2007年11月20日

●エルヴィスがビートルズと会った夜(EJ第2210号)

 ビートルズがエルヴィスを表敬訪問したとき、エルヴィスはハ
リウッドの豪邸に住んでいたのです。この邸宅はエルヴィスがイ
ランの国王から借りたものだったのです。
 エルヴィスがハリウッドで愚にもつかない映画作りとサウンド
トラック・アルバムのレコーディングに明け暮れしていた頃、ビ
ートルズが放送電波を支配し、ビートルズを中心にロックンロー
ルのエネルギーは爆発しつつあったのです。
 ビートルズは、1964年に初めて「エド・サリヴァン・ショ
ウ」に出演していますが、そのときパーカー大佐は「アメリカ合
衆国にようこそ!」という電報を打っているのです。それは、米
国のロックンロールの世界では、今でもエルヴィス・プレスリー
というキングが活躍しているのだということをビートルズに思い
知らせることを意図していたのです。パーカー大佐とビートルズ
のマネジャーであるブライアン・エプスタインとは、いつも張り
合っていたからです。
 1995年8月のはじめのことです。ビートルズはニューヨー
クのシェイ・スタジアムに6万5000人集めて記録破りのコン
サートを行ったのです。エルヴィスにとって強敵の出現です。し
かし、エルヴィスは映画の仕事に縛られており、対抗したくても
できない状況にあったのです。
 そのビートルズがエルヴィスに会いたいといってきたのです。
エルヴィスは内心ビートルズに脅威を感じていたので、会うのを
避けようとしたのですが、表敬訪問ということもあって会うこと
にしたのです。
 1995年8月27日の午後、ビートルズはハリウッドのエル
ヴィスの邸宅に到着したのです。訪問は厳重に秘匿されたのです
が、到着したときは大勢のファンが集まっていたといいます。
 エルヴィスとビートルズとの出会いについては後日いろいろ語
られていますが、あまり雰囲気の良いものではなかったのが真実
のようです。当日は、若手の音楽家に対しては親しくやさしいエ
ルヴィスがなぜか苛立っており、ビートルズの方もかなり緊張し
てあまり和やかな雰囲気ではなかったようです。
 ビートルズは憧れのエルヴィスを前にして、畏怖のため口がき
けなかったのです。その気詰りな場面を変換しようとしたのか、
エルヴィスはギターを手に取ると、ジューク・ボックスから流れ
てくるチャーリー・リッチの「モヘア・サム」に合わせて軽くギ
ターをかき鳴らしはじめたのです。
 そうすると、ジョン・レノンとポール・マッカートニーが一緒
に演奏に加わってきたのです。歴史的なジャムセッションでした
が、数曲のセッションで終わってしまったといいます。ボビー・
アン・メイソンはその会談について次のように書いています。
―――――――――――――――――――――――――――――
 レノンがなぜもうロックンロールのレコードを作らないのかと
 聞いたとき、エルヴィスは苛立った。「サンのレコード好きだ
 ったんですよ」と、レノンは言った。エルヴィスは身構えた。
 すでに緊張していたその夕べはさらに緊迫し、そしてずるずる
 と過ぎていった。
         ――ボビー・アン・メイソン著/外岡尚美訳
        『エルヴィス・プレスリー』より。岩波書店刊
―――――――――――――――――――――――――――――
 どうやら、ジョン・レノンの態度はかなり傍若無人であったよ
うで、エルヴィスの神経を逆なでしたのです。無作法にエルヴィ
スを挑発したのです。後日エルヴィスは次のようにビートルズを
批判していますが、このときのレノンの態度が原因であると思わ
れるのです。
―――――――――――――――――――――――――――――
   ビートルズはアメリカの若者にとって不健全である
             ――エルヴィス・プレスリー
―――――――――――――――――――――――――――――
 ジョン・レノンは、あとで自分がエルヴィスに対して礼を欠い
たことに気がつき、エルヴィスの側近に対してエルヴィスに次の
ように伝えて欲しいと頼んでいます。
―――――――――――――――――――――――――――――
 もし、エルヴィスがいなかったら、僕らはいなかったでしょ
 う。昨晩は僕の人生で最高の夜でした。
                   ――ジョン・レノン
―――――――――――――――――――――――――――――
 それにしてもエルヴィスはどうしてもっと鷹揚にビートルズに
接することができなかったのでしょうか。それはエルヴィス自身
が自分の置かれていた不幸なポジション――映画制作に縛られて
動けない――に苛立っており、焦っていたからです。
 しかし、エルヴィスがいたからこそビートルズが誕生したので
す。「もし、エルヴィスがいなかったら、僕らはいなかったでし
ょう」というジョン・レノンの言葉に偽りはないのです。
 もし、エルヴィス自身がビートルズの芸術とその強力な音楽の
展開に自分が果たした貢献に誇りを持つことができたら、もっと
ビートルズを丁寧に寛大に扱うことができたはずです。しかし、
そのときのエルヴィスには‘長老’としての役割を演じられなか
ったのです。エルヴィスは初期のビートルズの音楽のいくつかを
気に入っていたのですが、彼らと会って以来、ビートルズには興
味を失ってしまったといいます。
 ところで、1960年代というと、米国がひとつの時代から新
しい時代に突入したことを感じさせる現象が多く起こっていたの
です。エルヴィスは時代の変化に無関心ではなかったのです。
 その1960年代に最初に米国を揺さぶったのは黒人たちの起
こしたある事件だったのです。米国社会は、1954年のブラウ
ン判決後も黒人分離と差別の解消は一向に進まず、黒人たちは、
50年代の米国の経済的繁栄から取り残されていたのです。50
年代の豊かさの裏側にあった矛盾が一挙に表面に露呈し、それが
爆発したのです。        ―――[エルヴィス/22]


≪画像および関連情報≫
 ・ロック史のブログより
  ―――――――――――――――――――――――――――
  ビートルズはデビューしたての頃は、エルビス・プレスリー
  やチャック・ベリーといった、50年代のロックン・ロール
  からの強い影響が見て取れるバンドであり、熱狂的な支持の
  され方はエルビス・プレスリーに代わるものであった。そん
  なデビュー当時の彼等のトレードマークと言えば、あのマッ
  シュルームカットであり、当時は「男のくせに長髪にして女
  みたいに前髪を垂らしている」と言われ、エルビス・プレス
  リーの時代からあった「ロック=不良」というイメージに、
  新たに「ロック=長髪」というイメージを作り上げた。
        http://history.sakura-maru.com/beatles.html
  ―――――――――――――――――――――――――――

ビートルズとエルヴィス.jpg
posted by 平野 浩 at 04:25| Comment(1) | TrackBack(0) | エルヴィス | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
>1995年8月

>1995年8月27日の午後

これくらいのミスは直しておけ!
普通気付くだろ?
Posted by シャルル at 2009年10月05日 02:22
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