私生活では、かなりおかしな言動が目立ちはじめたエルヴィス
ですが、コンサートの方は実に快調だったのです。どの会場も前
売券は即日完売し、超満員の盛況だったのです。どうしてこのよ
うに盛況だったのでしょうか。
エルヴィスのコンサートの様相を既出の前田絢子氏は次のよう
に紹介しています。
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コンサートは、『2001年宇宙の旅』のテーマ曲として知ら
れる「ツァラストゥストラはかく語りき」の演奏ではじまる。
オーケストラに大編成ロック・バンド、それにゴスペル・グル
ープが二組入った大演奏が、王者の入場を告げる。きらびかな
装飾がほどこされた豪華なジャンプスーツを身につけたエルヴ
ィスが、歓声のなかを荘厳な音楽に押されるように登場する。
オープニングの「シー・シー・ライダー」の単調で歯切れの良
いリズムが、観客の気持ちを刺激して、エルヴィスが、会場全
体を一つの熱狂的な感応体に変える。(中略) コンサートのハ
イライト「アメリカの祈り」は分裂も対立も差別もない「美し
いアメリカ」を舞台の上に実現して見せた。エルヴィスの力強
いヴィジョンに圧倒されて、会場全体が絶叫と拍手で興奮と歓
喜の渦に巻き込まれた。(中略) やがて、クロージング・ナン
バー「好きにならずにいられない」でフィナーレを迎える頃に
は愛の熱気が充満する会場で、エルヴィスと観客の一体化が実
現する。 ――前田絢子著/角川選書/413
『エルヴィス、最後のアメリカン・ヒーロー』より
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この記述でわかるように、エルヴィスのコンサートは、単なる
人気歌手のコンサートのレベルを完全に超えており、政治的では
なく、分裂も対立も差別もない「美しいアメリカ」の実現への祈
りに貫かれていたのです。これは宗教に近いものです。
さて、エルヴィスのコンサートのハイライトである「アメリカ
の祈り」の原題は次の通りです。これは1971年にカントリー
歌手のミッキー・ニューベリーがアレンジしたものです。
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アメリカの祈り/An American trilogy
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この「トリロジー」というのは「3部作」という意味であり、
次の3つの歌が歌われるのです。
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「ディークシー」 ・・・・・ 南軍マーチ
「共和国の戦いの讃歌」 ・・ 北軍讃歌
「私の試練」 ・・・・・・・ 黒人霊歌
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エルヴィスは、これら3つ歌の持つばらばらの主張を劇的に融
合させて、情熱的に歌い上げたのです。このあたりのエルヴィス
の歌唱力は非凡なものがあり、当時の米国人の誰もが心の底には
南北戦争時の矛盾を抱えたままであると考えていたので、そうい
う分裂も対立も差別もないアメリカを作ろうと歌うエルヴィスに
共感したのです。エルヴィスの提示したのは「人類救済の歌」で
あり、誰でもが受け入れられるものだったのです。
このように、エルヴィスは1969年のラスヴェガスの凱旋コ
ンサートから、1977年8月の死にいたるまでの8年間は、文
字通りコンサートに明け、コンサートで暮れる日々だったといっ
てよいのです。1970年から死の直前の1976年までのコン
サートの回数は次の通りになっています。これは異常という以外
の何ものでもない回数です。
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1970年 ・・・ 138 1974年 ・・・ 155
1971年 ・・・ 156 1975年 ・・・ 108
1972年 ・・・ 164 1976年 ・・・ 129
1973年 ・・・ 169
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この時点でのエルヴィスのコンサートについてその全貌を見た
いと思うなら、次の2つのDVDを見ることを勧めします。
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『エルヴィス・オン・ステージ』
『エルヴィス・オン・ツァー』
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これらの映像は、エルヴィスのコンサートの迫力をそのまま世
界に伝えて、大きな反響を巻き起こしたのです。『エルヴィス・
オン・ツァー』については、1972年ゴールデン・グローブ賞
の最優秀ドキュメンタリー賞を獲得しています。
1972年6月に、エルヴィスにとって初めてのニューヨーク
公演が行われたのです。場所は、マディソン・スクエア・ガーデ
ンであり、満員の観客を集めたのです。その人気がいかに凄かっ
たかは、一ヶ月前のチケット発売日には、夜明け前から2000
人のファンが列を作り、4回のショウのすへてが即日完売だった
ことからわかります。ショウに詰めかけた観客の中には、ジョン
・レノン、ボブ・ディラン、デヴィット・ボウイなどの有名ミュ
ージシャンの顔もあったのです。
ニューヨーク・タイムズは「別の星からやってきたプリンスの
登場」と題してエルヴィスのショウを絶賛しています。さらに、
1973年1月14日には、ハワイのホノルルにあるインターナ
ショナル・コンヴェンション・センター・アリーナで史上初の宇
宙衛星中継用のコンサートが行われています。
このコンサートの模様は、衛星中継特別番組「アロハ・フロム
・ハワイ」としてまとめられ、日本、韓国、香港とオーストラリ
アを含むアジア地域とヨーロッパ28ヶ国で生放送され、世界中
で高視聴率を記録しています。
こうした華やかなコンサートの成功の裏で、エルヴィスの私生
活は崩壊の淵に立っていたのです。 ――[エルヴィス/30]
≪画像および関連情報≫
・『アメリカの祈り』について
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<アメリカの祈り>・・それは大きなキャンパスに渾身の思
いで描かれた絵画に似て、「アーティスト」へ辿りついたエ
ルヴィスが、人生の困難と格闘しながらも、プロフェッショ
ナルはさらに前に進んでいること、それは類い稀な個性に溢
れたものであることを世界中に示した曲である。
あ、綿畑の広がる地に帰りたい
古き良きあの故郷に
見よ、はるか、はるか彼方のディキシーランドを
帰りたい、はるか彼方のディキシー
ディキシーに誓おう
ディキシーで生き、骨を埋めることを
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http://www.genkipolitan.com/elvis/best/best_45.html
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2007年12月03日
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