2007年11月13日

●エルヴィスの映画出演がはじまる(EJ第2205号)

 1956年4月2日のことです。エルヴィスはパラマウント映
画と契約を結んだのです。その契約は実に7年の長期契約だった
のです。なぜそんなに長い契約を結んだのかというと、パーカー
大佐はその時点でエルヴィスを数年で消え去るアイドル歌手の一
人に過ぎないと考えていたからです。
 しかし、エルヴィスは映画には強い思い入れがあったので、長
期間、映画漬けになることそれ自体はそれほど抵抗はなかったの
です。エルヴィスは、同時代の映画スターであるジェイムズ・デ
ィーンのファンであり、映画には興味があったのです。映画はそ
の当時最大の娯楽であったのです。
 ところで、ジェイムズ・ディーンについて、あなたはどのくら
いご存知でしょうか。
 ジェイムズ・ディーンは1931年生まれであり、エルヴィス
よりも年上に当たります。高校時代から演劇に興味を持ち、カル
フォルニア州立大学の演劇科で学んでいます。しかし、俳優とし
ての成功を夢見て大学を中退し、ニューヨークに出て、アクター
ズ・スタジオに入門するのです。
 このアクターズ・スタジオの創設者の一人が、あの有名なエリ
ア・カザン監督なのです。ジェイムズ・ディーンは、運よくカザ
ン監督の目に止まり、映画『エデンの東』の主演に抜擢されるの
です。その後、次の作品にも抜擢されたのです。
―――――――――――――――――――――――――――――
    『理由なき反抗』/主 役 ・・・ 1955年
    『ジャイアンツ』/準主役 ・・・ 1956年
―――――――――――――――――――――――――――――
 映画『エデンの東』でディーンは、主人公のキャル・トラスク
とその境遇が若干似ているところから、その思いを自然にぶつけ
た結果、なかなかの名演技となり、アカデミー賞の最優秀主演男
優賞にノミネートされたのです。
 次の映画『理由なき反抗』でも、ディーンは中産階級の凡庸な
父親と支配的な母親とを持つ、疎外され傷つく17歳の孤独な若
者を演じて評判になります。ディーンは当時の反逆的な若者の代
表格だったのです。
 1950年代の半ばになると、米国の若者は変わり始めたので
す。両親の世代と価値観に大きなずれが生じて、親の無理解と無
神経さに苛立つ若者が増えていったのです。ディーンはそういう
若者を見事に演じて若者たちの共感を呼んだのです。
 エルヴィスにとってこのジェイムズ・ディーンは、憧れの存在
だったのです。エルヴィスはとくに『理由なき反抗』が気に入っ
ていて、ディーンのセリフをすべて覚えていて、ハリウッドの映
画関係者を驚かせたのです。
 しかし、1955年9月30日、カルフォルニア州サリーナス
での自動車レースに参加するため愛車のポルシェを猛スピードで
飛ばして事故を起こし、死亡してしまうのです。
 1956年の8月22日、エルヴィスはハリウッド入りをする
のですが、翌日から最初の映画『やさしく愛して』の撮影に入り
10月8日に終了しています。これは、映画の撮影としては非常
に短い期間でしかないのです。まして主役のエルヴィスの最初の
映画であるにもかかわらずです。
 この映画は興行的には大ヒットしたのですが、映画は散々の出
来であったのです。しかし、パーカー大佐はエルヴィスの映画俳
優としての可能性には興味はなかったようで、ただ金儲けにだけ
こだわったのです。
 エルヴィスは立て続けに4本の映画を撮ったのです。1年半あ
まりの間にそれらは制作されています。
―――――――――――――――――――――――――――――
  1.『やさしく愛して』 ・・・・・ 1956公開
  2.『さまよう青春』  ・・・・・ 1957公開
  3.『監獄ロック』   ・・・・・ 1958公開
  4.『闇に響く声』   ・・・・・ 1958公開
―――――――――――――――――――――――――――――
 1957年12月に、エルヴィスはメンフィスの徴兵委員会か
らアメリカ合衆国政府の徴兵令状を受け取ったのです。そのとき
エルヴィスは『闇に響く声』を撮影中であったので、完成までの
2ヶ月の猶予を申し出て認められています。
 実は『闇に響く声』の台本は、ジェイムズ・ディーンに書かれ
た作品であり、ディーンの急死によってエルヴィスにまわってき
たのです。これについてエルヴィスは次のように述べています。
―――――――――――――――――――――――――――――
 この映画は、僕にとって大きな挑戦でした。というのも、これ
 は僕よりもずっと経験を積んだ俳優のために書かれた作品だっ
 たからです。      ――前田絢子著/角川選書/413
      『エルヴィス、最後のアメリカン・ヒーロー』より
―――――――――――――――――――――――――――――
 この作品の原作はハロルド・ロビンズの小説『ア・ストーン・
フォー・ダニー・フィッシャー』であり、主人公はボクサーだっ
たのですが、エルヴィスがやることになって、急遽歌手に書き換
えられ、舞台もニューヨークから、南部のニューオーリンズに変
更されているのです。
 エルヴィス自身は映画では歌を歌わず、演技で勝負したいと考
えていたのですが、映画の製作者は最初からエルヴィスの歌で売
る計画であったので、歌いっぱいの映画になったのです。
 しかし、『やさしく愛して』では「ラヴ・ミー・テンダー」、
『さまよう青春』では「ラヴィング・ユー」、『監獄ロック』で
は「ハウンド・ドッグ」、『闇に響く声』では「トラブル」とい
うように、エルヴィスのキャリア全体の中でも、最高の音楽が並
んだので、興行的には大成功だったのです。
 1958年3月10日に『闇に響く声』の撮影が終わると、エ
ルヴィスはメンフィスに戻り、一連の手続きを終えて3月24日
に陸軍に入隊したのです。    ―――[エルヴィス/17]


≪画像および関連情報≫
 ・デニス・ストック写真展/ジェイムズ・ディーン
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  今から50年前の1955年始め、フォトジャーナリストと
  してある程度成功していた写真家デニス・ストックは、出世
  作『エデンの東』に主演したばかりのジェイムズ・ディーン
  と出会い、すぐに意気投合しました。ジミーの魅力に魅せら
  れたデニスは、故郷のインディアナ州フェアマウント、ニュ
  ーヨークなどでジミーの様々な姿を写真に残します。ジミー
  は24歳の若さで亡くなってしまいましたが、演じることで
  若者の感情を代弁してきた永遠のヒーローは、いつの時代で
  も人々魅了し続けています。
  http://www.magnumphotos.co.jp/ws_exhibition/stdjd.html
  ―――――――――――――――――――――――――――

ジェイムズ・ディーン.jpg
posted by 平野 浩 at 04:24| Comment(0) | TrackBack(0) | エルヴィス | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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