2005年09月12日

ARPA設立の舞台裏(EJ1675号)

 1957年10月、ソ連は人工衛星スプートニクの打ち上げに
成功します。直径22.8センチ、重さ184ポンドの小さな鉄
の玉が電波を発信しながら96分2秒ごとに地球を一周する――
このスプートニクは米国に一大衝撃をもたらしたのです。
 宿敵ソ連に手の届かない頭上から常時監視されるという屈辱は
米国としては到底我慢できるものではなかったのです。人工衛星
の打ち上げに成功したということは、核弾頭を装備した大陸間弾
道ミサイルを打ち込まれる恐れが現実のものになったことを意味
するのです。
 頼みの国防情報通信システム――SAGEは、核爆弾を積んだ
有人爆撃機から北米を守るために作られており、核ミサイルの来
襲は全く想定していなかったのです。核ミサイルの攻撃に対して
は、SAGEでは防御不能なのです。
 1957年11月、時のアイゼンハワー大統領は、事の重大性
を認識し、MIT学長であるジェームス・キリアンを科学技術関
連の顧問に任命します。キリアンは直ちに科学委員会を招集し、
11月末にマケルロイ国防長官がペンタゴン内に宇宙開発の最先
端研究を統括する機関を設置することを発表しています。
 これを受けて、1958年2月にARPAが設立されることに
なります。ARPAとは次の言葉の省略です。
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   ARPA = Advanced Research Projects Agency
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 このように、ARPA(アルパ)はソ連に対抗するために宇宙
開発を中心とする軍事的な先端技術の研究をするための機関とし
て設立されたのです。しかし、実施する研究をめぐって軍の内部
で激しい主導権争いが起こったのです。
 1958年、それまで、宇宙開発を手がけていたNACAを母
胎としてNASAが創設されます。とにかく宇宙開発だけは、A
RPAに渡したくないという勢力があったのです。大統領として
は、国防長官直属の機関であるARPAに宇宙開発を含めたすべ
ての権限を集中させておきたかったので難色を示したのですが、
結局押し切られて、宇宙関係の研究についてはARPAの仕事か
ら外されたのです。
 こういった結果を招いたのは、アイゼンハワー大統領の中途半
端な態度にあります。彼は世論対策としてARPAを立ち上げた
のであって、ここでの研究開発によって国が何を目指しているの
かを明確に国民に示すことはなかったのです。
 しかし、大統領選挙でもアイゼンハワー大統領の科学技術政策
の遅れを批判して大統領になったジョン・F・ケネディは、19
61年1月に大統領になると、5月には「今世紀末までに人間を
月に送り、安全に地球に戻す」という有名な声明を行い、目標を
明確にしたのです。
 とにかくJFKがホワイトハウスの住人になると、連邦政府は
先端技術開発の推進に一転して積極的になったのです。これは、
ソ連に先行されたという事情があったにせよ、JFKが大学その
ものが基幹産業であるマサチューセッツ州選出の議員であるとい
うことと無関係ではないといえます。そういうわけで、JFKは
科学界に対して極めて好意的だったのです。
 とくに、ケネディ政権にはロバート・マクナマラ国防長官のよ
うに科学技術に詳しい閣僚がおり、先端技術開発の強力な推進力
になっています。マクナマラは、フォード・モータース社の社長
からケネディ政権入りしていますが、ハーバード大学で企業経営
で用いる数値解析手法を教えていたことがあり、コンピュータの
効用も熟知している科学に強い国防長官だったのです。
 とにかく米国にとって非常に重要なタイミングで、ケネディ政
権が誕生していることは実に象徴的なことであると思います。米
国とソ連とのロケット開発競争の舞台裏やJFK暗殺の真相につ
いては、その時代的背景を知っていただくためにも、次のEJを
参考していただきたいと思います。
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 ≪本当に月に行っているのか≫
  EJ第1390号(2004.7.10)〜
          EJ第1418号(2004.8.20)
 ≪JFK暗殺の謎を探る≫
  EJ第1424号(2004.8.30)〜
         EJ第1465号(2004.10.29)
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 さて、宇宙関係の研究を外された結果、ARPAに残されたも
のは、核実験探知とか弾道ミサイルといった分野だけになってし
まったのですが、国防長官事務局直属で、決定機構を簡素化し、
何事も迅速に対応できる機関という基本的な性格は残されたので
す。とにかく「冷戦下の国防」というお墨付きを持っていたので
国民に言い訳をしないでも国費を研究開発に振り向けることが可
能であったし、機密保持という理由から競争入札なしに研究者が
欲しい器材を自由に購入できたのです。こういう恵まれた環境が
あったからこそ、インターネットが開発できたといえます。
 さて、ARPAの局長に就任したのは、ジャック・ルイーナと
いう人です。彼はSAGEの仕事をしていたのですが、そのとき
地道に人間とコンピュータとの直接対話を研究していたJ・C・
R・リックライダーに注目していたのです。
 ルイーナは、コンピュータ化された軍事指令制御システムを何
としても構築しなければと考えていたのです。そのためには、従
来のパンチカードやテープの入出力によるシステムではなく、コ
ンピュータと直接対話する新しいシステムである必要があったの
です。そして、ARPAの中にコンピュータによる「コマンド・
コントロール」部門を作ることを決意して、それを実行するので
す。そして、1962年10月、指揮・統制事務部局が設けられ
その初代部長として、J・C・R・リックライダーが就任するこ
とになるのです。    ・・・・・・・[インターネット15]


≪画像および関連情報≫
 ・ロバート・マクナマラについて
  米国の実業家で、政治家。1961年から1968年まで米
  国の国防長官。1968年から1981年まで世界銀行総裁
  を務める。

1675号.jpg
posted by 平野 浩 at 08:57| Comment(0) | TrackBack(0) | インターネットの歴史 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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