ゴスペル・アルバム『ゴールデン・ヒム』に続いてエルヴィス
は何かをやらなければならないと考えていたのです。というのは
エルヴィスの映画の人気は下がり気味であり、ロックンロールも
ビートルズをはじめとする新興勢力が台頭しつつあったからなの
です。映画からの離脱は、エルヴィスだけでなく、当のパーカー
大佐自身もその必要性を感じていたのです。
エルヴィスとパーカー大佐がそのように考えていた1967年
秋にNBCテレビから特別番組『エルヴィス』の企画の話が舞い
込んだのです。エルヴィスの復帰イベントとして最適であるので
エルヴィスとパーカー大佐はこれに乗ることに決めたのです。
早速1968年1月から打ち合わせがはじまったのですが、実
施時期については、その年のクリスマスの季節に1時間番組を組
むことになったのです。問題はどういう内容にするかですが、こ
れを巡って、パーカー大佐とNBCテレビのプロデューサーであ
るスティーブ・ビンターの意見が真っ向から対立したのです。
パーカー大佐の考え方は、エルヴィスによる単なるクリスマス
の音楽ショーであり、エルヴィスはタキシードを着て、クリスマ
ス・ソングを2O曲ほど歌って、挨拶して引き上げるという単純
なものだったのです。
しかし、スティーブ・ビンターは、この番組をパーカー大佐の
いうような単なるクリスマス番組にせず、非凡な才能を持つエル
ヴィスという大歌手の劇的な2度目の復帰イベントになるように
すべきであると考えたのです。
そのためには、リズム&ブルースとカントリーとゴスペルが融
合されたものが真のロックンロールであることを視聴者にはっき
りと確認させる必要があるとビンダーは考えていたのです。エル
ヴィスが映画作りをしている間にまがいもののロックンロールが
流行していたからです。
エルヴィスは大佐の目の前では大佐の意見に楯つくことはしな
かったですが、大佐のいないところではビンダーの意見に賛成で
あり、全面的に協力することを約束していたのです。そのさい、
エルヴィスは自分の希望として、何らかの方法で世相を反映させ
たいとビンダーに伝えていたのです。
ビンダーは久しぶりの大型番組なので、エルヴィスにのびのび
と歌ってもらうためにある工夫をしたのです。それは伴奏者にエ
ルヴィスの昔の仲間を集めたのです。スコティ・ムーア、D・J
・フォンタナ、それにドラムのハル・ブレイン、ベースのラリー
・ネクテルなど、これによってエルヴィスは思う存分歌うことが
できたのです。
最大のポイントは、何らかの方法で世相を反映させたいという
エルヴィスの希望をどう実現させるかでした。ビンダーは、パー
カー大佐には内緒で作曲家のアール・ブラウンに依頼して次のメ
ッセージソングを作曲させたのです。
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アール・ブラウン作曲
『明日への願い/If I Can Dream』
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エルヴィスはこの歌を6回ほど黙って聴いていましたが、「ぜ
ひ、歌おう」と快諾したというのです。この歌は次のようにはじ
まるのです。
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『明日への願い』
きっとどこかに
もっと明るく灯る光があるはず
きっとどこかに
もっと青い空高く飛ぶ鳥がいるはず
兄弟たちが手に手をとって
歩める地を夢見ることができるなら
教えて、なぜ、ああ、なぜ、なぜに
僕の夢は叶わない、なぜなんだ
http://www.genkipolitan.com/elvis/best/best_46.html
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歌詞は長いので、すべての歌詞は上記URLをクリックして見
ていただきたいが、その内容は故キング牧師の有名な演説『私に
は夢がある』に応える内容になっていることは明らかです。
ビンダーがパーカー大佐に対してエルヴィスがこの歌を番組の
最後に歌うことを隠したのは、エルヴィスがキング牧師の死に心
を悼めていたことを知り、大佐がそういう問題に対するいかなる
コメントも出すことをエルヴィスに禁じていたことを情報として
掴んでいたからです。
キング牧師が暗殺されたのは、1968年4月4日のことであ
り、そのキング牧師に対するメッセージソングをその年の暮れの
12月3日に放映するのですから、相当きわどい話です。
この放映はビデオ収録だったのですが、この番組の最後の曲で
ある『明日への願い』を歌ったエルヴィスについて、既出の前田
絢子氏は次のように書いています。
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けれどもエルヴィスは、ゴスペル歌手が着るような純白の正装
に着替えて、歌の言葉の一つずつに確信をこめて、全身全霊を
こめて力強く歌い切った。それは、エルヴィスの偽りのない思
いを率直に伝えていた。それは志半ばにしてあえなく凶弾に倒
れたキング牧師に捧げる哀悼の歌であり、エルヴィス自身の祈
りであった。そこには、60年代を通じてエルヴィスが没頭し
てきた霊的探求の結晶がこめられていた。未来が見えない混乱
の時代のクリスマスに捧げる、反体制でも、怒りでもない、探
求者エルヴィスが到達した一つの答だった。
――前田絢子著/角川選書/413
『エルヴィス、最後のアメリカン・ヒーロー』より
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――[エルヴィス/26]
≪画像および関連情報≫
・カムバック・スペシャルについて
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「いよいよ今夜ね」「今夜エルヴィスがテレビに出るのよ」
「早く帰らなくては」「今夜9時からだったな」1968年
12月3日全米で交わされた会話はこんなだっただろう。1
956年に一大旋風を巻き起こし、かってない過激なスタイ
ルゆえに空前の人気を得ながらもパッシングを受け、82.
6%という驚異的な視聴率を残しテレビから姿を消した。そ
の後は1960年のフランク・シナトラショーに除隊を記念
してゲスト出演しただけだった。テレビの前に座る人は期待
した。アメリカが世界に誇る稀代のアーティストのピュアな
姿を。永く目にしたことのない本当のエルヴィスの登場を待
った。その予感はメディアを通じて伝えられていた。その視
聴率70.2%。
――http://www.genkipolitan.com/elvis/best50.html
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2007年11月27日
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