2007年11月28日

●2度目のラスヴェガス公演大成功(EJ第2215号)

 1967年5月1日、エルヴィスはかねてから結婚することに
決めていた11歳年下で21歳のプリシラ・ポーリューとラスヴ
ェガスのアラディン・ホテルで結婚しています。
 プリシラとの出会いは、1959年にエルヴィスが西ドイツに
滞在しているときに知り合ったのです。その当時プリシラは14
の少女だったのですが、それ以来8年間の恋を実らせて、結婚す
るにいたったのです。
 結婚後エルヴィスとプリシラは、ハリウッドの邸宅で生活をは
じめたのですが、当時ハリウッドの邸宅にはエルヴィスの取り巻
きである12人の若者――メンフィス・マフィアと呼ばれるーー
が一緒に住んでいて、とても新婚生活といえるものではなかった
のです。したがって、プリシラの最初の仕事は彼らを整理して追
い出すことだったといわれます。きさにプリシラにとって前途多
難な結婚生活のスタートだったといえます。
 その後エルヴィスとプリシラは、メンフィスのグレースランド
の本邸宅に戻ります。1968年2月に長女、リサ・マリーが誕
生し、エルヴィスは父親になったのです。
 エルヴィスとプリシラとの結婚は意外だったのです。何しろス
ーパースターで億万長者にして独身、女性ファンの夢をかきたて
る相手として常にトップの関心を集めていたエルヴィスです。
 映画の共演女優とのゴシップもたくさんあったのです。アニタ
・ウッド、アン・マーグレットなど噂になった相手は100人以
上になるのです。もちろんプリシラの存在も話題になったのです
が、世間一般の評判ではプリシラはエルヴィスが過去に捨てた女
程度の認識でしかなかったからです。
 ところで、1968年といえば、長かった映画製作の終わりの
時期であり、新しいビジネスの面でエルヴィスは超多忙をきわめ
ていたので、グレースランドにプリシラをひとり残して家に帰っ
てこない日々が続いたのです。
 1969年7月31日、エルヴィスはラスヴェガスのインター
ナショナル・ホテルのショウ・ステージに立っていたのです。実
はエルヴィスは1956年にラスヴェガスでショウを行ったこと
あったのです。
 しかし、当時の観客からエルヴィスはまるで相手にされず、空
しく撤退した苦い経験があったので、エルヴィスはとても緊張し
ていたのです。ラスヴェガスのショウで成功しなければ、一流の
エンタテイナーにはなれないといわれていたのです。
 この最初のラスヴェガスでの失敗について、既出のボビー・ア
ン・メイソンは次のようにいっています。
―――――――――――――――――――――――――――――
 かつて1956年、大佐がエルヴィスにラスヴェガスで2週間
 の出演契約を取ったことがあった。しかし贅沢なギャンブラー
 やカクテル・ラウンジのしゃれ者たちは、当時、彼の呼び名に
 なっていたような「ヒルビリー・キャット」に用はなかった。
 エルヴィスは惨めだった。「最初の晩のあと、僕は外に出かけ
 ただ暗闇の中を歩き回った」と彼は言う。「まったくひどかっ
 た」と。    ――ボビー・アン・メイソン著/外岡尚美訳
        『エルヴィス・プレスリー』より。岩波書店刊
―――――――――――――――――――――――――――――
 しかし、1969年7月のときは劇場は満員で2OOO人の観
客が入っていましたが、緊張した面持ちのエルヴィスがステージ
の中央に進み出ると、全員が総立ちになり、口笛と絶叫と拍手が
巻き起こり、それは10分間鳴り止まなかったのです。
 エルヴィスは歌い出したのです。最初の曲は「ブルー・スエー
ド・シューズ」――エルヴィスは圧倒的な表現力で歌い出したの
です。これで、エルヴィスのラスヴェガスの成功は間違いなかっ
たのです。彼は一流のエンタテイナーとしても重要な第一歩を踏
み出したのです。
 2007年11月13日、小泉純一郎元首相がシンガポールを
訪問したときブルーの靴をプレゼントされましたが、それは小泉
元首相がエルヴィス・ファンであることを知っていて、「ブルー
・スエード・シューズ」――ブルーの靴が贈られたのです。
 このように、2度目のラスヴェガスは大成功だったのです。マ
スコミは一斉に「エルヴィス復活」を報じたのです。
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 メディアは一斉に、エルヴィス復活のニュースを大々的に報じ
 体制派のニューヨーカーも、反体制派のヴィレッジ・ヴォイス
 も、エルヴィスのステージを絶賛した。また、ニューヨーク・
 タイムズは、エルヴィスを野球界のヒーロー、ジョー・ディマ
 ジォと並べて、前人未踏の偉業をなしとげたチャンピオンとし
 てその復帰を称えた。エルヴィスは、観客動員の上でも、収益
 の上でも、断トツのラスヴェガス記録を達成した。このように
 エルヴィスは、最強のステージ・パフォーマーとして、よみが
 えったのである。    ――前田絢子著/角川選書/413
      『エルヴィス、最後のアメリカン・ヒーロー』より
―――――――――――――――――――――――――――――
 簡単に「復活」という言葉を使うが、エルヴィスのようなアー
チストにとって、人気を維持するのはきわめて困難なことである
のに、エルヴィスの場合はかえって人気が拡大しているのですか
ら、驚きです。これは尋常なことではないのです。
 最初の転機は、人気が頂点に達したときの兵役による2年間の
完全引退です。凡庸なアーチストであれば、これで終わりのはず
ですが、エルヴィスは除隊後に復活し、さらに人気を高めている
のです。そして、これを映画の連作とサウンドトラック盤の制作
で7年間もライブ・コンサートをやめているのに、その後そのラ
イブでさらに大スターになって復活しています。
 すい星のごとく登場するスターたちが流れ星のように消えてい
くこの世界にあって、エルヴィスはなぜあのようにいつまでも自
分のポジションを保てるのでしょうか。このあたりのことも考え
てみる必要がありそうます。    ――[エルヴィス/27]


≪画像および関連情報≫
 ・エルヴィスのラスヴェガス公演に関するブログ
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  プリシラと結婚したエルビスプレスリーは、娘、リサ・マリ
  ー・プレスリーも生まれ――ミドルネームのマリーはパーカ
  ー大佐の夫人の名前から取った――ますます仕事を精力的に
  こなしていきました。そんな時パーカー大佐がラス・ベガス
  のインターナショナル・ホテルにエルビスプレスリーを出演
  させる契約を結びました。
   映画「チェンジ・オヴ・ハビット」の撮影開始され、映画
  「殺し屋の烙印」が全米で一般公開された頃、エルビスプレ
  スリーは目前に迫ったインターナショナル・ホテル公演のリ
  ハーサルを始めるためメンフィスを出発し、ロサンゼルス入
  りしました。今度の公演を成功させるためにエルヴィスプレ
  スリーは、一流のスタジオ・ミュージシャンを集め、バック
  バンドを編成したのでした。
            http://am.gnk24.com/060/post_7.html
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エルヴィス結婚.jpg
posted by 平野 浩 at 04:24| Comment(0) | TrackBack(0) | エルヴィス | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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