「ミルトン・バール・ショウ」の出演で、“良識ある”中産階
級保守層にブーイングを浴びたエルヴィスは、次は「スティーヴ
・アレン・ショウ」に出演することが決まっていたのです。
道徳の擁護者たちは、アレンに対してエルヴィスの出演をキャ
ンセルせよと迫ったのですが、アレンは承知しなかったのです。
彼は当時米国で最もホットな出し物――エルヴィスを自分のショ
ウに組み入れ、エド・サリヴァン・ショウの視聴率を抜くことを
計算していたからです。
しかし、エルヴィスをビッグ・スターとして自分の番組で紹介
すると、若者には受けるものの、“良識ある”中産階級保守層の
反発を買うことを恐れて、ひとひねりしたのです。
ボビー・アン・メイソンは、アレンのひとひねりを次のように
表現しています。
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アレンはエルヴィスを冴えないユーモアの標的にした。エルヴ
ィスはタキシードを着て、バセット・ハウンド(短脚の猟犬)
に向かって、「ハウンド・ドッグ」を歌わなければならなかっ
た。田舎者が洗練を装うという撞着語法的ジョークだ。犬の方
もタキシードを装っていた。エルヴィスはこだわらず、とりあ
えず、協力したが、その効果はばかばかしく滑稽だった。
――ボビー・アン・メイソン著/外岡尚美訳
『エルヴィス・プレスリー』より。岩波書店刊
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つまり、スティーヴ・アレンは、エルヴィスを愚かな田舎者の
プレズリー(プレスリーをわざと間違えて発音)に仕立て上げ、
彼のイメージ・チェンジを図って、批判をかわすというお粗末き
わまる演出をしたのです。
この「田舎者」――ヒリビリーという言葉をエルヴィスは嫌っ
ていたのです。後に彼はこのときのことを非常に屈辱的な自分を
売った体験であると述べています。
しかし、このようなばかばかしい演出をしたにもかかわらず、
エルヴィスを出演させたことで、スティーブ・アレン・ショウは
視聴率競争においてエド・サリヴァン・ショウを抜いてはじめて
トップになったのです。
さすがのエド・サリヴァンもこの事態に愕然とし、「あんな下
品な動作をする子供は自分の番組には絶対に出演させない」とい
う前言を撤回して、パーカー大佐と連絡を取ったのです。そして
交渉の結果、3回の出演で5万ドルという当時としては超破格の
ギャラで、エルヴィスの出演が決まったのです。
それでもサリヴァンは、エルヴィスの腰から下は撮影しないこ
とを徹底させるなど、辛うじて自分のメンツを保とうとしたので
すが、逆にそうしたことによって、カメラはエルヴィスの若々し
い顔の表情の動きをとらえることになり、それがさらなる人気の
上昇につながったのです。その結果、第1回目の視聴率は空前の
82.6%を記録したのです。
しかし、サリヴァンはスティーヴ・アレンと違い、エルヴィス
をきちんとビッグ・スターとして扱ったのです。そうしたところ
彼がなかなかの好青年であることに気が付いたのです。見かけの
印象とは大きく異なっていると感じたのです。
そして、1957年1月6日の第3回目の出演のとき――この
ときエルヴィスはゴスペルの「谷間の静けさ」を歌っているので
すが――サリヴァンは彼一流の敗北宣言をしているのです。第3
回目の出演の終わりにサリヴァンはエルヴィスに手を差し伸べて
次のようにいったのです。
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エルヴィス・プレスリーとアメリカ国民のみなさん、エルヴィ
スは実に謙虚で立派な青年です。ビッグ・スターに接してこれ
ほど気持ちの良い経験をしたことはありません。エルヴィス、
君は、まったく申し分のない若者だ。 ――エド・サリヴァン
―――――――――――――――――――――――――――――
既出の前田絢子氏は、サリヴァンがエルヴィスに対してこのよ
うにいったということは「市場経済の論理に敗れた男の負け惜し
みに過ぎない」と斬り捨て、このエルヴィスとサリヴァンとの一
連のやりとりについて、次のように述べています。
―――――――――――――――――――――――――――――
エルヴィスとエド・サリヴァンとの対決と和解は、いわばアメ
リカの南部地方文化とアメリカ主流文化との関係を象徴するも
のだった。 ――前田絢子著/角川選書/413
『エルヴィス、最後のアメリカン・ヒーロー』より
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ここでわれわれは、なぜ南北戦争が起こったのか、なぜ同じ国
民同士で戦わなければならなかったのかについて改めて考えてみ
る必要があります。なぜなら、そうすれば、エルヴィスの音楽が
米国の文化をいかに変貌させたかがわかるからです。
もともと米国の南部地方は「米国の中の外国」といわれている
のです。それは歴史的・文化的特殊性のためにそのようにいわれ
るのです。
英国の植民地が最初に建設されたのは南部が先であり、こちら
は奴隷制を中心とする農業が、少し遅れて殖民が始まった北部で
は商工業が中心に発展したのです。このようにして、まったく異
なるプロセスを経て発展した南部と北部はやがてぶつかり、武力
衝突をするのです。これが南北戦争ですが、これについては文化
との関連において、いちどEJのテーマとして、取り上げてみた
いと思います。
しかし、ジャズやゴスペルなどの黒人音楽、カントリー・ミュ
ージックにロックンロール、それにコーラやフライド・チキンな
ど、われわれが米国の文化であると考えているものは、すべて南
部の文化なのです。そうした中で、南部で育ったエルヴィスの音
楽は、渋々ながらではあるが、米国社会の中央に招き入れられ、
米国主流文化に影響を与えたのです。――[エルヴィス/15]
≪画像および関連情報≫
・「ハウンド・ドッグ」について
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おまえはただのハウンド・ドッグ
いつもうるさく吠えたてるだけ
おまえはただのハウンド・ドッグ
いつもうるさく吠えたてるだけ
兎の一匹も捕まえられない奴なんか
おれの友達じゃない
おまえが上流だってみんなはいうが
そんなことは嘘っぱち
おまえが上流だってみんなはいうが
そんなことは嘘っぱち
兎の一匹も捕まえられない奴なんか
おれの友達じゃない
http://www.genkipolitan.com/elvis/best/best_10.html
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2007年11月09日
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