2005年09月09日

防空情報通信システム/SAGE(EJ1674号)

 バレー委員会が進めようとしている対ソ連防空システムは、も
ともと空軍が計画したSAGE(セイジ)というシステムです。
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 SAGE = Semi-Automatic Ground Environment System
              ――――防空情報通信システム
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 SAGEは、大型高性能のコンピュータを多数作って全米に配
置し、電話回線を利用してレーダー・システムと接続するもので
す。脇英世氏の本からSAGEの概要を紹介します。
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 全米22箇所に、原爆攻撃に耐えられる厚い鉄筋コンクリート
 製の窓もない巨大な要塞のような指揮センターが設置されるこ
 とになっていた。各指揮センターには通信機器、空調設備、発
 電設備、戦闘指揮所、2台のAN/FSQ−7(コンピュータ
 の名前)が設置された。戦闘指揮所には、50台の巨大なモニ
 ターがあり、50人の将兵が常時はりついていた。さらにこれ
 らが全米100箇所のレーダー、高射砲部隊、迎撃戦闘機部隊
 と通信回線経由で結び付けられることになっていた。
   ―――脇英世著、『インターネットを創った人たち』より
                         青土社刊
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 バレー教授はこのSAGEにワールウインド・コンピュータを
使うことを決意したのです。1951年8月20日、ワールウイ
ンド・コンピュータは、マサチューセッツ州上空に侵入した2機
のプロペラ戦闘機をレーダーで捕捉、防空用の迎撃戦闘機を誘導
することに成功したのです。これによって、ワールウインド・コ
ンピュータの評価は大きく高まったのです。このSAGEこそ、
世界初のリアルタイム対話型コンピュータとなったのです。
 そして、SAGEには、IBMをはじめ、SDC、バローズ、
ウェスタン・エレクトリック、RCAなどの企業が参入してきた
のです。ちなみに、このSAGE計画によってIBMは世界最大
のコンピュータ・メーカになるきっかけを掴んでいます。それは
この計画のために56台の大型コンピュータを製造し、5億ドル
の利益を上げたからです。
 リックライダーは、かねてから、コンピュータを「インタラク
ティブ」にすればよいと考えていたのです。あたかも人間がコン
ピュータと対話するように、ユーザ自身がコンピュータで直接作
業できるようにする――こういう信念を持っていたのです。
 SAGEは、コンピュータネットワークによる情報システムの
先駆け的存在だったのです。しかし、当時の技術力では、すべて
の情報通信をコンピュータだけで制御することはできず、人間に
よる多くの補助操作が必要だったのです。つまり、SAGEは、
軍事目的の人間・機械混成システムだったといえます。
 このような人間・機械混成システムにおいて、システムの一要
素である人間を科学的に扱うためには、実験心理学の視点に立つ
必要があったのです。そういう意味で、リックライダーの存在は
大きかったのです。
 1953年になると、MITリンカーン研究所はMITのキャ
ンパスから離れて、レキシントンに移転しています。この機会に
MITに戻ったリックライダーは、経済学部の中に大学院生を集
めて心理学の研究をする「ヒューマン・ファクター・グループ」
を作ったのです。リックライダーはカリスマ性があり、学生たち
に人気があったのです。
 優秀な学生が集まっていたせいもあって、リックライダーの率
いるグループは数々の成果を上げたのです。しかし、経済学部で
心理学を教えるのはおかしいとか、そのグループが非公式グルー
プであるということから、そうした研究成果には、経済学部とし
ては博士号を出せないという議論に発展するなどして、1957
年6月30日にリックライダーはMITを去るのです。
 そのリックライダーを迎えたのが、BBNという企業です。役
職は次のように長いものだったのです。
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   心理音響・工学的心理学・情報システム担当副社長
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 その当時BBN社は、従業員40人程度の小さな企業だったの
ですが、その後BBN社はMITのドロップアウト組のたまり場
として有名になっていくのです。
 BBN社の「BBN」は、いずれもMIT関係者の名前の頭文
字なのです。
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     B ・・・・・  リチャード・ボルト
     B ・・・・・   レオ・ベラネック
     N ・・・・・ ロバート・ニューマン
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 最初の「B」のリチャード・ボルトは、MIT出身で建築音響
の専門家であり、MITの教授を務めていたのです。次の「B」
はレオ・ベラネック――既に述べたようにベラネックはハーバー
ド大学で音響学の博士号を取得し、同大学の心理音響研究所の所
長を務めていますが、彼もMITの電気工学科の出身です。
 最後の「N」はロバート・ニューマン――ボルトの教え子であ
り、建築音響を専門とする大学院生です。BBN社は、1949
年11月に元になる会社が設立され、ニューマンが入社した50
年にBBNという社名になったのです。
 リックライダーがBBN社入りをした1957年、米国は一大
ショックにたたきのめされます。ソ連がスプートニク衛星の実験
に成功し、核弾頭を装備した大陸間弾道弾が現実の問題になって
きたからです。いわゆる「スプートニク・ショック」です。
 あれほど巨額の金と人を注ぎ込んだ米国自慢の防空情報通信シ
ステムSAGEは、その瞬間にただの鉄屑と化してしまったから
です。         ・・・・・・・[インターネット14]


≪画像および関連情報≫
 ・BBN時代におけるリックライダーの3つの業績
  ―――――――――――――――――――――――――――
  1.『聴覚の理論』 ・・・・・・・・・ 1959
  2.『機械と人間の共生』 ・・・・・・ 1960
  3.『心理生理学モデルについて』 ・・ 1961
  ―――――――――――――――――――――――――――

1674号.jpg
posted by 平野 浩 at 08:44| Comment(0) | TrackBack(0) | インターネットの歴史 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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