パーカー大佐は、エルヴィスに対し、もし一流になりたいので
あれば、サン・レコードのような三流レーベルでは駄目であると
説いたといいます。
これは本当の話であり、当のサン・レコードのサム・フィリッ
プスもそう考えていたのです。彼はエルヴィスのレコードを相応
にプロデュースすることも、売り出すこともできないことをよく
知っていたのです。己の実力をよくわきまえていたといえます。
サムはパーカー大佐は嫌いでしたが、メジャー・レーベルのR
CAビクターが動いたと知ると、サムはエルヴィスを全米のエル
ヴィス、世界のエルヴィスにするにはパーカー大佐にまかせるし
かないと考えたのです。サムはパーカー大佐のマネジメントの実
力は認めていたのです。
それにRCAビクターが提示してきた移籍金3万5000ドル
という当時としては途方もない金額もサムにとって必要であった
のです。したがって、サム・フィリップスは、自分が発見したも
のを手離すことに何の後悔もないといっていたのです。
現代の人から考えると、いかに相手が大物マネージャーである
ことがわかっていても、あまりにも不平等な契約であれば断れば
いいと思うでしょう。しかし、エルヴィスの両親は不平等である
ことを十分承知のうえパーカー大佐の要求を受け入れているので
す。契約の当事者はもちろんエルヴィス本人ですが、エルヴィス
が未成年者であるためパーカー大佐は両親と交渉したのです。
エルヴィスの父親のヴァーノンは当時トラックの運転手をして
いたのですが、そういう社会階層の人間は、権威すなわち高い階
層の人間への従属が求められていたのです。人種差別が色濃く残
っていた時代ですから、白人といえども階級意識は非常にはっき
りしていたのです。
エルヴィスの両親は、自分たちの置かれているポジションをよ
く心得ており、パーカー大佐が口が達者で腕は確かであるが、詐
欺師同然のタイプの人間であることをよく承知していながら、彼
にエルヴィスのマネジメントを任せたのです。それは当時として
はきわめて分別ある判断であったといえるのです。彼らは自分た
ちにはできない能力を持っているパーカー大佐にすべてを賭けて
みようと考えたのです。
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プレスリー一家がガイドが必要なのを知っていた。彼らと同じ
ような種類の人間で、銀行家、弁護士、会社重役など、ひとり
として信用できない人々の間を巧みに動き回れる人間が、おそ
らくプレスリー一家は大物たちに挑戦できる詐欺師を見出した
自分たちを幸運だと考えた。大物は彼らを単に踏み潰すだろう
ということを知っていたからだ。それが彼らの人生の現実だっ
た。 ――ボビー・アン・メイソン著/外岡尚美訳
『エルヴィス・プレスリー』より。岩波書店刊
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もし、エルヴィスが100万ドルを稼ぎ、その半分を大佐が取
り分としてとったとしても、50万ドルはエルヴィス側に入るの
です。毎日トラックを運転して週に37ドルを稼いでいるヴァー
ノンにとって途方もない金額だったのです。もともと仕事をとっ
てくるのは大佐であるのだから、半分やってもいいとヴァーノン
とグラディス(エルヴィスの両親)は考えていたのです。だから
こそ、大佐と長い間うまくやっていけたのです。
1955年11月21日にサン・レコードからRCAビクター
への移籍契約がすべて終わった翌日、エルヴィスはパーカー大佐
に次のような電報を打っています。
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大佐殿、僕と家族があなたのしてくださったことにどんなに感
謝しているか言葉では決して言い表せません。僕はずっと思っ
ていましたが、そして今では僕の両親も確信していますが、あ
なたこそ僕がともに仕事をすることを望みうる最高の、もっと
もすばらしい人物です。僕は終始変わらずにあなたに、忠実で
す。そしてあなたの僕に対する信頼に応えるためにできること
はすべてします。そのことを信じてください。もう一度、御礼
を言います。そしてあなたを父のように愛していると申し上げ
ます。 エルヴィス・プレスリー
――ボビー・アン・メイソン著/外岡尚美訳
『エルヴィス・プレスリー』より。岩波書店刊
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パーカー大佐は、マルチメディアを重視しようとする当時とし
ては非常に珍しいマネージャーであったのです。それまではレコ
ードとラジオが中心であったのですが、それに映画とその頃から
普及がはじまっていたテレビを活用しようという考え方を持って
おり、それに向けて積極的に運動をはじめたのです。
1956年1月27日にエルヴィスは、RCAビクター移籍後
はじめて次のシングルを出しています。
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Heartbreak Hotel / I Was the One
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「ハート・ブレイク・ホテル」――このあまりにも有名な曲は
その後登場した数多くのミュージシャンに多大な影響を与えたの
です。R&Bでもないし、カントリーでもない。それにピアノも
加わってモダンさが出ている。曲は暗く陰鬱であり、最初は伴奏
もなく、全編ほとんどアカベラに近い。ここまでのエルヴィスの
スタイルとは明らかに違うのです。
しかし、エルヴィスのこの第6弾シングルは、4月にはチャー
トの第1位に達したのです。さらに、「ハート・ブレイク・ホテ
ル」発表の次の日の1月28日、エルヴィスはCBS−TV「ト
ミー・ドーシー・ステージ・ショウ」に出演して、黒人R&Bを
歌っています。パーカー大佐の仕掛けによって初のテレビ出演で
す。しかし、TVではじめてエルヴィスを見た視聴者はさまざま
な反応を示したのです。 ――[エルヴィス/13]
≪画像および関連情報≫
・「ハート・ブレイク・ホテル」の歌詞/1番
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彼女が俺を捨ててから
新しい溜まり場を見つけた
淋しい通りのはずれにあるハートブレイク・ホテルさ
俺は一人ぼっち、俺は一人ぼっち
淋しくて死にそうだ
いつも混んでいるけれど
座るところなら見つかるぜ
傷ついた恋人たちが
自分の悲しみを嘆く場所
淋しい気持ち、淋しい気持ちになる
みな淋しくて死にそうだ
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2007年11月07日
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