレースランドを30日、
  ブッシュ大統領とともに訪問した小泉純一郎首相について、
  米メディアは外国指導者に対しては異例の大きな扱いで伝え
  た。普段はブッシュ大統領の一挙手一投足を取材するホワイ
  トハウス詰め記者団も、この日ばかりは大統領よりも首相の
  パフォーマンスに注目し、大統領も「珍しい経験だ」ともら
  した。
    http://d.hatena.ne.jp/kibashiri/20060701/1151752870
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小泉元首相のグレイスランド訪問.jpg

posted by 平野 浩 at 04:38| Comment(0) | TrackBack(0) | エルヴィス | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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