2007年11月21日

●60年代米国の社会的背景(EJ第2211号)

 エルヴィスが除隊して芸能界に復帰して、縦横無尽に活躍した
1960年代――この年代は50年代の「豊かな社会」に育った
若者たちが引き起こす過激な反社会的風潮というものがあって、
それが米国社会全体に、これまでにない激烈な意識革命を起こし
つつあった時代なのです。そういう社会背景を少し振り返ってみ
たいと思います。
 1960年2月1日に深刻な事件が起こったのです。米国南部
ノースカロライナ州グリーンズポロにあるウールワース百貨店内
のランチ・カウンターに4人の黒人学生があらわれたのです。
 しかし、このスポットは、黒人の立ち入り禁止区域であり、そ
こにいた白人たちは騒然となったのです。4人の黒人学生は平然
と椅子に座って、コーヒーを注文したからです。
 この黒人学生に対する白人客のやったことは、ひどいものだっ
たのです。頭からケチャップをかけたり、背中からジュースを流
し込んだり、悪態をついたり、椅子を蹴飛ばしたり、ひどいこと
をしたのです。しかし、4人の学生は何をされてもじっと我慢し
て椅子に座っていたといいます。
 しかし、それらの黒人学生は翌日もまたやってきて、同じこと
をやったのです。同じように白人客は嫌がらせをやったのですが
今回はテレビがやってきて、その模様を全米に報道したのです。
 黒人学生に加えられるひどい嫌がらせ、何をされてもじっと耐
える学生――これを見て、黒人ばかりか白人の学生まで熱い共感
を巻き起こして、南部以外からもこの運動に参加する黒人学生が
続々と集まってきたのです。そして、多くの黒人禁止区域で同じ
ことをはじめたのです。
 黒人学生たちのはじめた運動とは、黒人禁止区域に立ち入って
次のようなことをやる運動です。
―――――――――――――――――――――――――――――
   1.シット・ イン ・・・ 座り込み/喫茶店など
   2.プレイ・ イン ・・・ 入り込み/公 園など
   3.リード・ イン ・・・ 読み込み/図書館など
   4.スリープ・イン ・・・ 泊り込み/ホテルなど
―――――――――――――――――――――――――――――
 この運動はあっという間に南部全体に広がり、さらにそれは全
米に拡大していったのです。そして1960年の秋になると、米
国のムードは今までとは変わっていったのです。
 そういうさなかの1960年11月に行われた大統領選挙は、
こうした社会風潮をまさに反映する結果を生み出したのです。当
時まだ43歳だった民主党のジョン・F・ケネディが大統領選で
歴史に残る激戦の結果、共和党のニクソンを僅差で破り、第35
代米国大統領になったのです。
 ケネディは、秩序と安定を重視した共和党出身のアイゼンハワ
ー前大統領とはすべての面で対照的な大統領であり、しかも史上
はじめてのカトリック教徒の大統領だったのです。
 圧倒的にプロテスタントの多い米国で、カトリック教徒が大統
領になるなど、考えられなかったのです。ケネディは民主党の予
備選で7回も勝利しているのに、民主党の長老はカトリックであ
る限り選挙は勝てないと考えていたといいます。
 しかし、それでもケネディが大統領選に勝利したのは、米国国
民がケネディの中に、当時の米国社会を覆っていたどうしようも
ない停滞感を打破してくれるのではないかという可能性を見出し
たからにほかならないのです。
 また、ケネディは、公民権運動――黒人が公民権の適用を求め
て行った大衆運動に関しても明確な方向性を示していたのです。
当時黒人には選挙に当って識字テストが義務づけられ、事実上投
票を阻止されていたのですが、ケネディはその廃止を打ち出すな
どの進歩的な綱領を掲げて大統領選を戦ったのです。
 ケネディ大統領は、「ニュー・フロンティア」というスローガ
ンを使い、米国の世界的な威信の維持のためにその社会改革を強
く訴えたのです。それはケネディの有名な演説の次の一節にあら
われています。
―――――――――――――――――――――――――――――
 私はアメリカ国民の一人ひとりに、この新しいフロンティアの
 新しい開拓者となるよう要請したい。 ――J・F・ケネディ
―――――――――――――――――――――――――――――
 しかし、あまりにも僅差の勝利であったために、ケネディ大統
領の掲げる政策の実現は非常に困難だったのです。とくに南部で
は、南部の民主党と西部・中西部の共和党は保守連合を組み、議
会を握って、ケネディ大統領の改革推進をことごとく阻んだので
政権運営は妥協に妥協を重ねざるを得なかったのです。
 それに加えて、大統領に就任早々、ベルリン問題やキューバ危
機などの外交上の重要事件が頻発して、なかなか国内問題につい
て取り組むことができなかったのです。したがって、ケネディが
大統領に就任しても人種差別問題の解決は一向に進展しなかった
のです。
 そういうときに起こったのが「フリーダム・ライダーズ」と呼
ばれる運動です。1961年5月のことです。ケネディが大統領
に就任して4ヶ月目の出来事です。
 「フリーダム・ライダーズ」とは、白人、黒人の男女が作るグ
ループで、南部社会にやってきて、バス乗車のさいの人種分離を
あえて無視する行動を繰り返す――こうすることによって、人種
差別解決に突破口を開こうとしたのです。
 しかし、彼らがアラバマ州に入ったとき、白人の暴徒が彼らを
襲い、怪我人が出たのです。しかし、それを州政府は見て見ぬ振
りをしたのです。しかし、その衝撃的な映像がテレビで全世界に
流されたのです。
 ちょうどそのときケネディ大統領はウィーン首脳会談に出席し
ており、面目丸つぶれになったのです。しかし、早急には公約で
ある黒人の公民権を守る具体策は打ち出されることはなかったの
です。             ―――[エルヴィス/23]


≪画像および関連情報≫
 ・カトリックとプロテスタントはどう違うか
  ―――――――――――――――――――――――――――
  カトリックでは、司祭や神父といった聖職が、ローマ法王を
  頂点とし、司教、司祭、信徒というピラミッド型階層構造に
  なっています。そのため、聖書と並んでローマ法王の教えな
  どにも権威をおき、古くからの言い伝えや習慣などを重んじ
  ます。洗礼を受けたときにクリスチャンネームをつけるのも
  プロテスタントではあまり見られない習慣です。修道院があ
  るのもカトリックだけです。一方、プロテスタントは「聖書
  のみ」に従います。そのため、ローマ法王のような権威は認
  めず、階層構造を持つ組織もありません。このことが一因と
  なって、プロテスタント内にさまざまな宗派(教派)を生み
  出しています。プロテスタントには、教理のどの面を強調す
  るかとか、どういう方法で洗礼をするかなどで、多くの教派
  が存在します。でも、互いに認めあっています。
  http://home.interlink.or.jp/~suno/yoshi/theollife/qanda01.htm
  ―――――――――――――――――――――――――――

ジョン・F・ケネディ.jpg

posted by 平野 浩 at 04:24| Comment(0) | TrackBack(0) | エルヴィス | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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