2007年11月05日

●人種差別を破壊したエルヴィスの音楽(EJ第2199号)

 後で述べることになりますが、実はサン・レコードとエルヴィ
スとの契約は、1954年7月から1955年11月までのごく
短い期間だったのです。
 しかし、その短い期間の間にサム・フィリップスは、無名のエ
ルヴィスを効果的に売り込み、大スターに仕立て上げたのです。
1954年10月2日、サムはエルヴィスを「グランド・オール
・オープリ」への出演を取り付けることに成功したのです。
 「グランド・オール・オープリ」というのは、正統的なカント
リー・ミュージックの伝統を誇るラジオ番組であり、それはカン
トリー・ミュージックの本場であるテネシー州のナッシュヴィル
のライマン公会堂から、全米に向けて放送される米国最大のカン
トリー・ショーだったのです。
 このライマン公会堂は、「カントリー・ミュージックのカーネ
ギー・ホール」と呼ばれており、ここに出演するのは、大変なこ
とだったのです。カントリー・ミュージックはもともと南西部の
田舎の民族音楽だったのですが、ラジオやレコードの普及によっ
て商品化され、ひとつのジャンルとしてのポジションを持ってい
たのです。
 グランド・オール・オープリは、それらを統括する権威の象徴
であり、その雰囲気は保守的で、権威主義的な傾向が強かったの
です。そこに斬新で自由なスタイルのエルヴィスの音楽をぶつけ
たのですから、それを聴いた聴衆が戸惑いと違和感を覚えたのは
当然のことであったと思います。その反応はいまいちであり、ど
ちらかというと、冷淡だったといえます。
 しかし、サムはエルヴィスの歌はカントリー・ミュージックに
通ずるものがあると確信していたのです。その仕掛けとして、サ
ムは、グランド・オール・オープリに出演したすぐ後、エルヴィ
スを「ルイジアナ・ヘイライド」も出演させたのです。
 「ルイジアナ・ヘイライド」はルイジアナ州シュリーヴポート
にグランド・オール・オープリに対抗して誕生した新しいカント
リー・ショーであり、こちらの方はエルヴィスのような新しいサ
ウンドを待っていたので、熱狂的にエルヴィスを歓迎し、大成功
を収めたのです。そして、果たせるかなグランド・オール・オー
プリもカントリー・ミュージックはエルヴィスの音楽の影響を受
けて変貌・発展を遂げていくことになるのです。
 このカントリー・ミュージックの最高峰であるグランド・オー
ル・オープリと、もうひとつの新しいカントリー・ミュージック
の拠点であるルイジアナ・ヘイライドの両方に相次いで出演した
ことによって、エルヴィスの音楽の南部制覇は完璧なものになっ
たのです。
 この頃から若者たちの反応は手のほどこしようのないほど熱狂
的になっていったのです。エルヴィスの人気は南部全体に広がり
ビルボード・チャートにもエルヴィスのレコードは頻繁に顔を出
すようになっていったのです。
 このように南部各地で開かれたエルヴィスのコンサートでは、
黒人も白人もなく、一体となって参加し、音楽とダンスの祭典と
化したのです。この事態に困ったのは警察当局です。
 エルヴィスに限らず、ロックンロールコンサートでは、コンサ
ート会場は一応きちんと人種隔離が行われていたのですが、興奮
してくると、若者たちは人種別の仕切りを取り払い、白人も黒人
も一緒になって踊るようになったのです。警察当局は必死になっ
て取り締ったのですが、どうしようもなかったといいます。
 遂に警察当局は、トラブルの危険があるとして、人種別にコン
サートを行うよう命令を出したのですが、やがてなし崩しになっ
ていくことなります。ロックンロールの持つ人種統合への潜在的
な力が爆発したからです。音楽の力が根強い人種差別の厚い壁を
少しずつ破壊していったのです。
 既出の前田絢子氏は、次のような印象的な文章で表現していま
す。エルヴィスの音楽をこのように位置づけている考え方に新鮮
さを覚えます。
―――――――――――――――――――――――――――――
 エルヴィスはロックンロールを「発明」したわけではなかった
 かも知れない。なぜなら、歴史的文脈で見れば、いずれロック
 ンロールとなるはずの音楽的・文化的要素は、エルヴィスが登
 場する前から動き出していたからである。しかし、その「危険
 な音」を南部全体で新しい文化として爆発させ、やがて世界現
 象にしたのはまぎれもなくエルヴィスであった。型破りな才能
 と途方もない黒人文化への理解と包容力によって、エルヴィス
 は音楽を両人種間の新しいコミュニケーション手段に変容させ
 たのである。隔離されつづけた両人種に、思いがけない密な接
 触の機会を与えることで、南部社会に人種的な中立、寛容、や
 がては受容を促す環境を作り出したのだった。
             ――前田絢子著/角川選書/413
      『エルヴィス、最後のアメリカン・ヒーロー』より
―――――――――――――――――――――――――――――
 当時、黒人の音楽R&Bを歌う白人の歌手は多くいたのです。
いくつか名前を上げると、ペリー・コモ、フランク・シナトラ、
パットブーンなどですが、いずれもR&Bを白人向けのソフトな
ポップスとして歌っていて、白人らしさを売り物にし、白人向け
のアレンジをしていたのです。
 しかし、エルヴィスは黒人らしさを強調し、それを売り物にし
ている点が違うのです。これは当時の白人歌手ではあり得ない革
命であり、それは音楽の世界だけではなく、南部社会全体を変貌
させる大きなパワーとなって爆発したのです。
 このようにしてエルヴィスは南部全体を征服し、その活動範囲
は急激に拡大したのです。そのため地方レーベルに過ぎないサン
・レコードの手に負えない状況になっていったのです。
 しかし、エルヴィスの才能を見抜き、最初のレコードを出すや
次々と手を打って、エルヴィスをスターダムに押し上げたサムの
プロデュースは見事の一言に尽きます。―[エルヴィス/11]


≪画像および関連情報≫
 ・カントリー・ミュージックとは何か
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  カントリー・ミュージックと聞くと、一般的には西部開拓や
  カウボーイを連想する人も多いが、それはあくまでも、ハリ
  ウッドのの映画産業やブロードウェイ・ミュージカルなどが
  作り上げた西部劇の影響であり、元々はそれほど深い関係で
  はなかった。また、それらの劇中で演奏される曲もクラシッ
  ク音楽の作曲家が民謡などをベースに作った映画・舞台音楽
  がほとんどで、厳密に言うとカントリー・ミュージックとい
  うジャンルにも当てはまらない場合が多い。むしろ後にカン
  トリー・ミュージシャンの方がそのイメージに肖り、西部劇
  やカウボーイ風の演出を取り入れる。
                    ――ウィキペディア
  ―――――――――――――――――――――――――――

サン・レコード時代のエルヴィス.jpg

posted by 平野 浩 at 04:23| Comment(0) | TrackBack(0) | エルヴィス | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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