2005年09月16日

共有よりも占有にこだわるクラーク(EJ1679号)

 インターネットの歴史をここまで追及してきて気がついたこと
があります。当時米国に、いかに優れた能力を持つ若手の学者が
数多くいたかということ――それに時の米国政府と軍が彼らを国
防の名の下にいかに有効に活用したかということです。
 一方学者たちの方も国防目的ということを巧みに利用し、国防
に寄与する開発を積極的に進める一方で、自らが何としても成し
遂げたかったアイデアを実現させている――そのように考えられ
るのです。国防目的、軍事目的であれば、資金的には採算を度外
視して使えたからです。
 政府と軍と大学と産業界――いわゆる軍産複合体が、一方にお
いて大きな問題点を残しながらも、うまく機能して、米国は後世
に残る数多くの発明やシステムをこの時期に創り出しているので
す。インターネットという全世界が等しくその恩恵を享受できる
素晴らしい発明も、このようにして実現されたのです。
 さて、スプートニク・ショックを受けた米軍の中枢がひたすら
開発を望んだのは、「デジタル・コンピュータによる指揮・統制
の自動化」です。リックライダーは、完全自動化は無理であると
しながらも、そのためには、人間がコンピュータとあたかも対話
するようにして使う「対話型コンピューティング」が必要である
ことをしきりと説いていたのです。
 ところで、『亡国のイージス』(福井晴敏著)を読んで、イー
ジス艦の中に「戦闘情報指揮所」(CIC)というものがあるこ
とをはじめて知りました。まさにこれはかつて米軍が目標にして
いた「デジタル・コンピュータによる指揮・統制の自動化」のミ
ニチュア版ともいうべきものです。指揮・統制の自動化に対する
米軍の執念がこのようなものを生み出したのだと考えます。
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  戦闘情報指揮所(CIC)が、護衛艦の中枢と呼ばれるよう
 になって久しい。外を見渡せる艦橋(ブリッジ)ではなく、密
 閉された艦内に指揮所を設けるという発想は、旧日本海軍には
 なかった。それが終戦後に米海軍から艦艇が供与され、レーダ
 ー、ソナー各種攻撃兵器や通信機能をまとめて管制するCIC
 の存在が明らかになると、国産護衛艦にもそのシステムが導入
 されるようになって、瞬く間に主指揮所の地位を築いていった
 のだった。
  レーダーやセンサー、全地球測位システム(GPS)を活用
 し、リアルタイムで把握した情報をもとに立案した作戦を、前
 線から後方に至るまで速やかに実施させるC3−I(シーキュ
 ーブドアイ/指揮・統制・通信及び情報)システムが戦場の雌
 雄を決する現在、海上自衛隊もLINKA17と呼ばれるデー
 タ・リンクシステムを各艦のCICに備え、護衛艦隊の「有事
 即応」能力の向上に努めている。
    ――福井晴敏著、『亡国のイージス』より。講談社文庫
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 ちなみに、C3−I――3つのCと1つのI――には次の意味
があります。
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     指揮 ・・・・・ コマンド
     統制 ・・・・・ コントロール
     通信 ・・・・・ コミュニケーション
     情報 ・・・・・ インフォメーシイョン
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 リックライダーがあくまでTSSにこだわったのは、軍事に使
う「C3−Iシステム」にしても、学者が思考のために使う「思
考センター」の構想にしても、いずれもリックライダーは、情報
(リソース)共有システムをネットワーク化した巨大なシステム
を想定していたのです。そのため、高性能の汎用コンピュータを
多くの端末を介して共用で使うということが前提となっており、
どうしてもそこにTSSの環境が不可欠であったのです。
 しかし、こういうリックライダーのTSSの構想に反対の立場
を取る学者もいたのです。その一人が例のMITのマッカーシー
委員会に参加していたウィスリー・クラークです。
 ウィスリー・クラークはこう考えたのです。当時のコンピュー
タをTSSの環境で使うと、データの入出力にはタイプライター
様の端末(テレタイプ)しか使えなかったのです。しかし、画像
表示装置などの高度な入出力装置の利用は、コンピュータを占有
してはじめて可能だったのです。つまり、TSSを施して複数の
端末をつなげば入出力装置の質を低く抑えなければならない――
クラークはこの立場からTSSに反対したのです。
 しかし、クラークがTSSを否定したと考えるのは正しくない
のです。彼はTSSを可能にする「多重シークエンスプログラム
概念」という技術の考案者だったからです。この技術はクラーク
によって1954年に開発されているのです。
 しかし、クラークはTSSの考案者であるが故にその可能性と
限界がよくわかっていたのです。リックライダーは、コンピュー
タをTSSの環境で多くの人が利用することが対話型コンピュテ
ィングであり、それがコンピュータを「近寄りやすい」マシンに
できると考えていたのですが、クラークは画像表示装置を利用す
ることによって「対話の質」を上げる――つまり、グラフィクス
を使って対話を分かりやすくすることこそ、コンピュータをもっ
と「近寄りやすくする」と考えていたのです。
 クラークは、次のようにいっています。
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 コピュータはあくまで道具であり、大きなシステムには大きな
 仕事があり、小さなシステムには小さな仕事がある。そして、
 個人のファイルは共有されるファイルより安全である。
                 ――ウィスリー・クラーク
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 彼はワールウインドのプログラマーだったのですが、小さなシ
ステムの快適さを知っていたのです。 ・[インターネット19]


≪画像および関連情報≫
 ・リックライダーとウィスリー・クラークとの出会い
  ―――――――――――――――――――――――――――
  ある日、仕事に疲れたクラークが、気晴らしにリンカーン研
  究所の地下のホールを歩きまわっていると、ホールの端にと
  ても暗い研究室がある。興味を惹かれ中へ入って暗闇の中を
  見まわると、リックライダーが一人で、ディスプレイの前に
  座って何か心理学の実験らしいことをやっている。何をして
  いるのかと、訊いたことから、話がはずみ、意気投合。そこ
  で、クラークはホールの反対側にある自分の研究室を教え、
  ぜひ来室してTX−2(クラーク開発のデジタル・コンピュ
  ータ)でプログラミングを学ぶよう勧めたのである。
   ―――脇英世著、『インターネットを創った人たち』より
                         青土社刊
  ―――――――――――――――――――――――――――

1679号.jpg
posted by 平野 浩 at 08:53| Comment(0) | TrackBack(0) | インターネットの歴史 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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